クラフツマン。

メンフィスのスタックス・レコードを中心に60年代以降にソングライターとして活躍し、さらに、自らバンクス&ハンプトンとして、アーティストとしてもレコードをだしこともあるホーマー・バンクスが、癌のため去る4月3日死去していたことがわかった。

ホーマー・バンクスは、1941年8月2日テネシー州メンフィス生まれ。メンフィスのブッカーTワシントン高校に進み、16歳のときに、ゴスペル・グループ、ソウル・コンソリデイターズを結成。1962年から64年まで、徴兵。その後メンフィスに戻り音楽活動を続け、インディ・レーベルを経てソングライターとして頭角をだす。

メンフィスのスタックス・レコードを本拠にカール・ハンプトンとコンビを組み、ジョニー・テイラーの「フーズ・メイキング・ラヴ」(68年)、サム&デイヴ、ステイプル・シンガーズ(「イフ・ユー・アー・レディー」「アイル・ビー・ジ・アザー・ウーマン」)などに作品を提供したり、プロデュースを始めた。このほかに、ルーサー・イングラムの「イフ・ラヴィング・ユー・イズ・ロング」(後にロッド・スチュワートがカヴァー)、シャーリー・ブラウンの「ウーマン・トゥ・ウーマン」などの大ヒットを送り出し、スタックスを代表するソングライターのひとりとなった。

また彼らの作品は、ロッド・スチュワート以外にもトム・ジョーンズ、ローリング・ストーンズ、エルヴィス・コステロ、シンプリー・レッドなどロック系のアーティストたちによっても録音された。

70年代中期に、A&Mレコードの出版部と契約、カリフォルニアに移住。さらに、77年、アーティスト、バンクス&ハンプトンとして契約。アルバム『パスポート・トゥ・エクスタシー』を発表。

スタックスの同僚レスター・スネルは、「ほとんどの人間は、彼のように曲を紡ぎだすことはできない。ただ曲を『書く』(writing a song)のと、曲を『紡ぎだす』(crafting a song)のには大きな違いがあるのだ。彼はその達人だった。彼が書く歌詞の一言一言に、大変な重みがあった」と振り返る。

ホーマー・バンクスはかつてこう語ったことがある。「スタックスは、私の人生だ。黒人はスタックスを本当に誇りに思っている。スタックスがおおきく盛り上がっているとき、メンフィスには心臓の鼓動があったのだ」

メンフィスの心臓が、またひとつ、その鼓動を止めた。



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