Bebu "Spring Rain" Silvetti Died At 59
2003年9月15日べブ・シルヴェッティ死去。
1977年世界的に「スプリング・レイン」がディスコでヒットしたシルヴェッティーことベブ・シルヴェッティーが、去る7月5日にマイアミで死去していたことがわかった。直接の死因は肺炎。59歳。日本では電気グルーヴが97年にリリースした「シャングリラ」でこの「スプリング・レイン」をサンプリングして、知られるようになった。
べブ・シルヴェッティーは1944年3月27日アルゼンチン生まれ。当初はクラシックを聞いていた。地元でレコード制作をしていたが、77年録音した「スプリング・レイン」がアメリカのサルソウル・レコードから発売されアメリカのディスコだけでなく世界的にヒット。その後ワーナー傘下サイアー・レコードから「サン・アフター・ザ・レイン」をリリース。小ヒット。
彼はピアノ奏者でもあったが、アレンジャーとしても活躍。シルヴェッティー名義の作品以外で、他のアーティストの作品をプロデュースしたりしていた。彼がてがけた作品にはヴィッキー・カー、ルイス・ミゲール、ラリー・エルガート、ポール・アンカなど多数。最近でもエンゲルベルト・フンパーディンクなどをプロデュースしていた。
また今年9月第一週に発表された2003年「ラテン・グラミー賞」では、ベスト・プロデューサー・オブ・ジ・イヤーに輝いている。
+++
偶然。
シルヴェッティーのことをちょっと調べていたら、なんと彼が既にこの7月5日に死去していたことを知った。ほとんど報じられていなかったのでびっくりだ。バリー・ホワイトが他界した日と同じということになる。ビルボードのサイトにもでていなかったので、一応この日記でも掲載しておくことにした。死亡記事は、ある程度有名だとけっこう入手できるが、少しマニアックだとなかなかでてこなかったりする。しばらく前のホーマー・バンクスなんかもそうだった。ここでは遅くなってもその情報を入手した時点で掲載していく。
シルヴェッティーはなんといっても「スプリング・レイン」だ。日本では「シャングリラ」の元歌ということで知られている。まあ、実質的なカヴァーと言ってもいいだろう。だが、シルヴェッティーとしては他に大ヒットらしいヒットはないので、典型的なワンヒット・ワンダーだ。
今回の死で知ったが、いろいろラテンコミュニティーを中心にレコーディングやアレンジの仕事などをしていたようだ。その証拠に先週、ラテングラミーでプロデューサー賞を獲得している。しかし、そのラテングラミーでのベストプロデューサー賞は、本人は受け取れなかったことになる。奥さんが受け取ったのだろうか。59歳とは若すぎる死だ。
ご冥福を祈りする。
1977年世界的に「スプリング・レイン」がディスコでヒットしたシルヴェッティーことベブ・シルヴェッティーが、去る7月5日にマイアミで死去していたことがわかった。直接の死因は肺炎。59歳。日本では電気グルーヴが97年にリリースした「シャングリラ」でこの「スプリング・レイン」をサンプリングして、知られるようになった。
べブ・シルヴェッティーは1944年3月27日アルゼンチン生まれ。当初はクラシックを聞いていた。地元でレコード制作をしていたが、77年録音した「スプリング・レイン」がアメリカのサルソウル・レコードから発売されアメリカのディスコだけでなく世界的にヒット。その後ワーナー傘下サイアー・レコードから「サン・アフター・ザ・レイン」をリリース。小ヒット。
彼はピアノ奏者でもあったが、アレンジャーとしても活躍。シルヴェッティー名義の作品以外で、他のアーティストの作品をプロデュースしたりしていた。彼がてがけた作品にはヴィッキー・カー、ルイス・ミゲール、ラリー・エルガート、ポール・アンカなど多数。最近でもエンゲルベルト・フンパーディンクなどをプロデュースしていた。
また今年9月第一週に発表された2003年「ラテン・グラミー賞」では、ベスト・プロデューサー・オブ・ジ・イヤーに輝いている。
+++
偶然。
シルヴェッティーのことをちょっと調べていたら、なんと彼が既にこの7月5日に死去していたことを知った。ほとんど報じられていなかったのでびっくりだ。バリー・ホワイトが他界した日と同じということになる。ビルボードのサイトにもでていなかったので、一応この日記でも掲載しておくことにした。死亡記事は、ある程度有名だとけっこう入手できるが、少しマニアックだとなかなかでてこなかったりする。しばらく前のホーマー・バンクスなんかもそうだった。ここでは遅くなってもその情報を入手した時点で掲載していく。
シルヴェッティーはなんといっても「スプリング・レイン」だ。日本では「シャングリラ」の元歌ということで知られている。まあ、実質的なカヴァーと言ってもいいだろう。だが、シルヴェッティーとしては他に大ヒットらしいヒットはないので、典型的なワンヒット・ワンダーだ。
今回の死で知ったが、いろいろラテンコミュニティーを中心にレコーディングやアレンジの仕事などをしていたようだ。その証拠に先週、ラテングラミーでプロデューサー賞を獲得している。しかし、そのラテングラミーでのベストプロデューサー賞は、本人は受け取れなかったことになる。奥さんが受け取ったのだろうか。59歳とは若すぎる死だ。
ご冥福を祈りする。
コメント