嘆きの壁。
代官山の天井の高いおしゃれなバー。グランドピアノに向かって大柄のブラザーが歌っている。ケイリブ・ジェームスhttp://members.aol.com/kayshp/index.htm。日本にやってきて13年。すっかり日本の音楽シーンでも知られる黒人のキーボード奏者、ヴォーカリストだ。彼が最近週に1-2日代官山と愛宕タワーのバーで弾き語りをしているというので、顔をだしてみた。
ブライアン・マクナイトに続いて、シンプリー・レッドの「ホールディング・バック・ジ・イヤーズ」を歌う。そして、次に歌われた作品はゆったりとしっとりとしたバラードだった。同行のソウルメイトUが「あれえ、これ、なんだっけ、なんだっけ」と頭を抱えている。ダニー・ハザウェイ? ノー。スティーヴィー? ノー。ブライアン・マクナイト? ノー。僕はわからなかった。曲も半ばになってソウルメイトひざをたたく。「あああっ、わかった! トッド・ラングレンだ。『ウエイリング・ウォール』だ!」 ケイのヴァージョンは実にソウルフルだ。
へえ、トッド・ラングレンかあ。いい曲だなあ。30分ほど歌ってケイリブが僕たちの席にやってきた。「3曲目、トッド・ラングレンでしょ。いい曲だね」とU。「おお、知ってるのか」とケイリブが身を乗り出してこの曲への思いを語り始めた。「トッドはね、1990年頃にものすごくよく聴いて研究したんだ。それまでまったく彼のことを知らなくてね。なんかで知ってCDをいろいろ聴いた。彼は、いまだに、ミュージシャンを全部ひとところに集めて、一斉に録音するんだよ。もし誰かが間違えたら、もう一度最初からやり直しだ。その録音の模様をファンに見せることにしたんだが、それは奇妙なレコーディング・セッションだったらしいよ。ライヴなのに、観客は曲が始まり、終わるまで拍手をしてはいけないんだ。(笑) なにしろ、レコーディングだからだよ。いまどき、オーヴァーダビングが当たり前だろう。そんな中で、そういうアナログ的なところが大好きだな。しかも、彼はものすごくすばらしいソングライターだ。この『ウエイリング・ウォール』もすばらしい歌詞を持っているだろう。(といって歌詞をさらさらと暗誦し、説明する)」
「海を渡る高貴な老女がいる。それを見て僕はあの物語を思い出す。夜明けから日暮れまで、彼女の叫びが聞こえる。嘆きの壁の前で」 「ウエイリング・ウォール」は嘆きの壁、あるいは、泣き叫ぶ壁のことだ。ただ泣くのではなく、泣き叫ぶ、う〜〜とうなって泣いたりするニュアンスだ。ピアノをバックに歌われるこの曲はトッドの1971年発売のアルバム『ラント〜ザ・バラッド・オブ・トッド・ラングレン』に収録されているが、シングルカットはされておらずヒットチャートには入っていない。しかし、トッドのファンはこの名曲をみな知っているようだ。
ケイが言う。「泣くことって、別に悪いことじゃないと思うんだ。誰かが泣いていると、みんなすぐ『もう泣くなよ』って言って泣くのを止めるだろう。でも、泣くのって、すごくストレスの発散になるし、体にもいいと思う。泣きたい時は泣けばいいんだよ。だから、この『ウエイリング・ウォール』の歌詞にはものすごく感銘したんだ」
「去年(トッドが)日本に来ただろう。見に行ったよ。すごくファンがいたんで、話はできなかったけど、彼ともし一緒にプレイできるなら、ノーギャラでもいいとさえ思う。つまり彼と一緒にプレイできるということは、それだけであるレヴェル以上のミュージシャンだということになるからね。とてもクリエイティヴなアーティストだ。尊敬に値する人物だよ」
ケイリブはそのトッドの音楽を知ってから9年を経た99年、マンデイ満ちるのバックバンドの仕事でヨーロッパに行った。いくつかヨーロッパの国を周り、数日オフを取りロンドンに向かう。ロンドンの友人と共に、彼はエルサレムに小旅行へ行った。特に深い理由はなかった。ロンドンあたりからだとちょうどいい距離の旅行だった。
そして、エルサレムの友人が彼らをとあるところに連れて行った。そこは大きな本当に大きな壁だった。そして、人々が皆その壁に向かって、叫び、泣いていたのだ。ケイは、それまでそんな壁があることさえ知らなかった。それを見た瞬間彼は叫んだ。「ウエイリング・ウォール(嘆きの壁)だ!!」 それまで何度となく聴き、口ずさんでいた「ウエイリング・ウォール」が目前にあった。「もう、なんと言ったらいいか、わからなかったよ。感激したね。トッドがこの壁に来たことがあって、曲を書いたのかどうかは知らない。来たことがあるのかもしれないし、ないかもしれないけど、何かで読んだりして書いたのかもしれない」 だが、その壁の前でケイリブの脳裏にはトッドの透明感のある歌声がめぐっていた。
トッド・ラングレンはフィラデルフィア出身だ。ケイが言う。「ダリル・ホールの歌を聞いたときに、なんとなくトッドに似ているなあって思っていたことがあってね。そしたら、あのホール&オーツたちは、トッドのバックコーラスをやっていたこともあるんだ。同じフィリー出身だからね」 Uが付け加える。「じゃあ、この曲のニック・デカロのヴァージョンは知ってるかい?」 「ニック誰? 知らないなあ」 「70年代に活躍したアレンジャーで、シンガー・ソングライターといったところかな。74年のアルバム『イタリアン・グラフィティー』の中でカヴァーしてるんだ。それにはデイヴィッドTなんかもギターではいってるよ」 「へえ、それは聴いてみなきゃ」
フィラデルフィアで生まれた曲が、エルサレムを経て代官山までやってきた。僕まで32年かかってたどり着いたその曲「ウエイリング・ウォール」をリピートで何度も何度も聴いている。新たなる名曲の出会いに感謝。
(2003年10月23日代官山・XEX(ゼクス)・The BAR)
(明日は「フィールン・ソウル」のお話です)
代官山の天井の高いおしゃれなバー。グランドピアノに向かって大柄のブラザーが歌っている。ケイリブ・ジェームスhttp://members.aol.com/kayshp/index.htm。日本にやってきて13年。すっかり日本の音楽シーンでも知られる黒人のキーボード奏者、ヴォーカリストだ。彼が最近週に1-2日代官山と愛宕タワーのバーで弾き語りをしているというので、顔をだしてみた。
ブライアン・マクナイトに続いて、シンプリー・レッドの「ホールディング・バック・ジ・イヤーズ」を歌う。そして、次に歌われた作品はゆったりとしっとりとしたバラードだった。同行のソウルメイトUが「あれえ、これ、なんだっけ、なんだっけ」と頭を抱えている。ダニー・ハザウェイ? ノー。スティーヴィー? ノー。ブライアン・マクナイト? ノー。僕はわからなかった。曲も半ばになってソウルメイトひざをたたく。「あああっ、わかった! トッド・ラングレンだ。『ウエイリング・ウォール』だ!」 ケイのヴァージョンは実にソウルフルだ。
へえ、トッド・ラングレンかあ。いい曲だなあ。30分ほど歌ってケイリブが僕たちの席にやってきた。「3曲目、トッド・ラングレンでしょ。いい曲だね」とU。「おお、知ってるのか」とケイリブが身を乗り出してこの曲への思いを語り始めた。「トッドはね、1990年頃にものすごくよく聴いて研究したんだ。それまでまったく彼のことを知らなくてね。なんかで知ってCDをいろいろ聴いた。彼は、いまだに、ミュージシャンを全部ひとところに集めて、一斉に録音するんだよ。もし誰かが間違えたら、もう一度最初からやり直しだ。その録音の模様をファンに見せることにしたんだが、それは奇妙なレコーディング・セッションだったらしいよ。ライヴなのに、観客は曲が始まり、終わるまで拍手をしてはいけないんだ。(笑) なにしろ、レコーディングだからだよ。いまどき、オーヴァーダビングが当たり前だろう。そんな中で、そういうアナログ的なところが大好きだな。しかも、彼はものすごくすばらしいソングライターだ。この『ウエイリング・ウォール』もすばらしい歌詞を持っているだろう。(といって歌詞をさらさらと暗誦し、説明する)」
「海を渡る高貴な老女がいる。それを見て僕はあの物語を思い出す。夜明けから日暮れまで、彼女の叫びが聞こえる。嘆きの壁の前で」 「ウエイリング・ウォール」は嘆きの壁、あるいは、泣き叫ぶ壁のことだ。ただ泣くのではなく、泣き叫ぶ、う〜〜とうなって泣いたりするニュアンスだ。ピアノをバックに歌われるこの曲はトッドの1971年発売のアルバム『ラント〜ザ・バラッド・オブ・トッド・ラングレン』に収録されているが、シングルカットはされておらずヒットチャートには入っていない。しかし、トッドのファンはこの名曲をみな知っているようだ。
ケイが言う。「泣くことって、別に悪いことじゃないと思うんだ。誰かが泣いていると、みんなすぐ『もう泣くなよ』って言って泣くのを止めるだろう。でも、泣くのって、すごくストレスの発散になるし、体にもいいと思う。泣きたい時は泣けばいいんだよ。だから、この『ウエイリング・ウォール』の歌詞にはものすごく感銘したんだ」
「去年(トッドが)日本に来ただろう。見に行ったよ。すごくファンがいたんで、話はできなかったけど、彼ともし一緒にプレイできるなら、ノーギャラでもいいとさえ思う。つまり彼と一緒にプレイできるということは、それだけであるレヴェル以上のミュージシャンだということになるからね。とてもクリエイティヴなアーティストだ。尊敬に値する人物だよ」
ケイリブはそのトッドの音楽を知ってから9年を経た99年、マンデイ満ちるのバックバンドの仕事でヨーロッパに行った。いくつかヨーロッパの国を周り、数日オフを取りロンドンに向かう。ロンドンの友人と共に、彼はエルサレムに小旅行へ行った。特に深い理由はなかった。ロンドンあたりからだとちょうどいい距離の旅行だった。
そして、エルサレムの友人が彼らをとあるところに連れて行った。そこは大きな本当に大きな壁だった。そして、人々が皆その壁に向かって、叫び、泣いていたのだ。ケイは、それまでそんな壁があることさえ知らなかった。それを見た瞬間彼は叫んだ。「ウエイリング・ウォール(嘆きの壁)だ!!」 それまで何度となく聴き、口ずさんでいた「ウエイリング・ウォール」が目前にあった。「もう、なんと言ったらいいか、わからなかったよ。感激したね。トッドがこの壁に来たことがあって、曲を書いたのかどうかは知らない。来たことがあるのかもしれないし、ないかもしれないけど、何かで読んだりして書いたのかもしれない」 だが、その壁の前でケイリブの脳裏にはトッドの透明感のある歌声がめぐっていた。
トッド・ラングレンはフィラデルフィア出身だ。ケイが言う。「ダリル・ホールの歌を聞いたときに、なんとなくトッドに似ているなあって思っていたことがあってね。そしたら、あのホール&オーツたちは、トッドのバックコーラスをやっていたこともあるんだ。同じフィリー出身だからね」 Uが付け加える。「じゃあ、この曲のニック・デカロのヴァージョンは知ってるかい?」 「ニック誰? 知らないなあ」 「70年代に活躍したアレンジャーで、シンガー・ソングライターといったところかな。74年のアルバム『イタリアン・グラフィティー』の中でカヴァーしてるんだ。それにはデイヴィッドTなんかもギターではいってるよ」 「へえ、それは聴いてみなきゃ」
フィラデルフィアで生まれた曲が、エルサレムを経て代官山までやってきた。僕まで32年かかってたどり着いたその曲「ウエイリング・ウォール」をリピートで何度も何度も聴いている。新たなる名曲の出会いに感謝。
(2003年10月23日代官山・XEX(ゼクス)・The BAR)
(明日は「フィールン・ソウル」のお話です)
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