前向き。
「オーディションに落ちたり、いやなことがあったりして凹んだ時、この曲をよく聴いたんです。この曲のメッセージって、『すべてうまく行く』っていう前向きなものでしょう。だから、落ち込んだ時はこの曲を聴いて元気を出すんです」
なるほど、そんな言葉が聞こえてくるのも理解できる。確かに、それほど英語の歌詞がわからなくとも、このサビの部分だけはよくわかる。”Everything’s Gonna Be Alright”。バッハの『G線上のアリア』のメロディーに乗せたこの曲は、98年秋からヒット。99年、日本のFM局のへヴィーローテーションを総なめにした。これを歌っていたのが、「スウィートボックス」と名乗るアーティストだ。
当初このグループは、ドイツのディスコ・プロデューサー、ゲオとアメリカ人ラッパー兼シンガーのティナ・ハリスのプロジェクトだった。この大ヒットの後、2000年5月から、リードシンガーがティナから現在のジェイド・ヴァレリー・ヴァイラロン(1980年8月12日カリフォルニア生まれ)に代わった。以後、彼らはコンスタントにアルバムをリリース、日本でも着実な人気を獲得している。「エヴリシングス…」のプロモーション用ビデオクリップで歌っていたのは黒人のティナ、そして、現在リードシンガーは、白人のジェイドというわけで、プロモビデオを思い浮かべるとちょっととまどうかもしれない。
そんな二代目スウィートボックスが渋谷DUOでライヴを見せた。ドラムス、ギター、ベース、キーボード二人、コーラス、それにリードシンガーのジェイドの7人。途中、一緒に来日していたママの誕生日を祝う「ハッピー・バースデイ」を含め、基本的にはのりのりのポップなロック。観客が座っているのを盛り上げようとするが、着席が基本という会場のせいかなかなか立ち上がらない。さて、1時間15分のステージで、やはり、アンコール一曲目の「エヴリシングス・ゴナ・ビー・オールライト」に尽きる。それまでの作品は、このメインディッシュまでのアンティパストの趣さえある。
セカンドショウのライヴが終った後、ジェイドが客席にでてサイン会を行った。その後、ジェイドと一言二言話すことができた。近くで見るジェイドは気取りがまったくなく、可愛かった。ライヴのステージでの英語がどこかヨーロッパ系のアクセントがあるように思えたが、「カリフォルニア出身よ。今はロスアンジェルスに住んでるわ。日本には何度も来てる」とのこと。ショウの途中でも、アンコールが終った後も、「ありがとう」という言葉を何度も何度も繰り返していた。85年から87年にかけて、父親が米軍所属だったため日本に滞在していた、という。「日本は大好きよ」と彼女は言った。
(2004年2月25日水曜・渋谷DUO=スウィートボックス・ライヴ)
「オーディションに落ちたり、いやなことがあったりして凹んだ時、この曲をよく聴いたんです。この曲のメッセージって、『すべてうまく行く』っていう前向きなものでしょう。だから、落ち込んだ時はこの曲を聴いて元気を出すんです」
なるほど、そんな言葉が聞こえてくるのも理解できる。確かに、それほど英語の歌詞がわからなくとも、このサビの部分だけはよくわかる。”Everything’s Gonna Be Alright”。バッハの『G線上のアリア』のメロディーに乗せたこの曲は、98年秋からヒット。99年、日本のFM局のへヴィーローテーションを総なめにした。これを歌っていたのが、「スウィートボックス」と名乗るアーティストだ。
当初このグループは、ドイツのディスコ・プロデューサー、ゲオとアメリカ人ラッパー兼シンガーのティナ・ハリスのプロジェクトだった。この大ヒットの後、2000年5月から、リードシンガーがティナから現在のジェイド・ヴァレリー・ヴァイラロン(1980年8月12日カリフォルニア生まれ)に代わった。以後、彼らはコンスタントにアルバムをリリース、日本でも着実な人気を獲得している。「エヴリシングス…」のプロモーション用ビデオクリップで歌っていたのは黒人のティナ、そして、現在リードシンガーは、白人のジェイドというわけで、プロモビデオを思い浮かべるとちょっととまどうかもしれない。
そんな二代目スウィートボックスが渋谷DUOでライヴを見せた。ドラムス、ギター、ベース、キーボード二人、コーラス、それにリードシンガーのジェイドの7人。途中、一緒に来日していたママの誕生日を祝う「ハッピー・バースデイ」を含め、基本的にはのりのりのポップなロック。観客が座っているのを盛り上げようとするが、着席が基本という会場のせいかなかなか立ち上がらない。さて、1時間15分のステージで、やはり、アンコール一曲目の「エヴリシングス・ゴナ・ビー・オールライト」に尽きる。それまでの作品は、このメインディッシュまでのアンティパストの趣さえある。
セカンドショウのライヴが終った後、ジェイドが客席にでてサイン会を行った。その後、ジェイドと一言二言話すことができた。近くで見るジェイドは気取りがまったくなく、可愛かった。ライヴのステージでの英語がどこかヨーロッパ系のアクセントがあるように思えたが、「カリフォルニア出身よ。今はロスアンジェルスに住んでるわ。日本には何度も来てる」とのこと。ショウの途中でも、アンコールが終った後も、「ありがとう」という言葉を何度も何度も繰り返していた。85年から87年にかけて、父親が米軍所属だったため日本に滞在していた、という。「日本は大好きよ」と彼女は言った。
(2004年2月25日水曜・渋谷DUO=スウィートボックス・ライヴ)
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