ソウル・シンガー、タイロン・デイヴィスが9日、オルガン奏者、ジミー・スミスが8日死去した。また、俳優オージー・デイヴィスも先週金曜(4日)マイアミで死去していたことがわかった。
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重鎮。
昨年(2004年)9月に心臓発作で入院していたシカゴ・ソウルの重鎮、R&Bシンガー、タイロン・デイヴィスが2月9日(水曜)、シカゴのヒンズデール病院で死去した。66歳。デイヴィスは、これまで心臓発作を何度か起こしていた。
タイロン・デイヴィスは、1938年5月4日ミシシッピー州グリーンヴィル生まれ。ミシガン州サギノウで育った。幼少の頃はゴスペルを歌っていたが、元々はブルース・シンガー、フレディー・キングの運転手をしていた。62年にその仕事を辞め、本格的にシンガーとして地元を中心に活動を始めた。
68年、シカゴの有力プロデューサー、カール・デイヴィスに見出され、彼のプロデュースでブランズウィック・レコード傘下デイカー・レーベルから同年12月「キャン・アイ・チェンジ・マイ・マインド」をリリース。これがいきなりソウル・チャートで1位になり、瞬く間にスターの座についた。さらに70年、「ターン・バック・ザ・ハンズ・オブ・タイム」が再びソウルで1位を獲得。これは、ポップ部門でも3位を記録。人気R&Bシンガーとなった。同曲は、後にRケリーの同名曲のヒントとなった。
その後もコンスタントにヒットを放ち、70年代を通して、安定した人気を獲得。特にシカゴソウルのアレンジと、ハスキーでソウルフルな歌唱が大きな魅力。76年、デイカーからコロンビアへ移籍。79年には「イン・ザ・ムード」の大ヒットを放った。その後もハイライズ、オーシャン・フロント、フューチャーなどのインディ・レーべルから作品を出しつづけていた。
妹のジーン・デイヴィスは、ソウル・グループ、ファクツ・オブ・ライフのメンバー。
60年代初期からデイヴィスと知り合い、親友でもあるソウル・シンガー、オーティス・クレイはデイヴィスが入院してから週に2−3回、見舞いに訪れていた。クレイはこう言う。「私は実の弟を2002年12月に亡くした。だが、タイロンは心から私の兄弟だ」
クレイは、昨年11月中旬にデイヴィスの治療費を集めるチャリティー・イヴェントをおこなった。ここには、ジェリー・バトラー、ココ・テイラー、バディー・ガイなどが出演した。
また、彼のプロデューサーで育ての親でもあるカール・デイヴィスはこう振り返る。「彼は、当初レコードのクレジットにタイロン・ワンダー・ボーイとしてくれ、と言った。だが、それはよくないということで、本名を尋ねた。するとタイロン・フェットソンという。それも芸名にはふさわしくなかった。彼が私のファミリー・ネームを聞いてきた。デイヴィスだというと、それでいい、と」 こうして、彼はタイロン・デイヴィスになった、というわけだ。
デイヴィスは98年に、約2年間の前立腺癌の闘病生活に打ち勝ち、快気祝いをしていた。
葬儀の日取りなど未定。
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タイロン・デイヴィスの訃報記事。
http://www.suntimes.com/output/entertainment/cst-ftr-davis10.html
ジミー・スミス訃報記事。
http://www.billboard.com/bb/daily/article_display.jsp?vnu_content_id=1000797113
オージー・デイヴィス訃報記事。
http://www.legacy.com/chicagotribune/LegacySubPage2.asp?Page=LifeStory&;;PersonID=3126713
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重鎮。
昨年(2004年)9月に心臓発作で入院していたシカゴ・ソウルの重鎮、R&Bシンガー、タイロン・デイヴィスが2月9日(水曜)、シカゴのヒンズデール病院で死去した。66歳。デイヴィスは、これまで心臓発作を何度か起こしていた。
タイロン・デイヴィスは、1938年5月4日ミシシッピー州グリーンヴィル生まれ。ミシガン州サギノウで育った。幼少の頃はゴスペルを歌っていたが、元々はブルース・シンガー、フレディー・キングの運転手をしていた。62年にその仕事を辞め、本格的にシンガーとして地元を中心に活動を始めた。
68年、シカゴの有力プロデューサー、カール・デイヴィスに見出され、彼のプロデュースでブランズウィック・レコード傘下デイカー・レーベルから同年12月「キャン・アイ・チェンジ・マイ・マインド」をリリース。これがいきなりソウル・チャートで1位になり、瞬く間にスターの座についた。さらに70年、「ターン・バック・ザ・ハンズ・オブ・タイム」が再びソウルで1位を獲得。これは、ポップ部門でも3位を記録。人気R&Bシンガーとなった。同曲は、後にRケリーの同名曲のヒントとなった。
その後もコンスタントにヒットを放ち、70年代を通して、安定した人気を獲得。特にシカゴソウルのアレンジと、ハスキーでソウルフルな歌唱が大きな魅力。76年、デイカーからコロンビアへ移籍。79年には「イン・ザ・ムード」の大ヒットを放った。その後もハイライズ、オーシャン・フロント、フューチャーなどのインディ・レーべルから作品を出しつづけていた。
妹のジーン・デイヴィスは、ソウル・グループ、ファクツ・オブ・ライフのメンバー。
60年代初期からデイヴィスと知り合い、親友でもあるソウル・シンガー、オーティス・クレイはデイヴィスが入院してから週に2−3回、見舞いに訪れていた。クレイはこう言う。「私は実の弟を2002年12月に亡くした。だが、タイロンは心から私の兄弟だ」
クレイは、昨年11月中旬にデイヴィスの治療費を集めるチャリティー・イヴェントをおこなった。ここには、ジェリー・バトラー、ココ・テイラー、バディー・ガイなどが出演した。
また、彼のプロデューサーで育ての親でもあるカール・デイヴィスはこう振り返る。「彼は、当初レコードのクレジットにタイロン・ワンダー・ボーイとしてくれ、と言った。だが、それはよくないということで、本名を尋ねた。するとタイロン・フェットソンという。それも芸名にはふさわしくなかった。彼が私のファミリー・ネームを聞いてきた。デイヴィスだというと、それでいい、と」 こうして、彼はタイロン・デイヴィスになった、というわけだ。
デイヴィスは98年に、約2年間の前立腺癌の闘病生活に打ち勝ち、快気祝いをしていた。
葬儀の日取りなど未定。
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タイロン・デイヴィスの訃報記事。
http://www.suntimes.com/output/entertainment/cst-ftr-davis10.html
ジミー・スミス訃報記事。
http://www.billboard.com/bb/daily/article_display.jsp?vnu_content_id=1000797113
オージー・デイヴィス訃報記事。
http://www.legacy.com/chicagotribune/LegacySubPage2.asp?Page=LifeStory&;;PersonID=3126713
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