(素晴らしい作品の誕生秘話などを不定期にご紹介する『グレイト・ソング・ストーリー』。「素晴らしい曲」の物語であると同時に、素晴らしい「曲にまつわる物語」の時もあります)

"The Great Song Story":
"Lean On Me"〜The Soul Of Genuine People Spread To The World

Lean On Me

素朴。

ビル・ウィザースの生まれ故郷はウェスト・ヴァージニア州スラブフォークという南部の田舎街だった。産業といえば、石炭、とても貧乏な炭鉱町だ。そこでは、近所の誰もが、皆を知っていた。誰かの家に塩がなければ、誰かが塩を貸し、ミルクが足りない家があれば、誰かがミルクを与えた。お互いがお互いを助け合い、生きてきた小さな街だった。そんな街では、誰かに頼る(Lean On Somebody)ということは、自然なことだった。

1971年のある日、彼は新しく買ったウォーリッツァー社のキーボードをダンボールから取り出した。彼自身、ある程度ギターは弾くが、ピアノはそれほど弾けなかった。取り扱い説明書を読むこともなく、適当にいじりながら音を出し始めると、彼はその音が気に入った。いろいろなスイッチを適当にさわりながら、音を出していると、ちょっとしたメロディーをハミングしていた。そのハミングしたメロディーは彼が炭鉱か、あるいは故郷の教会で聴いたようなメロディーだった。

思い浮かんだメロディーから、ビルの脳裏にはその故郷の人々が思い出された。小さな炭鉱町の人々を歌った歌詞が生まれた。それが「リーン・オン・ミー」である。しかし、この曲を作った時、彼にはアルバムのレコーディングの予定はなかった。71年のデビュー・アルバム『ジャスト・アズ・アイ・アム』がヒットしていたが、それをプロデュースしてくれたブッカーTはスケジュールの関係で次の作品をプロデュースできなかった。

ビルはレコード会社の社長、クラレンス・エイヴォントにツアーで一緒にやっていたバンド・メンバーでレコーディングしたいというが、エイヴォントは首を縦にふらない。そこで、彼はスタジオ代の安い午前中に3時間ほど時間をとってもらい、そのメンバーでデモ・テープを録音させてくれるよう直訴。なんとか社長の了解を得た。

ビルとジェームス・ギャドソン、そして、その仲間たちはいつもギャドソンの自宅ガレージに集まって、汗だくになってセッションをしていた。ビルは同じ仲間のキーボード奏者レイ・ジャクソンにメンバーを集めるように頼み、ある金曜の午前10時、皆がスタジオに集まった。ビルは言った。「この3時間で我々は自分たちの実力を証明しなければならない」。

スタジオで「ユーズ・ミー」など何曲かを録音。スタジオからいきなり、クラレンス社長のオフィースに直行したビル。社長は、スタックス・レコードのアル・ベルとミーティングをしていた。そこで、できたての作品を聴かせると、クラレンスはあまりのってこない。ところが、アル・ベルがその作品を気に入り、彼の後押しもあり、なんとかセカンド・アルバムのレコーディングにゴーサインがでた。こうして、この「リーン・オン・ミー」もレコーディングされることになった。まもなく彼の2枚目のアルバム『スティル・ビル』が完成する。

「リーン・オン・ミー」は、72年4月からヒット。見事にソウル・チャート、ポップ・チャートでナンバーワンに輝いた。その後もイギリスのグループ、マッドがカヴァーしたり、また、それから15年後の87年、クラブ・ヌーヴォーがディスコ調にして再度ナンバー・ワンにする。他にもマイケル・ジャクソンからバーブラ・ストライサンドまで多数のカヴァーが誕生し、ビル・ウィザース作品の中でももっとも人気の一曲となった。その普遍的なメッセージは曲が書かれて30年以上たった今日でも輝きを失わない。

だがビルにとってのこの曲の思い出は、かなり個人的なものだ。彼がこの作品を書いて何年かたって、彼の子供が6年生を卒業するときに、学校の卒業劇で父親であるビル・ウィザースにこの「リーン・オン・ミー」を歌ってくれるよう依頼がきたのだ。もちろん彼はこの子供劇の中で「リーン・オン・ミー」を歌った。

ビルは言う。「若い頃以来私の人生のすべての中で、仕事をするようになって、お金がはいってきたり、女性にもてたり、いろいろ嬉しいことはあったが、何よりも報われた気持ちになったのがこの瞬間だった」。

ある一曲を書き、その作品を自分の子供の卒業劇の中で、歌う。それはビルにとって大変な喜びでもあったが、この曲を聴いた世界中の人々も、それぞれに感銘し、人生に影響を与えられてきた。その曲のルーツは、ビルの故郷ウェスト・ヴァージニアの炭鉱の街にある。素朴で純粋な人々のソウルが、ビル・ウィザースという類稀(たぐいまれ)な詩人を通して世界中の人々のソウルに触れたのである。

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リーン・オン・ミー
歌・ビル・ウィザース

人生、生きていけば、みな、痛みを感じる時もあれば、
悲しみにくれることもある
だが、私たちに知恵があれば、
いつでも希望に満ちた明日があることがわかる

君が落ち込んでいる時には、僕を頼ってくれていいんだよ
僕は君の友達になって、君ががんばれるよう手助けしよう
僕だって誰かを頼りにする日がくるかもしれないのだから

僕の手元に君に必要なものがあって、借りたいと思うなら、
プライドを捨てて、そう言ってくれ
その事を口に出して言わなければ、
誰も君の気持ちをわかってくれない

ブラザー、手助けが必要なら、ただ僕を呼び出してくれればいい、
僕たちはみな、誰か頼れる人が必要なんだ
一方で、僕も君にはわかってもらえる問題を抱えているかもしれない
つまり僕たちはみな、誰か頼る人間が必要なんだ

持っていかなければならない荷物があるなら、
僕を呼び出してくれ、僕が荷物を少し持ってあげよう、
すぐに飛んでいくよ、君に友達が必要な時は・・・
呼んでおくれ

(訳詞ソウル・サーチャー)

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