June Pointer Dies At 52

2006年4月14日
【ジューン・ポインター死去】

末娘。

姉妹グループとして70年代から80年代に数多くのヒットを放ったヴォーカル・グループ、ポインター・シスターズの末っ子ジューン・ポインターが去る2006年4月11日(火曜)、カリフォルニア州サンタモニカ大学病院で癌のため死去した。52歳だった。癌の種類は発表されていない。ジューン・ポインターは去る2月から入院していた。

ジューンは、姉のルース、アニタの胸に抱かれながら、また兄のアーロン、フリッツも立ち会う中死去した。ボニーは立ち会わなかった。

ポインター・シスターズは、1971年カリフォルニア州オークランドでポインター姉妹4人、上から順にルース・ポインター(1946年3月19日生まれ)、アニータ(1948年1月23日生まれ)、ボニー(1950年7月11日生まれ)、ジューン(1954年11月30日生まれ)によって結成された。60年代後半はポインター兄弟の、姉妹のほか、上記2人の兄たちと教会で共に歌っていた。

1973年、ニューオーリンズのプロデューサー、アラン・トゥーサンのプロデュースによる『ポインター・シスターズ』でブルーサム・レコードからデビュー。ここからいきなり、ファンキーな「イエス・ウィ・キャン・キャン」が大ヒットし注目されるようになった。ポインター・シスターズは、ソウル、ファンクだけでなく、1940年代のアメリカのノスタルジックなスタンダード曲も歌い、従来のR&Bコーラスグループと一線を画した。また、1976年の大ヒットブラック映画『カー・ウォッシュ』にも出演している。

1978年、3女のボニー・ポインターがソロシンガーとなるために、グループを脱退。ボニーは同年モータウンから「フリー・ミー・フロム・マイ・フリードム」がヒット。一方、ポインターズは3人組となり、一時期人気が低迷したが、1979年、ブルース・スプリングスティーンの作品「ファイアー」をレコーディングしたところ、これがポップ部門で2位まで行く大ヒットとなり、復活。以後、「ヒーズ・ソー・シャイ」(1980年)、「スロー・ハンド」(1981年)などの大ヒットが続出、70年代以上に大きな人気を獲得した。

その後、グループ活動と並行してジューン、アニータもソロ活動をしていた時期もあるが、ジューンはソロアルバム2枚をだしてグループを脱退。ポインター・シスターズは、しばらくアニータとルースの二人で活動、その後、ルースの娘イッサ・ポインターを加えて3人組として活動している。

ポインター・シスターズとしてはグラミー賞を3回獲得している。74年度、「フェアリーテール」で「ベスト・カントリー・パフォーマンス」、84年度「オートマティック」で「ベスト・アレンジ・フォー・ヴォイセス」、同年度「ジャンプ」で「ベスト・ポップ・パフォーマンス」。

ENT>OBITUARY>Pointer, June / April 11, 2006 (52)

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