【スティーヴィーの母、死去】

傷心。

シンガー、スティーヴィー・ワンダーの母親ルーラ・メイ・ハーダウェイが去る5月31日亡くなり、その葬儀が6月8日ロスアンジェルスの「ウェスト・エンジェルス・チャーチ・オブ・ゴッド」で行われ、スティーヴィーら多くの人たちが参列した。ルーラ・メイは76歳だった。 (自伝では1932年生まれとされているが、今回の報道はほとんが1930年生まれとなっているので、30年生まれが正しいものと思われる)

ルーラは1930年1月11日アラバマ州に小作人の子供として誕生。しかし、ルーラの幼少時はひじょうに悲惨で、貧困と飢えと暴力に苦しんだ。家から家、親戚のところをたらいまわしにされていた。その後、15歳の時に父親とインディアナ州に移り、学校は行かず工場で働き始めた。まもなく年配の男性カルヴィン・ジャドキンスと結婚。この男性はあまり働かず、ルーラに生活費を稼ぐために売春をするよう命じていたという。20歳になるまでに3人の息子を産んだ。その子供たちが、カルヴィン、ミルトン、スティーヴランドらで、スティーヴランドのフルネームは、スティーヴランド・モーリス・ジャドキンス・ハーダウェイ。世界的にはスティーヴィー・ワンダーとして知られる。ルーラは3番目の子供が盲目で生まれてきたのは、自分がしてきたこと(売春)への神様の罰だと考えるようになっていた、といわれる。そういう事情もあり、スティーヴィー本人は、名前にジャドキンス姓をつけたがらない、という。

ルーラ・ハーダウェイのことを描いた伝記『ブラインド・フェイス(邦題、盲目の信念)』(デニス・ラヴ&ステイシー・ブラウン著)が2002年11月に全米でリリースされ、2003年9月に日本語版も発売されている。

スティーヴィーは葬儀で「キープ・アワ・アライヴ」を歌った。彼のほか、ソウル・スティアラーズ、ヨランダ・アダムス、ジェームス・イングラム、テイク6などが歌を歌い、ママ・ルーラの旅立ちに華を添えた。また、モータウン創始者ベリー・ゴーディーもスピーチをし、さらに、スティーヴィーの兄弟(カルヴィン、ミルトン、リニー)もあいさつをした。

スティーヴィーはゴスペルアルバムのコンピレーションへの作品提供を語った、という。

また、母ルーラの友人、ジョージ・ニューベリーは「ダイアモンド・インザ・スカイ」という詩を読んだ。

スティーヴィーにとって、ここ数年は、弟、レイ・チャールズ、最初の妻シリータ、そして、今回は実の母の死去と、傷心の別れが続いている。そうしたことがゴスペルへ彼を向かわせる一端になっているかもしれない。

ルーラ・ハーダウェイは6人の子供、5人の兄弟、20人の孫、ひ孫によって、送られた。

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OUR DIAMOND IN THE SKY

We speed through life fulfilling dreams
Of things we want to do,
And working for material things...
A house and a car, or two.

We take our trips and tour the world
And buy our diamond rings,
But we often forget to take time out
For the most important things.

When we need love or a helping hand,
Diamonds are never there,
It’s our families and the friends we made
Who love and show they care.

Lula cared for all of us
And it’s hard to say goodbye,
But forever she’ll shine her love on us...
She’s our Diamond in the Sky.

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ENT>OBITUARY>Hardway, Lula Mae>Jan 11, 1930-May 31, 2006 (76)

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