Philip Woo Will Be At Cotton Club With Roy Ayers: Reunion First In 28 Years : Philip Reveals His First Encounter With Roy (Part 1)
【フィリップ・ウー、ロイ・エヤーズと28年ぶりのリユニオン・ライヴ〜フィリップ・ウー・インタヴュー(パート1)】
リユニオン。
日本で活躍するキーボード奏者、フィリップ・ウーのライヴが来る2006年11月5日(日曜)と6日(月曜)丸の内コットンクラブで行われることになり、このライヴ・ゲストに人気ヴァイヴ奏者ロイ・エヤーズが参加することが決まった。ちょうどロイ・エヤーズは10月31日から11月3日まで東京ブルーノートに出演しており、その後東京に残り、フィリップのライヴに登場する。フィリップがロイとの思い出を語ってくれたので、その内容もあわせて紹介する。
フィリップにとってロイ・エヤーズは音楽的恩師(メンター)。フィリップがまだプロのミュージシャンになりたての頃、ロイのバンドに誘われ、ツアーに参加することになった。ロイ・エヤーズ・バンドへの参加が、フィリップのその後のミュージシャン・ライフを決定付けることになった。その意味で、フィリップの音楽的原点とも言えるアーティストだ。
フィリップはロイが発表した当時のレコードにも参加。今回のリユニオンはおよそ28年ぶりのものになる。フィリップが17歳の時(73年)、ロイがフィリップの地元シアトルにやってきたときに出会い、その後ロイのバンドに誘われ、ロイの本拠地ニューヨークに移った。以後、フィリップはニューヨークで多くのR&B系、ジャズ系ミュージシャンと交流を持つようになり、売れっ子キーボード奏者となった。
フィリップがロイとの出会いを語る。
「ロイ(1940年生まれ)と初めて会ったのは僕が高校2年生の時、17歳(1973年=フィリップは1956年シアトル生まれ)だった。彼は、僕の地元シアトルの『ギャラリー』というジャズ・クラブに演奏しにきていた。その時はあまり客もいなくて、オーディエンスに『ステージに上がって何かプレイしたい奴はいるかい』と声をかけた。僕はステージに上がり、バンドと一緒に何曲かプレイしたんだ」
これがロイとフィリップの初対面だった。1973年のことだ。それから2年後の1975年、フィリップがハイスクールを卒業した頃、またロイが街にやってきた。
「ロイは『パイオニア・バンク・ジャズ・クラブ』という店で演奏していた。2年前に会った僕のことを覚えていてくれた。その時は彼のバンドにはキーボード奏者はいなかったんだが、ステージにはエレクトリックピアノとシンセサイザーが置かれていた。『プレイしたいか』というので、僕は当たり前のようにプレイした。彼に、『俺(ロイ)の曲で何か知ってるか』と聞かれ、『もちろん全部知ってます』と答えた。その夜は、ずっとバンドと一緒にプレイしたんだ。とても気持ちよく素晴らしかった。彼に、また(翌日も)来て、プレイしていけと言われ、結局その後2週間(彼の出演期間中)ほとんど毎日クラブ通いすることになったんだ」
フィリップはある日、ステージ前の午後にクラブに来てくれと呼び出される。ロイはフィリップに1本のカセットテープを渡し、楽譜に起こしてくれと頼んだ。「ある曲をロイはカヴァーしたがっていたんだが、その曲を楽譜にしたんだ。それをきっかけにして、ロイは僕のことをずいぶんと目にかけてくれるようになった。例えば音楽的にも、僕にスイング・スタイルのジャズっぽい演奏をするように指示されたりした」
そして、その日フィリップは彼にこう言われたのだ。「ニューヨークに来て、俺のバンドに入らないか?」 フィリップは喜び勇んで「イエス」と答えた。「シアトル出身の19歳の子供にとっては、それはそれはエキサイティングなことだったよ」
バンドに正式に入ったのは、それから3ヶ月後のことだった。ロイがフィリップに航空券を送ってきた。フィリップはそれまで飛行機に乗ったことはなかったが、初のフライトで彼はロイのバンドが待つシカゴに向かった。
その夜フィリップはシカゴのノースサイドにある「ラッツォーズ」という店でプレイした。「そのバーで、僕はあの伝説のギタリスト、ケニー・バレルに会ったんだよ」とフィリップは言う。「彼はとてもフレンドリーで、今まで中国系のピアニスト(フィリップ自身のこと)に会ったことはないと言っていた。その夜は、もうひとりステージに飛び入りで上ってきた。(シンガーの)フローラ・プリムだった。当時のロイのベーシストがジョージ・デュークとプレイしていたので、そのつてでフローラが遊びに来ていたんだ。彼女が少し歌っていった」
そして、フィリップが楽屋に戻ると、驚くべき客人がそこにはいた。
(つづく)
■フィリップ・ウー・アンド・ロイ・エヤーズ ユビクイティー・リユニオン・ツアー
2006年11月5日(日)、11月6日(月)
丸の内コットンクラブ
http://www.cottonclubjapan.co.jp/ccj/top.html
フィリップ・ウー・オフィシャル・ウェッブ
http://www.k5.dion.ne.jp/~p.woo/
■ロイ・エヤーズ過去ライヴ評
NO.360
2003/08/21 (Thu)
Roy Ayers Live At Motion Blue: Music Makes Him Young
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/diary20030821.html
2004/03/11 (Thu)
Roy Ayers Live At Blue Note: Music Is My Lady, My Mistress
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/diary20040311.html
ENT>MUSIC>ANNOUNCEMENT>Woo, Philip
ENT>MUSIC>STORY>Woo, Philip
【フィリップ・ウー、ロイ・エヤーズと28年ぶりのリユニオン・ライヴ〜フィリップ・ウー・インタヴュー(パート1)】
リユニオン。
日本で活躍するキーボード奏者、フィリップ・ウーのライヴが来る2006年11月5日(日曜)と6日(月曜)丸の内コットンクラブで行われることになり、このライヴ・ゲストに人気ヴァイヴ奏者ロイ・エヤーズが参加することが決まった。ちょうどロイ・エヤーズは10月31日から11月3日まで東京ブルーノートに出演しており、その後東京に残り、フィリップのライヴに登場する。フィリップがロイとの思い出を語ってくれたので、その内容もあわせて紹介する。
フィリップにとってロイ・エヤーズは音楽的恩師(メンター)。フィリップがまだプロのミュージシャンになりたての頃、ロイのバンドに誘われ、ツアーに参加することになった。ロイ・エヤーズ・バンドへの参加が、フィリップのその後のミュージシャン・ライフを決定付けることになった。その意味で、フィリップの音楽的原点とも言えるアーティストだ。
フィリップはロイが発表した当時のレコードにも参加。今回のリユニオンはおよそ28年ぶりのものになる。フィリップが17歳の時(73年)、ロイがフィリップの地元シアトルにやってきたときに出会い、その後ロイのバンドに誘われ、ロイの本拠地ニューヨークに移った。以後、フィリップはニューヨークで多くのR&B系、ジャズ系ミュージシャンと交流を持つようになり、売れっ子キーボード奏者となった。
フィリップがロイとの出会いを語る。
「ロイ(1940年生まれ)と初めて会ったのは僕が高校2年生の時、17歳(1973年=フィリップは1956年シアトル生まれ)だった。彼は、僕の地元シアトルの『ギャラリー』というジャズ・クラブに演奏しにきていた。その時はあまり客もいなくて、オーディエンスに『ステージに上がって何かプレイしたい奴はいるかい』と声をかけた。僕はステージに上がり、バンドと一緒に何曲かプレイしたんだ」
これがロイとフィリップの初対面だった。1973年のことだ。それから2年後の1975年、フィリップがハイスクールを卒業した頃、またロイが街にやってきた。
「ロイは『パイオニア・バンク・ジャズ・クラブ』という店で演奏していた。2年前に会った僕のことを覚えていてくれた。その時は彼のバンドにはキーボード奏者はいなかったんだが、ステージにはエレクトリックピアノとシンセサイザーが置かれていた。『プレイしたいか』というので、僕は当たり前のようにプレイした。彼に、『俺(ロイ)の曲で何か知ってるか』と聞かれ、『もちろん全部知ってます』と答えた。その夜は、ずっとバンドと一緒にプレイしたんだ。とても気持ちよく素晴らしかった。彼に、また(翌日も)来て、プレイしていけと言われ、結局その後2週間(彼の出演期間中)ほとんど毎日クラブ通いすることになったんだ」
フィリップはある日、ステージ前の午後にクラブに来てくれと呼び出される。ロイはフィリップに1本のカセットテープを渡し、楽譜に起こしてくれと頼んだ。「ある曲をロイはカヴァーしたがっていたんだが、その曲を楽譜にしたんだ。それをきっかけにして、ロイは僕のことをずいぶんと目にかけてくれるようになった。例えば音楽的にも、僕にスイング・スタイルのジャズっぽい演奏をするように指示されたりした」
そして、その日フィリップは彼にこう言われたのだ。「ニューヨークに来て、俺のバンドに入らないか?」 フィリップは喜び勇んで「イエス」と答えた。「シアトル出身の19歳の子供にとっては、それはそれはエキサイティングなことだったよ」
バンドに正式に入ったのは、それから3ヶ月後のことだった。ロイがフィリップに航空券を送ってきた。フィリップはそれまで飛行機に乗ったことはなかったが、初のフライトで彼はロイのバンドが待つシカゴに向かった。
その夜フィリップはシカゴのノースサイドにある「ラッツォーズ」という店でプレイした。「そのバーで、僕はあの伝説のギタリスト、ケニー・バレルに会ったんだよ」とフィリップは言う。「彼はとてもフレンドリーで、今まで中国系のピアニスト(フィリップ自身のこと)に会ったことはないと言っていた。その夜は、もうひとりステージに飛び入りで上ってきた。(シンガーの)フローラ・プリムだった。当時のロイのベーシストがジョージ・デュークとプレイしていたので、そのつてでフローラが遊びに来ていたんだ。彼女が少し歌っていった」
そして、フィリップが楽屋に戻ると、驚くべき客人がそこにはいた。
(つづく)
■フィリップ・ウー・アンド・ロイ・エヤーズ ユビクイティー・リユニオン・ツアー
2006年11月5日(日)、11月6日(月)
丸の内コットンクラブ
http://www.cottonclubjapan.co.jp/ccj/top.html
フィリップ・ウー・オフィシャル・ウェッブ
http://www.k5.dion.ne.jp/~p.woo/
■ロイ・エヤーズ過去ライヴ評
NO.360
2003/08/21 (Thu)
Roy Ayers Live At Motion Blue: Music Makes Him Young
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/diary20030821.html
2004/03/11 (Thu)
Roy Ayers Live At Blue Note: Music Is My Lady, My Mistress
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/diary20040311.html
ENT>MUSIC>ANNOUNCEMENT>Woo, Philip
ENT>MUSIC>STORY>Woo, Philip
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