Gerald Levert, Forever:

2006年11月13日
【ジェラルド・リヴァート安らかに〜】

暑。

『プライヴェート・ライン』のアルバムを聴いている。まだあどけなさも残るジェラルド・リヴァートの顔が前面にでている1991年の作品だ。ここには、ジェラルドと父エディーのデュエットが収録されている。やはり、親子だけあって、声質も似ているし、暑苦しい歌い方が、これまた父親譲り。最高の1曲だ。

今から11年前、1995年11月に父エディーと息子ジェラルドがアメリカの雑誌エッセンスのインタヴューに答えた。その時、ジェラルドは父についてこう語っている。「僕が子供の頃、父はいつも旅にでていていなかった。だからいつも、会いたいと思っていた。そこで、自分が父親になったら、僕がいつも子供たちのそばにいようと誓ったものだ。だが、実際(自分がヒットをだして有名になってしまうと)、外にでると人が集まってきて大変なことになる。また、やはり、僕自身の仕事は多くの旅をしなければならない。その点クリーヴランドに住むということは、いいものだ」

父エディーは、「父親という存在がどのような意味を持つのか」という問にこう答えている。「父とは、子供たちにとって、まず何よりもひとりの人間であるべきだろう。泣いたり、悲しんだり、怒ったり、感動したり、そういうことをする普通の人間だということだ。ジェラルドはいつも私のことをひとりの人間として見て、接してくれてきた。息子は私の欲望や、弱さを知っている。だから何でも話してくれるのだろう。一方、私も子供たちを、仲間と思い、世界中で一番の親友だと思って接している」

アメリカのブラックミュージック業界が、歌がうまいことを重視しなくなって久しい。本当に歌のうまい歌手たちの不遇な時代が続いている。そんな中で、ジェラルドは歌のうまさが正当に評価された最後の世代のシンガーではないだろうか。

木曜日(9日)に、静岡のKMIXでオンエアーされている『ブギーナイツ』内の「ブラック&ホワイト」のコーナーで、リヴァートを特集、収録してきた。そのために、前日にいろいろリヴァートのCDを聴いたり、調べていたりしたのだが、それから2日後の土曜午後に、ジェラルドの訃報を、守島さんからのメールで知った。なんというタイミングか。(いつも最新情報ありがとうございます) 死去の報をいれていないので、一部を再録することになるだろう。

リヴァートは、有明のMZAで見たことがあったような気がしたのだが、どうもそれは勘違いで、オージェイズを見たことと混同していたようだ。(あるいは、来たがインタヴューはしなかったか) オージェイズのエディー・リヴァートには来日時にインタヴューした。あと、僕がインタヴューしたのは、同じジェラルドでも、ジェラルド・アルストンだったので、それも勘違いの元かもしれない。

映画『永遠のモータウン(Standing In The Shadows Of Motown)』のDVDを引っ張り出して見た。始まってまもなくジェラルド・リヴァートがフォートップスのヒット「リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア」を歌う。途中で、ジュニア・ウォーカーの「ショットガン」も歌う。このバックを支えるファンク・ブラザースの中で2002年にリチャード・ピストル・アレンが撮影後まもなく他界している。しかし、ここに登場するアーティストで、まさか次にこの世からいなくなるのが、若きジェラルドになるなどとは誰も夢にも思わないだろう。

フォートップスのリード・ヴォーカルも、熱血ヴォーカルだ。そして、ジェラルドも同じように暑くソウルフルだ。

彼が1986年に設立したプロダクションの名前は「トレヴェル(Trevel)」 という。辞書にはでていない。おわかりになるだろう。Levert を引っくり返したものだ。

ジェラルド・リヴァート、安らかに。

ENT>OBITUARY>Levert, Gerald/July 13, 1966 - November 10, 2006 (40)

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