Nick Okai Dies At 60
2007年11月12日コメント (1)【ダンス・クリエイター、ニック岡井氏60歳で死去】
死去。
日本のソウル系ダンス・クリエイターであり、多くのソウル・ステップのダンスを考案し、また現役ソウルDJとして活躍、ソウル・ミュージック業界に大きな足跡を残したニック岡井氏(本名・岡井邦彦)が2007年11月11日(日曜)午後、東京都港区の自宅で死去した。60歳だった。長く肝臓の病気を患っていた。通夜は11月18日(日曜)(18時)、葬儀は11月19日(月曜)(午前11時)、臨海斎場(東京都大田区東海1丁目3ー1)で行われる。喪主は妻・佐和子さん。
11日は朝、妻佐和子さんがでかけたときは元気で、午後2時頃には友人と電話したことが確認されているが、7時過ぎに佐和子さんが帰宅したときには冷たくなっていた、という。現在、遺体は警察に移され、死亡原因、推定時刻などが調べられている。肝硬変で何度か入退院を繰り返していた。この8月にも一時的に入院していた。しかし、9月29日の恒例誕生日イヴェント、また10月の「ニック岡井の還暦を祝うハワイツアー」(10月12日から4泊6日)には若干元気はなかったが、しっかりと参加していた。
ニック岡井氏は、1947年(昭和22年)9月29日神奈川県生まれ。ニックネームの「ニック」は9月29日生まれと、本名「邦彦」の音の響きから。1960年代後期から新宿の「音楽をかけて踊る」いわゆる「踊り場」などに出入りするようになり、ソウル・ミュージックと出会い、その魅力に惹かれる。新宿の喫茶店「ジ・アザー」(1966年頃から)や「PGS」(1968年頃から)などに出入りし始める。1966年頃、友人で踊り好きだったクック豊本氏、チャッキー新倉氏とともに歌って踊るグループ「クック・ニック&チャッキー」を結成。ライヴ活動を開始。1970年シングル「ライダー・ブルース」でデビュー、その後「僕の彼女は三つ年上」、さらに1971年に「可愛い人よ」をリリース。「可愛い人よ」はリリース当初はヒットしなかったが、新宿ゲットで頻繁にプレイしたところ、徐々にヒット、全国のディスコで人気を集めた。しかし、グループは1972年に解散。その後、ニックは新宿ゲットでディスコDJとして活動したり、また数々のダンス・ステップを考案したりして、日本のソウル界、ダンス業界に大きな足跡を残した。ニックが考案したステップで有名なものには、レア・アースの「ゲット・レディー」、「可愛い人よ」、「セクシー・バスストップ」など。日本のソウル系ダンス・ステップの第一人者。ディスコ創世記からかかわり、ディスコ全盛期をリアルタイムで生き、多くのステップを残した人物である。
所属していたディスコは、1971年からの新宿「ゲット」、1979年から六本木「インフィニティ」、1984年から白金「ダンステリア」など。
1990年、フジテレビで『ダンス・ダンス・ダンス』というテレビ番組が生まれるにあたってダンスチーム、「キング・オブ・ソウル」を故ドン勝本氏、マイケル鶴岡氏と結成。同番組のレギュラー化に伴い、毎週番組内で華麗なダンスを繰り広げた。このキング・オブ・ソウルは1991年バブルガム・ブラザースの武道館の公演で踊ったり、その後歌にも進出、1993年には「可愛い人よ」をリメイクして発表、話題を集めた。
最近は「ダンステリア」でのレギュラーのほか、高井戸クラブでのイヴェント、浅草AIクラブでのイヴェント、あるいは地方でのディスコ・イヴェントなどに多数出演していた。
日本のディスコ界でのステップの歴史を映像で捉えた教則ビデオ「ソウル・ステップ・アンド・ソウル・ダンス」が2000年に制作され、ここでニック氏が曲にあわせて踊り方を指導している。これは当初ビデオで発売されたが、2006年、装いも新たにDVD化されリリースされた。
盟友ドン勝本氏が4月19日に逝ってから7ヶ月もしないうちの旅立ちということになる。ご冥福をお祈りする。
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今、ブラザー・コーン、江守さん、マイケルたちと三宿のソウルナッツで会っていましたが、ニックさんについてはまた、あらためて書きます。もう力が一気に抜けました。ニックさんとは1973年に会って以来なので、34年ということになります。最後に会ったのは、勝本さんの葬儀だったかなあ。
なお、ダズ・バンドのライヴ評は今日掲載予定でしたが、明日以降に掲載いたします。
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ENT>OBITUARY>Okai, Nick (9.29.1947 – 11.11.2007, 60)
死去。
日本のソウル系ダンス・クリエイターであり、多くのソウル・ステップのダンスを考案し、また現役ソウルDJとして活躍、ソウル・ミュージック業界に大きな足跡を残したニック岡井氏(本名・岡井邦彦)が2007年11月11日(日曜)午後、東京都港区の自宅で死去した。60歳だった。長く肝臓の病気を患っていた。通夜は11月18日(日曜)(18時)、葬儀は11月19日(月曜)(午前11時)、臨海斎場(東京都大田区東海1丁目3ー1)で行われる。喪主は妻・佐和子さん。
11日は朝、妻佐和子さんがでかけたときは元気で、午後2時頃には友人と電話したことが確認されているが、7時過ぎに佐和子さんが帰宅したときには冷たくなっていた、という。現在、遺体は警察に移され、死亡原因、推定時刻などが調べられている。肝硬変で何度か入退院を繰り返していた。この8月にも一時的に入院していた。しかし、9月29日の恒例誕生日イヴェント、また10月の「ニック岡井の還暦を祝うハワイツアー」(10月12日から4泊6日)には若干元気はなかったが、しっかりと参加していた。
ニック岡井氏は、1947年(昭和22年)9月29日神奈川県生まれ。ニックネームの「ニック」は9月29日生まれと、本名「邦彦」の音の響きから。1960年代後期から新宿の「音楽をかけて踊る」いわゆる「踊り場」などに出入りするようになり、ソウル・ミュージックと出会い、その魅力に惹かれる。新宿の喫茶店「ジ・アザー」(1966年頃から)や「PGS」(1968年頃から)などに出入りし始める。1966年頃、友人で踊り好きだったクック豊本氏、チャッキー新倉氏とともに歌って踊るグループ「クック・ニック&チャッキー」を結成。ライヴ活動を開始。1970年シングル「ライダー・ブルース」でデビュー、その後「僕の彼女は三つ年上」、さらに1971年に「可愛い人よ」をリリース。「可愛い人よ」はリリース当初はヒットしなかったが、新宿ゲットで頻繁にプレイしたところ、徐々にヒット、全国のディスコで人気を集めた。しかし、グループは1972年に解散。その後、ニックは新宿ゲットでディスコDJとして活動したり、また数々のダンス・ステップを考案したりして、日本のソウル界、ダンス業界に大きな足跡を残した。ニックが考案したステップで有名なものには、レア・アースの「ゲット・レディー」、「可愛い人よ」、「セクシー・バスストップ」など。日本のソウル系ダンス・ステップの第一人者。ディスコ創世記からかかわり、ディスコ全盛期をリアルタイムで生き、多くのステップを残した人物である。
所属していたディスコは、1971年からの新宿「ゲット」、1979年から六本木「インフィニティ」、1984年から白金「ダンステリア」など。
1990年、フジテレビで『ダンス・ダンス・ダンス』というテレビ番組が生まれるにあたってダンスチーム、「キング・オブ・ソウル」を故ドン勝本氏、マイケル鶴岡氏と結成。同番組のレギュラー化に伴い、毎週番組内で華麗なダンスを繰り広げた。このキング・オブ・ソウルは1991年バブルガム・ブラザースの武道館の公演で踊ったり、その後歌にも進出、1993年には「可愛い人よ」をリメイクして発表、話題を集めた。
最近は「ダンステリア」でのレギュラーのほか、高井戸クラブでのイヴェント、浅草AIクラブでのイヴェント、あるいは地方でのディスコ・イヴェントなどに多数出演していた。
日本のディスコ界でのステップの歴史を映像で捉えた教則ビデオ「ソウル・ステップ・アンド・ソウル・ダンス」が2000年に制作され、ここでニック氏が曲にあわせて踊り方を指導している。これは当初ビデオで発売されたが、2006年、装いも新たにDVD化されリリースされた。
盟友ドン勝本氏が4月19日に逝ってから7ヶ月もしないうちの旅立ちということになる。ご冥福をお祈りする。
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今、ブラザー・コーン、江守さん、マイケルたちと三宿のソウルナッツで会っていましたが、ニックさんについてはまた、あらためて書きます。もう力が一気に抜けました。ニックさんとは1973年に会って以来なので、34年ということになります。最後に会ったのは、勝本さんの葬儀だったかなあ。
なお、ダズ・バンドのライヴ評は今日掲載予定でしたが、明日以降に掲載いたします。
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ENT>OBITUARY>Okai, Nick (9.29.1947 – 11.11.2007, 60)
コメント
少し体調の悪そうなNICKさんでしたがイベントの後半に
マイガールを踊るNICKさんの姿を見て感動したのを思い出します。
そしてまた来年も再来年もその姿を見ることが出来ると信じて疑いませんでした。
ただただ残念です。
最高にカッコよかったです。ニックさん!!