Ike Turner Dies At 76

2007年12月14日
【アイク・ターナー死去】

暴君。

1950年代からR&Bシーンで活躍、「アイク・アンド・ティナ・ターナー」として世界的人気を集めたアイク・ターナーが2007年12月12日、カリフォルニア州サンディエゴ郊外の自宅で死去した。76歳だった。死因は明らかにされていない。アイク・ターナーのマネージメントをてがけているスリル・エンターテインメントのスコット・ハノーヴァーが語った。

アイク・ターナーは、1931年11月5日ミシシッピー州クラークスデール生まれ。子供の頃から音楽に親しみ、1940年代後期にはキングス・オブ・リズムというグループを結成。その後1950年代後期にアンナ・メイ・バロックというシンガーと知り合い、彼女はバンドの一員に。アンナと結婚し、彼女は芸名ティナ・ターナーに。2人でアイク・アンド・ティナ・ターナーとなる。1960年「ア・フール・イン・ラヴ」の初ヒットを皮切りに、「イッツ・ゴナ・ウォーク・アウト・ファイン」(1961年)、「リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ」(1966年)など1960年代から1970年代にかけて多数のヒットを放つ。1971年、「プラウド・メアリー」は、グラミー賞R&Bグループを獲得。また1970年12月には赤坂ムゲンに初来日。音楽的には、激しいR&Bとゴスペル、ロックの要素も加えたサウンド、さらに、ティナとバックを固める女性コーラス・グループ、アイケッツのダンスが大きなインパクトを与え、大人気となった。

だが、アイクは妻ティナに対し、暴力をふるったりしたことで次第に夫婦仲は険悪に。ティナは1976年遂に夫の元から逃げるようにして別れる。

その後ティナ・ターナーはソロ・シンガーとして「ホワッツ・ラヴ・ガット・トゥ・ドゥ・ウィズ・イット」(1984年)などの大ヒットを放ち、グラミー賞も獲得。

アイクとティナの暴力沙汰については、ティナ・ターナーが発表した自伝『アイ・ティナ』(1986年)に詳しい。この自伝は1993年『ホワッツ・ラヴ・ガット・トゥ・ドゥ・ウィズ・イット』のタイトルで映画化された。映画ではティナ役をアンジェラ・バセットが、アイク役をローレンス・フィッシュバーンが演じた。

1991年、アイク・アンド・ティナ・ターナーとして「ロックンロール殿堂」入り。晩年はドラッグ中毒などが問題となっていた。アイク・ターナーは1994年再度来日、また、2003年には彼のグループ、キングス・オブ・リズムが来日公演を行った。このときは、アイクは入国できなかった。2001年には、アイク・ターナーが書いた自伝『テイキン・バック・マイ・ネーム』がリリースされた。

2007年のグラミー賞でアイク・ターナーは、ブルーズ・アルバム『ライジング・ウィズ・ザ・ブルーズ』で「ベスト・トラディショナル・ブルーズ・アルバム」賞を獲得している。

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遭遇。

アイク&ティナの1970年の伝説のムゲン・ライヴは残念ながら僕は体験していない。一度1990年代にロスのBBキングの「ハウス・オブ・ブルース」でライヴを見た帰りに駐車場で彼に遭遇した。そのときは友人で自伝作家のデイヴィッド・リッツとライヴを見た帰りで、彼がアイクに気が付き声をかけ、紹介してくれた。アイクは後ろに黒人の女性を従えていたように記憶する。いかにも昔ながらのミュージックマンという印象だった。

映画『ティナ、ホワッツ・ラヴ・ガット・トゥ・ドゥ・ウィズ・イット』では、ローレンス・フィッシュバーンが見事な演技で、暴君を演じているが、どうしてもあの印象が強くなってしまい、ティナ・ターナーに同情しがちである。しかし、彼のアルバムが. 今年のグラミーを獲得していたことで、最後に花道を飾った感じがする。

ご冥福をお祈りしたい。

ENT>OBITUARY>Turner, Ike (November 5, 1931 &  December 12, 2007 -- 76)

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