【写真家はミュージシャンの何を撮影するのか】
瞬間。
先日、デイヴィッド・T・ウォーカーの記事でいろいろ書いたが、それに対して写真家の坂下さんからBBSに『私もDavidの持つ全ての感情をキャプチャーしたいと思っていました』と書き込みをいただいた。
December 23, 2007
David “God’s Hand” T. Walker: There’s Movement In Stillness
http://blog.soulsearchin.com/archives/002219.html
BBS(2007年12月23日付け)
http://www.soulsearchin.com/soul-bbs2/soul20070927.cgi
上記記事に対する書き込み。
ミュージシャンを撮影する写真家というと、僕はいつもある一文を思い出す。
それはロバート・ジェームス・ウォラーの書いたベストセラー『マディソン郡の橋』(1992年)だ。ただし、その本編の小説ではない、最後の「あとがき〜タコマのナイトホーク」という文章だ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167254239/soulsearchiho-22/ref=nosim/
著者のウォラーが本編の主人公、ロバート・キンケードという写真家をリサーチし、キンケードを知るミュージシャン、ナイトホークを探し出し、彼についての話を聞いたものだ。
それによると、キンケードという写真家は、いつも「音楽を目に見えるイメージに変えようとしていた」という。あるとき、キンケードはナイトホークにこう言った。「あんたがいつも『ソフィスティケーテッド・レディ』の四小節目でやるリフがあるだろう? じつはこないだの朝、あのイメージを撮影できたような気がするんだ。海の向こうからうってつけの光が差してきて、ちょうどそのとき、アオサギがファインダーのなかで輪を描いた。その泣き声を聞きながらシャッターを切ったとき、実際、あんたのリフが見えたような気がしたんだ」(ロバート・ジェームス・ウォラー著、村松潔訳=文芸春秋刊)
拙著『ソウル・サーチン』ナタリー・コールの章で写真家と音楽家についてこう書いた。
「ミュージシャンと写真家には、ある種の共通の言語が存在する。ミュージシャンは、音符に生命を与え、生き生きとさせる。動きがなかったもの、凍っていたものを解凍するのだ。そして、写真家は、生きているものを、一瞬のフレームの中に凍結する。解凍と凍結。まったく逆の作業をするが、その本質はきわめて近い。そして、優れたミュージシャンは、音符でイメージや映像を作ろうとする。優れた写真家は、写真でメロディーを奏でようとするのだ。そして、優れた写真からは、音楽が沸き上がり、優れた音楽からは、映像が広がるのである。
ジョージ・ハレル(ナタリー・コールの『アンフォーゲッタブル』のジャケット・ポートレートを撮影した写真家)は、このアルバムに収められた音楽を見事にひとつのナタリーのポートレートに凍結したのだ。そして、ナタリーはその歌で、この写真を解凍する。このアルバム・ジャケットとCDに収められた音楽には、凍結と解凍の永遠の連鎖が美しく存在しているのである」(『ソウル・サーチン』吉岡正晴著=音楽之友社刊)
デイヴィッド・T・ウォーカーは、彼のリフを見るが如く撮影したいと願う写真家にとって、最高の被写体だ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/427623302X/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ESSAY>
ENT>MUSIC>ARTIST>Walker, David T.
瞬間。
先日、デイヴィッド・T・ウォーカーの記事でいろいろ書いたが、それに対して写真家の坂下さんからBBSに『私もDavidの持つ全ての感情をキャプチャーしたいと思っていました』と書き込みをいただいた。
December 23, 2007
David “God’s Hand” T. Walker: There’s Movement In Stillness
http://blog.soulsearchin.com/archives/002219.html
BBS(2007年12月23日付け)
http://www.soulsearchin.com/soul-bbs2/soul20070927.cgi
上記記事に対する書き込み。
ミュージシャンを撮影する写真家というと、僕はいつもある一文を思い出す。
それはロバート・ジェームス・ウォラーの書いたベストセラー『マディソン郡の橋』(1992年)だ。ただし、その本編の小説ではない、最後の「あとがき〜タコマのナイトホーク」という文章だ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167254239/soulsearchiho-22/ref=nosim/
著者のウォラーが本編の主人公、ロバート・キンケードという写真家をリサーチし、キンケードを知るミュージシャン、ナイトホークを探し出し、彼についての話を聞いたものだ。
それによると、キンケードという写真家は、いつも「音楽を目に見えるイメージに変えようとしていた」という。あるとき、キンケードはナイトホークにこう言った。「あんたがいつも『ソフィスティケーテッド・レディ』の四小節目でやるリフがあるだろう? じつはこないだの朝、あのイメージを撮影できたような気がするんだ。海の向こうからうってつけの光が差してきて、ちょうどそのとき、アオサギがファインダーのなかで輪を描いた。その泣き声を聞きながらシャッターを切ったとき、実際、あんたのリフが見えたような気がしたんだ」(ロバート・ジェームス・ウォラー著、村松潔訳=文芸春秋刊)
拙著『ソウル・サーチン』ナタリー・コールの章で写真家と音楽家についてこう書いた。
「ミュージシャンと写真家には、ある種の共通の言語が存在する。ミュージシャンは、音符に生命を与え、生き生きとさせる。動きがなかったもの、凍っていたものを解凍するのだ。そして、写真家は、生きているものを、一瞬のフレームの中に凍結する。解凍と凍結。まったく逆の作業をするが、その本質はきわめて近い。そして、優れたミュージシャンは、音符でイメージや映像を作ろうとする。優れた写真家は、写真でメロディーを奏でようとするのだ。そして、優れた写真からは、音楽が沸き上がり、優れた音楽からは、映像が広がるのである。
ジョージ・ハレル(ナタリー・コールの『アンフォーゲッタブル』のジャケット・ポートレートを撮影した写真家)は、このアルバムに収められた音楽を見事にひとつのナタリーのポートレートに凍結したのだ。そして、ナタリーはその歌で、この写真を解凍する。このアルバム・ジャケットとCDに収められた音楽には、凍結と解凍の永遠の連鎖が美しく存在しているのである」(『ソウル・サーチン』吉岡正晴著=音楽之友社刊)
デイヴィッド・T・ウォーカーは、彼のリフを見るが如く撮影したいと願う写真家にとって、最高の被写体だ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/427623302X/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ESSAY>
ENT>MUSIC>ARTIST>Walker, David T.
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