●ユージーン・マクダニエルズ、76歳で死去~反骨のソングライター

【Eugene McDaniels Dies At 76】

訃報。

ブラックのシンガー・ソングライター、ユージーン(ジーン)・マクダニエルズが2011年7月29日(金)、アメリカ東海岸メイン州の自宅で静かに息を引き取った。76歳だった。前日まで普通に過ごしており、当日朝起きずに、家人が起こしにいくとそのまま冷たくなっていたという。就寝中に亡くなった模様。

ジーン・マクダニエルズは、ロバータ・フラックやマリーナ・ショーで大ヒットした「フィール・ライク・メイキング・ラヴ」の作者として有名だが、1960年代から活躍してきたシンガー・ソングライターで自身でも、「ワン・ハンドレッド・パウンズ・オブ・クレイ」「コンペアード・トゥ・ホワット」などの作品がよく知られている。また、60年代からは、社会的なメッセージ色の強い作品も多く出している。「コンペアード・トゥ・ホワット」は、最近、ジョン・レジェンドが『ウェイク・アップ』のアルバムでカヴァーして、新しいファンにも知られるようになっている。政治色の強い作品ゆえに、反体制の立場だった彼は、一時期、当時の政府からにらまれ、音楽活動が自由にできなかったこともある。まさに反骨のソングライターだ。

ビル・ウィザース、ギル・スコット・ヒーロンなどと並ぶブラックの知性派シンガー・ソングライターと言える。

近年は、メイン州の自宅で、自ら世捨て人(Hermit)と言うように仙人のようにひっそりと暮らしていたが、シンガー・ソングライターとしては、精力的に曲作りをしていた。最近では、マイルス・デイヴィスの作品に自ら詞をつけて歌う作品を作ろうかと考えていたようだ。

評伝。

ユージーン・マクダニエルズは、1935年2月12日、ミズーリ州カンサスシティー生まれ。ネブラスカ州オマハ育ち。牧師の息子。幼少の頃は、親の影響もあり、スワン・シルヴァートーンズ、ソウル・スターラーズなどのゴスペル音楽に親しんだ。十代でサックス、トランペットも吹くようになったが、4オクターヴも出る歌を歌うようになっていた。

11歳のとき(1946年)、初めてのゴスペル・グループを結成。当初はゴスペルだったが、徐々に方向性をポップにしていく。参加するバンドでは、歌だけでなく、サックスも演奏していたようだ。西海岸、ロスアンジェルスにツアーで出たときにジャズ・クラブで盟友となるレス・マッキャンと出会い、音楽活動を共にし始めた。そんなロスでメジャーのリバティー・レコードがマクダニエルズと契約。ポップなプロデューサー、スナッフ・ギャレットと組ませ、いくつかのポップな作品を送り出し、ヒットさせた。それらが、「ア・ハンドレッズ・パウンド・オブ・クレイ」(1961年、ポップで3位、R&Bで11位)、「タワー・オブ・ストレンス」(1961年ポップで5位、R&Bで5位)、『チップ・チップ』(1962年、ポップで10位)、「ポイント・オブ・ノー・リターンン」(
(1962年、ポップで21位、R&Bで31位)などだ。いずれも、ブラック・ラジオよりポップ・ラジオ、トップ40での支持が高いところが、ひじょうにユニークだ。

モータウン、スタックス全盛のR&Bの世界で、マクダニエルズの作品は声、歌唱もシャウト系ではなく、洗練されたポップ・ソウル的な位置づけだった。

また、60年代にリバティーで出たアルバムでは、他の職業作家の作品(バート・バカラックなど)を歌ったりしていたが、一方で自身の作品がエルヴィスやペリー・コモに取り上げられたりもしていた。

1968年4月4日、マーティン・ルーサー・キング牧師の暗殺に衝撃を受け、しばらくアメリカを離れ、デンマーク、スゥエーデンなどに移住していた。1971年、アメリカに戻り、楽曲提供をするようになる。マクダニエルズが1968年に書いた「コンパード・トゥ・ホワット」は1969年、ロバータ・フラックによって、また1970年にレス・マッキャン&エディー・ハリスで、レコーディングされたり、ロバータ・フラックが「フィール・ライク・メイキング・ラヴ」を録音、それぞれヒットさせ、ソングライターとしての知名度を業界内であげた。前者はその後映画『アイスストームIcestorm』、『カシーノCasino』などのほか計8本の映画に使われた。また、本人も1962年の映画『It’s Trad, Dad!(米国での公開タイトルは "Ring-A-Ding Rhythm")、”The Young Swingers’ (1963) と"Uptown Saturday Night" (1974)などに出演している。最近でもショート・フィルムの制作、出演、声の出演などもこなしている。

「コンペアード・トゥ・ホワット」は、マクダニエルズによれば、レス・マッキャンからジョン・レジェンドまで270以上のヴァージョンがあるという。(ただし、同じアーティストのものが、違うコンピレーションに入った場合でも、別カウントされるため、そういう数字になるものと思われる) そして、ロード・フィネスの「セイヴ・ザット・シット」、サイプレス・ヒルの「ブレイク・イット・アップ」などにサンプリングされている。「本物で行きたい、だが、本物って何と比べて本物って言える?」というタイトルで、当時の世相を描いている。

これをジョン・レジェンドともにカヴァーしたクエスト・ラヴによれば、「マクダニエルズは、公民権運動時代のもっとも過激なソングライターの一人。リチャード・ニクソン大統領時の副大統領アグニューが、アトランティックにプレッシャーをかけジーンとの契約を切らせたほど。その直後、業界追放にもなった。彼はそれくらい政府にとって危険な存在だった」という。

マクダニエルズはリバティー、アトランティック、オード・レコードなどでアルバムをリリースしている。特にアトランティックでの2枚は評価が高い。

ユージーン・マクダニエルズ自身が2010年10月、メイン州自宅近くの海沿いでプロモーション用ビデオを制作、これを自身でアップしていた。ピアノの弾き語りによる「スイート・フォーエヴァー」で、なかなか味わいのある素晴らしい楽曲だ。

■ユージーン・マクダニエルズ「スイート・フォーエヴァー」



http://youtu.be/hdh4fpekmok

そして、彼自身の主張を込めた「コンペアード・トゥ・ホワット」は、インタヴューの中で、「そもそも時代が右傾化し、すべてが地球規模化、民営化、個人のものになっていくことに対して感じたことを曲にした。(当時は)この曲に誰かが関心を持つだろうなんて思わなかったけど、別に気にしなかった。この曲を書いたときは、レス・マッキャンがレコーディングすることを考えて書いていた」などと語っている。

レスとユージーンは、60年代初期に一緒に仕事をしたが、しばらく口を聞いていなかった。しかし、謝罪をして、この曲を録音するよう頼み込んだ。そして、しばらくしてから電話が鳴った。「君の曲がジャズ・チャートで1位になってるぞ」という知らせだった。それ以来、彼の人生は素晴らしいものになった。この曲の印税があるから、生活でき、曲を書き続けられるようになったからだ。

ご冥福をお祈りしたい。

■「コンペアード・トゥ・ホワット」

Youtube: Compared To What
http://youtu.be/MzvlivbptXk
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000JJS4F0/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name=

■インタヴュー



http://youtu.be/GC6LdIcmDQs

■ジョン・レジェンド
2010年10月09日(土)
ジョン・レジェンド新作『ウェイク・アップ』は彼の最高傑作 (パート3)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10666815380.html#main

■ジーン・マクダニエルズ・オフィシャル・ウェッブ(英語)
http://genemcdaniels.com/

■死去を伝える記事
http://cashboxcanada.ca/2017/gene-macdaniels-passes-away

http://thecahokian.blogspot.com/2011/07/left-rev-mc-d-eugene-mcdaniels-rip.html

■「コンペアード・トゥ・ホワット」収録~ジョン・レジェンド

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003WMI5VO/soulsearchiho-22/ref=nosim/
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OBITUARY>MacDaniels, Gene, Feb 12, 1935 – July 29, 2011, 76year old

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