●ラルフ・マクドナルド、67歳で死去、セザリオ・エヴォラ、71歳で死去

【Ralph MacDonald Dies At 67, Cesaria Evora Dies At 70】

訃報。

訃報が2つあいついだ。ひとつがカーボ・ヴェルデ共和国出身の魂のシンガー、「裸足のディーヴァ」として知られるセザリア・エヴォラ、次がニューヨークのパーカッション奏者、ラルフ・マクドナルド。それぞれの歩みを簡単に紹介する。

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ラルフ・マクドナルド、肺癌。

ニューヨークのパーカッション奏者、ラルフ・マクドナルドが2011年12月18日午前0時50分(日本時間18日午後2時50分)、コネチカット州スタンフォードで死去した。肺癌を患っていた。67歳。ミュージシャン仲間のウィル・リー、音楽ジャーナリストのA・スコット・ギャロウェイらが報じている。

ラルフ・マクドナルドは、1944年3月15日、ニューヨーク・ハーレム生まれ。両親はトリニダッド出身。父親が「マクベス・ザ・ビート」と名乗るドラマー、ミュージシャンだったこともあり、幼少の頃から父のバンドでパーカッションを叩き始めていた。スチール・ドラムが得意で、17歳(1961年)でハリー・ベラフォンテのバンドに参加。その間、ベラフォンテの1966年のアルバム『カリプソ・カーニヴァル』の制作にも手を貸した。1971年、ベラフォンテ・バンドを脱退後、友人のウィリアム・イートン、ビル・ソルターとともに音楽出版社「アンティシアAntisia」を設立。作曲活動を行う一方、ニューヨークをベースにライヴ、レコーディングなどで活躍。ラルフとイートンが書いた「ホエア・イズ・ザ・ラヴ」をロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイが歌い、これが1972年6月から大ヒット。さらに、1980年、グローヴァー・ワシントン名義で大ヒットした「ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス」(歌はビル・ウィザース)などを書いている。前者は19ヶ国語、150以上のヴァージョンが録音されたという。ロバータの「キリング・ミー・ソフトリー」でもパーカッションをプレイしている。ルー・ロウルズのヒットでロッド・スチュワートもカヴァーした「トレイド・ウィンズ」も彼の作品。グローヴァー・ワシントンの「ミスター・マジック」も共作。

レコーディングは、一説には数百枚のアルバムに参加したとも言われる。パーカッション奏者として、ジョージ・ベンソン、デイヴィッド・ボウイ、アレサ・フランクリン、アート・ガーファンクル、ビリー・ジョエル、クインシー・ジョーンズ、キャロル・キング、デイヴィッド・サンボーン、ルーサー・ヴァンドロス、エイミー・ワインハウスなど多数。また、ラルフは1990年代から、コーラル・リーファー・バンドの一員ともなっていた。

1976年、フロリダのTKレコード傘下、マーリン・レーベルから『サウンド・オブ・ドラム』をリリース以降、自身名義のアルバムも多数出しており、その中でも「カリプソ・ブレイクダウン」は映画『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』(1977年11月リリース)のサウンドトラックに収録されよく知られる存在となった。

プロデュース活動も行い、ボビー・ハンフリーのアルバム、エリック・ゲイルのアルバム『パート・オブ・ユー』、渡辺貞夫などの作品もてがけている。

グラミー賞も3回受賞している。

ちなみに、盟友グローヴァー・ワシントン・ジュニアは、1999年12月17日、56歳で急死している。ラルフの死亡は深夜12時を過ぎたため日付は12月18日だが、奇しくもほぼ12年後に亡くなったことになる。

サポート・メンバー、自己名義でも何度も来日しており、直近では2010年6月、グローヴァー・ワシントン・トリビュート・ライヴのためブルーノート東京でライヴ・パフォーマンスを見せていた。

2010年06月16日(水)
グローヴァー・ワシントン・トリビュート・ライヴ~グルーヴでグローヴァー
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10564387418.html

ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス、誕生秘話
2005/02/18 (Fri)
Poster For Two Caribbean Islands
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200502/diary20050218.html
2000年来日時のインタヴューを元にした記事。

カリプソ・ブレイクダウン

http://youtu.be/P1qqTPN8sUo



ソロ・パフォーマンス

http://youtu.be/94oL1e7YG5I



主な自己名義アルバムは、次の通り。

Sound of a Drum (Marlin 1976)
The Path (Marlin 1977)
Counterpoint (TK 1978)
Universal Rhythm (Polydor 1984)
Surprise (Polydor 1985)
Reunion (1995)
Just The Two Of Us (1996)
Port Pleasure (Import 1998)
Trippin (Japan, Video Arts 2000)
Home Grown (2003)
Mixty Motions (2008)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00129Q1Y2/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

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●セザリア・エヴォラ、70歳で死去

【Cesaria Evora Dies At 70】

裸足。

アフリカ大陸の西にあるカーボ・ヴェルデ共和国(旧ポルトガル領)出身の魂のシンガー、セザリア・エヴォラが2011年12月17日、ガーボ・ヴェルデ・サン・ヴィセンテ島のバプティスタ・デ・ソウザ病院で死去した。70歳。昨年、心臓の手術をして2011年9月で現役を引退していた。

セザリアは、1941年8月27日、カーボ・ヴェルデ生まれ。「裸足のディーヴァ」のニックネームで知られる。7人兄弟の一人で、7歳のとき父が死に、彼女は孤児院に入った。16歳頃から人口約4万7千人の港町ミンデーロの酒場で船乗りを相手に歌うようになる。ニックネームはいつもステージに裸足で上がるため。1985年、リスボンで歌っていたところをホセ・ダ・シルヴァに見いだされ、パリでレコーディング。1988年、フランスでリリースされたCD『La Diva Aux Pieds Nus』から「Sodade」がヒットし、世界的に注目されるようになった。そのとき47歳だったので、遅咲きのシンガーと言えるかもしれない。基本的にポルトガル語で歌う。

彼女のスタイルはしばしばアメリカの黒人ジャズ・シンガー、ビリー・ホリデイと比較して語られた。フランス盤が出たことで最初、フランスで人気が出て、その後その波が世界に広まった。2003年、アルバム『Voz D’Amor』によってグラミー賞「ワールド・ミュージック」部門を受賞している。

ヘヴィー・ドランカーでもあった彼女は、1994年12月に禁酒。ヘヴィー・スモーカーだった彼女は2005年に心臓に問題があると診断され、2008年には心臓発作に見舞われ、その後手術。2011年9月、現役引退を発表していた。

■ニュースを報じるニューヨーク・タイムス、ロスアンジェルス・タイムス

http://www.nytimes.com/aponline/2011/12/17/world/europe/AP-EU-Portugal-Obit-Evora.html?_r=2&scp=1&sq=Evora&st=cse

http://www.latimes.com/entertainment/la-me-cesaria-evora-20111218,0,1963869.story

ソダーデ(ライヴ)

http://youtu.be/RhwmyfFpmLs



裸足のディーヴァ(輸入盤)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00068WRX4/soulsearchiho-22/ref=nosim/

2001年リリースの日本盤

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005Q8BG/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000066NWC/soulsearchiho-22/ref=nosim/


OBITUARY>MacDonald, Ralph (March 15, 1944 – December 18, 2011, 67 year old)
OBITUARY>Evora, Cesaria (August 27, 1941 – December 17, 2011, 70 year old)

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