●ソウル界に訃報続く~ジョニー・オーティス、リロイ・テイラー、ウォルター・ゲインズ、ヘンリー・デイヴィス

【Deep Week For Soul Music World】

訃報。

今週、ソウル界に訃報が続いている。

まず、「ゴッドファーザー・オブ・リズム&ブルーズ」として知られるR&Bアーティスト、DJジョニー・オーティスが2012年1月17日(火)、カリフォルニア州オルタディーナの自宅で死去。90歳。「ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ」などの大ヒットを1940年代から放った。(下記に評伝)

1970年代に活躍した大型ファンク・グループ、ニューバース/ナイトライターズのベース奏者だったリロイ・“スロー・モーション”・テイラーが1月18日、ケンタッキー州ルイスヴィルで癌のため死去。年齢まだ不明。ニューバースなどのメンバーでありつつ、セッションの仕事もこなし、テンプテーションズの1971年の大ヒット「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」の印象的なベース・ラインはこのリロイのもの。

モータウンのヴォーカル・グループ、ジ・オリジナルズのバリトン・シンガー、ウォルター・ゲインズが1月17日午前7時15分、カリフォルニア州グレンデールで妻に看取られながら死去。75歳とみられる。マーヴィン・ゲイがプロデュースした「ベイビー・アイム・フォー・リアル」などの大ヒットがある。同グループは4人だったが、オリジナル・メンバーは3人はすでに死去しており、ゲインズの死去で、オリジナル・メンバー全員が死去したことになる。

大型ファンク・グループ、LTDのベース奏者兼ヴォーカルのヘンリー・デイヴィスが、1月18日前後に死去。年齢まだ不明。LTDは、「バック・イン・ラヴ・アゲイン」などのヒットで有名。ヘンリー・デイヴィスは最近では、LTD再結成や、地元の教会で演奏活動をしていた。

まさに、しばらく前にはジミー・キャスターの訃報もあり、今週はソウル・ミュージック界のディープ・ウィークとなった。

++++

●ジョニー・オーティス~「ゴッドファーザー・オブ・リズム&ブルーズ」

評伝。

ジョニー・オーティスは、1921年(大正10年)12月28日カリフォルニア州ヴァレーオ生まれ。本名はジョン・アレキサンダー・ヴェリオテス。黒人と思われがちだが、両親はギリシャからの移民で、生粋のギリシャ人。育った環境(カリフォルニア州バークリー近辺)が黒人が多かったことから、黒人文化に精通し、黒人音楽をプレイするようになった。1939年、ドラマーとして音楽活動を開始、1945年には16人のビッグ・バンドを結成。いわゆるスイングのビッグ・バンドで、さらに、ロスのワッツ地区にライヴ・クラブを経営し始める。このクラブで歌い始めたシンガーに、リトル・エスター・フィリップス、コースターズのロビンズなどがいる。1940年代には、ビッグ・ジョー・マクニーリー、エタ・ジェームス、ビッグ・ママ・ソーントンなどを発掘、レコード・プロデュースなども行った。

キング・レコードの、現在で言うA&Rマンとなり、ジャッキー・ウィルソン、ハンク・バラード、リトル・ウィリー・ジョンなどそうそうたるソウル・シンガー、ブルーズ・シンガーを世に売り出した。

1948年、ジョニー・オーティス・オーケストラで「ザッツ・ユア・ラスト・ブギー」がR&B
チャートで10位、続く1950年の「ダブル・クロッシング・ブルーズ」が9週間1位となりブラック・コミュニティーでブレイク。1950年代はコンスタントにヒットを送り出し、1958年、自らの名義で「ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ」が大ヒット。これは、ポップ・チャートでも9位を記録、ジョニー・オーティスの代表曲となった。

「ダブル・クロッシング・ブルーズ」

http://youtu.be/eYT0U9lzHkI



「ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ」

http://youtu.be/TEeeGMpM_Nk



彼のビッグ・バンドは、通常のビッグ・バンド・ジャズの要素に加え、ゴスペルの要素、ブルーズの要素などを加えた独特のものとなり、黒人色が強くなった。これは1955年のロックン・ロール誕生に少なからず影響を与えたとされる。

ヒット曲「ウィリー…」は、1974年、エリック・クラプトンによってカヴァーされ、現在ではクラプトンの持ち歌としてよく知られる。その後、楽曲自体も「ロックン・ロール殿堂」入りしている。また、オーティスが1952年に書いた「エヴリ・ビート・オブ・マイ・ハート」は、グラディス・ナイト&ザ・ピップスも録音しヒットさせている。

また、彼が1952年ビッグ・ママ・ソーントンに書いた「ハウンド・ドッグ」は、その4年後の1956年エルヴィス・プレスリーによってカヴァーされ、大ヒットし、ロックン・ロールの幕を開けることになる。

1950年にR&Bチャートで9週間1位。「ダブル・クロッシング・ブルーズ」(ジョニー・オーティス、リトル・エスター)

1970年代に活躍するリズム&ブルーズ系アーティスト、シュギー・オーティスの父にあたる。シュギー・オーティスは、1976年、ブラザーズ・ジョンソンに「ストロベリー・レター23」のヒットを提供。

こうしたブラック・ミュージックへの貢献から彼は「ゴッドファーザー・オブ・リズム&ブルーズ」と呼ばれるようになる。

彼を恩人とするエタ・ジェームスは、1994年、オーティス本人が「ロックン・ロール殿堂」入りするときに、自身の「グル」(恩師、師)と称えた。

また、1950年代からラジオDJ(KFOX局など)を、また1954年から1961年までテレビ番組のホストしていたが、1980年代から2005年頃までKPFA局で『ザ・ジョニー・オーティス・ショー』という週一のR&B中心のラジオ番組のDJを担当していた。多くの番組は、インディアナ大学にアーカイブとして残されている。

最近では、サンフランシスコ郊外に牧場を買い、コーヒー・ショップや、ライヴ・クラブなどを経営していた。

彼はミュージシャン、ソングライターだけでなく、政治的活動家、牧師であり、作家であり、晩年はオーガニック農業家だった。近年、教会を作り、牧師となり、ホームレスに食事を与えたり、チャリティーの仕事にも熱心にかかわっていた。

彼の黒人音楽・文化への傾注ぶりを表わす有名な言葉がこれだ。「遺伝子的には完璧にギリシャ人だが、心境的、環境的、文化的に、自分はブラック・コミュニティーの一員であることを選んだ」。“Genetically, I’m pure Greek, Psychologically, environmentally, culturally, by choice, I’m a member of the black community.”

2010年に出版された『ミッドナイト・アット・ザ・バレルハウス』という伝記を元にしたドキュメンタリー映画『エヴリ・ビート・オブ・マイ・ハート:ジョニー・オーティス・ストーリー』が製作中とのこと。

非黒人でありながら、黒人音楽、文化に精通し、ブラック・チャートに多くのヒットを送り出したジョニー・オーティス。彼が作り出す音楽のジャンルの呼び方にはこだわらなかった。それは、彼にとって「すべてアフリカン・アメリカンの音楽」だった。

1993年、サンフランシスコ・クロニクル紙にこう語った。「(アフリカン・アメリカンの)音楽とは、ただ音符があるだけじゃない。音楽とは、おばあちゃんの料理方法、おじいちゃんが話す昔話、子供たちの町の歩き方、話し方、そうしたもの全てを含んだ文化なんだよ」

■ニューヨーク・タイムズの記事

http://www.nytimes.com/2012/01/20/arts/music/johnny-otis-musician-dies-at-90.html?_r=1

LAタイムズ記事

http://www.latimes.com/news/obituaries/la-me-johnny-otis-20120119,0,2183487.story


OBITUARY>Otis, Johnny (December 28, 1921 – January 17, 2012, 90-year old)
OBITUARY>Taylor, Leroy ( - January 18, 2012)
OBITUARY>Gaines, Walter (1936 - January 17, 2012, 75-year old?)
OBITUARY>Davis, Henry ( - January 18?, 2012)

コメント