● ホイットニー・ヒューストン、48歳で急死
2012年2月13日 音楽●ホイットニー・ヒューストン、48歳で急死
【Whitney Houston Dies At 48】
訃報。
1980年代に颯爽とデビューし、全米、全世界のスーパースターとなり、日本でも大きな人気を獲得した女性シンガー、ホイットニー・ヒューストンが、2012年2月11日午後、ロスアンジェルス・ビヴァリー・ヒルズ・ヒルトン・ホテルで死去した。緊急連絡が入ったのがロス時間で午後3時22分、救急がホテルの4階の部屋に到着し、蘇生を行ったが、かなわず、午後3時55分(日本時間12日午前8時55分)、死亡が確認された。死因は発表されていない。ただし、犯罪に結びつくものはなにも発見されていない、と発表されている。
ホイットニー・ヒューストンは、この日、しばらく前から、クライヴ・デイヴィスが恒例で行うグラミー賞前夜のパーティーに出席し、歌うために、ホテルに滞在していた。
すでに全米では、マイケル・ジャクソンの訃報と同様のインパクトを持って受け取られ、CNNなどもずっとぶちぬきでこの「スペシャル・ニューズ」を報道した。
翌日に全米音楽業界最大のお祭りグラミー賞が発表されるが、そのショーの中で、急遽、ホイットニー追悼のコーナーが作られ、ジェニファー・ハドソン、シャカ・カーンらが追悼で歌うことになった、という。
11日より二日前の9日、やはりプレ・グラミー・パーティー(ホスト、ケニー・ラティモア)で、ホイットニーはR&Bシンガー、ケリー・プライスと一緒にゴスペル曲「ジーザス・ラヴズ・ミー」を歌っていた。周囲には友人や娘のボビー・クリスティーナもいた。
ラティモアによれば、「彼女は楽しそうにしていた」と言う。
アリーサ・フランクリンは、衝撃を受け、「今は何も言葉にできない。まだ書かれたり、テレビに出ていることなどが信じられない」と短いステートメントを発表。
+++
ホイットニー、29年と19年の光と影
対照的。
現在まで膨大な量のホイットニー・ニューズが流れている。僕自身も、こんな衝撃を受けたのはマイケル以来。しかも、ホイットニーはマイケルの50歳より二つも若い。
ホイットニーの48年の人生を振り返ると、ボビーと結婚する1992年までの29年間とその1992年からの19年間がまるで「光と影」としか言いようがないほど対照的だ。
1980年代、ホイットニーのCD、もしくはカセットで洋楽を知ったという人も多いということが今回よくわかった。
本当に残念でならない。
+++
昨日の「ソウル・ブレンズ」(インターFM、76.1mhz午後1時~)では、急遽特別編成で、しかも1時間拡大してホイットニー・ヒューストン特集を3時間にわたってお送りしました。
オッシーから午前10時54分、携帯に電話が入り、何事かと思ったら、いきなり電話口で「吉岡さん、大変です。ホイットニーが死にました!」と。僕の最初の答えが「ガセじゃないでしょうね・・・ムニュムニュ・・・」という感じだったが、それまで寝不足でねぼけ眼だった僕も、一気に目が覚め、さっそくネットなどで情報を確認。CDをそろえ、すぐに局に飛んでいった。すると、つく頃には通常枠を1時間延長し、4時までホイットニー特集をするというので、またびっくり。たっぷり、ホイットニー話をしました。
評伝は明日以降、ご紹介します。
+++++
前回来日時ライヴ評
2010年02月12日(金)
ホイットニーは、日本のサポーターに感謝
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100212.html
(今回初日2月11日分・ライヴ評=パート1)
2010年02月15日(月)
ホイットニー・ヒューストン・ライヴ@さいたまスーパーアリーナ (パート2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10459305657.html
2010年02月16日(火)
ホイットニー・ヒューストン・ライヴ: (パート3)~理想のセットリスト
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10460147600.html#main
+++
ソウル・サーチャーはホイットニーのデビュー前、1984年7月、カシーフ宅で出会い、その後1989年9月に正式にインタヴューした。
■ホイットニー・ヒューストン物語(吉岡正晴訳)
ディーヴァ―ホイットニー・ヒューストン物語posted with amazlet at 12.02.12ジェフリー ボウマン
TOKYO FM出版
売り上げランキング: 950435
Amazon.co.jp で詳細を見る
+++
OBITUARY>Houston, Whitney August 9, 1963 – February 11, 2012, 48 year-old)
【Whitney Houston Dies At 48】
訃報。
1980年代に颯爽とデビューし、全米、全世界のスーパースターとなり、日本でも大きな人気を獲得した女性シンガー、ホイットニー・ヒューストンが、2012年2月11日午後、ロスアンジェルス・ビヴァリー・ヒルズ・ヒルトン・ホテルで死去した。緊急連絡が入ったのがロス時間で午後3時22分、救急がホテルの4階の部屋に到着し、蘇生を行ったが、かなわず、午後3時55分(日本時間12日午前8時55分)、死亡が確認された。死因は発表されていない。ただし、犯罪に結びつくものはなにも発見されていない、と発表されている。
ホイットニー・ヒューストンは、この日、しばらく前から、クライヴ・デイヴィスが恒例で行うグラミー賞前夜のパーティーに出席し、歌うために、ホテルに滞在していた。
すでに全米では、マイケル・ジャクソンの訃報と同様のインパクトを持って受け取られ、CNNなどもずっとぶちぬきでこの「スペシャル・ニューズ」を報道した。
翌日に全米音楽業界最大のお祭りグラミー賞が発表されるが、そのショーの中で、急遽、ホイットニー追悼のコーナーが作られ、ジェニファー・ハドソン、シャカ・カーンらが追悼で歌うことになった、という。
11日より二日前の9日、やはりプレ・グラミー・パーティー(ホスト、ケニー・ラティモア)で、ホイットニーはR&Bシンガー、ケリー・プライスと一緒にゴスペル曲「ジーザス・ラヴズ・ミー」を歌っていた。周囲には友人や娘のボビー・クリスティーナもいた。
ラティモアによれば、「彼女は楽しそうにしていた」と言う。
アリーサ・フランクリンは、衝撃を受け、「今は何も言葉にできない。まだ書かれたり、テレビに出ていることなどが信じられない」と短いステートメントを発表。
+++
ホイットニー、29年と19年の光と影
対照的。
現在まで膨大な量のホイットニー・ニューズが流れている。僕自身も、こんな衝撃を受けたのはマイケル以来。しかも、ホイットニーはマイケルの50歳より二つも若い。
ホイットニーの48年の人生を振り返ると、ボビーと結婚する1992年までの29年間とその1992年からの19年間がまるで「光と影」としか言いようがないほど対照的だ。
1980年代、ホイットニーのCD、もしくはカセットで洋楽を知ったという人も多いということが今回よくわかった。
本当に残念でならない。
+++
昨日の「ソウル・ブレンズ」(インターFM、76.1mhz午後1時~)では、急遽特別編成で、しかも1時間拡大してホイットニー・ヒューストン特集を3時間にわたってお送りしました。
オッシーから午前10時54分、携帯に電話が入り、何事かと思ったら、いきなり電話口で「吉岡さん、大変です。ホイットニーが死にました!」と。僕の最初の答えが「ガセじゃないでしょうね・・・ムニュムニュ・・・」という感じだったが、それまで寝不足でねぼけ眼だった僕も、一気に目が覚め、さっそくネットなどで情報を確認。CDをそろえ、すぐに局に飛んでいった。すると、つく頃には通常枠を1時間延長し、4時までホイットニー特集をするというので、またびっくり。たっぷり、ホイットニー話をしました。
評伝は明日以降、ご紹介します。
+++++
前回来日時ライヴ評
2010年02月12日(金)
ホイットニーは、日本のサポーターに感謝
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100212.html
(今回初日2月11日分・ライヴ評=パート1)
2010年02月15日(月)
ホイットニー・ヒューストン・ライヴ@さいたまスーパーアリーナ (パート2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10459305657.html
2010年02月16日(火)
ホイットニー・ヒューストン・ライヴ: (パート3)~理想のセットリスト
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10460147600.html#main
+++
ソウル・サーチャーはホイットニーのデビュー前、1984年7月、カシーフ宅で出会い、その後1989年9月に正式にインタヴューした。
■ホイットニー・ヒューストン物語(吉岡正晴訳)
ディーヴァ―ホイットニー・ヒューストン物語posted with amazlet at 12.02.12ジェフリー ボウマン
TOKYO FM出版
売り上げランキング: 950435
Amazon.co.jp で詳細を見る
+++
OBITUARY>Houston, Whitney August 9, 1963 – February 11, 2012, 48 year-old)
コメント