● ホイットニー葬儀2時から~処方薬と死の関連
2012年2月19日 音楽● ホイットニー葬儀2時から~処方薬と死の関連
【Whitney’s Death : Connection With Prescription Drugs】
突然死。
ホイットニーの急死は本当に衝撃を受けた。ホイットニーについての追悼文も書きたいのだが、なかなか書けない。彼女と初めて会ったのは、1984年7月。デビュー前、プロデューサー、カシーフのコネチカットの自宅で会った。その後、1989年9月、創刊雑誌のためのインタヴューでニューヨークの弁護士のオフィースで1時間ほど正式にインタヴューした。その後は、来日時にコンサート後、いわゆる「ミート&グリート」(関係者などを集めたあいさつ会)などで顔をあわせることはあった。ホイットニーのバック・ミュージシャン、バシリ・ジョンソン、ウェイン・リンゼイ、シンディー・マイゼルらとも仲が良いこともあり、ずいぶんと近い存在に感じられている。フィリップ・ウーも、かつてホイットニーのバックをやっていて、そのときに日本にも来ている。
ホイットニーにはデビュー前から注目していて、彼女がゲストで歌ったポール・ジャバラのアルバムのライナーノーツでもホイットニーの紹介文を書いたほどだった。
確か1985年か1986年の夏だったと思うが、アメリカ東海岸で初めてライヴを見た。そのときの前座はジェフリー・オズボーンだった。
デビュー前から注目し、瞬く間にスターになり、そして、途中からキャリアがおかしくなり、最後このようなことになってしまう形で一生を外から見守ったアーティストというのはほかにいない。
マイケル・ジャクソンのときも感じたが、アメリカのエンタテインメントの世界でトップにい続けることのプレッシャーの何と大きなことか。我々凡人がとても想像できないほどの大きさなのだろう。
マイケルもホイットニーも、そうした重圧に押しつぶされてしまったのかととても残念に思う。
なんとか近いうちにまとめてみたい。
+++++
処方薬と死の関連性
処方薬。
ホイットニーの突然の死は、医師から処方された処方薬とアルコールを組み合わせてしまったために起こった事故死という見方が強まっているが、では、その処方薬はどのようなものだったのか。
アメリカ・ニュージャージー州を本拠に活躍している作家の冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)さんが、村上龍氏が発行するジャパン・メール・メディアのメルマガ『from 911/USAレポート』第560回(2012年2月18日配信)で、「ホイットニー・ヒューストン急死で問われる処方箋薬問題」と題する文を寄稿していて、大変興味深く読んだ。
この内容は、次のウェッブで後日アップされるので、全文は下記をごらんください。第560回2月18日配信分
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/title3_1.html
この中で冷泉氏は、今回の事故は「ベンゾジアゼピン系の抗不安薬の長期服用と、そのアルコールとの組み合わせ摂取による心肺停止事故という可能性が濃厚です」と書いている。この薬自体はそれほど珍しいものではなく、いわゆる通常の処方薬、ただし、依存性が強いという。そこで、医師は患者に必要以上には与えないようにするものの、患者は最初の医師が薬を処方してくれない場合、次の医師のもとに行き、処方してもらったりすることも起こりうるとのこと。
しかし、なんといってもアルコールを飲んでこれらを摂取すると大変危険なので、それは医者も口をすっぱくして言っているのだろう。
これらを防ぐ案として、氏は電子カルテの使用を提案している。同じ患者が複数の医師の元に行ってもそれがわかるようになるわけだ。
結局は、薬を飲みながらアルコールも摂取してしまうのは、本人の意思だから、もはや他人がどうのこうの言うものでもなくなってしまう。実に悲しい現実だ。
+++++
ホイットニー、オプラに語る
インタヴュー。
3年前、ホイットニーがオプラに語ったところは今になってはひじょうに重みが感じられる。ホイットニーの2000年代の苦労が語られている。(下記ホイットニー・ヒューストン、オプラに3時間語る(パート1)と(パート2)を参照)
世間では、ホイットニーがこうなってしまったことの全責任をボビーに負わせるような風潮になっている。ある程度はそうだろうが、必要以上にボビーを責めるのはよろしくない。ボビーを選択してしまったのは、ホイットニー自身であり、アルコールと処方薬を同時に摂取したのは、本人の意思だからだ。必要以上のボビー・バッシングは戒めたい。
■ホイットニー過去記事
2009年09月15日(火)
ホイットニー・ヒューストン、オプラで赤裸々告白~7年ぶり新作、アルバム1位初登場
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10342830088.html
2009年09月19日(土)
ホイットニー・ヒューストン、オプラに3時間語る(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10345413767.html
2009年09月20日(日)
ホイットニー・ヒューストン、オプラに3時間語る(パート2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10345956495.html#main
日本最後の公演ライヴ評パート1は、こちら↓
2010年02月12日(金)
ホイットニーは、日本のサポーターに感謝
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100212.html
2010年02月15日(月)
ホイットニー・ヒューストン・ライヴ@さいたまスーパーアリーナ (パート2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10459305657.html
■ホイットニーのベスト
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00004U2QT/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ディーヴァ―ホイットニー・ヒューストン物語 (ジェフリー・ボウマン著、吉岡正晴訳)
ひじょうにわかりやすくホイットニーのキャリアを1996年くらいまで描いています。読み易い伝記。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4924880906/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
OBITUARY>Houston, Whitney
【Whitney’s Death : Connection With Prescription Drugs】
突然死。
ホイットニーの急死は本当に衝撃を受けた。ホイットニーについての追悼文も書きたいのだが、なかなか書けない。彼女と初めて会ったのは、1984年7月。デビュー前、プロデューサー、カシーフのコネチカットの自宅で会った。その後、1989年9月、創刊雑誌のためのインタヴューでニューヨークの弁護士のオフィースで1時間ほど正式にインタヴューした。その後は、来日時にコンサート後、いわゆる「ミート&グリート」(関係者などを集めたあいさつ会)などで顔をあわせることはあった。ホイットニーのバック・ミュージシャン、バシリ・ジョンソン、ウェイン・リンゼイ、シンディー・マイゼルらとも仲が良いこともあり、ずいぶんと近い存在に感じられている。フィリップ・ウーも、かつてホイットニーのバックをやっていて、そのときに日本にも来ている。
ホイットニーにはデビュー前から注目していて、彼女がゲストで歌ったポール・ジャバラのアルバムのライナーノーツでもホイットニーの紹介文を書いたほどだった。
確か1985年か1986年の夏だったと思うが、アメリカ東海岸で初めてライヴを見た。そのときの前座はジェフリー・オズボーンだった。
デビュー前から注目し、瞬く間にスターになり、そして、途中からキャリアがおかしくなり、最後このようなことになってしまう形で一生を外から見守ったアーティストというのはほかにいない。
マイケル・ジャクソンのときも感じたが、アメリカのエンタテインメントの世界でトップにい続けることのプレッシャーの何と大きなことか。我々凡人がとても想像できないほどの大きさなのだろう。
マイケルもホイットニーも、そうした重圧に押しつぶされてしまったのかととても残念に思う。
なんとか近いうちにまとめてみたい。
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処方薬と死の関連性
処方薬。
ホイットニーの突然の死は、医師から処方された処方薬とアルコールを組み合わせてしまったために起こった事故死という見方が強まっているが、では、その処方薬はどのようなものだったのか。
アメリカ・ニュージャージー州を本拠に活躍している作家の冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)さんが、村上龍氏が発行するジャパン・メール・メディアのメルマガ『from 911/USAレポート』第560回(2012年2月18日配信)で、「ホイットニー・ヒューストン急死で問われる処方箋薬問題」と題する文を寄稿していて、大変興味深く読んだ。
この内容は、次のウェッブで後日アップされるので、全文は下記をごらんください。第560回2月18日配信分
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/title3_1.html
この中で冷泉氏は、今回の事故は「ベンゾジアゼピン系の抗不安薬の長期服用と、そのアルコールとの組み合わせ摂取による心肺停止事故という可能性が濃厚です」と書いている。この薬自体はそれほど珍しいものではなく、いわゆる通常の処方薬、ただし、依存性が強いという。そこで、医師は患者に必要以上には与えないようにするものの、患者は最初の医師が薬を処方してくれない場合、次の医師のもとに行き、処方してもらったりすることも起こりうるとのこと。
しかし、なんといってもアルコールを飲んでこれらを摂取すると大変危険なので、それは医者も口をすっぱくして言っているのだろう。
これらを防ぐ案として、氏は電子カルテの使用を提案している。同じ患者が複数の医師の元に行ってもそれがわかるようになるわけだ。
結局は、薬を飲みながらアルコールも摂取してしまうのは、本人の意思だから、もはや他人がどうのこうの言うものでもなくなってしまう。実に悲しい現実だ。
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ホイットニー、オプラに語る
インタヴュー。
3年前、ホイットニーがオプラに語ったところは今になってはひじょうに重みが感じられる。ホイットニーの2000年代の苦労が語られている。(下記ホイットニー・ヒューストン、オプラに3時間語る(パート1)と(パート2)を参照)
世間では、ホイットニーがこうなってしまったことの全責任をボビーに負わせるような風潮になっている。ある程度はそうだろうが、必要以上にボビーを責めるのはよろしくない。ボビーを選択してしまったのは、ホイットニー自身であり、アルコールと処方薬を同時に摂取したのは、本人の意思だからだ。必要以上のボビー・バッシングは戒めたい。
■ホイットニー過去記事
2009年09月15日(火)
ホイットニー・ヒューストン、オプラで赤裸々告白~7年ぶり新作、アルバム1位初登場
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10342830088.html
2009年09月19日(土)
ホイットニー・ヒューストン、オプラに3時間語る(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10345413767.html
2009年09月20日(日)
ホイットニー・ヒューストン、オプラに3時間語る(パート2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10345956495.html#main
日本最後の公演ライヴ評パート1は、こちら↓
2010年02月12日(金)
ホイットニーは、日本のサポーターに感謝
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100212.html
2010年02月15日(月)
ホイットニー・ヒューストン・ライヴ@さいたまスーパーアリーナ (パート2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10459305657.html
■ホイットニーのベスト
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00004U2QT/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ディーヴァ―ホイットニー・ヒューストン物語 (ジェフリー・ボウマン著、吉岡正晴訳)
ひじょうにわかりやすくホイットニーのキャリアを1996年くらいまで描いています。読み易い伝記。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4924880906/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
OBITUARY>Houston, Whitney
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