●ビースティー・ボーイズのMCA(アダム・ヤウク)47歳で死去

【Adam Yauch (MCA) of Beastie Boys Dies At 47】

訃報。

ヒップホップ黎明期に登場した初の白人ラップ・グループ、ビースティー・ボーイズのリーダー的存在で、ラップ担当、またベース奏者でもあるアダム・ヤウク(通称MCA)が2012年5月4日、ニューヨークの病院で癌のため死去した。47歳。2009年に癌と診断され、治療を続けていた。

アダム・ヤウクは1964年8月5日、ニューヨーク生まれ。高校時代にハード・ロック・グループのビースティー・ボーイズを結成。アダムの17歳の誕生日(1981年8月5日)に初めて人前でライヴを行なった、という。

ビースティー・ボーイズは元々ロック・グループとしてスタートしたが、1980年代初期、ニューヨークで大きな動きと成り始めた黒人のヒップ・ホップ・ムーヴメントに大きな興味を持ち、白人ながらラップをするようになり、それまでのヒップホップのオーディエンスに多くの白人観客を呼び込んだ。ラップ、ヒップホップが単に黒人のローカル・カルチャーから、白人、さらには世界の文化になったことに大きく寄与した。

その後、ヒップホップ・アーティストとして成功してからは、ハードロックなども含めた音楽的にも多様性を発揮、音楽バンドとしても活動。ロック音楽とラップの融合を試み、成功させた。

グループは、2012年、ロック殿堂入りを果たしている。

1984年、ラップ・レーベルとして飛ぶ鳥をも落とす勢いとなるリック・ルービン/ラッセル・シモンズのデフジャムと契約。白人ヒップホップ・アーティストとして、カーティス・ブローの前座や、ランDMC、LLクールJらとツアーにでて人気を高めた。

1986年のデビュー・アルバム『ライセンス・トゥ・イル』は、なんとデビュー作ながら、しかもラップ・アルバムとして初の全米ナンバーワンに輝いた。

その後、現在まで9枚のオリジナル・アルバムをリリースしている。1998年リリースの5作目『ハロー・ナスティー』ではグラミー賞を獲得。

来日は1987年を皮切りに、2007年のフジロックまで8回。

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チベット。

MCAことアダム・ヤウクは、1990年代初期からチベット問題に興味を持ち、チベットの人々を救うためのチャリティーや活動を積極的に行なっている。

チベットは、過去50年以上、中国に不当に抑圧され、多くの僧などが虐待されたりして、チベットの人々は隣国ネパール、インドなどに亡命している。

アダムは、チベットの人々のために資金を提供するために、1994年、ミラレバ基金を設立、ライヴを行いその収益を同基金に寄付。さらにこれが発展し、1996年6月、「チベタン・フリーダム・コンサート」などを各地で開催するに至った。これはその後、年恒例となって開催されている。

グループとしても、2001年9月11日の911テロを受け、チャリティー・コンサートを開催したり、イラク戦争への反対を表明したり、政治的発言も積極的に行なってきている。

2008年には、オバマ大統領候補を全力で支援した。

また、アダムは映像作家としても知られ、ナサニエル・ホーンブローワーの変名でビースティーズのプロモーション用ビデオやその他の映像作品を制作している。

■なんといっても、ファースト『ライセンス・トゥ・イル』

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■グラミー受賞作、通算5作目『ハロー・ナスティー』

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OBITUARY>Yauch, Adam (MCA), (August 5, 1964 – May 4, 2012, 47-year-old)



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