● ジョー・ラッセル(パースエージョンズ)、死去~名門ア・カペラ・グループの一員
2012年5月10日 音楽●ジョー・ラッセル(パースエージョンズ)、死去~名門ア・カペラ・グループの一員
【Joe Russell of Persuasions Dies】
訃報。
ゴスペルをベースにしたア・カペラ・グループとして1960年代から活躍してきたニューヨークのパースエージョンズのテナー・シンガー、ジェシー・“スイート・ジョー”・ラッセル(Joe Russell)が、2012年5月5日、ニューヨークの病院で死去した。1939年頃の生まれ、72-3歳とみられる。長く腎臓を悪くしており、週3回透析を行ないながら、腎移植を待っていた。パースエージョンズは30枚近くのアルバムを出しているア・カペラ・グループ中のア・カペラ・グループ。ボーイズ・トゥ・メン、テイク6、ナチュラリー・7、ロッカペラら後輩のア・カペラ・グループに影響を与え、彼らもパースエージョンズを師と仰ぐほどの存在。
評伝。
ジェシー・“スイート・ジョー”・ラッセル(ノース・キャロライナ出身)は、ジェリー・ローソン(1944年生まれ=フロリダ出身。リード・シンガー)、ジョイオーティス・ワシントン、ハーバート・“トゥーボ”・ロード(1944年~1988年)、ジミー・“ブラ”・ヘイズ(ヴァージニア州出身、ベース担当)とともに1962年頃にニューヨーク・ハーレムでパースエージョンズを結成した。ジェリーはお店のガードマン(万引き監視員)、ジミーはエレヴェーター・オペレーター、ジョーは肉屋、ジョーイオーティスは配管工、ターボは靴のセールスマン。
ジミーが鼻歌まじりに歌いながらエレヴェーターを運転していたところに、ジェリーが乗り、「歌うのか」と声をかけたのがきっかけ。ジェリーがジョーを、ジョーがトゥーボを紹介し、5人が集まったという。当初はバンドを雇おうと思ったが大きな仕事のときに、ギタリストが来なかったため、以後、あてにならないミュージシャンを使うのはやめて、ア・カペラ一本で行こうと、ずっとア・カペラ・グループとしてやることになる。彼らはしばしば地元のバスケット・ボールのコートなどで歌っていた。地元のクラブや、ディオンヌ・ワーウィックの前座なども勤めるようになる。
大きなブレイクは1969年。なんとロックのフランク・ザッパに認められ、彼の誘いでロスアンジェルスに飛び、そこでファースト・アルバムをレコーディング、リリースした。『ア・カペラ』というアルバムだ。フランク・ザッパは、「電話越しでさえ、連中は何か特別だってわかるさ」とまで言う。後に、フランクに捧げるという意味で『フランクリー・ア・カペラ』というアルバムも出した。その後、キャピトルと契約、3枚のアルバムをリリース。1974年にはA&Mから2枚、そのほかにMCAなどからもアルバムを出し、1977年にはエレクトラから『チーピン』というアルバムを出す。そのほかにインディ・レーベルで30枚近くの作品を出している。
グレイトフル・デッドやU2、ビートルズなどの楽曲を取り上げたトリビュート作品なども出している。
1982年、映画『ET』のなかで、彼らの「Papa Oom Mow Mow」(パパ・ン・マー・マー)が使用された。
「Papa Oom Mow Mow」
http://youtu.be/CaUcRS4Jr6g
メンバーのうち、ハーバート・“トゥーボ”・ロードは、1988年12月8日、ツアー中に44歳の若さで死去。彼の遺灰は本人の希望でサンフランシスコ湾に撒かれた。
その後彼らは4人組としてグループを続け、ライヴ会場では必ずトゥーボをグループのメンバーとして紹介していた。
1990年10月、映画監督スパイク・リーがア・カペラにスポットを当てたドキュメンタリー映画『ドゥ・イット・ア・カペラ』を製作、この中でもパースエージョンズがフィーチャーされた。
その後、1990年代中期にやはり彼らのファンで映画監督のフレッド・パーンズという人物が彼らを主人公にしたドキュメンタリー『スプレッド・ザ・ワード:ザ・パースエージョンズ・シング・ア・カペラ』を製作、これは、後にPBSでテレビ放映された。
1996年、元ドリフターズのバーナード”B.J.”ジョンソンが加入。さらに1999年3月、ファースト・テナーにレイモンド・X・サンダースが加入、一時期6人組となった。
2003年に、リード・シンガーのジェリー・ローソンがグループを脱退。ジェリーは自身のグループ、トーク・オブ・ザ・タウンを結成した。
2009年、グループは、「ドゥー・ワップ殿堂」入りを果たした。
ジョーは2009年ごろから体調をくずし、腎機能が落ち、移植を待っていた。
+++
深海。
トム・ウエイツは彼らについてこう言った。「彼らは本当に深い深い深海にもぐっている。僕なんかボートに乗ってるただの釣り人だよ」
「彼らの存在は、ボクシング界で言えば、モハメド・アリのようなものだ。無敵で革新的で、オリジナルで、そして、素晴らしい」(LAウイークリー)
「パースエージョンズのスタイルは、情熱と知性の完璧な結婚だ」(グリル・マーカス)
まさに後に輩出するテイク6、ナチュラリー・7らのア・カペラ・グループの大先駆者だ。
ジョーの葬儀は、2012年5月9日、水曜日、ブルックリンのウッドワード・ローレンスH葬儀屋で行なわれる。パブリック・ヴューイングは午後2時~6時、葬儀は午後6時から。
パースエージョンズ・サイト
http://www.thepersuasions.info/index.html
+++
スパイク・リー監督『ドゥ・イット・ア・カペラ』からパースエージョンズの「ルッキング・フォー・アン・エコー」
http://youtu.be/GQl7dGHogPI
たぶん、左から2番目の赤っぽいセーターを着ている人物がジョー。これは1990年の作品だが、その2年前にターボを失っているので、ここでは4人組。この映像ではでてこないが、別の曲では最後、シルエットが映し出され、ターボへのトリビュートがなされる。
スパイク・リーとジョーやメンバーとは、同じ地区ベッド=スタイに住んでいて顔なじみ。
同映画から「アップ・オン・ザ・ルーフ」。冒頭にスパイク・リーのインタヴュー
http://youtu.be/E-n3jEQlwQ8
向かって左から2番目がジョー・ラッセル
All I Have To Do Is Dream (Everly Brothers)
5人が映っている1974年の映像。後ろの段、中央がジョー・ラッセル
http://youtu.be/hamL-QU8fZI
司会者は、モーリス・リチャード(Maurice Richard "Maury" Povich)。エヴァリー・ブラザースのカヴァーの後に歌うゴスペル曲は、"Somewhere to Lay My Head"。ここでは、ウイリー・ダニエルズというメンバーが入っている。
1971年の映像。バッファロー・ソルジャー
http://youtu.be/hGlZQQFqmcc
最初のナレーションと全体的なリードはジェリー・ローソン。ナレーション後のヴォーカルがジョー・ラッセル。
オールディーズ・メドレー
http://youtu.be/ilrVyeM4v-E
しかし、彼らの古い映像がたくさん出てくるので驚く。Sincerely – A Thousand Miles Away – etc
「レット・イット・ビー」がゴスペルに変身
http://youtu.be/hDT8SfBH28U
2012年4月19日にWFDU-FMのイヴェントでジョーを除いたメンバーがジョーに捧げたパフォーマンス
http://youtu.be/rxgFW5vzyHM
+++
『ドゥ・イット・アカペラ』映画サウンドトラック
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000002H86/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000008N7/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000002GYE/soulsearchiho-22/ref=nosim/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00195I3EA/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
OBITUARY>Russell, Joe ( - May 5th, 2012)
【Joe Russell of Persuasions Dies】
訃報。
ゴスペルをベースにしたア・カペラ・グループとして1960年代から活躍してきたニューヨークのパースエージョンズのテナー・シンガー、ジェシー・“スイート・ジョー”・ラッセル(Joe Russell)が、2012年5月5日、ニューヨークの病院で死去した。1939年頃の生まれ、72-3歳とみられる。長く腎臓を悪くしており、週3回透析を行ないながら、腎移植を待っていた。パースエージョンズは30枚近くのアルバムを出しているア・カペラ・グループ中のア・カペラ・グループ。ボーイズ・トゥ・メン、テイク6、ナチュラリー・7、ロッカペラら後輩のア・カペラ・グループに影響を与え、彼らもパースエージョンズを師と仰ぐほどの存在。
評伝。
ジェシー・“スイート・ジョー”・ラッセル(ノース・キャロライナ出身)は、ジェリー・ローソン(1944年生まれ=フロリダ出身。リード・シンガー)、ジョイオーティス・ワシントン、ハーバート・“トゥーボ”・ロード(1944年~1988年)、ジミー・“ブラ”・ヘイズ(ヴァージニア州出身、ベース担当)とともに1962年頃にニューヨーク・ハーレムでパースエージョンズを結成した。ジェリーはお店のガードマン(万引き監視員)、ジミーはエレヴェーター・オペレーター、ジョーは肉屋、ジョーイオーティスは配管工、ターボは靴のセールスマン。
ジミーが鼻歌まじりに歌いながらエレヴェーターを運転していたところに、ジェリーが乗り、「歌うのか」と声をかけたのがきっかけ。ジェリーがジョーを、ジョーがトゥーボを紹介し、5人が集まったという。当初はバンドを雇おうと思ったが大きな仕事のときに、ギタリストが来なかったため、以後、あてにならないミュージシャンを使うのはやめて、ア・カペラ一本で行こうと、ずっとア・カペラ・グループとしてやることになる。彼らはしばしば地元のバスケット・ボールのコートなどで歌っていた。地元のクラブや、ディオンヌ・ワーウィックの前座なども勤めるようになる。
大きなブレイクは1969年。なんとロックのフランク・ザッパに認められ、彼の誘いでロスアンジェルスに飛び、そこでファースト・アルバムをレコーディング、リリースした。『ア・カペラ』というアルバムだ。フランク・ザッパは、「電話越しでさえ、連中は何か特別だってわかるさ」とまで言う。後に、フランクに捧げるという意味で『フランクリー・ア・カペラ』というアルバムも出した。その後、キャピトルと契約、3枚のアルバムをリリース。1974年にはA&Mから2枚、そのほかにMCAなどからもアルバムを出し、1977年にはエレクトラから『チーピン』というアルバムを出す。そのほかにインディ・レーベルで30枚近くの作品を出している。
グレイトフル・デッドやU2、ビートルズなどの楽曲を取り上げたトリビュート作品なども出している。
1982年、映画『ET』のなかで、彼らの「Papa Oom Mow Mow」(パパ・ン・マー・マー)が使用された。
「Papa Oom Mow Mow」
http://youtu.be/CaUcRS4Jr6g
メンバーのうち、ハーバート・“トゥーボ”・ロードは、1988年12月8日、ツアー中に44歳の若さで死去。彼の遺灰は本人の希望でサンフランシスコ湾に撒かれた。
その後彼らは4人組としてグループを続け、ライヴ会場では必ずトゥーボをグループのメンバーとして紹介していた。
1990年10月、映画監督スパイク・リーがア・カペラにスポットを当てたドキュメンタリー映画『ドゥ・イット・ア・カペラ』を製作、この中でもパースエージョンズがフィーチャーされた。
その後、1990年代中期にやはり彼らのファンで映画監督のフレッド・パーンズという人物が彼らを主人公にしたドキュメンタリー『スプレッド・ザ・ワード:ザ・パースエージョンズ・シング・ア・カペラ』を製作、これは、後にPBSでテレビ放映された。
1996年、元ドリフターズのバーナード”B.J.”ジョンソンが加入。さらに1999年3月、ファースト・テナーにレイモンド・X・サンダースが加入、一時期6人組となった。
2003年に、リード・シンガーのジェリー・ローソンがグループを脱退。ジェリーは自身のグループ、トーク・オブ・ザ・タウンを結成した。
2009年、グループは、「ドゥー・ワップ殿堂」入りを果たした。
ジョーは2009年ごろから体調をくずし、腎機能が落ち、移植を待っていた。
+++
深海。
トム・ウエイツは彼らについてこう言った。「彼らは本当に深い深い深海にもぐっている。僕なんかボートに乗ってるただの釣り人だよ」
「彼らの存在は、ボクシング界で言えば、モハメド・アリのようなものだ。無敵で革新的で、オリジナルで、そして、素晴らしい」(LAウイークリー)
「パースエージョンズのスタイルは、情熱と知性の完璧な結婚だ」(グリル・マーカス)
まさに後に輩出するテイク6、ナチュラリー・7らのア・カペラ・グループの大先駆者だ。
ジョーの葬儀は、2012年5月9日、水曜日、ブルックリンのウッドワード・ローレンスH葬儀屋で行なわれる。パブリック・ヴューイングは午後2時~6時、葬儀は午後6時から。
パースエージョンズ・サイト
http://www.thepersuasions.info/index.html
+++
スパイク・リー監督『ドゥ・イット・ア・カペラ』からパースエージョンズの「ルッキング・フォー・アン・エコー」
http://youtu.be/GQl7dGHogPI
たぶん、左から2番目の赤っぽいセーターを着ている人物がジョー。これは1990年の作品だが、その2年前にターボを失っているので、ここでは4人組。この映像ではでてこないが、別の曲では最後、シルエットが映し出され、ターボへのトリビュートがなされる。
スパイク・リーとジョーやメンバーとは、同じ地区ベッド=スタイに住んでいて顔なじみ。
同映画から「アップ・オン・ザ・ルーフ」。冒頭にスパイク・リーのインタヴュー
http://youtu.be/E-n3jEQlwQ8
向かって左から2番目がジョー・ラッセル
All I Have To Do Is Dream (Everly Brothers)
5人が映っている1974年の映像。後ろの段、中央がジョー・ラッセル
http://youtu.be/hamL-QU8fZI
司会者は、モーリス・リチャード(Maurice Richard "Maury" Povich)。エヴァリー・ブラザースのカヴァーの後に歌うゴスペル曲は、"Somewhere to Lay My Head"。ここでは、ウイリー・ダニエルズというメンバーが入っている。
1971年の映像。バッファロー・ソルジャー
http://youtu.be/hGlZQQFqmcc
最初のナレーションと全体的なリードはジェリー・ローソン。ナレーション後のヴォーカルがジョー・ラッセル。
オールディーズ・メドレー
http://youtu.be/ilrVyeM4v-E
しかし、彼らの古い映像がたくさん出てくるので驚く。Sincerely – A Thousand Miles Away – etc
「レット・イット・ビー」がゴスペルに変身
http://youtu.be/hDT8SfBH28U
2012年4月19日にWFDU-FMのイヴェントでジョーを除いたメンバーがジョーに捧げたパフォーマンス
http://youtu.be/rxgFW5vzyHM
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『ドゥ・イット・アカペラ』映画サウンドトラック
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OBITUARY>Russell, Joe ( - May 5th, 2012)
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