● ドナ・サマー、63歳で死去~クイーン・オブ・ディスコ~「ソウル・ブレンズ」緊急特集
【Queen Of Disco: Donna Summer Dies At 63】
訃報。
1970年代から80年代にかけて数多くのディスコ・ヒットを放ち、世界的スーパースターとなったディーヴァ、ドナ・サマーが、2012年5月17日(木)、フロリダ州キーウェストの自宅で亡くなった。63歳。癌だった。ディスコ創世記に世界的な成功を収めた初の「ディスコ・クイーン」のひとり。
1948年12月31日、アメリカ・マサチューセッツ州ボストン生まれ。本名、ラドナ・エイドリアン・ゲインズ。十代の頃からシンガーを目指し、ロックバンドに参加。1967年、ブロードウェイ・ミュージカル『ヘア』のオーディションを受け、アメリカ版には合格しなかったが、そのヨーロッパ版で声がかかり、ドイツに移住。そこで音楽活動を続けるうちに、ドイツのプロデューサー、ジョルジオ・モローダーに見出され、ディスコ作品をリリースするようになった。
1974年、オーストリア人の俳優ヘルムート・ソマーと結婚。これを機に芸名もドナ・サマーにした。ジョルジオと誰か他のシンガー用に作ろうとした「ラヴ・トゥ・ラヴ・ユー・ベイビー」をドナがデモ・テープとして録音したところ、ジョルジオのアドヴァイスで本人のレコードとして出すことになった。
当初、スタジオではドナはマリリン・モンローのような雰囲気をだせればとセクシーに歌った。歌詞も、まだ完成しておらず、タイトル部分をただ繰り返しただけだった。
できあがった7インチ(約3分のヴァージョン)をアメリカの新興レーベル、カサブランカのニール・ボカート社長に送った。ニールが開いていたパーティーでこれをかけたところ、一度かかり終わると客からもう一度かけてくれ、と言われ、それが終わるとまた別の客からもう一度と言われ、このときにもっと長いヴァージョンを作ることを思いつく。
すぐにニールはジョルジオにアルバム片面分のロング・ヴァージョンの制作を依頼、これが出来て全米のディスコにリリースされると、瞬く間にダンスフロアの人気となった。
以後、次々とディスコでのヒットが続き、スターの座についた。1975年の「ラヴ・トゥ・ラヴ・ユー・ベイビー」以降、「オン・ザ・レイディオ」、「バッド・ガールズ」「ホット・スタッフ」「アイ・フィール・ラヴ」「マッカーサー・パーク」などの大ヒットを立て続けに送り出し、「クイーン・オブ・ディスコ」と呼ばれるようになった。グラミー賞17回ノミネートされ、5回受賞している。
「アイ・フィール・ラヴ」は、マドンナ、ホイットニー・ヒューストン、ダイアナ・ロスら多くのアーティストにサンプリングされている。
ドナ・サマーは、『ライヴ&モア』『バッド・ガールズ』そして、『オン・ザ・レイディオ』と3作(いずれも2枚組みアルバム)連続、で、ビルボード・アルバム・チャートで1位になった唯一のアーティスト。
ドナ・サマーの音楽面での大成功を支えたのが、ミュンヘンのプロデューサー・チーム、ジョルジオ・モローダー&ピート・ベロッテの二人組み。彼らが作り出すビートのシンプルなサウンドがディスコ大ブームとあいまって世界的に支持された。
ジョルジオの作り出すサウンドは先鋭的で、特に「アイ・フィール・ラヴ」は後のハウス、テクノ・サウンドのさきがけとなり、後身の同様のアーティストの原形ともいえるサウンドになっている。
そして、シンプルなディスコ・サウンドは、後にマドンナ、さらにジャネット・ジャクソンなどダンス系アーティストのキャリアにも大きな影響を与えた。
日本でもディスコ・ヒットを中心に人気を集め、1979年6月の初来日を皮切りに、1987年12月、1991年3月、1994年12月と公演のため4回来日している。(ほかにプロモーション来日が1回)
ディスコというメディアから登場し、世界的なスーパースターになった実質的な女性シンガーといえる。80年代後期以降は、いわゆる「ディスコ・シンガー」としての枠組みから飛び出ようと試行錯誤していた。
2008年リリースの『クレヨンズ』が最新作。ちょうど、次の作品をレコーディングしている最中だったという。
1980年、レーベル・メイトのグループ、ブルックリン・ドリームスのメンバー、ブルース・スダノと再婚。二人の子(最初の結婚でミミという女の子がいる)を設けた。
葬儀はブルース、さらにその子供たち、ブルックリン、アマンダ、ミミによって執り行われる。
■『ソウル・ブレンズ』で2時間ドナ・サマー緊急追悼特集
2012年5月20日(日)午後1時~3時の「ソウル・ブレンズ」(インターFM、関東地区76.1mhz)で、ドナ・サマー&チャック・ブラウン追悼で2時間お送りします。コメント・ゲストに音楽評論家でドナ・サマー、ジョルジオ・モローダーにインタヴューしている村岡裕司さんをお迎えします。
ラジコでも。
http://radiko.jp/player/player.html#INT
■ドナ・サマー『ラヴ・トゥ・ラヴ・ユー・ベイビー』 すべてはここから始まった
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001F9M/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000CBNZTU/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■バッド・ガールズ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001F8N/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
■最新作『クレヨン』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0018Q7I6E/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
OBITUARY>Summer, Donna (December 31, 1948 – May 17, 2012, 63-year-old)
【Queen Of Disco: Donna Summer Dies At 63】
訃報。
1970年代から80年代にかけて数多くのディスコ・ヒットを放ち、世界的スーパースターとなったディーヴァ、ドナ・サマーが、2012年5月17日(木)、フロリダ州キーウェストの自宅で亡くなった。63歳。癌だった。ディスコ創世記に世界的な成功を収めた初の「ディスコ・クイーン」のひとり。
1948年12月31日、アメリカ・マサチューセッツ州ボストン生まれ。本名、ラドナ・エイドリアン・ゲインズ。十代の頃からシンガーを目指し、ロックバンドに参加。1967年、ブロードウェイ・ミュージカル『ヘア』のオーディションを受け、アメリカ版には合格しなかったが、そのヨーロッパ版で声がかかり、ドイツに移住。そこで音楽活動を続けるうちに、ドイツのプロデューサー、ジョルジオ・モローダーに見出され、ディスコ作品をリリースするようになった。
1974年、オーストリア人の俳優ヘルムート・ソマーと結婚。これを機に芸名もドナ・サマーにした。ジョルジオと誰か他のシンガー用に作ろうとした「ラヴ・トゥ・ラヴ・ユー・ベイビー」をドナがデモ・テープとして録音したところ、ジョルジオのアドヴァイスで本人のレコードとして出すことになった。
当初、スタジオではドナはマリリン・モンローのような雰囲気をだせればとセクシーに歌った。歌詞も、まだ完成しておらず、タイトル部分をただ繰り返しただけだった。
できあがった7インチ(約3分のヴァージョン)をアメリカの新興レーベル、カサブランカのニール・ボカート社長に送った。ニールが開いていたパーティーでこれをかけたところ、一度かかり終わると客からもう一度かけてくれ、と言われ、それが終わるとまた別の客からもう一度と言われ、このときにもっと長いヴァージョンを作ることを思いつく。
すぐにニールはジョルジオにアルバム片面分のロング・ヴァージョンの制作を依頼、これが出来て全米のディスコにリリースされると、瞬く間にダンスフロアの人気となった。
以後、次々とディスコでのヒットが続き、スターの座についた。1975年の「ラヴ・トゥ・ラヴ・ユー・ベイビー」以降、「オン・ザ・レイディオ」、「バッド・ガールズ」「ホット・スタッフ」「アイ・フィール・ラヴ」「マッカーサー・パーク」などの大ヒットを立て続けに送り出し、「クイーン・オブ・ディスコ」と呼ばれるようになった。グラミー賞17回ノミネートされ、5回受賞している。
「アイ・フィール・ラヴ」は、マドンナ、ホイットニー・ヒューストン、ダイアナ・ロスら多くのアーティストにサンプリングされている。
ドナ・サマーは、『ライヴ&モア』『バッド・ガールズ』そして、『オン・ザ・レイディオ』と3作(いずれも2枚組みアルバム)連続、で、ビルボード・アルバム・チャートで1位になった唯一のアーティスト。
ドナ・サマーの音楽面での大成功を支えたのが、ミュンヘンのプロデューサー・チーム、ジョルジオ・モローダー&ピート・ベロッテの二人組み。彼らが作り出すビートのシンプルなサウンドがディスコ大ブームとあいまって世界的に支持された。
ジョルジオの作り出すサウンドは先鋭的で、特に「アイ・フィール・ラヴ」は後のハウス、テクノ・サウンドのさきがけとなり、後身の同様のアーティストの原形ともいえるサウンドになっている。
そして、シンプルなディスコ・サウンドは、後にマドンナ、さらにジャネット・ジャクソンなどダンス系アーティストのキャリアにも大きな影響を与えた。
日本でもディスコ・ヒットを中心に人気を集め、1979年6月の初来日を皮切りに、1987年12月、1991年3月、1994年12月と公演のため4回来日している。(ほかにプロモーション来日が1回)
ディスコというメディアから登場し、世界的なスーパースターになった実質的な女性シンガーといえる。80年代後期以降は、いわゆる「ディスコ・シンガー」としての枠組みから飛び出ようと試行錯誤していた。
2008年リリースの『クレヨンズ』が最新作。ちょうど、次の作品をレコーディングしている最中だったという。
1980年、レーベル・メイトのグループ、ブルックリン・ドリームスのメンバー、ブルース・スダノと再婚。二人の子(最初の結婚でミミという女の子がいる)を設けた。
葬儀はブルース、さらにその子供たち、ブルックリン、アマンダ、ミミによって執り行われる。
■『ソウル・ブレンズ』で2時間ドナ・サマー緊急追悼特集
2012年5月20日(日)午後1時~3時の「ソウル・ブレンズ」(インターFM、関東地区76.1mhz)で、ドナ・サマー&チャック・ブラウン追悼で2時間お送りします。コメント・ゲストに音楽評論家でドナ・サマー、ジョルジオ・モローダーにインタヴューしている村岡裕司さんをお迎えします。
ラジコでも。
http://radiko.jp/player/player.html#INT
■ドナ・サマー『ラヴ・トゥ・ラヴ・ユー・ベイビー』 すべてはここから始まった
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001F9M/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000CBNZTU/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■バッド・ガールズ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001F8N/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
■最新作『クレヨン』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0018Q7I6E/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
OBITUARY>Summer, Donna (December 31, 1948 – May 17, 2012, 63-year-old)
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