●ボブ・バビット(ファンク・ブラザーズ)ベース奏者死去

【Bob Babbitt Dies At 74】

訃報。

モータウンのヒット曲をバックで支えたファンク・ブラザーズの一員として多くのモータウン・ヒットや、その他のソウル・ヒットでベースをプレイしてきた名ベース奏者、ボブ・バビットが2012年7月16日(月)午前7時15分(日本時間17日午後9時15分)テネシー州ナッシュヴィルの病院で死去した。74歳。しばらく脳腫瘍を患っておりその合併症で死去。モータウンのヒットだけでなく、他のソウル、ポップ・ヒットでもプレイし、彼がプレイしたトップ40ヒットは、200曲以上におよぶという。

2002年映画『スタンディング・イン・ザ・シャドーズ・オブ・モータウン(邦題、永遠のモータウン)』でボブはファンク・ブラザーズの一員として脚光を浴びた。また、2004年、同グループはグラミー賞「ライフタイム・アチーヴメント賞」受賞。また、ほかに同映画のサントラは、2002年度グラミー賞2部門を受賞している。

ボブの姿も映る傑作ドキュメンタリー『永遠のモータウン』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00062RJ9C/soulsearchiho-22/ref=nosim/

デトロイトニューズ
http://www.detroitnews.com/article/20120716/ENT09/207160405/1361/Motown-bassist-and-Funk-Brother-Bob-Babbitt-dies-at-74

評伝。

ボブ・バビットは1937年11月26日、ペンシルヴェニア州ピッツバーグにハンガリー人の両親の元に生まれた。本名、ロバート・クレイナー。十代の頃からベースをプレイ。ハイスクール12年生の頃ピッツバーグ大学から奨学金がもらえることになったが、ちょうどそのとき、父親が亡くなり、母親をサポートするために大学進学をあきらめ、仕事をすることにした。ところが、ピッツバーグにはあまりいい仕事がなかったため、叔父をたよりにデトロイトに移り、そこで昼間働きながら夜はクラブなどで演奏を始めるようになった。地元よりデトロイトのほうが倍以上の給料が出たという。まもなくデトロイトで多くのレコーディングに誘われるようになる。

出発。

一番古いレコーディングは1961年のロイヤルトーンズの「フラミンゴ・エクスプレス」。これはまったくヒットはしなかったが、1963年、当時の人気シンガー、デル・シャノンのツアー・メンバーになり、同時にレコーディングにも参加するようになった。デル・シャノンは「ランアウェイ」(1961年、全米ナンバーワン)で有名。

デル・シャノンのヒットとしては、「リトル・タウン・フラート」(1962年)、「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ダンス」(1964年)、「ハンディ・マン」(1964年)などでベースをプレイ。

1965年までにはデトロイトのレコーディング・セッションでよく声がかかるようになり、エドウィン・スターの「エージェント・ダブル・オー・ソウル」(1965年)、「ヘッドライン・ニューズ」、リトル・カール・カールトンの「コンペティション・エイント・ナッシング・ヤオール」、キャピトルズの大ヒット「クール・ジャーク」(1966年)などに参加。当時はまだヴォーカル・グループだったジョージ・クリントンのパーラメント初期の作品でもプレイしている。

Capitols: Cool Jerk ベースから始まる
http://youtu.be/HirUx_XcMQc



1966年頃からモータウンのハウス・バンド、「ファンク・ブラザーズ」の一員となり、多数のモータウン・ヒットでプレイ。当時モータウンにはベース奏者として天才的なジェームス・ジェマーソンがいたが、ジェマーソンがレコーディングに来られないときに、ボブに声がかかった。

ファンク・ブラザーズ。

モータウン時代には、スティーヴィーの「サインド・シールド・デリヴァード・アンド・アイム・ユアーズ」(1970年)、「ウィ・キャン・ワーク・イット・アウト」(1971年)、テンプテーションズの「ボール・オブ・コンフュージョン」(1970年)、「ロウ・オブ・ザ・ランド」(1973年)、マーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイング・オン』のアルバム中「マーシー・マーシー・ミー」と「インナー・シティー・ブルーズ」(1971年)、ミラクルズの「ティアーズ・オブ・ア・クラウン」(1970年)、エドウィン・スターの「ウォー」(1970年)、グラディス・ナイト&ザ・ピップスの「イフ・アイ・ワー・ユア・ウーマン」(1970年)などをプレイ。

モータウン以外でも同じくデトロイトのホットワックス/インヴィクタス・レーベル所属のフリーダ・ペイン、100プルーフなどの作品にも参加。デトロイトのヒットとして有名なデニス・コフィーの「スコーピオ」(1971年)、「ターラス」(1972年)もボブのベースだ。

Dennis Coffey : Scorpio (2分すぎあたりからのベースソロがボブ)

http://youtu.be/KBn_oUH8Uo0



ニューヨーク。

1973年アリフ・マーディンらの誘いでデトロイトから本拠をニューヨークに移し、ニューヨーク、さらにフィラデルフィアのレコーディング・セッションにも参加するようになった。

ニューヨークでの最初のセッションがアリフのてがけるベット・ミドラー、バリー・マニロウだった。

この時期には、モータウンを離れたグラディス・ナイト&ザ・ピップスの「ミッドナイト・トレイン・トゥ・ジョージア」、ダイアナ・ロスの「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」、スピナーズの「セイディー」「ゲームス・ピープル・プレイ」、「ゼン・ケイム・ユー」、「ラバー・バンド・マン」、ベンEキングの「スーパー・ナチュラル・シング」、グロリア・ゲイナーの「ネヴァー・キャン・セイ・グッドバイ」、バリー・マニローの「コパカバーナ」(ロング・ヴァージョン)、キャロル・ダグラスの「ドクターズ・オーダー」、エルトン・ジョンの「ママ・キャント・バイ・ユア・ラヴ」、レイ・グッドマン&ブラウンの「スペシャル・レディー」など多数におよぶ。

Diana Ross : Touch Me In The Morning
http://youtu.be/M4mWbusuTHA



Ben E King : Supernatural Thing
http://youtu.be/8DboYRXmhrc



ソウル以外でもジム・クローチの「アイ・ガッタ・ア・ネーム」、アリス・クーパーなどにも参加。

Jim Croce : I Got A Name
http://youtu.be/Xqky3rtT1ao



「カメレオン・ボブ」。

この頃、ボブはプロデューサーたちのジェームス・ジェマーソンやチャック・レイニー、ジョー・オズボーンのように弾いてくれ、という注文にうんざりし始めていた。そして、ボブはそれが出来たのだが、徐々に悩み始め、ソウル・サーチンし始める。「プロデューサーがそういうものを望むなら、それをやってやろうじゃないか」といった考え方に傾いていく。そして、彼についたニックネームが「カメレオン・ボブ」だ。どんなスタイルでもプレイできる変幻自在のベース奏者という意味だ。

そんな中で自分のベースプレイがよく出た曲として、彼が上げるのが、ダイアナ・ロスの「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」、スピナーズ&ディオンヌ・ワーウィックの「ゼン・ケイム・ユー」、グラディス・ナイト&ザ・ピップスの「ミッドナイト・トレイン・トゥ・ジョージア」、エルトン・ジョンの「ママ・キャント・バイ・ユア・ラヴ」、そして、デニス・コーフィーの「スコーピオ」だという。「スコーピオ」の30秒程度のベース・ソロはまさにボブそのものだ。

しかし、70年代後期を迎えると徐々にスタジオの仕事が減り、逆にアーティストのツアーの仕事が多数舞い込むようになる。この時期、ハービー・マン、スタンリー・タレンタインなどとツアーに出たりした。

さらに80年代中ごろになると、リアル・ミュージシャンへの需要が減ってくる。しかし、あるところにはまだ需要があった。それがカントリー・ミュージックの中心地ナッシュヴィルだった。1986年、ナッシュヴィルに移住。しかし、なかなかその中には入り込みづらかった。

ツアー以外で地元にいるときには、ナッシュヴィルで結成したR&Bバンドでプレイしていたという。

Elton John : Mama Can’t Buy Your Love (Thom Bell Session)
http://youtu.be/fw1ulSbMBiw



ゴールド・ディスク。

ボブは多くのレコードでベースをプレイし、20以上のゴールド・ディスクをレコード会社から貰った。しかし、モータウンからは一度もゴールド・ディスクを貰ったことはない、という。皮肉なことにボブのプレイは、モータウン時代のヒットでもっともよく知られているのだが。

そんな彼も、2002年映画『スタンディング・イン・ザ・シャドーズ・オブ・モータウン(邦題、永遠のモータウン)』で、他のファンク・ブラザーズのメンバーとともに、やっと陽の目を見ることになった。この映画で彼はインタヴューに答え、ベースをプレイし、かつての仲間と昔話に花を咲かせた。

映画の世界的なヒットによりファンク・ブラザーズは脚光を浴び、2006年、初来日したが、残念ながらこのときボブは帯同していない。

ピッツバーグから仕事のあるデトロイトに移り、ここでミュージシャンとしての地位を確立。ニューヨークに出て、超売れっ子ミュージシャンに。しかし、そのスタイルについて悩みソウル・サーチンし、また、仕事が減ったことから次の音楽都市ナッシュヴィルへ移住。最後は、映画『永遠のモータウン』で最高の栄誉を得た。

ボブは妻と3人の子供によって送られる。

ご冥福をお祈りします。

■ボブがプレイした主なヒット

1961“FLAMINGO EXPRESS”ROYALTONES
1963 "LITTLE TOWN FLIRT" DEL SHANNON
1963 “DO YOU WANT TO DANCE”DEL SHANNON
1964 “HANDY MAN”DEL SHANNON
1964 “I GO TO PIECES”DEL SHANNON
1964 “KEEP SEARCHIN”DEL SHANNON
1964 “OUR FADED LOVE”ROYALTONES
1965 “AGENT 00 SOUL”EDWIN STARR
1965 “COMPETITION AIN’T NOTHING YA’LL”LITTLE CARL CARLTON
1965 “HEADLINE NEWS”EDWIN STARR
1965 “STRANGER IN TOWN” DEL SHANNON
1966 “COOL JERK”CAPITOLS
1966 “DAYTRIPPER”J.J. BARNES
1966 “I’LL LOVE YOU FOREVER”HOLIDAYS
1966 "I’M INTO SOMETHING AND I CAN’T SHAKE IT LOOSE" PAT LEWIS
1966 “I LOVE YOU 1,000 TIMES”PLATTERS
1966 “LOVE MAKES THE WORLD GO ROUND”DION JACKSON
1966 “OH HOW HAPPY”SHADES OF BLUE
1966 “OPEN THE DOOR TO YOUR HEART”DARRELL BANKS
1966“REAL HUMDINGER”J.J. BARNES
1966 “SHOWTIME”DETROIT EMERALDS
1966 “S.O.S.” (STOP HER ON SIGHT)EDWIN STARR
1966 “TOAST TO YOU”EMANUEL LASKEY
1967 “ALL YOUR GOODIES ARE GONE”PARLIAMENTS
1967 “BLESS YOU”PRECISIONS
1967 “I JUST WANN’A TESTIFY”PARLIAMENTS
1967 “STAND BY ME”SPIDER TURNER
1967 “WITH THIS RING”PLATTERS
1968 “END OF THE ROAD”MARVIN GAYE
1968 “I’LL BET YOU”FUNKADELIC
1969 “MIND BODY AND SOUL”FLAMING EMBERS
1969 “SOMEBODY’S BEEN SLEEPING IN MY BED”100 PROOF
1970 “BALL OF CONFUSION”TEMPTATIONS
1970 “BAND OF GOLD”FREDA PAYNE
1970 “GIVE ME JUST A LITTLE MORE TIME”CHAIRMAN OF THE BOARD
1970 “I’M NOT YOUR BROTHER’S KEEPER”FLAMING EMBERS
1970 “INDIANA WANTS ME”R. DEAN TAYLOR
1970 “LAW OF THE LAND”TEMPTATIONS
1970 “LEAVIN’ HERE”EDDIE HOLLAND
1970 “LOSING YOU”RARE EARTH
1970 “SIGNED, SEALED, DELIVERED (I’M YOURS)” (GRAMMY NOMINEE)STEVIE WONDER
1970 “STONED LOVE”SUPREMES
1970 “TEARS OF A CLOWN”SMOKEY ROBINSON
1970 “UNITE THE WORLD”TEMPTATIONS
1970 “WAR” (GRAMMY NOMINEE)EDWIN STARR
1970 “WE CAN WORK IT OUT”STEVIE WONDER
1970 “WESTBOUND #9”FLAMING EMBERS
1970 "TEARS OF A CROWN" SMOKEY ROBINSON
1970 “YOU GOT TO CRAWL BEFORE YOU WALK”8TH DAY
1971 “BRING THE BOYS HOME”FREDA PAYNE
1971 “IF I WERE YOUR WOMEN”GLADYS KNIGHT & THE PIPS
1971 “INNER CITY BLUES” (GRAMMY NOMINEE)
FROM GRAMMY NOMINEE ALBUM “WHAT’S GOING ON”MARVIN GAYE
1971 “MERCY MERCY ME” (GRAMMY NOMINEE) FROM GRAMMY NOMINEE ALBUM “WHAT’S GOING ON”
ONE OF THE TOP 5 ALL-TIME ALBUMS RECORDED IN MUSIC HISTORYMARVIN GAYE
1971 “SMILING FACES”UNDISPUTED TRUTH
1971 “SURRENDER”DIANA ROSS
1972 “FLOY JOY”SUPREMES
1972 “MASTERPIECE”TEMPTATIONS
1972 “SCORPIO”DENNIS COFFEY
1972 “SUPER STAR”TEMPTATIONS
1972 “TAURUS”DENNIS COFFEY
1973 “I GOT A NAME” (Single version)JIM CROCE
1973 “MIDNIGHT TRAIN TO GEORGIA” (GRAMMY WINNER)GLADYS KNIGHT & THE PIPS
1973 “PLASTIC MAN”TEMPTATIONS
1973 “SOME GUYS HAVE ALL THE LUCK”PERSUADERS
1973 “TOUCH ME IN THE MORNING” (GRAMMY NOMINEE)DIANA ROSS
1974 “I FEEL A SONG”GLADYS KNIGHT & THE PIPS
1974 “SADIE”SPINNERS
1974 “THEN CAME YOU (GRAMMY NOMINEE)DIONNE WARWICK & THE SPINNERS
1974 “WHERE PEACEFUL WATERS FLOW”GLADYS KNIGHT & THE PIPS
1975 “BABY FACE”WING AND A PRAYER(DRUM & FIFE CORPS)
1975 “CRASH LANDING” (ALBUM)JIMI HENDRIX
1975 “DYNOMITE”BAZUKA
1975 “EASE ON DOWN THE ROAD”STEPHANIE MILLS
1975 “GAMES PEOPLE PLAY”SPINNERS
1975 “GET DOWN ON THE FLOOR”JOE SIMON
1975 “HOW DO YOU FEEL THE MORNING AFTER”MILLIE JACKSON
1975 “KISS AND SAY GOODBYE”THE MANHATTANS
1975 “LOVE OR LEAVE”SPINNERS
1975“MIDNIGHT LIGHTNING” (ALBUM)JIMI HENDRIX
1975 “NEVER CAN SAY GOODBYE”GLORIA GAYNOR
1975 “OUR DAY WILL COME”FRANKIE VALLI
1975 “SUPER NATURAL THING”BEN E. KING
1976 “BRANDY”O’JAYS
1976 “CUPID”TONY ORLANDO & DAWN
1976 “I LIKE DREAMIN’”KENNY NOLAN
1976 “JUST DON’T WANT TO BE LONELY”MAIN INGREDIENT
1976 “RUBBER BAND MAN” (GRAMMY NOMINEE)SPINNERS
1977 “AFTER THE LOVIN” (GRAMMY NOMINEE)ENGELBERT HUMPERDINK
1977 “GO TO HELL”ALICE COOPER
1977 “YOU AND ME”ALICE COOPER
1977 “YOUR THROWING A GOOD LOVE AWAY”SPINNERS
1978 “ANIMAL HOUSE”STEPHEN BISHOP
1978 “COPACABANA” (LONG VERSION)BARRY MANILOW 1978  (註)これはウィル・リーかもしれません。ただボブは「ロング・ヴァージョン」と書いているので、こちらはボブなのかもしれません。
1978 “DOCTOR’S ORDERS”CAROL DOUGLAS
1978 “EVERY KIND OF PEOPLE”ROBERT PALMER
1978 “READY TO TAKE A CHANCE” (OSCAR NOMINEE FILM, “FOUL PLAY”)BARRY MANILOW
1978 BARRY MANILOW
1978 “VENUS (DANCE VERSION)”FRANKIE AVALON
1979 “I DO THE ROCK”TIM CURRY
1979 “MAMA CAN’T BUY YOU LOVE”ELTON JOHN
1981 “SILLY”DENICE WILLIAMS
1982 “IT’S GONNA TAKE A MIRACLE”DENICE WILLIAMS
1984 “SPECIAL LADY”RAY, GOODMAN, & BROWN
1994 “I’M GONN’A MARRY MY MOTHER IN-LAW” W.C. HANDY AWARD FOR BLUES SONG OF THE YEAR
ARTIE “BLUES BOY” WHITE
1995 “ODEMAN”BJORN JENS
1996 “QUEEN OF THE NIGHTS”BJORN JENS
1998 “LONELY WOMAN”BJORN JENS
2000“SEND ME BACK HOME”BJORN JENS
2002 “KICKIN’ UP NEW DUST”BJORN JENS & JIMMY STATEN
2004 WHAT A MAN WILL DO”BIG AL DOWNING With TERESA COLLIER
2006"IT TAKES TWO" [Top Notch] (Bass & Co-Producer)WHITNEY WOLANIN
2006 "Call Noah" [Bob Records]SCAT
2006 "CHRISTMAS (THE WARMEST TIME OF THE YEAR" [Top Notch] (Bass & Co-Producer)WHITNEY WOLANIN
2006 "FROSTY THE SNOWMAN" [Top Notch] (Bass & Co-Producer)WHITNEY WOLANIN
2006 "LOVE TRAIN" [Soul Renaissance Records] (Bass)MASTERS OF FUNK, SOUL & BLUES, FEATURING BOBBY TAYLOR

OBITUARY>Babbitt, Bob (November 26,1937 - July 16, 2012、74 Year-Old)

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