●追悼・ボブ・バビット~6ディケード愛されたベースマン (パート2)
2012年7月19日 音楽●追悼・ボブ・バビット~6ディケード愛されたベースマン (パート2)
【A Tribute To Bob Babbitt】
追悼。
7月16日に亡くなったボブ・バビットの活躍ぶりは、昨日の評伝でご紹介したとおり、大変なもの。彼がプレイした作品の一部をご紹介したが、ものすごい数の曲でプレイしている。僕もユーチューブやCDを引っ張り出して、彼の作品を聴き続けた。
ボブ・バビットの名前を最初に知ったのは、スピナーズかなにかフィラデルフィアの作品群だった。トム・ベルやその他のフィラデルフィア作品で名前がよく出るようになり、最初はフィラデルフィアの人かと思った。1970年代中ごろのことだ。
しかし、まもなく彼がそれより前にデトロイトで元モータウンのスタジオ・ミュージシャンをしていたことを知る。ところがモータウン作品は、クレジットを出さないので、どれが彼かはわからない。唯一あったのが、マーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイング・オン』のアルバムだ。これは、ブラック・ミュージックの歴史でほぼ最初にバックのミュージシャン・クレジットを載せたアルバムだ。
70年代半ばではジェームス・ジャマーソンのこともわからなかった。ジェマーソンの名前が脚光を浴びるのは、1983年8月2日に死去する前後から。確か、その前後、ビルボードのネルソン・ジョージがジェマーソンの記事を書いていて、その存在の大きさを知った。それでももう30年近く前か。その後書籍『Standing In The Shadow Of Motown』が1989年に出版され、一挙にジェマーソンについて注目が集まる。その後2002年にこれが映画化され、ファンク・ブラザーズの存在が知られるようになる。ボブ・バビットの動く姿を見るのは、映画が初めてだった。
1960年代後期あたりから、ボブ・バビットは、ジェマーソンの後釜的存在になっていくわけだが、それはジェマーソンが酒びたりでレコーディング・セッションに現れなかったりして、その代役として起用された。
ボブは、ジェマーソンのプレイをスタジオで見ていた時期があった。その間にボブはジェマーソンのプレイを相当学んだ。そして、モータウンのファンク・ブラザーズの一員として多くのヒットを支えた。
ボブはベース奏者として、ジェマーソンのようにめちゃくちゃ印象的なフレーズを残したり、これこそ「ボブ節」といったプレイを残しているわけではない。そここそ、彼が「ソウル・サーチン」した真髄だが、プロデューサーの希望に従って、なんでもプレイできたところが彼のすごいところ。
そんな中でも、昨日の評伝でご紹介した、彼自身が自分のプレイが出来ているという曲はやはり印象的だ。彼はあげてなかったがキャピトルズの「クール・ジャーク」などは、とても印象的なフレーズだ。
そして、「どんなに素晴らしいベストのパフォーマンスを見せても、そのプレイヤーが偉そうな態度を取ったりしている連中とは誰も一緒にやりたがらない」と彼が言うように、ミュージシャンとしての人間付き合いの重要性をつくづく感じていた。彼が1960年代から現在まで「6ディケード」にわたって、周囲のプロデューサーや仲間のアーティスト、ミュージシャンから慕われ、愛されてきたゆえんである。
映画『永遠のモータウン(Standing In The Shadows Of Motown)』の中で、デトロイトで暴動が起こったときに、周囲の黒人のミュージシャン仲間が「お前はブラザー(兄弟)だ」(仲間だからな、という意味)と慕ってくれ、ボブが涙ぐむシーンがある。まさにボブらしいエピソードだ。
ゴー・イースト。
モータウンがそのオペレーションをデトロイトからロスアンジェルスに移すときに、デトロイトのミュージシャンたちは二分された。地元に残る者、ロスに行く者。ところが、ボブは友人に「東に行け」と言われ、ニューヨークに行った。これもまた、彼の人生の転機だった。きっと彼がピッツバーグ出身だということもあったのだろう。
ニューヨーク、正確にはニュージャージーのスタジオで、これもまた、元モータウンのトニー・キャミロのプロデュースでリリースされた「一発ヒット」。
ロング・ヴァージョンがユーチューブにあがっていたのでご紹介。これは、当時六本木の「エンバシー」でよくかけたなあ。
http://youtu.be/3wPbyDyDoIo
そのモータウン時代の仲間だったトミーとボブ。その路線でブッダに移籍したグラディス・ナイト&ザ・ピップスをトミーがプロデュースすることになり、ボブのベースが起用され、「ミッドナイト・トレイン・トゥ・ジョージア」がレコーディングされた。ご縁がつながる。
昨日の評伝で書きそびれたが、デトロイト時代だったか、ミュージシャンだけで食えないときに、一時期彼はその立派な体格を使い、プロレスラーをやっていたこともあるという。ただとてもあわずに、すぐにやめたそうだ。
下記にご紹介するインタヴューで、ボブは将来ナッシュヴィルにやってきてベース奏者、ミュージシャンとなる人へのアドヴァイスを語る。先輩は「(ナッシュヴィルに)来るな。この業界に入ってくるな」と言ったのを読んだそうだが、彼はこうアドヴァイスする。
“Satisfy your soul, follow your heart.”(自身のソウルを満たして、自分の気持ちに従え)
彼の人生も本当に「ソウル・サーチン」な人生だったと思う。
彼自身のインタヴュー映像。(パート3まであります)
Bob Babbitt Interview Part 1(5分58秒)
http://youtu.be/5vAtYwfM6tY
Bob Babbitt Interview Part 2(8分03秒)
http://youtu.be/-Il9iouwhc4
“Satisfy your soul, follow your heart.”(1分11秒あたり)
Bob Babbitt Interview Part 3(7分21秒)
http://youtu.be/uBo8H5GFMAw
+++++
次回、日曜の「ソウル・サーチン」ではボブ・バビット追悼特集をおおくりします。
2012年7月22日(日曜)『ソウル・ブレンズ』(関東地区・インターFM、76.1mhz、午後2時~4時)「ソウル・サーチン」は3時半から。
関東地区の方は、ラジコでも聴けます。
http://radiko.jp/player/player.html#INT
(この項、続きます)
■ 『永遠のモータウン』ドキュメンタリー映画、DVD(この映画は泣ける)
Babbitt, Bob (1937 – 2012)
【A Tribute To Bob Babbitt】
追悼。
7月16日に亡くなったボブ・バビットの活躍ぶりは、昨日の評伝でご紹介したとおり、大変なもの。彼がプレイした作品の一部をご紹介したが、ものすごい数の曲でプレイしている。僕もユーチューブやCDを引っ張り出して、彼の作品を聴き続けた。
ボブ・バビットの名前を最初に知ったのは、スピナーズかなにかフィラデルフィアの作品群だった。トム・ベルやその他のフィラデルフィア作品で名前がよく出るようになり、最初はフィラデルフィアの人かと思った。1970年代中ごろのことだ。
しかし、まもなく彼がそれより前にデトロイトで元モータウンのスタジオ・ミュージシャンをしていたことを知る。ところがモータウン作品は、クレジットを出さないので、どれが彼かはわからない。唯一あったのが、マーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイング・オン』のアルバムだ。これは、ブラック・ミュージックの歴史でほぼ最初にバックのミュージシャン・クレジットを載せたアルバムだ。
70年代半ばではジェームス・ジャマーソンのこともわからなかった。ジェマーソンの名前が脚光を浴びるのは、1983年8月2日に死去する前後から。確か、その前後、ビルボードのネルソン・ジョージがジェマーソンの記事を書いていて、その存在の大きさを知った。それでももう30年近く前か。その後書籍『Standing In The Shadow Of Motown』が1989年に出版され、一挙にジェマーソンについて注目が集まる。その後2002年にこれが映画化され、ファンク・ブラザーズの存在が知られるようになる。ボブ・バビットの動く姿を見るのは、映画が初めてだった。
1960年代後期あたりから、ボブ・バビットは、ジェマーソンの後釜的存在になっていくわけだが、それはジェマーソンが酒びたりでレコーディング・セッションに現れなかったりして、その代役として起用された。
ボブは、ジェマーソンのプレイをスタジオで見ていた時期があった。その間にボブはジェマーソンのプレイを相当学んだ。そして、モータウンのファンク・ブラザーズの一員として多くのヒットを支えた。
ボブはベース奏者として、ジェマーソンのようにめちゃくちゃ印象的なフレーズを残したり、これこそ「ボブ節」といったプレイを残しているわけではない。そここそ、彼が「ソウル・サーチン」した真髄だが、プロデューサーの希望に従って、なんでもプレイできたところが彼のすごいところ。
そんな中でも、昨日の評伝でご紹介した、彼自身が自分のプレイが出来ているという曲はやはり印象的だ。彼はあげてなかったがキャピトルズの「クール・ジャーク」などは、とても印象的なフレーズだ。
そして、「どんなに素晴らしいベストのパフォーマンスを見せても、そのプレイヤーが偉そうな態度を取ったりしている連中とは誰も一緒にやりたがらない」と彼が言うように、ミュージシャンとしての人間付き合いの重要性をつくづく感じていた。彼が1960年代から現在まで「6ディケード」にわたって、周囲のプロデューサーや仲間のアーティスト、ミュージシャンから慕われ、愛されてきたゆえんである。
映画『永遠のモータウン(Standing In The Shadows Of Motown)』の中で、デトロイトで暴動が起こったときに、周囲の黒人のミュージシャン仲間が「お前はブラザー(兄弟)だ」(仲間だからな、という意味)と慕ってくれ、ボブが涙ぐむシーンがある。まさにボブらしいエピソードだ。
ゴー・イースト。
モータウンがそのオペレーションをデトロイトからロスアンジェルスに移すときに、デトロイトのミュージシャンたちは二分された。地元に残る者、ロスに行く者。ところが、ボブは友人に「東に行け」と言われ、ニューヨークに行った。これもまた、彼の人生の転機だった。きっと彼がピッツバーグ出身だということもあったのだろう。
ニューヨーク、正確にはニュージャージーのスタジオで、これもまた、元モータウンのトニー・キャミロのプロデュースでリリースされた「一発ヒット」。
ロング・ヴァージョンがユーチューブにあがっていたのでご紹介。これは、当時六本木の「エンバシー」でよくかけたなあ。
http://youtu.be/3wPbyDyDoIo
そのモータウン時代の仲間だったトミーとボブ。その路線でブッダに移籍したグラディス・ナイト&ザ・ピップスをトミーがプロデュースすることになり、ボブのベースが起用され、「ミッドナイト・トレイン・トゥ・ジョージア」がレコーディングされた。ご縁がつながる。
昨日の評伝で書きそびれたが、デトロイト時代だったか、ミュージシャンだけで食えないときに、一時期彼はその立派な体格を使い、プロレスラーをやっていたこともあるという。ただとてもあわずに、すぐにやめたそうだ。
下記にご紹介するインタヴューで、ボブは将来ナッシュヴィルにやってきてベース奏者、ミュージシャンとなる人へのアドヴァイスを語る。先輩は「(ナッシュヴィルに)来るな。この業界に入ってくるな」と言ったのを読んだそうだが、彼はこうアドヴァイスする。
“Satisfy your soul, follow your heart.”(自身のソウルを満たして、自分の気持ちに従え)
彼の人生も本当に「ソウル・サーチン」な人生だったと思う。
彼自身のインタヴュー映像。(パート3まであります)
Bob Babbitt Interview Part 1(5分58秒)
http://youtu.be/5vAtYwfM6tY
Bob Babbitt Interview Part 2(8分03秒)
http://youtu.be/-Il9iouwhc4
“Satisfy your soul, follow your heart.”(1分11秒あたり)
Bob Babbitt Interview Part 3(7分21秒)
http://youtu.be/uBo8H5GFMAw
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次回、日曜の「ソウル・サーチン」ではボブ・バビット追悼特集をおおくりします。
2012年7月22日(日曜)『ソウル・ブレンズ』(関東地区・インターFM、76.1mhz、午後2時~4時)「ソウル・サーチン」は3時半から。
関東地区の方は、ラジコでも聴けます。
http://radiko.jp/player/player.html#INT
(この項、続きます)
■ 『永遠のモータウン』ドキュメンタリー映画、DVD(この映画は泣ける)
Babbitt, Bob (1937 – 2012)
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