●キャデラックスのアール・“スピードー”・キャロル死去。コースターズにも参加

【Earl “Speedo” Carol Dies At 75: Lead Singer of Cadillacs】

訃報。

初期R&Bドゥー・ワップ・グループのひとつ、キャデラックスのリード・シンガー、アール・“スピードー”・キャロルが2012年11月25日(日)ニューヨークの介護施設(老人ホーム)で死去した。75歳。心臓発作、糖尿病などを患っていた。

キャロルは、1937年11月2日生まれ。1953年頃、ニューヨークで友人たちと当時はやりだった5人組ドゥー・ワップ・グループを結成。1954年にリリースされた「グローリア」はチャート・ヒットこそ果たさなかったが、その後多くのドゥー・ワップ・グループにカヴァーされ、ドゥー・ワップの名曲のひとつになった。ビリー・ジョエルの1993年のヒット「ザ・リヴァー・オブ・ドリームス」のエンディングでこの「グローリア」のワンフレーズが歌われる。

さらに、1956年1月から「スピードー」が初ヒット、ソウル・チャートで3位を記録。メンバーはいろいろ変わったが、キャロルはリード・シンガーとして活躍、1955年頃から独特の振り付けをつけた歌と踊りで人気を博すようになった。グループのラヴァーン・ドレイクが辞めた後釜にJRベイリー(1980年死去)が参加。このJRベイリーは1970年代にソロとしても作品を出す。

「スピードー」のニックネームは彼の行動がいつもマイペースでのんびりしていたため、人から「さあ、急げ、スピーディーにいけ」と言われていたことに由来する。

キャデラックスは映画『ゴー・ジョニー・ゴー』(1959年)に出演。その後彼らは似たタイプのグループ、コースターズと交流を深め、キャロルは1961年コースターズに合流。1963年まで参加した。キャデラックスは自然解散。

しかし、1970年、キャデラックスは一時期参加していたJRベイリーが主体となり再結成。このときのバックバンドのドラマーに、テディー・ペンダーグラスが参加していた。ペンダーグラスはその後1972年くらいまでにハロルド・メルヴィン&ブルーノーツにドラマーとして参加するようになった。

キャロルはコースターズやキャデラックスを行き来し活動。しかし、1980年代から2000年代まではニューヨークの公立高校87で用務員をしていたという。生徒からは有名な「スピードー」が働いているということで、人気だったそうだ。

キャデラックスは最初にカラフルなユニフォームを全員が着て、派手な振り付けがされたグループのひとつとされている。

日本でもシャネルズ(ラッツ&スター)が「ズーム」「スピードー」「スピードーズ・バック・イン・タウン」などをカヴァーし、キャデラックスの知名度アップに大きく貢献している。

キャデラックス 最大のヒット「スピードー」
The Cadillacs "Speedoo"

http://youtu.be/QBcZVTv7dHU



ドゥー・ワップ・クラシック「グローリア」
http://youtu.be/U28e4EEC2j4



Speedo by Speedo and the Cadillacs on Jan 22nd,LATEST SHOW

http://youtu.be/88-2SiNDYHo


これは珍しい映像。アール・キャロルがニューヨークのブッカーTハイスクールの卒業式典で一曲披露している。

Earl Carroll Sings "That’s What Friends Are For"
http://youtu.be/82qacDFeFO4



ビリー・ジョエルの「リヴァーズ・オブ・ドリームス」(ビデオでは黒人3人組のコーラス・グループを従え、ドゥー・ワップ風にアレンジしている)

http://youtu.be/hSq4B_zHqPM



■ベスト・オブ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000032SG/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

OBITUARY>Carol, “Speedo”, Earl, November 2, 1937 – November 25, 2012, 75 year old

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