●『シンディグ!』司会者ジム・オニール死去

【Jim O’Neill, Shindig! MC, Dies At 73】

訃報。

1964年9月から1966年1月まで全米で放送された音楽テレビ番組『シンディグShingdig!』の司会者、ジム・オニールが2013年1月11日(金)に死去した。ジムの娘がフェイスブックで明かした。1940年1月8日生まれ73歳とみられる。心臓に問題があり、糖尿病も長く患っていたという。

『シンディグ!』は、当時のポップやソウル・アーティストらがスタジオでヒット曲を歌い、ダンサーが派手に踊る番組。一足先に始まっていた『アメリカン・バンドスタンド』的な番組だ。しかし、『バンドスタンド』と違いいわゆるリップシンク(口パク)ではないのが大きな特徴。ハウスバンドが常駐していた。当初は毎週水曜日夜の30分番組だったが人気が出て、1時間番組となりそれを2パートに分けて火曜と木曜(土曜)に放送。その後再び30分番組に戻った。「シンディグ」は、「大騒ぎ」「ダンスをするにぎやかなパーティー」を意味する単語。

放送期間は『アメリカン・バンドスタンド』ほど長期にわたらなかったが、当時の若者カルチャーに多大な影響を与え、そのアーカイブ映像が今も残されている。ライノが1990年代に一時期映像作品をリリースしていた。

ジム・オニールはその司会者であり、脚本も書いていた。

番組のパイロット版(レギュラー番組になる前のお試し版。これで評判がよければレギュラーに昇格する)では、サム・クックが登場している。『シンディグ!』は、もともとABCで放送されていた『フーテナニー』という音楽番組のレーティング(視聴率)が、「ブリティッシュ・インヴェージョン」(ビートルズなどのイギリス・アーティストのアメリカ侵攻)のために落ちてきたため、急遽その「後番組」として企画されたものだった。

番組プロデューサー、ジャック・グッドはもともとイギリス人で、イギリス人の彼ゆえにビートルズ、ローリング・ストーンズらイギリス勢を出演させることができた。

『シンディグ!』は、その「ブリティッシュ・インヴェージョン」を、ロンドンのスタジオで収録。ローリング・ストーンズ、ビートルズらを番組に呼んで放送した。

番組には当時の人気アーティストが多数出演した。ソウル関連でもジェームス・ブラウン、サム・クック、アリーサ・フランクリン、マーヴィン・ゲイ、ドビー・グレイ、フォー・トップス、テンプスなどモータウン勢、ロック関連でエルヴィス、ライチャス・ブラザーズ、トニー・ベネット、イギリス勢でビートルズ、ローリング・ストーンズなどなど。

この『シンディグ!』の人気を見て、ライヴァル局のNBCは、1965年1月から似たタイプの『フラバルー Hullabaloo』という番組を開始。さらに他のプロダクションが『シヴァリー Shivaree』、『ハリウッド・ア・ゴー・ゴー Hollywood A Go-Go』といった類似番組を制作、放送され後に続いた。

『シンディグ!』には、「シンディガーズ」と呼ばれるダンサーが登場。毎回最新のダンスを披露していた。この振り付けはデイヴィッド・ウィンターズら。このダンサーの中からテリー・ガーはその後女優に。また、デイヴィッドのアシスタントをやっていたのが、アントニア・バシロッタといい、これが後に「ミッキー」の大ヒットを出すトニー・バジルだった。またハウスバンドは、「シンドッグ」と名乗るようになり、ここには若き日のグレン・キャンベル、ビリー・プレストン、デラニー・ブラムレット、ラリー・ネクテル、リオン・ラッセルらもいた。ドナ・ローレン、ジャッキー・デシャノン、ボビー・シャーマンらは比較的何度も登場したアーティストだった。

バックコーラスを担当したのはダーレン・ラヴを含むザ・ブロッサムズ。ダーレン・ラヴは、「ウォント・アズ」のヒットを放つハニー・コーンのリード・シンガー、エドナ・ライトの姉。

『シンディグ!』はそのフォーマットがひじょうに確立されていたために、多くのパロディーなどのモデルにされた。

SHINDIG #12 (1964) - [4of4] - Neil Sedaka, Tina Turner
http://youtu.be/IrTqACDpJkg



ニール・セダカがピアノを弾いて、ティナ・ターナーが歌う。

評伝。

ジム・オニールは、1940年1月8日オクラホマ州エニッド生まれ。ピッツバーグの小さなラジオ局KQVを経て、1959年まだ19歳でロスアンジェルスのラジオ局KRLA-AMでDJとなり、1960年には20歳で聴取率ナンバーワンを記録、これは当時最年少記録だったという。ここで62年まで活躍。さらにその人気を背景にナイトクラブ「パンドラズ・ボックス」をオープン。さらにこれが成功し、「ショーボード」「シェ・パリー」をオープン。1962年にはトークショーながらチャンネル13・KCOP局でテレビ・デビュー。1963年から1967年までラジオ局KFWBでDJ。その間の1964年9月からテレビ番組『シンディグ!』の司会となった。この番組は大ヒットし彼も人気スターとなったが、1966年1月の放送で終了。

プライヴェートでは1961年、シャロン・シーリー(1940年4月4日ロスアンジェルス生まれ、2002年5月17日シャーマンオークスで死去、62歳)と結婚。約5年結婚生活は続いた。シャロンは18歳でソングライターとしてリッキー・ネルソンの「プア・リトル・フール」の大ヒットを書いたことをきっかけに多数のロックンロール初期の作品を書くことになる。ジミーの前には、エディー・コクランのガールフレンドだった。シャロンとエディー・コクラン、ジーン・ヴィンセントは1960年4月17日、イギリスのウィルシュアで交通事故にあい、エディー・コクランは21歳の若さで死去。シャロン、ヴィンセントは生き残った。

ジミーは番組終了と同時期に最初の妻(シャロン)とも別れ、これにショックを受けた彼は自暴自棄となりアルコール依存症にまでなってしまった。1966年からしばらくは、仕事がなくあらゆる仕事をしたという。

その後1969年から71年までKDAY、1984年から85年にKRLA、同じくKRLAに1990年から93年までDJをしていた。

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Jimmy O’Neill, TV host of ’Shindig!’ featuring the Beatles and others, has died (Photos)

JIMMY O’NEILL JANUARY 13, 2013 BY: STEVE MARINUCCI

http://www.examiner.com/article/jimmy-o-neill-tv-host-of-shindig-featuring-the-beatles-and-others-has-died?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

OBITUARY>O’Neill, Jimmy (January 8, 1940 – January 11, 2013, 73 year old)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/6302043123/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

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