● シュガーフット(オハイオ・プレイヤーズ)69歳で死去~「オハイオ・ファンク」の雄
2013年1月29日 音楽●シュガーフット(オハイオ・プレイヤーズ)69歳で死去~「オハイオ・ファンク」の雄
【Leroy “Sugarfoot” Bonner Dies At 69】
訃報。
「オハイオ・ファンク」を代表するグループ、オハイオ・プレイヤーズのヴォーカル、ギター担当のシュガーフットことリロイ・ボナーが2013年1月26日(土)朝、オハイオ州デイトン・トロットウッドで死去した。69歳。癌を患っていた。親しい友人たちには単に「シュガー」「フット」とも呼ばれていた。シュガーフットズ・オハイオ・プレイヤーズのオフィシャル・フェイスブックに続いてオハイオのメディアでも27日に発表(日本時間28日)された。
Ohio Players frontman Leroy ‘Sugarfoot’ Bonner dies日本時間2013年1月28日(月)午前11時44分配信
http://www.daytondailynews.com/news/news/local/ohio-players-frontman-leroy-sugarfoot-bonner-dies/nT8BJ/
(速報) オハイオ・プレイヤーズのシュガーフット死去
2013年01月27日(日) 12時45分
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11457787580.html
オハイオ・プレイヤーズは、1970年代中期に「ファイアー」「ラヴ・ローラーコースター」などのファンク作品で大ヒットを放ち、一世を風靡した。オハイオ出身のファンク・バンドたちによる「オハイオ・ファンク」のシーンをリードしたバンド。また多くの作品がのちのヒップ・ホップ・アーティストによってサンプリングされている。ファンクの歴史の中でも一ページを記す重要なグループのひとつとなった。特にオハイオ・プレイヤーズは、ファンクとジャズの要素を巧みにブレンドしたサウンドがひじょうに特徴的でオハイオ・プレイヤーズの個性を形作った。
前回来日評↓
オハイオ・プレイヤーズ・ライヴ
2010年06月06日(日)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10554930961.html
シュガーフット・トークス
シュガーフットズ・オハイオ・プレイヤーズ(パート2)
2010年06月07日(月)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10556046804.html
シュガーフットとの会話の様子。
評伝。
「シュガーフット」ことリロイ・ボナーは、オハイオ・プレイヤーズの顔とも言える人物。1943年3月14日オハイオ生まれ。
オハイオ・プレイヤーズは1959年(昭和34年)、地元オハイオ州デイトンでロバート・ワード、マーシャル・ジョーンズ、クラレンス・サッチェル、ラルフ・ピーウィー・ミドルブルックス、コーネリアス・コンソンによって結成されたオハイオ・アンタッチャブルズが前身。1962年1月、オハイオ・アンタッチャブルズはロバート・ワードの親類が始めた「ルパイン・レコード」所属のファルコンズの「アイ・ファウンド・ア・ラヴ」のレコーディングでバックを務め、これは1962年6月にソウル・チャートで6位を記録。このファルコンズのリード・シンガーは、後に「ダンス天国」などの大ヒットを放つウィルソン・ピケットである。
オハイオ・アンタッチャブルズはルパインの他のアーティストのバックを録音したり、自らシングルを録音する。しかしヒットには至らず、ロバートはソロになり、一旦グループ活動は消滅する。
この頃残ったミドルブック、ジョーンズ、サッチェルの3人は新たにアンドリュー・ノーラン、グレッグ・ウェブスター、リロイ・シュガーフット・ボナー、ジョー・ハリスを迎え再度グループを結成。これを機にグループはオハイオ・プレイヤーズと改名。以来この名前で活動を続けた。
シュガーはこれ以降、オハイオ・プレイヤーズの主要メンバーとして活躍していく。
1967年、ジョニー・ブラントレーというマネージャーの尽力でコンパス・レコードと契約。ここからのシングル「トレスパッシング」が1968年にはソウル・チャート入り。シングルをもう一枚とアルバムをリリース。その後キャピトルに移籍、1969年、ここでもアルバムを出す。
シュガーフットによれば、彼らがここで録音した「オーヴァー・ザ・レインボウ」はジュディー・ガーランドの葬儀でかけられた」という。
1971年、デトロイトのインディ・レーベル、ウェストバウンドに移籍。1972年1月、アルバム「ペイン」をリリース。リード・ヴォーカルは、ウォルター・ジュニー・モリソン、他のメンバーはグレッグ・ウェブスター、アンドリュー・ノーランド、マーシャル・ジョーンズ、リロイ・ボナー、ラルフ・ミドルトン、ブルーズ・ネピア、マーヴィン・ピアース。このアルバム・ジャケットでは大胆に女性のヌード写真を採用。この路線が大成功の大きな要因のひとつにもなる。
以後ウェストバウンドで「ファンキー・ウォーム」などコンスタントにヒットを放ち、オハイオ・プレイヤーズは全国的な人気を高めていく。しかし、1973年までに金銭面でレコード会社ともめ、ウェストバウンドを辞め、1974年、マーキュリーに移籍。
マーキュリー。
1974年4月「ジャイヴ・ターキー」がリリースされすぐにヒット。これまでよりもはるかに大きなレヴェルで大ヒットが出るようになる。さらに、「スキン・タイト」がミリオン・セラーになり、「ファイアー」は全米1位を獲得。「ラヴ・ローラーコースター」、バラードの傑作「スイート・スティッキー・シングス」などが次々と大ヒット。当時はクール&ザ・ギャング、アース・ウィンド&ファイアーなどの大型グループが全盛だったこともあり、そうした流れの中で彼らも人気となった。
以後、1979年アリスタ、1981年ボードウォークなどレーベルを転々とするようになる。
1979年、ダイアモンド、クラレンス・チェット・ウィリス、ビリー・ベックの3人はオハイオ・プレイヤーズを脱退、シャドウを結成、3枚のアルバムをエレクトラからリリース。
一方、シュガーフットはザップのロジャーらとセッションの仕事をしたり、ビリーもシャーリー・マードックの「アズ・ウィ・レイ」(1986年)を共作したりとオハイオ・ファンク・シーンで活躍を続けた。1985年、ワーナーからシュガーフット名義のソロ・アルバム『シュガー・キス』も出した。これはザップ・ファミリーのサポートを得ている。
アルバム『スキン・タイト』収録の「ヘヴン・マスト・ビー・ライク・ディス」は後にディアンジェロがカヴァー。
シュガーフットはオハイオ・プレイヤーズから長く離れており、数年前に自身のバンドを再結成するときに、名前としてはオリジナル創始メンバーが持っていた「オハイオ・プレイヤーズ」が使えず、「シュガーフットズ・オハイオ・プレイヤーズ」という名義で活動するようになった。
オハイオ・プレイヤーズは1980年1月米軍横田基地のライヴで初来日。その後一般公演で1988年10月芝浦インクスティック、1989年か90年頃有明エムザ、1991年3月横浜バード(のちのベイホール)、1992年4月大阪ブルーノート、1995年9月日比谷野外音楽堂の「レッツ・グルーヴ95」。2010年6月ビルボード東京・大阪に来日。
過去在籍したメンバーで次の人たちが逝去している。
クラレンス・サッチ・サッチェル (サックス/ギター)(1940年4月15日~1995年12月30日)
ラルフ・ピー・ウィー・ミドルブルックス(トランペット/トロンボーン)(1939年8月20日~1997年11月15日)
ロバート・ワード (ヴォーカル/ギター)(1938年10月15日~2008年12月25日)
コーネリアス・ジョンソン(ドラムス)(1937年7月12日~2009年2月1日)
リロイ・シュガーフット・ボナー (ギター/ヴォーカル)(1943年3月14日~2013年1月26日)
■映像
Ohio Players – Fire シュガーフットがギターを弾きながらライヴで歌っているヴァージョン。これは長尺でなかなかすごい。テレビ番組『ミッドナイト・スペシャル』から。
http://youtu.be/Y47G-Wa4qfs
Ohio Players - Skin Tight 1975
http://youtu.be/K_M0k9ez_uI
Ohio Players "Love Rollercoaster"
http://youtu.be/aBkVV9xxCHE
Funky Worm
http://youtu.be/NEscJWErZ0I
■シュガーフット・ソロ『シュガーフット・キス』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004ODXUWY/soulsearchiho-22/ref=nosim
Skin Tight
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001G03/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
Honey
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001G07/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
Fire
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001G05/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
Angel + Jass-Ay-Lay=Dee の2枚を1枚のCDにしたもの
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0039L1JF2/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
ウェストバウンド時代の
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0083Q2K7Y/soulsearchiho-22/ref=nosim/
OBITUARY>Bonner, “Sugarfoot”, Leroy, (March 13, 1943 – January 26, 2013, 69 Year-old)
【Leroy “Sugarfoot” Bonner Dies At 69】
訃報。
「オハイオ・ファンク」を代表するグループ、オハイオ・プレイヤーズのヴォーカル、ギター担当のシュガーフットことリロイ・ボナーが2013年1月26日(土)朝、オハイオ州デイトン・トロットウッドで死去した。69歳。癌を患っていた。親しい友人たちには単に「シュガー」「フット」とも呼ばれていた。シュガーフットズ・オハイオ・プレイヤーズのオフィシャル・フェイスブックに続いてオハイオのメディアでも27日に発表(日本時間28日)された。
Ohio Players frontman Leroy ‘Sugarfoot’ Bonner dies日本時間2013年1月28日(月)午前11時44分配信
http://www.daytondailynews.com/news/news/local/ohio-players-frontman-leroy-sugarfoot-bonner-dies/nT8BJ/
(速報) オハイオ・プレイヤーズのシュガーフット死去
2013年01月27日(日) 12時45分
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11457787580.html
オハイオ・プレイヤーズは、1970年代中期に「ファイアー」「ラヴ・ローラーコースター」などのファンク作品で大ヒットを放ち、一世を風靡した。オハイオ出身のファンク・バンドたちによる「オハイオ・ファンク」のシーンをリードしたバンド。また多くの作品がのちのヒップ・ホップ・アーティストによってサンプリングされている。ファンクの歴史の中でも一ページを記す重要なグループのひとつとなった。特にオハイオ・プレイヤーズは、ファンクとジャズの要素を巧みにブレンドしたサウンドがひじょうに特徴的でオハイオ・プレイヤーズの個性を形作った。
前回来日評↓
オハイオ・プレイヤーズ・ライヴ
2010年06月06日(日)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10554930961.html
シュガーフット・トークス
シュガーフットズ・オハイオ・プレイヤーズ(パート2)
2010年06月07日(月)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10556046804.html
シュガーフットとの会話の様子。
評伝。
「シュガーフット」ことリロイ・ボナーは、オハイオ・プレイヤーズの顔とも言える人物。1943年3月14日オハイオ生まれ。
オハイオ・プレイヤーズは1959年(昭和34年)、地元オハイオ州デイトンでロバート・ワード、マーシャル・ジョーンズ、クラレンス・サッチェル、ラルフ・ピーウィー・ミドルブルックス、コーネリアス・コンソンによって結成されたオハイオ・アンタッチャブルズが前身。1962年1月、オハイオ・アンタッチャブルズはロバート・ワードの親類が始めた「ルパイン・レコード」所属のファルコンズの「アイ・ファウンド・ア・ラヴ」のレコーディングでバックを務め、これは1962年6月にソウル・チャートで6位を記録。このファルコンズのリード・シンガーは、後に「ダンス天国」などの大ヒットを放つウィルソン・ピケットである。
オハイオ・アンタッチャブルズはルパインの他のアーティストのバックを録音したり、自らシングルを録音する。しかしヒットには至らず、ロバートはソロになり、一旦グループ活動は消滅する。
この頃残ったミドルブック、ジョーンズ、サッチェルの3人は新たにアンドリュー・ノーラン、グレッグ・ウェブスター、リロイ・シュガーフット・ボナー、ジョー・ハリスを迎え再度グループを結成。これを機にグループはオハイオ・プレイヤーズと改名。以来この名前で活動を続けた。
シュガーはこれ以降、オハイオ・プレイヤーズの主要メンバーとして活躍していく。
1967年、ジョニー・ブラントレーというマネージャーの尽力でコンパス・レコードと契約。ここからのシングル「トレスパッシング」が1968年にはソウル・チャート入り。シングルをもう一枚とアルバムをリリース。その後キャピトルに移籍、1969年、ここでもアルバムを出す。
シュガーフットによれば、彼らがここで録音した「オーヴァー・ザ・レインボウ」はジュディー・ガーランドの葬儀でかけられた」という。
1971年、デトロイトのインディ・レーベル、ウェストバウンドに移籍。1972年1月、アルバム「ペイン」をリリース。リード・ヴォーカルは、ウォルター・ジュニー・モリソン、他のメンバーはグレッグ・ウェブスター、アンドリュー・ノーランド、マーシャル・ジョーンズ、リロイ・ボナー、ラルフ・ミドルトン、ブルーズ・ネピア、マーヴィン・ピアース。このアルバム・ジャケットでは大胆に女性のヌード写真を採用。この路線が大成功の大きな要因のひとつにもなる。
以後ウェストバウンドで「ファンキー・ウォーム」などコンスタントにヒットを放ち、オハイオ・プレイヤーズは全国的な人気を高めていく。しかし、1973年までに金銭面でレコード会社ともめ、ウェストバウンドを辞め、1974年、マーキュリーに移籍。
マーキュリー。
1974年4月「ジャイヴ・ターキー」がリリースされすぐにヒット。これまでよりもはるかに大きなレヴェルで大ヒットが出るようになる。さらに、「スキン・タイト」がミリオン・セラーになり、「ファイアー」は全米1位を獲得。「ラヴ・ローラーコースター」、バラードの傑作「スイート・スティッキー・シングス」などが次々と大ヒット。当時はクール&ザ・ギャング、アース・ウィンド&ファイアーなどの大型グループが全盛だったこともあり、そうした流れの中で彼らも人気となった。
以後、1979年アリスタ、1981年ボードウォークなどレーベルを転々とするようになる。
1979年、ダイアモンド、クラレンス・チェット・ウィリス、ビリー・ベックの3人はオハイオ・プレイヤーズを脱退、シャドウを結成、3枚のアルバムをエレクトラからリリース。
一方、シュガーフットはザップのロジャーらとセッションの仕事をしたり、ビリーもシャーリー・マードックの「アズ・ウィ・レイ」(1986年)を共作したりとオハイオ・ファンク・シーンで活躍を続けた。1985年、ワーナーからシュガーフット名義のソロ・アルバム『シュガー・キス』も出した。これはザップ・ファミリーのサポートを得ている。
アルバム『スキン・タイト』収録の「ヘヴン・マスト・ビー・ライク・ディス」は後にディアンジェロがカヴァー。
シュガーフットはオハイオ・プレイヤーズから長く離れており、数年前に自身のバンドを再結成するときに、名前としてはオリジナル創始メンバーが持っていた「オハイオ・プレイヤーズ」が使えず、「シュガーフットズ・オハイオ・プレイヤーズ」という名義で活動するようになった。
オハイオ・プレイヤーズは1980年1月米軍横田基地のライヴで初来日。その後一般公演で1988年10月芝浦インクスティック、1989年か90年頃有明エムザ、1991年3月横浜バード(のちのベイホール)、1992年4月大阪ブルーノート、1995年9月日比谷野外音楽堂の「レッツ・グルーヴ95」。2010年6月ビルボード東京・大阪に来日。
過去在籍したメンバーで次の人たちが逝去している。
クラレンス・サッチ・サッチェル (サックス/ギター)(1940年4月15日~1995年12月30日)
ラルフ・ピー・ウィー・ミドルブルックス(トランペット/トロンボーン)(1939年8月20日~1997年11月15日)
ロバート・ワード (ヴォーカル/ギター)(1938年10月15日~2008年12月25日)
コーネリアス・ジョンソン(ドラムス)(1937年7月12日~2009年2月1日)
リロイ・シュガーフット・ボナー (ギター/ヴォーカル)(1943年3月14日~2013年1月26日)
■映像
Ohio Players – Fire シュガーフットがギターを弾きながらライヴで歌っているヴァージョン。これは長尺でなかなかすごい。テレビ番組『ミッドナイト・スペシャル』から。
http://youtu.be/Y47G-Wa4qfs
Ohio Players - Skin Tight 1975
http://youtu.be/K_M0k9ez_uI
Ohio Players "Love Rollercoaster"
http://youtu.be/aBkVV9xxCHE
Funky Worm
http://youtu.be/NEscJWErZ0I
■シュガーフット・ソロ『シュガーフット・キス』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004ODXUWY/soulsearchiho-22/ref=nosim
Skin Tight
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001G03/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
Honey
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001G07/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
Fire
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001G05/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
Angel + Jass-Ay-Lay=Dee の2枚を1枚のCDにしたもの
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0039L1JF2/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
ウェストバウンド時代の
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0083Q2K7Y/soulsearchiho-22/ref=nosim/
OBITUARY>Bonner, “Sugarfoot”, Leroy, (March 13, 1943 – January 26, 2013, 69 Year-old)
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