● オハイオ・プレイヤーズ~シュガーフット追悼

(昨日からの続き)

【A Tribute To Sugarfoot: Ohio Players】

基地。

オハイオ・プレイヤーズは、ファンク軍団の中でも別格だ。あの洗練されたジャジーな長尺の曲、そして、グルーヴ感溢れるサウンド。ねばっこいヴォーカル。オハイオたちはアース、クール、Pファンクたちとも違う独自路線を切り開いてきた。これら4グループは、こうしたファンク・グループの中でもずば抜けていた。

彼らを初めて見たのが1980年1月。米軍横田基地のUSOクラブ(ユーエスオークラブ)だった。やはりソウル好きの誰かがオハイオ・プレイヤーズが基地に来るらしいということで、なんとか入れるように手配して、はるばる横田まで行った。チケット代は10ドルもしなかったと思う。ただ1980年だと1ドル230円くらいしていたので、2300円くらいにはなる。それでも日本で見るよりはかなり安いはずだ。

横田基地の中に入るのも初めてだったので、何もかも目を見張るような体験だった。なにしろ、基地の中は道が広くまるでアメリカのようだった。ドリンク代もドルで払う。会場のクラブは広いホールのようなところで、特段おしゃれな感じではないが、一段高いところにステージがあり、客はテーブルで食事や飲んだりしてライヴを見る。無造作にテーブルが並べられていて、テーブルとテーブルの間で余裕で踊れる感じだった。

オハイオ・プレイヤーズはばりばりの全盛期でもあったので、彼らの演奏はワイルドでファンキーだったことは覚えている。ただ「スイート・スティッキー・シング」を彼らが演奏しているときに、チーク・ダンスを客が踊っていたかどうかは覚えていない。さすがにセットリストは書き記していないので、何をどれくらいやったかは、もうほとんど覚えていない。

その後、僕はもう2-3度横田基地に入ることになる。1982年4月、FENを取材する機会に恵まれたときとアトランティック・スターをやはり基地内で見ることになったときだ。このときはUSOクラブではなく、飛行機の格納庫だった。他にコメディアン、シンバッドを見たがこれが横田か横須賀がはっきり覚えていない。このあたりの話はまた別の機会に。

オハイオ・プレイヤーズは、1970年代中期六本木のディスコ、エンバシーで週末DJをやっていたときに、本当によくヘヴィー・ローテーションでかけた。彼らのヒットのアップテンポの曲、「ファイアー」や「ラヴ・ローラーコースター」あたりははブラザーたちも日本人も踊った。だが、「スイート・スティッキー・シング」なんて、ブラザーたちは腰をくねらせながらゆっくりリズムに乗って踊っていが、あれは日本人は踊れなかった。もちろんチークを踊る場合もあったが。

噂。

アルバム『ハニー』が出たときのこと。アルバム・ジャケットは裸の女性モデルが蜂蜜をたっぷり口にいれようとしているところを撮影したものになっている。このジャケットを広げると見開きで蜂蜜にまみれたそのモデルが映っている。プレイボーイ誌で月刊プレイメイトになったというモデルをジャケットに起用していた。

しばらくしてこんな噂が出回った。この蜂蜜まみれのモデルが、撮影中に体中に蜂蜜を塗ったために皮膚呼吸ができなくなり、窒息死したという。そして、このアルバムからの大ヒット「ラヴ・ローラーコースター」の途中にそのときの悲鳴が入っているというストーリーだ。別のストーリーではスタジオでレコーディング中にこのモデルがナイフで刺されて死んだというもの。ジェット誌あたりにも載り、ケイシー・ケイスンも『アメリカン・トップ40』でその噂を紹介したほどだが、確かに「ラヴ・ローラーコースター」の中には女性の悲鳴風の声が入っている。(下記ユーチューブで2分33秒くらいのところ)

これが一時話題になったが、結局、モデルが死んだということはなく、メンバーがその噂を否定して決着する。おそらく、レコード会社あたりが、話題作りのためにそうしたネタを作ってうまくリークしたのだろう。当時はこれが広まるのにけっこう時間がかかったが、今だったらツイッターで1日もあれば、噂は全世界に広がるにちがいない。

「ラヴ・ローラーコースター」はその後レッド・ホット・チリ・ペッパーズがカヴァーしている。オハイオ・プレイヤーズ作品のヒップホップ・アーティストによるサンプリングは200件以上超えているという。

その後何度か来日し、1991年3月、今度は横浜バードでのライヴでやってきたときに横浜のホテルでメンバー3人にロング・インタヴューをした。シュガーフット、ジェームス・ダイアモンド・ウィリアムス、クラレンス・ウィルスの3人だ。比較的細かいことにも答えてくれ、これを元にオハイオ・プレイヤーズ・ストーリーを後に出るボックス・セットに書いた。

そして、2010年6月。シュガーフットと再会。ごきげんな爺さんになっていた。ドラムスのジェームス・ダイアモンドは、TV-ONEの『アンサング』の中で、シュガーフットがフロントマンになったことを指して、「彼は我々のミック・ジャガーみたいなものだ」と言った。

ご冥福をお祈りします。

■アメリカTV-ONEの『UNSUNG』(オハイオ・プレイヤーズの回)(約40分、英語)
http://www.dailymotion.com/video/xsdlou_unsung-documentary-the-ohio-players-generation-soul-disco-funk_music?start=248#.UQenxx003AU

■次回「ソウル・サーチン・レイディオ」(インターFM、76.1mhz日曜午後2時半~)では、シュガーフット追悼オハイオ・プレイヤーズをお送りする予定です。

■Love Rollercoaster (Studio Version)

この2分33秒あたりに悲鳴風の声。しかし、実はこれはメンバーのビリー・ベックだという。

http://youtu.be/etebeZDt7Eo



■ Love Rollercoaster 『ミッドナイト・スペシャル』でのライヴ・ヴァージョン。リロイがギターを弾きながら声を出すのが映っている

http://youtu.be/aBkVV9xxCHE



■記事

Ohio Players frontman, Leroy ‘Sugarfoot’ Bonner, is dead at 69
Voice behind ’Love Rollercoaster’ and other hits dominated ’70s funk

BY JIM FARBER / DAILY NEWS MUSIC CRITIC

PUBLISHED: MONDAY, JANUARY 28, 2013, 11:36 AM
UPDATED: MONDAY, JANUARY 28, 2013, 1:44 PM

http://www.nydailynews.com/news/national/ohio-player-dead-article-1.1249522#ixzz2JIaQ3wfi

http://www.nydailynews.com/news/national/ohio-player-dead-article-1.1249522

■噂が飛び出た『ハニー』

Honey

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001G07/soulsearchiho-22/ref=nosim/"

OBITUARY>Bonner, “Sugarfoot”, Leroy, (March 13, 1943 – January 26, 2013, 69 Year-old)

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