●ドナルド・バード80歳で死去~ジャズ・フュージョン・ヒップホップにも影響
2013年2月12日 音楽●ドナルド・バード80歳で死去~ジャズ・フュージョン・ヒップホップにも影響
【Donald Byrd Dies At 80】
訃報。
ジャズ・トランペッター、プロデューサー、教授でもあるドナルド・バードが2013年2月4日、現在居住していたデラウェア州で死去した。80歳。甥のミュージシャン、アレックス・ブーニョン(バグノン)が彼のフェイスブックで公表した。葬儀は2月11日の週にバードの生まれ故郷デトロイトで行なわれる予定。ブーニョン自身が葬儀を取り仕切るようだ。
ドナルド・バードの死去に関しては、2月1週目にその噂がインターネットを駆け巡り、否定するコメントも出たが、これはバードの親族の一部が死去の公表を躊躇したためとブーニョンが明らかにしている。現在のところ、レコード会社、マネージメント、大学などからのいわゆる公式な発表はないが、ネットの訃報記事はすべてこのブーニョンのフェースブック記事を元に書かれている。本来であれば、もうひとつ以上ダブル・チェックしたいところだが、ブーニョン自身がCDをリリースしている公人であるだけに、その信憑性は高い。
評伝。
ドナルド・バードは1932年12月9日デトロイト生まれ。初期ビーバップのトランペッターとして活動。ジャズからソウル、R&B、ファンクをまたぐ活躍を見せた。また、彼の作品群はヒップホップ、DJ系のアーティストたちからさかんにサンプリングなどされ、注目された。
ハイスクール時代からライオネル・ハンプトン楽団で演奏、米空軍のミリタリー・バンドに在籍。その後アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズにクリフォード・ブラウンの後釜として参加、頭角を現した。1954年頃のこと。1956年にジャズ・メッセンジャーズを脱退後、ジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ、セロニアス・モンクらと共演。自身のバンドを組む。1960年代にはヨーロッパにわたり研鑽をつみ、また実験的な作品も残した。
1970年代に入ると、いわゆるフュージョン、R&B系のファンク・サウンドに入り、1973年、元モータウン所属のアルフォンゾ・マイゼル、ラリー・マイゼルのマイゼル兄弟と手を組んで作った傑作と呼ばれることになる『ブラック・バード』を発表。このタイトル曲はR&Bチャートでも19位を記録するヒットに。また、同年、ソウル、フュージョン・グループ、ブラックバーズを結成、プロデュースしヒットを出す。「ハッピー・ミュージック」「ウォーキング・イン・リズム」「ロック・クリーク・パーク」など大ヒットが多数誕生した。
1980年代に入るとノース・キャロライナー・セントラル大学などで音楽の教鞭をとるようになり、後身の育成に尽力した。ドナルド・バード&ザ・125ス・ストーリート・ニューヨークシティー・バンドは、バードが教え子で結成したバンド。彼はその後も、ラトガーズ大学、ハンプトン大学、ニューヨーク大学、ハワード大学など多数の大学で教えた。最近はデラウェア大学で教えていた。
アルバムはブルーノート・レーベル、プレスティージ・レーベル他多数。
また作品が多くのヒップホップ・アーティストやDJからサンプリングされたりして、若い世代からも人気を得ていた。
OBITUARY>Byrd, Donald (December 9, 1932 – February 4, 2013 – 80-year old)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000005HDT/soulsearchiho-22/ref=nosim/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0097D0KQU/soulsearchiho-22/ref=nosim/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0097D0KMY/soulsearchiho-22/ref=nosim/
初期作品8枚で1000円以下
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B006TX26B8/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
【Donald Byrd Dies At 80】
訃報。
ジャズ・トランペッター、プロデューサー、教授でもあるドナルド・バードが2013年2月4日、現在居住していたデラウェア州で死去した。80歳。甥のミュージシャン、アレックス・ブーニョン(バグノン)が彼のフェイスブックで公表した。葬儀は2月11日の週にバードの生まれ故郷デトロイトで行なわれる予定。ブーニョン自身が葬儀を取り仕切るようだ。
ドナルド・バードの死去に関しては、2月1週目にその噂がインターネットを駆け巡り、否定するコメントも出たが、これはバードの親族の一部が死去の公表を躊躇したためとブーニョンが明らかにしている。現在のところ、レコード会社、マネージメント、大学などからのいわゆる公式な発表はないが、ネットの訃報記事はすべてこのブーニョンのフェースブック記事を元に書かれている。本来であれば、もうひとつ以上ダブル・チェックしたいところだが、ブーニョン自身がCDをリリースしている公人であるだけに、その信憑性は高い。
評伝。
ドナルド・バードは1932年12月9日デトロイト生まれ。初期ビーバップのトランペッターとして活動。ジャズからソウル、R&B、ファンクをまたぐ活躍を見せた。また、彼の作品群はヒップホップ、DJ系のアーティストたちからさかんにサンプリングなどされ、注目された。
ハイスクール時代からライオネル・ハンプトン楽団で演奏、米空軍のミリタリー・バンドに在籍。その後アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズにクリフォード・ブラウンの後釜として参加、頭角を現した。1954年頃のこと。1956年にジャズ・メッセンジャーズを脱退後、ジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ、セロニアス・モンクらと共演。自身のバンドを組む。1960年代にはヨーロッパにわたり研鑽をつみ、また実験的な作品も残した。
1970年代に入ると、いわゆるフュージョン、R&B系のファンク・サウンドに入り、1973年、元モータウン所属のアルフォンゾ・マイゼル、ラリー・マイゼルのマイゼル兄弟と手を組んで作った傑作と呼ばれることになる『ブラック・バード』を発表。このタイトル曲はR&Bチャートでも19位を記録するヒットに。また、同年、ソウル、フュージョン・グループ、ブラックバーズを結成、プロデュースしヒットを出す。「ハッピー・ミュージック」「ウォーキング・イン・リズム」「ロック・クリーク・パーク」など大ヒットが多数誕生した。
1980年代に入るとノース・キャロライナー・セントラル大学などで音楽の教鞭をとるようになり、後身の育成に尽力した。ドナルド・バード&ザ・125ス・ストーリート・ニューヨークシティー・バンドは、バードが教え子で結成したバンド。彼はその後も、ラトガーズ大学、ハンプトン大学、ニューヨーク大学、ハワード大学など多数の大学で教えた。最近はデラウェア大学で教えていた。
アルバムはブルーノート・レーベル、プレスティージ・レーベル他多数。
また作品が多くのヒップホップ・アーティストやDJからサンプリングされたりして、若い世代からも人気を得ていた。
OBITUARY>Byrd, Donald (December 9, 1932 – February 4, 2013 – 80-year old)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000005HDT/soulsearchiho-22/ref=nosim/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0097D0KQU/soulsearchiho-22/ref=nosim/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0097D0KMY/soulsearchiho-22/ref=nosim/
初期作品8枚で1000円以下
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B006TX26B8/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
コメント