●クリオーサ・ステイプルズ(ステイプル・シンガーズ長女)死去

【Cleotha Staples Dies At 78】

訃報。

名門ゴスペル・グループで、いわゆる世俗音楽へもアプローチしたステイプル・シンガーズの長女、クリオーサ・ステイプルズが2013年2月21日(木)午前11時すぎシカゴ・サウスサイドの高層マンションの自宅で死去した。78歳。ここ12年ほどアルツハイマー病を患い、家族がずっと付き添っていた。

ステイプル・シンガーズは、ポップ・ソウル・ゴスペル・グループとして「リスペクト・ユアセルフ」「アイル・テイク・ユー・ゼア」などの大ヒットを放ち、ゴスペル畑でも格別の人気を誇る。

評伝。

ステイプルズ・ファミリーは、父親ルーベック・ポップ・ステイプルズ(1915年12月28日~2000年12月19日、84歳)とオセオーラ・ステイプルズ(1987年死去)の間に生まれた子供とポップらによるゴスペル・グループ。一家には順に次のような子供が生まれた。

クリオーサ(Cleotha愛称・クリーディー) 1934年4月11日ミシシッピー州ドゥリュー生まれ。2013年2月21日シカゴで死去。78歳。
パーヴィス(Pervis、男性)1935年11月、ミシシッピー州ドゥリュー生まれ。
イヴォンヌ(Yvonne)1938年10月23日生まれ。
メイヴィス(Mavis)1939年7月10日シカゴ生まれ。
シンシア(Cynthia)1952年生まれ。1973年11月銃の暴発事故で死去。21歳。

ステイプル・シンガーズは当初、ポップとクレオーサ、パーヴィス、メイヴィスの4人だったが、パーヴィスが1971年兵役のために脱退し、イヴォンヌが代わりに参加。ポップ、クレオーサ、イヴォンヌ、メイヴィスの4人体制になった。

1936年頃、ポップとオセオーラは南部ミシシッピー州から都会のシカゴへ移住。父親は仕事をしながら週末などにゴスペル、ブルーズなどの音楽をプレイした。1948年、シカゴの教会で子供を連れてゴスペルを歌ったところ繰り返しアンコールを得たため、将来音楽で食べていく自信を持ったという。
 
1957年にはポップのギターとクリオーサのリード・ヴォーカルによる「アンクラウディー・デイ」という曲を録音、ヒットになる。
 
UA、ヴィージェイ、チェッカー、リヴァーサイド、エピックなどのレコード会社を渡り歩き、基本的にはゴスペル作品をレコーディング。1968年、メンフィスのスタックス・レコードと契約。スタックスのトップ、アル・ベルが直接プロデュースに加わり、彼らをマスル・ショールズ、メンフィスのアーデント・スタジオに連れて行きレコーディング。ここから「ヘヴィー・メイクス・ユー・ハッピー」(1971年)、「リスペクト・ユアセルフ」、「アイル・テイク・ユー・ゼア」などの大ヒットが次々と生まれ、ポップ・ゴスペル・アーティストとしての名声を決定付けた。
 
多くのリードはメイヴィスが取り、残りの2姉妹はバック・コーラスをつけるが、1969年の「イッツ・トゥー・レイト」ではクレオーサがリードを取っている。
 
スタックスで大きな成功を収めたステイプル・シンガーズだが、同レーベルが1975年までに倒産すると、カーティス・メイフィールドの持つカートム・レコードに移籍。ここで映画音楽『レッツ・ドゥ・イット・アゲイン』のサントラをカーティスのプロデュースでリリース、これもまた大ヒットとなる。
 
リード・シンガーのメイヴィス・ステイプルズはその後、プリンスのレーベルとソロ契約し、プリンス・プロデュースで作品もリリース、話題を集めた。

グループは1999年、ロックンロール殿堂入りも果たしている。

第一子長女ということもあり、ファミリーをまとめる役目を果たし、またその暖かい性格から誰からも愛されたという。

OBITUARY>Staples, Cleotha (April 11, 1934 – February 21, 2013, 78-year-old)

■『リスペクト・ユアセルフ』
このジャケ写では左からクリオーサ、メイヴィス、イヴォンヌだと思われる

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■ベストオブ

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