● デルズのリード・シンガー、マーヴィン・ジュニア死去~もうひとりのシカゴ・ソウルの灯火

【Marvin Junior Dies At 77】

訃報。

シカゴの大ソウル・ヴォーカル・グループ、デルズThe Dells のリード・シンガー、マーヴィン・ジュニア Marvin Junior が2013年5月29日(水)午後3時15分頃(日本時間30日午前5時15分頃)シカゴ近郊ハーヴィーの自宅で腎不全などで就寝中に死去。77歳。しばらく前から容態は悪かったという。またデルズの別のメンバー、チャック・バークスデイルも具合が悪いと伝えられる。

デルズは1950年代から1960年代、1970年代とコンスタントにヒットを送り出した名門ソウル・グループ。「オー、ホワット・ア・ナイト」「ステイ・イン・マイ・コーナー」「ギヴ・ユア・ベイビー・ア・スタンディング・オーヴェイション」などの大ヒットを出している。マーヴィン・ジュニアはバリトンのリード・ヴォーカルで、グループの顔といってもよい声の持ち主だった。

第一報↓
http://bit.ly/134n0PF  

評伝。

デルズは1952年イリノイ州シカゴ近郊ハーヴェーのハイスクールの同級生で結成された5人R&Bヴォーカル・グループ。結成メンバーは、メンバーはマーヴィン・ジュニア(リード、バリトン、1936年1月31日~2013年5月29日、77歳)、ジョニー・ファンチェス(リード、ファースト・テナー、1935年7月18日~1998年1月23日、62歳)、ヴァーン・アリソン(セカンド・テナー、1936年6月22日~)、ミッキー・マクギル(バリトン、1937年2月17日~)、ルシャス・マクギル(1935年生まれ)、チャック・バークスデイル(ベース、1935年6月11日~)。ジョニーが1960年に元フラミンゴスのジョニー・カーター(ファースト・テナー、ファルセット、リード、1934年6月2日~2009年8月21日、75歳)に交代。当初エル・レイズと名乗り地元チェス/チェッカーから「ダーリング・アイ・ノウ」でデビュー。

その後 1955年、グループ名をデルズと変えヴィージェイ・レコードに移籍、1956年「オー・ホワット・ア・ナイト」というドゥー・ワップの傑作を生み出し、初ヒットを記録。これはソウル・ヴォーカル・グループの傑作のひとつで1969年に再度録音し再びヒットさせている。

しかし1958年交通事故でグループ活動を一旦休止。この頃までにルシャスは脱退。1960年にファンチェスが元フラミンゴスのジョニー・カーターに代わり活動再開。ヴィージェーを経て1966年チェスに出戻り。ここで多くのヒットを放ち黄金時代を築く。

デルズは1956年にヒットを出し、1960年にオリジナルのジョニー・ファンチェスがフラミンゴスのジョニー・カーターに代わってからは50年以上メンバーの死去以外一度もメンバー・チェンジをしなかった。

この60年代のチェス時代にはボビー・ミラー、チャールズ・ステップニーら新進気鋭のアレンジャー、プロデューサーと仕事をした。

1967年『ゼア・イズ』のアルバム、リリース。ここからデルズの快進撃が始まる。その後、ポール・モーリアの世界的ヒット「ラヴ・イズ・ブルー」をソウルフルにアレンジしてヒットさせたり、マーヴィン・ジュニアの野太いバリトン・ヴォイスを前面に押し出し、デルズの個性を確立していった。

1974年頃からチェスの経営が思わしくなくなり、彼らはレーベルを移籍。マーキュリー、ABC、20世紀フォックス、ヴァージンなどを転々。

1991年、映画監督のロバート・タウンゼントがデルズなどをモデルにした映画『ザ・ファイヴ・ハートビーツ』を製作、これがヒットし彼らにも再度脚光が集まった。ここから「ア・ハート・イズ・ア・ハウス・フォー・ラヴ」がヒット。これにより、彼らは1950年代から1990年代まで「5ディケード(5つの10年単位の時間)」にわたってヒットを出したアーティストとなった。

2004年、ロックンロール殿堂入り。

グループは2012年までライヴ・パフォーマンスを繰り広げていたが、マーヴィン・ジュニアとチャック・バークスデイルは体調を崩したため最近は実質的には引退していた。

1985年12月、渋谷ライヴインなどでのライヴで初来日。さらに1989年12月に再来日、渋谷クアトロなどでライヴを見せた。

Stay In My Corner, Give Your Baby Standing Ovation, The Love We Had など名曲多数を送り出した。ソウル・チャートでのヒット曲も50曲近い。ストリングスを多用したアレンジはチャールズ・ステップニー。シカゴを代表するR&Bヴォーカル・グループ。

また1970年代に人気となるフィラデルフィアのテディー・ペンダーグラスは、プロデューサーのギャンブル&ハフがテディーをデルズのマーヴィンのように育て上げようとして成功した。

グループ・メンバーのうちジョニー・ファンチェスは肺炎で1998年1月23日死去、ジョニー・カーターは2009年8月21日癌のため死去。ちなみにジョニー・カーターは、フラミンゴスのメンバーとしてと、デルズのメンバーとしてダブルでロックンロール殿堂入りしている。

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次週の「ソウル・サーチン・レイディオ」でもマーヴィン・ジュニアの追悼を行ないます。

参考:

http://www.eurweb.com/2013/05/we-remember-marvin-junior-lead-singer-of-the-dells-dies/

■アンソロジー

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00001QGRS/soulsearchiho-22/ref=nosim/

OBITUARY>Junior, Marvin (January 31,1936 – May 29, 2013, 77 year old)

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