◎トータス松本・ア・カペラ・ライヴ@品川教会(パート1)

(ネタばれになります。これからごらんになる方はご注意ください)

【Tortoise Matsumoto A Cappella Live At Church】

塊魂爆発(かいこんばくはつ)。

水曜日のカマサミ・コングのランチ・セッションに、ナイル・ロジャーズをお連れしたところで、そこに来ていたケイリブから、今、トータス松本のア・カペラ・ツアーをやっている、すばらしいのでぜひ見てほしいと声をかけられた。ア・カペラと聞けば何でもいく僕としてはこれは行かないわけにはいかない。しかも、トータス松本は、ブルーノートでサム・ムーアのときに飛び入りしたのを見たくらいなので、フルショーを一度見たいと思っていた。加えて、会場が、個人的な思い出もあり、ケイリブと木下航志くんのライヴをやった品川教会ということでさっそくかけつけた。

ふだんはもっと大きな会場でライヴをやる彼からすれば、この350人という収容人数は明らかに小さすぎで、お客さんがあふれる。入口近くで「チケット譲ってください」の紙を持ったファンの人も見かけた。

かつて2003年に『トラヴェラー』というソウル・カヴァー・アルバムを出したソウル・マン、トータス松本が声だけでステージを展開するア・カペラ・ライヴ。会場は神聖なる教会に超満員の観客。8割以上女性だ。自身のヒットやソウル・ヒットを7人のコーラスとトータス本人の計8人だけで歌う。この日は全10本中6本目。

日本で8人だけでア・カペラをやるのはかなり珍しい。もちろんゴスペル・クワイアーなどでは、歌声だけで何十人というパターンはあるが、ポピュラー・ミュージックでア・カペラだけで約2時間は新鮮だ。しかも、今回はライヴ後24時間以内に音源をミックスして、アイチューンズ(I-tunes)で発売するという試みもある。しばらく前に坂本龍一がライヴをユーストで中継し音源をすぐにアイチューンズにだしていたが、これもすばらしいアイデアだ。しかも、毎回のステージが翌日にはリリースされている。会場で感激した方はその感激が翌日には自分のものにできるのだ。音楽家とファンとのつながりは、確実に新しい次元に来ている。ダウンロードは下記へ。

http://itunes.apple.com/jp/artist/id74494386
ここのア・カペラ!! というところ。ライヴの日付があるので、希望のものを選ぶ。すでに6月3日のものもアップされている。30秒程度の試聴も可能。

ライヴ→ユースト→アイチューンズ、あるいはツイッター、フェースブック、アーティスト・アプリなどアーティストをめぐる環境は10年前では想像だにできないほど激変している。それを軸にどんどんと新しいアーティストとファンのふれあいの形ができる。しかし、どれほどデジタルが広まっても、音楽家の本質的な基本はライヴにあることに変わりはない。ライヴが出来てこその新技術の使用と言える。

このトータス松本のライヴは、もちろん、リアルな音楽ができるアーティストのリアルなライヴだ。そして、アカペラを見ていつも思うことだが、そのたびに、改めて人間の力、可能性、特に声の可能性の無限さを感じる。

今回は男声3人、女声4人のコーラスにトータス本人が歌う。すべてはこの8人の声だけ。基本、バックが3から4パートハーモニーをつけ、それにあわせトータス本人がメイン・ヴォーカルを歌う。このトータスの声が、実に力強くソウルフルだ。教会という会場で、声の力は輝きを圧倒的に増す。そして、7人のコーラスを従えて8人の声の塊(かたまり)になったときに、まさにソウル(魂)が爆発する。Soul Explosionだ。

メンバーが会場後方から一人ずつ歩いてステージに進み、ポジションについたところで、おもむろに今夜のスターがやはり後方通路から客席を通って、ステージ中央に。「バンザイ~好きでよかった」からアカペラ・ショーのスタートだ。

メンバーには「ソウル・サーチン」イヴェントでおなじみのケイリブ、ユリ、オリヴィア、ガッツ(中澤信栄)まで。今回の音楽ディレクターはユリで、彼女が中心となってコーラスを考えたという。個人的には、ケイリブがベース・ヴォーカルを担当したところがひじょうに新鮮だった。僕もケイリブにベースをやってもらおうとは今まで思いもつかなかった。こういうサプライズはとてもいい。ミュージシャンやシンガーは、常に、周囲の人間がその人に枠をはめたり決め付けたりする以上のことができるのだ。クリエイティヴなことにリミットをかけてはいけないとつくづく思う。

それにしても、観客は1曲目から総立ちになって、手を突き上げ、腕を揺らし、コール&レスポンスし、歌う。たぶん、楽曲自体にポジティヴな魅力があるから、元気になるのだろう。バックコーラスではガッツの声が目立っていた。

途中のMCもさすがに大阪出身だけにおもしろい。アンコールで牧師風衣装に身を包み、両腕でTの字を作り、ジーザスならぬ「Tザス」です、には受けた。そして、観客もそうだが、やっている本人たちが一番楽しそうに歌っているのが素晴らしい。

最後に「ガッツだぜ」を歌い終えて、客電が点くと、すぐにCDでサム・クックの「ユー・センド・ミー」が流れた。送り出しには最高の選曲だ。

(ライヴ後、楽屋でトータスさん、ケイリブ、ユリさんらに会った。そのときの話などを明日以降に)

■過去関連記事

2008年09月06日(土)
サム・ムーア・ライヴの秘密
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10135912710.html

2008年09月05日(金)
サム・ムーア:「ザ・ソウル・ショウ」@ブルーノート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10135549736.html#main
トータス松本、飛び入りしたサム・ムーア・ライヴ。

2007年11月03日(土)
幸運
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10053853120.html

2007年11月02日(金)
ソウル・パワー
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10053853547.html
トータスさん、サムのライヴで「ルッキング・フォー・ア・ラヴ」を歌う

2011年05月04日(水)
ナチュラリー7、口と体の可能性を無限に広げるパフォーマンス
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10880077093.html
現在のアカペラ最高峰、ナチュラリー7のライヴ。

2010年05月19日(水)
ドクター・セドリック・デントが復帰したテイク6~20回目の来日
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10538649996.html
もっとも複雑なハーモニーをいとも簡単に聴かせてみせるテイク6。

December 24, 2006
Shinagawa Gloria Chapel & My Father; Another Christmas Present
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_12_24.html
僕と品川教会の接点。ピアニスト、妹尾さんのライヴで足を運んで

■トータス松本 究極のソウル・カヴァー・アルバム『トラヴェラー』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00007M8QS/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■メンバー

トータス松本 Tortoise Matsumoto
ユリ Yuri
ケイリブ・ジェームス Kaleb James
オリヴィア・バレル Olivia Burrell
中澤信栄 Nakazawa Nobuyoshi
堀江小綾 Horie Saya
佳世 Kayo
ハピネス徳永 Happiness Tokunaga

■セットリスト トータス松本、品川教会、2011年6月3日(金)
Setlist : Tortoise Matsumoto @ Shinagawa Church, June 3rd, 2011

Show started 18:40
01.バンザイ~好きでよかった
02.いつもの笑顔で
03.愛がなくちゃ
04.You’re All I Need To Get By~僕は海じゃない
>メンバー紹介
05.Wonderful World [Sam Cooke]
06.エビデイ
07.生まれかわっても
08.明星
09.クリア!
10.ハッピー・アワー
Encore. アメージング・グレイス[Traditional]
Encore. ウィ・アー・ザ・ワールド [USA For Africa]
Encore. ガッツだぜ
CD You Send Me (Sam Cooke)
Show ended 20:30

(2011年6月3日金曜、東京:キリスト品川教会 グローリア・チャペル、トータス松本・アカペラ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Tortoise Matsumoto
2011-74

◎ヴァネッサ・ウィリアムス~ミッドタウンの夜をおしゃれに演出

【Vanessa Williams Live】

おしゃれ。

彼女がシンガーとしてソロ・デビューしてからはや23年。デビュー作『ザ・ライト・スタッフ』は1988年リリースだ。その前からちょこちょことジョージ・クリントンのレコーディングなどに参加していた。

このところ、ほぼ毎年のようにやってくる歌姫、ヴァネッサ。ご存知の通り、ミス・アメリカになりながら、ヌード写真が公開されたことで、その称号を剥奪され、一念発起し、シンガー/エンタテイナーとして再起して成功したという人物だ。

日本ではシオノギの頭痛薬セデスのCMで彼女の「セイヴ・ザ・ベスト・フォー・ラスト」が使われ、おなじみ。

全体的には、ポップな女性シンガーという印象で、ホイットニー・ヒューストン、ちょっと大人っぽいところはナタリー・コールなどを彷彿とさせる。ブロードウェイのミュージカルもこなしているので、キャリアは、すでに超ヴェテラン。1963年3月生まれ、48歳とは思えぬスタイル。さすが元モデルだけのことはある。ホイットニーも道を誤らなければ、ヴァネッサのようにスタイルもよく、歌も上手で人気を堅持できたのではないかと思う。ヴァネッサもホイットニーも63年生まれなので、同じ年だ。

途中でコーラス3人のうち男性歌手は、ブロードウェイシンガーで、彼女が主演したミュージカル『キス・オブ・ア・スパイダ-・ウーマン』で共演したダリウス・デ・ハース。ソウル・シンガーというより、ミュージカル・シンガーという雰囲気だった。ヴァネッサは途中で衣装変えもあり、見せて楽しませる。

コーラスの一番右に可愛い子がいると思ったら、なんとヴァネッサの娘さん。ジリアン・ハーヴィー。そういわれてみると、とてもよく似ている。さすが母親譲り。

ナタリー・コールより、もっとポップ路線だ。ラスヴェガスで楽しむショーのような良質の大人向きエンタテインメントだ。

■現状最新作

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001V7DJOK/soulsearchiho-22/ref=nosim/

セカンドアルバム、「セイヴ・ザ・ラスト」収録

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001FWS/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■メンバー

ヴァネッサ・ウィリアムス / Vanessa Williams(Lead vocal)
ロブ・マシス/ Rob Mathes(Musical Director / Piano/ Keyboards/Guitar/Background Vocals)
レオ・コロン / Leo Colon(Keyboards/Background Vocals)
キース・ロビンソン / Keith Robinson(Guitar/Background Vocals)
アル・コールドウェル / Al Caldwell(Bass)
JT ルイス / JT Lewis(Drums)
ダリアス・デ・ハース / Darius De Haas(Guest Vocalist)
シェリー・トーマス / Shelley Thomas(Background Vocals)
ジリアン・ハーヴィー / Jillian Hervey(Background Vocals)

セットリスト ヴァネッサ・ウィリアムス、ビルボードライブ東京、
Setlist : Vanessa Williams, June 1, 2011

Show started 21:36
01.Real Thing
02.Dreamin’
03.Love Is
04.Colors Of The Wind (From Pocahontas)
05.The Sweetest Days
06.The Comfort Zone
07.Close To You (with video on screen)
08.Just Friends (duo with male singer)
09.With You I’m Born Again (duo)
10.Send One Your Love (male)
11.Constantly
12.Lazy Afternoon
13.Peel Me A Grape
14.Work To Do [Isley Brothers]
15.Oh How The Years Go By
16.Save The Best For Last
Enc. Betcha Never
Show ended 22:52

(2011年6月1日水曜、ビルボードライブ東京、ヴァネッサ・ウィリアムス・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Williams, Vanessa

◎ケニーG・ライヴ~決して変わらぬサウンドを貫くサックスマン

【Kenny G】

不変普遍。

超人気サックス奏者、ケニーGの東京一日だけの公演。毎年のようにやってきて、大体国際フォーラム2-3日やるという彼がアジア・ツアーの一環で大阪一日、東京一日だけ立ち寄ってのライヴ。ということで、超満員。観客の年齢層もかなり高い。

僕がケニーGに初めて会ったのは1983年7月のこと。ニューヨーク・トライベッカのカシーフの自宅を訪ねたときに、まだメジャーになる前のケニーがいた。当時カシーフがケニーGをプロデュースしていたからだ。シアトルからニューヨークに初めて来たとかで、カシーフ宅に滞在していた。ほぼ同じ頃、フィリップ・ウーもケニーG、カシーフと親しく、カシーフ邸に行っていた、という。たぶん、それは1984年7月の夏のことだったと思う。その話はまた別の機会に譲るとして、ケニーGは、その後、「ソングバード」などが大ヒットし、世界的スーパースターとなった。

僕もケニーGのライヴを見るのは相当久しぶり。1980年代に初来日以降何度か見た記憶があるが、久々に会場に足を運んだ。なんと隣の席に、元アドリブ編集長の松下さんが。かなりこちらも久々にお会いする。僕を見つけるなり、開口一番「やっと若い人に会えたよ(笑)」と言うのだが、僕でさえ、ここでは若いのか。(笑) 最近は悠々自適で、ジャコ・パストリアスの本の出版や、その他の音源リリースをしている、という。

「いやあ、ケニーG、松下さんと一緒にインタヴューしましたよね。でも、ライヴ見るの、久しぶりなんです」「ああ、そう、久しぶりなんだ。僕は、毎回見に来てるけど、昔とまったく変わりません(笑) きっと、客席の後ろから出てくるよ」

客電が落ち、サックスの音が会場に響きだすと、松下さんの言うとおり、1階客席の一番後ろからサックス吹きながら、登場した。 

ドラムス、ギター、ベース、キーボード、パーカッションにケニーGのサックスという布陣。そして、確かにそのパフォーマンスは不変で、普遍だった。

MCでもわかるように、実にサーヴィス精神旺盛の人物。それにしても、大変よく日本語をしゃべった。ケニーG、全曲インストゥルメンタル。歌なし。ケニーGの魅力は、そのエンタテインメントぶりとメロディアスな綺麗なサックスの音色にある。とてもわかりやすいサウンドで、かつてのポール・モーリア・オーケストラなどが受けたニュアンスと同じイージー・リスニング・サウンドとして幅広い層に受ける。それが、最近は「スムース・ジャズ」などとも呼ばれる。

彼の得意技のひとつに「サークル・ブリージング(循環呼吸)」でワンノート(ひとつの音階)を延々と吹き続ける、というものがある。今回も始まってすぐにこれをやり、延々続くうちに拍手も大きくなってくる。なんでも、ケニーGはこれで45分以上一音を出し続け、ギネスブックに載ったとか。

終わった後にこれのやり方も簡単に説明するサーヴィスぶり。「鼻で息を吸いながら、口から吹く。だから、いくらでも永遠にできるんです」と解説。

途中でおもしろいシーンがあった。CDを買った人から抽選で、ケニーのサックスをプレゼントするという企画だ。抽選で選ばれた女性が友人を伴ってステージに上げられる。するとその伴った友人がダウン症か何かなのか、なんらかの疾患を持っている女性のようだった。ケニーが感謝の気持ちを込め、1曲プレイし、そのサックスをケースにしまい、彼女にプレゼントをした。一言二言やりとりがあり、ケニーが送り出そうとしたとき、そのもう一人の彼女が、帰りたくないとダダをこねたのだ。さすがに驚いた彼女が、その彼女を説得にかかり、手を引っ張ろうとするが、いやいやと抵抗する。通訳もやってきて、説得するが、椅子を立とうとしない。

すると、ケニーがサックスを吹き始め、彼自身がその彼女たちの席のほうにうながすように、歩き始めたのだ。だがそれでもその彼女は動こうとしない。観客からも失笑がもれる。ケニーはステージを降り、通路に進んだ。結局、やっとのことで彼女の付添い人にうながされ、席に戻った。思わぬハプニングだった。

この日は客席にレストラン「ノブNobu」のオウナー・シェフが来ていて、観客に紹介し、ライヴ後に行くと言っていた。

アンコール2曲目はなんと「タイタニック」。日本人が聴きたいであろう楽曲を一番最後に持ってくる。さすがだ。そして、音楽的立ち位置を変えず、ヴァリエーションはあるものの基本路線は変えず、来た観客が聴きたいと思うものを徹底してプレイする。頑固一徹、それはあっぱれ。

■ケニーG最新作

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003AL7PLS/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■エッセンシャル(2枚組み)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000EBDCXW/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■メンバー

ケニーG Kenny G (sax)
ロバート・ダンパー Robert Damper (keyboards)
ヴェイル・ジョンソン Vail Johnson (bass)
ダニエル・ベジャラノ Daniel Bejarano (drums)
ロナルド・パウェル Ronald Powell (percussion)
ジョン・レイモンド John Raymond (guitar)

■セットリスト: オーチャード・ホール
Setlist: Kenny G @ Orchard Hall, Shibuya, May 28, 2011

Show started 19:07
01.Home
02.Silhouette
03.G-Bop
04.Havana
05.Percussion solo
06.Forever In Love
07.Heart And Soul
08.Band Introducing
09.Rhythm And Romance
10.Besame Mucho
11.Saxoloco
12.“Sax Present”—Drawing(抽選して1曲プレゼント)
13.Dying Young / Going Home
14.Sade
15.Cadenza
16.Songbird
ENC. Bass Solo
ENC. Pick Up The Pieces
ENC. Titanic
Show ended 21:00

(2011年5月27日金曜、オーチャード・ホール、ケニーGライヴ)
ENT>MUISC>LIVE>Kenny G
2011-


◎トクズ・ラウンジ~マイルスとヒップホップな夜

【Toku’s Lounge: Jazz And More~ Miles Meets Hip Hop】

ヒップホップ。

5月26日はジャズ・ジャイアント、マイルス・デイヴィスの命日。本当は5月25日の深夜にやりたかったのだが、メンバーのスケジュールなどのために、一日早くマイルス・トリビュート。

若手ミュージシャンたちが月1回深夜に集まり、自由気ままにジャム・セッションを繰り広げる「トクズ・ラウンジ」。ジャズ・ミュージシャン/トランペット/フルーゲルホーン奏者、トクが主催する西麻布深夜の大人のためのエンターテインメントだ。

毎年5月末のこの時期は、マイルスの命日にあわせて、全曲マイルスしばりでジャム・セッション。

マイルス楽曲に力があるのか、マイルス楽曲ゆえにミュージシャンが「火事場のバカ力」を出すのか、いつになく熱いセッションが繰り広げられる。まさに「音の洪水」「音のシャワー」を存分に浴びることができる。

この日、驚いたのはセカンドセットに日本を代表するラッパーたちが飛び入りしたこと。ジーブラとトクは前々から仲良く、コラボレーションもしているが、この日は彼が友人のラッパー仲間を引き連れて、ステージにあがった。参加したのは、スポンテニアのタランチュラ、デフテックのマイクロ、テリヤキボーイズのワイズら。マイルス・デイヴィス楽曲とラップが実にはまる。ジャズ・ミュージシャン、トクとラッパーたちの融合は、素晴らしい。前回はヴォイス・パーカッションとのコラボを見せたが、シンガー、ミュージシャンだけでなく、ラッパーまでも飛び入り歓迎なのだから、トクの懐は広い。

■過去関連記事

2011年03月22日(火)
深夜のジャム・セッション~軽音部、トクズ・ラウンジ・スペシャル
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10837098296.html

2010年10月28日(木)
ミッドナイト・カンヴァー・セッション 「トクズ・ラウンジ」
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10689147109.html

2010年09月16日(木)
トクズ・ラウンジ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100916.html
(過去記事一覧も)

■メンバー(順不同)

TOKU
石渡じゅん ドラムス
ジン JIN
荻原亮 ギター
後藤克臣 ベース
ジョーセイ キーボード
タカヤ キーボード
タカ ヴォーカル&トランペット
グレース・マヤ ヴォーカル
モリヤミユキ サックス
マツモト (パーカッション)
ナガ(パーカッション)
イッセイ (パーカッション)
ジーブラZeebra (ラップ)
タランチュラ (スポンテニア)(ラップ)
マイクロ(デフテック) (ヴォーカル・ラップ)
ワイズ(テリヤキボーイズ)(ラップ)

■セットリスト トクズ・ラウンジ、2011年5月24日深夜、西麻布トクズ・ラウンジ
Setlist : Toku’s Lounge

1st set

Show started 12:45
01.Stella by Starlights
02.Footprints
03.All Blues
04.My Funny Valentine
05.Fever (Grace Maya)
06.81
show ended 2:15

2nd set

show started 3:01
01.Milestone
02.Doo Bop Song (Zeebra, Micro, Tarantula, Wize)
03.One Phone Call
Show ended 4:02

(2011年5月24日火曜深夜、西麻布トクズ・ラウンジ、ジャム・セッション)
ENT>MUSIC>LIVE>Toku’s Lounge
2011-


○今年の「ソウル・パワー」は7月開催、新曲6月1日から配信

【Soul Power 2011 Will Be Held In July】

7月。

これまでに5回行われてきた夏の一大ソウル・イヴェント「ソウル・パワー」。今年は6回目になるが、再び大阪でも開催されることになった。また今回はこれまでの9月ではなく、少し前倒しとなって7月16日(土)から開催される。(詳細は下記に) チケットは東京分が6月5日から、大阪分が6月12日から発売される。

これに先立ち、「ソウル・パワー」出演アーティストたちが一同に会し、東北大震災復興支援ソングをレコーディング、6月1日から配信する。これは、ソウル・パワー・オールスターズ(Soul Power Allstars)による「ウィ・ガット・ソウル・パワー(We Got Soul Power)」。リーダーの鈴木雅之を中心に桑野信義、佐藤善雄のラッツ&スター「再集結」をはじめ、ブラザー・コーン、ゴスペラーズ、スクープ・オン・サムバディー、ダンスマンなどが参加している。今回の「ソウル・パワー」での目玉的作品になる。去る5月30日深夜TBS系の生番組『カミスン』で、メンバー全員が集合し、この曲を歌い、初披露した。

「ソウル・パワー」は、2006年から始まった日本のソウル・ミュージック好きのミュージシャン、鈴木雅之がゴスペラーズ、スクープ・オン・サムバディーらに声をかけ「ソウル」をキーワードに、「ソウル」的な楽曲を中心にソウルフルなライヴを見せるイヴェント。昨年は久保田利伸の参加で大いに話題になった。

■今年の「ソウル・パワー2011」

●「SOUL POWER TOKYO SUMMIT 2011」
公演日 : 2011/07/16(土)
地域 : 東京都
会場 : 東京国際フォーラム・ホールA
開場 : 16:30
開演 : 17:30
料金(税込) : 全席指定7,000円(消費税込)
問い合わせ先 : ディスクガレージ TEL:03-5436-9600(平日12:00~19:00)
発売日 : 2011年6月5日(日)
備考 : ※3歳以上の方はチケットが必要です。

●公演日 : 2011/07/17(日)
地域 : 東京都
会場 : 東京国際フォーラム・ホールA
開場 : 16:30
開演 : 17:30
料金(税込) : 全席指定7,000円(消費税込)
問い合わせ先 : ディスクガレージ TEL:03-5436-9600(平日12:00~19:00)
発売日 : 2011年6月5日(日)
備考 : ※3歳以上の方はチケットが必要です。

出演:ゴスペラーズ、鈴木雅之、Skoop On Somebody 他

●「SOUL POWER なにわ SUMMIT 2011」
公演日 : 2011/07/27(水)
地域 : 大阪府
会場 : グランキューブ大阪 メインホール
開場 : 17:45
開演 : 18:30
料金(税込) : 全席指定7,000円(税込)
問い合わせ先 : ソーゴー大阪 TEL:06-6344-3326
発売日 : 2011年6月12日(日)
備考 : ※3歳以上の方はチケットが必要です。

●公演日 : 2011/07/28(木)
地域 : 大阪府
会場 : グランキューブ大阪 メインホール
開場 : 17:45
開演 : 18:30
料金(税込) : 全席指定7,000円(税込)
問い合わせ先 : ソーゴー大阪 TEL:06-6344-3326
発売日 : 2011年6月12日(日)
備考 : ※3歳以上の方はチケットが必要です。

出演:ゴスペラーズ、鈴木雅之、Skoop On Somebody 他

■過去ソウル・パワー関連記事(初回から5回目まで)

2010年09月26日(日)
ソウル・パワー・サミット2010第1日レポート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10658339731.html#main

2010年09月27日(月)
ソウル・パワー・サミット2010 第二日レポート:日本版「ソウル・レヴュー」か
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10659825179.html#main

2010年09月25日(土)
『ソウル・パワー2010』第一日(速報)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100925.html

>2009年第4回

September 26, 2009
ソウル・パワー・東京サミット2009(Day 1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10351045775.html

2009年09月27日(日)
ソウル・パワー・東京サミット2009(Day 2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10351581358.html#main

2009年09月28日(月)
ソウル・パワー、盛りだくさん
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10352078479.html

>第3回2008年

September 25, 2008
ソウル・パワー2008~2日間を見て
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080925.html

September 22, 2008
Soul Power 2008: Tokyo Summit Day Two:
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080922.html

September 21, 2008
Soul Power Summit 2008 Tokyo: Day One
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080921.html

>2007年第2回

August 12, 2007
Soul Power Tokyo Summit 2007: Singing Is Joy
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070812.html

July 31, 2007
Soul Power Summit 2007: Full Of Surprise
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070731.html

>2006年第1回

July 27, 2006
Soul Power Tokyo Summit 2006
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200607/2006_07_27.html

ENT>ANNOUNCEMENT>Soul Power 2011

◎ナイル・ロジャーズ、1日だけのブルーノート・ライヴ

【Nile Rodgers & Chic: One Day Only Blue Note Live】

1回。

先月、大きな反響を巻き起こしていったナイル・ロジャーズ&シックが、約1ヶ月ぶりに、マカオでのライヴの帰りに一日だけ東京に寄って、ブルーノートでライヴを行っていった。

ナイルによれば、その日は「マカオを朝3時に起きて(マカオは東京より1時間遅れ)、そこからフェリーで香港に。香港から成田まで飛行機で飛び、成田からここまでは、歩いてきた…(笑)」とステージで語った。大変なハードスケジュールだ。

しかし、この日は一日だけということもあってか、超満員。しかも、セカンドの開始はファーストが押したせいもあってか、30分以上遅れの10時05分開始。セカンドライン・スタイルで白い衣装に身を包んできた彼らが登場するや、観客はほぼその時点で総立ち。あと、ほとんどみんな踊りっ放しになった。

今回のライヴは、ちょうど(2011年)5月27日ニューヨークで62歳で死去したブラック・シンガー・ソングライター、吟遊詩人ギル・スコット・ヘロンに捧げた。

ギル・スコット・ヘロン死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10906038516.html

ナイル・ロジャーズがギルについてふれたブログ・エントリー
http://www.nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/361-walking-on-planet-c-my-two-hour-gil-scott-heron-call
その日本語訳
http://tinymsg.appspot.com/I7F

セットリストは、前回とほぼ同じで、今回は4月に3回だけ演奏された新曲「アイ・ウォナ・ダンス」が堂々と披露された。

しっかりとしたタイトなバンドに、これでもかと出てくるおなじみのヒット曲。ヒット曲の強力さを改めて見せ付けられる。そして、ファンキーで、ダンサブルで、ソウルフルで、エンタテインメント。実に時間を忘れさせてくれるショーであることに変わりはない。

今回は飛び入りというか、予定外のアドリブで、ドラムス、ラルフ・ロールの芸達者なところが披露された。彼はデイヴィッド・ボウイの「レッツ・ダンス」をドラムスを叩きながら歌うが、その前に、「オレはこの曲が大好きで、携帯の着信音もこれだし、朝起きるときの目覚ましもこの曲なんだ。だから、オレに歌わせてくれ」というほど。

「ル・フリーク」のあと、最後の曲に行く前に、キムとともに誕生日を祝われ、みんなが「ハッピー・バースデイ」を合唱。そして、写真撮影のところで、観客が自然と「ウィ・アー・ファミリー」を合唱しだしたのには、驚いた。素晴らしいオーディエンス、素晴らしいヴァイブ。

そして、撮影しているときに、キーボード奏者が、バリー・ホワイトの「アイム・ゴナ・ラヴ・ユー…」のイントロ・コードを弾き出した。すると、ナイルがそれにあわせてギターを弾きだし、徐々に曲ができあがり、ついにはラルフがそれにあわせてドラムスを叩きながら、この曲を歌い始めたのだ。普通は4小節程度でやめるものだが、この日はみんなのっていたせいか、けっこう長くほぼ1曲歌いきった。ラルフの真似したバリーがけっこう低音で似ていてこれがえらく受けた。すると、他にもモノマネができると言われ、結局、マーティン・ルーサー・キング、アーノルド・シュワルツェネガーのモノマネをし、ビギーの曲を数小節歌って見せた。このあたりがポンポンでてくるのが実に楽しい。

ショーが終わったのが、23時54分。驚くなかれ、そのあと、ちゃんと着替えてナイルはサイン会までやった。おつかれさまだ。

(ビギー曲情報、ホームメード家族のクロさんに教えていただきました。ありがとうございます)

■最新作2枚組み、ナイル渾身のコンピレーション・アルバム『エヴリバディ・ダンス!』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004L295PO/soulsearchiho-22/ref=nosim/"
■過去シック、ナイル・ロジャーズ関連記事

●『ソウル・サーチン~友情という名のメロディー~ナイル・ロジャース&バーナード・エドワーズ・ストーリー』(単行本『ソウル・サーチン』内、第4章2000年7月発表)

日本で唯一のシック・ストーリー。ナイル・ロジャーズ、バーナード・エドワーズがどのように出会い、いかにして成功と挫折を味わったか。感動の物語です。長文です。ナイルがなぜ毎年4月に来日するのか。バーナードの死を知った瞬間の話なども読み応えがあります。

http://www.soulsearchin.com/soulsearchin/4-1.html
http://www.soulsearchin.com/soulsearchin/4-2.html

●前回(2011年4月)来日時

2011年04月29日(金)
ナイル・ロジャーズ、ミュージカル『ダブル・タイム』に挑戦
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10871704382.html

2011年04月14日(木)
ナイル・ロジャーズ、万感の思いを込めて15周年ライヴ・スタート
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10860777137.html

2011年04月18日(月)
ナイル・ロジャーズ最新情報『ソウル・ブレンズ』に生ゲスト&ブログ翻訳~プラネットC
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10863907598.html

2011年04月20日(水)
ナイル・ロジャーズ『ソウル・ブレンズ』に登場 (パート2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10866627503.html

2011年04月21日(木)
ナイル・ロジャーズ『ソウル・ブレンズ』に登場 (パート3)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10867389795.html

●2011年1月、癌を公表。以後癌ブログ翻訳へ
2011年01月18日(火)
ナイル・ロジャーズ、癌を公表
http://ameblo.jp/soulsearchin/theme28-10032211060.html#main
過去記事一覧はこちらに
2011年04月15日(金)
ナイル・ロジャーズ来日記念特集~過去ナイル関連記事
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10861031113.html

■メンバー

ナイル・ロジャーズ(ギター、ヴォーカル)Nile Rodgers(g,vo)
キンバリー・デイヴィス-ジョーンズ(ヴォーカル)Kimberly Davis-Jones(vo)
フォラミ(ヴォーカル) Folami(vo)
ダン・モレッティ(サックス)Dan Moretti (sax)
スティーヴ・ヤンコウスキ(トランペット)Steve Jankowski(tp)
リッチ・ヒルトン(キーボード)Rich Hilton(key)
セラン・ラーナー(キーボード)Selan Lerner(key)
ジェリー・バーンズ(ベース)Jerry Barnes(b)
ラルフ・ロール(ドラムス)Ralph Rolle(ds)

■セットリスト
Setlist : Nile Rodgers & Chic @Blue Note Tokyo, May 29, 2011

show started 22:05
01. Hangin’
02. Everybody Dance
03. Dance, Dance, Dance (Yowsah, Yowsah, Yowsah)
04. Sukiyaki (Kim) ~ I Want Your Love ~ I Want Your Love (Reprise, slow jam version)
05. Medley: (5-8) I’m Coming Out (Folami)
06. Upside Down
07. He’s the Greatest Dancer
08. We Are Family
09. Soup For One ~ Lady (Hear Me Tonight) ~ Soup For One
10. Like A Virgin (Folami)
11. I Wanna Dance
12. Chic Cheer
13. My Forbidden Lover
14. Thinking Of You
15. Let’s Dance (Ralph Rolle on vocal)
16. Le Freak
17. Happy Birthday To Ralph & Kim
18. I’m Gonna Love You Just A Little More Baby (Ralph on vocal) [Barry White]
19. Impersonate of Martin Luther King, Arnold Schwarzenegger (Ralph)
20. Somebody’s Gotta Die (Ralph) [Notorious B.I.G.]
21. Goodtimes ~ Rapper’s Delight ~ Goodtimes
22. Hangin (Reprise)
show ended 23:54

(2011年5月29日日曜、ブルーノート東京、ナイル・ロジャーズ&シック・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Rodger, Nile & Chic Organization
2011-

★エヴァ・キャシディー(パート2):ワシントンDC最高の悲劇のシンガー 

【Eva Cassidy: The Saddest Singer In Washinton DC】

死後。

しかし、状況は、彼女の死後、急転していく。

地元のシンガー、グレース・グリフィスがブルース・アレイのライヴ・アルバムを彼女のレーベル・オウナーに紹介したところ、この作品を気に入り、同レーベルが3枚のアルバムからベストトラックを選んだアルバムを企画。これが『ソングバード』というタイトルとなり、リリースされた。1998年のことだった。

リリースされた当初は、それほど話題にはならなかったが、それから2年後の2000年この輸入盤がイギリスにわたり、BBCラジオ2のテリー・ウーガンの番組でかけたところ、大いに話題になり、イギリスで10万枚を売るヒットになった。そして、その話題が逆輸入されニューヨーク・タイムスまでが高評価を与えるまでになった。

2000年のクリスマス前までに、イギリスのテレビ番組『トップ・オブ・ザ・ポップス2』はエヴァの『オーヴァー・ザ・レインボー』のビデオを放送。さらに、『ソングバード』のセールスを加速。その他の番組もエヴァを紹介するようになり、イギリスでちょっとしたブームとなった。

結局イギリスではこの『ソングバード』が180万枚という驚異的セールスを記録、最終的にはアメリカでもインディ・レーベルから出たものとしては超異例の50万枚以上のセールス(ゴールド・ディスク)を獲得した。メジャーのレコード会社から出たものではなく、純粋に音楽そのもののもつ力で売れた作品と言っていいかもしれない。

2001年5月、アメリカのABCテレビのドキュメンタリー番組『ナイトライン』が、エヴァのミニ特集を放送。この放送後にはエヴァの5枚のアルバムが一躍ベストセラーになったという。

その後も未発表音源などが編集されアルバムがリリースされ、主としてインターネットでの好調なセールスが続いている。

そして、こうした死後の人気に乗じて、彼女の過去のライヴ音源や、かつて在籍していたバンドの音源までもCD化されるようになっている。

その後、インタヴューを元に構成された伝記本、ミュージカル企画、映画企画なども進む。2002年冬季オリンピックでは、フィギュア・スケートのミシェル・クワンがエヴァの「フィールズ・オブ・ゴールド」をエキシヴィジョンで使用。他にもフィギュアの選手、クリスティー・ヤマグチ、サラ・ヒューズ、キミー・マイズナーなどもエヴァ作品を使用するようになった。ほかにも多くのシンガーたちが、エヴァにインスピレーションを受けて曲を書いたり、トリビュートしたりしている。

特に映画化に関してはロバート・レッドフォードの娘エイミー・レッドフォードがその他2名らが映画化権を獲得、プロデュースすることになっている。

また、彼女は絵画が好きで、自分でも作品を残している。

魅力。

彼女の魅力はなんといっても、そのクセのない透明感あふれる声だ。嫌われない声と言えるもの。それは、たとえば、ノラ・ジョーンズ、ミニー・リパートン、ティーナ・マリーらと同列に並べられる「好かれる声」ということだ。

たまたま彼女は、メジャーなレコード会社と縁がなく、しかも33歳という若さで他界してしまったが、別の出会いがあり、メジャーで多くの宣伝費をかけられてプロモートされたら、もっともっとビッグな存在になっていただろう。

そして、癌となってほんのわずかしか生きられなかった彼女にも、まちがいなくソウル・サーチンの物語があるだろう。そのあたりは、いずれ掘り起こしていきたい。

エヴァ・キャシディー。彼女はグレイテスト・アンノウン・シンガー、フロム・ワシントンDC(ワシントンDC出身の最高に素晴らしいもっとも無名なシンガー)だ。

+++++

ユーチューブから。

オーヴァー・ザ・レインボー


http://youtu.be/4RDmXsGeiF8

エイント・ノー・サンシャイン


http://youtu.be/mWJQeuOO-VA

枯葉


http://youtu.be/XSXYu-3r1S8

■ソングバード (ブレイクのきっかけとなったアルバム)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000006AKD/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■タイム・アフター・タイム

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00004SYOP/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>ARTISTS>Cassidy, Eva


●ギル・スコット・ヘロン62歳で死去~黒人吟遊詩人

(エヴァ・キャシディー、パート2は、明日以降におおくりします)

【Gil Scott-Heron Dies At 62】

訃報。

アメリカの黒人吟遊詩人、「ブラック・ボブ・ディラン」「ゴッドファーザー・オブ・ヒップホップ・ラップ」などと呼ばれているシンガー・ソングライター、ギル・スコット・ヘロンが、2011年5月27日(金)、ニューヨークのセント・ルークス病院で死去した。62歳だった。ヨーロッパ・ツアーから戻ってから体調を崩していたという。死因は発表されていない。

スコット・ヘロンは、1970年代から独自の視点で社会を描く作品を多数輩出し、自ら歌と「語り(スポークン・ワード)」をミックスした独自のスタイルでレコーディング。そのメッセージから、ブラック・カルチャーの重要な一役を担った。代表作には、「レヴリューション・イズ・ノット・テレヴァイズド(革命はテレビ中継されない)」、「ザ・ボトル」など。音楽的には、ジャズ、ソウル、ファンク、ブルーズなどを融合。これにナレーションのような語りをいれ、一種の「ポエトリー・リーディング」(詩朗読)をレコード化して独自の世界を作り出した。

それゆえに、後に大きな潮流となるヒップホップのラップに多大な影響を与えた。特にカニエ・ウェストがヘロンをお気に入りでいくつもの曲をサンプリングなどで使用。カニエを通じて、若い世代でも人気を集めていた。2010年、およそ16年ぶりの新作アルバム『アイム・ニュー・ヒア』を出していた。

すでにアメリカ音楽業界の多数の人たちから追悼コメントなどが、ツイッターなどで寄せられている。

パブリック・エナミーのチャックD。「GSH(ギル・スコット・ヘロン)は、世界について、ヒップホップの世界に素晴らしいテンプレート(基準、基本パターン)を与えてくれた」「驚愕しているのは、ちょうど彼の次のアルバム用に1曲書き、ゲスト・ヴォーカルをレコーディングしたところだったからだ。このことから、本当に時は貴重だと思わせられる」

先の「レヴォリューション…」は、マスメディアでは大事なことは何も放送されない、くだらないことしか放送されない、というマスメディア、特にテレビに対する強烈な批判曲だったが、そのタイトルは、時代も流れ、「革命はインターネットで生中継」される時代になった。さすがに、「革命、ネットで生中継」は慧眼のギル・スコット・ヘロンでさえも予期できなかっただろうが、その強烈な本質的なメッセージはいまだに有効だ。

++++

「キング・オブ・ヒップホップ・ラップ」

評伝。

まさにヒップホップの世界で言うところのラップという固有名詞がない頃からのオリジナル・ラッパーの一人が、ギル・スコット・ヘロンだ。当時は、彼のようなスタイルは、「スポークン・ワード」「ポエトリー・リーディング(詩の朗読)」「ナレーティヴ」などと呼ばれていた。ときに、しっとり、ときにあじり、抑揚をつけて語るそのスタイルは、のちのヒップホップの世界で形式を確固たるものにするラップの原形ともいえる。ソウルの世界ではルー・ロウルズがこうしたナレーティヴ、スポークン・ワード、ラップが得意だったが、ルーがエンタテインメント系でラップをおしゃれに聴かせたのに対し、ギル・スコット・ヘロンは、社会派、急進派、革新派としてラップ、語りを聴かせ、そのスタンスを鮮明にしていた。

ギル・スコット・ヘロンは1949年4月1日イリノイ州シカゴ生まれ。テネシー州ジャクソン育ち。父親はジャマイカ系、母親はアフリカン・アメリカン。両親の離婚にともない13歳のとき(1962年)、ニューヨークへ。その後ペンシルヴェニア州のリンカーン大学へ進学、ここでミュージシャンのブライアン・ジャクソンと知り合う。大学を2年ほどで中退した彼は、1970年、小説『ザ・ヴァルチャー』、『ザ・ニガー・ファクトリー』を出版。この頃、フライング・ダッチマン・レコードと契約、シンガー・ソングライターとしてもデビュー。すでに社会派メッセージが色濃くでた作品だった。さらに、後にブライアン・ジャクソンと組んで、二人名義のアルバムをアリスタ・レコードからリリース、これが徐々に大評判となっていく。アリスタには1985年まで在籍。

レコーディングにつきあったミュージシャンは、ロン・カーター(ベース)、バーナード・パーディー(ドラムス)、ヒューバート・ロウズ(サックスなど)などそうそうたるメンバーだった。

これらの作品群の中から当時のアルコール中毒問題を歌った「イン・ザ・ボトル」が本人のものでもヒット、またこれをカヴァーしたブラザー・トゥ・ブラザーのものが1974年にソウルチャートで9位を記録する大ヒットになり、一般的知名度を得る。さらに1975年、自ら歌った「ヨハネスブルグ(Johannesburg)」が初ヒット。そのほか「エンジェル・ダスト」「ショー・ビズネス」「Bムーヴィー」「リ・ロン」などがヒットした。

また、シングル・ヒットはしなくとも、アルバムがヒットし、そこに収録されていた「レヴォリューション・イズ・ノット・テレヴァイズド」などは、その後も繰り返し紹介され隠れたヒットになっている。

The Revolution Will Not Be Televised- Gil Scott... 投稿者 larsen42


http://youtu.be/_b2F-XX0Ol0

「ヨハネスブルグ」は,当時まだアパルトヘイト(黒人分離政策)が行われていた南アフリカを批判するもので、アパルトヘイトについて主張する音楽界からのメッセージとしてはかなり初期のものだった。

彼は1979年の『ノーニュークス(原子力反対)』コンサートにも参加。スリーマイル島の事故を受けて、反原発、安全なエネルギーの必要性を訴えた。ヘロンは常にレーガン大統領と保守派政治家に対して、批判的だった。

1985年、ブラック系アーティストが多数集合した反アパルトヘイト・ユニット、アーティスト・ユナイテッド・アゲインスト・アパルトヘイトのアルバム『サン・シティー』にも楽曲を提供している。

1980年代に入ってからは、ヒップホップ系のアーティスト、特にラッパーたちから尊敬されるようになり、彼自身が「ゴッドファーザー・オブ・ラップ」などと称されることもあった。

しかし、そんな中、彼は既存のラッパーたちに批判的メッセージも送っていた。インタヴューで「彼らはもっと音楽を勉強しないと。僕は詩人になる前にいくつものバンドで音楽を経験してきた。音楽に言葉をただ乗せるだけと、音楽の中に同じ言葉を染み込ませること(blending those same words into the music)は、大きく違う。(今のラップには)ほとんどユーモアがない。ただスラングで話し言葉を並べているだけで、その人物の中身がほとんど見えてこない。見えるのは、ジェスチャーだけだ」と語る。

2001年、コカイン所持で刑務所入り。2002年に出所後も音楽活動を精力的に再開。しかし、2006年7月5日、再度コカイン所持で再逮捕。2007年5月23日に執行猶予で保釈。この頃までにヘロンは、HIVに感染していることが疑われた。その後もライヴ活動を行ってきた。死因は明らかにされていないが、ヘロイン中毒、またはHIV関連のものかもしれない。

2010年2月9日、およそ16年ぶりの新録による新曲のアルバム『アイム・ニュー・ヒア』をリリース、ファンを驚かせていた。

ヘロンの作品はカニエ・ウェスト、グランド・ピューバ、ブラック・スター、モス・デフら多くのヒップホップ・アーティストにサンプリングされている。

1993年、M&Iの招聘で来日している。

■最新作

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002Y3DEQ8/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ベスト

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005EHIX/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■イッツ・ユア・ワールド「ザ・ボトル」収録

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001BLSEU0/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■DVD

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002SZR2UG/soulsearchiho-22/ref=nosim/


OBITUARY>Scott-Heron, Gill>April 1, 1949 – May 27, 2011, 62 year old

★エヴァ・キャシディー(パート1):ワシントンDC最高の悲劇のシンガー 

【Eva Cassidy: The Saddest Singer In Washinton DC】

故人。

一昨日ユーチューブ映像で「タイム・アフター・タイム」をご紹介したエヴァ・キャシディーは日本ではほとんど無名のシンガーだ。日本盤は一度もでていないので、若干の輸入盤が出回ったほど。しかも、ほとんど新譜もなく、コンスタントにリリースがないので、知名度もあがらない。なによりも、彼女がすでに若くして亡くなったシンガーということも大きい。彼女のことは数年前に知って、いつかゆっくり紹介しようと思っていたので、「タイム・アフター・タイム」ででてきたので、これを機に少し書いてみたい。

僕が最初に彼女の歌を知ったのは、スティングの「フィールズ・オブ・ゴールド」のカヴァーだった。透き通った声が大変印象的で、すぐにCDを何枚か入手。10年くらい前のことか。CDにはいろいろな曲のカヴァーが入っていた。しかし、調べるとその時点で、もう彼女は故人だった。

ワシントンDC。

エヴァ・キャシディーは1963年2月2日、アメリカ東部ワシントンDC生まれ。4人兄弟の3番目。父はスコットランド/アイルランド系、母はドイツ生まれ。子供の頃から音楽や絵画など芸術に興味を持ち、9歳の頃から父親が彼女にギターを教えるようになった。11歳の頃にすでにワシントンDCのローカル・バンド、イージー・ストリートに参加。以後いくつものバンドに参加したり、スタジオでのレコーディング・セッションに参加するようになる。

そんな中で、ワシントンDCのゴー・ゴー・サウンドのEU(エクスペリエンス・アンリミテッド)や、チャック・ブラウン&ザ・ソウル・サーチャーズらと接点を持つようになり、チャック・ブラウンが彼女の声を気に入り、かわいがられるようになった。そして、これがチャックとエヴァのデュエット・アルバム『ジ・アザー・サイド』につながる。1992年、彼女が29歳のときのことだった。(ちなみに、エヴァはEUの「リヴィング・ラージ」でもバックコーラスをやっているという)

このアルバムは、チャック・ブラウンの作品を出しているレコード会社からリリースされた。カヴァー曲中心のアルバムで、ここに収められた「オーヴァー・ザ・レインボー(虹のかなたに)」、「フィーヴァー」、「ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド」などが地元を中心に話題となった。チャックとエヴァで、この時期、地元でアル・グリーンやネヴィル・ブラザースの前座を務めたこともあるという。

1993年にはワシントンDCエリアの音楽賞「ワミー・アワード」で「ヴォーカリスト・ジャズ/トラディショナル」部門を獲得。1994年には同賞受賞式で「オーヴァー・ザ・レインボー」を歌い、これも大喝采を浴びた。その後、ブルーノートと契約、ピーセス・オブ・ア・ドリームと共演したアルバムを出し、ツアーにもでた。

ところが、この頃、エヴァは背中にできたほくろを除去する手術を受けるが、このときは大事には至らなかった。

皮膚癌。

1996年5月にはワシントンDCの有名なライヴ・ハウス、ブルース・アレイでのライヴを収録したアルバム『ライヴ・アット・ブルース・アレイ』をリリース。当初、本人はその出来にリリースを躊躇したが、リリースされたところ、ワシントン・ポストをはじめひじょうに前向きな評価を得て、少しずつ知名度もあがり、以後も活動を続けた。

だが、その『ライヴ』アルバムをプロモーションしていた1996年7月、彼女はお尻に痛みを感じ、それが続いたため、検査をしたところ、黒色腫という一種の皮膚癌になっていることがわかった。さらに精密検査をすると、この癌が肺や骨にも転移しており、その時点で余命3-5ヶ月だと診断され、エヴァはそれを告知された。

手術ができないということで、かなり強い抗癌治療を行ったが、同時に体力も落ちていった。痛みも継続し、治療のために頭髪はなくなっていった。この頃までに、ワシントンDCの音楽業界ではエヴァの病気がかなり悪いということが知れ渡り、9月に、保険に入っていなかったエヴァのために治療費を集めることと彼女を励ますトリビュート・ライヴが行われることになった。

これを聞いたエヴァは大変喜んだが、自分がそれを見に行くことすらできないのではないかと思った。しかし、抗がん剤のために体力の弱っていた彼女は、なんとライヴの2日前から抗癌治療を一旦やめ、体力の回復を図ったのだ。

1996年9月17日、チャック・ブラウンを始めとする友人ミュージシャンたちが、ライヴ・ハウス「ザ・バイヨー」に集まり、エヴァのために多くの作品を歌った。エヴァはすでに車椅子で、歩くにも杖が必要になっていたが、友人たちの力を借りながら気丈にもステージに上がり、スツールに座り、このとき、友人、ファン、家族の前で「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」を歌った。これが、彼女が人前でパフォーマンスする最後となった。そして、その後、ジョンズ・ホプキンス病院に運ばれた。

1996年1月のときの「What A Wonderful World」。ママとパパに捧げている

http://youtu.be/uEBBGSgO16M

この日を境に、エヴァの体力は落ちていった。ライヴの日が彼女がもっとも輝いた日で、おそらくそのために力の限りを尽くしたのだろう。

エヴァはそのわずか2ヶ月もしない1996年11月2日、自宅で息を引き取った。33歳という若さだった。

エヴァの遺体は故人の意思で火葬され、その遺灰はメリーランド州のセントメリー川ウォーターシェド公園の水際に撒かれた。

しかし、この時点でも、エヴァ・キャシディーはワシントンDCでもほんの一部の音楽関係者と一部のファンだけが知る存在だった。彼女はかつて、「自分のCDを出したところで、誰が買ってくれるの?」とまるで「売れる」ことに無関心だった。

(この項つづく)

フィールズ・オブ・ゴールド


http://youtu.be/SfPZ_HpnIVY

■ライヴ・アット・ブルース・アレイ (これも大きなきっかけとなった作品)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000009PO2/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ARTIST>Cassidy, Eva
●岡伸昭さん、44歳で死去~『フット・ペインティング』を考案

(本日はエヴァ・キャシディーについてご紹介する予定でしたが、エヴァの記事は明日以降に掲載いたします。また、少し探してから写真を追加します)

【Oka Nobuaki Dies At 44】

訃報。

アーティストで、ダンサーの靴にペンキをつけて、キャンヴァスの上で、ソウル・ミュージックに合わせて踊り、そのステップをキャンヴァスに残すという「フット・ペインティング」という手法の作品を生み出した岡伸昭さんが2011年5月26日(木)午前8時19分、都内西荻窪・越川病院にて癌のため死去した。44歳だった。

アーティストであり美術学校講師も務めていた。また、「ソウル・サーチン」イヴェントでもパネリストとして登壇していた。

火葬が本日(5月27日)行われる。

火葬:
2011年5月27日(金)午後1時30分~ 火葬午後2時から
場所 代々幡(よよはた)斎場 東京都渋谷区西原2-42-1
電話 03-3466-1006
京王新線 幡ヶ谷駅下車・南出口より徒歩6分
小田急線 代々木上原下車・北口1出口より徒歩20分
http://www.sato1976.com/sogidate/01-yoyohata-map.htm
問い合わせ 日葬祭典(株) 03-3333-4797
(基本的には家族・親族での火葬ですが、親しい方でしたらいらしてください、とのこと。葬儀は、別府に戻り、親族などで後日執り行われます。また音楽関係者、ソウル愛好家周辺のお別れ会は別途企画されます)

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評伝。

岡伸昭さんは、1966年(昭和41年)6月26日大分県生まれ。

1990年代に数々のアワードを受賞。無類のソウル・ミュージック好きで、ディスコ、ソウルバーなどにも顔を出していた。そんな中、2004年、日本のソウル・ダンス・ステップの多数をクリエイトしてきたダンス界の重鎮、故ニック岡井氏に、青いペンキをつけた靴を履いてキャンヴァスの上で、ソウル・ミュージックにあわせて踊ってもらい、それを作品にする「フット・ペインティング」を考案、作品を制作、その個展を開催した。これらの作品群は、その後も2008年代々木第一体育館で行われた『ソウル・パワー』、さらに同年10月のビームスでの再個展でも展示され、話題となった。

無類のソウル・ミュージック好きで、Pファンク、マーヴィン・ゲイ、サザン・ソウルなど多岐にわたり、ソウル・ミュージックを愛していた。特にマーヴィン・ゲイの命日(4月1日)には、毎年青山のソウルバー、OAで追悼DJイヴェントを行っていた。自らアフロ・ヘア、ソウル・ファッションに身を包み、「ソウル・サーチン」などのイヴェントにも登場していた。

タップ・ダンサー、オマー・エドワーズとも意気投合。いつか一緒に作品を作ろうという話をしていた。

いくつかの都内のカルチャースクール系や美術学校などでも講師を務めたり、イヴェント『ソウル・サーチン』でもソウル・アルバムのジャケットについて、アート・ディレクター、美術面からトークで参加。2011年5月20日から5月30日まで八王子のギャラリー・モトで個展『ギミ・サム・モア』を開催中だった。20日のレセプションには顔をだしていた。

ご冥福をお祈りします。

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岡さん自身のウェッブ
http://www.oka-works.com/

「フット・ペインティング」作品の映像。2008年10月に新宿ビームス・ギャラリーで開いた個展の際に制作したプロモーション用映像

After The Dance 1, Intro : My Girl (Temptations) [Step: My Girl]

http://jp.youtube.com/watch?v=riwAWAXZo8A

After The Dance 2, Hitch Hike (Marvin Gaye) [Step: Free Style]

http://jp.youtube.com/watch?v=k8sEcPVS744


After The Dance 3, Sexual Healing (Marvin Gaye) [Step: Four Corner]

http://jp.youtube.com/watch?v=fmTdQWRQbNE


After The Dance 4, I Heard It Through The Grapevine (Marvin Gaye) [Step: Grapevine]

http://jp.youtube.com/watch?v=hSlb4NF7Ioc


After The Dance 5 It’s A Shame (The Spinners) [Step: Free Cha Cha]

http://jp.youtube.com/watch?v=rWS_U4Watis

冒頭モノクロで、足元のペンキだけ、ブルーであるところにご注目ください。

After The Dance 6, Mother Popcorn (James Brown) [Step: Popcorn Seven]

http://jp.youtube.com/watch?v=pCwn56GJxEw

冒頭、単色だったところが、ニックが足元にペンキをつけた瞬間、画面が蒼くなります。

After The Dance 7, Ending : Nick Talks With Oka

http://jp.youtube.com/watch?v=uerNTYnXiiM

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■過去関連記事

2009年06月06日(土)
ソウル・サーチン美術部~岡伸昭先生講座と推薦の展覧会
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10275010076.html

2008年10月18日(土)
ニック岡井x岡伸昭 フット・ペインティング展スタート
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081018.html

2008年09月21日(日)
ソウル・パワー・サミット2008東京
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10141841262.html

2004/06/18 (Fri)
Footsteps Of The Master Of Dance, Nick Okai Explode
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200406/diary20040618.html

2008年10月15日(水)
ニック&岡、フット・ペインティング展ビデオ、You Tubeに
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081015.html

2007年06月24日(日)
個展
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10037726916.html

November 12, 2007
Nick Okai Dies At 60
http://blog.soulsearchin.com/archives/002142.html

November 13, 2007
Nick Okai Tribute: “My Girl” Is A Song Made His Life Change
http://blog.soulsearchin.com/archives/002144.html

November 19, 2007
Nick Okai’s Funeral Day One: His Memorial Song “My Girl” Was Played…
【ニック岡井氏通夜~「マイ・ガール」が流れて・・・】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002150.html

November 20, 2007
Nick Okai’s Funeral Day Two: Someone Should Record These Culture
http://blog.soulsearchin.com/archives/002151.html

++++

あまりに突然のことだったので、まだ気持ちが落ち着きません。岡さんについては、改めて、書きます。

OBITUARY>Oka, Nobuaki>June 26, 1966 – May 26, 2011, 44 year old

◇タック&パティー(パート2)~「タイム・アフター・タイム」物語

【”Time After Time” Story】

名曲物語。

シンディー・ロウパーの歌で歌われ大ヒットした「タイム・アフター・タイム」だが、タック&パティーの18番でもある。日本でも大変人気の高い曲だけに、タックたちも必ずこれをステージで歌う。

この曲はこうして生まれた。

シンディー・ロウパーが1983年、デビュー・アルバムを制作しているとき、ほぼレコーディングは終了したが、「もう1曲何かを入れよう」ということで、スタジオで作業をしていた。当時は、レコーディングに予算があったため、デモテープを作らず、いきなり24チャンネルのレコードプラントのスタジオに入っていろいろセッションを繰り広げるうちに曲を作り上げていった。

そんなスタジオのロビーに週刊テレビガイドがあり、そこに『タイム・アフター・タイム』という1979年の映画が放送されると書いてあった。これは、マルコム・マクドゥエルがSF作家HGウェルズ役を演じる物語で、主人公がタイムマシンを発明するという話だった。シンディーはこの単語を見て、ピンと来て、この単語を核にレコーディングを始めた。バンドの一員として参加していたフーターズの一員、ロブ・ハイマンがピアノで伴奏をつけ、適当にコードを弾きメロディーを作りだし、歌詞とメロディーが徐々にできあがった。当初はのりのりのレゲエ調のサウンドだったが、歌詞がほろ苦いストーリーになってきたあたりから、ミディアム調のリズムではなく、スローっぽいテンポの遅いリズムにしたほうがいいということになった。

曲は完成し、アルバムのA面最後に収録される。シンディーの「タイム・アフター・タイム」は、アルバムの一番最後に録音されたが、「ガール・ジャスト・ウォント・トゥ・ビー・ファン」に続く第二弾シングルとして1984年1月にリリースされ、見事に全米ナンバーワンとなった。

ビデオ。

このプロモーション・ビデオも制作されるが、そこではボーイフレンドを故郷において、どこか、おそらく大都会へ旅立つ主人公を演じている。本当は別れたくないが、別れなければならないという雰囲気だ。このビデオには当時彼女がつきあっていて、マネージャーでもあったデイヴィッド・ウルフが出ているというが、この相手役がデイヴィッドなのか、他の端役なのかよくわからない。また、シンディーの実の母は母役で、実の父もダイナーのコック役ででている。このビデオ冒頭で使われている映画は、『ザ・ガーデン・オブ・アラーThe Garden Of Allah(邦題、砂漠の花園)』というマリーナ・ディートリッヒ、シャルル・ボワイエ主演の1936年の映画。最後、主人公たちの別れのシーンのセリフを、何度も見て覚えているシンディーがなぞるところから始まる。

このビデオの食事のシーンは、ニュージャージー州にある「トムズ・ダイナー」で撮影されたが、そのダイナーは一時期はデートスポットとしても大変な人気を博したが、すでにもう閉店している。ただその店自体は取り壊されずに残っている。また、スザンヌ・ヴェガが歌った「トムズ・ダイナー」とは違うダイナーだ。ヴェガが歌ったダイナーは、ニューヨークのブロードウェイと112丁目の角にある「トムズ・レストラン」。

以後100以上のアーティストがカヴァーしている。そんな中でもマイルス・デイヴィスのものと、このタック&パティーのヴァージョンは特に素晴らしい出来になっている。

訳詞。

下記歌詞の「秒針が戻る(逆回りする)Second hand unwinds」というフレーズは、プロデューサーのリックが持っていた腕時計が、普通と逆に針が回るものだったので、それを入れ込んだ、という。

訳詞はあくまでひとつの解釈ということで捉えていただきたい。今回、ちょっとトリッキーに訳したのが最後のSecrets stolenの部分。「盗まれた秘密」は何かをいろいろと考えた。たぶん、いろいろな解釈ができるのだと思う。ここでは、その後に来るdrum beats out of time (ビートのはずれたドラムの音=調子はずれのドラムお音)、にしてみた。本当は、それまで二人のビートは、人生を歩む速度も、なんでもぴったり一緒で同時にリズムを刻んでいたのだろう。だが、そのドラムの音が片方はテンポが速くなり、一方は遅くなり、刻むリズムがずれてきた。それがすなわち二人の心のテンポがずれてきた、そして距離が離れてきた、ということを意味する。今までそのことは、彼に対して言ってこなかったが、ここでその秘密を吐露した。そして、別れたくはないが、別れざるをえない状況になった、という雰囲気だ。でも、心には未練がたっぷりある。

だから最後がI’ll be loving you alwaysとなる。

シンディーにつづいてユーチューブでご紹介するエヴァ・キャシディーについては、また後日。素晴らしいシンガーだが、すでに癌で亡くなっている。きっかけさえあれば、ミニー・リパートンのようなシンガーになれたであろうシンガーだ。ワシントンDCを本拠に活躍していたシンガーで、チャック・ブラウンに可愛がられていた。白人だが、黒人音楽の影響も強いシンガーで、その点ではティーナ・マリー的な部分もある。

シンディー・ロウパー・オフィシャルPV
http://youtu.be/3C6AXnnjgqI

故エヴァ・キャシディー・ヴァージョン


http://youtu.be/SMznNlfLXP4

■「タイム・アフター・タイム」(訳詞)
Time After Time (1983)
written by Cyndi Lauper and Rob Hyman

Lying in my bed I hear the clock tick and think of you
Caught up in circles confusion is nothing new
Flashback - warm nights - almost left behind  取り残された
Suitcase of memories time after -

ベッドに横たわり秒針が刻む音に耳を傾けながら、あなたのことを思う
多くのことが脳裏を巡り、寝付かれないのはいつものこと
想い出のかなたにかすむ生暖かい夜が蘇る
スーツケースいっぱいの想い出が、何度も何度も脳裏をよぎる

Sometimes you picture me I’m walking too far ahead
You’re calling to me, I can’t hear what you said
Then you say go slow I fall behind
Second hand unwinds

ときに、あなたは私があまりに先に行ってしまうと心配した
あなたは叫ぶ、でも、後ろから叫ぶあなたの声が、私には聞こえない
あなたは、「もっとゆっくり歩いてくれ。自分はどんどん遅れてしまうから」と言う
時を刻む秒針が巻き戻る 

If you’re lost you can look and you will find me
Time after time
If you fall, I will catch you I will be waiting
Time after time

でも、もしあなたが道に迷っても、大丈夫、あなたは私を見つけられる
いつでも、何度でも、
もしあなたが転んだら、私はあなたに手を差し伸べる
そして、私はあなたをいつまでも待っている、
いつでも、何度でも

After my pictures fade and darkness is turned to gray
Watching through windows you’re wondering if I’m ok
Secrets stolen from deep inside the drum beats out of time

私の思い出が色褪せ、夜空が白み始めたら
窓の向こうから私のことを少しは心配して
私の心の奥に秘めた秘密を吐露してしまったから
二人の心のビートが、もはや、ずれてしまったという秘密を

If you’re lost you can look and you will find me
Time after time
If you fall I will catch you I will be waiting
Time after Time

I’ll be loving you always
Time after time

もしあなたが私を見失っても、大丈夫、あなたは私を見つけられる
いつでも、何度でも、
もしあなたがどこかに転げ落ちそうになったら、私はあなたに手を差し伸べて引き上げてあげる
そして、私はあなたをいつまでも待っている、
いつでも、何度でも

私は、今でも、いつでもあなたを愛し続けます
いつでも、何度でも

(訳詞・ソウルサーチャー)

■シンディ・ローパー・デビュー作 「タイム・アフター・タイム」収録

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HUWK/soulsearchiho-22/ref=nosim/

SONG>Time After Time
ARTIST>Lauper, Cyndi
ARTIST>Tuck & Patti

◎タック&パティー(パート1):復興は始まったばかりというメッセージを語る

【Tuck & Patti Send Message To Japan: You Are Not Alone】

自由課題。

パティーがゆっくりと話し始めると、そのはっきりした発音をしっかり聞き取ることができる。彼女がこの時期、「You are not alone(あなたがたは、一人ではありません)」とゆっくり語るとき、それは重みを持ったメッセージとして伝わる。しっかりとしたメッセージを持ち、選ばれた言葉によってきっちり心を込めて語る人の言葉は胸にくる。日本の政治家に今もっとも必要とされることでもある。最後おなじみの「タイム・アフター・タイム」のイントロで、パティーがいつになく長めのナレーションをいれたときのことだった。

パティーは銀色のドレス、タックは銀色のスーツ。ステージにはおしゃれな花束にピンスポットが当たっている。タックはほぼ直立不動でひたすらにギターを爪弾く。そして、パティーはそれにあわせて歌う。この二人だけが作り出す世界が会場を愛にあふれる音楽で覆いつくす。本当に世界で彼らだけ、ワン・アンド・オンリーのタック&パティーの音空間。

この日2曲目で長いイントロからスティーヴィーの「アナザー・スター」が歌われたのは驚いた。なかなかめったに聴けない1曲。ブルーノートのセットリストも、ファーストとセカンドでかなり違う。それを見てもわかるように、彼らは事前にまったくセットリストを決めていない。タックでさえも、次の曲を知らない。次の曲を決めるのは、ステージのパティーだ。

ではどうやって次の曲を演奏するのか。タックによれば、「パティーが曲名を耳打ちすることもあるし、いきなり歌い出すこともある。そういうときは、最初の単語で曲名がわかるので、それを弾きだす。でも、『ラヴ』なんて単語で始まる楽曲は12曲以上あるから、どれだかわからなくなって、パニックになることもあるけどね。(笑) すぐ立て直すよ」と言う。

この日もセットリストが少しわからないところがあったので、セットリストを教えてください、と尋ねたら、「事前にはない。でも、すぐに書き出せるわよ」とパティー。僕のメモと照らし合わせて、完成した。

面白かったのは、5曲目の「イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ」。これがわからなかったが、ケニー・ランキンの曲だそう。なんとまだレコーディングしていないが、火曜日のコットンクラブでのステージから何度か試しにやってみた、という。今週初めて歌ってみた曲だという。いずれ、固まったら、レコーディングするかもしれないそうだ。

レパートリーは、たぶん2-300曲はあるという。「パティーの歌詞の記憶力は素晴らしいよ。僕は長い間やってない曲だと、わからないところがあったりするけど、改めて聴いて、メロディーが頭の中で鳴れば大丈夫だ」とタック。

インストゥルメンタルの「マノンナッシュ」という曲は20年以上やっていなかったが、知り合いにやったらどうだと言われ、CDを聞いて今回、試しに久しぶりにやったとステージで言っていた。

「タイム・アフター・タイム」はナレーションから歌を歌い切るまで16分以上の超大作になっていた。

アンコールで歌われた「ドリーム」の最後では、なんと「夢はかなう」と日本語も混ぜて歌った。2-3年前からやっている。

彼らのステージも二度と同じステージはない。たった二人で繰り広げる世界は白いキャンヴァスに何でも描ける究極の自由課題だ。

(この項、つづく。明日は、「タイム・アフター・タイム」の誕生秘話と訳詞をご紹介します)

■ユーチューブ映像

ケニー・ランキンの「イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ」(シングルヴァージョン)



http://youtu.be/UBeN2cie_3Y

アルバム・ヴァージョン


http://youtu.be/tzXTUk4TfSg

タック&パティーの18番、「タイム・アフター・タイム」



http://youtu.be/UZC8J5oX1pg

■過去記事

2010年05月09日(日)
タック&パティー:愛の常設店
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10529460212.html

2008年06月27日(金)
タック&パティー・ライヴ~愛に包まれて
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080627.html

January 09, 2006
Tuck & Patti Control Time & Space
http://blog.soulsearchin.com/archives/000756.html

2003/05/14 (Wed)
The Moment of Truth: Tuck & Patti Sung for Me
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030514.html

【1994年11月28日・青山ラス・チカス】
タック&パティー・ライヴ『感動のリサイクル・マシン』
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/tuck19941128.html

■タック&パティー ベスト

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■メンバー
Tuck Andress (Guitar)
Patti Cathcart (Vocal)

セットリスト
Setlist : Tuck & Patti

Show started 20:52
01.Foggy Day [Gershwin]
02.Another Star [Stevie Wonder]
03.Ready To Love
04.One For All
05.In The Name Of Love [Kenny Rankin]
06.Love Is The Key
07.Manonash (instrumental, Tuck Guitar Solo)
08.Europe (instrumental, Tuck Guitar Solo)
09.Castles Made Of Sand [Jimi Hendrix]
10.Time After Time [Cyndi Lauper]
11.Dream
Show ended 22:25

(2011年5月24日日曜、ブルーノート東京、タック&パティー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Tuck & Patti

◎AJI(アジ)ライヴ

【AJI】

支援。

震災にあって困窮している東北の食材をバーベキューで美味しく食べて、楽しく応援しようというイヴェントが、2011年5月21日(土)と22日(日)六本木ヒルズ内UMU(ウム)というイヴェントスペースで行われ、両日ともゴスペラーズの弟分的存在のアカペラ・ヴォーカル・グループ、AJI(アジ)がライヴを披露し、イヴェントに華を添えた。

このイヴェントを主催したのは「農家のこせがれネットワーク」。東北で収穫できる野菜や鶏、豚肉などを積極的にプロモーションしようというもの。ここでは、宮城県白石市の養豚農家高橋さんの「ありが豚」の復興応援プロジェクトも展開している。

僕が行ったのは日曜だったが、土曜日は会場内ぎゅうづめになるほどの超満員だったという。ステージに彼ら5人が立ち、10曲を歌った。最近でたアルバム『ハルモニスタ』、6月に出るアルバム『タイム・トゥ・ビリーヴ』からの作品、カヴァー、オリジナルなどを織り交ぜ、約40分のライヴ・ステージを繰り広げた。最後の「ビューティフル・ライフ」は、マイクを使わず、ノーマイクで会場を魅了した。この模様は、ユーストリームで生中継され、ライヴ終了後はアーカイブとして映像が残されている。

AJIの登場は、1時間05分くらいから。まずトーク、そしてライヴがほぼ最後まで。約60分弱。(若干音が割れ気味です)



http://www.ustream.tv/recorded/14882478

僕は個人的には10曲の中で、「ドント・ノウ・ホワイ」(ユーストリームでは1時間28分40秒くらいから)が彼らにとてもあってるような感じがした。というか、これ、曲が良すぎるのかな。スモーキー・ロビンソンがカヴァーしたヴァージョンもものすごくよかったが、カヴァーしやすい1曲なのかもしれない。男のソロ・シンガーが歌っても、コーラス・グループが歌っても、もちろん女性シンガーが歌っても、いい感じになる。

いくつもの点でゴスペラーズの弟分的存在なので、どうしてもまだそういう先入観を持ってしまうが、プロデューサーの佐藤善雄さんも言っているが、あと必要なのは名刺代わりになる大ヒット曲だけ、という感じ。そして、おそらくそんな大ヒット曲が生まれればそれが彼らの「AJI味」を広げていくことになるだろう。

6月18日(土)には、新作リリース記念ライヴが渋谷のJZ(ジェイズィー)ブラットである。

■AJIのホームページ
http://www.ajiaji.jp/

■AJI次回ライヴは、渋谷JZブラット。
2011年6月18日(土)第一部17時半開演、第二部20時半開演(入れ替え制)

AJI CD発売記念ライブ 『JZ Brat Special Night ~Time to believe~』
公演日:2011年06月18日 (土)
会場:渋谷 JZ Brat (http://www.jzbrat.com/top.html
時間:1stステージ 16:30開場 / 17:30開演
 2ndステージ 19:30開場 / 20:30開演
料金:前売 ¥4,000- / 当日¥4,500- 前売¥7,000- / 当日¥7,500-  (税込/オーダー別)全指定席  ※小学生以下半額 
その他:<JZ Brat>
渋谷区桜丘町26-1セルリアンタワー東急ホテル2F
TEL:03-5728-0168

■最新作 ハルモニスタ (発売中)

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■2011年6月24日発売の次作TIME TO BELIEVE

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■メンバー

文 治城 Haruki Bun
吉村 義照Yoshiteru Yoshimura
鈴木 智顕Chiaki Suzuki
橘 哲夫Tetsuo Tachibana
柴田 智生Tomoo Shibata

イヴェント司会:西野七海

■セットリスト アジ @ウム・六本木ヒルズ、2011年5月22日日曜
setlist : AJI, @UMU, Roppongi Hills, May 22, 2011

performance started 19:25
01.あいたくて
02.There Must Be An Angel (Eurythmics)
03.Paparazzi
04.Don’t Know Why (Norah Jones)
05.Now You’re Not Here (Swing Out Sister)
06.Sweet Memories (松田聖子)
07.ねがい
08.睡蓮
09.More To Life
10.A Beautiful World
Show ended 20:08
佐藤善雄さんあいさつ

(2011年5月22日日曜、六本木ヒルズ・UMUウム、アジ(AJI)ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>AJI
2011-67




★伊東たけしさん『ソウルブレンズ』に

【Ito Takeshi On Soul Blends】

サイクリング。

Tスクエアのサックス奏者、伊東たけしさんがTスクエアの新作『Nine Stories(ナイン・ストーリーズ)』のプロモーションで2011年5月22日『ソウルブレンズ』にやってきた。

伊東さんとは、2007年12月に出たソウルのカヴァー・アルバムでお会いして以来。しばらくぶりの感じだったが、3年半ぶりとも思えなかった。

なんと、伊東さんは、ここ数年自転車に凝っていて、休みの日にはかなりの距離を走るという。山のほうに遠出すると一日で170キロも走るそうだ。最近の自転車は軽くなってスピードも速くなり、平均で時速2-30キロ、速いときには4-50キロも出る。

そんな自転車好きが昂じて、伊東さん、「ヒルクライム本部事務局」から請われて、そのアンバサダー(大使)役をおおせつかった。ここでは、サイクリングの大会を一般に広げるためにさまざまなことをやっている。今年から活動を本格的にして、10年後までには、全国の都道府県でサイクリング大会を開催したいという。

そのホームページに行くと、Tスクエアの最新作からの「はやぶさ~The Great Journey:奇跡の帰還」が流れる。(ページを開くとすぐに音がでるので、ご注意ください)
http://hill-challenge.jp/index.php

この「はやぶさ」は、F1のテーマとなって有名な「Truth」的な軽快なアップテンポの作品。

自転車をやっているので、心肺機能が高まり、サックスを吹くのにもいい影響を与えているという。

また伊東さんは、これとは別に秋口くらいまでに、ビッグバンドを結成してライヴをやりたいという。

■T Square最新作『Nine Stories』


ナイン・ストーリーズ
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■伊東たけし~ソウルのヒット曲を中心にカヴァーしたソロ・アルバムMellow Madness。2007年12月リリース


Mellow Madness
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伊東たけし
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ENT>ARTIST>T SQUARE
◎吉弘知鶴子ゴスペル・ナイト~ブルース・アレイが教会に

【Yoshihiro Chizuko Gospel Night】

ゴスペル。

ほぼ一年ぶりとなったブルース・アレイでのニューオーリンズで活躍してきたピアニスト、吉弘さんのゴスペル・ナイト。本当に毎回、その迫力あるライヴにはおそれいる。今回もグリニス・マーティン、アージー・マーティン、ポーラ・ジョンソン、フランク・レグリー、そして、シスター・グエンドリン・リードという超強力なヴォーカル・ラインアップでブルース・アレイを教会化する。これを支えるミュージシャンたちも黒い連中ばかりだ。

前回も登場していたシスター・グエンドリン・リードは、本当にすごい迫力。ロリータ・ハロウェイ、ジョスリン・ブラウン、アレサ・フランクリンに匹敵する迫力だ。ゴスペルの底力というか。彼女はアラバマ州アーネストンというバーミングハム近くの町出身。1991年、小学校の先生として、米軍座間キャンプに来日した。まもなく、座間の教会などでゴスペルを歌い始め、今でも毎週教会で歌っている、という。「サウンズ・オブ・ジョイSounds Of Joy」というのが、彼女のクワイアーでCDも出している。


左から、グリニス、フランキー、ポーラ、アージー

グリニス、アージー・マーティン夫妻は、ソウル・サーチン関連でも歌ってもらった。またフランク・ルグリーもブルース・アレイなどでよく歌を見ているいずれも実力派たちだ。普段ソウルを歌う彼らがゴスペルを歌うと、当たり前だが、ものの見事にゴスペルになる。

バックを支えるのが、ドラムスのバート、ベースのキース、そして、ギターに上條頌くん、吉弘さんのキーボードに加え、フィリップ・ウーのキーボードもファンキーに音を加える。バンドも黒ければ、歌も黒い。本物のゴスペル・ライヴだ。

今回見た曲では、どれもいいのだが、グリニスが吉弘さんのピアノ一本で歌った「ディア・ゴッド」、シスター・リードをフィーチャーした「ジーザス・ビー・ア・フェンス」など特に聴き応えがあった。

どの曲も吉弘さんの簡単な解説があってから演奏に入る。また曲名、いくつかの曲の歌詞がプリントされ、事前にテーブルに用意されているあたりも、実にフレンドリーでいい。

もう少し宣伝して、もっと多くの人に見てもらいたいところだ。

■過去関連記事

2010年07月06日(火)
吉弘知鶴子ゴスペル・ナイト
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10582573730.html

2009年01月26日(月)
吉弘知鶴子さん、キング牧師しのぶ会で演奏
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10198127899.html

2008年06月05日(木)
吉弘知鶴子ゴスペル・ナイト
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10103253271.html

■メンバー

吉弘知鶴子 Gospel Night

(Pf/HAMMOND B-3)吉弘知鶴子
(HAMMOND A-100/Fender Rhodes/Key)Philip Woo (Ds)Bert Adams
(B)Keith Williamson (G)上條頌 (Vo) Sis. Gwendlyn Reid、
Glynis Martin、Argie Martin、Paula Johnson、Frank Legree

■セットリスト
Setlist : Yoshihiro Chizuko Gospel Live @ Blues Alley, Meguro. May 20, 2011

01.Piano Solo
02.When The Spirit Of Lord
03.I Give You Praise
04.Nobody Greater
05.Center Of My Joy
06.Just Want To Praise You
07.I’m On The Battle Field
Show ended 21:06

Second set

Show started 21:27
01.Power In The Blood (instrumental) (Band)
02.Dear God (Glynis + Yoshihiro)
03.Me Again (+Frank, Paula, Argie)
04.I Smile
05.Jesus Be A Fence (+Sister Gwendlyn Reid)
06.Hallelujah, You’re Worthy To Be Praised
Enc. Hallelujah, Lord Will Love You
show ended 22:49

(2011年5月20日金曜、目黒ブルース・アレイ=吉弘知鶴子ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Yoshihiro, Chizuko
2011-

★ジョー・サンプル・インタヴュー (パート2)~電気キーボードの登場でツアーを続ける

【Joe Sample Interview (Part 2): Talks About Creole Joe Band And Zydeco And More】

ジョー・サンプル・インタヴューの昨日からの続き。還暦で、ルーツに戻ったジョー・サンプル。それまでにも、彼は多数のレジェンド(伝説)と一緒に仕事をしてきています。そんなエピソードのいくつかを。

メットポッドでインタヴューの模様を聴くことができます。
http://metropolis.co.jp/podcast/

レジェンド。

――多くの人たち、レジェンドたちと仕事をしてきていると思います。マイルス・デイヴィス、スティーヴィー・ワンダー、ミニー・リパートン・・・。そんな中で、ビル・ウィザースとの話をしていただけますか。

「ビル・ウィザースは僕が書いた『ソウル・シャドーズ』を歌ってくれたが、彼がスタジオに来て最初に歌ったのを聴いて、『これで仕事は終わった』と思った。ファースト・テイクだ。彼は『いやいやいや、もう一回やる、やらせてくれ』と言ったが、僕はこれで十分すぎると思った。結局、彼は何度となくやらせてくれと言っていたが、なんとかビルを帰すことにして、翌日、そのテープを電話越しに聞かせたら、「『なんで最初のでうまく歌えてるって、言ってくれなかったんだ』と言われた。(笑) 」

「(ビルもジャズとソウルをうまくミックスした人物だが)もうひとり、ジャズとソウルをうまくミックスした人物がいる。仕事を一緒にしてとても楽しめた人物、それがマーヴィン・ゲイだ。彼の素晴らしさについて、たとえばマーヴィンはソウル界の、洗練されたピアノを聴かせるセロニアス・モンクに匹敵すると思う。彼はソウル・シンガーだ」

ジョーは1939年2月1日生まれ、マーヴィンは1939年4月2日生まれ。2ヶ月しか違わない。ビル・ウィザースは1938年7月4日生まれ、みなほぼ同世代だ。


http://youtu.be/TWqGzH9vKg8

■「ストリート・ライフ」誕生秘話

――もう1曲、あなたが作った傑作で「ストリート・ライフ」という曲があります。このレコーディング・セッションはどのようなものでしたか。

「1976年、(ランディー・クロフォードが所属する)ワーナーブラザースから連絡があった。ランディーのセッションでピアノを弾いてくれないかと言われた。それが78年に実現するんだが、そのときにこのシンガーは、『オフ・ザ・ウォール・メロディー』を実にうまく歌う(註=壁から自然にとろけるようにメロディーが出るというイメージ)ので、このシンガーにそういう曲を書けないかと思った。僕は、いわゆる『トップ40ライター』(ヒットチャートをにぎわすトップ40ヒットを書く作曲家)ではない。僕は、そうだな、『クリオール・ライター』(笑)なんだがね。ただ、ソウル、ゴスペル、クラシックの要素をいれた曲をランディーに書きたいと思ったんだ。そこで彼ら(ワーナー)に、彼女に曲を書きたいと申し出た。すると、彼らはもちろんと答えた」

「僕は当時、山に家をもっていて、スキーに行った。そこでリフトに乗り、頂上に向かった。リフトに乗りながら、人々が滑っている下のスロープを見下ろした。周りに木々があり、みんなジャンプをしたりして滑っていた。そして、その瞬間に『ストリート・ライフ!』って言葉を思いついたんだ。そこでこの単語を思いつき、メロディーが浮かび、いくつかの歌詞、ストーリーを思いついた。すぐに(作詞家の)ウィル・ジェニングスに電話をして、『いま、こんなメロディーが思い浮かんだので、歌詞をつけてくれ』と頼んだんだ。そして、曲(のデモテープ)を完成させ、クルセイダーズ(のメンバー)に聞かせ、彼らも気に入ってくれた。そのとき、(メンバーの一員)ウィルトン・フェルダーが『この曲を歌うにはオールド・タイム・ヴォイス(昔ながらの声)が必要だ、エンディングをもう少し伸ばしたほうがいい』とアドヴァイスをくれた。結局、これをレコーディングしたら、13分くらいになってしまったので、編集で11分にした。だが、この長さでは通常の『トップ40ヒット』には決してならない。(訳注、普通ヒット曲は3分半程度。ラジオでは長い曲はまず普通かからない) そして(リリースされて)、しばらくしてから、ある夜ベッドに入ろうとするときに、ラジオから『ストリート・ライフ』が流れてきた。そのときに、こう言ったものだ。『Damn, that’s great! くそ、これはすばらしい!』(一同爆笑)」


http://youtu.be/5xovXxa6sGU

――1960年代から、あなたは積極的に新しいキーボードなどを使い、言ってみればそうしたものを使うパイオニアでした。新しいテクノロジーを使ってプレイすることについて、どのようなお考えをお持ちでしょうか。

「1968年、クルセイダーズのメンバーに言ったんだ。『もうジャズ・クルセイダーズとして、一緒にツアーできない。ジャズ・ミュージシャンとして、ツアーをし続けて生きることができない』と言った。というのは、全米のジャズクラブのピアノは、すべてどこへ行っても最悪なものばかりだった。(メンバーの)君たちは、自分のサックスや自分のトロンボーン、自分のギターを持っている。君たちは確実にコンディションのいいものを自分のチョイスで使える。だが、(ピアノは持ち歩けないので。各地の最悪のピアノに)僕はピアノを選べない。それですっかりうんざりしてたんだ。だから、もう旅にはでないで、ロスの家に留まってスタジオの仕事なんかをする、と宣言した」

「すると、ウーリッツァー(電気キーボード)が登場した。1950年代後期にレイ・チャールズがウーリッツァーをプレイするのをテレビで見た。それからフェンダー・ローズが登場した。フェンダーはその頃は、今ほど、十分に強くなかった。僕やジョー・ザビヌルのプレイに耐えられるほどではなかったんだ。僕たちは、フェンダーをよく壊してしまったものだ。そこで僕たちはこれをもっと強くしなければと考えた。しかし、このフェンダー・ローズの登場で、再び、ツアーに出ることができるようになった。だが、このフェンダーはピアノではない。だから、ピアノとはまったく違ったアプローチをしなければならない」

「あらゆる雑誌、キーボード・マガジンなどが尋ねるようになった。『あなたは、電気ピアノからどのようにしてあのサウンドを出すのですか』と。僕は、工場出荷されたままの状態でプレイすることをまず考えた。それからヴォリュームを一番低いところにして、4のあたりにまわしてそこで止める。4を越えると決していい音はでない。(音が割れてしまう) その低いところでの音が、その楽器の一番いい音を出すことができる。だけど、『どうやってあの音を出すか?』って質問かい? それは、この(僕の)指から音を生み出すんだよ!(と、両手の指10本をみんなに見せる)」(笑)(一同爆笑)

――かなりの回数日本の東京にやっていらっしゃいますが、何があなたをこれほどまでに日本に来させるのでしょうか。

まず何より、日本の食べ物(食事)が大好きということがある。(笑) 日本の食事の大ファンなんだよ。僕が日本に初めてやってきたのは1967年、パーシー・フェイス楽団の17人の一員としてだった。以後、ほとんど毎年のようにやってきている。前回は東京ジャズだったかな。それと、僕のロンジェヴィティー(永続性、継続性、長く続くこと)の秘密のひとつは、太陽が昇る前にベッドに入るということだ。(笑) 

――ジョー・サンプルさん、ありがとうございました。

ジョーが今回「ザディコ」を選んで、そのバンドを結成し、演奏を日本で初披露したことには、自らのカルチャーへの敬意を表わす意味がある。世界の各地にさまざまな文化(カルチャー)がある。それが、みな同じではつまらない。あちこちにあるものがそれぞれ違っているから、多様性があるからこそ、おもしろい。そこで、ジョーは「(固有の)文化にしがみつこう(こだわろう)Stick to your culture」と声高に宣言する。おそらく「ザディコ」音楽は、世界規模で見ても聴く人は少数だろう。だが、それを堂々と掲げて演奏するところに、ジョーの自身の文化へのこだわり、先輩への尊敬、歴史への正しい認識などがある。彼がただの「トップ40アーティスト」ではない証だ。

ちなみに、今回ステージで披露されたザディコ楽曲は、ほとんどがジョーのオリジナル。歌詞をつけたのが、デニース・ラブリーという作詞家だ。ラブリーは、実はジョーの奥さんの妹、したがってジョーの義理の妹ということになる。

これらの楽曲、ほぼレコーディングは終えているが、若干の手直しが必要なために、帰国後、そうした作業をする。忙しいみんなをもう一度集めて、一部の楽曲の再録音も計画されているようだ。もともとは、来日の前に、日本でCDをリリースしたかったようだが、震災の影響でプレスがなかなか思うようにならず、結局、リリースする前に、来日してしまった。出来るだけ早くリリースしたいとのことだ。

(この項、つづく)



http://youtu.be/lQwE3wBlt-A

★ジョー・サンプル・インタヴュー (パート1)

【Joe Sample Interview (Part 1)* Talks About Creole Joe Band And Zydeco】

ザディコ。

今回のジョー・サンプル・バンドの来日は、ジョーにとってもかなりユニークなものになっている。飯倉のスージーズでカマサミ・コングさんと彼のメットポッド用インタヴューで一緒に話を聞いた。ジョーは言う。「僕は今回はジョー・サンプル・トリオでもなく、ランディー・クロフォード&ジョー・サンプルでもなく、クルセイダーズなどの音楽をやるのではなく、『クリオール・ジョー・バンド』をプレイしにやってきた」 クリオール・ジョー・バンドとは、その彼が目指すものは? 

この模様は、メットポッドでインターネットで無料で聴ける。(ジョーの生声が聞けます)(金曜までにアップされる予定です)
http://metropolis.co.jp/podcast/

ジョーは実に話題の豊富な人物だ。そして、博識、さまざまな学術的、歴史的な考察から、おもしろいコネタのミュージシャン・エピソードまで、なんでも話がおもしろい。彼とはいつもいろいろな話をするが、ほとんど同じ話がでてこないところがすごい。毎回新鮮なネタを提供してくれる。一方で、他のインタヴューでもおそらく「ザディコ・ミュージックとは何か」という何回も聞かれている質問にも丁寧に、何度でもいやがらずに解説してくれる。このあたりが、プロフェッショナルだ。「ザディコ」を知らない人には一からまるで、家庭教師のように本当に丁寧に説明してくれる。

このインタヴューでは、クリオール・ジョー・バンドのこと、これまでに一緒に仕事をしたアーティストのこと、ビル・ウィザースとの「ソウル・シャドーズ」誕生秘話、「ストリート・ライフ」誕生秘話などが聞ける。

彼が話す前に、この話の前提となるルイジアナ州とテキサス州について簡単におさらいしておこう。これら二つの州はアメリカ中南部にある。ミシシッピー河が二州を分けるが、東側(地図で見ると右側)がルイジアナ、西側がテキサスになる。ルイジアナの西側にテキサスがある。もう一点、クリオールというのは、黒人とヨーロッパ(特にフランス系、スペイン系)との混血人種のこと。ヨーロッパの植民地だったこともあり、そうしたヨーロッパ人たちのミックスが多く、シンプルな黒人たちとちょっと違ったコミュニティーができていた。

まず、この『クリオール・ジョー・バンド』の説明を目を輝かせながら始めた。

――では、まず今回の来日について、このバンドについて簡単に説明してください。

「説明しよう。僕は1939年テキサス州ヒューストンのサウス・イーストに生まれた。1927年にルイジアナにはミシシッピー川の大洪水(Great Mississippi Flood)が起こり、そこに住んでいた人々はみなヒューストンに移らなければならなくなった。そこで僕は生まれた。ちょうど、ミシシッピー川は、ルイジアナとテキサスを分けるが、その川の氾濫で80万人が家を失い、(ルイジアナのサウス・ウェストに住んでいた人々は)テキサスのサウス・イーストに移住した。そういうわけで、そこにはルイジアナから移り住んできた人々のコミュニティーができた。あらゆるルイジアナ・カルチャーがそのまま移り住んだ。食べ物、音楽、ライフスタイルあらゆるものだ。その頃の(我々クリオールの)音楽は『ララ・ミュージック』と呼ばれていた。ファミリーの曾おじいさん、そのまたおじいさん、あるいは、父母、子、兄弟・従姉妹たち、みんなが月に2回カトリック教会に通った。そこでは「ララ・ミュージック」が流れ、おじいさんも子供も孫も、何世代もの人々が同じ音楽で踊っていた。これは、今までにクリエイトされたダンス・ミュージックの中でも最高のものだった。決して座って聴くことはできない音楽だよ。(笑) 」

1927年のミシシッピー川の洪水は、シンガー・ソングライター、ランディー・ニューマンが「ルイジアナ1927」という作品にしている。これを後にニューオーリンズ出身のアーロン・ネヴィルもカヴァー。

アーロンとインディア・アリーのデュエット・ヴァージョン。

http://youtu.be/-OxcXHuAY0k

アーロン・ネヴィル・ヴァージョンの「ルイジアナ1927」収録
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000002GJK/soulsearchiho-22/ref=nosim/

還暦。

「『ララ・ミュージック』は、今では『ザディコ・ミュージック』と呼ばれるようになった。1970年代後期に、ザディコ・ミュージックのキングと言われるクリフトン・シェニエーがそういい始めた」

「僕は1999年に(ロスアンジェルスから)テキサスに引越して戻ってきたんだが、そのときいまだにクリオール・カフェやチャーチやザディコ・ミュージックをやるクラブがたくさんあったことにすごく驚いた。つまり彼らは、(僕の子供の頃と同じことを)ずっと引き続きやっていたんだ。昔は『ララ・バンド』だったが、今では呼び名だけは『ザディコ・バンド』だ。だが、ハーモニー、メロディー、ストーリー、すべて昔と変わらない。しかし、これを若い世代がやり始めていた。本当に素晴らしいと思った。そこで、そのとき、僕は新しい『ララ・ミュージック』すなわち『ザディコ・ミュージック』をやろうと決心したんだ。それから12年経って、その完成した音楽をここ(日本)で『ワールド・プレミア』として紹介できることを大変嬉しく思っている。新しい『ララ・ミュージック』『新しいクリオール・ジョー・バンド』というわけだ」

「このバンドは、2人のアコーディオン(1人はジョー)、2人のキーボード(1人はジョー)、ベース、ドラムス、ウォッシュボード、シンガー、2人のギター計9人。このバンドは9人もいるので、僕にはお金が全然残らないんだけど、とても楽しいのでやってるんだ。(笑) 昨晩もその前も、日本のお客さんも最後は踊りだしているよ。そう、まさに天井で踊ってるほどだ。Dancing on the ceiling! 僕もたちあがってアコーディオンをプレイするくらいだからね。でも、大体は座って弾くけど。あまりに重いんでね。(笑) 2009年に心臓発作で入院したときに、今こそアコーディオンを練習するときだと確信して、練習したんだよ」

「ララ・ミュージック」「ザディコ」は、あまり日本ではなじみがない。しかし、これは楽しいハッピーなダンス・ミュージックだ。シンプルでたいがいがアップテンポで、メロディーもわかりやすく、サビのところなど誰でも一度聴けば覚えてしまう。

クリオール・ジョー・バンドのライヴを見ていると、それこそテキサスか南部の小さなライヴハウスでのハウス・パーティー・バンドを見ているような気になってくる。だれもがそこにある音が出るものを掴み、一緒に音を出して、楽しむ、そんな観客参加型のライヴだ。シンプルなリズムとアコーディオンが奏でる音が特徴的だ。

――ジョー、このバンドにはここ日本出身の人物がいますよね

「おお、そうだ。山岸潤史(ジュン)だ。25年以上も前に、大阪で大騒ぎしている頃に知り合った仲間だ。あるとき、ニューオーリンズで彼を見かけて驚いた。16年ほど前に彼は、日本からニューオーリンズに引っ越してきてたんだよ。そして、ジュンはワイルド・マグノリアスというニューオーリンズのマルディ・グラ・パーティー・バンドのメンバーになった。彼を迎えられて本当に興奮している」

「そして、もうひとりスペシャル・ゲストがレイ・パーカーだ。彼とはモータウンのレコーディング・セッション、1970年代の頃からの知り合いだ。このプロジェクトは12年越しになってしまったが、適材適所の人物を探し当てるのにとても時間がかかった」

ちなみに、ザディコという言葉は、フランス語の"Les haricots sont pas sales", 「さやまめはしょっぱくない」の冒頭の「レザリッコ」が英語に訛ったもの、だという。

いわば、ジョーは子供の頃、自分が初めて親しんだ、自らのルーツ・ミュージックである「ザディコ」を、72歳にしてチャレンジしたわけだ。彼が1999年、それを決意したとき、ジョーは60歳、すなわち還暦だった。還暦とは暦が一周して戻ること。いわば還暦に、ジョーはルーツを再発見し、まさに還暦ならぬ還ルーツ音楽となった。

(この項、つづく)



http://youtu.be/lQwE3wBlt-A

■「ザディコの父」クリフトン・シェニエーのベスト・アルバム。クリフトンは、今回来日しているCJシェニエーの父。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004145U10/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name

ARTIST>Sample, Joe
■『アンサング』6月からシーズン3始まる

【Unsung: Season 3 Starts June】

シーズン3。

ワシントンDCのケーブル放送局TV ONE制作のブラック・ミュージシャンにスポットをあてるドキュメンタリー『アンサング』の第3シーズンが2011年6月から始まる。ラインナップは次の通り。

June 6 -- Deniece Williams
June 13 -- The Spinners
June 20 -- Alexander O’Neal
June 27 -- Big Daddy Kane
July 4 -- The Ohio Players
July 11 -- Evelyn "Champagne" King
(現在、発表されているのはこの6本だが、その後も続く)

これまでのラインアップなどは、こちら。
http://www.tvoneonline.com/shows/show.asp?sid=902&id=2652

この『アンサング』はだいたい40分程度のドキュメンタリーで、焦点となるアーティストとその周囲の関係者に話を聴き、また、ライヴ映像、過去のアーカイブ映像などで、その人となりを描く。アップダウンのあるアーティストが登場することが多く、まさに僕の著作『ソウル・サーチン』と視点が同じところが興味深い。

おそらく『ソウル・サーチン』の本を元にテレビのドキュメンタリーを作るとこうなるのではないか、というお手本のような番組で、毎回楽しみにしている。

この番組自体はアメリカでもケーブル放送局で放送されているが、オンエアから一週間程度期間が限定されるが、ウェッブでフルサイズを見ることができるので、日本にいてもこれを見られる。

一本一本ていねいに作られているので、知らないことがたくさん出てきて楽しい。

ここで、これから放送されるアレキサンダー・オニールの予告編なども。
http://www.tvoneonline.com/shows/show.asp?sid=902&id=3161

すでに放送された回の予告編もある。テディー・ペンダグラスのものを見たが、彼のソロ・デビュー・アルバムのジャケット写真が、間違っていた。

とりあえず、6月1週からネットで見られるはずなので、興味あるかたはどうぞ。

ENT>TV>Unsung


◇「兄弟の誓い」物語~フィリップ・ウー・ライヴ(パート2)

【”He Ain’t Heavy, He’s My Brother” Saga】

誓い。

12日(木)に行われたフィリップ・ウー&フレンズのライヴで、ケイリブの歌で歌われ感動的だった「ヒー・エイント・ヘヴィー・ヒーズ・マイ・ブラザー」。この曲について少しご紹介したい。

これは、ボビー・スコットとボブ・ラッセルという二人が共作したもので、一番最初にレコーディングしたのは、1969年、ケリー・ゴードンというシンガーだった。ただこれはヒットせず。そして、すぐにイギリスのホリーズが録音、1969年9月にイギリス、ついでアメリカでシングル・リリース、全英3位、全米7位を記録。アビー・ロード・スタジオでレコーディングされたここでピアノを弾いていたのはエルトン・ジョンだった。その後、1970年にニール・ダイアモンドがカヴァー、レコーディング。これもシングル・カットされ全米で20位を記録するヒットになった。1988年にはホリーズのものが、イギリスで「ミラー・ビール」のCMで使われ、再度ヒットした。日本ではホリーズのものが有名だが、これには「兄弟の誓い」という邦題がついている。

ところで、この曲を書いた二人は、名作詞家ジョニー・マーサー(「ムーン・リヴァー」など名作多数)に引き合わされ、意気投合。ところが、二人が知り合ったとき、ラッセルはすでに癌に犯され余命いくばくもなかった。彼らは3回ほどしか実際に会うことはなかったが、その短い邂逅の中でこの「ヒー・エイント・ヘヴィー…」を完成させる。しかし、まもなく、ラッセルが他界したために、著作権について、取り分などで裁判沙汰になってしまった、という。

この曲のコンセプト、タイトル自体は1920年代からあったという。直訳すると、「(背負っている)彼はやっかいものじゃない、重くはない、彼は僕の兄弟だから」といったもの。

1924年9月に、キワニス・マガジンのロー・ファルカーソンというライターが、「ヒー・エイント・ヘヴィー、ヒーズ・マイ・ブラザー」というタイトルのコラムを書いた。このフレーズは古くは1884年頃から言われてきたもので、様々な表現の仕方があったが言わんとすることは同じだ。そして、これは親のない孤児を集めた「ボーイズ・タウン」の創始者エドワード・フラナガンのキャッチフレーズとも関連している。フラナガンは、1941年のクリスマスに雑誌で男の子がその兄弟を背負ってるイラストを見た。その絵のキャプションには、「彼は重くなんかないですよ、僕の兄弟ですから」と書かれていた。これは後にアイデアル・マガジンの編集者となるヴァン・B・フーパーによるものだったが、このイラストとキャプションを気に入ったフラナガンは使用許諾を取り、このフレーズは「ボーイズ・タウン」のモットーとなった。

これより先、1918年にも、同じような話があった、という。小さなスコティッシュ・ガールが、彼女と同じかそれ以上の兄弟を背負って歩いていた。するとそれを見た通りすがりのものが、「どんなにや重いだろうね」と声をかけたところ、すぐにスコティッシュ訛りで「彼は重くなんかない、私の兄弟だから」と答えた、という。血のつながった兄弟だから、何も重くなんかない、というメッセージは普遍だ。

解釈。

そして、訳詞は下記をごらんになっていただくとして、ここから多くのリスナーは、それぞれにこの歌詞を受け取るようになる。そこが音楽の広がりというか素晴らしいところだ。

ある者は、戦争で傷ついた仲間を背負って基地に帰る姿をイメージする。兄弟という言葉が友達、家族のメタファーに広がる。天国へ向かう死んだ弟を背負った兄の彫刻のようなものがある。そして、天国の入口で神が尋ねる。「汝が背負っている者は重くはないか?」するとその男が答える。「(彼は)重くはありません。僕の弟(兄弟)ですから」

背負うものは、兄弟というだけでなく、悲しみや苦しみ、苦労といったものも表わす。ひとたび、この歌が世に出れば、それ以後の解釈は、聴く者の自由だ。

この「兄弟の誓い」とほぼときを同じくして、サイモン&ガーファンクルは「ブリッジ・オーヴァー・トラブルド・ウォーター(明日に架ける橋)」を世に送り出す。どちらも、見返りのない友情、愛を描いた傑作だ。1969年から1970年という時代は、こうした人類愛にあふれた時期だったのかもしれない。

この曲が持つ普遍的なメッセージは、その後の911、イラク戦争、カトリーナの被災などにも有効だ。そして、もちろん今回の東北大震災の被災者にも素晴らしきメッセージとなる。

この「兄弟の誓い」という邦題もなかなか素晴らしい。わずか5文字で、これだけ長い英語タイトルをまとめた。見事である。

そして、この楽曲、ホリーズ、ニール・ダイアモンドのほかに、ソウル・ファンにはデイヴィッド&ジミー・ラッフィン兄弟のものが白眉。ほかに、ダニー・ハサウェイも素晴らしいヴァージョンを録音している。また、ほかに、ボビー・ゴールズボロ、シェール、オズモンズ、オリヴィア・ニュートン・ジョンなどもカヴァーしている。

また、曲調、歌詞のコンセプトなどが、ビートルズの「ロング・アンド・ワインディング・ロード」(1970年5月からヒット)に似ているので、ひょっとしてビートルズ曲の元、あるいは「ロング・アンド・ワインディング・ロード」にインスパイアーを与えた曲だったかもしれない。

ダニー・ハサウェイ



http://youtu.be/7HFDAp8XVrk

ホリーズ



http://youtu.be/C1KtScrqtbc

ニール・ダイアモンド



http://youtu.be/usZtSl8mX08

ラッフィン・ブラザーズ



http://youtu.be/C2eQMy4Sdso

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「兄弟の誓い」(訳詞)
He Ain’t Heavy, He’s My Brother / Hollies, Neil Diamond, Ruffin Brothers
(Written by Bobby Scott, Bob Rusell)

The road is long, with many a winding turn
That leads us to who knows where, who knows where
But I’m strong, strong enough to carry him
He ain’t heavy - he’s my brother

道のりは何度も曲がりくねり険しく長い
その彼方はどこともわからず、果てしなく続く
だが僕は兄弟を背負って行く、僕は強いから
背負ってる兄弟は重くなんかない、だって、僕の兄弟なんだから

So on we go, his welfare is my concern
No burden is he to bare, we’ll get there
For I know he would not encumber me
He ain’t heavy - he’s my brother

僕たちは歩む、ひたすら歩む。彼の幸せだけが僕のきがかり
彼のこと、重くなんかない。僕たちは必ずかの地にたどり着く
兄弟は僕の足手まといなんかではない
背負った兄弟は重くなんかない、僕の兄弟なんだから

If I’m laden at all, I’m laden with sadness
That everyone’s heart isn’t filled with gladness of love for one another
It’s a long long road from which there is no return
While we’re on our way to there, why not share

もし僕が打ちひしがれたというなら、それはみなの心がお互いの愛の喜びに満たされてない寂しさゆえだろう
この道は、決して後戻りできない長く果てしない道のり
そのはるかなる目的地まで、力をあわせるしかない

And the load, it doesn’t weigh me down at all
He ain’t heavy - he’s my brother
He ain’t heavy - he’s my brother, he’s my brother, he’s my brother

どんなにつらく厳しい道のりであろうと、それは僕をくじけさせることはない
背負っている兄弟は、僕の兄弟なんだから
兄弟は重くなんかない、僕の兄弟なんだから

(訳詞・ソウルサーチャー)

■ソウルファンにはこれが一番お勧め「兄弟の誓い」~ラッフィン・ブラザーズ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003KZZ4SU/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■「兄弟の誓い」収録のホリーズのベスト

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000GALFXU/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ニール・ダイアモンドの「兄弟の誓い」収録・エッセンシャル

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005R5SO/soulsearchiho-22/ref=nosim/


ENT>SONG>He Ain’t Heavy, He’s My Brother



◎ジョー・サンプル&クレオール・ジョー・バンド(パート3)

【Joe Sample & Creole Joe Band (Part 3)】

蝶ネクタイ。

ジョー・サンプルは、小さな赤い蝶ネクタイをしている。そして、がっしりとした体格、若干の白髪があるので、遠くから見ると、ケンタッキー・フライド・チキンのカーネル・サンダースみたいだ。

ジョーに尋ねた。「なんでまた赤い蝶ネクタイを?」「ああ、あれはね、昔、人気があったジェリー・ロール・モートンを気取ってるんだよ。ジェリーはスーツに蝶ネクタイでとてもクールだった。そんな雰囲気をだしたかったんだ。ジェリーは素晴らしいピアニストだからね。1920年代のハーレムではみんなスーツなんかを着飾っておしゃれしていた。一方で、レイは(ステージで)つなぎを着ている。このバンドのリハーサルをレイのスタジオでやっていたとき、レイが僕の前でギターを弾いてて、その後ろで僕がキーボードを弾いていた。すると、レイが振り返って僕に言うんだ。『こんどのこのバンドでは、クルセイダーズみたいに全員がブラック・スーツを着るのはいやだ。僕はオーヴァーオール(つなぎ)を着るんだ』って言い出したんだよ。つまり今度のバンドは、カントリーの感じを出したいんだよ。テキサスだからね」

ジェリー・ロール・モートン(1890年~1941年、50歳で没)は、ルイジアナ州ニューオーリンズ生まれのピアニスト。1926年にメジャーのRCAと契約したクレオールのアーティスト。様々なスタイルを作り、後のピアニストに大きな影響を与えた。もちろん、ジョー・サンプルもその一人。ジョーの大先輩にあたる。

「ジョー、遠くから見てると、あなたの赤い蝶ネクタイと白髪が、カーネル・サンダースみたいでしたよ」 「カーネル・サンダース?? あはは、そうか。おいみんなヨシが、俺のことをカーネル・サンダースに見えるってさ」(一同爆笑) 「フライド・チキン、食べないとな」

そのレイは、楽屋でもアコースティック・ギターをちらっと弾いていた。「南部のサウンド、ザディコは好きですか?」 「おお、もちろん。いい音楽であれば、なんでも好きだよ。今度のバンドメンバーは、ジョー以外、みんな初めて会うけど、みんないい連中だ」

■クレオール・ジョー・バンド・トリヴィア。

銀色の洗濯板(ウォッシュボード)には、マイクはついていない。ノーマイク。したがってあそこでこすられた音がそのまま会場に響く。後半で客席に下りるところがあるが、近くに来ると音が大きいのがよくわかる。ジェラルドによると、これはジェラルドのカスタムメイド。自分で簡単にこんな感じと絵を書いて業者に作ってもらった。それでもコストは140ドルくらいで、意外と安い。楽器店で買ったら500ドルくらいはするかもしれない。もう7年くらい使っているという。ちょうど肩のところまでギザギザがあるので、そこでも音を出せるようになっている。

CJのアコーディオン、音がひとつ出ない。キーボードが折れているらしい。初日に応急処置をしたが、やはりその音がでない。そこで、CJは、ジョーのアコーディオンを借りる。ジョーも弾く時は、CJは自分のものを使う。CJのものは、中央にCJの文字が赤く電飾でアレンジされ、ぴかぴか光る。

CJもジェラルドも初来日。ことのほか日本が気に入ったよう。

ジョー・サンプルのザディコ原体験は、彼が6-7歳の子供の頃から。家族に連れられていったイースト・ヒューストンの教会だった。そこで、アコーディオンなどで演奏される音楽に魅せられた。

素晴らしい歌声を聴かせているシャロンは、今回の来日が12回目だという。浅草で行われている音楽イヴェントで「ニューオーリーンズ・ジャズ・オールスターズ」の一員として何回か来ているそうだ。他にもジャズ・シンガーとして来日経験あり。

レイ・パーカーがステージで着ているつなぎは、ロスアンジェルスで買ってきた。だが、サイズがちょっときついらしい。(笑) 一方、CJのスーツは地元ヒューストンで買ったもの。各色揃え、帽子と靴も色を合わせている。おしゃれさんだ。

(ジョー・サンプル関連、つづく)

■ライヴは火曜から木曜まで、ブルーノートで一日2ショー
http://www.bluenote.co.jp/jp/index.html

ENT>LIVE>Sample, Joe & Creole Joe Band
ENT>ARTIST>Sample, Joe

< 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 >