◎キャンディー・ダルファーは素敵にファンキー、ファンキーで素敵

【Candy Dulfer : Funkiest Chic Beautiful】

ファンタスティック。

素敵なサックス奏者キャンディー・ダルファーは、素敵にファンキー、そして、ファンキーで素敵だ。ほとんど毎年のようにやってくるキャンディ、今年3月にはメイシオ・パーカーとの共演ステージもあったから、1年空かず約7ヶ月ぶりの来日。セカンドの開始が約15分遅れ。ファーストが伸びたようだ。

キーボード2人、ドラムス、ギター、ベース、トランペット、ヴォーカル(ラップも)にキャンディ(サックス)という8人編成。黒のミニのワンピースに身を包んだこの美貌の白人が黒いファンクをかます。以前にも増して、メイシオ色、ジェームス・ブラウン色、ブルー・アイド・ファンク色が強くなった感じがする。しかも、曲によっては振り付けまで付け、エンタテインメント性もたっぷり。のりのりだ。


選曲もとてもわかりやすくて、初めてキャンディを見る人たちも思い切り楽しめるだろう。アリシア・キーズの「エンパイアー・ステート・オブ・マインド」や、ロイ・ハーグローヴの「セント・デニス」、そして、プリンス楽曲、おなじみの「ピック・アップ・ザ・ピーセス」と、ファンが喜ぶ選曲だ。

驚いたのは、舞台下手(客席から見て左手)の大柄のお相撲さんのような黒人キーボード奏者、チャンス・ハワードが実はけっこういい声の持ち主でちゃんと歌うこと。5曲目でなんとボビー・ウーマックのヒット「デイ・ライト」を堂々と歌った。この歌声はけっこうしびれる。

ロイ・ハーグローヴでおなじみの「ストラスブルグ/セント・デニス」は、トランペットとキャンディのサックスがかけあい、ちょっとした聞き物。プリンスからもらったという「ライフ・オブ・ザ・パーティー」では、キャンディーは客席をサックスを吹きながら練り歩く。

サックスのファンキーさは、メイシオ譲り、サウンドのファンキーさは、プリンス譲り。そして、そのルーツにはジェームス・ブラウンのファンクの塊が垣間見られる。

最後のアンコールは、「サックスがいい、ファンクがいい?」と観客に尋ねると、「ファンク~~~!」という声がかかり、JBズのヒットに。「ギミ・サム・モア」と「レット・イット・ゴー」をまぜあわせていた。

なかなかまとまったバンドだが、最近では日本人のファンクを理解しているメンバーでもこれくらいのパフォーマンスはできるような気もしないでもない。唯一の注文は途中2箇所あったギター・ソロがちょっと長すぎる点くらいかな。あれをもっと短くしたら、もっとしまる。

しかし、アンコール終わってみれば、1時間50分。なるほど、ファーストもほぼ同じセットリストらしく、これだけ押せば開場も遅れる。これだけやってくれれば超満足のライヴだ。

■過去関連記事

2010年03月04日(木)
メイシオ・パーカー&キャンディー・ダルファー・ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10472681336.html

2009年05月10日(日)
キャンディー・ダルファーとシーラE・ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10258064099.html

October 18, 2006
Candy Dulfer Live: Another Average White Band
http://blog.soulsearchin.com/archives/001338.html

■キャンディー・ダルファー最新作『ファンクド・アップ』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001RVITJK/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■メンバー

Candy Dulfer(sax,vo) キャンディー・ダルファー(サックス、ヴォーカル)
Ulco Bed(g) ウルコ・ベッド(ギター)
Chance Howard(key,vo) チャンス・ハワード(キーボード、ヴォーカル)
Arjen Mooijer(key)アルイェン・モイヤー(キーボード)
Manuel Hugas(b)マニュエル・ヒューガス(ベース)
Oscar Kraal(ds)オスカー・クラール(ドラムス)
Jan van Duikeren(tp)ヤン・ヴァン・ダウケレン(トランペット)
Ricardo ’Phatt’ Burgrust(vo)リカルド“ファット”バルグルスト(ヴォーカル)

■セットリスト キャンディー・ダルファー
Setlist : Candy Dulfer @ Bluenote Tokyo, October 13, 2010

21:46
01.My funk
02.Be Cool
03.Empire State Of Mind [Alicia Keys]
04.CD 101.9
05.Daylight [Bobby Womack]
06.Don’t Go
07.Strasbourg/St. Denis [Roy Hargrove]
08.Life Of The Party [Prince]
09.Pick Up The Pieces [Average White Band]
Enc. Gimme Some More – Let It Go – Gimme Some More [JB’s]
Show ended 23:36

(2010年10月13日水曜、ブルーノート東京=キャンディー・ダルファー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Dulfer, Candy
2010-

◎小沼ようすけライヴ:「グオッカ」(クアドループのリズム)とのケミストリー

【Onuma Yosuke: Chemistry With Rhythm Of Gwo Ka】

化学反応。

カリブ海に浮かぶグアドループ島(フランスの海外県、公用語はフランス語)のリズム「グオッカ」を取り入れた新作『ジャム・カ』をリリースした湘南のギタリスト、小沼(おぬま)ようすけがアルバム発売と連携してツアー、その最終日を2010年10月12日東京ブルーノートで迎えた。前日の秋田から移動し、このライヴではアルバムのレコーディング・メンバーも参加。

キーボード、ベース、サックスにパーカッション2人、そしてギター小沼ようすけの6人。さすがにおしゃれな感じの女性ファンが多い。

そもそもこのプロジェクトは、今回のプロデューサーの松永誠一郎さんがサックスのジャック・シュワルツ・バルトとつながりがあり、彼とつながりのある2人のパーカッション奏者(=レジーとオリヴィエ。正確にはグオッカのリズムを奏でるグオッカ・ドラマー)が演奏しているCDを小沼が気に入ったことから、そのメンバーでレコーディングしようということになったそうだ。この2人のパーカッションとベース奏者が繰り出すリズムが、グアドループ島の「グオッカ」というリズム。これはさすがに言葉で表現できないので、小沼のその新作『ジャム・カ』を聴いていただきたい。一言で言えば、実に高揚感が出るのりのいいリズムだ。アフリカをルーツに持ち、グアドループ島で独自に発展したという。

当初、全体的なサウンドはまさに南国のホテルのラウンジで奏でるライヴバンドという感じがした。冷えたシャンパーン、白いワインを傍らに南国のそよかぜがブルーノートのろうそくを揺らすといった趣だ。

しかし、徐々にこのバンドの肝は2人のパーカッション奏者だということが明らかになっていく。

本人の説明によると、このアルバムは、今年2月にニューヨークで録音し、そのスタジオはガラス張りで、ときに外に雪が降るのが見える。そんな中で「グオッカ」のリズムをレコーディングしていた。映像が浮かび上がるような小沼のギターと、それを支えるバンドのコンビネーションが実にいい。

僕が特に気にいったのが下記セットリスト6曲目の「ジャム・カ」。パーカッションの2人から繰り出されるこの繰り返しのリズムは実に強力だ。これを聴いていてメルヴィン・ヴァン・ピーブルスのブラック映画『バッドアスBaadasssss!』あたりのBGMに最適ではないかと思った。一昔前のブラック・ムーヴィー(ブラックスポロイテーション映画)のサントラに使えそうな感じだ。だから、これなんか、ヒップホップの連中にサンプリングされてもいい。そう思って聴いていると、ニューヨークのブラック・FMステーションなんかの深夜時間帯にかかってもいいような気さえしてきた。

僕はそもそもブラックっぽいものが好きなので、小沼のブラック・フィーリングあふれるギターが出てくるとすごく気分が高揚するが、この日もシンプルなカッティングは実に最高。アンコールの1曲目に出た「ファン・カ」は、2人のパーカッション(まるで兄弟のよう)とキーボード、ベース、サックスすべてがソロを演じ、特にパーカッションだけになるバトル部分は圧巻だった。途中からひじょうに難しいリズム(何拍子なのかわからなくなった)で繰り広げられるパーカッションのさまざまなリズムには圧倒させられた。たった2本の腕で、2人ともさまざまなリズムを生み出す。オリヴィエとアーノウは、まさにリズムの総合商社だ。

熱くなったセッションを終えるとバック・メンバーはステージを降り、小沼だけが残った。そして、最新アルバムの最後に収録されている「チアラモンティ」をアコースティック・ギターで一人で弾いた。まさにそれまでが「動」だったら、最後の締めは「静」だった。

彼などを見ていると、才能あるアーティストというのは、一緒にコラボするアーティストたちによって、さまざまな引き出しにある才能をひっぱりだされるんだなあ、ということを痛切に感じる。グアドループの「グオッカ」のリズムと結合することで、小沼は自身の中にある新たな才能を発見した。まさに化学反応、ケミストリーだ。

ミュージシャンは、あちこち世界に旅をすればするほどいい。

■ ジャム・カ 小沼ようすけ最新作

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003IGMJ3O/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■メンバー

Yosuke Onuma(g) 小沼ようすけ(ギター)
Jacques Schwarz-Bart(sax) ジャック・シュワルツ・バルト(サックス)
Milan Milanovic(Rhodes) ミラン・ミラノヴィッチ(ローズ)
Reggie Washington(b) レジー・ワシントン(ベース)
Olivier Juste(per) オリヴィエ・ジュスト(パーカッション)
Arnaud Dolmen(per) アーノウ・ドルメン(パーカッション)

■セットリスト 小沼ようすけ
Setlist: Onuma Yousuke @ Bluenote Tokyo, October 12, 2010

show started 21:40
01. Rain Drops
02. Seascape
03. Dlo Pawn
04. Friend & Lover
05. Esan
06. Jam Ka
07. Flyway
Enc. Fun Ka
Enc. Chiaramonti
Show ended 23:25

(2010年10月12日火曜、ブルーノート東京=小沼ようすけライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Onuma, Yosuke
2010-168

◎大澤誉志幸ライヴ・アット・ブルース・アレイ

【Ohsawa Yoshiyuki Live At Blues Alley】

ソウルマン。

マーチンから何度か「大澤はソウルマンだよ。ソウル・チルドレンとかディープなのをライヴでもやってるよ。吉岡さん、一度見たほうがいいよ」というお勧めもあり、しかも、うちから近いブルース・アレイでのライヴということで、土曜日の4時半の回に出向いた。かなりの大雨だったが、会場はほぼ満員。

定刻きっちりにバンド・メンバーがステージにあがり、ライヴがスタート。最初、彼の声に驚かされた。しわがれ系のまさにソウル・ヴォイス。それがライヴだととても顕著で、この声なら何を歌ってもソウルになるのではないか、と思わせられた。

キーボード、ベース、ドラムス、ギターに本人、大澤という5人編成。大澤は中央の椅子に座り、歌う。そういえば、10日に亡くなったソロモン・バークも椅子に座って歌っていたなあ。バンド・メンバーのうち、ギター奥田健介とドラムス小松茂がノーナ・リーヴスのメンバー、そして、ベース千ヶ崎学もサポート・メンバーということでなじみ深い。バンドもしっかりしていて、実にまとまったサウンドだ。グルーヴ感のある曲も自然にグルーヴが出ている。

この日は1部と2部が入替え制ということだったので、僕は最初ファーストだけ見るつもりだったのだが、なんと聞けば、ファースト・セカンドともに一曲もダブりがないという。そこで、急遽セカンドも少し見せていただくことにした。次の予定があったので、セカンドは途中までだったが、たっぷり楽しんだ。

全体的に、ソウル好きであることは痛いほどわかったが、それ以上にさまざまな音楽的多様性を感じた。たとえば、ブルーズ、ラテン、サルサ、あるいはボサノバなどの要素も。プリンス風、アイズレー・ブラザーズ風、モータウン風、ミック・ジャガー風、オーティス・レディング風、そして、Jポップ風、AOR風も。ファーストの最後の曲とアンコールともに、アップテンポのロック調の曲だったが、どうも日本ではこうした立てノリのほうが一般受けするらしい。僕は彼のライヴを見るのも初めてなので、ほとんどお初に聴く曲ばかりだったが、楽曲がどれもよく出来ているので感心した。

下記セットリストで7と8は、大澤が一人だけステージに残り、アコースティク・ギターで何か弾き語るのだがブルージーな曲を弾いた。伝説的ブルーズ・アーティスト、ロバート・ジョンソンの「カインド・ハーテッド・ウーマン」を独自の解釈で見せた。MCでも「最近はちょっとブルーズにはまっている。結局、こういうのが好きになってしまう」みたいなことを言っていた。また、10曲目のあとのMCでは映画『キャデラック・レコード』の話をさらりと。「いろんなブルーズ・マンたちはよかったんですが、ビヨンセは(綺麗すぎて)いかがなものか」とコメント。おっしゃる通りでなかなかおもしろかった。

ソウル談義。

ファーストが終わった後、ブルース・アレイの高橋さんにマネジャーの方を紹介してもらい楽屋に会いに行った。大澤さんとは、ツイッターでオーティス・クレイの来日について若干やり取りしていたのだが、会うのは初めて。休憩時間で彼は食事を取らなければならなかったのが、けっこう立ち話につきあってくれた。短い時間だったが、彼の音楽へのこだわりを強烈に感じた。いわゆる芸能人などではなく、アーティストとしてのスタンスがしっかりしている感じだ。変に媚びないところが潔い。二部制でやるときでも、曲はいつも違うそうで、この日は30曲以上をリハーサルして、パフォーマンスした。「譜面も書きますけど、口伝えでアレンジをミュージシャンに言うこともあります。黒人みたいにね」 「このバンド、みんなうまいから、すごく歌い易いんですよ」と大澤さん。すでにこのメンバーで2-3年やってきているという。

ソウル談義の中で、「プリンスの1984-5年頃のライヴをアメリカで、ワーナーの人に見せてもらった」という話も出た。彼はそういえばプリンスの『パープル・レイン』のライナーノーツを書いていた。「ソウル・キャブって知ってます? タクシーでソウルのCDばっかりかかってるんです」 さすがに知らなかった。ジャズを高級ステレオで聴かせるジャズ・タクシーがいるとは聴いていたが、そのソウル版があるとは。「そこで、おじちゃんの運転手が、ウイリー・ハイタワーだ、オーティス・レディングだって勧めてくるんですよ。ぶったまげましたよ」と大澤さん。これは、ぜひ乗ってみたい。

で、ちょっと調べてみたのだが、さすがに電話番号まででてこなかったが、それに乗った人の話が少しでてきた。すると、どこまで本当かは確認できないが、その運転手さんは今は日本に住んでいるがずっとアメリカに住んでいて、歴代の奥さんが全部黒人だったらしい。カーステレオもipodは音が悪いからだめだといって、CDをきっちりかけているそうだ。

大澤さんはソウル・チルドレンなどとも一緒にステージに立ったことがあるという。こちらが、不勉強で申し訳ない。

来年、彼はデビュー30周年。ということは、『ソウル・パワー』に出てきてもおかしくない…。しかも、マーチンの「ガラス越しに消えた夏」は、大澤誉志幸作曲・プロデュースで接点もある。大雨の中、熱いソウルを聴かせてもらった。

■ 大澤誉志幸オフィシャル・ホームページ
http://y-ohsawa.typepad.jp/sorte/

■ 大澤誉志幸

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0039QLDPI/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ メンバー

(Vo/G)大澤誉志幸 (G/Cho)奥田健介 (Key/Cho)伊藤隆博 (B/Cho)千ヶ崎学 (Ds/Cho)小松茂

■ セットリスト 大澤誉志幸 目黒ブルース・アレイ
Setlist : Ohsawa Yoshiyuki, Blues Alley Japan, October 9, 2010

show started 16:31
01. 遥かなる夕暮れ~Love Or Nothing~
02. ラヴィアン・ローズ
03. その気XXX
04. JOKEでシェイク
05. freewayまで泣くのはヤメロ
06. DEEP SLEEP
07. 月と赤い兎~インフィニティー (アコースティック・ギター弾き語り)
08. Kind Hearted Woman [Robert Johnson]  (アコースティック・ギター弾き語り)
09. 永遠の1/2
10. 僕らはまだここにいる
11. I WANT YOU
12. Love Jenic
13. nonoサーキュレーション
14. お前にチェックイン
15. 1/2の神話
show ended 18:08

セカンドセット

show started 19:43
01. confusion(25th version)
02. 晴れのちブルー・ボーイ
03. STOP&ギミーLOVE
04. 時代遅れの恋心
05. beautiful~誰もが探す光
06. 永遠の先
07. 夕やけ (アコースティック・ギター弾き語り)
08. 愛する君へのバラッド (アコースティック・ギター弾き語り)
09. babyrose
10. 5分後のエロス
11. いけない涙
12. This Old Heart Of Mine
13. GO GO HEAVEN
14. 恋にjust can’t wait
Enc1. Stand By Me [Ben E King]
Enc2. Lady Vanish
Enc3. そして僕は途方に暮れる

(2010年10月9日土曜、目黒ブルース・アレイ=大澤誉志幸ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Ohsawa, Yoshiyuki
2010.-167

◎グルーヴ・セオリー・ライヴ

【Groove Theory Live】

調和。

これまで、アメール・ラリュー名義でのライヴはあったが、グルーヴ・セオリーとしてのライヴは初めて。アメールとしては2006年、2008年以来の来日。今回はアメールのだんなさんは来ていなかったようだ。

基本的には、アメールのソロと同じ感じで、やはりCDでレコーディングされたサウンドを踏襲する。しかし、何よりもアメールが可愛いので、それだけでよしとされそうな感じ。歌唱力ということではなく、ネオ・ソウル風のサウンド、雰囲気が勝負の肝だ。可愛いといえば、舞台向かって右手でキーボードを弾いていた女の子が、アメールに似て可愛かった。娘のスカイちゃんというらしい。まだ若いはず。(情報感謝)

キーボード3人、ドラムス、ベースにアメールという布陣。アメールのけだるいヴォーカルは、このグルーヴ・セオリー・サウンドにうまく調和。やはり、前にも書いたが、アメールは2000年代のシャーデーなんだろうな、と思う。

もともとの予定のセットリストでは、4曲目が「キープ・トライン」で、5曲目が「マジック」だったが、順番を間違え、逆になった。

■ 過去関連記事

October 13, 2006
Amel Larrieux Live: Floating In The Air
http://blog.soulsearchin.com/archives/001324.html

2008年05月02日(金)
アメール・ラリュー・ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080502.html

■グルーヴ・セオリー 大ヒット「テル・ミー」収録

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005G3ZV/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ メンバー

アメール・ラリュー(ヴォーカル)Amel Larrieux(vo)
ブライス・ウィルソン(プロデューサー、MC)Bryce Wilson(producer,mc)
バーナマウス・ボウイ(キーボード)Bahnamous Bowie(key)
ジェフリー・コナー(ベース)Jeffrey Connor (b)
エイドリアン・ハーファム(ドラムス)Adrian Harpham(ds)
スカイ・ラリュー (キーボード) Sky Larrieux (key)

■ セットリスト グルーヴ・セオリー
Setlist : Groove Theory Octover 3rd, 2010, Blue Note Tokyo

Show started 20:57
01. 10 Minute High
02. Baby Luv
03. Now You Know Better
04. Magic
05. Keep Tryin’
06. Come Home
07. You Don’t See Me
08. Didya Know
09. Sweet Misery
10. Get Up
Enc. Tell Me If You Want Me To
Show ended 22:03

(2010年10月3日日曜、東京ブルーノート=グルーヴ・セオリー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Groove Theory
●ソロモン・バーク急死~LAからアムステルダムへ向かう機中で死去か

【Solomon Burke Dies At Netherlands】

訃報。

「キング・ソロモン」の愛称で知られるソウル、R&Bシンガー、ソロモン・バークが、2010年10月10日、オランダ・スキポール空港で死去が確認された。バークは、同日ロスアンジェルスからアムステルダムへ向かう機中で心臓発作になったとの報道もある。亡くなったのが機中か空港かは未確認。死因などはまだ発表されていない。70歳だった。

バークは10月12日にアムステルダムの「パラディソ」で同地のロックバンド、デ・ダイク(De Dijk)とライヴを行うことになっており、そのためにアムステルダムへ向かっていた。バークはデ・ダイクと『ホールド・オン・タイト』というアルバムを共にレコーディングしており、そのリリース記念のライヴになるはずだった。

バークは21人の子供、90人の孫、19人のひ孫らによって送られる。

ソロモン・バークは1940年3月21日フィラデルフィア生まれ。(1936年生まれと記した資料もあるが、本人の公式サイトでは1940年生まれ) 子供のころから説教がうまく、教会で天才説教師として注目を集めた。1955年シンガーとしてインディと契約、その後、1960年アトランティック入り。ここで、「ジャスト・アウト・オブ・リーチ」が大ヒットして注目されるようになる。その後「ダウン・イン・ザ・ヴァレー」がオーティス・レディングにカヴァーされたり、「エヴリバディー・ニーズ・サムバディー」は、ローリング・ストーンズ、ブルーズ・ブラザーズなどにカヴァーされ多くの人に知られるようになった。

1965年にヒットした「ガット・トゥ・ゲット・ユー・オフ・マイ・マインド」がソウル・チャートで1位になっている。

1968年、仲間のアーサー・コンレイ、盲目のシンガー、ドン・コヴェイ、ベンEキング、ジョー・テックスとともに「ソウル・クラン」というワンショット的なユニットを結成、シングル「ソウル・ミーティング」をヒットさせる。

また、1962年のヒット「クライ・トゥ・ミー」が映画『ダーティー・ダンシング』(1987年)に使われたことも彼の名前を再浮上させることになった。

多数のヒットとともに1960年代をかけ抜けたが、一時期ヒットがでなかったものの、2001年には、ロックン・ロール殿堂入り。2000年代に入り、若手とのコラボレーションを盛んに行い、積極的にアルバムを制作、リリースするようになった。2002年ジョー・ヘンリーがプロデュースした『ドント・ギヴ・アポン・ミー』が翌年グラミー賞を獲得。これで人気が再沸騰。2008年の『ライク・ア・ファイア』には、エリック・クラプトン、ベン・ハーパー、ジェシー・ハリス、ケブ・モーなどが楽曲を提供。2009年1月、メンフィスでウィリー・ミッチェル・プロデュースによる『ナッシングス・ポッシブル』を録音。これを完成させた翌年2010年1月5日、ウィリー・ミッチェルが死去。葬儀にバークは、ロスからメンフィスまで車でかけつけた。アルバムは4月に全米リリースされた。

バークは、2010年5月、『ジャパン・ブルーズ&ソウル・フェスティヴァル』出演のため初来日。日本のファンを大いにわかせた。結局、初来日が最後の唯一の来日となってしまった。(ライヴ評などは過去関連記事参照)

その後、夏にヨーロッパ・ツアーを敢行した後、バークはオランダのロックバンド、デ・ダイクとともに13曲入りのアルバム『ホールド・オン・タイト』を完成させ、10月にはオランダなどでリリース予定だった。

元々教会で説教をしながら、歌っていたことから、迫力ある歌唱を聴かせ、ゴスペル・シンガーとしても活動していた。堂々とした風格、面倒見のいい性格などから多くの人から慕われていた。

ニュース記事
http://www.foxnews.com/world/2010/10/10/solomon-burke-dies-amsterdam-airport/

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□ クエストラヴがプロデュースの予定か

クエストラヴ。

ソロモン・バーク死去の第一報は、例によってツイッターによって知った。今回は、ルーツのクエストラヴの10月10日日本時間17時53分のツイートだった。さっそくいろいろ調べてみると、すでにAP通信が記事を配信、またウィキペディアにも死亡が書かれていた。すると、またたくまに情報が集まってきた。すでに大手メディアもこの情報を流している。

クエストラヴのツイート。
damn. just heard Solomon Burke passed away in The Netherlands. Was about to work on his next project. #ripsolomonburke a god amongst singers
10/10 17:53

クエストラヴのツイートでは、彼が次のソロモン・バークのプロジェクトにかかわることになっていたという。バーク作品はジョー・ヘンリー、そして、最新作がメンフィスのウィリー・ミッチェルのプロデュースで発表された。もし次がクエストラヴだったら、これは相当良質な作品が生まれただろうと惜しまれる。クエストラヴは、アル・グリーンをてがけたり、現在、ジョン・レジェンドの最新作『ウェイク・アップ』が大好評だから、それに続くアルバムとしても大いに注目されただろう。

■過去関連記事 ソロモン・バーク

2010年06月09日(水)
キング・ソロモン・バーク復活までの道のり
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10557959111.html
1960年代に大活躍し、その後一時期一線から退いた感のあったバークが見事に2000年代にカンバック。そのカンバックまでの道のり。

2010年05月31日(月)
キング・ソロモン・バークのピュアなハートとソウル (パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10549559270.html

2010年06月03日(木)
キング・ソロモン・バーク・ライヴ(パート 2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10551909695.html
2010年5月の初来日の模様。東京は二日行ったのですが、こうなると、大阪も行っておけばよかったという後悔の念が。

2010年04月09日(金)
ジョー・ヘンリーからソロモン・バークへの伝言
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10503635308.html

2010年03月10日(水) 付けブログ↓
ソロモン・バーク初来日へ~『ブルーズ&ソウル・カーニヴァル』出演で
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10477897752.html
ここに簡単なバイオ。

2010年01月07日(木)
ウィリー・ミッチェル~メンフィス・ソウルの重鎮、81歳で死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10428531650.html

■ ソロモン・バーク最新盤

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003DRVH22/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000KJTID6/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>ARTIST>Burke, Solomon
OBITUARY>Burke, Solomon (3/21/1940 – 10/10/2010 – 70 year-old)
■WHCR-FMは、ニューヨーク・ハーレムのコミュニティー・ラジオ局

【WHCR-FM: Vaughn Harper Was Special Guest On “Love Zone”】

元祖。

昨日(土曜)の午前中、ツイッターで・a href=mailto:A@lovesmith>A@lovesmithさんが、ちょうどニューヨークのWHCR局の「ラヴ・ゾーン」という番組がUストリームで生中継していて見られる、とつぶやいてた。さっそくアクセスすると、なんと、あの元祖「クワイエット・ストーム」のヴォーン“ヴェルヴェット・ヴォイス”ハーパーがゲストで登場。

WHCRのUストリームはこちら。
http://www.ustream.tv/channel/residential-access-network

WHCRのホームページ
http://www.whcr.org/index.html
(ここにステーションの番組表も、Uストリームがない場合は音だけストリーミングで聴ける)

ちょうどやっていた番組は、ニューヨーク時間金曜夜8時から12時までの『ラヴ・ゾーンLove Zone』という番組で、DJはモーリス“ヴォイス”ワッツMaurice Watts。日本時間では10月最終週まで夏時間のため、土曜の朝9時から午後1時までだった。11月からは、朝8時から昼12時までになる。この「ラヴ・ゾーン」は、まさにスロー・ジャム、スローなR&Bと若干のジャズをまぜたレイト・ナイト・プログラム。「クワイエット・ストーム」のフォーマットだ。

しかし、スタジオというにはあまりに普通なオフィース。ただの事務机にマイクとミキサー。しかもゲスト用には少し離れたところにある事務机にマイクという感じ。これならマンションの一室でできる。

いろいろ調べてみると、WHCR局は、ニューヨークのハーレム138丁目にある。シティー・カレッジ・オブ・ニューヨーク(ニューヨーク市大学)がオウナーで、キャッチフレーズは「ヴォイス・オブ・ハーレム~ハーレム・コミュニティー・レイディオ」。1987年に免許をもらい、現在、わずか8ワットという小出力で放送中だ。日本のラジオ局の出力表記とちょっと違うため、一概に比較はできないが、日本のいわゆるコミュニティー・ラジオの出力が1ワットから20ワット以下なので、これに順ずる感じだ。(通常のFM局の出力は、東京FMやNHK―FMなどは、10キロ[10000]ワット、地方FMで5キロワット) 内容は、トーク・ショーと音楽番組。音楽番組は、クラシックR&B、ゴスペル、ブルーズからレゲエ、ヒップホップ、ハウス、アフリカン、サルサ、メレンゲ、レゲエなど広範囲におよぶ。

スタジオにいたのは、メインのDJがモーリス・ワッツ。その後ろに控えていたのが大御所ヴォーン・ハーパー。WBLSで「クワイエット・ストーム」を始めた人だ。2人ともディープな声が超魅力的。そして、もうひとりいた女性が、ヴァネッサ・ギャストンといって、「ナショナル・R&B・ソサエティー」の会長。オールド・スクールのブラック・ミュージシャンをサポートしようというグループだ。

たぶん、この出力だとニューヨーク・マンハッタンの下のほうでは聴けないかもしれない。それにしても、こうした番組がインターネットでしかも映像つきで見られるなんて、すごい時代だ。

ヴォーン・ハーパーはそのヴェルヴェット・ヴォイスで1976年にWBLS(107.5mhz)で夜の時間帯に「クワイエット・ストーム」を始めた。この「クワイエット・ストーム」は一番最初は1976年にワシントンDCのハワード大学の構内放送局WHUR局が始めたもので、なんと今ではそのネーミング・ライツ(名前の権利)を持っているという。だから、WBLSや他の放送局が「クワイエット・ストーム」を冠した番組をやるときには、WHURにロイヤリティーを払わなければならないそうだ。いつの間に…。

ヴォーン・ハーパーを見てしまったので、久しぶりにWBLSにアクセス。

http://wbls.com/pages/3874639.php
ここで、24時間聴けます。

Lovesmithさん、貴重な情報ありがとうございました。久々にニューヨーク・レイディオを楽しみました。

ENT>RADIO>FM>New York
◇ジョン・レジェンド新作『ウェイク・アップ』は彼の最高傑作 (パート3)

【John Legend’s “Wake Up”】

カヴァー。

ジョン・レジェンドの最新作『ウェイク・アップ』は1曲を除いてすべてカヴァー。それにしても、よくこれだけ曲を選曲したものだ。いわゆる誰でも知ってる大ヒットらしい大ヒットは、「ウェイク・アップ・エヴリバディー」「リトル・ゲットー・ボーイ」、それに、ビル・ウィザースの「アイ・キャント・ライト…」くらい。

もちろん、サンプリングなどで知られている部分はあるが、単なるカヴァー・アルバムの枠に収まらない。しかも、曲の内容、メッセージが強烈なメッセージを放つ。しかも、それが70年代に書かれた作品であれ、2010年にもまるで通用するから、すごい。それだけこれらの楽曲の普遍性があるということでもあり、アメリカ自身がまったく進化していないということの査証でもある。こういう楽曲を歌詞をじっくり読みながら聴いていると、音楽の持つ力というものを感じる。

このアルバムを通して聴いていると、その反戦メッセージから、今、アメリカは戦争中なんだなあ、ということを痛切に感じる。アメリカ本土では文字通りの戦争は起こっていないが、アメリカという国が戦争をどこか離れた地で行っている。いや、911は戦争だったか。また、アメリカ本土では、貧富の差、ドラッグ戦争、教育の荒廃などあらゆる日常レヴェルにおける戦争が起こっている。この閉塞感のある現実世界を、「チェンジ」しなければならない。ジョン・レジェンドやルーツのクエストラヴらの思いはこのアルバムに思い切り込められている。

簡単にオリジナルなどをご紹介しよう。

『ウェイク・アップ』ジョン・レジェンド&ルーツ

1. ハード・タイムズ featuring ブラック・ソート Hard Times
1971年のベイビー・ヒューイ&ベイビーシッターズの作品。カーティス・メイフィールドが書いた。カーティスのレーベル、カートムからこのベイビー・ヒューイのヴァージョンはリリースされた。

2. コンペアード・トゥ・ホワット Compared To What
自らシンガー・ソングライターとして活躍するユージーン・マクダニエルズの作品。最初にロバータ・フラックが1969年の『ファースト・テイク』(1969年6月20日リリース)でレコーディング。レス・マッキャンはロバータをアトランティックにひっぱってきた人物で、彼は1969年6月21日にスイスのモントルー・ジャズ・フェスティヴァルで録音したライヴ・アルバムで演奏。これがレスとサックス奏者エディー・ハリスのアルバム『スイス・ムーヴメント』となり、1969年12月にリリースされ、1970年にヒットした。ヴェトナム戦争に対する反戦歌。

3. ウェイク・アップ・エヴリバディ Wake Up Everybody featuring コモン&メラニー・フィオナ
1975年、ジョン・ホワイトヘッド、ジーン・マクファーデン、ヴィクター・カースターフェンが書き、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツで大ヒットした作品。

4. アワ・ジェネレーション(ザ・ホープ・オブ・ザ・ワールド) Our Generation featuring CLスムース
チェス、スタックスに作品を残してきたアーニー・ハインズの1972年作品。

5. リトル・ゲットー・ボーイ (プレリュード) Little Ghetto Boy (Prelude) featuring マリク・ユセフ
6. リトル・ゲット・ボーイ Little Ghetto Boy featuring ブラック・ソート
1970年代に大活躍したシンガー・ソングライター、ダニー・ハサウェイの代表的作品。1972年の作品で、特に『ライヴ』盤におけるヴァージョンが名高い。

7. ハング・オン・イン・ゼア Hang On In There
ジョニー・ブリストルの同名曲とは違うもの。こちらは、1972年、ミシシッピー州出身のマーク・ジェームス・ガーランドの作品。

8. ヒューマニティ(ラヴ・ザ・ウェイ・イット・シュッド・ビー) Humanity
ジャマイカのプリンス・リンカーン・トンプソンのロイヤル・ラッセズの1979年作品。

9. ホーリー・ホーリー Wholy Holy
マーヴィン・ゲイの1971年のアルバム『ホワッツ・ゴーイング・オン』収録曲。

10. アイ・キャント・ライト・レフト・ハンデッド I Can’t Write Left Handed
素晴らしきシンガー・ソングライター、ビル・ウィザースの1973年作品。彼の『ライヴ・アット・カーネギー・ホール』に収録。これもヴェトナム戦争反戦歌。右腕を撃たれ、字が書けなくなった兵士が、母親に宛てる手紙を書いてくれという歌。その手紙で、弟を戦争に行かせるな、と書く。ジョンはこのエモーショナルな作品の録音中、涙を流したという。11分を超す超大作。

11. アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー・ハウ・イット・ウッド・フィール・トゥ・ビー・フリー I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free
シンガー・ソングライター、ニーナ・シモンの1967年作品。公民権運動のアンセム。

12. シャイン Shine
13. シャイン (ウェイティング・フォー・スーパーマン・ヴァージョン)Shine (ボーナス・トラック)
ジョン・レジェンドのオリジナル。2010年の映画『ウェイティン・フォー・スーパーマン』のテーマになっている。

14. ウェイク・アップ・エヴリバディ (ライヴ・イン・スタジオ・パフォーマンス) (ボーナス・トラック) Wake Up Everybody

この中で、ビル・ウィザース作品を一番最初にレコーディングしたという。ただ、そのヴァージョン以来、ライヴで演奏しているうちにどんどん進化した。

ジョン・レジェンドの過去の来日ライヴ関連記事を。

■ ジョン・レジェンド過去来日ライヴ関連記事

ジョン・レジェンドはプロモーションも含めて過去4回来日。そのライヴ評すべて。

March 13, 2008
John Legend Live@ Blue Note
http://blog.soulsearchin.com/archives/002380.html
4回目の来日ライヴ評

ジョン・レジェンド(毎日新聞)
http://mainichi.jp/enta/music/news/20080221dde012070032000c.html

January 12, 2007
John Legend Live: Songwriters Showcase
http://blog.soulsearchin.com/archives/001512.html
3回目ライヴ評

May 30, 2006
John Legend: MTV Pre-Show
http://blog.soulsearchin.com/archives/001044.html
2回目の来日ライヴ評

2005/03/18 (Fri)
John Legend: New Legend Of R&B
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200503/diary20050318.html
ジョン・レジェンドの紹介

May 08, 2005
After The Rain: Ai & John Legend Sing 
http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_05_08.html
初来日ライヴ評

May 09, 2005
John Legend: New Preacher Of Soul Focused On Passage Of Soul
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200505/2005_05_09.html
初来日ライヴ評

ENT>MUSIC>ARTIST>Legend, John
◇ジョン・レジェンド新作『ウェイク・アップ』は彼の最高傑作 (パート2)~「ウェイク・アップ・エヴリバディー」訳詞

カヴァー。

ジョン・レジェンドがカヴァーした「ウェイク・アップ・エヴリバディー」。1975年暮れにハロルド・メルヴィン&ブルーノーツが発表した傑作曲だ。リードを歌うのは、テディー・ペンダグラス。

僕はこの「ウェイク・アップ・エヴリバディー」がもともと大好きで、オリジナルのハロルド・メルヴィン&ブルーノーツの1975年のヴァージョンはそれこそ盤が擦り切れるほど聴いた。最初7インチのシングルを手に入れ聴いたが、この歌詞が知りたくて、いわゆる耳コピーをした。何度も繰り返しかけて、英語の歌詞を紙に書き取り、わからない単語を辞書を引きながら意味を理解しようとした。英語の歌詞を一生懸命理解しようとしたのは、一番最初がドン・マクリーンの「アメリカン・パイ」で、2番目がこの「ウェイク・アップ・エヴリバディー」だったような気がする。

その後アルバムがリリースされ、輸入盤なのにそこにはしっかりと歌詞カードがはいっていて、聴き取った英語詞と答え合わせをし、改めてその内容を読んだことを思い出す。今でこそ、歌詞がネットでぽんとでてくるようになったが、当時はソウルの歌詞なんて、なかなか入手できなかった。

さて、これはオージェイズの「バックスタバーズ」を書いたジョン・ホイトヘッドとジーン・マクファーデンとヴィクター・カースターフェンが書いた作品。彼らはこれより前にハロルド・メルヴィンたちに「バッド・ラック」の大ヒットを提供している。このメッセージは、ちょうどヴェトナム戦争や当時の社会情勢に対する批判、メッセージだが、この内容は2010年の今日でもどんぴしゃにあてはまる。マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイング・オン」と並ぶほどの傑作曲だ。

当時、僕は六本木の「エンバシー」という黒人が多くやってくるディスコで週末DJをしていた。ここは横須賀や座間からたくさんの黒人兵が集まってくるので、普通のディスコとはまったく違った雰囲気で、ちょっと怖かった。とは言っても、ふだんは僕はいつもDJブースの中にいたので、それほど危険は感じなかったのだが、真っ暗な店内はそれだけで怪しげだった。

この「ウェイク・アップ・エヴリバディー」はテンポが遅いのでチークでかけたが、最初のうちは誰も踊らない。ところがチーク明けにかけるようになると、少しずつブラザーたちが踊りだすようになった。そして、これがFENなどでかかってヒットしてきて、ブラザーたちも曲自体を覚えるようになると、そのチーク明けから、体を揺らしながら踊るようになったのだ。しかし、これで踊る日本人はほとんどいなかったように思う。たぶん、これで踊っていた店は、このエンバシーか、六本木の「アフロレイキ」か、赤坂の「ハーレム」くらいだろうと思う。

最初はシングル盤(7インチ)でかけていたが、アルバムが出るとアルバム・ヴァージョンをかけるようになった。アルバムにはもっとわかりやすいフィリー・ダンス曲があり、次第にこの「ウェイク・アップ・エヴリバディー」から、他の楽曲「テル・ザ・ワールド…」や「キープ・オン・ラヴィン・ユー」などをかけるようになる。シングルは1975年11月にリリースされ、全米のソウル・チャートで1位になった。

この曲は後に1995年にイギリスのソニヤ・エヴァンスがカヴァー、また2004年に大統領選に関連してベイビーフェイスがプロデュースし、オールスターでレコーディングされている。オールスターはブランディー、メアリーJブライジ、ミッシー・エリオット、フローエトリー、ジャヒーム、ミュージックソウルチャイルドら多数。

◇ウェイク・アップ・エヴリバディー
(ジョン・ホワイトヘッド、ジーン・マクファーデン、ヴィクター・カースターフェン作)
ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツ(リード・シンガー:テディー・ペンダーグラス)1975年

みんな目を覚ませ、ベッドで寝てる場合じゃない
ネガティヴに考えてもしょうがない、前向きに考えるときがやってきた
世界はかつてあった姿から劇的に変わりつつある
憎しみが世界にあふれ、戦争と貧困が蔓延している

教師たちよ、教育者たちよ、目を覚ませ、
今までと違う新しい方法で教育を始めるときがやってきた
きっと、生徒たちも、教師が言わなければならないことに耳を傾けてくれるだろう
若き生徒たちこそ、これから世界に出て行き、世界を手にする者だからだ
生徒や子供たちに物事を教えるとき、教師はベストを尽くさなければならない

(コーラス)
このまま放置していたら、世界は今よりは決してよくならない
世界は今よりよくならない、君と僕とで、チェンジしなければならない

目覚めよ、あらゆる医者たちよ、老人たちを治してくれ
彼らこそ、今までの地獄をすべて背負っている
審判の日まで(最期の日まで)彼らはそれほど長くは生きられない
だから彼らが旅立つ前に少しでも彼らをハッピーにしてあげてくれ

目覚めよ、建築家たちよ、新しい国を作るときがやってきた
我々が一緒に手を組めば新しい国を作ることが出来る
ひとつ肝に銘じなければならないのは、新たな国を作ることを心にしっかりと刻むことだ
いつでも、そう心に刻めば、必ずそれは実現する

(訳詞・ザ・ソウル・サーチャー)

Wake Up Everybody
(written by John Whitehead, Gene MacFadden, Victor Carstarphen)

Wake up everybody no more sleepin in bed
No more backward thinkin time for thinkin ahead
The world has changed so very much
From what it used to be so
there is so much hatred war an’ poverty

Wake up all the teachers time to teach a new way
Maybe then they’ll listen to whatcha have to say
Cause they’re the ones who’s coming up and the world is in their hands
when you teach the children teach em the very best you can.

Chorus
The world won’t get no better if we just let it be
The world won’t get no better we gotta change it yeah, just you and me.

Wake up all the doctors make the ol’ people well
They’re the ones who suffer and who catch all the hell
But they don’t have so very long before the Judgement Day
So won’tcha make them happy before they pass away.

Wake up all the builders time to build a new land
I know we can do it if we all lend a hand
The only thing we have to do is put it in our mind
Surely things will work out they do it every time.

Repeat Chorus

Chorus
The world won’t get no better if we just let it be
The world won’t get no better we gotta change it yeah, just you and me.

□ これがオリジナル盤。アルバムは名盤です。

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□ テディー・ペンダグラスの『エッセンシャル』にも入っています

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ENT>MUSIC>SONG>Wake Up Everybody
ENT>MUSIC>Legend, John
ENT>MUSIC>Pendergrass, Teddy
ENT>MUSIC>Melvin, Harold & The Bluenotes

【John Legend’s Latest CD Is His Best Album To Date】

最高傑作。

R&Bシンガー・ソングライター、ジョン・レジェンドの最新作『ウェイク・アップ』が全米で2010年9月23日リリースされた。(日本盤は、9月22日発売)

ジョン・レジェンドは、今年(2010年)6月南アフリカで行われたワールド・カップ(サッカー)のキックオフ・コンサートに登場し、そこでこの新作からのハイライト曲「ウェイク・アップ・エヴリバディー」を歌い、大喝采を浴びた。これは、ジョンがフィラデルフィアのルーツとともに組んで作り上げたアルバムの、ある種テーマ曲だが、今回のアルバムはすべて60年代から70年代のソウル・ヒットのカヴァー作品集になっている。

そもそもこのコンセプト・アルバムの発端は2年ほど前、2008年の大統領選にあった。このとき、ジョンがオバマ大統領候補を応援するが、その頃、さまざまな作品を聴くうちに60年代から70年代にかけてのメッセージ・ソングを集めたアルバムを作ろうということになったという。

ジョン・レジェンドによると、「可能性」と「終わることのない貧困」、「楽観主義」と「絶望」、「改革主義」と「社会的不安」…。そうした混在こそが、このアルバムを作り上げる理由となったという。

かつてレコーディングされたメッセージソングで今日でもそのメッセージが有効な作品を選んで、再録音している。「ホワッツ・ゴーイング・オン」が入っていないのが不思議だが、これだと誰もがカヴァーしていて当たり前すぎるからはずしたのか。とはいうものの、アルバム『ホワッツ・ゴーイング・オン』から「ホーリー・ホリー」が収録されている。

いずれにせよ、ルーツのクエストラヴとともにもともとブラック・ミュージックの歴史を俯瞰する力を持っていたアーティストだけに、自分が生まれる以前の作品も実によく研究している。ビル・ウィザースの「アイ・キャント・ライト・レフトハンデッド」(肩を撃たれた、左手では母親に宛てて手紙が書けない)、レス・マッキャン&エディー・ハリスのヒットで、ジーン・マクダニエルズ作「コンペアード・トゥ・ホワット」、ダニー・ハサウェイの「リトル・ゲットー・ボーイ」、ニーナ・シモン、ソロモン・バークの「アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー…」、カーティス・メイフィールド作「ハード・タイムズ」、アレサ・フランクリンなどでも知られるマーヴィン・ゲイの「ホーリー・ホリー」などなど。

ルーツとジョンのコンビネーションは、まさにパーフェクト。これだけ渋い曲を選んでもアルバムとして十分に聞き応えのあるものにしてしまう力はすごい。ジョンも、クエストラヴも、どちらもしっかり地に足がついていて、うわついたところがないのがいい。

まだ断定は早すぎるかもしれないのだが、このアルバムは、ジョン・レジェンドの最高傑作といってもいい。(つまり、最近はこの時点で傑作だと思っても、1年か2年後にはもうぜんぜん聴かなくなってたりすることがある。たぶん、作品の消費スピードが格段に速くなっているからだと思う。この点に関しては、また別に稿を改めたい) ぜひじっくりお聴きください。

(ジョン・レジェンドの項、明日に続く)

2010年06月12日(土)
ワールド・カップ・キックオフ・コンサート~アリシア、ジョン・レジェンドなど
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10560590139.html

このアルバムをフィーチャーしたビルボード誌の特集記事。

http://www.billboard.com/features/john-legend-uestlove-the-billboard-cover-1004115257.story?sms_ss=twitter#/features/john-legend-uestlove-the-billboard-cover-1004115257.story?sms_ss=twitter



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曲リスト (オリジナル・アーティストについては、明日以降で書きます)

1. ハード・タイムズ featuring ブラック・ソート
Hard Times
2. コンペアード・トゥ・ホワット Compared To What
3. ウェイク・アップ・エヴリバディ Wake Up Everybody featuring コモン&メラニー・フィオナ
4. アワ・ジェネレーション(ザ・ホープ・オブ・ザ・ワールド) Our Generation featuring CLスムース
5. リトル・ゲットー・ボーイ (プレリュード) Little Ghetto Boy (Prelude) featuring マリク・ユセフ
6. リトル・ゲット・ボーイ Little Ghetto Boy featuring ブラック・ソート
7. ハング・オン・イン・ゼア Hang On In There
8. ヒューマニティ(ラヴ・ザ・ウェイ・イット・シュッド・ビー) Humanity
9. ホーリー・ホーリー Holy Holy
10. アイ・キャント・ライト・レフト・ハンデッド I Can’t Write Left Handed
11. アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー・ハウ・イット・ウッド・フィール・トゥ・ビー・フリー I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free
12. シャイン Shine
13. シャイン (ウェイティング・フォー・スーパーマン・ヴァージョン)Shine (ボーナス・トラック)
14. ウェイク・アップ・エヴリバディ (ライヴ・イン・スタジオ・パフォーマンス) (ボーナス・トラック) Wake Up Everybody

ENT>ARTIST>ALBUM>Legend, John

○ゴールド・コンサートの余韻~

【After The Gold Concert】

雑談。

ゴールド・コンサートは年1回。毎年、湯川先生をはじめ、審査員の方々と、ちょっとした雑談をするのが楽しみだ。今回、湯川先生から、お会いするなり、「道楽で、私歌ってるんです」と、11月に六本木スイートベイジルで行われるゴスペル・クワイアーのライヴのフライアーを手渡された。これは亀淵由香さん率いるクワイアーと湯川先生率いるクワイアー、さらにゲストにイケメンのル・ヴェルヴェッツというグループが登場するという。

湯川れい子プロデュース = ハーモニーに乾杯~
2010年11月3日(水・祝)17時開場、18時30分開演
六本木スイートベイジル
03-5474-0139
東京女声合唱団(TLC)、亀淵友香&VOJA、ゲスト:Le Velvets
6000円

湯川先生は歌うのが大好きだそうで、この東京女声合唱団は、略してTLC(!)。その一員として歌われるそうだ。

このほかにも、湯川先生は鳩山由紀夫前首相夫人鳩山幸さん、細川護煕元首相夫人細川佳代子さん、元朝日新聞下村満子さんとともに「スワン・シスターズ」というグループもやっていて、12月にはキャピトル東急でディナーショー形式のライヴを行うという。いやはや、活動的。

ニューヨークで多くのミックス、リミックスなどを担当され、現在では日本を本拠に活躍しているゴー・ホトダさんによると、最近のアメリカのラジオシーンは、みんな衛星ラジオを聴いているという。カーステレオなども、小さな衛星受信端末があって、それを聴いてるそうだ。もちろん、衛星だからローカルという概念はなく、全米すべてにオンエアできる。ホトダさんは現在熱海在住で、自宅にスタジオ完備、しかも、ネット環境も最高のものでつなげているので、海外との音源のやり取り、作業なども自宅でできてしまうそうだ。熱海から東京駅までは新幹線で40分程度なので、「通勤圏内」でもある。

ジャニーズ系の作品を多数プロデュースしたり、洋楽系のアーティスト作品を多数プロデュースしている鎌田さん。ちょうど去年お会いしたときに、マーヴィンの本を出したという話をした。そうしたら、そのマーヴィン・ゲイの自伝『引き裂かれたソウル~マーヴィン・ゲイ物語』をしっかりお買い求めいただき、読破されたとのこと。そこからマーヴィンの話になった。もちろん、1979年11月の来日は武道館でごらんになっていた。「(マーヴィンの)お父さんは、本当にへんな人だったんですね。それと、向こうのエンタテインメントの世界の成功とどん底の落差は、日本の比じゃないですよねえ」 マーヴィンの死のニュース(1984年4月1日、日本時間は2日)は、その日ちょうど当時仕事をしていた山下達郎さんとスタジオに一緒にいて、達郎さんから聞いたという。その衝撃は今でも忘れない、と。

工藤さんが、マーカス・ミラー&ラリー・グラハムのライヴを見に行き、「吉岡さんを探した」とのことだったが、僕は、ラリー・グラハム単体の方に行っていた。工藤さんはマーカス&ラリーと非公式に話をしたが、ラリーがとても紳士的で、英語も綺麗でわかりやすく、すごくいい人だったので、あのファンキーなプレイとの落差に驚いた、と話した。するとそれを聞いた鎌田さん、「僕はラリーをキンキのレコーディングで使ったことがあるけど、ものすごいゲットーでストリートな奴でしたよ。けっこう金にシビアで。きっと、人を見るんじゃないですか(笑)」と。

ま、確かに。(笑) 鎌田さんはけっこうブラック系のミュージシャン、アーティストに詳しい。自分の趣味でミュージシャンを選んだりしているようで、そのあたりの話もおもしろい。

ENT>MUSIC>EVENT>Gold Concert
◎ゴールド・コンサート第7回~9歳の少女佐藤英里さん「アメージング・グレイス」で観客を圧倒~初のスター誕生か

【7th Annual Gold Concert ~ 9 Year Old Girl’s Sensation】

10点。

何らかの障害をもつ音楽家志望の人たちが自作曲、カヴァー曲をテープなどに録音して応募し、書類審査を通過した人たちが集う「ゴールド・コンサート」の第7回が、2010年10月3日(日)午後、有楽町の国際フォーラム、フォーラムCで行われた。今回は予選を通過した10組が決勝戦にエントリー。優勝を競った。この模様はインターネットで生中継された。

僕はご縁があって、審査員を務めるのは今回で4回目。「ゴールド・コンサート」自体7回目だが、いよいよここからスターが誕生しそうな気配がしてきた。今回オーディエンス賞、歌唱賞のふたつを獲得した佐藤英里(さとう・ひらり)さんだ。驚くべきことに彼女は2001年5月生まれのまだ9歳。その女の子が「アメージング・グレイス」をピアノの弾き語りで熱唱。最初は英語、途中から日本語にした。日本語の方がもちろん圧巻だった。わずか3-4分で圧倒的な存在感を見せた。このパフォーマンスは、彼女の「人生を変える5分」にさえなるだろう。パフォーマンス後の司会者とのインタヴューで4-5歳から歌とピアノを始めたとのことだったが、わずか4年程度で、人前で演奏ができるところまで行くのだから、子供の才能というのはすごいもの。もちろん、まだまだ荒削りなところはあるが、それを吹き飛ばすだけの何かがある。ステージに彼女が出てきたときには、ほんの子供ということで、どうなるかと思ったが、歌声が出てきて驚かされた。審査員は一人(一組)のアーティストに対して持ち点10(10点満点)で点をつけるが、僕は過去4年の審査で初めて彼女に10点をつけた。

まだ彼女は9歳で、これからどのような方向性に進んでいくかはわからないが、音楽の道を進んでいけば、今以上に光の当たる道を歩むことになるだろう。そして彼女がビッグになったとき、「私はゴールド・コンサートから出てきました」と誇りを持って言ってもらえれば嬉しい。

たまたま主催者側から事前に彼女のパフォーマンスを見た後、一言コメントをしてください、と頼まれていた。楽曲がなじみの曲だったので、軽く引き受けたのだが、彼女の歌を聴いて心底驚いた。「アメージング・グレイス」は、それこそブレンダのものから有名無名を問わず何百回、何千回と聴いてきた。だが、この日の彼女のヴァージョンは僕の「アメージング・グレイス」ヒストリーの中でも、ひときわ「記憶に残る」ヴァージョンになった。

今回からオーディエンスにアンケート用紙を配り、一アーティストだけを選んでもらう投票をしてもらったが、その中で堂々1位になっていた。これは誰が見ても驚く。

「ゴールド・コンサート」では毎回1人グランプリ(優勝者)が決まる。今回グランプリになったのは、4回目の挑戦で遂に頂上を極めたヴァイオリン奏者、穴澤雄介さん。過去2回、準優勝を獲得、どうしてもグランプリになれなかったが、今回遂に優勝した。4回目の挑戦というところが審査員内でも評価された形だ。ポイント的には佐藤さんと本当に拮抗しており、審査員の間でも、激論がかわされた。穴澤さんも、「ゴールド・コンサート出身です」と、もうすでに堂々と胸を張って言えると思う。

出場者、概要などは、次のサイトに詳細が掲載されている。

http://gc.npojba.org/

来年は2011年10月15日(土)に同じ国際フォーラムCで行われる。

(ゴールド・コンサートでお会いする審査員の先生方との雑談について、少し明日書きます)

ENT>Gold Concert

○ラムゼイ・ルイスのジャズ・セミナー~ラムゼイ・ルイス語る(パート2)

【Ramsey Lewis Jazz Seminar: Ramsey Talks About History】

講義。

ブルーノート東京で2010年10月2日に行われたジャズ・セミナー、ラムゼイ・ルイスの回。名ピアニストが歴史の一部を語る。1時間余にわたってストレートにさまざまなトピックを語った。あの大ヒット曲、アース・ウィンド&ファイアーも必ずライヴで演奏する「サン・ゴッデス」はいかにして誕生したか。

ラムゼイ・ルイスは1935年5月27日シカゴ生まれだから、現在75歳。スーツにネクタイ、言語明瞭でとても若々しい。記憶もはっきりしていて、その昔話がおもしろい。これだけリッチなヒストリーをもった人の話は、何をきいてもおもしろい。後にアース・ウィンド&ファイアーを結成するモーリス・ホワイトは、1960年代にラムゼイ・ルイスのジャズ・バンドでドラムスを担当していた。モーリスは1941年12月19日生まれだから、ラムゼイ・ルイスの6歳年下。ちなみに、モーリスの発音だが、「リ」にアクセントが来るので、カタカナ表記だとモリースが近い。ニックネームも「リース」だ。日本での表記は長くモーリスがなじんでいるが、このあたりで変更してもいいかもしれない。

「サン・ゴッデス(太陽の女神)」誕生秘話。「サン・ゴッデス」は1974年11月にリリースされたアルバム。最初のシングルは、「ホット・ドギット」、続いて、「サン・ゴッデス」がシングルとなりヒットした。レコーディングは1974年の春から夏にかけての間だった。

「『サン・ゴッデス』はちょっとユニークな形で生まれたんだ。ちょうどアルバムを作っているところだったが、その合間にワシントンDCでライヴの仕事があった。そのとき、モーリス・ホワイトから電話が来た。アース・ウィンド&ファイアーはちょうどニューヨークでコンサートを終えたところだった。モーリスは私と話したがっていた。というのも、私がレコーディングしたらきっと大ヒット間違いない曲が出来たから聴いてくれ、という。これは、『ジ・イン・クラウド』と比較にならないほど大ヒットになる曲だって言うんだ。『ジ・イン・クラウド』の10倍はすごいぞ、ってね。こんな人気になる曲なんてとても想像できない。これはあなたの曲だとまで言う。モーリスは、今どこで何やってるんだ、と訊くので、私たちはワシントンDCのスタジオでレコーディングしてもうすぐレコーディングも終えて、シカゴに戻ると言った。モーリスはニューヨークにいるから、シカゴに戻る途中でもいいので、もしよかったら、これを聴いてくれないかというので、聴くことにした」

「結局、私たちはシカゴに戻り、モーリスと何人か、フィリップ・ベイリーとあと2-3人のメンバーとスタジオで落ちあった。そして、彼らと一緒にその曲を3日間もかけてレコーディングしたんだ。完璧にするまでに、3日もかかったんだよ。かなりハードに一生懸命レコーディングした。なんとか、我々は最終的にその楽曲を完成させた。彼は言った。『さあ、これがあなたのヒットレコードができた』と。私は尋ねた。『さて、曲名は何というんだ?』 モーリスは言う。『ホット・ドッギット(Hot Dawgit)』だ。『おお、そうか、それはいいだろう』と私は答えた。彼はとても興奮していた。『これは、“ジ・イン・クラウンド”を超える大ヒットになるんだ』って。で、そのレコーディングは終わると、モーリスが『そうだ、もう一曲、まだ歌詞もなにもついてないんだが、メロディーが頭の中にできてる曲があるんだ』と言い出した。きっと、私がプレイしたいと思う曲だともいう。レコーディングにはそんなに時間はかからないというので、ほんの2-3時間で軽く録音してみた。録音はすぐに終わり、みんなメンバーもとても気に入っていた。すると、モーリスは『なんかちょっとした歌詞が必要だな』という。私は何も歌詞を書いていなかった。じゃあ、どうするってなって、彼とフィリップ・ベイリーがスタジオに入り、エンジニアにテープを回すよう指示をして、彼らが「ウエイヨー、ウエイヨー」というメロディーを口ずさんだ。モーリスは、言った。『心配するな、心配するな、(この曲はほっといて、いずれにせよ)“ホット・ドッギット”は大ヒットになるから』 私は尋ねた。『2曲目に録った曲のタイトルは何だい?』『さあ、わからないな』といい、しばらくしてから、『サン・ゴッデス』にしようと言った。まあ、なんでもいい、いずれにせよ、『ホット・ドッギット』は大ヒットだから」

「そこで、『ホット・ドギット』をラジオ向けにシングルとしてリリースした。モーリスがこれは絶対に大ヒットするからというんでね。ところがこれはあんまりラジオ局ではかからなかった。だが、アルバムが徐々に売れ始めたんだ。我々はなぜアルバムが売れ始めたんだ、と不思議に思った。そこでちょっと調べてみると、レコード店には人々が『ホット・ドギット』ではなく、『サン・ゴッデス』を求めてやってきていることがわかった。まだその時点では『サン・ゴッデス』はシングルにもなっていなかったが、その曲のおかげでアルバムが売れていたんだよ。そして、これはシングルになってアルバムは最終的にミリオン・セラーになったんだ」

「『サン・ゴッデス』でいくつかのエレクトリック・インストゥルメンタルを使ったのは、モーリスがそれらを使い始めたからだ。彼はフェンダー・ローズを使いたがった。エレキ・ギターもいた。シンセサイザーの音もオーヴァーダビングした。レコードの音をより正確に再現するためには、ライヴ会場でも同じような電子機材を使わなければならなくなった。ひとつを使い始めるとまたそこから次の楽器へとつながっていき、私はキーボード奏者を雇いいれ、ギター奏者を雇いいれ、2人のヴォーカルを起用し、コンガ奏者、サックス奏者までいれた。どんどん編成は大きくなっていった。クインテット、セックステット…とね。だが、最終的に、私はまたアコースティック・ピアノを弾きたくなった。アコースティック・ピアノは、私が最初に愛した楽器だからだ。最終的に、1970年代終わりから80年代初期にかけて、私のグループはクインテットに落ち着いた。正直に言うと、スタンウェイのアコースティック・ピアノなしには、私の音楽はありえない。エレクトリック・インストゥルメンタルは毎年新しいヴァージョンが誕生してくるが、それを練習するよりも、アコースティック・ピアノを練習する時間がもっと欲しかったね」

モーリス・ホワイトはよほど「ホット・ドギット」が気に入っていたのだろう。これは絶対にヒットになるからと、3日もかけてレコーディングした。ところが、ふたをあけると、火がついたのは、ほんの2-3時間で録音した、タイトルもなかったような「サン・ゴッデス」だった。ヒット曲なんて、どこでどう生まれるかわからないものだ。

まだこのほかにも質問と答えがある。その他は、実際の映像をみていただくとしよう。

+++++

しかし、これはすごくいい企画なので、やってくれるアーティストがいたら、どんどんやればいいと思う。それと、どうせやるなら、ライヴ最終日ではなく、初日か2日目くらいにやれば、この話を聞いてライヴを見たくなる人もいるのではないだろうか。特にUストリームで中継すれば、この会場に来られなくても、その話からライヴを見たくなってプロモーションにもなるような気がする。そして、やるなら、ジャズあるいは音楽の知識のある人を司会者にして、日本語のちゃんとしたプロの通訳を使うとクオリティーがあがること間違いない。まだ試行錯誤のところだと思うが、ぜひ続けて欲しい。

■1時間20分におよぶ「ジャズ・セミナー」の全映像



■ラムゼイ・ルイス 『サン・ゴッデス』(1974年)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005G9FS/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ラムゼイ・ルイス 『ジ・イン・クラウド』(1965年)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00008KKTN/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>EVENT>Jazz Seminar


○ラムゼイ・ルイスのジャズ・セミナー~ラムゼイ・ルイス語る(パート1)

【Ramsey Lewis Jazz Seminar: Ramsey Talks About History】

講義。

ジャズ・ピアニスト、ラムゼイ・ルイスが東京ブルーノートで2010年10月2日(土)、「ジャズ・セミナー」を行った。約1時間20分にわたって、司会者の質問に答え、最後に演奏を披露した。今回のセミナーは、ラムゼイ・ルイスのチケットを購入した人が先着で無料で入場できるという企画。司会者があらかじめ質問を用意し、その質問に答えた。この様子はUストリームで生中継され、ライヴ後はアーカイブとして録画が見られるようになっている。

ラムゼイ・ルイスは話し口調も静かでとても知的な印象。そのピアノの音色からも人柄がわかる。司会者兼通訳役の日本語がおぼつかなかったが、半分くらいはラムゼイが言っていたことを訳してたと思う。

この様子は、現在Uストリームで録画が見られる。



http://www.ustream.tv/recorded/9944156

用意された質問は、どのようにしてラムゼイ・ルイスさんはピアノを始めたか、教会で演奏を始めて学んだこと、その後、音大でクラシックを学んだことなど、大ヒット曲「ジ・イン・クラウド」誕生の話、アースのモーリス・ホワイトとの出会い、「サン・ゴッデス」誕生秘話(これはおもしろかった。司会者がこれを『太陽のめぐみ』(太陽の女神)と発音するので面白かった)、電子キーボード、エレクトリック機材について、ルイスが司会を担当するテレビ番組『レジェンド・オブ・ジャズ』について、今回ブルーノートで初演となる組曲が生まれた話、オーディエンスからの質問で、ピアノ・トリオへのこだわりについて、曲を作るとき何からインスピレーションを得るかなどについて。最後にちょっとだけソロでピアノ演奏を披露。最後の最後に、ほんのワンフレーズだけ「ジ・イン・クラウド」のリフを弾いた。質問→答え、質問→答えで、答えから次の質問は生まれず、記者会見のようだった。しかし、歴史を持ったアーティストの言葉は、どれもおもしろい。そのいくつかを。

ラムゼイ・ルイスの最大のヒット曲は「ジ・イン・クラウド」について。

「チェスにやってきて、たぶん17枚目くらいのアルバムを作っていたときだったと思う。12枚目くらいから、いつも、アルバムの中に1曲だけ、『シリアス(まじめな真剣なストレートなジャズ曲)じゃない遊びの曲』をいれるようにしていた。ただ楽しめる、ダンスが出来て遊べるような曲だ。アルバムのレコーディングはほぼ終わっていたが、そんな『ファン・ソング(遊びの曲)』をずっと探していた。地元のコーヒー・ショップに行ったときのこと。そこにジュークボックスがあった。顔見知りのウエイトレスと話をしていて、『曲を探してるんだ』というと、彼女が『これ、聞いてみてよ』と言って、ある曲をかけた。それが、ドビー・グレイというシンガーの『(アイム・イン・)ジ・イン・クラウド』という曲だった。私は聴いたことがなかったが、メンバーの二人(エルディー・ヤングとアイザック・ホールト)は知っていた。それでカヴァーすることにしたんだ」

「私たちは、そのとき、木曜・金曜・土曜に『ボヘミアン・キャヴァーンズ』というクラブで1日2セット演奏して、それを録音していた。最初の日のファースト・セットの最後。私たちはいつも、最後には『ファン・ソング(楽しい曲)』を演奏することにしていたんだが、『ジ・イン・クラウド』を演奏するのをほとんど忘れていた。すると、ドラマーのレッドホールトが、小さな声で『ジ・イン・クラウド』を忘れるなというので、やった。ところが、そのときの観客のリアクションがいつもとまったく違っていたんだ。歓声をあげ、手を叩き足を踏み鳴らし、すごい反応だった。そのライヴハウス『ボヘミアン・キャヴァーンズ』は、ハードコアなジャズ・クラブで、たとえば、ジョン・コルトレーンやジョニー・グリフィン、セロニアス・モンクなどが出ていたので、『ジ・イン・クラウド』のような曲をやっても、彼らが気に入ってくれるかどうかさえわからなかった。だから、なぜかはわからないが、この曲で観客が踊りだしたりする強烈な反応に驚いた。毎日、毎回、素晴らしい反応を得た。今でさえ、確かにアルバムとしてはいいアルバムだとは思う。だが、あそこまでの大ヒットになるとは、その理由はいまだにわからない」

「アルバムは1965年の5月ごろリリースされたと思う。私たちがミシガン州デトロイトにいたときのことだ。チェス・レコードのオウナー、レオナード・チェスから電話がかかってきた。『どうやら、君たちはヒット・レコードをだしたようだ』とね。その時点で私たちは17枚のアルバムをだしていたので、『なんでいまさら、そんなことを言うんだろう』と怪訝(けげん)に思った。レナードが、言うには、アルバムの中にはいっている『ジ・イン・クラウド』を目当てにみんながレコード店にやってくるんだ、と。そういわれても、私はよくその意味がわからなかった。秋、9月か10月か11月あたりか、セールスが爆発的になってヒット・レコードを持ったって確信した」

モーリス・ホワイトとの出会い。

「モーリス・ホワイトはもともとチェス・レコードのスタッフ・ドラマーだった。当時のレコード会社は、自社アーティスト、シンガーのレコードを作るとき用に、スタッフとしてドラマーや他のミュージシャンを雇っていた。だから、モーリス・ホワイトはいつでもスタジオにいた。プロデューサーに頼まれればいつでもレコーディングしたわけだからね。そうして、私は彼と知り合うようになった。彼のこと知るようになると、彼は実に謙虚で、とても静かでとても礼儀正しい若い男だということがわかった。それに、とてもquestionable(疑問の残る、問題のあるという意味もある。だが、ラムゼイは質問をたくさんする男、という意味でこの言葉を使った。そこですぐに言い直した)な男だった。いや、正確に言うと、質問好きな男でね。(笑) たくさんの質問を私にしてきた。あなたは音楽出版社を持っているが、それは何をする会社なのか、とか、あなたにはマネージャーがいる、マネージャーというのは何をする人間なのか、とか。あなたには、ブッキング・エージェントというのがいるが、これは何なんだ、とか。そこで私は彼に尋ねた。『なんで君はそんなに質問ばっかりするんだね』と。すると、モーリスは答えた。『さあ、何でだろう。僕はただ、知りたいだけなんだ』とね。そうして、私の最初のトリオが解散し、ドラマーが必要になった。そこで彼にメンバーになってくれないかと誘うと、もちろん、と言って、(トリオの)メンバーになってくれたんだ。(メンバーになってからも)彼は依然とても静かな男だった。だが、プレイするとなると、炎が散るほどのものになったんだ。それもものすごい炎だ。ところが、演奏の最後にオーディエンスにおじぎをするときになると、彼はドラムスのシンバルの陰に隠れて、照れているんだな。そこでシンバルの位置が高いと思ったので、そのシンバルの位置を少し低くした。そうすれば、彼が座っていても、お客さんが彼のことを見えるからね」

「それから彼は3年ほど、ラムゼイ・ルイス・トリオにいたと思うが、あるとき、こう言ってきた。あと半年くらいで自分のバンドを作るんでこのトリオを辞めたいんだ、と。私は、『それは、すばらしい、すばらしい』と言い、『どんなバンドなんだ』と尋ねた。私はきっと彼がジャズのトリオか、グループ、カルテットかクインテットでも作ると思ったんだ。ところが彼は違うという。『我々のグループは、歌って、踊って、マジックもやって、ホーンセクションもいて、すごいことをなんでもやるんだ』と。私は、『ちょっと頭を冷やして、休め』と思った。彼はソニー・スティットや多くの素晴らしいジャズ・ミュージシャンと一緒にやってきてるんだから、そんな感じのグループができるはずだと思った。だから、彼の構想を聞いて、ものすごく驚いた。彼は言った。『ちがう、ちがう、僕のグループはR&Bをやったり、ポップをやったり、それにジャズの要素も加えるんだ』そして、後はご存知の通り、彼のグループは大変な成功を収めるわけだ」

こういう昔話は、本当に、生の情報で貴重だ。楽しい。そして、素晴らしい。

(この項つづく)

ENT>EVENT>Jazz Seminar>Lewis, Ramsey

○シャーデー、10年ぶり北米ツアーへ

【Sade Will Embark On North American Tour: First In Ten Years】

久々。

10年ぶりに新作アルバム『ソルジャー・オブ・ラヴ』をリリースした女性シンガー/ソングライター、シャーデーが2011年6月からおよそ10年ぶりに北米ツアー(アメリカとカナダ)に出る。前回の2001年のツアーでは約100万人を動員。今回もおよそ50本程度のライヴになる模様。そのうちの10本の日程が2010年9月30日、シャーデーから発表された。初日バルティモアのチケットは、2010年10月16日に売り出される。

シャーデーの公式サイト。
http://www.sade.com/us/news/2010-09-30/sade_embarks_on_first_global_tour_in_ten_years/

当初の10本は次の通り。いずれも1万人から2万人収容のアリーナ級。

2011/06/16 Baltimore, MD - 1st Mariner Arena (on sale 10/16)
06/19 Philadelphia, PA - Wells Fargo Arena (on sale 10/18)
06/21 Uniondale, NY - Nassau Coliseum (on sale 10/18)
06/24 East Rutherford, NJ - Izod Center (on sale 10/18)
06/28 Toronto, ON - Air Canada Centre (on sale 10/16)
06/30 Montreal, QC - Bell Centre (on sale 10/16)
07/06 Boston, MA - TD Garden (on sale 10/18)
08/05 Chicago, IL - United Center (on sale 10/18)
08/19 Los Angeles, CA - Staples Center (on sale 10/18)
08/30 Anaheim, CA - Honda Center (on sale 10/18)

今後発表される地区は次の通り。(25都市、さらに追加の可能性も)

Atlanta, GA; Charlotte, NC; Calgary, AB; Cleveland, OH; Dallas, TX;
Detroit, MI; Fort Lauderdale, FL; Houston, TX; Kansas City, MO; Las
Vegas, NV; Louisville, KY; Memphis, TN; Milwaukee, WI; New Orleans,
LA; Oakland, CA; Orlando, FL; Phoenix, AZ; Pittsburgh, PA; Portland,
OR; Sacramento, CA; San Diego, CA; San Jose, CA; Seattle, WA; St Paul,
MN; Vancouver, BC.

シャーデーの10年ぶりのアルバム『ソルジャー・オブ・ラヴ』はアルバム・チャートで1位に輝き、すでに100万枚以上のセールスを記録。根強い人気を見せている。

シャーデーは、これまでに1984年、1993年に来日。もし2011年に来日が決まれば、18年ぶり3度目の来日となる。2012年になれば、19年ぶり。

■ 関連記事

2010年03月05日(金)
シャーデー10年ぶりの新作『ソルジャー・オブ・ラヴ』
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10473280133.html

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00317CO08/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0006TPHWQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ANNOUNCEMENT>Sade
◎Bハワード初のお披露目ライヴ

【B.Howard: More Homework To Be Needed】

精進精進。

今年日本でデビューしたブランドン・ハワード(R&Bシンガー、ミキ・ハワードの息子)。アーティスト名はB.ハワードとして、アルバム『ジェネシス』で2010年7月7日、本邦デビュー。一度ショーケースでお披露目来日して以降、ビルボードで初の一般ライヴ。会場にはマイケル・ファンと思われるファンたちが多くつめかけていた。

バンドは、ドラムス、ギター、ベース、キーボードの4人にさらに男女2人ずつ4人のダンサー。バンドがインストで3曲ほどこなしてから、本人登場。

元々ソングライター、プロデューサー的なアーティストで、スタジオで作りこむのが得意な人のように見受けられる。今回、人前でフル・ショー(1時間弱)のライヴを見せるのが初めてとのこと。結論から言うと、前回の15分くらいのショーケースをクラブなどでやるのが特別感がでていいかもしれない。これから精進して、もっと小さなライヴハウスで場数をこなして経験を積むと彼の味がでてくると思う。どんなアーティストも最初のライヴは緊張して上がるものだ。彼が将来ビッグになったとき、この最初のライヴを見たことが逆に自慢の種になるようがんばってほしい。

瞬間瞬間で、マイケル・ジャクソンを彷彿とさせる部分はあり、そのあたりがファンの心をそそる。マイケル曲は、「ヒューマン・ネイチャー」「アナザー・パート・オブ・ミー」を披露したが、前者は歌詞を途中で忘れたのかな。もっと練習練習。さすがに本編最後の「スーパーモデル」などは楽曲がいいだけに、将来性もあると思われるのでぜひぜひマイケルを目指して欲しい。

■ Bハワード・デビュー作

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003EW4K1Q/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ メンバー

ビー・ハワード / B.Howard(Vocals)
カミラ・バレット / Kamilah Barrett (Dancer)
ギャビー・サンソスティ / Gabby Sansosti(Dancer)
フロリド・バサロ / Florido Basallo(Dancer)
ロロ / Roro(Dancer)
ダレル・クルックス / Darrell Crooks(Guitar)
クインシー・マクラリー / Quincy McCrary(Keyboards)
ジェイミー・デイヴィッド / Jayme David(Bass)
エド・ディクソン / Ed Dixon(Drums)

■セットリスト B. ハワード
Setlist: B Howard @ September 29, 2010

Show started 21:38
01. Instrumental
02. Instrumental : Never Too Much
03. Instrumental : All I Do
21:47
04. Dance Floor
05. Addict
06. Crush
07. Human Nature
08. Another Part Of Me ~ A riff of “Superstition”
09. Electric Lights
10. Killah
11. She’s Got A Man
12. Truth
13. Finally
14. Supermodel
Enc. Ananda
Show ended 22:45

(2010年9月29日水曜、ビルボードライブ東京=B.ハワード・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>B.Howard

□トミー・ジェンキンス、製作中の映画『アイスモーセス』を語る~70年代ファンク・バンドの栄枯盛衰を描くフィクション

【Tomi Jenkins Talks About His Movie Project “Icemosis”】

映画。

キャメオのトミー・ジェンキンスと話をした。トミーは1970年代中期(75年ごろ)、ラリー・ブラックモンがキャメオを結成したときのメンバーの一人。一時期、グループ活動が休止していた頃も、ラリーと連絡は取っていたという。

トミーは、もともとニュージャージー出身で、現在はロスアンジェルス在住。しばらく前から映画のプロジェクトをてがけていて、『アイスモーセス(Icemosis)』という作品を製作し、その音楽をてがけるという。

これはすでに脚本などがほぼ出来上がっており、今年中には撮影開始するという。総予算約1000万ドル(9億円弱)(テン・ミリオン・ダラー)を集めており、あとは撮影、編集。トミーによれば、早ければ2011年、遅くとも2012年の公開にこぎつけたい、とのこと。

この『アイスモーセス』は、1975年のシカゴが舞台。同地で活躍する無名のファンク・バンドが、メジャーなレコード会社と契約にこぎつけ、ヒットを飛ばし、スターになるものの、ちょっとした挫折が待ち受ける、といった感じのストーリーらしい。アイスモーセスが、映画に出てくるフィクションのファンク・グループだ。

すでに『アイスモーセス』は、情報が一部公開されている。

http://www.imdb.com/title/tt1591481/

しかも、アイスモーセスとしての演奏ビデオもYouTubeにいくつかアップされている。これらの音を聴くと、まさにPファンク、バーケイズ、コン・ファンク・シャンなどのサウンドを彷彿とさせる。

http://www.youtube.com/v/siA3sNduTqA?fs=1&hl=ja_JP

http://www.youtube.com/v/zvhYFzZ2jEU?fs=1&hl=ja_JP

これらを見ると、実におもしろそう。

かつてあった『ファイヴ・ハートビーツ』は、60年代のR&Bヴォーカルの栄枯盛衰を描いた映画作品だが、これは70年代のファンク・バンドのフィクションだ。こうした音が好きなソウル・ファンにとってはひじょうに興味深い作品になりそうだ。

撮影開始、公開決定などの情報が入ったらまたお知らせしよう。

ENT>NEWS>Icemosis
ENT>MOVIE>Icemosis
●ディック・グリフィー死去~ソーラー・レコードの生みの親

【Dick Griffey Dies At 66】

訃報。

1977年に設立された「ソーラー・レコード」の創始者で、音楽業界のヴェテランであるディック・グリフィーが2010年9月24日(金)午後2時半ロスアンジェルス(現地時間)で死去した。66歳だった。長く病気を患っており、心臓のバイパス手術をした後の合併症で死去した。EURwebなど複数のウェッブが報じている。

http://www.eurweb.com/?p=53392

http://www.prlog.org/10955408-entrepreneur-humanitarian-and-black-music-legend-dick-griffey-dies.html

ディック・グリフィーは本名リチャード・グリフィー。(ディックはリチャードの愛称) 1943年11月16日、テネシー州ナッシュヴィル生まれ。1960年代後期からロスアンジェルスのクラブでブラック・アーティストのブッキングなどをてがけるようになった。その腕を買われ、シカゴで1971年に始まったテレビ番組『ソウル・トレイン』のアーティスト出演交渉を任されるようになり、同番組のタレント・コーディネーターに。ここで多くのアーティストと接点を持つことになり、番組『ソウル・トレイン』も大ヒット。ブッキングの仕事は徐々に大きくなり、スティーヴィー・ワンダー、ジャクソンズなどのビッグなアーティストのワールドツアーなどもてがけるようになった。

1975年、同番組の司会者、ドン・コーネリアス(1936年9月27日生まれ=ドンより7歳年下ということになる)とともにソウル・トレイン・レコードをスタートさせる。

当初は、ソウル・トレイン・ダンサーズ、シャラマーなどが在籍していた。途中からドン・コーネリアスが番組に専念するために、レーベルの株をグリフィーに売り、グリフィーは単独のオウナーに。それを機にレーベル名を「ソーラー・レコードSOLAR」に変えた。これは、Sound Of Los Angeles Records の頭文字をとったもの。1977年のことだった。

ソーラーは1980年代に入ってウイスパーズ、シャラマー、キャリー・ルーカス、ダイナスティー、クライマックス、レイクサイド、ミッドナイト・スター、さらに、キャロウェイ、ディールなどでヒットを飛ばし、一大ブラック・レーベルへ成長。グリフィーは1960年代に成功を収めたモータウンのやり方を踏襲し、自身のグループ内でアーティストをプロデュースするシステム(自給自足のシステム)を作り上げ、プロデューサーとしてもまだ無名だったシルヴァーズからリオン・シルヴァーズ、ディールからベイビーフェイス、LAリード、キャロウェイからキャロウェイ兄弟などにチャンスを与え、ヒットメイカーとして育て上げた。ディック・グリフィーはまた、当時まだ無名だった若手プロデューサー・チーム、ジミー・ジャム&テリー・ルイスにも最初のチャンスを与えている。

1980年代には多くのヒットを生み出し、黒人所有のレコード会社としてはモータウン・レコードにつぐ第二位の売り上げを誇るビッグ・レーベルとなった。ソーラーは、当初はRCA、続いてエレクトラ、キャピトル、ソニーと配給元が変わった。

リオン・シルヴァーズを軸に作り出したいわゆる「ソーラー・サウンド」は、1980年代のブラック・ミュージック・シーンで大きな存在となった。これらのサウンドは日本でもブラコン(ブラック・コンテンポラリー)のサウンドとして、今でも人気が高い。

葬儀は近親者ですませ、その後お別れの会を開く。妻はキャリー・ルーカス・グリフィー。「ダンス・ウィズ・ミー」などのヒットを放ったキャリー・ルーカス。2人の息子と2人の娘、5人の孫がいる。ほかに養子の息子も1人。

ソーラー・ギャラクシー・オブ・スターズ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000UVAXYC/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ソウル・トレインDVD

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003U2Y196/soulsearchiho-22/ref=nosim/

OBITUARY>Griffey, Dick>November 16, 1943 – September 24, 2010 (66 year-old)

◎ソウル・パワー・サミット2010:アフター・ザ・ダンス

【Soul Power Summit 2010: After The Dance】

5年目。

今年の「ソウル・パワー・サミット2010」は5年目、第5回。順調に歴史を積み重ねている。ますますソウル・ミュージック・ラヴァーズの絆は強くなっているような感じがする。

「ソウル・パワー・サミット~アフター・ザ・ダンス」、土曜日ライヴ終了後の打ち上げ。参加ミュージシャン、アーティストたちがほぼ集い、飲んだり食べたりしながら、そこでかかるソウル・ミュージックにあわせ、自由きままに歌っている。みんなが知ってる曲をプロのミュージシャン、シンガーたちがマイクももたずに、普通に声を張り上げ、大合唱。チェンジ、ホイットニー、アイズレイ、ニュージャック・スイングの数々、マーヴィン、「ナイト&デイ」…。しかし、みんなよく歌詞知ってるなあ。

ちょうどアイズレイがかかっているときに、「イン・ザ・ムード」を聞きたくなったので、DJのところに「イン・ザ・ムード」をリクエストしにいったら、すでにターンテーブルに「イン・ザ・ムード」がのっていた。これをかけるために、アイズレイを前振りに使ったな。もちろん、黒沢さん、タケ、久保田さんが歌う。

クリちゃんは、ホイットニーとジャネットの顔真似を見せてくれた。みんな大爆笑。

たまたま隣に座ったコーンちゃん。なんと本番前日には8度近い熱があったそうだ。薬を飲んで直し、初日の後はすぐに帰り静養、2日目には熱が下がっていた。「俺は、マーチンが(「ソウル・パワー」の真ん中に)どーんといて、ちょっとしたアクセント、色みたいな感じでいられればいいんじゃないかと思ってるんだよ」とモヒートを飲みながら話す。

村上さんと素顔のダンスマンの立ち話。「ダンスマンは、『ソウル・パワー』5回、全部にでてるんですよ。これは、マーチン、ゴス、スクープ以外では彼しかいないんです」 おおっと、そうか。ダンスマンは、ダンスマンになる前、別のバンド(ジャドウズ)でベースを弾いていた。プロのベース奏者だった。だから、今回、ステージでチョッパー・ベース(スラップ・ベース=ベースを叩くように弾く奏法)を堂々と見せていたのだ。彼によると「ラリー・グラハム、マーカス・ミラー、ルイス・ジョンソン、そのあたりの王道のベース奏者はみんな大好きです」という。

そんななか、「ミラクル」川畑さんのイヴェントでライヴをこなしてきたジェイ公山さんが、突然の顔出し。もちろん「ソウル・パワー」には何度もでているヴェテランだ。

ツイッターを携帯で見てると、O社長が「吉岡さん、原稿書いてるでしょう」とちゃちゃをいれてくる。「いやいや、書いてませんよ(笑)」。

黒沢さんは久保田さんに「来年も何かソウルの曲カヴァーするとき、ぜひ呼んでください」と懇願。「『イン・ザ・ムード』、最高でした。ほんと気持ちよく歌えた」と満足げ。僕が久保田さんに、「この3人(久保田、黒沢、タケ)で来年やるとしたら、何か候補曲ありますか」と尋ねると、「あるある、吉岡さんがライナー書いたやつ」とフィリーの名曲のひとつを即答した。その曲には女性のあえぎ声が入っているのだが、「じゃあ、あのあえぎ声はだれがやるの?」と訊くと、「黒沢くんにやってもらう(笑)」と。「レコードでは女だよ(笑)」「大丈夫、大丈夫、黒沢ならできる(笑)」と久保田さん。黒沢さん、「やります!」。「でも、『イン・ザ・ムード』ほど、知名度ないからだめかなあ」と久保田さんが言うので、「いや、その後ルーサーもカヴァーしてるから、けっこう知られてるんじゃない?」と言うと、「ああ、そうだね!」とのリアクション。実現したら、楽しいな。

そうそう、バックステージ・パスの件で、今年はなんかやたらエリア内の移動が厳しく、久保田さんもトイレに行くときにいわゆる「オール・アクセス」のプラスチックのパスを持っていないと、そのエリアに行けないと停められたそうだ。それをきいて「出演アーティストの久保田がだよ、自由に動けないんだよ、笑っちゃうよ」とコーンちゃん。

前年の打ち上げは朝8時まで続いたそうだが、果たしてこれは何時まで続いたのだろう。僕は翌日ラジオの生放送があったので、適当においとましたのだが。(笑) 

■ 出演アーティスト関連CD、DVD

鈴木雅之ボックス

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003TIB1WQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ゴスペラーズ新曲「愛のシューティング・スター」=フィリー・サウンド風四打ちのミディアム調

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003X03CWC/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ゴスペラーズ 2010年11月3日発売予定 ニューシングル「冬響(とうきょう)」

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0040IN33O/soulsearchiho-22/ref=nosim/

スクープ・オン・サムバディー 「潮騒」

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005N752/soulsearchiho-22/ref=nosim/

久保田利伸 「LOVE RAIN」

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003IYH5A8/soulsearchiho-22/ref=nosim/

久保田利伸 『LA・LA・LA  LOVE THANG』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005G70O/soulsearchiho-22/ref=nosim/

クリスタル・ケイ 『ベスト』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002EBDNCA/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ダ・バブルガム・ブラザース 最新作

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002OIH7HU/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ライムスター

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000WPD2T4/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ダンスマン

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003M13X26/soulsearchiho-22/ref=nosim/

多和田えみ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002MHA45A/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ザ・ファンクス 「月刊☆星ガール.net」 レコ直、I-tunesで配信。


ENT>MUSIC>LIVE>Soul Power Summit


◎ソウル・パワー・サミット2010 第二日レポート:日本版「ソウル・レヴュー」か

【Soul Power Summit 2010: Day Two】

ソウル・レヴュー。

「ソウル・パワー」の第二日は、会場が超満員。立錐の余地もないほど。土曜日だけに5時スタートということで、まだ日も落ちない中、武道館の前は大勢の人だかり。始まる前から会場の熱気がすごい。外はけっこう寒いが、中は蒸し暑いほど。

ダ・フロント・アクターズが観客に「一回目から来てる人?」と尋ね、歓声があがる。つづいてゴスペラーズ、「シャル・ウィ・ダンス」では珍しく黒沢・北山デュオ的な形が見られる。これもマイケル鶴岡振り付け。「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」は、もともとキャロル・キングが書きシンガー・ソングライターのジェームス・テイラーの歌で1971年に全米ナンバーワンになった名曲。ソウル界ではダニー・ハザウェイのライヴ・ヴァージョンがひじょうに有名。ここでは多和田えみがゲスト。村上てつやが日本語詞を書いた日本語ヴァージョン。「フォーギヴ・ミー」はちょっとフィリーソウル風、しかも熱唱系バラードで聴かせる。一方、「愛のシューティング・スター」はフィリー四打ち系でこれも振り付けつき。

この日だけのゲスト、クリスタル・ケイは3曲。ロッキッシュな「フラッシュ」から大ヒット「ボーイフレンド・パート2」に続いて、ゴスペラーズの北山・黒沢・さらにスクープのタケの3人をコーラスにしたがえ、ドナ・サマーの大ヒット「オン・ザ・レイディオ」のカヴァーを披露。このコーラス、ドナ・サマ・アズという。ドナがタケで、サマが黒沢で、アズが北山。「ソウル・パワー」にぴったりのゲスト・アーティストだ。

ザ・ファンクス。ダンスマン自身は、なんと「ソウル・パワー」5回連続出演。ダンスマンとして、ファンクスとして、全出演。これは、ソウル・トライアングルの3組以外彼だけ。来年はパンフでも大々的にフィーチャーしないと。村上・ダンスマン対談とか。(笑) 

スクープ。「ゲットアウェイ」は、どこかアイズレイ・ブラザーズ風の雰囲気がある。そういう意味で、「ソウル・パワー」に似合った選曲か。そして、歌力満載の「潮騒」のエンディングでは、あの広い武道館で一瞬ノーマイクにして「stay…」というところを歌う。新曲「マイ・ライフ」から「バラ色」のゴー・ゴー・ヴァージョン、そして、「ファイヴ・キーズ」のエンディングで、トーキング・ボックスを使い、「dance, if you want it」で久保田利伸呼び込み。これは、ほんといいアイデアだと思う。村上さんが考えに考えて出てきたアイデア。

久保田利伸。いきなり、「TAWAWAヒットパレード」であげあげ、のりのり。どうして今年「ソウル・パワー」に参加することになったかの経緯の話がおもしろい。「春くらいにマーチンから電話がかかってきて、飯食おうって。そこで、久保田あ、そろそろ、ソウル・パワーでろよ…、って」 本当にありそうでなさそうな、でもありそうな状況のトークがおもしろかった。そして、ベイビーフェイス作ウィスパーズのヒット「イン・ザ・ムード」。スクープ・タケ、ゴス黒沢とのトリオで。冒頭のちょっとアカペラで練習してみようというアイデアは久保田さんのアイデア。黒沢チームは本番の2-3日まえに急に言われたらしい。ひじょうにソウルフルな雰囲気で、熱くなっていた会場にちょうどエアコンクーラーの涼しい空気が舞い降りてきていいムードに。そして、大ヒット「ラヴ・レイン」。

ゴスペラッツ。今年はおおとりケイスケ、おおとりラン、オードリー。酒井・桑野のコンビがますますパワーアップ。このコンビの前説もありじゃないかとも思った。(笑) 「塗ると、人が変わります」という酒井ぺッツがいい味を出す。大瀧詠一「ア・ロング・ヴァケーション」が来年30周年で、それを祝う意味での「パッパドゥビドゥバ・ストーリー」もいかにも大瀧楽曲という感じ。そして、ムーングロウズの「シンシアリー」。「時間飛行」はじっくり聴かせ、ひじょうに印象に残った。

アンコールは今年30周年を迎えるマーチンに向けて「鈴木雅之メドレー」。「ロンリー・チャップリン」では、ソウル・シスター鈴木聖美も登場。

そして、さらにサプライズが。ブラザー・コーンが音頭をとって9月22日か誕生日だったマーチンへ、全員で「ハッピー・バースデイ」。そして、ノッキーを呼ぼうとしたが忙しく代わりにマーガレットが来てくれたといってマーガレット(木梨憲武)が大きな花束を持って登場。一斉に歓声がまきおこる。「マーガレットは、『可愛いい人よ』ができるっていうんで、じゃあ、3人で」との掛け声で、「可愛いい人よ」。この部分は本当にマーチンも知らなかったようで、マーチンは一瞬涙ぐんでるように見えた。コーン曰く「いやあ、ほんとに隠しておくのが大変だったんだ」。

ほぼ4時間。CMトイレ休憩なしのノンストップ。1回目からだが、バンドの入れ替えがなくノンストップでライヴが続くというのは、本当にすばらしい構成だ。その他の複数アーティストの出演するライヴは、必ず15分程度入れ替えで時間がかかるから、流れが分断される。しかし、4時間近く休みなく演奏するバンドは大変だが、おつかれさま。

たいへんよく構成された4時間のショー。出演者の着替えなども、けっこう早変わりもあり、おそらく舞台裏は大変な忙しさだっただろう。

テレビなんかじゃ見られないライヴならではの濃厚なエンタテインメント。テレビじゃ見られないが、いい意味で「ヴァラエティー・ソウル・ショー」。コラボレーションもおもしろいし、「ソウル・パワー」のイヴェントは、ひょっとしたら、これは日本版「ソウル・レヴュー」の形なのかもしれない。

(この項つづく)

■過去ソウル・パワー関連記事(初回から4回目まで)

2010年09月25日(土)
『ソウル・パワー2010』第一日(速報)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100925.html

2010年09月26日(日)
ソウル・パワー・サミット2010第1日レポート
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100926.html

>前回2009年第4回

September 26, 2009
ソウル・パワー・東京サミット2009(Day 1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10351045775.html

2009年09月27日(日)
ソウル・パワー・東京サミット2009(Day 2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10351581358.html#main

2009年09月28日(月)
ソウル・パワー、盛りだくさん
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10352078479.html

>第3回2008年

September 25, 2008
ソウル・パワー2008~2日間を見て
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080925.html

September 22, 2008
Soul Power 2008: Tokyo Summit Day Two:
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080922.html

September 21, 2008
Soul Power Summit 2008 Tokyo: Day One
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080921.html

>2007年第2回

August 12, 2007
Soul Power Tokyo Summit 2007: Singing Is Joy
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070812.html

July 31, 2007
Soul Power Summit 2007: Full Of Surprise
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070731.html

>2006年第1回

July 27, 2006
Soul Power Tokyo Summit 2006
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200607/2006_07_27.html

August 01, 2006
Soul Power Tokyo Summit 2006: A Leader Said "Thank You" To Another Leader
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_08_01.html

■メンバー 

ダ・フロント・アクターズ (鈴木雅之+Bro Kone)
ゴスペラーズ
多和田えみ 
ライムスター(24日のみ)
クリスタル・ケイ(25日のみ)
The☆Funks (ファンクス) (ダンサー、OL、アニー)
スクープ・オン・サムバディー
久保田利伸
ゴスペラッツ
鈴木雅之 
鈴木聖美 (サプライズ・ゲスト)

>サポートミュージシャン

松本圭司(キーボード)
武藤良明 (ギター)
上條頌 (ギター)
坂東慧 (ドラムス)
後藤克臣 (ベース)
藤川学史 (Gakushi) (キーボード)
Sasuke (トロンボーン)
房原忠弘 (トランペット)
かわ島崇文 (サックス)

神野ゆり (バックヴォーカル=久保田利伸)
オリヴィア・バレル (バックヴォーカル=久保田利伸)
吉田博 (バックヴォーカル=久保田利伸)

OL (ダンサー=ザ・ファンクス)
アニー (ダンサー=ザ・ファンクス)

■セットリスト
Setlist : Soul Power Summit 2010, September 25, 2010@Budoukan

Show started 17:00
Da Front Actors [Suzuki Masayuki & Bros. Kone]
01.Backstabbers (O’Jays)
02.Soul Buddy
Gospellers
00. SE: Soul Ballad
03.1,2,3 for 5
04.Shall We Dance
05.You’ve Got A Friend [with Tawata Emi] (James Taylor, Donny Hathaway)
00.  冬響(とうきょう)(アカペラで一節のみ)
06.Forgive Me
07.愛のシューティングスター
08.ポーカーフェイス
Crystal Kay
09.Flash
10.Boyfriend –Part 2
11.On The Radio [with Take, Kurosawa, Kitayama] (Donna Summer)
The☆Funks (with two dancers)
12. The☆Funksのテーマ
13.月刊☆ガール.net
Skoop On Somebody
14.ソウルリヴァイバー
15.Getaway
16.潮騒
17.My Life
18.バラ色(Go Go Version)~Five Keys [+Gospellers]~A Riff of “Bustin Loose”~A Riff of “Dance If You Want It”
Kubota Toshinobu
19.Tawawa ヒットパレード [+Skoop / Gospellers / Bro. Kone / Tawata]
20.La La La Love Song
21.In The Mood [+Take & Kurosawa Kaoru] (Whispers)
22.Love Rain
Gospe☆rats
00. Opening: (Cabaret)
23.まさか赤坂Show Time
24.Valentine Kiss
25.Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語 (Ohtaki Eiichi)
26.Sincerely (Moonglows)
27.時間飛行
28.憧れのスレンダー・ガール~トゥナイト
29.ハリケーン~チェイサー(=エンディング・インストI Can’t Turn You Loose)
Video. Flashback of Soul Power 1,2,3,4
Encore 1. 「鈴木雅之メドレー」
さよならいとしのBaby Blues [Take of Skoop On Somebody]
恋人 [Kurosawa Kaoru + Yasuoka,Yutaka & Kitayama Youichi]
もう涙はいらない [武田と哲也]
ガラス越しに消えた夏 [鈴木雅之]
ロンリー・チャップリン [鈴木雅之+鈴木聖美, +Bro. Kone]
め組のひと [All Cast]
ランナウェイ [All Cast + 久保田利伸]
Encore 2. Happy Birthday (To Martin) [All Cast]
Encore 3. 可愛いい人よ [Suzuki Masayuki & Bro. Kone, Margarett] (Cook Nick & Chuky)
Performance ended 20:42
Show ended 20:52

(2010年9月25日土曜、日本武道館=ソウル・パワー・サミット2010・ライヴ)
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◎ソウル・パワー・サミット2010第1日レポート

(ソウルパワー初日の模様です。2日目は明日ご紹介します)

【Soul Power Summit 2010: Day One】

パワー。

いきなり、ブラザー・コーンとマーチンが登場し、「私たち、ダ・フロント・アクターズでございます」と宣言。「前説がやりたかったんです」と言って笑いを誘う。ブラザー・コーン、この日1度目の登場だ。

これに続いて、すぐにゴスペラーズ。マイケル鶴岡振り付けの「1,2,3 for 5」などを経て、昨年出場が体調不良のため不可能になった多和田えみがデュエットで「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」を日本語で一緒に。彼女の歌は初めて聴いたが、なかなか低い印象的な声だった。その後、11月にリリースされるゴスペラーズの新曲を一節アカペラで。これはタイトルを「冬響」。こう書いて「とうきょう」と読ませる。「ポーカーフェイス」の後半でラップのライムスターが乱入。ラップをいれながら、ファンキーにし、そのままライムスターのライヴへ。

バンドメンバーはここだけが唯一の休憩場所。DJをバックに次々とよく聞き取れるラップが。「これからの(俺たちがやる)音楽はメロディーがない。だが、ビートとグルーヴとリズムがある」といって始まった。

ダンス・マンのお兄さん、ドリーファンク・ジュニアとダンス・マンのユニットが昨年に続き登場。新曲を披露。

そして、スクープ。「潮騒」はタケの歌が堂々と武道館に響き渡り、聴くものを圧倒的に集中させた。声量、歌唱、非常にインパクトがあった。「バラ色」のゴー・ゴー・ヴァージョンで、ところどころにワシントンDCのゴー・ゴー・サウンドの王者、チャック・ブラウン&ソウル・サーチャーズの「バスティン・ルーズ」のフレーズをいれながら、「ファイヴ・キーズ」に入り、ここでゴスペラーズが乱入。そして、最後でキーボードの学史がロジャーよろしくトーキング・ボックスで「dance, if you want it~」と歌い、久保田利伸を呼び込み。

このあたりのつなぎの演出が実ににくい。久保田もヒット曲を厳選。「ヒットパレード」「ラ・ラ・ラ・ラヴソング」、そして、ベイビーフェイスが書き、ウィスパーズでヒットさせた「イン・ザ・ムード」をカヴァー。ここにゴスから黒沢薫、スクープからタケが参加。大人のムードたっぷりのソウル・フレイヴァーな1曲を演出した。そして大ヒット「ラヴ・レイン」。

そして「オオトリ(出し物の最後のアーティスト)」を務めるのは1年目、3年目と1年おきにでてくる隔年登場ゴスペラッツ。酒井と桑野の漫才コンビが妙におもしろい。新録の新曲は、大瀧詠一が1981年の『ア・ロング・ヴァケーション』で収録していた「パッピドゥビドゥバ・ストーリー(物語)」。これに続き、ムーングロウズの「シンシアリー」をカヴァー。これは、今年亡くなったムーングロウズのベースでリーダーでもあり、マーヴィン・ゲイの育ての親ハーヴィー・フークワに捧げるもの。さらにじっくり歌った「時間飛行」。ヒットメドレーで本編の幕が閉まる。

そしてアンコールは今年でデビュー30周年を迎える鈴木雅之メドレー。そのヒット曲を、参加者が手分けして歌う。サプライズは、「ロンリー・チャップリン」で、お姉さん鈴木聖美が登場したところ。ここにはさらにブラザー・コーンも。そして、最後に久保田利伸が先導で「ランナウェイ」。オールスターで歌いシメ。始まってから、アンコール、挨拶が終わるまで3時間50分。ノンストップ。みなさんおつかれさま。

今回の「ソウル・サミット」の大きなポイントは、ソウル・マン久保田利伸の参加。そして、さらにヒップホップ・アーティストとしてライムスターが参戦してくれたことなどがある。もちろんこれは表のポイントだが、裏メニュー的にコーンちゃんがどこで何をやらかすかが、僕的にはけっこう興味があったのだ。というのも、パンフレットにおける16ページにおよぶ超ビッグ対談の中でも、コーンちゃんは一番たくさんしゃべっているのだが、彼の出番、出方がはっきりしていなかったから。本人曰く「どうやってでるのかなあ」などととぼけながら笑いを誘っていた。

そこに注目してみると、4時間弱の中、コーンちゃんの登場はオープニングのダ・フロント・アクターズのしゃべりと歌、久保田利伸の冒頭での若干のコーラス、そして、マーチン&鈴木聖美の「ロンリー・チャップリン」でのヴォーカルという3箇所。それで、パンフの中では一番たくさんしゃべってるのだ。あんだけしゃべって、歌うの1曲って、さすがだ! (笑) 

(第二日の模様は明日お届けします)

■メンバー 

ダ・フロント・アクターズ (鈴木雅之+Bro Kone)
ゴスペラーズ
多和田えみ 
ライムスター(24日のみ)
クリスタル・ケイ(25日のみ)
The☆Funks (ファンクス) (ダンサー2名)
スクープ・オン・サムバディー
久保田利伸
ゴスペラッツ
鈴木雅之 
鈴木聖美 (サプライズ・ゲスト)

>サポートミュージシャン

松本圭司(キーボード)
武藤良明 (ギター)
上條頌 (ギター)
坂東慧 (ドラムス)
後藤克臣 (ベース)
藤川学史 (Gakushi) (キーボード)
Sasuke (トロンボーン)
ふさはらただひろ (トランペット)
かわ島崇文 (サックス)

神野ゆり (バックヴォーカル=久保田利伸)
オリヴィア・バレル (バックヴォーカル=久保田利伸)
吉田博 (バックヴォーカル=久保田利伸)

■セットリスト
Setlist : Soul Power Summit 2010, September 24, 2010@Budoukan

Show started 18:30
Da Front Actors [Suzuki Masayuki & Bros. Kone]
01.Backstabbers
02.Soul Buddy
Gospellers
00. SE: Soul Ballad
03.1,2,3 for 5
04.Shall We Dance
05.You’ve Got A Friend [with Tawata Emi]
00.    冬響(とうきょう)(アカペラで一節のみ)
06.Forgive Me
07.愛のシューティングスター
08.ポーカーフェイス
Rhymester
09.ライムスター・イン・ザ・ハウス
10.Once Again
11.付和Ride On
12.Walk This Way
The☆Funks (with two dancers)
13.The☆Funksのテーマ
14.月刊☆ガール.net
Skoop On Somebody
15.ソウルリヴァイバー
16.Getaway
17.潮騒
18.My Life
19.バラ色(Go Go Version)~Five Keys [+Gospellers]~A Riff of “Bustin Loose”~A Riff of “Dance If You Want It”
Kubota Toshinobu
20.Tawawa ヒットパレード [+Skoop/Gospellers/Rhymester/Tawata]
21.La La La Love Song
22.In The Mood [+Take & Kurosawa Kaoru](Whispers)
23.Love Rain
Gospe☆rats
00. Opening: (Cabaret)
24.まさか赤坂Show Time
25.Valentine Kiss
26.Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語
27.Sincerely (Moonglows)
28.時間飛行
29.憧れのスレンダー・ガール~トゥナイト
30.ハリケーン~チェイサー(=エンディング・インスト)
Video. Flashback of Soul Power 1,2,3,4
Encore 「鈴木雅之メドレー」
さよならいとしのBaby Blues [Take of Skoop On Somebody]
恋人 [Kurosawa Kaoru + Yasuoka,Yutaka & Kitayama Youichi]
もう涙はいらない [武田と哲也]
ガラス越しに消えた夏 [鈴木雅之]
ロンリー・チャップリン [鈴木雅之+鈴木聖美, +Bro. Kone]
め組のひと [All Cast + Rhymester]
ランナウェイ [All Cast + Rhymester + 久保田利伸]
performance ended 22:13
show ended 22:20

(2010年9月24日金曜、日本武道館=ソウル・パワー・サミット2010・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Soul Power Summit 2010

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