★ケント・モリ自伝『ドリーム&ラヴ』2010年6月25日発売
2010年5月25日 音楽★ケント・モリ自伝『ドリーム&ラヴ』2010年6月25日発売
緊急出版。
マドンナのダンサーとして活動し、また、マイケル・ジャクソンの『ディス・イズ・イット』ツアーのダンサー・オーディションに合格したダンサー、ケント・モリが現在自伝を執筆中で、2010年6月25日に扶桑社(ふそうしゃ)から発売される。タイトルは、『ドリーム&ラヴ』。
キャッチフレーズは「ディス・イズ・イットのオーディションに合格するも、自ら辞退――。あのケント・モリが衝撃の自叙伝を緊急出版! なぜ、彼はマイケルとマドンナ、2人のスーパースターに同時に愛されたのか?」
ここでは、ケント・モリの生い立ち、ダンスに夢をかけてアメリカにわたり、そこで起こる数々の運命的出会いを描く。すべての出来事には理由がある。Everything happens for reasons. ケント・モリ物語は、この言葉を軸に進んでいく。
理由。
ケント・モリくんとは、2010年2月に西寺郷太さんの紹介でゆっくり話をした。実はそのとき、扶桑社の編集者がいて、ケントくんが自伝を書いているという話をしたところ、彼が出しましょう、ということになった。その会ったときの話はブログに書いた。
2010年02月09日(火)
ケント・モリ~その存在理由
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100209.html
+++++
★ケント・モリ、1000人と「ビート・イット」を踊る
ケント・モリとかつてマイケル・ジャクソンのツアーでダンサーを勤めたユーコ・スミダ・ジャクソンが、2010年5月23日(日曜)午後12時半から東京・六本木の六本木ヒルズ・アリーナで行われたイヴェントで、ダンサー20人、一般の人1000人と「ビート・イット」を踊った。M-ON(エム・オン)TV(スカイパーフェクトTVなどの衛星チャンネルで視聴可能)などが収録した。
イヴェントは12時半、小雨の降る中スタート。まず、M-ONTVで放送されたAI主演のドキュメンタリー『マイケル・ジャクソンゆかりの地を訪ねて』の映像が10分程度流れ、その後、ケント・モリとダンサーが登場した。
この日は、一般の人も参加ができることになっており、午前9時に集合し、ここで踊り方を教わり、12時半からの本番に備えた。都合、2度「ビート・イット」を踊った。この模様は近いうちにM-ON TVで放映される予定。
■ マイケル・ジャクソン『ディス・イズ・イット』(ブルーレイ)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002UHJ9EO/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ マドンナ スティッキー・アンド・スウィート・ツアー・ライヴ・フロム・ブエノス・アイレス(仮) 2010年3月31日発売。2008年10月のツアー。ケント・モリ参加。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002UMFOCU/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>MICHAEL JACKSON>Mori, Kento
緊急出版。
マドンナのダンサーとして活動し、また、マイケル・ジャクソンの『ディス・イズ・イット』ツアーのダンサー・オーディションに合格したダンサー、ケント・モリが現在自伝を執筆中で、2010年6月25日に扶桑社(ふそうしゃ)から発売される。タイトルは、『ドリーム&ラヴ』。
キャッチフレーズは「ディス・イズ・イットのオーディションに合格するも、自ら辞退――。あのケント・モリが衝撃の自叙伝を緊急出版! なぜ、彼はマイケルとマドンナ、2人のスーパースターに同時に愛されたのか?」
ここでは、ケント・モリの生い立ち、ダンスに夢をかけてアメリカにわたり、そこで起こる数々の運命的出会いを描く。すべての出来事には理由がある。Everything happens for reasons. ケント・モリ物語は、この言葉を軸に進んでいく。
理由。
ケント・モリくんとは、2010年2月に西寺郷太さんの紹介でゆっくり話をした。実はそのとき、扶桑社の編集者がいて、ケントくんが自伝を書いているという話をしたところ、彼が出しましょう、ということになった。その会ったときの話はブログに書いた。
2010年02月09日(火)
ケント・モリ~その存在理由
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100209.html
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★ケント・モリ、1000人と「ビート・イット」を踊る
ケント・モリとかつてマイケル・ジャクソンのツアーでダンサーを勤めたユーコ・スミダ・ジャクソンが、2010年5月23日(日曜)午後12時半から東京・六本木の六本木ヒルズ・アリーナで行われたイヴェントで、ダンサー20人、一般の人1000人と「ビート・イット」を踊った。M-ON(エム・オン)TV(スカイパーフェクトTVなどの衛星チャンネルで視聴可能)などが収録した。
イヴェントは12時半、小雨の降る中スタート。まず、M-ONTVで放送されたAI主演のドキュメンタリー『マイケル・ジャクソンゆかりの地を訪ねて』の映像が10分程度流れ、その後、ケント・モリとダンサーが登場した。
この日は、一般の人も参加ができることになっており、午前9時に集合し、ここで踊り方を教わり、12時半からの本番に備えた。都合、2度「ビート・イット」を踊った。この模様は近いうちにM-ON TVで放映される予定。
■ マイケル・ジャクソン『ディス・イズ・イット』(ブルーレイ)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002UHJ9EO/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ マドンナ スティッキー・アンド・スウィート・ツアー・ライヴ・フロム・ブエノス・アイレス(仮) 2010年3月31日発売。2008年10月のツアー。ケント・モリ参加。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002UMFOCU/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>MICHAEL JACKSON>Mori, Kento
▲ナタリー・コール(パート2):レパートリーは800曲以上
2010年5月24日 音楽▲ナタリー・コール(パート2):レパートリーは800曲以上
(「ナタリー・コール完全復活」2010年5月20日付けのつづき)
【Natalie Cole Has More Than 800 Repertoires】
アメイジング。
5月20日付けブログで書いたナタリーのライヴ評のつづき。
2010年5月20日付けブログ↓
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100520.html
ライヴ後、余韻に浸っていたが、さすがに最初のインストゥルメンタル3曲がわからなかったので、ステージから降りてきたピアノのジョッシュに声をかけ、最初の3曲の曲名を尋ねた。すると、2曲目は、そのジョッシュが書いた曲で、「アンティドート」という曲名をすぐ教えてくれた。それから、日曜日(5月16日)の1曲目で演奏していた「ポイント・オブ・オリジン」は、この日3曲目に演奏した、という。そして、最初に曲はもうひとりのキーボード奏者アレックスの作品なので、彼に聞こうということになった。すると、ちょうどそのアレックスが通りがかり、彼の曲名を教えてくれた。それが「ヒューマン・レヴォリューション」という曲だ。
ジョッシュがどこかに行き、アレックスと話になった。いきなり、「わたしのなまえはアレックスです。初めまして」と日本語で挨拶。びっくりすると、「奥さん、日本人です、LAに住んでます」。アイフォンをカチャカチャやって、「これ、私の4歳の娘」、カチャカチャ、「これ10歳の娘、日本語、英語、イタリア語、しゃべります」 「ええっ?」 「僕、もともとイタリア人です。イタリア出身。ローマ出身。奥さん、練馬区出身」(笑)
いろいろ聞くと1958年の生まれで、24歳の時(1982年)ボストンのバークリーに行った。そこで音楽を学んだが、そのときの同級生に小曽根真がいる、という。「彼はすばらしいね、すごいね」。
初めて日本に来たのは1988年、ボビー・ブラウンの初来日のときだそうだ。以後、ベイビーフェイス、ボビー、クリスティーナ・アギレラ、ピンクなどで来日経験豊富だ。今の奥さんは1988年に日本に来たときに知り合った、という。
ナタリーのバンドは、ここ5年ほどやっている、という。前回来日時(2008年)は、タミールというピアニストだったので、彼は来ていないが、ナタリー・バンドには入ったり、スケジュールの都合で参加できなかったり、だそう。
「彼女とのライヴ、ツアーは実に楽しいよ。だって、毎日セットリストが違うんだよ。だから飽きない。ここ(ブルーノート)にも毎日来るお客さんがいるだろう。だから、毎回セットリストを変えるんだ。ファーストとセカンドもね。ポップ・アーティストは、きっちりセットリストがあって、いつでも来る日も来る日も同じことを繰り返すが、ナタリーは違う。その場の雰囲気で観客と直接触れ合うんだ。ハート・トゥ・ハートだよ(といって僕の胸をドンと強くたたく)。彼女は経験があるから、観客が何を望んでいるか、その場でわかる。そして、それを与える。だから、曲も予定とは違った曲をやることだってしょっちゅうだ」
この日のセカンドセットのセットリストがB5の紙に印刷されていた。「これは、そうだな、ショーが始まる30分くらい前にナタリーが決めた。もちろん、これどおりにいかないこともある。何かを急に歌い出したら、僕らバンドはそれについていく。それから、違う曲の場合は、MD(音楽ディレクター)のゲイルが、楽譜番号をメンバーに言って、それを演奏するんだ」
確かにセットリストには数字が振ってある。上から、8、520,18、といった具合だ。楽譜にはすべて数字が振ってあって、急に曲が決まってもその数字を伝えれば即座にその曲を演奏することができるわけだ。
「ナタリーは、驚くべきことに800曲くらいレパートリーを持っているんだよ。しかも、彼女はそれをほとんど覚えているんだ。すごいことだよ」
「あ、でも今日は、『テル・ミー・オール・アバウト・イット』を歌うときに、歌詞を覚えていないからって、歌詞カードを探してたよね」と僕。
「過去5年で、あんなことは3度くらいしかない。今夜は珍しかったね」
では、今回も800曲分の楽譜があるのだろうか。
「いや、800曲は持ってきてない。行く先々で、それぞれのマーケットで人気のある曲があるんだ。フィリピンだと、『ホエン・アイ・フォーリン・イン・ラヴ』が人気だったり、『スターダスト』が人気の国があったりするんだ。今回は7-80曲分かな。そこから毎日、いろいろ選ぶんだ。で、そのセットリストも30分ほど前に作ったというわけ。だから、セットリストは毎日違うよ」
「人を待たせてるんで、行かなきゃ」 早口でまくし立て、あっという間にどこかへ消えていった。そうそう、明日はオフだから、箱根の温泉に行くんだと嬉しそうに言っていた。
■アレックスの紹介ページ
http://nucircle.com/people/alex.html
■ジョッシュ・ネルソンのウェッブ
http://www.joshnelsonmusic.com/
ジョッシュは、サラ・ガザレクのライヴでコットンクラブにも来ていた。
演奏された「アンティドート」収録のアルバム
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002FOG0MQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■サラ・ガザレク 『ユアーズ』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000EOTGGQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>MUSIC>LIVE>Cole, Natalie
ENT>MUSIC>ARTIST>Nelson, Josh / Alessandroni Jr., Alex
(「ナタリー・コール完全復活」2010年5月20日付けのつづき)
【Natalie Cole Has More Than 800 Repertoires】
アメイジング。
5月20日付けブログで書いたナタリーのライヴ評のつづき。
2010年5月20日付けブログ↓
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100520.html
ライヴ後、余韻に浸っていたが、さすがに最初のインストゥルメンタル3曲がわからなかったので、ステージから降りてきたピアノのジョッシュに声をかけ、最初の3曲の曲名を尋ねた。すると、2曲目は、そのジョッシュが書いた曲で、「アンティドート」という曲名をすぐ教えてくれた。それから、日曜日(5月16日)の1曲目で演奏していた「ポイント・オブ・オリジン」は、この日3曲目に演奏した、という。そして、最初に曲はもうひとりのキーボード奏者アレックスの作品なので、彼に聞こうということになった。すると、ちょうどそのアレックスが通りがかり、彼の曲名を教えてくれた。それが「ヒューマン・レヴォリューション」という曲だ。
ジョッシュがどこかに行き、アレックスと話になった。いきなり、「わたしのなまえはアレックスです。初めまして」と日本語で挨拶。びっくりすると、「奥さん、日本人です、LAに住んでます」。アイフォンをカチャカチャやって、「これ、私の4歳の娘」、カチャカチャ、「これ10歳の娘、日本語、英語、イタリア語、しゃべります」 「ええっ?」 「僕、もともとイタリア人です。イタリア出身。ローマ出身。奥さん、練馬区出身」(笑)
いろいろ聞くと1958年の生まれで、24歳の時(1982年)ボストンのバークリーに行った。そこで音楽を学んだが、そのときの同級生に小曽根真がいる、という。「彼はすばらしいね、すごいね」。
初めて日本に来たのは1988年、ボビー・ブラウンの初来日のときだそうだ。以後、ベイビーフェイス、ボビー、クリスティーナ・アギレラ、ピンクなどで来日経験豊富だ。今の奥さんは1988年に日本に来たときに知り合った、という。
ナタリーのバンドは、ここ5年ほどやっている、という。前回来日時(2008年)は、タミールというピアニストだったので、彼は来ていないが、ナタリー・バンドには入ったり、スケジュールの都合で参加できなかったり、だそう。
「彼女とのライヴ、ツアーは実に楽しいよ。だって、毎日セットリストが違うんだよ。だから飽きない。ここ(ブルーノート)にも毎日来るお客さんがいるだろう。だから、毎回セットリストを変えるんだ。ファーストとセカンドもね。ポップ・アーティストは、きっちりセットリストがあって、いつでも来る日も来る日も同じことを繰り返すが、ナタリーは違う。その場の雰囲気で観客と直接触れ合うんだ。ハート・トゥ・ハートだよ(といって僕の胸をドンと強くたたく)。彼女は経験があるから、観客が何を望んでいるか、その場でわかる。そして、それを与える。だから、曲も予定とは違った曲をやることだってしょっちゅうだ」
この日のセカンドセットのセットリストがB5の紙に印刷されていた。「これは、そうだな、ショーが始まる30分くらい前にナタリーが決めた。もちろん、これどおりにいかないこともある。何かを急に歌い出したら、僕らバンドはそれについていく。それから、違う曲の場合は、MD(音楽ディレクター)のゲイルが、楽譜番号をメンバーに言って、それを演奏するんだ」
確かにセットリストには数字が振ってある。上から、8、520,18、といった具合だ。楽譜にはすべて数字が振ってあって、急に曲が決まってもその数字を伝えれば即座にその曲を演奏することができるわけだ。
「ナタリーは、驚くべきことに800曲くらいレパートリーを持っているんだよ。しかも、彼女はそれをほとんど覚えているんだ。すごいことだよ」
「あ、でも今日は、『テル・ミー・オール・アバウト・イット』を歌うときに、歌詞を覚えていないからって、歌詞カードを探してたよね」と僕。
「過去5年で、あんなことは3度くらいしかない。今夜は珍しかったね」
では、今回も800曲分の楽譜があるのだろうか。
「いや、800曲は持ってきてない。行く先々で、それぞれのマーケットで人気のある曲があるんだ。フィリピンだと、『ホエン・アイ・フォーリン・イン・ラヴ』が人気だったり、『スターダスト』が人気の国があったりするんだ。今回は7-80曲分かな。そこから毎日、いろいろ選ぶんだ。で、そのセットリストも30分ほど前に作ったというわけ。だから、セットリストは毎日違うよ」
「人を待たせてるんで、行かなきゃ」 早口でまくし立て、あっという間にどこかへ消えていった。そうそう、明日はオフだから、箱根の温泉に行くんだと嬉しそうに言っていた。
■アレックスの紹介ページ
http://nucircle.com/people/alex.html
■ジョッシュ・ネルソンのウェッブ
http://www.joshnelsonmusic.com/
ジョッシュは、サラ・ガザレクのライヴでコットンクラブにも来ていた。
演奏された「アンティドート」収録のアルバム
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002FOG0MQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■サラ・ガザレク 『ユアーズ』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000EOTGGQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>MUSIC>LIVE>Cole, Natalie
ENT>MUSIC>ARTIST>Nelson, Josh / Alessandroni Jr., Alex
■マイケル・ジャクソンのスピリットとソウルが舞い降りたMJスピリット (パート1)
2010年5月23日 音楽■マイケル・ジャクソンのスピリットとソウルが舞い降りたMJスピリット (パート1)
【MJ-Spirit Live; This Is It Show】
スピリット。
マイケル・ジャクソンの意志を尊重し、リスペクトし、マイケルがやったらこうやるだろう、ということを正確に再現するユニット、MJスピリットが、前回六本木モーフから今回は、渋谷AXでのショーに。
結論から言えば、まあ、すごい。感動した。興奮した。集中した。あれも、これも、よくいろいろ考え、いろいろ調べ、いろいろまねして作ったものだ。これだけの完コピをすれば、マイケルだって本望だろう。
今回の設定は、2010年3月にロンドンで50回の公演を終えた『ディス・イズ・イット』ツアーが日本にやってきた、というもの。さまざまな映像、仕掛け、コネタをふんだんに仕込み、2時間余。めくるめくエンタテインメントになった。途中、本当にマイケルが歌い、踊っているかのように、何度も錯覚した。
ネタバレになるが、映画『ディス・イズ・イット』がそのまま実現したらこうなるであろう、ということが事細かに再現された。この再現力はすばらしい。もちろん、マイケル役ブルーツリーの動きは完璧だ。
下記セットリスト、どれも見ごたえがあるが、何度も観客から歓声があがったのが、「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」の無限のダンサー映像とのコラボ。オリアンティーの登場も楽しければ、コーラス・ドリアン・ホリーのラップなども受ける。そして「ユー・アー・ノット・アローン」で客席から女の子を迎えるところなど細かい演出がいちいち楽しい。
最初の圧巻は、「スムース・クリミナル」のゼログラヴィティー。いやあ、ダンサーと含めて7人が全員斜め前に、ビデオのように倒れたときは、感動した。(笑)そして、「ビート・イット」の冒頭は、2階客席から突然登場。「スリラー」では、映画にあった蜘蛛の形の模型も登場、そこから出てくる。
次の圧巻は、「ビリー・ジーン」。なんと、映画で見たような電飾が黒の上下についている。7-8色がキラキラ輝き、ダンスとともに色が変わる。もうここまで来ると、こちらもすっかりショーにのめりこんでいる。もうこのあたりから、最後のMJエアはどうするんだろう、とそわそわしてしまった。
そして、最大の圧巻がアンコール最後「マン・イン・ザ・ミラー」を終えて、曲が流れる間に、MJエアーに乗り込むところ。ここは、映像を作っていた。すごい。MJエアが登場。扉が開く。すると、マイケルがその扉に入っていく。ゆっくり滑走路の向こう側に行き、合図とともにその飛行機が客席側に飛んでくる。そして、離陸。まさにあんな感じになるのか、と、感動した。
(この項、続く)
■ ケント・モリ、今日、六本木ヒルズで1000人と「ビート・イット」を踊る
マイケルとマドンナが取り合った日本人ダンサー、ケント・モリが、今日(2010年5月23日日曜)午後12時半から六本木ヒルズ・アリーナのステージで、ダンサーたちと、観客とともに「ビート・イット」を踊るイヴェントに登場する。
「ビート・イット」を踊りたい人は、午前9時に集合。ダンスのレッスンを受け、12時半からみんなで踊れる。ただ、見るだけなら、12時半に来ればよい。入場無料。誰でも参加できます。
その後、ケント・モリは、2時半ごろから東京タワー下で、同様のイヴェントを行う。これも入場無料。
■セットリスト:MJスピリット @ 渋谷AX 2010年5月22日土曜
Setlist:
show started 17:55
00. Video
01. Wanna Be Startin’ Something
02. Don’t Stop Till You Get Enough
03. Rock With You
04. Jam
05. They Don’t Care About Us
06. Human Nature
07. Smooth Criminal
08. The Way You Make Me Feel
09. You Are Not Alone
10. Jackson Five Medley: I Want You Back
~The Love You Save
~I’ll Be There
11. Shake Your Body
12. I Just Can’t Stop Loving You
13. Dangerous
14. Dirty Diana
15. Beat It
16. Thriller
17. Earth Song
18. We Are The World
19. Heal The World
20. Black Or White
--. Video Remember The Time/Don’t Stop
21. Billie Jean
Enc. Will You Be There
Enc. Man In The Mirror
MJ Air/Exit
Show ended 20:09
(2010年5月22日土曜、渋谷AX=MJスピリット・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>MJ-Spirit
2010-76
【MJ-Spirit Live; This Is It Show】
スピリット。
マイケル・ジャクソンの意志を尊重し、リスペクトし、マイケルがやったらこうやるだろう、ということを正確に再現するユニット、MJスピリットが、前回六本木モーフから今回は、渋谷AXでのショーに。
結論から言えば、まあ、すごい。感動した。興奮した。集中した。あれも、これも、よくいろいろ考え、いろいろ調べ、いろいろまねして作ったものだ。これだけの完コピをすれば、マイケルだって本望だろう。
今回の設定は、2010年3月にロンドンで50回の公演を終えた『ディス・イズ・イット』ツアーが日本にやってきた、というもの。さまざまな映像、仕掛け、コネタをふんだんに仕込み、2時間余。めくるめくエンタテインメントになった。途中、本当にマイケルが歌い、踊っているかのように、何度も錯覚した。
ネタバレになるが、映画『ディス・イズ・イット』がそのまま実現したらこうなるであろう、ということが事細かに再現された。この再現力はすばらしい。もちろん、マイケル役ブルーツリーの動きは完璧だ。
下記セットリスト、どれも見ごたえがあるが、何度も観客から歓声があがったのが、「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」の無限のダンサー映像とのコラボ。オリアンティーの登場も楽しければ、コーラス・ドリアン・ホリーのラップなども受ける。そして「ユー・アー・ノット・アローン」で客席から女の子を迎えるところなど細かい演出がいちいち楽しい。
最初の圧巻は、「スムース・クリミナル」のゼログラヴィティー。いやあ、ダンサーと含めて7人が全員斜め前に、ビデオのように倒れたときは、感動した。(笑)そして、「ビート・イット」の冒頭は、2階客席から突然登場。「スリラー」では、映画にあった蜘蛛の形の模型も登場、そこから出てくる。
次の圧巻は、「ビリー・ジーン」。なんと、映画で見たような電飾が黒の上下についている。7-8色がキラキラ輝き、ダンスとともに色が変わる。もうここまで来ると、こちらもすっかりショーにのめりこんでいる。もうこのあたりから、最後のMJエアはどうするんだろう、とそわそわしてしまった。
そして、最大の圧巻がアンコール最後「マン・イン・ザ・ミラー」を終えて、曲が流れる間に、MJエアーに乗り込むところ。ここは、映像を作っていた。すごい。MJエアが登場。扉が開く。すると、マイケルがその扉に入っていく。ゆっくり滑走路の向こう側に行き、合図とともにその飛行機が客席側に飛んでくる。そして、離陸。まさにあんな感じになるのか、と、感動した。
(この項、続く)
■ ケント・モリ、今日、六本木ヒルズで1000人と「ビート・イット」を踊る
マイケルとマドンナが取り合った日本人ダンサー、ケント・モリが、今日(2010年5月23日日曜)午後12時半から六本木ヒルズ・アリーナのステージで、ダンサーたちと、観客とともに「ビート・イット」を踊るイヴェントに登場する。
「ビート・イット」を踊りたい人は、午前9時に集合。ダンスのレッスンを受け、12時半からみんなで踊れる。ただ、見るだけなら、12時半に来ればよい。入場無料。誰でも参加できます。
その後、ケント・モリは、2時半ごろから東京タワー下で、同様のイヴェントを行う。これも入場無料。
■セットリスト:MJスピリット @ 渋谷AX 2010年5月22日土曜
Setlist:
show started 17:55
00. Video
01. Wanna Be Startin’ Something
02. Don’t Stop Till You Get Enough
03. Rock With You
04. Jam
05. They Don’t Care About Us
06. Human Nature
07. Smooth Criminal
08. The Way You Make Me Feel
09. You Are Not Alone
10. Jackson Five Medley: I Want You Back
~The Love You Save
~I’ll Be There
11. Shake Your Body
12. I Just Can’t Stop Loving You
13. Dangerous
14. Dirty Diana
15. Beat It
16. Thriller
17. Earth Song
18. We Are The World
19. Heal The World
20. Black Or White
--. Video Remember The Time/Don’t Stop
21. Billie Jean
Enc. Will You Be There
Enc. Man In The Mirror
MJ Air/Exit
Show ended 20:09
(2010年5月22日土曜、渋谷AX=MJスピリット・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>MJ-Spirit
2010-76
●NTTのウェッブから削除されたイチローのエコCM
2010年5月22日 音楽【Ichiro’s CM Was Deleted From NTT Web】
削除。
たまたま、今週(2010年5月18日くらい)から放映が始まったのか、NTTグループのイチローのテレビCMを一度だけ見かけた。最初に流れるのを見た、というか、聴いたとき、「なんだ、これ、最悪」と思った。
見てない方のために一言で説明すると「CDを買いに行くのをやめて、携帯でダウンロードしよう、それがエコ」とイチローがいうのである。こんなでたらめな論理があるだろうか。この論理が通るなら、なんだって、物を買いに行くのはエコじゃなくて、携帯で取り寄せるのがエコってことになる。ましてや野球場に野球を見に行くよりテレビ観戦がエコ、ナイターはダメで全面デイゲームがエコってなことになりそうだ。(笑)
で、このCMの数々をホームページで見た。NTTグループはお金があるから、ずいぶんと予算をかけたイメージCMを作っている。「実際に会うより、電話会議」、「週に1回会社に行かず、自宅で仕事」。要は人が移動することがエコじゃない、という論理だ。じゃあ、みんな家に引きこもれ、というのだろうか。
ネット(ツイッター)でも、この件は相当音楽ファンの逆鱗に触れたようで、怒りの声があがった。で、なんと、当初、NTTのホームページにアップされていたそのCMが、5月21日の夕方6時くらいまでに、当該ページから削除されたのだ。それだけ反発されたのだろう。
当初アップされていたページ。現在も古いCMは残っている。
http://www.ntt.co.jp/cm/index01.html(今、『ニュースステーション』でやってた。[2010年5月21日金曜、午後10時半頃])
しかし、蛇(じゃ)の道は蛇(へび)。ユーチューブにあがってました。(5月20日アップ)(笑)
http://www.youtube.com/watch?v=A0rIE5WEx60
僕も、このCMについては苦言を呈そうと思っていたが、それよりはやくFPM(ファンタスティック・プラスティック・マシン)の田中知之さんが5月20日夜8時すぎにちょっとツイッターに書いていたので、それに返事の形で「あれはほんと、ひどいCMです。イチローは選手としてはすばらしいが、このCMで大マイナス」と書いた。すると、これにも反応をいただいた。そこでこのCMの問題点に近い過去のブログがあったので、それをご紹介した。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200310/diary20031013.html
7年前の記事だが、一言でいえば、まだ仮説だが、音楽を消費財にしてはいけない、コンビニ化してはいけない、ということだった。
僕も、別にダウンロードという新技術で音楽が広まっていくことは、致し方ない、それも時代の流れでしょうがない、という考えだ。僕が感じるこのCMの問題点は、そもそもCD買わずにダウンロードしろ、みたいな安易な発想が音楽や文化に対して愛がない点だ。アナログ、カセット、CD、ダウンロードとどんどん、音楽が手軽になり、それによって消費財になっている時代に、音楽を消費することを必要以上に煽っている点も由々しき問題。ダウンロードはそもそも0か1のデータ、そんなものを大事に扱おうなんて考える人はほとんどいないだろう。音楽をデータとして粗末に扱うことを奨励しているところがよくない。そもそもこのコピーを考えた作家とか、CMプランナーが消費者のことなどおかまいなしで、いかにNTTのご機嫌をとれるか、目線はしっかりNTTの方だけに向いていることが腹立たしい。金がある方だけに尻尾振るみたいな。
こうなったら、音楽業界がまとまって、イチローを起用した音楽奨励CMを作ってもバチは当たらないだろう。たとえば「もっと音楽を聴こう、もっとCDを買おう。それがあなたの心を豊かにする」のような。もっといいキャッチが必要だが。(苦笑) もちろん、イチローは罪滅ぼしのためにノー・ギャラだ。そもそも野球だって、音楽だって、人間の衣食住にはなくてもいいもの。エンタテインメントというぜいたく品。
とは言っても、NTTグループはそれだけで年1兆円超の巨人、音楽業界は全部合わせても5000億円以下の産業なんですか。巨大グループにあんなCMをやられたんじゃ、音楽業界なんてひとたまりもない。(笑) あ、でもJASRACの余剰金で、そういう音楽振興キャンペーンCMなんていいかもしれない。JASRACはそういうことにどんどんお金を使うともっと尊敬されると思う。
ESSAY>Ichiro’s CM
削除。
たまたま、今週(2010年5月18日くらい)から放映が始まったのか、NTTグループのイチローのテレビCMを一度だけ見かけた。最初に流れるのを見た、というか、聴いたとき、「なんだ、これ、最悪」と思った。
見てない方のために一言で説明すると「CDを買いに行くのをやめて、携帯でダウンロードしよう、それがエコ」とイチローがいうのである。こんなでたらめな論理があるだろうか。この論理が通るなら、なんだって、物を買いに行くのはエコじゃなくて、携帯で取り寄せるのがエコってことになる。ましてや野球場に野球を見に行くよりテレビ観戦がエコ、ナイターはダメで全面デイゲームがエコってなことになりそうだ。(笑)
で、このCMの数々をホームページで見た。NTTグループはお金があるから、ずいぶんと予算をかけたイメージCMを作っている。「実際に会うより、電話会議」、「週に1回会社に行かず、自宅で仕事」。要は人が移動することがエコじゃない、という論理だ。じゃあ、みんな家に引きこもれ、というのだろうか。
ネット(ツイッター)でも、この件は相当音楽ファンの逆鱗に触れたようで、怒りの声があがった。で、なんと、当初、NTTのホームページにアップされていたそのCMが、5月21日の夕方6時くらいまでに、当該ページから削除されたのだ。それだけ反発されたのだろう。
当初アップされていたページ。現在も古いCMは残っている。
http://www.ntt.co.jp/cm/index01.html(今、『ニュースステーション』でやってた。[2010年5月21日金曜、午後10時半頃])
しかし、蛇(じゃ)の道は蛇(へび)。ユーチューブにあがってました。(5月20日アップ)(笑)
http://www.youtube.com/watch?v=A0rIE5WEx60
僕も、このCMについては苦言を呈そうと思っていたが、それよりはやくFPM(ファンタスティック・プラスティック・マシン)の田中知之さんが5月20日夜8時すぎにちょっとツイッターに書いていたので、それに返事の形で「あれはほんと、ひどいCMです。イチローは選手としてはすばらしいが、このCMで大マイナス」と書いた。すると、これにも反応をいただいた。そこでこのCMの問題点に近い過去のブログがあったので、それをご紹介した。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200310/diary20031013.html
7年前の記事だが、一言でいえば、まだ仮説だが、音楽を消費財にしてはいけない、コンビニ化してはいけない、ということだった。
僕も、別にダウンロードという新技術で音楽が広まっていくことは、致し方ない、それも時代の流れでしょうがない、という考えだ。僕が感じるこのCMの問題点は、そもそもCD買わずにダウンロードしろ、みたいな安易な発想が音楽や文化に対して愛がない点だ。アナログ、カセット、CD、ダウンロードとどんどん、音楽が手軽になり、それによって消費財になっている時代に、音楽を消費することを必要以上に煽っている点も由々しき問題。ダウンロードはそもそも0か1のデータ、そんなものを大事に扱おうなんて考える人はほとんどいないだろう。音楽をデータとして粗末に扱うことを奨励しているところがよくない。そもそもこのコピーを考えた作家とか、CMプランナーが消費者のことなどおかまいなしで、いかにNTTのご機嫌をとれるか、目線はしっかりNTTの方だけに向いていることが腹立たしい。金がある方だけに尻尾振るみたいな。
こうなったら、音楽業界がまとまって、イチローを起用した音楽奨励CMを作ってもバチは当たらないだろう。たとえば「もっと音楽を聴こう、もっとCDを買おう。それがあなたの心を豊かにする」のような。もっといいキャッチが必要だが。(苦笑) もちろん、イチローは罪滅ぼしのためにノー・ギャラだ。そもそも野球だって、音楽だって、人間の衣食住にはなくてもいいもの。エンタテインメントというぜいたく品。
とは言っても、NTTグループはそれだけで年1兆円超の巨人、音楽業界は全部合わせても5000億円以下の産業なんですか。巨大グループにあんなCMをやられたんじゃ、音楽業界なんてひとたまりもない。(笑) あ、でもJASRACの余剰金で、そういう音楽振興キャンペーンCMなんていいかもしれない。JASRACはそういうことにどんどんお金を使うともっと尊敬されると思う。
ESSAY>Ichiro’s CM
⊿ミュージカル『ドリームガールズ』始まる (パート1)
2010年5月21日 音楽(内容でます。これからごらんになる方はご注意ください)
⊿ミュージカル『ドリームガールズ』始まる (パート1)
【Musical Dreamgirls Just Begun】
最新技術。
ニューヨーク・ブロードウェイで1981年12月に始まったミュージカル『ドリームガールズ』、その後、2006年に映画化され、そこからはビヨンセが話題になったり、ジェニファー・ハドソンの新スターも誕生、日本でも大ヒットになった。これが、2009年12月から全米で新ヴァージョンとなりスタート、その唯一の海外公演が2010年5月19日、東京渋谷・文化村オーチャードホールで始まった。6月5日まで続く。
一言で言えば、ひじょうによくできたミュージカル、歌もダンスも迫力いっぱいで、ストーリーもわかりやすく、何度も見たくなる作品になっている。実は1983年か1984年に、僕もブロードウェイで見たのだが、それと比べると、最新の技術が思い切り導入されていて、まるで新作だ。今回は最新のLEDパネルを5枚、実にうまく使って、場面転換、舞台演出、映像スクリーンと自由自在に操る。舞台正面のシーンかと思えば、次の瞬間、舞台裏になったり。これによって、場面転換が実にスムーズに自然に行く。またアーティストたちの瞬間着替えも、見事。改めて映像の使い方、LEDパネルの使い方のうまさに今後のミュージカルの将来の姿を感じる。個人的にもストーリーが頭に入っているせいか、パフォーマンス自体にものすごく入り込めて、楽しめた。
歌唱では、やはり、エフィー・ホワイト役モヤ・アンジェラが、いい場面ごとに大きな拍手喝さいを集める。特に第一幕最後の「アンド・アイム・テリング・ユー…」、第二幕が始まってまもなく歌われる「アイ・アム・チェンジング」、さらに最後の「リッスン」(ディーナとエフィーで歌う)などは、圧巻で拍手が鳴り止まなかった。
オリジナルの1981年版にはなかった楽曲で、映画版『ドリームガールズ』に加えられたのが、ビヨンセが歌った「リッスン」。映画のハイライトのひとつともなったが、ここでは、その「リッスン」を挿入するが、映画版が一人で歌っていたものを、この新版ではディーナとエフィーが友情を確認するという歌詞に変更している。違いのその一だ。もうひとつ、このミュージカル版で新たに加えられたのが、第二幕冒頭に歌われる「ホワット・ラヴ・キャン・ドゥ」。これは僕も初めて聴いたので、最初戸惑ったが、歌詞を見ていくと「アイ・アム・チェンジン」への導入部として生きていることがわかった。
観客は、20代から50代、60代、男女比も、若干女性が多いか。休憩20分を含めて2時間46分。舞台左右に字幕付き。最後、本編が終わり、もう一度全出演者が出てきて挨拶をするが、最後の最後に登場したエフィー役モヤにはスタンディング・オヴェーションが終わらない。ミュージカルのチケットは高いが、これくらい内容があると、ニューヨークまで飛行機代をかけて見に行くより安いと思える。(笑) また見たいと思った。
2010年6月5日まで。オーチャードホールで。
(この項続く)
■『ドリームガールズ』オーチャードホール・ウェッブ↓
http://www.bunkamura.co.jp/orchard/lineup/10_dreamgirls/index.html
■ DVD映画『ドリームガールズ』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0017VG6N6/soulsearchiho-22/ref=nosim/
1981年版のCD
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000000OM9/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■過去『ドリームガールズ』関連記事
2010年05月07日(金)
『ドリームガールズ』トーク・イヴェント無事終了
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10527948535.html
ブラック・ミュージカルの歴史、『ドリームガールズ』についてのあれこれ
December 20, 2006
Musical Movie "Dreamgirls": Born In 1981
http://blog.soulsearchin.com/archives/001463.html
December 22, 2006
"Dreamgirls"(Part 2) : Between Fiction And Non-Fiction
http://blog.soulsearchin.com/archives/001465.html
映画『ドリームガールズ』評。
April 13, 2007
Beyonce To "Dreamgirls"
【ビヨンセ~『ドリームガールズ』】
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200704/2007_04_13.html
●ニューヨーク在住・トミーさんのブログ記事
2009年10月17日付け
今日のトミー ~NYハーレム便り~tommyNY.exblog.jp
新!☆ドリームガールズ☆ に興奮!
http://tommyny.exblog.jp/12141118/
■キャスト
Cast:
M.C. Jared Joseph
Stepp Sister: Felicia Boswell
Stepp Sister: Tallia Brinson
Stepp Sister: Nikki Kimbrough
Stepp Sister: Kimberly Marable
Marty Madison: Milton Craig Nealy
Joann: Talitha Farrow
Charlene: Brittany Lewis
Curtis Taylor, Jr.: Chaz Lamar Shephered
Deena Jones: Syesha Mercado
Lorrell Robinson: Adrienne Warren
C.C. White: Trevon Davis
Effie White: Moya Angela
Little Albert: Marc Spaulding
Tru-Tone: Robert Hartwell
Tru-Tone: Chauncey Jenkins
Tru-Tone: Douglas Lyons
Tru-Tone: Jarran Muse
James “Thunder” Early: Chester Gregory
Tiny Joe Dixon: James Harkness
Wayne: Chauncey Jenkins
Dave: Bret Shuford
Sweetheart: Emily Ferranti
Sweetheart: Stephanie Gibson
Frank: Jarran Muse
Michelle Morris: Margaret Hoffman
Jerry: Jared Joseph
Mr. Morgan: James Harkness
Ensemble: Felicia Boswell, Tallia Brinson, Ronald Duncun, Talitha Farrow, James Harkness, Robert Hartwell, Erick Jackson, Chauncey Jenkins, Jared Joseph, Nikki Kimbrough, Brittany Lewis, Douglas Lyons, Kimberly Marable, Jarran Muse, Marc Spaulding
Effie: Patrice Convington
Also there are other understudies.
■セットリスト 『ドリームガールズ』
Setlist: Dreamgirls, May 19, 2010, Orchard Hall, Tokyo
Act I
Show started 19:07
01. "I’m Lookin’ for Something" - The Stepp Sisters
02. "Goin’ Downtown" - Little Albert & the Tru-Tones
03. "Takin’ the Long Way Home" - Tiny Joe Dixon
04. "Move (You’re Steppin’ on My Heart)" - Effie, Deena, and Lorrell
05. "Fake Your Way to the Top" - Jimmy, Effie, Deena, and Lorrell
06. "Cadillac Car" - Curtis, Jimmy, C.C., and Marty, Effie, Deena, and Lorrell- Company
07. "Steppin’ to the Bad Side" - Curtis, Jimmy, C.C., Wayne, Lorrell, Effie, Deena, and Company
08. "Party, Party" - Effie, Curtis, Jimmy, and Lorrell
09. "I Want You Baby" - Jimmy, Effie, Deena, and Lorrell
10. "Family" - Effie, C.C., Jimmy, Lorrell, Curtis, and Deena
11. "Dreamgirls" - Deena, Lorrell, and Effie
12. "Press Conference" - Company, Deena, and Curtis
13. "Heavy" - Deena, Lorrell, and Effie
14. "It’s All Over" - Effie, Curtis, C.C., Deena, Lorrell, and Michelle
15. "And I Am Telling You I’m Not Going" - Effie
16. "Love Love Me Baby" - Deena, Lorrell, and Michelle
performance ended 20:24
Act II
Performance started 20:45
01. "Act II Opening" 1 - Deena, Lorrell, Michelle, Curtis, and Jimmy
02. “What Love Can Do” – Deena, Lorrell, Michelle, C.C, Curtis, Jimmy and Company
03. "I Am Changing" - Effie
04. "One More Picture Please" - Company, Deena, Lorrell, and Michelle
05. “You Are My Dream” - Curtis and Deena
06. "Got to Be Good Times" - The Five Tuxedos
07. "Ain’t No Party" - Lorrell and Jimmy
08. "I Meant You No Harm" - Jimmy
09. "The Rap" - Jimmy
"Firing of Jimmy" - Jimmy, Curtis, Lorrell, and Company
10. "I Miss You Old Friend" - Les Styles, C.C., and Effie
11. "One Night Only" - Effie and Company
12. "One Night Only (Disco)" - Deena, Lorrell, Michelle, and Company
13. "I’m Somebody" - Deena, Lorrell, and Michelle
14. “Listen” – Deena & Effie
"Chicago/Faith in Myself" - Effie, C.C., Curtis, Wayne, and Marty
15. "Hard to Say Goodbye, My Love" - Deena, Lorrell, and Michelle
16. "Dreamgirls (Reprise)" - Effie, Deena, Lorrell, and Michelle
show ended 21:53
(2010年5月19日水曜、東急文化村オーチャードホール=ドリームガールズ(ミュージカル)
ENT>MUSIC>LIVE>MUSICAL>Dreamgirls
2010-75
⊿ミュージカル『ドリームガールズ』始まる (パート1)
【Musical Dreamgirls Just Begun】
最新技術。
ニューヨーク・ブロードウェイで1981年12月に始まったミュージカル『ドリームガールズ』、その後、2006年に映画化され、そこからはビヨンセが話題になったり、ジェニファー・ハドソンの新スターも誕生、日本でも大ヒットになった。これが、2009年12月から全米で新ヴァージョンとなりスタート、その唯一の海外公演が2010年5月19日、東京渋谷・文化村オーチャードホールで始まった。6月5日まで続く。
一言で言えば、ひじょうによくできたミュージカル、歌もダンスも迫力いっぱいで、ストーリーもわかりやすく、何度も見たくなる作品になっている。実は1983年か1984年に、僕もブロードウェイで見たのだが、それと比べると、最新の技術が思い切り導入されていて、まるで新作だ。今回は最新のLEDパネルを5枚、実にうまく使って、場面転換、舞台演出、映像スクリーンと自由自在に操る。舞台正面のシーンかと思えば、次の瞬間、舞台裏になったり。これによって、場面転換が実にスムーズに自然に行く。またアーティストたちの瞬間着替えも、見事。改めて映像の使い方、LEDパネルの使い方のうまさに今後のミュージカルの将来の姿を感じる。個人的にもストーリーが頭に入っているせいか、パフォーマンス自体にものすごく入り込めて、楽しめた。
歌唱では、やはり、エフィー・ホワイト役モヤ・アンジェラが、いい場面ごとに大きな拍手喝さいを集める。特に第一幕最後の「アンド・アイム・テリング・ユー…」、第二幕が始まってまもなく歌われる「アイ・アム・チェンジング」、さらに最後の「リッスン」(ディーナとエフィーで歌う)などは、圧巻で拍手が鳴り止まなかった。
オリジナルの1981年版にはなかった楽曲で、映画版『ドリームガールズ』に加えられたのが、ビヨンセが歌った「リッスン」。映画のハイライトのひとつともなったが、ここでは、その「リッスン」を挿入するが、映画版が一人で歌っていたものを、この新版ではディーナとエフィーが友情を確認するという歌詞に変更している。違いのその一だ。もうひとつ、このミュージカル版で新たに加えられたのが、第二幕冒頭に歌われる「ホワット・ラヴ・キャン・ドゥ」。これは僕も初めて聴いたので、最初戸惑ったが、歌詞を見ていくと「アイ・アム・チェンジン」への導入部として生きていることがわかった。
観客は、20代から50代、60代、男女比も、若干女性が多いか。休憩20分を含めて2時間46分。舞台左右に字幕付き。最後、本編が終わり、もう一度全出演者が出てきて挨拶をするが、最後の最後に登場したエフィー役モヤにはスタンディング・オヴェーションが終わらない。ミュージカルのチケットは高いが、これくらい内容があると、ニューヨークまで飛行機代をかけて見に行くより安いと思える。(笑) また見たいと思った。
2010年6月5日まで。オーチャードホールで。
(この項続く)
■『ドリームガールズ』オーチャードホール・ウェッブ↓
http://www.bunkamura.co.jp/orchard/lineup/10_dreamgirls/index.html
■ DVD映画『ドリームガールズ』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0017VG6N6/soulsearchiho-22/ref=nosim/
1981年版のCD
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000000OM9/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■過去『ドリームガールズ』関連記事
2010年05月07日(金)
『ドリームガールズ』トーク・イヴェント無事終了
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10527948535.html
ブラック・ミュージカルの歴史、『ドリームガールズ』についてのあれこれ
December 20, 2006
Musical Movie "Dreamgirls": Born In 1981
http://blog.soulsearchin.com/archives/001463.html
December 22, 2006
"Dreamgirls"(Part 2) : Between Fiction And Non-Fiction
http://blog.soulsearchin.com/archives/001465.html
映画『ドリームガールズ』評。
April 13, 2007
Beyonce To "Dreamgirls"
【ビヨンセ~『ドリームガールズ』】
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200704/2007_04_13.html
●ニューヨーク在住・トミーさんのブログ記事
2009年10月17日付け
今日のトミー ~NYハーレム便り~tommyNY.exblog.jp
新!☆ドリームガールズ☆ に興奮!
http://tommyny.exblog.jp/12141118/
■キャスト
Cast:
M.C. Jared Joseph
Stepp Sister: Felicia Boswell
Stepp Sister: Tallia Brinson
Stepp Sister: Nikki Kimbrough
Stepp Sister: Kimberly Marable
Marty Madison: Milton Craig Nealy
Joann: Talitha Farrow
Charlene: Brittany Lewis
Curtis Taylor, Jr.: Chaz Lamar Shephered
Deena Jones: Syesha Mercado
Lorrell Robinson: Adrienne Warren
C.C. White: Trevon Davis
Effie White: Moya Angela
Little Albert: Marc Spaulding
Tru-Tone: Robert Hartwell
Tru-Tone: Chauncey Jenkins
Tru-Tone: Douglas Lyons
Tru-Tone: Jarran Muse
James “Thunder” Early: Chester Gregory
Tiny Joe Dixon: James Harkness
Wayne: Chauncey Jenkins
Dave: Bret Shuford
Sweetheart: Emily Ferranti
Sweetheart: Stephanie Gibson
Frank: Jarran Muse
Michelle Morris: Margaret Hoffman
Jerry: Jared Joseph
Mr. Morgan: James Harkness
Ensemble: Felicia Boswell, Tallia Brinson, Ronald Duncun, Talitha Farrow, James Harkness, Robert Hartwell, Erick Jackson, Chauncey Jenkins, Jared Joseph, Nikki Kimbrough, Brittany Lewis, Douglas Lyons, Kimberly Marable, Jarran Muse, Marc Spaulding
Effie: Patrice Convington
Also there are other understudies.
■セットリスト 『ドリームガールズ』
Setlist: Dreamgirls, May 19, 2010, Orchard Hall, Tokyo
Act I
Show started 19:07
01. "I’m Lookin’ for Something" - The Stepp Sisters
02. "Goin’ Downtown" - Little Albert & the Tru-Tones
03. "Takin’ the Long Way Home" - Tiny Joe Dixon
04. "Move (You’re Steppin’ on My Heart)" - Effie, Deena, and Lorrell
05. "Fake Your Way to the Top" - Jimmy, Effie, Deena, and Lorrell
06. "Cadillac Car" - Curtis, Jimmy, C.C., and Marty, Effie, Deena, and Lorrell- Company
07. "Steppin’ to the Bad Side" - Curtis, Jimmy, C.C., Wayne, Lorrell, Effie, Deena, and Company
08. "Party, Party" - Effie, Curtis, Jimmy, and Lorrell
09. "I Want You Baby" - Jimmy, Effie, Deena, and Lorrell
10. "Family" - Effie, C.C., Jimmy, Lorrell, Curtis, and Deena
11. "Dreamgirls" - Deena, Lorrell, and Effie
12. "Press Conference" - Company, Deena, and Curtis
13. "Heavy" - Deena, Lorrell, and Effie
14. "It’s All Over" - Effie, Curtis, C.C., Deena, Lorrell, and Michelle
15. "And I Am Telling You I’m Not Going" - Effie
16. "Love Love Me Baby" - Deena, Lorrell, and Michelle
performance ended 20:24
Act II
Performance started 20:45
01. "Act II Opening" 1 - Deena, Lorrell, Michelle, Curtis, and Jimmy
02. “What Love Can Do” – Deena, Lorrell, Michelle, C.C, Curtis, Jimmy and Company
03. "I Am Changing" - Effie
04. "One More Picture Please" - Company, Deena, Lorrell, and Michelle
05. “You Are My Dream” - Curtis and Deena
06. "Got to Be Good Times" - The Five Tuxedos
07. "Ain’t No Party" - Lorrell and Jimmy
08. "I Meant You No Harm" - Jimmy
09. "The Rap" - Jimmy
"Firing of Jimmy" - Jimmy, Curtis, Lorrell, and Company
10. "I Miss You Old Friend" - Les Styles, C.C., and Effie
11. "One Night Only" - Effie and Company
12. "One Night Only (Disco)" - Deena, Lorrell, Michelle, and Company
13. "I’m Somebody" - Deena, Lorrell, and Michelle
14. “Listen” – Deena & Effie
"Chicago/Faith in Myself" - Effie, C.C., Curtis, Wayne, and Marty
15. "Hard to Say Goodbye, My Love" - Deena, Lorrell, and Michelle
16. "Dreamgirls (Reprise)" - Effie, Deena, Lorrell, and Michelle
show ended 21:53
(2010年5月19日水曜、東急文化村オーチャードホール=ドリームガールズ(ミュージカル)
ENT>MUSIC>LIVE>MUSICAL>Dreamgirls
2010-75
△奇跡の完全復活~ナタリー・コール (パート1)
2010年5月20日 音楽(内容がでます。これからごらんになる方はご注意ください)
△奇跡の完全復活~ナタリー・コール (パート1)
【Natalie Cole: Great Come Back】
復活。
2年前の来日公演は、衝撃だった。ナタリーは車椅子で登場、歌もおぼつかなく、音程ははずれ、声も出ない。とても人に見せられる代物ではなかった。そして4回のキャンセル。あれを見て僕は悲しくなった。これが最後の来日になるかと思ったものだ。そして2年ぶりの来日が決まった。しかも、1週間以上のスケジュールだ。大丈夫だろうか。
火曜日(5月18日)セカンド、ほぼ満員のブルーノート。いつものようにバンドが3曲演奏し、観客を暖めてから本人登場。な、な、なんと、さっそうと通路を歩いてステージに向かうではないか。とても2年前の弱々しい姿など想像できない。
そして、いきなり「ディス・キャント・ビー・ラヴ」を軽快に歌う。声もよく出て、動きも軽やか。どこも体に問題などないように見えた。そう、元気いっぱいだったのだ。
この1曲目を見て、すっかり安心。次々と繰り広げられるポップ、スタンダード・ソングの数々にしばし酔いしれる。ひときわ人気の高いのは、「ラヴ」「スマイル」など。かわいらしいナタリーの声が印象的だ。
下記セットリスト11曲目「ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド」が終わると、ステージ後ろに白いスクリーンが下りてきた。勘のいい方ならおわかりになるだろう。映像が流れるのだ。「もう紹介や説明はいらない曲です。最初の一言ですべておわかりになると思います」と言って始まるのが、「アンフォゲッタブル」。イントロが流れ出すと、モノクロの映像がスクリーンに映る。そこには、ナット・キング・コールの姿が。最高潮に盛り上がる。ナタリーは1950年生まれなので、すでに還暦60歳だが、キング・コールは、この映像がいつのものかわからないが、最初にレコーディングした1952年のものだったら、ナットは33歳、テレビに出た1961年の映像でも42歳。つまり、ナタリー・コールはすでに父の年齢を追い越しているのだ。
「スマイル」は前日テイク6のクロードが歌っていたが、このナタリーも以前録音し、ライヴでもやっていたもの。
マイクがスワロフスキーでもついているかのようなキラキラマイク。黒のラメ入りドレス。背が高く、体格がしっかりしていて、腕も長いので、腕を伸ばすと、実にかっこいい。変に鼻にかかった歌い方などせず、本当にストレートに完璧なディクション(発音)できっちりと歌手の手本のような歌を聴かせる。
途中でおもしろいことがあった。下記セットリスト11曲目「テル・ミー・オール・アバウト・イット」を始めるときのことだ。ナタリーは譜面台の楽譜の中から歌詞カードを探そうとした。だが、うまく探せず、音楽ディレクターのゲイルに「探して」と助け舟を求めた。ゲイルがそこに行き、探すと、ナタリーは「この曲の歌詞を覚えてないの(笑)」といいながら、曲が始まった。ところが、歌が始まると、彼女はほとんど歌詞カードを見ずに歌っていたのだ。「あれなら、歌詞カードいらないんじゃないか」と思ったほど。ただ、一瞬、ちらっと見るシーンはあったことはあったが。
アンコールは、なんとビル・ウィザースの「ラヴリー・デイ」。ところで、ブルーノートのウェッブにでていたセットリストを持っていったが、ぜんぜん違っていた。毎日、ファーストもセカンドも変えているという。そのあたりについて、キーボードのアレックスが話してくれたので、その話は明日以降に。
それにしてもこんなに早く奇跡の復活が実現するなんて。人間の治癒力はすごい。
(この項続く)
ナタリー・コール、ライヴは日曜日(5月23日)まで東京ブルーノート、その後、24日オフ、25日が名古屋ブルーノート、26日オフで、27日に丸の内コットンクラブ。
■ナタリー・コール過去記事
2008年06月28日(土)
ナタリー・コール満身創痍のステージ(part 1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10110678041.html
2008年07月19日(土)
ナタリー・コール(part 2) C型肝炎を明かす
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10117732847.html#main
2003/06/17 (Tue)
Bittersweet Voice That Turned Blue Note A Desert
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030617.html
2003年来日時のライヴ評。
【2002年5月28日火曜・ブルーノート東京】
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/natalie20020528.html
2002年来日時ライヴ評。
『ソウル・サーチン』(吉岡正晴・著)第7話 ナタリー・コール NATALIE COLE ~二度のグラミーのはざまで~
http://www.soulsearchin.com/soulsearchin/7.html
ナタリー・コール紆余曲折のソウル・サーチン・ストーリー。
■ CD『アンフォゲッタブル』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HECA/soulsearchiho-22/ref=nosim/
『グレイテスト・ヒッツ』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000508TX/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ メンバー
ナタリー・コール(ヴォーカル)Natalie Cole (Vocal)
ゲイル・デドリック(ミュージカルディレクター、キーボード)Gail Dearick (MD,keys on the right)
ジョシュ・ネルソン(ピアノ)Josh Nelson(grand piano)
アレックス・アレッサンドローニ(キーボード)Alex Alessandroni(keys on center)
ブラディ・コーハン(ギター)Brady Cohan(g)
エドウィン・リヴィングストン(ベース)Edwin Livingston(b)
ロバート・ミラー(ドラムス)Robert Miller(ds)
リンゼイ・ジャクソン(バック・ヴォーカル)Lindsey Jackson(back vo)
イヴェット・ミッチェル(バック・ヴォーカル)Yvette Mitchell(back vo)
■セットリスト:ナタリー・コール@ブルーノート東京、2010年5月18日(火)
Setlist : Natalie Cole @ Bluenote Tokyo, May 18th, 2010
show started 21:33
(first 3 songs are instrumental)
01. Human Revolution [Alex Alessandroni]
02. Antidote [Josh Nelson]
03. Point Of Organ
21:54 >Natalie on the stage
04. This Can’t Be Love
05. Summer Sun
06. Thou Swell
07. Love
08. Coffee Time
09. Smile
10. Tell Me All About It
11. You Go To My Head
12. Unforgettable (with Nat King Cole on screen)
13. Snowfall On The Sahara
14. Old Man
Enc. Lovely Day
Show ended 22:41
(2010年5月18日火曜、ブルーノート東京、ナタリー・コール・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Cole, Natalie
2010-74
△奇跡の完全復活~ナタリー・コール (パート1)
【Natalie Cole: Great Come Back】
復活。
2年前の来日公演は、衝撃だった。ナタリーは車椅子で登場、歌もおぼつかなく、音程ははずれ、声も出ない。とても人に見せられる代物ではなかった。そして4回のキャンセル。あれを見て僕は悲しくなった。これが最後の来日になるかと思ったものだ。そして2年ぶりの来日が決まった。しかも、1週間以上のスケジュールだ。大丈夫だろうか。
火曜日(5月18日)セカンド、ほぼ満員のブルーノート。いつものようにバンドが3曲演奏し、観客を暖めてから本人登場。な、な、なんと、さっそうと通路を歩いてステージに向かうではないか。とても2年前の弱々しい姿など想像できない。
そして、いきなり「ディス・キャント・ビー・ラヴ」を軽快に歌う。声もよく出て、動きも軽やか。どこも体に問題などないように見えた。そう、元気いっぱいだったのだ。
この1曲目を見て、すっかり安心。次々と繰り広げられるポップ、スタンダード・ソングの数々にしばし酔いしれる。ひときわ人気の高いのは、「ラヴ」「スマイル」など。かわいらしいナタリーの声が印象的だ。
下記セットリスト11曲目「ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド」が終わると、ステージ後ろに白いスクリーンが下りてきた。勘のいい方ならおわかりになるだろう。映像が流れるのだ。「もう紹介や説明はいらない曲です。最初の一言ですべておわかりになると思います」と言って始まるのが、「アンフォゲッタブル」。イントロが流れ出すと、モノクロの映像がスクリーンに映る。そこには、ナット・キング・コールの姿が。最高潮に盛り上がる。ナタリーは1950年生まれなので、すでに還暦60歳だが、キング・コールは、この映像がいつのものかわからないが、最初にレコーディングした1952年のものだったら、ナットは33歳、テレビに出た1961年の映像でも42歳。つまり、ナタリー・コールはすでに父の年齢を追い越しているのだ。
「スマイル」は前日テイク6のクロードが歌っていたが、このナタリーも以前録音し、ライヴでもやっていたもの。
マイクがスワロフスキーでもついているかのようなキラキラマイク。黒のラメ入りドレス。背が高く、体格がしっかりしていて、腕も長いので、腕を伸ばすと、実にかっこいい。変に鼻にかかった歌い方などせず、本当にストレートに完璧なディクション(発音)できっちりと歌手の手本のような歌を聴かせる。
途中でおもしろいことがあった。下記セットリスト11曲目「テル・ミー・オール・アバウト・イット」を始めるときのことだ。ナタリーは譜面台の楽譜の中から歌詞カードを探そうとした。だが、うまく探せず、音楽ディレクターのゲイルに「探して」と助け舟を求めた。ゲイルがそこに行き、探すと、ナタリーは「この曲の歌詞を覚えてないの(笑)」といいながら、曲が始まった。ところが、歌が始まると、彼女はほとんど歌詞カードを見ずに歌っていたのだ。「あれなら、歌詞カードいらないんじゃないか」と思ったほど。ただ、一瞬、ちらっと見るシーンはあったことはあったが。
アンコールは、なんとビル・ウィザースの「ラヴリー・デイ」。ところで、ブルーノートのウェッブにでていたセットリストを持っていったが、ぜんぜん違っていた。毎日、ファーストもセカンドも変えているという。そのあたりについて、キーボードのアレックスが話してくれたので、その話は明日以降に。
それにしてもこんなに早く奇跡の復活が実現するなんて。人間の治癒力はすごい。
(この項続く)
ナタリー・コール、ライヴは日曜日(5月23日)まで東京ブルーノート、その後、24日オフ、25日が名古屋ブルーノート、26日オフで、27日に丸の内コットンクラブ。
■ナタリー・コール過去記事
2008年06月28日(土)
ナタリー・コール満身創痍のステージ(part 1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10110678041.html
2008年07月19日(土)
ナタリー・コール(part 2) C型肝炎を明かす
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10117732847.html#main
2003/06/17 (Tue)
Bittersweet Voice That Turned Blue Note A Desert
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030617.html
2003年来日時のライヴ評。
【2002年5月28日火曜・ブルーノート東京】
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/natalie20020528.html
2002年来日時ライヴ評。
『ソウル・サーチン』(吉岡正晴・著)第7話 ナタリー・コール NATALIE COLE ~二度のグラミーのはざまで~
http://www.soulsearchin.com/soulsearchin/7.html
ナタリー・コール紆余曲折のソウル・サーチン・ストーリー。
■ CD『アンフォゲッタブル』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HECA/soulsearchiho-22/ref=nosim/
『グレイテスト・ヒッツ』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000508TX/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ メンバー
ナタリー・コール(ヴォーカル)Natalie Cole (Vocal)
ゲイル・デドリック(ミュージカルディレクター、キーボード)Gail Dearick (MD,keys on the right)
ジョシュ・ネルソン(ピアノ)Josh Nelson(grand piano)
アレックス・アレッサンドローニ(キーボード)Alex Alessandroni(keys on center)
ブラディ・コーハン(ギター)Brady Cohan(g)
エドウィン・リヴィングストン(ベース)Edwin Livingston(b)
ロバート・ミラー(ドラムス)Robert Miller(ds)
リンゼイ・ジャクソン(バック・ヴォーカル)Lindsey Jackson(back vo)
イヴェット・ミッチェル(バック・ヴォーカル)Yvette Mitchell(back vo)
■セットリスト:ナタリー・コール@ブルーノート東京、2010年5月18日(火)
Setlist : Natalie Cole @ Bluenote Tokyo, May 18th, 2010
show started 21:33
(first 3 songs are instrumental)
01. Human Revolution [Alex Alessandroni]
02. Antidote [Josh Nelson]
03. Point Of Organ
21:54 >Natalie on the stage
04. This Can’t Be Love
05. Summer Sun
06. Thou Swell
07. Love
08. Coffee Time
09. Smile
10. Tell Me All About It
11. You Go To My Head
12. Unforgettable (with Nat King Cole on screen)
13. Snowfall On The Sahara
14. Old Man
Enc. Lovely Day
Show ended 22:41
(2010年5月18日火曜、ブルーノート東京、ナタリー・コール・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Cole, Natalie
2010-74
☆ドクター・セドリック・デントが復帰したテイク6~20回目の来日
2010年5月19日 音楽【Dr. Cedric Dent Comes Back To Magnificent 6】
復活。
日本でも大変人気の高いアカペラ・グループ、テイク6が2009年1月ビルボー
ドライブ公演以来1年4ヶ月ぶりに来日。1989年11月の初来日以来、これで通算来日がちょうど20回目となった。大変な来日回数ということになる。直近では、2006年9月、2007年3月、2008年4月、2009年1月以来。僕個人としては、1989年6月にロスで彼らを初めて見てノックアウトされて以来、ずっと初来日から見続けている。よく考えれば20年以上、彼らを見ていることになるが、ぜんぜん飽きないから本当にすごい連中だ。
前回2009年1月は僕はマーヴィンの翻訳で時間が取れず見られなかったので、今回は2008年4月以来約2年ぶり。なんと今回ステージで見て驚いたのが、昔からのメンバー、ドクター・セドリック・デントが復活していたこと。前回来日時もセドリックではなく、クリスチャンで、ここしばらくずっとセドリックは欠席だったので、嬉しい復帰だ。調べてみると、2005年11月の来日時には来ていて、2006年はクリスチャンだったので約5年ぶりの復帰か。ちなみに、セドリックはナッシュヴィルで学校の先生をしているので、なかなか長期のツアーに出られないという。今回はスケジュールをやりくりして参加できたそうだ。
さて、マグニフィセント6(すばらしき6人)たちは相変わらず、強力なハーモニーとエンタテインメント性で観客を圧倒する。この声の音圧、ハーモニーのきれいさ、正確さは世界最高級。
いつもは楽器やモニター・スピーカーが所狭しと置かれるステージもこの日はグランドピアノ以外、高めの赤いスツールが6つと、中央にミネラルウォーターを置く小さなテーブルがあるだけ。いわゆる足元に置くフットモニターもないから、実に広い。彼らももうここ数年、耳に直接つけるイアー・モニターだ。このイアー・モニターも各メンバーの耳型を取ってそれぞれにぴったりあうように作られている。そして、ワイアレス・マイクも、イアー・モニターの電池も、万一切れないように毎日代えているそうだ。
テイク6は、かなり熱心なファンがいて、毎日のように来るファンもけっこういるという。確かに、超満員ではないのだが、来ている観客が全員熱心なテイク6ファン、コーラス・ファンのように見受けられた。観客が実に熱い。
MCも、メンバーが適当に曲ごとに変えて、それぞれちょっとずつおもしろいことを言ったりしてあきさせない。
一番低音(ベース)を担当するアルヴィン・チアーの低音はいつになく迫力だ。音数が多いと音が混ざって聞きにくくなることがあるが、この日は実にクリアな音が会場を覆った。
圧巻だったのは、下記セットリストで15曲目の「ソー・マッチ・トゥ・セイ」。アルヴィンの高速ベースがまるで生き物のように動く。さらに、ここはベース・ソロ、ドラム・ソロが、アルヴィン、ジョーイ、マークの三つ巴となり、ものすごいバトルになる。さらに、この後にマークのドラム・ソロとセドリックのドラム・ソロ・バトルが続く。ヴォイス・パーカッションが6人の束になってかかられたら、本当に観客はひれ伏すしかない。これはさすがに文字にしていても、その迫力は再現できない。ぜひとも会場で感じてもらうしかない。この曲はさすがに一番の盛り上がりになった。(もちろん、ベースが動くといっても、各楽器はすべてメンバーの喉から、声で生み出されるもの。念のため。(笑))
また、今回はジョーイが歌う箇所がけっこう増えてきたような印象がある。特に「シャル・ウィ・ギャザー」での後半の部分は、ジョーイがもっとも輝くところだ。それにしても6人の声だけで、この音圧、この広がり。何度聞いても飽きない。
マイケル・ジャクソンも歌い、追悼式でジャーメインが歌ったチャップリンの「スマイル」を、クロード・マクナイトが歌ったが、僕は個人的にはマイケル・ヴァージョンをここ1年へヴィー・ローテーションで聴いていただけに、感慨深かった。
印象的だったのは、アルヴィンがMCで、Thank you for supporting live music(ライヴ音楽をサポートしてくれて、ありがとう)と言ったところ。彼らもまた、ライヴ・ミュージックに生きている。ライヴ後は、メンバー全員揃ってサイン会。
■ 過去のテイク6関連記事
April 09, 2008
Take 6 Are Best 6 In The World
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200804/2008_04_09.html
前々回来日ライヴ評。
November 09, 2005
Take 6 Live: We Want More
http://blog.soulsearchin.com/archives/000630.html
2003/12/10 (Wed)
Take 6 Junkie: World’s Number One Groups’ Number One Fan
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/diary20031210.html
2002年5月15日
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/take620020515.html
テイク6・2002年5月来日時のライヴ評
2003年8月19日
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/diary20030819.html
テイク6、レイラ・ハザウエイ、マーカス・ミラー2003年8月来日時のライヴ評
2004/12/07 (Tue)
Naturally 7: Live At AX: It’s The Art
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200412/diary20041207.html
テイク6のライヴァル、ナチュラリー7のライヴ評
2004/12/08 (Wed)
More Naturally 7: They Bless This House
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200412/diary20041208.html
■ 最新作『スタンダード』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001CRGS8I/soulsearchiho-22/ref=nosim/
テイク6の最高傑作といえば、間違いなくファースト・アルバム
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HG1K/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ メンバー
アルヴィン・チアー(ヴォーカル)Alvin Chea(vo, bass)
ジョーイ・キブル(ヴォーカル)Joey Kibble(vo, tenor)
マーク・キブル(ヴォーカル)Mark Kibble(vo, first tenor)
クロード・マックナイト(ヴォーカル)Claude McKnight(vo, first tenor)
デイヴィッド・トーマス(ヴォーカル)David Thomas(vo, 2nd tenor)
ドクター・セドリック・マーティン(ヴォーカル) Dr. Cedric Dent(vo. baritone)
セットリスト
Setlist : Take 6, Billboard Live Tokyo, May 17, 2010
( )の後の名前はその楽曲で最初にリードを取り、また中心的にリードを取るメンバー。
Show stated 21:31
01. Straighten Up
02. Medley 2-3: I’ve Got Life
03. Spread Love
04. Wade In The Water (David, Claude)
05. Set U Free
06. Smile (Claude)
07. Windmills (Joey on trumpet)
08. Just In Time – A Riff Of “As Time Goes By” (Claude, )
09. Something Within Me
10. Shall We Gather
11. Old School Medley (11 – 14) : When I Fall In Love (Cedric On Piano/Vocal)
12. End Of The Road (David lead)
13. What A Fool Believes (Claude lead, +David, Mark)
14. I Wish (Joey lead)
15. So Much To Say
16. Come On
Enc. Spread Love (Full Version)
Show ended 22:46
(2010年5月17日月曜、ビルボードライブ東京=テイク6ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Take 6
2010-73
復活。
日本でも大変人気の高いアカペラ・グループ、テイク6が2009年1月ビルボー
ドライブ公演以来1年4ヶ月ぶりに来日。1989年11月の初来日以来、これで通算来日がちょうど20回目となった。大変な来日回数ということになる。直近では、2006年9月、2007年3月、2008年4月、2009年1月以来。僕個人としては、1989年6月にロスで彼らを初めて見てノックアウトされて以来、ずっと初来日から見続けている。よく考えれば20年以上、彼らを見ていることになるが、ぜんぜん飽きないから本当にすごい連中だ。
前回2009年1月は僕はマーヴィンの翻訳で時間が取れず見られなかったので、今回は2008年4月以来約2年ぶり。なんと今回ステージで見て驚いたのが、昔からのメンバー、ドクター・セドリック・デントが復活していたこと。前回来日時もセドリックではなく、クリスチャンで、ここしばらくずっとセドリックは欠席だったので、嬉しい復帰だ。調べてみると、2005年11月の来日時には来ていて、2006年はクリスチャンだったので約5年ぶりの復帰か。ちなみに、セドリックはナッシュヴィルで学校の先生をしているので、なかなか長期のツアーに出られないという。今回はスケジュールをやりくりして参加できたそうだ。
さて、マグニフィセント6(すばらしき6人)たちは相変わらず、強力なハーモニーとエンタテインメント性で観客を圧倒する。この声の音圧、ハーモニーのきれいさ、正確さは世界最高級。
いつもは楽器やモニター・スピーカーが所狭しと置かれるステージもこの日はグランドピアノ以外、高めの赤いスツールが6つと、中央にミネラルウォーターを置く小さなテーブルがあるだけ。いわゆる足元に置くフットモニターもないから、実に広い。彼らももうここ数年、耳に直接つけるイアー・モニターだ。このイアー・モニターも各メンバーの耳型を取ってそれぞれにぴったりあうように作られている。そして、ワイアレス・マイクも、イアー・モニターの電池も、万一切れないように毎日代えているそうだ。
テイク6は、かなり熱心なファンがいて、毎日のように来るファンもけっこういるという。確かに、超満員ではないのだが、来ている観客が全員熱心なテイク6ファン、コーラス・ファンのように見受けられた。観客が実に熱い。
MCも、メンバーが適当に曲ごとに変えて、それぞれちょっとずつおもしろいことを言ったりしてあきさせない。
一番低音(ベース)を担当するアルヴィン・チアーの低音はいつになく迫力だ。音数が多いと音が混ざって聞きにくくなることがあるが、この日は実にクリアな音が会場を覆った。
圧巻だったのは、下記セットリストで15曲目の「ソー・マッチ・トゥ・セイ」。アルヴィンの高速ベースがまるで生き物のように動く。さらに、ここはベース・ソロ、ドラム・ソロが、アルヴィン、ジョーイ、マークの三つ巴となり、ものすごいバトルになる。さらに、この後にマークのドラム・ソロとセドリックのドラム・ソロ・バトルが続く。ヴォイス・パーカッションが6人の束になってかかられたら、本当に観客はひれ伏すしかない。これはさすがに文字にしていても、その迫力は再現できない。ぜひとも会場で感じてもらうしかない。この曲はさすがに一番の盛り上がりになった。(もちろん、ベースが動くといっても、各楽器はすべてメンバーの喉から、声で生み出されるもの。念のため。(笑))
また、今回はジョーイが歌う箇所がけっこう増えてきたような印象がある。特に「シャル・ウィ・ギャザー」での後半の部分は、ジョーイがもっとも輝くところだ。それにしても6人の声だけで、この音圧、この広がり。何度聞いても飽きない。
マイケル・ジャクソンも歌い、追悼式でジャーメインが歌ったチャップリンの「スマイル」を、クロード・マクナイトが歌ったが、僕は個人的にはマイケル・ヴァージョンをここ1年へヴィー・ローテーションで聴いていただけに、感慨深かった。
印象的だったのは、アルヴィンがMCで、Thank you for supporting live music(ライヴ音楽をサポートしてくれて、ありがとう)と言ったところ。彼らもまた、ライヴ・ミュージックに生きている。ライヴ後は、メンバー全員揃ってサイン会。
■ 過去のテイク6関連記事
April 09, 2008
Take 6 Are Best 6 In The World
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200804/2008_04_09.html
前々回来日ライヴ評。
November 09, 2005
Take 6 Live: We Want More
http://blog.soulsearchin.com/archives/000630.html
2003/12/10 (Wed)
Take 6 Junkie: World’s Number One Groups’ Number One Fan
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/diary20031210.html
2002年5月15日
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/take620020515.html
テイク6・2002年5月来日時のライヴ評
2003年8月19日
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/diary20030819.html
テイク6、レイラ・ハザウエイ、マーカス・ミラー2003年8月来日時のライヴ評
2004/12/07 (Tue)
Naturally 7: Live At AX: It’s The Art
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200412/diary20041207.html
テイク6のライヴァル、ナチュラリー7のライヴ評
2004/12/08 (Wed)
More Naturally 7: They Bless This House
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200412/diary20041208.html
■ 最新作『スタンダード』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001CRGS8I/soulsearchiho-22/ref=nosim/
テイク6の最高傑作といえば、間違いなくファースト・アルバム
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HG1K/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ メンバー
アルヴィン・チアー(ヴォーカル)Alvin Chea(vo, bass)
ジョーイ・キブル(ヴォーカル)Joey Kibble(vo, tenor)
マーク・キブル(ヴォーカル)Mark Kibble(vo, first tenor)
クロード・マックナイト(ヴォーカル)Claude McKnight(vo, first tenor)
デイヴィッド・トーマス(ヴォーカル)David Thomas(vo, 2nd tenor)
ドクター・セドリック・マーティン(ヴォーカル) Dr. Cedric Dent(vo. baritone)
セットリスト
Setlist : Take 6, Billboard Live Tokyo, May 17, 2010
( )の後の名前はその楽曲で最初にリードを取り、また中心的にリードを取るメンバー。
Show stated 21:31
01. Straighten Up
02. Medley 2-3: I’ve Got Life
03. Spread Love
04. Wade In The Water (David, Claude)
05. Set U Free
06. Smile (Claude)
07. Windmills (Joey on trumpet)
08. Just In Time – A Riff Of “As Time Goes By” (Claude, )
09. Something Within Me
10. Shall We Gather
11. Old School Medley (11 – 14) : When I Fall In Love (Cedric On Piano/Vocal)
12. End Of The Road (David lead)
13. What A Fool Believes (Claude lead, +David, Mark)
14. I Wish (Joey lead)
15. So Much To Say
16. Come On
Enc. Spread Love (Full Version)
Show ended 22:46
(2010年5月17日月曜、ビルボードライブ東京=テイク6ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Take 6
2010-73
◎ジャズ・ピアニスト、ハンク・ジョーンズ91歳で死去
2010年5月18日 音楽【Hank Jones Dies At 91】
訃報。
ジャズ・ピアニストの超ヴェテラン、ハンク・ジョーンズが2010年5月16日午後10時半ごろ、ニューヨークのホスピスで死去した。91歳だった。4月頃体調を崩し、入院していたという。死因など詳細は不明。ジョーンズは、今年(2010年)2月に来日、ブルーノート東京で元気にライヴを行っていた。
ハンク・ジョーンズは、1918年7月31日(大正7年)ミシシッピー州ビックスバーグ生まれ。1930年代から全米のジャズ・シーンで活躍。8ディケード(10年単位)にわたって活躍した。日本にもたびたび来日している。アルバムも自己名義で60枚以上、ゲスト作品は600枚以上を数える。姉2人もピアノをたしなみ、弟2人、サド・ジョーンズ(1923年3月28日~1986年8月21日、63歳)はトランペット奏者、エルヴィン・ジョーンズ(1927年9月9日~2004年5月18日、76歳)はドラマーとして活躍、ジョーンズ3兄弟は、いずれもジャズ界で名声を得た稀有な兄弟となった。ハンクは長兄でしかももっとも長生きしたことになる。
ハンクも幼い頃からピアノを弾きだすようになり、アール・ハインズ、アート・テイタムなどのジャズの巨匠の影響を受けた。1944年、ニューヨークに出て、さまざまなジャズ・ミュージシャンたちと交流するようになり、ジャズの歴史を作った。中でもチャーリー・パーカーとの共演作は注目された。
1956年か1957年頃、ベニー・グッドマン楽団で初来日。(そのときの回想が下記2004年2月のブログに、少しだけある) その後も数々の伝説を作り、ジャズ界の重鎮となっていく。1962年には、ケネディー大統領のためにマリリン・モンローが「ハッピー・バースデイ」を歌ったとき、そのピアノを演奏していのたが、ハンク・ジョーンズだった。1978年には、ファッツ・ウォーラー作品を中心にしたミュージカル『エイント・ミス・ビヘイヴィン』のピアノ奏者になり、これはロングランとなった。その後もコンスタントに活動を続け、2000年代に入っても精力的に来日。2006年、2008年の東京ジャズにも出演。2010年2月のブルーノート公演などが日本での最後の公演となった。このときは、日本人アーティスト、トクなども飛び入りで参加していた。トクを始め、多くの日本人アーティスト、音楽関係者とも交流していた。
■ 訃報記事
ニューヨーク・タイムス 2010年5月17日付け
http://www.nytimes.com/2010/05/18/arts/music/18jones.html?src=tptw
■ 過去関連記事
2004/02/05 (Thu)
In A Class By Itself: Witnessed God’s Hands: Hank Jones Live At Blue Note
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/diary20040205.html
ハンク・ジョーンズのすばらしいライヴの空気感、その後のちょっとした会話。このとき、楽屋に連れて行っていただいたのは、伊藤八十八さんです。
September 04, 2006
Tokyo Jazz Live: Young Meets Old, East Meets West, Fresh Meets Mature...All Happening Here
http://blog.soulsearchin.com/archives/001248.html
September 23, 2008
Tokyo Jazz Now On The Air
http://blog.soulsearchin.com/archives/002680.html
■ ハンク・ジョーンズ、最近の作品は日本のヴィレッジ・レコードから 『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000BNM94Q/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ラウンドミッドナイト
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000CPGWSW/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>OBITUARY>Jones, Hank, July 31, 1918 – May 16, 2010, 91 years old
訃報。
ジャズ・ピアニストの超ヴェテラン、ハンク・ジョーンズが2010年5月16日午後10時半ごろ、ニューヨークのホスピスで死去した。91歳だった。4月頃体調を崩し、入院していたという。死因など詳細は不明。ジョーンズは、今年(2010年)2月に来日、ブルーノート東京で元気にライヴを行っていた。
ハンク・ジョーンズは、1918年7月31日(大正7年)ミシシッピー州ビックスバーグ生まれ。1930年代から全米のジャズ・シーンで活躍。8ディケード(10年単位)にわたって活躍した。日本にもたびたび来日している。アルバムも自己名義で60枚以上、ゲスト作品は600枚以上を数える。姉2人もピアノをたしなみ、弟2人、サド・ジョーンズ(1923年3月28日~1986年8月21日、63歳)はトランペット奏者、エルヴィン・ジョーンズ(1927年9月9日~2004年5月18日、76歳)はドラマーとして活躍、ジョーンズ3兄弟は、いずれもジャズ界で名声を得た稀有な兄弟となった。ハンクは長兄でしかももっとも長生きしたことになる。
ハンクも幼い頃からピアノを弾きだすようになり、アール・ハインズ、アート・テイタムなどのジャズの巨匠の影響を受けた。1944年、ニューヨークに出て、さまざまなジャズ・ミュージシャンたちと交流するようになり、ジャズの歴史を作った。中でもチャーリー・パーカーとの共演作は注目された。
1956年か1957年頃、ベニー・グッドマン楽団で初来日。(そのときの回想が下記2004年2月のブログに、少しだけある) その後も数々の伝説を作り、ジャズ界の重鎮となっていく。1962年には、ケネディー大統領のためにマリリン・モンローが「ハッピー・バースデイ」を歌ったとき、そのピアノを演奏していのたが、ハンク・ジョーンズだった。1978年には、ファッツ・ウォーラー作品を中心にしたミュージカル『エイント・ミス・ビヘイヴィン』のピアノ奏者になり、これはロングランとなった。その後もコンスタントに活動を続け、2000年代に入っても精力的に来日。2006年、2008年の東京ジャズにも出演。2010年2月のブルーノート公演などが日本での最後の公演となった。このときは、日本人アーティスト、トクなども飛び入りで参加していた。トクを始め、多くの日本人アーティスト、音楽関係者とも交流していた。
■ 訃報記事
ニューヨーク・タイムス 2010年5月17日付け
http://www.nytimes.com/2010/05/18/arts/music/18jones.html?src=tptw
■ 過去関連記事
2004/02/05 (Thu)
In A Class By Itself: Witnessed God’s Hands: Hank Jones Live At Blue Note
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/diary20040205.html
ハンク・ジョーンズのすばらしいライヴの空気感、その後のちょっとした会話。このとき、楽屋に連れて行っていただいたのは、伊藤八十八さんです。
September 04, 2006
Tokyo Jazz Live: Young Meets Old, East Meets West, Fresh Meets Mature...All Happening Here
http://blog.soulsearchin.com/archives/001248.html
September 23, 2008
Tokyo Jazz Now On The Air
http://blog.soulsearchin.com/archives/002680.html
■ ハンク・ジョーンズ、最近の作品は日本のヴィレッジ・レコードから 『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000BNM94Q/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ラウンドミッドナイト
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000CPGWSW/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>OBITUARY>Jones, Hank, July 31, 1918 – May 16, 2010, 91 years old
○スイングジャーナル誌も休刊へ~6月発売・7月号で
2010年5月17日 音楽【Swing Journal Discontinued As Of July Issue】
休刊。
ジャズ専門誌「スイングジャーナル」が、2010年6月20日発売の同年7月号で休刊することになった。5月20日発売の6月号で正式発表する。
スイングジャーナル誌は、1947年(昭和22年)創刊。63年の歴史に幕を下ろす。ジャズ専門誌として一時期は多数の広告を掲載、大部数を発行していたが、近年は部数も広告も大きく落ち込んでいた。スイング・ジャーナル誌の現在の編集長は8代目(7人目)の三森隆文氏。同社からは、同じく音楽専門誌アドリブ誌が2010年5月号で休刊、これで2つの大きな定期刊行物を失うことになった。
++++
変革。
アドリブに続いて、スイング・ジャーナルもということで、確実に時代の変革が訪れている。音楽業界の景気の悪さも現している。一般論として、音楽誌そのものの存在価値、意義がなくなっているのだろう。ただの新譜情報だけだったらネットで十分。ちゃんとした音楽評論を読みたいと思っても、既存の音楽誌には載っていない。音自体もネットで、とりあえず、お試しで聞くことができる。また、CDが売れず、レコード会社の景気が悪いから、広告出稿もままならない。広告を出してもらうために、タイアップ記事を出す。で、それらは読まれない。読まれないから売り上げに直結しない。まあ、すべてそういうスパイラルだからしょうがない。
しかし、スイング・ジャーナルについて言えば、63年の歴史というものすごく貴重なアーカイブがあるので、それをたとえば、全部デジタル化して、ネットに無料で公開したらどうだろう。そこに広告をいれて、その収益は筆者に二次使用料として分配していく。いずれにせよ、スイング・ジャーナル誌も十分歴史を作った。その日本のジャズ界への影響は計り知れない。それを休刊ということで埋もれさせてはよくない。
一方、これから生き残れる音楽誌は、徹底した取材と読み応えのある深く突っ込んだ記事、資料性の高い記事、そして、長く保存しておきたいと思うようなレイアウトといったところになるのかもしれない。最初から大量部数は期待せずに、コアなしかし確実な読者を掴むことが重要のように思える。
■ 関連記事
2010年03月19日(金)
音楽月刊誌アドリブ、5月号で休刊へ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10485415185.html
■ スイングジャーナル2010年5月号
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003FO0K1M/soulsearchiho-22/ref=nosim/
スイングジャーナル2010年6月号
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003L1YRMM/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>MUSIC>MAGAZINE
休刊。
ジャズ専門誌「スイングジャーナル」が、2010年6月20日発売の同年7月号で休刊することになった。5月20日発売の6月号で正式発表する。
スイングジャーナル誌は、1947年(昭和22年)創刊。63年の歴史に幕を下ろす。ジャズ専門誌として一時期は多数の広告を掲載、大部数を発行していたが、近年は部数も広告も大きく落ち込んでいた。スイング・ジャーナル誌の現在の編集長は8代目(7人目)の三森隆文氏。同社からは、同じく音楽専門誌アドリブ誌が2010年5月号で休刊、これで2つの大きな定期刊行物を失うことになった。
++++
変革。
アドリブに続いて、スイング・ジャーナルもということで、確実に時代の変革が訪れている。音楽業界の景気の悪さも現している。一般論として、音楽誌そのものの存在価値、意義がなくなっているのだろう。ただの新譜情報だけだったらネットで十分。ちゃんとした音楽評論を読みたいと思っても、既存の音楽誌には載っていない。音自体もネットで、とりあえず、お試しで聞くことができる。また、CDが売れず、レコード会社の景気が悪いから、広告出稿もままならない。広告を出してもらうために、タイアップ記事を出す。で、それらは読まれない。読まれないから売り上げに直結しない。まあ、すべてそういうスパイラルだからしょうがない。
しかし、スイング・ジャーナルについて言えば、63年の歴史というものすごく貴重なアーカイブがあるので、それをたとえば、全部デジタル化して、ネットに無料で公開したらどうだろう。そこに広告をいれて、その収益は筆者に二次使用料として分配していく。いずれにせよ、スイング・ジャーナル誌も十分歴史を作った。その日本のジャズ界への影響は計り知れない。それを休刊ということで埋もれさせてはよくない。
一方、これから生き残れる音楽誌は、徹底した取材と読み応えのある深く突っ込んだ記事、資料性の高い記事、そして、長く保存しておきたいと思うようなレイアウトといったところになるのかもしれない。最初から大量部数は期待せずに、コアなしかし確実な読者を掴むことが重要のように思える。
■ 関連記事
2010年03月19日(金)
音楽月刊誌アドリブ、5月号で休刊へ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10485415185.html
■ スイングジャーナル2010年5月号
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003FO0K1M/soulsearchiho-22/ref=nosim/
スイングジャーナル2010年6月号
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003L1YRMM/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>MUSIC>MAGAZINE
◆「評価されない覚悟を持ってやっている」
2010年5月16日 音楽◆「評価されない覚悟を持ってやっている」
【Preparation For Not Appreciated】
覚悟。
5月13日にNHKで渡辺淳一氏の「褒めて、才能を引き出そう」という話を聞いたと思ったら、翌日たまたまつけたテレビで作家の冲方丁(うぶかた・とう)氏が、「自分は怒られて育った。自分の父親からは何をやっても褒められず、怒られてばかりで、それでこんちくしょうと思ってやる気をだした。今思うに、欠点を指摘してくれる人は、本当に貴重だ。自分は作品を作るときに、評価されない覚悟をしてやっている」といったことを語っていた。テレビ番組は、5月14日放送のフジテレビ系の朝番組『とくだね!』だ。そのインタヴュー・コーナーで、中野アナが彼の自宅に行き、インタヴューをしていた。その中での発言だ。
これも、ご意見として本当にもっとも。何かクリエイティヴなものを作っている人は、常に、それが評価されないということを覚悟していなければならない。正しい評価とは何か、というのはちょっと別の問題なのだが、いずれにせよ、自分が作った楽曲やレコード、小説、絵画、写真などが評価されなくても、それに腐っていてはだめということだ。
褒めて才能を引き出すのもひとつ。叱って才能を引き出すのもひとつ。ただ、最近の傾向だと、叱るとすぐやめてしまったりするので、どちらかというと、褒めて才能を引き出すほうが、大勢ではないだろうか。スポーツ選手を育てるのも、昔はスパルタ式が当然のように思われたが、最近は少しばかり勝手が違うようだ。
人間は誰でも、無意識のうちに、何かしら、評価されることを望んでいる。そして、評価されモチヴェーションがあがり、やる気がさらにアップし、いい結果につながっていく。欠点を知り、それを修正することによって、自分のレヴェルがあがる。それも、真理だ。
さて、あなたは叱られて伸びるタイプか、それとも、褒められて伸びるタイプか。
ENT>ESSAY>
【Preparation For Not Appreciated】
覚悟。
5月13日にNHKで渡辺淳一氏の「褒めて、才能を引き出そう」という話を聞いたと思ったら、翌日たまたまつけたテレビで作家の冲方丁(うぶかた・とう)氏が、「自分は怒られて育った。自分の父親からは何をやっても褒められず、怒られてばかりで、それでこんちくしょうと思ってやる気をだした。今思うに、欠点を指摘してくれる人は、本当に貴重だ。自分は作品を作るときに、評価されない覚悟をしてやっている」といったことを語っていた。テレビ番組は、5月14日放送のフジテレビ系の朝番組『とくだね!』だ。そのインタヴュー・コーナーで、中野アナが彼の自宅に行き、インタヴューをしていた。その中での発言だ。
これも、ご意見として本当にもっとも。何かクリエイティヴなものを作っている人は、常に、それが評価されないということを覚悟していなければならない。正しい評価とは何か、というのはちょっと別の問題なのだが、いずれにせよ、自分が作った楽曲やレコード、小説、絵画、写真などが評価されなくても、それに腐っていてはだめということだ。
褒めて才能を引き出すのもひとつ。叱って才能を引き出すのもひとつ。ただ、最近の傾向だと、叱るとすぐやめてしまったりするので、どちらかというと、褒めて才能を引き出すほうが、大勢ではないだろうか。スポーツ選手を育てるのも、昔はスパルタ式が当然のように思われたが、最近は少しばかり勝手が違うようだ。
人間は誰でも、無意識のうちに、何かしら、評価されることを望んでいる。そして、評価されモチヴェーションがあがり、やる気がさらにアップし、いい結果につながっていく。欠点を知り、それを修正することによって、自分のレヴェルがあがる。それも、真理だ。
さて、あなたは叱られて伸びるタイプか、それとも、褒められて伸びるタイプか。
ENT>ESSAY>
★「才能は誰にでもある。要は引き出されたかどうかだ」
2010年5月15日 音楽【Talent Should Be Pulled Out By Somebody】
才能。
2010年5月13日(木)のNHKテレビ(1チャンネル)午後の『スタジオパーク~』を見ていたら、作家の渡辺淳一さんがゲストででていて、いろいろな話をしておられた。その中で、子供は褒めて育てなければならない、みたいな話をされ、とても感銘したので、その一言をツイッターに書き込んだ。
「才能は、(その人に)あるか、ないか、じゃない。誰かに引き出してもらえたか、もらえなかったかなんだ。だから、子供は褒めて、(才能を)伸ばしてあげて」(渡辺淳一、2010年5月13日、NHK-TV『スタジオパークからこんにちは』での発言)13:28:52
一度しか見ていないので記憶で書くが、こういうことだ。
人にはもともとたくさんの才能がある、誰にだって才能がある。才能がない人なんていない。その人に才能があるか、ないか、という問題ではない。その才能を、誰かに引き出してもらえたか、どうか、ということだ。その才能を引き出すために、褒めるということはとてもその人のやる気がでて、モチヴェーションがあがる。だから、特に子供は褒めてあげて、やる気をださせ、引き出すのがいい。
この、才能がない人なんていない。それが眠ったままか、どうか、うまく、引き出されたかどうかだけの違い、というところがすごくすばらしいと思った。
確かに、褒められてうれしくない人なんていない。褒められれば、やる気がでる。やる気が出れば、いい結果がついてくる。
僕なんかも、初めて見るアーティストをうまい・下手を基準に、才能があるかないかなどと判断してしまうことがままある。もちろん、1回見ただけではおそらくわからないのだが、最初に見てつまらないと思ったら、2回目を見に行く可能性は大きく減るわけで、その第一印象が残ったままだったりする。
また逆によく知っているミュージシャンやアーティストでも、長い付き合いの中で、へえ、彼はこんなこともできるのか、などと驚かされることもある。それは別の才能が出ているわけで、そうした埋もれた才能を引っ張り出すのは、たとえば、プロデューサーなどのひじょうに重要な仕事になるだろう。まだ見つけられていない才能を見出すこと。それは、とても意義のある仕事だ。
ENT>ESSAY
才能。
2010年5月13日(木)のNHKテレビ(1チャンネル)午後の『スタジオパーク~』を見ていたら、作家の渡辺淳一さんがゲストででていて、いろいろな話をしておられた。その中で、子供は褒めて育てなければならない、みたいな話をされ、とても感銘したので、その一言をツイッターに書き込んだ。
「才能は、(その人に)あるか、ないか、じゃない。誰かに引き出してもらえたか、もらえなかったかなんだ。だから、子供は褒めて、(才能を)伸ばしてあげて」(渡辺淳一、2010年5月13日、NHK-TV『スタジオパークからこんにちは』での発言)13:28:52
一度しか見ていないので記憶で書くが、こういうことだ。
人にはもともとたくさんの才能がある、誰にだって才能がある。才能がない人なんていない。その人に才能があるか、ないか、という問題ではない。その才能を、誰かに引き出してもらえたか、どうか、ということだ。その才能を引き出すために、褒めるということはとてもその人のやる気がでて、モチヴェーションがあがる。だから、特に子供は褒めてあげて、やる気をださせ、引き出すのがいい。
この、才能がない人なんていない。それが眠ったままか、どうか、うまく、引き出されたかどうかだけの違い、というところがすごくすばらしいと思った。
確かに、褒められてうれしくない人なんていない。褒められれば、やる気がでる。やる気が出れば、いい結果がついてくる。
僕なんかも、初めて見るアーティストをうまい・下手を基準に、才能があるかないかなどと判断してしまうことがままある。もちろん、1回見ただけではおそらくわからないのだが、最初に見てつまらないと思ったら、2回目を見に行く可能性は大きく減るわけで、その第一印象が残ったままだったりする。
また逆によく知っているミュージシャンやアーティストでも、長い付き合いの中で、へえ、彼はこんなこともできるのか、などと驚かされることもある。それは別の才能が出ているわけで、そうした埋もれた才能を引っ張り出すのは、たとえば、プロデューサーなどのひじょうに重要な仕事になるだろう。まだ見つけられていない才能を見出すこと。それは、とても意義のある仕事だ。
ENT>ESSAY
▲ティト・ジャクソン、来日決定
2010年5月14日 音楽【Tito Jackson Will Be Coming To Japan In July】
ソロ。
ジャクソンズの次男、ティト・ジャクソンがソロ・アーティストとして再度来日、2010年7月15日(木)から19日(月=海の日祝日)まで、1日2ステージで計10本のライヴを東京青山のブルーノートで行う。2006年12月、丸の内のコットンクラブに来日していたので3年7ヶ月ぶりの来日。前回はティトを含め6人で来日していたが、今回はまだメンバーが発表されていない。
ちなみに前回のメンバーは次の通り。(必ずしも今回のメンバーではありません)
ティト・ジャクソン・フロム・ジャクソン・ファイヴ
Tito Jackson(g,vo), Roman Johnson(key,back vo), Dale Williams(g), Morris Rentie Jr.(b), Raymond Calhoun(ds), Clarenza Jackson(back vo)
予約は、ブルーノートの会員「ジャム・セッション会員」は2010年5月21日金曜から、一般は5月28日金曜から受け付ける。
■ティト・ジャクソン・ホームページ
http://www.titojackson.com/
■TITO JACKSON performing the JACKSON 5’s Greatest Hits
-A Tribute to MICHAEL JACKSON-
ティト・ジャクソン パフォーミング・ジャクソン5’sグレイテスト・ヒッツ-トリビュート・トゥ・マイケル・ジャクソン-
2010 7.15thu.-7.19mon.
7.15thu.-7.16fri.
[1st] Open5:30p.m. Start7:00p.m.
[2nd] Open8:45p.m. Start9:30p.m.
7.17sat.-7.19mon.
[1st] Open5:00p.m. Start6:00p.m.
[2nd] Open8:00p.m. Start8:45p.m.
ブルーノートウェッブ
http://www.bluenote.co.jp/jp/index.html
ENT>MUSIC>ANNOUNCEMENT>Jackson, Tito
ソロ。
ジャクソンズの次男、ティト・ジャクソンがソロ・アーティストとして再度来日、2010年7月15日(木)から19日(月=海の日祝日)まで、1日2ステージで計10本のライヴを東京青山のブルーノートで行う。2006年12月、丸の内のコットンクラブに来日していたので3年7ヶ月ぶりの来日。前回はティトを含め6人で来日していたが、今回はまだメンバーが発表されていない。
ちなみに前回のメンバーは次の通り。(必ずしも今回のメンバーではありません)
ティト・ジャクソン・フロム・ジャクソン・ファイヴ
Tito Jackson(g,vo), Roman Johnson(key,back vo), Dale Williams(g), Morris Rentie Jr.(b), Raymond Calhoun(ds), Clarenza Jackson(back vo)
予約は、ブルーノートの会員「ジャム・セッション会員」は2010年5月21日金曜から、一般は5月28日金曜から受け付ける。
■ティト・ジャクソン・ホームページ
http://www.titojackson.com/
■TITO JACKSON performing the JACKSON 5’s Greatest Hits
-A Tribute to MICHAEL JACKSON-
ティト・ジャクソン パフォーミング・ジャクソン5’sグレイテスト・ヒッツ-トリビュート・トゥ・マイケル・ジャクソン-
2010 7.15thu.-7.19mon.
7.15thu.-7.16fri.
[1st] Open5:30p.m. Start7:00p.m.
[2nd] Open8:45p.m. Start9:30p.m.
7.17sat.-7.19mon.
[1st] Open5:00p.m. Start6:00p.m.
[2nd] Open8:00p.m. Start8:45p.m.
ブルーノートウェッブ
http://www.bluenote.co.jp/jp/index.html
ENT>MUSIC>ANNOUNCEMENT>Jackson, Tito
■『松尾潔のメロウな夜』~山下達郎さんを迎えて(第一回)
2010年5月13日 音楽【Tatsuro VS Kiyoshi Battle Round 1: Soul, Paper, Scissors, Go】
ラウンドワン。
「レコード集め、唯一の道楽です。コレクターです」とはっきり達郎さんは言っております。これは、NHK-FM『松尾潔のメロウな夜』の放送後に1週間だけ公開されるストリーミング放送「メロウな番外編」でのお言葉。
2010年5月12日(水)午後11時。NHK-FMで全国放送されたこの番組初のゲスト、山下達郎さんを迎えての1時間。しかも、来週へ第二部が続きます。
「メロウな名曲じゃんけん」略して「メロウじゃんけん」なる新語、どこを探しても、絶対にでてきません。今年の「ソウル新語大賞」の候補にしたいと思います。
まさに、この「達郎x潔対決」(略してTK戦)、ひとつのテーマの元、バチバチと火花が散ったような。しかし、これ、それこそそこら辺のソウル・バーあたりで、DJがいるターンテーブルを前に、「これをかけろ」「あれはないか」「それなら、こっちだ」と喧々諤々(けんけんがくがく)、レコード(CD)かけつ、しゃべりつ、またかけて、しゃべって、延々5時間、気づいたら夜が明けていたとかそういう類のものが、全国放送にわずか1時間だけ乗ったという感じではないでしょうか。いやあ、おもしろかった。なんか、どこかで聞いたことがあるような空気感も多々ありました。
それにしても、「歌うギタリスト」のお題にして、ボビー・ブルーム(僕もよく知りませんでした)にポップ・ステイプル、「メロウなフィリー」のお題にメロームーズにスタイリスティックス、「日本の作詞家」で坂本九(永六輔)に加山雄三(岩谷時子)という当て方。お2人の趣味趣向がよく出た選曲。最近のJポップが言葉を語りすぎるという指摘は、大変おもしろかった。
松尾さんの、冒頭、「リスナー置いてけぼり」説、まさにその通り。これも、なんか、どこかで聞いたことがあったような。これを機にソウル・バーで、「じゃあ、メロウじゃんけんやろうか」なんてことが起こり始めるのでしょうか。(笑) じゃんけんって、英語では「Rock, paper, scissors」(石、紙、はさみ)と言います。この場合は、「Soul, paper, scissors」かな。来週(2010年5月19日)も水曜夜11時、NHK-FMをエアチェック。
■番組ホームページ (1週間だけストリーミングでメロウな番外編が聞けます。リクエストなどもこちらから)
http://www.nhk.or.jp/mellow/top.html
■選曲 2010年5月12日 ON AIR 「メロウな名曲じゃんけん 1 」 ゲスト:山下達郎
M1 希望という名の光 / 山下達郎
M2 Find Yourself / Bobby Broom 選曲:松尾
M3 Love’s Got The Best Of Me / Pops Staples 選曲:山下
M4 Inspirational Pleasure / Mello Moods 選曲:山下
M5 Mine All Mine / The Stylistics 選曲:松尾
M6 一人ぼっちの二人 / 坂本九(永六輔) 選曲:松尾
M7 君といつまでも / 加山雄三(岩谷時子) 選曲:山下
M8 The Tracks Of My Tears / Smokey Robinson 選曲:山下
○ 希望という名の光 / 山下達郎(シングル)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003634D0Q/soulsearchiho-22/ref=nosim/
○ スモーキー・ロビンソン:ライヴ・コレクション(輸入盤)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000BPJ25I/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>RADIO>Matsuo Kiyoshi’s Mellow Night
ラウンドワン。
「レコード集め、唯一の道楽です。コレクターです」とはっきり達郎さんは言っております。これは、NHK-FM『松尾潔のメロウな夜』の放送後に1週間だけ公開されるストリーミング放送「メロウな番外編」でのお言葉。
2010年5月12日(水)午後11時。NHK-FMで全国放送されたこの番組初のゲスト、山下達郎さんを迎えての1時間。しかも、来週へ第二部が続きます。
「メロウな名曲じゃんけん」略して「メロウじゃんけん」なる新語、どこを探しても、絶対にでてきません。今年の「ソウル新語大賞」の候補にしたいと思います。
まさに、この「達郎x潔対決」(略してTK戦)、ひとつのテーマの元、バチバチと火花が散ったような。しかし、これ、それこそそこら辺のソウル・バーあたりで、DJがいるターンテーブルを前に、「これをかけろ」「あれはないか」「それなら、こっちだ」と喧々諤々(けんけんがくがく)、レコード(CD)かけつ、しゃべりつ、またかけて、しゃべって、延々5時間、気づいたら夜が明けていたとかそういう類のものが、全国放送にわずか1時間だけ乗ったという感じではないでしょうか。いやあ、おもしろかった。なんか、どこかで聞いたことがあるような空気感も多々ありました。
それにしても、「歌うギタリスト」のお題にして、ボビー・ブルーム(僕もよく知りませんでした)にポップ・ステイプル、「メロウなフィリー」のお題にメロームーズにスタイリスティックス、「日本の作詞家」で坂本九(永六輔)に加山雄三(岩谷時子)という当て方。お2人の趣味趣向がよく出た選曲。最近のJポップが言葉を語りすぎるという指摘は、大変おもしろかった。
松尾さんの、冒頭、「リスナー置いてけぼり」説、まさにその通り。これも、なんか、どこかで聞いたことがあったような。これを機にソウル・バーで、「じゃあ、メロウじゃんけんやろうか」なんてことが起こり始めるのでしょうか。(笑) じゃんけんって、英語では「Rock, paper, scissors」(石、紙、はさみ)と言います。この場合は、「Soul, paper, scissors」かな。来週(2010年5月19日)も水曜夜11時、NHK-FMをエアチェック。
■番組ホームページ (1週間だけストリーミングでメロウな番外編が聞けます。リクエストなどもこちらから)
http://www.nhk.or.jp/mellow/top.html
■選曲 2010年5月12日 ON AIR 「メロウな名曲じゃんけん 1 」 ゲスト:山下達郎
M1 希望という名の光 / 山下達郎
M2 Find Yourself / Bobby Broom 選曲:松尾
M3 Love’s Got The Best Of Me / Pops Staples 選曲:山下
M4 Inspirational Pleasure / Mello Moods 選曲:山下
M5 Mine All Mine / The Stylistics 選曲:松尾
M6 一人ぼっちの二人 / 坂本九(永六輔) 選曲:松尾
M7 君といつまでも / 加山雄三(岩谷時子) 選曲:山下
M8 The Tracks Of My Tears / Smokey Robinson 選曲:山下
○ 希望という名の光 / 山下達郎(シングル)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003634D0Q/soulsearchiho-22/ref=nosim/
○ スモーキー・ロビンソン:ライヴ・コレクション(輸入盤)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000BPJ25I/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>RADIO>Matsuo Kiyoshi’s Mellow Night
●『松尾潔のメローな夜』、今夜山下達郎氏ゲスト出演~2週にわたって
2010年5月12日 音楽【Tatsuro Yamashita Is On “Matsuo Kiyoshi’s Mellow Night” NHK-FM, Tonight】
メローナイト。
音楽プロデューサー、松尾潔氏のレギュラープログラム『松尾潔のメローな夜』が2010年4月からNHK-FMでスタートしている。毎週水曜午後11時から1時間にわたって、ソウル・ミュージックを中心に松尾氏がてがける邦楽曲、また、メローをキーワードにした選曲の大人向けの番組だ。この番組で、今日(5月12日)と次週(5月19日)放送分で、初のゲストとして山下達郎氏を迎える。
山下達郎氏は、近年は自身の東京FMおよび系列ネットのレギュラー番組『サンデイ・ソングブック』以外にはゲスト出演しないが、以前にも松尾氏の番組だけにはゲスト出演していた。『サンデイ…』以外で山下氏の声が聞ける貴重な機会になる。
今回の番組でのテーマは、「メローな名曲じゃんけん」ということで、お互いが「メローな名曲」を持ち寄り、それらをかけてじゃんけんをする、というもの。おそらく、それぞれがその曲についての果てしない薀蓄(うんちく)を語るものと思われる。はたしてそれぞれどんな「メローな名曲」を持ち込むのか。当日、スタジオに何を持ち込むか、事前にお互い相手には決して言わなかったとか。熱いトークと舌戦、番組での音楽談義対決、真剣勝負が期待される。
番組へのご意見、ご希望、リクエストなどは、下記番組ホームページから送れる。
http://www.nhk.or.jp/mellow/
『松尾潔のメローな夜』
放送日:毎週水曜日午後11時~深夜0時(毎月第5週は除く)
放送局:NHK-FM (全国ネット)(東京地区は82.5mhz=全国各地は各地の周波数で放送)
出演:松尾潔
このホームページでは、松尾氏の番組では放送されなかった番外編のストリーミング、コラム、スタッフコラムも掲載されている。
ENT>RADIO>Matsuo Kiyoshi’s Mellow Night
メローナイト。
音楽プロデューサー、松尾潔氏のレギュラープログラム『松尾潔のメローな夜』が2010年4月からNHK-FMでスタートしている。毎週水曜午後11時から1時間にわたって、ソウル・ミュージックを中心に松尾氏がてがける邦楽曲、また、メローをキーワードにした選曲の大人向けの番組だ。この番組で、今日(5月12日)と次週(5月19日)放送分で、初のゲストとして山下達郎氏を迎える。
山下達郎氏は、近年は自身の東京FMおよび系列ネットのレギュラー番組『サンデイ・ソングブック』以外にはゲスト出演しないが、以前にも松尾氏の番組だけにはゲスト出演していた。『サンデイ…』以外で山下氏の声が聞ける貴重な機会になる。
今回の番組でのテーマは、「メローな名曲じゃんけん」ということで、お互いが「メローな名曲」を持ち寄り、それらをかけてじゃんけんをする、というもの。おそらく、それぞれがその曲についての果てしない薀蓄(うんちく)を語るものと思われる。はたしてそれぞれどんな「メローな名曲」を持ち込むのか。当日、スタジオに何を持ち込むか、事前にお互い相手には決して言わなかったとか。熱いトークと舌戦、番組での音楽談義対決、真剣勝負が期待される。
番組へのご意見、ご希望、リクエストなどは、下記番組ホームページから送れる。
http://www.nhk.or.jp/mellow/
『松尾潔のメローな夜』
放送日:毎週水曜日午後11時~深夜0時(毎月第5週は除く)
放送局:NHK-FM (全国ネット)(東京地区は82.5mhz=全国各地は各地の周波数で放送)
出演:松尾潔
このホームページでは、松尾氏の番組では放送されなかった番外編のストリーミング、コラム、スタッフコラムも掲載されている。
ENT>RADIO>Matsuo Kiyoshi’s Mellow Night
⊿タワー・オブ・パワー、ファンクでTKO
2010年5月12日 音楽⊿タワー・オブ・パワー、ファンクでTKO
(ライヴ評。内容出ます。これからごらんになる方で、セットリストなどをお知りになりたくない方は十分ご注意ください)
【Tower Of Power: That’s Funk TKO】
ファンクTKO。
ベイエリアのファンク・グループ、タワー・オブ・パワーが1年ぶり通算18回目の来日。(ヒューイ・ルイスとの来日をいれると通算20回目)。2004年以降、毎年来日し、すっかり日本でおなじみになった。リアル・ミュージシャンたちのリアル・ミュージック。いつでも踊って楽しめるファンク、ダンス・ミュージックだ。
今回はギターに初期メンバーが復活、トランペットが昨年と変わったが、基本、核となるメンバーは同じで相変わらず、強力なポップ・ファンクを聞かせる。冒頭から、短くおなじみの曲をメドレーとやれば、観客は1曲目から立ち上がって腰を揺らす。これらのメドレーで煽られると、もうたまらない。ワンツー・パンチさながらで、こちらはすぐにTKOされる。まさにタワー・オブ・パワーに、ラヴTKOならぬファンクTKO。
前回のセットリストと比べると、演奏曲目をけっこう入れ替えたり、曲順を変えていて、昨年と同じかなどとタカをくくると、いい意味で裏切られる。しかし、そうした曲の並べ方を見ると、タワーくらいの歴史があるグループだと、どんな曲をどう並べても、ショーとして完全にエンタテインできるのだな、と改めて感心する。
それにしても、こうした管楽器が主役というグループも、今となっては希少価値だ。人間国宝というか、エンタテインメント界の国宝と言ってもいい。
サイン会はなかったが、メンバーの何人かは、ライヴ後客席にでてきて、気楽にファンと懇談していた。
そんな一人、リードのラリー・ブラッグスによれば、ファーストでは、「ギヴ・ミー・ザ・プローフ」、また、別のセットでは「メイビー・イット・ウィル・ラブ・オフ」をやることもある、という。ちなみに、彼もイア・モニター(耳につけるモニター)を使って8年くらいになるが、最初の2年ぐらいは慣れるまで、あまり心地よくなかった、という。しかし、最近では、これがないとだめ、だそうだ。ただ彼の場合は、ヴォーカルだけをモニターに返すので、基本的には両耳ではなく、片方の耳だけイアフォンをいれているそうだ。
■ タワー・オブ・パワー 最新作 『アメリカン・ソウル・ブック』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001IZ5B9G/soulsearchiho-22/ref=nosim/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001IZ5B9G/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ベスト・アルバム
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000TLYD26/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 過去関連記事(リンクがうまくつながらない場合は、コピー&ペーストなどしてみてください)
2009年05月27日(水)
タワー・オブ・パワー~ホーン炸裂41年のソウル・バンド
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090527.html
February 03, 2009
Tower Of Power’s New Album Is Also Soul Cover CD
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090203.html
May 26, 2008
Tower Of Power Live: Power Of Horns, Rhythms, Vocals And Everything (Part 1): Hi Energy Funk Exploded More Than 2 Hours & Half
【タワー・オブ・パワー、ブルーノート史上初、2時間半超ライヴ(パート1)】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080526.html
2008年5月のタワー最終日ライヴ・レポート。パート1。5月27日付け、28日付へ続く。
May 27, 2008
Tower Of Power Live (Part 2) : History Of Tower Of Power
【タワー・オブ・パワー・ライヴ(パート2)~歴史集大成ライヴ】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080527.html
May 28, 2008
Tower Of Power Live (Part 3): Any Questions? Asked Emilio Number Of Times
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080528.html
【タワー・オブ・パワー・ライヴ(パート3)~歴史集大成ライヴ】
March 17, 2007
Tower Of Power Live: Continuation Makes Power
http://blog.soulsearchin.com/archives/001645.html
2004/01/21 (Wed)
Down To The Night Club: Tower Of Power Show What Is Hip
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/diary20040121.html
2004/01/22 (Thu)
Stranger Turned To Be A Friend By Power Of Tower & Champagne
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/diary20040122.html
February 24, 2006
Tower Of Power Live: It’s Soooo Hot Downstairs, Upstairs, Too
http://blog.soulsearchin.com/archives/000852.html
■ メンバー
イミーリオ(エミリオ)・カスティーヨ(テナー・サックス、ヴォーカル)Emilio Castillo(ts,vo)
ラリー・LB・ブラッグス(ヴォーカル)Larry Braggs(vo)
トム・ポリッツァー(サックス)Tom Politzer(sax)
スティーブン・“ドック”・クプカ(バリトン・サックス)Stephen "Doc" Kupka(sax)
(昨年)マイク・ボガート(トランペット、フリューゲルホルン、ヴォーカル) Mike Bogart(tp,flh,vo)→ ミック・ジレット / Mic Gillette (今年)
アドルフォ・アコスタ(トランペット、フリューゲルホルン)Adolfo Acosta(tp,flh)
ロジャー・スミス(キーボード、ヴォーカル)Roger Smith(key,vo)
(昨年)マーク・ハーパー(ギター)Marc Harper(g) → ジェリー・コーテス / Jerry Cortez(Guitar)(今年)
フランシス・ロッコー・プレスティア(ベース)Francis Rocco Prestia(b)
デイヴィッド・ガルバルディー(ドラムス)David Garibaldi(ds)
■セットリスト:タワー・オブ・パワー、ビルボードライブ、2010年5月10日
Setlist : Tower Of Power @ Billboard Live, May 10, 2010
show started 21:29
CD Oakland Zone
01. Intro; Soul Vaccination
02. “Stroke Medley”(M2 – M5); Stroke 75 ~
03. ~Ain’t Nothing Stoppin’ Us Now
04. ~You Ought To Be Havin’ Fun
05. ~Only So Much Oil In The Ground
06. You Strike My Main Nerve
07. Just Enough And Too Much
08. Loveland [Watts 103rd Street Band]
09. (To Say The Least) You’re The Most
10. Willing To Learn
11. You Got To Funkifize
12. Walkin’ Up The Hip Street
13. This Time It’s Real
14. So Very Hard To Go
15. What Is Hip – A Riff Of Soul Power- What Is Hip
Enc. Souled Out
Show ended 22:47
(2010年5月10日月曜、ビルボードライブ=タワー・オブ・パワー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Tower Of Power
2010-72
(ライヴ評。内容出ます。これからごらんになる方で、セットリストなどをお知りになりたくない方は十分ご注意ください)
【Tower Of Power: That’s Funk TKO】
ファンクTKO。
ベイエリアのファンク・グループ、タワー・オブ・パワーが1年ぶり通算18回目の来日。(ヒューイ・ルイスとの来日をいれると通算20回目)。2004年以降、毎年来日し、すっかり日本でおなじみになった。リアル・ミュージシャンたちのリアル・ミュージック。いつでも踊って楽しめるファンク、ダンス・ミュージックだ。
今回はギターに初期メンバーが復活、トランペットが昨年と変わったが、基本、核となるメンバーは同じで相変わらず、強力なポップ・ファンクを聞かせる。冒頭から、短くおなじみの曲をメドレーとやれば、観客は1曲目から立ち上がって腰を揺らす。これらのメドレーで煽られると、もうたまらない。ワンツー・パンチさながらで、こちらはすぐにTKOされる。まさにタワー・オブ・パワーに、ラヴTKOならぬファンクTKO。
前回のセットリストと比べると、演奏曲目をけっこう入れ替えたり、曲順を変えていて、昨年と同じかなどとタカをくくると、いい意味で裏切られる。しかし、そうした曲の並べ方を見ると、タワーくらいの歴史があるグループだと、どんな曲をどう並べても、ショーとして完全にエンタテインできるのだな、と改めて感心する。
それにしても、こうした管楽器が主役というグループも、今となっては希少価値だ。人間国宝というか、エンタテインメント界の国宝と言ってもいい。
サイン会はなかったが、メンバーの何人かは、ライヴ後客席にでてきて、気楽にファンと懇談していた。
そんな一人、リードのラリー・ブラッグスによれば、ファーストでは、「ギヴ・ミー・ザ・プローフ」、また、別のセットでは「メイビー・イット・ウィル・ラブ・オフ」をやることもある、という。ちなみに、彼もイア・モニター(耳につけるモニター)を使って8年くらいになるが、最初の2年ぐらいは慣れるまで、あまり心地よくなかった、という。しかし、最近では、これがないとだめ、だそうだ。ただ彼の場合は、ヴォーカルだけをモニターに返すので、基本的には両耳ではなく、片方の耳だけイアフォンをいれているそうだ。
■ タワー・オブ・パワー 最新作 『アメリカン・ソウル・ブック』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001IZ5B9G/soulsearchiho-22/ref=nosim/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001IZ5B9G/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ベスト・アルバム
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000TLYD26/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 過去関連記事(リンクがうまくつながらない場合は、コピー&ペーストなどしてみてください)
2009年05月27日(水)
タワー・オブ・パワー~ホーン炸裂41年のソウル・バンド
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090527.html
February 03, 2009
Tower Of Power’s New Album Is Also Soul Cover CD
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090203.html
May 26, 2008
Tower Of Power Live: Power Of Horns, Rhythms, Vocals And Everything (Part 1): Hi Energy Funk Exploded More Than 2 Hours & Half
【タワー・オブ・パワー、ブルーノート史上初、2時間半超ライヴ(パート1)】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080526.html
2008年5月のタワー最終日ライヴ・レポート。パート1。5月27日付け、28日付へ続く。
May 27, 2008
Tower Of Power Live (Part 2) : History Of Tower Of Power
【タワー・オブ・パワー・ライヴ(パート2)~歴史集大成ライヴ】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080527.html
May 28, 2008
Tower Of Power Live (Part 3): Any Questions? Asked Emilio Number Of Times
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080528.html
【タワー・オブ・パワー・ライヴ(パート3)~歴史集大成ライヴ】
March 17, 2007
Tower Of Power Live: Continuation Makes Power
http://blog.soulsearchin.com/archives/001645.html
2004/01/21 (Wed)
Down To The Night Club: Tower Of Power Show What Is Hip
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/diary20040121.html
2004/01/22 (Thu)
Stranger Turned To Be A Friend By Power Of Tower & Champagne
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/diary20040122.html
February 24, 2006
Tower Of Power Live: It’s Soooo Hot Downstairs, Upstairs, Too
http://blog.soulsearchin.com/archives/000852.html
■ メンバー
イミーリオ(エミリオ)・カスティーヨ(テナー・サックス、ヴォーカル)Emilio Castillo(ts,vo)
ラリー・LB・ブラッグス(ヴォーカル)Larry Braggs(vo)
トム・ポリッツァー(サックス)Tom Politzer(sax)
スティーブン・“ドック”・クプカ(バリトン・サックス)Stephen "Doc" Kupka(sax)
(昨年)マイク・ボガート(トランペット、フリューゲルホルン、ヴォーカル) Mike Bogart(tp,flh,vo)→ ミック・ジレット / Mic Gillette (今年)
アドルフォ・アコスタ(トランペット、フリューゲルホルン)Adolfo Acosta(tp,flh)
ロジャー・スミス(キーボード、ヴォーカル)Roger Smith(key,vo)
(昨年)マーク・ハーパー(ギター)Marc Harper(g) → ジェリー・コーテス / Jerry Cortez(Guitar)(今年)
フランシス・ロッコー・プレスティア(ベース)Francis Rocco Prestia(b)
デイヴィッド・ガルバルディー(ドラムス)David Garibaldi(ds)
■セットリスト:タワー・オブ・パワー、ビルボードライブ、2010年5月10日
Setlist : Tower Of Power @ Billboard Live, May 10, 2010
show started 21:29
CD Oakland Zone
01. Intro; Soul Vaccination
02. “Stroke Medley”(M2 – M5); Stroke 75 ~
03. ~Ain’t Nothing Stoppin’ Us Now
04. ~You Ought To Be Havin’ Fun
05. ~Only So Much Oil In The Ground
06. You Strike My Main Nerve
07. Just Enough And Too Much
08. Loveland [Watts 103rd Street Band]
09. (To Say The Least) You’re The Most
10. Willing To Learn
11. You Got To Funkifize
12. Walkin’ Up The Hip Street
13. This Time It’s Real
14. So Very Hard To Go
15. What Is Hip – A Riff Of Soul Power- What Is Hip
Enc. Souled Out
Show ended 22:47
(2010年5月10日月曜、ビルボードライブ=タワー・オブ・パワー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Tower Of Power
2010-72
△リナ・ホーン死去~私は私:人種の壁を乗り越えた92年の人生
2010年5月11日 音楽△リナ・ホーン死去~私は私:人種の壁を乗り越えた92年の人生
【Lena Horne Dies At 92】
訃報。
ジャズ・シンガーとしてまた、ハリウッド・スターとしても活躍したリナ・ホーンが、2010年5月9日、ニューヨークのプレスバイタリアン病院で死去した。(日本ではレナ・ホーンと表記されるときもあるが、発音はリナが近い) 92歳だった。ホーンの父親が白人とのハーフだったために、ホーンは黒人(アフリカン・アメリカン)にしては、色が薄かったため、白人からだけでなく、黒人からも差別を受けるという苦労をした。しかし、その美しさゆえハリウッドからも声がかかり、1940年代以降、映画、ミュージカルなどで大活躍した。
リナ・ホーンは、本名リナ・メリー・カルフーン・ホーン、1917年(大正6年)6月30日ニューヨーク・ブルックリン生まれ。16歳(1933年)から地元ニューヨークのクラブ、コットン・クラブでコーラスなどを歌い始める。1938年、ハリウッドから声がかかり、ミュージカル映画『ザ・デューク・イズ・トップス』(のちに『ブロンズ・ヴィーナス』と改題され再リリース)に出演。美人シンガーとして話題を集めた。1942年にはメジャー・スタジオMGMと契約。『パナマ・ヘイティー』(1942年)、『キャビン・イン・ザ・スカイ』(1943年)、『ストーミー・ウェザー』(1943年)など多数の作品に出演。しかし、当時はまだホーンが主役を演じることも、また出演しても、白人・黒人が同じシーンに写ることも許されなかったことから、彼女の出演シーンは彼女だけが歌うシーンになっていることが多かった。
リナ・ホーンは、1951年MGM映画『ショーボート』で、ミュージカルでは演じていたジュリー・ラヴァーン役を演じたがったが、映画における異人種間交流を禁じる規則のために、その役を白人のエヴァ・ガードナーに譲る。
彼女は、黒人という立場にあり、白人社会へ迎合することを良しとしないリベラルな立場で、後の公民権運動にも積極的に参加する。そうしたことから、1948年頃から始まったいわゆる「赤狩り」でも、彼女はブラック・リストに載り、アメリカ国内での活動が制限され、活動の本拠をヨーロッパに移した時期もあった。
アメリカに戻るのは1963年8月の「ワシントン大行進」に参加するため。また、リナ・ホーンは、当時のケネディー大統領にホワイトハウスで、暗殺される2日前に面会している。(暗殺は1963年11月22日)この頃から再び小さなナイト・クラブや、ときにテレビなどに出演するようになる。アルバムも多数リリースし、評価された。その後、1969年の映画『デス・オブ・ア・ガンファイター』、さらに、1978年の『ザ・ウィズ』に出演。また、1970年、テレビ番組『ハリー・アンド・リナ』、『トニー・アンド・リナ』などにレギュラー出演する一方で、『マペット・ショー』、『セサミ・ストリート』などの子供番組にも単発で出演している。
1980年3月、一度、引退を宣言するが、翌年、ブロードウェイで『リナ・ホーン:ザ・レディー・アンド・ハー・ミュージック』というワンマン・ショーをスタート。これが300回を超えるヒットとなった。これは、1982年から1984年9月まで全米、ヨーロッパにツアーを敢行。
1988年、クインシー・ジョーンズがプロデュースした『ザ・メン・イン・マイ・ライフ』がリリースされた。
彼女の二番目の結婚相手はユダヤ系アメリカ人の白人だったため、ここでも異人種間結婚として周囲から反発された。彼女はこの結婚によって、ショー・ビジネス界の「カラー・ライン(人種の壁)」を乗り越えたいと考えた、という。またリナ・ホーンの娘、ゲイルは、映画監督シドニー・ルメット(『ザ・ウィズ』を監督)と結婚しており、二人の間に生まれた、リナの孫ジェニー・ルメットは、『レイチェル・ゲッティング・マリード(邦題、レイチェルの結婚)』(2008年)の脚本を書いている。
2003年、ABCテレビが『リナ・ホーン物語』をジャネット・ジャクソン主演で企画していたが、2004年2月1日、『スーパーボール』でジャネットが胸を露出する事件が起き、ホーン自身がジャネットでのテレビ映画化を拒否。ジャネットが降りることになり、その後、アリシア・キーズでの製作話が持ち上がっている。これとは別に2007年1月から3月まで、カリフォルニア州パサディナ・プレイハウスで彼女の人生を描いたミュージカル『ストーミー・ウェザー』が公開された。
リナ・ホーンは80歳(12年前)のインタヴューで自身の人生を振り返り、こう語っている。「今や、私のアイデンティティーは、とてもはっきりしている。私は、黒人の女性であり、私は自由。私は、もはや『何々の』といった形容詞も必要ない。私は誰かにとっての象徴でもなければ、何々をした最初の人物と言われる必要もない。ハリウッドがそうなってほしいと思ったような白人の女性像を真似る必要もない。私は私。私は、他の誰とも違う」(“My identity is very clear to me now. I am a black woman. I’m free. I no longer have to be a ‘credit.’ I don’t have to be a symbol to anybody; I don’t have to be a first to anybody. I don’t have to be an imitation of a white woman that Hollywood sort of hoped I’d become. I’m me, and I’m like nobody else.”)(この発言はニューヨークタイムス紙、2010年5月9日付け)
■ニューヨークタイムスの記事
http://www.nytimes.com/2010/05/10/arts/music/10horne.html?pagewanted=2&ref=obituaries
■ベストアルバム
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000Q7ZIGI/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ベスト・アルバム
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001HKG/soulsearchiho-22/ref=nosim/
OBITUARY>Horne, Lena(June 30, 1917 – May 9, 2010-92 years old
【Lena Horne Dies At 92】
訃報。
ジャズ・シンガーとしてまた、ハリウッド・スターとしても活躍したリナ・ホーンが、2010年5月9日、ニューヨークのプレスバイタリアン病院で死去した。(日本ではレナ・ホーンと表記されるときもあるが、発音はリナが近い) 92歳だった。ホーンの父親が白人とのハーフだったために、ホーンは黒人(アフリカン・アメリカン)にしては、色が薄かったため、白人からだけでなく、黒人からも差別を受けるという苦労をした。しかし、その美しさゆえハリウッドからも声がかかり、1940年代以降、映画、ミュージカルなどで大活躍した。
リナ・ホーンは、本名リナ・メリー・カルフーン・ホーン、1917年(大正6年)6月30日ニューヨーク・ブルックリン生まれ。16歳(1933年)から地元ニューヨークのクラブ、コットン・クラブでコーラスなどを歌い始める。1938年、ハリウッドから声がかかり、ミュージカル映画『ザ・デューク・イズ・トップス』(のちに『ブロンズ・ヴィーナス』と改題され再リリース)に出演。美人シンガーとして話題を集めた。1942年にはメジャー・スタジオMGMと契約。『パナマ・ヘイティー』(1942年)、『キャビン・イン・ザ・スカイ』(1943年)、『ストーミー・ウェザー』(1943年)など多数の作品に出演。しかし、当時はまだホーンが主役を演じることも、また出演しても、白人・黒人が同じシーンに写ることも許されなかったことから、彼女の出演シーンは彼女だけが歌うシーンになっていることが多かった。
リナ・ホーンは、1951年MGM映画『ショーボート』で、ミュージカルでは演じていたジュリー・ラヴァーン役を演じたがったが、映画における異人種間交流を禁じる規則のために、その役を白人のエヴァ・ガードナーに譲る。
彼女は、黒人という立場にあり、白人社会へ迎合することを良しとしないリベラルな立場で、後の公民権運動にも積極的に参加する。そうしたことから、1948年頃から始まったいわゆる「赤狩り」でも、彼女はブラック・リストに載り、アメリカ国内での活動が制限され、活動の本拠をヨーロッパに移した時期もあった。
アメリカに戻るのは1963年8月の「ワシントン大行進」に参加するため。また、リナ・ホーンは、当時のケネディー大統領にホワイトハウスで、暗殺される2日前に面会している。(暗殺は1963年11月22日)この頃から再び小さなナイト・クラブや、ときにテレビなどに出演するようになる。アルバムも多数リリースし、評価された。その後、1969年の映画『デス・オブ・ア・ガンファイター』、さらに、1978年の『ザ・ウィズ』に出演。また、1970年、テレビ番組『ハリー・アンド・リナ』、『トニー・アンド・リナ』などにレギュラー出演する一方で、『マペット・ショー』、『セサミ・ストリート』などの子供番組にも単発で出演している。
1980年3月、一度、引退を宣言するが、翌年、ブロードウェイで『リナ・ホーン:ザ・レディー・アンド・ハー・ミュージック』というワンマン・ショーをスタート。これが300回を超えるヒットとなった。これは、1982年から1984年9月まで全米、ヨーロッパにツアーを敢行。
1988年、クインシー・ジョーンズがプロデュースした『ザ・メン・イン・マイ・ライフ』がリリースされた。
彼女の二番目の結婚相手はユダヤ系アメリカ人の白人だったため、ここでも異人種間結婚として周囲から反発された。彼女はこの結婚によって、ショー・ビジネス界の「カラー・ライン(人種の壁)」を乗り越えたいと考えた、という。またリナ・ホーンの娘、ゲイルは、映画監督シドニー・ルメット(『ザ・ウィズ』を監督)と結婚しており、二人の間に生まれた、リナの孫ジェニー・ルメットは、『レイチェル・ゲッティング・マリード(邦題、レイチェルの結婚)』(2008年)の脚本を書いている。
2003年、ABCテレビが『リナ・ホーン物語』をジャネット・ジャクソン主演で企画していたが、2004年2月1日、『スーパーボール』でジャネットが胸を露出する事件が起き、ホーン自身がジャネットでのテレビ映画化を拒否。ジャネットが降りることになり、その後、アリシア・キーズでの製作話が持ち上がっている。これとは別に2007年1月から3月まで、カリフォルニア州パサディナ・プレイハウスで彼女の人生を描いたミュージカル『ストーミー・ウェザー』が公開された。
リナ・ホーンは80歳(12年前)のインタヴューで自身の人生を振り返り、こう語っている。「今や、私のアイデンティティーは、とてもはっきりしている。私は、黒人の女性であり、私は自由。私は、もはや『何々の』といった形容詞も必要ない。私は誰かにとっての象徴でもなければ、何々をした最初の人物と言われる必要もない。ハリウッドがそうなってほしいと思ったような白人の女性像を真似る必要もない。私は私。私は、他の誰とも違う」(“My identity is very clear to me now. I am a black woman. I’m free. I no longer have to be a ‘credit.’ I don’t have to be a symbol to anybody; I don’t have to be a first to anybody. I don’t have to be an imitation of a white woman that Hollywood sort of hoped I’d become. I’m me, and I’m like nobody else.”)(この発言はニューヨークタイムス紙、2010年5月9日付け)
■ニューヨークタイムスの記事
http://www.nytimes.com/2010/05/10/arts/music/10horne.html?pagewanted=2&ref=obituaries
■ベストアルバム
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000Q7ZIGI/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ベスト・アルバム
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001HKG/soulsearchiho-22/ref=nosim/
OBITUARY>Horne, Lena(June 30, 1917 – May 9, 2010-92 years old
☆ケイ・グラント氏、『ソウル・ブレンズ』をジャック
2010年5月10日 音楽【Kei Grant Jacked Soul Blends】
ジャック。
昨日(2010年5月9日)アワ・ファミリー、アワ・ブラザー、ケイ・グラントさんが『ソウル・ブレンズ』に、自身の51歳デビュー・シングル「星の輝く夜だから」のプロモーションのために、やってきた。
ほぼ自主制作のようなインディ・レーベルからの発売で、プロモーションのブッキングもすべて自分。店頭でのイヴェントなどは、なかなかできないので、知り合いのラジオ関係者などをこまめに頼んでいるという。
当初ゲストコーナーは午後2時から15分の予定。1曲は下記の曲をかけ、もう1曲はオージェイズの「シー・ユースタ・ビー・マイ・ガール」を用意していたが、急遽、カップリング曲「朝に」をかけながら、本人が解説することに。ここで、けっこう時間が延び、結局、オージェイズをかけてさよならすることになった。
そもそもケイさんは、心臓の病で手術をし、人生もそんなに長くないかもしれない、悔いのないようにやりたいことはやっておこう、ということで、51歳だがデビューを決意したという。以前からケイさんの声を聞いて、CD出そうと言ってくれて人物がいてサポートしてくれた。
で、その後、僕の「ソウル・サーチン」のコーナーだが、ここではこの日は先週までライヴをやっていたシック(ナイル・ロジャース)をご紹介。ということで、ケイさんは、ナイルのギターコンテストの最終日の司会をやっていたこともあり、飛び入り出演。いろいろナイル話を。結局、ケイさんは約50分、『ソウル・ブレンズ』をジャックしていった。(笑) プロデューサー、オッシーも「まあ、ケイさんだから、しょうがないなあ…(苦笑)」。
■ ケイ・グラントの昭和歌謡「星の輝く夜だから」(作詞・作曲・歌:ケイ・グラント)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003ELWEAQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
僕は、リアル・ブラッドのルーサー市村さんと声が似てるなあ、と思った。番組の途中で話が出たが、有線にリクエストして、有線から火がついたりするといいんじゃないだろうか。
ENT>RADIO>Soul Blends
ジャック。
昨日(2010年5月9日)アワ・ファミリー、アワ・ブラザー、ケイ・グラントさんが『ソウル・ブレンズ』に、自身の51歳デビュー・シングル「星の輝く夜だから」のプロモーションのために、やってきた。
ほぼ自主制作のようなインディ・レーベルからの発売で、プロモーションのブッキングもすべて自分。店頭でのイヴェントなどは、なかなかできないので、知り合いのラジオ関係者などをこまめに頼んでいるという。
当初ゲストコーナーは午後2時から15分の予定。1曲は下記の曲をかけ、もう1曲はオージェイズの「シー・ユースタ・ビー・マイ・ガール」を用意していたが、急遽、カップリング曲「朝に」をかけながら、本人が解説することに。ここで、けっこう時間が延び、結局、オージェイズをかけてさよならすることになった。
そもそもケイさんは、心臓の病で手術をし、人生もそんなに長くないかもしれない、悔いのないようにやりたいことはやっておこう、ということで、51歳だがデビューを決意したという。以前からケイさんの声を聞いて、CD出そうと言ってくれて人物がいてサポートしてくれた。
で、その後、僕の「ソウル・サーチン」のコーナーだが、ここではこの日は先週までライヴをやっていたシック(ナイル・ロジャース)をご紹介。ということで、ケイさんは、ナイルのギターコンテストの最終日の司会をやっていたこともあり、飛び入り出演。いろいろナイル話を。結局、ケイさんは約50分、『ソウル・ブレンズ』をジャックしていった。(笑) プロデューサー、オッシーも「まあ、ケイさんだから、しょうがないなあ…(苦笑)」。
■ ケイ・グラントの昭和歌謡「星の輝く夜だから」(作詞・作曲・歌:ケイ・グラント)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003ELWEAQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
僕は、リアル・ブラッドのルーサー市村さんと声が似てるなあ、と思った。番組の途中で話が出たが、有線にリクエストして、有線から火がついたりするといいんじゃないだろうか。
ENT>RADIO>Soul Blends
◎タック&パティー・ライヴ:愛の常設店
2010年5月9日 音楽【Tuck & Patti Live:Permanent Theater Of Love】
常設店。
31年間ともに人生を歩み(知り合ってからはもう少し長い)、愛し合ってきているタックとパティーの愛に満ち溢れたライヴ。最近では2007年1月、同年10月、2008年6月、2009年5月に続く約1年ぶりの来日。コットン・クラブでゴールデン・ウィークにライヴを行い、1日休んでモーション・ブルーへ。
スピーカーから生み出される音は、タックのギターと、パティーの歌声だけ。それがすべて。この二人だけで、見事な世界を作る。いつも通り、どこもすばらしいのだが、特に下記セットリスト6~8の3曲のメドレーの部分。最初のゴスペル曲「ヒズ・アイズ・オン・ザ・スパロー」は、パティーが完全にアカペラで歌った。声だけで、歌だけで、観客を虜にする。究極のライヴだ。
CDからも流れてくるのは、彼らの1+1だけの音なのだが、ライヴは違う。それ以上の空気がある。何より、彼らの醸し出す愛のオーラがその空間を覆う。さすがにこれは、CDからは入手できない。彼らのようなアーティストは、本当にライヴでなければ、その良さを実感できないタイプだ。
本編最後の「タイム・アフター・タイム」では、いつものように、観客を3パートに分け、ハーモニーを歌わせる。最初照れている日本人の観客が次第にパティーに乗せられて歌い出し、最後、見事なハーモニーとなるところは、圧巻だ。シンディ・ローパーの曲だが、もはや、タック&パティーのもほとんどオリジナルといってもいい。
そして、本編が終わると、パティーが「何かリクエストある?」と観客に尋ねた。すると、「ドリーム」「アップ・オン・ザ・ルーフ」などと声がかかった。タックがギターの弦を調整し、歌い始めたのは「ドリーム」。
彼らも事前にそれほどセットリストを決めているわけではない。下記過去記事のセットリストを見ると、ほとんどダブらない。すごいレパートリーの数だ。毎回、彼らのライヴを見た後に、過去記事をさらっと読み返すが、下記の1994年のライヴ評がほとんどすべてを語っていて、毎回見る印象も、これと同じ。つまり、それだけ密度の濃いライヴが16年の月日を経ても変わらず行われているということになる。言ってみれば、「愛の常設店」のようなものだ。いつでも、そこに行けば、愛に包まれます、ということだ。すばらしい。
ほぼ満員の観客が、みな集中して、タックとパティーを凝視している。彼らの音楽は観客を集中させる。それと、彼らのライヴを見ると、なんとなく心が洗われるような気がしてくる。気持ちのよいマイナス・イオンを全面に受け取る感じだ。彼ら二人のオーラがすばらしいからだろう。
ライヴ後、タック&パティーに会いに楽屋へ。するとそこに前回お会いしたアコースフィアのお二人が。彼らにセットリストのわからない部分を補完していただいた。感謝。彼ら二人は、タック&パティーの全公演に帯同していた。
アコースフィアのウェッブ
http://www002.upp.so-net.ne.jp/acousphere/official/main/main.html
Youtube : Castle Made Of Sand / Little Wing
http://www.youtube.com/watch?v=M56QwDjE6PQ&feature=player_embedded
■タック&パティー ベスト
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002IUBH5M/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■過去記事
2008年06月27日(金)
タック&パティー・ライヴ~愛に包まれて
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080627.html
January 09, 2006
Tuck & Patti Control Time & Space
http://blog.soulsearchin.com/archives/000756.html
2003/05/14 (Wed)
The Moment of Truth: Tuck & Patti Sung for Me
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030514.html
【1994年11月28日・青山ラス・チカス】
タック&パティー・ライヴ『感動のリサイクル・マシン』
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/tuck19941128.html
■セットリスト タック&パティー@モーション・ブルー、2010年5月7日(金)
Setlist: Tuck & Patti Motion Blue
(スペシャル・サンクス:アコースフィア)
Show started 21:30
01.Walking One And Only
02.I Was Born To Love You
03.My Romance
04.From Now On (We’re One)
05.I’ll Remember You
06.His Eyes On The Sparrow
07.Sightless Bird
08.Blackbirds
09.Better Than Anything
10.I Wish (Instrumental)(Tuck solo)
11.Up And At It (Instrumental)(Tuck solo)
12.Castle Made Of Sand / Little Wing
13.Time After Time
Enc. Dream
Show ended 22:59
(2010年5月7日、横浜モーション・ブルー=タック&パティー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Tuck & Patti
2010-71
常設店。
31年間ともに人生を歩み(知り合ってからはもう少し長い)、愛し合ってきているタックとパティーの愛に満ち溢れたライヴ。最近では2007年1月、同年10月、2008年6月、2009年5月に続く約1年ぶりの来日。コットン・クラブでゴールデン・ウィークにライヴを行い、1日休んでモーション・ブルーへ。
スピーカーから生み出される音は、タックのギターと、パティーの歌声だけ。それがすべて。この二人だけで、見事な世界を作る。いつも通り、どこもすばらしいのだが、特に下記セットリスト6~8の3曲のメドレーの部分。最初のゴスペル曲「ヒズ・アイズ・オン・ザ・スパロー」は、パティーが完全にアカペラで歌った。声だけで、歌だけで、観客を虜にする。究極のライヴだ。
CDからも流れてくるのは、彼らの1+1だけの音なのだが、ライヴは違う。それ以上の空気がある。何より、彼らの醸し出す愛のオーラがその空間を覆う。さすがにこれは、CDからは入手できない。彼らのようなアーティストは、本当にライヴでなければ、その良さを実感できないタイプだ。
本編最後の「タイム・アフター・タイム」では、いつものように、観客を3パートに分け、ハーモニーを歌わせる。最初照れている日本人の観客が次第にパティーに乗せられて歌い出し、最後、見事なハーモニーとなるところは、圧巻だ。シンディ・ローパーの曲だが、もはや、タック&パティーのもほとんどオリジナルといってもいい。
そして、本編が終わると、パティーが「何かリクエストある?」と観客に尋ねた。すると、「ドリーム」「アップ・オン・ザ・ルーフ」などと声がかかった。タックがギターの弦を調整し、歌い始めたのは「ドリーム」。
彼らも事前にそれほどセットリストを決めているわけではない。下記過去記事のセットリストを見ると、ほとんどダブらない。すごいレパートリーの数だ。毎回、彼らのライヴを見た後に、過去記事をさらっと読み返すが、下記の1994年のライヴ評がほとんどすべてを語っていて、毎回見る印象も、これと同じ。つまり、それだけ密度の濃いライヴが16年の月日を経ても変わらず行われているということになる。言ってみれば、「愛の常設店」のようなものだ。いつでも、そこに行けば、愛に包まれます、ということだ。すばらしい。
ほぼ満員の観客が、みな集中して、タックとパティーを凝視している。彼らの音楽は観客を集中させる。それと、彼らのライヴを見ると、なんとなく心が洗われるような気がしてくる。気持ちのよいマイナス・イオンを全面に受け取る感じだ。彼ら二人のオーラがすばらしいからだろう。
ライヴ後、タック&パティーに会いに楽屋へ。するとそこに前回お会いしたアコースフィアのお二人が。彼らにセットリストのわからない部分を補完していただいた。感謝。彼ら二人は、タック&パティーの全公演に帯同していた。
アコースフィアのウェッブ
http://www002.upp.so-net.ne.jp/acousphere/official/main/main.html
Youtube : Castle Made Of Sand / Little Wing
http://www.youtube.com/watch?v=M56QwDjE6PQ&feature=player_embedded
■タック&パティー ベスト
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002IUBH5M/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■過去記事
2008年06月27日(金)
タック&パティー・ライヴ~愛に包まれて
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080627.html
January 09, 2006
Tuck & Patti Control Time & Space
http://blog.soulsearchin.com/archives/000756.html
2003/05/14 (Wed)
The Moment of Truth: Tuck & Patti Sung for Me
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030514.html
【1994年11月28日・青山ラス・チカス】
タック&パティー・ライヴ『感動のリサイクル・マシン』
http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/tuck19941128.html
■セットリスト タック&パティー@モーション・ブルー、2010年5月7日(金)
Setlist: Tuck & Patti Motion Blue
(スペシャル・サンクス:アコースフィア)
Show started 21:30
01.Walking One And Only
02.I Was Born To Love You
03.My Romance
04.From Now On (We’re One)
05.I’ll Remember You
06.His Eyes On The Sparrow
07.Sightless Bird
08.Blackbirds
09.Better Than Anything
10.I Wish (Instrumental)(Tuck solo)
11.Up And At It (Instrumental)(Tuck solo)
12.Castle Made Of Sand / Little Wing
13.Time After Time
Enc. Dream
Show ended 22:59
(2010年5月7日、横浜モーション・ブルー=タック&パティー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Tuck & Patti
2010-71
○ニューヨーク・ミニット・ライヴ@シダックス
2010年5月8日 音楽【New York Minute: Some 80s & 90s Funk】
強力。
ケイリブ・ジェームス&ザ・ソウル・サーチャーズのケイリブの、別ユニット、ニューヨーク・ミニットの通算5回目のライヴ。(前回3月5日は僕は鑑賞できず) 今回は、特別に上海を本拠に活躍するヴァスティン・ウィンクと、東京在住のグレン・レイを加えた新布陣。6人のソウル・バンドは強力だ。
雨のせいか、前々回ほどお客さんがいなかったが、ベース、ドラムス、キーボードの音が相当前面にでていて、たっぷりグルーヴを聴かせてくれた。なんか今日は、ローレンスのベースと、ジェイのドラムスが特によかった。
1曲目「セプテンバー」と「マイ・プリロガティヴ」は、マッシュアップっぽい感じで、途中いりくんで、最後、また「セプテンバー」に戻る。なかなかおもしろいアレンジで、よかった。「レッツ・チル」のイントロでヴァスティン・ウィンクがナレーションをする場面があったが、なんと、めちゃくちゃ低音で驚いた。まるでバリー・ホワイトみたいだった。彼なら、ラジオDJできる。
そして、キャメオの大ヒット「ワードアップ」は久々に生で聴いたが、のりのりで、よかった。
途中で、デイヴィッド・キングが隣に座ってきて、「あの彼、10年くらい前に、香港で見たぞ…」という。それが、ウィンクだった。ウィンクは、サウス・キャロライナ出身で東京へ来て、ここから香港に行き、その後現在は上海在住。で、このためと別のレコーディングで1週間ほど東京に来ていた。
ファーストが終わって、みんながたまっているところ(楽屋みたいなところ)に行くと、ケイリブが次のセットの準備をしていた。すると、こんな質問をなげかけてきた。「なあ、マサハル、ずっと頭の中から離れない曲があって、どうしても誰の曲か思い出せない曲があるんだよ。この曲なんていうんだ、誰がやってるんだ?」と言って、「everybody everybody have fun, fun tonight」と歌う。「おおっ、それは、ハヴ・サム・ファン、BTエキスプレスだよ、1980年の作品だよ」 「この曲10年、いや20年くらい前か、芝浦のソウルトレイン・カフェで毎日めちゃくちゃかかってたんだ。で、メロディーは覚えてるんだが、誰のなんという曲かずっとわからなくて。BTエクスプレスか。1980年くらい? これ、アメリカじゃぜんぜんヒットしてないんだよなあ。聴いたことがない。これは、日本人がすごく好きなのか?」 「そう、日本のディスコでものすごく人気あるよ。BTの『ドゥ・イット』や『エクスプレス』より、日本では人気あるんだよ」「へえ、おもしろいもんだな…」(アメリカではシングルになっていないため、ヒットしていない)
「あのころ、その店であと、『ガット・トゥ・ビー・イナフ』、コン・ファンク・シャンとか、かかってたな。ジュニアは日本で人気あるのか?」 「あるよ、あのあたりのメロディアスなソウル・ヒットは、とても日本人受けするんだよね」 次回のニューヨーク・ミニットのレパートリーに入りそうだな。(笑)
といったあたりで、時間切れ。モーションにタック&パティーを見るために向かった。
■BT Express: “1980” including “Have Some Fun”
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0006GB0HA/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 関連過去記事
2010年01月23日(土)
ニューヨーク・ミニット・ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10440645707.html
■ メンバー
Kayleb James (Vocal/Keybords)
Lawrence Daniels Jr. (bass)
Fukuda "Dicky" Kazuya (guitar)
Jay Stixx (Drums)
Vastine "Wink" Pettis (Vocal/Keybords/Sax)
Glenn Ray (Vocal/Sax)
■ セットリスト
Setlist : New York Minute, May 7, 2010 @ Shibuya Shidax
show started 19:39
1:September [EWF]
2:My Prerogative [Bobby Brown]
3:Word Up [Cameo]
4:Let’s Chill [Guy]
5:Sensitivity [Ralph Tresvant]
6:That’s The Way Love Goes [Janet Jackson]
7:Funkin’ For Jamaica [Tom Browne]
show ended 20:22
1:I Like [Guy]
2:Just A Touch Of Love [Slave]
3:Single Life [Cameo]
4:Rock Wit’cha [Bobby Brown]
5:Purple Rain [Prince]
6:Got To Be Enough [Con Fun Shun]
7:That’s The Way I Like It [KC & The Sunshine Band]
8Jungle Love [Time]
ENCORE
9:Kiss/Sexy MF [Prince]
10:Sex Machine [James Brown]
(2010年5月7日金曜、渋谷シダックス=ニューヨーク・ミニット・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>New York Minute
2010-
強力。
ケイリブ・ジェームス&ザ・ソウル・サーチャーズのケイリブの、別ユニット、ニューヨーク・ミニットの通算5回目のライヴ。(前回3月5日は僕は鑑賞できず) 今回は、特別に上海を本拠に活躍するヴァスティン・ウィンクと、東京在住のグレン・レイを加えた新布陣。6人のソウル・バンドは強力だ。
雨のせいか、前々回ほどお客さんがいなかったが、ベース、ドラムス、キーボードの音が相当前面にでていて、たっぷりグルーヴを聴かせてくれた。なんか今日は、ローレンスのベースと、ジェイのドラムスが特によかった。
1曲目「セプテンバー」と「マイ・プリロガティヴ」は、マッシュアップっぽい感じで、途中いりくんで、最後、また「セプテンバー」に戻る。なかなかおもしろいアレンジで、よかった。「レッツ・チル」のイントロでヴァスティン・ウィンクがナレーションをする場面があったが、なんと、めちゃくちゃ低音で驚いた。まるでバリー・ホワイトみたいだった。彼なら、ラジオDJできる。
そして、キャメオの大ヒット「ワードアップ」は久々に生で聴いたが、のりのりで、よかった。
途中で、デイヴィッド・キングが隣に座ってきて、「あの彼、10年くらい前に、香港で見たぞ…」という。それが、ウィンクだった。ウィンクは、サウス・キャロライナ出身で東京へ来て、ここから香港に行き、その後現在は上海在住。で、このためと別のレコーディングで1週間ほど東京に来ていた。
ファーストが終わって、みんながたまっているところ(楽屋みたいなところ)に行くと、ケイリブが次のセットの準備をしていた。すると、こんな質問をなげかけてきた。「なあ、マサハル、ずっと頭の中から離れない曲があって、どうしても誰の曲か思い出せない曲があるんだよ。この曲なんていうんだ、誰がやってるんだ?」と言って、「everybody everybody have fun, fun tonight」と歌う。「おおっ、それは、ハヴ・サム・ファン、BTエキスプレスだよ、1980年の作品だよ」 「この曲10年、いや20年くらい前か、芝浦のソウルトレイン・カフェで毎日めちゃくちゃかかってたんだ。で、メロディーは覚えてるんだが、誰のなんという曲かずっとわからなくて。BTエクスプレスか。1980年くらい? これ、アメリカじゃぜんぜんヒットしてないんだよなあ。聴いたことがない。これは、日本人がすごく好きなのか?」 「そう、日本のディスコでものすごく人気あるよ。BTの『ドゥ・イット』や『エクスプレス』より、日本では人気あるんだよ」「へえ、おもしろいもんだな…」(アメリカではシングルになっていないため、ヒットしていない)
「あのころ、その店であと、『ガット・トゥ・ビー・イナフ』、コン・ファンク・シャンとか、かかってたな。ジュニアは日本で人気あるのか?」 「あるよ、あのあたりのメロディアスなソウル・ヒットは、とても日本人受けするんだよね」 次回のニューヨーク・ミニットのレパートリーに入りそうだな。(笑)
といったあたりで、時間切れ。モーションにタック&パティーを見るために向かった。
■BT Express: “1980” including “Have Some Fun”
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0006GB0HA/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 関連過去記事
2010年01月23日(土)
ニューヨーク・ミニット・ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10440645707.html
■ メンバー
Kayleb James (Vocal/Keybords)
Lawrence Daniels Jr. (bass)
Fukuda "Dicky" Kazuya (guitar)
Jay Stixx (Drums)
Vastine "Wink" Pettis (Vocal/Keybords/Sax)
Glenn Ray (Vocal/Sax)
■ セットリスト
Setlist : New York Minute, May 7, 2010 @ Shibuya Shidax
show started 19:39
1:September [EWF]
2:My Prerogative [Bobby Brown]
3:Word Up [Cameo]
4:Let’s Chill [Guy]
5:Sensitivity [Ralph Tresvant]
6:That’s The Way Love Goes [Janet Jackson]
7:Funkin’ For Jamaica [Tom Browne]
show ended 20:22
1:I Like [Guy]
2:Just A Touch Of Love [Slave]
3:Single Life [Cameo]
4:Rock Wit’cha [Bobby Brown]
5:Purple Rain [Prince]
6:Got To Be Enough [Con Fun Shun]
7:That’s The Way I Like It [KC & The Sunshine Band]
8Jungle Love [Time]
ENCORE
9:Kiss/Sexy MF [Prince]
10:Sex Machine [James Brown]
(2010年5月7日金曜、渋谷シダックス=ニューヨーク・ミニット・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>New York Minute
2010-
◆『ドリームガールズ』トーク・イヴェント無事終了
2010年5月7日 音楽【Dreamgirls Talk Event】
感謝。
東急文化村で5月6日行われた『ドリームガールズ』のトーク・イヴェントが無事終了した。やはり、案の定というか、話が伸びて、質疑応答とサイン会の時間がなくなってしまった。申し訳ございません。ご来場いただいた方、ありがとうございます。
案内役の有吉玉青さんの進行で僕が話をするスタイル。有吉さんとはこの日初対面だったが、とても話がしやすかった。声のトーンも話し方もとても聞きやすい。終わった後、「とてもラジオ向きです」と言ったら、ラジオに出たりすると、よく言われるとのこと。聞けばトーク・イヴェントなどはあまりやっていないということだが、これからどんどんできるのではないだろうか。不思議なことに、会場のみなさんは、僕と有吉さんの声はちゃんと聞こえたと言われたが、僕らは、お互いの声がなかなか聞きづらかった。やはり、壇上の音の聞こえ方っていうのは、ぜんぜん違うんだなということに改めて気づいた。モニターが必要なのだろうか。(笑)
若干順序に違いがあるが、ざっと次のような話をした。
内容は、第一部が僕がブラック・ミュージックにのめりこんだきっかけ、ソウル・ミュージックの特徴などをさらっと話し、第二部でブラック・ミュージカルの歴史をさらっと。有吉さんもニューヨークに留学していた時期があり、そこで聞いたハーレムのゴスペル隊に感動した話をされた。黒人のミュージカルは、白人のミュージカルがオペラから発展してミュージカルになったのに対し、黒人のミンストレル・ショー、レヴューなどの要素も加味しつつミュージカルに発展していったというようなニュアンスの話をした。
○ブラック・ミュージカルの歴史
初の黒人ミュージカルとされるのは、1898年の『クロリンディ』、同年の『ア・トリップ・トゥ・クーンタウン』など。さらに、1928年『ブラックバード・レヴュー』がヒット、1935年『ポギー&ベス』が大ヒットし、大きく注目された。その後戦争を経て、1960年代にはブロードウェイは活況を呈するが、1970年代になってブラック・ミュージカルからヒットが生まれ、活発化。
1970年『パーリー』(メルバ・ムーアがスター、688回)がヒット、1974年『レイジン』(847回)、そして、1975年『バブリン・ブラウン・シュガー』(ゴスペルとデューク・エリントン作品を中心。ヴィヴィアン・リードなど)、『ウィズ』(オズの魔法使いの黒人版=ステファニー・ミルズがスター。1979年にダイアナ・ロス、マイケル・ジャクソンで映画化)が登場。前者は766回の公演、後者はなんと5年近く、1672回に及ぶ公演となり、その時点でブラック・ミュージカルとしては最大公演数を記録し、ブロードウェイでも、黒人のミュージカルの可能性が認識された。
その後、1981年3月『ソフィスティケーテッド・レディーズ』(767回)、1981年12月『ドリームガールズ』が始まる。これは、1985年8月まで1521回の公演を記録。『ウィズ』に次ぐ記録となった。だが、その後『ドリームガールズ』は何度かの再演があり、その再演が177回を数え、合計すると1698回となり、『ウィズ』を抜いて、ブロードウェイにかかったブラック・ミュージカルの歴史の中では堂々の1位になった。
このほかに、1983年からブロードウェイではないが、ニューヨークで始まった『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング』は、2500回近い公演数を記録した、という。これは1988年6月日本にもやってきて大いに話題になった。1985年パリで始まり、1989年にニューヨークにやってきた『ブラック&ブルー』も829回を数えヒットした。
○ 『ドリームガールズ』の歴史
この後、1960年代のアメリカ・ブラック・ミュージック・シーン、モータウン、インディ・レーベル、ブラック・ラジオ局の話などを経て、今回のテーマ『ドリームガールズ』について詳しくお話。
ミュージカルの企画は1975年ごろから始まった。当初のタイトルは、『ワン・ナイト・オンリー』、次に『プロジェクト・ナンバー9』となり、それが『ビッグ・ドリームス』と変わり、最終的に『ドリームガールズ』となった。
当初から、当時はまだ無名だったジェニファー・ホリデイ(エフィー役)がキャスティングされたが、彼女は、ディーナが歌う曲も歌いたがったため、プロデューサーたちと衝突、降りることになった。脚本も何度も書き換えられ、紆余曲折ありジェニファー・ホリデイも復帰、5年がかりで1981年発表の『ドリームガールズ』になる。
ミュージカルの大ヒットに伴い、映画化も検討された。最初は1987年、ディーナ(映画ではビヨンセが演じた役)に、当時人気絶頂のホイットニー・ヒューストンをキャスティングする話が持ち上がったが、映画の企画自体が流れる。1990年代になり、今度は同じ役にローリン・ヒルに声がかかるものの、これも流れる。このときのエフィー役にはR&Bシンガー、ケリー・プライスの名が候補に挙がっていた。そして、3度目の正直で、2006年に映画が製作される。
このとき、カーティス役(ベリー・ゴーディーをモデルにしたレコード会社の社長=映画ではジェイミー・フォックス)に、当初ジェイミーに声がかかったが、ギャラで折り合わず、スタジオはデンゼル・ワシントン、ウィル・スミス、テレンス・ハワードにアプローチ。すべてスケジュールなどさまざまな理由で実現化しなかった。そんな中で、ビヨンセのキャスティングが決まったあたりで、再びジェイミーに話が行き、結局彼がやることになった。この映画版では、CCホワイト役(ソングライター)に、当初はアッシャーに声がかかり、それがだめになった後、アウトキャストのアンドレ3000にも話が行ったが実現しなかった。
エフィー役のジェニファー・ハドソンは700人以上の候補からオーディションを勝ち抜きこの役をゲット。このとき、プロデューサーから20ポンド(9キロ)太れといわれた。一方で、ビヨンセは20ポンドやせろと言われたらしい。
その後、『ドリームガールズ』出演者とモータウンにおける人物の符号点などを紹介した。
ミュージカル/映画の主人公、ディーナ(映画ではビヨンセ)は、ダイアナ・ロス、カーティス(レコード会社社長)は、ベリー・ゴーディー、エフィーはメリー・ウィルソンとフローレンス・バラードをあわせたようなキャラクター、ジェームス・アーリー(エディー・マーフィー)は、マーヴィン・ゲイ、ジャッキー・ウィルソン、ジェームス・ブラウンなどを合わせたようなキャラクター、CCホワイト(作曲家)は、スモーキー・ロビンソンとホランド・ドジャー・ホランド、老練なアーリーのマネージャーは、ハーヴィー・フークワ(マーヴィンの育ての親)あたりのキャラをうまくだしている、といった話をした。
また、映画版の『ドリームガールズ』で主役を演じるビヨンセは、このミュージカルが始まった1981年生まれということ。モデルとなったシュープリームスも最初は4人で3人になり成功したが、ビヨンセのデスティニーズ・チャイルドも当初は4人だったが、3人になって大成功したこと。
なお、以上の見解、符号点は、この映画、ミュージカルを見た一オーディエンスのものであり、ミュージカル製作側は、本作はあくまでフィクションであり、そうした関連性は否定している。
このほかに、キャデラックというのは、当時の黒人たちの成功の象徴だったということ、常に黒人の音楽は白人にパクられ搾取されてきた、それは、最近中国の万博で日本の曲がパクられたのと同じレヴェルの話だ、といったこともご紹介した。
あっという間の1時間半、実際は1時間45分くらいになったようだ。それにしても、今回『ドリームガールズ』やブラック・ミュージカルについて、さらに調べて、自分でもとても勉強になった。このような機会を与えていただいた文化村のスタッフのみなさんに感謝したい。
■ 2009年ニューヨーク・ヴァージョンの『ドリームガールズ』は、2010年5月19日から東急文化村で開催。詳細は文化村へ。
ミュージカル「ドリームガールズ」公演ホームページ
http://www.bunkamura.co.jp/orchard/lineup/10_dreamgirls/topics.html
http://www.bunkamura.co.jp/orchard/lineup/shosai_10_dreamgirls.html
■DVD
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0017VG6N6/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>EVENT>Dreamgirls
感謝。
東急文化村で5月6日行われた『ドリームガールズ』のトーク・イヴェントが無事終了した。やはり、案の定というか、話が伸びて、質疑応答とサイン会の時間がなくなってしまった。申し訳ございません。ご来場いただいた方、ありがとうございます。
案内役の有吉玉青さんの進行で僕が話をするスタイル。有吉さんとはこの日初対面だったが、とても話がしやすかった。声のトーンも話し方もとても聞きやすい。終わった後、「とてもラジオ向きです」と言ったら、ラジオに出たりすると、よく言われるとのこと。聞けばトーク・イヴェントなどはあまりやっていないということだが、これからどんどんできるのではないだろうか。不思議なことに、会場のみなさんは、僕と有吉さんの声はちゃんと聞こえたと言われたが、僕らは、お互いの声がなかなか聞きづらかった。やはり、壇上の音の聞こえ方っていうのは、ぜんぜん違うんだなということに改めて気づいた。モニターが必要なのだろうか。(笑)
若干順序に違いがあるが、ざっと次のような話をした。
内容は、第一部が僕がブラック・ミュージックにのめりこんだきっかけ、ソウル・ミュージックの特徴などをさらっと話し、第二部でブラック・ミュージカルの歴史をさらっと。有吉さんもニューヨークに留学していた時期があり、そこで聞いたハーレムのゴスペル隊に感動した話をされた。黒人のミュージカルは、白人のミュージカルがオペラから発展してミュージカルになったのに対し、黒人のミンストレル・ショー、レヴューなどの要素も加味しつつミュージカルに発展していったというようなニュアンスの話をした。
○ブラック・ミュージカルの歴史
初の黒人ミュージカルとされるのは、1898年の『クロリンディ』、同年の『ア・トリップ・トゥ・クーンタウン』など。さらに、1928年『ブラックバード・レヴュー』がヒット、1935年『ポギー&ベス』が大ヒットし、大きく注目された。その後戦争を経て、1960年代にはブロードウェイは活況を呈するが、1970年代になってブラック・ミュージカルからヒットが生まれ、活発化。
1970年『パーリー』(メルバ・ムーアがスター、688回)がヒット、1974年『レイジン』(847回)、そして、1975年『バブリン・ブラウン・シュガー』(ゴスペルとデューク・エリントン作品を中心。ヴィヴィアン・リードなど)、『ウィズ』(オズの魔法使いの黒人版=ステファニー・ミルズがスター。1979年にダイアナ・ロス、マイケル・ジャクソンで映画化)が登場。前者は766回の公演、後者はなんと5年近く、1672回に及ぶ公演となり、その時点でブラック・ミュージカルとしては最大公演数を記録し、ブロードウェイでも、黒人のミュージカルの可能性が認識された。
その後、1981年3月『ソフィスティケーテッド・レディーズ』(767回)、1981年12月『ドリームガールズ』が始まる。これは、1985年8月まで1521回の公演を記録。『ウィズ』に次ぐ記録となった。だが、その後『ドリームガールズ』は何度かの再演があり、その再演が177回を数え、合計すると1698回となり、『ウィズ』を抜いて、ブロードウェイにかかったブラック・ミュージカルの歴史の中では堂々の1位になった。
このほかに、1983年からブロードウェイではないが、ニューヨークで始まった『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング』は、2500回近い公演数を記録した、という。これは1988年6月日本にもやってきて大いに話題になった。1985年パリで始まり、1989年にニューヨークにやってきた『ブラック&ブルー』も829回を数えヒットした。
○ 『ドリームガールズ』の歴史
この後、1960年代のアメリカ・ブラック・ミュージック・シーン、モータウン、インディ・レーベル、ブラック・ラジオ局の話などを経て、今回のテーマ『ドリームガールズ』について詳しくお話。
ミュージカルの企画は1975年ごろから始まった。当初のタイトルは、『ワン・ナイト・オンリー』、次に『プロジェクト・ナンバー9』となり、それが『ビッグ・ドリームス』と変わり、最終的に『ドリームガールズ』となった。
当初から、当時はまだ無名だったジェニファー・ホリデイ(エフィー役)がキャスティングされたが、彼女は、ディーナが歌う曲も歌いたがったため、プロデューサーたちと衝突、降りることになった。脚本も何度も書き換えられ、紆余曲折ありジェニファー・ホリデイも復帰、5年がかりで1981年発表の『ドリームガールズ』になる。
ミュージカルの大ヒットに伴い、映画化も検討された。最初は1987年、ディーナ(映画ではビヨンセが演じた役)に、当時人気絶頂のホイットニー・ヒューストンをキャスティングする話が持ち上がったが、映画の企画自体が流れる。1990年代になり、今度は同じ役にローリン・ヒルに声がかかるものの、これも流れる。このときのエフィー役にはR&Bシンガー、ケリー・プライスの名が候補に挙がっていた。そして、3度目の正直で、2006年に映画が製作される。
このとき、カーティス役(ベリー・ゴーディーをモデルにしたレコード会社の社長=映画ではジェイミー・フォックス)に、当初ジェイミーに声がかかったが、ギャラで折り合わず、スタジオはデンゼル・ワシントン、ウィル・スミス、テレンス・ハワードにアプローチ。すべてスケジュールなどさまざまな理由で実現化しなかった。そんな中で、ビヨンセのキャスティングが決まったあたりで、再びジェイミーに話が行き、結局彼がやることになった。この映画版では、CCホワイト役(ソングライター)に、当初はアッシャーに声がかかり、それがだめになった後、アウトキャストのアンドレ3000にも話が行ったが実現しなかった。
エフィー役のジェニファー・ハドソンは700人以上の候補からオーディションを勝ち抜きこの役をゲット。このとき、プロデューサーから20ポンド(9キロ)太れといわれた。一方で、ビヨンセは20ポンドやせろと言われたらしい。
その後、『ドリームガールズ』出演者とモータウンにおける人物の符号点などを紹介した。
ミュージカル/映画の主人公、ディーナ(映画ではビヨンセ)は、ダイアナ・ロス、カーティス(レコード会社社長)は、ベリー・ゴーディー、エフィーはメリー・ウィルソンとフローレンス・バラードをあわせたようなキャラクター、ジェームス・アーリー(エディー・マーフィー)は、マーヴィン・ゲイ、ジャッキー・ウィルソン、ジェームス・ブラウンなどを合わせたようなキャラクター、CCホワイト(作曲家)は、スモーキー・ロビンソンとホランド・ドジャー・ホランド、老練なアーリーのマネージャーは、ハーヴィー・フークワ(マーヴィンの育ての親)あたりのキャラをうまくだしている、といった話をした。
また、映画版の『ドリームガールズ』で主役を演じるビヨンセは、このミュージカルが始まった1981年生まれということ。モデルとなったシュープリームスも最初は4人で3人になり成功したが、ビヨンセのデスティニーズ・チャイルドも当初は4人だったが、3人になって大成功したこと。
なお、以上の見解、符号点は、この映画、ミュージカルを見た一オーディエンスのものであり、ミュージカル製作側は、本作はあくまでフィクションであり、そうした関連性は否定している。
このほかに、キャデラックというのは、当時の黒人たちの成功の象徴だったということ、常に黒人の音楽は白人にパクられ搾取されてきた、それは、最近中国の万博で日本の曲がパクられたのと同じレヴェルの話だ、といったこともご紹介した。
あっという間の1時間半、実際は1時間45分くらいになったようだ。それにしても、今回『ドリームガールズ』やブラック・ミュージカルについて、さらに調べて、自分でもとても勉強になった。このような機会を与えていただいた文化村のスタッフのみなさんに感謝したい。
■ 2009年ニューヨーク・ヴァージョンの『ドリームガールズ』は、2010年5月19日から東急文化村で開催。詳細は文化村へ。
ミュージカル「ドリームガールズ」公演ホームページ
http://www.bunkamura.co.jp/orchard/lineup/10_dreamgirls/topics.html
http://www.bunkamura.co.jp/orchard/lineup/shosai_10_dreamgirls.html
■DVD
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0017VG6N6/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>EVENT>Dreamgirls