(速報)○エリザベス・テイラー:『ディス・イズ・イット』をツイッターで語る
2009年10月27日 音楽【Elizabeth Taylor Wrote About "This Is It" On Twitter】
つぶやき。
マイケル・ジャクソンの親友エリザベス・テイラーが、一足先に映画『ディス・イズ・イット』を鑑賞、ツイッターにその感想文を書き込んだ。この書き込みは、日本時間2009年10月27日(火曜)午前8時(LA時間26日、午後4時)頃から19回に分けて書き込まれた。ツイッターは一度に約30ワードまでしか書き込めないので、これだけの回数に分けてアップされた。トータルで約430ワード。これによると、テイラーは、先週、秘密裏に試写を見て、今日情報解禁で、やっと感想を公開できることになった、という。
全訳は次の通り。
私は先週『ディス・イズ・イット』を特別に見る機会を与えられました。見たことは秘密にするように言われていましたが、今日やっとお話できます。これは、私が今まで生涯見た映画作品の中で、もっとも見事な作品です。マイケルのクリエイティヴィティー(創造性)の天才さを、あらゆる側面で永遠に決定付けています。
彼をただ「天才」と呼ぶだけではまだまだ過小評価としか言いようがありません。彼はあらゆる音をやさしく包み込み、音楽自体を現実を超えたはるか深みのある地点まで聴く者を誘います。
私は、彼が神から授かった才能に心の底から涙しました。彼のような人物は、将来決して2度と現れないでしょう。そしてこの映画作品は、彼のような人物がこの世に存在したことを永遠に忘れさせることなく、思い起こさせ続けるでしょう。神はマイケルにキスしていました。神はマイケルを賛美していました。神は彼をまったく無意味な存在などにしていません。神はただひたすら彼を愛しています。
マイケルは、マジックを生み出すために、どのように音を作り、いかにニュアンスを表現すればよいか、すべて知り尽くしています。
彼を天才だというのはあまりに小さすぎます。私は、彼を表現するもっと適当なヴォキャブラリー(語彙)をもてればと思います。
あなた自身、あなたの愛する人と何度も繰り返しこの作品を見ましょう。あなたの記憶にとどめ、あなた自身で確認してください。「私は、自分の人生の中に天賦の才能を見た」と。私自身の人生における天賦の才能を愛しています。私は神にとても優しくしていただきました。私はマイケルを永遠に愛します。まだ彼を愛していない方も、きっと(この映画を見れば)彼のことを愛することになるでしょう。
私は恩着せがましく言うつもりは毛頭ありません。私が何を言いたいのか、みなさんにはおわかりだと思います。ただ、何度も何度も見に行ってください。
繰り返し言います。アイ・ラヴ・ユー。私はマイケルがあなたたちを愛していたことに思いを馳せます。彼は完璧に今日、生きています。彼のあらゆる歌の中に今日のメッセージがあります。
彼の歌詞を聴けば、そこには現代への予言があります。彼はその予言を私たちに聴いて欲しいと願っています。お説教をするつもりはありません。あなたを不快にさせてしまいますから。でも、ただ彼に耳を傾けてください。彼のメッセージに。
「ブラック・オア・ホワイト」から「マン・イン・ザ・ミラー」、そして「ウィ・アー・ザ・ワールド」における啓示、彼の真摯な言葉に真剣に向き合わなければなりません。
私たちは彼の人生を無駄にしてはなりません。そして愛をもってみつめなければなりません。それを心に刻みましょう。彼のことを忘れずにいましょう。そして彼と彼に天賦の才能を与えたくれた神に感謝しましょう。
ケニー・オルテガが、マイケルがステージに上がる前に、完璧なショーを作る過程で素晴らしい仕事を成し遂げました。マイケルが注ぎ込むすべてをまさにAからZまで、あらゆるレヴェルで、垣間見ることができます。オルテガ氏は、ダンサーとしての天才性、マイケルのあらゆる動きを捉えています。あなたはマイケルの天才性がこの映画作品の中で花開いているのを直接目撃します。ケニー・オルテガと彼のスタッフのおかげです。
私はこの映画作品が考えられるあらゆるカテゴリーにノミネートされるべきだと真剣に考えます。
(2009年10月26日午後3時=LAタイム=27日午前8時=日本時間=ころからのエリザベス・テイラーの書き込み)
+++++
エリザベスのツイッターへの書き込みは次の通り。
.
Dame Elizabeth: I was honored with the great privilege of seeing "This Is It" last week. I was sworn to secrecy, but now I can let you know about it.
It is the single most brilliant piece of filmmaking I have ever seen. It cements forever Michael’s genius in every aspect of creativity.
To say the man is a genius is an understatement. He cradles each note, coaxes the music to depths beyond reality. I wept from pure joy at his God given gift.
There will never, ever be the likes of him again. And we have this piece of film to remind us forever and ever that once there was such a man.
God kissed him.God blessed him and squandered nothing, but loved it all. Michael knew how to put together every tone, every nuance to make magic.
To say he was a genius seems so little. I wish my vocabulary encompassed what I feel.
You owe it to yourselves and your loved ones to see this again and again. Memorize it and say to yourselves, "I saw genius in my lifetime"
I loved genius in my lifetime. God was so good to me. I will love Michael forever and so will you, if you don’t already.
I hope I don’t sound condescending. I’m sure you already know what I’m talking about, but go to see it again and again
I meant to repeat myself. I love you. I remember Michael loved you. He was totally up to now and the message of today in all his songs.
If you listen to his lyrics they are those of a modern day prophet and it beseeches us to listen to him and what he sang.
I won’t use words like preaching because that is off-putting, but listen. Listen to his messages.
From "Black And White", "Man In The Mirror". The inspiration behind "We Are The World". We must take his words of responsibility seriously.
We cannot let his life be in vain / and always done with love. Remember that. Remember him and thank God for him and his genius.
Kenny Ortega did a masterful job of directing the process that goes into making a complete show before hitting the stage.
From A to Z you get Michael’s input on every level. Michael’s genius at work with the dancers. Mr. Ortega catches Michael in his every mood.
You see in front of your eyes Michael’s genius blossoming on this piece of film thanks to Kenny Ortega and his crews.
I truly believe this film should be nominated in every category conceivable.
■ 『ディス・イズ・イット』(映画の音源はありませんが、ま、記念にひとつ…)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002Q4U9YU/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 『ライヴ・イン・ブカレスト』(ライヴ映像は、現状、これが決定打。ここでも神はマイケルにキスしています)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000BNM8AG/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Jackson, Michael
つぶやき。
マイケル・ジャクソンの親友エリザベス・テイラーが、一足先に映画『ディス・イズ・イット』を鑑賞、ツイッターにその感想文を書き込んだ。この書き込みは、日本時間2009年10月27日(火曜)午前8時(LA時間26日、午後4時)頃から19回に分けて書き込まれた。ツイッターは一度に約30ワードまでしか書き込めないので、これだけの回数に分けてアップされた。トータルで約430ワード。これによると、テイラーは、先週、秘密裏に試写を見て、今日情報解禁で、やっと感想を公開できることになった、という。
全訳は次の通り。
私は先週『ディス・イズ・イット』を特別に見る機会を与えられました。見たことは秘密にするように言われていましたが、今日やっとお話できます。これは、私が今まで生涯見た映画作品の中で、もっとも見事な作品です。マイケルのクリエイティヴィティー(創造性)の天才さを、あらゆる側面で永遠に決定付けています。
彼をただ「天才」と呼ぶだけではまだまだ過小評価としか言いようがありません。彼はあらゆる音をやさしく包み込み、音楽自体を現実を超えたはるか深みのある地点まで聴く者を誘います。
私は、彼が神から授かった才能に心の底から涙しました。彼のような人物は、将来決して2度と現れないでしょう。そしてこの映画作品は、彼のような人物がこの世に存在したことを永遠に忘れさせることなく、思い起こさせ続けるでしょう。神はマイケルにキスしていました。神はマイケルを賛美していました。神は彼をまったく無意味な存在などにしていません。神はただひたすら彼を愛しています。
マイケルは、マジックを生み出すために、どのように音を作り、いかにニュアンスを表現すればよいか、すべて知り尽くしています。
彼を天才だというのはあまりに小さすぎます。私は、彼を表現するもっと適当なヴォキャブラリー(語彙)をもてればと思います。
あなた自身、あなたの愛する人と何度も繰り返しこの作品を見ましょう。あなたの記憶にとどめ、あなた自身で確認してください。「私は、自分の人生の中に天賦の才能を見た」と。私自身の人生における天賦の才能を愛しています。私は神にとても優しくしていただきました。私はマイケルを永遠に愛します。まだ彼を愛していない方も、きっと(この映画を見れば)彼のことを愛することになるでしょう。
私は恩着せがましく言うつもりは毛頭ありません。私が何を言いたいのか、みなさんにはおわかりだと思います。ただ、何度も何度も見に行ってください。
繰り返し言います。アイ・ラヴ・ユー。私はマイケルがあなたたちを愛していたことに思いを馳せます。彼は完璧に今日、生きています。彼のあらゆる歌の中に今日のメッセージがあります。
彼の歌詞を聴けば、そこには現代への予言があります。彼はその予言を私たちに聴いて欲しいと願っています。お説教をするつもりはありません。あなたを不快にさせてしまいますから。でも、ただ彼に耳を傾けてください。彼のメッセージに。
「ブラック・オア・ホワイト」から「マン・イン・ザ・ミラー」、そして「ウィ・アー・ザ・ワールド」における啓示、彼の真摯な言葉に真剣に向き合わなければなりません。
私たちは彼の人生を無駄にしてはなりません。そして愛をもってみつめなければなりません。それを心に刻みましょう。彼のことを忘れずにいましょう。そして彼と彼に天賦の才能を与えたくれた神に感謝しましょう。
ケニー・オルテガが、マイケルがステージに上がる前に、完璧なショーを作る過程で素晴らしい仕事を成し遂げました。マイケルが注ぎ込むすべてをまさにAからZまで、あらゆるレヴェルで、垣間見ることができます。オルテガ氏は、ダンサーとしての天才性、マイケルのあらゆる動きを捉えています。あなたはマイケルの天才性がこの映画作品の中で花開いているのを直接目撃します。ケニー・オルテガと彼のスタッフのおかげです。
私はこの映画作品が考えられるあらゆるカテゴリーにノミネートされるべきだと真剣に考えます。
(2009年10月26日午後3時=LAタイム=27日午前8時=日本時間=ころからのエリザベス・テイラーの書き込み)
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エリザベスのツイッターへの書き込みは次の通り。
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Dame Elizabeth: I was honored with the great privilege of seeing "This Is It" last week. I was sworn to secrecy, but now I can let you know about it.
It is the single most brilliant piece of filmmaking I have ever seen. It cements forever Michael’s genius in every aspect of creativity.
To say the man is a genius is an understatement. He cradles each note, coaxes the music to depths beyond reality. I wept from pure joy at his God given gift.
There will never, ever be the likes of him again. And we have this piece of film to remind us forever and ever that once there was such a man.
God kissed him.God blessed him and squandered nothing, but loved it all. Michael knew how to put together every tone, every nuance to make magic.
To say he was a genius seems so little. I wish my vocabulary encompassed what I feel.
You owe it to yourselves and your loved ones to see this again and again. Memorize it and say to yourselves, "I saw genius in my lifetime"
I loved genius in my lifetime. God was so good to me. I will love Michael forever and so will you, if you don’t already.
I hope I don’t sound condescending. I’m sure you already know what I’m talking about, but go to see it again and again
I meant to repeat myself. I love you. I remember Michael loved you. He was totally up to now and the message of today in all his songs.
If you listen to his lyrics they are those of a modern day prophet and it beseeches us to listen to him and what he sang.
I won’t use words like preaching because that is off-putting, but listen. Listen to his messages.
From "Black And White", "Man In The Mirror". The inspiration behind "We Are The World". We must take his words of responsibility seriously.
We cannot let his life be in vain / and always done with love. Remember that. Remember him and thank God for him and his genius.
Kenny Ortega did a masterful job of directing the process that goes into making a complete show before hitting the stage.
From A to Z you get Michael’s input on every level. Michael’s genius at work with the dancers. Mr. Ortega catches Michael in his every mood.
You see in front of your eyes Michael’s genius blossoming on this piece of film thanks to Kenny Ortega and his crews.
I truly believe this film should be nominated in every category conceivable.
■ 『ディス・イズ・イット』(映画の音源はありませんが、ま、記念にひとつ…)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002Q4U9YU/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 『ライヴ・イン・ブカレスト』(ライヴ映像は、現状、これが決定打。ここでも神はマイケルにキスしています)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000BNM8AG/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Jackson, Michael
◆『マイケル・ジャクソン全記録 1958-2009』~緊急発売決定 (パート3)
2009年10月27日 音楽 コメント (2)【Michael Jackson Visual Documentary】
新バイブル。
初版の『マイケル・ジャクソン観察日誌』が、マイケル・ファンのバイブルになって、ヤフオクなどで高い値段がついていたことは知っていた。なので、早く、この新版を出したいと思っていた。実は7月に、これを出した当時の編集者に、新版は出さないのですか、と打診したところ、ちょうど、この新版の売り込みがあって、小学館でも検討していた。しかし、編集会議で、正式に小学館では出せないという結論が出た、ということだった。ひじょうに残念に思ったが、いずれどこからか出るだろうとは思っていた。たぶん、その後いくつかの出版社に打診が行き、今回のユーメイド社がいくつかの競争から勝ち抜いて出版権を獲得したのだろう。結局、ユーメイド社からお声がけいただき、幸運だった。
この新版の見所はいくつもあるが、特にリサ・マリーがマイケル逝去に関して彼女のブログに書いた文章は、感動的だ。日本版でも2ページにわたる長文になった。リサとマイケルがかつてじっくりと話をしたときにマイケルはこう言ったという。「僕(マイケル)は彼(エルヴィス・プレスリー)のように死ぬんだと思う。彼がそうだったようにね」 もちろん、リサはそんなことはないと、その考えを止めさせようとする。
そして、途中にさまざまなストーリーがあり、リサはこう締めくくる。「~~ここに座って、今までの私の最大の失敗となるものに対しての悲しみ、反省、混乱に圧倒され、ニュースを観ていますが、それはほとんど1977年8月16日(エルヴィスの命日)に起こるのを見ていたまさにそのシナリオが一幕ごとそのまま、今再びマイケルに起こっている(私が2度と見たくなかった光景だ)。彼が予言した通りに。~~」
リサとマイケルがそんな話をしたのはおよそ15年くらい前だという。
もうひとつ、今回翻訳していて、ひじょうに印象に残った言葉があった。それは2005年3月30日付けの事項のところで、ボクシング界のスーパースター、モハメド・アリがノルウェイの新聞に語ったというコメントだ。「どこから(モハメド・アリの)力が沸いてくるのかと尋ねられた時、私(アリ)はこう答えている。私はマイケル・ジャクソンが見ている男と同じ男を見ている。その男とは、マイケルの鏡に映る男(マン・イン・ザ・ミラー)なのだ。(そこから力を得ている)」
モハメド・アリなりのマイケルへの支持とも受け取れる一方、アリ自身への応援歌としてマイケルを見ているとも受け取れる。マイケルが受けている様々な困難、苦難を、アリ自身が経験してきた困難、苦難とかぶらせて見たのかもしれない。アリ自身も、アメリカの白人メディアにはさんざんやられてきた。マイケルを見て、我がことのように思ったとしても不思議ではない。アリはマイケルが果敢にそうしたバッシングに向かって、強く立ち向かっていたと見ていたのだろう。
この言葉を読んだとき、マイケルが鏡の中で見ていた男(マン・イン・ザ・ミラー)に、マイケルはどのような気持ちを持っていたのだろうか、という思いを馳せた。アリが感じたほど、マイケルは強かったのか、と今になっては思う。
事実の積み重ねだけが、真実への唯一の道。郷太氏のキャッチコピーはこれだ。「圧倒的な事実の積み重ねの向こうにしか、『本当のマイケル』は見えてこない」
『マイケル・ジャクソン全記録 1958-2009』が、マイケル・ファンの新たなるバイブルになって欲しいと思う。
(アマゾンで予約が取れるようになりましたら、すぐにこのブログでもご案内いたします)
ENT>BOOK>Jackson, Michael
新バイブル。
初版の『マイケル・ジャクソン観察日誌』が、マイケル・ファンのバイブルになって、ヤフオクなどで高い値段がついていたことは知っていた。なので、早く、この新版を出したいと思っていた。実は7月に、これを出した当時の編集者に、新版は出さないのですか、と打診したところ、ちょうど、この新版の売り込みがあって、小学館でも検討していた。しかし、編集会議で、正式に小学館では出せないという結論が出た、ということだった。ひじょうに残念に思ったが、いずれどこからか出るだろうとは思っていた。たぶん、その後いくつかの出版社に打診が行き、今回のユーメイド社がいくつかの競争から勝ち抜いて出版権を獲得したのだろう。結局、ユーメイド社からお声がけいただき、幸運だった。
この新版の見所はいくつもあるが、特にリサ・マリーがマイケル逝去に関して彼女のブログに書いた文章は、感動的だ。日本版でも2ページにわたる長文になった。リサとマイケルがかつてじっくりと話をしたときにマイケルはこう言ったという。「僕(マイケル)は彼(エルヴィス・プレスリー)のように死ぬんだと思う。彼がそうだったようにね」 もちろん、リサはそんなことはないと、その考えを止めさせようとする。
そして、途中にさまざまなストーリーがあり、リサはこう締めくくる。「~~ここに座って、今までの私の最大の失敗となるものに対しての悲しみ、反省、混乱に圧倒され、ニュースを観ていますが、それはほとんど1977年8月16日(エルヴィスの命日)に起こるのを見ていたまさにそのシナリオが一幕ごとそのまま、今再びマイケルに起こっている(私が2度と見たくなかった光景だ)。彼が予言した通りに。~~」
リサとマイケルがそんな話をしたのはおよそ15年くらい前だという。
もうひとつ、今回翻訳していて、ひじょうに印象に残った言葉があった。それは2005年3月30日付けの事項のところで、ボクシング界のスーパースター、モハメド・アリがノルウェイの新聞に語ったというコメントだ。「どこから(モハメド・アリの)力が沸いてくるのかと尋ねられた時、私(アリ)はこう答えている。私はマイケル・ジャクソンが見ている男と同じ男を見ている。その男とは、マイケルの鏡に映る男(マン・イン・ザ・ミラー)なのだ。(そこから力を得ている)」
モハメド・アリなりのマイケルへの支持とも受け取れる一方、アリ自身への応援歌としてマイケルを見ているとも受け取れる。マイケルが受けている様々な困難、苦難を、アリ自身が経験してきた困難、苦難とかぶらせて見たのかもしれない。アリ自身も、アメリカの白人メディアにはさんざんやられてきた。マイケルを見て、我がことのように思ったとしても不思議ではない。アリはマイケルが果敢にそうしたバッシングに向かって、強く立ち向かっていたと見ていたのだろう。
この言葉を読んだとき、マイケルが鏡の中で見ていた男(マン・イン・ザ・ミラー)に、マイケルはどのような気持ちを持っていたのだろうか、という思いを馳せた。アリが感じたほど、マイケルは強かったのか、と今になっては思う。
事実の積み重ねだけが、真実への唯一の道。郷太氏のキャッチコピーはこれだ。「圧倒的な事実の積み重ねの向こうにしか、『本当のマイケル』は見えてこない」
『マイケル・ジャクソン全記録 1958-2009』が、マイケル・ファンの新たなるバイブルになって欲しいと思う。
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ENT>BOOK>Jackson, Michael
◆『マイケル・ジャクソン全記録 1958-2009』~緊急発売決定 (パート2)
2009年10月26日 音楽【Michael Jackson Visual Documentary】
緊急。
2009年10月2日(金)夜遅くに一本のメールを受け取った。今回編集で尽力された水科さんからのもので、『マイケル・ジャクソン観察日誌』の新版の発売権を取ったので、ぜひ大至急翻訳監修をしていただきたい、というものだった。すぐに翌日(3日・土曜)出版社(今回のユーメイド社)の担当・熊澤さんとともに会い、説明を受けた。変なゴシップ本の翻訳だったら引き受ける気はなかったが、こと、この『観察日誌』の新版であれば、喜んで引き受けた。ただ、この時点では同社は版元と大筋で合意していたが、契約書の調印がまだということで、正式発表は後日、ということになった。
10月5日(月)に社としての出版が確定、改めて翻訳を正式に依頼され、こうして緊急出版計画がスタートした。しかも、なんとか10月28日に出したい、ついては1週間、連休明け(13日)までに追記100ページ分を訳出して欲しいということだった。さすがに1日10ページは厳しいので、何人かに助けてもらうことにする。10月8日、デザイナー、編集者、一堂に会して表紙、本文レイアウトなど打ち合わせ。古い文字データは、昔僕が使っていたキャノワード(ワープロ)のフロッピーに残っていたので、それをパソコンで読めるようにMS-DOS化し、送ることにする。水科さん、熊澤さんらが古いデータの編集作業をしてくれるので、こちらはとにかく新規100ページの翻訳作業に没頭する。表記など、13年前のものなので、すっかり忘れていて、当初はかなり僕もとまどう。
それにしても1週間で入稿、1週間で校正、1週間で印刷、なんて行程表が本当に出るんだと驚く。こうやって、さまざまな関連本が急遽出たわけだ。傍目には見ていたが、それが自分の身にふりかかるとは思わなかった。
そして、10月13日に若干漏れた部分が残ったが、追加された新原稿の第一稿を9割方いれた。翌日、残りを入れ、あと、前書き、あとがき、訳者あとがきなどをいれる。それからすぐに校正がでてくる。と同時にそれまで、初版版の文字データの整理、ディスコグラフィーなどのデータ編集を水科さん熊澤さんらがやってくれていたものが出てきて、チェック作業。
今回はディスコグラフィーが難儀だった。基本はオリジナルのアルバムをリリース順に並べる、というのが一番いいのだが、最近は昔のアルバムがCDのいわゆる2イン1(ツー・イン・ワン=2枚のアナログが1枚のCDになっている形式のもの)で出ていて、並べ方も難しい。またモータウン時代の音源はかなりの数のコンピレーションが出ていて、これらは新音源のないものはスペースの関係もあり泣く泣くカットした。原書にはイギリス盤のシングル・リストもついているのだが、さすがにこれはカット。いずれ時間に余裕が出たら、マイケル関連の完璧ディスコグラフィーなども作って出版してみたい。
また途中からページ数が予想以上に多くなりそうということで、できるだけ無駄を省く作業が始まった。
さて、これらの作業をしつつも、この『観察日誌』の新版が出るという大ニュースははやく発表したいところだが、両社(ユーメイド社とオムニバス社)がまだ契約書にサインしていないので、万が一のことがあるといけないので、準備はしておくが、両社サイン後に印刷機を回すということに。よって、それまでは発売に関しての公式発表ができないことになった。
本の大きさ(版型)は前作と同じ。前作との連続性も整える。また熊澤さんが、西寺郷太さんに本の帯の推薦原稿を書いて欲しいということで、僕が直接、依頼。二つ返事で引き受けてくれ、ほんの3日で素晴らしい帯原稿があがってきた。
タイトルに関してもさまざまな案が出た。結局、それぞれがいくつものアイデアが出たが、西寺郷太さんのアイデアでもあった『マイケル・ジャクソン全記録 1958-2009』になる。
何度も何度もメールや電話でやりとりをして、10月23日深夜、完全に最終入稿。その前日あたりまでに、契約書のサインをとりかわしたことで、発表にゴーサインが出た。結局、この後のスケジュールだと10月28日くらいに一度見本が出来上がり、それらが書店・取次ぎへ回り、本格印刷、11月10日くらいまでに書店へ並ぶ、という流れのようだ。アマゾンなどにはこれから情報が流れるので、まだ予約はできない状態。たぶん2-3日で予約が取れる形になるだろう。
水科さん、熊澤さん、そしてその他関係者のみなさん、おつかれさまでした。ありがとうございます。
というわけで、怒涛の3週間だった。
(この項、明日へ続く)
(アマゾンで予約が取れるようになりましたら、すぐにこのブログでもご案内いたします)
ENT>BOOK>Jackson, Michael
緊急。
2009年10月2日(金)夜遅くに一本のメールを受け取った。今回編集で尽力された水科さんからのもので、『マイケル・ジャクソン観察日誌』の新版の発売権を取ったので、ぜひ大至急翻訳監修をしていただきたい、というものだった。すぐに翌日(3日・土曜)出版社(今回のユーメイド社)の担当・熊澤さんとともに会い、説明を受けた。変なゴシップ本の翻訳だったら引き受ける気はなかったが、こと、この『観察日誌』の新版であれば、喜んで引き受けた。ただ、この時点では同社は版元と大筋で合意していたが、契約書の調印がまだということで、正式発表は後日、ということになった。
10月5日(月)に社としての出版が確定、改めて翻訳を正式に依頼され、こうして緊急出版計画がスタートした。しかも、なんとか10月28日に出したい、ついては1週間、連休明け(13日)までに追記100ページ分を訳出して欲しいということだった。さすがに1日10ページは厳しいので、何人かに助けてもらうことにする。10月8日、デザイナー、編集者、一堂に会して表紙、本文レイアウトなど打ち合わせ。古い文字データは、昔僕が使っていたキャノワード(ワープロ)のフロッピーに残っていたので、それをパソコンで読めるようにMS-DOS化し、送ることにする。水科さん、熊澤さんらが古いデータの編集作業をしてくれるので、こちらはとにかく新規100ページの翻訳作業に没頭する。表記など、13年前のものなので、すっかり忘れていて、当初はかなり僕もとまどう。
それにしても1週間で入稿、1週間で校正、1週間で印刷、なんて行程表が本当に出るんだと驚く。こうやって、さまざまな関連本が急遽出たわけだ。傍目には見ていたが、それが自分の身にふりかかるとは思わなかった。
そして、10月13日に若干漏れた部分が残ったが、追加された新原稿の第一稿を9割方いれた。翌日、残りを入れ、あと、前書き、あとがき、訳者あとがきなどをいれる。それからすぐに校正がでてくる。と同時にそれまで、初版版の文字データの整理、ディスコグラフィーなどのデータ編集を水科さん熊澤さんらがやってくれていたものが出てきて、チェック作業。
今回はディスコグラフィーが難儀だった。基本はオリジナルのアルバムをリリース順に並べる、というのが一番いいのだが、最近は昔のアルバムがCDのいわゆる2イン1(ツー・イン・ワン=2枚のアナログが1枚のCDになっている形式のもの)で出ていて、並べ方も難しい。またモータウン時代の音源はかなりの数のコンピレーションが出ていて、これらは新音源のないものはスペースの関係もあり泣く泣くカットした。原書にはイギリス盤のシングル・リストもついているのだが、さすがにこれはカット。いずれ時間に余裕が出たら、マイケル関連の完璧ディスコグラフィーなども作って出版してみたい。
また途中からページ数が予想以上に多くなりそうということで、できるだけ無駄を省く作業が始まった。
さて、これらの作業をしつつも、この『観察日誌』の新版が出るという大ニュースははやく発表したいところだが、両社(ユーメイド社とオムニバス社)がまだ契約書にサインしていないので、万が一のことがあるといけないので、準備はしておくが、両社サイン後に印刷機を回すということに。よって、それまでは発売に関しての公式発表ができないことになった。
本の大きさ(版型)は前作と同じ。前作との連続性も整える。また熊澤さんが、西寺郷太さんに本の帯の推薦原稿を書いて欲しいということで、僕が直接、依頼。二つ返事で引き受けてくれ、ほんの3日で素晴らしい帯原稿があがってきた。
タイトルに関してもさまざまな案が出た。結局、それぞれがいくつものアイデアが出たが、西寺郷太さんのアイデアでもあった『マイケル・ジャクソン全記録 1958-2009』になる。
何度も何度もメールや電話でやりとりをして、10月23日深夜、完全に最終入稿。その前日あたりまでに、契約書のサインをとりかわしたことで、発表にゴーサインが出た。結局、この後のスケジュールだと10月28日くらいに一度見本が出来上がり、それらが書店・取次ぎへ回り、本格印刷、11月10日くらいまでに書店へ並ぶ、という流れのようだ。アマゾンなどにはこれから情報が流れるので、まだ予約はできない状態。たぶん2-3日で予約が取れる形になるだろう。
水科さん、熊澤さん、そしてその他関係者のみなさん、おつかれさまでした。ありがとうございます。
というわけで、怒涛の3週間だった。
(この項、明日へ続く)
(アマゾンで予約が取れるようになりましたら、すぐにこのブログでもご案内いたします)
ENT>BOOK>Jackson, Michael
【Michael Jackson Visual Documentary Will Be Out In November】
新装発売。
マイケル・ジャクソン・ファンの間で根強い人気を持つものの、長く絶版になっていた『マイケル・ジャクソン観察日誌』(エイドリアン・グラント著、吉岡正晴監修翻訳=小学館)の新装改訂版が、緊急出版される。新装本のタイトルは、『マイケル・ジャクソン全記録 1958-2009』(発行・株式会社ユーメイド)となり、発売日は2009年11月10日。書店店頭には10日ころまでに並ぶ予定。
http://mstng.net/umade/tachiyomi/mj/index.html
これは、マイケル・ジャクソン・ファン・クラブを運営するイギリス在住のエイドリアン・グラントが、マイケル・ジャクソンが生まれてから、いつ、どこで、なにを、だれと、どうした、といったいわゆる5W1Hを詳細に調査し、書き記したもの。日本版初版は1997年1月1日に小学館から発行され、好評を博した。その後、エイドリアンは改訂版を出していたが、マイケル逝去にともない急遽、死去前後の事項を書き加え、緊急出版した。今回日本で発売されるのは、その最新版。2009年7月7日のメモリアル・サーヴィスまで書かれている。
『マイケル・ジャクソン観察日誌』の原書は1994年秋の刊行。原書の記事は1994年春までの事項だったが、日本版のためにエイドリアンが1995年9月までを加筆。その後1996年11月までを翻訳者・吉岡が加筆した。今回は原書の1995年10月以降、2009年7月までおよそ14年弱の事項が加筆され、それらをすべて含めたものになる。原書で約100ページが新たに追記され、それに応じて日本版も180ページほど増え、500ページほどになる。小学館版は320ページ。この新版には、小学館版にはなかった16ページのカラーページが含まれる。
『マイケル・ジャクソン全記録1958-2009』
エイドリアン・グラント著、吉岡正晴・監修・訳
帯・西寺郷太
発行・株式会社ユーメイド
定価 1900円+税=1995円
発売日 2009年11月10日
版型 四六版 508ページ、カラー16ページ
1995年から2009年のこの間に、マイケルには2度の結婚、子供の誕生、さまざまな裁判トラブルなどがある。「ヒストリー・ツアー」、「30周年記念コンサート」(2001年9月)、2003年2月のマーティン・バシールの悪評高き番組などを経て、衝撃の2009年6月25日、7月7日のメモリアル・サーヴィスまで事実が記される。特に、今回はリサ・マリーの長文の追悼文は胸を打たれる。
ひとつひとつの事実の積み重ねだけが、真実に到達する唯一の道、ということを如実に表わす著作だ。
(緊急出版までの経緯を明日以降のブログでご紹介します)
ENT>BOOK>Jackson, Michael
新装発売。
マイケル・ジャクソン・ファンの間で根強い人気を持つものの、長く絶版になっていた『マイケル・ジャクソン観察日誌』(エイドリアン・グラント著、吉岡正晴監修翻訳=小学館)の新装改訂版が、緊急出版される。新装本のタイトルは、『マイケル・ジャクソン全記録 1958-2009』(発行・株式会社ユーメイド)となり、発売日は2009年11月10日。書店店頭には10日ころまでに並ぶ予定。
http://mstng.net/umade/tachiyomi/mj/index.html
これは、マイケル・ジャクソン・ファン・クラブを運営するイギリス在住のエイドリアン・グラントが、マイケル・ジャクソンが生まれてから、いつ、どこで、なにを、だれと、どうした、といったいわゆる5W1Hを詳細に調査し、書き記したもの。日本版初版は1997年1月1日に小学館から発行され、好評を博した。その後、エイドリアンは改訂版を出していたが、マイケル逝去にともない急遽、死去前後の事項を書き加え、緊急出版した。今回日本で発売されるのは、その最新版。2009年7月7日のメモリアル・サーヴィスまで書かれている。
『マイケル・ジャクソン観察日誌』の原書は1994年秋の刊行。原書の記事は1994年春までの事項だったが、日本版のためにエイドリアンが1995年9月までを加筆。その後1996年11月までを翻訳者・吉岡が加筆した。今回は原書の1995年10月以降、2009年7月までおよそ14年弱の事項が加筆され、それらをすべて含めたものになる。原書で約100ページが新たに追記され、それに応じて日本版も180ページほど増え、500ページほどになる。小学館版は320ページ。この新版には、小学館版にはなかった16ページのカラーページが含まれる。
『マイケル・ジャクソン全記録1958-2009』
エイドリアン・グラント著、吉岡正晴・監修・訳
帯・西寺郷太
発行・株式会社ユーメイド
定価 1900円+税=1995円
発売日 2009年11月10日
版型 四六版 508ページ、カラー16ページ
1995年から2009年のこの間に、マイケルには2度の結婚、子供の誕生、さまざまな裁判トラブルなどがある。「ヒストリー・ツアー」、「30周年記念コンサート」(2001年9月)、2003年2月のマーティン・バシールの悪評高き番組などを経て、衝撃の2009年6月25日、7月7日のメモリアル・サーヴィスまで事実が記される。特に、今回はリサ・マリーの長文の追悼文は胸を打たれる。
ひとつひとつの事実の積み重ねだけが、真実に到達する唯一の道、ということを如実に表わす著作だ。
(緊急出版までの経緯を明日以降のブログでご紹介します)
ENT>BOOK>Jackson, Michael
▲フラミンゴス、初来日へ~シカゴ出身のブルーズ&ソウル・アーティスト・ライヴで
2009年10月24日 音楽【Flamingos: First Live Concert Ever In Japan Due January】
ドゥーワップ。
1950年代に黒人ストリート・ヴォーカル・スタイルのドゥーワップを歌い人気を博したフラミンゴスの初来日が決まった。今回、『シカゴ;ブルーズ&ソウル・ショウダウン』と題された複数出るアーティストのイヴェントの1アーティストとして来日する。シカゴを中心にしたブルーズ&ソウル系のアーティスト4組を招聘、これに日本の若手シンガー・ソングライター、木下航志を加えた5組でライヴを行う。来日アーティストは、フラミンゴス、パスター・ミッティ・コリア、バイザー・スミス、ジョニー・ロウルズ。
フラミンゴスは1953年ごろ、シカゴで結成されたドゥーワップ・グループの名門中の名門グループ。1950年代後期から1960年代にかけて「アイ・オンリー・ハヴ・アイズ・フォー・ユー」(1959年)などの名作、ヒットを多数生み出した。1956年のヒット「アイル・ビー・ホーム」は同年、白人のパット・ブーンがカヴァーしヒットさせた。その後、メンバー・チェンジなども多数あり、また分家のグループなども生まれた。今回来日するのは、ほぼオリジナル・メンバーであるテリー・ジョンソンが入っているフラミンゴスだ。
ほかに来日するミッティー・コリアは、1964年のヒット「アイ・ハド・ア・トーク・ウィズ・マイ・マン」の大ヒットで知られるシカゴのチェス・レコード所属のドル箱シンガーの1人。彼女は最近では、ゴスペルに転向しているそうで、基本的にはゴスペル曲を歌うそうだが、いくつかのR&Bヒットも歌うらしい。
最近、シカゴは、チェス・レコードを描いた『キャデラック・レコード』の話題やオバマの本拠ということもあり、注目だ。
■公演概要
【タイトル】 CHICAGO; Blues & Soul Showdown (シカゴ ; ブルーズ&ソウル・ショウダウン)
【公演日時】 2010年1月21日(木)~1月25日(月)18:00 開場 / 19:00 開演 (本編 約3時間の予定) *土・日曜日は17:00開場、18:00開演
【会場】 よしもとプリンスシアター 〒108-8611 東京都港区高輪4-10-30
品川プリンスホテル アネックスタワー3F クラブeX
(東海道新幹線、JR、京浜急行の品川駅高輪口から徒歩2 分)
【出演者】 ザ・フラミンゴス/パスター・ミッティ・コリア/バイザー・スミス/ジョニー・ロウルズ/木下航志
【主催】 ㈱フライアーズ・ポイント/㈱よしもとクリエイティブ・エージェンシー
【企画制作】 日暮泰文/高地明/㈱よしもとクリエイティブ・エージェンシー
【協力】 雑誌ブルーズ&ソウル・レコーズ
【公式サイト】 http://blues-soul.laff.jp/
【チケット】チケットの発売は11月1日から。
●前売 全席指定10,000円/ラブシート21,000円(税込)
●当日 全席指定10,500円/ラブシート22,000円(税込)
※ラブシート席は後方ソファ席となり、2名で21,000円(当日22,000円)となります。※4歳以下かつ身長110cm以下のお子様は、膝上無料。
●チケットよしもと 0570-041-356(オペレータ対応 受付時間10:00~18:00)
0570-041-489(Pコード597-790)
[PC] http://ent-yoshimoto.pia.jp/
[携帯] http://tomo.yoshimoto.co.jp/
●チケットぴあ 0570-02-9999(Pコード597-790) http://pia.jp/t/
●ローソンチケット 0570-084-003(Lコード71767)
●イープラス http://eplus.jp (PC&携帯)
◎チケットよしもと(一次&二次)Pコード:597-790 受付期間:11/1(日)11:00~11/2(月)11:00
◎ぴあプレリザーブ先行 Pコード:597-790 受付期間:11/3(火・祝)11:00~11/12(木)11:00
◎ローソンプレリクエスト先行 Lコード:71767 受付期間:11/8(日) 12:00~11/11(水) 23:59
◎イープラスプレオーダー受付 受付期間:11/4(水)12:00~11/8(日)18:00
【お問合わせ】 チケットよしもとインフォメーション 0570-036-912(受付時間10:00~19:00)
【公演内容】
1950年代から活動する伝説的なR&Bコールス・グループであるザ・フラミンゴスの奇跡の初来日を含め、シカゴの黒人音楽の全貌を紹介し楽しむ公演
【総合窓口】
吉本興業グループ 株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシー 担当:永島 (音楽プロジェクト)
〒101-0051 東京都新宿区新宿5-18-21 Tel:03-3209-8205 / Fax:03-3209-8264
■ 出演者
ザ・フラミンゴス
1952年にシカゴで結成されたリズム&ブルース~ドゥーワップ・グループの名門中の名門がこのフラミンゴス。リーダーとなるのがテリー・ジョンスン(1956年から参加)で、永遠のヴォーカル・グループ名曲「アイ・オンリー・ハヴ・アイズ・フォー・ユー」を始め、数多くのヒットを生み、ヴォーカル・グループ最高峰として活躍。2000年にはアメリカの由緒ある『ロックンロールの殿堂』入りしてさらに栄光を獲得、現在も4人組グループでその美しいヴォーカル・ハーモニーでファンを魅了し続け、日本にも幅広い年齢層のファンを持ち、今回はまさに待望の初来日となる。有名ヴォーカル・グループとしてプラターズやドリフターズらが現在も活動しているが、このフラミンゴスのシカゴの夜景を想わせるスウィートでドリーミーな世界はまさに格別。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000032SY/soulsearchiho-22/ref=nosim/
パスター・ミッティ・コリア
ビヨンセを始めとする現在のアメリカ音楽シーンを席巻するR&B女性シンガーのパイオニアとなるのが、このミッティ・コリアです。現在公開中の映画『キャデラック・レコード』の実在のモデルとなる、ザ・フラミンゴスを同じくシカゴの名門黒人音楽レコード会社、チェス・レコードで活躍し、1964年に発表した女性ソウル・バラード名作「アイ・ハド・ア・トーク・ウィズ・マイ・マン・ラスト・ナイト」がヒットして一躍スター・シンガーに。その後、ゴスペルの世界で活動を始め、現在はゴスペル・シンガーとしてシカゴで人気を博している。今回の来日ステージでは、元々ゴスペル作品であったそのヒット曲を、「マイ・マン」を「マイ・ゴッド」に変えて日本のファンに捧げたいと意気込みを語っている。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0019JHEYG/soulsearchiho-22/ref=nosim/
バイザー・スミス
日本のブルース・ファンからその来日が熱望されていた、シカゴを代表するファンキーでヴァイタリティ溢れる超大物シンガー/ギタリストが、このバイザー・スミスだ。1933年ミシシッピー生まれのヴェテランだが、現在もアルバムを精力的に発表し、ヨーロッパでの公演も多くこなす絶好調ぶりで、実に頼もしい。1970年代に発表した「マネー・トゥリー」はシカゴ・ブルースの傑作とされ、その飛び抜けて独創性豊かなヴォーカルとギター・プレイはワン&オンリーの深い味わい! 待ちに待った来日です。
ジョニー・ロウルズ
ディープなソウル、そしてソウル・フィーリングたっぷりのブルースを歌わせたら彼に敵うものはいない、とアメリカだけでなくヨーロッパでも絶賛されているのが、シカゴのブラック・ミュージックの源流となる南部ミシシッピーから特別参加することになった、このジョニー・ロウルズだ。不世出のソウル・シンガー、O.V.ライトのバック・ギタリストとして長年活動した経験を持ち、その後継者と呼ばれるまでに至った実力は申し分なし。現在58才でそのキャリアも最充実期に入り、ヴォーカル最高、ギター凄腕。
木下航志
1989年鹿児島県出身。未熟児網膜症の為、生後1ヵ月で失明。1997年より鹿児島にてストリ-トライブをスタ-ト。当時10歳にしてNHKドキュメント番組にて紹介され、2004年にはアテネパラリンピックのNHKテ-マソングを担当。2007年に小学館より初の書籍「Voice ~とどけぼくの歌声~」を出版。同年4 月から1年間、京成電鉄 京成スカイライナ-TVCM ソング(本人出演)を担当。今までに2枚のフルアルバムと1つのミニアルバムを発表。
木下が放つブルース・フィーリングはこのイヴェントを更に輝かしいものにするだろう。
+++++
ENT>ANNOUNCEMENT>
ドゥーワップ。
1950年代に黒人ストリート・ヴォーカル・スタイルのドゥーワップを歌い人気を博したフラミンゴスの初来日が決まった。今回、『シカゴ;ブルーズ&ソウル・ショウダウン』と題された複数出るアーティストのイヴェントの1アーティストとして来日する。シカゴを中心にしたブルーズ&ソウル系のアーティスト4組を招聘、これに日本の若手シンガー・ソングライター、木下航志を加えた5組でライヴを行う。来日アーティストは、フラミンゴス、パスター・ミッティ・コリア、バイザー・スミス、ジョニー・ロウルズ。
フラミンゴスは1953年ごろ、シカゴで結成されたドゥーワップ・グループの名門中の名門グループ。1950年代後期から1960年代にかけて「アイ・オンリー・ハヴ・アイズ・フォー・ユー」(1959年)などの名作、ヒットを多数生み出した。1956年のヒット「アイル・ビー・ホーム」は同年、白人のパット・ブーンがカヴァーしヒットさせた。その後、メンバー・チェンジなども多数あり、また分家のグループなども生まれた。今回来日するのは、ほぼオリジナル・メンバーであるテリー・ジョンソンが入っているフラミンゴスだ。
ほかに来日するミッティー・コリアは、1964年のヒット「アイ・ハド・ア・トーク・ウィズ・マイ・マン」の大ヒットで知られるシカゴのチェス・レコード所属のドル箱シンガーの1人。彼女は最近では、ゴスペルに転向しているそうで、基本的にはゴスペル曲を歌うそうだが、いくつかのR&Bヒットも歌うらしい。
最近、シカゴは、チェス・レコードを描いた『キャデラック・レコード』の話題やオバマの本拠ということもあり、注目だ。
■公演概要
【タイトル】 CHICAGO; Blues & Soul Showdown (シカゴ ; ブルーズ&ソウル・ショウダウン)
【公演日時】 2010年1月21日(木)~1月25日(月)18:00 開場 / 19:00 開演 (本編 約3時間の予定) *土・日曜日は17:00開場、18:00開演
【会場】 よしもとプリンスシアター 〒108-8611 東京都港区高輪4-10-30
品川プリンスホテル アネックスタワー3F クラブeX
(東海道新幹線、JR、京浜急行の品川駅高輪口から徒歩2 分)
【出演者】 ザ・フラミンゴス/パスター・ミッティ・コリア/バイザー・スミス/ジョニー・ロウルズ/木下航志
【主催】 ㈱フライアーズ・ポイント/㈱よしもとクリエイティブ・エージェンシー
【企画制作】 日暮泰文/高地明/㈱よしもとクリエイティブ・エージェンシー
【協力】 雑誌ブルーズ&ソウル・レコーズ
【公式サイト】 http://blues-soul.laff.jp/
【チケット】チケットの発売は11月1日から。
●前売 全席指定10,000円/ラブシート21,000円(税込)
●当日 全席指定10,500円/ラブシート22,000円(税込)
※ラブシート席は後方ソファ席となり、2名で21,000円(当日22,000円)となります。※4歳以下かつ身長110cm以下のお子様は、膝上無料。
●チケットよしもと 0570-041-356(オペレータ対応 受付時間10:00~18:00)
0570-041-489(Pコード597-790)
[PC] http://ent-yoshimoto.pia.jp/
[携帯] http://tomo.yoshimoto.co.jp/
●チケットぴあ 0570-02-9999(Pコード597-790) http://pia.jp/t/
●ローソンチケット 0570-084-003(Lコード71767)
●イープラス http://eplus.jp (PC&携帯)
◎チケットよしもと(一次&二次)Pコード:597-790 受付期間:11/1(日)11:00~11/2(月)11:00
◎ぴあプレリザーブ先行 Pコード:597-790 受付期間:11/3(火・祝)11:00~11/12(木)11:00
◎ローソンプレリクエスト先行 Lコード:71767 受付期間:11/8(日) 12:00~11/11(水) 23:59
◎イープラスプレオーダー受付 受付期間:11/4(水)12:00~11/8(日)18:00
【お問合わせ】 チケットよしもとインフォメーション 0570-036-912(受付時間10:00~19:00)
【公演内容】
1950年代から活動する伝説的なR&Bコールス・グループであるザ・フラミンゴスの奇跡の初来日を含め、シカゴの黒人音楽の全貌を紹介し楽しむ公演
【総合窓口】
吉本興業グループ 株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシー 担当:永島 (音楽プロジェクト)
〒101-0051 東京都新宿区新宿5-18-21 Tel:03-3209-8205 / Fax:03-3209-8264
■ 出演者
ザ・フラミンゴス
1952年にシカゴで結成されたリズム&ブルース~ドゥーワップ・グループの名門中の名門がこのフラミンゴス。リーダーとなるのがテリー・ジョンスン(1956年から参加)で、永遠のヴォーカル・グループ名曲「アイ・オンリー・ハヴ・アイズ・フォー・ユー」を始め、数多くのヒットを生み、ヴォーカル・グループ最高峰として活躍。2000年にはアメリカの由緒ある『ロックンロールの殿堂』入りしてさらに栄光を獲得、現在も4人組グループでその美しいヴォーカル・ハーモニーでファンを魅了し続け、日本にも幅広い年齢層のファンを持ち、今回はまさに待望の初来日となる。有名ヴォーカル・グループとしてプラターズやドリフターズらが現在も活動しているが、このフラミンゴスのシカゴの夜景を想わせるスウィートでドリーミーな世界はまさに格別。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000032SY/soulsearchiho-22/ref=nosim/
パスター・ミッティ・コリア
ビヨンセを始めとする現在のアメリカ音楽シーンを席巻するR&B女性シンガーのパイオニアとなるのが、このミッティ・コリアです。現在公開中の映画『キャデラック・レコード』の実在のモデルとなる、ザ・フラミンゴスを同じくシカゴの名門黒人音楽レコード会社、チェス・レコードで活躍し、1964年に発表した女性ソウル・バラード名作「アイ・ハド・ア・トーク・ウィズ・マイ・マン・ラスト・ナイト」がヒットして一躍スター・シンガーに。その後、ゴスペルの世界で活動を始め、現在はゴスペル・シンガーとしてシカゴで人気を博している。今回の来日ステージでは、元々ゴスペル作品であったそのヒット曲を、「マイ・マン」を「マイ・ゴッド」に変えて日本のファンに捧げたいと意気込みを語っている。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0019JHEYG/soulsearchiho-22/ref=nosim/
バイザー・スミス
日本のブルース・ファンからその来日が熱望されていた、シカゴを代表するファンキーでヴァイタリティ溢れる超大物シンガー/ギタリストが、このバイザー・スミスだ。1933年ミシシッピー生まれのヴェテランだが、現在もアルバムを精力的に発表し、ヨーロッパでの公演も多くこなす絶好調ぶりで、実に頼もしい。1970年代に発表した「マネー・トゥリー」はシカゴ・ブルースの傑作とされ、その飛び抜けて独創性豊かなヴォーカルとギター・プレイはワン&オンリーの深い味わい! 待ちに待った来日です。
ジョニー・ロウルズ
ディープなソウル、そしてソウル・フィーリングたっぷりのブルースを歌わせたら彼に敵うものはいない、とアメリカだけでなくヨーロッパでも絶賛されているのが、シカゴのブラック・ミュージックの源流となる南部ミシシッピーから特別参加することになった、このジョニー・ロウルズだ。不世出のソウル・シンガー、O.V.ライトのバック・ギタリストとして長年活動した経験を持ち、その後継者と呼ばれるまでに至った実力は申し分なし。現在58才でそのキャリアも最充実期に入り、ヴォーカル最高、ギター凄腕。
木下航志
1989年鹿児島県出身。未熟児網膜症の為、生後1ヵ月で失明。1997年より鹿児島にてストリ-トライブをスタ-ト。当時10歳にしてNHKドキュメント番組にて紹介され、2004年にはアテネパラリンピックのNHKテ-マソングを担当。2007年に小学館より初の書籍「Voice ~とどけぼくの歌声~」を出版。同年4 月から1年間、京成電鉄 京成スカイライナ-TVCM ソング(本人出演)を担当。今までに2枚のフルアルバムと1つのミニアルバムを発表。
木下が放つブルース・フィーリングはこのイヴェントを更に輝かしいものにするだろう。
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■アース・ウィンド&ファイアー、12月に来日
2009年10月23日 音楽【Earth Wind & Fire’s 12th Japan Tour Due December】
12。
日本でも大変人気のあるブラック・グループ、アース・ウィンド&ファイアーが2009年12月、およそ3年11ヶ月ぶりに来日する。1979年3月の初来日以来今回で12回目のジャパン・ツアーになる。
メンバーは、フィリップ・ベイリー、ラルフ・ジョンソン、ヴァーディン・ホワイト他の予定。モーリス・ホワイトは帯同しないものと見られる。
アースの過去の来日は次の通り。
1979年3月(武道館ほか)、1988年6月、1990年10月(東京ドーム)、1994年4月、1995年4月、1996年9月、2000年9月、2001年11月、2002年11月、2004年9月、2006年1月。
このほかに、元アースのギタリスト、アル・マッケイが結成しているアル・マッケイ・オールスターズも何度も来日している。
今回の招聘元はザックコーポレーション。来日公演は次の通り。大阪、東京のほか、札幌(12月14日)、福岡(12月16日)公演も予定されており、詳細は近日中に発表される。
■ アース・ウィンド&ファイアー 2009年来日公演
2009年12月7日(月)大阪:なんばHatch
2009年12月9日(水)大阪:なんばHatch
OPEN 6:00PM / START 7:00PM
前売 ¥ 9,800(税込・1Fスタンディング・ドリンク代別途)
前売 ¥11,000(税込・2F指定・ドリンク代別途)
(問)大阪ウドー音楽事務所:06-6341-4506
2009年12月11日 (金) 東京:東京国際フォーラムホールA
OPEN 6:00PM /START 7:00PM
2009年12月12日(土) 東京 :東京国際フォーラムホールA
OPEN 5:00PM /START 6:00PM
全席指定¥10,500 (税込)
(問)ザックコーポレーション:03-5474-9999
チケットは2009年11月7日(土)より各プレイガイドにて発売。
チケットぴあ:0570-02-9999 (Pコード:340-158)
ローソンチケット:0570-084-005 (Lコード:57343)
イープラス:http://eplus.jp/
■ アース過去関連記事(ライヴ評など)
(前回2006年1月来日ライヴ評=メンバー、セットリストなど)
January 19, 2006
Earth, Wind & Fire: Live At Budoukan, Why They Didn’t Play Encore Song?
http://blog.soulsearchin.com/archives/000780.html
January 20, 2006
EWF: "That’s The Way Of The World" Should Be The Last Song
http://blog.soulsearchin.com/archives/000782.html
2004/09/04 (Sat)
Earth Wind & Fire: Set The Budokan On The Fire
前々回武道館でのライヴ評
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200409/diary20040904.html
2004/09/05 (Sun)
After The Rain Has Gone: EWF Live At Budoukan
そのライヴ評第2弾
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200409/diary20040905.html
2002/11/29 (Fri)
Big Daddy! Big Boss!
前々々回のライヴ評。背中で歌うモーリス・ホワイト
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200211/diary20021129.html
2002/12/01 (Sun)
Maurice White Talks
モーリスへのインタヴュー
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200212/diary20021201.html
■ 初アースだったら、『エッセンシャル』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0027BECSQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ シカゴの香りいっぱい、今はなきチャールズ・ステップニーのアレンジが冴え渡る『スピリット』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005B17W/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ ブラック・ミュージック史上に残る傑作 『ザッツ・ザ・ウェイ・オブ・ザ・ワールド(暗黒への挑戦)』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002J54MI/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 『太陽神』もブルーレイが出た
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001J8NQLC/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 『黙示録』もブルーレイ。「ブギーワンダーランド」はこれ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001J8NQMQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ANNOUNCEMENT>Earth Wind & Fire
ENT>ARTIST>Earth Wind & Fire
12。
日本でも大変人気のあるブラック・グループ、アース・ウィンド&ファイアーが2009年12月、およそ3年11ヶ月ぶりに来日する。1979年3月の初来日以来今回で12回目のジャパン・ツアーになる。
メンバーは、フィリップ・ベイリー、ラルフ・ジョンソン、ヴァーディン・ホワイト他の予定。モーリス・ホワイトは帯同しないものと見られる。
アースの過去の来日は次の通り。
1979年3月(武道館ほか)、1988年6月、1990年10月(東京ドーム)、1994年4月、1995年4月、1996年9月、2000年9月、2001年11月、2002年11月、2004年9月、2006年1月。
このほかに、元アースのギタリスト、アル・マッケイが結成しているアル・マッケイ・オールスターズも何度も来日している。
今回の招聘元はザックコーポレーション。来日公演は次の通り。大阪、東京のほか、札幌(12月14日)、福岡(12月16日)公演も予定されており、詳細は近日中に発表される。
■ アース・ウィンド&ファイアー 2009年来日公演
2009年12月7日(月)大阪:なんばHatch
2009年12月9日(水)大阪:なんばHatch
OPEN 6:00PM / START 7:00PM
前売 ¥ 9,800(税込・1Fスタンディング・ドリンク代別途)
前売 ¥11,000(税込・2F指定・ドリンク代別途)
(問)大阪ウドー音楽事務所:06-6341-4506
2009年12月11日 (金) 東京:東京国際フォーラムホールA
OPEN 6:00PM /START 7:00PM
2009年12月12日(土) 東京 :東京国際フォーラムホールA
OPEN 5:00PM /START 6:00PM
全席指定¥10,500 (税込)
(問)ザックコーポレーション:03-5474-9999
チケットは2009年11月7日(土)より各プレイガイドにて発売。
チケットぴあ:0570-02-9999 (Pコード:340-158)
ローソンチケット:0570-084-005 (Lコード:57343)
イープラス:http://eplus.jp/
■ アース過去関連記事(ライヴ評など)
(前回2006年1月来日ライヴ評=メンバー、セットリストなど)
January 19, 2006
Earth, Wind & Fire: Live At Budoukan, Why They Didn’t Play Encore Song?
http://blog.soulsearchin.com/archives/000780.html
January 20, 2006
EWF: "That’s The Way Of The World" Should Be The Last Song
http://blog.soulsearchin.com/archives/000782.html
2004/09/04 (Sat)
Earth Wind & Fire: Set The Budokan On The Fire
前々回武道館でのライヴ評
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200409/diary20040904.html
2004/09/05 (Sun)
After The Rain Has Gone: EWF Live At Budoukan
そのライヴ評第2弾
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200409/diary20040905.html
2002/11/29 (Fri)
Big Daddy! Big Boss!
前々々回のライヴ評。背中で歌うモーリス・ホワイト
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200211/diary20021129.html
2002/12/01 (Sun)
Maurice White Talks
モーリスへのインタヴュー
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200212/diary20021201.html
■ 初アースだったら、『エッセンシャル』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0027BECSQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ シカゴの香りいっぱい、今はなきチャールズ・ステップニーのアレンジが冴え渡る『スピリット』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005B17W/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ ブラック・ミュージック史上に残る傑作 『ザッツ・ザ・ウェイ・オブ・ザ・ワールド(暗黒への挑戦)』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002J54MI/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 『太陽神』もブルーレイが出た
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001J8NQLC/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 『黙示録』もブルーレイ。「ブギーワンダーランド」はこれ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001J8NQMQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ANNOUNCEMENT>Earth Wind & Fire
ENT>ARTIST>Earth Wind & Fire
△『ディス・イズ・イット』監督ケニー・オルテガ、引き続き語る
2009年10月22日 音楽【Kenny Ortega Talks: Continues】
引退。
先週の『オプラ・ウィンフリー・ショー』への出演に続き、映画『ディス・イズ・イット』の演出、プロデュースをてがけたケニー・オルテガがビルボード誌(電子版)2009年10月20日付けのインタヴューに答えた。
オルテガによると、マイケルは50本のコンサートをやることに大変興奮していた。リハーサルが始まり、死の数日前あたりになると、それまでとはまったく違う「ギア」にシフトして、やる気まんまんになっていた、という。さらに、彼はリハーサルの模様に十分満足しており、ロスでのリハを終えて、ロンドンでのリハを楽しみにしていた。
マイケルがドラッグに依存していたか、との質問にオルテガは、きっぱりと「ノー」と答えた。
さらに続けて彼はこう語る。「これが最後だった。This was it.これがファイナル・カーテン・コールだった。私の考えだが、彼はこれを最後にパフォーマンスすることから引退するつもりだったのではないだろうか。その後、映画製作やその他のことをやるつもりだったのではないか。彼はかつて、これ以上もうパフォーマンスするつもりはない、と言っていた。だから、彼がこうしたことを出来る十分な若さを持っているときに今回のチャンスが訪れた、と思ったんじゃないかな。彼は(自分の)子供のために、そして、ファンのためにやろうと思ったのだろう」
ロンドンでは、記者向けに12分の映画映像が公開された。また、予告編もすでに出ているが、この中でマイケルは「ヒューマン・ネイチャー」のリハーサルをしている。また、12分の映像の中には、「ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール」をダンサーたちと踊っているシーンもあるという。
オルテガは、マイケルがこのコンサートを負債返済のため、あるいはお金のためにやったということは、まったくないと言明している。ただしこの記事を書いた記者は、マイケルには5億ドル(500億円)の負債があったと推定される、としている。また、ソニー・ピクチャーズはこの映像に6000万ドル(約60億円)を支払ったという。6000万ドルは、映画予算としてかなりの規模、ハリウッドの大型映画並だ。ちなみに、『ドリーム・ガールズ』が7500万ドル、『レイ』が4000万ドル、『ブルース・ブラザース2000』は2800万ドル、『キャデラック・レコード』は1200万ドルだ。
この話が本当であれば、マイケルはこのライヴを文字通り「ファイナル・カーテン・コール」にして、引退するつもりだったのかもしれない。
■マイケル・ジャクソン ワックスポエティックス第6号 マイケル特集
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4861134196/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書、西寺郷太著
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4828415297/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 超豪華本 Michael Jackson Vault: A Tribute to the King of Pop 1958-2009
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0794829295/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Jackson, Michael
引退。
先週の『オプラ・ウィンフリー・ショー』への出演に続き、映画『ディス・イズ・イット』の演出、プロデュースをてがけたケニー・オルテガがビルボード誌(電子版)2009年10月20日付けのインタヴューに答えた。
オルテガによると、マイケルは50本のコンサートをやることに大変興奮していた。リハーサルが始まり、死の数日前あたりになると、それまでとはまったく違う「ギア」にシフトして、やる気まんまんになっていた、という。さらに、彼はリハーサルの模様に十分満足しており、ロスでのリハを終えて、ロンドンでのリハを楽しみにしていた。
マイケルがドラッグに依存していたか、との質問にオルテガは、きっぱりと「ノー」と答えた。
さらに続けて彼はこう語る。「これが最後だった。This was it.これがファイナル・カーテン・コールだった。私の考えだが、彼はこれを最後にパフォーマンスすることから引退するつもりだったのではないだろうか。その後、映画製作やその他のことをやるつもりだったのではないか。彼はかつて、これ以上もうパフォーマンスするつもりはない、と言っていた。だから、彼がこうしたことを出来る十分な若さを持っているときに今回のチャンスが訪れた、と思ったんじゃないかな。彼は(自分の)子供のために、そして、ファンのためにやろうと思ったのだろう」
ロンドンでは、記者向けに12分の映画映像が公開された。また、予告編もすでに出ているが、この中でマイケルは「ヒューマン・ネイチャー」のリハーサルをしている。また、12分の映像の中には、「ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール」をダンサーたちと踊っているシーンもあるという。
オルテガは、マイケルがこのコンサートを負債返済のため、あるいはお金のためにやったということは、まったくないと言明している。ただしこの記事を書いた記者は、マイケルには5億ドル(500億円)の負債があったと推定される、としている。また、ソニー・ピクチャーズはこの映像に6000万ドル(約60億円)を支払ったという。6000万ドルは、映画予算としてかなりの規模、ハリウッドの大型映画並だ。ちなみに、『ドリーム・ガールズ』が7500万ドル、『レイ』が4000万ドル、『ブルース・ブラザース2000』は2800万ドル、『キャデラック・レコード』は1200万ドルだ。
この話が本当であれば、マイケルはこのライヴを文字通り「ファイナル・カーテン・コール」にして、引退するつもりだったのかもしれない。
■マイケル・ジャクソン ワックスポエティックス第6号 マイケル特集
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4861134196/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書、西寺郷太著
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4828415297/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 超豪華本 Michael Jackson Vault: A Tribute to the King of Pop 1958-2009
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0794829295/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Jackson, Michael
⊿『ディス・イズ・イット』~ケニー・オルテガ語る / 楽曲はポール・アンカもクレジット入り
2009年10月21日 音楽【This Is It : Paul Anka Gets His Own Credit】
ケニー・オルテガ、『オプラ・ウィンフリー・ショー』に出演
演出家。
今回の『ディス・イズ・イット』のショーの演出などをてがけたケニー・オルテガが、2009年10月16日のテレビ番組『オプラ・ウィンフリー・ショー』に出演し、いろいろ語った。ケニーはマイケルと1984年に知り合っているので、25年の友人、ファミリーだ。インタヴューの中で、ケニーはマイケルの体重を心配し、「ちゃんと食べているか」とマイケルを気にかけていた、という。冷蔵庫には、食べ物やヘルシーなドリンクなども十分に用意されていた。
ケニーはマイケルの死の14時間前まで一緒にいて、その死を知って、大変な衝撃を受け、今回の映画も完成できるとは思わなかった、という。
また、ケニーは「マイケルは彼の半分の年のダンサーたちを凌駕していた。それはあたかも、マイケル自身が音楽のようだった」と振り返る。またマイケルが不眠に悩んでいることも知っており、ケニーはマイケルに「君にはちゃんと睡眠を取ってもらいたいんだ。ちゃんと(体の)管理をしてくれよ」とも言っていた。だがクリエイティヴなことをしていることで、マイケルが覚醒し、元気になっていたのだろう、とも見る。
「この映画を見れば、あなたは彼が死んでるなんて、とても思えなくなるよ」とケニーは言っている。
+++++
■ポール・アンカもクレジット獲得
共作。
先日マイケル・ジャクソンの未発表新曲「ディス・イズ・イット」が公開されたところ、ヴェテラン・シンガーであり、「マイ・ウェイ」などの大ヒットを生み出したソングライターでもあるポール・アンカが、同曲が1983年に彼とマイケルで共作した作品だと主張。それが認められ、マイケルのこの曲を管理していた遺産管財人は、ポール・アンカの名前を急遽楽曲クレジットにいれることになった。
この曲は1983年にポール・アンカの自宅スタジオでデモ・テープが録音された。しかし、この時期、マイケルは、『スリラー』の空前の大ヒットで多忙になり、次作に収録されることもなく、埋もれた。それが後に、1990年、ラテン系のシンガー、サファイアーが歌うことになり、彼女が「アイ・ネヴァー・ハード」とタイトルを変えリリース。それほどのヒットにはいたらなかった。
マイケルの遺産管財人は、多くの未発表テープから、偶然今回のロンドン・ツアーのタイトル「ディス・イズ・イット」と同じものを見つけ、これをデジタル技術などで録音しなおし、マイケルの未発表新曲として世に送り出した。
おそらくマイケルには多数の未発表曲があり、それらは、ものによっては途中までしかできていないもの、あるいは、ほぼ完成しているものなど、さまざまなレヴェルのものがあると思われる。
今回のものがどの程度のものだったかは、わからないが、いずれにせよ、部分をやり直して完成させた。ジャクソンズの兄弟の参加は、まさに今年だから、できたものだろう。もし『スリラー』の次の『バッド』の収録候補曲になったのであれば、ジャクソンズの参加はほぼなかったものと見られる。
+++++
■映画『ディス・イズ・イット』は2009年10月28日午後7時から一般公開。媒体関係者向けの1回だけの試写が16時から行われる。
■ 映画サントラ (映画で使用される楽曲の既存音源を収録。タイトル曲のみ新発表)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002MHA3TM/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>MOVIE>This Is It
ENT>SONG>This Is It
ENT>ARTSIT>Jackson, Michael
ケニー・オルテガ、『オプラ・ウィンフリー・ショー』に出演
演出家。
今回の『ディス・イズ・イット』のショーの演出などをてがけたケニー・オルテガが、2009年10月16日のテレビ番組『オプラ・ウィンフリー・ショー』に出演し、いろいろ語った。ケニーはマイケルと1984年に知り合っているので、25年の友人、ファミリーだ。インタヴューの中で、ケニーはマイケルの体重を心配し、「ちゃんと食べているか」とマイケルを気にかけていた、という。冷蔵庫には、食べ物やヘルシーなドリンクなども十分に用意されていた。
ケニーはマイケルの死の14時間前まで一緒にいて、その死を知って、大変な衝撃を受け、今回の映画も完成できるとは思わなかった、という。
また、ケニーは「マイケルは彼の半分の年のダンサーたちを凌駕していた。それはあたかも、マイケル自身が音楽のようだった」と振り返る。またマイケルが不眠に悩んでいることも知っており、ケニーはマイケルに「君にはちゃんと睡眠を取ってもらいたいんだ。ちゃんと(体の)管理をしてくれよ」とも言っていた。だがクリエイティヴなことをしていることで、マイケルが覚醒し、元気になっていたのだろう、とも見る。
「この映画を見れば、あなたは彼が死んでるなんて、とても思えなくなるよ」とケニーは言っている。
+++++
■ポール・アンカもクレジット獲得
共作。
先日マイケル・ジャクソンの未発表新曲「ディス・イズ・イット」が公開されたところ、ヴェテラン・シンガーであり、「マイ・ウェイ」などの大ヒットを生み出したソングライターでもあるポール・アンカが、同曲が1983年に彼とマイケルで共作した作品だと主張。それが認められ、マイケルのこの曲を管理していた遺産管財人は、ポール・アンカの名前を急遽楽曲クレジットにいれることになった。
この曲は1983年にポール・アンカの自宅スタジオでデモ・テープが録音された。しかし、この時期、マイケルは、『スリラー』の空前の大ヒットで多忙になり、次作に収録されることもなく、埋もれた。それが後に、1990年、ラテン系のシンガー、サファイアーが歌うことになり、彼女が「アイ・ネヴァー・ハード」とタイトルを変えリリース。それほどのヒットにはいたらなかった。
マイケルの遺産管財人は、多くの未発表テープから、偶然今回のロンドン・ツアーのタイトル「ディス・イズ・イット」と同じものを見つけ、これをデジタル技術などで録音しなおし、マイケルの未発表新曲として世に送り出した。
おそらくマイケルには多数の未発表曲があり、それらは、ものによっては途中までしかできていないもの、あるいは、ほぼ完成しているものなど、さまざまなレヴェルのものがあると思われる。
今回のものがどの程度のものだったかは、わからないが、いずれにせよ、部分をやり直して完成させた。ジャクソンズの兄弟の参加は、まさに今年だから、できたものだろう。もし『スリラー』の次の『バッド』の収録候補曲になったのであれば、ジャクソンズの参加はほぼなかったものと見られる。
+++++
■映画『ディス・イズ・イット』は2009年10月28日午後7時から一般公開。媒体関係者向けの1回だけの試写が16時から行われる。
■ 映画サントラ (映画で使用される楽曲の既存音源を収録。タイトル曲のみ新発表)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002MHA3TM/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>MOVIE>This Is It
ENT>SONG>This Is It
ENT>ARTSIT>Jackson, Michael
△加藤和彦さん死去~人生の美学と無常
2009年10月20日 音楽 コメント (2)△加藤和彦さん死去
【Kazuhiko Kato Dies At 62】
美学。
加藤和彦さんが2009年10月16(17)日、軽井沢のホテルで亡くなった。62歳。死因は自殺。
加藤さんは僕は個人的には面識はないが、お見かけしたことは何度かある。飯倉のキャンティあたりだったと記憶している。インテリでおしゃれで、なんでもかっこいい、という雰囲気だ。個人的に面識はないのだが、ここ1-2日、なぜ自殺なんかしたんだろう、と頭の中が混乱している。
今回の死をきっかけに彼の足跡がさまざまなメディアで紹介されていた。で、ふと思ったのが、なんとなくジョン・レノンっぽいなあ、ということ。元々アングラから出発し、今で言うオルタナティヴ・カルチャー(傍流・対抗文化、カウンター・カルチャー)のメインストリーム(!)を堂々と歩んで来た。前にやったことを繰り返すのが嫌いで、革新的で、それで独特の美学を持っている。
当初新聞などの報道で軽井沢のホテルと報道されていて、「ホテルってどこだろう」と友人に訊かれたので、すぐに「万平じゃないの」と答えた。それも僕の中で加藤さんとジョン・レノンあたりがどこかで無意識につながっている理由かもしれない。
飯倉キャンティでよく見かけた伊丹十三さんも別の理由で自殺している。インテリで独自の美学を持っていた2人にも、理由はないが僕はなぜかかぶるものを感じる。
1967年、深夜放送(僕は「オールナイト・ニッポン」)で聴いた「帰ってきたヨッパライ」は強烈だった。当時父親が英語のレッスン用に買ったオープンリールのテープレコーダーを勝手に借りて、録音した。それから自分で自分の声を録音して、テープの再生速度を倍にして聴いて、同じような声になるのが、本当におもしろかった。
アーティストとしてやることがなくなった、というコメントが紹介されているが、人間を辞めるのではなく、ただアーティストを辞めることはできないのかと思う。スポーツ選手は、自分の限界を知って引退するが、まさかそれで自殺はしない。行き詰ったら、アーティストも引退して、その後は悠々自適に暮らせばいいのではないだろうか。でも、出来ないんだろうなあ…。才能がある人ほど。才能がある人が自殺をするのって「悲しくてやりきれない」。なによりも、もったいないと思う。「オラは死んじまっただ~やっと天国の門についただ~」と歌う「帰ってきたヨッパライ」は、最後は生き返るのだが、加藤さんは生き返らない。
自殺が、彼にとっての最後の美学だったのだろうか。僕にはそうは思えない。そこまで思考できずに、煮詰まって、それでもある程度考えて、自ら決断したのだろう。これはかなわぬが、もし加藤さんに何か言えるとしたら、「それ(自殺)は、あなたの美学にあっていますか」と問いたい。
そして、これから自殺を考える人にはこう言いたい。「あなたを必要としていると思う人が、この世にたった一人でもいる限り、あなたは自ら死んではいけない」 それでも人間というのは、その生の中にあらゆる矛盾を孕(はら)んでいるものだ。人生無常なり。
■ ベストもの
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005GM85/soulsearchiho-22/ref=nosim/
OBITUARY>Kato, Kazuhiko (March 21, 1947 - October 16(17),2009, 62 year-old)
【Kazuhiko Kato Dies At 62】
美学。
加藤和彦さんが2009年10月16(17)日、軽井沢のホテルで亡くなった。62歳。死因は自殺。
加藤さんは僕は個人的には面識はないが、お見かけしたことは何度かある。飯倉のキャンティあたりだったと記憶している。インテリでおしゃれで、なんでもかっこいい、という雰囲気だ。個人的に面識はないのだが、ここ1-2日、なぜ自殺なんかしたんだろう、と頭の中が混乱している。
今回の死をきっかけに彼の足跡がさまざまなメディアで紹介されていた。で、ふと思ったのが、なんとなくジョン・レノンっぽいなあ、ということ。元々アングラから出発し、今で言うオルタナティヴ・カルチャー(傍流・対抗文化、カウンター・カルチャー)のメインストリーム(!)を堂々と歩んで来た。前にやったことを繰り返すのが嫌いで、革新的で、それで独特の美学を持っている。
当初新聞などの報道で軽井沢のホテルと報道されていて、「ホテルってどこだろう」と友人に訊かれたので、すぐに「万平じゃないの」と答えた。それも僕の中で加藤さんとジョン・レノンあたりがどこかで無意識につながっている理由かもしれない。
飯倉キャンティでよく見かけた伊丹十三さんも別の理由で自殺している。インテリで独自の美学を持っていた2人にも、理由はないが僕はなぜかかぶるものを感じる。
1967年、深夜放送(僕は「オールナイト・ニッポン」)で聴いた「帰ってきたヨッパライ」は強烈だった。当時父親が英語のレッスン用に買ったオープンリールのテープレコーダーを勝手に借りて、録音した。それから自分で自分の声を録音して、テープの再生速度を倍にして聴いて、同じような声になるのが、本当におもしろかった。
アーティストとしてやることがなくなった、というコメントが紹介されているが、人間を辞めるのではなく、ただアーティストを辞めることはできないのかと思う。スポーツ選手は、自分の限界を知って引退するが、まさかそれで自殺はしない。行き詰ったら、アーティストも引退して、その後は悠々自適に暮らせばいいのではないだろうか。でも、出来ないんだろうなあ…。才能がある人ほど。才能がある人が自殺をするのって「悲しくてやりきれない」。なによりも、もったいないと思う。「オラは死んじまっただ~やっと天国の門についただ~」と歌う「帰ってきたヨッパライ」は、最後は生き返るのだが、加藤さんは生き返らない。
自殺が、彼にとっての最後の美学だったのだろうか。僕にはそうは思えない。そこまで思考できずに、煮詰まって、それでもある程度考えて、自ら決断したのだろう。これはかなわぬが、もし加藤さんに何か言えるとしたら、「それ(自殺)は、あなたの美学にあっていますか」と問いたい。
そして、これから自殺を考える人にはこう言いたい。「あなたを必要としていると思う人が、この世にたった一人でもいる限り、あなたは自ら死んではいけない」 それでも人間というのは、その生の中にあらゆる矛盾を孕(はら)んでいるものだ。人生無常なり。
■ ベストもの
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005GM85/soulsearchiho-22/ref=nosim/
OBITUARY>Kato, Kazuhiko (March 21, 1947 - October 16(17),2009, 62 year-old)
☆ビヨンセ・ライヴ~『アイ・アム…ツアー』絶好調
2009年10月19日 音楽Beyonce Live: I Am...Tour
絶好調。
2007年4月東京ドーム以来約2年6ヶ月ぶりのビヨンセのライヴ。前回ライヴ評で「これまでのブラック・エンタテインメントの歴史、もっているものすべてをここにつぎ込み、しかも、自分のものに消化している。ジェームス・ブラウンが開墾した道、マイケルが舗装した道、ジャネットが拡張した道、マドンナが通った道、それらの道をさらにビヨンセは未来へ向けて広げ、開拓している」と書いたが、その感想、本質はまったく変わらない。これに書き忘れたティナ・ターナーを加え、そして、「やるべきことをきっちりとやっているアーティスト」という言葉も加えたい。
白と赤の衣装を着たダンサーを従えて登場したスーパースター日本最終公演。さいたまスーパーアリーナの、アリーナ部分は前方がVIPシートで、後ろはスタンディング。3階以外は2階までほぼ満席。さすがにビヨンセだけに女性ファンの方が多かった。
『アイ・アム・・・ツアー』は2009年3月からスタートし、ヨーロッパ、北米、オーストラリア、アジア、アフリカなどを回り計100本のライヴをこなすという大規模ツアー。2009年11月まで続く。10月1日までで、5300万ドル以上の売り上げを記録しているという。
それにしてもステージ・プロダクションはハンパではない。ステージバックのLEDライトと思えるパネルは、色だけでなくビデオ・モニターにもなり、2時間のショーの間中休むひまなく、何かを映し出す。席がステージからかなり遠かったので結局、その正面のモニターばかりを見てしまった。なにしろ、次々と趣向を凝らした演出があるので、歌を聴くより、そうした仕掛けに目を奪われてしまう。
バンドは、ドラムス2人、キーボード2人、ギター、ベース、パーカッション、コーラス3人、ホーンが3人、ダンサーが6人プラス多数という編成。アシスタント・ミュージカル・ディレクター兼キーボードの辻利恵さんは日本人。ビヨンセの歌声は力強く、スーパーアリーナの広さ、ものともせずという感じだったが、途中のMCでのしゃべり声はけっこうかすれていて、ツアーの疲れでもでたか。
観客の持つペンライトがアリーナではかなり振られ、上から見ていると実に綺麗。ビヨンセを見ていると、21世紀のマイケル・ジャクソン的なポジションを狙っているかのようにも思える。歌と踊りと仕掛け、3拍子が揃う。「フリーカム・ドレス」は、マイケルの「ビート・イット」を思わせるロック・ギターをフィーチャー、「ディーヴァ」のストップ・モーションは、マイケルの「シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ」あたりのストップを彷彿とさせる。
映像とパフォーマンスはどれも印象的だが、前半の「スマッシュ・イントゥ・ユー」での海の中の映像とのコラボは、まるでビヨンセが海の中で歌っているかのよう。
後半は、アリーナ中央に作られたいわゆるBステージに移動。照明が一瞬暗くなり、ライトがついた瞬間、ビヨンセがBステージに立っていた。サプライズ。BステージからAステージに戻る時は、観客の間の通路を小走りに行くために、ファンがどっと押し寄せ、手を伸ばす。
映画『キャデラック・レコード』からの「アット・ラスト」は、彼女がオバマ大統領夫妻の前で歌ったときのシーンを使ったり、『ドリームガールズ』の「リッスン」はその映像も使う。
最後アンコールで、マイケル・ジャクソンへのトリビュート・ソング「フォーエヴァー・ヤング・マイケル」というしっとりとしたバラードを歌ったが、これは彼女がマイケルのために書き下ろしたもの。多くのブラック系アーティストが過去3ヶ月マイケル・トリビュートをやっているが、それらはみなマイケル楽曲を演奏していた。ビヨンセ・クラスのアーティストがマイケルのために新曲を書き下ろしたのは初めてだ。
全米では8月にラス・ヴェガスで収録されたこのツアーの模様が2009年11月にDVDとしてリリースされる。
(この項続く)
■アイ・アム... サーシャ・フィアース プラチナム・エディション(期間生産限定盤)(DVD付)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002IUBFTK/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ビヨンセ過去記事
April 11, 2007
Beyonce Rock The Dome: Dangerously In Live
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070411.html
(前回来日ライヴ評)
April 12, 2007
【ビヨンセがステージにいる瞬間、瞬きはするな】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070412.html
April 13, 2007
【ビヨンセ~『ドリームガールズ』】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070413.html
August 11, 2009
ビヨンセが映画『キャデラック・レコード』で歌う3曲
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10318565402.html
September 05, 2006
Beyonce: B’Day Party
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200609/2006_09_05.html
April 16, 2005
Past, Present & Future Of R&B: Destiny’s Child Live
http://blog.soulsearchin.com/archives/000042.html
デスティニー・チャイルド(Destiny Child) 前回ライヴ評
「“デスティニーズ・チャイルド=運命の子供”の正体」(2001年6月)
http://www.barks.jp/feature/?id=52247987
December 20, 2006
Musical Movie "Dreamgirls": Born In 1981
【映画『ドリームガールズ』~1981年に生まれて】
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200612/2006_12_20.html
December 22, 2006
"Dreamgirls"(Part 2) : Between Fiction And Non-Fiction
(12月20日付け日記の続き)
【フィクションとノンフィクションの間で】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_12_22.html
■セットリスト: ビヨンセ @ さいたまスーパーアリーナ 2009年10月18日
Setlist: Beyonce @ Saitama Super Arena
(to be completed)
show started 16:50
01. Intro
02. Deja Vu / Crazy In Love (A riff of "Get On The Good Foot")
03. Naughty Girl (Including "Love To Love You Baby")
04. Freakum Dress
05. Get Me Bodied
06. Smash Into U
07. Ave Maria - Arms Of The Angel - Ave Maria
08. Broken Hearted Girl
09. If I Were A Boy
--. Robot Music Video
10. Diva
11. Radio
12. Ego
13. Hello
14. Bass Solo (A riff of "Billie Jean", "Workin’ Day & Night", classical piano riff)
--. (BGV Moment) ("Love Hangover")
--. (Sasha Coin Toss Video)
>> B stage
15. Baby Boy
16. Irreplaceable
17. Check On It
18. Bootylicious / Bug A Boo / Jumpin’ Jumpin’ / Upgrade U
19. Video Phone
20. Say My Name
>>A Stage
21. Independent Woman / Bills Bills Bills / No No No / Beautiful Liar / Survivor
22. At Last
23. Listen
24. Singles Ladies
Enc.1. Halo
Enc.2. Forever Young, Michael
--. Happy Birthday
show ended 18:52
(2009年10月18日日曜、さいたまスーパーアリーナ=ビヨンセ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Beyonce
絶好調。
2007年4月東京ドーム以来約2年6ヶ月ぶりのビヨンセのライヴ。前回ライヴ評で「これまでのブラック・エンタテインメントの歴史、もっているものすべてをここにつぎ込み、しかも、自分のものに消化している。ジェームス・ブラウンが開墾した道、マイケルが舗装した道、ジャネットが拡張した道、マドンナが通った道、それらの道をさらにビヨンセは未来へ向けて広げ、開拓している」と書いたが、その感想、本質はまったく変わらない。これに書き忘れたティナ・ターナーを加え、そして、「やるべきことをきっちりとやっているアーティスト」という言葉も加えたい。
白と赤の衣装を着たダンサーを従えて登場したスーパースター日本最終公演。さいたまスーパーアリーナの、アリーナ部分は前方がVIPシートで、後ろはスタンディング。3階以外は2階までほぼ満席。さすがにビヨンセだけに女性ファンの方が多かった。
『アイ・アム・・・ツアー』は2009年3月からスタートし、ヨーロッパ、北米、オーストラリア、アジア、アフリカなどを回り計100本のライヴをこなすという大規模ツアー。2009年11月まで続く。10月1日までで、5300万ドル以上の売り上げを記録しているという。
それにしてもステージ・プロダクションはハンパではない。ステージバックのLEDライトと思えるパネルは、色だけでなくビデオ・モニターにもなり、2時間のショーの間中休むひまなく、何かを映し出す。席がステージからかなり遠かったので結局、その正面のモニターばかりを見てしまった。なにしろ、次々と趣向を凝らした演出があるので、歌を聴くより、そうした仕掛けに目を奪われてしまう。
バンドは、ドラムス2人、キーボード2人、ギター、ベース、パーカッション、コーラス3人、ホーンが3人、ダンサーが6人プラス多数という編成。アシスタント・ミュージカル・ディレクター兼キーボードの辻利恵さんは日本人。ビヨンセの歌声は力強く、スーパーアリーナの広さ、ものともせずという感じだったが、途中のMCでのしゃべり声はけっこうかすれていて、ツアーの疲れでもでたか。
観客の持つペンライトがアリーナではかなり振られ、上から見ていると実に綺麗。ビヨンセを見ていると、21世紀のマイケル・ジャクソン的なポジションを狙っているかのようにも思える。歌と踊りと仕掛け、3拍子が揃う。「フリーカム・ドレス」は、マイケルの「ビート・イット」を思わせるロック・ギターをフィーチャー、「ディーヴァ」のストップ・モーションは、マイケルの「シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ」あたりのストップを彷彿とさせる。
映像とパフォーマンスはどれも印象的だが、前半の「スマッシュ・イントゥ・ユー」での海の中の映像とのコラボは、まるでビヨンセが海の中で歌っているかのよう。
後半は、アリーナ中央に作られたいわゆるBステージに移動。照明が一瞬暗くなり、ライトがついた瞬間、ビヨンセがBステージに立っていた。サプライズ。BステージからAステージに戻る時は、観客の間の通路を小走りに行くために、ファンがどっと押し寄せ、手を伸ばす。
映画『キャデラック・レコード』からの「アット・ラスト」は、彼女がオバマ大統領夫妻の前で歌ったときのシーンを使ったり、『ドリームガールズ』の「リッスン」はその映像も使う。
最後アンコールで、マイケル・ジャクソンへのトリビュート・ソング「フォーエヴァー・ヤング・マイケル」というしっとりとしたバラードを歌ったが、これは彼女がマイケルのために書き下ろしたもの。多くのブラック系アーティストが過去3ヶ月マイケル・トリビュートをやっているが、それらはみなマイケル楽曲を演奏していた。ビヨンセ・クラスのアーティストがマイケルのために新曲を書き下ろしたのは初めてだ。
全米では8月にラス・ヴェガスで収録されたこのツアーの模様が2009年11月にDVDとしてリリースされる。
(この項続く)
■アイ・アム... サーシャ・フィアース プラチナム・エディション(期間生産限定盤)(DVD付)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002IUBFTK/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ビヨンセ過去記事
April 11, 2007
Beyonce Rock The Dome: Dangerously In Live
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070411.html
(前回来日ライヴ評)
April 12, 2007
【ビヨンセがステージにいる瞬間、瞬きはするな】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070412.html
April 13, 2007
【ビヨンセ~『ドリームガールズ』】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070413.html
August 11, 2009
ビヨンセが映画『キャデラック・レコード』で歌う3曲
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10318565402.html
September 05, 2006
Beyonce: B’Day Party
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200609/2006_09_05.html
April 16, 2005
Past, Present & Future Of R&B: Destiny’s Child Live
http://blog.soulsearchin.com/archives/000042.html
デスティニー・チャイルド(Destiny Child) 前回ライヴ評
「“デスティニーズ・チャイルド=運命の子供”の正体」(2001年6月)
http://www.barks.jp/feature/?id=52247987
December 20, 2006
Musical Movie "Dreamgirls": Born In 1981
【映画『ドリームガールズ』~1981年に生まれて】
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200612/2006_12_20.html
December 22, 2006
"Dreamgirls"(Part 2) : Between Fiction And Non-Fiction
(12月20日付け日記の続き)
【フィクションとノンフィクションの間で】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_12_22.html
■セットリスト: ビヨンセ @ さいたまスーパーアリーナ 2009年10月18日
Setlist: Beyonce @ Saitama Super Arena
(to be completed)
show started 16:50
01. Intro
02. Deja Vu / Crazy In Love (A riff of "Get On The Good Foot")
03. Naughty Girl (Including "Love To Love You Baby")
04. Freakum Dress
05. Get Me Bodied
06. Smash Into U
07. Ave Maria - Arms Of The Angel - Ave Maria
08. Broken Hearted Girl
09. If I Were A Boy
--. Robot Music Video
10. Diva
11. Radio
12. Ego
13. Hello
14. Bass Solo (A riff of "Billie Jean", "Workin’ Day & Night", classical piano riff)
--. (BGV Moment) ("Love Hangover")
--. (Sasha Coin Toss Video)
>> B stage
15. Baby Boy
16. Irreplaceable
17. Check On It
18. Bootylicious / Bug A Boo / Jumpin’ Jumpin’ / Upgrade U
19. Video Phone
20. Say My Name
>>A Stage
21. Independent Woman / Bills Bills Bills / No No No / Beautiful Liar / Survivor
22. At Last
23. Listen
24. Singles Ladies
Enc.1. Halo
Enc.2. Forever Young, Michael
--. Happy Birthday
show ended 18:52
(2009年10月18日日曜、さいたまスーパーアリーナ=ビヨンセ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Beyonce
◎ソウル・バー・エクセロ35周年記念パーティー、11月に開催
2009年10月18日 音楽【Soul Bar Shizuoka-Ya/Excello Will Celebrate 35th Anniversary】
35周年。
現状でワン・オーナーで続くソウル・バーとしては日本最古の下北沢「しずおか屋・エクセロ」が1974年のオープンからちょうど35周年となる今年、35周年記念パーティーを下北沢のライヴハウス、440(フォーフォーティー)で2009年11月3日に行う。
エクセロがオープンして10周年のころは、ちょくちょくそうした周年パーティーを開催していたが、最近はあまりやっていなかった、という。この35周年は、20周年をやって以来15年ぶりのパーティー。今回は、吉岡正晴が司会を担当、お店のオーナー、富田さんとその友人のバンド演奏、ゲストとのトーク・パートなどもある盛りだくさんのパーティーになる模様。また、エクセロの過去35年にわたる常連さんなども参加する、という。初期のエクセロには、鈴木雅之率いるシャネルズのメンバーなどもよく来ていた。
パーティーに関する詳細は下記参照。
■エクセロ・しずおか屋に関する過去記事
January 26, 2006
Excello/Shizuoka Ya @ Shimokitazawa: Soul Oden Restaurant
【しずおか屋~下北沢のソウル・おでん屋】
http://blog.soulsearchin.com/archives/000795.html
2003/04/03 (Thu)
As the boy, so the man
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200304/diary20030403-1.html
2003/12/19 (Fri)
Synchronicity @ Shizuoka-Ya & Little Soul Cafe
http://www.soulsearchin.com/entertainment/soulbars/diary20031219.html
■EXCELLO しずおか屋 (エクセロ しずおかや)
住所: 東京都世田谷区北沢2-6-6 澤田ビル202
電話: 03-3465-6154
営業時間: 18:00~24:00
定休日: 日曜 (祭日は営業)
行きかた: 下北沢駅南口より徒歩約3分
(現在の場所には2005年4月移転。)
◎エクセロ35周年パーティー
概要 EXCELLO 35th Anniversary Party
日時 :2009年11月3日(火)開場18時30分 開演19時30分
出演バンド:Excello Unlimited
MC :吉岡正晴
ゲスト:EXCELLOを愛し続けて下さっている皆様
マーヴィン・ゲイが被っていたニット帽
場所 :下北沢ライヴハウス440
世田谷区代沢5-29-15SYビル1F 03-3422-9440
チケット:前売り2800円 当日3500円 (2ドリンク付き)
前売りは「EXCELLO しずおか屋」にて発売中
お問い合わせは03-3465-6154 冨田まで。
EVENT>ANNOUNCEMENT>Excello
35周年。
現状でワン・オーナーで続くソウル・バーとしては日本最古の下北沢「しずおか屋・エクセロ」が1974年のオープンからちょうど35周年となる今年、35周年記念パーティーを下北沢のライヴハウス、440(フォーフォーティー)で2009年11月3日に行う。
エクセロがオープンして10周年のころは、ちょくちょくそうした周年パーティーを開催していたが、最近はあまりやっていなかった、という。この35周年は、20周年をやって以来15年ぶりのパーティー。今回は、吉岡正晴が司会を担当、お店のオーナー、富田さんとその友人のバンド演奏、ゲストとのトーク・パートなどもある盛りだくさんのパーティーになる模様。また、エクセロの過去35年にわたる常連さんなども参加する、という。初期のエクセロには、鈴木雅之率いるシャネルズのメンバーなどもよく来ていた。
パーティーに関する詳細は下記参照。
■エクセロ・しずおか屋に関する過去記事
January 26, 2006
Excello/Shizuoka Ya @ Shimokitazawa: Soul Oden Restaurant
【しずおか屋~下北沢のソウル・おでん屋】
http://blog.soulsearchin.com/archives/000795.html
2003/04/03 (Thu)
As the boy, so the man
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200304/diary20030403-1.html
2003/12/19 (Fri)
Synchronicity @ Shizuoka-Ya & Little Soul Cafe
http://www.soulsearchin.com/entertainment/soulbars/diary20031219.html
■EXCELLO しずおか屋 (エクセロ しずおかや)
住所: 東京都世田谷区北沢2-6-6 澤田ビル202
電話: 03-3465-6154
営業時間: 18:00~24:00
定休日: 日曜 (祭日は営業)
行きかた: 下北沢駅南口より徒歩約3分
(現在の場所には2005年4月移転。)
◎エクセロ35周年パーティー
概要 EXCELLO 35th Anniversary Party
日時 :2009年11月3日(火)開場18時30分 開演19時30分
出演バンド:Excello Unlimited
MC :吉岡正晴
ゲスト:EXCELLOを愛し続けて下さっている皆様
マーヴィン・ゲイが被っていたニット帽
場所 :下北沢ライヴハウス440
世田谷区代沢5-29-15SYビル1F 03-3422-9440
チケット:前売り2800円 当日3500円 (2ドリンク付き)
前売りは「EXCELLO しずおか屋」にて発売中
お問い合わせは03-3465-6154 冨田まで。
EVENT>ANNOUNCEMENT>Excello
○メイズ・フィーチャリング・フランキー・ビヴァリー
2009年10月17日 音楽【Maze Featuring Frankie Beverly】
旋風。
まさに、メイズ旋風と言っていいかもしれない。15年ぶりの来日を果たしたメイズは東京ソウル・シーンに大きなインパクトを与えっていった。
ウェッブ・マガジンに、ちょっとしたライヴ評が掲載されたのでご紹介。↓
http://openers.jp/culture/COTTON_CLUB/Maze03.html
フランキーやメンバーには最終日ライヴ後に、少しだけゆっくり会って話ができた。メイズのアナログのアルバムを何枚かもっていき、サインなどを頼んだ。
昔のジャケット内に収められていた写真と同じポーズ↓
(写真1)
(写真はアメブロをご覧ください)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20091017.html
さすがに30年近い年月が経っているが、ほとんど変わらない笑顔。ト音記号のイヤリングは変わらず。
最初に撮った写真は白い帽子が、まるで後光が差しているかのように映った。それを見せたら、すぐに黒い帽子で撮り直そうと言ってくれた。↓
(写真2=後光が差すフランキー)↓
(写真3=これなら、OK? フランキー)↓
「ところで、『シルキー・ソウル』とか、今回セットリストに入ってなかったですよねえ…」というと、「おお、そうだな、じゃあ、次回来るときにはやるよ」
フランキーは、「東京」と書かれたTシャツをご愛用。成田空港か、浅草で買ったのかなあ。(笑) 彼はけっこう和食が好きで、お寿司も食べる。それと、ウナギが大好物。ソウル・フードと近いものを感じるのだろうか。
メイズに関するブログ。
人見氏が長文のライヴ評↓(パート1と2)
http://hit2japan.exblog.jp/9032962/#9032962_1
ちなみに、東京のメイズの案内人、フィリップ・ウーは、彼ら御一行が無事帰途についた後、熱を出して、1~2日、寝込んだそうだ。(笑) いや、笑えない。おつかれさま~フィリップ。
フィリップがインタヴューされているときのブログ。フィリップのブログ↓
http://blog.goo.ne.jp/philipwoo/e/e3b05e8e189b7688b516bd34b7995b0f
初日の様子(以下、数日にわたってでています)
http://blog.goo.ne.jp/philipwoo/d/20090922
ENT>MUSIC>ARTIST>Beverly, Frankie & Maze
旋風。
まさに、メイズ旋風と言っていいかもしれない。15年ぶりの来日を果たしたメイズは東京ソウル・シーンに大きなインパクトを与えっていった。
ウェッブ・マガジンに、ちょっとしたライヴ評が掲載されたのでご紹介。↓
http://openers.jp/culture/COTTON_CLUB/Maze03.html
フランキーやメンバーには最終日ライヴ後に、少しだけゆっくり会って話ができた。メイズのアナログのアルバムを何枚かもっていき、サインなどを頼んだ。
昔のジャケット内に収められていた写真と同じポーズ↓
(写真1)
(写真はアメブロをご覧ください)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20091017.html
さすがに30年近い年月が経っているが、ほとんど変わらない笑顔。ト音記号のイヤリングは変わらず。
最初に撮った写真は白い帽子が、まるで後光が差しているかのように映った。それを見せたら、すぐに黒い帽子で撮り直そうと言ってくれた。↓
(写真2=後光が差すフランキー)↓
(写真3=これなら、OK? フランキー)↓
「ところで、『シルキー・ソウル』とか、今回セットリストに入ってなかったですよねえ…」というと、「おお、そうだな、じゃあ、次回来るときにはやるよ」
フランキーは、「東京」と書かれたTシャツをご愛用。成田空港か、浅草で買ったのかなあ。(笑) 彼はけっこう和食が好きで、お寿司も食べる。それと、ウナギが大好物。ソウル・フードと近いものを感じるのだろうか。
メイズに関するブログ。
人見氏が長文のライヴ評↓(パート1と2)
http://hit2japan.exblog.jp/9032962/#9032962_1
ちなみに、東京のメイズの案内人、フィリップ・ウーは、彼ら御一行が無事帰途についた後、熱を出して、1~2日、寝込んだそうだ。(笑) いや、笑えない。おつかれさま~フィリップ。
フィリップがインタヴューされているときのブログ。フィリップのブログ↓
http://blog.goo.ne.jp/philipwoo/e/e3b05e8e189b7688b516bd34b7995b0f
初日の様子(以下、数日にわたってでています)
http://blog.goo.ne.jp/philipwoo/d/20090922
ENT>MUSIC>ARTIST>Beverly, Frankie & Maze
◆グレイト・ストーリーテラー、リオン・ウェアはノンストップでしゃべる
2009年10月16日 音楽【Leon Ware Is Talking, Talking, Talking...】
語り部。
8月末(2009年8月20日木曜から23日日曜)のリオン・ウェアの来日、公演はソウル・ファンの間で大きな話題になった。2002年11月、大阪・福岡ブルーノートでのライヴ以来約7年ぶりの来日、しかも東京地区は初ということで注目された。
そこでソウル・サーチンでもインタヴューをオファー。土曜(8月22日)本番前にインタヴューする機会に恵まれた。すこし遅くなったが、やっとテープ起こしの一部ができたのでご紹介しよう。
もろもろのセッティング中、前説。「実はあなたには勝手に親しみを感じてるんです。あなたは2月16日生まれですよね」 「ああ、そうだよ」 「僕も2月16日なんですよ」というと、「おおっ、ホントか。えーと、アート・スチュワート知ってるか? モータウンのエンジニア、彼も2月16日だよ。あと、もう一人いたんだが…、だれだっけかな」 「ジェームス・イングラム!」 「ああ、知ってる、彼とは話したことがある。もうひとりいた…。思いだせん」 「テニスのジョン・マッケンローもそうです」 「おお、そうか…。もうひとり。おい、もうひとり誰だっけ…(とアシスタントの息子に尋ねる)」
そして、インタヴューは粛々と始まった。僕が彼に、ありきたりだが、基本的な質問をなげかけた。「あなたとモータウンとの最初のかかわりを教えてください。どのようにモータウンに入ったのですか」
「ウェル…」と言い、姿勢を正しながら彼がゆっくり話し始めた。「ベリー・ゴーディーと知り合ったのは、私が17歳(1957年)のとき、彼がまだモータウンを作るまえのことだった。彼がプロデューサーで、私はシンガーという立場だった。彼が私をプロデュースしたんだ。それは、レコードとしては世にでなかったけどね。それはそれで一旦終わるんだけど、それから3年くらい後かな、ハイスクールの同級生とばったり会ってね、彼が、今、モータウンというところで曲を書いたりしているんだ。一度、遊びに来ないか、と誘ってくれた。それがラモント・ドジャーだ。そのときにはすぐには行かなかったけど、後で行って、いろいろやりだすことになった。モータウンと実際契約するのは、1959年、いや、60年代に入ってかな、1962年だったと思う。それからモータウンには2年ほど在籍した。1964年に去るんだがその年の終わりに、私はアイズレー・ブラザーズの「ガット・トゥ・ハヴ・ユー・バック」で初めてのゴールド・レコードを手に入れるんだ…」 (訳注、この曲は1967年5月からヒットし、ソウル・チャートで47位、ポップ・チャートで93位を記録。このあたりは、若干、年号などで本人の記憶違いもあるかもしれない。なにしろ40年以上前のことだからしかたない。あるいはレコーディングは1964年に行われ、シングルリリース、ヒットが3年後の1967年だったのかもしれない。ここは要再調査だ。またここでリオンが言うゴールド・レコードは、最初の大ヒット曲、くらいのニュアンスだろう)
「あの頃、1曲、いや何曲かマーヴィン用に作った。あの時代はとても実りのある時期だった。何曲書いたかはわからないが、1967年、私はロスアンジェルスに引っ越す。モータウンも1965年か1966年ごろ、(一部のオペレーションを)ロスアンジェルスに移し始める。(訳注、実際の正式な本部の引越しは1972年。それまでに一部スタッフなどがロスに出向き、レコーディングなどを始めていた) その頃、またモータウンで曲を書き出した。ダイアナ・ロスの弟のアーサー・T・ロスと知り合って、一緒に曲を書くようになり始めた。1971年頃かな。姉(=ダイアナ・ロス)が私に弟に協力してあげてというので、いろいろ一緒にやるようになった。1曲書いて、また書いて、一緒にやって4曲目に出来たのが『アイ・ウォント・ユー』だった。それを作っている間に、ベリー・ゴーディーがスタジオにやってきた。これはとても珍しいことなんだ。彼はとても協力的で、父親のように、(僕たちのことを)いろいろ気にかけてくれた。そこで、デモの『アイ・ウォント・ユー』を聴かせた。彼はそれを聴くと、「すごい、気に入った。これはマーヴィン・ゲイにいいんじゃないか。このテープをくれ」と言った。それから3日後、テープを聴いたマーヴィンはものすごくこの曲を気に入ったんだ…。その後私とマーヴィンは実際に会う。彼は1歳僕より年上なんだが、会ってみるとものすごく波長があった。私たちは、同じような趣味を持っていた。実際に彼に会う2年くらい前から共通の友人が、『君とマーヴィンはよく似ている』なんてよく言われていたんだ。『君は、マーヴィンみたいだ』とかね。そういうのは珍しかった。音楽の趣味も、人生に対する考え方も、女性に対しても(笑)、セックスも(笑)、嗜好が似ていた。とても兄弟みたいに近しい存在だった…」
僕はただただ彼が語る話に「フンフン…」とうなずくだけ。リオンはただひたすらしゃべる。そして30分以上過ぎただろうか。リオンが言った。「ああ、そうだ、私はしゃべりだすと、必要のないことまでしゃべってしまい、話が質問からそれてしまうようなことがよくあるんだ。いつでも、私の話をさえぎって、話を正しい方向に持ってってくれていいんだよ」
おっと・・・。(苦笑) もうその時点で、僕の持ち時間はほとんどなくなっていたのだ。
ということで、この続きはまた近いうちに。
■レオン・ウェアがよくしゃべる映像 (英語)(レッドブルがスポンサードしているトーク・セッション)
http://www.redbullmusicacademy.com/video-archive/lectures/leon_ware__come_with_me_angels
約1時間半にわたって、いろいろなことを話します。
ENT>INTERVIEW>Ware, Leon
語り部。
8月末(2009年8月20日木曜から23日日曜)のリオン・ウェアの来日、公演はソウル・ファンの間で大きな話題になった。2002年11月、大阪・福岡ブルーノートでのライヴ以来約7年ぶりの来日、しかも東京地区は初ということで注目された。
そこでソウル・サーチンでもインタヴューをオファー。土曜(8月22日)本番前にインタヴューする機会に恵まれた。すこし遅くなったが、やっとテープ起こしの一部ができたのでご紹介しよう。
もろもろのセッティング中、前説。「実はあなたには勝手に親しみを感じてるんです。あなたは2月16日生まれですよね」 「ああ、そうだよ」 「僕も2月16日なんですよ」というと、「おおっ、ホントか。えーと、アート・スチュワート知ってるか? モータウンのエンジニア、彼も2月16日だよ。あと、もう一人いたんだが…、だれだっけかな」 「ジェームス・イングラム!」 「ああ、知ってる、彼とは話したことがある。もうひとりいた…。思いだせん」 「テニスのジョン・マッケンローもそうです」 「おお、そうか…。もうひとり。おい、もうひとり誰だっけ…(とアシスタントの息子に尋ねる)」
そして、インタヴューは粛々と始まった。僕が彼に、ありきたりだが、基本的な質問をなげかけた。「あなたとモータウンとの最初のかかわりを教えてください。どのようにモータウンに入ったのですか」
「ウェル…」と言い、姿勢を正しながら彼がゆっくり話し始めた。「ベリー・ゴーディーと知り合ったのは、私が17歳(1957年)のとき、彼がまだモータウンを作るまえのことだった。彼がプロデューサーで、私はシンガーという立場だった。彼が私をプロデュースしたんだ。それは、レコードとしては世にでなかったけどね。それはそれで一旦終わるんだけど、それから3年くらい後かな、ハイスクールの同級生とばったり会ってね、彼が、今、モータウンというところで曲を書いたりしているんだ。一度、遊びに来ないか、と誘ってくれた。それがラモント・ドジャーだ。そのときにはすぐには行かなかったけど、後で行って、いろいろやりだすことになった。モータウンと実際契約するのは、1959年、いや、60年代に入ってかな、1962年だったと思う。それからモータウンには2年ほど在籍した。1964年に去るんだがその年の終わりに、私はアイズレー・ブラザーズの「ガット・トゥ・ハヴ・ユー・バック」で初めてのゴールド・レコードを手に入れるんだ…」 (訳注、この曲は1967年5月からヒットし、ソウル・チャートで47位、ポップ・チャートで93位を記録。このあたりは、若干、年号などで本人の記憶違いもあるかもしれない。なにしろ40年以上前のことだからしかたない。あるいはレコーディングは1964年に行われ、シングルリリース、ヒットが3年後の1967年だったのかもしれない。ここは要再調査だ。またここでリオンが言うゴールド・レコードは、最初の大ヒット曲、くらいのニュアンスだろう)
「あの頃、1曲、いや何曲かマーヴィン用に作った。あの時代はとても実りのある時期だった。何曲書いたかはわからないが、1967年、私はロスアンジェルスに引っ越す。モータウンも1965年か1966年ごろ、(一部のオペレーションを)ロスアンジェルスに移し始める。(訳注、実際の正式な本部の引越しは1972年。それまでに一部スタッフなどがロスに出向き、レコーディングなどを始めていた) その頃、またモータウンで曲を書き出した。ダイアナ・ロスの弟のアーサー・T・ロスと知り合って、一緒に曲を書くようになり始めた。1971年頃かな。姉(=ダイアナ・ロス)が私に弟に協力してあげてというので、いろいろ一緒にやるようになった。1曲書いて、また書いて、一緒にやって4曲目に出来たのが『アイ・ウォント・ユー』だった。それを作っている間に、ベリー・ゴーディーがスタジオにやってきた。これはとても珍しいことなんだ。彼はとても協力的で、父親のように、(僕たちのことを)いろいろ気にかけてくれた。そこで、デモの『アイ・ウォント・ユー』を聴かせた。彼はそれを聴くと、「すごい、気に入った。これはマーヴィン・ゲイにいいんじゃないか。このテープをくれ」と言った。それから3日後、テープを聴いたマーヴィンはものすごくこの曲を気に入ったんだ…。その後私とマーヴィンは実際に会う。彼は1歳僕より年上なんだが、会ってみるとものすごく波長があった。私たちは、同じような趣味を持っていた。実際に彼に会う2年くらい前から共通の友人が、『君とマーヴィンはよく似ている』なんてよく言われていたんだ。『君は、マーヴィンみたいだ』とかね。そういうのは珍しかった。音楽の趣味も、人生に対する考え方も、女性に対しても(笑)、セックスも(笑)、嗜好が似ていた。とても兄弟みたいに近しい存在だった…」
僕はただただ彼が語る話に「フンフン…」とうなずくだけ。リオンはただひたすらしゃべる。そして30分以上過ぎただろうか。リオンが言った。「ああ、そうだ、私はしゃべりだすと、必要のないことまでしゃべってしまい、話が質問からそれてしまうようなことがよくあるんだ。いつでも、私の話をさえぎって、話を正しい方向に持ってってくれていいんだよ」
おっと・・・。(苦笑) もうその時点で、僕の持ち時間はほとんどなくなっていたのだ。
ということで、この続きはまた近いうちに。
■レオン・ウェアがよくしゃべる映像 (英語)(レッドブルがスポンサードしているトーク・セッション)
http://www.redbullmusicacademy.com/video-archive/lectures/leon_ware__come_with_me_angels
約1時間半にわたって、いろいろなことを話します。
ENT>INTERVIEW>Ware, Leon
★シンガー、ユリ@ブルース・アレイ
2009年10月15日 音楽【Yuri Live At Blues Alley】
ソウルフル。
久保田利伸、AIなどのバックコーラスとしても活躍しているシンガー、ユリがブルース・アレイで12日(月曜)ライヴを行った。
僕はゴールドコンサートの審査員の仕事があったので、それが終ってかけつけると、セカンドの途中だった。祝日だったので、通常より1時間早くスタートしていた。
相変わらず、うまい歌を聴かせ、聴衆をうっとりさせていた。ゆったりとしたミディアム調の曲からファンキーなアップテンポまで。シャーデーの曲など意外と彼女にあってる。とはいうものの、アンコールのシャカ・カーン&ルーファスあたりになると、一段と輝きを増すような感じがする。
バンドもほぼいつものメンバーで、ファンキーかつ実にソリッド。このバンドでやっていると、ソウル・シンガーというイメージが圧倒的に強いが、彼女自身はより白っぽい曲も歌えるところが強み。
コーラスに盟友、有坂美香さん、オリヴィアを従える。セカンド後半でこの日、遊びに来ていたAIがステージに飛び入り。歌は歌わなかったが、「ユリさん、ほんとヤバイ。感動した」と言って、バックのバンドにうながされて、マイケル・ジャクソンの真似などをしてみせ、大いに受けていた。
■メンバー
Yuri (vocal)日野賢二(bass)、柿崎洋一郎(Key)、マサ小浜(g)、Armin Linzhichler (d),Olivia Burrell (chorus), 有坂美香(chorus)
ENT>MUSIC>LIVE>yuri
ソウルフル。
久保田利伸、AIなどのバックコーラスとしても活躍しているシンガー、ユリがブルース・アレイで12日(月曜)ライヴを行った。
僕はゴールドコンサートの審査員の仕事があったので、それが終ってかけつけると、セカンドの途中だった。祝日だったので、通常より1時間早くスタートしていた。
相変わらず、うまい歌を聴かせ、聴衆をうっとりさせていた。ゆったりとしたミディアム調の曲からファンキーなアップテンポまで。シャーデーの曲など意外と彼女にあってる。とはいうものの、アンコールのシャカ・カーン&ルーファスあたりになると、一段と輝きを増すような感じがする。
バンドもほぼいつものメンバーで、ファンキーかつ実にソリッド。このバンドでやっていると、ソウル・シンガーというイメージが圧倒的に強いが、彼女自身はより白っぽい曲も歌えるところが強み。
コーラスに盟友、有坂美香さん、オリヴィアを従える。セカンド後半でこの日、遊びに来ていたAIがステージに飛び入り。歌は歌わなかったが、「ユリさん、ほんとヤバイ。感動した」と言って、バックのバンドにうながされて、マイケル・ジャクソンの真似などをしてみせ、大いに受けていた。
■メンバー
Yuri (vocal)日野賢二(bass)、柿崎洋一郎(Key)、マサ小浜(g)、Armin Linzhichler (d),Olivia Burrell (chorus), 有坂美香(chorus)
ENT>MUSIC>LIVE>yuri
▲第6回ゴールドコンサート
2009年10月14日 音楽【6th Annual Gold Concert 】
年々。
障害者のミュージシャンをサポートする全国規模の大会、ゴールドコンサートの第6回が、10月12日東京国際フォーラムCで行われた。今年は11組がエントリー。優勝したのは、珍獣王国というファンキーなインストゥルメンタルだった。
年々、予選を通過してくるアーティストたちのレヴェルが上がってきていて、頼もしい。今年優勝した珍獣王国は、メインの人が障害を持つがサポートする3人は健常者。ファンキーでのりのいいインスト曲、リアル・ミュージックが会場を盛り上げていた。デモテープの段階でもかなりいい印象を持っていて、僕個人では出場者の中で1番高い点を与えていた。プロフィールには好きなアーティストとしてラリー・グラハムなどの名前もあったので、きっと僕との相性もよかったのだろう。
一方準優勝の穴澤さんは昨年一昨年に引き続き3年連続2位。賞をプレゼントするときに、「2度あることは3度あるでして・・・」と苦笑されたのが、おもしろかった。来年はぜひ4度目の正直を。彼はヴァイオリンのインストゥルメンタルということで、上位2位を奇しくもインストものが取った。
3位に入ったダブルMは、2人とも盲目のデュオ。いかにもJポップ風の曲だった。今年も、そして、年々上位入賞者の点数が拮抗している。
http://www.npojba.org/news/20091013
来年2010年は10月3日に行われる。
ENT>EVENT>Gold Concert
年々。
障害者のミュージシャンをサポートする全国規模の大会、ゴールドコンサートの第6回が、10月12日東京国際フォーラムCで行われた。今年は11組がエントリー。優勝したのは、珍獣王国というファンキーなインストゥルメンタルだった。
年々、予選を通過してくるアーティストたちのレヴェルが上がってきていて、頼もしい。今年優勝した珍獣王国は、メインの人が障害を持つがサポートする3人は健常者。ファンキーでのりのいいインスト曲、リアル・ミュージックが会場を盛り上げていた。デモテープの段階でもかなりいい印象を持っていて、僕個人では出場者の中で1番高い点を与えていた。プロフィールには好きなアーティストとしてラリー・グラハムなどの名前もあったので、きっと僕との相性もよかったのだろう。
一方準優勝の穴澤さんは昨年一昨年に引き続き3年連続2位。賞をプレゼントするときに、「2度あることは3度あるでして・・・」と苦笑されたのが、おもしろかった。来年はぜひ4度目の正直を。彼はヴァイオリンのインストゥルメンタルということで、上位2位を奇しくもインストものが取った。
3位に入ったダブルMは、2人とも盲目のデュオ。いかにもJポップ風の曲だった。今年も、そして、年々上位入賞者の点数が拮抗している。
http://www.npojba.org/news/20091013
来年2010年は10月3日に行われる。
ENT>EVENT>Gold Concert
■マイケルの映画『ディス・イズ・イット』は2度連続見か?
2009年10月13日 音楽【This Is It: Should We See It Two Times In A Row?】
大興奮。
昨日行われたゴールド・コンサートで審査員の湯川れい子先生と久しぶりにお会いした。楽屋に挨拶にいくと、いきなり「あなた、マイケルの映画見た?」。
試写はないと聞いていたので、「いや、まだです、予告編だけ」と答えると、「私、字幕の監修をやって、おととい見たんです。ものすごいわよ」といきなり、すごいニュース。
「いやあ、ほんとにすごい。あんなの見たことない。(実現していたら)今までのツアーの中で、最高のものになったんじゃないかしら。1回しか監修のために、見られなかったんだけど、途中、うるうるしちゃったりして、字幕の仕事にならなかったわ(笑) あれは、あなた、映画館でも2度続けてみた方がいいわよ」 と立て板に水でマイケル映画のお話。「あのリハーサルを何度も何度もやるところ。リハでも全然マイケルは手を抜かないで、細かいところに指示を出すのよ」
湯川先生も大興奮だが、それを聞いてるこっちも大興奮してくる。「1度しか、ごらんになれなかったんですか」 「そう、1度だけ。事前に英文と和文のスクリプトはあって、それと映像を照らし合わせて見たんだけど、すごいわよ~~」
「じゃあ、字幕のわからないところがあったりしても、フィルムは止められないんですか」「止められないわよ」「で、もう一度見たくなると…」「そう、だから私も映画館でもう1度見ようと思って…」
「先生、パンフレットの原稿とか書かれたんですか?」 「いや、それが今回はね、パンフレットも作っちゃいけないんですって。チラシさえもだめらしいのよ」 「ええ、パンフなし? チラシもだめなんですか。それはまた厳しい…」
そして、もう一点、いわゆるサントラとされている『ディス・イズ・イット』はどうやら、正確には映画のサントラではないらしい。湯川さんは、「イマジナリー・サウンドトラック(想像上のサントラ、イメージを共有するサントラ)」と呼んでいる。映画で流れる音がそのままサントラになっているわけではないらしい。僕はサントラも、映画も見ていないので、このあたりはまた情報が入ってきたらご紹介しよう。
いずれにせよ、フィルムは日本国内に到着した。あとは10月28日の公開を待つだけだ。
ENT>MOVIE>This Is It
大興奮。
昨日行われたゴールド・コンサートで審査員の湯川れい子先生と久しぶりにお会いした。楽屋に挨拶にいくと、いきなり「あなた、マイケルの映画見た?」。
試写はないと聞いていたので、「いや、まだです、予告編だけ」と答えると、「私、字幕の監修をやって、おととい見たんです。ものすごいわよ」といきなり、すごいニュース。
「いやあ、ほんとにすごい。あんなの見たことない。(実現していたら)今までのツアーの中で、最高のものになったんじゃないかしら。1回しか監修のために、見られなかったんだけど、途中、うるうるしちゃったりして、字幕の仕事にならなかったわ(笑) あれは、あなた、映画館でも2度続けてみた方がいいわよ」 と立て板に水でマイケル映画のお話。「あのリハーサルを何度も何度もやるところ。リハでも全然マイケルは手を抜かないで、細かいところに指示を出すのよ」
湯川先生も大興奮だが、それを聞いてるこっちも大興奮してくる。「1度しか、ごらんになれなかったんですか」 「そう、1度だけ。事前に英文と和文のスクリプトはあって、それと映像を照らし合わせて見たんだけど、すごいわよ~~」
「じゃあ、字幕のわからないところがあったりしても、フィルムは止められないんですか」「止められないわよ」「で、もう一度見たくなると…」「そう、だから私も映画館でもう1度見ようと思って…」
「先生、パンフレットの原稿とか書かれたんですか?」 「いや、それが今回はね、パンフレットも作っちゃいけないんですって。チラシさえもだめらしいのよ」 「ええ、パンフなし? チラシもだめなんですか。それはまた厳しい…」
そして、もう一点、いわゆるサントラとされている『ディス・イズ・イット』はどうやら、正確には映画のサントラではないらしい。湯川さんは、「イマジナリー・サウンドトラック(想像上のサントラ、イメージを共有するサントラ)」と呼んでいる。映画で流れる音がそのままサントラになっているわけではないらしい。僕はサントラも、映画も見ていないので、このあたりはまた情報が入ってきたらご紹介しよう。
いずれにせよ、フィルムは日本国内に到着した。あとは10月28日の公開を待つだけだ。
ENT>MOVIE>This Is It
△ゴールドコンサート、今日開催~障がい者の音楽祭、今年で6回目
2009年10月12日 音楽【Gold Concert : For Challenged Musicians】
ゴールドコンサート。
いわゆるチャレンジド(障がい者)で音楽を作る人々のコンサートとして、年1回行われている「ゴールドコンサート」の第6回が、今日、2009年10月12日(月曜=体育の日)、東京の国際フォーラムCで開催される。今回は12組のアーティストたちが登場。優勝を狙う。今回も昨年同様、この模様をインターネットで生中継する。当日券も若干ある模様。
オフィシャル・ウェッブ(詳細)
http://www.npojba.org/news/20091008_2
http://www.npojba.org/
インターネット生中継の詳細
http://www.npojba.org/goldconcert/6/summary
概要
日時:2009年10月12日(月・祝)15時30分開場 16時30分開演
会場:東京国際フォーラム ホールC
(東京都千代田区丸の内三丁目5番1号TEL:03-5221-9000)
※会場はバリアフリー対応です
制作・総指揮:貝谷嘉洋
特別ゲスト出演:今井絵理子(elly)
審査員長:湯川れい子(音楽評論家、作詞家)
特別審査員:吉岡正晴 (音楽評論家)
鎌田俊哉 (音楽プロデューサー)
GOH HOTODA (録音エンジニア・プロデューサー)
審査員:阿部恒世 (WaWaWa編集長)
工藤由美 (音楽ジャーナリスト)
仲川一昭 (福祉の管弦楽団まごころ・オーケストラ「響」代表・指揮者 NPO福祉ネットワーク「結」)
萩原岳 (ユニバーサルミュージック合同会社)
畠山卓朗 (早稲田大学人間科学学術院教授)
田中孝様(株式会社徳間ジャパンコミュニケーションズ)
司会:鮎貝健、長崎圭子
+++++
ゴールドコンサート。
いわゆるチャレンジド(障がい者)で音楽を作る人々のコンサートとして、年1回行われている「ゴールドコンサート」の第6回が、今日、2009年10月12日(月曜=体育の日)、東京の国際フォーラムCで開催される。今回は12組のアーティストたちが登場。優勝を狙う。今回も昨年同様、この模様をインターネットで生中継する。当日券も若干ある模様。
オフィシャル・ウェッブ(詳細)
http://www.npojba.org/news/20091008_2
http://www.npojba.org/
インターネット生中継の詳細
http://www.npojba.org/goldconcert/6/summary
概要
日時:2009年10月12日(月・祝)15時30分開場 16時30分開演
会場:東京国際フォーラム ホールC
(東京都千代田区丸の内三丁目5番1号TEL:03-5221-9000)
※会場はバリアフリー対応です
制作・総指揮:貝谷嘉洋
特別ゲスト出演:今井絵理子(elly)
審査員長:湯川れい子(音楽評論家、作詞家)
特別審査員:吉岡正晴 (音楽評論家)
鎌田俊哉 (音楽プロデューサー)
GOH HOTODA (録音エンジニア・プロデューサー)
審査員:阿部恒世 (WaWaWa編集長)
工藤由美 (音楽ジャーナリスト)
仲川一昭 (福祉の管弦楽団まごころ・オーケストラ「響」代表・指揮者 NPO福祉ネットワーク「結」)
萩原岳 (ユニバーサルミュージック合同会社)
畠山卓朗 (早稲田大学人間科学学術院教授)
田中孝様(株式会社徳間ジャパンコミュニケーションズ)
司会:鮎貝健、長崎圭子
+++++
◆マイケル・ジャクソン、新曲「ディス・イズ・イット」リリース
2009年10月11日 音楽【Michael Jackson New Single】
新曲。
マイケル・ジャクソンの新曲「ディス・イズ・イット」がまずデジタル・ダウンロードでリリースになる。日本ではソニー・ミュージックのサイトで買える。全米での解禁は、2009年10月12日(月曜)深夜0時、アメリカ東部標準時、日本では10月13日(火曜)午後1時の予定。現在、下記サイトで43秒ほど試聴できる。
http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Arch/ES/MichaelJackson/index.html
この曲、バック・コーラスをジャクソンズのメンバーがつけているそうだ。
『ディス・イズ・イット』の映画のサントラ↓ 2009年10月28日発売
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002MHA3TM/soulsearchiho-22/ref=nosim/
また一方、アメリカのユニバーサル・モータウンは、2009年11月10日、モータウン時代のレコーディングから、ジャクソン・ファイヴの未発表曲と、未発表テイクを含めたアルバム『アイ・ウォント・ユー・バック! アンリリースド・マスターズ』をリリースする。この中から「ザッツ・ハウ・ラヴ・イズ」がシングル・カットされるが、これは一足先に10月6日からiTunes(アイ・テューンズ)でリリースされている。シングル「ザッツ・ハウ・ラヴ・イズ」の作詞作曲家クレジットは、ザ・コーポレーション。これは、ベリー・ゴーディー、フレディー・ペレン、フォンス・マイゼルあたりだと思われる。
このトラック・リストは次の通り。
1. Medley: I Want You Back/ABC/The Love You Save (Alternate version)
2. That’s How Love Is
3. Listen I’ll Tell You How
4. Man’s Temptation
5. Never Can Say Goodbye (Alternate version)
6. Love Comes In Different Flavors
7. ABC (Alternate Version)
8. Love Call
9. Buttercup
10. Lucky Day
11. I’ll Try You’ll Try (Maybe We’ll All Get By)
12. Dancing Machine (Alternate Version)
さらに、モータウンは、ジャクソン・ファイヴの『アルティメート・クリスマス・コレクション』を2009年10月13日全米でリリースする。ここにはマイケル、ジャーメインらのクリスマス・メッセージが入る。また、DJスピナがアップ・オン・ザ・ハウストップ」と最後のクロージング・メドレーをリエディットしている、という。
ENT>ARTIST>Jackson, Michael / Jackson Five
新曲。
マイケル・ジャクソンの新曲「ディス・イズ・イット」がまずデジタル・ダウンロードでリリースになる。日本ではソニー・ミュージックのサイトで買える。全米での解禁は、2009年10月12日(月曜)深夜0時、アメリカ東部標準時、日本では10月13日(火曜)午後1時の予定。現在、下記サイトで43秒ほど試聴できる。
http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Arch/ES/MichaelJackson/index.html
この曲、バック・コーラスをジャクソンズのメンバーがつけているそうだ。
『ディス・イズ・イット』の映画のサントラ↓ 2009年10月28日発売
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002MHA3TM/soulsearchiho-22/ref=nosim/
また一方、アメリカのユニバーサル・モータウンは、2009年11月10日、モータウン時代のレコーディングから、ジャクソン・ファイヴの未発表曲と、未発表テイクを含めたアルバム『アイ・ウォント・ユー・バック! アンリリースド・マスターズ』をリリースする。この中から「ザッツ・ハウ・ラヴ・イズ」がシングル・カットされるが、これは一足先に10月6日からiTunes(アイ・テューンズ)でリリースされている。シングル「ザッツ・ハウ・ラヴ・イズ」の作詞作曲家クレジットは、ザ・コーポレーション。これは、ベリー・ゴーディー、フレディー・ペレン、フォンス・マイゼルあたりだと思われる。
このトラック・リストは次の通り。
1. Medley: I Want You Back/ABC/The Love You Save (Alternate version)
2. That’s How Love Is
3. Listen I’ll Tell You How
4. Man’s Temptation
5. Never Can Say Goodbye (Alternate version)
6. Love Comes In Different Flavors
7. ABC (Alternate Version)
8. Love Call
9. Buttercup
10. Lucky Day
11. I’ll Try You’ll Try (Maybe We’ll All Get By)
12. Dancing Machine (Alternate Version)
さらに、モータウンは、ジャクソン・ファイヴの『アルティメート・クリスマス・コレクション』を2009年10月13日全米でリリースする。ここにはマイケル、ジャーメインらのクリスマス・メッセージが入る。また、DJスピナがアップ・オン・ザ・ハウストップ」と最後のクロージング・メドレーをリエディットしている、という。
ENT>ARTIST>Jackson, Michael / Jackson Five
☆フィリップ・ウー、メイズについて語る
2009年10月10日 音楽【Philip Woo Talks】
インタヴュー。
我らがフィリップ・ウーが、メイズの来日に関連して雑誌のインタヴューを受けるので、その通訳をやってくれと頼まれた。フィリップの頼みとあっては断るわけにいかない。雑誌はBMR。そこで10月5日(月)、編集部に行き、付き添い通訳をやってきた。
ライター、インタヴューはBMRで健筆を奮う林剛さん。彼の質問を英語に直し、フィリップに伝える。フィリップが英語で答える。時折、日本語が混ざる。基本的にはメイズの話しだったのだが、当初の予定1時間を大幅に超えて、2時間超。マネージャーさんによると、フィリップは普段無口なのに、よくしゃべったと驚いていた。
話しの内容は、11月10日発売のBMRに出るので、ここでは触れないが、BMRは、10月10日発売号でもメイズの特集をやっているという。つまり、2ヶ月連続で大々的にメイズの記事をフィーチャーするわけだ。
メイズ関連で言うと、日本で彼らのアルバムが初めてリリースされたのが1985年6月の『キャント・ストップ・ラヴ』。そのライナーノーツを僕が書き、そこには詳細なメイズ・ストーリーを掲載した。もちろん、書いたことは覚えていたが(かなり調べて長文を書いたので覚えていた)、今回の来日にあたって自分の保存していたLP盤をチェックしたら、アナログ・ジャケットにレコードはちゃんとはいっていたのに、なんと、ライナーノーツがない! なぜだ。どこかで使ったのをそのままにしたに違いないが、焦った。
ほぼ同時期に、マーヴィン・ゲイ本などでお世話になった人見氏が、その日本盤を持っていることがわかり、ライナーもきちんと保存されていたので、あわててライナーをコピーして郵送してもらった。1985年4月26日に書いた原稿で、フランキー・ビヴァリーのグループ、バトラーズ、メイズの前身ロウ・ソウルから、メイズになって、7枚目であるこのアルバムまでよく書けている。これはまだ僕がワープロを使用する以前のものなので、テキストデータがないから、もう一度打ち直さないとならないが、時間があるときでもやってみよう。
■ メイズと言えば、『ライヴ・イン・ニューオーリンズ』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000002UCI/soulsearchiho-22/ref=nosim/
Can’t Stop The Love これは日本盤ではなく、輸入盤↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00022FWLS/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Maze Featuring Frankie Beverly
インタヴュー。
我らがフィリップ・ウーが、メイズの来日に関連して雑誌のインタヴューを受けるので、その通訳をやってくれと頼まれた。フィリップの頼みとあっては断るわけにいかない。雑誌はBMR。そこで10月5日(月)、編集部に行き、付き添い通訳をやってきた。
ライター、インタヴューはBMRで健筆を奮う林剛さん。彼の質問を英語に直し、フィリップに伝える。フィリップが英語で答える。時折、日本語が混ざる。基本的にはメイズの話しだったのだが、当初の予定1時間を大幅に超えて、2時間超。マネージャーさんによると、フィリップは普段無口なのに、よくしゃべったと驚いていた。
話しの内容は、11月10日発売のBMRに出るので、ここでは触れないが、BMRは、10月10日発売号でもメイズの特集をやっているという。つまり、2ヶ月連続で大々的にメイズの記事をフィーチャーするわけだ。
メイズ関連で言うと、日本で彼らのアルバムが初めてリリースされたのが1985年6月の『キャント・ストップ・ラヴ』。そのライナーノーツを僕が書き、そこには詳細なメイズ・ストーリーを掲載した。もちろん、書いたことは覚えていたが(かなり調べて長文を書いたので覚えていた)、今回の来日にあたって自分の保存していたLP盤をチェックしたら、アナログ・ジャケットにレコードはちゃんとはいっていたのに、なんと、ライナーノーツがない! なぜだ。どこかで使ったのをそのままにしたに違いないが、焦った。
ほぼ同時期に、マーヴィン・ゲイ本などでお世話になった人見氏が、その日本盤を持っていることがわかり、ライナーもきちんと保存されていたので、あわててライナーをコピーして郵送してもらった。1985年4月26日に書いた原稿で、フランキー・ビヴァリーのグループ、バトラーズ、メイズの前身ロウ・ソウルから、メイズになって、7枚目であるこのアルバムまでよく書けている。これはまだ僕がワープロを使用する以前のものなので、テキストデータがないから、もう一度打ち直さないとならないが、時間があるときでもやってみよう。
■ メイズと言えば、『ライヴ・イン・ニューオーリンズ』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000002UCI/soulsearchiho-22/ref=nosim/
Can’t Stop The Love これは日本盤ではなく、輸入盤↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00022FWLS/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Maze Featuring Frankie Beverly
◎ラウル・ミドン、新作『シンセシス』登場
2009年10月9日 音楽【Raul Midon’s First Album For Decca】
移籍。
EMIから出たアルバムで音楽シーンに衝撃を与えた盲目のブラック・シンガー・ソングライター、ラウル・ミドンがレーベルをデッカに移籍し、最新作『新セシス』を発表した。現在プロモーションで来日し、昨日(10月8日)、代官山でショーケースを行った。
残念ながら僕は別の急の仕事がはいり行けなかったが、新作からの楽曲を披露したもよう。
さてこのニュー・アルバムが、またいい。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002KU6B0G/soulsearchiho-22/ref=nosim/
基本的には彼の音楽は、変わらない。ギターを弾き、彼が「見た」もの、感じたことを楽曲に託し、彼が歌う。ときにマウス・トランペットを披露し、ラウルの世界を作る。彼のような真摯な音楽的アプローチを見ていると、1970年代に活躍し、いまでは隠遁生活をしているブラックの吟遊詩人ビル・ウィザースを思い起こさせる。流行り物には関係なく、自分がいいと思ったものを、ただ黙々とやる。そんな感じだ。
今回のプロデューサーは、ラリー・クライン。1980年代からジョニ・ミッチェルの仕事でも大変有名だ。最近ではハービー・ハンコックの『リヴァー~ジョニ・ミッチェルへのオマージュ』のアルバムをハービーと共同プロデュースして、グラミー賞の「アルバム・オブ・ジ・イヤー」を獲得した。
ラウル・ミドンは1966年3月14日アメリカ・ニューメキシコの生まれ。そう、クインシー・ジョーンズの誕生日(1933年3月14日)と同じだ。って、前のブログにも同じこと書いてた。(苦笑)
>Swing Oさん、『マーヴィン・ゲイ物語』のご紹介、ありがとうございます。感謝感謝です。
http://www.waxpoetics.jp/blogs/45/2009/10/09/
■ラウル・ミドン過去関連記事
September 02, 2007
【ラウル・ミドン~見たものを歌に託す】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070902.html
October 25, 2005
Raul Midon: From Donny To Stevie To Raul
ショーケース・ライヴの模様
http://blog.soulsearchin.com/archives/000603.html
January 31, 2006
Raul Midon: He Sings What He Saw In His Rural Hometown
【故郷で見た景色を歌うラウル・ミドン】
http://blog.soulsearchin.com/archives/000805.html
■ラウル・ミドンの最新作『シンセシス』、2009年10月11日(日)放送の『ソウル・ブレンズ』内「山野ミュージック・ジャム」(毎週日曜日午後4時半~4時50分、インターFM=76.1mhz=東京地区)でご紹介します。
■メジャーでのファースト・アルバム『ステート・オブ・マインド』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0007YMUO8/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■2作目
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000RRUS7Q/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Midon, Raul
移籍。
EMIから出たアルバムで音楽シーンに衝撃を与えた盲目のブラック・シンガー・ソングライター、ラウル・ミドンがレーベルをデッカに移籍し、最新作『新セシス』を発表した。現在プロモーションで来日し、昨日(10月8日)、代官山でショーケースを行った。
残念ながら僕は別の急の仕事がはいり行けなかったが、新作からの楽曲を披露したもよう。
さてこのニュー・アルバムが、またいい。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002KU6B0G/soulsearchiho-22/ref=nosim/
基本的には彼の音楽は、変わらない。ギターを弾き、彼が「見た」もの、感じたことを楽曲に託し、彼が歌う。ときにマウス・トランペットを披露し、ラウルの世界を作る。彼のような真摯な音楽的アプローチを見ていると、1970年代に活躍し、いまでは隠遁生活をしているブラックの吟遊詩人ビル・ウィザースを思い起こさせる。流行り物には関係なく、自分がいいと思ったものを、ただ黙々とやる。そんな感じだ。
今回のプロデューサーは、ラリー・クライン。1980年代からジョニ・ミッチェルの仕事でも大変有名だ。最近ではハービー・ハンコックの『リヴァー~ジョニ・ミッチェルへのオマージュ』のアルバムをハービーと共同プロデュースして、グラミー賞の「アルバム・オブ・ジ・イヤー」を獲得した。
ラウル・ミドンは1966年3月14日アメリカ・ニューメキシコの生まれ。そう、クインシー・ジョーンズの誕生日(1933年3月14日)と同じだ。って、前のブログにも同じこと書いてた。(苦笑)
>Swing Oさん、『マーヴィン・ゲイ物語』のご紹介、ありがとうございます。感謝感謝です。
http://www.waxpoetics.jp/blogs/45/2009/10/09/
■ラウル・ミドン過去関連記事
September 02, 2007
【ラウル・ミドン~見たものを歌に託す】
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070902.html
October 25, 2005
Raul Midon: From Donny To Stevie To Raul
ショーケース・ライヴの模様
http://blog.soulsearchin.com/archives/000603.html
January 31, 2006
Raul Midon: He Sings What He Saw In His Rural Hometown
【故郷で見た景色を歌うラウル・ミドン】
http://blog.soulsearchin.com/archives/000805.html
■ラウル・ミドンの最新作『シンセシス』、2009年10月11日(日)放送の『ソウル・ブレンズ』内「山野ミュージック・ジャム」(毎週日曜日午後4時半~4時50分、インターFM=76.1mhz=東京地区)でご紹介します。
■メジャーでのファースト・アルバム『ステート・オブ・マインド』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0007YMUO8/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■2作目
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000RRUS7Q/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Midon, Raul