【マッシュ・アップを生ミュージシャンで】
解説。
モーション・ブルーで見たウィル・カフーンのライヴ。セットリストの一部がわからなかったので、本人にメールで尋ねたら、親切に返事をいただいた。すでに当日分ブログのセットリストは修正したが、その中でひじょうに面白いと思ったのが、アンコールの部分だ。
このときは、ドラム・ソロから入り、すぐにマッコイ・タイナーの「パッション・ダンス」とロック・グループ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの「ブールズ・オン・パレード」の2曲に進んだ。ここで彼はこの2曲を「マッシュ・アップ」という手法でひとつの楽曲にして演奏したのだ。
この「マッシュ・アップ」という手法は、イギリスやアメリカのクラブDJがやり始めた手法で、まったく関係のない2曲を同時にうまくミックスしてかけてオーディエンスを楽しませるもの。関係ない2曲でもリズム・パターンが似ていたり、コード・シンガーが似ているとミックスしても意外とおもしろい効果が表れる。あるいは、インストゥルメンタルのトラックに、別のヴォーカルものを抜き出してミックスしたりするものもある。
いつ頃から始まったか定かではないが、2000年前後からその名前が普及したのではないか、と言われる。ただし、ある曲のインストゥルメンタルや曲の一部をループにして、そこに別のヴォーカルや楽曲を重ねるという手法は1980年代からサンプリングの手法の発展とともに生まれてきた。
ウィル・カフーンのひじょうにユニークなところは、そんなDJ的手法のマッシュ・アップを生身のミュージシャンのライヴ演奏でやっているところだ。このあたりが、ウィルのクリエイティヴィティが抜群なところだ。
■ ウィル・カフーン・ライヴ評
August 09, 2008
Will Calhoun & Stanley Jordan And More Department Store Of Rhythm
http://blog.soulsearchin.com/archives/002634.html
ENT>MUSIC>LIVE>Calhoun, Will
解説。
モーション・ブルーで見たウィル・カフーンのライヴ。セットリストの一部がわからなかったので、本人にメールで尋ねたら、親切に返事をいただいた。すでに当日分ブログのセットリストは修正したが、その中でひじょうに面白いと思ったのが、アンコールの部分だ。
このときは、ドラム・ソロから入り、すぐにマッコイ・タイナーの「パッション・ダンス」とロック・グループ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの「ブールズ・オン・パレード」の2曲に進んだ。ここで彼はこの2曲を「マッシュ・アップ」という手法でひとつの楽曲にして演奏したのだ。
この「マッシュ・アップ」という手法は、イギリスやアメリカのクラブDJがやり始めた手法で、まったく関係のない2曲を同時にうまくミックスしてかけてオーディエンスを楽しませるもの。関係ない2曲でもリズム・パターンが似ていたり、コード・シンガーが似ているとミックスしても意外とおもしろい効果が表れる。あるいは、インストゥルメンタルのトラックに、別のヴォーカルものを抜き出してミックスしたりするものもある。
いつ頃から始まったか定かではないが、2000年前後からその名前が普及したのではないか、と言われる。ただし、ある曲のインストゥルメンタルや曲の一部をループにして、そこに別のヴォーカルや楽曲を重ねるという手法は1980年代からサンプリングの手法の発展とともに生まれてきた。
ウィル・カフーンのひじょうにユニークなところは、そんなDJ的手法のマッシュ・アップを生身のミュージシャンのライヴ演奏でやっているところだ。このあたりが、ウィルのクリエイティヴィティが抜群なところだ。
■ ウィル・カフーン・ライヴ評
August 09, 2008
Will Calhoun & Stanley Jordan And More Department Store Of Rhythm
http://blog.soulsearchin.com/archives/002634.html
ENT>MUSIC>LIVE>Calhoun, Will
【オリンピック・メダル予想】
4年。
2008年8月8日、北京でオリンピックの開会式が行われた。今回はダンス・クラシックのDJはいなかったが。前回アテネ・オリンピックからはや4年。そういえば、前回初めてメダル予想というのをやってみた。そこで、予想好きソウル・サーチャー、今回も日本がいくつのメダルを取れるかやってみることにする。今回もまたスポーツイラストレーテッド誌の予想を参考にしてみる。
その前に前回のおさらい。数字は左から金・銀・銅・合計
SSソウルサーチャーの予想 10-9-5 24
SIスポーツイラストレーテッド誌の予想 8-12-4 24
実績 16-9-12 37
そう、前回は予想以上のメダル獲得だったのだ。さて、今回。
SI誌予想 ? -? -12 26(合計26)
SS予想 12-11-10 33
前回とほぼ同じにしてみました。スポーツ・イラステレーテッド誌は金・銀は予想していませんが、トータルで26個の予想。26と37の中間だと31くらいかということも考えられます。僕も前回よりは減るかなと思いますが、そこは期待もこめて多めにしてみた。
ちなみにSI誌の主な国の予想は次の通り。左から国、金予想、銀予想、銅予想、下段2004年実績。アメリカは45の金、44の銀、32の銅計121のメダル予想。前回実績は102、という感じ。これによると、今回は中国の飛躍的な伸びが期待されている。金メダルでは49でアメリカの45を上回るという予想だ。
僕がこのオリンピックで懸念するのは、審判が中国寄りのジャッジをしないか、ということ。あと、周辺でのテロかなあ。無事に終了してくれるのを祈っています。
スポーツイラストレーテッド誌の2008オリンピック・メダル予想
U.S. 45 44 32 =121
(2004=36-39-27=102)
CHINA 49 28 25 = 102
(2004=32-17-14=63)
RUSSIA 25 28 22 = 75
(2004=27-27-38=92)
AUSTRALIA 22 14 18 = 54
(2004=17-16-16=49)
JAPAN ?-?- 12 =26
(2004=16-9-12=37)
GERMANY 15 16 17 =48
(2004=13-16-20=49)
FRANCE 12 ? 17 =38
(2004=11-9-13=33)
GREAT BRITAIN 12 15 =35
(2004=9-9-12=30)
CUBA 11 13 =29
NETHERLANDS 16 =28
ITALY 11 =27
(2004=10-11-11=32)
さらに、ヘルシンキ・オリンピック以来過去の日本のメダル数。(金・銀・銅・合計)あなたは東京以降の夏のオリンピック開催地を言えますか? 僕はなぜかオリンピックが近づくと、記憶しなおしてソラで言えるように努力します。したところで、どうってことないんですが。ま、夏の頭の体操かなあ。(笑)
アテネ2004 16-9-12=37
シドニー2000 5-8-5=18
アトランタ1996 3-6-5=14
バルセロナ 1992 3-8-11=22
ソウル 1988 4-3-7-=14
ロス 1984 10-8-14=32
モスクワ 1980 不参加
モントリオール 1976 9-6-10=25
ミュンヘン 1972 13-8-8=29
メキシコ 1968 11-7-7-=25
東京 1964 16-5-8=29
ローマ 1960 4-7-7=18
メルボルン 1956 4-10-5=19
ヘルシンキ 1952 1-6-2=9
ロンドン 1948
ロンドン 1944 中止
さて、今年の夏はさらに暑くなるか。
SPORTS>Olympic>2008
4年。
2008年8月8日、北京でオリンピックの開会式が行われた。今回はダンス・クラシックのDJはいなかったが。前回アテネ・オリンピックからはや4年。そういえば、前回初めてメダル予想というのをやってみた。そこで、予想好きソウル・サーチャー、今回も日本がいくつのメダルを取れるかやってみることにする。今回もまたスポーツイラストレーテッド誌の予想を参考にしてみる。
その前に前回のおさらい。数字は左から金・銀・銅・合計
SSソウルサーチャーの予想 10-9-5 24
SIスポーツイラストレーテッド誌の予想 8-12-4 24
実績 16-9-12 37
そう、前回は予想以上のメダル獲得だったのだ。さて、今回。
SI誌予想 ? -? -12 26(合計26)
SS予想 12-11-10 33
前回とほぼ同じにしてみました。スポーツ・イラステレーテッド誌は金・銀は予想していませんが、トータルで26個の予想。26と37の中間だと31くらいかということも考えられます。僕も前回よりは減るかなと思いますが、そこは期待もこめて多めにしてみた。
ちなみにSI誌の主な国の予想は次の通り。左から国、金予想、銀予想、銅予想、下段2004年実績。アメリカは45の金、44の銀、32の銅計121のメダル予想。前回実績は102、という感じ。これによると、今回は中国の飛躍的な伸びが期待されている。金メダルでは49でアメリカの45を上回るという予想だ。
僕がこのオリンピックで懸念するのは、審判が中国寄りのジャッジをしないか、ということ。あと、周辺でのテロかなあ。無事に終了してくれるのを祈っています。
スポーツイラストレーテッド誌の2008オリンピック・メダル予想
U.S. 45 44 32 =121
(2004=36-39-27=102)
CHINA 49 28 25 = 102
(2004=32-17-14=63)
RUSSIA 25 28 22 = 75
(2004=27-27-38=92)
AUSTRALIA 22 14 18 = 54
(2004=17-16-16=49)
JAPAN ?-?- 12 =26
(2004=16-9-12=37)
GERMANY 15 16 17 =48
(2004=13-16-20=49)
FRANCE 12 ? 17 =38
(2004=11-9-13=33)
GREAT BRITAIN 12 15 =35
(2004=9-9-12=30)
CUBA 11 13 =29
NETHERLANDS 16 =28
ITALY 11 =27
(2004=10-11-11=32)
さらに、ヘルシンキ・オリンピック以来過去の日本のメダル数。(金・銀・銅・合計)あなたは東京以降の夏のオリンピック開催地を言えますか? 僕はなぜかオリンピックが近づくと、記憶しなおしてソラで言えるように努力します。したところで、どうってことないんですが。ま、夏の頭の体操かなあ。(笑)
アテネ2004 16-9-12=37
シドニー2000 5-8-5=18
アトランタ1996 3-6-5=14
バルセロナ 1992 3-8-11=22
ソウル 1988 4-3-7-=14
ロス 1984 10-8-14=32
モスクワ 1980 不参加
モントリオール 1976 9-6-10=25
ミュンヘン 1972 13-8-8=29
メキシコ 1968 11-7-7-=25
東京 1964 16-5-8=29
ローマ 1960 4-7-7=18
メルボルン 1956 4-10-5=19
ヘルシンキ 1952 1-6-2=9
ロンドン 1948
ロンドン 1944 中止
さて、今年の夏はさらに暑くなるか。
SPORTS>Olympic>2008
【ウィル・カフーンはリズムのデパート】
デパート。
「キープ・サポーティング・ライヴ・ミュージック(keep supporting live music)」 ウィル・カフーン(カルホーン)はそう言った。同じ言葉を何度もケイリブ・ジェームスから聞いていた。そのケイリブから緊急連絡で、「とにかく、これは見たほうがいいよ」という強力なお勧めがあり、訪横(横浜モーション・ブルー訪問のこと)。
ウィル・カフーンは1990年代にシーンに登場して大きな話題を集めたブラック・ロック・グループ、リヴィング・カラーのドラマー。Calhounのhはサイレント音(音読しない)なので、音読みはカフーンとなるそうだ。のでソウル・サーチンではカフーンを使用します。ケイリブはニューヨーク時代からの仲間で、ブロック・パーティーやらなんやらでよく一緒にプレイしていた、という。ロック好きのケイリブらしい。
それにしても、このドラムは実に強力だ。もちろん各個人のミュージシャンとしての力量が素晴らしいこともあるが、インストゥルメンタルだけで、ここまでの集中はお見事。ウィルは世界各地を訪問し、そこにしばらく滞在したりして、各地のルーツ・ミュージックを研究し、それを自らの音楽の中に取り入れている。
例えば、ひじょうに興味深いと思ったのが、楕円形のギターの形をしたような手で叩いて音を出すパーカッションの楽器、これはウドゥー(UDU)というそうだ。ウィルによれば、ナイジェリアで入手した。
ライヴはいきなり「アフロ・ブルー」を各メンバーのソロをいれて30分の長尺で。「アフロ・ブルー」の歌がいまにも浮かび上がりそうな熱の入ったパフォーマンスだ。
ウィルはドラマーなのだが、ウドゥーなどのパーカッションもやり、しかもさまざまなヴァリエーションのリズムを見せ、まるで「リズムのデパート」の趣すらある。「80分間世界一周Around The World In 80 Minutes」だ。
それぞれのミュージシャンは頭ではなく、体で、いや音楽が染みこんだそのDNAで音楽をやっている。
スタンリー・ジョーダンは、ピックを使わず、指を短い間隔で使う独特の奏法でユニークな奏者。素晴らしい。彼がウィル・カフーンを紹介するとき、マイクにむかって「・・・・」と口だけ動かし、声は出さない、セルフ・ミュートで紹介した。僕も含めて多くの人はマイクが切れていたと思ったはず。(笑)
ベース奏者マーク・ケリーは調べていたら、ミッシェル・ウンデゲオチェロで来日していた。このグループは、ルーツ・ミュージックをベースに、ジャズ、ファンク、ブルーズなども包括しながら、しかも、クラブ系のサウンドもいれて形作る。かなり音楽的にはメルティング・ポット的なサウンド。
ライヴ後、メンバーは自分たちのCDを売りながら、サイン会。そのとき、ケイリブがウィルたちを紹介してくれた。リヴィング・カラーで2度ほど来日し、その他TMスティーヴンスなどで何回か来ているそうだ。
しかし、この日一番ぶったまげたニュースは、なんと我らがケイリブ秋からの某有名グループのツアーに参加することになったそうだ。ぎょええっ。東京ドームとか、そういう大きなところばっかりだそうで。音楽監督ではないが、8人程度のバンドの一員になる。「さすがにドームは日本では今までで一番大きいなあ」と言っている。
昨日はオリンピックの開会式だったが、すっかりそんなことは忘れてこのライヴにうつつを抜かしてしまった。
別件ですが、昨日ご紹介したタモリ弔辞全文、あれ、タモリさんは白紙を読んでいたんですか。つまり、アドリブ。そういううわさが錯綜しています。確認は取れていませんが。それが本当ならまたまたすごい。
■メンバー
ウィル・カフーン(ドラムス)Will Calhoun(ds)
スタンリー・ジョーダン(ギター) Stanley Jordan(g)
コーリー・ウィルクス(トランペット)Corey Wilkes(tp)
マーク・キャリー(ピアノ) Marc Cary (p, effects)
マーク・ケリー(ベース)Mark Kelley (b)
■セットリスト
Setlist : Will Calhoun & Stanley Jorday at Motion Blue, 8/8/2008
Show started 21:35
01. Afro Blue
02. A Long Walk Home
03. Umoja (Unity) (including Martin Luther King’s “Peace”)
04. Dorita
05. Forest Flower (Stanley solo)
06. Pyramids
Enc. Drum solo, Passion Dance-(McCoy Tyner), Bulls on Parade-(Rage Against The Machine)...played in succession....(Putting McCoy Tyner and Rage Against the Machine together is called a "Mash-Up")
Show ended 23:14
(註)アンコールのドラム・ソロに続く、「パッション・ダンス」と「ブールズ・オン・パレード」は、2曲をミックスして演奏する「マッシュ・アップ」という手法で演奏。この「マッシュ・アップ」という手法は、ロンドンやアメリカのDJが考え出したもので、それをウィルはライヴ、生演奏で試みた。
Special thanks to Will Calhoun for making complete setlist.
(2008年8月8日金曜、横浜モーション・ブルー=ウィル・カフーン&スタンリー・ジョーダン・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Calhoun, Will & Jordan, Stanley
デパート。
「キープ・サポーティング・ライヴ・ミュージック(keep supporting live music)」 ウィル・カフーン(カルホーン)はそう言った。同じ言葉を何度もケイリブ・ジェームスから聞いていた。そのケイリブから緊急連絡で、「とにかく、これは見たほうがいいよ」という強力なお勧めがあり、訪横(横浜モーション・ブルー訪問のこと)。
ウィル・カフーンは1990年代にシーンに登場して大きな話題を集めたブラック・ロック・グループ、リヴィング・カラーのドラマー。Calhounのhはサイレント音(音読しない)なので、音読みはカフーンとなるそうだ。のでソウル・サーチンではカフーンを使用します。ケイリブはニューヨーク時代からの仲間で、ブロック・パーティーやらなんやらでよく一緒にプレイしていた、という。ロック好きのケイリブらしい。
それにしても、このドラムは実に強力だ。もちろん各個人のミュージシャンとしての力量が素晴らしいこともあるが、インストゥルメンタルだけで、ここまでの集中はお見事。ウィルは世界各地を訪問し、そこにしばらく滞在したりして、各地のルーツ・ミュージックを研究し、それを自らの音楽の中に取り入れている。
例えば、ひじょうに興味深いと思ったのが、楕円形のギターの形をしたような手で叩いて音を出すパーカッションの楽器、これはウドゥー(UDU)というそうだ。ウィルによれば、ナイジェリアで入手した。
ライヴはいきなり「アフロ・ブルー」を各メンバーのソロをいれて30分の長尺で。「アフロ・ブルー」の歌がいまにも浮かび上がりそうな熱の入ったパフォーマンスだ。
ウィルはドラマーなのだが、ウドゥーなどのパーカッションもやり、しかもさまざまなヴァリエーションのリズムを見せ、まるで「リズムのデパート」の趣すらある。「80分間世界一周Around The World In 80 Minutes」だ。
それぞれのミュージシャンは頭ではなく、体で、いや音楽が染みこんだそのDNAで音楽をやっている。
スタンリー・ジョーダンは、ピックを使わず、指を短い間隔で使う独特の奏法でユニークな奏者。素晴らしい。彼がウィル・カフーンを紹介するとき、マイクにむかって「・・・・」と口だけ動かし、声は出さない、セルフ・ミュートで紹介した。僕も含めて多くの人はマイクが切れていたと思ったはず。(笑)
ベース奏者マーク・ケリーは調べていたら、ミッシェル・ウンデゲオチェロで来日していた。このグループは、ルーツ・ミュージックをベースに、ジャズ、ファンク、ブルーズなども包括しながら、しかも、クラブ系のサウンドもいれて形作る。かなり音楽的にはメルティング・ポット的なサウンド。
ライヴ後、メンバーは自分たちのCDを売りながら、サイン会。そのとき、ケイリブがウィルたちを紹介してくれた。リヴィング・カラーで2度ほど来日し、その他TMスティーヴンスなどで何回か来ているそうだ。
しかし、この日一番ぶったまげたニュースは、なんと我らがケイリブ秋からの某有名グループのツアーに参加することになったそうだ。ぎょええっ。東京ドームとか、そういう大きなところばっかりだそうで。音楽監督ではないが、8人程度のバンドの一員になる。「さすがにドームは日本では今までで一番大きいなあ」と言っている。
昨日はオリンピックの開会式だったが、すっかりそんなことは忘れてこのライヴにうつつを抜かしてしまった。
別件ですが、昨日ご紹介したタモリ弔辞全文、あれ、タモリさんは白紙を読んでいたんですか。つまり、アドリブ。そういううわさが錯綜しています。確認は取れていませんが。それが本当ならまたまたすごい。
■メンバー
ウィル・カフーン(ドラムス)Will Calhoun(ds)
スタンリー・ジョーダン(ギター) Stanley Jordan(g)
コーリー・ウィルクス(トランペット)Corey Wilkes(tp)
マーク・キャリー(ピアノ) Marc Cary (p, effects)
マーク・ケリー(ベース)Mark Kelley (b)
■セットリスト
Setlist : Will Calhoun & Stanley Jorday at Motion Blue, 8/8/2008
Show started 21:35
01. Afro Blue
02. A Long Walk Home
03. Umoja (Unity) (including Martin Luther King’s “Peace”)
04. Dorita
05. Forest Flower (Stanley solo)
06. Pyramids
Enc. Drum solo, Passion Dance-(McCoy Tyner), Bulls on Parade-(Rage Against The Machine)...played in succession....(Putting McCoy Tyner and Rage Against the Machine together is called a "Mash-Up")
Show ended 23:14
(註)アンコールのドラム・ソロに続く、「パッション・ダンス」と「ブールズ・オン・パレード」は、2曲をミックスして演奏する「マッシュ・アップ」という手法で演奏。この「マッシュ・アップ」という手法は、ロンドンやアメリカのDJが考え出したもので、それをウィルはライヴ、生演奏で試みた。
Special thanks to Will Calhoun for making complete setlist.
(2008年8月8日金曜、横浜モーション・ブルー=ウィル・カフーン&スタンリー・ジョーダン・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Calhoun, Will & Jordan, Stanley
【タモリの弔辞】
弔辞。
すでに報じられている通り、漫画家の赤塚不二夫さんが2008年8月2日、肺炎のため72歳で死去した。その葬儀が7日午前東京都中野区の宝仙寺で行われ、タモリさんが弔辞を読んだ。その弔辞全文(約1800字、約8分)に感銘を受けた。特に最後の「私もあなたの数多くの作品の一つです」には、感動した。タモリさんがゆっくりと遺影に語りかけていた姿がひじょうに印象的だった。
この中で語られる「これでいいのだ」は赤塚さんの人生訓とも言えるだろうが、今の時代、納得いかないことにも、「これでいいのだ」で済ませられれば、どれだけ楽になるか、と思う。もちろん済ませられない理不尽なことも多々あるだろうが。このニュアンスを英語で言うとなるとどうなるのだろうか。「This is right, This is good, This is how it should be」 何かいいアイデアがあれば、お知らせください。
タモリさんは次のように語った。
「弔辞。8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。
十代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライヴみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。『赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている』 この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。
終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから、私のマンションにいろ』と、こう言いました。自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。
しばらくは毎日、新宿の『ひとみ寿司』というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと、ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私にとって金言として心の中に残っています。そして、仕事に生かしております。
赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところをみたことがありません。
その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『この野郎、逝きやがった』とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。
いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い出されています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わしてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。
私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさしていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。平成20年8月7日、森田一義」
ENT>OBITUARY>Akatsuka, Fujio (September 14, 1935 - Aug 2, 2008, 72)
弔辞。
すでに報じられている通り、漫画家の赤塚不二夫さんが2008年8月2日、肺炎のため72歳で死去した。その葬儀が7日午前東京都中野区の宝仙寺で行われ、タモリさんが弔辞を読んだ。その弔辞全文(約1800字、約8分)に感銘を受けた。特に最後の「私もあなたの数多くの作品の一つです」には、感動した。タモリさんがゆっくりと遺影に語りかけていた姿がひじょうに印象的だった。
この中で語られる「これでいいのだ」は赤塚さんの人生訓とも言えるだろうが、今の時代、納得いかないことにも、「これでいいのだ」で済ませられれば、どれだけ楽になるか、と思う。もちろん済ませられない理不尽なことも多々あるだろうが。このニュアンスを英語で言うとなるとどうなるのだろうか。「This is right, This is good, This is how it should be」 何かいいアイデアがあれば、お知らせください。
タモリさんは次のように語った。
「弔辞。8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。
十代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライヴみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。『赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている』 この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。
終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから、私のマンションにいろ』と、こう言いました。自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。
しばらくは毎日、新宿の『ひとみ寿司』というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと、ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私にとって金言として心の中に残っています。そして、仕事に生かしております。
赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところをみたことがありません。
その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『この野郎、逝きやがった』とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。
いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い出されています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わしてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。
私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさしていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。平成20年8月7日、森田一義」
ENT>OBITUARY>Akatsuka, Fujio (September 14, 1935 - Aug 2, 2008, 72)
【ソウルバーにてソウル族集合す】
SOUL族。
というわけで、チャーリー・ウィルソンのライヴは熱く暑く燃えたのだが、こうなってしまっては、まっすぐ家に帰るわけにもいくまい。ほてった体を少しさますということで、同行ソウルメイト、松尾潔さんとソウルバーでも行きましょう、ということに。いろいろ考えたあげく、久しく行ってなかった恵比寿のアリ・オリに行くことに。前回『ユニヴァース』のトークイヴェントで行って以来。
六本木通りから駒沢通りへ入るあたりで松尾氏お店に電話。「今から大丈夫ですか? あ、大丈夫。すいてる、はい、あ、10分くらいで着きます〜〜」 そして、アリ・オリの扉を開けて、中に入って我々が見たものは!?!?
「えええっ、なんでなんで? いつから?」と叫ぶ松尾氏。なんとカウンターの中にいたのは、あの渡辺祐氏ではないか。「今日は、本物のマスターが体調くずして休んでるんで、私が一日店長、オウナーとしてやらせていただいております」 ついに、いつかはやるとは聞いていたが、いきなり恵比寿のソウルバーの店長か! 祐さんとは当日昼間メールのやりとりで、チャーリー・ウィルソンのファーストに行くということだったが、どうやら、チャーリー→ちょっとお食事(おでんや)→ちょっと一杯(バー・アリオリ)のコースらしい。
しばし、その日の雑談に花が咲き、誰もオーダーを取ろうとしない。(笑) 「オーダーは何にいたしましょう」と祐さん。「でも、こちらの若林のほうに言ってください」とオーダーを振る。「僕、ここに立ってても、何もできないんでね。飲むくらいしか、できないんで」 ちょうど、僕たちが入ったときは他にお客さんはおらず貸切状態。お店のマスターはずっと立ちっぱなしで我々の相手をしてくれる。そのうち、マスター用にさっきオーダーしていたソーセージ登場。なんで、マスターがカウンター内側にてソーセージをつまむか。
そうこうするうちに、お客さんご来店で、何もしないでただ飲むだけの祐オウナーと、ボックス席へ移動。ここからがまた絶好調。ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、松尾さんは一時期祐さんの事務所に所属していたことがある。祐さんが初めて松尾氏を知ったときのことを振り返る。
「ある朝、車乗ってたんですよ。そしたら、朝っぱらから、こゆ〜〜いブラック・ミュージックがかかってるんですよ。まるっきり朝には似あいもしない。夜にかかりそうな美メロがね。誰だあ、朝っぱらからこんな曲かける奴は、と思ってたんです。ベイFMでした。そしたら、DJが松尾潔です、っていうんだよね。あ〜〜、あのBMRとかに書いてる松尾さん、(ラジオで)しゃべってるんだあ、と思って。それで、知り合いの編集者に電話番号聞いてかけたんですよ。そしたら、何に驚いたって、(僕より)年下だったってことですよ。(笑) 絶対自分より上か同じくらいだと思ってた」松尾氏は祐氏より9歳年下。
今、祐さんはJウェイヴで毎週土曜の朝8時から正午までの生番組を担当している。そこで、どうしても寝過ごせないので毎週金曜は六本木のホテルに宿を取り、(ホテルに宿を取り、という表現はおかしいな、ま、おいといて)5時半に起きて7時までには歩いて局入りする、という。
「いやあ、土曜朝6時の六本木の交差点ってみなさん、行ったことあります? もうすごいですよ、とんでもない多国籍企業で。中東系、韓国系、お姉ちゃん系、クラブ帰りの若者系、アフリカ系、もうほんとどろどろの種々雑多、老若男女。ガラが悪いというか、まともなのは、ワタシだけですよ」
「(六本木のホテル)アイビス芸人っていうのがいてね、知ってます? 吉本の芸人で大阪から来る連中でまだ(東京で)売れてないのは、ホテルに泊められるんですね。それで、そこそこ関東エリアで売れると、晴れてこっち(東京)に部屋とかマンションとかを借りられる。だから、アイビス芸人を卒業できるっていうのは、ひとつ出世らしいんですけどね。あ、でも、僕は、アイビス芸人じゃあありません。違うホテルです。万一寝坊しても歩いて行ける距離ってことで、(Jウェイヴに)近いところに泊まってるんです。グランド・ハイアットにお泊り? なわけないでしょ。(ビシッ←頭叩く音)(ホテル代)自腹なんですから。ハイ」
話はノンストップ! 話題は縦横無尽。文壇バー、落語の話、おでんやさんの話などをはさみつつソウル・バー・トーキングは終演を知らない。そうこうしているうちに、アリ・オリ名物焼きそば登場。どうやら前回アリ・オリ来日時、まだご本人はこの焼きそばを食べていないらしい。若林さんによると「うちの焼きそば勧めたら、このあとミラクル行って食べるから〜」と遠慮されたそうで。(笑)
「僕なんかけっこういいかげんですから」と祐さんが言うと松尾さん、「いやあ、こん中で一番ちゃんとしてますよ。僕たちなんかサラリーマンやったことないんだから」。「いや、でもね、吉岡さんとか松尾さんたちが、どうやってソウル業界で30年やってきたかなんて話を対談でやったら絶対おもしろいと思うよ。細かいソウルネタいれて対談やってよ」「僕、30年はやってないなあ…(苦笑)」と松尾氏。「ほら、あなたがた、いろんなアーティストともたくさん会って話ししてるわけじゃない。そういうのを好き勝手に対談すれば、きっと読者もおもしろがると思うんだよね、その現場感覚のものって、レコード聴いてああだ、こうだって言ってるのと違うんだから」 どんどんアイデアが膨らむ祐さん。さすが、名ライターにして名編集者である。編集者ってこうやって人を乗せることが仕事なんですね、流れる石、ガーサスです。
「吉岡さんのブログには、とうていかないませんよ。だから(自分が)ライヴ見て感想ちらっと書いても、後はこちらへ、ってリンクはってお終しまい。(笑) あれだけの量を、いいかげんじゃなくて、きちんと正確に、音楽評論家として書いてるっていうのに頭が下がります」「ありがとうございます!」
「で、(松尾さんに向かって)、本はどうなったの、いつ出るの?」 松尾さんが今、書き下ろしているという本についての質問だ。「いやあ、書いてるんですけど…。なかなか進まなくて…」 さあムラムラと編集者ダマシイに火が点くか??
ところで、同行Sちゃん、初めて会った祐さんを「はい、よくテレビでお見かけします」と言ったはいいが、なんと、山田五郎さんと勘違いしてたらしい。恵比寿ソウル族の夜は更ける…。
■ 小気味良いテンポで進む祐さんの人気ブログ
2008-8-6
[MIF通信]恵比寿深夜SOUL族の夜
http://d.hatena.ne.jp/dothemonkey/20080806
上記記事内リンクから再びソウル・サーチンへお戻りくださるようお願い申し上げます。ソウル・サーチン→MIF→ソウル・サーチン→MIFの無限ループへどうぞ。
ENT>MUSIC>ESSAY>
SOUL族。
というわけで、チャーリー・ウィルソンのライヴは熱く暑く燃えたのだが、こうなってしまっては、まっすぐ家に帰るわけにもいくまい。ほてった体を少しさますということで、同行ソウルメイト、松尾潔さんとソウルバーでも行きましょう、ということに。いろいろ考えたあげく、久しく行ってなかった恵比寿のアリ・オリに行くことに。前回『ユニヴァース』のトークイヴェントで行って以来。
六本木通りから駒沢通りへ入るあたりで松尾氏お店に電話。「今から大丈夫ですか? あ、大丈夫。すいてる、はい、あ、10分くらいで着きます〜〜」 そして、アリ・オリの扉を開けて、中に入って我々が見たものは!?!?
「えええっ、なんでなんで? いつから?」と叫ぶ松尾氏。なんとカウンターの中にいたのは、あの渡辺祐氏ではないか。「今日は、本物のマスターが体調くずして休んでるんで、私が一日店長、オウナーとしてやらせていただいております」 ついに、いつかはやるとは聞いていたが、いきなり恵比寿のソウルバーの店長か! 祐さんとは当日昼間メールのやりとりで、チャーリー・ウィルソンのファーストに行くということだったが、どうやら、チャーリー→ちょっとお食事(おでんや)→ちょっと一杯(バー・アリオリ)のコースらしい。
しばし、その日の雑談に花が咲き、誰もオーダーを取ろうとしない。(笑) 「オーダーは何にいたしましょう」と祐さん。「でも、こちらの若林のほうに言ってください」とオーダーを振る。「僕、ここに立ってても、何もできないんでね。飲むくらいしか、できないんで」 ちょうど、僕たちが入ったときは他にお客さんはおらず貸切状態。お店のマスターはずっと立ちっぱなしで我々の相手をしてくれる。そのうち、マスター用にさっきオーダーしていたソーセージ登場。なんで、マスターがカウンター内側にてソーセージをつまむか。
そうこうするうちに、お客さんご来店で、何もしないでただ飲むだけの祐オウナーと、ボックス席へ移動。ここからがまた絶好調。ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、松尾さんは一時期祐さんの事務所に所属していたことがある。祐さんが初めて松尾氏を知ったときのことを振り返る。
「ある朝、車乗ってたんですよ。そしたら、朝っぱらから、こゆ〜〜いブラック・ミュージックがかかってるんですよ。まるっきり朝には似あいもしない。夜にかかりそうな美メロがね。誰だあ、朝っぱらからこんな曲かける奴は、と思ってたんです。ベイFMでした。そしたら、DJが松尾潔です、っていうんだよね。あ〜〜、あのBMRとかに書いてる松尾さん、(ラジオで)しゃべってるんだあ、と思って。それで、知り合いの編集者に電話番号聞いてかけたんですよ。そしたら、何に驚いたって、(僕より)年下だったってことですよ。(笑) 絶対自分より上か同じくらいだと思ってた」松尾氏は祐氏より9歳年下。
今、祐さんはJウェイヴで毎週土曜の朝8時から正午までの生番組を担当している。そこで、どうしても寝過ごせないので毎週金曜は六本木のホテルに宿を取り、(ホテルに宿を取り、という表現はおかしいな、ま、おいといて)5時半に起きて7時までには歩いて局入りする、という。
「いやあ、土曜朝6時の六本木の交差点ってみなさん、行ったことあります? もうすごいですよ、とんでもない多国籍企業で。中東系、韓国系、お姉ちゃん系、クラブ帰りの若者系、アフリカ系、もうほんとどろどろの種々雑多、老若男女。ガラが悪いというか、まともなのは、ワタシだけですよ」
「(六本木のホテル)アイビス芸人っていうのがいてね、知ってます? 吉本の芸人で大阪から来る連中でまだ(東京で)売れてないのは、ホテルに泊められるんですね。それで、そこそこ関東エリアで売れると、晴れてこっち(東京)に部屋とかマンションとかを借りられる。だから、アイビス芸人を卒業できるっていうのは、ひとつ出世らしいんですけどね。あ、でも、僕は、アイビス芸人じゃあありません。違うホテルです。万一寝坊しても歩いて行ける距離ってことで、(Jウェイヴに)近いところに泊まってるんです。グランド・ハイアットにお泊り? なわけないでしょ。(ビシッ←頭叩く音)(ホテル代)自腹なんですから。ハイ」
話はノンストップ! 話題は縦横無尽。文壇バー、落語の話、おでんやさんの話などをはさみつつソウル・バー・トーキングは終演を知らない。そうこうしているうちに、アリ・オリ名物焼きそば登場。どうやら前回アリ・オリ来日時、まだご本人はこの焼きそばを食べていないらしい。若林さんによると「うちの焼きそば勧めたら、このあとミラクル行って食べるから〜」と遠慮されたそうで。(笑)
「僕なんかけっこういいかげんですから」と祐さんが言うと松尾さん、「いやあ、こん中で一番ちゃんとしてますよ。僕たちなんかサラリーマンやったことないんだから」。「いや、でもね、吉岡さんとか松尾さんたちが、どうやってソウル業界で30年やってきたかなんて話を対談でやったら絶対おもしろいと思うよ。細かいソウルネタいれて対談やってよ」「僕、30年はやってないなあ…(苦笑)」と松尾氏。「ほら、あなたがた、いろんなアーティストともたくさん会って話ししてるわけじゃない。そういうのを好き勝手に対談すれば、きっと読者もおもしろがると思うんだよね、その現場感覚のものって、レコード聴いてああだ、こうだって言ってるのと違うんだから」 どんどんアイデアが膨らむ祐さん。さすが、名ライターにして名編集者である。編集者ってこうやって人を乗せることが仕事なんですね、流れる石、ガーサスです。
「吉岡さんのブログには、とうていかないませんよ。だから(自分が)ライヴ見て感想ちらっと書いても、後はこちらへ、ってリンクはってお終しまい。(笑) あれだけの量を、いいかげんじゃなくて、きちんと正確に、音楽評論家として書いてるっていうのに頭が下がります」「ありがとうございます!」
「で、(松尾さんに向かって)、本はどうなったの、いつ出るの?」 松尾さんが今、書き下ろしているという本についての質問だ。「いやあ、書いてるんですけど…。なかなか進まなくて…」 さあムラムラと編集者ダマシイに火が点くか??
ところで、同行Sちゃん、初めて会った祐さんを「はい、よくテレビでお見かけします」と言ったはいいが、なんと、山田五郎さんと勘違いしてたらしい。恵比寿ソウル族の夜は更ける…。
■ 小気味良いテンポで進む祐さんの人気ブログ
2008-8-6
[MIF通信]恵比寿深夜SOUL族の夜
http://d.hatena.ne.jp/dothemonkey/20080806
上記記事内リンクから再びソウル・サーチンへお戻りくださるようお願い申し上げます。ソウル・サーチン→MIF→ソウル・サーチン→MIFの無限ループへどうぞ。
ENT>MUSIC>ESSAY>
【93分、汗だくファンクの真髄】
汗だく。
「トウキョー! パーティーの準備はいいかあ!」 ファンク・バンド、ギャップ・バンドのリード・ヴォーカル、チャーリー・ウィルソンの2007年4月以来、約1年4ヶ月ぶりの来日ライヴ。2日目セカンドはほぼ満員。
バンド編成などほぼ前回と同じ、そのエネルギーの爆発ぶりも同様。1曲目からいきなり観客は総立ち、ディスコ状態になった。ダンサー4人も実に激しく踊るので、熱い暑い。もちろんチャーリーのヴォーカルも熱くて厚くて暑苦しくなるほど。冒頭のにわとりの鳴き声から始まる「アーリー・イン・ザ・モーニング」は後半などチャーリーのシャウトとバック・コーラスのからみがこれでもかと盛り上げる。すべてこの調子だ。いけいけゴーゴー。
かと思えば、キーボードの弾き語りをしっとりと聴かせたRケリー作品「ノー・ワーズ」などはゴスペルで鍛えた歌声をじっくり聴かせて魅せる。
最初からチャーリーは汗だく。バンドメンバーは白一色のパンツとシャツ、さらに色違いのネクタイ。そしてところどころにほんのちょっとした小芝居が入ってエンタテインメントとして観客を飽きさせない。あちこちにはさまれる口笛のピューという音が心地よいアクセントに。チャーリーは1953年1月29日生まれ、ということで、現在55歳だ。それにしてもよく動き、踊る恐るべきおん年ゴーゴー。
ダンサーの激しいダンスも見所だが、例えば、7曲目タイムのカヴァー「クール」などは、まるでチャーリー・ウィルソンがタイムのモリス・デイになったかのよう。全身が映る鏡を持ち出し、自分を映し出すところなどはモリス・デイそっくりだ。そのダンサーを、彼は「チャーリーズ・エンジェル」と呼んだ。「このタオル、欲しいか?」と客に尋ねる。「イエ〜〜」、そして、客席に投げ入れた。
ニュー・ジャック・スイングのガイの大ヒット「レッツ・チル」をチャーリーがここでカヴァー。そして、ギャップ・バンドのヒットでガイがカヴァーした「イヤーニング・フォー・ユア・ラヴ」をチャーリーが歌う。ガイつながりだ。
アンコールでは、真夏なのに、真冬なみの白い長いコート風の衣装で登場、これみよがしに「どうだ」というポーズをとり、受けていた。そして、セクシーさを思い切り出す。ブラックネス!
「次の機会まで、ピース!」と言った後、「ホワッツ・マイ・ネーム?」と叫んだ。リアクションは「チャーリー!」。すべてが汗どろどろのブラック・エンタテインメントの真髄、真髄。「汗なしファンクにソウルなし」の堂々たる証明だ。93分に及んだライヴは前回よりも長くなっていた。そして、セカンドはライヴ後にサイン会。
なお、バック・コーラス真ん中の女性、オードラ・アレクサンダーは、コンテポラリーなゴスペル・グループで2002年にアルバム『パム&ドディー』を出したパム&ドディーのドディーであった。このライヴのキーボード、コーデル・ウォルトンのプロデュースで初のソロ・アルバムを出すところだという。
いやあ、それにしても濃いソウル・ライヴだ。満足、満足。そんな後はソウル・バーにでもゴーゴー。
(ライヴ後、ソウル談義については明日へ続く)
■ 過去記事
April 25, 2007
Charlie Wilson: Hi Energy Live
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200704/2007_04_25.html
■ メンバー
チャーリー・ウィルソン / Charlie Wilson(Vocals)
コーデル・ウォルトン / Cordell Walton(Keyboards)
ローレンス・ワシントン / Lawrence Washington(Keyboards)
マイケル・アンダーソン / Michael Anderson(Guitar)
マーキス・ジョンソン / Marquis Johnson(Drums)
ヴィクトリア・ヴォーン / Victoria Vaughn(Background Vocals)
オードラ・アレクサンダー / Audra Alexander(Background Vocals)
オーブリー・スワン / Aubrey Swan(Background Vocals)
ダニエル・ブラウン / Danielle Brown(Dancer)
パトリシア・デュークス / Patricia Dukes(Dancer)
アリシア・フィアーズ / Alecia Fears(Dancer)
ラモント・トリヴァー / Lamont Tolliver(Dancer)
■ セットリスト
Setlist : Charlie Wilson Of The Gap Band @ Billboard Live, August 5th, 2008
Show started 21:37
01. Intro
02. Beautiful [Snoop Dogg Featuring Pharrell, Uncle Charlie Wilson]
03. Early In The Morning 〜 Signs [Snoop Dogg Featuring Charlie Wilson, Justin Timberlake]
04. No Words [R.Kelly]
05. Burn Rubber (Why You Wanna Hurt Me)
06. Cool [The Time]
07. Let’s Chill [Guy]
08. Yearning For Your Love 〜 A Riff Of “Joy & Pain” 〜 “Between The Sheets” 〜 Yearning For Your Love
09. Outstanding
Enc. Magic [R.Kelly]
Enc. Supa Sexy (new)
Enc. Charlie, Last Name Wilson [R.Kelly]
Show ended 23:10
(2008年8月5日火曜、ビルボード・ライヴ=チャーリー・ウィルソン・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Wilson, Charlie
2008-132
汗だく。
「トウキョー! パーティーの準備はいいかあ!」 ファンク・バンド、ギャップ・バンドのリード・ヴォーカル、チャーリー・ウィルソンの2007年4月以来、約1年4ヶ月ぶりの来日ライヴ。2日目セカンドはほぼ満員。
バンド編成などほぼ前回と同じ、そのエネルギーの爆発ぶりも同様。1曲目からいきなり観客は総立ち、ディスコ状態になった。ダンサー4人も実に激しく踊るので、熱い暑い。もちろんチャーリーのヴォーカルも熱くて厚くて暑苦しくなるほど。冒頭のにわとりの鳴き声から始まる「アーリー・イン・ザ・モーニング」は後半などチャーリーのシャウトとバック・コーラスのからみがこれでもかと盛り上げる。すべてこの調子だ。いけいけゴーゴー。
かと思えば、キーボードの弾き語りをしっとりと聴かせたRケリー作品「ノー・ワーズ」などはゴスペルで鍛えた歌声をじっくり聴かせて魅せる。
最初からチャーリーは汗だく。バンドメンバーは白一色のパンツとシャツ、さらに色違いのネクタイ。そしてところどころにほんのちょっとした小芝居が入ってエンタテインメントとして観客を飽きさせない。あちこちにはさまれる口笛のピューという音が心地よいアクセントに。チャーリーは1953年1月29日生まれ、ということで、現在55歳だ。それにしてもよく動き、踊る恐るべきおん年ゴーゴー。
ダンサーの激しいダンスも見所だが、例えば、7曲目タイムのカヴァー「クール」などは、まるでチャーリー・ウィルソンがタイムのモリス・デイになったかのよう。全身が映る鏡を持ち出し、自分を映し出すところなどはモリス・デイそっくりだ。そのダンサーを、彼は「チャーリーズ・エンジェル」と呼んだ。「このタオル、欲しいか?」と客に尋ねる。「イエ〜〜」、そして、客席に投げ入れた。
ニュー・ジャック・スイングのガイの大ヒット「レッツ・チル」をチャーリーがここでカヴァー。そして、ギャップ・バンドのヒットでガイがカヴァーした「イヤーニング・フォー・ユア・ラヴ」をチャーリーが歌う。ガイつながりだ。
アンコールでは、真夏なのに、真冬なみの白い長いコート風の衣装で登場、これみよがしに「どうだ」というポーズをとり、受けていた。そして、セクシーさを思い切り出す。ブラックネス!
「次の機会まで、ピース!」と言った後、「ホワッツ・マイ・ネーム?」と叫んだ。リアクションは「チャーリー!」。すべてが汗どろどろのブラック・エンタテインメントの真髄、真髄。「汗なしファンクにソウルなし」の堂々たる証明だ。93分に及んだライヴは前回よりも長くなっていた。そして、セカンドはライヴ後にサイン会。
なお、バック・コーラス真ん中の女性、オードラ・アレクサンダーは、コンテポラリーなゴスペル・グループで2002年にアルバム『パム&ドディー』を出したパム&ドディーのドディーであった。このライヴのキーボード、コーデル・ウォルトンのプロデュースで初のソロ・アルバムを出すところだという。
いやあ、それにしても濃いソウル・ライヴだ。満足、満足。そんな後はソウル・バーにでもゴーゴー。
(ライヴ後、ソウル談義については明日へ続く)
■ 過去記事
April 25, 2007
Charlie Wilson: Hi Energy Live
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200704/2007_04_25.html
■ メンバー
チャーリー・ウィルソン / Charlie Wilson(Vocals)
コーデル・ウォルトン / Cordell Walton(Keyboards)
ローレンス・ワシントン / Lawrence Washington(Keyboards)
マイケル・アンダーソン / Michael Anderson(Guitar)
マーキス・ジョンソン / Marquis Johnson(Drums)
ヴィクトリア・ヴォーン / Victoria Vaughn(Background Vocals)
オードラ・アレクサンダー / Audra Alexander(Background Vocals)
オーブリー・スワン / Aubrey Swan(Background Vocals)
ダニエル・ブラウン / Danielle Brown(Dancer)
パトリシア・デュークス / Patricia Dukes(Dancer)
アリシア・フィアーズ / Alecia Fears(Dancer)
ラモント・トリヴァー / Lamont Tolliver(Dancer)
■ セットリスト
Setlist : Charlie Wilson Of The Gap Band @ Billboard Live, August 5th, 2008
Show started 21:37
01. Intro
02. Beautiful [Snoop Dogg Featuring Pharrell, Uncle Charlie Wilson]
03. Early In The Morning 〜 Signs [Snoop Dogg Featuring Charlie Wilson, Justin Timberlake]
04. No Words [R.Kelly]
05. Burn Rubber (Why You Wanna Hurt Me)
06. Cool [The Time]
07. Let’s Chill [Guy]
08. Yearning For Your Love 〜 A Riff Of “Joy & Pain” 〜 “Between The Sheets” 〜 Yearning For Your Love
09. Outstanding
Enc. Magic [R.Kelly]
Enc. Supa Sexy (new)
Enc. Charlie, Last Name Wilson [R.Kelly]
Show ended 23:10
(2008年8月5日火曜、ビルボード・ライヴ=チャーリー・ウィルソン・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Wilson, Charlie
2008-132
【ユリ、ブルース・アレー単独ソロ名義で初登場】
四季。
久保田利伸やAIのバック・コーラスをつとめたり、『ソウル・サーチン:ザ・セッション』でも歌声を聴かせてくれているアジア一のR&B歌姫ユリが、ブルース・アレーに自己名義で初登場、堂々たるライヴを見せた。ユリ自身の単独ライヴは2007年8月9日の渋谷JZブラット以来2度目。
メンバーは昨年とほぼ同メンバー、コーラスに盟友有坂美香さんがいないくらいか。全15曲。カヴァーありオリジナルありのヴァラエティーに富んだ構成だ。バンドはそれにしてもプロにして強力。特に最初からベース奏者ジーノの音の響きが抜群だった。ジーノの音はここブルース・アレーで聴くと他とかなり違っていい音がする。
ローズ・ロイスのオリジナルでフェイス・エヴァンスもカヴァーした「ラヴ・ドント・リヴ・ヒア・エニモア」から「メモリー・レーン」へメドレーにしてスタート。また『ピアノ・ダンス』というハウス系のコンピでラヴ・ディヴィニティーという名前で歌っていることを明かし、その曲を歌った。普通のソウル・バラードから、こうしたクラブ系の曲までなんなく歌うが、ドラムスのジェイ・スティックスもいつもながら控えめに、違ったタイプの曲を実にいい感じでサポートする。あまりでしゃばらないいいドラマーだ。また「ロック・ステディー」などでの柿崎さんのハモンド・オルガンのソロなど最高だ。そして、ファーストの圧巻はブライアン・マクナイトの「ネヴァー・フェルト・ディス・ウェイ」。彼と2人だけで聴かせ、「声と歌で観客を掴めるシンガー」ということを強くアピールした。曲も実に彼女にあっていた。久保田さんがユリを「アジア一うまいシンガー」というのもうなずける。この日は彼も仕事を抜け出し、ファーストからユリのライヴを観戦。
セカンドは、ダンサー兼シンガーのワーナーとのデュエットから。さらに「バタフライズ」のような難しい曲をさらりと歌ってみせる。4曲目からしばらくスローが続いたが、ちょっとスローが続きすぎたかなあ。ま、曲順をうまく入れ替えればいいのではないだろうか。アップ、ミディアム、スローのバランス、セットリスト=曲順はとても大事です。
ときにフェイス・エヴァンス、ときにフローエトリー風、そしてこの日感じたのが、ちょっとミディアム・スローの作品でかのデニース・ウィリアムス的なかわいい声の歌い方が印象に残った。ユリはその声で四季のごとくさまざまな声の表情を見せる。そして、なによりも難しい曲を簡単に上手に歌えてしまうので、余計、たとえば簡単な曲を1曲でもセットリストにいれると、メリハリがついていいと思った。ので、ライヴ後彼女に直接言った。
それにしても、普通に聴いていると、当たり前にブラックかアメリカのシンガーのライヴを見ているような気になる。MCが日本語になるので、そのときだけ、ああ、彼女は日本人だと思う。
驚いたのは、彼女のバークリー時代の先生だったというサックス奏者兼ヴォーカルのウォルター・ビーズレーの作品を歌ったこと。これもなかなかいい曲だったが調べてみると1995年のウォルターのアルバム『プライヴェート・タイム』に収録されていた。ユリはウォルターがカヴァーした「エヴリシング・アイ・ミス・アット・ホーム」(シェレールのヒット)で、バック・コーラスをしているそうだ。ユリもこういう曲や、ミニー・リパートン、あるいはフェイス・エヴァンス、フローエトリーといった1990年代R&Bアーティストの曲調はじつにはまる。アンコール2曲目ルーファス&シャカの「ユー・ガット・ザ・ラヴ」あたりも、すっかり自分の持ち歌のように歌いこなしていた。年一ライヴではなく、年4回くらい四季ごとにお願いします。(笑)
■ 過去関連記事
August 10, 2007
Yuri’s First Her Own Live:
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200708/2007_08_10.html
前回ライヴ評。ここに過去関連記事一覧。
■メンバー
YURI LIVE08:IN THE ORCHID ROOM
(Vo)YURI (Key)柿崎洋一郎 (B)日野JINO賢二 (G)馬谷勇 (Ds)Jay Stixx
(Guest Vocal) Warner (Guest Rap) Chiharu
■セットリスト ユリ
Setlist : Yuri @ Blues Alley, August 4, 2008
1st
Show started 19:42
01. Love Don’t Live Here Anymore [Rose Royce, Faith Evans]
02. Memory Lane [Minnie Riperton]
03. Sweet Surrender [Original]
04. Stranger Than B4 [Original]
05. Never Felt This Way [Brian McKnight]
06. Rock Steady [Aretha Franklin]
Show ended 20:29
2nd
show started 21:06
01. You’ve Changed [Keyshia Cole](Duet With Warner)
02. Butterfly [Floetry]
03. Music Is My Life [Original]
04. ノイズの向こう [Original] (+Chiharu on rap)
05. ラブ・ストーリー [Original]
06. I Will Be The One [Walter Beasley]
07. Again [Faith Evans]
Enc. Make Me Whole [Amel Larrieux]
Enc. You Got The Love [Rufus/Chaka Khan]
Show ended 22:16
(2008年8月4日月曜、目黒・ブルース・アレー=ユリ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Yuri
2008-131
四季。
久保田利伸やAIのバック・コーラスをつとめたり、『ソウル・サーチン:ザ・セッション』でも歌声を聴かせてくれているアジア一のR&B歌姫ユリが、ブルース・アレーに自己名義で初登場、堂々たるライヴを見せた。ユリ自身の単独ライヴは2007年8月9日の渋谷JZブラット以来2度目。
メンバーは昨年とほぼ同メンバー、コーラスに盟友有坂美香さんがいないくらいか。全15曲。カヴァーありオリジナルありのヴァラエティーに富んだ構成だ。バンドはそれにしてもプロにして強力。特に最初からベース奏者ジーノの音の響きが抜群だった。ジーノの音はここブルース・アレーで聴くと他とかなり違っていい音がする。
ローズ・ロイスのオリジナルでフェイス・エヴァンスもカヴァーした「ラヴ・ドント・リヴ・ヒア・エニモア」から「メモリー・レーン」へメドレーにしてスタート。また『ピアノ・ダンス』というハウス系のコンピでラヴ・ディヴィニティーという名前で歌っていることを明かし、その曲を歌った。普通のソウル・バラードから、こうしたクラブ系の曲までなんなく歌うが、ドラムスのジェイ・スティックスもいつもながら控えめに、違ったタイプの曲を実にいい感じでサポートする。あまりでしゃばらないいいドラマーだ。また「ロック・ステディー」などでの柿崎さんのハモンド・オルガンのソロなど最高だ。そして、ファーストの圧巻はブライアン・マクナイトの「ネヴァー・フェルト・ディス・ウェイ」。彼と2人だけで聴かせ、「声と歌で観客を掴めるシンガー」ということを強くアピールした。曲も実に彼女にあっていた。久保田さんがユリを「アジア一うまいシンガー」というのもうなずける。この日は彼も仕事を抜け出し、ファーストからユリのライヴを観戦。
セカンドは、ダンサー兼シンガーのワーナーとのデュエットから。さらに「バタフライズ」のような難しい曲をさらりと歌ってみせる。4曲目からしばらくスローが続いたが、ちょっとスローが続きすぎたかなあ。ま、曲順をうまく入れ替えればいいのではないだろうか。アップ、ミディアム、スローのバランス、セットリスト=曲順はとても大事です。
ときにフェイス・エヴァンス、ときにフローエトリー風、そしてこの日感じたのが、ちょっとミディアム・スローの作品でかのデニース・ウィリアムス的なかわいい声の歌い方が印象に残った。ユリはその声で四季のごとくさまざまな声の表情を見せる。そして、なによりも難しい曲を簡単に上手に歌えてしまうので、余計、たとえば簡単な曲を1曲でもセットリストにいれると、メリハリがついていいと思った。ので、ライヴ後彼女に直接言った。
それにしても、普通に聴いていると、当たり前にブラックかアメリカのシンガーのライヴを見ているような気になる。MCが日本語になるので、そのときだけ、ああ、彼女は日本人だと思う。
驚いたのは、彼女のバークリー時代の先生だったというサックス奏者兼ヴォーカルのウォルター・ビーズレーの作品を歌ったこと。これもなかなかいい曲だったが調べてみると1995年のウォルターのアルバム『プライヴェート・タイム』に収録されていた。ユリはウォルターがカヴァーした「エヴリシング・アイ・ミス・アット・ホーム」(シェレールのヒット)で、バック・コーラスをしているそうだ。ユリもこういう曲や、ミニー・リパートン、あるいはフェイス・エヴァンス、フローエトリーといった1990年代R&Bアーティストの曲調はじつにはまる。アンコール2曲目ルーファス&シャカの「ユー・ガット・ザ・ラヴ」あたりも、すっかり自分の持ち歌のように歌いこなしていた。年一ライヴではなく、年4回くらい四季ごとにお願いします。(笑)
■ 過去関連記事
August 10, 2007
Yuri’s First Her Own Live:
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200708/2007_08_10.html
前回ライヴ評。ここに過去関連記事一覧。
■メンバー
YURI LIVE08:IN THE ORCHID ROOM
(Vo)YURI (Key)柿崎洋一郎 (B)日野JINO賢二 (G)馬谷勇 (Ds)Jay Stixx
(Guest Vocal) Warner (Guest Rap) Chiharu
■セットリスト ユリ
Setlist : Yuri @ Blues Alley, August 4, 2008
1st
Show started 19:42
01. Love Don’t Live Here Anymore [Rose Royce, Faith Evans]
02. Memory Lane [Minnie Riperton]
03. Sweet Surrender [Original]
04. Stranger Than B4 [Original]
05. Never Felt This Way [Brian McKnight]
06. Rock Steady [Aretha Franklin]
Show ended 20:29
2nd
show started 21:06
01. You’ve Changed [Keyshia Cole](Duet With Warner)
02. Butterfly [Floetry]
03. Music Is My Life [Original]
04. ノイズの向こう [Original] (+Chiharu on rap)
05. ラブ・ストーリー [Original]
06. I Will Be The One [Walter Beasley]
07. Again [Faith Evans]
Enc. Make Me Whole [Amel Larrieux]
Enc. You Got The Love [Rufus/Chaka Khan]
Show ended 22:16
(2008年8月4日月曜、目黒・ブルース・アレー=ユリ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Yuri
2008-131
【ニューヨーク・タイムス紙ハイラムの死去を報道】
報道。
ニューヨーク・タイムス紙が7月31日付けでハイラム・ブロックの死去を報じた。約700ワード弱の同記事では死因はまだ特定できないが、16年間同居していたパートナーのジェニファー・アームストロングの言葉として、ハイラムが舌癌だったことを明かしている。
Hiram Bullock, 52, Soulful Guitarist, Dies
http://www.nytimes.com/2008/07/31/arts/music/31bullock.html
また、ハイラムがビリー・ジョエルの『ストレンジャー』のアルバム、スティーリー・ダンの『ガウチョ』、スティングの『ナッシング・ライク・ザ・サン』などの大ヒットアルバムでもプレイしている、と書き、さらに、ハイラムには2人の義理の息子、4人の兄弟が残されているとしている。
音楽業界誌ビルボードは依然ハイラム死去のニュースを報じていない。
なお、本人のウェッブサイトも、やっと本人死去の情報をアップした。また同サイト内にある掲示板にも多くのお悔やみの言葉が寄せられている。
http://www.hirambullock.com/
http://www.hirambullock.com/lounge.html
■関連記事
July 30, 2008
Hiram Bullock Dies At 52
http://blog.soulsearchin.com/archives/002624.html
July 27, 2008
(Bulletin) Hiram Bullock Dies At 52 ??
http://blog.soulsearchin.com/archives/002620.html
+++++
ENT>OBITUARY>Bullock, Hiram (September 11, 1955 - July 25, 2008 = 52)
報道。
ニューヨーク・タイムス紙が7月31日付けでハイラム・ブロックの死去を報じた。約700ワード弱の同記事では死因はまだ特定できないが、16年間同居していたパートナーのジェニファー・アームストロングの言葉として、ハイラムが舌癌だったことを明かしている。
Hiram Bullock, 52, Soulful Guitarist, Dies
http://www.nytimes.com/2008/07/31/arts/music/31bullock.html
また、ハイラムがビリー・ジョエルの『ストレンジャー』のアルバム、スティーリー・ダンの『ガウチョ』、スティングの『ナッシング・ライク・ザ・サン』などの大ヒットアルバムでもプレイしている、と書き、さらに、ハイラムには2人の義理の息子、4人の兄弟が残されているとしている。
音楽業界誌ビルボードは依然ハイラム死去のニュースを報じていない。
なお、本人のウェッブサイトも、やっと本人死去の情報をアップした。また同サイト内にある掲示板にも多くのお悔やみの言葉が寄せられている。
http://www.hirambullock.com/
http://www.hirambullock.com/lounge.html
■関連記事
July 30, 2008
Hiram Bullock Dies At 52
http://blog.soulsearchin.com/archives/002624.html
July 27, 2008
(Bulletin) Hiram Bullock Dies At 52 ??
http://blog.soulsearchin.com/archives/002620.html
+++++
ENT>OBITUARY>Bullock, Hiram (September 11, 1955 - July 25, 2008 = 52)
【ジョー・サンプル&ランディー・クロフォード新作9月に】
再会。
金曜日の朝、ジョー・サンプルに電話インタヴュー。ジョー・サンプルが2006年にリリースしたアルバム『フィーリング・グッド』に続く新作『ノー・リグレッツ』を9月24日発売するが、それに関するもの。リリースまでだいぶあるが、内容がひじょうによかったので先行して書いてしまう。
この新作は、なんと前作同様ジョー・サンプルとランディー・クロフォードのコラボが再現されるものだ。ジョーが、1作だけでなく2作連続で同じシンガーと手を組むのも前代未聞で、よほどランディーとの共演が気に入っているものとみえる。プロデュースはこれも前作同様巨匠トミー・リピューマ。
バックを務めるのは、ドラムス・スティーヴ・ガッド、ベース・クリスチャン・マクブライド、ジョーのトリオ。これも前作の基本メンバー。「勝っているときには、チームを動かすな」 これは鉄則だ。このメンバーにギター、サックス、フルーゲル・ホーンなどで客演がある。
前作が大変評判が高く、支持されたために、ほぼ同一コンセプトでの第2作ということになる。日本でも昨年この2人は東京ジャズで共演を見せた。同じメンバーたちが約2年ぶりに再会し、トミー、ジョー、ランディーらは5-60曲の候補から今回13曲を選んだ。そして、その選曲のバランスが見事だ。ソウル、ジャズ、R&B、ゴスペル、ブルーズ、カントリー、そして、ヨーロッパ楽曲まで、実にアメリカ・ポピュラー音楽を俯瞰した選曲になっている。
アルバム・タイトル曲となる『ノー・リグレッツ』は、もともと1961年にフランスのエディット・ピアフがレコーディングしてヒットさせた曲。また、カントリー曲、ブルーズ曲もランディーが歌うことによって、そんな出所を忘れさせられてしまう。すばらしい。
ジョーは、いずれの作品も当時自分がその曲をアレンジしたら、どうアレンジしただろう、ということを考えながらアレンジして作りあげたという。
この中で僕が個人的にひじょうに嬉しかった選曲が1972年のメンフィスのメル&ティムの大ヒット「スターティング・オール・オーヴァー・アゲイン」。ジョーのピアノのイントロから始まり、ランディーの歌声がからんでくる。オリジナルは男性のデュエットだが、ここではランディー1人で歌う。
ジョーは言う。「昨年11月にモスクワでフィルハーモニック・オーケストラとともにランディーが歌った。そのときのブルーズ・シンガーとしての魅力が存分に出て、それはそれは素晴らしい夜になった。ブルーズ・シンガー、ソウル・シンガー、としての魅力が輝いていた。そのとき、ランディーとそんな彼女のブルーズ・シンガーとしての顔を見せたアルバムを作ってみようという気になったんだ」
そして、1曲目は「エヴリデイ・アイ・ハヴ・ザ・ブルーズ」。これは、ジョーが10代だったころ、よく聴いていて気に入っていた曲だという。そんな曲を50年以上経た今レコーディングする。再び、この最新作は、ジョーの音楽歴史を振り返る傑作となった。
■ジョー・サンプル&ランディー・クロフォード
Joe Sample & Randy Crawford : No Regrets
(ビデオアーツVACM-1359 2940円税込み)(2008年9月24日日本先行発売)
Track List :
( ) indicates original acts or act who made it hit and hit year
01. Everyday I Have The Blues (Count Basie / Joe Williams 1956)
02. Just One Smile (Dusty Springfield 1969)
03. Respect Yourself (Staple Singers 1971)
04. Angel (Sara McLachlan 1997)
05. Me, Myself & I (Billie Holiday 1937)
06. Today I Sing The Blues (Aretha Franklin 1960)
07. Don’t Pull All Your Eggs In One Basket (Ray Charles circa 1946)
08. This Bitter Earth (Dinah Washington 1960)
09. Starting All Over Again (Mel & Tim 1972)
10. No Regrets (Edith Piaf 1961)
11. Lead Me On (Bobby Blue Bland 1961)
12. Angel Of The Morning (Eavie Sands 1967)
13. Choices (George Jones 1999)
■
September 22, 2007
Tokyo Jazz 2007: Joe Sample & Randy Crawford, Candy, Etc.
http://blog.soulsearchin.com/archives/002038.html
2007年9月、ジョー&ランディーのライヴ
ENT>ARTIST>Sample, Joe & Crawford, Randy
再会。
金曜日の朝、ジョー・サンプルに電話インタヴュー。ジョー・サンプルが2006年にリリースしたアルバム『フィーリング・グッド』に続く新作『ノー・リグレッツ』を9月24日発売するが、それに関するもの。リリースまでだいぶあるが、内容がひじょうによかったので先行して書いてしまう。
この新作は、なんと前作同様ジョー・サンプルとランディー・クロフォードのコラボが再現されるものだ。ジョーが、1作だけでなく2作連続で同じシンガーと手を組むのも前代未聞で、よほどランディーとの共演が気に入っているものとみえる。プロデュースはこれも前作同様巨匠トミー・リピューマ。
バックを務めるのは、ドラムス・スティーヴ・ガッド、ベース・クリスチャン・マクブライド、ジョーのトリオ。これも前作の基本メンバー。「勝っているときには、チームを動かすな」 これは鉄則だ。このメンバーにギター、サックス、フルーゲル・ホーンなどで客演がある。
前作が大変評判が高く、支持されたために、ほぼ同一コンセプトでの第2作ということになる。日本でも昨年この2人は東京ジャズで共演を見せた。同じメンバーたちが約2年ぶりに再会し、トミー、ジョー、ランディーらは5-60曲の候補から今回13曲を選んだ。そして、その選曲のバランスが見事だ。ソウル、ジャズ、R&B、ゴスペル、ブルーズ、カントリー、そして、ヨーロッパ楽曲まで、実にアメリカ・ポピュラー音楽を俯瞰した選曲になっている。
アルバム・タイトル曲となる『ノー・リグレッツ』は、もともと1961年にフランスのエディット・ピアフがレコーディングしてヒットさせた曲。また、カントリー曲、ブルーズ曲もランディーが歌うことによって、そんな出所を忘れさせられてしまう。すばらしい。
ジョーは、いずれの作品も当時自分がその曲をアレンジしたら、どうアレンジしただろう、ということを考えながらアレンジして作りあげたという。
この中で僕が個人的にひじょうに嬉しかった選曲が1972年のメンフィスのメル&ティムの大ヒット「スターティング・オール・オーヴァー・アゲイン」。ジョーのピアノのイントロから始まり、ランディーの歌声がからんでくる。オリジナルは男性のデュエットだが、ここではランディー1人で歌う。
ジョーは言う。「昨年11月にモスクワでフィルハーモニック・オーケストラとともにランディーが歌った。そのときのブルーズ・シンガーとしての魅力が存分に出て、それはそれは素晴らしい夜になった。ブルーズ・シンガー、ソウル・シンガー、としての魅力が輝いていた。そのとき、ランディーとそんな彼女のブルーズ・シンガーとしての顔を見せたアルバムを作ってみようという気になったんだ」
そして、1曲目は「エヴリデイ・アイ・ハヴ・ザ・ブルーズ」。これは、ジョーが10代だったころ、よく聴いていて気に入っていた曲だという。そんな曲を50年以上経た今レコーディングする。再び、この最新作は、ジョーの音楽歴史を振り返る傑作となった。
■ジョー・サンプル&ランディー・クロフォード
Joe Sample & Randy Crawford : No Regrets
(ビデオアーツVACM-1359 2940円税込み)(2008年9月24日日本先行発売)
Track List :
( ) indicates original acts or act who made it hit and hit year
01. Everyday I Have The Blues (Count Basie / Joe Williams 1956)
02. Just One Smile (Dusty Springfield 1969)
03. Respect Yourself (Staple Singers 1971)
04. Angel (Sara McLachlan 1997)
05. Me, Myself & I (Billie Holiday 1937)
06. Today I Sing The Blues (Aretha Franklin 1960)
07. Don’t Pull All Your Eggs In One Basket (Ray Charles circa 1946)
08. This Bitter Earth (Dinah Washington 1960)
09. Starting All Over Again (Mel & Tim 1972)
10. No Regrets (Edith Piaf 1961)
11. Lead Me On (Bobby Blue Bland 1961)
12. Angel Of The Morning (Eavie Sands 1967)
13. Choices (George Jones 1999)
■
September 22, 2007
Tokyo Jazz 2007: Joe Sample & Randy Crawford, Candy, Etc.
http://blog.soulsearchin.com/archives/002038.html
2007年9月、ジョー&ランディーのライヴ
ENT>ARTIST>Sample, Joe & Crawford, Randy
●Double “We R&B” Live
2008年8月2日【ダブル・スタジオ・コースト・ライヴ】
超満員。
バーケイズでジョン・ブラックウェルのドラムを見たおかげで、新木場スタジオ・コーストで行われたダブルのイヴェント・ライヴへ。うわさには聞いていたが、圧倒的に観客は女性が多かった。最初9−1くらいかと思ったら、7−3くらいか。新木場スタジオ・コーストは1階の立見席は立錐の余地もないほどの超満員。2階席も立ち見が多数でて身動きが取れなかった。何度も衣装チェンジがあり、さすがに女性ファンが多いだけはある。今回のイヴェントのテーマは、「ウィ・R&B」。「私たち〜R&B」という意味か。
ダブルのタカコは、もはや20代のファッション・カリスマ的存在のような感じさえうかがえる。いいR&B風楽曲がうまく現代風にプロデュースされ、ファッションを含めたアーティスト・イメージが実にうまく形作られ、一挙にブレイクした総合プロデュースの勝利という印象を持った。「見せ方」が実にうまいと思った。その点で、初期のメアリー・J・ブライジ的なイメージかもしれない。ダブル・サウンドのようなものが完成したところが、イメージ作りの大きな土台になっているのだろう。
この日はフル・オブ・ハーモニー(FOH)や女性ラッパー、アクセント(アーティスト表記は、Ak’Sent)などのゲストがたくさんでてきた。中でももっとも観客が沸いたのは、アンコール1曲目で安室奈美恵がでてきた瞬間。会場の温度が一気に3度は上がった。2人で軽い振り付けをあわせて踊って可愛かった。アンコールで流れた「残り火」、さすがにいい曲を最後に持ってくるなあ、と思ったら、これ、「月ユニ」で松尾さんが思い切りかけまくっていて、自動的に(僕に)刷り込まれていたものでした。(笑)改めていい曲だと思いました、ハイ。
バンドは、ドラムス、ベース、キーボード2にコーラス2。さらにダンサーが4人+1(サルサ・ダンサー)。バンド・マスターが、本ブログに何度も登場している学史こと藤川学史くんだ。バンドをまとめてファンキーなサウンドを作り上げた。タカコ自身は年間何十本もライヴをやって来ているようには見えないので、観客とのやりとりなどぎこちない部分もあるが、一生懸命歌と踊りを練習して、満員の観客の前で披露したという感じだ。おつかれさまでした。ハイ。
■メンバー
Members:
Fujikawa Gakushi : Keyboards & Vocoder, Musical Director
John Blackwell : Drums
Hiro : Bass
Makoto : Keyboards
Yurai : Chorus
Asiah : Chorus
Dancers: Li’ Miho, Nanako, Miho Brown, ,Chiyuki, Yuuki (Salsa)
Guests: Full Of Harmony、Ak’Sent、ZEEBRA、VERBAL(m-flo)、安室奈美恵
■セットリスト ダブル@スタジオ・コースト、2008年7月31日木曜
Setlist : Double @ Studio Coast, Shinkiba
01. Opening
02. Wonderful
03. Destiny
04. Driving All Night
05. You Got To
06. U
07. Handle
08. We International 〜 Ak’Sent (Original song)
09. Arabian Dream
10. Reflex
11. Souljah
12. Summer Time
13. Piano Solo
14. Spring Love
15. Breath Again
16. Okaeri
17. プラチナム・デート
18. Crystal Clear (Interlude)
19. Free Style (Interlude)
20. Little Things You Do (Remix) 〜Make Me Happy
21. Sweet Time (Soulive Remix) (Introducing Members)
22. Shake
23. Angel
24. D-O-U-B-L-E (Intro)
25. Call Me
26. Emotions
27. Rock The Party
Enc.1. Black Diamond (Featuring Amuro Namie)
Enc.2. Rollin’ On
Enc.3. Who’s That Girl
Enc.4. Bed 〜 残り火 〜 Eternal Bed
Show ended 22:18
(2008年7月31日木曜、新木場スタジオ・コースト=ダブル・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Double
2008-130
超満員。
バーケイズでジョン・ブラックウェルのドラムを見たおかげで、新木場スタジオ・コーストで行われたダブルのイヴェント・ライヴへ。うわさには聞いていたが、圧倒的に観客は女性が多かった。最初9−1くらいかと思ったら、7−3くらいか。新木場スタジオ・コーストは1階の立見席は立錐の余地もないほどの超満員。2階席も立ち見が多数でて身動きが取れなかった。何度も衣装チェンジがあり、さすがに女性ファンが多いだけはある。今回のイヴェントのテーマは、「ウィ・R&B」。「私たち〜R&B」という意味か。
ダブルのタカコは、もはや20代のファッション・カリスマ的存在のような感じさえうかがえる。いいR&B風楽曲がうまく現代風にプロデュースされ、ファッションを含めたアーティスト・イメージが実にうまく形作られ、一挙にブレイクした総合プロデュースの勝利という印象を持った。「見せ方」が実にうまいと思った。その点で、初期のメアリー・J・ブライジ的なイメージかもしれない。ダブル・サウンドのようなものが完成したところが、イメージ作りの大きな土台になっているのだろう。
この日はフル・オブ・ハーモニー(FOH)や女性ラッパー、アクセント(アーティスト表記は、Ak’Sent)などのゲストがたくさんでてきた。中でももっとも観客が沸いたのは、アンコール1曲目で安室奈美恵がでてきた瞬間。会場の温度が一気に3度は上がった。2人で軽い振り付けをあわせて踊って可愛かった。アンコールで流れた「残り火」、さすがにいい曲を最後に持ってくるなあ、と思ったら、これ、「月ユニ」で松尾さんが思い切りかけまくっていて、自動的に(僕に)刷り込まれていたものでした。(笑)改めていい曲だと思いました、ハイ。
バンドは、ドラムス、ベース、キーボード2にコーラス2。さらにダンサーが4人+1(サルサ・ダンサー)。バンド・マスターが、本ブログに何度も登場している学史こと藤川学史くんだ。バンドをまとめてファンキーなサウンドを作り上げた。タカコ自身は年間何十本もライヴをやって来ているようには見えないので、観客とのやりとりなどぎこちない部分もあるが、一生懸命歌と踊りを練習して、満員の観客の前で披露したという感じだ。おつかれさまでした。ハイ。
■メンバー
Members:
Fujikawa Gakushi : Keyboards & Vocoder, Musical Director
John Blackwell : Drums
Hiro : Bass
Makoto : Keyboards
Yurai : Chorus
Asiah : Chorus
Dancers: Li’ Miho, Nanako, Miho Brown, ,Chiyuki, Yuuki (Salsa)
Guests: Full Of Harmony、Ak’Sent、ZEEBRA、VERBAL(m-flo)、安室奈美恵
■セットリスト ダブル@スタジオ・コースト、2008年7月31日木曜
Setlist : Double @ Studio Coast, Shinkiba
01. Opening
02. Wonderful
03. Destiny
04. Driving All Night
05. You Got To
06. U
07. Handle
08. We International 〜 Ak’Sent (Original song)
09. Arabian Dream
10. Reflex
11. Souljah
12. Summer Time
13. Piano Solo
14. Spring Love
15. Breath Again
16. Okaeri
17. プラチナム・デート
18. Crystal Clear (Interlude)
19. Free Style (Interlude)
20. Little Things You Do (Remix) 〜Make Me Happy
21. Sweet Time (Soulive Remix) (Introducing Members)
22. Shake
23. Angel
24. D-O-U-B-L-E (Intro)
25. Call Me
26. Emotions
27. Rock The Party
Enc.1. Black Diamond (Featuring Amuro Namie)
Enc.2. Rollin’ On
Enc.3. Who’s That Girl
Enc.4. Bed 〜 残り火 〜 Eternal Bed
Show ended 22:18
(2008年7月31日木曜、新木場スタジオ・コースト=ダブル・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Double
2008-130
(バーケイズ・ライヴ=パート2=昨日からのつづき)
【バーケイズ・ライヴ(パート2)〜ファンク大爆発の夜】
オールドスクール。
特別のゲストが来ていて、ドラマーが交代した。そして、流れてきた「パープル・レイン」。すると、そのドラマーを見たソウルメイト、ハセヤンが言った。「おおっ、あれ、ニューヨークで見たプリンスのときのドラマーじゃないか?」「ええっ、なんで日本にいるの?」 よくわからない。プリンスといえば、ツナさんである。そこでさっそく彼に問い合わせメール。「プリンスのドラマーは?」「今はCCダナムという女性です」「男で直近は? 誰か来日してます?」「前ドラマー、ジョン・ブラックウェルが来日中です」 それだ! 「ダブルのタカコで来てるはずです。それ、吉岡先生から教えてもらった情報ですよ」 が〜〜ん忘れてた。(笑)
なんと、メンバーのエマニュエルに代わってドラムスの席についたのは、元プリンスのドラマー、ジョン・ブラックウェルだったのだ。ギターのトニーが、まるでプリンスの如く歌い、プリンス・バンドのジョンがドラムを叩いた「パープル・レイン」はフルサイズ10分以上になり、やんやの大喝采を集めた。それは手馴れたはずだ。いやあ、スローなのに盛り上がった。いいドラマーだ。
メンバーが彼を紹介する。「ジョン・ブラックウェル!!」 拍手の中、いったんステージ横に退出。そして、今度は何をするかと思ったら、ベース奏者のジェームス・アレキサンダーが前に進み出た。MCによって、「われわれはグループを結成して40周年になる。(筆者注、初ヒットからはすでに41年、結成からは42年) 以前、オーティス・レディングのバックをつとめていた」と紹介され、怒涛のオーティス・メドレーが始まった。しわがれ声のジェームスの歌声は、オーティスを真似たものか。なんと渋い声。いっきにコットンクラブが1960年代のR&Bワールドにワープした。
オーティスのバックを務めたバーケイズが、しかも、実際にオーティスの後ろでベースを弾いたジェームス・アレキサンダーがそのオーティスの曲を歌う。「オーティス・レディング!! ウイ・ミス・ユー!!」とジェームスが叫ぶ。感動だ! 忌野清志郎さんに見せたかったな。「アイ・キャント・ターン・ユー・ルーズ」から始まり、ノンストップで「トライ・ア・リトル・テンダーネス」に。ここからリードがラリーに変わる。これは最近は映画『マイ・ブルーベリー・ナイツ』でも、コーヒーショップ、スターバックスでもかかっていて、ちょっとしたブームだ。さらに「サティスファクション」。ストーンズのカヴァーをオーティスがやったヴァージョン。そして、そのまま「ドック・オブ・ザ・ベイ」だ。途中のサビの部分を、ラリーはマイクを観客に向け歌わせようとしたが、ちょっと歌詞部分がわからず、あまり歌えなかった。でも、口笛の部分はみんながなんとかやった。「ドック・オブ・ザ・ベイ」の歌詞は基礎教養として覚えておかないとだめか。(笑) このオーティス・メドレーは前回になかったので、定番にすればいいのにと思った。
そして、アーチー・ラヴが再度登場し、彼の持ち歌「トゥルー・ラヴ」を披露。さらにもう1曲マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイング・オン」をダレルが。この時点で、もう20%増量なんてものではなく、50%増量くらいになっているのではないか。そして、これを終えて、バーケイズ・ショウへ戻る。「ホーリー・ゴースト」だ。なんと、この「ホーリー・ゴースト」では客席にいたジェイ公山さん、ステージに上げられ、熱唱! なんという増量。(笑) グッドジョブ! ジェイさんはバーケイズと一緒にレコーディングもしているわけだし、ステージにあがってもなんら違和感なしだ。そして、ノンストップで「フリーク・ショウ」。これで一度本編を終わり、アンコールに「ユア・プレイス・オア・マイン」。
「You Ready Go Home? (家に帰りたいか?)」 「ノ〜〜〜〜」
なんとこのアンコールでは、キーボード、エズラとカートのソロがあり、その後にジョンがドラム・ソロに再突入。これがすごかった。ドラム・ソロをやっている間、メンバーはドラマーを見つつ、手で仰ぐしぐさ。そして、ジョンのドラム・ソロ。あいた口がふさがらないとはこのこと。元ドラマー、ハセヤンも「これはすごいわ」とえらく感激。
そして、ジョンがドラムに入ったことから、バンドの本来のドラマー、エマニュエルがあぶれたと思いきや、ジェームスが彼を手招きし、エマニュエルにベースを手渡すではないか。彼もかなり巨漢なので、ベースが小さく見えるが、いきなりバチバチものすごいソロを叩く。チョッパーだ。ええっ、彼はベースもできるんだ。みな、器用。しかも、ドラムスとベース(実際はドラマー)のインタープレイがまたまたおもしろい。これが結局15分近くになるロング・ヴァージョンで大団円となった。
しかし、エネルギッシュですごい。50%大増量のライヴであった。しかも、よくセットリストを見ればわかるように、スライ、マーヴィン、オーティスまで、ある意味「オールド・スクール・ソウル」のデパートではないか。
ライヴが終わると、DJアトムが手招き。すでに目もうつろ状態。相当よっぱらっている様子。聴けばファーストとセカンドを通しで見て、前日も見たという。都合3回見て「僕は1回しか見てない」というと、「(オレは)3回で、吉岡くんに勝ったよ」と自慢げ。ジェイさんに「グッド・ジョブ」と声をかけると、「今日はただの客ですから」。そして、『ソウル・トレイン』のDJリュウが。「今、ジョン・ブラックウェルのめんどうみてるんですよ、今回だけですけどね」と。あ〜〜なるほど、それで。「今回のバンマスはキーボードの学史だよ」 ああ、なるほど。それはすごいや。あさって(31日・木曜)ダブルやるから来てくださいと、ということで急遽行くことに。
ライヴ後、汗を拭くまもなくメンバーはサイン会にでてくる。何人かと話したことをまとめてみる。
ステージ向かって左のスキンヘッドのキーボード、エズラ。右側のキーボードもスキンヘッド。右がカート・クレイトン。これまでにも何度も来ている、愛称KC。ヴォーカル・ダレルとドラムス、エマニュエルは兄弟で、ダレルが兄。エマニュエルは3年ほど前にバーケイズに入ったが、前回来日時(2006年)は別の仕事が先に入っていてバーケイズの一員としては来日できなかった、という。最初3年前にバーケイズ入りしたときは、キーボード奏者として入ったそうだ。ということは彼はドラムス、キーボード、そして、ベースも弾くのか。まさにマルチ・プレイヤーではないか。
アーチーは先に述べたとおり、南部メンフィスを中心に活躍するヴェテラン。1958年11月23日シカゴ生まれ。スタックス周辺で活躍し、ソウル・チルドレンらと関係のある仕事をしてきた。最近ではJブラックフットの最新作『イット・エイント・オーヴァー・ティル・イッツ・オーヴァー』やソウル・チルドレンの『スティル・スタディー』などに曲提供したりプロデュースをしていたりする。レニー・ウィリアムスとJブラックフットのデュエットをプロデュースしたのは書いた。
キーボードのエズラは3年ほどバーケイズに在籍。Jブラックフットなどとも仕事をしてきた。ワーナーから1995年に出たRAWというグループにもいたという。オリジナル・メンバー、ジェームス・アレキサンダーは「足ががくがくするよ」と言ってぼやく。誕生日はと訊くと「1月19日」。「年号は?」「1950年、58歳だ、もうオールドだよ」との答え。資料によっては1948年生まれ説もあるが、果たして。
それにしても、これだけ熱いファンクを聴かせてくれるバーケイズ。おそらく日本のファンのリアクションも十分楽しんでいるようだ。いいミュージシャンといいファンのいい関係ができて、いいライヴが行われる。最高に素敵だ。今回彼らに新たな名前を授けたい。「キング・オブ・オールド・スクール・ソウル」。
(セットリスト、メンバー表は昨日付けの日記に)
(2008年07月29日火曜、丸の内コットンクラブ=バーケイズ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Bar Kays
2008-129
【バーケイズ・ライヴ(パート2)〜ファンク大爆発の夜】
オールドスクール。
特別のゲストが来ていて、ドラマーが交代した。そして、流れてきた「パープル・レイン」。すると、そのドラマーを見たソウルメイト、ハセヤンが言った。「おおっ、あれ、ニューヨークで見たプリンスのときのドラマーじゃないか?」「ええっ、なんで日本にいるの?」 よくわからない。プリンスといえば、ツナさんである。そこでさっそく彼に問い合わせメール。「プリンスのドラマーは?」「今はCCダナムという女性です」「男で直近は? 誰か来日してます?」「前ドラマー、ジョン・ブラックウェルが来日中です」 それだ! 「ダブルのタカコで来てるはずです。それ、吉岡先生から教えてもらった情報ですよ」 が〜〜ん忘れてた。(笑)
なんと、メンバーのエマニュエルに代わってドラムスの席についたのは、元プリンスのドラマー、ジョン・ブラックウェルだったのだ。ギターのトニーが、まるでプリンスの如く歌い、プリンス・バンドのジョンがドラムを叩いた「パープル・レイン」はフルサイズ10分以上になり、やんやの大喝采を集めた。それは手馴れたはずだ。いやあ、スローなのに盛り上がった。いいドラマーだ。
メンバーが彼を紹介する。「ジョン・ブラックウェル!!」 拍手の中、いったんステージ横に退出。そして、今度は何をするかと思ったら、ベース奏者のジェームス・アレキサンダーが前に進み出た。MCによって、「われわれはグループを結成して40周年になる。(筆者注、初ヒットからはすでに41年、結成からは42年) 以前、オーティス・レディングのバックをつとめていた」と紹介され、怒涛のオーティス・メドレーが始まった。しわがれ声のジェームスの歌声は、オーティスを真似たものか。なんと渋い声。いっきにコットンクラブが1960年代のR&Bワールドにワープした。
オーティスのバックを務めたバーケイズが、しかも、実際にオーティスの後ろでベースを弾いたジェームス・アレキサンダーがそのオーティスの曲を歌う。「オーティス・レディング!! ウイ・ミス・ユー!!」とジェームスが叫ぶ。感動だ! 忌野清志郎さんに見せたかったな。「アイ・キャント・ターン・ユー・ルーズ」から始まり、ノンストップで「トライ・ア・リトル・テンダーネス」に。ここからリードがラリーに変わる。これは最近は映画『マイ・ブルーベリー・ナイツ』でも、コーヒーショップ、スターバックスでもかかっていて、ちょっとしたブームだ。さらに「サティスファクション」。ストーンズのカヴァーをオーティスがやったヴァージョン。そして、そのまま「ドック・オブ・ザ・ベイ」だ。途中のサビの部分を、ラリーはマイクを観客に向け歌わせようとしたが、ちょっと歌詞部分がわからず、あまり歌えなかった。でも、口笛の部分はみんながなんとかやった。「ドック・オブ・ザ・ベイ」の歌詞は基礎教養として覚えておかないとだめか。(笑) このオーティス・メドレーは前回になかったので、定番にすればいいのにと思った。
そして、アーチー・ラヴが再度登場し、彼の持ち歌「トゥルー・ラヴ」を披露。さらにもう1曲マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイング・オン」をダレルが。この時点で、もう20%増量なんてものではなく、50%増量くらいになっているのではないか。そして、これを終えて、バーケイズ・ショウへ戻る。「ホーリー・ゴースト」だ。なんと、この「ホーリー・ゴースト」では客席にいたジェイ公山さん、ステージに上げられ、熱唱! なんという増量。(笑) グッドジョブ! ジェイさんはバーケイズと一緒にレコーディングもしているわけだし、ステージにあがってもなんら違和感なしだ。そして、ノンストップで「フリーク・ショウ」。これで一度本編を終わり、アンコールに「ユア・プレイス・オア・マイン」。
「You Ready Go Home? (家に帰りたいか?)」 「ノ〜〜〜〜」
なんとこのアンコールでは、キーボード、エズラとカートのソロがあり、その後にジョンがドラム・ソロに再突入。これがすごかった。ドラム・ソロをやっている間、メンバーはドラマーを見つつ、手で仰ぐしぐさ。そして、ジョンのドラム・ソロ。あいた口がふさがらないとはこのこと。元ドラマー、ハセヤンも「これはすごいわ」とえらく感激。
そして、ジョンがドラムに入ったことから、バンドの本来のドラマー、エマニュエルがあぶれたと思いきや、ジェームスが彼を手招きし、エマニュエルにベースを手渡すではないか。彼もかなり巨漢なので、ベースが小さく見えるが、いきなりバチバチものすごいソロを叩く。チョッパーだ。ええっ、彼はベースもできるんだ。みな、器用。しかも、ドラムスとベース(実際はドラマー)のインタープレイがまたまたおもしろい。これが結局15分近くになるロング・ヴァージョンで大団円となった。
しかし、エネルギッシュですごい。50%大増量のライヴであった。しかも、よくセットリストを見ればわかるように、スライ、マーヴィン、オーティスまで、ある意味「オールド・スクール・ソウル」のデパートではないか。
ライヴが終わると、DJアトムが手招き。すでに目もうつろ状態。相当よっぱらっている様子。聴けばファーストとセカンドを通しで見て、前日も見たという。都合3回見て「僕は1回しか見てない」というと、「(オレは)3回で、吉岡くんに勝ったよ」と自慢げ。ジェイさんに「グッド・ジョブ」と声をかけると、「今日はただの客ですから」。そして、『ソウル・トレイン』のDJリュウが。「今、ジョン・ブラックウェルのめんどうみてるんですよ、今回だけですけどね」と。あ〜〜なるほど、それで。「今回のバンマスはキーボードの学史だよ」 ああ、なるほど。それはすごいや。あさって(31日・木曜)ダブルやるから来てくださいと、ということで急遽行くことに。
ライヴ後、汗を拭くまもなくメンバーはサイン会にでてくる。何人かと話したことをまとめてみる。
ステージ向かって左のスキンヘッドのキーボード、エズラ。右側のキーボードもスキンヘッド。右がカート・クレイトン。これまでにも何度も来ている、愛称KC。ヴォーカル・ダレルとドラムス、エマニュエルは兄弟で、ダレルが兄。エマニュエルは3年ほど前にバーケイズに入ったが、前回来日時(2006年)は別の仕事が先に入っていてバーケイズの一員としては来日できなかった、という。最初3年前にバーケイズ入りしたときは、キーボード奏者として入ったそうだ。ということは彼はドラムス、キーボード、そして、ベースも弾くのか。まさにマルチ・プレイヤーではないか。
アーチーは先に述べたとおり、南部メンフィスを中心に活躍するヴェテラン。1958年11月23日シカゴ生まれ。スタックス周辺で活躍し、ソウル・チルドレンらと関係のある仕事をしてきた。最近ではJブラックフットの最新作『イット・エイント・オーヴァー・ティル・イッツ・オーヴァー』やソウル・チルドレンの『スティル・スタディー』などに曲提供したりプロデュースをしていたりする。レニー・ウィリアムスとJブラックフットのデュエットをプロデュースしたのは書いた。
キーボードのエズラは3年ほどバーケイズに在籍。Jブラックフットなどとも仕事をしてきた。ワーナーから1995年に出たRAWというグループにもいたという。オリジナル・メンバー、ジェームス・アレキサンダーは「足ががくがくするよ」と言ってぼやく。誕生日はと訊くと「1月19日」。「年号は?」「1950年、58歳だ、もうオールドだよ」との答え。資料によっては1948年生まれ説もあるが、果たして。
それにしても、これだけ熱いファンクを聴かせてくれるバーケイズ。おそらく日本のファンのリアクションも十分楽しんでいるようだ。いいミュージシャンといいファンのいい関係ができて、いいライヴが行われる。最高に素敵だ。今回彼らに新たな名前を授けたい。「キング・オブ・オールド・スクール・ソウル」。
(セットリスト、メンバー表は昨日付けの日記に)
(2008年07月29日火曜、丸の内コットンクラブ=バーケイズ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Bar Kays
2008-129
【バーケイズ・ライヴ(パート1)〜ファンク大爆発の夜】
大増量。
暑すぎて、熱すぎてもう止まらない。メンフィス・ファンクの雄、ヴェテラン・ファンク・グループ、バーケイズの2006年10月以来、1年9ヶ月ぶりのライヴ。火曜セカンドは、最後ということもあってか、超大盛り上がりで、それまでの4日の中でもっともエネルギーが爆発したパフォーマンスになった。今回何回も見ているソウルメイト(複数)によると、この火曜セカンドが一番曲数も多く、時間を長くやったようだ。実際、僕が前回来日時に見たときよりも、かなり長くなっていた。(前回セットリストがアンコール含めて16曲だったのに比べ、今回はなんと27曲!)久々に「どファンク」のライヴをエンジョイした。
9時半になるかならないかで、バンドの6人がステージに立つ。(前回も1分前にはステージ入りしていたその律儀ぶりを書いていた) そして煽りのMCが「バーケイズ!!」とシャウトすると、オリジナル・ベース・メンバー、飛行機事故からのサヴァイヴァー(正確には事故機に乗らなかった唯一のバーケイズ・メンバー)ことジェームス・アレキサンダーと、1971年以降リード・シンガーとして、現在のバーケイズの顔となっているラリー・ドドソンがステージにかけあがる。こうして8人になったバーケイズはイントロから、そのファンク・エネルギーを大爆発。1曲目からもはや観客はほぼ総立ちだ。アップテンポで、怒涛のファンクに観客もひれ伏し狂態。いやあ、あいかわらずすごい。今回はギターとドラムスが前回メンバーと変わっていたが、そのファンク度合いは、まったく変わらず最高のままだ。しかもこの火曜セカンドは見所たくさんで、書ききれないほどだ。(でも、全部書く。のでパート2までいくと思います)
イントロから7曲目までのノンストップ・メドレーで完全に観客を掌握。客は彼らのファンクの手玉にとられる。バーケイズはファンクのコントロール・タワーになった。そしてノンストップで、初のスロー・ジャム「アンティシペーション」。ちょっと箸休めでほっとするのもつかの間、今度はバック・ヴォーカルのひとりダレル・スタンリーが前に出て1曲披露。これがまた実にいい声の持ち主で、リヴァート(父・息子)を彷彿とさせるシンガー。なんと、彼は今回のドラマー、エマニュエル・コールの実兄だそう。歌うはオージェイズの大ヒット「レット・ミー・メイク・ラヴ・トゥ・ユー」。
さらにマイクを次のコーラス担当アーチー・ラヴに手渡し、彼がレニー・ウィリアムスの「コーズ・アイ・ラヴ・ユー」を熱唱。まさにサザン・フィールたっぷりのディープ・ソウルの喉を聴かせた。このアーチーは、メンフィスのソウル・ヴォーカル・グループ、ソウル・チルドレンらと親交が深く、同グループのリード・シンガー、Jブラックフットのバック・コーラスとしても来日したことがあるという。
今回このレニー・ウィリアムスの楽曲を選んだのは、アーチー自身がレニーとJブラックフットのデュエット作品をプロデュースし、その2人でこの曲をレコーディングしたからだという。彼はその昔、ライト・チョイス、さらにメイン・アトラクションに在籍していたヴェテランだった。1990年ごろ、ライト・チョイスのメンバーとして、六本木の「ペペルモコ」という店の箱バンドとして3-4ヶ月来日していたこともある、という。
2曲の客演を終えて、再びバーケイズ・ファンクへ。「トラフィック・ジャマー」から、なんと今度来日する予定のスライの曲をメドレーで。そして、おなじみの「セックス・オー・マティック」さらに「ムーヴ・ユア・ボディ」。観客は休むことなく、腕を宙に上げ、振る。フロアは狂乱のダンス・フロアに。
そして、ギターのトニーGが、前にでて話始めた。「今日、僕の素晴らしい友達がここにきています。こんなドラマーは見たことがありません。たまたま彼とは同じ誕生日でね、9月9日」といってドラマーを招き入れた。彼はそのまま、ドラムスに。流れてきたイントロはおなじみの、いや、プリンスでおなじみの「パープル・レイン」だった。なぜ?
(この項明日につづく)
■ 過去関連記事 バーケイズ
October 19, 2006
Bar Kays: Funk Explosion!! Sooooo Dynamite!!
http://blog.soulsearchin.com/archives/001339.html
October 23, 2006
Bar Kays: Integrity Of The Soul
http://blog.soulsearchin.com/archives/001343.html
前回来日ライヴ評。
■メンバー
ザ・バーケイズ
Larry Dodson(vo), James Alexander(b), Darrell Stanley(vo), Archie Love(vo), Ezra Williams(key), Kurt Clayton(key), Anthony Gentry(g), Emanuel Cole(ds)
■セットリスト バーケイズ
Setlist Bar Kays @ Cotton Club, July 29, 2008
[ ] indicates original artist ( ) indicate singer, otherwise Larry take all the lead
show started 21:30
01. Intro
02. Boogie Body Land (1980)
03. Shake Your Ramp To The Funk (1976)
04. Too Hot To Stop (1976)
05. Do It (Let Me See You Shake) (1982)
06. She Talks To Me With Her Body (1983)
07. Hit & Run (1981)
08. Anticipation (1982)
09. Let Me Make Love To You [O’Jays] (Darrell Stanley)
10. Cause I Love You (I’m Just A Fool) [Lenny Williams] (Archie Love)
11. Traffic Jammer (1981)
12. Thank You [Sly & The Family Stone]
13. I Want To Take You Higher [Sly & The Family Stone]
14. Sex-O-Matic (1984)
15. Move Your Boogie Body (1979)
16. Do What U Want 2
17. Drum Solo Purple Rain (Drums by John Blackwell) [Prince](Sung by Anthony G)
18. Otis Medley(18-21) : I Can’t Turn You Loose (James Alexander)
19.Try A Little Tenderness (Larry)
20. (I Can’t Get No) Satisfaction (Larry)
21. (Sitting On The) Dock Of The Bay (Larry)
22. True Love (Archie Love)
23. What’s Going On [Marvin Gaye] (Darrell)
24. Holy Ghost (1978) (Jaye Kouyama sung)
25. Freakshow On The Dance Floor (1984)
26. Outro
Enc. Your Place Or Mine (1985) (Drums by John Blackwell)
show ended 23:15
(2008年07月29日火曜、丸の内コットンクラブ=バーケイズ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Bar Kays
2008-129
大増量。
暑すぎて、熱すぎてもう止まらない。メンフィス・ファンクの雄、ヴェテラン・ファンク・グループ、バーケイズの2006年10月以来、1年9ヶ月ぶりのライヴ。火曜セカンドは、最後ということもあってか、超大盛り上がりで、それまでの4日の中でもっともエネルギーが爆発したパフォーマンスになった。今回何回も見ているソウルメイト(複数)によると、この火曜セカンドが一番曲数も多く、時間を長くやったようだ。実際、僕が前回来日時に見たときよりも、かなり長くなっていた。(前回セットリストがアンコール含めて16曲だったのに比べ、今回はなんと27曲!)久々に「どファンク」のライヴをエンジョイした。
9時半になるかならないかで、バンドの6人がステージに立つ。(前回も1分前にはステージ入りしていたその律儀ぶりを書いていた) そして煽りのMCが「バーケイズ!!」とシャウトすると、オリジナル・ベース・メンバー、飛行機事故からのサヴァイヴァー(正確には事故機に乗らなかった唯一のバーケイズ・メンバー)ことジェームス・アレキサンダーと、1971年以降リード・シンガーとして、現在のバーケイズの顔となっているラリー・ドドソンがステージにかけあがる。こうして8人になったバーケイズはイントロから、そのファンク・エネルギーを大爆発。1曲目からもはや観客はほぼ総立ちだ。アップテンポで、怒涛のファンクに観客もひれ伏し狂態。いやあ、あいかわらずすごい。今回はギターとドラムスが前回メンバーと変わっていたが、そのファンク度合いは、まったく変わらず最高のままだ。しかもこの火曜セカンドは見所たくさんで、書ききれないほどだ。(でも、全部書く。のでパート2までいくと思います)
イントロから7曲目までのノンストップ・メドレーで完全に観客を掌握。客は彼らのファンクの手玉にとられる。バーケイズはファンクのコントロール・タワーになった。そしてノンストップで、初のスロー・ジャム「アンティシペーション」。ちょっと箸休めでほっとするのもつかの間、今度はバック・ヴォーカルのひとりダレル・スタンリーが前に出て1曲披露。これがまた実にいい声の持ち主で、リヴァート(父・息子)を彷彿とさせるシンガー。なんと、彼は今回のドラマー、エマニュエル・コールの実兄だそう。歌うはオージェイズの大ヒット「レット・ミー・メイク・ラヴ・トゥ・ユー」。
さらにマイクを次のコーラス担当アーチー・ラヴに手渡し、彼がレニー・ウィリアムスの「コーズ・アイ・ラヴ・ユー」を熱唱。まさにサザン・フィールたっぷりのディープ・ソウルの喉を聴かせた。このアーチーは、メンフィスのソウル・ヴォーカル・グループ、ソウル・チルドレンらと親交が深く、同グループのリード・シンガー、Jブラックフットのバック・コーラスとしても来日したことがあるという。
今回このレニー・ウィリアムスの楽曲を選んだのは、アーチー自身がレニーとJブラックフットのデュエット作品をプロデュースし、その2人でこの曲をレコーディングしたからだという。彼はその昔、ライト・チョイス、さらにメイン・アトラクションに在籍していたヴェテランだった。1990年ごろ、ライト・チョイスのメンバーとして、六本木の「ペペルモコ」という店の箱バンドとして3-4ヶ月来日していたこともある、という。
2曲の客演を終えて、再びバーケイズ・ファンクへ。「トラフィック・ジャマー」から、なんと今度来日する予定のスライの曲をメドレーで。そして、おなじみの「セックス・オー・マティック」さらに「ムーヴ・ユア・ボディ」。観客は休むことなく、腕を宙に上げ、振る。フロアは狂乱のダンス・フロアに。
そして、ギターのトニーGが、前にでて話始めた。「今日、僕の素晴らしい友達がここにきています。こんなドラマーは見たことがありません。たまたま彼とは同じ誕生日でね、9月9日」といってドラマーを招き入れた。彼はそのまま、ドラムスに。流れてきたイントロはおなじみの、いや、プリンスでおなじみの「パープル・レイン」だった。なぜ?
(この項明日につづく)
■ 過去関連記事 バーケイズ
October 19, 2006
Bar Kays: Funk Explosion!! Sooooo Dynamite!!
http://blog.soulsearchin.com/archives/001339.html
October 23, 2006
Bar Kays: Integrity Of The Soul
http://blog.soulsearchin.com/archives/001343.html
前回来日ライヴ評。
■メンバー
ザ・バーケイズ
Larry Dodson(vo), James Alexander(b), Darrell Stanley(vo), Archie Love(vo), Ezra Williams(key), Kurt Clayton(key), Anthony Gentry(g), Emanuel Cole(ds)
■セットリスト バーケイズ
Setlist Bar Kays @ Cotton Club, July 29, 2008
[ ] indicates original artist ( ) indicate singer, otherwise Larry take all the lead
show started 21:30
01. Intro
02. Boogie Body Land (1980)
03. Shake Your Ramp To The Funk (1976)
04. Too Hot To Stop (1976)
05. Do It (Let Me See You Shake) (1982)
06. She Talks To Me With Her Body (1983)
07. Hit & Run (1981)
08. Anticipation (1982)
09. Let Me Make Love To You [O’Jays] (Darrell Stanley)
10. Cause I Love You (I’m Just A Fool) [Lenny Williams] (Archie Love)
11. Traffic Jammer (1981)
12. Thank You [Sly & The Family Stone]
13. I Want To Take You Higher [Sly & The Family Stone]
14. Sex-O-Matic (1984)
15. Move Your Boogie Body (1979)
16. Do What U Want 2
17. Drum Solo Purple Rain (Drums by John Blackwell) [Prince](Sung by Anthony G)
18. Otis Medley(18-21) : I Can’t Turn You Loose (James Alexander)
19.Try A Little Tenderness (Larry)
20. (I Can’t Get No) Satisfaction (Larry)
21. (Sitting On The) Dock Of The Bay (Larry)
22. True Love (Archie Love)
23. What’s Going On [Marvin Gaye] (Darrell)
24. Holy Ghost (1978) (Jaye Kouyama sung)
25. Freakshow On The Dance Floor (1984)
26. Outro
Enc. Your Place Or Mine (1985) (Drums by John Blackwell)
show ended 23:15
(2008年07月29日火曜、丸の内コットンクラブ=バーケイズ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Bar Kays
2008-129
▼Hiram Bullock Dies At 52
2008年7月30日【ハイラム・ブロック死去】
訃報。
ジャズ、フュージョン、ソウルなどでおなじみのニューヨークのギタリスト、ハイラム・ブロックが去る2008年7月25日、ニューヨークで死去した。52歳だった。正確な死因、死亡時刻、場所などは、依然発表されていないが、死去自体は7月28日月曜日のテレビ番組『レイト・ナイト・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』の番組内で発表された。ハイラムは、同番組のハウス・バンドの一員としても活動していた。また親友でもあるミュージシャンのウィル・リーが彼のウェッブページで死去したことを7月26日に書き込んでいた。
死因に関しては、2008年3月の自身のブログの中で咽喉癌(いんこう がん)または食道癌にかかり、治療中であることを明かしている。また複数の情報源は、ハイラムにはドラッグに関するトラブルがあり、そのドラッグ関係のものではないかと推測しているものもある。
葬儀は来る8月5日(火曜日)午後6時からニューヨーク・マンハッタン15丁目のブディスト・センターで行われる。
Tuesday, August 5th, 2008 at 6:00 PM at:
The Buddhist Center
7 East 15th St, New York
ハイラム自身のブログ
http://www.hirambullock.com/blog.html
3月29日付のブログでは、こう書き綴っている。「1月に口内に腫瘍があると診断されたが、心配はいらない。対処できるものだ。だがその処置はけっこうやっかいだ。癌を殺すために、僕に毒を盛り、そして(癌細胞を殺してから)僕を健康状態に戻すというわけだ。(もっとも最後に健康になるかならないかは僕自身にかかっているのだが) なにはともあれ、少し体重を落とさなくてはならない。病院で一番つらいことは、なによりも、本当に重い病気にかかり落ち込んでいる人々を見ることだ。(中略) 今後も状況を報告するが、現在最悪なことは、味覚がなくなっていること。(大好物の)ビーン・ブリトーさえ食べたいと思わないんだ。医者はすぐに(味覚は)戻ると言ってるが、それが待ちきれないよ」
ウィル・リーの書き込み
http://www.willlee.com/home.php
+++++
大阪。
ハイラムは1955年9月11日、日本の大阪生まれ。両親が米軍に所属、日本に駐在していたため、日本生まれとなった。2歳でニューヨークに移り、後にバルティモアで育つ。最初はピアノを学び、6歳で初めて人前でリサイタルを開いた。その後、11歳でサックスを練習し始め、中学時代にベースをプレイするようになったが、その後「女の子にもてるために」16歳でギターに転向した。マイアミ・ミュージック・スクールで音楽を学び、同地を本拠に活動を開始。この時期に、後にセッションなどで共演するようになるパット・メセニー、ジャコ・パストリアスらと知り合う。
一時期マイアミを本拠としていたソウル・シンガー、フィリス・ハイマンのバックバンドになったことで、後にフィリスとともにニューヨークへ移り、その後、ニューヨークでライヴ・ミュージシャンとして頭角を現し、多くのセッション、ライヴ、レコーディングに参加した。
特に1980年代に入ってからの活躍は目覚しく、デイヴィッド・サンボーンと知り合い、さらにプロデューサーのフィル・ラモーンなどにも気に入られ、多くのアーティストのサポートを勤めた。また、マーカス・ミラー、デイヴィッド・サンボーンらもいたテレビ番組『デイヴィッド・レターマン・ショウ』のハウス・バンドの一員に、さらに同じくテレビ番組『サタデイ・ナイト・ライヴ』のハウス・バンドにもなり、サンボーンが中心となった音楽番組『ナイト・ミュージック』の音楽監督にも抜擢されている。1983年からソロ活動に重点を置き始め1986年、アトランティックから初の自己名義アルバム『フロム・オール・サイズ』をさらに、『ギヴ・イット・ホワット・ユー・ガット』をリリース、シーンに大きなインパクトを与えた。
また、盟友ウィル・リーらと組んだ24丁目バンドは、特に日本で人気が高くライヴも好評だった。さらに、日本独自のスマップのヒット曲をニューヨークのスタジオ・ミュージシャンがレコーディングしたスマッピーズのアルバムにも参加している。
日本にも何度も自身のバンド、他のアーティストのサポートメンバーとして来日している。最近では、2007年5月のブルーノートでのライヴ、さらに同年9月の東京ジャズで元気なところを見せていた。
■ 2000年の作品『ギターマン』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005GWQE/soulsearchiho-22/ref=nosim/
+++++
巨漢。
僕が最後にハイラムを見たのは、昨年(2007年)9月の東京ジャズ、さらにその少し前、同年5月のブルーノートのライヴ。ライヴ評にも書かれているが、いつものことながら、彼はパフォーマンスの途中で、ワイアレスのギターゆえにどんどん会場内を歩き回り、あの巨漢で小さなブルーノートのテーブルの上に乗ってプレイする。当然、小さなテーブルだから、スタッフが3人がかりで、テーブルをがっちり抑える。あれ、よく足とか折れないもんだ、と思って見ていた。とにかくサーヴィス精神旺盛なギターマンだ。彼の音楽性はロック、ファンク、ジャズなどなんでも貪欲に取り入れるところに特徴があった。体が大きいから、本当にギターが小さく見えた。日本では渡辺貞夫さん、ジーノなどとも共演している。
■過去記事 ハイラム・ブロック
May 26, 2007
Hiram Bullock : Plays Stevie Songs
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200705/2007_05_26.html
昨年ブルーノートでのライヴ。
September 22, 2007
Tokyo Jazz 2007: Joe Sample & Randy Crawford, Candy, Etc.
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200709/2007_09_22.html
東京ジャズに出演。ただしこの記事ではあまりふれていません。
とにかく観客を楽しませることを徹底してやったギタリストだった。そして、もちろん自分も楽しんでいた。去年見たときは、元気いっぱいだったので、まさかこんなに早く死去するなんて、夢にも思わなかった。
しかし、ハイラム死去のニュースはまったく一般メディアにでてこない。個人のブログにはけっこうでてきているのに、ニューヨークの新聞、ビルボード誌などでさえも、でてこない。なぜなのだろう。僕もマネージメントに確認の問い合わせをしているのだが、まったく返事がない。不思議だ。
ご冥福をお祈りする。
ENT>OBITUARY>Bullock, Hiram (September 11, 1955 - July 25, 2008 = 52)
訃報。
ジャズ、フュージョン、ソウルなどでおなじみのニューヨークのギタリスト、ハイラム・ブロックが去る2008年7月25日、ニューヨークで死去した。52歳だった。正確な死因、死亡時刻、場所などは、依然発表されていないが、死去自体は7月28日月曜日のテレビ番組『レイト・ナイト・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』の番組内で発表された。ハイラムは、同番組のハウス・バンドの一員としても活動していた。また親友でもあるミュージシャンのウィル・リーが彼のウェッブページで死去したことを7月26日に書き込んでいた。
死因に関しては、2008年3月の自身のブログの中で咽喉癌(いんこう がん)または食道癌にかかり、治療中であることを明かしている。また複数の情報源は、ハイラムにはドラッグに関するトラブルがあり、そのドラッグ関係のものではないかと推測しているものもある。
葬儀は来る8月5日(火曜日)午後6時からニューヨーク・マンハッタン15丁目のブディスト・センターで行われる。
Tuesday, August 5th, 2008 at 6:00 PM at:
The Buddhist Center
7 East 15th St, New York
ハイラム自身のブログ
http://www.hirambullock.com/blog.html
3月29日付のブログでは、こう書き綴っている。「1月に口内に腫瘍があると診断されたが、心配はいらない。対処できるものだ。だがその処置はけっこうやっかいだ。癌を殺すために、僕に毒を盛り、そして(癌細胞を殺してから)僕を健康状態に戻すというわけだ。(もっとも最後に健康になるかならないかは僕自身にかかっているのだが) なにはともあれ、少し体重を落とさなくてはならない。病院で一番つらいことは、なによりも、本当に重い病気にかかり落ち込んでいる人々を見ることだ。(中略) 今後も状況を報告するが、現在最悪なことは、味覚がなくなっていること。(大好物の)ビーン・ブリトーさえ食べたいと思わないんだ。医者はすぐに(味覚は)戻ると言ってるが、それが待ちきれないよ」
ウィル・リーの書き込み
http://www.willlee.com/home.php
+++++
大阪。
ハイラムは1955年9月11日、日本の大阪生まれ。両親が米軍に所属、日本に駐在していたため、日本生まれとなった。2歳でニューヨークに移り、後にバルティモアで育つ。最初はピアノを学び、6歳で初めて人前でリサイタルを開いた。その後、11歳でサックスを練習し始め、中学時代にベースをプレイするようになったが、その後「女の子にもてるために」16歳でギターに転向した。マイアミ・ミュージック・スクールで音楽を学び、同地を本拠に活動を開始。この時期に、後にセッションなどで共演するようになるパット・メセニー、ジャコ・パストリアスらと知り合う。
一時期マイアミを本拠としていたソウル・シンガー、フィリス・ハイマンのバックバンドになったことで、後にフィリスとともにニューヨークへ移り、その後、ニューヨークでライヴ・ミュージシャンとして頭角を現し、多くのセッション、ライヴ、レコーディングに参加した。
特に1980年代に入ってからの活躍は目覚しく、デイヴィッド・サンボーンと知り合い、さらにプロデューサーのフィル・ラモーンなどにも気に入られ、多くのアーティストのサポートを勤めた。また、マーカス・ミラー、デイヴィッド・サンボーンらもいたテレビ番組『デイヴィッド・レターマン・ショウ』のハウス・バンドの一員に、さらに同じくテレビ番組『サタデイ・ナイト・ライヴ』のハウス・バンドにもなり、サンボーンが中心となった音楽番組『ナイト・ミュージック』の音楽監督にも抜擢されている。1983年からソロ活動に重点を置き始め1986年、アトランティックから初の自己名義アルバム『フロム・オール・サイズ』をさらに、『ギヴ・イット・ホワット・ユー・ガット』をリリース、シーンに大きなインパクトを与えた。
また、盟友ウィル・リーらと組んだ24丁目バンドは、特に日本で人気が高くライヴも好評だった。さらに、日本独自のスマップのヒット曲をニューヨークのスタジオ・ミュージシャンがレコーディングしたスマッピーズのアルバムにも参加している。
日本にも何度も自身のバンド、他のアーティストのサポートメンバーとして来日している。最近では、2007年5月のブルーノートでのライヴ、さらに同年9月の東京ジャズで元気なところを見せていた。
■ 2000年の作品『ギターマン』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005GWQE/soulsearchiho-22/ref=nosim/
+++++
巨漢。
僕が最後にハイラムを見たのは、昨年(2007年)9月の東京ジャズ、さらにその少し前、同年5月のブルーノートのライヴ。ライヴ評にも書かれているが、いつものことながら、彼はパフォーマンスの途中で、ワイアレスのギターゆえにどんどん会場内を歩き回り、あの巨漢で小さなブルーノートのテーブルの上に乗ってプレイする。当然、小さなテーブルだから、スタッフが3人がかりで、テーブルをがっちり抑える。あれ、よく足とか折れないもんだ、と思って見ていた。とにかくサーヴィス精神旺盛なギターマンだ。彼の音楽性はロック、ファンク、ジャズなどなんでも貪欲に取り入れるところに特徴があった。体が大きいから、本当にギターが小さく見えた。日本では渡辺貞夫さん、ジーノなどとも共演している。
■過去記事 ハイラム・ブロック
May 26, 2007
Hiram Bullock : Plays Stevie Songs
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200705/2007_05_26.html
昨年ブルーノートでのライヴ。
September 22, 2007
Tokyo Jazz 2007: Joe Sample & Randy Crawford, Candy, Etc.
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200709/2007_09_22.html
東京ジャズに出演。ただしこの記事ではあまりふれていません。
とにかく観客を楽しませることを徹底してやったギタリストだった。そして、もちろん自分も楽しんでいた。去年見たときは、元気いっぱいだったので、まさかこんなに早く死去するなんて、夢にも思わなかった。
しかし、ハイラム死去のニュースはまったく一般メディアにでてこない。個人のブログにはけっこうでてきているのに、ニューヨークの新聞、ビルボード誌などでさえも、でてこない。なぜなのだろう。僕もマネージメントに確認の問い合わせをしているのだが、まったく返事がない。不思議だ。
ご冥福をお祈りする。
ENT>OBITUARY>Bullock, Hiram (September 11, 1955 - July 25, 2008 = 52)
【ミネアポリス最強ファンク軍団=ザ・トゥルース】
強力。
先日のミント・コンディションのライヴで、彼らのマネージャーであるジェフさんから今自分がてがけているもうひとつのグループだといって、ザ・トゥルースというグループのCDを手渡された。
そういえば、うわさには聞いていたが、これが実に強力なメンバーが集まったグループだ。メンバーは次の通り。( )内にこれまでにいたグループ。
St. Paul Peterson (Lead Vocal, Keyboards) (The Time, The Family)
Jellybean Johnson(Guitar, Vocal) (The Time, The Family)
O’Dell(Guitar, Vocal) (Mint Condition)
Donnie LaMarca (Keyboards) (St. Paul, Giorgia, Ann Nesby, Jonny Lang)
Jerry Hubbard(Lead Vocal, Bass, Guitar) (The Time, Jesse Johnson)
Chance Howard (Lead Vocal, Bass, Keyboards) (Prince, The Time)
Kirk Johnson (Lead Vocals, Drums)(Prince)
Eric Leeds (Sax, Keyboards, Vocal) (Prince)
グループのコンセプトは、オハイオ・プレイヤーズやキャメオのようなグループ・サウンドに、ミネアポリスのファンク・サウンドを足したようなファンクを目指す、というもの。そして、2007年5月31日ミネアポリスの「ファイン・ライン」というライヴ・ハウスでライヴが行われ、その模様がレコーディングされ、CDとなってリリースされた。そして、このメンバーが作り出すファンクは、まさにリアル・ミュージシャンのリアル・ファンク。
その曲目リストを見れば、彼らが何を目指しているか、よくわかる。
Track Listing:
The Truth ; Live (MidAmerica Records MAR1001)
1. One Nation Under A Groove
2. Fire
3. Soul Power
4. River Run Dry
5. Screams Of Passion
6. Nothing Compares 2 U
7. High Fashion
8. Mutiny
9. Jungle Love
10. Ten
11. She’s Strange
12. DMSR
13. Erotic City
14. America
CDを聴くと、実に強力なファンク・サウンドが展開される。いやあ、ごきげんだ。おそらく、これはCDよりも、ライヴのほうがより大きな魅力を見せるだろうと思わせられる。このメンバーで日本に来たら、かなりライヴは盛り上がりそう。ただ現状、CDも日本発売されていないので知名度が低いのがネックになるか。
ENT>ARTIST>The Truth
強力。
先日のミント・コンディションのライヴで、彼らのマネージャーであるジェフさんから今自分がてがけているもうひとつのグループだといって、ザ・トゥルースというグループのCDを手渡された。
そういえば、うわさには聞いていたが、これが実に強力なメンバーが集まったグループだ。メンバーは次の通り。( )内にこれまでにいたグループ。
St. Paul Peterson (Lead Vocal, Keyboards) (The Time, The Family)
Jellybean Johnson(Guitar, Vocal) (The Time, The Family)
O’Dell(Guitar, Vocal) (Mint Condition)
Donnie LaMarca (Keyboards) (St. Paul, Giorgia, Ann Nesby, Jonny Lang)
Jerry Hubbard(Lead Vocal, Bass, Guitar) (The Time, Jesse Johnson)
Chance Howard (Lead Vocal, Bass, Keyboards) (Prince, The Time)
Kirk Johnson (Lead Vocals, Drums)(Prince)
Eric Leeds (Sax, Keyboards, Vocal) (Prince)
グループのコンセプトは、オハイオ・プレイヤーズやキャメオのようなグループ・サウンドに、ミネアポリスのファンク・サウンドを足したようなファンクを目指す、というもの。そして、2007年5月31日ミネアポリスの「ファイン・ライン」というライヴ・ハウスでライヴが行われ、その模様がレコーディングされ、CDとなってリリースされた。そして、このメンバーが作り出すファンクは、まさにリアル・ミュージシャンのリアル・ファンク。
その曲目リストを見れば、彼らが何を目指しているか、よくわかる。
Track Listing:
The Truth ; Live (MidAmerica Records MAR1001)
1. One Nation Under A Groove
2. Fire
3. Soul Power
4. River Run Dry
5. Screams Of Passion
6. Nothing Compares 2 U
7. High Fashion
8. Mutiny
9. Jungle Love
10. Ten
11. She’s Strange
12. DMSR
13. Erotic City
14. America
CDを聴くと、実に強力なファンク・サウンドが展開される。いやあ、ごきげんだ。おそらく、これはCDよりも、ライヴのほうがより大きな魅力を見せるだろうと思わせられる。このメンバーで日本に来たら、かなりライヴは盛り上がりそう。ただ現状、CDも日本発売されていないので知名度が低いのがネックになるか。
ENT>ARTIST>The Truth
☆Fukamachi Jun #91: Dream And Memento
2008年7月28日夢。
ピアノ即興演奏月例定例会、その91。100回まであと9回。今日は、「夢」と「想い出」の話と曲。
トーク小ネタ、回文。「しょきロココの心潔」「トマト」「旅からすは、すらかびた」
「そんな回文という遊びもありますが、音楽にも実はあります。頭から普通にその楽譜を弾く人(左の上から右へ、下へ)と、別の人が、その楽譜を上下ひっくり返して逆から同時に弾く、それでも曲としてちゃんと成り立つ、そんなのを昔の人は作っていたりしました。音楽の回文みたいなものですよね。昔はそういう遊びがあったんですね。お題拝借も、そんな遊びのひとつです」
「よくタクシーなんかに乗って、『お客さん、お仕事は?』なんて訊かれると『ミュージシャンです』って答えるんですね。そうすると、『うちの息子がミュージシャンになりたいって言ってるんですが、どうやったらミュージシャンになれるんでしょう』と訊かれる。でも、そんな道はない。(タクシーの)運転手ならまず免許を取ればいい。子供がミュージシャンになりたいと言うと、親は100パーセント心配する。たくさんの若者が僕のところにもミュージシャンになりたいと言ってやってきます。だが、僕にはそうした彼らに正しい助言を与えることもできない。言えるのは、『ラッキーなら、ミュージシャンになって巨万の富を得られるでしょう』、『ラッキーなら、世界のヒーローになれるかもしれない』 (誰もそうは)なれない、とは誰も言えない。なれるとも誰も言えない」
「それは夢というものに似ているかもしれない。夢というのは、叶うかどうかはどうでもいい。(夢は)見ることが大切だと僕は思います。それは人生の目標と同じだと思うんです。(客席に向かって) みんなはどういう人生が素晴らしい人生だと思う? 僕が信じていることはひとつです。死ぬ間際に、『僕の人生は素晴らしい人生だった』と思えれば、それが『素晴らしい人生だ』と思う。で、そのためにどうすればいいかというと、これがわからないんですけど、でも、ひとつ、そういう人生を歩むために何が必要か、というと僕にとってもっとも大切なことは、『夢をみること』です。(夢が)叶うこと、叶えることじゃない。(客席から拍手) 夢なんて叶わないんですよ。でも、ある目標、目的を持って生きることはとても大切です」
「で、そういう夢をみている若者のひとりなんでしょう。その彼がやってきて、『深町さん、1曲歌わせてください』と言ってきたので、『いいよ』と言った。彼はまだプロではなく、将来プロになりたいと思っている人なんだと思う。深町君のピアノで歌えるなんてめったにできないことだけど、彼が素晴らしいのは、『深町さんとやりたい』、そう言ってきたことです。僕はそういう人は受け入れることにしている。年寄の務めは、若い人が何かやりたいと言ってきたら、それをバックアップしてあげることだと思うので…。正哉くんです」
と言って、深町さんはアメリカ帰りの歌手志望の若者を紹介した。岡野正哉くんといい、父親の友人の知り合いが深町さんと知り合いで、先月ここに見に来て、深町さんに1曲歌わせてください、と直談判し、今月、楽譜を持ってやってきて歌うことになった。彼が歌ったのは、ビリー・ジョエルの「オネスティー」とイーグルスの「デスペラード」。なかなかはっきり聞き取れる大きな声の歌い手だ。ここでは2曲ポップスを歌ったが、後で話をしたら、一番好きなのはR&Bだそうで、後で自作自演のデモCDを聴いたら、今風R&Bだった。なかなかいい感じ。
想い出。
セカンドの最後で、楽譜を取り出しながら彼は話し始めた。「あんまりふだんは(この会では)歌わないんですが、今日はふと歌ってもいいかな、と思って(楽譜を)もって来ました。僕はその昔、10年くらい一緒に住んで付き合ってた彼女に、ある事件があって、振られたんですよ。で、その彼女になんとか戻ってきて欲しいと思って、どうすればいいか考えたんですが、歌を書いたら戻ってきてくれるかもしれないと思って、書いたんです。それがこれなんですが、でも、彼女は全然戻ってきてくれませんでした。残念ながら。(笑) でも、僕はこの曲は気に入っていて…。そんな想い出の曲です」
そう言って歌い始めた彼の名曲「誕生日」。今まで数回聴いた。直近ではこの会に毎回来ていたジェームスさんが亡くなったあとの回(2007年4月、その前は2006年5月にも)で、ジェームスさんへ捧げて歌ったのが記憶に新しい。今回は、せっかくなので、歌詞をご紹介したい。いい曲、いい詞です。
『誕生日』(作詞作曲・歌・深町純)
今日は誕生日 君の生まれた日
蒼い春風 吹くころ
君は目を覚ました
長い年月(としつき)が 僕たちを包む
初めて出会ったときから
いつも君がいた
さまざまな出来事が 過ぎ行くときに流れ
銀河を抱(だ)く 夜空の中で
すべてがいとおしい
笑いあえる日を 僕は信じてる
大切な想い出を今 君にありがとう
(間奏)
今日は誕生日 夢が生まれた日
愛をいっぱい 差し込む
君は手を伸ばした
雨が降る朝も 星光る夜も
変わらぬ想いは君へと
いつもあふれてく
喜びや悲しみが 待ち伏せるだろう 明日も
優しさだけ 贈りたいけど
言葉じゃ足りないよ
周り道しても 幸せにしたい
せつなさも抱きしめさせて
君を愛してる
さまざまな出来事が 過ぎ行くときに流れ
銀河を抱(だ)く 夜空の中で
すべてがいとおしい
笑いあえる日を 僕は信じてる
大切な想い出を今 君にありがとう
+++++
というわけで、今回は歌ものが珍しく3曲。2001年1月から始まったこの会、数えて91回目。「最低、100回目までは続ける」という深町さん、100回目は2009年4月25日の予定だ。
■ 過去記事
June 29, 2008
Fukamachi Jun #90 : I Will Play Piano For Your Funeral
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_06_29.html
June 01, 2008
Fukamachi Jun #89: Keyboard Party
http://blog.soulsearchin.com/archives/002550.html
April 27, 2008
Fukamachi Jun #88: Jun Lose To Young Energy
http://blog.soulsearchin.com/archives/002483.html
March 30, 2008
Fukamachi Jun #87
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_03_30.html
■セットリスト深町純 91回
Setlist : Fukamachi Jun #91 @FJ’s, July 26, 2008
Fukamachi Jun (Keyboard, Yamaha CP80)
Okano Masaya (Walk-in Singer)
1st set
show started 20:04
01. 2008年7月26日20時04分の作品(14:30)
02. 2008年7月26日20時24分の作品(23:10)
03. Honesty (Sung by Okano Masaya) (3:39)
04. Desperado (Sung by Okano Masaya)(3:34)
Show ended 21:06
2 nd set
show started 21:32
01. 2008年7月26日お題拝借作品1(小泉さんのメロディーから)(2:01)
02. 2008年7月26日お題拝借作品2(藤井さんのメロディーから)(2:31)
02. 2008年7月26日お題拝借作品3 (2:06)
03. 2008年7月26日21時47分の作品 (13:56)
04. 2008年7月26日22時01分の作品 (15:58)
05. 誕生日 (歌・深町純)(6:26)
show ended 22:33
■過去の音楽比率(ライヴ全体の中での音楽の割合を表します。音楽60%は40%がトークということです)(単位は%)
2008年01月26日 第一部 71.90 第二部 59.06 (第85回)
2008年02月24日 第一部 64.80 第二部 48.43 (第86回)
2008年03月29日 第一部 67.78 第二部 73.29(第87回)
2008年04月26日 第一部 54.13 第二部 74.46(第88回)
2008年05月31日 第一部 54.06 第二部 83.84(第89回)
2008年06月28日 第一部 58.38 第二部 74.94(第90回)
2008年07月26日 第一部 72.38 第二部 70.49 (第91回)
(2008年07月26日土曜、祐天寺FJズ=深町純ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Fukamachi, Jun
2008-127
ピアノ即興演奏月例定例会、その91。100回まであと9回。今日は、「夢」と「想い出」の話と曲。
トーク小ネタ、回文。「しょきロココの心潔」「トマト」「旅からすは、すらかびた」
「そんな回文という遊びもありますが、音楽にも実はあります。頭から普通にその楽譜を弾く人(左の上から右へ、下へ)と、別の人が、その楽譜を上下ひっくり返して逆から同時に弾く、それでも曲としてちゃんと成り立つ、そんなのを昔の人は作っていたりしました。音楽の回文みたいなものですよね。昔はそういう遊びがあったんですね。お題拝借も、そんな遊びのひとつです」
「よくタクシーなんかに乗って、『お客さん、お仕事は?』なんて訊かれると『ミュージシャンです』って答えるんですね。そうすると、『うちの息子がミュージシャンになりたいって言ってるんですが、どうやったらミュージシャンになれるんでしょう』と訊かれる。でも、そんな道はない。(タクシーの)運転手ならまず免許を取ればいい。子供がミュージシャンになりたいと言うと、親は100パーセント心配する。たくさんの若者が僕のところにもミュージシャンになりたいと言ってやってきます。だが、僕にはそうした彼らに正しい助言を与えることもできない。言えるのは、『ラッキーなら、ミュージシャンになって巨万の富を得られるでしょう』、『ラッキーなら、世界のヒーローになれるかもしれない』 (誰もそうは)なれない、とは誰も言えない。なれるとも誰も言えない」
「それは夢というものに似ているかもしれない。夢というのは、叶うかどうかはどうでもいい。(夢は)見ることが大切だと僕は思います。それは人生の目標と同じだと思うんです。(客席に向かって) みんなはどういう人生が素晴らしい人生だと思う? 僕が信じていることはひとつです。死ぬ間際に、『僕の人生は素晴らしい人生だった』と思えれば、それが『素晴らしい人生だ』と思う。で、そのためにどうすればいいかというと、これがわからないんですけど、でも、ひとつ、そういう人生を歩むために何が必要か、というと僕にとってもっとも大切なことは、『夢をみること』です。(夢が)叶うこと、叶えることじゃない。(客席から拍手) 夢なんて叶わないんですよ。でも、ある目標、目的を持って生きることはとても大切です」
「で、そういう夢をみている若者のひとりなんでしょう。その彼がやってきて、『深町さん、1曲歌わせてください』と言ってきたので、『いいよ』と言った。彼はまだプロではなく、将来プロになりたいと思っている人なんだと思う。深町君のピアノで歌えるなんてめったにできないことだけど、彼が素晴らしいのは、『深町さんとやりたい』、そう言ってきたことです。僕はそういう人は受け入れることにしている。年寄の務めは、若い人が何かやりたいと言ってきたら、それをバックアップしてあげることだと思うので…。正哉くんです」
と言って、深町さんはアメリカ帰りの歌手志望の若者を紹介した。岡野正哉くんといい、父親の友人の知り合いが深町さんと知り合いで、先月ここに見に来て、深町さんに1曲歌わせてください、と直談判し、今月、楽譜を持ってやってきて歌うことになった。彼が歌ったのは、ビリー・ジョエルの「オネスティー」とイーグルスの「デスペラード」。なかなかはっきり聞き取れる大きな声の歌い手だ。ここでは2曲ポップスを歌ったが、後で話をしたら、一番好きなのはR&Bだそうで、後で自作自演のデモCDを聴いたら、今風R&Bだった。なかなかいい感じ。
想い出。
セカンドの最後で、楽譜を取り出しながら彼は話し始めた。「あんまりふだんは(この会では)歌わないんですが、今日はふと歌ってもいいかな、と思って(楽譜を)もって来ました。僕はその昔、10年くらい一緒に住んで付き合ってた彼女に、ある事件があって、振られたんですよ。で、その彼女になんとか戻ってきて欲しいと思って、どうすればいいか考えたんですが、歌を書いたら戻ってきてくれるかもしれないと思って、書いたんです。それがこれなんですが、でも、彼女は全然戻ってきてくれませんでした。残念ながら。(笑) でも、僕はこの曲は気に入っていて…。そんな想い出の曲です」
そう言って歌い始めた彼の名曲「誕生日」。今まで数回聴いた。直近ではこの会に毎回来ていたジェームスさんが亡くなったあとの回(2007年4月、その前は2006年5月にも)で、ジェームスさんへ捧げて歌ったのが記憶に新しい。今回は、せっかくなので、歌詞をご紹介したい。いい曲、いい詞です。
『誕生日』(作詞作曲・歌・深町純)
今日は誕生日 君の生まれた日
蒼い春風 吹くころ
君は目を覚ました
長い年月(としつき)が 僕たちを包む
初めて出会ったときから
いつも君がいた
さまざまな出来事が 過ぎ行くときに流れ
銀河を抱(だ)く 夜空の中で
すべてがいとおしい
笑いあえる日を 僕は信じてる
大切な想い出を今 君にありがとう
(間奏)
今日は誕生日 夢が生まれた日
愛をいっぱい 差し込む
君は手を伸ばした
雨が降る朝も 星光る夜も
変わらぬ想いは君へと
いつもあふれてく
喜びや悲しみが 待ち伏せるだろう 明日も
優しさだけ 贈りたいけど
言葉じゃ足りないよ
周り道しても 幸せにしたい
せつなさも抱きしめさせて
君を愛してる
さまざまな出来事が 過ぎ行くときに流れ
銀河を抱(だ)く 夜空の中で
すべてがいとおしい
笑いあえる日を 僕は信じてる
大切な想い出を今 君にありがとう
+++++
というわけで、今回は歌ものが珍しく3曲。2001年1月から始まったこの会、数えて91回目。「最低、100回目までは続ける」という深町さん、100回目は2009年4月25日の予定だ。
■ 過去記事
June 29, 2008
Fukamachi Jun #90 : I Will Play Piano For Your Funeral
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_06_29.html
June 01, 2008
Fukamachi Jun #89: Keyboard Party
http://blog.soulsearchin.com/archives/002550.html
April 27, 2008
Fukamachi Jun #88: Jun Lose To Young Energy
http://blog.soulsearchin.com/archives/002483.html
March 30, 2008
Fukamachi Jun #87
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_03_30.html
■セットリスト深町純 91回
Setlist : Fukamachi Jun #91 @FJ’s, July 26, 2008
Fukamachi Jun (Keyboard, Yamaha CP80)
Okano Masaya (Walk-in Singer)
1st set
show started 20:04
01. 2008年7月26日20時04分の作品(14:30)
02. 2008年7月26日20時24分の作品(23:10)
03. Honesty (Sung by Okano Masaya) (3:39)
04. Desperado (Sung by Okano Masaya)(3:34)
Show ended 21:06
2 nd set
show started 21:32
01. 2008年7月26日お題拝借作品1(小泉さんのメロディーから)(2:01)
02. 2008年7月26日お題拝借作品2(藤井さんのメロディーから)(2:31)
02. 2008年7月26日お題拝借作品3 (2:06)
03. 2008年7月26日21時47分の作品 (13:56)
04. 2008年7月26日22時01分の作品 (15:58)
05. 誕生日 (歌・深町純)(6:26)
show ended 22:33
■過去の音楽比率(ライヴ全体の中での音楽の割合を表します。音楽60%は40%がトークということです)(単位は%)
2008年01月26日 第一部 71.90 第二部 59.06 (第85回)
2008年02月24日 第一部 64.80 第二部 48.43 (第86回)
2008年03月29日 第一部 67.78 第二部 73.29(第87回)
2008年04月26日 第一部 54.13 第二部 74.46(第88回)
2008年05月31日 第一部 54.06 第二部 83.84(第89回)
2008年06月28日 第一部 58.38 第二部 74.94(第90回)
2008年07月26日 第一部 72.38 第二部 70.49 (第91回)
(2008年07月26日土曜、祐天寺FJズ=深町純ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Fukamachi, Jun
2008-127
○Mint Condition Live At Billboard
2008年7月27日【ミント・コンディション・ライヴ】
爆発。
「さあ、ステージにお迎えください、ミネアポリスズ・オウン〜〜、ミント・コンディッション!!」 シャウトするのはマネージャー氏。さっそうとバンドメンバーがステージにあがり、少し遅れてリード・シンガー、ストークリー・ウィリアムスがジャンプしながら駆け上がった。
ミネアポリス=ジャム&ルイス・コネクションのミント・コンディションの2006年6月以来、約2年1ヶ月ぶりの来日公演。ミント・コンディションは、いわゆるセルフ・コンテインド・グループ(自給自足グループ。すべて自分たちで曲も書き、演奏もして、歌も歌うグループのこと)だ。彼らはかつてジャム&ルイスのプロデュースで華々しくデビューしたが、その後インディ・レーベルに移ったが、なんとインディでもアルバムを2-30万枚近く売るらしい。実際アルバム・チャートでも1位になっている。
それにしても、ブラック・エンタテインメント、ブラック・ミュージックの「核」となるグルーヴ感とは何か、それをそのまま如実にあらわすライヴだ。体のDNAからほとばしり出る黒いファンクネスを、彼らは当たり前のように、普通に醸し出す。ストークリーのバネのなんたる強さよ。そして、喉の強さ。うまいという以前に強い、強力、迫力に圧倒される。ソウル大爆発だ。
リードのストークリーは、前回も見せたが、ドラムスを上手に叩く。「いいドラマーはいいシンガー」の模範のような人物だ。途中でドラム・ソロを披露。「ドラムス出身のシンガーというと、ジェフリー・オズボーン、マーヴィン・ゲイなんかもいますよね」と同行松尾氏。「テディ・ペンダーグラスもドラマー出身ね」と僕。そういえば、あとで思い出したが、モーリス・ホワイトもそうだった。アンコールの「ブレイキン…」は最高に盛り上がる。途中のブレイクもやんやの喝采だ。松尾氏解説続く。「あのストークリーのストールね、あれね、アレクサンダー・マックイーンっていうブランドのものなんですよ。けっこうおしゃれさんですね」 ほおおっ。僕のまったく知らない豆知識豊富な松尾さん。
なお、前回パスポート切れが来日直前に判明して来日できなかった、ホーマーは今回はパスポートを用意していて、ちゃんと来日できた。
ライヴ後、ソウル、R&B系ライターとして大活躍の川口真紀さんを松尾さんにご紹介いただいた。川口さんはあちこちでR&B系の記事を書いておられるが、なんと学生時代にシンコー出版の今はなくなってしまった音楽誌のライター募集に、ミント・コンディション3枚目のアルバム評論を書いて応募し、それが認められ、この道に入ったという。だから、ミントにもかなり思い入れがあるそうだ。われわれのテーブルの手前に、広尾のレストラン・オウナー、シルヴァーノ氏と奥さんでシンガーのアンドレアさん、そしてその友達らがいて、ライヴ中大いに盛り上がっていた。その友達の中に、『フィリー・ソウル・イン・ギンザ』(2007年10月)で歌ってもらったポーラ・ジョンソンがいて、それ以来の再会。それから、ブレンダも来ていた。そしてもうひとり、ミント大好きというDJデイヴ・フロム氏も来ていた。久しぶりに会った。デイヴさんはいつものようにかなりよっぱらっていた。ごきげん。だが、何か(「フォーエヴァー・イン・ユア・アイズ」だったか)をなんでやらないんだ、と少しふきげん。前回来日時に会っていたマネージャー氏が僕のことを覚えていてくれ「ライヴ・レヴュー書いてくれたよね、ありがとう」といわれて、驚いた。
ミントのメンバーは終わった後、しっかりサイン会。
■ 最新作 『Eライフ』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0013E13SU/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 過去関連記事
June 24, 2006
Mint Condition Live: Gold Dust Pouring On Them
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200606/2006_06_24.html
ミント・コンディション前回来日ライヴ評。
■ メンバー
ストークリー・ウィリアムス / Stokley Williams (Vocals)
リッキー・キンチェン / Ricky Kinchen (Bass)
ロバート・コモドア / Robert Commodore(Drums)
ジェフリー・アレン / Jeffrey Allen (Keyboards/Saxophone)
ローレンス・EL / Lawrence El (Keyboards)
ホーマー・オーデル / Homer O’dell (Guitar)
■セットリスト ミント・コンディション
Setlist: Mint Condition @ Billboard Live, July 25, 2008
Show started 21:30
01. Intro
02. Gratitude (From New CD “E-Life”)
03. You Don’t Have To Hurt No More
04. Whoaa
05. So Fine
06. It’s Hard
07. Nothing Left To Say (From New CD “E-Life”)
08. Drum Solo: By Robert Commodore : Runnin’
09. Drum Solo: By Stokley Williams
10. Sax Solo: By Jeffrey Allen
11. (11-12 Medley) Someone To Love
12. U Send Me Swingin’
13. Baby Boy Baby Girl (New song) (From New CD “E-Life”)
14. What You Bring To The Party (A Riff of Soul Power)
Enc. Breakin’ My Heart (Pretty Brown Eyes)
Show ended 22:56
(2008年7月25日金曜、ビルボード・ライヴ=ミント・コンディション・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Mint Condition
2008-126
爆発。
「さあ、ステージにお迎えください、ミネアポリスズ・オウン〜〜、ミント・コンディッション!!」 シャウトするのはマネージャー氏。さっそうとバンドメンバーがステージにあがり、少し遅れてリード・シンガー、ストークリー・ウィリアムスがジャンプしながら駆け上がった。
ミネアポリス=ジャム&ルイス・コネクションのミント・コンディションの2006年6月以来、約2年1ヶ月ぶりの来日公演。ミント・コンディションは、いわゆるセルフ・コンテインド・グループ(自給自足グループ。すべて自分たちで曲も書き、演奏もして、歌も歌うグループのこと)だ。彼らはかつてジャム&ルイスのプロデュースで華々しくデビューしたが、その後インディ・レーベルに移ったが、なんとインディでもアルバムを2-30万枚近く売るらしい。実際アルバム・チャートでも1位になっている。
それにしても、ブラック・エンタテインメント、ブラック・ミュージックの「核」となるグルーヴ感とは何か、それをそのまま如実にあらわすライヴだ。体のDNAからほとばしり出る黒いファンクネスを、彼らは当たり前のように、普通に醸し出す。ストークリーのバネのなんたる強さよ。そして、喉の強さ。うまいという以前に強い、強力、迫力に圧倒される。ソウル大爆発だ。
リードのストークリーは、前回も見せたが、ドラムスを上手に叩く。「いいドラマーはいいシンガー」の模範のような人物だ。途中でドラム・ソロを披露。「ドラムス出身のシンガーというと、ジェフリー・オズボーン、マーヴィン・ゲイなんかもいますよね」と同行松尾氏。「テディ・ペンダーグラスもドラマー出身ね」と僕。そういえば、あとで思い出したが、モーリス・ホワイトもそうだった。アンコールの「ブレイキン…」は最高に盛り上がる。途中のブレイクもやんやの喝采だ。松尾氏解説続く。「あのストークリーのストールね、あれね、アレクサンダー・マックイーンっていうブランドのものなんですよ。けっこうおしゃれさんですね」 ほおおっ。僕のまったく知らない豆知識豊富な松尾さん。
なお、前回パスポート切れが来日直前に判明して来日できなかった、ホーマーは今回はパスポートを用意していて、ちゃんと来日できた。
ライヴ後、ソウル、R&B系ライターとして大活躍の川口真紀さんを松尾さんにご紹介いただいた。川口さんはあちこちでR&B系の記事を書いておられるが、なんと学生時代にシンコー出版の今はなくなってしまった音楽誌のライター募集に、ミント・コンディション3枚目のアルバム評論を書いて応募し、それが認められ、この道に入ったという。だから、ミントにもかなり思い入れがあるそうだ。われわれのテーブルの手前に、広尾のレストラン・オウナー、シルヴァーノ氏と奥さんでシンガーのアンドレアさん、そしてその友達らがいて、ライヴ中大いに盛り上がっていた。その友達の中に、『フィリー・ソウル・イン・ギンザ』(2007年10月)で歌ってもらったポーラ・ジョンソンがいて、それ以来の再会。それから、ブレンダも来ていた。そしてもうひとり、ミント大好きというDJデイヴ・フロム氏も来ていた。久しぶりに会った。デイヴさんはいつものようにかなりよっぱらっていた。ごきげん。だが、何か(「フォーエヴァー・イン・ユア・アイズ」だったか)をなんでやらないんだ、と少しふきげん。前回来日時に会っていたマネージャー氏が僕のことを覚えていてくれ「ライヴ・レヴュー書いてくれたよね、ありがとう」といわれて、驚いた。
ミントのメンバーは終わった後、しっかりサイン会。
■ 最新作 『Eライフ』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0013E13SU/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 過去関連記事
June 24, 2006
Mint Condition Live: Gold Dust Pouring On Them
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200606/2006_06_24.html
ミント・コンディション前回来日ライヴ評。
■ メンバー
ストークリー・ウィリアムス / Stokley Williams (Vocals)
リッキー・キンチェン / Ricky Kinchen (Bass)
ロバート・コモドア / Robert Commodore(Drums)
ジェフリー・アレン / Jeffrey Allen (Keyboards/Saxophone)
ローレンス・EL / Lawrence El (Keyboards)
ホーマー・オーデル / Homer O’dell (Guitar)
■セットリスト ミント・コンディション
Setlist: Mint Condition @ Billboard Live, July 25, 2008
Show started 21:30
01. Intro
02. Gratitude (From New CD “E-Life”)
03. You Don’t Have To Hurt No More
04. Whoaa
05. So Fine
06. It’s Hard
07. Nothing Left To Say (From New CD “E-Life”)
08. Drum Solo: By Robert Commodore : Runnin’
09. Drum Solo: By Stokley Williams
10. Sax Solo: By Jeffrey Allen
11. (11-12 Medley) Someone To Love
12. U Send Me Swingin’
13. Baby Boy Baby Girl (New song) (From New CD “E-Life”)
14. What You Bring To The Party (A Riff of Soul Power)
Enc. Breakin’ My Heart (Pretty Brown Eyes)
Show ended 22:56
(2008年7月25日金曜、ビルボード・ライヴ=ミント・コンディション・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Mint Condition
2008-126
◎(Bulletin) Hiram Bullock Dies At 52??
2008年7月27日【(速報)ハイラム・ブロック死去か?】
訃報。
ジャズ、フュージョン、ソウルなどでおなじみのニューヨークのギタリスト、ハイラム・ブロックが去る2008年7月25日頃、死去した模様。まだ、オフィシャルな確認が取れていないが、親友でもあるウィル・リーのサイトにもその旨が書き込まれているので、信憑性は高いと思われる。死去が事実であれば、1955年9月11日生まれだったので、52歳だった。3月に自身のブログで食道がんになり、治療中であることを告白していた。(詳細は確認取れ次第再度お送りします)
http://www.hirambullock.com/blog.html
http://www.willlee.com/home.php
昨日(26日)午後から、ハイラム死去のニュースがかけめぐっているのだが、まだ確認が取れない。なお、ウィキペディアの英語版には、2008年7月25日死去と書かれている。詳細情報が確認でき次第、改めてご紹介します。
ENT>OBITUARY
訃報。
ジャズ、フュージョン、ソウルなどでおなじみのニューヨークのギタリスト、ハイラム・ブロックが去る2008年7月25日頃、死去した模様。まだ、オフィシャルな確認が取れていないが、親友でもあるウィル・リーのサイトにもその旨が書き込まれているので、信憑性は高いと思われる。死去が事実であれば、1955年9月11日生まれだったので、52歳だった。3月に自身のブログで食道がんになり、治療中であることを告白していた。(詳細は確認取れ次第再度お送りします)
http://www.hirambullock.com/blog.html
http://www.willlee.com/home.php
昨日(26日)午後から、ハイラム死去のニュースがかけめぐっているのだが、まだ確認が取れない。なお、ウィキペディアの英語版には、2008年7月25日死去と書かれている。詳細情報が確認でき次第、改めてご紹介します。
ENT>OBITUARY
◆Soulive Are Sofunky
2008年7月26日【ソウライヴ〜ソウファンキー】
炸裂。
「イクゼ〜〜、ブルーノート!!」の掛け声で、ステージに3人の勇者たちが上がる。彼らはジャム・ファンクの勇者、その名はソウライヴ。まずは3人(キーボード、ドラムス、ギター)だけのソウライヴ本体だけで演奏。そして、MCが入り、トランペット、サックス2人がステージに登場。以後6人で、のりのりのファンク・グルーヴを炸裂させる。(ジャム・ファンクは筆者が思いついた言葉) さすがにクラブ系で人気だけのことはある。観客層がこの日はいつもより圧倒的に若い。
さて、リズムは3人なのだが、キーボードのニール・エヴァンスが左手でベース・パートをキーボードで弾くために、実際は4人いるのと同じくらいの音圧になる。そして、2曲目「キャノンボール」以降はホーンが3人入るだけで、いきなり、メイシオ・パーカーあたりのファンク・ジャズへファンク・アップ〜。アップテンポでこれでもかこれでもかとエネルギーが昇華。サックスの音がどこを聴いてもメイシオ・パーカーに聴こえてしまうのは、こちらの耳が偏りすぎか。(笑) このホーン・セクション、シェーディー・ホーンズというそうだ。3人のホーン・セクションはステージ向かって左から、ライアン、サム(帽子)、クリスチャン。
ドラムスのアラン、ギターのエリック、キーボード(とべース)のニールのリズム隊はアップテンポ作品で圧倒的。ハモンドのオルガンが流れてくると、一時代昔のファンク・ジャズが思い起こされる。
一番の圧巻はアンコール。「ジーザス…」からメドレーでアーチー・ベル&ザ・ドレルスの「タイトゥン・アップ」へ。歌というかナレーションというか、そんなMCをドラムスのアランが担う。ギター、ベース、オルガンとソロを回して、盛り上げる。このイントロから、客席は総立ち状態。
ずっと聴いていて、彼らの音楽を映画に使いたいなあ、と思った。それも思い切りB級のブラック・ムーヴィーだ。「コフィー」みたいなのの、現代版風のもの。
この日は、テレビの収録が入っていた。BSで放送しているブルーノートの番組『スピーク・イン・ミュージック』のようだ。確かに、これだけノリのいいライヴ・バンドだとアリーナの席を取っ払い、ブルーノートで単発のパーティーでかつてやったスタンディングのスタイルでもいいかもしれない。
ライヴが終わると、サックス奏者の太田剣さん、プロデューサーの松永さん、さらにシンガー、ユリさんと有坂美香さんらがいた。なんと、ユリ美香さんらは、サムかライアンだったかとアメリカのバークリーで同級生だったそうだ。
2004/04/03 (Sat)
Soulive Has New Vocal, So Has New Dimension
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040403.html
July 30, 2005
Soulive Live At Blitz Yokohama
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200507/2005_07_30.html
■メンバー
SOULIVE with special guest CHRISTIAN SCOTT & SAM KININGER
アラン・エヴァンス(ドラムス) Alan Evans(ds)
エリック・クラズノー(ギター)Eric Krasno(g)
ニール・エヴァンス(B3オルガン、キーボード)Neal Evans(B3 org, key)
サム・キニンジャー(サックス)Sam Kininger(sax)
ライアン・ゾィディス(サックス)Ryan Zoidis(sax)
クリスチャン・スコット(トランペット)Christian Scott(tp)
■セットリスト
Setlist : Soulive @ Blue Note Tokyo, July 25, 2008
Show started 19:02
01. Outrage
02. Cannonball
03. Liquid
04. El Ron
05. Tuesday Night Squad
06. Vapor
07. Flurries ~ A Riff Of “Can’t Hide Love”
08. Lenny (slow)
09. Bubble (rock-ish, reggae flavor)
Enc. Jesus Children Of America
Enc. Tighten Up (2 songs Medley)
Show ended 20:43
(2008年7月25日金曜、ブルーノート東京=ソウライヴ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Soulive
2008-125
炸裂。
「イクゼ〜〜、ブルーノート!!」の掛け声で、ステージに3人の勇者たちが上がる。彼らはジャム・ファンクの勇者、その名はソウライヴ。まずは3人(キーボード、ドラムス、ギター)だけのソウライヴ本体だけで演奏。そして、MCが入り、トランペット、サックス2人がステージに登場。以後6人で、のりのりのファンク・グルーヴを炸裂させる。(ジャム・ファンクは筆者が思いついた言葉) さすがにクラブ系で人気だけのことはある。観客層がこの日はいつもより圧倒的に若い。
さて、リズムは3人なのだが、キーボードのニール・エヴァンスが左手でベース・パートをキーボードで弾くために、実際は4人いるのと同じくらいの音圧になる。そして、2曲目「キャノンボール」以降はホーンが3人入るだけで、いきなり、メイシオ・パーカーあたりのファンク・ジャズへファンク・アップ〜。アップテンポでこれでもかこれでもかとエネルギーが昇華。サックスの音がどこを聴いてもメイシオ・パーカーに聴こえてしまうのは、こちらの耳が偏りすぎか。(笑) このホーン・セクション、シェーディー・ホーンズというそうだ。3人のホーン・セクションはステージ向かって左から、ライアン、サム(帽子)、クリスチャン。
ドラムスのアラン、ギターのエリック、キーボード(とべース)のニールのリズム隊はアップテンポ作品で圧倒的。ハモンドのオルガンが流れてくると、一時代昔のファンク・ジャズが思い起こされる。
一番の圧巻はアンコール。「ジーザス…」からメドレーでアーチー・ベル&ザ・ドレルスの「タイトゥン・アップ」へ。歌というかナレーションというか、そんなMCをドラムスのアランが担う。ギター、ベース、オルガンとソロを回して、盛り上げる。このイントロから、客席は総立ち状態。
ずっと聴いていて、彼らの音楽を映画に使いたいなあ、と思った。それも思い切りB級のブラック・ムーヴィーだ。「コフィー」みたいなのの、現代版風のもの。
この日は、テレビの収録が入っていた。BSで放送しているブルーノートの番組『スピーク・イン・ミュージック』のようだ。確かに、これだけノリのいいライヴ・バンドだとアリーナの席を取っ払い、ブルーノートで単発のパーティーでかつてやったスタンディングのスタイルでもいいかもしれない。
ライヴが終わると、サックス奏者の太田剣さん、プロデューサーの松永さん、さらにシンガー、ユリさんと有坂美香さんらがいた。なんと、ユリ美香さんらは、サムかライアンだったかとアメリカのバークリーで同級生だったそうだ。
2004/04/03 (Sat)
Soulive Has New Vocal, So Has New Dimension
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040403.html
July 30, 2005
Soulive Live At Blitz Yokohama
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200507/2005_07_30.html
■メンバー
SOULIVE with special guest CHRISTIAN SCOTT & SAM KININGER
アラン・エヴァンス(ドラムス) Alan Evans(ds)
エリック・クラズノー(ギター)Eric Krasno(g)
ニール・エヴァンス(B3オルガン、キーボード)Neal Evans(B3 org, key)
サム・キニンジャー(サックス)Sam Kininger(sax)
ライアン・ゾィディス(サックス)Ryan Zoidis(sax)
クリスチャン・スコット(トランペット)Christian Scott(tp)
■セットリスト
Setlist : Soulive @ Blue Note Tokyo, July 25, 2008
Show started 19:02
01. Outrage
02. Cannonball
03. Liquid
04. El Ron
05. Tuesday Night Squad
06. Vapor
07. Flurries ~ A Riff Of “Can’t Hide Love”
08. Lenny (slow)
09. Bubble (rock-ish, reggae flavor)
Enc. Jesus Children Of America
Enc. Tighten Up (2 songs Medley)
Show ended 20:43
(2008年7月25日金曜、ブルーノート東京=ソウライヴ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Soulive
2008-125
【オーティス・クレイ9月に来日】
代打満塁本塁打。
日本でも人気の高い、ブルーズ、R&B系シンガー、オーティス・クレイが9月に来日、ビルボード東京と大阪で各1日ずつライヴを行う。オーティスの来日は、2006年7月以来2年2ヶ月ぶり。1978年4月の初来日以来9度目。
1978年4月の初来日は、元々は同じくディープ・ソウル・シンガー、O.V.ライトの来日が急遽キャンセルになりそのピンチヒッターとして来日。ところが、そのライヴがあまりに素晴らしかったことから急遽ライヴ・レコーディングまで行われ、以来、オーティス・クレイは日本で人気のソウル・シンガーとなった。また、オーティス自身も自分のことを愛してくれる日本のファン、日本のことがことのほか気に入り、以後もコンスタントに来日を重ねるようになった。日本では、オーティス・クレイのレコードやライヴから、ソウル・ミュージックの素晴らしさを知ったという人も多かった。そのライヴ・アルバムは、当時のソウル・レコードとしては異例のセールスを記録した。
オーティスは、極東の地、日本などでまさか自分のレコードがリリースされ支持されているなどとは夢にも思わず、初来日のときの関係者の手厚いもてなしぶりと日本人観客の熱い反応に感激し、以後日本を「第二の故郷」と呼んだりする。大変義理人情に厚い人物で、それまでに受けた恩は決して忘れないそうだ。
オーティスは1983年の来日時、再度ライヴ・アルバムをレコーディング。ここにサザンオールスターズの「いとしのエリー」の英語ヴァージョンが録音された。レイ・チャールズが録音するよりも、先にレコーディングしていた。
思い返せば、このピンチヒッター(代打)は、日本のソウル・シーンに満塁ホームランを放ったことになる。
+++++
義理人情。
最近、ソウル・イラストレーター江守藹氏と彼の単行本『黒く踊れ!(ストリート・ダンサー列伝)』(発行・銀河出版=2008年秋発売予定)をめぐっていろいろな話をしているときにも、オーティス・クレイについての話題が出た。
江守さんは1978年、赤坂に「ブーツィー」というレストラン・ディスコをオープンする。ちょうど『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』の影響でディスコが大ブームになり始めたころで、江守さんは他店と差別化するために「レストラン・ディスコ」というコンセプトを打ち出す。ちゃんとしたイタリアンを食べられて、いいソウルで踊れる、で、時には食事をしながらライヴを見て楽しめる大人のスペース、という店だ。いまなら、ブルーノートだ、ビルボードだといくらでも食事をしながらライヴを見せる店があるが、当時はほとんどなかった。
そこで、江守さんはこの「ブーツィー」のこけら落としとして、オーティス・クレイのライヴをプロモーターから一日買い上げてやることにしたのだ。もちろん、キャパ(収容人数)と値段から考えて満員になっても赤字。だが、店を広める最初の宣伝費と割り切ってオーティス・クレイのディナー・ショウを行い、大成功を収めた。
この日は、オーティスを最初から熱心に支持しサポートしてきた桜井ユタカ氏も一番前の席を買い求め応援した。そんなわけで、オーティスは自分のレコードが出たか出ないかもわからない日本で、こんなディナー・ショウが開かれたこと自体に驚き、感動した、という。これ以来、江守さんはオーティス・クレイと親しくなっていく。
それから24年の月日が流れた2002年。江守さんが渋谷で行われたオーティス・クレイのライヴに足を運んだ。ステージで、オーティスは「今、自分がこうして日本の地に来られるのは2人の男のおかげだ。それは桜井ユタカと江守藹だ」と静かに語った。そんなところで、そんな風に名前を言われるとは思ってもみなかった江守さんが大いに感激したのは言うまでもない。
オーティスは義理人情に厚いのだ。
■ オーティス・クレイ来日
2008年9月20日(土曜)ビルボード・ライヴ東京19時、21時半
2008年9月22日(月曜)ビルボード・ライヴ大阪19時、21時半
詳細はビルボード・ライヴへ
http://www.billboard-live.com/index_h.html
■ オーティス・クレイ来日履歴 (他にありましたら・ebs@st.rim.or.jpまで
お知らせください)
初来日 1978年4月11日、13日他、虎ノ門久保講堂
2回目 1979年3月9日他 虎ノ門久保講堂
3回目?
4回目 1983年10月、11月5日など
5回目 1991年4月15日他 川崎クラブチッタなど
6回目 1999年7月23日他 渋谷オンエアーなど (ジミー・ジョンソンらと)
7回目 2002年7月14日他 渋谷アックスなど (ビリー・ブランチ、デボラ・コールマンらと)
8回目 2006年7月23日他 ジャパン・ブルーズ&ソウル・カーニヴァル (複数アーティストとのライヴ)
9回目 2008年9月20日(土) ビルボード東京
2008年9月22日(月) ビルボード大阪
■ オーティス・クレイ過去記事
July 24, 2006
Otis Clay Live: Here Comes The Deep Soul Singer
http://blog.soulsearchin.com/archives/001159.html
前回来日ライヴ評。これがちょうど70分程度のライヴだったので、ビルボードでもこのサイズになる可能性が高い。
2002/12/18 (Wed)
Otis Clay: Soul Hero In Japan
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200212/diary20021218.html
ENT>MUSIC>ANNOUNCEMENT>Clay, Otis
ENT>MUSIC>ARSTIS>Clay, Otis
代打満塁本塁打。
日本でも人気の高い、ブルーズ、R&B系シンガー、オーティス・クレイが9月に来日、ビルボード東京と大阪で各1日ずつライヴを行う。オーティスの来日は、2006年7月以来2年2ヶ月ぶり。1978年4月の初来日以来9度目。
1978年4月の初来日は、元々は同じくディープ・ソウル・シンガー、O.V.ライトの来日が急遽キャンセルになりそのピンチヒッターとして来日。ところが、そのライヴがあまりに素晴らしかったことから急遽ライヴ・レコーディングまで行われ、以来、オーティス・クレイは日本で人気のソウル・シンガーとなった。また、オーティス自身も自分のことを愛してくれる日本のファン、日本のことがことのほか気に入り、以後もコンスタントに来日を重ねるようになった。日本では、オーティス・クレイのレコードやライヴから、ソウル・ミュージックの素晴らしさを知ったという人も多かった。そのライヴ・アルバムは、当時のソウル・レコードとしては異例のセールスを記録した。
オーティスは、極東の地、日本などでまさか自分のレコードがリリースされ支持されているなどとは夢にも思わず、初来日のときの関係者の手厚いもてなしぶりと日本人観客の熱い反応に感激し、以後日本を「第二の故郷」と呼んだりする。大変義理人情に厚い人物で、それまでに受けた恩は決して忘れないそうだ。
オーティスは1983年の来日時、再度ライヴ・アルバムをレコーディング。ここにサザンオールスターズの「いとしのエリー」の英語ヴァージョンが録音された。レイ・チャールズが録音するよりも、先にレコーディングしていた。
思い返せば、このピンチヒッター(代打)は、日本のソウル・シーンに満塁ホームランを放ったことになる。
+++++
義理人情。
最近、ソウル・イラストレーター江守藹氏と彼の単行本『黒く踊れ!(ストリート・ダンサー列伝)』(発行・銀河出版=2008年秋発売予定)をめぐっていろいろな話をしているときにも、オーティス・クレイについての話題が出た。
江守さんは1978年、赤坂に「ブーツィー」というレストラン・ディスコをオープンする。ちょうど『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』の影響でディスコが大ブームになり始めたころで、江守さんは他店と差別化するために「レストラン・ディスコ」というコンセプトを打ち出す。ちゃんとしたイタリアンを食べられて、いいソウルで踊れる、で、時には食事をしながらライヴを見て楽しめる大人のスペース、という店だ。いまなら、ブルーノートだ、ビルボードだといくらでも食事をしながらライヴを見せる店があるが、当時はほとんどなかった。
そこで、江守さんはこの「ブーツィー」のこけら落としとして、オーティス・クレイのライヴをプロモーターから一日買い上げてやることにしたのだ。もちろん、キャパ(収容人数)と値段から考えて満員になっても赤字。だが、店を広める最初の宣伝費と割り切ってオーティス・クレイのディナー・ショウを行い、大成功を収めた。
この日は、オーティスを最初から熱心に支持しサポートしてきた桜井ユタカ氏も一番前の席を買い求め応援した。そんなわけで、オーティスは自分のレコードが出たか出ないかもわからない日本で、こんなディナー・ショウが開かれたこと自体に驚き、感動した、という。これ以来、江守さんはオーティス・クレイと親しくなっていく。
それから24年の月日が流れた2002年。江守さんが渋谷で行われたオーティス・クレイのライヴに足を運んだ。ステージで、オーティスは「今、自分がこうして日本の地に来られるのは2人の男のおかげだ。それは桜井ユタカと江守藹だ」と静かに語った。そんなところで、そんな風に名前を言われるとは思ってもみなかった江守さんが大いに感激したのは言うまでもない。
オーティスは義理人情に厚いのだ。
■ オーティス・クレイ来日
2008年9月20日(土曜)ビルボード・ライヴ東京19時、21時半
2008年9月22日(月曜)ビルボード・ライヴ大阪19時、21時半
詳細はビルボード・ライヴへ
http://www.billboard-live.com/index_h.html
■ オーティス・クレイ来日履歴 (他にありましたら・ebs@st.rim.or.jpまで
お知らせください)
初来日 1978年4月11日、13日他、虎ノ門久保講堂
2回目 1979年3月9日他 虎ノ門久保講堂
3回目?
4回目 1983年10月、11月5日など
5回目 1991年4月15日他 川崎クラブチッタなど
6回目 1999年7月23日他 渋谷オンエアーなど (ジミー・ジョンソンらと)
7回目 2002年7月14日他 渋谷アックスなど (ビリー・ブランチ、デボラ・コールマンらと)
8回目 2006年7月23日他 ジャパン・ブルーズ&ソウル・カーニヴァル (複数アーティストとのライヴ)
9回目 2008年9月20日(土) ビルボード東京
2008年9月22日(月) ビルボード大阪
■ オーティス・クレイ過去記事
July 24, 2006
Otis Clay Live: Here Comes The Deep Soul Singer
http://blog.soulsearchin.com/archives/001159.html
前回来日ライヴ評。これがちょうど70分程度のライヴだったので、ビルボードでもこのサイズになる可能性が高い。
2002/12/18 (Wed)
Otis Clay: Soul Hero In Japan
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200212/diary20021218.html
ENT>MUSIC>ANNOUNCEMENT>Clay, Otis
ENT>MUSIC>ARSTIS>Clay, Otis
▲Harlem Nights Vol.7 Has Just Started
2008年7月24日(ライヴ内容にふれます。これからごらんになる方はご自身の判断でお読みください)
【ハーレム・ナイツ第7回始まる】
ハーレム。
ニューヨーク・黒人ルネッサンスの地、ハーレム。そのハーレムの文化をそのまま横浜ランドマークに持ってこようという「ハーレム・ナイツ」も、1994年以来今年で7回目。(94年に第1回、第2回が2003年で以後毎年) 2003年以降は、毎回観客動員数を着実に増やし、横浜夏の定番イヴェントに見事に成長した。普段はあまりライヴなどに足を運ばないような客層がこのイヴェントということで、老若男女集まってくる。
昨年まで、ソウルフードやドリンクのテーブルがライヴ会場内にあったのが、今年はホワイエ(ライヴ会場の外)に移動、ライヴ会場はより観客席を多くしていた。400人近くが入っていて、週末になるにつれ予約はさらに増えている、という。オマー以外は、それほど有名なシンガー・アーティストが登場するわけではないので、まさにこの「ハーレム・ナイツ」という企画自体(広告宣伝も含めて)に観客が付いている、いわば「イヴェント企画の勝利」だ。
今回はメインのシンガーが3人、そして、フィーチャリングにタップ・ダンスのもはや巨匠オマー・エドワーズ。オマーだけは毎年必ずやってくるので言ってみれば彼はこの「ハーレム・ナイツ」の顔。
最初のシンガー、ケントン・ロジャースはちょっとどこか俳優のフォーレスト・ウイッテッカーを若くしたような、シンガーで言うとデイヴィッド・ピーストン、ルーベン・スタッダードを少しこぶりにしたようなルックスのシンガー。ゴスペルをルーツにしているだけに、ゴスペル定番曲「ヒズ・アイ・イズ・オン・ザ・スパロウ」(映画『天使にラヴソングを2(シスター・アクト2)』などでも有名)あたりはかなり観客の気をひきつける。
2番目のレディー・ローラは、最初、若いティナ・ターナーでもでてきたかと思ったほど、エネルギッシュなはちきれんばかりの動きで登場。だが、我らがブレンダ・ヴォーンのように背丈は小さい。ティナの曲を2曲歌うだけに、腰をフリフリのティナ・ダンスが思い切り炸裂する。元はダンサーか? 意外な選曲が「リアル・サッド・ストーリー」というブルージーな曲。知らなかったので、戻って調べてみると、なんとこれが南部のR&Bシンガー、デニース・ラサールの作品。デニースの歌でもヒットはしていないが、なぜこれが選ばれたのだろうか。実は隠れたヒットなのか。
その歌詞があった。↓
http://www.mississippiheat.net/lyrics2/glad/12.html
そして、いよいよオマーの登場。オマーはさすがに毎年来ているためか、彼目当てのファンもいるようだ。相変わらず切れのいいタップを見せる。第一部では、オープニングに日本語で「これは戦争の音」、「これは苦しみの音」そして、「これは愛の音」と説明して、タップを踏んだ。
ボブ・マーレーのTシャツを着て、跳ねる、飛ぶ、叩くラスタ・ヘアのオマーは、映画監督スパイク・リー、さらにタップ・ダンスのセヴィアン・グローヴァー直系のダンサー。新しいこと、クリエイティヴなこと、革新的なことに貪欲だ。第一部を終え、第二部の始まりもオマーだったが、この出方がまた渋い。真っ暗にしたステージで、タップの音だけが聴こえてくる。だが暗転したステージでは何も見えない。そして、パ〜ンとスポットが来ると、オマーがさっきとは違ったスーツで動いている。そして、「キャラヴァン」を終えた後、シューズを脱ぎ、はだしでタップを踊る。すると会場に響く音が違ってくる。
彼のタップからは、怒り、喜び、うれしさ、悲しみ、苦しみ、そして愛と言ったものがすべて表出する。それが体全体から湧き出てくるところがすごいと思う。たかがタップ、されどタップ。
3番目のシンガー、シンシアはヴェテランのジャズ風クラブ系シンガーだった。サラ・ヴォーンあたりの影響が強いなあ、と思って聴いていたら、「私は、サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルド、カーメン・マクレイ、ダイアン・ワシントン、リナ・ホーン、そして、ナンシー・ウィルソンなどの影響を受けています。そうしたシンガーたちへトリビュートする意味でこの曲を書きました」と言ってオリジナル曲「ザ・シンガー」という作品を歌った。また彼女は、かつてレイ・チャールズのバックコーラス、レイレッツのメンバーだったという。そこで、レイ作品を最後に3曲ほど歌った。
そして、ライヴ終了後は、出演者全員が会場出口付近でCD即売とサイン会。今まで見ていた老若男女が、その夜のスターを取り囲んだ。またライヴ終了後、係りの人が「本日のセットリストです〜〜」と言って希望者にそれを配っていた。大サーヴィス、至れり尽くせりのイヴェントだ。「夢はこの『ハーレム・ナイト』の地方公演です」と担当者が語った。この勢いだと、その可能性も見えてくる。
■ 横浜ランドマークタワー公式ページ内イヴェント詳細
ライヴは、7月23日(水)から27日(日)まで毎日。詳細は下記ランドマーク・タワー・ウェッブへ
問い合わせ先 ランドマークホール:TEL 045-222-5050 (月〜金 10:00〜17:00) ランドマークプラザ:TEL 045-222-5015 (月〜日 11:00〜20:00)
http://www.at-press.jp/event/hall/harlem08/index.html
チケット入手方法など。
■過去のハーレム・ナイツ関連記事
July 26, 2007
"Harlem Nights Vol.6" At Landmark Tower: "I Don’t Repeat" Says Omar
http://blog.soulsearchin.com/archives/001918.html
第6回ライヴ評
July 29, 2006
Alyson Talks, Omar Talks: Harlem Nights
http://blog.soulsearchin.com/archives/001164.html
July 28, 2006
Harlem Nights Vol.5: Alyson Williams Sings Wide Variety Of Music, Omar Edwards Taps With New Idea
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200607/2006_07_28.html
第5回ライヴ評
July 29, 2005
Harlem Nights: Omar Edwards, Barefoot Tap Dancer
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200507/2005_07_29.html
第4回ライヴ評
2004/07/31 (Sat)
Harlem Nights III: Bring Your Cake For Lonnie’s Birthday
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200407/diary20040731.html
第3回ライヴ評
■メンバー
Omar Edwards (Tap Dance)
John Di Martino (Keyboards, Piano)
Bill Easley (Sax)
Lonnie Plaxico (Bass)
Yoron Israel (Drums)
Kenton Rogers (Vocal)
Lady Laura (Vocal)
Cynthia Scott (Vocal)
■セットリスト
Setlist : Harlem Nights Vol.7 @ Landmark Hall, Yokohama, July 23, 2008
[ ] indicates the original acts, ( ) indicates singers tonight
(オマーの使用楽曲が若干不明)
First set
Show started 19:01
01. Invitation [Jaco Pastorius] (Band)
02. Supersitition [Stevie Wonder] (Kenton Rogers)
03. I Believe I Can Fly [R. Kelly] (Kenton Rogers)
04. I’ll Take You There [Staple Singers] (Kenton Rogers)
05. His Eye Is On The Sparrow [Traditional, Ethel Waters, others] (Kenton Rogers)
06. Proud Mary [Ike & Tina Turner] (Lady Laura)
07. Neither One Of Us (Wants To Be The First To Say Goodbye) [Gladys Knight & The Pips] (Lady Laura)
08. Real Sad Story [Denise LaSalle] (Lady Laura)
09. Simple Is The Best [Tina Turner] (Lady Laura)
~Omar on the stage
10. Intro
11. Do Your Thing (?)
12. So Ways (?)
13. Waltz [Alicia Keys]CD(?)
Performance ended 20:03
Second set
Performance started 20:27
Omar on the stage
01. Intro
02. Caravan [Duke Ellington](Band)
03. Jungle Song (barefoot performance) CD?
04. (put on shoes) Waiting In Vain [Bob Marley]CD
05. Slow Jam-Rain Song (Band)
06. African Song [Femi Kuti]??
Off Omar
07. Take The “A” Train (Band) [Duke Ellington]
Cyhthia on the stage
08. A Song For You [Leon Russell, Donny Hathaway]
09. Hello [Lionel Richie]
10. Come Back To Me [Peggy Lee]
11. Come Rain Or Come Shine [Standard, From Musical "St. Louis Woman"]
12. The Singer [Cynthia Scott]
13. For The Love Of You [Isley Brothers] (with Kenton)
14. Shades Of Ray Charles [Cynthia Scott]
15. Unchain My Heart [Ray Charles]
16. Georgia On My Mind [Ray Charles]
17. Hit The Road Jack [Ray Charles] (All)
Enc. Dream For One Bright World (For Children Of Japan) [Cynthia Scott](All)
Show ended 21:55
(2008年7月23日水曜、横浜ランドマーク・タワー・ランドマーク・ホール=ハーレム・ナイツVol.7)
ENT>MUSIC>LIVE>Harlem Nights Vol. 7
2008-123
【ハーレム・ナイツ第7回始まる】
ハーレム。
ニューヨーク・黒人ルネッサンスの地、ハーレム。そのハーレムの文化をそのまま横浜ランドマークに持ってこようという「ハーレム・ナイツ」も、1994年以来今年で7回目。(94年に第1回、第2回が2003年で以後毎年) 2003年以降は、毎回観客動員数を着実に増やし、横浜夏の定番イヴェントに見事に成長した。普段はあまりライヴなどに足を運ばないような客層がこのイヴェントということで、老若男女集まってくる。
昨年まで、ソウルフードやドリンクのテーブルがライヴ会場内にあったのが、今年はホワイエ(ライヴ会場の外)に移動、ライヴ会場はより観客席を多くしていた。400人近くが入っていて、週末になるにつれ予約はさらに増えている、という。オマー以外は、それほど有名なシンガー・アーティストが登場するわけではないので、まさにこの「ハーレム・ナイツ」という企画自体(広告宣伝も含めて)に観客が付いている、いわば「イヴェント企画の勝利」だ。
今回はメインのシンガーが3人、そして、フィーチャリングにタップ・ダンスのもはや巨匠オマー・エドワーズ。オマーだけは毎年必ずやってくるので言ってみれば彼はこの「ハーレム・ナイツ」の顔。
最初のシンガー、ケントン・ロジャースはちょっとどこか俳優のフォーレスト・ウイッテッカーを若くしたような、シンガーで言うとデイヴィッド・ピーストン、ルーベン・スタッダードを少しこぶりにしたようなルックスのシンガー。ゴスペルをルーツにしているだけに、ゴスペル定番曲「ヒズ・アイ・イズ・オン・ザ・スパロウ」(映画『天使にラヴソングを2(シスター・アクト2)』などでも有名)あたりはかなり観客の気をひきつける。
2番目のレディー・ローラは、最初、若いティナ・ターナーでもでてきたかと思ったほど、エネルギッシュなはちきれんばかりの動きで登場。だが、我らがブレンダ・ヴォーンのように背丈は小さい。ティナの曲を2曲歌うだけに、腰をフリフリのティナ・ダンスが思い切り炸裂する。元はダンサーか? 意外な選曲が「リアル・サッド・ストーリー」というブルージーな曲。知らなかったので、戻って調べてみると、なんとこれが南部のR&Bシンガー、デニース・ラサールの作品。デニースの歌でもヒットはしていないが、なぜこれが選ばれたのだろうか。実は隠れたヒットなのか。
その歌詞があった。↓
http://www.mississippiheat.net/lyrics2/glad/12.html
そして、いよいよオマーの登場。オマーはさすがに毎年来ているためか、彼目当てのファンもいるようだ。相変わらず切れのいいタップを見せる。第一部では、オープニングに日本語で「これは戦争の音」、「これは苦しみの音」そして、「これは愛の音」と説明して、タップを踏んだ。
ボブ・マーレーのTシャツを着て、跳ねる、飛ぶ、叩くラスタ・ヘアのオマーは、映画監督スパイク・リー、さらにタップ・ダンスのセヴィアン・グローヴァー直系のダンサー。新しいこと、クリエイティヴなこと、革新的なことに貪欲だ。第一部を終え、第二部の始まりもオマーだったが、この出方がまた渋い。真っ暗にしたステージで、タップの音だけが聴こえてくる。だが暗転したステージでは何も見えない。そして、パ〜ンとスポットが来ると、オマーがさっきとは違ったスーツで動いている。そして、「キャラヴァン」を終えた後、シューズを脱ぎ、はだしでタップを踊る。すると会場に響く音が違ってくる。
彼のタップからは、怒り、喜び、うれしさ、悲しみ、苦しみ、そして愛と言ったものがすべて表出する。それが体全体から湧き出てくるところがすごいと思う。たかがタップ、されどタップ。
3番目のシンガー、シンシアはヴェテランのジャズ風クラブ系シンガーだった。サラ・ヴォーンあたりの影響が強いなあ、と思って聴いていたら、「私は、サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルド、カーメン・マクレイ、ダイアン・ワシントン、リナ・ホーン、そして、ナンシー・ウィルソンなどの影響を受けています。そうしたシンガーたちへトリビュートする意味でこの曲を書きました」と言ってオリジナル曲「ザ・シンガー」という作品を歌った。また彼女は、かつてレイ・チャールズのバックコーラス、レイレッツのメンバーだったという。そこで、レイ作品を最後に3曲ほど歌った。
そして、ライヴ終了後は、出演者全員が会場出口付近でCD即売とサイン会。今まで見ていた老若男女が、その夜のスターを取り囲んだ。またライヴ終了後、係りの人が「本日のセットリストです〜〜」と言って希望者にそれを配っていた。大サーヴィス、至れり尽くせりのイヴェントだ。「夢はこの『ハーレム・ナイト』の地方公演です」と担当者が語った。この勢いだと、その可能性も見えてくる。
■ 横浜ランドマークタワー公式ページ内イヴェント詳細
ライヴは、7月23日(水)から27日(日)まで毎日。詳細は下記ランドマーク・タワー・ウェッブへ
問い合わせ先 ランドマークホール:TEL 045-222-5050 (月〜金 10:00〜17:00) ランドマークプラザ:TEL 045-222-5015 (月〜日 11:00〜20:00)
http://www.at-press.jp/event/hall/harlem08/index.html
チケット入手方法など。
■過去のハーレム・ナイツ関連記事
July 26, 2007
"Harlem Nights Vol.6" At Landmark Tower: "I Don’t Repeat" Says Omar
http://blog.soulsearchin.com/archives/001918.html
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July 29, 2006
Alyson Talks, Omar Talks: Harlem Nights
http://blog.soulsearchin.com/archives/001164.html
July 28, 2006
Harlem Nights Vol.5: Alyson Williams Sings Wide Variety Of Music, Omar Edwards Taps With New Idea
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200607/2006_07_28.html
第5回ライヴ評
July 29, 2005
Harlem Nights: Omar Edwards, Barefoot Tap Dancer
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200507/2005_07_29.html
第4回ライヴ評
2004/07/31 (Sat)
Harlem Nights III: Bring Your Cake For Lonnie’s Birthday
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200407/diary20040731.html
第3回ライヴ評
■メンバー
Omar Edwards (Tap Dance)
John Di Martino (Keyboards, Piano)
Bill Easley (Sax)
Lonnie Plaxico (Bass)
Yoron Israel (Drums)
Kenton Rogers (Vocal)
Lady Laura (Vocal)
Cynthia Scott (Vocal)
■セットリスト
Setlist : Harlem Nights Vol.7 @ Landmark Hall, Yokohama, July 23, 2008
[ ] indicates the original acts, ( ) indicates singers tonight
(オマーの使用楽曲が若干不明)
First set
Show started 19:01
01. Invitation [Jaco Pastorius] (Band)
02. Supersitition [Stevie Wonder] (Kenton Rogers)
03. I Believe I Can Fly [R. Kelly] (Kenton Rogers)
04. I’ll Take You There [Staple Singers] (Kenton Rogers)
05. His Eye Is On The Sparrow [Traditional, Ethel Waters, others] (Kenton Rogers)
06. Proud Mary [Ike & Tina Turner] (Lady Laura)
07. Neither One Of Us (Wants To Be The First To Say Goodbye) [Gladys Knight & The Pips] (Lady Laura)
08. Real Sad Story [Denise LaSalle] (Lady Laura)
09. Simple Is The Best [Tina Turner] (Lady Laura)
~Omar on the stage
10. Intro
11. Do Your Thing (?)
12. So Ways (?)
13. Waltz [Alicia Keys]CD(?)
Performance ended 20:03
Second set
Performance started 20:27
Omar on the stage
01. Intro
02. Caravan [Duke Ellington](Band)
03. Jungle Song (barefoot performance) CD?
04. (put on shoes) Waiting In Vain [Bob Marley]CD
05. Slow Jam-Rain Song (Band)
06. African Song [Femi Kuti]??
Off Omar
07. Take The “A” Train (Band) [Duke Ellington]
Cyhthia on the stage
08. A Song For You [Leon Russell, Donny Hathaway]
09. Hello [Lionel Richie]
10. Come Back To Me [Peggy Lee]
11. Come Rain Or Come Shine [Standard, From Musical "St. Louis Woman"]
12. The Singer [Cynthia Scott]
13. For The Love Of You [Isley Brothers] (with Kenton)
14. Shades Of Ray Charles [Cynthia Scott]
15. Unchain My Heart [Ray Charles]
16. Georgia On My Mind [Ray Charles]
17. Hit The Road Jack [Ray Charles] (All)
Enc. Dream For One Bright World (For Children Of Japan) [Cynthia Scott](All)
Show ended 21:55
(2008年7月23日水曜、横浜ランドマーク・タワー・ランドマーク・ホール=ハーレム・ナイツVol.7)
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2008-123