⊿ Dee Dee Warwick Dies At 63
2008年10月21日 音楽⊿【ディー・ディー・ワーウィック死去】
訃報。
ソウル・シンガーでディオンヌ・ワーウィックの妹であるディー・ディー・ワーウィックが2008年10月18日(土)、ニュージャージー州エセックス・カウンティの老人ホームで死去した。63歳だった。姉のディオンヌらが看取った。シシー・ヒューストンの姪にあたり、ホイットニー・ヒューストンの従姉妹にあたる。ディー・ディーはここ数ヶ月、体調を崩していた。
姉のディオンヌは、「今朝(10月18日)10時、私の愛する妹は旅立ちました。静かな平和なもので、その点はよかったと思っています。彼女に祈りを捧げてくれたすべての人に御礼を申し上げます」とコメントを寄せた。
ディー・ディー・ワーウィックは1945年(昭和20年)9月25日、ニュージャージー州ニューアーク生まれ。本名、デリア・メイ・ワーリック(Delia Mae Warrick)。姉のディオンヌが発音の問題で、ワーリックをワーウィックにしたのに伴い。ディー・ディーもワーウィックと芸名を変更。
幼少の頃から地元の教会でゴスペルを歌い、まもなく、一足先にポップ音楽を歌い始めていた姉のディオンヌ・ワーウィックのコーラスなどを担当するようになる。1960年代初めのこと。1963年、ジュビリー・レコードで録音した「ユー・アー・ノー・グッド」はヒットこそしなかったが、後にリンダ・ロンシュタットによってカヴァーされている。その後1965年、ブルー・ロックから出した「ウイ・アー・ドゥーイング・ファイン」が初ヒット。1966年にはフィラデルフィアのギャンブル&ハフが書いた「アイム・ゴナ・メイク・ユー・ラヴ・ミー」がソウル・チャートで13位を記録。これはのちにダイアナ・ロス&シュプリームス&テンプテーションズでヒット。翌年マーキュリーに移籍、ここで「アイ・ウォント・トゥ・ビー・ウィズ・ユー」がソウル・チャートで9位を記録するヒットになった。その後も小ヒットをいくつか放った。
ディー・ディーは昨年から今年にかけて、姉ディオンヌのワン・ウーマン・ライヴ、「マイ・ミュージック&ミー」で一緒に歌っていた。また、2008年にリリースされたディオンヌ・ワーウィックのゴスペル・アルバムの中で「ホワイ・ウィ・シング」を歌っている。
ENT>OBITUARY>Warwick, Dee Dee (9/25/1945 - 10/182008 =63 years old)
訃報。
ソウル・シンガーでディオンヌ・ワーウィックの妹であるディー・ディー・ワーウィックが2008年10月18日(土)、ニュージャージー州エセックス・カウンティの老人ホームで死去した。63歳だった。姉のディオンヌらが看取った。シシー・ヒューストンの姪にあたり、ホイットニー・ヒューストンの従姉妹にあたる。ディー・ディーはここ数ヶ月、体調を崩していた。
姉のディオンヌは、「今朝(10月18日)10時、私の愛する妹は旅立ちました。静かな平和なもので、その点はよかったと思っています。彼女に祈りを捧げてくれたすべての人に御礼を申し上げます」とコメントを寄せた。
ディー・ディー・ワーウィックは1945年(昭和20年)9月25日、ニュージャージー州ニューアーク生まれ。本名、デリア・メイ・ワーリック(Delia Mae Warrick)。姉のディオンヌが発音の問題で、ワーリックをワーウィックにしたのに伴い。ディー・ディーもワーウィックと芸名を変更。
幼少の頃から地元の教会でゴスペルを歌い、まもなく、一足先にポップ音楽を歌い始めていた姉のディオンヌ・ワーウィックのコーラスなどを担当するようになる。1960年代初めのこと。1963年、ジュビリー・レコードで録音した「ユー・アー・ノー・グッド」はヒットこそしなかったが、後にリンダ・ロンシュタットによってカヴァーされている。その後1965年、ブルー・ロックから出した「ウイ・アー・ドゥーイング・ファイン」が初ヒット。1966年にはフィラデルフィアのギャンブル&ハフが書いた「アイム・ゴナ・メイク・ユー・ラヴ・ミー」がソウル・チャートで13位を記録。これはのちにダイアナ・ロス&シュプリームス&テンプテーションズでヒット。翌年マーキュリーに移籍、ここで「アイ・ウォント・トゥ・ビー・ウィズ・ユー」がソウル・チャートで9位を記録するヒットになった。その後も小ヒットをいくつか放った。
ディー・ディーは昨年から今年にかけて、姉ディオンヌのワン・ウーマン・ライヴ、「マイ・ミュージック&ミー」で一緒に歌っていた。また、2008年にリリースされたディオンヌ・ワーウィックのゴスペル・アルバムの中で「ホワイ・ウィ・シング」を歌っている。
ENT>OBITUARY>Warwick, Dee Dee (9/25/1945 - 10/182008 =63 years old)
●Joe Thomas Brought Kedar Massenburg On The Stage
2008年10月22日 音楽●【ジョー、ケダー・マッセンバーグをステージにあげる】
裏方。
ちょうど、ステージ袖にちょっとピーボ・ブライソン似の小柄な男性がいた。なんと、彼が1997年から2004年までの約6年モータウン・レコード社長の座にいた人物、ケダー・マッセンバーグだった。日曜日に東京入りしたそうで、この日は自身のレーベルの所属アーティスト、ジョーのライヴを見に来ていた。ジョーはライヴ最後のところで、「今日はスペシャルな人物が来ています。彼は『ネオ・ソウル』という言葉を生み出し、世に広めた人です。そして、ディアンジェロやエリカ・バドゥーといったアーティストをスターにした人です」と言ってケダーをオーディエンスに紹介した。ちょっと照れながら彼はステージにあがった。
ケダーは現在ジョーとともに自身のインディ・レーベル、「563ミュージック」を設立、ジョーの新作はアメリカではこのレーベルからインディ作品として発売されている。昨年、ジョーのオープニングを担当したアルジェブラも同レーベル所属だ。
ライヴ後少しだけケダーに会った。「いや、僕はステージに上って、踊ったりする人間じゃないんだ。(笑) 言ってみれば裏方の人間だからね。日本にはディアンジェロと一緒に初めてやってきたよ」 比較的早口で、ひじょうにスマートな印象だ。いろいろなインタヴューを見ると、ケダーのアーティスト育成に関するポリシーはなかなか素晴らしい。
曰く「アーティストは、世間に出せるまでトレーニングして、一挙に世間に出す。いい音楽を作るだけでなく、メディア・トレーニングもする。それだけではない、会計のコンサルタント、音楽ビジネスのことも教える。我々はアーティストをストリート・レベルで通用するのと同時に、レコード会社の役員会などでも通用するような人間に育てるんだ。だが、今ではそういうことはメジャーのレコード会社ではほとんどできない。なぜなら、メジャーはすべて4半期ごと(3ヶ月毎)に数字が上がらないとだめだからだ」
ブルックリンに1963年ごろ生まれたケダーは、地元のハイスクールを出た後、オハイオの大学、ノース・キャロライナ大学などで学び、後者で弁護士資格を獲得。卒業後一度はペプシコ社に就職。その後1991年、大学時代からステッツアソニックのダディー・オーと組んで会社を作ったりして、音楽業界に入ってきた。1995年、ディアンジェロ、さらに1997年、エリカ・バドゥーを世に送り出し、一躍注目のミュージック・マンとなり、その後モータウン社長へ。ディアンジェロ、エリカを売り出すときに、「ネオ・ソウル」という言葉・定義を生み出し、大成功した。
ほんの瞬間、ジョーにも会えた。間近で会うジョーは実にかっこよかった。同行松尾さんが、かつてジョーと一緒に六本木のしゃぶしゃぶを食べに行ったときのことを話すと、「ああ、覚えてる、覚えてる。でも、僕はしゃぶしゃぶは食べなかったんだ」 「で、そのあと、ケンタッキー・フライド・チキンを食べたんですよね(笑)」と松尾さん。「そうそう、KFC頼んだよ(笑)」 「日本に来た回数はもうわからないな。1995年に初めて来て、年に2度くらい来ることもあるので、最低15回は下らないと思う」
ジョーにひとつだけ質問した。「あなたは、もうゴスペルは歌わないのですか。あるいは、ゴスペルの曲をレコーディングしたりはしないのですか」 すると、「僕の両親は教会で歌ってる。実は自分のレーベルでゴスペルのアーティストと契約したんだ。だからゴスペルはやるよ! たぶん来年くらいに出る」 今もアトランタに住んでいるのかと思ったら、「アトランタは20年前に出て、ずっとニュージャージーに住んでるよ。今、みんなアトランタ、アトランタだからね。その中で一緒になりたくないんだ(笑)」
October 20, 2008
Joe : More Hug & Kiss At Joe’s Live; Something In Common With Peabo Bryson
http://blog.soulsearchin.com/archives/002708.html
ジョー・今回来日・ライヴ評、セットリスト、過去記事一覧も。
ENT>MUSIC>LIVE>Joe
ENT>MUSIC>PERSON>Massenburg, Kedar
裏方。
ちょうど、ステージ袖にちょっとピーボ・ブライソン似の小柄な男性がいた。なんと、彼が1997年から2004年までの約6年モータウン・レコード社長の座にいた人物、ケダー・マッセンバーグだった。日曜日に東京入りしたそうで、この日は自身のレーベルの所属アーティスト、ジョーのライヴを見に来ていた。ジョーはライヴ最後のところで、「今日はスペシャルな人物が来ています。彼は『ネオ・ソウル』という言葉を生み出し、世に広めた人です。そして、ディアンジェロやエリカ・バドゥーといったアーティストをスターにした人です」と言ってケダーをオーディエンスに紹介した。ちょっと照れながら彼はステージにあがった。
ケダーは現在ジョーとともに自身のインディ・レーベル、「563ミュージック」を設立、ジョーの新作はアメリカではこのレーベルからインディ作品として発売されている。昨年、ジョーのオープニングを担当したアルジェブラも同レーベル所属だ。
ライヴ後少しだけケダーに会った。「いや、僕はステージに上って、踊ったりする人間じゃないんだ。(笑) 言ってみれば裏方の人間だからね。日本にはディアンジェロと一緒に初めてやってきたよ」 比較的早口で、ひじょうにスマートな印象だ。いろいろなインタヴューを見ると、ケダーのアーティスト育成に関するポリシーはなかなか素晴らしい。
曰く「アーティストは、世間に出せるまでトレーニングして、一挙に世間に出す。いい音楽を作るだけでなく、メディア・トレーニングもする。それだけではない、会計のコンサルタント、音楽ビジネスのことも教える。我々はアーティストをストリート・レベルで通用するのと同時に、レコード会社の役員会などでも通用するような人間に育てるんだ。だが、今ではそういうことはメジャーのレコード会社ではほとんどできない。なぜなら、メジャーはすべて4半期ごと(3ヶ月毎)に数字が上がらないとだめだからだ」
ブルックリンに1963年ごろ生まれたケダーは、地元のハイスクールを出た後、オハイオの大学、ノース・キャロライナ大学などで学び、後者で弁護士資格を獲得。卒業後一度はペプシコ社に就職。その後1991年、大学時代からステッツアソニックのダディー・オーと組んで会社を作ったりして、音楽業界に入ってきた。1995年、ディアンジェロ、さらに1997年、エリカ・バドゥーを世に送り出し、一躍注目のミュージック・マンとなり、その後モータウン社長へ。ディアンジェロ、エリカを売り出すときに、「ネオ・ソウル」という言葉・定義を生み出し、大成功した。
ほんの瞬間、ジョーにも会えた。間近で会うジョーは実にかっこよかった。同行松尾さんが、かつてジョーと一緒に六本木のしゃぶしゃぶを食べに行ったときのことを話すと、「ああ、覚えてる、覚えてる。でも、僕はしゃぶしゃぶは食べなかったんだ」 「で、そのあと、ケンタッキー・フライド・チキンを食べたんですよね(笑)」と松尾さん。「そうそう、KFC頼んだよ(笑)」 「日本に来た回数はもうわからないな。1995年に初めて来て、年に2度くらい来ることもあるので、最低15回は下らないと思う」
ジョーにひとつだけ質問した。「あなたは、もうゴスペルは歌わないのですか。あるいは、ゴスペルの曲をレコーディングしたりはしないのですか」 すると、「僕の両親は教会で歌ってる。実は自分のレーベルでゴスペルのアーティストと契約したんだ。だからゴスペルはやるよ! たぶん来年くらいに出る」 今もアトランタに住んでいるのかと思ったら、「アトランタは20年前に出て、ずっとニュージャージーに住んでるよ。今、みんなアトランタ、アトランタだからね。その中で一緒になりたくないんだ(笑)」
October 20, 2008
Joe : More Hug & Kiss At Joe’s Live; Something In Common With Peabo Bryson
http://blog.soulsearchin.com/archives/002708.html
ジョー・今回来日・ライヴ評、セットリスト、過去記事一覧も。
ENT>MUSIC>LIVE>Joe
ENT>MUSIC>PERSON>Massenburg, Kedar
■【オマーのタップからオマーの歌が聴こえてくる】
感動。
デューク・エリントン楽団がコットンでライヴ。同楽団は2008年2月にビルボード・ライヴに来ていたので、8ヶ月ぶり。ずいぶんと短いインターヴァルで来日する。しかし、コットンほぼ満席。今週は、アメックス・ウィークとのことで、アメックス・カードで支払うとウェルカム・ドリンクが提供される。しかも、ちょっとしたトレイのおみやげまで。いつもより、観客の年齢層が高めなのは、アメックス・カード・ホルダーが多いせいか。
さて、約70分のパフォーマンスでの圧巻は、タップ・ダンサー、オマー・エドワーズのダンス・パフォーマンス。3ヶ月ほど前の7月に、横浜ランドマークの『ハーレム・ナイト』で見たばかりだが、コットンで直近1メートルの距離で見ると、これは大変な迫力で大感激した。オマーのタップは2004年夏から毎年見ていることになるが2005年夏に見て以来の感銘を受けた。
オマーは、タップしながら客席を一巡してステージに上がった。テーブルとテーブルのほんの狭い通路さえも、彼は足を踏み鳴らしながら、タップをした。もちろん僕の目の前もタンタンタンタンと音を鳴らしながら、通っていった。そしてバンドが「キャラヴァン」をやり始めると、それにあわせ、一段高くなったステージで激しくタップを踊る。
オマーのタップは、当たり前のことだが、体すべてであらゆるものを表現する。それも、そこには強烈なブラックネス(黒さ)がにじみ出ている。ただ足を踏み鳴らしているだけで、なぜこれほど感動するのだろう。すぐ目の前で彼が踊るので、その黒い波動が直接届き、見る者を圧倒する。
オマーはリズムだ。オマーは音楽だ。そして、オマーは歌だ。
Omar is rhythm. Omar is music. And Omar is song.
歌がオマーであり、音楽がオマーであり、リズムがオマーだ。
Song is Omar, Music is Omar, and Rhythm is Omar.
なんという表現者だろうか。
いかなる演奏よりも、どんな歌よりも、ソウルを感じさせ、僕はただそのパフォーマンスを見ているだけで感動の嵐に包まれた。一体、歌ものよりも感動してしまうってなぜなんだろう。何百というソウルのライヴを見ている中でこんな歓喜を感じることは滅多にない。
パッション、喜び、怒り、熱情、愛、憎しみ、挑発、受け入れ、笑い、そして、人生そのもの。そんなオマーの歌声が聴こえてくる。きっと、オマーの中に強烈すぎるほどのソウルの爆発があるから、それが僕の心の琴線に触れるのではないだろうか。
彼のタップは中心軸がぶれない。だから、本当にかっこいい。そして、彼得意の少し前のめりになって踊るスタイルを連続すると、その前のめりの彼がこちらにいまにも倒れてきそうな錯覚に陥る。だが倒れてきそうな瞬間彼は体を建て直し、すぐに次の動きへ移る。見事だ。無駄な動きなど一切ない。
目の前で彼が踊るので、彼の足元を凝視した。黒いエナメルのタップ・シューズが眼にもとまらぬ速さで動く。そして、彼が勢いよく回転すると、汗の飛沫(しぶき)がダイアモンドのようにきらりと光りながら周囲に飛び散った。2005年7月に僕が「ハーレム・ナイツ」で目撃した汗の飛沫の美しさを再見して感動した。飛び散る汗の飛沫のなんと美しいことか。何度か彼が回転するうちに、そのダイアモンドの飛沫が飛び散る様がスロー・モーションのようにゆっくり落ちていくかのような錯覚に陥った。
そして、後半彼はおもむろにタップ・シューズを脱ぎ捨て、靴下を脱いだ。きた~~! 彼の定番の「裸足のタップ(Barefoot Tap)」だ。なぜ彼が裸足でタップをやりだしたか。2005年7月の下記関連記事で彼が答えている。
音楽は勝負だという。タップも、いや、ダンスもまさに真剣勝負だ。彼がステージにいた23分間、ソウルの神様が彼に白い光を当てているようだった。もし僕が10代で彼のタップをこんなに近くで見たら、オマーのようなタップ・ダンサーになりたいと思って、タップを始めたに違いない。きっと、ニューヨークのアポロ・シアターなんかでは、彼のタップをそれこそ10代の子供たちが見る機会がたくさんあるのだろう。そうして、それに影響を受けて次の世代に文化が継承されていくのだ。
今これを書くとき、目を閉じると、オマーの動きがまぶたに浮かぶ。さすがにこの動きと空気と波動は、いくら文字で書いても伝えられない。たとえビデオやYou Tubeでも伝わらない。その場のライヴで見て感じるしかない。
(この項続く)
■ 過去関連記事
オマーが毎年やってくる『ハーレム・ナイツ』ライヴ評↓
July 24, 2008
Harlem Nights Vol.7 Has Just Started
http://blog.soulsearchin.com/archives/002617.html
July 26, 2007
"Harlem Nights Vol.6" At Landmark Tower: "I Don’t Repeat" Says Omar
http://blog.soulsearchin.com/archives/001918.html
第6回ライヴ評
July 29, 2006
Alyson Talks, Omar Talks: Harlem Nights
http://blog.soulsearchin.com/archives/001164.html
オマー語る
July 28, 2006
Harlem Nights Vol.5: Alyson Williams Sings Wide Variety Of Music, Omar Edwards Taps With New Idea
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200607/2006_07_28.html
第5回ライヴ評
July 29, 2005
Harlem Nights: Omar Edwards, Barefoot Tap Dancer
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200507/2005_07_29.html
第4回ライヴ評
2004/07/31 (Sat)
Harlem Nights III: Bring Your Cake For Lonnie’s Birthday
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200407/diary20040731.html
第3回ライヴ評
2003/03/22 (Sat)
Bring In ’Da Noise, Bring In ’Da Funk: Soul explosion!
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200303/diary20030322.html
オマーの従兄弟で師匠的存在のセヴィアン・グローヴァーのタップが登場スル『ノイズ・アンド・ファンク』ライヴ評
February 23, 2008
The Duke Ellington Orchestra: Play With Curtain Opened
http://blog.soulsearchin.com/archives/002344.html
デューク・エリントン・オーケストラ前回ライヴ評。セットリスト付き
April 17, 2005
Blue Note: The Night For Duke’s Place
http://blog.soulsearchin.com/archives/000043.html
2005年デューク・エリントン・ライヴ評
■ メンバー
デューク・エリントン・オーケストラ・ウィズ・スペシャル・ゲスト・オマー・エドワーズ
Tommy James(p,MD), Marty Morell(ds), Omar Edwards(tap), Mark Gross(sax), Enrique Fernandez(sax), Shelley Carrol(sax), Bobby LaVelle(sax), Jason Marshall(sax), Seneca Black(tp), Mark McGowan(tp), Kevin Louis(tp), Ravi Best(tp), Stafford Hunter(tb), Dion Tucker(tb), Jack Jeffers(tb), Jennifer Vincent(b)
■セットリスト デューク・エリントン・オーケストラ、オマー・エドワーズ
Setlist : Duke Ellington Orchestra @ Cotton Club, October 22, 2008
show started 21:32
01. Cotton Club Stomp (?)
02. Black And Tan Fantasy
03. Satin Doll
04. Oculapaca
~Omar On The Stage
05. Caravan
06. (Free Style with two trumpet players)
07. (Free Style)
08. (Drum solo to big band)(Inwalked Bud)??
~Omar off the stage
09. In A Sentimental Mood
10. Johnny Came Lately
11. Take The "A" Train
Enc. Omar on the stage with piano playing : It Don’t Mean a Thing (If It Ain’t Got That Swing)
show ended 22:42
(2008年10月22日水曜、丸の内・コットン・クラブ、デューク・エリントン・オーケストラ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Duke Ellington Orchestra featuring Omar Edwards
2008- 173
感動。
デューク・エリントン楽団がコットンでライヴ。同楽団は2008年2月にビルボード・ライヴに来ていたので、8ヶ月ぶり。ずいぶんと短いインターヴァルで来日する。しかし、コットンほぼ満席。今週は、アメックス・ウィークとのことで、アメックス・カードで支払うとウェルカム・ドリンクが提供される。しかも、ちょっとしたトレイのおみやげまで。いつもより、観客の年齢層が高めなのは、アメックス・カード・ホルダーが多いせいか。
さて、約70分のパフォーマンスでの圧巻は、タップ・ダンサー、オマー・エドワーズのダンス・パフォーマンス。3ヶ月ほど前の7月に、横浜ランドマークの『ハーレム・ナイト』で見たばかりだが、コットンで直近1メートルの距離で見ると、これは大変な迫力で大感激した。オマーのタップは2004年夏から毎年見ていることになるが2005年夏に見て以来の感銘を受けた。
オマーは、タップしながら客席を一巡してステージに上がった。テーブルとテーブルのほんの狭い通路さえも、彼は足を踏み鳴らしながら、タップをした。もちろん僕の目の前もタンタンタンタンと音を鳴らしながら、通っていった。そしてバンドが「キャラヴァン」をやり始めると、それにあわせ、一段高くなったステージで激しくタップを踊る。
オマーのタップは、当たり前のことだが、体すべてであらゆるものを表現する。それも、そこには強烈なブラックネス(黒さ)がにじみ出ている。ただ足を踏み鳴らしているだけで、なぜこれほど感動するのだろう。すぐ目の前で彼が踊るので、その黒い波動が直接届き、見る者を圧倒する。
オマーはリズムだ。オマーは音楽だ。そして、オマーは歌だ。
Omar is rhythm. Omar is music. And Omar is song.
歌がオマーであり、音楽がオマーであり、リズムがオマーだ。
Song is Omar, Music is Omar, and Rhythm is Omar.
なんという表現者だろうか。
いかなる演奏よりも、どんな歌よりも、ソウルを感じさせ、僕はただそのパフォーマンスを見ているだけで感動の嵐に包まれた。一体、歌ものよりも感動してしまうってなぜなんだろう。何百というソウルのライヴを見ている中でこんな歓喜を感じることは滅多にない。
パッション、喜び、怒り、熱情、愛、憎しみ、挑発、受け入れ、笑い、そして、人生そのもの。そんなオマーの歌声が聴こえてくる。きっと、オマーの中に強烈すぎるほどのソウルの爆発があるから、それが僕の心の琴線に触れるのではないだろうか。
彼のタップは中心軸がぶれない。だから、本当にかっこいい。そして、彼得意の少し前のめりになって踊るスタイルを連続すると、その前のめりの彼がこちらにいまにも倒れてきそうな錯覚に陥る。だが倒れてきそうな瞬間彼は体を建て直し、すぐに次の動きへ移る。見事だ。無駄な動きなど一切ない。
目の前で彼が踊るので、彼の足元を凝視した。黒いエナメルのタップ・シューズが眼にもとまらぬ速さで動く。そして、彼が勢いよく回転すると、汗の飛沫(しぶき)がダイアモンドのようにきらりと光りながら周囲に飛び散った。2005年7月に僕が「ハーレム・ナイツ」で目撃した汗の飛沫の美しさを再見して感動した。飛び散る汗の飛沫のなんと美しいことか。何度か彼が回転するうちに、そのダイアモンドの飛沫が飛び散る様がスロー・モーションのようにゆっくり落ちていくかのような錯覚に陥った。
そして、後半彼はおもむろにタップ・シューズを脱ぎ捨て、靴下を脱いだ。きた~~! 彼の定番の「裸足のタップ(Barefoot Tap)」だ。なぜ彼が裸足でタップをやりだしたか。2005年7月の下記関連記事で彼が答えている。
音楽は勝負だという。タップも、いや、ダンスもまさに真剣勝負だ。彼がステージにいた23分間、ソウルの神様が彼に白い光を当てているようだった。もし僕が10代で彼のタップをこんなに近くで見たら、オマーのようなタップ・ダンサーになりたいと思って、タップを始めたに違いない。きっと、ニューヨークのアポロ・シアターなんかでは、彼のタップをそれこそ10代の子供たちが見る機会がたくさんあるのだろう。そうして、それに影響を受けて次の世代に文化が継承されていくのだ。
今これを書くとき、目を閉じると、オマーの動きがまぶたに浮かぶ。さすがにこの動きと空気と波動は、いくら文字で書いても伝えられない。たとえビデオやYou Tubeでも伝わらない。その場のライヴで見て感じるしかない。
(この項続く)
■ 過去関連記事
オマーが毎年やってくる『ハーレム・ナイツ』ライヴ評↓
July 24, 2008
Harlem Nights Vol.7 Has Just Started
http://blog.soulsearchin.com/archives/002617.html
July 26, 2007
"Harlem Nights Vol.6" At Landmark Tower: "I Don’t Repeat" Says Omar
http://blog.soulsearchin.com/archives/001918.html
第6回ライヴ評
July 29, 2006
Alyson Talks, Omar Talks: Harlem Nights
http://blog.soulsearchin.com/archives/001164.html
オマー語る
July 28, 2006
Harlem Nights Vol.5: Alyson Williams Sings Wide Variety Of Music, Omar Edwards Taps With New Idea
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200607/2006_07_28.html
第5回ライヴ評
July 29, 2005
Harlem Nights: Omar Edwards, Barefoot Tap Dancer
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200507/2005_07_29.html
第4回ライヴ評
2004/07/31 (Sat)
Harlem Nights III: Bring Your Cake For Lonnie’s Birthday
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200407/diary20040731.html
第3回ライヴ評
2003/03/22 (Sat)
Bring In ’Da Noise, Bring In ’Da Funk: Soul explosion!
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200303/diary20030322.html
オマーの従兄弟で師匠的存在のセヴィアン・グローヴァーのタップが登場スル『ノイズ・アンド・ファンク』ライヴ評
February 23, 2008
The Duke Ellington Orchestra: Play With Curtain Opened
http://blog.soulsearchin.com/archives/002344.html
デューク・エリントン・オーケストラ前回ライヴ評。セットリスト付き
April 17, 2005
Blue Note: The Night For Duke’s Place
http://blog.soulsearchin.com/archives/000043.html
2005年デューク・エリントン・ライヴ評
■ メンバー
デューク・エリントン・オーケストラ・ウィズ・スペシャル・ゲスト・オマー・エドワーズ
Tommy James(p,MD), Marty Morell(ds), Omar Edwards(tap), Mark Gross(sax), Enrique Fernandez(sax), Shelley Carrol(sax), Bobby LaVelle(sax), Jason Marshall(sax), Seneca Black(tp), Mark McGowan(tp), Kevin Louis(tp), Ravi Best(tp), Stafford Hunter(tb), Dion Tucker(tb), Jack Jeffers(tb), Jennifer Vincent(b)
■セットリスト デューク・エリントン・オーケストラ、オマー・エドワーズ
Setlist : Duke Ellington Orchestra @ Cotton Club, October 22, 2008
show started 21:32
01. Cotton Club Stomp (?)
02. Black And Tan Fantasy
03. Satin Doll
04. Oculapaca
~Omar On The Stage
05. Caravan
06. (Free Style with two trumpet players)
07. (Free Style)
08. (Drum solo to big band)(Inwalked Bud)??
~Omar off the stage
09. In A Sentimental Mood
10. Johnny Came Lately
11. Take The "A" Train
Enc. Omar on the stage with piano playing : It Don’t Mean a Thing (If It Ain’t Got That Swing)
show ended 22:42
(2008年10月22日水曜、丸の内・コットン・クラブ、デューク・エリントン・オーケストラ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Duke Ellington Orchestra featuring Omar Edwards
2008- 173
▲Gatz Live At Blues Alley
2008年10月24日 音楽▲【ガッツ・ライヴ~雨にも負けず…】
雨男。
ガッツの僕が見るライヴとしては2008年5月以来のもの。それにしても、オリジナルばかりで、しかも、まだCD音源も出していないのに、120分近くのライヴをやるのだから恐れ入る。(笑) ここに来てるファンは、心底ガッツ・ファンですね。すばらし。元祖雨男ガッツ、今日も目黒の空は雨に濡れ~。「雨の目黒」とか「雨の権之助坂」とかって曲が出来るんでは?(笑)
こうしたスタイルでやるライヴは、ガッツによれば、今回でちょうど10回目。ということで、今回はいつもと違う何かをやりたいと、ガッツは普段は50分2ステージという構成を、100分ワンステージにしてみた、という。そこでライヴの始まりが8時。終わったのはほぼ10時だったから、約2時間たっぷりだ。僕は一気にワンステージのほうがテンションが保たれ楽しみやすい。
Jポップであって、ちょっとソウルフルで、そして、ロックの要素もあるリアル・ミュージシャン、それがガッツというところか。全体的にほとんどの曲がミディアムからアップテンポの曲で、がんがんエネルギーを発してくる。
ちょうどビームス帰りの岡さんと一緒にで向いたら、ゴス、黒沢さん、村上さん、北山さんらと同じ席になり、鑑賞。黒沢さん「いい曲、多いよね。ほら、よく考えたら、彼のオリジナルばっかり聴くの初めてなんだよね。『ソウル・サーチン』も、『ソウル・パワー』もカヴァーが多いし(笑)」。
いくつかの曲で僕はガッツの歌がサザン・オールスターズっぽいなあ、と感じている。僕は個人的にはあんまりサザンぽくならないほうがいいなあ、思った。普通に歌えばそれでもうガッツ節になっているから。
アンコール2曲目「季節の中で」という曲を聴いていたら、なんか黒沢さんにあいそうな曲調に思えた。「これ、歌ってみたら」と冗談ぽく言ったら、さびのフレーズをすぐにちょっとだけ歌っていた。さすが、「すぐ歌う課」黒沢さんだけのことはある。「逆に僕がガッツに曲書いてみてもおもしろいかも」とも。やはり、いいシンガーはいいシンガーを聴くとインスパイアーされるものが多いのだろう。
岡さんと村上さんは青山OA以来の旧知の仲。ライヴ後『アフター・ザ・ダンス』個展について、いろいろと話をしていた。近いうちに来てくれるそうだ。ブルース・アレーのフライアーの棚に『アフター・ザ・ダンス』のチラシがなかったのでマネージャーの高橋さんに言うと、「あ、(もらって)もうすぐに配っちゃったよ」というので、追加のフライアーとはがきをどさっと渡したのは言うまでもない。今日も仕事をした。
■過去記事
May 15, 2008
Gatz Live At Blues Alley : He Isn’t “Rain Man” Anymore
http://blog.soulsearchin.com/archives/002514.html
April 01, 2008
Gatz Debut At Cotton Club
http://blog.soulsearchin.com/archives/002424.html
January 29, 2008
Gatz Live At Blues Alley: Tons Of Sparkling New Songs
http://blog.soulsearchin.com/archives/002291.html
(ここに膨大な量のガッツ過去記事一覧)
■メンバー
BLUES ALLEY JAPAN Players Nite~GATZ original vibrations~
(Vo/G)GATZ、音音(nene)、PUPILA (Harmonica/Key)西脇辰弥 (Ds)高田真
(B)下野ヒトシ (Per)坂井“Lambsy”秀彰 (Sax)本間将人 (Tp)川上鉄平
(Tb)石戸谷斉
■セットリスト ガッツ
Setlist : Gatz @ Blues Alley Japan, October 23, 2008
Show started 20:13
01. 君の瞳
02. 心配ないよ
03. Be With You
04. Keep On Movin’
05.Fly High
06.Stay
07.Got To Be Free
08.Great Escape
09.Melody
10.地球に抱かれてる
11.Long Vacation
12.Rock Your Soul
13.真夏の海
14.夢物語
Enc. ありがとう
Enc. 季節の中で
Show ended 22:10
(2008年10月23日水曜、目黒ブルース・アレー=ガッツ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Gatz
2008-174
雨男。
ガッツの僕が見るライヴとしては2008年5月以来のもの。それにしても、オリジナルばかりで、しかも、まだCD音源も出していないのに、120分近くのライヴをやるのだから恐れ入る。(笑) ここに来てるファンは、心底ガッツ・ファンですね。すばらし。元祖雨男ガッツ、今日も目黒の空は雨に濡れ~。「雨の目黒」とか「雨の権之助坂」とかって曲が出来るんでは?(笑)
こうしたスタイルでやるライヴは、ガッツによれば、今回でちょうど10回目。ということで、今回はいつもと違う何かをやりたいと、ガッツは普段は50分2ステージという構成を、100分ワンステージにしてみた、という。そこでライヴの始まりが8時。終わったのはほぼ10時だったから、約2時間たっぷりだ。僕は一気にワンステージのほうがテンションが保たれ楽しみやすい。
Jポップであって、ちょっとソウルフルで、そして、ロックの要素もあるリアル・ミュージシャン、それがガッツというところか。全体的にほとんどの曲がミディアムからアップテンポの曲で、がんがんエネルギーを発してくる。
ちょうどビームス帰りの岡さんと一緒にで向いたら、ゴス、黒沢さん、村上さん、北山さんらと同じ席になり、鑑賞。黒沢さん「いい曲、多いよね。ほら、よく考えたら、彼のオリジナルばっかり聴くの初めてなんだよね。『ソウル・サーチン』も、『ソウル・パワー』もカヴァーが多いし(笑)」。
いくつかの曲で僕はガッツの歌がサザン・オールスターズっぽいなあ、と感じている。僕は個人的にはあんまりサザンぽくならないほうがいいなあ、思った。普通に歌えばそれでもうガッツ節になっているから。
アンコール2曲目「季節の中で」という曲を聴いていたら、なんか黒沢さんにあいそうな曲調に思えた。「これ、歌ってみたら」と冗談ぽく言ったら、さびのフレーズをすぐにちょっとだけ歌っていた。さすが、「すぐ歌う課」黒沢さんだけのことはある。「逆に僕がガッツに曲書いてみてもおもしろいかも」とも。やはり、いいシンガーはいいシンガーを聴くとインスパイアーされるものが多いのだろう。
岡さんと村上さんは青山OA以来の旧知の仲。ライヴ後『アフター・ザ・ダンス』個展について、いろいろと話をしていた。近いうちに来てくれるそうだ。ブルース・アレーのフライアーの棚に『アフター・ザ・ダンス』のチラシがなかったのでマネージャーの高橋さんに言うと、「あ、(もらって)もうすぐに配っちゃったよ」というので、追加のフライアーとはがきをどさっと渡したのは言うまでもない。今日も仕事をした。
■過去記事
May 15, 2008
Gatz Live At Blues Alley : He Isn’t “Rain Man” Anymore
http://blog.soulsearchin.com/archives/002514.html
April 01, 2008
Gatz Debut At Cotton Club
http://blog.soulsearchin.com/archives/002424.html
January 29, 2008
Gatz Live At Blues Alley: Tons Of Sparkling New Songs
http://blog.soulsearchin.com/archives/002291.html
(ここに膨大な量のガッツ過去記事一覧)
■メンバー
BLUES ALLEY JAPAN Players Nite~GATZ original vibrations~
(Vo/G)GATZ、音音(nene)、PUPILA (Harmonica/Key)西脇辰弥 (Ds)高田真
(B)下野ヒトシ (Per)坂井“Lambsy”秀彰 (Sax)本間将人 (Tp)川上鉄平
(Tb)石戸谷斉
■セットリスト ガッツ
Setlist : Gatz @ Blues Alley Japan, October 23, 2008
Show started 20:13
01. 君の瞳
02. 心配ないよ
03. Be With You
04. Keep On Movin’
05.Fly High
06.Stay
07.Got To Be Free
08.Great Escape
09.Melody
10.地球に抱かれてる
11.Long Vacation
12.Rock Your Soul
13.真夏の海
14.夢物語
Enc. ありがとう
Enc. 季節の中で
Show ended 22:10
(2008年10月23日水曜、目黒ブルース・アレー=ガッツ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Gatz
2008-174
★Omar Edwards Talks (Part 2) : After The Dance
2008年10月25日 音楽★【オマー、電撃的タップ・ダンスの後に語る】
体全体。
水曜日デューク・エリントン・オーケストラでスペシャル・ゲストで出ていたオマー・エドワーズ。彼を初めて見たのが2004年7月の『ハーレム・ナイツ』で、それ以降毎年見ているので、『ハーレム…』で5回、そして今回で6回目になる。毎回彼はライヴが終わるとサイン会にでてきて、ファンにサインをしたり、写真を撮ったりする。ライヴが終わりトイレに行こうとすると、彼はすでに出口のところでサイン会を始めようとスタンバイしていた。さすがに毎回会ってるので、いつもながら人懐っこい顔で挨拶してくる。トイレをすませ戻ってきて、どれほど彼のパフォーマンスに感動したかを伝えたかったが、なかなか興奮してうまく話せなかったが、「サンキュー」と感謝してくれた。
ちょうど、ケイリブ・ジェームスとカマサミ・コングが来ていたので、ちょっと挨拶しにいった。コングさんもかなりオマーのパフォーマンスに驚いた様子。彼に岡さんの『アフター・ザ・ダンス』のフライアーを渡し、説明するためにYou Tubeの映像を見せた。最初かたことの説明ではわからなかったものが、これを見せるとすぐに理解してもらえる。百聞は一見にしかず。映像は強力だ。コングさんも興味を持ってくれたので、オマーにもこれを見せようと思いついた。
オマーのところに戻り、簡単に口で説明し、映像を見せようとすると、「待ってくれ、それと同じこと、僕はやったよ。見せないでくれ(笑)」と興奮気味に言って彼のヴァージョンの説明を始めた。オマーがやったのは、友人のギタリストと手を組んで二人でやったもので、ギタリストの彼がジミ・ヘンドリックスの曲を演奏するという。
彼が興奮気味に語り始めた。「いろいろな色の容器が置いてあって、そこに僕がタップの靴をいれて、キャンヴァスにダンスをしていく。すべての容器でダンスをすると、色(の位置)がそれぞれ決まっていて、最後、それがジミ・ヘンドリックスの絵になるというわけだ。ま、出来た絵がヘンドリックスに似てるかどうかはわからないけどね。(笑) (ビデオのものと)基本的には同じだな。彼はタップ・ダンサーかい? ソウル・ダンサーなんだね」
ちょうど、「マザー・ポップコーン」のところだった。「彼はジェームス・ブラウンのようなダンサー? なるほど。僕もこれと同じことをやってみたいよ。基本的には同じアイデアだが、彼は一色しか使ってないよね。でも、僕がやるときはたくさんの色を使いたい。ジェームス・ブラウンのコピーとしてはそれほどではないな。歩いているみたいだ。(笑)ジェームス・ブラウンの映像をYou Tubeで見たが、彼の動きは電撃的だ。本当にゲットダウンしてる。すべてが早く、衝撃的で、かと思えばスローになったり」
オマーは興奮しながら話す。「僕のゴールはいつか(自分のダンスのレベルが)ジェームス・ブラウンのようなレベルに達することだ。ジェームス・ブラウンはタップ・ダンスはしないのに、彼はダンスに関して超有名だ。彼のダンスはとても自然な生まれながらのダンスだと思う。音楽の瞬間と感情に基づいて踊る。それは、僕がやっていることとすべて同じなんだ。いいかい、それと同じことができるもうひとりのシンガーを知ってるかい?」
「誰? わからないなあ」 「ボブ・マーリーだよ! 彼の珍しいコンサートの映像を見たことがあるんだ。彼は1曲全曲を、体すべてで表現してるんだよ! 体、すべてだ。だから、ボブ・マーリーはすばらしいタップ・ダンサーなんだ。時々、僕は彼の音楽を消して、彼の足元の動きだけを見るんだ。もう本当に、タップのようなんだ。一度君も見るべきだ。楽しめるよ。ギターで(曲が)ブレイクするときなんかでも動いている。彼のリズムは、こうだ(動きをする)、1曲全曲を通して、踊っているんだ、体全体(whole body)を使ってね」
そういえば、彼が今年(2008年)の『ハーレム・ナイツ』でパフォーマンスをしたとき、ボブ・マーリーの大きな絵柄のTシャツを来て、マーリーの「ウェイティング・イン・ヴェイン」にあわせてタップをしていた。10年以上伸ばしているというドレッド・ヘアもボブ・マーリーの流れを汲む。彼のタップ・ダンスは、体のすべてを使う。オマーのこの話を見て、聞いて、体全体の意味がすごくよくわかった。
オマーが、フライアーを見て「これ、実物を見たいな。どれくらい大きいんだい? 明日(木曜)は、昼、テレビにでるから(『笑っていいとも』の最後に登場した!)、あさって連れてってくれ」ということになり、オマーを『アフター・ザ・ダンス』にお連れすることになった。
(この項続く)
ENT>MUSIC>ARTIST> Edwards, Omar
体全体。
水曜日デューク・エリントン・オーケストラでスペシャル・ゲストで出ていたオマー・エドワーズ。彼を初めて見たのが2004年7月の『ハーレム・ナイツ』で、それ以降毎年見ているので、『ハーレム…』で5回、そして今回で6回目になる。毎回彼はライヴが終わるとサイン会にでてきて、ファンにサインをしたり、写真を撮ったりする。ライヴが終わりトイレに行こうとすると、彼はすでに出口のところでサイン会を始めようとスタンバイしていた。さすがに毎回会ってるので、いつもながら人懐っこい顔で挨拶してくる。トイレをすませ戻ってきて、どれほど彼のパフォーマンスに感動したかを伝えたかったが、なかなか興奮してうまく話せなかったが、「サンキュー」と感謝してくれた。
ちょうど、ケイリブ・ジェームスとカマサミ・コングが来ていたので、ちょっと挨拶しにいった。コングさんもかなりオマーのパフォーマンスに驚いた様子。彼に岡さんの『アフター・ザ・ダンス』のフライアーを渡し、説明するためにYou Tubeの映像を見せた。最初かたことの説明ではわからなかったものが、これを見せるとすぐに理解してもらえる。百聞は一見にしかず。映像は強力だ。コングさんも興味を持ってくれたので、オマーにもこれを見せようと思いついた。
オマーのところに戻り、簡単に口で説明し、映像を見せようとすると、「待ってくれ、それと同じこと、僕はやったよ。見せないでくれ(笑)」と興奮気味に言って彼のヴァージョンの説明を始めた。オマーがやったのは、友人のギタリストと手を組んで二人でやったもので、ギタリストの彼がジミ・ヘンドリックスの曲を演奏するという。
彼が興奮気味に語り始めた。「いろいろな色の容器が置いてあって、そこに僕がタップの靴をいれて、キャンヴァスにダンスをしていく。すべての容器でダンスをすると、色(の位置)がそれぞれ決まっていて、最後、それがジミ・ヘンドリックスの絵になるというわけだ。ま、出来た絵がヘンドリックスに似てるかどうかはわからないけどね。(笑) (ビデオのものと)基本的には同じだな。彼はタップ・ダンサーかい? ソウル・ダンサーなんだね」
ちょうど、「マザー・ポップコーン」のところだった。「彼はジェームス・ブラウンのようなダンサー? なるほど。僕もこれと同じことをやってみたいよ。基本的には同じアイデアだが、彼は一色しか使ってないよね。でも、僕がやるときはたくさんの色を使いたい。ジェームス・ブラウンのコピーとしてはそれほどではないな。歩いているみたいだ。(笑)ジェームス・ブラウンの映像をYou Tubeで見たが、彼の動きは電撃的だ。本当にゲットダウンしてる。すべてが早く、衝撃的で、かと思えばスローになったり」
オマーは興奮しながら話す。「僕のゴールはいつか(自分のダンスのレベルが)ジェームス・ブラウンのようなレベルに達することだ。ジェームス・ブラウンはタップ・ダンスはしないのに、彼はダンスに関して超有名だ。彼のダンスはとても自然な生まれながらのダンスだと思う。音楽の瞬間と感情に基づいて踊る。それは、僕がやっていることとすべて同じなんだ。いいかい、それと同じことができるもうひとりのシンガーを知ってるかい?」
「誰? わからないなあ」 「ボブ・マーリーだよ! 彼の珍しいコンサートの映像を見たことがあるんだ。彼は1曲全曲を、体すべてで表現してるんだよ! 体、すべてだ。だから、ボブ・マーリーはすばらしいタップ・ダンサーなんだ。時々、僕は彼の音楽を消して、彼の足元の動きだけを見るんだ。もう本当に、タップのようなんだ。一度君も見るべきだ。楽しめるよ。ギターで(曲が)ブレイクするときなんかでも動いている。彼のリズムは、こうだ(動きをする)、1曲全曲を通して、踊っているんだ、体全体(whole body)を使ってね」
そういえば、彼が今年(2008年)の『ハーレム・ナイツ』でパフォーマンスをしたとき、ボブ・マーリーの大きな絵柄のTシャツを来て、マーリーの「ウェイティング・イン・ヴェイン」にあわせてタップをしていた。10年以上伸ばしているというドレッド・ヘアもボブ・マーリーの流れを汲む。彼のタップ・ダンスは、体のすべてを使う。オマーのこの話を見て、聞いて、体全体の意味がすごくよくわかった。
オマーが、フライアーを見て「これ、実物を見たいな。どれくらい大きいんだい? 明日(木曜)は、昼、テレビにでるから(『笑っていいとも』の最後に登場した!)、あさって連れてってくれ」ということになり、オマーを『アフター・ザ・ダンス』にお連れすることになった。
(この項続く)
ENT>MUSIC>ARTIST> Edwards, Omar
(前日からの続き)
◆ 【オマー(パート3)、人生を語る】
人生。
約束の時間に迎えに行くと、彼はまだ部屋にいた。ハウスホーン(館内電話)の向こうで「今すぐに降りていくよ」という。しばらくするとロビーの向こうから手を振ってきた。前日遅くまでかなり飲んでしまったので、二日酔い気味だという。車に乗り込みいざ新宿へ。ちょうどカーステレオから流れていた音に彼が興味を示した。
「誰を聴いてるんだい?」
「ボビー・ウーマックだよ」
「彼はまだ生きてるの?」
「生きてるよ。ちょうど先月でたばっかりのベスト・アルバムなんだ。ジャケットの写真は古いけどね。映画『アクロース・ザ・110ス・ストリート(110番街交差点)』は見た? 1973年の映画」
「1973年、生まれてない…。僕は若すぎる。(笑)」
「じゃあ、『ジャッキー・ブラウン』は?」
「おお、もちろん見たよ」
「そのテーマ曲もこれだ」
ジャケットの英文ライナーノーツを彼は一生懸命読んでいる。文字が小さいせいもあるが、食い入るように読んでいる。そして、そこに書かれた文から「サム・クックは殺されたのかい?」と聞いてきた。
「そうだよ、1964年の12月に、サムはパーティーで知り合った女の子をモーテルに連れ込んだ。女の子は逃げようとして、モーテルのオフィースに助けを求めた。サムがそれに気づいて、そのオフィースにおいかけてきた。モーテルの女主人が、そんなサムに恐れをなして撃ってしまったんだ」
「わお、なんという悲劇だ…」
オマーはさらに読み進み、続けて尋ねてきた。「それで、ボビーはサムの未亡人と結婚したんだって?」
「そうなんだ。とてもスキャンダルな話だろ。不思議なんだよ。そこが。サムはボビーにとって、メントゥアー(恩人)みたいなものだからね。いろいろ複雑な事情はあったんだろうけど。ほら、ボビーの歌い方は、サムそっくりだろ」
「そうか、ボビーはサムから歌い方だけでなく、女も取ったってことか…」
「ははは、オーティス・レディングは知ってるかい?」
「ああ、もちろん、知ってる」
「彼は飛行機事故で死んだんだけど、1967年の12月10日が命日だ。サムの死から3年後にね。サムは1964年の12月11日に死んでる。オーティスもサムの影響をたくさん受けたシンガーだ」
「ウ~~ム、誰でも最後は死ぬからなあ…everybody must die」
「でも、彼らは死ぬには若すぎた。たしかサムは33歳くらいで死に、オーティスは26歳くらいで死んでる」
「本当か? おおっ…。っていうことは、逆に言えば、ボビー・ウーマックはうまく生き延びてるってことだね…」
「ははは、その通りだ。『ハリー・ヒッピー』という曲は知ってるかい? ボビーの弟のことを歌った歌だ。傑作だよ。ハリーも死んでしまった」
「なんで死んだんだ?」
「ドラッグ関係のトラブルじゃなかったかな(註:と、この場では言ってしまったのだが、家に戻って確認すると、これは間違いで、ドラッグで悩んでいたのはボビーでハリーは、当時の嫉妬深いガールフレンドにナイフで刺され殺された)」
「僕が育った1970年代には、そんなこと、あちこちであったよ。両親にもそんなトラブルがあった。父は54歳で死に、母が死んだのは35歳にもなってなかった。…(しんみり)…。だけど、人生とはおもしろいものだよ。おばあちゃんが素晴らしい人でね、彼女は86歳なんだけど、まだ元気だ。彼女には6人の子供がいた。そのうちの一人が僕の父だ。おじいちゃん、つまり、おばあちゃんの夫は心臓かなにかの病気で40代で死んだ。そこで1940年代に彼女は6人の子供を育てなければなかった。僕の父は、とてもインテリジェントで強くて、賢かった」
彼が父について語るとき、ある意味、本当に目を輝かせて話す。「彼は本当にスマート(頭がよかった)だった」
「ストリート・スマート(実生活でひじょうに賢いという意味)だったってこと?」
「いや、違う。それ以上だ。彼はものすごく読書家で、何でも知っていた。知らないことはなかった。それで、とても強く、恐いものなしだ。本当に賢かったんだ。彼は自分が手に入れたいと思ったものは、結局何でも手に入れた。金が欲しいと願えば、手に入れられた。それだけの才能があったんだ。だけど、自分で進んでホームレスにもなっていた。すごく変わった男だった」
「僕のおじさん、つまりおばあちゃんの子供の一人が、若くして死んだ。おばあちゃんはものすごく悲しんだ。だけど、おもしろいことに、そのおじさんは僕そっくりなんだ。いや、僕がおじさんにそっくりなんだよ。顔、体つき、風貌。だから、神様はおばあちゃんにもうひとり息子をプレゼントしたようなものなんだ。僕の父は、よく『お前は、俺の弟にそっくりだな』って言ってた。それが人生なんだな(That’s life...)」
「特に1970年代は黒人に厳しい時代だった。ボビーのこのCDいいねえ、(自分のショーで)使いたいな。彼の音楽は、本当に『リアル・ライフ』を歌っている。歌ってることがよくわかる。ところで、なんで君は『ソウル・サーチャー』って言うんだい?」
「いつも、『ソウル・ミュージック』や、ソウルがあるものを探しているからなんだ。十代の頃からラジオでアメリカのソウル・ミュージックに親しんで、すっかり好きになったんだ。アメリカ軍の放送局で、毎日2つのソウル・ショーをやっていて、それをいつも聴いていた。ドン・トレイシー・ショウとローランド・バイナム・ショウだ」
「今でもやってるのかい?」
「いや、もうやってない」
「なるほど、それが、君の人生を変えたんだね」
「そういうことだ。君のタップは、まちがいなく『ソウル』だよ」
「サンキュー…。そうだな、僕はタップ・ダンサーというより、自分でもソウル・ダンサーだと思ってるよ。僕のダンスは、僕のソウル(魂)から生まれてる。(ダンスの)テクニックからじゃない。もちろんある程度のテクニックは知っている、教えてもいる。だけど自分がタップをするときは、そのことを忘れるようにしている。テクニックだけでやりたくないんだ。僕は『ソウル・ダンサー』(魂のダンサー)でいたいんだ」
四谷から新宿へ向かう20号線のトンネルが渋滞していた。雨は続いている。
オマーは1975年ニューヨーク生まれ。彼は自分の家族のことを少し話してくれた。お父さんは、大変頭が良く、黒人で頭が良すぎたために、トラブルに巻き込まれた。54歳で亡くなり、母も35歳より前に亡くなった。10歳かそこらで、オマーは両親がいなくなり、父方の祖母に育てられた。オマーの母はアフリカのリベリア出身で、大変貧しい生活をしていて、14歳頃まで靴を履けなかった。オマーが裸足のタップをやるのは、この母親からインスピレーションを得てのものだ。
1989年、オマーが14歳のとき、グレゴリー・ハインズ主演の映画『タップ』を見て感激し、タップをやりたいと思った。そこで、オマーは従兄弟のセヴィアンがタップをしていたことを知っていたので、セヴィアンの母親に電話をする。「僕は電話帳を引っ張り出して、セヴィアンの母親の名前を探し出し、電話したんだ。『僕は、オマー・エドワーズです』 すると母親は『もちろん、お前のことは知ってるよ、タップがやりたいなら、なんとかシアターにおいで』と言ってくれた。そこに行くと、セヴィアンが出ている(ミュージカル)『ブラック・アンド・ブルー』をやっていた。僕の(将来の)奥さんもいたんだ。それ以来、タップをやりだすようになった」
オマーは2リットルのペットボトルを持ち、それを口飲みしながら話す。「水は僕のガソリンさ!」
「オマー、君にとってのメントゥアーは誰だい?」
「僕の父が死んだ後、オル・ダラー(アメリカのシンガー、ギタリスト。1941年生まれ)が僕の前に登場した。何か、問題や悩みが出てくると僕は彼に電話して相談するんだ。僕にとってのメントゥアーだな。他にも親しいミュージシャンはいるけど、ミュージシャンは僕の人生を救ってくれている。ミュージシャンたちは、(僕が)人生についていろいろ考えるための手助けをしてくれる。そして、自分自身を知るための力になってくれる。彼らは人生の中に深く入っていく。中に…。人生とは、海のようなものだ。その中で泳いでいると、ときにサメに出会ったり、ときに鯨に出会ったりする。ときに、海面に出て息をしなければならない。人生はオーシャンだよ。無限の可能性のある海だ。ミュージシャンは世界中を旅し、いろんな文化に出会い、いろんな人たちと接する。そうして、人々のことについて学ぶ、人生はいかにシンプルかを学ぶ。ミュージシャンはそうした知恵があるんだ」
「ミュージシャンは人々とコミュニケートするのがうまい。ミュージシャンは心と体(mind, soul and body)と楽器でコミュニケートするが僕は、自分の心と魂と体すべてでコミュニケートするんだ。僕はミュージシャンのように考えるタップ・ダンサーが好きだな。多くのタップ・ダンサーは、ミュージシャンのようには考えられないんだ」
「しばらく前に、(ニューヨークの)リンカーン・センターで『フライ』という舞台をやったんだ。これは(アメリカ南部の)タスキギーにある黒人ばかりのパイロットたちの人生を描いたものだ。ミュージカルではないんだが、タップをエモーション(感情表現)のひとつとして使ってエアメン(飛行士)たちの人生を描いている」
「東京も、いつもこんなに渋滞するのかい」
「そうだね、時間帯と場所によるかな。今日は雨だから、いつもより渋滞がひどいかもしれない。でももう着くよ」
「まあ、渋滞のおかげで、君は僕の人生のことを知り、僕は君の人生のことを知ったわけだな」
「そうだね。オマー、君は本を書けばいいじゃないか」
「う~む、そうだな…。昔、詩を書いていたけどね…」
そう、渋滞のおかげで素晴らしい話が聞けた。車を駐車場にいれ、傘を取り出し、ビームスに急いだ。
(続く)
ENT>MUSIC>ARTIST> Edwards, Omar
◆ 【オマー(パート3)、人生を語る】
人生。
約束の時間に迎えに行くと、彼はまだ部屋にいた。ハウスホーン(館内電話)の向こうで「今すぐに降りていくよ」という。しばらくするとロビーの向こうから手を振ってきた。前日遅くまでかなり飲んでしまったので、二日酔い気味だという。車に乗り込みいざ新宿へ。ちょうどカーステレオから流れていた音に彼が興味を示した。
「誰を聴いてるんだい?」
「ボビー・ウーマックだよ」
「彼はまだ生きてるの?」
「生きてるよ。ちょうど先月でたばっかりのベスト・アルバムなんだ。ジャケットの写真は古いけどね。映画『アクロース・ザ・110ス・ストリート(110番街交差点)』は見た? 1973年の映画」
「1973年、生まれてない…。僕は若すぎる。(笑)」
「じゃあ、『ジャッキー・ブラウン』は?」
「おお、もちろん見たよ」
「そのテーマ曲もこれだ」
ジャケットの英文ライナーノーツを彼は一生懸命読んでいる。文字が小さいせいもあるが、食い入るように読んでいる。そして、そこに書かれた文から「サム・クックは殺されたのかい?」と聞いてきた。
「そうだよ、1964年の12月に、サムはパーティーで知り合った女の子をモーテルに連れ込んだ。女の子は逃げようとして、モーテルのオフィースに助けを求めた。サムがそれに気づいて、そのオフィースにおいかけてきた。モーテルの女主人が、そんなサムに恐れをなして撃ってしまったんだ」
「わお、なんという悲劇だ…」
オマーはさらに読み進み、続けて尋ねてきた。「それで、ボビーはサムの未亡人と結婚したんだって?」
「そうなんだ。とてもスキャンダルな話だろ。不思議なんだよ。そこが。サムはボビーにとって、メントゥアー(恩人)みたいなものだからね。いろいろ複雑な事情はあったんだろうけど。ほら、ボビーの歌い方は、サムそっくりだろ」
「そうか、ボビーはサムから歌い方だけでなく、女も取ったってことか…」
「ははは、オーティス・レディングは知ってるかい?」
「ああ、もちろん、知ってる」
「彼は飛行機事故で死んだんだけど、1967年の12月10日が命日だ。サムの死から3年後にね。サムは1964年の12月11日に死んでる。オーティスもサムの影響をたくさん受けたシンガーだ」
「ウ~~ム、誰でも最後は死ぬからなあ…everybody must die」
「でも、彼らは死ぬには若すぎた。たしかサムは33歳くらいで死に、オーティスは26歳くらいで死んでる」
「本当か? おおっ…。っていうことは、逆に言えば、ボビー・ウーマックはうまく生き延びてるってことだね…」
「ははは、その通りだ。『ハリー・ヒッピー』という曲は知ってるかい? ボビーの弟のことを歌った歌だ。傑作だよ。ハリーも死んでしまった」
「なんで死んだんだ?」
「ドラッグ関係のトラブルじゃなかったかな(註:と、この場では言ってしまったのだが、家に戻って確認すると、これは間違いで、ドラッグで悩んでいたのはボビーでハリーは、当時の嫉妬深いガールフレンドにナイフで刺され殺された)」
「僕が育った1970年代には、そんなこと、あちこちであったよ。両親にもそんなトラブルがあった。父は54歳で死に、母が死んだのは35歳にもなってなかった。…(しんみり)…。だけど、人生とはおもしろいものだよ。おばあちゃんが素晴らしい人でね、彼女は86歳なんだけど、まだ元気だ。彼女には6人の子供がいた。そのうちの一人が僕の父だ。おじいちゃん、つまり、おばあちゃんの夫は心臓かなにかの病気で40代で死んだ。そこで1940年代に彼女は6人の子供を育てなければなかった。僕の父は、とてもインテリジェントで強くて、賢かった」
彼が父について語るとき、ある意味、本当に目を輝かせて話す。「彼は本当にスマート(頭がよかった)だった」
「ストリート・スマート(実生活でひじょうに賢いという意味)だったってこと?」
「いや、違う。それ以上だ。彼はものすごく読書家で、何でも知っていた。知らないことはなかった。それで、とても強く、恐いものなしだ。本当に賢かったんだ。彼は自分が手に入れたいと思ったものは、結局何でも手に入れた。金が欲しいと願えば、手に入れられた。それだけの才能があったんだ。だけど、自分で進んでホームレスにもなっていた。すごく変わった男だった」
「僕のおじさん、つまりおばあちゃんの子供の一人が、若くして死んだ。おばあちゃんはものすごく悲しんだ。だけど、おもしろいことに、そのおじさんは僕そっくりなんだ。いや、僕がおじさんにそっくりなんだよ。顔、体つき、風貌。だから、神様はおばあちゃんにもうひとり息子をプレゼントしたようなものなんだ。僕の父は、よく『お前は、俺の弟にそっくりだな』って言ってた。それが人生なんだな(That’s life...)」
「特に1970年代は黒人に厳しい時代だった。ボビーのこのCDいいねえ、(自分のショーで)使いたいな。彼の音楽は、本当に『リアル・ライフ』を歌っている。歌ってることがよくわかる。ところで、なんで君は『ソウル・サーチャー』って言うんだい?」
「いつも、『ソウル・ミュージック』や、ソウルがあるものを探しているからなんだ。十代の頃からラジオでアメリカのソウル・ミュージックに親しんで、すっかり好きになったんだ。アメリカ軍の放送局で、毎日2つのソウル・ショーをやっていて、それをいつも聴いていた。ドン・トレイシー・ショウとローランド・バイナム・ショウだ」
「今でもやってるのかい?」
「いや、もうやってない」
「なるほど、それが、君の人生を変えたんだね」
「そういうことだ。君のタップは、まちがいなく『ソウル』だよ」
「サンキュー…。そうだな、僕はタップ・ダンサーというより、自分でもソウル・ダンサーだと思ってるよ。僕のダンスは、僕のソウル(魂)から生まれてる。(ダンスの)テクニックからじゃない。もちろんある程度のテクニックは知っている、教えてもいる。だけど自分がタップをするときは、そのことを忘れるようにしている。テクニックだけでやりたくないんだ。僕は『ソウル・ダンサー』(魂のダンサー)でいたいんだ」
四谷から新宿へ向かう20号線のトンネルが渋滞していた。雨は続いている。
オマーは1975年ニューヨーク生まれ。彼は自分の家族のことを少し話してくれた。お父さんは、大変頭が良く、黒人で頭が良すぎたために、トラブルに巻き込まれた。54歳で亡くなり、母も35歳より前に亡くなった。10歳かそこらで、オマーは両親がいなくなり、父方の祖母に育てられた。オマーの母はアフリカのリベリア出身で、大変貧しい生活をしていて、14歳頃まで靴を履けなかった。オマーが裸足のタップをやるのは、この母親からインスピレーションを得てのものだ。
1989年、オマーが14歳のとき、グレゴリー・ハインズ主演の映画『タップ』を見て感激し、タップをやりたいと思った。そこで、オマーは従兄弟のセヴィアンがタップをしていたことを知っていたので、セヴィアンの母親に電話をする。「僕は電話帳を引っ張り出して、セヴィアンの母親の名前を探し出し、電話したんだ。『僕は、オマー・エドワーズです』 すると母親は『もちろん、お前のことは知ってるよ、タップがやりたいなら、なんとかシアターにおいで』と言ってくれた。そこに行くと、セヴィアンが出ている(ミュージカル)『ブラック・アンド・ブルー』をやっていた。僕の(将来の)奥さんもいたんだ。それ以来、タップをやりだすようになった」
オマーは2リットルのペットボトルを持ち、それを口飲みしながら話す。「水は僕のガソリンさ!」
「オマー、君にとってのメントゥアーは誰だい?」
「僕の父が死んだ後、オル・ダラー(アメリカのシンガー、ギタリスト。1941年生まれ)が僕の前に登場した。何か、問題や悩みが出てくると僕は彼に電話して相談するんだ。僕にとってのメントゥアーだな。他にも親しいミュージシャンはいるけど、ミュージシャンは僕の人生を救ってくれている。ミュージシャンたちは、(僕が)人生についていろいろ考えるための手助けをしてくれる。そして、自分自身を知るための力になってくれる。彼らは人生の中に深く入っていく。中に…。人生とは、海のようなものだ。その中で泳いでいると、ときにサメに出会ったり、ときに鯨に出会ったりする。ときに、海面に出て息をしなければならない。人生はオーシャンだよ。無限の可能性のある海だ。ミュージシャンは世界中を旅し、いろんな文化に出会い、いろんな人たちと接する。そうして、人々のことについて学ぶ、人生はいかにシンプルかを学ぶ。ミュージシャンはそうした知恵があるんだ」
「ミュージシャンは人々とコミュニケートするのがうまい。ミュージシャンは心と体(mind, soul and body)と楽器でコミュニケートするが僕は、自分の心と魂と体すべてでコミュニケートするんだ。僕はミュージシャンのように考えるタップ・ダンサーが好きだな。多くのタップ・ダンサーは、ミュージシャンのようには考えられないんだ」
「しばらく前に、(ニューヨークの)リンカーン・センターで『フライ』という舞台をやったんだ。これは(アメリカ南部の)タスキギーにある黒人ばかりのパイロットたちの人生を描いたものだ。ミュージカルではないんだが、タップをエモーション(感情表現)のひとつとして使ってエアメン(飛行士)たちの人生を描いている」
「東京も、いつもこんなに渋滞するのかい」
「そうだね、時間帯と場所によるかな。今日は雨だから、いつもより渋滞がひどいかもしれない。でももう着くよ」
「まあ、渋滞のおかげで、君は僕の人生のことを知り、僕は君の人生のことを知ったわけだな」
「そうだね。オマー、君は本を書けばいいじゃないか」
「う~む、そうだな…。昔、詩を書いていたけどね…」
そう、渋滞のおかげで素晴らしい話が聞けた。車を駐車場にいれ、傘を取り出し、ビームスに急いだ。
(続く)
ENT>MUSIC>ARTIST> Edwards, Omar
(昨日からの続き)
○【オマー・エドワーズ(パート4)~足と体で歌うオマー】
抽象表現。
渋滞のせいで、随分と遅れてしまい、岡さんたちを待たせてしまった。すでに、カメラマンの木下さん、長渡さんらと岡さんが、オマーを待ち受けていた。すぐに岡さんらにオマーを紹介する。オマーは岡さんのアフロヘアーというか、ドレッドヘアに興味を持ったみたいだ。
オマーは飾られた作品をじっくり見ていく。岡さんが横について簡単に解説する。「これは、抽象表現の作品なんです。ヨーロッパの絵画とは違って、壁に絵を描いたり、イーゼル(キャンヴァスを置く台)にキャンヴァスを置いて絵を描いたりするのではなく、床にキャンヴァスを置いて、作品を作ります。だから、作品には基本的に天地がありません。左右もありません」
オマー。「ワオ、すごいな。リンカーン・センターにあった本を、ちょうど、今読んでるんだけど、それが、抽象表現の絵画の本なんだ。なんという偶然だ! (本が)ホテルの部屋にあるんだよ! これのオリジン(始まったところ)はヨーロッパじゃないんだよね」
岡。「そうなんです、こういう表現方法はアメリカン・スタイルなんですよ」
オマー。「ちょうど、それを読んだところなんだ。ワオ…。僕は抽象表現、好きだな。(それらを見て)混乱することはないよ。…(作品を見ながら) う~~ん、家に一枚置きたいなあ…。君の作品は、ブルーだけど、前にも言ったけど、自分がこういう作品をやるときは、いろんなカラー(色)を使いたいな…。(ここで、ジミ・ヘンドリックスの曲を聴いてオマーが踊った作品の話を再度) いつの日にか、僕がすご~~い大きな家に引越したら、君(岡さん)を呼んで、そこでこのペインティングを作ってもらいたいな。アーティストが僕の家にやってきて、何か作品を作ってもらうのは、僕の夢だよ」
オマーがこれほどアート好きだとは知らなかった。
ちょうど、ビデオでニックが「マザー・ポップコーン」をやりだしたので僕はオマーに尋ねた。「ジェームス・ブラウンの曲は何が好き?」
「『ファンキー・グッドタイム』…、『パパ・ドント・テイク・ノー・メス』、メイシオが大好きなんだ(と、メイシオのまねを少しする)。『マンズ・ワールド』も好きだよ。『セックス・マシン』? あれはテンポが速すぎる。僕はグルーヴが好きなんだ」
「じゃあ、これは早すぎるかな?(『マザー・ポップコーン』のこと)」
「そうだね、…もちろん、僕はこれでも踊れるよ。でも、クリエイターとしては、なにかもう少しスローなものをやる。僕はどんなタイプの音楽でも踊れるけどね、any music…。」
「ソウル・ミュージックはセクシーだ。ジャズのインプロヴィゼーションみたいなものになると(ちょっとアドリブでやってみる)、女性はびっくりしてわからない。女性は、音楽を感じる。そのためには、音楽にスペースが必要だ。そういう音楽だと人々はリラックスできる。リラックスできると、パワーが生まれる。スペースのある音楽はパワーを持つ。スペースはセクシーだ。アートでも同じだ。すべてにあらゆるものが描かれていたら、見るのも嫌になるだろう。この作品だって、こうしてスペースがあるからいいんだ」
音楽のスペースへの理解は、オマーがミュージシャンと同様であることの証拠だ。
岡さんが、なぜブルーにこだわるのか説明する。「この青はウルトラ・マリン・ブルーと言って、ダイアモンドや金よりももっと貴重で高価なラピスラズリーという宝石の一種を原料に作られる顔料のひとつなんです。それはそれは大変高貴な色なんです。ラピスラズリーは海(地中海)の向こうから(ヨーロッパに)やってきた色だと言われていました。だから、ニックさんの足のステップを記録するには、一番高貴な色を使いたかったんです。ニックさんのステップの美しさを表現するのはこの色しかないと思ったんです。ダンサーには、その動きに美しさがあります。あなたと同じように。その動きの美しさをここにこの色で印したかったのです」
そして、彼は青の絵の具のついた靴をオマーに見せた。「これを見てください。この底にスポンジのようなものをつけているでしょう。これをつけることによって、絵の具が長持ちするようになってるんです。絵の具の濃さ、それからこのスポンジ素材、随分と研究し試行錯誤しました。絵の具が濃いと、キャンヴァスの上でうまくすべらない。薄いと色がいまいちになる。でも、実際本番でやってみるまでは、本当にどうなるかわからなかったんですけどね」
オマーがじっくりと説明を聞いて、うなずく。
歌。
「オマー、たとえば、あなたは踊るとき、色のイメージを持ったりする?」と僕が訊いた。
「時々ね。実際、僕は音楽を自分の足で聴くんだ。ピアニストと一緒に何かやっているとする。足でピアノの音を聴き、ストーリーをどうフィニッシュさせるか考えるわけだ」
「タップ・ダンサーというより、むしろあなたはミュージシャンですね」
「そうだね、でも、ミュージックというより、よりリリック(歌詞)を考えているな。例えば、ボブ・マーリーには素晴らしい作品がたくさんあるが、1曲にはせいぜい4行くらいしか歌詞がない。stand up, get up… 歌詞の間にもスペースがあるんだ。シンプルであればあるほど、複雑だ。どこまで(踊りだすのを)待てばいいのか。それを考える。(歌詞や踊りも)やりすぎると、結局伝わらない」
「そのスペースの重要性はいつ頃から気づいたのですか?」
「僕がそれらに気づいたのは1998年だ」
「何で、何があったのでしょう」
「ちょうど、その頃、自分のワンマン・パフォーマンスを始めたんだ。ただそれはあんまり成功はしなかったけどね。小さなナイトクラブで、75ドルくらいのギャラで、でも僕は6人のミュージシャンを雇って、結局赤字になっていた。(笑) でもそこで多くのことを学んだんだ。どうやって踊るかだけでなく、どうやってストーリーを語るか、どうやってオーディエンスを旅に連れて行くか。そのとき、スペースのことをいろいろと考えたんだ。音楽自体のスペース、ダンス自体のスペースのこと。それから10年後の今、僕はスペースの使い方を知った。でも、それを知るまでに10年かかったというわけだ。僕は物事を覚えるのがスローなんだよ(笑) でも、それで今も生き延びてるって言えるわけだけどね。かつて僕は『歌え』なかったけど、今では『足』で『歌える』んだ。僕はダンスをするんじゃない。僕は『歌う』んだ」
オマーは、よく「ストーリー(物語)」という単語を使う。自分のタップでストーリーを表現するとか、自分のタップには歌詞がある、とか、そして、踊っているのではなく、歌っているという。そう、オマーのタップからは、歌が聴こえてくる。そして、その歌は、彼の苦難も含めた豊潤な人生経験から生まれたものなのである。だからその歌を聴いた者は、さまざまな点で感動するのだろう。オマーの「歌うんだ」という言葉を聴いた瞬間、水曜日、ライヴを見て強烈に感動したのは、きっと僕がそのときにオマーの「歌を聴いたから」なのだと思った。それは喉からでるシンガーの歌ではなく、足から、体から表現されるダンサーの歌だったのだ。何か答えのひとつを見つけた気がした。
絵を描くアーティストも、ダンスを踊るダンサーも、物事をクリエイトするクリエイターはそれぞれの活躍の分野が違っても、クリエイトすることを突き詰めることに変わりはない。
喉を使わずに足と体で「歌」を表現し、歌おうとするオマー・エドワーズ。キャンヴァスと触れるところは足だけにもかかわらず、体すべてを使ってダンスするダンサーの所作すべてをキャンヴァスに落とし込もうとする岡伸昭。どちらも一見不可能に見えることに果敢に挑戦している。それこそがクリエイティヴであり、アートの真髄だ。
オマーがまだランチを食べていないというので、岡さんと近くにランチに行くことになった。肉を食べないというので、いろいろ考え、岡さんがてんぷらはどうだということで、てんぷらになった。展示会場からでるときにオマーが言った。「サンキュー・フォー・グレイト・アフタヌーン…」。「こちらこそ」。
(この項、続く…かもしれない…)
ENT>MUSIC>ARTIST> Edwards, Omar
○【オマー・エドワーズ(パート4)~足と体で歌うオマー】
抽象表現。
渋滞のせいで、随分と遅れてしまい、岡さんたちを待たせてしまった。すでに、カメラマンの木下さん、長渡さんらと岡さんが、オマーを待ち受けていた。すぐに岡さんらにオマーを紹介する。オマーは岡さんのアフロヘアーというか、ドレッドヘアに興味を持ったみたいだ。
オマーは飾られた作品をじっくり見ていく。岡さんが横について簡単に解説する。「これは、抽象表現の作品なんです。ヨーロッパの絵画とは違って、壁に絵を描いたり、イーゼル(キャンヴァスを置く台)にキャンヴァスを置いて絵を描いたりするのではなく、床にキャンヴァスを置いて、作品を作ります。だから、作品には基本的に天地がありません。左右もありません」
オマー。「ワオ、すごいな。リンカーン・センターにあった本を、ちょうど、今読んでるんだけど、それが、抽象表現の絵画の本なんだ。なんという偶然だ! (本が)ホテルの部屋にあるんだよ! これのオリジン(始まったところ)はヨーロッパじゃないんだよね」
岡。「そうなんです、こういう表現方法はアメリカン・スタイルなんですよ」
オマー。「ちょうど、それを読んだところなんだ。ワオ…。僕は抽象表現、好きだな。(それらを見て)混乱することはないよ。…(作品を見ながら) う~~ん、家に一枚置きたいなあ…。君の作品は、ブルーだけど、前にも言ったけど、自分がこういう作品をやるときは、いろんなカラー(色)を使いたいな…。(ここで、ジミ・ヘンドリックスの曲を聴いてオマーが踊った作品の話を再度) いつの日にか、僕がすご~~い大きな家に引越したら、君(岡さん)を呼んで、そこでこのペインティングを作ってもらいたいな。アーティストが僕の家にやってきて、何か作品を作ってもらうのは、僕の夢だよ」
オマーがこれほどアート好きだとは知らなかった。
ちょうど、ビデオでニックが「マザー・ポップコーン」をやりだしたので僕はオマーに尋ねた。「ジェームス・ブラウンの曲は何が好き?」
「『ファンキー・グッドタイム』…、『パパ・ドント・テイク・ノー・メス』、メイシオが大好きなんだ(と、メイシオのまねを少しする)。『マンズ・ワールド』も好きだよ。『セックス・マシン』? あれはテンポが速すぎる。僕はグルーヴが好きなんだ」
「じゃあ、これは早すぎるかな?(『マザー・ポップコーン』のこと)」
「そうだね、…もちろん、僕はこれでも踊れるよ。でも、クリエイターとしては、なにかもう少しスローなものをやる。僕はどんなタイプの音楽でも踊れるけどね、any music…。」
「ソウル・ミュージックはセクシーだ。ジャズのインプロヴィゼーションみたいなものになると(ちょっとアドリブでやってみる)、女性はびっくりしてわからない。女性は、音楽を感じる。そのためには、音楽にスペースが必要だ。そういう音楽だと人々はリラックスできる。リラックスできると、パワーが生まれる。スペースのある音楽はパワーを持つ。スペースはセクシーだ。アートでも同じだ。すべてにあらゆるものが描かれていたら、見るのも嫌になるだろう。この作品だって、こうしてスペースがあるからいいんだ」
音楽のスペースへの理解は、オマーがミュージシャンと同様であることの証拠だ。
岡さんが、なぜブルーにこだわるのか説明する。「この青はウルトラ・マリン・ブルーと言って、ダイアモンドや金よりももっと貴重で高価なラピスラズリーという宝石の一種を原料に作られる顔料のひとつなんです。それはそれは大変高貴な色なんです。ラピスラズリーは海(地中海)の向こうから(ヨーロッパに)やってきた色だと言われていました。だから、ニックさんの足のステップを記録するには、一番高貴な色を使いたかったんです。ニックさんのステップの美しさを表現するのはこの色しかないと思ったんです。ダンサーには、その動きに美しさがあります。あなたと同じように。その動きの美しさをここにこの色で印したかったのです」
そして、彼は青の絵の具のついた靴をオマーに見せた。「これを見てください。この底にスポンジのようなものをつけているでしょう。これをつけることによって、絵の具が長持ちするようになってるんです。絵の具の濃さ、それからこのスポンジ素材、随分と研究し試行錯誤しました。絵の具が濃いと、キャンヴァスの上でうまくすべらない。薄いと色がいまいちになる。でも、実際本番でやってみるまでは、本当にどうなるかわからなかったんですけどね」
オマーがじっくりと説明を聞いて、うなずく。
歌。
「オマー、たとえば、あなたは踊るとき、色のイメージを持ったりする?」と僕が訊いた。
「時々ね。実際、僕は音楽を自分の足で聴くんだ。ピアニストと一緒に何かやっているとする。足でピアノの音を聴き、ストーリーをどうフィニッシュさせるか考えるわけだ」
「タップ・ダンサーというより、むしろあなたはミュージシャンですね」
「そうだね、でも、ミュージックというより、よりリリック(歌詞)を考えているな。例えば、ボブ・マーリーには素晴らしい作品がたくさんあるが、1曲にはせいぜい4行くらいしか歌詞がない。stand up, get up… 歌詞の間にもスペースがあるんだ。シンプルであればあるほど、複雑だ。どこまで(踊りだすのを)待てばいいのか。それを考える。(歌詞や踊りも)やりすぎると、結局伝わらない」
「そのスペースの重要性はいつ頃から気づいたのですか?」
「僕がそれらに気づいたのは1998年だ」
「何で、何があったのでしょう」
「ちょうど、その頃、自分のワンマン・パフォーマンスを始めたんだ。ただそれはあんまり成功はしなかったけどね。小さなナイトクラブで、75ドルくらいのギャラで、でも僕は6人のミュージシャンを雇って、結局赤字になっていた。(笑) でもそこで多くのことを学んだんだ。どうやって踊るかだけでなく、どうやってストーリーを語るか、どうやってオーディエンスを旅に連れて行くか。そのとき、スペースのことをいろいろと考えたんだ。音楽自体のスペース、ダンス自体のスペースのこと。それから10年後の今、僕はスペースの使い方を知った。でも、それを知るまでに10年かかったというわけだ。僕は物事を覚えるのがスローなんだよ(笑) でも、それで今も生き延びてるって言えるわけだけどね。かつて僕は『歌え』なかったけど、今では『足』で『歌える』んだ。僕はダンスをするんじゃない。僕は『歌う』んだ」
オマーは、よく「ストーリー(物語)」という単語を使う。自分のタップでストーリーを表現するとか、自分のタップには歌詞がある、とか、そして、踊っているのではなく、歌っているという。そう、オマーのタップからは、歌が聴こえてくる。そして、その歌は、彼の苦難も含めた豊潤な人生経験から生まれたものなのである。だからその歌を聴いた者は、さまざまな点で感動するのだろう。オマーの「歌うんだ」という言葉を聴いた瞬間、水曜日、ライヴを見て強烈に感動したのは、きっと僕がそのときにオマーの「歌を聴いたから」なのだと思った。それは喉からでるシンガーの歌ではなく、足から、体から表現されるダンサーの歌だったのだ。何か答えのひとつを見つけた気がした。
絵を描くアーティストも、ダンスを踊るダンサーも、物事をクリエイトするクリエイターはそれぞれの活躍の分野が違っても、クリエイトすることを突き詰めることに変わりはない。
喉を使わずに足と体で「歌」を表現し、歌おうとするオマー・エドワーズ。キャンヴァスと触れるところは足だけにもかかわらず、体すべてを使ってダンスするダンサーの所作すべてをキャンヴァスに落とし込もうとする岡伸昭。どちらも一見不可能に見えることに果敢に挑戦している。それこそがクリエイティヴであり、アートの真髄だ。
オマーがまだランチを食べていないというので、岡さんと近くにランチに行くことになった。肉を食べないというので、いろいろ考え、岡さんがてんぷらはどうだということで、てんぷらになった。展示会場からでるときにオマーが言った。「サンキュー・フォー・グレイト・アフタヌーン…」。「こちらこそ」。
(この項、続く…かもしれない…)
ENT>MUSIC>ARTIST> Edwards, Omar
◎Nick Tribute Party @ Flower
2008年10月28日 音楽◎【ニック岡井・メモリアル・ナイト】
閑話休題。
オマーのお話は、一度お休みし、10月26日(日)六本木のロアビル2階にある「フラワー」で行われた「メモリアル・ナイト・オブ・ニック」に足を運んだ。
お土産の袋には、ニックが映った2009年のカレンダー、親友川畑さんがニックの好きな曲を選んだソウルのCD、『アフター・ザ・ダンス』のフライアーなどが入っている。中に入ると、すでにニックゆかりの人々が多数つめかけていた。
入り口では、川畑さん選曲の超激レア・ソウル・シングルスCD『ソウル・ギャラクシー』と江守藹氏の本『黒く踊れ!』を即売。江守さんも、川畑さんもファンからサインをせがまれ、書いている。
キング・オブ・ソウルでともにステップを踊ったマイケル鶴岡さん、ブラザー・コーンさん、江守藹さんらもあいさつ。宴は朝まで続いた。
+++++
ニックの命日は2007年11月11日。まもなく一年になる。僕の携帯の伝言メモは20秒が3件しかはいらない。11月11日22時40分にマイケル鶴岡から残された「ニックの死を伝える」伝言メモは消せない。もちろん、ニック本人の携帯番号も、その7ヶ月前に亡くなったドン勝本氏の携帯番号とともに、いまだに消すことなく残っている。よく亡くなった人から、着歴が残っているなんて話を聴くが、そんなときのためにも、残しておきたい。
ニック岡井へのトリビュートも込めて、ニックの足跡が作品になった岡伸昭作品『アフター・ザ・ダンス』展が、ニックの命日を挟んで行えたのも何かの縁だと思う。
http://jp.youtube.com/user/soulsearchin2008
+++++
■ 江守藹氏、『ソウル・ブレンズ』に11月2日(日)登場
日本のダンサーたちの歴史と、ソウル、ディスコ業界で活躍した人々を描いた江守藹氏渾身の著作『黒く踊れ!』のプロモーションのために、江守藹氏が2008年11月2日(日)の『ソウル・ブレンズ』(インターFM、76.1mhz、午後3時~5時)にゲスト出演する。登場は4時すぎ。この著作のこと、また、自身のソウル・ミュージックへの思いなどを語る予定。江守氏へのメッセージ、質問などがあれば marvin@interfm.co.jp までどうぞ。(実際にコピーするときは@マークを半角にしてください)
『江守藹・著 / 黒く踊れ!』(銀河出版)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4877770925/soulsearchiho-22/ref=nosim/
川畑満男選曲レア・ソウル・シングルス・コンピレーション『ソウル・ギャラクシー』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001EB5BJE/soulsearchiho-22/ref=nosim/
+++++
閑話休題。
オマーのお話は、一度お休みし、10月26日(日)六本木のロアビル2階にある「フラワー」で行われた「メモリアル・ナイト・オブ・ニック」に足を運んだ。
お土産の袋には、ニックが映った2009年のカレンダー、親友川畑さんがニックの好きな曲を選んだソウルのCD、『アフター・ザ・ダンス』のフライアーなどが入っている。中に入ると、すでにニックゆかりの人々が多数つめかけていた。
入り口では、川畑さん選曲の超激レア・ソウル・シングルスCD『ソウル・ギャラクシー』と江守藹氏の本『黒く踊れ!』を即売。江守さんも、川畑さんもファンからサインをせがまれ、書いている。
キング・オブ・ソウルでともにステップを踊ったマイケル鶴岡さん、ブラザー・コーンさん、江守藹さんらもあいさつ。宴は朝まで続いた。
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ニックの命日は2007年11月11日。まもなく一年になる。僕の携帯の伝言メモは20秒が3件しかはいらない。11月11日22時40分にマイケル鶴岡から残された「ニックの死を伝える」伝言メモは消せない。もちろん、ニック本人の携帯番号も、その7ヶ月前に亡くなったドン勝本氏の携帯番号とともに、いまだに消すことなく残っている。よく亡くなった人から、着歴が残っているなんて話を聴くが、そんなときのためにも、残しておきたい。
ニック岡井へのトリビュートも込めて、ニックの足跡が作品になった岡伸昭作品『アフター・ザ・ダンス』展が、ニックの命日を挟んで行えたのも何かの縁だと思う。
http://jp.youtube.com/user/soulsearchin2008
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■ 江守藹氏、『ソウル・ブレンズ』に11月2日(日)登場
日本のダンサーたちの歴史と、ソウル、ディスコ業界で活躍した人々を描いた江守藹氏渾身の著作『黒く踊れ!』のプロモーションのために、江守藹氏が2008年11月2日(日)の『ソウル・ブレンズ』(インターFM、76.1mhz、午後3時~5時)にゲスト出演する。登場は4時すぎ。この著作のこと、また、自身のソウル・ミュージックへの思いなどを語る予定。江守氏へのメッセージ、質問などがあれば marvin@interfm.co.jp までどうぞ。(実際にコピーするときは@マークを半角にしてください)
『江守藹・著 / 黒く踊れ!』(銀河出版)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4877770925/soulsearchiho-22/ref=nosim/
川畑満男選曲レア・ソウル・シングルス・コンピレーション『ソウル・ギャラクシー』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001EB5BJE/soulsearchiho-22/ref=nosim/
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☆【映画『DISCOディスコ』、11月15日ロードショー】
ディスコ。
2008年、フランスで制作された映画『DISCOディスコ』が、日本でも2008年11月15日(土)からシャンテ・シネなどで公開される。
舞台はフランスの小さな港町ル・アーブル。『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』(1978年に世界的ヒット)の頃、ディスコで遊んでいた仲良し3人組みは「ビー・キング」というダンス・チームを組んでディスコで注目されていた。だが、それから30年、40代となった彼らもディスコを卒業し、2人はかたぎの仕事についていた。しかしそのうちの1人、主人公ディディエは定職につけず金もなく、離れて暮らす息子となかなか会えないでいた。そんなとき、地元でダンス・コンテストが行われることになり、優勝者にはオーストラリア旅行がプレゼントされると知る。ディディエは定職についている2人を誘って3人でまたチームを組もうと誘うが、彼らはなかなかうんと言わない。果たして、彼らはチームを組むのか、組んで、優勝できるのか。ミラー・ボールが回り、1970年代のユーロディスコ・ヒットの数々が流れる青春、いや中年ディスコ映画だ。
映画のオープニングは、なんとボニーMの「サニー」。これからして、ディスコ・ディスコした映画だということを直感する。映画では他に、カール・ダグラスの「カンフー・ファイティング」、ティナ・チャールズ「アイ・ラヴ・トゥ・ラヴ」、グローリア・ゲイナー「ネヴァー・キャン・セイ・グッドバイ」、セローン「スーパーネイチュア」、ドナ・サマー「ラスト・ダンス」など、1970年代のディスコ・ヒットが目白押し。
『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』の影響で始まった主人公だが、この映画ではビージーズ楽曲はすべて新人によるカヴァー作品で歌われる。おそらく、ビージーズが楽曲の貸し出しをしないためだ。だが、それが逆に新鮮なヴァージョンを生み出したともいえる。
あちこちに出てくるミラー・ボール。う~む、ダンスマンが出てきそうな映画だなあ。(笑)
■ オフィシャル映画ウェッブ
http://www.disco-movie.jp/
2008年11月15日土曜、シャンテ・シネなどで公開
ENT>MOVIE>Disco
ディスコ。
2008年、フランスで制作された映画『DISCOディスコ』が、日本でも2008年11月15日(土)からシャンテ・シネなどで公開される。
舞台はフランスの小さな港町ル・アーブル。『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』(1978年に世界的ヒット)の頃、ディスコで遊んでいた仲良し3人組みは「ビー・キング」というダンス・チームを組んでディスコで注目されていた。だが、それから30年、40代となった彼らもディスコを卒業し、2人はかたぎの仕事についていた。しかしそのうちの1人、主人公ディディエは定職につけず金もなく、離れて暮らす息子となかなか会えないでいた。そんなとき、地元でダンス・コンテストが行われることになり、優勝者にはオーストラリア旅行がプレゼントされると知る。ディディエは定職についている2人を誘って3人でまたチームを組もうと誘うが、彼らはなかなかうんと言わない。果たして、彼らはチームを組むのか、組んで、優勝できるのか。ミラー・ボールが回り、1970年代のユーロディスコ・ヒットの数々が流れる青春、いや中年ディスコ映画だ。
映画のオープニングは、なんとボニーMの「サニー」。これからして、ディスコ・ディスコした映画だということを直感する。映画では他に、カール・ダグラスの「カンフー・ファイティング」、ティナ・チャールズ「アイ・ラヴ・トゥ・ラヴ」、グローリア・ゲイナー「ネヴァー・キャン・セイ・グッドバイ」、セローン「スーパーネイチュア」、ドナ・サマー「ラスト・ダンス」など、1970年代のディスコ・ヒットが目白押し。
『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』の影響で始まった主人公だが、この映画ではビージーズ楽曲はすべて新人によるカヴァー作品で歌われる。おそらく、ビージーズが楽曲の貸し出しをしないためだ。だが、それが逆に新鮮なヴァージョンを生み出したともいえる。
あちこちに出てくるミラー・ボール。う~む、ダンスマンが出てきそうな映画だなあ。(笑)
■ オフィシャル映画ウェッブ
http://www.disco-movie.jp/
2008年11月15日土曜、シャンテ・シネなどで公開
ENT>MOVIE>Disco
▽Neville Brothers Live At JCB Hall
2008年10月30日 音楽▽【ネヴィル・ブラザーズ12年ぶりのライヴ】
普遍。
なんと12年ぶりというニューオーリンズのネヴィル・ブラザーズのライヴが東京ドーム横のJCBホールで行われた。この会場に僕が足を運ぶのは初めて。やはりできたばかりでさすがに綺麗。レイアウトも4層になっていて、どこからでも見やすくなっている。2000人以上入るホールだ。彼らの来日は1986年が初で以来今回で8回目という。
ドラムス、ギター、ベース、キーボード2、パーカッションにアーロンとシリル・ネヴィルの計8人がオンステージ。19時ちょうどに始まり、1曲目からニューオーリンズのセカンド・ライン系のファンクを披露。のりのりだ。
このドンドドドンドドンというニューオーリンズのリズムは中毒になる。実に気持ちいい。だいたいがミディアム調の曲で、おせおせだ。ライヴ・バンドで鍛え上げただけあり、バンド演奏はがっちり、きっちり、文句なし。ニューオーリンズ・ファンクからブルーズ調のもの、そして、チャールズのサックス・ソロ、アーロンのヴォーカル・ソロなどだいたい一式揃えて披露する。
なによりよかったのが、満席ではないこの会場に来ているお客さんが全員ネヴィルのファンでネヴィルの演奏を真剣に聴きに来ているということ。だから始まる前から観客の熱気が熱い、熱い。そして、1曲目から観客の反応がすこぶるよい。こういうライヴは空気がいい。
アーロンが歌うクラシック「テル・イット・ライク・イット・イズ」は、本当に神々しい。アンコールでも1曲目はアーロンの「アメイジング・グレイス」だった。
その昔、小さなところと、その後どこかで見た記憶があるのだが、12年ぶりとは思わなかった。かつてみたときと、彼らのサウンドは普遍だ。唯一変わったことといえば、彼らが年を取ったというだけ。One Love, One Nevilles!
■ メンバー
Art Neville (Vocal & Keys)
Charles Neville (Vocal & Sax)
Aaron Neville (Vocal & Tambourine)
Cyril Neville (Vocal & Percussion)
Willie Green (Drums)
Chris Severin (Bass)
Michael Goods (Keys)
Makuni Fukuda (Guitar)
■セットリスト ネヴィル・ブラザース JCBホール
Setlist : Neville Brothers @ JCB Hall, October 29, 2008
show started 19:00
01. Fire On The Bayou [Fiyo On The Bayou]
02. No Butts, No Maybes [Cyril Neville] / They All Aske’d For You [Meters]
03. Africa [Live Nevillization]
04. Brother Jake [Brother’s Keeper]
05. Mojo Hannah [Live Nevillization]
06. Voo Doo [Yellow Moon]
07. Everybody Plays The Fool [Main Ingredient / Aaron Neville: Warm Your Heart]
08. Besame Mucho (Instrumental) [Charles Sax Solo]
09. Hey Pocky Way [Fiyo On The Bayou]
10. Tipitinas [Cyril Neville][Doctor John, Professor Longhair]
11. "Rock & Roll Medley" : Johnny B. Good [Chuck Berry] / Bony Moronie [Ritchie Valens] / Dizzy Miss Lizzie [Beatles] / Slow Down [Beatles] / Oh Boy! [Buddy Holly] / Long Tall Sally [Little Richard, Beatles]
12. ?? (Instrumental) [Charles Sax Solo]
13. Big Chief [Cyril Neville]
14. Tell It Like It Is [Aaron Solo]
15. Yellow Moon [Yellow Moon]
Enc.1 Amazing Grace [Traditional][Aaron Solo]
Enc.2 One Love [Bob Marley] / People Get Ready [Curtis Mayfield]
show ended 20:38
xx. (CD) When The Saints Go Marching In
(2008年10月29日水曜、水道橋・JCBホール=ネヴィル・ブラザース・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Neville Brothers
2008-178
普遍。
なんと12年ぶりというニューオーリンズのネヴィル・ブラザーズのライヴが東京ドーム横のJCBホールで行われた。この会場に僕が足を運ぶのは初めて。やはりできたばかりでさすがに綺麗。レイアウトも4層になっていて、どこからでも見やすくなっている。2000人以上入るホールだ。彼らの来日は1986年が初で以来今回で8回目という。
ドラムス、ギター、ベース、キーボード2、パーカッションにアーロンとシリル・ネヴィルの計8人がオンステージ。19時ちょうどに始まり、1曲目からニューオーリンズのセカンド・ライン系のファンクを披露。のりのりだ。
このドンドドドンドドンというニューオーリンズのリズムは中毒になる。実に気持ちいい。だいたいがミディアム調の曲で、おせおせだ。ライヴ・バンドで鍛え上げただけあり、バンド演奏はがっちり、きっちり、文句なし。ニューオーリンズ・ファンクからブルーズ調のもの、そして、チャールズのサックス・ソロ、アーロンのヴォーカル・ソロなどだいたい一式揃えて披露する。
なによりよかったのが、満席ではないこの会場に来ているお客さんが全員ネヴィルのファンでネヴィルの演奏を真剣に聴きに来ているということ。だから始まる前から観客の熱気が熱い、熱い。そして、1曲目から観客の反応がすこぶるよい。こういうライヴは空気がいい。
アーロンが歌うクラシック「テル・イット・ライク・イット・イズ」は、本当に神々しい。アンコールでも1曲目はアーロンの「アメイジング・グレイス」だった。
その昔、小さなところと、その後どこかで見た記憶があるのだが、12年ぶりとは思わなかった。かつてみたときと、彼らのサウンドは普遍だ。唯一変わったことといえば、彼らが年を取ったというだけ。One Love, One Nevilles!
■ メンバー
Art Neville (Vocal & Keys)
Charles Neville (Vocal & Sax)
Aaron Neville (Vocal & Tambourine)
Cyril Neville (Vocal & Percussion)
Willie Green (Drums)
Chris Severin (Bass)
Michael Goods (Keys)
Makuni Fukuda (Guitar)
■セットリスト ネヴィル・ブラザース JCBホール
Setlist : Neville Brothers @ JCB Hall, October 29, 2008
show started 19:00
01. Fire On The Bayou [Fiyo On The Bayou]
02. No Butts, No Maybes [Cyril Neville] / They All Aske’d For You [Meters]
03. Africa [Live Nevillization]
04. Brother Jake [Brother’s Keeper]
05. Mojo Hannah [Live Nevillization]
06. Voo Doo [Yellow Moon]
07. Everybody Plays The Fool [Main Ingredient / Aaron Neville: Warm Your Heart]
08. Besame Mucho (Instrumental) [Charles Sax Solo]
09. Hey Pocky Way [Fiyo On The Bayou]
10. Tipitinas [Cyril Neville][Doctor John, Professor Longhair]
11. "Rock & Roll Medley" : Johnny B. Good [Chuck Berry] / Bony Moronie [Ritchie Valens] / Dizzy Miss Lizzie [Beatles] / Slow Down [Beatles] / Oh Boy! [Buddy Holly] / Long Tall Sally [Little Richard, Beatles]
12. ?? (Instrumental) [Charles Sax Solo]
13. Big Chief [Cyril Neville]
14. Tell It Like It Is [Aaron Solo]
15. Yellow Moon [Yellow Moon]
Enc.1 Amazing Grace [Traditional][Aaron Solo]
Enc.2 One Love [Bob Marley] / People Get Ready [Curtis Mayfield]
show ended 20:38
xx. (CD) When The Saints Go Marching In
(2008年10月29日水曜、水道橋・JCBホール=ネヴィル・ブラザース・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Neville Brothers
2008-178
△【「サニー」で有名なボビー・ヘブ・ライヴ】
スプーン芸。
なぜかあの大ヒット「サニー」で知られるシンガー、ボビー・へブが突然の来日。1日だけ東京でショーをするという。何でも奥さんが日本人だとかで。
もちろんこの「サニー」誕生秘話は実にいい。↓
2003/08/16 (Sat)
Sunny: Bobby Hebb Sings About His Brother
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200308/diary20030816.html
ということなのか、本人だけの来日で、バンドは日本人ミュージシャン。カラオケでやられるよりはいいが。ま、今回はしかたないとしても、こういう形も今後は増える可能性があるだろうから、やはり、日本在住のブラックのミュージシャンで「ハウス・バンド」的なバンドを作ってもいいのではないかと思う。前にも誰かのライヴのときに同じことを書いたことを思い出す。そのときは連れてきたミュージシャンのレベルが低かったのだが。
ボビーは2005年に35年ぶりくらいのアルバムを出していて、それが『ザッツ・オール・アイ・ウォナ・ノウ』というもの。今回は4曲目で歌われたのだが、これ、調べてみるとサザン・ソウルのジェームス・カーの作品。カーのシングル「ユーヴ・ガット・マイ・マインド・メスド・アップ」のB面に収録されていた「ザッツ・ホワット・アイ・ウォント・トゥ・ノウ」を少しタイトルを変えたようだ。
ヒット曲1曲でどんなステージを組むかと思ったが、なんとその「サニー」、オープニングのイントロ、中盤で本編、エンディングの「アウトロ」と3回でてきた! さすが、使えるものは何度でも使えっていう感じ。普段、あまり歌っていないようで、歌もかなり不安定だが、一番受けたのはアンコールで登場したとき。
舞台袖からステージにあがるとき、1960年代に流行った「モンキー・ダンス」をカクカクしながらやって出てきたのだ! これがかわいくて、最高におもしろい。そして、彼は手にあるものを持ってでてきた。さて、ここで問題です。何を持ってきたでしょう。行った人以外、これがわかる人は絶対いない。正解は2本のスプーンなのだ。
そして、その2本のスプーンをカチャカチャ、テンポよくぶつけながらリズムを取る。まるでその音は、オマー・エドワーズとまではいかないが、ちょっとしたタップ・ダンスの音みたい。ボビーがスプーン使いの達人とは知らなかった。それも、やはり現場で見ての初めての発見だ。ライヴは一度は見ないと。この70分の中で、「モンキー・ダンス」と「スプーン芸」が一番受けた。
もうひとつ受けたのが、そのアンコールのところでのメンバー紹介のとき。メンバーの名前を覚えていなかったようで、キーボードの方を指し、「…キーボード・プレイヤー!」、ドラマーを指し「ドラマー!」と紹介。受ける。(笑)いいものを見せてもらった。だが彼はアンコールでこの「スプーン芸」と「モンキー・ダンス」だけで歌わなかった。なめてるなあ。(笑)
ボビー・へブは1938年7月26日テネシー州ナッシュヴィル生まれ、今年70歳。「サニー」は、先日紹介したディスコ映画『DISCOディスコ』でボニーMのヴァージョンがオープニング・テーマとなっている。そういうわけで、個人的には「サニー」がちょっとしたマイ・ブームになった。2-300以上のカヴァー・ヴァージョンがある「サニー」、これ1曲で一生安泰、これぞアメリカのショー・ビジネスの世界だ。
そして、そのサニーをひとりのジャズ・ミュージシャンが自分のものにしていた。
2004/10/15 (Fri)
Pat Martino Live At Blue Note: He’s A Jazz Survivor
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200410/diary20041015.html
■ メンバー
ボビー・ヘブ/Bobby Hebb(Guitar/Vocals)
祖田 修/Osamu Sam Soda(Piano)
房原 忠弘/Tadahiro Fusahara(Trumpet)
鈴木 央紹/Hisatsugu Suzuki(Tenor Saxophone)
東原 力哉/Rikiya Higashihara(Drums)
中島 克巳/Katsuki Nakajima(Bass)
■セットリスト ボビー・ヘブ
Setlist : Bobby Hebb : Billboard Live Tokyo, October 25, 2008
show started 18:01
01. Intro: Main Theme : Sunny (Disco version)
02. Cold Cold Night [Bobby Hebb]
03. You Want To Change Me [Bobby Hebb]
04. That’s All I Wanna Know [James Carr][Carr’s title "That’s What I Want To Know"]
05. That’s The Way I Like It [KC & The Sunshine Band]
06. Nigerian Market Place [Instrumental] [Oscar Peterson Trio]
07. A Natural Man [Lou Rawls]
08. Sunny (Original version)
09. Direct From My Heart [Little Richard]
10. You Send Me [Sam Cook] ~ Outro "Sunny"
Enc. (Instrumental) (Spoon Play & Monkey Dance)
show ended 19:09
(2008年10月25日土曜、六本木ビルボード・ライヴ=ボビー・ヘブ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Hebb, Bobby
2008-176
スプーン芸。
なぜかあの大ヒット「サニー」で知られるシンガー、ボビー・へブが突然の来日。1日だけ東京でショーをするという。何でも奥さんが日本人だとかで。
もちろんこの「サニー」誕生秘話は実にいい。↓
2003/08/16 (Sat)
Sunny: Bobby Hebb Sings About His Brother
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200308/diary20030816.html
ということなのか、本人だけの来日で、バンドは日本人ミュージシャン。カラオケでやられるよりはいいが。ま、今回はしかたないとしても、こういう形も今後は増える可能性があるだろうから、やはり、日本在住のブラックのミュージシャンで「ハウス・バンド」的なバンドを作ってもいいのではないかと思う。前にも誰かのライヴのときに同じことを書いたことを思い出す。そのときは連れてきたミュージシャンのレベルが低かったのだが。
ボビーは2005年に35年ぶりくらいのアルバムを出していて、それが『ザッツ・オール・アイ・ウォナ・ノウ』というもの。今回は4曲目で歌われたのだが、これ、調べてみるとサザン・ソウルのジェームス・カーの作品。カーのシングル「ユーヴ・ガット・マイ・マインド・メスド・アップ」のB面に収録されていた「ザッツ・ホワット・アイ・ウォント・トゥ・ノウ」を少しタイトルを変えたようだ。
ヒット曲1曲でどんなステージを組むかと思ったが、なんとその「サニー」、オープニングのイントロ、中盤で本編、エンディングの「アウトロ」と3回でてきた! さすが、使えるものは何度でも使えっていう感じ。普段、あまり歌っていないようで、歌もかなり不安定だが、一番受けたのはアンコールで登場したとき。
舞台袖からステージにあがるとき、1960年代に流行った「モンキー・ダンス」をカクカクしながらやって出てきたのだ! これがかわいくて、最高におもしろい。そして、彼は手にあるものを持ってでてきた。さて、ここで問題です。何を持ってきたでしょう。行った人以外、これがわかる人は絶対いない。正解は2本のスプーンなのだ。
そして、その2本のスプーンをカチャカチャ、テンポよくぶつけながらリズムを取る。まるでその音は、オマー・エドワーズとまではいかないが、ちょっとしたタップ・ダンスの音みたい。ボビーがスプーン使いの達人とは知らなかった。それも、やはり現場で見ての初めての発見だ。ライヴは一度は見ないと。この70分の中で、「モンキー・ダンス」と「スプーン芸」が一番受けた。
もうひとつ受けたのが、そのアンコールのところでのメンバー紹介のとき。メンバーの名前を覚えていなかったようで、キーボードの方を指し、「…キーボード・プレイヤー!」、ドラマーを指し「ドラマー!」と紹介。受ける。(笑)いいものを見せてもらった。だが彼はアンコールでこの「スプーン芸」と「モンキー・ダンス」だけで歌わなかった。なめてるなあ。(笑)
ボビー・へブは1938年7月26日テネシー州ナッシュヴィル生まれ、今年70歳。「サニー」は、先日紹介したディスコ映画『DISCOディスコ』でボニーMのヴァージョンがオープニング・テーマとなっている。そういうわけで、個人的には「サニー」がちょっとしたマイ・ブームになった。2-300以上のカヴァー・ヴァージョンがある「サニー」、これ1曲で一生安泰、これぞアメリカのショー・ビジネスの世界だ。
そして、そのサニーをひとりのジャズ・ミュージシャンが自分のものにしていた。
2004/10/15 (Fri)
Pat Martino Live At Blue Note: He’s A Jazz Survivor
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200410/diary20041015.html
■ メンバー
ボビー・ヘブ/Bobby Hebb(Guitar/Vocals)
祖田 修/Osamu Sam Soda(Piano)
房原 忠弘/Tadahiro Fusahara(Trumpet)
鈴木 央紹/Hisatsugu Suzuki(Tenor Saxophone)
東原 力哉/Rikiya Higashihara(Drums)
中島 克巳/Katsuki Nakajima(Bass)
■セットリスト ボビー・ヘブ
Setlist : Bobby Hebb : Billboard Live Tokyo, October 25, 2008
show started 18:01
01. Intro: Main Theme : Sunny (Disco version)
02. Cold Cold Night [Bobby Hebb]
03. You Want To Change Me [Bobby Hebb]
04. That’s All I Wanna Know [James Carr][Carr’s title "That’s What I Want To Know"]
05. That’s The Way I Like It [KC & The Sunshine Band]
06. Nigerian Market Place [Instrumental] [Oscar Peterson Trio]
07. A Natural Man [Lou Rawls]
08. Sunny (Original version)
09. Direct From My Heart [Little Richard]
10. You Send Me [Sam Cook] ~ Outro "Sunny"
Enc. (Instrumental) (Spoon Play & Monkey Dance)
show ended 19:09
(2008年10月25日土曜、六本木ビルボード・ライヴ=ボビー・ヘブ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Hebb, Bobby
2008-176
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