Blue Note: The Night For Duke’s Place
2005年4月17日ぜいたく。
定刻9時半より2分ほど前から、スーツを着たバンドメンバーが定位置に座り始めた。
ドラムス、ピアノ、アコースティック・ベース、そして、管楽器がなんと12人。おそろいの譜面台、おそろいのユニフォーム。いわゆるビッグバンド。かのデューク・エリントン楽団である。そして、フィーチャード・シンガーが、デトロイト出身のフリーダ・ペイン。「バンド・オブ・ゴールド」で知られるシンガーだ。彼女は、僕はR&Bシンガーとしてずっと覚えていたが、今回経歴をみたら、最初はジャズ・シンガーをやっていて、このデューク・エリントン・オーケストラのヴォーカルとして抜擢されたという。
それにしても、これだけの大所帯のビッグバンドで、昔の人は踊り、聞き惚れ、楽しんでいたんだなと思うと、かつてのエンタテインメントの贅沢さがうらやましくなる。音楽のヴァリエーションもあり、インストあり、歌あり、各楽器のバトルあり、と飽きさせない。そして、デューク・エリントンの作曲家としての非凡なものを今回感じた。
12人ものホーンセクションのきらびやかさは、たまらない。これもぜいたく。また、そうした楽器の生の音がマイクを通さずにもどんどん聴こえる。これもぜいたく。そして、こんなビッグバンドで踊ることができれば、これもぜいたく。空気の振動が、生音と重なりあい、気持ちいい。これもぜいたく。リアル・ミュージシャンたちのリアル・ミュージックは、ぜいたくだ。
フリーダ・ペインも、30年前に東京・青山のたしか今はもうない「ウイスキー・ア・ゴー・ゴー」という店で見た。あの時は、R&Bを中心に歌ったように記憶する。「バンド・オブ・ゴールド」(1970年)のヒットで知られていたから、その関連ヒットを歌ったはずだ。
彼女が後半でこう言った。「私はデトロイト出身。モータウンよ。私は元々ジャズシンガーとして始めました。その後、デトロイトのプロデューサーに声をかけてもらって、ポップなR&Bを歌いだすようになりました。プロデューサーの名前は、ホランド・ドジャー・ホランド。彼らはスプリームスやテンプテーションズ、フォートップスなどに曲を書いていた人たち。彼らと作った「バンド・オブ・ゴールド」を歌います。私の代表的な一曲です」
ホランドたちは、モータウンでたくさんのヒットを書き、プロデュース。そして、68年、モータウンを辞め、自分たちのレコード会社、ホットワックス・インヴィクタスを設立、フリーダ・ペインなどと契約、ヒットをだした。ただし、彼女がそう言ってイントロが流れても、「オ〜〜」といった反応はなかった。「イン・ア・メロー・トーン」あたりだと、「オー」とか、拍手がくるのに、さすがにブルーノートの観客には知られていないようだ。まあ、ブルーノートでなくても、日本では無理はないか。
ヴォーカルがいない時は、やはりこのビッグバンドのスポットライトはホーンセクションにあたる。ホーン奏者がスターのバンドだ。彼らはそれぞれがソロをとる時、前にでてくる。誰にもソロの出番がある。トランペットが吼え、サックスが炸裂する時、ブルーノートがニューヨークの「コットン・クラブ」の如くデュークの場所になった。デューク・エリントン死して31年、その名を冠したオーケストラは、レガシーを後世に伝え続ける。Show must go on!
ブルーノートのウェッブ
http://www.bluenote.co.jp/art/20050411.html
デューク・エリントンのオフィシャル・ウェッブ
http://www.dukeellington.com/
Setlist (2nd)(imcomplete)
show started 21:30
01.
02. Jack The Bear
03. In A Mellow Tone
04. Cottontail
(Freda Payne)
05. It Don’t Mean A Thing (If It Ain’t Got That Swing)
06. Lush Life
07. Satin Doll
08. Duke’s Place
09. Hot & Bothered
10. Mood Indigo
11. Jam With Sam
(Freda Payne)
12. Band Of Gold
13. In A Sentimental Mood
14. Take The A Train
Enc.
show ended 22:50
(2005年4月13日水曜、東京ブルーノート・セカンド=デューク・エリントン・オーケストラ、ゲスト・フリーダ・ペイン)
定刻9時半より2分ほど前から、スーツを着たバンドメンバーが定位置に座り始めた。
ドラムス、ピアノ、アコースティック・ベース、そして、管楽器がなんと12人。おそろいの譜面台、おそろいのユニフォーム。いわゆるビッグバンド。かのデューク・エリントン楽団である。そして、フィーチャード・シンガーが、デトロイト出身のフリーダ・ペイン。「バンド・オブ・ゴールド」で知られるシンガーだ。彼女は、僕はR&Bシンガーとしてずっと覚えていたが、今回経歴をみたら、最初はジャズ・シンガーをやっていて、このデューク・エリントン・オーケストラのヴォーカルとして抜擢されたという。
それにしても、これだけの大所帯のビッグバンドで、昔の人は踊り、聞き惚れ、楽しんでいたんだなと思うと、かつてのエンタテインメントの贅沢さがうらやましくなる。音楽のヴァリエーションもあり、インストあり、歌あり、各楽器のバトルあり、と飽きさせない。そして、デューク・エリントンの作曲家としての非凡なものを今回感じた。
12人ものホーンセクションのきらびやかさは、たまらない。これもぜいたく。また、そうした楽器の生の音がマイクを通さずにもどんどん聴こえる。これもぜいたく。そして、こんなビッグバンドで踊ることができれば、これもぜいたく。空気の振動が、生音と重なりあい、気持ちいい。これもぜいたく。リアル・ミュージシャンたちのリアル・ミュージックは、ぜいたくだ。
フリーダ・ペインも、30年前に東京・青山のたしか今はもうない「ウイスキー・ア・ゴー・ゴー」という店で見た。あの時は、R&Bを中心に歌ったように記憶する。「バンド・オブ・ゴールド」(1970年)のヒットで知られていたから、その関連ヒットを歌ったはずだ。
彼女が後半でこう言った。「私はデトロイト出身。モータウンよ。私は元々ジャズシンガーとして始めました。その後、デトロイトのプロデューサーに声をかけてもらって、ポップなR&Bを歌いだすようになりました。プロデューサーの名前は、ホランド・ドジャー・ホランド。彼らはスプリームスやテンプテーションズ、フォートップスなどに曲を書いていた人たち。彼らと作った「バンド・オブ・ゴールド」を歌います。私の代表的な一曲です」
ホランドたちは、モータウンでたくさんのヒットを書き、プロデュース。そして、68年、モータウンを辞め、自分たちのレコード会社、ホットワックス・インヴィクタスを設立、フリーダ・ペインなどと契約、ヒットをだした。ただし、彼女がそう言ってイントロが流れても、「オ〜〜」といった反応はなかった。「イン・ア・メロー・トーン」あたりだと、「オー」とか、拍手がくるのに、さすがにブルーノートの観客には知られていないようだ。まあ、ブルーノートでなくても、日本では無理はないか。
ヴォーカルがいない時は、やはりこのビッグバンドのスポットライトはホーンセクションにあたる。ホーン奏者がスターのバンドだ。彼らはそれぞれがソロをとる時、前にでてくる。誰にもソロの出番がある。トランペットが吼え、サックスが炸裂する時、ブルーノートがニューヨークの「コットン・クラブ」の如くデュークの場所になった。デューク・エリントン死して31年、その名を冠したオーケストラは、レガシーを後世に伝え続ける。Show must go on!
ブルーノートのウェッブ
http://www.bluenote.co.jp/art/20050411.html
デューク・エリントンのオフィシャル・ウェッブ
http://www.dukeellington.com/
Setlist (2nd)(imcomplete)
show started 21:30
01.
02. Jack The Bear
03. In A Mellow Tone
04. Cottontail
(Freda Payne)
05. It Don’t Mean A Thing (If It Ain’t Got That Swing)
06. Lush Life
07. Satin Doll
08. Duke’s Place
09. Hot & Bothered
10. Mood Indigo
11. Jam With Sam
(Freda Payne)
12. Band Of Gold
13. In A Sentimental Mood
14. Take The A Train
Enc.
show ended 22:50
(2005年4月13日水曜、東京ブルーノート・セカンド=デューク・エリントン・オーケストラ、ゲスト・フリーダ・ペイン)
最高峰。
さすがに今世界で一番人気があるアーティストのライヴ・ショウだけのことはある。世界ツアーのトップを飾るジャパン・ツアー。後半はどんどんともっと練り上げられていくのだろう。初期の段階でこれだけの完成度があれば、もう文句はない。ビヨンセ、ケリー、ミシェルの3人組、デスティニーズ・チャイルド。2001年6月、10月以来3年半ぶりの日本におけるコンサート。一回りもふた回りも大きくなって、メガスターとして輝きながらの来日だ。
一曲ごとにちょっとしたシアトリカルな劇が織り込まれ、さらにそこに激しいダンスがからみ、ヴィデオ・スクリーンがさまざまな映像をだし、ヴィジュアル・エンタテインメントとして完全なものを作り上げている。これはひょっとするとジャネットよりも上かもしれない。
バンドはドラムス、キーボード2人、ギター、ベースという必要最小限で、徹底的にキーボード主体のリズムバンド。ボディーソニックのような低音がずしんずしんと体に響いてくる。そして、女性ダンサー3人、男性ダンサー6人にデスチャの3人。ということでステージには最大17人が上る。(なんと、女性ダンサーは本来4人とのこと。この日は1人が体調をくずし、出演していなかったという)
このダンサー陣が、最近のこの系統のライヴはみなそうだが、めちゃくちゃかっこいい。6人の男性ダンサーとデスチャが踊ったあたりなど、マイケル・ジャクソンが9人いるのかと思ったほど。この男性ダンサーたちの動きは、かつてのマイケルを思わせるものが多数ある。マイケルのショウはマイケルひとりだが、ここにはマイケルもどきが多数いて、圧倒的だ。特に「ジャンピン・ジャピン」の後半のダンサーのシーンは、いかにもマイケルがやりそうな動きを6人でたたみかけてきて圧巻だ。マイケルが見たら、「やられた」と思うことだろう。振付師が同じなのか?
こうしたダンス・ドリヴンなライヴはマイケルを原点として、まさに年毎に進化している。よく考えてみれば、マイケルがこうしたダンス・オリエンテッドなエンタテインメント・ライヴの雛型を作ってからすでに20年以上の月日が流れているわけだ。それは、やる人がやれば、進化していく。ビヨンセたちは、まさにそうしたダンス系エンタテインメント・ライヴの王道を堂々と進んでいる。
そして、もう一点、彼女たちのパフォーマンスで素晴らしい点は、3人ともしっかり歌が歌えるということだ。かつてガール・グループとして一世を風靡した、例えば、ダイアナ・ロス&スプリームスなどは、ダイアナひとりのリードに2人はバックコーラス的な立ち位置になっていた。ガールグループはたいがいリードひとりに、コーラス的なものが多かったが、このデスティニーズは、ビヨンセが一歩ぬきんでているとはいうものの、ケリーもミシェルもソロ活動をし、しっかりヒットをだしているところがすごい。しかも、彼女たちが迫力あるヴォーカルを聴かせる。これは強力な女性シンガーが3人束になってかかってくることを意味する。ケリーのソロ(「ジレンマ」)、ミシェルのソロ(「ドゥ・ユー・ノウ」)の歌唱にもノックアウトさせられた。
また、ビヨンセが「ミー・マイセルフ・アンド・アイ」のところで、ステイプル・シンガーズの「アイル・テイク・ユー・ゼア」と「レッツ・ドゥ・イット・アゲイン」を歌い込んだのには驚いた。このあたりを選曲するところが、過去から現在、そして、未来へつながる道を歩んでいることの証なのだろう。
選曲も、グループとしての作品から、各人のソロからまんべんなく、デスティニーズ・チャイルド&ソロ・アンソロジーといった趣だ。しかも、やる曲が一曲ごとに短いから、息つく暇もなくその世界に入り込める。実質1時間41分で25曲1曲平均ほぼ4分。これはリズム感、テンポ感がでる。密度を濃くした101分だ。
最近のいわゆる歌ものシンガーはそれほど熱く歌わないというのがひとつの傾向のようだが、この3人はかなり熱唱型だ。歌えることを、歌がうまいことをひとつの武器にしているという点でも、珍しい。
無駄がない、21世紀型のダンス系エンタテインメント・ライヴ・ショウの最高峰と言っても差し支えないだろう。今、彼女たちの上を行くアーティストは見当たらない。女性R&Bグループの過去、現在、未来を凝縮しているライヴ・パフォーマンスだ。しかも、R&Bの枠をすでに超えている。
+++++
デスティニー・チャイルド(Destiny Child) 前回ライヴ評
「“デスティニーズ・チャイルド=運命の子供”の正体」(2001年6月)
http://www.barks.jp/feature/?id=52247987
+++++
CDアルバム
デスティニーズ・チャイルド「デスティニー・フルフィルド」(来日記念盤)
デスティニーズ・チャイルド「サヴァイヴァー」
デスティニーズ・チャイルド「ライティングス・オン・ザ・ウォール」
デスティニーズ・チャイルド「デスティニーズ・チャイルド」
ビヨンセ「デンジャレスリー・イン・ラヴ」
ビヨンセ「ライヴ・アット・ウエンブリー」(DVD)
ケリー・ローランド「シンプリー・ディープ」
ミシェル・ウィリアムス「ハート・トゥ・ユアーズ」
ミシェル・ウィリアムス「ドゥ・ユー・ノウ」
+++++
"Destiny Fulfilled...And Lovin’ It Tour"
Setlist @ Budoukan (2005.4.15)
show started 19:35
01. Intro (Video)
02. Say My Name
03. Independent Woman
04. No,No,No(Part2)
05. Bug A Boo
06. Bills,Bills,Bills
07. Bootylicious
08. Jumpin’ Jumpin’
09. Soldier
10. Dilemma (Kelly)
11. Do You Know (Michelle)
12. Baby Boy (Beyonce)
13. Naughty Girl (Beyonce)
14. Cater 2 U
15. Girl
16. Free
17. If
18. Me, Myself and I (Beyonce)
19. 〜I’ll Take You There
20. 〜Let’s Do It Again〜Me, Myself and I
21. Through With Love
22. Dangerously In Love (Beyonce)
23. Crazy In Love (Beyonce)
24. Lose My Breath
25(Encore) Survivor
show ended 21:16
(2005年4月15日金曜、日本武道館=デスティニーズ・チャイルド・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Destiny’s Child
(水曜日13日に見たデューク・エリントンの評を掲載する予定でしたが、デスティニーズのライヴ評に変えます。デュークのライヴ評は近いうちに掲載します。また、みなさん気にしてらっしゃるスティーヴィー・ワンダー最新情報も、一両日中にまとめます。なお、マスターまだ来てません!)
さすがに今世界で一番人気があるアーティストのライヴ・ショウだけのことはある。世界ツアーのトップを飾るジャパン・ツアー。後半はどんどんともっと練り上げられていくのだろう。初期の段階でこれだけの完成度があれば、もう文句はない。ビヨンセ、ケリー、ミシェルの3人組、デスティニーズ・チャイルド。2001年6月、10月以来3年半ぶりの日本におけるコンサート。一回りもふた回りも大きくなって、メガスターとして輝きながらの来日だ。
一曲ごとにちょっとしたシアトリカルな劇が織り込まれ、さらにそこに激しいダンスがからみ、ヴィデオ・スクリーンがさまざまな映像をだし、ヴィジュアル・エンタテインメントとして完全なものを作り上げている。これはひょっとするとジャネットよりも上かもしれない。
バンドはドラムス、キーボード2人、ギター、ベースという必要最小限で、徹底的にキーボード主体のリズムバンド。ボディーソニックのような低音がずしんずしんと体に響いてくる。そして、女性ダンサー3人、男性ダンサー6人にデスチャの3人。ということでステージには最大17人が上る。(なんと、女性ダンサーは本来4人とのこと。この日は1人が体調をくずし、出演していなかったという)
このダンサー陣が、最近のこの系統のライヴはみなそうだが、めちゃくちゃかっこいい。6人の男性ダンサーとデスチャが踊ったあたりなど、マイケル・ジャクソンが9人いるのかと思ったほど。この男性ダンサーたちの動きは、かつてのマイケルを思わせるものが多数ある。マイケルのショウはマイケルひとりだが、ここにはマイケルもどきが多数いて、圧倒的だ。特に「ジャンピン・ジャピン」の後半のダンサーのシーンは、いかにもマイケルがやりそうな動きを6人でたたみかけてきて圧巻だ。マイケルが見たら、「やられた」と思うことだろう。振付師が同じなのか?
こうしたダンス・ドリヴンなライヴはマイケルを原点として、まさに年毎に進化している。よく考えてみれば、マイケルがこうしたダンス・オリエンテッドなエンタテインメント・ライヴの雛型を作ってからすでに20年以上の月日が流れているわけだ。それは、やる人がやれば、進化していく。ビヨンセたちは、まさにそうしたダンス系エンタテインメント・ライヴの王道を堂々と進んでいる。
そして、もう一点、彼女たちのパフォーマンスで素晴らしい点は、3人ともしっかり歌が歌えるということだ。かつてガール・グループとして一世を風靡した、例えば、ダイアナ・ロス&スプリームスなどは、ダイアナひとりのリードに2人はバックコーラス的な立ち位置になっていた。ガールグループはたいがいリードひとりに、コーラス的なものが多かったが、このデスティニーズは、ビヨンセが一歩ぬきんでているとはいうものの、ケリーもミシェルもソロ活動をし、しっかりヒットをだしているところがすごい。しかも、彼女たちが迫力あるヴォーカルを聴かせる。これは強力な女性シンガーが3人束になってかかってくることを意味する。ケリーのソロ(「ジレンマ」)、ミシェルのソロ(「ドゥ・ユー・ノウ」)の歌唱にもノックアウトさせられた。
また、ビヨンセが「ミー・マイセルフ・アンド・アイ」のところで、ステイプル・シンガーズの「アイル・テイク・ユー・ゼア」と「レッツ・ドゥ・イット・アゲイン」を歌い込んだのには驚いた。このあたりを選曲するところが、過去から現在、そして、未来へつながる道を歩んでいることの証なのだろう。
選曲も、グループとしての作品から、各人のソロからまんべんなく、デスティニーズ・チャイルド&ソロ・アンソロジーといった趣だ。しかも、やる曲が一曲ごとに短いから、息つく暇もなくその世界に入り込める。実質1時間41分で25曲1曲平均ほぼ4分。これはリズム感、テンポ感がでる。密度を濃くした101分だ。
最近のいわゆる歌ものシンガーはそれほど熱く歌わないというのがひとつの傾向のようだが、この3人はかなり熱唱型だ。歌えることを、歌がうまいことをひとつの武器にしているという点でも、珍しい。
無駄がない、21世紀型のダンス系エンタテインメント・ライヴ・ショウの最高峰と言っても差し支えないだろう。今、彼女たちの上を行くアーティストは見当たらない。女性R&Bグループの過去、現在、未来を凝縮しているライヴ・パフォーマンスだ。しかも、R&Bの枠をすでに超えている。
+++++
デスティニー・チャイルド(Destiny Child) 前回ライヴ評
「“デスティニーズ・チャイルド=運命の子供”の正体」(2001年6月)
http://www.barks.jp/feature/?id=52247987
+++++
CDアルバム
デスティニーズ・チャイルド「デスティニー・フルフィルド」(来日記念盤)
デスティニーズ・チャイルド「サヴァイヴァー」
デスティニーズ・チャイルド「ライティングス・オン・ザ・ウォール」
デスティニーズ・チャイルド「デスティニーズ・チャイルド」
ビヨンセ「デンジャレスリー・イン・ラヴ」
ビヨンセ「ライヴ・アット・ウエンブリー」(DVD)
ケリー・ローランド「シンプリー・ディープ」
ミシェル・ウィリアムス「ハート・トゥ・ユアーズ」
ミシェル・ウィリアムス「ドゥ・ユー・ノウ」
+++++
"Destiny Fulfilled...And Lovin’ It Tour"
Setlist @ Budoukan (2005.4.15)
show started 19:35
01. Intro (Video)
02. Say My Name
03. Independent Woman
04. No,No,No(Part2)
05. Bug A Boo
06. Bills,Bills,Bills
07. Bootylicious
08. Jumpin’ Jumpin’
09. Soldier
10. Dilemma (Kelly)
11. Do You Know (Michelle)
12. Baby Boy (Beyonce)
13. Naughty Girl (Beyonce)
14. Cater 2 U
15. Girl
16. Free
17. If
18. Me, Myself and I (Beyonce)
19. 〜I’ll Take You There
20. 〜Let’s Do It Again〜Me, Myself and I
21. Through With Love
22. Dangerously In Love (Beyonce)
23. Crazy In Love (Beyonce)
24. Lose My Breath
25(Encore) Survivor
show ended 21:16
(2005年4月15日金曜、日本武道館=デスティニーズ・チャイルド・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Destiny’s Child
(水曜日13日に見たデューク・エリントンの評を掲載する予定でしたが、デスティニーズのライヴ評に変えます。デュークのライヴ評は近いうちに掲載します。また、みなさん気にしてらっしゃるスティーヴィー・ワンダー最新情報も、一両日中にまとめます。なお、マスターまだ来てません!)
30年後。
エアリオン・ラヴが楽屋から出てきた。彼は「誓い(ユー・メイク・ミー・フィール・ブラン・ニュー)」でリードを歌う人物だ。「あなたたちには何度か会ってインタヴューもしているんですよ。初めて会ったのは30年前、あなたたちが初来日した時です」 「おおっ、じゃあ、僕がまだ5歳の時だな(笑)」 「そう、僕は1歳だった(笑)」 「もう何度日本に来ているか、勘定できないでしょう?」 「できないねえ。(笑) でも、30回以上だと思うよ。ほとんど毎年来てるしね。年に2度来ることもある。今年もまた12月に戻ってくるよ」。
彼によると新メンバーの2人は2000年4月以降に加入したという。ファルセットのハロルド・ブラウンはニュージャージー出身。それまで、モーメンツ、ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツ、マンハッタンズなどともに仕事をしてきた、という。以前からスタイリスティックスのメンバーとは面識があり、初代リード・ヴォーカルでファルセット担当のラッセル・トンプキンス・ジュニアが、声の調子をくずして、グループを脱退した時を機に加入した。彼がスタイリスティックスに加入したことをもっとも喜んだのは、彼の両親だったそうだ。さすがに時代の変遷を感じる。
スタイリスティックのライヴということなら、大体の曲はわかるが、2曲ほどわからなかった曲があったので、エアリオンに聞いた。それが、セットリスト13(「ドライヴィング・ミー・ワイルド」)と14(「シング・ベイビー・シング」)の2曲だ。共にアルバムからのカット。また15曲目の「ミラクル」は長く聴いていなかったが、なんとなくわかった。これは、レコードではエアリオンとファルセットのオリジナルリード・シンガー、ラッセル・トンプキンスのデュエット曲。例の「誓い」が大ヒットした後に、同路線で作ったバラードだが、「誓い」に続いて大人気になるかと思われたが、しなかった。(笑)
ブラウンに誕生日はいつかと尋ねると1972年6月14日との答え。現在32歳、今年の誕生日で33歳か。 エアリオンにその前にハロルドっていくつくらいなの、と尋ねたら、47くらいだと思う、とか答えていたんだが・・・。あまりに数字が違いすぎる。(笑) エアリオンの勘違いかなあ。でも、47には見えない。したがって、年齢に関しては、ちょっとペンディングにしておこう。
スタイリスティックスは元々5人組。そして現在は4人。「もうひとり足して5人組に戻すつもりはないですか?」 エアリオンが笑いながら言った。「ないねえ、それはない。4人でちょうどいい。5人はトゥーマッチだ(多すぎる)。(笑)」
ハーブ・マレルに声をかけると、僕に指を指し、「覚えてるよ」。スタイリスティックスのライヴを初めて見たのは、初来日の時。たぶん、その時、彼らは六本木のディスコ「エンバシー」に遊びにきたはずだ。そこで、会った記憶がある。集合写真をとった。その後、70年代にどこかでインタヴューしたような気がするが正確な記録がない。そして、87年7月、92年1月にインタヴューした。最近だと大宮でやったライヴの時に楽屋を訪れた。75年、まさか30年後に彼らのライヴを見て、一言二言話をするなんてことはまったく夢にも思わなかった。お互い継続は力か・・・(笑)。
現在スタイリスティックスはレコーディング契約がない。それでも、年間100本以上のライヴを続けている。ライヴが終わってしばらくすると、エアリオンが店の出口のほうにでていた。帰りがけの人たちが、みな「グレイト・ショウ」などと声をかけていく。
「またお会いできてよかったです」と言うと、エアリオンが「僕もだ。でも、また30年後ではなくね。(笑) 12月に会おう」と答えた。必ず、また12月に行こう。
(2005年4月12日火曜、銀座ケントス=スタイリスティックス・ライヴ)
エアリオン・ラヴが楽屋から出てきた。彼は「誓い(ユー・メイク・ミー・フィール・ブラン・ニュー)」でリードを歌う人物だ。「あなたたちには何度か会ってインタヴューもしているんですよ。初めて会ったのは30年前、あなたたちが初来日した時です」 「おおっ、じゃあ、僕がまだ5歳の時だな(笑)」 「そう、僕は1歳だった(笑)」 「もう何度日本に来ているか、勘定できないでしょう?」 「できないねえ。(笑) でも、30回以上だと思うよ。ほとんど毎年来てるしね。年に2度来ることもある。今年もまた12月に戻ってくるよ」。
彼によると新メンバーの2人は2000年4月以降に加入したという。ファルセットのハロルド・ブラウンはニュージャージー出身。それまで、モーメンツ、ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツ、マンハッタンズなどともに仕事をしてきた、という。以前からスタイリスティックスのメンバーとは面識があり、初代リード・ヴォーカルでファルセット担当のラッセル・トンプキンス・ジュニアが、声の調子をくずして、グループを脱退した時を機に加入した。彼がスタイリスティックスに加入したことをもっとも喜んだのは、彼の両親だったそうだ。さすがに時代の変遷を感じる。
スタイリスティックのライヴということなら、大体の曲はわかるが、2曲ほどわからなかった曲があったので、エアリオンに聞いた。それが、セットリスト13(「ドライヴィング・ミー・ワイルド」)と14(「シング・ベイビー・シング」)の2曲だ。共にアルバムからのカット。また15曲目の「ミラクル」は長く聴いていなかったが、なんとなくわかった。これは、レコードではエアリオンとファルセットのオリジナルリード・シンガー、ラッセル・トンプキンスのデュエット曲。例の「誓い」が大ヒットした後に、同路線で作ったバラードだが、「誓い」に続いて大人気になるかと思われたが、しなかった。(笑)
ブラウンに誕生日はいつかと尋ねると1972年6月14日との答え。現在32歳、今年の誕生日で33歳か。 エアリオンにその前にハロルドっていくつくらいなの、と尋ねたら、47くらいだと思う、とか答えていたんだが・・・。あまりに数字が違いすぎる。(笑) エアリオンの勘違いかなあ。でも、47には見えない。したがって、年齢に関しては、ちょっとペンディングにしておこう。
スタイリスティックスは元々5人組。そして現在は4人。「もうひとり足して5人組に戻すつもりはないですか?」 エアリオンが笑いながら言った。「ないねえ、それはない。4人でちょうどいい。5人はトゥーマッチだ(多すぎる)。(笑)」
ハーブ・マレルに声をかけると、僕に指を指し、「覚えてるよ」。スタイリスティックスのライヴを初めて見たのは、初来日の時。たぶん、その時、彼らは六本木のディスコ「エンバシー」に遊びにきたはずだ。そこで、会った記憶がある。集合写真をとった。その後、70年代にどこかでインタヴューしたような気がするが正確な記録がない。そして、87年7月、92年1月にインタヴューした。最近だと大宮でやったライヴの時に楽屋を訪れた。75年、まさか30年後に彼らのライヴを見て、一言二言話をするなんてことはまったく夢にも思わなかった。お互い継続は力か・・・(笑)。
現在スタイリスティックスはレコーディング契約がない。それでも、年間100本以上のライヴを続けている。ライヴが終わってしばらくすると、エアリオンが店の出口のほうにでていた。帰りがけの人たちが、みな「グレイト・ショウ」などと声をかけていく。
「またお会いできてよかったです」と言うと、エアリオンが「僕もだ。でも、また30年後ではなくね。(笑) 12月に会おう」と答えた。必ず、また12月に行こう。
(2005年4月12日火曜、銀座ケントス=スタイリスティックス・ライヴ)
感慨。
エイメリーのショーケースで、ニューヨーク在住のロングタイム・フレンド、F氏とばったり再会。「なんでまた、日本に?」と尋ねると、「スタイリスティックスと一緒に。明日まで、銀座のケントスでやってるんですよ」 「ケントスでスタイリスティックス? わお!」 スタイリスティックスがリードシンガーをラッセル・トンプキンスから新しいハロルド・ブラウンに変えてからえらく評判がよくなっていたが、まだ一度も見ていなかったので、さっそく万難を排して出向いた。
銀座ケントスは、このところすっかり話題のブランドエリアの真っ只中、並木通りとクロスする交詢社通りにある。キャパは150くらいか。新宿と六本木のケントスは行ったことはあったが銀座は初めて。4月5日から新宿ケントスで2日、六本木ケントスで1日、そして、銀座で3日、ほぼ一週間やっていたという。これはさすがに知らなかった。
ケントスのレギュラーバンドが5曲ほど、ダンスクラシックを歌い、かなり雰囲気を盛り上げてからいよいよスタイリスティックス登場。かつて、中野サンプラザなどで見たことからすると、この近さ、この狭さで見られるスタイリスティックスは格別のものがある。また、バックの日本人バンドがあなどれない。ドラムス、ギター、ベース、キーボード2名(うち1名はスタイリスティックスの音楽ディレクター)のほか、パーカッションとホーンセクションが4人という10名編成なのだ。この狭さでホーン4人にはある意味感動した。(笑)
夜10時すぎて、彼らが登場し「ヘヴィー」からスタート。新しいリード、ハロルド・ブラウンのファルセットが力強い。初代リードのラッセルが後期にはかなり声が枯れて、歌い辛くなっていたが、このブラウンはかなり力もあり、何よりも若さがあって強力だ。良かった頃のスタイリスティックスが見事に戻った感がある。昔ながらの振り付けも、健在でいかにもR&Bヴォーカル・グループのショウ。とは言っても、けっこう動きとかは今となっては古臭く、ばらばらではあるのだが、オールドスクールのR&Bヴォーカルの振り付けとしては、思わず「イエー」と言いたくなる。次々とヒット曲を歌い込む。観客も途中、椅子から立ち上がり、ダンスナンバーではステップを踏み、スローになるとミラーボールが回りチークを踊り始める。ケントス自体のファンも多く、年齢層も高い。観客とアーティストの相性は抜群だ。サンプラザで見ても感動しないかもしれないが、この小さなライヴハウスで見るとなかなか感慨深い。不思議なものだ。
選曲のバランスもなかなかいい。下記セットリストで( )内にアルバム名を表記したものは、アルバム収録曲で、いわゆるシングルヒットではないもの。珍しい選曲もあり、ひじょうに楽しめた。そして、やはり、ヴォーカル・グループというのは、リード・ヴォーカルがしっかりしていれば、なんとかなるものである。当たり前だが。
スタイリスティックスの初来日は1974年1月と記憶する。30年前に中野サンプラザで見たグループを今、銀座ケントスで再び見ているわけだ。一時期、メンバーが5人から4人、4人から3人、最後は3人から2人で来日したこともあり、正直のところさすがにもう終ったかと思った。だが、こうして新しいメンバー2人を加えた新生スタイリスティックスは、テンプスがメンバーチェンジを経てパワーアップしたように、見事に復活できそうだ。
グループの司会役ハーブ・マレルが言う。「私たちスタイリスティックスは今年で37周年を迎えます。みなさんありがとう!」
目の前1メートルのところで、彼らが汗を光らせながら、ステップを踏み、歌っているのを見ると、30年という時の流れに感慨深いものを感じる。アンコールの最後に日本で一番人気の「愛がすべて」を持ってくるなんぞ、よくわかっている。
(スタイリスティックスの項、つづく)
Setlist Second Show
show started 22:01
01. Heavy (Fallin’ Out) (1974)
02. You’re Big Girl Now (1971)
03. I’m Stone In Love With You (1972)
04. Betcha By Golly Wow (1972)
05. Coutry Living (1971-Album "Stylistics")
06. Stop, Look, Listen (1971)
07. Children Of The Night (1972-Album "Round 2")
08. It’s Too Late (1972-Album "Round 2")
09. You Are Everything (1972)
10. You’ll Never Get To Heaven If You Break My Heart (1973)
11. Rockin’ Roll Baby (1973)
12. Break Up To Make Up (1973)
13. Driving Me Wild (1980-Album "Hurry Up This Way Again")
14. Sing Baby Sing (1975-Album "Thank You Baby")
15. The Miracle (1975-Album "Heavy")
16. You Make Me Feel Brand New (1974)
17. Funky Weekend (1975)
Enc. Star On A TV Show (1975)
Enc. Can’t Give You Anything But My Love (1975)
show ended 22:07
+++++
Stylistics:
Airrion Love
Herb Murrell
Harold (Eban) Brown
Van Fields
スタイリスティックス・オフィシャル・ウェッブ
http://www.thestylistics.org
+++++
(2005年4月12日火曜、銀座ケントス=スタイリスティックス・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Stylistics
エイメリーのショーケースで、ニューヨーク在住のロングタイム・フレンド、F氏とばったり再会。「なんでまた、日本に?」と尋ねると、「スタイリスティックスと一緒に。明日まで、銀座のケントスでやってるんですよ」 「ケントスでスタイリスティックス? わお!」 スタイリスティックスがリードシンガーをラッセル・トンプキンスから新しいハロルド・ブラウンに変えてからえらく評判がよくなっていたが、まだ一度も見ていなかったので、さっそく万難を排して出向いた。
銀座ケントスは、このところすっかり話題のブランドエリアの真っ只中、並木通りとクロスする交詢社通りにある。キャパは150くらいか。新宿と六本木のケントスは行ったことはあったが銀座は初めて。4月5日から新宿ケントスで2日、六本木ケントスで1日、そして、銀座で3日、ほぼ一週間やっていたという。これはさすがに知らなかった。
ケントスのレギュラーバンドが5曲ほど、ダンスクラシックを歌い、かなり雰囲気を盛り上げてからいよいよスタイリスティックス登場。かつて、中野サンプラザなどで見たことからすると、この近さ、この狭さで見られるスタイリスティックスは格別のものがある。また、バックの日本人バンドがあなどれない。ドラムス、ギター、ベース、キーボード2名(うち1名はスタイリスティックスの音楽ディレクター)のほか、パーカッションとホーンセクションが4人という10名編成なのだ。この狭さでホーン4人にはある意味感動した。(笑)
夜10時すぎて、彼らが登場し「ヘヴィー」からスタート。新しいリード、ハロルド・ブラウンのファルセットが力強い。初代リードのラッセルが後期にはかなり声が枯れて、歌い辛くなっていたが、このブラウンはかなり力もあり、何よりも若さがあって強力だ。良かった頃のスタイリスティックスが見事に戻った感がある。昔ながらの振り付けも、健在でいかにもR&Bヴォーカル・グループのショウ。とは言っても、けっこう動きとかは今となっては古臭く、ばらばらではあるのだが、オールドスクールのR&Bヴォーカルの振り付けとしては、思わず「イエー」と言いたくなる。次々とヒット曲を歌い込む。観客も途中、椅子から立ち上がり、ダンスナンバーではステップを踏み、スローになるとミラーボールが回りチークを踊り始める。ケントス自体のファンも多く、年齢層も高い。観客とアーティストの相性は抜群だ。サンプラザで見ても感動しないかもしれないが、この小さなライヴハウスで見るとなかなか感慨深い。不思議なものだ。
選曲のバランスもなかなかいい。下記セットリストで( )内にアルバム名を表記したものは、アルバム収録曲で、いわゆるシングルヒットではないもの。珍しい選曲もあり、ひじょうに楽しめた。そして、やはり、ヴォーカル・グループというのは、リード・ヴォーカルがしっかりしていれば、なんとかなるものである。当たり前だが。
スタイリスティックスの初来日は1974年1月と記憶する。30年前に中野サンプラザで見たグループを今、銀座ケントスで再び見ているわけだ。一時期、メンバーが5人から4人、4人から3人、最後は3人から2人で来日したこともあり、正直のところさすがにもう終ったかと思った。だが、こうして新しいメンバー2人を加えた新生スタイリスティックスは、テンプスがメンバーチェンジを経てパワーアップしたように、見事に復活できそうだ。
グループの司会役ハーブ・マレルが言う。「私たちスタイリスティックスは今年で37周年を迎えます。みなさんありがとう!」
目の前1メートルのところで、彼らが汗を光らせながら、ステップを踏み、歌っているのを見ると、30年という時の流れに感慨深いものを感じる。アンコールの最後に日本で一番人気の「愛がすべて」を持ってくるなんぞ、よくわかっている。
(スタイリスティックスの項、つづく)
Setlist Second Show
show started 22:01
01. Heavy (Fallin’ Out) (1974)
02. You’re Big Girl Now (1971)
03. I’m Stone In Love With You (1972)
04. Betcha By Golly Wow (1972)
05. Coutry Living (1971-Album "Stylistics")
06. Stop, Look, Listen (1971)
07. Children Of The Night (1972-Album "Round 2")
08. It’s Too Late (1972-Album "Round 2")
09. You Are Everything (1972)
10. You’ll Never Get To Heaven If You Break My Heart (1973)
11. Rockin’ Roll Baby (1973)
12. Break Up To Make Up (1973)
13. Driving Me Wild (1980-Album "Hurry Up This Way Again")
14. Sing Baby Sing (1975-Album "Thank You Baby")
15. The Miracle (1975-Album "Heavy")
16. You Make Me Feel Brand New (1974)
17. Funky Weekend (1975)
Enc. Star On A TV Show (1975)
Enc. Can’t Give You Anything But My Love (1975)
show ended 22:07
+++++
Stylistics:
Airrion Love
Herb Murrell
Harold (Eban) Brown
Van Fields
スタイリスティックス・オフィシャル・ウェッブ
http://www.thestylistics.org
+++++
(2005年4月12日火曜、銀座ケントス=スタイリスティックス・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Stylistics
「ザ・ショット」。
第69回ザ・マスターズ最終日4日目。優勝争いはクリス・ディマルコとタイガー・ウッズに絞られていた。
16番ホール、パー3。この時点でタイガーが1打リードでトップ。先に打ったディマルコは安全に確実にグリーンに乗せ、まずまずの位置。15フィートのバーディー・パットが残る。続いて打ったタイガー・ウッズのボールは打ち損じてグリーン奥に少しはずれる。微妙な高低さがあり、ひじょうに難しいパットが残る。せいぜい寄せればOK、なんとかパー狙いの位置だ。ディマルコがバーディーでウッズがパーなら並ぶという状況だ。最後まで勝負はわからない。
先にウッズが打つ。ウッズはグリーンに落したところからボールがピンに向かってうまく進んでいくことをイメージして、マークしやすいところに落ちてくれればいいと考えて打った。ボールはグリーンに乗って、右にカーヴし、一直線に旗に向かってゆっくりと転がっていった。観客の歓声が大きくなる。カップ寸前で、ボールが一瞬止まったかに思えた。そして、何かの神風が吹いたのか、その瞬間ホールからの引力が働いたのか、最後の一絞りか、ボールがカランとカップの中に吸い込まれた。まさにザ・マスターズの歴史に残るバーディーが決まった瞬間だ。長くこのショットは「ザ・ショット」として語り継がれることだろう。歓声が極度のピークに達した。
ラインとしては比較的いれやすい、入ってもおかしくないディマルコのバーディー・パット。ディマルコのボールは、しかし、次の一打でカップには吸い込まれなかった。パー。2ホールを残して、2打差に広がった。誰もが、タイガーの優勝を確信した、スーパーショットだった。
しかし、運命の女神はまだ迷っていた。続く17番と18番、タイガーが共にボギーを叩き、誰もが予想だにしなかったプレイオフにもつれ込むのだ。18番パー4、ディマルコが打った長い第3打(バーディー・パット)がカップに一直線に進む。歓声が一気に爆発する。ラインは完璧だ。が、最後の最後ボールはカップに蹴られてはいらない。その瞬間、ディマルコは膝を芝生に落した。もし、これがタイガーの16番のようにカップに吸い込まれていれば、ディマルコがグリーンジャケットを着ていたかもしれないのだ。
ディマルコは3日目の9ホールを、ダブルボギーでスタートし散々な目にあい、トップの座をタイガーに明渡した。4打リードが逆に3打離されてしまったのだ。そこで、彼は着ていたものを代えた。シャツ、ズボン、靴下、ベルトまですべてだ。
ディマルコは結局、この日(4日目のラウンド18ホール分)、68で回った。4日間を通して、もっとも安定していた選手だ。しかも、昨年に続いて最終日最終組で周った。さらに、2年連続のプレイオフ。18番を歩きながら、彼はキャディーに言った。「(この結果が)君にとっておもしろくなかったとしても、それはまったく君のせいではない。もう本当に胃はきりきりしていたよ。頭もおかしくなりそうだった。だが、それでも自分なりにいいパフォーマンスを見せられたのはとてもよかった」 一方ウッズはそんなディマルコのことを「彼は決してあきらめない。決して引き下がらない」と感じていた。
そして、18番に戻ってのプレイオフ。ディマルコはほんの20分ほど前と完璧に同様のショットを見せ、ヴィデオテープを再生したかと思われる所にボールを落す。一方、タイガーはピン奥、絶好のポジションだ。先に打つディマルコはパーセイヴが確実な寄せ。しっかり寄せて、先にいれて、タイガーを待つ。タイガーが慎重にカップの周囲を周る。5メートルほどのバーディーパットをいれれば、優勝だ。慎重に打ったタイガーのボールはまっすぐにカップに向かう。そして、すんなりとそこに吸い込まれた。
この日、彼らは前日(サードラウンド)の天候不良のため、3日目の半分、9ラウンドを行ってから、4日目の18ホール、計27ホールを回った。それは長い長い1日だった。
ディマルコは言った。「唯一の違いは、彼の16番はチップインが入り、僕のは18番で入らずに蹴られた、それだけだ。なぜそうなったのかはわからない。(僕の18番も)はいってもおかしくはなかった」
表彰式になるとすでにあたりは暗くなり、夕闇が迫っていた。スポットライトを浴びながらタイガーはスピーチをした。「これは、父親のものだ。父は病気で具合がよくない。オーガスタまでやってきたが、ここ(フィールド)にはこれなかった。部屋でがんばっている。いつもここで優勝する時は父が僕を抱きしめてくれるが、今日は抱きしめてもらえない。早くうちに帰って彼に抱きしめてもらいたい。この優勝は父のものだ」 ウッズは唇をかみしめ、目が赤くなっていた。
16番のショットは、単なるショットではない。「ザ・ショット」だ。それは、タイガー・ウッズ、29歳の魂のショットになった。
(2005年4月10日日曜、アメリカ・ジョージア州オーガスタ=ザ・マスターズ最終日)
第69回ザ・マスターズ最終日4日目。優勝争いはクリス・ディマルコとタイガー・ウッズに絞られていた。
16番ホール、パー3。この時点でタイガーが1打リードでトップ。先に打ったディマルコは安全に確実にグリーンに乗せ、まずまずの位置。15フィートのバーディー・パットが残る。続いて打ったタイガー・ウッズのボールは打ち損じてグリーン奥に少しはずれる。微妙な高低さがあり、ひじょうに難しいパットが残る。せいぜい寄せればOK、なんとかパー狙いの位置だ。ディマルコがバーディーでウッズがパーなら並ぶという状況だ。最後まで勝負はわからない。
先にウッズが打つ。ウッズはグリーンに落したところからボールがピンに向かってうまく進んでいくことをイメージして、マークしやすいところに落ちてくれればいいと考えて打った。ボールはグリーンに乗って、右にカーヴし、一直線に旗に向かってゆっくりと転がっていった。観客の歓声が大きくなる。カップ寸前で、ボールが一瞬止まったかに思えた。そして、何かの神風が吹いたのか、その瞬間ホールからの引力が働いたのか、最後の一絞りか、ボールがカランとカップの中に吸い込まれた。まさにザ・マスターズの歴史に残るバーディーが決まった瞬間だ。長くこのショットは「ザ・ショット」として語り継がれることだろう。歓声が極度のピークに達した。
ラインとしては比較的いれやすい、入ってもおかしくないディマルコのバーディー・パット。ディマルコのボールは、しかし、次の一打でカップには吸い込まれなかった。パー。2ホールを残して、2打差に広がった。誰もが、タイガーの優勝を確信した、スーパーショットだった。
しかし、運命の女神はまだ迷っていた。続く17番と18番、タイガーが共にボギーを叩き、誰もが予想だにしなかったプレイオフにもつれ込むのだ。18番パー4、ディマルコが打った長い第3打(バーディー・パット)がカップに一直線に進む。歓声が一気に爆発する。ラインは完璧だ。が、最後の最後ボールはカップに蹴られてはいらない。その瞬間、ディマルコは膝を芝生に落した。もし、これがタイガーの16番のようにカップに吸い込まれていれば、ディマルコがグリーンジャケットを着ていたかもしれないのだ。
ディマルコは3日目の9ホールを、ダブルボギーでスタートし散々な目にあい、トップの座をタイガーに明渡した。4打リードが逆に3打離されてしまったのだ。そこで、彼は着ていたものを代えた。シャツ、ズボン、靴下、ベルトまですべてだ。
ディマルコは結局、この日(4日目のラウンド18ホール分)、68で回った。4日間を通して、もっとも安定していた選手だ。しかも、昨年に続いて最終日最終組で周った。さらに、2年連続のプレイオフ。18番を歩きながら、彼はキャディーに言った。「(この結果が)君にとっておもしろくなかったとしても、それはまったく君のせいではない。もう本当に胃はきりきりしていたよ。頭もおかしくなりそうだった。だが、それでも自分なりにいいパフォーマンスを見せられたのはとてもよかった」 一方ウッズはそんなディマルコのことを「彼は決してあきらめない。決して引き下がらない」と感じていた。
そして、18番に戻ってのプレイオフ。ディマルコはほんの20分ほど前と完璧に同様のショットを見せ、ヴィデオテープを再生したかと思われる所にボールを落す。一方、タイガーはピン奥、絶好のポジションだ。先に打つディマルコはパーセイヴが確実な寄せ。しっかり寄せて、先にいれて、タイガーを待つ。タイガーが慎重にカップの周囲を周る。5メートルほどのバーディーパットをいれれば、優勝だ。慎重に打ったタイガーのボールはまっすぐにカップに向かう。そして、すんなりとそこに吸い込まれた。
この日、彼らは前日(サードラウンド)の天候不良のため、3日目の半分、9ラウンドを行ってから、4日目の18ホール、計27ホールを回った。それは長い長い1日だった。
ディマルコは言った。「唯一の違いは、彼の16番はチップインが入り、僕のは18番で入らずに蹴られた、それだけだ。なぜそうなったのかはわからない。(僕の18番も)はいってもおかしくはなかった」
表彰式になるとすでにあたりは暗くなり、夕闇が迫っていた。スポットライトを浴びながらタイガーはスピーチをした。「これは、父親のものだ。父は病気で具合がよくない。オーガスタまでやってきたが、ここ(フィールド)にはこれなかった。部屋でがんばっている。いつもここで優勝する時は父が僕を抱きしめてくれるが、今日は抱きしめてもらえない。早くうちに帰って彼に抱きしめてもらいたい。この優勝は父のものだ」 ウッズは唇をかみしめ、目が赤くなっていた。
16番のショットは、単なるショットではない。「ザ・ショット」だ。それは、タイガー・ウッズ、29歳の魂のショットになった。
(2005年4月10日日曜、アメリカ・ジョージア州オーガスタ=ザ・マスターズ最終日)
Amerie: Live Show Case At Xross
2005年4月12日旬。
現在「ワン・シング」が大ヒット中のエイメリーがプロモーションで来日、11日(月曜)、西麻布の「クラブ・クロス」で招待制ショーケースを行った。約200人以上のファンの前で、「ワン・シング」など3曲を、3人のダンサーとともに歌った。ダンサーは、3人とも女性だが、かなりのパワーをみせつけた。エイメリーは、ヴィデオで見るよりもはるかに細身でスタイルがいい。
この日は、FM局、Jウェイヴの番組『ソウル・トレイン』のリスナー招待で、司会は同番組のDJ、リュー。今、まさに旬のアーティストのクラブ・ライヴという感じだ。「ワン・シング」などはほとんど口パクだが、ダンサーとのコラボレーションがおもしろく、クラブでのショーケースとしては充分。「ワン・シング」は、日本でも6月に公開予定のウィル・スミスの新作映画『ヒッチ(最後の恋の始め方)』のテーマ曲にもなっている。
エイメリーのニュー・アルバムは彼女の2枚目になる『タッチ』で、4月27日日本発売となる。デビュー作『オール・アイ・ハヴ』が2002年11月の発売なのでほぼ2年半ぶりとなる。
エイメリーは韓国出身の母とアメリカ人ブラックとの間に1980年1月12日に生まれた。現在25歳。韓国&アメリカということだと、クリスタル・ケイと条件は一緒だ。クリちゃんとエイメリーはご対面したのだろうか。
(2005年4月11日月曜、西麻布クロス=エイメリー・ショーケース・ライヴ)
現在「ワン・シング」が大ヒット中のエイメリーがプロモーションで来日、11日(月曜)、西麻布の「クラブ・クロス」で招待制ショーケースを行った。約200人以上のファンの前で、「ワン・シング」など3曲を、3人のダンサーとともに歌った。ダンサーは、3人とも女性だが、かなりのパワーをみせつけた。エイメリーは、ヴィデオで見るよりもはるかに細身でスタイルがいい。
この日は、FM局、Jウェイヴの番組『ソウル・トレイン』のリスナー招待で、司会は同番組のDJ、リュー。今、まさに旬のアーティストのクラブ・ライヴという感じだ。「ワン・シング」などはほとんど口パクだが、ダンサーとのコラボレーションがおもしろく、クラブでのショーケースとしては充分。「ワン・シング」は、日本でも6月に公開予定のウィル・スミスの新作映画『ヒッチ(最後の恋の始め方)』のテーマ曲にもなっている。
エイメリーのニュー・アルバムは彼女の2枚目になる『タッチ』で、4月27日日本発売となる。デビュー作『オール・アイ・ハヴ』が2002年11月の発売なのでほぼ2年半ぶりとなる。
エイメリーは韓国出身の母とアメリカ人ブラックとの間に1980年1月12日に生まれた。現在25歳。韓国&アメリカということだと、クリスタル・ケイと条件は一緒だ。クリちゃんとエイメリーはご対面したのだろうか。
(2005年4月11日月曜、西麻布クロス=エイメリー・ショーケース・ライヴ)
美学。
『ソウル銀座塾』でもご紹介したが、ナット・キング・コールのドキュメンタリーDVDと、最新のベストアルバム(28曲入り)が、セットでキング・コール没後40周年ということで大々的に売りに出されている。
『ザ・ワールド・オブ・ナット・キング・コール』(DVD)(CD)
ナット・キング・コールは1965年2月15日に亡くなっている。DVDは90分の本編のほか、約60分のボーナス映像がある。インタヴューに答える人は、トニー・ベネット、ナタリー・コール、スティーヴィー、クインシー、ハリー・コニックなどのほか、奥さん、娘なども登場する。よくできたドキュメンタリーで、ナットの人柄や、彼が黒人として初めて有名になったことへの白人からの反発などがまとめられている。
そして、CDの『ザ・ワールド・オブ・ナット・キング・コール』は全28曲入り。音源としては、これまでにリリースされたものだが、ナタリーとのデュエット「アンフォーゲッタブル」も収録されている。この中で僕が驚いたのが、彼の日本語版が2曲入っていたこと。1曲は「枯葉」、もうひとつが「ラヴ(LOVE)」だ。
で、この日本語の訳詞がじつにうまく出来ている。ともに1964年にレコーディングされたものだが、当時は洋楽曲に日本語の詞をつけて歌うことが流行っていて、ナットも録音した。ナットはサーヴィス精神旺盛で、日本語だけでなく、フランス語、スペイン語などでも様々な曲をレコーディングしてきた、という。
その「ラヴ」を日本語訳したのは洋楽訳詞の匠、漣(さざなみ)健児さんだ。60年から訳詞を始めた。
http://www.shinko-music.co.jp/sazanami/profile.html
日本語版「ラヴ」も「枯葉」も、単語がじつにメロディーにはまっていて驚いた。しかも、ナットの歌もうまい。かつて、マリリン・マックー&ビリー・ディヴィス・ジュニアの「星空の二人(You Don’t Have To Be A Star)」の日本語版がかなりいい出来だったことを紹介したと思うが、このナットの「ラヴ」はそれに勝るとも劣らない日本語ソウルだ。最近でこそ、英語を歌詞の中にいれる日本人シンガーも多数いるが、それを40年以上前にやっていたことになる。しかし、それにしても日本語と英語のからめかたが抜群にうまい。
というわけで、その日本語詞をご覧いただきたい。お見事である。ナットの「ラヴ」は、シンプルに2分33秒でカットアウトで終る。二分半の美学だ。
『LOVE』(訳詞・漣健児)
Lと書いたらLook At Me
Oと続けてOK
Vはやさしい文字Very Good
Eと結べば愛の字、L-O-V-E
LOVEは世界の言葉
LOVEは二人の宝
愛し合えば明日(あした)も明るい
LOVE
LOVE Your Love
I LOVE YOU
+++++
ナットの邦題についての記事。
2003/06/26 (Thu)
Get Out And Get The Japanese Title
邦題値千金。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030626.html
+++++
『ソウル銀座塾』でもご紹介したが、ナット・キング・コールのドキュメンタリーDVDと、最新のベストアルバム(28曲入り)が、セットでキング・コール没後40周年ということで大々的に売りに出されている。
『ザ・ワールド・オブ・ナット・キング・コール』(DVD)(CD)
ナット・キング・コールは1965年2月15日に亡くなっている。DVDは90分の本編のほか、約60分のボーナス映像がある。インタヴューに答える人は、トニー・ベネット、ナタリー・コール、スティーヴィー、クインシー、ハリー・コニックなどのほか、奥さん、娘なども登場する。よくできたドキュメンタリーで、ナットの人柄や、彼が黒人として初めて有名になったことへの白人からの反発などがまとめられている。
そして、CDの『ザ・ワールド・オブ・ナット・キング・コール』は全28曲入り。音源としては、これまでにリリースされたものだが、ナタリーとのデュエット「アンフォーゲッタブル」も収録されている。この中で僕が驚いたのが、彼の日本語版が2曲入っていたこと。1曲は「枯葉」、もうひとつが「ラヴ(LOVE)」だ。
で、この日本語の訳詞がじつにうまく出来ている。ともに1964年にレコーディングされたものだが、当時は洋楽曲に日本語の詞をつけて歌うことが流行っていて、ナットも録音した。ナットはサーヴィス精神旺盛で、日本語だけでなく、フランス語、スペイン語などでも様々な曲をレコーディングしてきた、という。
その「ラヴ」を日本語訳したのは洋楽訳詞の匠、漣(さざなみ)健児さんだ。60年から訳詞を始めた。
http://www.shinko-music.co.jp/sazanami/profile.html
日本語版「ラヴ」も「枯葉」も、単語がじつにメロディーにはまっていて驚いた。しかも、ナットの歌もうまい。かつて、マリリン・マックー&ビリー・ディヴィス・ジュニアの「星空の二人(You Don’t Have To Be A Star)」の日本語版がかなりいい出来だったことを紹介したと思うが、このナットの「ラヴ」はそれに勝るとも劣らない日本語ソウルだ。最近でこそ、英語を歌詞の中にいれる日本人シンガーも多数いるが、それを40年以上前にやっていたことになる。しかし、それにしても日本語と英語のからめかたが抜群にうまい。
というわけで、その日本語詞をご覧いただきたい。お見事である。ナットの「ラヴ」は、シンプルに2分33秒でカットアウトで終る。二分半の美学だ。
『LOVE』(訳詞・漣健児)
Lと書いたらLook At Me
Oと続けてOK
Vはやさしい文字Very Good
Eと結べば愛の字、L-O-V-E
LOVEは世界の言葉
LOVEは二人の宝
愛し合えば明日(あした)も明るい
LOVE
LOVE Your Love
I LOVE YOU
+++++
ナットの邦題についての記事。
2003/06/26 (Thu)
Get Out And Get The Japanese Title
邦題値千金。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030626.html
+++++
コーチ。
人気ブランド、コーチ(Coach)のイヴェントが東京・千駄ヶ谷の東京体育館で開かれた。登場アーティストは、中島美嘉(なかしま・みか)、マンディー・ムーア、そして、N.E.R.D(エヌ・イー・アール・ディー)の3組。タイトルは、「プレイ・フォー・ピース」ということで、チャリティーになっているという。このイヴェント自体は無料のイヴェントで、コーチの顧客に招待券が配られていた。たまたま招待券をもらったので、出向いた。
シンプルに各アーティストが約25分ずつ。6時開演ということだったが、少し遅れていったら、既に中島美嘉が歌っていた。彼女の歌をライヴで聴くのは初めて。高音のところを一生懸命歌っているところを見ると、思わず「がんばれ」と声援をかけたくなってしまう感じ。日本人アーティストってどうしても、一観客として見るよりも、ちゃんと声は出るか、歌えるか、トークはすべらないか、がんばってね、という感じになってしまう。(笑) 何かのテレビ番組でしゃべっているのを見たが、すごく気取りのない素直そうな人で好感を持った。
マンディー・ムーアもポップ。それぞれのセットチェンジの間が約20分あるが、その後半で、次に出るアーティストのヴィデオ映像が流される。桜も写っていたので、ここ1-2日で撮影したものなのだろう。マンディーは1984年4月10日生まれということで、ライヴの翌日が21歳の誕生日だ。
そんな中で、N.E.R.Dのメンバーが日本のお茶をたしなみに行くというヴィデオがなかなかおもしろかった。そして、登場した彼らはけっこうのりのりだった。それまでのライヴは観客が座っていたが、これはいきなりスタンディングになった。途中で紙ふぶきが散り、さらに大きな風船が多数観客席に放出されて、これはかなりおもしろい演出だ。
ライヴ3組はいずれもアンコールはなく、6時開演で終演は7時56分。あっさり終った。外に出ると、たくさんの人が体育館の外観とコーチのビルボードを携帯で撮影していた。
(2005年4月9日土曜、東京体育館=「プレイ・フォー・ピース」チャリティー・コンサート、中島美嘉、マンディー・ムーア、N.E.R.Dライヴ)
人気ブランド、コーチ(Coach)のイヴェントが東京・千駄ヶ谷の東京体育館で開かれた。登場アーティストは、中島美嘉(なかしま・みか)、マンディー・ムーア、そして、N.E.R.D(エヌ・イー・アール・ディー)の3組。タイトルは、「プレイ・フォー・ピース」ということで、チャリティーになっているという。このイヴェント自体は無料のイヴェントで、コーチの顧客に招待券が配られていた。たまたま招待券をもらったので、出向いた。
シンプルに各アーティストが約25分ずつ。6時開演ということだったが、少し遅れていったら、既に中島美嘉が歌っていた。彼女の歌をライヴで聴くのは初めて。高音のところを一生懸命歌っているところを見ると、思わず「がんばれ」と声援をかけたくなってしまう感じ。日本人アーティストってどうしても、一観客として見るよりも、ちゃんと声は出るか、歌えるか、トークはすべらないか、がんばってね、という感じになってしまう。(笑) 何かのテレビ番組でしゃべっているのを見たが、すごく気取りのない素直そうな人で好感を持った。
マンディー・ムーアもポップ。それぞれのセットチェンジの間が約20分あるが、その後半で、次に出るアーティストのヴィデオ映像が流される。桜も写っていたので、ここ1-2日で撮影したものなのだろう。マンディーは1984年4月10日生まれということで、ライヴの翌日が21歳の誕生日だ。
そんな中で、N.E.R.Dのメンバーが日本のお茶をたしなみに行くというヴィデオがなかなかおもしろかった。そして、登場した彼らはけっこうのりのりだった。それまでのライヴは観客が座っていたが、これはいきなりスタンディングになった。途中で紙ふぶきが散り、さらに大きな風船が多数観客席に放出されて、これはかなりおもしろい演出だ。
ライヴ3組はいずれもアンコールはなく、6時開演で終演は7時56分。あっさり終った。外に出ると、たくさんの人が体育館の外観とコーチのビルボードを携帯で撮影していた。
(2005年4月9日土曜、東京体育館=「プレイ・フォー・ピース」チャリティー・コンサート、中島美嘉、マンディー・ムーア、N.E.R.Dライヴ)
Thanks For Joining "Soul Ginza School"
2005年4月9日多謝。
「ソウル銀座塾」ご来場の皆様、ありがとうございました。そして、おつかれさまでした。6時半から1時間ちょっとでしたが、さまざまなDVD映像をご紹介しました。昨日ご紹介した素材は次の通りです。
トークショウ前
5時45分〜
1) 映画『スーパーフライ』(一部)
2) 映画『ソウル・トゥ・ソウル』(一部)
6時半〜(トークと映像)
3) 映画『ソウル・トゥ・ソウル』(DVD)、冒頭、アイク&ティナ
4) マーヴィン・ゲイ『ライヴ・アット・モントルー1980』(DVD)、「黒い夜」
5) サム・クック・ドキュメンタリー『ザ・レジェンド』(アメリカ盤DVD)、冒頭部分
6) 映画『永遠のモータウン』(DVD)、「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」
7) ナット・キング・コール・ドキュメンタリー『ザ・ワールド・オブ・ナット・キング・コール』(DVD)、冒頭
8) レイ・チャールズ・ドキュメンタリー『ジーニアス・オブ・レイ・チャールズ』(DVD)、チャプター2
9) 映画『RAY』(アメリカ盤DVD)、ディレートシーン。「エニータイム」
10) スティーヴィー・ワンダー、『オプラ・ウィンフリー・ショウ』、「ハウ・ウィル・アイ・ノウ」
〜7時40分
思った以上に素材を持ってきたせいか、あんまりおしゃべりしなかったかなあ、という感じがありました。当初は、ブラック・ムーヴィーを語るということだったんですが、最近のDVD全般にネタを広げてしまいました。
そんな中でも、映画『RAY』のアメリカ盤DVDからの、映画本編でボツになった部分などはよかったのではないでしょうか。これはおそらく秋口までには日本でも発売されると思います。
そして、本日記では何度もふれている『オプラ・ウィンフリー・ショウ』でのスティーヴィーが歌う「ハウ・ウィル・アイ・ノウ」は、この銀座ソウル塾というプライヴェートなパーティーでのみかけられた、という感じです。
ところで、この会でも紹介した多数のブラックムーヴィーが紹介されている『ソウル・オブ・ブラック・ムービー、グレイテスト・ヒッツ2003』(白夜書房から発売)ですが、なんとすでに出版社在庫切れで、入荷できないそうです。
次回またやらせていただく場合は、2ヶ月くらい前から告知をしっかりしたいと思います。今回は急に決まったもので、なかなか充分広くお知らせできませんでしたので。
何か、こういうのを紹介して欲しいとか、こういうトークをして欲しいなどのリクエストがありましたら、BBSのほうにでもお寄せください。
(2005年4月8日金曜、山野楽器7階ジャムスポット=ソウル銀座塾 第二回)
ENT>MUSIC>EVENT>Ginza Soul School, Vol.2
「ソウル銀座塾」ご来場の皆様、ありがとうございました。そして、おつかれさまでした。6時半から1時間ちょっとでしたが、さまざまなDVD映像をご紹介しました。昨日ご紹介した素材は次の通りです。
トークショウ前
5時45分〜
1) 映画『スーパーフライ』(一部)
2) 映画『ソウル・トゥ・ソウル』(一部)
6時半〜(トークと映像)
3) 映画『ソウル・トゥ・ソウル』(DVD)、冒頭、アイク&ティナ
4) マーヴィン・ゲイ『ライヴ・アット・モントルー1980』(DVD)、「黒い夜」
5) サム・クック・ドキュメンタリー『ザ・レジェンド』(アメリカ盤DVD)、冒頭部分
6) 映画『永遠のモータウン』(DVD)、「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」
7) ナット・キング・コール・ドキュメンタリー『ザ・ワールド・オブ・ナット・キング・コール』(DVD)、冒頭
8) レイ・チャールズ・ドキュメンタリー『ジーニアス・オブ・レイ・チャールズ』(DVD)、チャプター2
9) 映画『RAY』(アメリカ盤DVD)、ディレートシーン。「エニータイム」
10) スティーヴィー・ワンダー、『オプラ・ウィンフリー・ショウ』、「ハウ・ウィル・アイ・ノウ」
〜7時40分
思った以上に素材を持ってきたせいか、あんまりおしゃべりしなかったかなあ、という感じがありました。当初は、ブラック・ムーヴィーを語るということだったんですが、最近のDVD全般にネタを広げてしまいました。
そんな中でも、映画『RAY』のアメリカ盤DVDからの、映画本編でボツになった部分などはよかったのではないでしょうか。これはおそらく秋口までには日本でも発売されると思います。
そして、本日記では何度もふれている『オプラ・ウィンフリー・ショウ』でのスティーヴィーが歌う「ハウ・ウィル・アイ・ノウ」は、この銀座ソウル塾というプライヴェートなパーティーでのみかけられた、という感じです。
ところで、この会でも紹介した多数のブラックムーヴィーが紹介されている『ソウル・オブ・ブラック・ムービー、グレイテスト・ヒッツ2003』(白夜書房から発売)ですが、なんとすでに出版社在庫切れで、入荷できないそうです。
次回またやらせていただく場合は、2ヶ月くらい前から告知をしっかりしたいと思います。今回は急に決まったもので、なかなか充分広くお知らせできませんでしたので。
何か、こういうのを紹介して欲しいとか、こういうトークをして欲しいなどのリクエストがありましたら、BBSのほうにでもお寄せください。
(2005年4月8日金曜、山野楽器7階ジャムスポット=ソウル銀座塾 第二回)
ENT>MUSIC>EVENT>Ginza Soul School, Vol.2
スパーブ。
アル・グリーンの新作『エヴリシングス・OK』がなかなか素晴らしい。ブルーノートからの第2弾で約2年ぶり。これがまたいつもながらにいい出来。歌声も、張りがあって、感心する。ミディアム、アップ、スローとどれをとってもいい、すべてが素晴らしいってことで、タイトルは「エヴリシングス・OK」。
アルバムタイトル曲もいいし、3曲目の「ビルド・ミー・アップ」なんかも明るい曲調でのりも最高。アル・グリーンの「シャララ」あたりを思わせる。かと思えば、4曲目の「パーフェクト・トゥ・ミー」は、かつての傑作「ゴッド・ブレス・アワ・チャイルド」を彷彿とさせる。
以前にアル・グリーンのプロデューサー、ウィリー・ミッチェルの作品にはカットアウトで終る曲はない、みなフェイドアウトだ、ということを書いたが、なんと本作2曲目のバラード「ユー・アー・ソー・ビューティフル」は、じゃ〜〜んとカットアウトで終るではないか。これは前代未聞か? (笑) 確かにかなり珍しいカットアウトだ。これは、もちろんジョー・コッカーなどでも知られるスタンダード曲。
ウィリー・ミッチェルが作る曲は、みなイントロがかっこいい。15〜20秒程度で、すぐに歌が入る。DJにとっては完璧な長さだ。これ以上長くても、短くてもなかなかうまくいかない。ラジオ・フレンドリーな作品群だ。
CDのクレジットを見ているとレコーディングはウイリー・ミッチェルのロイヤル・スタジオで行われたと書いてある。そして、驚いたことにその住所が1320ウィリー・ミッチェル・ブルヴァードになっている。その通りは{
「ウィリー・ミッチェル通り」になってるんだあ〜。すごい! 通りの次は牧場ね。ウィリー・ミッチェル牧場で、OK牧場、まちがいない。
そうそう、アル・グリーンのこの新作は、OKどころじゃない。OK以上のスパーブ(素晴らしい)、上々だ。
2003/09/24 (Wed)
Al Green Recorded New Album At Old Royal Studio With Old Microphone
アル・グリーン新作をかつてのマイクで録音〜
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200309/diary20030924.html
2004/02/28 (Sun)
There’s A Dream After Fade-out: Willie Mitchell Revealed His Secrets Of Hi Sound
フェイドアウトの先には夢がある〜
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200402/diary20040228.html
+++++
アル・グリーンの新作『エヴリシングス・OK』がなかなか素晴らしい。ブルーノートからの第2弾で約2年ぶり。これがまたいつもながらにいい出来。歌声も、張りがあって、感心する。ミディアム、アップ、スローとどれをとってもいい、すべてが素晴らしいってことで、タイトルは「エヴリシングス・OK」。
アルバムタイトル曲もいいし、3曲目の「ビルド・ミー・アップ」なんかも明るい曲調でのりも最高。アル・グリーンの「シャララ」あたりを思わせる。かと思えば、4曲目の「パーフェクト・トゥ・ミー」は、かつての傑作「ゴッド・ブレス・アワ・チャイルド」を彷彿とさせる。
以前にアル・グリーンのプロデューサー、ウィリー・ミッチェルの作品にはカットアウトで終る曲はない、みなフェイドアウトだ、ということを書いたが、なんと本作2曲目のバラード「ユー・アー・ソー・ビューティフル」は、じゃ〜〜んとカットアウトで終るではないか。これは前代未聞か? (笑) 確かにかなり珍しいカットアウトだ。これは、もちろんジョー・コッカーなどでも知られるスタンダード曲。
ウィリー・ミッチェルが作る曲は、みなイントロがかっこいい。15〜20秒程度で、すぐに歌が入る。DJにとっては完璧な長さだ。これ以上長くても、短くてもなかなかうまくいかない。ラジオ・フレンドリーな作品群だ。
CDのクレジットを見ているとレコーディングはウイリー・ミッチェルのロイヤル・スタジオで行われたと書いてある。そして、驚いたことにその住所が1320ウィリー・ミッチェル・ブルヴァードになっている。その通りは{
「ウィリー・ミッチェル通り」になってるんだあ〜。すごい! 通りの次は牧場ね。ウィリー・ミッチェル牧場で、OK牧場、まちがいない。
そうそう、アル・グリーンのこの新作は、OKどころじゃない。OK以上のスパーブ(素晴らしい)、上々だ。
2003/09/24 (Wed)
Al Green Recorded New Album At Old Royal Studio With Old Microphone
アル・グリーン新作をかつてのマイクで録音〜
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200309/diary20030924.html
2004/02/28 (Sun)
There’s A Dream After Fade-out: Willie Mitchell Revealed His Secrets Of Hi Sound
フェイドアウトの先には夢がある〜
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200402/diary20040228.html
+++++
Crystal Kay: CK Style
2005年4月7日着実。
CKといえば? う〜む、シャカ・カーン、あるいはファッション系だったらカルヴァン・クライン? ノー、今CKと言えば、クリスタル・ケイだ。
「ソウル・ブレンズ」でかつてはコーナーを持っていて、今も新譜が出ると番組に遊びにきてくれるクリスタル・ケイの全国ゼップツアー。その最終日を「ソウル・ブレンズ」スタッフ総出で観覧に行く。
それにしても、ゼップ超満員。一階は身動き出来ないほどで立錐の余地もないとはこのことか。前の方で場所を取ったら、途中でトイレにもいけないのではないか。圧倒的に女性のファンが多い。同性からの支持が熱いことがよくわかる。
暗転するなり、大歓声。人気爆発クリスタルという感じだ。そして、音楽的には、Jポップぶり大全開。覚え易く、ダンサブルで。もともとロック色のリズムが強いバンドだが、今日もロック風の曲が何曲かあった。ヴィジュアル・イメージはダンサーをつけて踊ったりとジャネット・ジャクソンなのだが、音はロック系リズムという。僕は個人的にはブラックのリズムで聴きたいが・・・。
ドラムス、ギター、ベース、DJ、キーボード、コーラス2名、舞台袖にマニュピレーター、さらにダンサー4人という布陣。途中クリスタルがシーラEよろしくパーカッションドラムを叩くシーンがあってなかなか見栄えがした。「片想い」「ボーイフレンド・パート2」のようなポップでダンサブルな曲は彼女の独壇場だ。かつて、赤坂のブリッツで見た時よりもはるかにクリスタルはスケールが大きくなっているように感じた。着実に実力と人気を獲得している様子だ。
次はもう一回り大きな会場になるかな。
"Crystal Kay Tour 2005 CK Style"
Setlist
2005/4/6 @ Zepp Tokyo
show started 19:42
01. Make You Mine
02. We Gonna Boogie
03. What Time Is It
--MC--
04. I’m Not Alone
05. Bye My Darling!
06. Love It, Take It
07. As It Began
--MC--
08. Flowers
09. Lead Me To The End
10. Can’t Be Stopped
11. Candy
12. 片想い
13. Do You Like It
14. Bet You Don’t Know
15. Boyfriend -Part 2-
Enc 1. Motherland
Enc.2. Hard To Say
--MC--
Enc.3. Baby Cop featuring Mummy-D
Enc.4. Kiss
show ended 21:38
(2005年4月6日水曜、ゼップ東京=クリスタル・ケイ・ライヴ)
CKといえば? う〜む、シャカ・カーン、あるいはファッション系だったらカルヴァン・クライン? ノー、今CKと言えば、クリスタル・ケイだ。
「ソウル・ブレンズ」でかつてはコーナーを持っていて、今も新譜が出ると番組に遊びにきてくれるクリスタル・ケイの全国ゼップツアー。その最終日を「ソウル・ブレンズ」スタッフ総出で観覧に行く。
それにしても、ゼップ超満員。一階は身動き出来ないほどで立錐の余地もないとはこのことか。前の方で場所を取ったら、途中でトイレにもいけないのではないか。圧倒的に女性のファンが多い。同性からの支持が熱いことがよくわかる。
暗転するなり、大歓声。人気爆発クリスタルという感じだ。そして、音楽的には、Jポップぶり大全開。覚え易く、ダンサブルで。もともとロック色のリズムが強いバンドだが、今日もロック風の曲が何曲かあった。ヴィジュアル・イメージはダンサーをつけて踊ったりとジャネット・ジャクソンなのだが、音はロック系リズムという。僕は個人的にはブラックのリズムで聴きたいが・・・。
ドラムス、ギター、ベース、DJ、キーボード、コーラス2名、舞台袖にマニュピレーター、さらにダンサー4人という布陣。途中クリスタルがシーラEよろしくパーカッションドラムを叩くシーンがあってなかなか見栄えがした。「片想い」「ボーイフレンド・パート2」のようなポップでダンサブルな曲は彼女の独壇場だ。かつて、赤坂のブリッツで見た時よりもはるかにクリスタルはスケールが大きくなっているように感じた。着実に実力と人気を獲得している様子だ。
次はもう一回り大きな会場になるかな。
"Crystal Kay Tour 2005 CK Style"
Setlist
2005/4/6 @ Zepp Tokyo
show started 19:42
01. Make You Mine
02. We Gonna Boogie
03. What Time Is It
--MC--
04. I’m Not Alone
05. Bye My Darling!
06. Love It, Take It
07. As It Began
--MC--
08. Flowers
09. Lead Me To The End
10. Can’t Be Stopped
11. Candy
12. 片想い
13. Do You Like It
14. Bet You Don’t Know
15. Boyfriend -Part 2-
Enc 1. Motherland
Enc.2. Hard To Say
--MC--
Enc.3. Baby Cop featuring Mummy-D
Enc.4. Kiss
show ended 21:38
(2005年4月6日水曜、ゼップ東京=クリスタル・ケイ・ライヴ)
発掘作業。
1970年6月27日、カナダのトロントを出発した列車が当時人気のミュージシャンたちを乗せてカルガリーに向かった。7月4日まで、東から西へ迎う途中で下車しライヴを見せ、また、列車の中でも大パーティーを続けた。その奇跡の8日間の軌跡を撮影した70時間以上のフィルムを編集した音楽・ロードムーヴィーだ。元々主催者と映画撮影者などの意見が対立し、映画化が頓挫していたが、95年にこのフィルムの一部(約46時間分)が発見され、約8年の歳月を経て、著作権などさまざまな権利がクリアされ、遂に完成をみた。これが映画『フェスティバル・エキスプレス』である。
登場するアーティストは、ジャニス・ジョプリン、ザ・バンド、グレイトフル・デッド、バディー・ガイ、シャナナといった当時の「ヒッピー」「ロックンロール」カルチャーを代表するようなアーティストばかり。
そして、ドラッグ、アルコール、セックス、ロックンロールのロードが繰り広げられる。こんな楽しいめちゃくちゃなパーティーがあったのが、70年代という時代なのだろう。そこにルールなど何もない。
個人的には、ジャニス・ジョプリンに尽きる。「クライ・ベイビー」と「テル・ママ」のパフォーマンスは言葉に表現できない。特に「テル・ママ」は、R&Bシンガー、エタ・ジェームスの作品。エタにあこがれたジャニスがついにエタのソウルに追いつき、見事につかんだ瞬間だ。フルでジャニスの渾身のライヴ・パフォーマンスが2曲も見られるというだけでこの映画は僕にとっては価値があった。
もちろん、ロックファンはグレイトフル・デッド、ザ・バンドにも涙するだろう。バンドの「ザ・ウエイト」「アイ・シャル・ビー・リリースド」なども素晴らしかった。ひたすら、ライヴが見られるライヴ映画だ。そして、その合間に列車の中でのバカ騒ぎの模様が映し出される。まさに列車の上の魂のぶつかり合いだ。
しかし、こんなフィルムがよく残っていたものだ。映像もきれいだし。歴史とは、絶え間ない発掘作業によって語り継がれていくものだなあ、ということを痛感した。
元気いっぱいのジャニスはこのわずか3ヵ月後の1970年10月4日、ハリウッドでドラッグのオーヴァードーズ(過剰摂取)で他界する。享年、27。人間の命は儚い。
+++++
エタ・ジェームスとジャニス・ジョプリンについての記事。
↓
『車窓を奏でるメロディー』(13)
『ひとつの思い出のためにすべての未来を売り払うシンガー』
http://www.soulsearchin.com/periodical
/l&g/l&g13.html
ジャニス・ジョプリン
アルバム『エッセンシャル』(ソニーMHCP 1-2)
エッセンシャル・ジャニス・ジョプリン
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00008DYZI/soulsearchiho-22
+++++
映画が終ってプログラムを入手したが、なぜかセットリストが書かれていない。ちなみに、この映画、現時点ではサウンドトラックのアルバムがない。またアメリカではこの映画のDVDが発売されている。日本でもいずれ発売されるだろう。これだけの音楽映画を見たら、まずセットリストを確認したいところ。人によってはアーティストのCDで反芻(はんすう)するだろう。プログラムにはセットリストは入れて欲しかった。というわけで、アメリカのサイトで探しました。コピペができないので、もう一度打ち直した。ふ〜〜。
一方、DVD、アメリカ・アマゾンでもう18ドル。一応リージョンコードは1。さすがに日本語字幕はないが。ここには下記のエキストラ・ライヴ・パフォーマンスが収録されている。
Grateful Dead "Hard to Handle"
Grateful Dead "Easy Wind"
Janis Joplin "Move Over"
Janis Joplin "Kozmic Blues"
Buddy Guy "Hoochie Coochie Man"
Mashmakhan "As Years Go By"
Eric Anderson "Thirsty Boots"
Ian & Sylvia "Tears of Rage"
Tom Rush "Child’s Song"
Seatrain "Thirteen Questions"
マッシュマッカーンのこの曲は「霧の中の二人」という邦題で日本でもヒットした。
+++++
"Festival Express"
Setlist
01. Casey Jones / Grateful Dead
02. Don’t Ease Me In / Grateful Dead
03. Friend Of The Devil / Grateful Dead
04. Slippin’ And Slidin’ / The Band
05. Goin’ Down The Road / Delaney & Bonnie & Friends
06. "Traditional Country Song" / Buddy Cage/Various
07. Baby Here I Come / Buddy Guy-Danko etc.
08. Better Take Jesus’ Hand / Garcia & Sylvia
09. Comin’ Home Baby / Mashmakan
10. Money / Buddy Guy
11. Lazy Day / Flying Burrito Brothers
12. The Weight / The Band
13. Cry Baby / Janis Joplin
14. I Can’t Do It Baby / Buddy Guy & Garica
15. Ain’t No More Cane / Rick Danko & Janis Joplin, etc.
16. Soul Jam / Buddy Guy & Danko, etc.
17. Sunshine Of Your Love / Various
18. Rock & Roll Is Here To Stay / Sha Na Na
19. CC Rider / Ian & Sylvia
20. New Speedway Boogie / Grateful Dead
21. I Shall Be Released / The Band
22. Tell Mama / Janis Joplin
23. Me & Bobby McGhee / Janis Joplin
24. Better Take Jesus’ Hand / New Riders Of The Purple Sage
+++++
映画『フェスティバル・エキスプレス』
渋谷・シネセゾン渋谷で連日午後9時20分からレイトショウで公開中。
03−3770−1721 (渋谷道玄坂・ザ・プライム6階)
公式ウェッブ
http://www.festivalexpress.jp
+++++
1970年6月27日、カナダのトロントを出発した列車が当時人気のミュージシャンたちを乗せてカルガリーに向かった。7月4日まで、東から西へ迎う途中で下車しライヴを見せ、また、列車の中でも大パーティーを続けた。その奇跡の8日間の軌跡を撮影した70時間以上のフィルムを編集した音楽・ロードムーヴィーだ。元々主催者と映画撮影者などの意見が対立し、映画化が頓挫していたが、95年にこのフィルムの一部(約46時間分)が発見され、約8年の歳月を経て、著作権などさまざまな権利がクリアされ、遂に完成をみた。これが映画『フェスティバル・エキスプレス』である。
登場するアーティストは、ジャニス・ジョプリン、ザ・バンド、グレイトフル・デッド、バディー・ガイ、シャナナといった当時の「ヒッピー」「ロックンロール」カルチャーを代表するようなアーティストばかり。
そして、ドラッグ、アルコール、セックス、ロックンロールのロードが繰り広げられる。こんな楽しいめちゃくちゃなパーティーがあったのが、70年代という時代なのだろう。そこにルールなど何もない。
個人的には、ジャニス・ジョプリンに尽きる。「クライ・ベイビー」と「テル・ママ」のパフォーマンスは言葉に表現できない。特に「テル・ママ」は、R&Bシンガー、エタ・ジェームスの作品。エタにあこがれたジャニスがついにエタのソウルに追いつき、見事につかんだ瞬間だ。フルでジャニスの渾身のライヴ・パフォーマンスが2曲も見られるというだけでこの映画は僕にとっては価値があった。
もちろん、ロックファンはグレイトフル・デッド、ザ・バンドにも涙するだろう。バンドの「ザ・ウエイト」「アイ・シャル・ビー・リリースド」なども素晴らしかった。ひたすら、ライヴが見られるライヴ映画だ。そして、その合間に列車の中でのバカ騒ぎの模様が映し出される。まさに列車の上の魂のぶつかり合いだ。
しかし、こんなフィルムがよく残っていたものだ。映像もきれいだし。歴史とは、絶え間ない発掘作業によって語り継がれていくものだなあ、ということを痛感した。
元気いっぱいのジャニスはこのわずか3ヵ月後の1970年10月4日、ハリウッドでドラッグのオーヴァードーズ(過剰摂取)で他界する。享年、27。人間の命は儚い。
+++++
エタ・ジェームスとジャニス・ジョプリンについての記事。
↓
『車窓を奏でるメロディー』(13)
『ひとつの思い出のためにすべての未来を売り払うシンガー』
http://www.soulsearchin.com/periodical
/l&g/l&g13.html
ジャニス・ジョプリン
アルバム『エッセンシャル』(ソニーMHCP 1-2)
エッセンシャル・ジャニス・ジョプリン
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00008DYZI/soulsearchiho-22
+++++
映画が終ってプログラムを入手したが、なぜかセットリストが書かれていない。ちなみに、この映画、現時点ではサウンドトラックのアルバムがない。またアメリカではこの映画のDVDが発売されている。日本でもいずれ発売されるだろう。これだけの音楽映画を見たら、まずセットリストを確認したいところ。人によってはアーティストのCDで反芻(はんすう)するだろう。プログラムにはセットリストは入れて欲しかった。というわけで、アメリカのサイトで探しました。コピペができないので、もう一度打ち直した。ふ〜〜。
一方、DVD、アメリカ・アマゾンでもう18ドル。一応リージョンコードは1。さすがに日本語字幕はないが。ここには下記のエキストラ・ライヴ・パフォーマンスが収録されている。
Grateful Dead "Hard to Handle"
Grateful Dead "Easy Wind"
Janis Joplin "Move Over"
Janis Joplin "Kozmic Blues"
Buddy Guy "Hoochie Coochie Man"
Mashmakhan "As Years Go By"
Eric Anderson "Thirsty Boots"
Ian & Sylvia "Tears of Rage"
Tom Rush "Child’s Song"
Seatrain "Thirteen Questions"
マッシュマッカーンのこの曲は「霧の中の二人」という邦題で日本でもヒットした。
+++++
"Festival Express"
Setlist
01. Casey Jones / Grateful Dead
02. Don’t Ease Me In / Grateful Dead
03. Friend Of The Devil / Grateful Dead
04. Slippin’ And Slidin’ / The Band
05. Goin’ Down The Road / Delaney & Bonnie & Friends
06. "Traditional Country Song" / Buddy Cage/Various
07. Baby Here I Come / Buddy Guy-Danko etc.
08. Better Take Jesus’ Hand / Garcia & Sylvia
09. Comin’ Home Baby / Mashmakan
10. Money / Buddy Guy
11. Lazy Day / Flying Burrito Brothers
12. The Weight / The Band
13. Cry Baby / Janis Joplin
14. I Can’t Do It Baby / Buddy Guy & Garica
15. Ain’t No More Cane / Rick Danko & Janis Joplin, etc.
16. Soul Jam / Buddy Guy & Danko, etc.
17. Sunshine Of Your Love / Various
18. Rock & Roll Is Here To Stay / Sha Na Na
19. CC Rider / Ian & Sylvia
20. New Speedway Boogie / Grateful Dead
21. I Shall Be Released / The Band
22. Tell Mama / Janis Joplin
23. Me & Bobby McGhee / Janis Joplin
24. Better Take Jesus’ Hand / New Riders Of The Purple Sage
+++++
映画『フェスティバル・エキスプレス』
渋谷・シネセゾン渋谷で連日午後9時20分からレイトショウで公開中。
03−3770−1721 (渋谷道玄坂・ザ・プライム6階)
公式ウェッブ
http://www.festivalexpress.jp
+++++
R&B Singer Jimmy Lewis Died On 911.
2005年4月5日訃報。
先日(3月31日・木曜)、尾臺さんのラジオ番組『ソウル・ミュージック』を聴いていたらジミー・ルイスが昨年9月に亡くなっていたというリスナーのお便りが紹介されていた。これは知らなかった。この日記でも記事を書いていない。ジミー・ルイスは訃報記事を書いておかないとと思い、さっそく調べてみたら、昨年の9月11日に亡くなっていた。
+++++
R&Bシンガー、ジミー・ルイス66歳で死去
R&Bシンガーで、ソングライターでもあるジミー・ルイスが2004年9月11日にロスアンジェルスで癌のために亡くなっていたことがわかった。66歳。ジミー・ルイスは1937年11月19日、ミズーリ州イッタ・ベナ生まれ。1950年代からR&Bのミュージシャン、シンガー、ソングライターとして活躍。レイ・チャールズ、ボビー・ウーマック、テッド・テイラー、Z.Z.ヒル(ズィー・ズィー・ヒル)らに作品を提供したり、ともに歌ったりしてきた。
また、レイ・チャールズ、ラティモア、ペギー・スコット・アダムスなどもプロデュース。さらに自身もシンガーとしてアルバムを出している。特にレイ・チャールズとは「イフ・イット・ワズント・フォー・バッド・ラック」をデュエット。さらに69年のチャールズのアルバム『ドゥイング・ヒズ・シング』を全面的にプロデュースもした。チャールズが持つタンジェリン・レコードでも仕事をしていた。
その後、南部のソウル・レーベル、マラコ・レコード所属のZ.Z.ヒルなどをてがけたり、同レーベルのラティモアをプロデュースしていた。ジミー・ルイスとしては1974年のアルバム『トータリー・インヴォルヴド』がひじょうに内容の濃い作品で、サザン・ソウルのジャンルの中でも名盤とされる。ところがおもしろいことに、ルイスはしばしばサザン・ソウルのシンガーあるいはソングライターとして語られるが、彼はずっとロスアンジェルスに住んでいた。
+++++
Jimmy Lewis (James E. Lewis) - Died 9-11-2004 in Los Angeles, CA, U.S. - Cancer ( Soul ) Born 11-19-1937 in Itta Bena, MS, U.S. - Singer and songwriter - Worked with Ray Charles ("If It Wasn’t For Bad Luck") - He wrote songs for Bobby Womack, Ted Taylor, and Z.Z. Hill - He produced Latimore and Peggy Scot-Adams ("Bill") - Owned Miss Butch Records.
ENT>OBITUARY>Lewis, Jimmy/2004.Sep.11
先日(3月31日・木曜)、尾臺さんのラジオ番組『ソウル・ミュージック』を聴いていたらジミー・ルイスが昨年9月に亡くなっていたというリスナーのお便りが紹介されていた。これは知らなかった。この日記でも記事を書いていない。ジミー・ルイスは訃報記事を書いておかないとと思い、さっそく調べてみたら、昨年の9月11日に亡くなっていた。
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R&Bシンガー、ジミー・ルイス66歳で死去
R&Bシンガーで、ソングライターでもあるジミー・ルイスが2004年9月11日にロスアンジェルスで癌のために亡くなっていたことがわかった。66歳。ジミー・ルイスは1937年11月19日、ミズーリ州イッタ・ベナ生まれ。1950年代からR&Bのミュージシャン、シンガー、ソングライターとして活躍。レイ・チャールズ、ボビー・ウーマック、テッド・テイラー、Z.Z.ヒル(ズィー・ズィー・ヒル)らに作品を提供したり、ともに歌ったりしてきた。
また、レイ・チャールズ、ラティモア、ペギー・スコット・アダムスなどもプロデュース。さらに自身もシンガーとしてアルバムを出している。特にレイ・チャールズとは「イフ・イット・ワズント・フォー・バッド・ラック」をデュエット。さらに69年のチャールズのアルバム『ドゥイング・ヒズ・シング』を全面的にプロデュースもした。チャールズが持つタンジェリン・レコードでも仕事をしていた。
その後、南部のソウル・レーベル、マラコ・レコード所属のZ.Z.ヒルなどをてがけたり、同レーベルのラティモアをプロデュースしていた。ジミー・ルイスとしては1974年のアルバム『トータリー・インヴォルヴド』がひじょうに内容の濃い作品で、サザン・ソウルのジャンルの中でも名盤とされる。ところがおもしろいことに、ルイスはしばしばサザン・ソウルのシンガーあるいはソングライターとして語られるが、彼はずっとロスアンジェルスに住んでいた。
+++++
Jimmy Lewis (James E. Lewis) - Died 9-11-2004 in Los Angeles, CA, U.S. - Cancer ( Soul ) Born 11-19-1937 in Itta Bena, MS, U.S. - Singer and songwriter - Worked with Ray Charles ("If It Wasn’t For Bad Luck") - He wrote songs for Bobby Womack, Ted Taylor, and Z.Z. Hill - He produced Latimore and Peggy Scot-Adams ("Bill") - Owned Miss Butch Records.
ENT>OBITUARY>Lewis, Jimmy/2004.Sep.11
"Soul Blends" Into Season Five
2005年4月4日心機一転。
昨日から『ソウル・ブレンズ』(インターFM、76.1)の放送時間が午後2時から5時までに変更になりました。これに伴って、「ソウル・サーチン」のコーナーは2時から3時へ。「山野ミュージック・ジャム」は4時半で変わらずです。また今週から、シーズン5、5年目に入ります。
当初「ソウル・サーチン」のコーナーは2時50分頃から3時10分くらいという感じだったのですが、なんと3時ちょうどにニュースが入ることになり、結局3時3分くらいからのスタートに落ち着きました。まあ、これからはしばらく「3時3分の男」でしょうか。
時間が短くなったこと、いろいろなコーナーができたことによって、音楽がかかるところが少なくなる傾向にあるので、「スロー・ジャミン」を約30分に大々的に拡大して、このあたりは音楽ノンストップになりました。
しかし、今日は「ソウル・サーチン」のイントロで雲ひとつないというあたりをつっかえるし、「ミュージック・ジャム」では、「勝手にキャッチフレーズ」を考えるの忘れてたし、自分的にはかなりダメダメですねえ。(笑)
「ソウル・ブレンズ」の放送時間ってけっこう変わってるんですよ。今回、いろいろ調べてみました。
2001年4月1日から2002年9月まで 午後1時から3時
2002年10月から2003年3月まで 午後1時から4時
2003年4月から2003年9月まで 午後4時から6時
2003年10月から2005年3月まで 午後1時から5時
2005年4月から 午後2時から5時
「山野ミュージック・ジャム」は2002年4月7日からスタート。こちらは4年目に入ります。最初は1時半からでした。2003年4月から4時半になりました。「ソウル・サーチン」は、2003年10月からスタート、昨日が第73回でした。「ソウル・ブレンズ」自体は、昨日が第205回でした。いろいろな特番とかで計5回おやすみになっているんですね。
改めて、心機一転がんばりますので、尚一層の応援をよろしくお願いいたします。(笑)
+++++
ちなみに、昨日のエリカ・バドゥーの不完全なセットリストをいろいろ調べてほとんどコンプリートになりました。たぶん、あと1-2曲でしょう。「グリーン・アイズ」は、一曲が3部作のようになっている曲でした。
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昨日から『ソウル・ブレンズ』(インターFM、76.1)の放送時間が午後2時から5時までに変更になりました。これに伴って、「ソウル・サーチン」のコーナーは2時から3時へ。「山野ミュージック・ジャム」は4時半で変わらずです。また今週から、シーズン5、5年目に入ります。
当初「ソウル・サーチン」のコーナーは2時50分頃から3時10分くらいという感じだったのですが、なんと3時ちょうどにニュースが入ることになり、結局3時3分くらいからのスタートに落ち着きました。まあ、これからはしばらく「3時3分の男」でしょうか。
時間が短くなったこと、いろいろなコーナーができたことによって、音楽がかかるところが少なくなる傾向にあるので、「スロー・ジャミン」を約30分に大々的に拡大して、このあたりは音楽ノンストップになりました。
しかし、今日は「ソウル・サーチン」のイントロで雲ひとつないというあたりをつっかえるし、「ミュージック・ジャム」では、「勝手にキャッチフレーズ」を考えるの忘れてたし、自分的にはかなりダメダメですねえ。(笑)
「ソウル・ブレンズ」の放送時間ってけっこう変わってるんですよ。今回、いろいろ調べてみました。
2001年4月1日から2002年9月まで 午後1時から3時
2002年10月から2003年3月まで 午後1時から4時
2003年4月から2003年9月まで 午後4時から6時
2003年10月から2005年3月まで 午後1時から5時
2005年4月から 午後2時から5時
「山野ミュージック・ジャム」は2002年4月7日からスタート。こちらは4年目に入ります。最初は1時半からでした。2003年4月から4時半になりました。「ソウル・サーチン」は、2003年10月からスタート、昨日が第73回でした。「ソウル・ブレンズ」自体は、昨日が第205回でした。いろいろな特番とかで計5回おやすみになっているんですね。
改めて、心機一転がんばりますので、尚一層の応援をよろしくお願いいたします。(笑)
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ちなみに、昨日のエリカ・バドゥーの不完全なセットリストをいろいろ調べてほとんどコンプリートになりました。たぶん、あと1-2曲でしょう。「グリーン・アイズ」は、一曲が3部作のようになっている曲でした。
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Erykah Badu: Purple Queen
2005年4月3日パープル。
7時開演予定が何か前座があり、さらにエリカがこのほど設立した新レーベル、コントロール・フリーク所属のラップ・グループ、ジェイ・エレクトロニカが登場。これが7時50分、しばしラップをして、その流れで8時6分、エリカが登場した。ポジティヴ(プロモーター)がかかわっているライヴショウはいつも前座が多くて、本アーティストの登場が異様に遅い。前座があることをチケットやフライアーにはっきり明記してもらいたい。本アーティストの登場が何時頃になるのかも、ウェッブなどでもいいのでだしてもらいたい。結局この日も、7時スタートの9時終わりをメドに考えていたが、次があったので、9時20分過ぎには出ざるを得なかった。はっきり言って無駄な前座はいらない。
さて、約5年ぶり2度目のエリカのライヴだが、声の調子が悪かったようで高音を出そうにも、声がかすれてでない。実に苦しそうで、かわいそうだ。しかし、バンドは実にかっこいい。また二人いる女性のバックコーラスがこれが、うまい。エリカが声が出ない分をこの二人がカヴァーしたと言っても過言ではないだろう。最初は何気に聴いていたが、ずいぶんコーラスがうまいなあ、と思ったら、彼女たちがちょっとだけソロを取る部分があり、特に向かって左のシンガーは圧巻だった。エリカより声量もあるし、歌もうまかった。もっともエリカは歌のうまさを誇るということではなく、ひとりのアーティストとして素晴らしいから、とりたてて問題ではないのだが。
やはり、エリカはアーティストとしての存在がずば抜けている。ほとんど同じ曲調なのに、しっかりとそのステージを仕切っていて、緊張感を維持する。
バンドは、ドラムス、キーボード、ベース、DJ、コーラス2人、これにエリカ。シュアでタイトなバンドでかなりいい。CDでは打ち込み風の音をここでも、打ち込み風にしながら、生ドラムを叩いてリアル・ミュージック感を出す。
先週のアンジー・ストーンが一見ネオ・ソウル風だったが、実は本質的にはオールド・スクールだったのに比べると、このエリカ・バドゥーは名実ともに「ネオ・ソウル」「ニュー・スクール」と言える。知性もあり、アーティストとしての信念がしっかりして安易な妥協は許さない。彼女の言葉に、「自分のレコードは、モータウン(現在の所属レコード会社)に帰属するが、私自身はモータウンには帰属しない」というものがある。レコードを売らなければならないというそのビジネスの仕組みもわかり、それを理解しているが、芸術面では妥協しない、という。
このあたりのメンタリティーがひじょうにプリンスと近いと感じたら、プリンスとよく話をするという。ショウの途中まで赤いコートのようなものを羽織っていたが、途中でそれを脱ぎ捨てると、中にはパープル色のワンピースのようなものを着ていた。その堂々とした振る舞いはパープル・クイーンと名づけてもおかしくないほどだ。
9時25分過ぎ、ちょうど「アイ・ウォント・ユー」を自由自在にいじって歌っているところで僕は時間切れ。最後には「バッグ・レイディー」はやったんでしょうね。(笑) これで、声の調子がよかったら、もっともっと素晴らしかっただろう。そして、前座がなければ。(笑)
なお、エリカ・バドゥーは事前にセットリストを作らないという。その場ののりで曲を決めているのだろうか。聞くところによると「アイ・ウォント・ユー」が最後で、9時半すぎにはライヴは終ったとのことだ。
Setlist (Almost complete)
Erykah came on stage at 20:06
01. (rap song) (with Jay Electronica)
02. World Keeps Turnin
03. Green Eyes (Movement 1,2,3)
04. Didn’t Cha Know
05. On & On
06. ... & On
07. No Love
08. Otherside Of The Game
09. Apple Tree
10. Orange Moon
11. (Erykah jams on keyboard)
12. I Want You (as of 21:25, she was still playing)
("I Want You" was the last song on the show)
(no encore)
(2005年4月2日土曜、新木場スタジオ・コースト=エリカ・バドゥー・ライヴ)
7時開演予定が何か前座があり、さらにエリカがこのほど設立した新レーベル、コントロール・フリーク所属のラップ・グループ、ジェイ・エレクトロニカが登場。これが7時50分、しばしラップをして、その流れで8時6分、エリカが登場した。ポジティヴ(プロモーター)がかかわっているライヴショウはいつも前座が多くて、本アーティストの登場が異様に遅い。前座があることをチケットやフライアーにはっきり明記してもらいたい。本アーティストの登場が何時頃になるのかも、ウェッブなどでもいいのでだしてもらいたい。結局この日も、7時スタートの9時終わりをメドに考えていたが、次があったので、9時20分過ぎには出ざるを得なかった。はっきり言って無駄な前座はいらない。
さて、約5年ぶり2度目のエリカのライヴだが、声の調子が悪かったようで高音を出そうにも、声がかすれてでない。実に苦しそうで、かわいそうだ。しかし、バンドは実にかっこいい。また二人いる女性のバックコーラスがこれが、うまい。エリカが声が出ない分をこの二人がカヴァーしたと言っても過言ではないだろう。最初は何気に聴いていたが、ずいぶんコーラスがうまいなあ、と思ったら、彼女たちがちょっとだけソロを取る部分があり、特に向かって左のシンガーは圧巻だった。エリカより声量もあるし、歌もうまかった。もっともエリカは歌のうまさを誇るということではなく、ひとりのアーティストとして素晴らしいから、とりたてて問題ではないのだが。
やはり、エリカはアーティストとしての存在がずば抜けている。ほとんど同じ曲調なのに、しっかりとそのステージを仕切っていて、緊張感を維持する。
バンドは、ドラムス、キーボード、ベース、DJ、コーラス2人、これにエリカ。シュアでタイトなバンドでかなりいい。CDでは打ち込み風の音をここでも、打ち込み風にしながら、生ドラムを叩いてリアル・ミュージック感を出す。
先週のアンジー・ストーンが一見ネオ・ソウル風だったが、実は本質的にはオールド・スクールだったのに比べると、このエリカ・バドゥーは名実ともに「ネオ・ソウル」「ニュー・スクール」と言える。知性もあり、アーティストとしての信念がしっかりして安易な妥協は許さない。彼女の言葉に、「自分のレコードは、モータウン(現在の所属レコード会社)に帰属するが、私自身はモータウンには帰属しない」というものがある。レコードを売らなければならないというそのビジネスの仕組みもわかり、それを理解しているが、芸術面では妥協しない、という。
このあたりのメンタリティーがひじょうにプリンスと近いと感じたら、プリンスとよく話をするという。ショウの途中まで赤いコートのようなものを羽織っていたが、途中でそれを脱ぎ捨てると、中にはパープル色のワンピースのようなものを着ていた。その堂々とした振る舞いはパープル・クイーンと名づけてもおかしくないほどだ。
9時25分過ぎ、ちょうど「アイ・ウォント・ユー」を自由自在にいじって歌っているところで僕は時間切れ。最後には「バッグ・レイディー」はやったんでしょうね。(笑) これで、声の調子がよかったら、もっともっと素晴らしかっただろう。そして、前座がなければ。(笑)
なお、エリカ・バドゥーは事前にセットリストを作らないという。その場ののりで曲を決めているのだろうか。聞くところによると「アイ・ウォント・ユー」が最後で、9時半すぎにはライヴは終ったとのことだ。
Setlist (Almost complete)
Erykah came on stage at 20:06
01. (rap song) (with Jay Electronica)
02. World Keeps Turnin
03. Green Eyes (Movement 1,2,3)
04. Didn’t Cha Know
05. On & On
06. ... & On
07. No Love
08. Otherside Of The Game
09. Apple Tree
10. Orange Moon
11. (Erykah jams on keyboard)
12. I Want You (as of 21:25, she was still playing)
("I Want You" was the last song on the show)
(no encore)
(2005年4月2日土曜、新木場スタジオ・コースト=エリカ・バドゥー・ライヴ)
第二回。
すでにこの日記ではおなじみの木下航志くん。彼の昨年8月下北沢ライヴハウス以来のライヴ。前回はキャパも100人くらいの小さな会場だったが、今回はタウンホールという約260席のコンサートホール。着実に階段を昇っている。会場はほぼ満員。バンドも、ドラムス、ギター、ベース、キーボード、サックスにコーラス2人、これに木下くんという構成でかなり大掛かりなバンドになった。僕にとっては第二回の鑑賞だ。
7時ちょうどに暗転し、幕が上がるとすでにバンドメンバーと木下くんがスタンバイしていて、一曲目のインスト曲「ピック・アップ・ザ・ピーセス」を演奏し始めた。アヴェレージ・ホワイト・バンドのファンキーなのりのり曲だが、観客はじっと静かにバンドを見つめている。
2曲目はスティーヴィーの「イズント・シー・ラヴリー」。全体的にバンドの音が大きく、木下くんのヴォーカルがなかなか聴きづらかった。ソウル、日本の歌謡曲、トラディショナル、オリジナルなどさまざまなものが選曲されている。やはりしばらくはこの路線で、わが道を模索していくのだろう。
木下くんが中央に座り、キーボードを弾き、歌を歌っているので彼がバンドの中心なのだが、彼がバンド・マスター、音楽ディレクターだという印象はまだない。しかし、きっと10年後には、彼が堂々としたバンド・マスターになるのだろうな、と思った。
そこで、彼がバンド・マスターではないということで、コーラスに歌わせる「ヒートウェイヴ」やサックスに歌わせる「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」がどうしても浮く。例えば、彼がスティーヴィーやジェームス・ブラウンのように、完全にボスで若手に一曲歌わせてやろう、チャンスをやろう、という立ち位置であれば、これも様になるが、なんといっても彼はこの中で最年少。なかなかうまく整合性がとれない。
今回はバンドとのものが、歌声が聴きづらかったこともあり、やはり、ピアノ1本の弾き語りが聴きやすかった。また、妙な司会ぶりがあいかわらずおもしろい。この日着ていたスーツは、なんとしばらく前に彼がニューヨークに行ったときに買ってもらったものだという。「買ってもらった」という表現が彼らしくて、いい。あるいは、アンコール前の最後の曲のときに、はっきり「では次はアンコール前の最後の曲で・・・」と言って笑いをとった。
ニューヨークではゴスペルクワイアーと共演してきた。そして、6月に愛知万博でそのゴスペルクワイアーと1日、一緒にライヴをするという。本場のゴスペルクワイアーと一緒にやって彼はどんな刺激を受けてきたのだろうか。これは楽しみだ。
木下航志、1989年5月8日鹿児島生まれ。現在15歳。まもなく16歳になる。そう、1989年は平成元年である。言ってみれば、将来の平成生まれの初のスーパースターだ。
+++++
■木下航志・関連記事、前回のライヴ評
2004/08/14 (Sat)
Kishita Koshi Live: The Live Performance I Really Desired To See
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200408/diary20040814.html
2004/08/15 (Sun)
Talent Of Musicians VS Talent Of Listeners
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200408/diary20040815.html
2003/12/29 (Mon)
Stevie Gave Love & Courage To Everybody
木下航志くんとの出会い
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200312/diary20031229-1.html
2004/04/30 (Fri)
Kishita Koushi: 14-Year-Old Genius, I’d Call Him "Little Koushi"
ドキュメンタリーで知って
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040430.html
■Kishita Koshi Live At Shimokitazawa Town Hall
2005.4.1
( )はオリジナル・アーティスト
show started 19:02
01. Pick Up The Pieces (Average White Band)
02. Isn’t She Lovely (Stevie Wonder)
03. フェリス
04. Georgia On My Mind (Ray Charles)
05. マグノリア
06. 君の名前を呼んだあとに
07. Yesterday (Beatles)
--10 minutes break--
08. そして僕は途方に暮れる (木下航志ピアノソロ)(大沢誉志幸 )
09. 熱き心 (木下航志ピアノソロ)(小林旭)
10. 少年時代 (木下航志ピアノソロ)(井上陽水)
11. Amazing Grace (木下航志ピアノソロ) (Traditional)
12. Valdes In The Country (Donny Hathaway)
13. Heatwave (歌・セイ&しおり)(Martha & The Vandellas)
14. What A Wonderful World (歌・藤井康一)(Louis Armstrong)
15. Someday We’ll All Be Free (Donny Hathaway)
16. 響け僕の歌
17. 通り雨
18. チャレンジャー
アンコール
19. You’ve Got A Friend (James Taylor, Donny Hathaway)
20. 絆
21. 竹田の子守唄 (木下航志ピアノソロ)
show ended 20:57
■木下航志&ヒズ・フレンズ・メンバー
木下航志 (ヴォーカル、ピアノ、キーボード)
名村武 (ギター)
藤井康一 (サックス、ハーモニカ)
ドクター・キョン (キーボード)
後藤敏昭 (ドラムス)
大里和生 (ベース)
セイ&岩美志保里 (コーラス)
■木下航志・オフィシャル・ホームページ
http://www.kishitakohshi.com/
(2005年4月1日金曜、下北沢タウンホール=木下航志・ライヴ)
すでにこの日記ではおなじみの木下航志くん。彼の昨年8月下北沢ライヴハウス以来のライヴ。前回はキャパも100人くらいの小さな会場だったが、今回はタウンホールという約260席のコンサートホール。着実に階段を昇っている。会場はほぼ満員。バンドも、ドラムス、ギター、ベース、キーボード、サックスにコーラス2人、これに木下くんという構成でかなり大掛かりなバンドになった。僕にとっては第二回の鑑賞だ。
7時ちょうどに暗転し、幕が上がるとすでにバンドメンバーと木下くんがスタンバイしていて、一曲目のインスト曲「ピック・アップ・ザ・ピーセス」を演奏し始めた。アヴェレージ・ホワイト・バンドのファンキーなのりのり曲だが、観客はじっと静かにバンドを見つめている。
2曲目はスティーヴィーの「イズント・シー・ラヴリー」。全体的にバンドの音が大きく、木下くんのヴォーカルがなかなか聴きづらかった。ソウル、日本の歌謡曲、トラディショナル、オリジナルなどさまざまなものが選曲されている。やはりしばらくはこの路線で、わが道を模索していくのだろう。
木下くんが中央に座り、キーボードを弾き、歌を歌っているので彼がバンドの中心なのだが、彼がバンド・マスター、音楽ディレクターだという印象はまだない。しかし、きっと10年後には、彼が堂々としたバンド・マスターになるのだろうな、と思った。
そこで、彼がバンド・マスターではないということで、コーラスに歌わせる「ヒートウェイヴ」やサックスに歌わせる「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」がどうしても浮く。例えば、彼がスティーヴィーやジェームス・ブラウンのように、完全にボスで若手に一曲歌わせてやろう、チャンスをやろう、という立ち位置であれば、これも様になるが、なんといっても彼はこの中で最年少。なかなかうまく整合性がとれない。
今回はバンドとのものが、歌声が聴きづらかったこともあり、やはり、ピアノ1本の弾き語りが聴きやすかった。また、妙な司会ぶりがあいかわらずおもしろい。この日着ていたスーツは、なんとしばらく前に彼がニューヨークに行ったときに買ってもらったものだという。「買ってもらった」という表現が彼らしくて、いい。あるいは、アンコール前の最後の曲のときに、はっきり「では次はアンコール前の最後の曲で・・・」と言って笑いをとった。
ニューヨークではゴスペルクワイアーと共演してきた。そして、6月に愛知万博でそのゴスペルクワイアーと1日、一緒にライヴをするという。本場のゴスペルクワイアーと一緒にやって彼はどんな刺激を受けてきたのだろうか。これは楽しみだ。
木下航志、1989年5月8日鹿児島生まれ。現在15歳。まもなく16歳になる。そう、1989年は平成元年である。言ってみれば、将来の平成生まれの初のスーパースターだ。
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■木下航志・関連記事、前回のライヴ評
2004/08/14 (Sat)
Kishita Koshi Live: The Live Performance I Really Desired To See
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200408/diary20040814.html
2004/08/15 (Sun)
Talent Of Musicians VS Talent Of Listeners
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200408/diary20040815.html
2003/12/29 (Mon)
Stevie Gave Love & Courage To Everybody
木下航志くんとの出会い
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200312/diary20031229-1.html
2004/04/30 (Fri)
Kishita Koushi: 14-Year-Old Genius, I’d Call Him "Little Koushi"
ドキュメンタリーで知って
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040430.html
■Kishita Koshi Live At Shimokitazawa Town Hall
2005.4.1
( )はオリジナル・アーティスト
show started 19:02
01. Pick Up The Pieces (Average White Band)
02. Isn’t She Lovely (Stevie Wonder)
03. フェリス
04. Georgia On My Mind (Ray Charles)
05. マグノリア
06. 君の名前を呼んだあとに
07. Yesterday (Beatles)
--10 minutes break--
08. そして僕は途方に暮れる (木下航志ピアノソロ)(大沢誉志幸 )
09. 熱き心 (木下航志ピアノソロ)(小林旭)
10. 少年時代 (木下航志ピアノソロ)(井上陽水)
11. Amazing Grace (木下航志ピアノソロ) (Traditional)
12. Valdes In The Country (Donny Hathaway)
13. Heatwave (歌・セイ&しおり)(Martha & The Vandellas)
14. What A Wonderful World (歌・藤井康一)(Louis Armstrong)
15. Someday We’ll All Be Free (Donny Hathaway)
16. 響け僕の歌
17. 通り雨
18. チャレンジャー
アンコール
19. You’ve Got A Friend (James Taylor, Donny Hathaway)
20. 絆
21. 竹田の子守唄 (木下航志ピアノソロ)
show ended 20:57
■木下航志&ヒズ・フレンズ・メンバー
木下航志 (ヴォーカル、ピアノ、キーボード)
名村武 (ギター)
藤井康一 (サックス、ハーモニカ)
ドクター・キョン (キーボード)
後藤敏昭 (ドラムス)
大里和生 (ベース)
セイ&岩美志保里 (コーラス)
■木下航志・オフィシャル・ホームページ
http://www.kishitakohshi.com/
(2005年4月1日金曜、下北沢タウンホール=木下航志・ライヴ)
寒。
寒空の中、17時開演予定から48分遅れで女王は登場した。六本木ヒルズ・アリーナで行われたマライア・キャリーの2曲だけのパフォーマンス。来日も今回でプロモーションとコンサートで8回目。すっかりおなじになっている。
アリーナにステージを作り、そこにダンサー8人とコーラス3人を従え、マライアが登場。新作『ジ・エマンシペーション・オブ・ミミ』から、第一弾シングル「イッツ・ライク・ザット」と第二弾シングル「ウィ・ビロング・トゥゲザー」を歌った。バンドはなくカラオケで歌う。ただ8人のダンサーがいるので、ステージは派手だった。
アルバムタイトルの「ミミ」は、マライアの親しい友人たちが彼女を呼ぶニックネームだそうで、今回は観客から時折「ミミ〜〜〜!」といった掛け声もかかっていた。マライアも大きな笑みで答える。
ステージ前には、ラジオ番組などで当選したファンの人たちが、後ろのほうに取材関係、CDショップ関係者などが、計1000人弱が集まっていた。女王の出番はほんの10分弱だった。まあ、寒かったね。(笑)
+++++
マライア・キャリー関連記事
2003/07/10 (Thu)
Youngest Singer That I Ever Interviewed With
マライアのレーベル所属アーティストのショウケースライヴ
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200307/diary20030710.html
2003/07/09 (Wed)
Mariah Carey Live At Budokan
マライア・キャリー・ライヴ評
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200307/diary20030709.html
+++++
(2005年3月31日木曜、六本木ヒルズ・アリーナ=マライア・キャリー・ショウケース・ライヴ)
寒空の中、17時開演予定から48分遅れで女王は登場した。六本木ヒルズ・アリーナで行われたマライア・キャリーの2曲だけのパフォーマンス。来日も今回でプロモーションとコンサートで8回目。すっかりおなじになっている。
アリーナにステージを作り、そこにダンサー8人とコーラス3人を従え、マライアが登場。新作『ジ・エマンシペーション・オブ・ミミ』から、第一弾シングル「イッツ・ライク・ザット」と第二弾シングル「ウィ・ビロング・トゥゲザー」を歌った。バンドはなくカラオケで歌う。ただ8人のダンサーがいるので、ステージは派手だった。
アルバムタイトルの「ミミ」は、マライアの親しい友人たちが彼女を呼ぶニックネームだそうで、今回は観客から時折「ミミ〜〜〜!」といった掛け声もかかっていた。マライアも大きな笑みで答える。
ステージ前には、ラジオ番組などで当選したファンの人たちが、後ろのほうに取材関係、CDショップ関係者などが、計1000人弱が集まっていた。女王の出番はほんの10分弱だった。まあ、寒かったね。(笑)
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マライア・キャリー関連記事
2003/07/10 (Thu)
Youngest Singer That I Ever Interviewed With
マライアのレーベル所属アーティストのショウケースライヴ
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200307/diary20030710.html
2003/07/09 (Wed)
Mariah Carey Live At Budokan
マライア・キャリー・ライヴ評
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200307/diary20030709.html
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(2005年3月31日木曜、六本木ヒルズ・アリーナ=マライア・キャリー・ショウケース・ライヴ)
Matt Bianco Live: It’s Family Business
2005年3月31日必須科目。
国際フォーラムというので、いつもの「A」を目指したら、誰も人がいなくて、実は少し小さめの「C」が会場だった。そういえば、前回かその前のライヴはブルーノートで見た。
デビューが84年というイギリスの軽いポップでダンサブルなグループ、マット・ビアンコのライヴ。ちなみにマット・ビアンコは、グループの名前。個人名ではない。CDファイリングの際は、グループのMのところにはいる。今回は一時期離れていた女性リード・シンガー、バーシアが何事もなかったように復帰した。サウンドは以前からのレコード、CDで聴かれたものがそのまま再現される。
ドラムス、ギター、ベース、キーボード、トランペット、サックス、パーカッション、コーラス3人に、マーク・ライリーとバーシアの計12人がオンステージ。充分ぜいたくな布陣だ。
キーボードのダニー・ホワイトとマット・ビアンコのマーク・ライリーが同じような赤いシャツを着て、しかも、スキンヘッドなので、一瞬兄弟かと思った。兄弟という意味で言うと、コーラスのうち右と左の女性がヘアスタイルも同じなら、振り付けがネコのように同じ動きをするなあと思ったら、モーリシャス出身の姉妹。しかも、女性コーラスの残りの中央のひとりは、なんとバーシアの妹だそうで。ファミリー・ビジネスだ。(笑) 全然関係ないが、ギタリストがニューヨークのアーティスト、画家、キース・へリングに似ていた。
曲調はポップあり、ラテン系あり、ラウンジ風あり、バーシアのソロ時代の作品ありとファンの人はみんな知っているような曲ばかりのヴァラエティーに富んだ選曲。バーシアの曲や、軽いラテンタッチの曲を聴いていると、ラウンジ系のレコードの音を生バンドで聴いているという雰囲気になってくる。おしゃれ系、都会系というのだろうか。カフェバーなどという言葉が世間にあふれていた80年代。マット・ビアンコはそんな80年代洋楽ファンにとっては、ひとつの必須科目だったのかもしれない。ラウンジ系だなあ、と思ったが、あの頃には「ラウンジ」なんてジャンルの呼び名はなかった。
配られたチラシの中に、シャカタク来日(6月5日・日曜=渋谷デュオ)が。マット・ビアンコを聴いていた人にはどんぴしゃな80年代アーティストだろう。帰り道、隣のビッグカメラの横を通っているとサッカー、日本対バーレーン戦をやっていて、ちょうど、バーレーンのオウンゴールが入ってテレビの前の人だかりから歓声があがったところだった。
+++++
マッツ・ムード / マット・ビアンコ
2004/5/26 発売
ユニバーサル UCCM-1065 \2,548 (税込み)
サンシャイン・デイ~マット・ビアンコ・サマー・ベスト・コレクション
マット・ビアンコ CD (2004/07/14) ビクターエンタテインメント
エコーズ
マット・ビアンコ CD (2002/07/03) ビクターエンタテインメント
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Setlist
Matt Bianco Live At Kokusai Forum C
2005.3.30 (Wednesday)
show started 19:10
01. Slip & Sliding
02. Ronnie’s Samba
03. Wrong Side Of The Street
04. La Luna
05. Kaleidoscope
06. Cruising For Bruising
07. Golden Days
08. Ordinary Day
09. I Never Meant To
10. Yeh Yeh
11. Matt’s Mood
12. Promises
13. Olive Tree
14. More Than I Can Bear
15. Whose Side Are You On
16. Get Out Of Your Lazy Bed
17. Say The Words
18. Time & Tide
19. Half A Minute
Enc. New Day For You
Enc. Don’t Blame It
show ended 20:52
(2005年3月30日水曜、東京国際フォーラムC=マット・ビアンコ・ライヴ)
国際フォーラムというので、いつもの「A」を目指したら、誰も人がいなくて、実は少し小さめの「C」が会場だった。そういえば、前回かその前のライヴはブルーノートで見た。
デビューが84年というイギリスの軽いポップでダンサブルなグループ、マット・ビアンコのライヴ。ちなみにマット・ビアンコは、グループの名前。個人名ではない。CDファイリングの際は、グループのMのところにはいる。今回は一時期離れていた女性リード・シンガー、バーシアが何事もなかったように復帰した。サウンドは以前からのレコード、CDで聴かれたものがそのまま再現される。
ドラムス、ギター、ベース、キーボード、トランペット、サックス、パーカッション、コーラス3人に、マーク・ライリーとバーシアの計12人がオンステージ。充分ぜいたくな布陣だ。
キーボードのダニー・ホワイトとマット・ビアンコのマーク・ライリーが同じような赤いシャツを着て、しかも、スキンヘッドなので、一瞬兄弟かと思った。兄弟という意味で言うと、コーラスのうち右と左の女性がヘアスタイルも同じなら、振り付けがネコのように同じ動きをするなあと思ったら、モーリシャス出身の姉妹。しかも、女性コーラスの残りの中央のひとりは、なんとバーシアの妹だそうで。ファミリー・ビジネスだ。(笑) 全然関係ないが、ギタリストがニューヨークのアーティスト、画家、キース・へリングに似ていた。
曲調はポップあり、ラテン系あり、ラウンジ風あり、バーシアのソロ時代の作品ありとファンの人はみんな知っているような曲ばかりのヴァラエティーに富んだ選曲。バーシアの曲や、軽いラテンタッチの曲を聴いていると、ラウンジ系のレコードの音を生バンドで聴いているという雰囲気になってくる。おしゃれ系、都会系というのだろうか。カフェバーなどという言葉が世間にあふれていた80年代。マット・ビアンコはそんな80年代洋楽ファンにとっては、ひとつの必須科目だったのかもしれない。ラウンジ系だなあ、と思ったが、あの頃には「ラウンジ」なんてジャンルの呼び名はなかった。
配られたチラシの中に、シャカタク来日(6月5日・日曜=渋谷デュオ)が。マット・ビアンコを聴いていた人にはどんぴしゃな80年代アーティストだろう。帰り道、隣のビッグカメラの横を通っているとサッカー、日本対バーレーン戦をやっていて、ちょうど、バーレーンのオウンゴールが入ってテレビの前の人だかりから歓声があがったところだった。
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マッツ・ムード / マット・ビアンコ
2004/5/26 発売
ユニバーサル UCCM-1065 \2,548 (税込み)
サンシャイン・デイ~マット・ビアンコ・サマー・ベスト・コレクション
マット・ビアンコ CD (2004/07/14) ビクターエンタテインメント
エコーズ
マット・ビアンコ CD (2002/07/03) ビクターエンタテインメント
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Setlist
Matt Bianco Live At Kokusai Forum C
2005.3.30 (Wednesday)
show started 19:10
01. Slip & Sliding
02. Ronnie’s Samba
03. Wrong Side Of The Street
04. La Luna
05. Kaleidoscope
06. Cruising For Bruising
07. Golden Days
08. Ordinary Day
09. I Never Meant To
10. Yeh Yeh
11. Matt’s Mood
12. Promises
13. Olive Tree
14. More Than I Can Bear
15. Whose Side Are You On
16. Get Out Of Your Lazy Bed
17. Say The Words
18. Time & Tide
19. Half A Minute
Enc. New Day For You
Enc. Don’t Blame It
show ended 20:52
(2005年3月30日水曜、東京国際フォーラムC=マット・ビアンコ・ライヴ)
Angie Stone Canceled Two Shows At Tokyo
2005年3月30日体調不良。
ソウル・シンガー、アンジー・ストーンが去る3月25日(金曜)のブルーノートのライヴ・ステージをキャンセルした。アンジーは3月21日(月曜)から26日(土曜)まで東京ブルーノートに出演していた。アンジーは、東京入りする前、アジア各国、また沖縄の基地などでもショウをやっていた。アジアの国と東京の大幅な気温差があり、東京に来てからも体調不良で毎日、病院に行き注射を打ったりしていた、という。
23日(水曜)、24日(木曜)の午後の取材も、病院治療などで大幅に遅れた。24日のステージは無事こなしたが、25日のファーストでほんの冒頭で歌っただけでステージ袖に引き、そのまま歌えないということになり、ショウ自体がキャンセルとなった。ブルーノートはチャージを全額払い戻した。さらに、セカンド・ショウもアーティストの体調不良でキャンセルとなった。金曜日に見られなかった観客の一部は26日(土曜)に通常のチャージでスタンディングで見た模様。
26日(土曜)のショウはなんとかこなし、27日は移動。28日と29日が名古屋ブルーノート、さらに30日と31日が大阪ブルーノートの予定で、その後、4月3日からはロンドン、マンチェスターなどイギリス・ツアー、オランダでのライヴ予定が4月10日まで入っている。
連日2回のショウをこなすこと、アジア圏の移動で気温差、気候の違いなどで体調がうまく維持できなかったらしい。
+++++
待ち。
3月25日付け本日記で紹介したアンジーのインタヴューは、24日午後に行われた。当初は、2時から30分ということだったが、その日の午後一で連絡があり、大幅に遅れそうなので、とりあえず、2時半スタートでいかがでしょうか、と変更になった。
とはいうものの、インタヴューをする黒沢さん、北山さんらも現地に向かっているので、とりあえず現地で会って、お茶でもしてましょう、ということになった。その後コーヒーハウスで延々、いろんな話に花が咲き、結局インタヴューが始まったのが4時過ぎ。2時間半くらい待ったことになるのか。まあ、雑談であっという間でしたが。(笑) 我々の取材はこの日3本目。しかし、会った彼女は、体調は悪そうには見えず、結局45分近く話してくれた。特にマイケル擁護論は、かなり熱が入っていた。この部分はいずれ、ゆっくりご紹介しましょう。担当者から、「あと5分くらい」で「そろそろ」などの催促されるほどだった。
そして、当日のライヴも僕が火曜日に見たものより、はるかによかった。ところが、翌日、ステージにでてきたものの、キャンセルという『想定外』の展開になったわけだ。まだ、イギリス、オランダと続くので、大事にして欲しいところ。
インタヴューで待たされたのは、最近ではアッシャーが3時間以上待たされましたが、この日はそれにつぐ2時間半かな。(笑) でも話がとれたし、その点ではまったくいいのだが。
+++++
ソウル・シンガー、アンジー・ストーンが去る3月25日(金曜)のブルーノートのライヴ・ステージをキャンセルした。アンジーは3月21日(月曜)から26日(土曜)まで東京ブルーノートに出演していた。アンジーは、東京入りする前、アジア各国、また沖縄の基地などでもショウをやっていた。アジアの国と東京の大幅な気温差があり、東京に来てからも体調不良で毎日、病院に行き注射を打ったりしていた、という。
23日(水曜)、24日(木曜)の午後の取材も、病院治療などで大幅に遅れた。24日のステージは無事こなしたが、25日のファーストでほんの冒頭で歌っただけでステージ袖に引き、そのまま歌えないということになり、ショウ自体がキャンセルとなった。ブルーノートはチャージを全額払い戻した。さらに、セカンド・ショウもアーティストの体調不良でキャンセルとなった。金曜日に見られなかった観客の一部は26日(土曜)に通常のチャージでスタンディングで見た模様。
26日(土曜)のショウはなんとかこなし、27日は移動。28日と29日が名古屋ブルーノート、さらに30日と31日が大阪ブルーノートの予定で、その後、4月3日からはロンドン、マンチェスターなどイギリス・ツアー、オランダでのライヴ予定が4月10日まで入っている。
連日2回のショウをこなすこと、アジア圏の移動で気温差、気候の違いなどで体調がうまく維持できなかったらしい。
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待ち。
3月25日付け本日記で紹介したアンジーのインタヴューは、24日午後に行われた。当初は、2時から30分ということだったが、その日の午後一で連絡があり、大幅に遅れそうなので、とりあえず、2時半スタートでいかがでしょうか、と変更になった。
とはいうものの、インタヴューをする黒沢さん、北山さんらも現地に向かっているので、とりあえず現地で会って、お茶でもしてましょう、ということになった。その後コーヒーハウスで延々、いろんな話に花が咲き、結局インタヴューが始まったのが4時過ぎ。2時間半くらい待ったことになるのか。まあ、雑談であっという間でしたが。(笑) 我々の取材はこの日3本目。しかし、会った彼女は、体調は悪そうには見えず、結局45分近く話してくれた。特にマイケル擁護論は、かなり熱が入っていた。この部分はいずれ、ゆっくりご紹介しましょう。担当者から、「あと5分くらい」で「そろそろ」などの催促されるほどだった。
そして、当日のライヴも僕が火曜日に見たものより、はるかによかった。ところが、翌日、ステージにでてきたものの、キャンセルという『想定外』の展開になったわけだ。まだ、イギリス、オランダと続くので、大事にして欲しいところ。
インタヴューで待たされたのは、最近ではアッシャーが3時間以上待たされましたが、この日はそれにつぐ2時間半かな。(笑) でも話がとれたし、その点ではまったくいいのだが。
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プリンスづくし。
プリンスとプリンス関連の曲ばかりをかけるイヴェント『デジタル・ガーデン』の第9回が来る4月9日(土曜)に新宿のロフト・プラス・ワンで行われる。
これまで8回行われている。深夜12時からドーン(夜明け)までというもの。今回の副題は「sometimes it snows in april」(時には4月でも雪が降る)。プリンスの作品のひとつだ。今回も、アルバム『フォー・ユー』から、最新作『ミュージコロジー』まで、さらに12インチなども多数かかる予定。
詳細は次のウエッブに。
http://thedigitalgarden.gooside.com/contents.htm
ここで、the digital garden : vol.9 という文字をクリック。
また、同ウェッブのBBSでは、当日かけてもらいたい曲のリクエストも募っている。
+++++
イヴェント名: ザ・デジタル・ガーデンVOL.9
場所: ロフト・プラス・ワン
住所: 新宿区歌舞伎町1-14-7 林ビルディング地下2階
電話: 03-3205-6864
料金: 2500円
日時: 2005年4月9日土曜、深夜12時〜夜明けまで
DJ: テリー・ウエダ、ツナ、リョウヘイ、ジロー
場所は、新宿歌舞伎町・コマ劇場の向かいです。また、このイヴェントは18歳未満の方は入場できません。入場の際に身分証明書の提示が必要です。
プリンスとプリンス関連の曲ばかりをかけるイヴェント『デジタル・ガーデン』の第9回が来る4月9日(土曜)に新宿のロフト・プラス・ワンで行われる。
これまで8回行われている。深夜12時からドーン(夜明け)までというもの。今回の副題は「sometimes it snows in april」(時には4月でも雪が降る)。プリンスの作品のひとつだ。今回も、アルバム『フォー・ユー』から、最新作『ミュージコロジー』まで、さらに12インチなども多数かかる予定。
詳細は次のウエッブに。
http://thedigitalgarden.gooside.com/contents.htm
ここで、the digital garden : vol.9 という文字をクリック。
また、同ウェッブのBBSでは、当日かけてもらいたい曲のリクエストも募っている。
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イヴェント名: ザ・デジタル・ガーデンVOL.9
場所: ロフト・プラス・ワン
住所: 新宿区歌舞伎町1-14-7 林ビルディング地下2階
電話: 03-3205-6864
料金: 2500円
日時: 2005年4月9日土曜、深夜12時〜夜明けまで
DJ: テリー・ウエダ、ツナ、リョウヘイ、ジロー
場所は、新宿歌舞伎町・コマ劇場の向かいです。また、このイヴェントは18歳未満の方は入場できません。入場の際に身分証明書の提示が必要です。