【Ramsey Lewis Trio : Live With Class, Intelligence And Elegance】

格調。

シカゴのチェス・レコードから多くのジャズ・レコードを出してきたジャズ・ピアニスト、ラムゼイ・ルイスが昨年(2008年)7月に12年ぶりのブルーノート・ライヴを敢行。多くのファンを魅了し、1年後にリターン。今回も、ドラムス、アコースティック・ベースとのトリオ。基本的にはストレートなジャズ・トリオで、一番ブルーノートという会場にあった感じの音楽だ。客席は、さまざまなタイプの人たちで埋まる。昔からのファン、アース関連で知った人、ジャズ・トリオが好きそうな人たちなど、老若男女。ラムゼイの幅広い人気を示す。

音は静かに小さく、品のいい感じのトリオ演奏。1曲終わるときちんと立ち上がり、曲紹介し、おじぎ。ひじょうにまっとうなジャズマンだ。そこから醸し出されるサウンドは、格調があり、知的で、暖かく、優しく、エレガント。彼の演奏を聴いているとジャズが格別のシルクのような高級感を感じさせる。

ちょうど、ステージの斜め右あたりで見ていたが、ラムゼイが後ろにぐーんと伸びるときのシーンが、ちょっと映画『レイ』のポスターで見せた絵と同じに見えた。

それにしても、ラムゼイ・ルイスはじつにかっこいい。74歳とは思えないほどの若々しさ。かつて、このトリオのドラムスにモーリス・ホワイトがいたのかと思うと、なかなか感慨深い。

日によってセットリストは微妙に違うようだが、ソウル系ファンとしては、「サン・ゴッデス」「ジ・イン・クラウド」、そして、「ウェイド・イン・ザ・ウォーター」の3曲を聴きたい。前2者はどちらかが交互に演奏されるようだ。「サン・ゴッデス」は、ヒップホップ系アーティストなどにもサンプリングされているので、若い層からも支持を集める。

今回は2009年10月にリリースされる予定の新作『ソングス・フロム・ザ・ハート』に収録されている作品から3曲が演奏された。

本編最後の「スピリチュアル・メドレー」は、それまでのジャズ・トリオがチャーチ・トリオのサウンドに早変わり。たった3人でもこれだけサウンドの変化がつけられるのだから本当にたいしたもの。ドラム・ソロも、そして、サウンドも、なんとも昭和のジャズという感じでほほえましく思った。

ところで、日本在住ナンバーワンDJであるカマサミ・コングさんがラムゼイにインタヴューするというので、ひとつだけ質問を託した。それは、"Who do you think the "in" crowd these days, besides who were the "in" crowd back then(あなたは今一番かっこいい、旬な人だと思うのでは誰ですか。その昔、かっこよかった人は誰だと思いますか)"というものなのだが、果たしてその答えはいかに。

(ライヴは、今日、土曜日(8月29日)まで、ブルーノート東京で)

■ まずは「ジ・イン・クラウド」のベスト

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00008KKTN/soulsearchiho-22/ref=nosim/

そして、『サンゴッデス』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005G9FS/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ メンバー

ラムゼイ・ルイス(ピアノ)Ramsey Lewis(p)
ラリー・グレイ(ベース)Larry Gray(b)
レオン・ジョイス(ドラムス、パーカッション)Leon Joyce(ds,per)

■ セットリスト ラムゼイ・ルイス・トリオ
Setlist: Ramsey Lewis Trio @ Bluenote Tokyo, August 28, 2009

show started 19:00
01. To Know Her Is To Love Her (from new CD "Songs from the Heart")
02. Allegro Con Brio (Poco Allegretto) (From Brahms Symphony No.3 ) 
03. Sun Goddess
04. Conversation (from new CD "Songs from the Heart")
05. Touching, Feeling, Knowing (from new CD "Songs from the Heart")
06. Spiritual Medley
Enc. The "In" Crowd
show ended 20:16

(2009年8月28日金曜、ブルーノート東京=ラムゼイ・ルイス・トリオ・ライヴ)
ENT>LIVE>Lewis, Ramsey Trio
2009-98


●デルズのジョニー・カーター、ソングライター、エリー・グリーニッチ死去

【デルズのジョニー・カーター、エリー・グリーニッチ死去】

訃報。

アメリカのソウル、R&Bシンガーでドゥワップ創成期から活躍してきたジョニー・カーターが去る2009年8月21日、地元イリノイ州ハーヴィーの病院で肺癌のため死去した。75歳だった。ジョニー・カーターは、R&Bヴォーカル・グループ、デルズのシンガーとしても知られる。ただデルズのリードは、マーヴィン・ジュニアというシンガーでその印象が強いが、ハイヴォイスを歌いコーラスをいれていた。

ジョニー・カーター(本名ジョン・E・カーター)は、1934年6月2日、シカゴ・サウスサイドの生まれ。シカゴで18歳のとき1952年にドゥーワップ・グループ、フラミンゴスを結成、1956年、「アイル・ビー・ホーム」がヒット。その直後徴兵され、戻ってくると、彼のポジションが別の者に取られていたため、自身で新たなグループを探す。1960年、ちょうどデルズのジョニー・ファンチェズが辞めるところに参加。デルズはダイナ・ワシントンのバック・グループとなり約2年活動。その後、デルズとしてシカゴのチェス・レコード傘下、カデットなどでシングルをリリース、ヒットを多数生み出した。特に、「ステイ・イン・マイ・コーナー」(1968年)、「オー・ホワット・ア・ナイト」(1956年と新録が1969年再ヒット)「ラヴ・イズ・ブルー」(1969年)、「ギヴ・ユア・ベイビー・ア・スタンディング・オヴェーション」(1973年)などが大ヒット。ヒット曲は50曲近い。

カーターが所属した両グループともロック殿堂入りを果たし、2つのグループで殿堂入りを果たした5人のうちのひとりとなった。カーターは、1960年にデルズに参加以来、死去するまで49年間在籍していた。

娘のジュウェルによるとカーターは、釣りが好きで、料理もよく作ったという。ジュウェルによれば父は「話すことより、歌っているほうが好きだった」と言う。

■ニュース記事
http://www.mercurynews.com/news/ci_13190707

■ デルズ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000059RQ2/soulsearchiho-22/ref=nosim/

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(速報)ソングライター、エリー・グリーニッチ死去 

訃報。

ニューヨーク出身のソングライター、エリー・グリーニッチが2009年8月26日、ニューヨークのルーズベルト病院で心臓発作のため死去した。68歳だった。「ダ・ドゥ・ロン・ロン」「チャペル・オブ・ラヴ」「ビー・マイ・ベイビー」などの大ヒットで知られる。多くの作品を夫のジェフ・バリーとともに書き、プロデューサー、フィル・スペクターともコラボレートした。

エリー・グリーニッチは、1940年10月23日、ニューヨーク生まれ。エリノア・ルイーズ・”エリー”・グリーニッチ。シンガーを目指したが、途中からソングライターとしての活動が多くなり、ヒット曲を多数生み出す売れっ子ソングライターとなった。

ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンは、「彼女はあらゆる時代における最高のメロディー・ライターだった」と振り返る。「(彼女が書いた作品は)、永遠に残る織物のひとつ」というのは自ら作詞・作曲するダイアン・ウォーレン。

http://www.latimes.com/news/obituaries/la-me-ellie-greenwich27-2009aug27,0,5623596.story

(詳細は後ほど)

■作品集

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001FMHYWE/soulsearchiho-22/ref=nosim/

OBITUARY>Carter, Johnny (Dells) (June 2, 1934 - August 21, 2009, 75 year-old)

OBTUARY>Greenwich, Ellie (October 23, 1940 - August 26, 2009, 68 year-old)


⊿ドイツのDJユニット、ジャザノヴァ・ライヴ

【Jazanova Said "Support Music, Support Art"】

DJ。

日曜日、コットンでちょうど隣に座った縁で松尾さんがジャザノヴァのメンバーと知己を得て、火曜日、ビルボード・ライヴへライヴを。DJ系ユニットがリアルなバンドを結成して登場だ。「ジャザノヴァには2つの顔がある。それはDJサイドとスタジオ・サイドだ」とMC役で、リード・ヴォーカルでもあるポールはステージで言う。DJユニットとしてのジャザノヴァと、バンドとしてのジャザノヴァのことだ。ドイツ出身のDJが集めた今回のバンドは最大9人がオンステージという、本格派だ。ドラムス、キーボード、ギター、ベース、パーカッションにサックス、トロンボーン、そしてDJ、リード・ヴォーカルの編成。楽器を持ち変える人もいるので楽器編成はもう少しヴァリエーションが出る。

ちょうどインコグニート、ブランニュー・ヘヴィーズをもう一歩だけクラブ系、DJ系に寄せた感じのバンド・サウンドだ。いかにもヨーロッパの小粋なミュージシャンたちという装いで、白人のグルーヴを醸し出す。全体的に耳当たりがよく聴きやすい。なによりステージ上で一番動くのがDJのアクセルというところがおもしろい。

アシッド・ジャズと同じ系列になると思うが、クラブ系バンドの場合、観客層が若くておしゃれなのが特徴だ。男女比半々か若干女性の方が多いか。途中から、みんな立ちだし、最後は総立ちになった。

メンバーは1人以外全員ドイツから。リード・ヴォーカルのポールだけはアメリカ・デトロイト出身。なんと日本に来るのは7回目だそうで、昔、大阪のボトム・ラインで一月ほど1日3ステージくらいのいわゆる「ハコバンド」を経験している、という。

DJユニットで始まった彼らが本格的なバンド形態でやりだしたのは、今年(2009年)1月、ロンドンのクラブ・ギグから。以来、コンスタントにライヴ活動を続け、バンドとして初来日。(DJとしては何度かクラブに来日しているそう) 進化したDJユニットだ。

「入口でCDを売ってるからね。焼かないで(コピーしないで)買ってね。そうして音楽をサポートしてください。アートをサポートしてください」と訴えた。ポールは「4年半くらい前にベルリンでのパーティーで出会った。そのときは何も起こらなかったが、その後オーストラリアのパーティーでまた会った。で、その後、DJアクセルからジャザノヴァで歌わないかと誘われ、今、こうしてここにいる」とステージで言った。Support music, support art! ナイス・フレーズ!

■ジャザノヴァ最新作

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001FBJTYQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■メンバー

アクセル・ライネメア/Axel(Reinemer DJ/Percussions)
ステファン・ライゼリング/Stefan Leisering(Percussions)
ポール・ランドルフ/Paul Randolph(Vocals/Bass)
セバスティアン・シュトゥドニツキー/Sebastian Studnitzky(Keyboards)
アルネ・ヤンゼン/Arne Jansen(Guitar)
パウル・クレーバー /Paul Kleber(Bass)
トミー・バルドゥー/Tommy Baldu(Drums)
セバスティアン・ボルコフスキー/Sebastian Borkowski(Saxophone)
デビッド・ベン=ポラット/David Ben-Porat(Trombone/Vocals)

■セットリスト ジャザノヴァ @ ビルボード・ライヴ
Setlist @ Billboard Live, Tokyo August 28, 2009

show started 21:32
01. Theme From Belle Et Fou
02. Look What You’re Doin To Me
03. Lucky Girl
04. No Use
05. Boom Klicky
06. Siren’s Call
07. Little Bird
08. Fedime’s Flight
09. Let Me Show Ya
10. I Can See
Enc. Rockin’ You Eternally
show ended 22:52

(2009年8月25日火曜、ビルボード・ライヴ東京=ジャザノヴァ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Jazzanova

△インターFMで8月29日にマイケル特番

【インターFMで8月29日にマイケル・ジャクソン特番】

告知。

インターFM(東京地区76.1mhz)で来る2009年8月29日(土曜日)午後3時から4時半にわたって、マイケル・ジャクソンの特別番組『フェアウェル・トゥ・キング・オブ・ポップ・スペシャル』という番組を放送する。同日は、マイケルの51歳の誕生日。

出演は司会・岡村有里子、ゲスト湯川れい子、吉岡正晴、マイコーりょう。

マイケル・ジャクソンの歴史、功績、エピソードなどを特集する。ウィル・アイ・アム、クインシー・ジョーンズ、オマリオン、ワイクリフ・ジョン、エイコン、メアリー・J・ブライジ、ファレル・ウィリアムス、そして、ビヨンセ・ノウルズなどのコメントも放送する。

■ 番組概要

タイトル FAREWELL to KING of POP SPECIAL
放送日 2009.8.29 15:00-16:30
放送局 インターFM (東京地区76.1mhz)
メールあて先 mj@interfm.jp
番組ホームページ http://www.interfm.co.jp/mj/

ANNOUNCEMENT>

【"I’ll Be Back Soon": Leon Ware Declares On The Stage】

渋さ。

ソングライターとして多くのヒットを放ってきたリオン・ウェアが2002年大阪ブルーノート以来、およそ7年ぶりの来日、東京地区での初ライヴ。僕は初めて見るので相当期待値の高いライヴだ。コットン3日間のライヴ、評判が評判を呼び、後半はどんどん客足が伸び日曜セカンド(最終)も超満員。しかもソウル・バー関係者、ソウル・ファン多数集結。カウンター前に補助席まで出ていた。

1曲1曲をリオンは丁寧に歌い、ときにその曲を解説したりしながらショーを進める。リオンといえば、僕にとってはマーヴィン・ゲイの「アイ・ウォント・ユー」だ。その官能的な音、歌、メロディー、歌詞、すべてが魅力だ。そしてこのリオンのライヴもそうしたマーヴィン風の官能路線(センシュアル)な部分は存分にかもし出されていた。

おもしろかったのは、日本でなぜか人気の高いセットリスト7の「ホワイ・アイ・ケイム・トゥ・カリフォルニア」。初日には歌われたが、そのセットが長くなり2日目は2-3曲カットしたところ、そのカットされた中にはいってしまった。そうしたら、どうやらファンからリクエストがあったらしく、MCで「次の曲はみなさんから強いリクエストがあった曲です。この曲をやらないともう日本には戻って来れないと言われたので、やりたいと思います。また日本に戻ってきたいですから」と言い、これを歌った。

歌自体はソウルフルというよりも、淡々とした渋い味わいの歌。いずれの曲も、なかなかセンシュアルでムードがただよう。むしろバックコーラスの女性ニッキのほうが元気のあるはつらつとしたヴォーカルを聴かせた。そしてニッキとからむ曲はかなりいやらしい感じがかもし出される。彼は自身で「センシュアル・ミニスター」(官能的な、性欲をそそる牧師)と言う。これは、誰かに「リオン、あなたはセンシュアル・ミニスターだな」と言われたのを気に入って自分でも使うようになったそうだ。

彼もステージで歌うのが大好きなようで、パフォーマンスをエンジョイしている。ドラムス(ドネル=ルーファスやジョディー・ワトリーで来日)、キーボード(ウェイン・リンゼイ=スティーヴィー、ホイットニーなどで来日。自らリンゼイとしてもアルバムをだしている)らのバンドもしっかりしている。

そして、5曲目の前では「彼ともいろいろな曲でコラボレートしました。彼はキング・オブ・ポップと呼ばれています。彼は歌詞をとても芸術形態のものとして重要視するアーティストでした。これはとても珍しいことなんです」 こう言ってマイケル・ジャクソンの「アイ・ウォナ・ビー・ホエア・ユー・アー」を歌った。

本編最後は、彼の名を決定付けたマーヴィン・ゲイの「アイ・ウォント・ユー」。これはさすがに圧倒的に盛り上がる。そして、一旦ひいて、アンコールで「アフター・ザ・ダンス」。さらに、その後バンドは下がり彼だけがステージに残り、ピアノの弾き語りでしっとりと「フォーエヴァー」を歌い、ステージは幕。満員のスタンディング・オヴェーションが長く続いた。そして彼は何度も言った。「またすぐに戻ってきます! I’ll be back!」

この日見に来ていたケイリブ・ジェームスも、「こんな満員はすごいな。ソングライターのライヴでこれだけお客さんが来るというのは素晴らしいことだ」と言った。

ちょうど我々が座った隣にドイツのジャザノヴァのご一行がいて、同行松尾潔さんが気づいて教えてくれた。(隣でドイツ語っぽい話し声が聞こえるので、「あなたたちはジャザノヴァか」ときいたら「そうだ」とのこと。さすがだ(笑)) 月曜、火曜にビルボードでライヴがあり、日曜ほんの少し前に到着してコットンにきたそうだ。僕は知らなかったのだが松尾さんによるとジャザノヴァはリオンともコラボしており、それで見に来たとのこと。情報感謝。

(リオン・ウェアにインタヴューする機会があったので、その模様は明日以降にご紹介します)

■ CDはけっこうたくさん出ています。1枚だったらこれか。むずかしいが。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000087L2/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00006LF2M/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000CD81V/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ メンバー

リオン・ウェア
Leon Ware(vo), Wayne Linsey(key), Chris Warrior(g), Smitty Smith(b) Donnell Spencer Jr.(ds) Nikki Grier(vo)

■ セットリスト
Setlist: Leon Ware  @ Cotton Club, August 23, 2009

show started 20:02
01. Got To Have You Back [Isley Brothers]
02. Sumthin’ Sumthin’ [Maxwell]
03. Hold Tonight
04. Moonride
05. I Wanna Be Where You Are [Michael Jackson, Marvin Gaye]
06. A Tribute To Ahmad (Wayne)
07. Why I Came To California
08. If I Ever Lose This Heaven (with Niki) [Quincy Jones, AWB]
09. Inside My Love (Nikki) [Minnie Riperton]
10. Rockin’ You Eternally
11. I Know It’s You (duo with Nikki) [Donny Hathaway]
12. I Want You [Marvin Gaye]
Enc. After The Dance [Marvin Gaye]
Enc. Forever (only Leon on piano)
show ended 21:42

(2009年8月23日日曜、丸の内コットンクラブ=リオン・ウェア・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Ware, Leon
2009-96

【Greg Phillinganes, Lynn Fiddmont & Valerie Pinkston】

チャット。

パティー・オースティン・バンドは、LAの強力メンバーを揃えている。中でも、キーボードのグレッグは、マイケル・ジャクソン、クインシー・ジョーンズ、ライオネル・リッチー、エリック・クラプトンと、錚々たるアーティストから請われ、さまざまなツアーやレコーディングに参加する、超売れっ子ミュージシャン。自身でもアルバムを出していて、日本にも隠れファンがけっこう多い。

グレッグには2-3度インタヴューしたことがある。最初は、マイケル・ジャクソンがソロとして初来日した1987年のバッド・ツアーのとき。そのとき、グレッグはマイケル・バンドの音楽ディレクター。ライヴ関係者をかたっぱしからインタヴューする機会があり、その一環で話をきいた。その後1991年8月に、何かでインタヴューした。原宿のスタジオに行った記憶がある。グレッグはそのことを覚えていなかったが、「ナイス・トゥ・ミート・ユー・アゲイン」という感じでいつもながら気さく。

彼に何回くらい日本に来たか勘定できるかと聞くと、「30回以上だよ。日本が大好きなんだ。最初に来たのは1981年、クインシー・ジョーンズと来た。たしかサントリー・ホールでやったライヴだ」という。確かに。彼は東京都内は、地下鉄で移動する。それだけではない。なんと、「スイカ」カードを持っているのだ。

「なに、そのスイカ・カードって?」とリンが尋ねると、グレッグが説明する。来日ミュージシャン多かれど、さすがにスイカを持っている来日ミュージシャンはなかなかいない。携帯を持っている人はいるが…。

彼に自分自身のアルバムを作る予定はないかと尋ねると、「いやあ、時間がなくてね。今はロッド・スチュワートのアルバムを作ってる。レコーディング、ツアー、レコーディング…、なかなか自分の時間をゆっくりとれないね。日本にも来なきゃならないし。(笑) いつも日本から帰るときは、『次に日本に戻ってくるのはいつだろう』って思ってるほどさ」と立て板に水状態。

「グレッグ・バンドでは来日しないの」と尋ねると、「さあ、どうだろう。お客さんはいるかな」と言う。「たぶん正しい選曲をして、よいショーをすれば、お客さんは来るんじゃないかなあ。グレッグがプレイしたヒット・レコードをプレイする、ということで、ヒット曲のオンパレードになるでしょう」

リンは、2年前の2007年、スティーヴィーが来日したとき、そのバックで来ていた。リンの元夫はウェイン・リンゼイというキーボード奏者。ウェインとは個人的に1990年代から知っていたので、たしかそのつてでリンと知り合っていたような気がする。2人でヴァージンからリンゼイというアーティスト名義でアルバムも出している。随分前に別れたみたいで、今は「エックス(ex)ハズバンド=元夫」と言う。彼女もベイビーフェイスで来たり、ちょくちょく日本には来ている。「私も地下鉄好きよ、でもスイカ・カードは知らなかったわ」

ところで奇しくも、その元夫ウェインがまったく同時期にコットン・クラブで行われるリオン・ウェアのバックで来日中なのだ。「コットンに見に行くの?」と聴くと、「自分もライヴもあるから行けないわ」と笑った。しかし、世の中は狭いものだ。

そして、そのリンに元チャプター8のヴァレリー・ピンクストンを紹介された。ちょうど、一緒に楽屋に行ったライターの金澤さんがチャプター8の話を持ち出し、2枚目以降が好きなんです、と言うとえらく受けて、「今度来年の1月にロンドンでチャプター8、リユニオン・コンサートをやるのよ」という爆弾ニュースが飛び出た。(っていうか、これを爆弾ニュースと思うか、思わないかは各個人の価値観による…。思わない人のほうが多いかもしれませんです。マイナーな話しですいません) で、メンバーはと聞くと、「マイケル・J・パウエル、コートレン・ヘイル、ヴァーノン・フォール…。あと何人か。あ、そして私」 「アニータ・ベイカーは入らないんですね」 「ノー、ノー、はいらないわ(笑) アニータの後に入ったのが、私ですから」 ヴァレリーは、なんとなく僕を見たことがあるようなことを言う。1996年のホイットニー・ヒューストンで来日している、という。じゃあ、そのときに会っているかもしれない。

しかしパティーの今日のステージは随分とスポンテニアスなショーでしたね、とふると、リンが言う。「だいたい、いつもあんな感じよ」 「セットリストから外れて突然予定にない違う曲になって、よく追いつけますね」 「スティーヴィーで鍛えられてるし…(笑)」 

ちなみにグレッグのプリンス・ネタは、この日初めて見たという。

この日は客席にベース奏者ウィル・リーが遊びに来ていて、楽屋にもいた。日本の矢野顕子のバックで来日していて、ちょうどこの金曜だけオフだったようだ。

■過去記事

February 23, 2007
Special Jam Night; Stevie Wonder’s Band: Music Is My Hobby
http://blog.soulsearchin.com/archives/001605.html

■ グレッグ・フィリンゲインズ、アルバム2枚

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005MI8A/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■『パルス』 ここにマイケル・ジャクソンが『スリラー』のために録音する候補曲の1曲だった坂本龍一作「ビハインド・ザ・マスク」が入っている。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001BLSEW8/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>LIVE>Austin, Patti
ENT>CHAT>Phillinganes, Greg / Fiddmont, Lynn/ Pinkston, Valerie

(内容がでます。これからごらんになる方はご注意ください)

【Night With Patti Austin Was Fun, Fun Fun, Greg Stole The Show?】

ジュークボックス。

クインシー・ジョーンズの秘蔵っ子としても知られるシンガー、パティー・オースティンの「ジャズ・セット」ではない、「ソウル系セット」(ブラック・コンテンポラリー・セット)のライヴ。バックに来日30回以上を数えるキーボード、グレッグ・フィリンゲインズ、LAファースト・コールのギタリスト、ポール・ジャクソン・ジュニア、コーラスにリン・フィドモント(ヴァージンからアルバムを出しているリンゼイの片割れ)、そして元チャプター8のヴァレリー・ピンクストンらを従えた強力バンドをバックにしたもの。

オープニング、いきなり、クインシー関連メドレーでワン・ツー・パンチを食らう。クインシー・ナイトを彷彿とさせる。それは1980年代初期の、いわゆる「ブラック・コンテンポラリー」の夜明けにフラッシュバックさせてくれた。(ブラコン=ブラック・コンテンポラリーは1982年ごろから)

バンドがよいせいか、この日はずいぶんとのびのびとしたスポンテニアス(自然発生的)なステージ運びだった。特に中盤、「彼はクインシーやスティーヴィー、ライオネル・リッチー、マイケル・ジャクソンらの音楽監督をやっていてね、そう、私のも。グレッグ・フィリンゲインズ!」といってグレッグを紹介し、グレッグが関係した曲を何曲かちょこちょことやらせた。驚いたのがマイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」のバックで、彼がムーンウォークもどきをやったことだ。(笑) あまり上手ではなかったが、芸達者なグレッグが最高に受けていた。グレッグもパティーもかなりなファニーなキャラクターだ。

パティーの歌はもちろん安定しており、どれを歌っても、その場で何を歌おうか突然決めても、バックもついてきて、彼女は気持ちよく歌う。この日印象に残ったのは、「ラヴ・ウィンズ」さらに「セイ・ユー・ラヴ・ミー」など。

「セイ・ユー・ラヴ・ミー」では、途中グレッグに振り、グレッグがプリンス風の歌声で歌うという芸を披露した。それがえらくおもしろかったようで、パティーやミュージシャンは大笑いしている。この日、突然、その場で出たという。さらには、グレッグは勝手にプリンスの大ヒット「アイ・ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー」をやりだしてしまった。この時点で、グレッグ・スティール・ザ・ショウ、という感じだった。

そして、一息ついてパティーが言った。「素晴らしいソングライターの曲を歌おうと思います。もう誰もが2000万回(20 million times)以上歌っていると思いますが、私なりの解釈で歌います。これは、ビル・ウィザースの作品。彼は『キング・オブ・エコノミー・リリックス』(最小限の言葉で歌詞を紡ぐキング、というニュアンス)です」 こうして歌われたのがグレッグのピアノだけで始まり、歌が弾き語りっぽく始まった「リーン・オン・ミー」だった。後半バンドが入り、かなりよかった。これを歌い終えると、ひときわ大きく長い拍手が続いた。

すると客席から「愛のコリーダ!」の掛け声が。パティー。「なんですって」「愛のコリーダ!」「問題は、彼が愛のコリーダを覚えているか…」といってグレッグを指差すと、グレッグがコードを探しあて、そのまま「愛のコリーダ」を始めたのだ。もちろん、まったく予定にない、その場で起こったハプニング。

そして本編最後は、「1970年代のディスコの時代に戻りたいと思います。あの頃、誰も私を踊りに誘ってくれなくて。私はベッドではホットなんだけどね。(笑)」 と言って歌いだしたのが、なんとブレインストームというグループが放った1977年のディスコ・ヒットだった。これは珍しかった。

アンコールはデズリーの「ユー・ガッタ・ビー」。一時間半で相当楽しめたが、ふと考えると、「ドゥ・ユー・ラヴ・ミー」や「ベイビー・カム・トゥ・ミー」がなかった。後者は予定にはあったようだが、たまたまボツになったらしい。でも、「ドゥ・ユー・ラヴ・ミー」は僕はアンコールに取っておいてあるものだと思ったので、ちょっと意外だった。

それにしても、パティーが「グレッグのジュークボックス」と呼んだように、何でもできてしまうこのバンド、実に楽しい。パティーと楽しく過ごす夕べ、という感じだ。

(この項、続くかも)

■パティーの一番人気アルバム。クインシー・プロデュースでもっとも充実の1枚

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000002KML/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ジャジーな2枚は、大人の味わい

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000H5U0DK/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000H5U0DU/soulsearchiho-22/ref=nosim/

現在のところ最新作。ガーシュウィン作品にチャレンジ。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000M2EAJS/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■メンバー

パティー・オースティン/Patti Austin(Vocals)
グレッグ・フィリンゲインズ/Greg Phillinganes(Keyboards)
デイヴィッド・デルホム/David Delhomme(Keyboards)
ポール・ジャクソン・ジュニア/Paul Jackson, jr(Guitar)
ダン・ルッツ/Dan Lutz(Bass)
トレヴァー・ローレンス・ジュニア/Trevor Lawrence, jr(Drums)
ラモント・ヴァン・フック/Lamont Van Hook(Background Vocals)
ヴァレリー・ピンクストン/Valerie Pinkston(Background Vocals)
リン・フィドモント/Lynn Fiddmont(Background Vocals)

■セットリスト パティー・オースティン
Setlist : Patti Austin @ Billboard Live, August 21, 2009

show started 21:34
01. Intro (Introducing members)
02. Quincy/Rod Medley (#2 to #4): Stomp
03. Give Me The Night
04. Razzamatazz
--. A riff of James Brown’s I Got Feeling
05. Betcha Wouldn’t Hurt Me
06. In And Out Of Love including a riff of "Good, Bad & Ugly"
07. Hey, Joe (Jimi Hendrix)
08. Love Wins
09. How Do You Keep The Music Playing
10. Happy Birthday (To Patti, born August 10th)
--. A little bit of Greg Phillinganes (#11 to #16)
11. Love Will Find A Way (Lionel Richie)
12. Signed, Sealed, Delivered And I’m Yours (Stevie Wonder)
13. Billie Jean (Greg’s moonwalk) (Michael)
14. September (Earth Wind & Fire)
15. Say You Love Me (including Greg’s Prince Impersonate version)
16. I Wanna Be Your Lover (Prince)
17. Lean On Me (Bill Withers)
18. Ai No Corrida (Quincy Jones)
19. Lovin’ Is Really My Game (Brainstorm)
Enc. You Gotta Be (Des’ree)
show ended 23:13

(2009年8月21日金曜、ビルボード・ライヴ東京=パティー・オースティン・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Austin, Patti

【Darfur Project Reception Party At Dutch Embassy】

完成。

先日、このブログでもお伝えした「ダルフール・プロジェクト」のチャリティー・ソング「タッチ・ザ・スカイ」が完成、2009年8月20日(木)、都内のオランダ大使館でそのお披露目パーティーがあり、ブレンダ、ケイリブらがこの曲を歌った。

ダルフール・プロジェクトとは↓
△ダルフール紛争へのチャリティー・ソング「タッチ」、ブレンダたちが集結
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10307496709.html#main

⊿「ダルフールのための歌」~レコーディング・セッション (ダルフール=パート2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10308169535.html#main

ダルフールはアフリカ、スーダン国の西側の地域。ここで人種間紛争が起こり、何十万人とも言われる大虐殺がなされ、被害者が近隣の諸国に難民となって逃れ大きな問題となっている。このことについて、関心を高めようという映画『シング・フォー・ダルフール』(監督・ヨハン・クレイマー)が昨年発表され、その日本での配給権を取った会社が、「ウィ・アー・ザ・ワールド」的なダルフールへの賛歌を作ろうとブレンダ・ヴォーンらに声をかけて実現した。

パーティーはオランダ駐日大使のあいさつ、映画の編集ヴァージョン、また、今回の総指揮した臺プロデューサー、ゲストで来ていた女優の鈴木杏さん、世界的デザイナーのワダエミさん、映画コメンテーターのリリコさんらもあいさつ。さらに、ケイリブ・ジェームス、ブレンダ・ヴォーン、ポーラ・ジョンソン、レディーヨーらがあいさつし、この曲を生で歌った。この作品はウェッブで無料公開される。

オランダ大使館で行われたのは、監督ヨハンがオランダ人であるため。この映画を大使館もサポートする。

ニュース記事↓
YAHOO NEWS
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090821-00000003-eiga-movi

9月の映画公開にあわせ下記ウェッブでこの曲の完成ヴァージョンが無料でダウンロードできるようになります↓
SING FOR DARFUR
http://www.plusheads.com/singfordarfur/

++++

レセプション。

オランダ大使館は港区の東京タワーの近くにある。かなり大きく、見事な建物だった。フィリップ・ドゥ・ヘーア大使によると、この建物は関東大震災で崩壊した震災の2年後に立て直されたという。ライヴ後は、大使館専属のフレンチのシェフが作った料理、デザートなどが供された。

ブレンダは、この完成パーティーがことのほか感慨深かったようで、あまりの感激に歌ったあと泣き出してしまったほど。かなり力をいれて作り、しかも完成までが相当大変だったからだ。最初ブレンダがダルフールのことを聞いたのは、昨年(2008年)11月のこと。それから企画が動き出し、曲を書き、歌うメンバーを集め、7月末にレコーディングをし、ミックスし完成させた。ミックスをしたのは、ブレンダの昔からの友人コン・ファンク・シャンのフェルトン・パイレートだ。

立食のディナー・タイムになってブレンダもずいぶんと落ち着いたようだが、芝生の庭ではバーベキューがなされ、ブレンダはハイヒールがずぼずぼと芝生に刺さってしまうので、靴を脱いで裸足で歩いていた。終盤になると、ブレンダやケイリブらもすっかりリラックスした様子で、食事が残っていると、「私は明日の昼までここにいてもいいわ。ブレックファーストもここで食べるわ」と上機嫌。さらに、ケイリブは「すばらしい、料理だ。ドギーバッグで持ち帰るか?」とジョークを飛ばす。ブレンダ。「『テイクアウト』って、ここではどういったらいいんでしょう(笑)」

さて、完成したヴァージョンの歌詞があり、「日本語に訳して欲しい」と頼まれたので、さっそくやってみた。前回ご紹介したものと少しだけ変わっているので、完成ヴァージョンの英語詞とその訳詞をご紹介する。(日本語のニュアンスの違いなどありましたら、ご連絡ください。変更も可です)

「タッチ・ザ・スカイ」
(訳詞・ソウルサーチャー)

私たちが学ぶこと、それはすべて母のために
私たちが学ぶこと、それはすべて父のために
私たちの家が焼き尽くされたことからさえも、私たちは学びます
私たちの村が茫漠たる地にされても、そこから私たちは学びます
私たちが学ぶこと、それはすべて姉妹たちのために
私たちが学ぶこと、それはすべて兄弟たちのために

このお話をきいてください…

(Verse)
ただあなたの声を上げることによって
もしあなたが何か変えられるとしたら?
あなたが誰かは関係ありません
ただあなたが関心を持っているということが大事なのです

現実とは、身近で起こることも、はるかかなたの出来事も
テレビで報じられること以上のもの
事件は(いつでも)あなたの身にも、私の身にも起こるのです

私たちが手を合わせれば、
世界を救うことはできなくとも、
少しだけ世界をよくすることができると信じています

(Chorus)
触れて、
そうすれば愛を広められる
触って、
そうすれば希望を授けられる
手を差し伸べて
そうすれば子供を救える
手を伸ばし、触れて、あなたの愛を広めて
プランを立てて、始めましょう
もっと触れてごらんなさい

(Verse)
たくさんの人々がほんのちょっとした愛を
必要としていることを想像してみて
それはお金では買えないもの
彼らも、あなたや私と同じ人間
彼らは必死に生きようとしています
彼らは自由になりたいのです

(私たちは)ただニュースを広めるくらいしか出来ません
心を開いて、あなたの声を上げましょう
それがあなたやわたしに与えられた神からの言いつけ
「明日やる」ではスピリットは自由になりません
触れて

(Chorus)
触れて、
そうすれば愛を広められる
触って、
そうすれば希望を授けられる
手を差し伸べて
そうすれば子供を救える
手を伸ばし、触れて、あなたの愛を広めて
プランを立てて、始めましょう
もっと触れてごらん

神様、私に何ができるのでしょう、教えてください
神は答えて、教えてくれた
神が与えたあなたや私の才能を使いなさい、と
そんな才能が、彼らを自由にする

(Bridge)
私たちに関心がないわけではない
ただ、ときに私たちが理解していないだけ
こんなことが「しょうがないこと」、なんて思ってはだめ
(そんな考えはだめ)
一人ひとりが見たことを、誰かに伝えましょう。
そうすればわかります
約束だけでは十分ではありません
あなたの愛を深い同情をもって広めましょう

あなたのちょっとした愛を広めて
触れて、触って、手を差し伸べて
タッチ

私たちはこの歌をダルフールの人々のために歌います
毎日、私たちは祈り続けています
触って、ダルフールは声をあげている

私たちはこの歌をダルフールの人々のために歌います
毎日、私たちは祈り続けています
触って、ダルフールは叫んでいる


Touch The Sky (Sing this song for Darfur)
(Written by Brenda Vaughn, Reddyo, Ty)
(イタリック部分がオリジナル歌詞から変更になった部分です)

Ah Ah Ah Ah Ah Ah Ah
Oh Oh Oh Oh Oh……Oh

We learn for our mother we all learn
We learn for our father we all learn
Even though our house is burning down we all learn
Even though our village is deserted now we all learn
We learn for our sister we all learn
We learn for our brother we all learn
Darfur

Let me talk to you……….

(Verse)
What if u could make a change?
Just by lifting your voice
No need to know your name
Just need to know that u care yea

Realty is more than a TV screen
Up close or from a distance
It could happen to you or me
Now Now I believe that if we all come together
We may not save the world
But we can make it better
Just touch

(Chorus)
Touch
We can spread love
Touch
We can give hope who who
Touch
We can save a child
Spread your love and just reach out and

(Touch) Touch a hand
(Touch) Touch a heart
(Touch) Make a plan make a start (Touch) whoo
Motto Furete Goran

(Verse)
Imagine so many people out there that need little love
Something money can’t buy
People out there just like you to see, yea
They are pleading for their lives hey they wanna be free

Spreading the news is merely a choice
Open your heart and lift up your voice
Oh these are gifts that’s been given to you and me
Tomorrow’s listening won’t you let your spirit be free to
Touch

(Chorus)
Touch
We can spread love
Touch
We can give hope who who
Touch
We can save a child
Spread your love and
Just reach out I know

(Bridge)
I know it ‘s not that we don’t care
It’s just sometimes we just don’t understand
We got to stop thinking it’s the way it has to be
(Gotta stop thinking that)
Each one teach one just look around you’ll see

Promises are not enough
Let compassion in spread your love

Spread a little, spread a little love and
Touch Touch Touch
Spread some love and
Touch Touch Touch

We sing this song for Darfur
Everyday we keep on praying
Sawatte Darfur is saying

We sing this song for Darfur
Everyday we keep on praying
Sawatte Darfur is saying

Sing this song for Darfur
Everyday we keep on praying
Sawatte Darfur is saying
Sawatte goran

Copywright 2009

ENT>ANNOUNCEMENT>Darfur


【マイケル追悼本~どれがお勧め?(パート6)】

月刊誌。

これは月刊誌、BMR(ブラック・ミュージック・レヴュー)のマイケル追悼本。

■ BMR2009年9月号 (743円+税=780円)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002ISQL0K/soulsearchiho-22/ref=nosim/>

(一言評)全128ページ中、冒頭の48ページまでがマイケル特集。3分の1以上がマイケルの記事。定期刊行物だけに、一冊まるごと追悼とはならなかった。レコードとビデオの紹介が詳しい。しかし、やはり、本人のインタヴューなどがないと物足りない。月刊誌のなかでやる分には限界か。

お勧め度=★★☆ 

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原点。

これは追悼本ではないが、マイケルを知る時に、絶対に読んでおきたい一冊ということでご紹介。1988年、マイケル本人が語りおろした自伝。マイケルのすべてが、マイケルの原点がここにある。なかなか入手しづらいが、図書館などで読める場合には、ぜひ。

◆ムーンウォーク (1988年)発売時・定価1800円

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4789703673/soulsearchiho-22/ref=nosim/

(一言評) マイケル・ジャクソンが自ら語った自伝。マイケルを知る上で、絶対的な一冊。彼の考え方がよくわかる。

お勧め度=★★★★★

お勧め度を5段階で評価。
★★★★★=お勧め。大変よい。
★★★★=買って損なし。お勧め。 
★★★=まあまあ。値段による。
★★=う~~ん、微妙。 
★=マイケルものを全部集める人だけ買えばよろしい。
☆=おまけ

ENT>MICHAEL JACKSON>Book & Magazine

●マイケル追悼本~どれがお勧め?(パート5)

【マイケル追悼本~どれがお勧め?(パート5)】

4キロ。

先日マイケル関連本を再度買ったはいいが、とても読みきれない。ざっと4キロ超、指が切れてしまいそう。自分で書く原稿のために読まなければならないものがたくさんあるのに、追悼本を読んでいると、時間がいくらあっても足りない。とりあえず、日本語のものを先に。

■who’s BAD? マイケル・ジャクソン 1958-2009(シンコー・ミュージックMOOK) 800円+税

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4401633326/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target

(一言評)B5版100ページ、全頁マイケルで埋め尽くされた。発売元シンコー・ミュージックということで、まずは音楽を中心に紹介。安心して読めるお勧めの一冊。1980年から1983年くらいまでのインタヴュー記事、1987年のバッド・ツアー、さらに以後のツアーの記事など復刻記事を中心に、ディスコグラフィーなどを掲載。

1981年に行われたシルヴィー・シモンズのインタヴューは本邦初公開とのこと。なかなか興味深かった。「宗教はありますか」との問いに、エホバの証人のことは答えていない。

またマイケルがマスコミ嫌いになった有名なエピソードがしっかり書かれている。それは、(マイケルの発言)「一度、飢餓について関心を持っていると発言したことがある。僕は子供たちが大好きだから、いつか何とかしてあげたいと思っている。いつかインドに行って飢餓状態にある子供たちに会いたい、自分の目で現状を確かめたいって話をしたんだ。ところがそれが記事になったら、『マイケルは飢えた人たちを見るのが何よりの楽しみだそうだ、彼はそういう人間なんだ』って書かれたんだよ」という事件だ。

僕は、この同じエピソードを1984年10月にジャネット・ジャクソンにインタヴューしたときに聞いた。それは、「なぜマイケルは1982年頃からインタヴューを拒絶するようになったのか」という質問への答えだった。ここに掲載されているインタヴューが1981年のものであるなら、その頃、もしくはそれ以前のどこかのメディアとのインタヴューでそういうやりとりがあったのだろう。

マイケルの対メディアとの戦争の出発点がここに記されているといってもいい。そして、その戦争はマイケルを二十数年後に死に追いやっていく。(一言評じゃないですねえ。(笑))

お勧め度=★★★★

お勧め度を5段階で評価。
★★★★★=お勧め。大変よい。
★★★★=買って損なし。お勧め。 
★★★=まあまあ。値段による。
★★=う~~ん、微妙。 
★=マイケルものを全部集める人だけ買えばよろしい。

ENT>MICHAEL JACKSON>Book & Magazine
ENT>ARTIST>Jackson, Michael

【「バトル・ジャズ・ビッグ・バンド」リーダー吉田治さん語る】

年一。

「バトル・ジャズ・ビッグ・バンド」というグループのリーダーで、サックス奏者、コンポーザー、アレンジャーである吉田治さんが2009年8月16日、『ソウル・ブレンズ』内「山野ミュージック・ジャム」に生ゲストでいらした。

ビッグ・バンドや、ジャズなどは僕にとっては、「アウェイ」(得意の「ホーム」に対して苦手の「アウェイ」)なので、ゲストが来ていただけると、いろんなお話を直接聴けるので、実にありがたい。(笑)

吉田さんはBMG/ソニーから出たバトル・ジャズ・ビッグ・バンドというアーティストのリーダー。このバンドは、有名なビッグ・バンド曲を、超高速のパフォーマンスによってカヴァーしようというもの。元々は、海外の音源からそうした楽曲を集めたコンピレーションが2枚でて、好評を集め、3枚目を作るときにそろそろネタもなくなってきたので、日本で作ってしまおうということで吉田さんが有志を集めて結成したグループだ。

本番前に、いろいろお話を聞いたが、その中で最近ビッグ・バンド自体がちょっとしたブームになっている、という話しに興味を持った。

担当のBMG(今や、ソニー・ミュージックの一部)ディレクター、生見(あざみ)さんによると、今ではどこでもほとんどの町に最低ひとつのバンドがあり、常にメンバー募集がなされている、という。吹奏楽から発展して、ビッグ・バンドを結成し、年に1度でも演奏するために集まり練習するそうだ。そういうアマチュアの人口が多く、ジャズ喫茶のコミュニティーや、そうしたビッグ・バンドのコミュニティーが出来上がっているので、ビッグ・バンドはちょっとしたブームになっている。

そんな中、大学生の選手権ともなった山野楽器主催の「ヤマノ・ビッグ・バンド・ジャズ・コンテスト」は今年で40回を数え、そうしたビッグ・バンド・ブームに大きな力となっているという。

吉田さんの「バトル・ジャズ・ビッグ・バンド」というグループは、難しい曲をいわゆる「高速プレイ」で演奏する。難しいフレーズをみんな揃って、練習し、それが出来た時にはかなりの達成感がある、という。

吉田さんは言う。「オリンピックも、マジックもそうですが、人ができないような難しいことができて、人をどれだけ驚かせられるか、っていうところがあると思う。この『高速』(のテクニック)は、こうしたビッグ・バンドを志す人のあこがれみたいなものになってるのではないでしょうか」 

このレコーディングのためには、大体一月くらい前に、メンバーに楽譜を渡し、みなそれぞれ自主練習してきて、リハーサル1日、本番2日で録る。「大変なレコーディングであることは間違いありません。でもだいたいテイク2(2番目に録音したもの)かテイク3までです。だいたいテイク1(最初に録音したもの)が一番いいんですよね」

「高速ビッグ・バンド」という名称は、以前はミュージシャンたちの間では「ぶっぱや」(めちゃくちゃ速い)と呼ばれていたものが、徐々に「高速」「超高速」などと呼ばれるようになったそうだ。

先週、目黒・ブルース・アレイで行われた16人のこのバンドによるライヴは大盛況だったそうだ。しかも観客層は6:4で女性が若干多かったとのこと。

これらの吉田さんのバトル・ジャズ・ビッグ・バンドのアルバムは前作が5000枚近く売れているという。

ところで生本番に入る前に、こんな事前取材を淡々と行っていたのだが、いざ
生放送に入ると、僕のテンションが高かったらしく、「このテンションの違いに驚きました」と吉田さんに言われた。そんなに違ったかなあ…。(笑) 

吉田さんは、紙媒体の取材はたくさん受けてきたが、プロモーションでラジオは初登場だったそうだ。ありがとうございます。また、来年、新譜とともにいらしてください。

「吉田治で検索すると、今度選挙に出る政治家の人がトップに出てくるんですよね。昔は、僕のバンドがトップだったんですけど」と吉田さんは笑った。

これで「山野ミュージック・ジャム」年一レギュラー、二人目が決まりだ。(笑)(ちなみに、最初は、カルロス菅野さん) それから年一レギュラーのDJもいます。大西くん。「ソウル・ブレンズ」は、このところ、「年一ばやり」だ。

■ バトル・ジャズ・ビッグ・バンド2

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000SM6ZKE/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>ARTIST>Yoshida, Osamu

【木下航志、国連で歌う】

国連。

「ソウル・サーチン」でいつもソウルフルな歌声を聴かせてくれる木下航志(きした・こうし)くんが、先日ニューヨークに行き、国連で歌ったり、いくつかのライヴ・ハウスなどに出向き、飛び入りで歌ったりしてきた。

今回のニューヨーク行きは、国連「ユース・アセンブリー」のオープニングで歌うため。「ユース・アセンブリー」は全世界から約600人の若者を集め、次代を担うリーダーを育てる勉強会。2009年8月5日(水)から8日(金)まで3日間にわたって行われた。

航志くんは、オープニングの8月5日午前、国連の会議場でピアノで「スマイル」を歌い大喝采を集めた。これは、世界中に「スマイル」が広まれば平和になる、ということと、マイケル・ジャクソンへのトリビュートの意味を込めてのものだった。そして、これが大好評だったため、急遽、最終日のクロージングでも歌って欲しいと言われ、8月8日、アカペラでゴスペルの名曲「ヒズ・アイズ・オン・ザ・スパロウ」を歌った。

このニューヨーク滞在中、航志くんはいくつかのライヴ・ハウスに出向いた。そのうちのひとつに「シュガー・バー」があった。あのソングライター・チーム、アシュフォード&シンプソンが経営するソウルのライヴも見せるレストラン・バーだ。プロを目指すシンガーたちが、ここのオープン・マイクを競うが、航志くんも1曲歌ってきた。歌った曲が、「ホワッツ・ゴーイング・オン」で、ここでも満員の黒人の観客から大喝采を集めた、という。

さて、そんな航志くん、2009年8月14日(金)渋谷のライヴ・ハウス、デュオで4アーティストが出るちょっとしたショー・ケース・イヴェントに出演、キーボードの弾き語りで6曲ほど歌った。

オープニングで「A列車で行こう」あたりをいれこむところなど、ニューヨーク帰りの影響か。ちょうどまだ彼は時差ぼけだったとか。

今回の航志くんのマイケル・ジャクソン・トリビュートは、「アイル・ビー・ゼア」、初めて聞いたが、堂々とした歌声を聞かせた。

木下航志くんは2009年9月5日、目黒・ブルース・アレイで「ドゥ・ザ・ソウル VOL.6」を行う。

■ DVD 2007年夏、品川教会で行われたライヴの模様を収めたDVD (2008年1月発売)(バックにソウル・サーチャーズのメンバーも参加しています)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000XQ9JK8/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ 書籍 『voice とどけ、ぼくの声』(小学館) (航志くんが語りおろしたものを書籍にしたもの)(2007年3月発売)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093876738/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■セットリスト 木下航志 渋谷デュオ 2009年8月14日(金)
Setlist: Kishita Koushi
"GROOVIN duo SHOW vol.2 Iri/木下航志/ eyes / 光永亮太"

show started 19:55
01. Take The A Train
02. Amazing Grace
03. 遠い町
04. I’ll Be There
05. Love Is Everywhere
06. 世界の果てに
show ended 20:22

(2009年8月14日金曜、渋谷デュオ=GROOVIN duo SHOW vol.2
木下航志・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Kishita, Kohshi


【『ディス・イズ・イット』が10月末から映画で公開】

公開。

マイケル・ジャクソンが2009年7月から行う予定だったロンドンでの『ディス・イズ・イット』ツアー用リハーサルの模様を記録していた膨大な映像が編集され、ドキュメンタリー映画作品として2009年10月30日から全世界で公開される。映画のタイトルも『ディス・イズ・イット』。日本ではソニー・ピクチャーズの配給で10月30日から2週間限定で公開の予定。2009年8月10日、ロスアンジェルスで発表された。

制作・配給に関しては、ソニー・ピクチャーズ、制作スタジオ「ロルフ・シュミット・ホルツ」、ソニー・ミュージック・エンタテインメント、コロンビア・エピック・グループ・レーベル(ソニー・ミュージック・エンタテインメント傘下)、「エステート・オブ・マイケル・ジャクソン(マイケル・ジャクソン遺産)」が強力なタグを組み、この映画から生まれる収益は「マイケル・ジャクソン遺産(ジ・エステート・オブ・マイケル・ジャクソン)」に寄付される。

映像の権利自体は今回のライヴを仕切っていた「AEGライヴ」と「マイケル・ジャクソン遺産」が所有しているが、そこからソニー・グループが権利を借り受け、編集、配給する。

映像のほとんどは、2009年6月にロスアンジェルスのステイプルズ・センターで行われていたリハーサルの模様になる。

「マイケル・ジャクソン遺産」の管理を任されているのはマイケルの長年の弁護士ジョン・ブランカと、やはり、マイケルらジャクソン家と長年の友人でもあるレコード・エグゼクティヴ、ジョン・マクレイン。ブランカによれば、「我々のゴールは、パートナーたちと手を組み、マイケルのレガシーを尊厳と尊敬を持って仕事をすることだ。本質的な価値をそこに生み出せば、それが、ミセス・キャサリン・ジャクソン、マイケルの3人の子供たち、さらにチャリティー関連グループに有益になる。それがマイケルが生きている間、大きな意味があることだったからだ」という。

ジョン・マクレインは言う。「このフィルムは、ステージにおけるあらゆる興奮の瞬間を生み出したアーティスト(マイケルのこと)にトリビュートするだけでなく、人々をエンタテインすることに生涯をかけたマイケルを愛する世界中の無数のファンへの最高の贈り物だ。ジョンと私はソニーと手を組み、それ(お金)を必要とする子供たちやジャクソン家に多くの利益がもたらされることで、マイケルの音楽的伝説の形成に寄与できることに興奮している」

マイケル・リントン(ソニー・ピクチャーズCEO)は「この映像を見た者は誰しもマイケル・ジャクソンのパフォーマンスのずば抜けたクオリティーに驚嘆している。この作品は、彼の最後となった歴史的レコーディングであり、歌とダンスによって、伝説的アーティストを、綺麗な映像といいサウンドで素晴らしく力強く映し出している」と言う。

ロブ・ストリンガー(コロンビア/エピック・グループ)は、「マイケルはその楽曲の中に生きている。彼のクリエイティヴな天才性、アートへの情熱、仕事、すべてがだ。彼はステージ上では完璧主義者であり、この映画を通じて、オーディエンスは、多くは初めて目にするものだが、いかにマイケルがこのパフォーマンスを完璧にするために心血を注いだかわかると思う」と言う。

ライヴの参加ミュージシャンは、たぶん、一部の関係者はわかっていると思うが、まだ全貌は一般には公開されていない。7月7日に行われた追悼式で「ウィ・アー・ザ・ワールド」を歌ったメンバーの中にロンドン・チームが含まれている。リードを歌った日系の女性シンガーは、ジュディス・ヒル、ほかにドリアン・ホリーなどもいるようだ。(現在鋭意調査中)

このジュディス・ヒルは、ルーファスで来日したキーボード奏者ミチコ・ヒルとベースのロバート・ヒルの娘さん。ロンドンではマイケルとデュエット曲を歌うことになっていた。

◎ マイケル・ジャクソン関連の記事をひとつのテーマにして分類しました。
http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10014963447.html

「マイケル・ジャクソン追悼関連本、どれを読むべきか(パート5)」も、しばしお待ちを。

■ CD,エッセンシャル

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000A3H6EA/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ DVD ライヴ・イン・ブカレスト

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000BNM8AG/soulsearchiho-22/ref=nosim/

「グレイテスト・ヒッツ」

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000BNM8B0/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>ANNOUNCEMENT>Jackson, Michael
ENT>ARTIST>Jackson, Michael
ENT>MICHAEL JACKSON >MOVIE>This Is It Tour
ENT>MICHAEL JACKSON>LIVE>This Is It Tour


◎【ロバート・ブルッキンズ、46歳で死去】

訃報。

ロスアンジェルスを本拠に多くのR&B系アーティストのバックをつけたり、プロデュース活動をしていたマルチ・ミュージシャン、プロデューサー、ロバート・ブルッキンズが2009年4月15日に心臓発作で亡くなっていたことがわかった。46歳だった。

ロバート・フランクリン・ブルッキンズ・ジュニアは1962年10月7日、カリフォルニア州サクラメントに9人兄弟のうち6番目として生まれた。父はアメリカ空軍のエンジニア。母は主婦で子供たちを育てていた。しかし、母と兄トミーは、1970年のクリスマスに交通事故で死去。4歳の頃から歌い始め、5歳でドラムス、9歳でキーボードをプレイするようになり、その後ギター、ベース、ホーン楽器などもマスターした。

1974年、若干11歳か12歳でロバートは「リトル・ロバート&ザ・フォンデルズ」という9人組グループでモータウンのオーディション「ソウル・サーチ」に入賞。いくつかのテレビ番組に出演した。その後1981年、彼の兄マイケル・ブルッキンズ(ギター)とともにアフターバック(Afterback)を結成。このグループは、モーリス・ホワイトの持つARCレコードと契約し、モーリスがエグゼクティヴ・プロデューサー、ヴァーディン・ホワイトとロイド・テイラーがプロデュースするデビュー・アルバムでは「マティニー」という曲でリード・ヴォーカルも披露した。

これを機にロスアンジェルス近辺の音楽シーンで頭角を現した。1983年にはジョージ・デュークのグループで来日。1986年、ジョージ・デュークの作品でも歌ったりしている。その後、MCAとソロ契約を結んだ。デビュー作『イン・ザ・ナイト』では、ステファニー・ミルズとのデュエットも録音。1988年、2作目『レット・イット・ビー・ミー』をリリース。その後、1999年から2008年までアースの音楽ディレクターにもなった。

また、ソングライターとしてもレディングス、ジャッキー・ジャクソン、ジェフリー・オズボーン(「シーズ・オン・ザ・レフト」がブラックで1位)、ステファニー・ミルズなどにも多数の楽曲を提供していた。

葬儀は兄弟7人と父親が中心となり、行われた。

■ 地元紙の記事↓ (2009年4月22日水曜・付け記事)
http://www.sacbee.com/300/story/1799331.html

++++

ロバートの逝去は、ブレンダ・ヴォーンから知った。彼女が、下記のロバートの追悼会の情報を持っていたのだ。Night of Remembranceって、まさか、死んだの? と思い、いろいろ調べたら、4月に亡くなっていたことがわかった。そのときは、情報は入手できていなかった。日本ではほとんどこの死去は伝わっていないと思うので、4ヶ月も経ってしまったが、今日、遅ればせながら訃報記事を書いた。1980年代のブラック・ミュージック・シーンにとっても重要な人物のひとりだ。

ロバート・ブルッキンズは何度か来日している。2000年9月、2001年11月のアースの来日時にもキーボード、ヴォーカルで参加。このときはモーリス・ホワイトが来日していなかったため、「ラヴズ・ホリデイ」などを歌った。2006年のアースには来ていない。また、1983年にはジョージ・デュークのツアーでも来日(おそらく初来日)、このときの模様は『ライヴ・アット・渋谷パブリック・ホール(公会堂)、東京ジャパン1983』としてDVD化されている。もっと他でも来ていると思うが、サイドマンでの来日だとなかなかすべてを把握できない。

ご冥福をお祈りしたい。

■Night of Remembrance "Robert Brookins" at Center Court

ロバート・ブルッキンズを偲ぶ会~Night of Remembrance "Robert Brookins" at Center Court
2009年9月6日日曜 午後9時~午前2時
カリフォルニア州サクラメント市 センター・コート「C-Webs House」
3600 N Freeway Blvd, Sacramento, Ca 95834 
電話番号、アメリカ=916-308-6115
入場料10ドル(11時前まで、以後15ドル) 

■ロバート・ブルッキンズ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0012OVEIK/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ジョージ・デューク・ライヴ・イン・ジャパン(1983年)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00008FD59/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>OBITUARY>Brookins, Robert (October 7th, 1962 -- April 15th, 2009 -- 46 year-old)


○【マルは髪の毛を切り、心機一転成長してJZに登場】

ヘアカット。

これまでにも何度もライヴを見てきた「日本のジル・スコット」、マルの1年半ぶりの完全ワンマン・ライヴ。最近はイヴェント形式で、何組かのアーティストとマルというスタイルでやってきていて、コンスタントに活動は続けているが、マルだけでライヴをやるのは本当に久々とのこと。何回か、そのイヴェントにスケジュールがあわず行けなかったが、久々に渋谷ジェイジー・ブラットに。僕自身が見たのが2007年11月のブルース・アレイ以来。かなり間があいた。

この日は『キャデラック・レコード』の試写を見てから向かったので、ライヴ自体はセカンドの途中からになってしまったが、入るなり、超満員のお客さんに度肝を抜かれた。通路がほとんど埋まっている。席数70ほどのジェイジーに120くらいははいっていたのではないだろうか。いつのまにか着実にファンを増やしているようだ。その立ち見の人たちを掻き分け中に入っていくと、な、な、なんとマルがトレードマークのアフロ、というか、大きなパーマをばっさり切って、ストレート・ヘアにしているではないか。

バックは、ドラムス、ギター、ベース、キーボードにコーラス2人という布陣。なんとキーボードはポチ(ジュジュ・ツアーで忙しい)から、若手のホープ、学史になっていた。

マルの歌声は相変わらず力強く、ソウルフルだが、この日はオリジナルが多かったせいかジル・ジョーンズ臭はなく、どちらかというと、ミーシャのようなJポップ・シンガーという感じがした。それにしても、迫力あり、うまい。

一番響いたのは、初めて聴いた「ビューティフル・ライフ」というバラード。途中でマルは感極まって、一部泣いてしまったが、曲の歌詞と実際の人生に重なる部分があったのだろう。アーティストや歌手というのは、大きな心の痛手を受けたりすると、いい作品やいいパフォーマンスを生み出すことができるのだ。極論すれば、マイケル・ジャクソンなんてあれだけ、苦しい人生を歩んだがゆえにあれほどの素晴らしい功績を残したとも言える。

■マル過去関連記事

November 08, 2007
Maru First Full Show At Blues Alley: With Surprise Guest
【マル、ブルース・アレイ・デビュー】
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200711/2007_11_08.html

September 13, 2007
Maru Will Write New Song With Each Live
http://blog.soulsearchin.com/archives/002023.html(前回ライヴ評)

May 15, 2007
Maru Live; Takeo & Mana Live
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200705/2007_05_15.html
(ここに過去記事一覧があります)

■マル・オフィシャル・ページ
http://www.marudiva.com

■ メンバー

MARU(vo)
Gakushi(key)
渥美幸裕(g)
鈴木 渉(b)
岸田容男(ds)
Hiro-a-key(chorus)
JAY(chorus)
DJ RYOHEI
BIN+ANNA TOKYO (accesories)
ゲストLuz Fonte (岡田健次郎)

■セットリストMARU スペシャルライヴナイト 『ODE Vol,4 ~Music Lounge~』feat. Luz Fonte(vo,p)@ JZ-Brat(渋谷セルリアンタワーホテル2F)
Setlist : Maru @JZ Brat

first set

01. Kitty Boy
02. Sight Of Hope もしも願いが叶うなら
03. I Can’t Help It
04. I’m Trying (song by Luz Fonte=岡田健次郎)
05. 1234u
06. (new song)

second set

01. Can’t Stop This Love
02. The Closer I Get To You
03. 夢追い人(song by Luz Fonte=岡田健次郎))
04. 嘘
05. Beautiful Life
06. Show Girl!!!
Enc. 守りたいから
show ended 22:02

(2009年8月10日月曜、渋谷ジェイジー・ブラット[JZ-Brat]=マル・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>MARU


◆(速報)ギターの神様、レス・ポール94歳で死去

訃報。

ギタリストであり、エレキ・ギター「レス・ポール」の生みの親、レス・ポールが2009年8月13日、ニューヨークの病院で肺炎で死去した。94歳だった。音楽史に残る歴史的人物のひとり。

レス・ポールは、本名、レスター・ウィリアム・ポルファス、1915年(大正4年)6月9日、ウィスコンシン州ワカシャー生まれ。子供の頃からハーモニカ、ギターを弾き始める。10代後半からプロとして活動、1930年代後期までにニューヨークに移住。ラジオ番組でもプレイするようになった。1941年、新しいエレキ・ギター「ザ・ログ」を開発。これが現代の固いボディーのエレキ・ギターの原型となった。

また、レス・ポールは単なるギター開発だけでなく、オーヴァーダビング、ディレイ(音をずらして録音する技術、エコーのように聞こえる)、テープ・ディレイ、多重録音などの技術も開発。そうした技術開発とともに、ギターの弾き方にも新しい手法を生み出し、後のブルーズ、ソウル、そして、ロックン・ロールのギタリスト、音楽サウンド全体に多大な影響を及ぼした。

1951年、妻であるメリー・フォードとのデュエット「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」が全米1位に。この頃、すでに多重録音という技術も開発していた。さらに翌1952年一度は断られたギブソン社からポールが開発したギター「レス・ポール・ゴールドトップ」が発売された。その後も「ブラック・ビューティー」「カスタム」「ジュニア」など次々とギター・モデルを発表。

また、アーティストとして、1976年、チェット・アトキンスと録音した「チェスター&レスター」でグラミー賞を獲得。

2007年ドキュメンタリー映画『レス・ポールの伝説』で、彼の生涯が描かれた。

彼は3人の息子、1人の娘、5人の孫、5人のひ孫らによって送られる。

■チェット・アトキンス&レス・ポール

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000007691/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■DVD

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001ISBKJ8/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>OBITUARY>Paul, Les, June 6, 1915 - August 13, 2009, 94 year-old


■【ニック岡井バースデイ・ナイト、ダンステリアで9月29日に開催】

バースデイ。

2007年11月11日、60歳の若さで急死したダンス・クリエイター、ニック岡井さんの誕生日を祝ってイヴェントが行われる。会場は、ニックが最後までDJをしていた白金ダンステリア。日時は2009年9月29日、ニックの62歳の誕生日だ。

DJは、ミラクル川畑、つるがや、まさこ、ソウル・ナッツのケイコ、ダンステリアの有輝。ライヴがショウダイ。

ニックの誕生日イヴェントは2007年まで毎年9月29日に行われてきた。ニックがDJをし、友人たちがニックを祝ったが、2007年の急逝のあと、2008年は行われなかった。そこでまたこの定例の誕生会を復活させようということになった。

ニックの奥さん、佐和子さんはフライアーの中で「私とニックさんが初めて出会った場所、そしてニックさんがDJ人生の中で、もっとも長い時間を過ごしたダンステリアで、皆さんと一緒にニックさんのお誕生日をお祝いできるなんて、嬉しすぎです!」と言葉を寄せている。

「楽しいことが好きなニックなので、命日にやるのではなく、誕生日を祝うというところがポイントです」と佐和子さんは言う。

■ ニック岡井バースデイ・ナイト

日時 2009年9月29日(火曜)18時~24時
料金 3000円(2ドリンク)
会場 白金ダンステリア 
〒108-0072 東京都港区白金1-29-13 白金ビレッジB1 電話03-3444-0097
DJ Kawabata(Miracle), Tsurugaya, Masako, K-co (Soul Nuts), 有輝
ライヴ ショウダイ

■ニック岡井過去関連記事 (やはり、ニックについてはかなり書いています。葬儀の模様は読み返すと泣けてきます…)

November 12, 2007
Nick Okai Dies At 60
【ダンス・クリエイター、ニック岡井氏60歳で死去】 
http://blog.soulsearchin.com/archives/002142.html

November 13, 2007
Nick Okai Tribute: “My Girl” Is A Song Made His Life Change
【ニック岡井トリビュート~ニックの人生を変えた1曲】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002144.html
(それまでのニック関連記事一覧も)

November 18, 2007
Today’s “Soul Blends” Will Tribute To Nick Okai
【今日『ソウル・ブレンズ』でニック岡井トリビュート、次週テンプス生ゲスト】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002149.html

November 19, 2007
Nick Okai’s Funeral Day One: His Memorial Song “My Girl” Was Played…
【ニック岡井氏通夜~「マイ・ガール」が流れて・・・】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002150.html

November 20, 2007
Nick Okai’s Funeral Day Two: Someone Should Record These Culture
【ニック岡井氏告別式~華麗なソウル・ステップよ、永遠に】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002151.html

■ ニックのダンス教則DVD3本

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000EUKPHO/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000EUKPI8/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000EUKPHY/soulsearchiho-22/ref=nosim/


ENT>EVENT>ANNOUNCEMENT


●【日比谷シティー「ダンス・クラシック2009」盛大に行われる】

谷間。

ビルの谷間が巨大ディスコに~~。今年で5回目を迎える日比谷シティーで行われている「ダンス・クラシック2009」のイヴェントが2009年8月12日(水曜)、日比谷シティー・ビルの屋外コート(約370坪)で行われ、千人近くの観客が集まり、夏の夜の野外ディスコを楽しんだ。売店も立ち並び、ステージではDJがダンス・クラシックを流す。観客層は種種雑多。

会場は、ちょうどビルの谷間の広場で、1階レベルから見ると、ダンス・フロアを見下ろす形になる。そこで上から、近くのサラリーマンたちがものめずらしそうに眺める姿も。入場は無料なので、誰でも立ち寄れる。今回は、全国ソウルバーの総帥、ミラクル川畑氏が音頭を取り、全国ソウルバーに声をかけて協力した。さすがにソウルバー関係者が多数来場している。

昨年までは2日間にわたって行われていたが、今年からは予算縮小で1日に。逆に1日になったことで、1回のイヴェントに集まった観客数は多くなったという。

マイケル鶴岡のダンス・レッスンの後、セルジオ・ムトウのジェームス・ブラウン・ショーがカラオケであり、観客を沸かせていた。ちょうどその頃、会場に着いた。大音量のライヴと、ダンス・クラシックのレコード。ビルの谷間のディスコティック。

「このイヴェントに来るとニックさんのことを思い出すんですよねえ」とニックさんビデオ(DVD)を出したカラーテックの風間さん。ニックは毎年ここでDJをやっていた。そして、カラーテック松澤さんには、マーヴィン・ゲイの自伝『マーヴィン・ゲイ物語』を販売していただいた。そのコーナーには、もちろんニックのDVD、江守さんの本も。司会の月忠・藤本さんがMCで「本、ご購入の方はサインします」と宣伝していただき、3冊ほど売れた。(笑) ありがとうございます。川畑さんに本を持って写真を撮らせてもらおうとしたら、「うちにも置いてよ」と言われ納品することになった。ありがとうございます。

□ その様子は「マーヴィン・ゲイ物語」ブログに掲載します
http://ameblo.jp/divided-soul/

しかし、これだけ集客があるのだから、イヴェントとして来年も続けて欲しいと思う。ラストを飾ったDJは、まいどおなじみアトム。

イヴェントは10時まで。ラスト・ソングがかかった後、音が止まり、パーティーが終わった。その頃には、ビルの谷間に吹く風が涼しくなっていた。

マーヴィン・ゲイ物語、引き続きよろしく

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4860203186/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>EVENT>Hibiya City Dance Classic 2009

(ライヴ内容でます。これからごらんになる方はご注意ください)

⊿「キング・オブ・ニュー・ジャック・スウィング」~ガイ・エネルギー炸裂

【ガイは「リメンバー・ザ・タイム」でマイケルに捧げる】

炸裂。

1988年から1990年頃にかけて全米のブラック・ミュージック・シーンを席巻した跳ねるリズムが特徴のいわゆる「ニュー・ジャック・スウィング」。その生みの親テディー・ライリーは、当時一躍「時代の寵児(ちょうじ)」となったが、そのテディーのグループ、ガイ(Guy)が久しぶりに来日。ガイとしての初来日は1989年10月なので、初来日からちょうど20周年でもある。テディー・ライリー自身の来日は2007年9月、2009年2月のブラックストリート以来。

バンドはキーボード3人、ドラムス、DJ、コーラス3人のバックにガイ3人。うち、テディーは4人目のキーボード奏者ともなる。例によってギター、ベースがいない。

オープニングからいきなり、1階席半分くらいスタンディングとなり、2-3曲進むころには総立ちの様相を呈した。黄色のスーツに黒のシャツ。最初から飛ばす飛ばす。ハイエナジーなリズム、「ニュー・ジャック・スウィング」全開だ。まさに「キング・オブ・ニュー・ジャック・スウィング」、面目躍如。

帽子を被ったテディーは、キーボードも弾きながら煽る煽る。徐々に、ダミアン、アーロンと上着を脱ぎ、アーロンはまもなく上半身裸になった。さらに11曲目あたりからは、アーロンは客席に降り、ファンにもみくちゃにされながら、客席を一周。2階席のテーブルの上に上り、そこで歌った。あそこで歌った歌手は初めて見た。まさにビルボード・ライヴを占拠した感じだ。

アーロン・ホール、2階テーブル席をステージにしてしまった男だ。あの甲高い声が印象的。そしてなによりけっこう細いので驚く。すぐに上半身を脱いだりするあたり、ケイシー&ジョジョを思わせる。

アンコールは、まさに「ニュー・ジャック・スウィング・メドレー」だ。そしてその4曲目に入る前にテディーは言った。「最高のエンタテイナーであり、最高の男だった人物。そして僕のベスト・フレンド。彼はかつても最高だった、今も最高、そして、将来も最高だ。(He was the best, he is the best, he will be the best) ピース・サインを彼に~。1-2-3 マイケル・ジャクソン!」 (ちなみにこの曲の途中にマイケルのかっこうをしたダンサーが登場したが、いまひとつだった。どうせいれるなら、ここはやはり、MJ-Spirit (blue-tree)くらい上手なダンサーをいれたい。これは急にテディーらにマイケルそっくりを集めてくれって頼まれたのかな。言ってくれれば、いつでも紹介します(笑))そして、テディーがプロデュースしたマイケル・ジャクソンの「リメンバー・ザ・タイム」。

真夏を真夏以上に熱くした男たち、ガイ3人組。満足度のひじょうに高いライヴだった。

ライヴ後テディーに「20年以上前に、日本人で一番最初にあなたにインタヴューした音楽ジャーナリストです」と言うと、えらく喜んで「何でも言ってくれ、何でもする」、「俺のカメラで一緒に写真を撮ろう」とスタッフに指示し、写真を撮られた。ので、僕も撮った。歓待ぶりにカンゲキ。会場にはものすごいサイン待ちのファンの列ができていた。

帰って調べてみると、テディーにインタヴューしたのは1988年7月25日、このときはニューヨークでジーン・グリフィンの話も聞いた。この時点ではまだガイのファーストは日本発売されていなかった。ジョニー・ケンプ、キース・スウェットがでていて、そこで注目し彼にインタヴューをオファーして実現したものだ。その後、1989年5月30日に、これはロスで。そして1989年10月14日、ガイ初来日のとき、全員。それでも20年も前。光陰矢のごとし。

(ガイのライヴは8月12日最終)

■ 過去テディー・ライリー関連記事

September 29, 2007
Teddy Riley’s Jam @ Billboard Live
http://blog.soulsearchin.com/archives/2007_09_29.html

■ ガイ~いつのまにかベスト・アルバムが

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00006HI65/soulsearchiho-22/ref=nosim/

GUY ~なんといっても、このファーストが歴史的一枚

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000002PHQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ メンバー

テディー・ライリー/Teddy Riley(Vocals)
アーロン・ホール/Aaron Hall(Vocals)
ダミオン・クレイジーレッグズ・ホール/Damion ’Crazy Legs’ Hall(Vocals)
ロメオ・ジョンソン/Romeo Johnson(Vocals)
ステファニ・パーカー/Stephani Parker(Vocals)
ミカ・レット/Mika Lett(Vocals)
デリック・マキャリスター/Derrick McAlister(Keyboards)
クリストファー・トンプキンス/Christopher Thompkins(Keyboards)
ケヴィン・スタンシル/Kevin Stancil(Bass)
モーリス・フェリス/Maurice Ferris(Drums)
DJ・スパーク/DJ Spark(DJ)

■ セットリスト ガイ @ビルボード・ライヴ東京
Setlist : Guy @ Billboard Live Tokyo, August 11, 2009

show started 21:43
01. Intro
02. Her
03. Wanna Get With U (including a riff of "Drop The Bomb")
04. D-O-G Me Out
05. Spend The Night
06. My Fantasy
07. Yearning For Your Love
08. Smile
09. Goodbye Love
10. Tease Me Tonite
11. Piece Of My Love
12. Teddy’s Jam
13. Let’s Chill
14. I Like
15. Groove Me
Encore 1. I Miss You (Aaron Hall)
Encore 2. My Prerogative (Bobby Brown)
Encore 3. Just Got Paid (Johnny Kemp)
Encore 4. Remember The Time (Michael Jackson)
Encore 5. Don’t Be Afraid (Aaron Hall)
show ended 23:08

(2009年8月11日火曜、ビルボード・ライヴ東京=ガイ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Guy
2009-91

△ビヨンセが映画『キャデラック・レコード』で歌う3曲

【『キャデラック・レコード』、8月15日から公開】

実生活。

シカゴのチェス・レコードを舞台にしたその創始者のひとり、レナード・チェスと、チェス所属のブルーズ・アーティストたち、マディー・ウォーターズ、リトル・ウォルター、ハウリン・ウルフ、チャック・ベリー、そして、エタ・ジェームズ(エタ・ジェイムス)らの悲喜こもごものストーリーを描いた映画『キャデラック・レコード』。その一般試写会が2009年8月10日(月)、日比谷の東商ホールで行われた。いよいよ、この『キャデラック・レコード』が今週土曜日(2009年8月15日)から恵比寿ガーデン・シネマなどで公開される。ちょうど、サマソニ出演のため来日中のビヨンセが立ち寄るか、などという可能性もなくはなかったが、現れなかった。

映画についての評はすでに2009年6月9日付けソウル・サーチン・ブログに書いたので、そちらを参照されたい。

http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10277116605.html
http://32970.diarynote.jp/?day=20090609

ところで、ここではビヨンセが映画『キャデラック・レコード』で歌う3曲についてちょっと紹介してみたい。

その3曲とは、「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」、「オール・アイ・クド・ドゥ・ワズ・クライ」、「アット・ラスト」だ。いすれも、エタ・ジェームズのヒット、持ち歌としても知られる。

「オール・アイ・クド・ドゥ・ワズ・クライ」はエタ本人の1960年5月からヒットし、ソウル・チャートで2位、ポップで33位を記録した作品。これはモータウンのソングライター、ビリー・デイヴィスとモータウン創始者ベリー・ゴーディーらが書いたもので、レナード・チェスと彼らは仲がよかったので、エタにこの曲を歌うように勧めた、という。チェスは、この頃、三角関係の曲、不倫の曲をエタが歌うといいというアイデアを持っていて、この曲に出会って、どんぴしゃだと感じた。エタが好きな男が他の女の元に行ってしまい、自分は泣くだけだ、というストーリーだ。

エタはこのころ、ドゥー・ワップ・グループ、ムーングロウズのベース・ヴォーカルでリーダーのハーヴィー・フークワとつきあっており、チェスは、エタとハーヴィーのデュオ・シングルも出している。だがこのハーヴィーは後にモータウン創始者ベリー・ゴーディーの姉、グエン・ゴーディーと親しくなり、結婚。エタを振る。後にエタがこの曲を歌うときには、そんな実生活のことも重なって重さを見せるようになった。

そして、それに続いて「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」。これは、「あなたが他の女といるところを見るくらいなら、盲目になったほうがましだ」という歌。1967年、エタ・ジェームズがヒットさせた「テル・ママ」という曲のシングルのB面に収められていた作品。他に盲目のソウル・シンガー、クラレンス・カーターのものが有名だ。映画の中でも実にいいシーンで歌われる。

そして、そうした苦労を乗り越え、ついに幸せが訪れる。「アット・ラスト」は、ついに不幸な私にも幸せが訪れた、と切々と歌う作品。これはもともと1942年にグレン・ミラーでヒットしたポップ曲をエタが1961年にカヴァーしたもの。ソウル・チャートで2位、ポップ・チャートで47位を記録している。

エタの人生は不幸なことが多かった。映画でも出てくるが、彼女がビリヤードをやっているシーンがある。そのうまさにレナード・チェスが感心する。エタがプレイする後ろの壁には伝説のビリヤード・プレイヤー、ミネソタ・ファッツの写真が飾られている。そして、「あれが父親、って言われてるわ」とエタっは言う。彼女はその父から愛されたいと思い、一度でいいので会いたいと熱望し、それが実現するが、父からは冷たくされ、どん底の悲しみを味わう。

歌手というものは、実生活で激しく悲しいことや寂しいことがあると、それを歌に託して心の外に解放することができる。そうして、自分の内なるストレスを発散できるのだ。そしてその外に出す悲しみやストレスが大きければ大きいほど、それを聴く者は感じるものが多い。エタの歌に宿るソウルの源は、そんな彼女の人生の一部だ。

(お知らせ)

2009年8月12日(水)東京FM(80.0mhz)『ワンダフル・ワールド』という番組の「シネマ80」というコーナー(16時35分~16時55分=生放送)に出て『キャデラック・レコード』の話をします。

■ 映画オフィシャル・サイト
http://www.sonypictures.jp/movies/cadillacrecords/

■ エタ・ジェイムス、最新作はスタンダード・カヴァー集 (ライナーノーツ吉岡正晴)(エタが歌うオーティスの「愛しすぎて」「トライ・ア・リトル・テンダーネス」などぜひ聴いて欲しい)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002EEKYCO/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ 『キャデラック・レコード』 (サントラはいくつかヴァージョンがありますが、このデラックス・ヴァージョンをお勧め)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002AV4F7Q/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>MOVIE>Cadillac Records

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