Lady K Sings Lady D

2004年7月21日
レディーK。

それにしても、39度超えですか。半端じゃない暑さです。なんにもしなくても、だるくなって疲れるような気がしますね。こんな時は、クールなジャズ・ヴォーカルでもCDプレイヤーにいれて、涼をとりましょう。

このところ密かにヘヴィーローテーションになっている一枚のCDがある。(別に密かに聴く必要なんかないんだが=(笑)) レディー・キムという名の女性ジャズ・シンガーの『レフト・アローン』(ヴィレッジ・レコード VRCL18818, 2004年7月22日発売)というアルバムだ。

なにに惚れたかというと、実はまずそのジャケットなのだ。彼女が正面を見ているシンプルなアートカヴァーなのだが、この色合い、雰囲気、すべてが一昔前の「ジャズの名盤アルバム」の匂いがするジャケットになっているのだ。ジャケットからして、名盤の資格をもつ、というか。

レディー・キムは本名キンバリー・ゾンビックといいアメリカ、メイン州の生まれ。20代後半から30代と思われる。ソロとしては、これがデビュー作となる。これまでに、友人と組んでいたグループ、スタッシュ、ライヴ・オン・ザ・プラネットなどでレコーディングしインディで発売している、という。90年頃からライヴ活動を始め、2001年にミュージカル『レディ・デイ・アット・エマーソンズ・バー&グリル』の主役に抜擢され、ビリー・ホリデイの作品を歌った。

彼女の歌声、そして、レパートリーがレディー・デイのものがあり、ビリー・ホリデイを彷彿とさせる。オープニングの「レフト・アローン」からいきなりやってくれる。「シンス・アイ・フェル・フォー・ユー」のクラシックもいい感じ。声も実に落ち着いていて、表現力もあって、聴きやすい。

バックはドラムスがクラレンス・ビーン、ベースがポール・ブラウン、ピアノがロイド・メイヤーズのトリオ。「ルック・アット・ミ〜〜〜」という歌から始まるのはおなじみ「ミスティー」。途中のトリオの演奏も、大人の夜の雰囲気を醸し出す。僕は彼女をレディーK(ケイ)と呼ぶことにしましょう。ジャズ系女性ヴォーカルがお好きな方にはお勧めです。
ブルーズ。

まさにブルーズの暑い夏、といったところか。この日記でもすでに何度か紹介しているマーティン・スコセッシ総指揮のブルーズのドキュメンタリー作品の公開日、劇場などが決まった。

2003年9月29日付け日記。
http://diarynote.jp/d/32970/20030929.html

2004年4月14日付け日記。「ソウル・オブ・マン」を見て。
http://diarynote.jp/d/32970/20040414.html

繰り返しになるが、ちなみに、7本の作品は次の通り。

『フィール・ライク・ゴーイング・ホーム』(マーティン・スコセシー監督)
『ザ・ソウル・オブ・ア・マン』(ヴィム・ヴェンダーズ監督)
『ザ・ロード・トゥ・メンフィス』(リチャード・ピアース監督)
『ウォ−ミング・バイ・ザ・デヴィルズ・ファイアー』(チャールズ・バーネット監督)
『ザ・ゴッドファーザーズ・アンド・ソンズ』(マーク・レヴィン監督)
『レッド・ホワイト&ブルーズ』(マイク・フィギス監督)
『ピアノ・ブルーズ』(クリントン・イーストウッド監督)

それぞれの作品の公開場所、時期は次の通り。

8月28日より
ヴァージンシネマズ六本木ヒルズにて公開
『ソウル・オブ・マン』 監督:ヴィム・ヴェンダース 
<関西地区>秋、梅田ガーデンシネマ他にて公開決定

8月28日より
吉祥寺バウスシアターにて、レイト公開 ※4本の特集上映となります

<ブルース天国> 
8月28(土)〜9月10日(金)
 『レッド、ホワイト&ブルース』 20:45〜22:18
   監督:マイク・フィギス
9月11日(土)〜9月24日(金)
 『ロード・トゥ・メンフィス』 20:45〜22:17
   監督:リチャード・ピアース
9月25日(土)〜10月8日(金)
 『デビルズ・ファイヤー』 20:45〜22:18
   監督:チャールズ・バーネット 
10月9日(土)〜10月22日(金)
 『フィール・ライク・ゴーイング・ホーム』 20:45〜22:07
   監督:マーティン・スコセッシ

10月下旬、シブヤ・シネマ・ソサエティにて公開
『ゴッドファーザー&サン』 監督:マーク・レヴィン

また、劇場公開はされないクリント・イーストウッドの『ピアノ・ブルース』は8月15日にWOWOWでのオンエアが決定している。

+++

プリミティヴ。

7本のうち、『フィール・ライク・ゴーイング・ホーム』を見た。これは、スコセッシが監督したもの。これは1969年生まれのブルーズ・アーティスト、コリー・ハリスがガイドして、アメリカ南部のデルタ地帯から、はるか西アフリカのマリ共和国まで飛ぶ。もともとフランス領だったマリでは人々はフランス語を話す。そこで見せられる音楽はひじょうにプリミティヴ(原始的)だ。こういう音楽を見ていると、アフリカへ行きたくなる。ブルーズのルーツを辿って、アフリカへ旅するというところが、なかなかいい感じ。

広大なコットン・フィールズ(綿畑)に多数の黒人労働者が必要だった、そこでブルーズが生まれた、という簡単な説明は、その綿畑を見せられると簡単に納得できる。おそらく文字からはわからないことが、そこに行けば一瞬にして体感できるのだろう。そして、それを映像で見せられると理解が簡単になる。ドキュメンタリーの力だな、と思った。

昨年(2003年)、アメリカの上院が「イヤー・オブ・ザ・ブルース」と認定した。これは1903年にブルースの作品が初めて楽譜化されたときから百周年、というためだ。その一環で、ブルースに関する様々な企画が世にでた。このドキュメンタリー・プロジェクトは、その中のひとつ。関連CD、DVDなどもたくさんでた。こういうことに税金を使うのは、大賛成だ。ブルーズやブラックミュージックのルーツや歴史に興味ある方は是非。アカデミックにお勧めです。
意外。

ところでこの日記でしばらく前に話題にしたアース・ウィンド&ファイアーのアルバム『スピリット』の各曲で誰がドラムを叩いているのか、という謎でしたが、ついに返事がきました。

http://diarynote.jp/d/32970/20040630.html

アルバムのクレジットには、ラルフ・ジョンソン、フレッド・ホワイト、そして、モーリス・ホワイトの名前があります。僕は、ラルフはほとんどパーカッションにまわるので、それほどドラムは叩いていないでしょう、と考えました。残るはフレッドとモーリスですが、クレジットの書き方からすると、フレッドの方が主たるドラマーのように見えます。また、70年代のライヴ映像などを見ても、ちらっと瞬間垣間見られるドラマーは、フレッドです。だいたいモーリスはライヴではほとんどリード・シンガーとなります。そこで、僕はほとんどの曲はフレッドが叩いているのではないかと推測しました。

返事をくれたのは、ハーブ・パワーズ氏。アースのアルバムのライナーを書いている人物であり、そのハーブがモーリスに確認してくれました。確認に手間取りもうしわけない、と一言あって、送ってくれたリストは----。

MAURICE PLAYED

GETAWAY
SATURDAY NITE
EARTH, WIND & FIRE
SPIRIT
IMAGINATION

FRED PLAYED

ON YOUR FACE
BIYO

じゃ〜〜〜ん、ほとんどモーリスじゃないですか!!! 僕がお気に入りの「ゲットアウェイ」のドラムスも、「サタデイ・ナイト」のドラムスも、フレッドではなく、モーリスですかあ。ということは、僕が気に入っていたのはモーリスのドラムということになる。これがわかったから、どうなるってものでもないんですが。(笑) 

それにしても、な〜〜るほど。そうですかあ。これは感慨深い。いや、意外だった。以前、スティーヴィーの「ドゥ・アイ・ドゥ」のドラムスが、スティーヴィー本人だと知ったときと同じくらい衝撃を受けました。こうなると、全アルバムの正確なクレジットが知りたくなりますねえ。でも、一枚一枚聞いたらあきれられますよねえ。ま、とりあえず、今日のところはここまでにしておきますか・・・。
シルエット。

「プレイ・ウィズアウト・ワーズ」をもう一度見た。(2004年7月16日付け日記・参照) http://diarynote.jp/d/32970/20040716.html一度目では少しわかりづらかったところも、2度目となると落ち着いてみているため、けっこうわかったりすることもある。細かいところで、ああ、こんな動きをしていたのか、とか、へえ、あそこはこうなってたんだとか、再発見はいろいろある。

しかし、なんと言ってもこの舞台のおもしろいところは、3人1役という設定だ。時に、ひとりのキャラクターを3通りに演じたり、あるときは、2人が演じたり、ひとりになることもある。その時、その時で感情が複数あれば、複数の役者が演じ、この時はこういう思考しかないという時には、ひとりになっていたりする。

そして、細かい動きがひじょうにちみつに計算されている。唯一この中で声が出るのが第二幕のテレビを見ているシーン。そのテレビの音がテープで流される。これらはすべて60年代のテレビ番組だという。そして、そのテレビ番組の内容が、舞台右で演じられる。ゴーゴーにのったダンサーたちが、踊るのだ。テレビ画面は観客席からは見えないが、そこに映っていることが、舞台で演じられている。

一番かっこいいなと思ったのは、最後のシーン。トランペットを台の上に上って吹くのだが、そのシルエットが舞台下からスポットライトが当てられ、じつにきれいに壁面に映し出されるのだ。3人一役だと、一瞬誰を見ていいかわからなくなるときがある。そして、3人の動きを見ていると、目がちかちかしてきたりもする。だが、それでも興味の集中が途切れない。やはり、とてもよく出来た作品だと改めて思った。

そして、言葉のないプレイ(劇)だが、メッセージはしっかりあるプレイだ。

(2004年7月22日・渋谷シアターコクーン=プレイ・ウィズアウト・ワーズ)
集結終結。

ゴスペル、ジャズ、ソウル、クラシック、ブルーズ・・・。あらゆる音楽がここに集結する。それにしても、ここで歌うシンガーたちみなが、レイのような雰囲気で歌うというのは、やはり影響だろう。

いよいよレイ・チャールズの遺作『ジーニアス・ラヴ〜永遠の愛(原題、Genius Loves Company)』が8月18日に日本発売される。結果的にこの作品は遺作となってしまった。アイデアとしてはまったく新しいものではないが、レイがやるという点でなかなかの企画ものだと思う。これだけのデュエット相手を集めたのは、さすがにレイ・チャールズならではだ。

ノラ・ジョーンズは言う。「私はレイ・チャールズのすべてが大好き。彼はなんだって歌えるし、何を歌っても彼の歌になってしまうところが不思議。私の歌を聴いてもらえればわかると思うけど、彼から受けた影響はとても大きい。そんな彼と歌えたなんて、信じられないほど光栄なこと」

ナタリー・コールが言う。「私はレイの音楽を聴いて育ったの。彼は本物のソウルマンだと思う。私の父、ナット・キング・コールが生粋のジャズマンだったように」

ノラが「here we go again〜」と歌い、そこにレイの声がかぶさる「ヒア・ウィ・ゴー・アゲイン」からアルバムは始まる。以後、ジェームス・テイラー、ダイアナ・クラール、ナタリー・コール、BBキング、グラディス・ナイト、ジョニー・マティスなどケイ12アーティストとの共演。さらに、隠しトラックにテイク6と歌う「アンチェイン・マイ・ハート」が収録される。アメリカの音楽業界のまさにフーズフーにふさわしい歌手たちがせいぞろいした。おそらくこういうプロジェクトだったら、アメリカのシンガーなら、いや世界中のシンガー、誰もがここに参画したいと思っただろう。それはこのアルバムがヒットするしないにかかわらず、そうしたアーティストが「あの」レイ・チャールズと一緒に歌を歌ったという経験だけで、充分後世に自慢できることだからだ。

レイの葬儀で流された「虹の彼方に(オーヴァー・ザ・レインボウ)」はジョニー・マティスとのデュエット。その意味でも今改めて聴くと、葬儀の模様が、その場に行っていないにもかかわらず、思い浮かぶ。ライナーに書かれたジョニー・マティスの言葉がすべてのアーティストの声を代弁している。

「多くの人が(このアルバムを)大切なものとして、そばにおいておきたくなるだろう。私が得た大切なものは、レイと同じスタジオでレコーディングしたという経験だ。それは私の人生のハイライトになった」

多くのシンガーたちにハイライトを与えたレイ・チャールズの人生は、このアルバムを最後に終結した。
空手形。

金曜夜、マイ・ソウルブラザーHから飯を誘われる。六本木の牛タン屋が麻布十番の焼き鳥になり、そこでニューヨークみやげのプリンスのコンサート・パンフレットをもらう。かなりの写真がはいった立派なもの。Hは、マジソン・スクエア・ガーデンを2日見たのだが、えらく感激していた様子。前座はなかったという。かなりの良席を確保したようで、「オレの後ろにニコール・キッドマンがいた」と自慢していた。そこでは、キャンディー・ダルファーとメイシオ・パーカーが登場していた、という。

彼は学生時代ドラムをやっていたのだが、最近、なぜか無性にドラムが叩きたくなり、音のでない電子ドラムセットを買い込んだ。次に行った店が西麻布のライヴハウスのような店。ここはちょっとユニークで、ハコバンド(その店専属のバンド)があって、希望の楽器をそのハコバンドの演奏をバックに演奏できる。そこで近々ドラムを叩いてみたいとのことだ。そのハコバンドは6人でヴォーカルもいる。自分がドラムを叩きたいときは、ドラム以外がそこのプロのミュージシャンたちが演奏し、自分で好きにドラムを叩ける。カラオケの楽器ヴァージョンみたいなものだ。

リクエストできる曲がメニューになっていて、そのリクエスト曲と希望楽器をリクエストカードに書いて出すと順番が回ってきて、演奏、あるいは歌えるというシステムだ。ちょうど、その日は女性ヴォーカルや、ドラム希望者がそれぞれの曲を歌ったり、演奏していた。女性ヴォーカルは、ロバータ・フラックの「キリング・ミー・ソフトリー」を歌う。バンドは楽譜を見ながら、簡単にプレイする。そして、次がおそらく40代後半か50代前半のサラリーマン風の男性がドラムで、ドゥービー・ブラザースの「チャイナ・グルーヴ」を叩いた。いやあ、やりますねえ。(笑) そしてまた、次が同じようなタイプの男性で、クリームの「ホワイト・ルーム」のドラムをやった。けっこう、やりなれてますね。(笑) サラリーマンの余興としては、充分すぎるくらい立派です。40代も50代も、充分音楽に親しんでいるなあ、と痛感した。

そして、ソウルブラザーHは、近いうちにここでドラムデビューをするつもりだという。だが、人に見られたくないので、店を身内だけで固めたいとこぼす。そこで、まだ存在しない「前売り券」を買う約束をさせられた。「OK,アリーナなら、4枚くらい買ってやるよ(笑)」 「よし、わかった」と彼。「良席じゃないとダメよ」と僕。席数20くらいの店で、どこが一番良席なのだか・・・。ま、どっちも「空手形」ってことか・・・。(笑)
解凍。

アニタ・ベイカーがブルーノートに移籍http://diarynote.jp/d/32970/20040307.htmlしての第一弾アルバムがいよいよ発売される。前作『リズム・オブ・ラヴ』(94年9月発売)以来ちょうど10年ぶりの新作タイトルは、『マイ・エヴリシング』。全米で9月7日発売、日本で9月29日発売。全編のプロデュースはバリー・イーストモンド(ビリー・オーシャン、フレディー・ジャクソンなど)、一曲ベイビーフェイスがてがけた。

全9曲、いずれもかつてのアニタ・ベイカーとまったく変わらないサウンド、歌声を聞かせる。ほとんどすべてのバック演奏は、リアル・ミュージシャンたちとともに同時にヴォーカルをレコーディング。生の音楽を作り出している。そして、生まれたサウンドは10年の年月を瞬時に忘れさせてくれる。それは聴く者を1986年頃に引き戻してくれる。

最初のシングル「ユーアー・マイ・エヴリシング」からいきなりアニタ節全開だ。また、将来的にシングルカットが期待されるベイビーフェイスとのデュエット「ライク・ユー・ユースト・トゥ・ドゥー」も、ベイビーフェイスとのからみが抜群だ。

86年から94年までにエレクトラ・レーベルからリリースされた4枚のアルバムは、いずれも最低プラチナム・ディスク(100万枚以上)のセールスを記録、『ラプチャー』は全米だけで500万枚以上を売った。今度の新作も最低ゴールド(50万枚)、うまくいけばプラチナムになるだろう。アルバムチャートでもベスト3内に初登場しそうだ。

次々とヒットを放った彼女が、94年で音楽活動を休止したのは、1993年に第一子(男)が生まれたため。さらに、約1年後、第二子(男)が生まれ、彼女は子育てに専念。その子供たちが、いまや11歳と10歳になり、彼女は再びキャリアに挑戦し始めた。新譜発売とともに、全米にプロモーションで出向く。さらにヨーロッパへのプロモーションも計画されている。

先週、アニタ・ベイカーに電話で話を聞いた。「今まで、これほどまでのワールドワイドな(同時)リリースはなかった。だから、とても興奮している。と同時に、ちょっと怖くもある。なにしろ、これほど大規模にいっせいにプロモーション活動がされたことはないので」 

過去10年彼女は、「家のことで手一杯だった」という。両親が病気になり他界し、子育てがあった。そこから解放された今、新たな第一歩を踏み出す。10年間、音楽の冷凍庫に冷凍保存されていたアーティストが今、解凍されてフレッシュに世にでていく。
ギター。

ストラトキャスターというギターが誕生して今年で50年だそうだ。そこで、ストラトを使う世界のギターの名手が集まって、ストラトキャスターへのトリビュート・アルバムを作った。その名も『トリブュート・トゥ・ストラトキャスター』(ビクターVICJ61229、2004年8月4日発売)。いろいろな人や、なにか災害などの被災者へのチャリティーなど様々な企画はあるが、ギターに対してのトリビュートはおそらく初めてだろう。

登場ギタリストは、ハイラム・ブロック、ジェフ・バクスター、スティーヴ・ルカサー、バジー・フェイトン、デイヴィッド・T・ウォーカーなど。全15曲。僕が個人的に気に入ったのは、曲でいうと「アイ・キャント・ターン・ユー・ルーズ」と「ア・トリビュート・トゥ・キング」と「リスペクト」。いずれもスタックスのヒット。最初がオーティス・レディング自身のヒット、次がオーティスが亡くなって彼へのトリビュート作。ヒットさせたのはウィリアム・ベル。そして、アレサ・フランクリンの大ヒットでも知られる曲。書いたのはオーティスといった具合だ。

「アイ・キャント・・・」と「ア・トリビュート・・・」は、スティーヴのメインのギターのほかに、デイヴィッドTがサイドをプレイする。「リスペクト」は、ディーン・パークスとデイヴィッドTが参加。そして、ハモンド3をブッカーTジョーンズが弾いている。

このストラトキャスター企画、元々は邦楽アーティストで企画が進んでいたところ、洋楽アーティストでも編集しようということで制作が進んだ。まあ、欲を言えば、これにエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ナイル・ロジャースなどをいれてもらえれば、さらに最高になっただろう。(笑)
戦争。

最近あちこちで勃発している戦争。その名は、室温設定温度戦争だ! まあ、大企業の大部屋ともなれば、ビル全体のエアコンの室温設定が決まっているので、どうしようもないだろうが、ちょっと小さな部屋でエアコンがあった場合、その温度を何度にするかで、大変な戦いが繰り広げられるのである。

そこにいる複数の人々の体感温度、何度を暑く感じるかは、千差万別だ。だから、あるX度を暑いと思う人は、冷房の設定温度をX−3度くらいにするかもしれない。一方、X度でも寒いと思う人は、設定温度をX+3度くらいにするだろう。これははっきり言って、それぞれの死活問題である。

そんな戦争は、きっと、このうだる暑さが日本列島を覆う中、あちこちで繰り広げられていると思う。実は、そんな戦争が身近なところで起こっている。毎週日曜のスタジオの中だ。(笑) 約2名がかなり涼しいのを希望、設定温度は21度くらい、一方約2名が暖かめを希望で設定温度28度くらい。これはね、妥協ができないんですねえ。(笑)

僕は21度派でして・・・。なんかいつの間にか「むすなあ、暑いなあ」とかって思って温度を見ると、いつのまにか設定温度が28度くらいになっている。もちろん、その場で22度くらいに下げる。すると、どこかの時点で相手派閥が「寒いなあ」って思うのだろう。そして、ふと見ると設定が22度になっているので、さくっと28度に戻す。すると、しばらくしてこっちが「むすなあ、暑いなあ」と思い・・・。と延々、この繰り返しだ。エアコンのスイッチも忙しい忙しいで、きっと大汗かいていることだろう。

で、ふと思うわけですよ。じゃあ、間とって25度にでもしておけば、って。なんで、そうしないんだろう。まあ、人間なんて、そんなに賢くないんだよね。ちなみに、香港なんてあほみたいに寒くて、設定はなんと18度という途方もない温度だそうだ。あれは僕でも寒いと思う。

この戦争に終わりはない。なぜなら人間は賢くないから。過去から学ばないゆえに戦争をするのだ。そして、ここには暑さと寒さの連鎖があるから、戦いは終わらない。宗教問題と同じくらい根は深く、決定的な解決策は見当たらない。
握手。

この日、成田から到着したばかりの老練な職人ミュージシャン3人が位置についている。いろいろとセッティングに時間がかかる。新宿の老舗ジャズバー、ダグ(DUG)。35席で超満員となるこの店はすでに牛詰状態だ。この夜の主人公は新人レディー・キム。しかし、僕はロイド・メイヤーズ74歳(ピアノ)、ポール・ブラウン70歳(ベース)、クラレンス・ビーン72歳(ドラムス)というこのトリオに、まずは目を奪われた。

彼らがウォームアップの一曲を演奏する。彼らにとって「音楽を演奏するとは」どういう意味を持つのだろうか。本当に朝飯前のように、それぞれがプレイしている。このトリオで演奏するようになったのは、ここ3年程度だという。ただし、それぞれはいろいろなセッションで30年以上の知り合いだ。ドラムのビーンがそう話してくれた。この70ズのトリオは、強力だ。3人の間のミュージシャンシップという絆の強さははかりしれない。

そして「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」でレディー・K登場。意外と声は細い。かなり緊張しているのだろうか。でたばかりの新作『レフト・アローン』からの作品を中心に1部、2部に分けて歌った。笑顔がなかなか素敵だで、確かに絵になるシンガーだ。今度は、シャウト系のソウルを聴いてみたい。

終った後、店頭で売られていたアナログ30センチアルバムやCDにサインをしていた。帰り際、ちらっと話をした。「ジャズ以外も歌いますか?」 「え〜、今は以前ほどジャズ以外は歌いませんが、ソウル、R&Bも歌っていました。一時期、チャールズ・ネヴィルのバンドにいたこともあるのよ」 「ええ? じゃあ、ニューオーリンズに住んでた?」 「いや、彼らは奥さんと子供たちとボストンにいるの」

別れ際に「ナイス・トゥ・ミート・ユー」と言って握手をしたときの、手の握り方が強かった。

Setlist (incomplete)
2004.7.29 Lady Kim Live At Shinjuku DUG

First set

show started 20:13

1. (Instrumental)
2. How High The Moon
3. Since I Fell For You
4. Exactly Like You
5. Left Alone
6. (Instrumental)
7. Softly As In A Morning Sunrise
8. If I Were A Bell
9. Misty
10. Summertime

show ended 21:04

Second Set

show started 21:30

1. (Instrumental)
2. Bird Alone
3. Afro Blue
4. What A Difference A Day Makes
5. Just In Time
6. Nearness Of You
7. Take The A Train (Instrumental)
8. Girl From Ipanema
9. Fine & Mellow
10. I’m Glad There Is You
ENC. Strange Fruit

show ended 22:32

(2004年7月28日木曜、新宿・ダグ=レディー・キム・ライヴ)
伝統。

ハーレムというより、どこか南部の小さなクラブあたりで行われる黒人バンドが、昔懐かしのソウルヒットをこれでもかこれでもかとやって、観客を圧倒的に楽しませるエンタテインメント。そんな印象を持ったライヴ・イヴェントだ。日本での知名度はそれほどないにもかかわらず、横浜ランドマークのホール(収容人数約350)で行われるライヴ6回はほぼ売り切れだというから、びっくりだ。しかも、観客層がふだんいわゆるソウル系のライヴに来る人たちとちょっと違っている。年齢層も幅広く、親子での参加も多く見受けられる。告知は、若干の新聞とホームページなどとクラブなどへのフライヤーの配布程度で、おそらくリピーターの人たちが多いのだろう、という。

10年前の1994年に第1回が、そして、昨年第2回が開かれ、今年で3回目になる『ハーレム・ナイト』。自ら「ハーレムのプリンス(貴公子)」と言うロニー・ヤングブラッド(サックスとヴォーカル)を中心に、女性ヴォーカルにミッツィー・ベリー、そして、タップダンサー、オマー・ア・エドワーズらが繰り広げるエンタテインメントショウだ。

セットリストをご覧いただければわかるように、ソウル、R&B、ゴスペル、ブルーズといわゆるブラック・ミュージックの歴史がコンパクトに凝縮されているライヴだ。1部が71分、2部が80分とヴォリュームもたっぷり。

おもしろかったのは、第1部で前日レディー・キムも歌っていた「ホワット・ア・ディファレンス・ア・デイ・メイクス」と「サマータイム」が歌われていたあたり。2日続けて、これらを違うヴァージョンで聴くとは思わなかった。

タップダンサーを見て、セヴィアン・グローヴァーのほうがもっとかっこいいなあ、などと思っていたら、なんとその弟子で、ヒットミュージカル『ノイズ&ファンク』にも出演していた、という。雰囲気が似ていたのだ。もちろん、彼のタップダンスもなかなかのものだ。

休憩をはさんでの第2部は、歌われる作品にレイ・チャールズのものが3曲、さらに、「ニューヨーク・ニューヨーク」、そして、ま、ま、「マイ・ウェイ」まではいり、かなり日本向けの選曲で、単純に楽しめた。

サザン(南部)の香りが漂うそのショウは、とてもフレンドリーで温かみと楽しさにあふれるもの。こういうショウをやってくれるなら、別に有名なアーティストでなくても、まったくかまわない、という気にさせられる。

最後は「ホワッド・アイ・セイ」を、ロニーとミンツィーの歌にオマーのタップダンスを含め、さらに途中には「シャウト」のフレーズなどもいれ、大盛り上がりだ。

ライヴが終るやいなや、メンバーたちはCD即売とサイン会のために、入口にでてきた。それを見て、かつて本牧にあったアポロ劇場でのアーティストたちのサイン会を思い出した。こういう小さな会場でのライヴは、フレンドリーな環境なので、こうやってファンとどんどん交流するのはいいことだと思う。そうした小さな積み重ねが次回の公演へつながる。

そして、タオルで汗を拭きながら立っていたミンツィーさんとちらっと話すことができた。「あなたは、何歳頃から歌っているのですか」 「5歳からよ。それ以来ずっと歌いつづけてるわ」 「最初は教会で」 「そう、もちろん」 「たくさんゴスペルを歌ったんでしょうね。ゴスペルのレパートリーは何百曲とあるのでしょうね」 「オオ・イエー〜〜。なんでも歌えるわ。影響を受けたシンガー? たくさんいる。サラ、エラ、アリーサ、(何人かゴスペルシンガーの名前を列挙したが、忘れてしまった)・・・」 彼女は今、フロリダ州のマイアミから約2時間のところの街に住んでいるという。そして、小さな彼女(身長150センチ弱)が胸を張って言った。「わたしは、何でも歌えるわ」

楽屋に行って、ロニーと話す機会があった。開口一番彼は言った。「オレがやっているのは、伝統的なソウル、伝統的なR&B、伝統的なジャズ、伝統的なゴスペル、伝統的なブルーズ・・・。そうしたものをみんなミックスして、みんなに見せるということだ。今、若い連中はヒップホップ、ラップを聴くだろう。だが、それはこういう音楽をルーツに持っているんだ。だからそういう新しい音楽を聴いている連中に、元々はこういう音楽がそこにあったんだよ、ということを教えるのがオレの使命なんだな。わかるか」 充分、わかります。

「サックスと歌は、どちらを先に始めた?」と聞いた。すると「サックスだ」との答え。「なぜ?」 「母親がルイ・ジョーダンのレコードを好きで集めててね、その母親を喜ばせるために、サックスを吹くことにしたんだよ(笑)」

そして、彼もありとあらゆる音楽を聴く。ジョン・コルトレーン、ジュニア・ウォーカー、エルヴィスもビートルズも。ジェームス・ブラウン、ジャッキー・ウィルソンなどさまざまなブラックミュージックのアーティストたちのバックも勤めた。ハーレムの名物店「シルヴィアズ」で22年間演奏していた。明日(8月1日)が、彼の63歳の誕生日になる、という。1941年生まれだ。そして笑いながらこう言った。「日曜日には来るかい? 来るなら、ケーキを持ってきてくれ!」

関連ウェッブ。
http://www.landmark.ne.jp/index_event_hall.html
まだ31日と1日にショウがあります。

Setlist
show started 19:01

01. Take The A Train
02. Way Back Home
03. What A Difference A Day Makes
04. Summertime
05. Teach Me Tonight
06. Stormy Monday
07. Amazing Grace
08. Oh Happy Day
--Omar Edwards--
09. Precious Love (ACappella)
10. Papa Was A Rolling Stone
11. A Cappella
12. Thugs Mansion
13. Babaloo
14. He’s The Wiz
show ended 20:22

Second Set

20:36 started

01. See Live Woman
02. Caravan
03. Just A Nobody
04. Joy To Have A Your Love

05. I Can’t Turn You Loose
06. The Best
07. Personality
08. Georgia On My Mind
09. Stagger Lee
10. Night Time Is Right Time
11. (Adlib)
12. I Can’t Stop Loving You
13. Blueberry Hill
14. New York, New York
15. My Way
16. What’d I Say

show ended 21:56

(2004年7月30日金、横浜ランドマークホール=ハーレム・ナイト、ロニー・ヤングブラッド、ミッツィー・ベリー、オマー・A・エドワーズ・ライヴ)

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