★アンソニー・ハミルトン7月に初来日
Anthony Hamilton Will Be Coming To Japan In July

【アンソニー・ハミルトン7月に初来日】

サザンソウル。

グラミー賞も獲得しているソウル・シンガー、アンソニー・ハミルトンが2009年7月、初来日する。ビルボード東京で7月24日(金)、25日(土)、27日大阪ビルボードの予定で日本公演を行う。

アンソニー・ハミルトンは、1971年1月28日、ノース・キャロライナ州シャーロッテ生まれ。元々教会でゴスペルを歌っていたが、プロとしての成功を求め1993年ニューヨークへ。ここでアンドレ・ハレルのアップタウン・レコードと契約。

1995年、アップタウンでデビュー・アルバムを録音するが、レコード会社が活動をやめたため未発売のまま終わる。そこでアップタウンからMCAに移籍、1996年『XTC』をリリース。評価は高かったが、まったく売れなかった。1999年、ロスのソウルファイアー・レーベルへ移籍し、アルバム1枚分の作品を録音するが、またもソウルファイアーが活動停止し、これらの作品も未発売となった。これらの作品の中には、サンシャイン・アンダーソンの「ラスト・ナイト」や、ドネル・ジョーンズでヒットする「ユー・ノウ・ワッツ・アップ」などもあったという。

2000年、アンソニーはディアンジェロに誘われワールドツアーへ。その後、ナッピー・ルーツの「ポー・フォークス」などで歌声を聴かせ、さらにジェイダキス、2パックらラッパーたちとのコラボレーションを多くこなし、知名度をあげていった。2003年のグラミーで、ナッピー・ルーツの曲がグラミーにノミネートされ、パフォーマンスをしたところ、業界のヴェテラン、マイケル・モウルディンの目に留まり、彼の息子に契約を勧めた。その息子というのが、ジャーメイン・デュプリだった。こうしてアンソニーは、デュプリのソー・ソー・デフと契約。2003年、同レーベルからのデビュー『カミング・フロム・ホエア・アイム・フロム』がリリースされ、これが大評判となり、アンソニーの名は決定的となった。この作品で、アンソニーは21世紀のサザン・ソウル・シンガー的な立ち位置を確立。

その後、ソウルファイアー時代のものが2005年にリリースされ、同年、ソー・ソー・デフからの第2弾『エイント・ノーバディー・ウォーリン』、そして、2007年、過去音源のものを集めた『サザン・コンフォート』が出て、2008年、最新作『ザ・ポイント・オブ・イット・オール』が出ている。

ヒップ・ホップ・アーティストとの関連が強いが、彼自身は典型的なゴスペルに根付いたオールド・スクールの本格派シンガー。いずれの作品も熱いソウルを聴かせる。最近では、映画『アメリカン・ギャングスター』で歌手役で出ている。

□来日情報、ビルボード・ライヴ(東京)
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=6982&shop=1

□CD

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0001926H0/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00092ZMF2/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000CFWP7E/soulsearchiho-22/ref=nosim/

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001GM7IPG/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>ARTIST>LIVE>ANNOUNCEMENT>Hamilton, Anthony

◆【フィリップ・ウー・ライヴ(パート1)】

ファミリー。

定期的にこのブルース・アレイなどで行われている日本一ファンキーなキーボード奏者、フィリップ・ウーとそのファミリーのソウルフルなライヴ。今回のタイトルは、「ゴールデン・ウイーク・オブ・ソウル」。そのまんま。(笑)

一言で言うと、今回のはセットリストもすごくよく、ライヴも適度の緊張があり、観客のリアクションもよかったので、全員のパフォーマンスがものすごく集中していた。今まで見た数多くのフィリップのライヴの中でひょっとして一番よかったくらいに思えた。

今回も、ほとんどの曲でリード・ヴォーカルを取るブレンダ・ヴォーンが歌で圧倒する部分もあったが、途中入るキーボード・ソロがいつになく熱く盛り上がった。特に「ユー・センド・ミー」などのピアノでの、チャーチ・フィーリングとグルーヴ感はすごい。なんでここまでグルーヴ感が出るのだろう。圧巻だ。続くファースト・セット最後の「僕たちは、ポップもソウルも、ジャズもファンクもゴスペルもやるけど少しブルーズをやろう」と言って始まった「ドクター・フィールグッド」は10分近くのブレンダの熱唱が観客を一気に掴んで会場をひとつにした。フィリップもこの日のプレイはいつになく熱かった。この曲のハモンド・オルガンも最高だ。そしてハンコ屋さんのギタープレイも、ソロのところで思い切りファンキーになる。才能ある演奏家は、やる楽曲、周りのミュージシャンたちとのヴァイヴでいくらでも変幻自在なのだ。

見所はいくつもあるが、そのひとつはドラムス。今回のドラマーは当初のジェイ・スティックスから新進気鋭のフェイクーに変更。最近日本にやってきて、音楽シーンに衝撃を与え始めている強力なニューヨーク出身のドラマーだ。音源は聴いていたが、初めてライヴを見た。軸がぶれずかなりいい。日本に正式に本拠を置いたら、かなりの売れっ子になることはまちがいない。すでにあちこちで遊びでジャム・セッションに参加し、業界内で急速に名前を広めている。そのプレイを見て、デニス・チェンバースを思い出したが、なんと後でスティックを見せてもらったら、デニスのロゴが入ったものだった。譜面も読んで書け、スタジオでもライヴでもどちらもOKとのことだ。

今回のゲストは、ゲイリー・アドキンスと木下航志。ゲイリーは、まずスタイリスティックスなどで有名な「ベチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」を。これをブレンダとデュエット。スタイリスティックスのファルセット、ラッセル・トンプキンスを彷彿とさせる美しい声が印象的だ。また、セカンドではステファニー・ミルズで有名なプリンスの「ハウ・カム・ユー…」をゲイリーとデュエットしたが、これがセリフのやりとりも最高でおもしろかった。女性目線で、ブレンダが「なんであなた最近、私に電話してくれないの?」 すると、ゲイリーが「君のところに電話しても、他の男がでるじゃないか」。ブレンダ「あれは、アシスタントで、弟の子供の兄弟で…、親戚なのよ…」 2人の歌のかけあいも聴き応え十分。彼らにもっともっとデュエットをしてもらいたいと思った。ありきたりだが、マーヴィン&タミーの作品から何か合うものを歌ってほしい。Ain’t Nothing Like The Real Thing, You’re All I Need To Get Byなどなど。他のデュエットからでもいい。いくらでもある。

そしてもうひとりが、「僕の生徒です」とフィリップが言って紹介する木下航志。フィリップ。「航志、僕は先生として、どうですか?」 航志くん。「えーと、厳しい」(笑) この日はファーストでスティーヴィーの「ユー・アンド・アイ」をフィリップと2人だけで演奏。後半のフェイクするあたりがすごい。ワン・ワードで彼は客を掴むことができる。この声。最後の「ユー・・・・アンド・・・ア~~イ」というところなど恐れ入る。この曲は彼の力が存分に出るので、初めて彼を見る人をみな圧倒する。

この夜は、イギリスからヴァケーションでやってきているブラン・ニュー・ヘヴィーズのリード・シンガー、エンディア・ダヴェンポートがブルース・アレイに来て、一緒にライヴを鑑賞。彼女も航志君には驚いた様子。エンディアにセットリストを見せて、「歌える曲はどれ?」と聞くと、「ノー、ノー、歌わないわ、今日は。(笑)ただ見て楽しむの」との返事。しかし、歌われる曲、すべて知っている様子で、ライヴが始まる前にブレンダやメンバーに紹介したところ、本編最後の「アンティル・ユー・カンバック・トゥ・ミー」で、ブレンダから呼び出され結局ステージにあがった。

しかし、ステージに上がってひとたびマイクを握ってしまえば、一挙に客を掴む術を知ってる。ブレンダとのかけあいも、まるで旧知の仲のよう。観客から、「彼女は誰、誰?」とたちまち声があがった。フィリップは、音楽を媒介に誰とでも友達になれる。フィリップとフェイクーはおとといリハーサルで初めて顔を会わせたが、まったく問題なし。音楽はユニヴァーサル・ランゲージ…。ほんと、こういうソウル・ショーはもっともっと宣伝して応援してあげないと。

(この項、続く)

+++++

■ 告知

ゲイリー・アドキンス、ブルース・アレイで単独ライヴ敢行、6月29日。
木下航志、誕生日ライヴ、5月9日、ブルース・アレイ。

■メンバー

Philip Woo Band presents “Golden Week Soul”

(NY.STEINWAY/FenderRhodes1970/Hammond A-100/Leslie147)Philip Woo
(Vo)Brenda Vaughn (B)Cliff Archer (G)西山Hank史翁 (Ds)Phekoo
★Guest (Vo)木下航志、Gary Adkins, +N’Dea Davenport (Walk-In)

■セットリスト フィリップ・ウー・バンド 2009年5月1日
Setlist : Philip Woo & Friends @ Blues Alley
[ ]-original artists, ( )=singers this show

first
show started 19:41
01. Fikisha (Instrumental) [Roy Ayers]
02. Love Changes [Mothers Finest] (Brenda)
03. Ffun [Con Funk Shun] (Brenda)
04. Betcha By Golly, Wow [Stylistics, Norman Conners/Phyllis Hyman] (Brenda + Gary Adkins)
05. You And I [Stevie Wonder] (Kishita Kohshi)
06. Everlasting Love [Chaka Khan] (Brenda)
07. You Send Me [Sam Cook] (Brenda)
08. Doctor Feel Good [Aretha Franklin] (Brenda)
show ended 20:57

second
show started 21:23
01. Brown Bread (Instrumental) [Jimmy McGriff]
02. One Day I’ll Fly Away [Joe Sample/Randy Crawford, Lalah Hathaway] (Brenda)
03. Holding Back The Years [Simply Red] (Brenda)
04. How Come You Don’t Call Me Anymore? [Stephanie Mills, Prince] (Brenda + Gary)
05. Don’t You Worry ’bout A Thing [Stevie Wonder] (Kishita)
06. Until You Come Back To Me [Stevie Wonder, Aretha Franklin] (Brenda + N’Dea Davenport)
Enc. Work To Do [Isley Brothers] (All)
show ended 22:44

(2009年5月1日金曜、目黒ブルース・アレイ=フィリップ・ウー&フレンズ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Woo, Philip

2009-35

(フィリップ・ウー・ライヴ=パート2=は、明日以降に掲載します)

【忌野清志郎さん、死去】

訃報。

シンガー、忌野清志郎さんが、2009年5月2日午前0時51分、がん性リンパ管症のため都内の病院で死去した。58歳だった。葬儀は5月9日午後1時、東京都港区南青山の青山葬儀所で行われる。2006年7月、喉頭がんが判明。その後治療を続け、一時期回復、2008年2月に武道館で復活公演、しかし、2008年7月、左腸骨への転移が確認されていた。ただ2008年11月、盟友ブッカーTのライヴには3日間も飛び入りでステージに立ち、元気なところを見せていた。

+++++

オーティス。

清志郎さんといえば、メンフィス。オーティス、サム・ムーア、ブッカーT…。彼の飛び入りを数えてみると僕は5回も見ていた。サム、ブルース・ブラザース、ブッカーTだ。みんなメンフィスつながりだ。彼が大好きだったそういうアーティストのライヴに彼は足を運び、そうしたアーティストたちは彼をステージに上げた。

この映像が僕には忘れられない。(削除されないことを祈りつつ…)

http://www.youtube.com/v/IgTSH8o5S20&hl=ja&fs=1

『オーティスが教えてくれた』 忌野清志郎、スティーヴ・クロッパー
(作・忌野清志郎)

オーティスが教えてくれた
遠い遠い あの夏の日
オーティスがシャウトしてた
勇気を出せよ 君の人生だろ?
オーティス・レディングが歌っている
オーティス・レディングがあのラジオで
ガットゥ! 
オーティスが教えてくれた
遠い国のやせっぽちの少年に
オーティスがそっと教えてくれた
歌うこと 恋に落ちること
愛し合うこと 君と歩くこと 笑うこと
涙をふくこと しゃべること 信じること
抱きしめること 旅にでること
叫ぶこと 愛し合うこと 戦争をやめること

+++++

ガット。

言葉がわからなくとも、スティーヴ・クロッパーはその歌声に涙する。それは、清志郎の音楽にソウルがあり、そのソウルの塊がクロッパーにも強い衝撃で伝わるからだ。(そんな解説はヤボ、この映像を見ればわかる。ただ、映像を見られない人のために) オーティスのところを今、清志郎に変えて聴きたい気分だ。

最後にブルーノートで見たブッカーTの飛び入りのエンディングで、清志郎は「ありガット、ガット、ガット…」と叫んだ。清志郎さん、素晴らしい音楽をありガット、ガット、ガット! 

これで清志郎さんもゆっくりオーティスとソウル談義ができるだろう。

+++++

奇しくも、今日(2009年5月3日)の「山野ミュージック・ジャム」(インターFM=76.1mhz=日曜午後4時半~)では、ブッカーTのソロとしては1978年以来31年ぶり、MGズのものとしても1994年以来15年ぶりの新作『ポテトホール』を紹介する。清志郎さんの話をするつもりでしたが、番組を清志郎さんに捧げたいと思います。

■ 過去関連記事

November 15, 2006
We Want More Moore, Not Some Moore
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_11_15.html
(サム・ムーア2006年来日ライヴ評) (ここに過去記事一覧も)

November 18, 2006
Sam Moore With Surprising Finale: Sam, You Are So Beautiful
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_11_18.html
(同ライヴ評=忌野清志郎、飛び入り)

April 03, 2007
Blues Brothers Rock The House: Happy Birthday Kiyoshiro
http://blog.soulsearchin.com/archives/001689.html
(忌野清志郎、飛び入り)

November 02, 2007
Everybody Loves Sam Moore: A Night Of Soul Explosion (Part 1)
http://blog.soulsearchin.com/archives/002119.html
(忌野清志郎、飛び入り)

November 03, 2007
More Sam Moore: A Night Of Soul Explosion (Part 2)
http://blog.soulsearchin.com/archives/002120.html
(清志郎さんとのちょっとした会話)

November 21, 2008
Booker T & The MG’s: Kiyoshiro Is Good To Go
http://blog.soulsearchin.com/archives/002741.html
(忌野清志郎、飛び入り)

November 24, 2008
Booker T & The MG’s Featuring Imawano Kiyoshiro
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_11_24.html
【忌野清志郎、MGズに3度目の登場】

ENT>MUSIC>OBITUARY>Imawano, Kiyoshiro (April 2, 1951 - May 2, 2009, 58)

◎【安住紳一郎アナ、忌野清志郎、誤読、なぜ?】

誤読。

誤読、読み間違え、書き違え、誤字脱字は、テレビやラジオ、あるいは人前で話す人、物を書く人間の永遠のテーマだ。読み書き完璧な人間なんて最初からいない。書いたり、読んだりを積み重ね、学び、少しずつ正しい言い方、書き方を覚えていく。僕だって人のことは言えない。間違った読みや表記をすることもある。当たり前のことなのだが、それを限りなく少なくしていくことが大事だ。

2009年5月2日(土曜)の『情報7days ニュースキャスター』(TBS系列夜10時~)の中で、同テレビの安住紳一郎アナが、「忌野清志郎(いまわのきよしろう)」を「せいしろう」と読んでしまった。

なぜこうなったのか。原因を推理してみたい。不思議なのが、一度目の「読み」では、正しく「きよしろう」と読んでいる。少し雑談があり、「繰り返します」の後に「せいしろう」と読み、そのときは誰も注意せず、もういちど同じニュース原稿を読むときにまた「せいしろう」と読み、横の出演者(たぶん、ビートたけしではない方)に「きよしろう」と正され、「あ、きよしろうですね」と直した。

そのときの模様。↓
http://www.youtube.com/v/7F6BIbFrB4Q&hl=ja&fs=1

まず、考えられることは、次のようなパターンだ。

1)安住アナが忌野清志郎を知らなかった。
2)一応、知っていた。

1)の場合。

A)原稿にはフリガナがふってあった。一度目は急に入ったニュース原稿だったので、原稿を必死に忠実に読んだ。だが2度目は1度読んだので「安心」し、さらっと見て、「清志郎」の漢字を、自分なりの読みで「せいしろう」と読んでしまった。
B)知り合いか友達に「清志郎」を「せいしろう」と読む人物がいて、無意識のうちにそれを発音してしまった。
C)忌野清志郎が、ものすごく有名な歌手ということを知らず、そのニュースの重大さをあまり認識していなかった。そこであまり集中力がなく、さらっと流してしまった。

2)の場合。
A)一応知っていたが、緊急ニュースにパニックになり、頭が真っ白になり、思わず「せいしろう」と読んでしまった。
B)原稿に「せいしろう」とフリガナがあった。(かなりあり得ないが) (これだと、一度目が読めたことが説明がつかない)
C)清志郎の名前は見たことがあったが、読みに自信がなく、どっちかわからないので、両方読んでみた。(これもないだろうなあ=(笑))

予防策はこれしかない。その人物のことを仮に知らなくとも、名前の読みを確認する。原稿にはフリガナをふってもらう。

個人的には僕は安住アナのあのひょうひょうとしたところが好きで、好感を持っている。テレビ・マニアだということや、オタクなところもいい。そんな安住アナには、彼が忌野清志郎を知っていたか、聞きたい。それから原稿にフリガナはふってあったのか。彼は1973年生まれだから、RCが人気になりだした頃はまだ興味はなかったかもしれない。少なくとも、リアル・タイムで体験した世代ではない。しかし、忌野清志郎は80年代、90年代も活躍していたので、なんとなく、見たことはあったくらいの認識かもしれない。ま、彼が音楽にまったく興味がなければ、知らなくてもおかしくはない。彼の言い訳がきいてみたい。

ENT>OBITUARY>Imawano, Kiyoshiro
ENT>TV>Azumi

(2009年5月1日のフィリップ・ウー・ライヴのつづき)

☆【フィリップはハモンド・オルガンが大好き】

オルガン。

フィリップは言う。「僕がこのブルース・アレイが大好きな理由はここにこのハモンド・オルガンがあるからだ」とフィリップは言いながら、ちょっとその音を出してみせた。セカンド・セットの1曲目が始まる前だ。「で、これからやる曲は、(オルガン奏者)ジミー・マグリフの曲です。彼のライヴをブルーノートで見て、そのとき本人に会うこともできました」

そして、ここまでファンキーになるかというほどのファンキーさで演奏。

「次の曲は、僕の大好きなピアノ・プレイヤー、ジョー・サンプルとレイラ・ハサウェイが歌った曲です。この曲をやるのは、とても恐くてね。(笑)」 ブレンダがソウルフルに歌う。

「ホールディング・バック・イヤーズ」については、「この曲は、僕も大好きな曲なんだけど、なぜなら、ピアノ・ソロを弾くところがたくさんあるから」(爆笑) 「じゃあ、アタシも(たくさん)歌うわよ(笑)」とブレンダ。

航志くんは、5月9日にブルース・アレイでライヴを行う。フィリップが言う。「航志と僕は航志の誕生日の翌日、ここでライヴをやります。彼が20歳になります。それから、6月29日、ここで今歌ってくれているゲイリー・アドキンスが初のライヴをやります。ちょうどその日は、僕の誕生日なんです。彼が僕の誕生日を祝ってくれます。(笑)」 (いくつになるの? の声があって) 「22歳…」(爆笑) 

ブレンダが言う。「よくみんなに言われるんだけど、ブレンダ、あなた自分が50歳だって、言わないほうが良いわよ、って。でも、私はそうは思わないの。だって、この世界には50歳まで生きられない人だっているのよ。50歳まで生きられことはご加護があって、感謝すべきことだわ。よくここまで生きて来れました、ってね」 すると、フィリップが「22歳掛ける3倍~~~」(また爆笑) 「年、行きすぎてる(too old)!」と掛け声がかかった。

この日のフィリップ・ライヴは、ブレンダを中心に航志くん、そして最後にはエンディア・ダヴェンポートの飛び入りなどもあってかなり楽しい夜だった。

エンディアは、翌日のイヴェントの打ち合わせとかで、沖野修也さんが迎えに来て、彼のBMで出て行った。僕は、ブレンダ、フェイクーらと軽く食べに行くことになった。

(フィリップ関連続く)

□ 木下航志 ブルース・アレイ2009年5月9日(土曜)
木下航志 『Do The Soul!! vol.5』@BAJ on 9th May 2009満20歳 Birthday Live

(Vo/Fender Rhodes1970)木下航志
(HAMMOND A-100/1964)PHILIP WOO (B)名村武 (G)西山Hank史翁
(Ds)マイケル河合 (Vo)Brenda Vaughn、David King (Vo/Per/Sax)Gary Scott

□ フィリップの師匠、ロイ・エヤーズ再び来日

メンバー:
Roy Ayers- Vibe, Vocal,
Mark Adams- Keyboards,
John Pressley- Vocal,
Donald Nicks- Bass,
Lee Pearson- Drums,
Ray Gaskins-Sax,

waxpoetics JAPAN & contrarede presents
supported by Music Shop SUPER SLICK
ROY AYERS Japan tour 2009

2009/5/17 (sun)
モーション・ブルー横浜Motion Blue yokohama (045-226-1919)
http://www.motionblue.co.jp/
ROY AYERS
1st open 16:00 / start 17:30, 2nd open 19:00 / start 20:30 (入替制)
charge 5,775yen (without food & drink)
PIA(P: 323-139) , LAWSON (L: 77442) 4/18発売

5/18 (mon)
渋谷デュオ Shibuya, DUO (03-5459-8716)
http://www.duomusicexchange.com/
ROY AYERS / INO hidefumi / CRO-MAGNON
DJ: MURO
open 18:00 / start 19:00
adv 6,800yen / door 7,300yen (without drink)
PIA(P: 321-941), LAWSON(L: 79263), e+ (http://eplus.jp)

5/19 (tue)
京都たくたくKyoto, takutaku (075-351-1321)
http://www.geisya.or.jp/~takutaku/
ROY AYERS / CRO-MAGNON
open 18:00 / start 19:00
adv 6,800yen / door 7,300yen (without drink)
PIA(P: 322-338)

5/20 (wed)
名古屋クラブ・クアトロNagoya, club QUATTRO (052-264-8211)
http://www.club-quattro.com/schedule_nago.php
ROY AYERS / INO hidefumi / CRO-MAGNON
open 18:00 / start 19:00 adv 6,800yen / door 7,300yen (without drink)

詳細は、こちら↓
http://www.contrarede.com/event/event_roy.html

■ 過去関連記事

July 09, 2008
“Funkin’ Party For Blue Note”(Part 1) : Superstars Of Jazz Fusion Live
http://blog.soulsearchin.com/archives/002601.html

October 25, 2007
Roy Ayers & Bilal Live At Billboard
http://blog.soulsearchin.com/archives/002104.html
ロイ・エアーズ前回来日ライヴ評。過去記事一覧も。

(2009年5月1日金曜、目黒ブルース・アレイ=フィリップ・ウー&フレンズ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Woo, Philip

2009-35

△【ドニー・マクラーキンと25トンの歌声】

500人。

小雨が降る中、三軒茶屋から昭和女子大方向に向かう人の流れが続く。この校庭のどこかには、7人の小人が隠れているらしい。もし、1日でこの7人全員を探せたら、幸せになるという。

現代ゴスペル・ミュージック界のスーパースターのひとり、ドニー・マクラーキンの2006年5月以来3年ぶりの来日コンサートが、この昭和女子大・人見記念講堂で行われた。かつて、ここでシャカ・カーンやサラ・ヴォーンを見た。さて、これがただのゴスペルのライヴではない。ライヴに先立ち、5月2日から3日間、各日3時間、計9時間のゴスペル・ワークショップ(ゴスペルの歌を学ぶ勉強会)に一般の人およそ500人が参加、そこで学び練習した曲を、ドニーのバックで歌う。

この日は自由席、遅めに着いたら、ほとんど満席。客層はさすがにゴスペルかコーラスをやっている風の人たちが多く見受けられた。もちろん、我らがブレンダ・ヴォーン、アル・マーティンなどの姿も。航志くんは、ワークショップは参加したが、この日は自分のライヴがあって泣く泣く参加できず。彼がドニーの前で「アメージング・グレイス」を歌ったら、「アメージング」と驚嘆されたとか。

さて、500人と言っても、その数字がよくわからない。入口で渡されたフライアーにも500人が参加とあるが、実際、本当にバンドとドニーのほかに約500人が同時にステージに上がったのだ。ざっと数えてみると一列50人弱が10段になって、ステージに立つ。よく載るなあ。そのセッティングだけでも、軽く2-3分かかるのだ。このコーラスには圧倒された。500人と言えば、1人50キロとしても25トンの重さになる。ステージはそんな重みにも耐えられるのだろうか、楽屋はどうなるんだろう、などと要らぬ心配をしてしまった。(笑)

おごそかに始まったライヴは、まさにゴスペル。全員で「ハレルーヤ!」と繰り返すところなど、思わずこちらも「ハレルーヤ」と口ずさんでしまう。この声のパワー、声の束は圧巻だ。ドニーが言った。「500人の声…(500 voices...)。こちらに拍手を…」 そして、ドニーの歌声は、その500人の声の束を迎え撃っても、負けない。なんだ、これは。CDでもおなじみのルーサー・ヴァンドロス系の実に気持ちのいい声だ。彼が、一部の歌詞を日本語に直して歌うが、これがまたソウルフル。

ドニーの話しには、外国人の通訳がつく。また、曲のいくつかには歌詞がステージのバックドロップに映し出される。

アップ・テンポの「アイム・ウォーキング」などは、まさにファンキーなR&B風アレンジで、客も立ち上がる。第二部の「ヴィクトリー・チャント」の後半にはスライの「サンキュー」のリフもいれるほど。途中で観客をソプラノ、アルト、テナーと分けてコーラスを覚えさせ、そして、一緒に歌わせるところがあるのだが、これなど人見記念講堂が2500人以上の大コーラスで響くことになり、これまたすごい。ひとつの歌を2000人以上が一緒に歌うことで生まれる一体感の圧倒的なこと。誰もが気持ちいいと感じる瞬間だろう。

この日のショーは、ドニーの友人でもあるエドウィン・ホウキンスの作品「アイ・ラヴ・ユー・(ロード・トゥデイ)」から始まり、同じく彼の1969年の大ヒット「オー・ハッピー・デイ」で幕を閉じた。

一部と二部に分けての2時間45分(途中18分間の休憩を挟む)は、その「ゴスペルの気」に圧倒されてか、酸欠っぽくなり少し気持ち悪くなったほど。そこまで熱気にあふれた空間と時間だった。

なお、ドニーはステージでも話していたが、「私は今年の11月で50歳になります」と言うように、1959年11月生まれ。一部で報じられている1961年生まれは間違い。

帰り際、もう一度、7人の小人の1人でも探そうとしたが、暗くなっていて、探すことができなかった。だが、この日はこのゴスペルの音楽で十分、幸せになった。Oh, Happy Day!!

■ 来日告知記事(ドニーのプロフィールなど)、ゴスペル関連など

April 14, 2009
Donnie McClurkin Will Be Coming To Japan In May
【ゴスペル・ジャイアント、ドニー・マクラーキン5月に来日】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002889.html

August 27, 2006
1025 Gospel Choir Live: Audience & Singers Become As One
http://blog.soulsearchin.com/archives/001226.html

■ ドニー・マクラーキン・ゴスペル・ワークショップ
http://www.donnie2009.com/index.html

■ カーク・フランクリン2009年9月来日

ドニーに続いて、カーク・フランクリン、来日決定。ビルボード・ライヴにて。
ビルボード東京=2009年9月18日、19日。ビルボード大阪=9月15日、16日。福岡店は2009年8月に閉店。
http://www.billboard-live.com/

■メンバー
Members:

Donnie McClurkin (Vocal)
Andrea Mellini (Chorus)
Sheila Carpenter (Chorus)
Duawne Starling (Chorus)
L.Trenton Phillips (Keyboards, Musical Director)
Calvin Parmer (Bass)
Joe Wollfalk (Guitar)
Michael Phillips (Drums)
500 Voices (Chorus)

■セットリスト:ドニー・マクラーキン @昭和女子大人見記念講堂 2009年5月5日火曜
Setlist : Donnie McClurkin @ Showa Joshi University, Hitomi Kinen Koudou

1st
show started 18:00
01. (CD) with dancer
02. I Love You (Lord Today) [Edwin Hawkins] (+Japanese lyrics)
03. I’m Walking
04. You Are My God And King
05. Choose To Be Dancing
show ended 18:56

2nd
show started 19:14
01. Hallelujah Song
02. We Fall Down
03. Stand
04. We Are All One
05. Victory Cant Dance (Hail Jesus) ~ Thank You [Sly Stone]
06. Total Praise (Duawne solo?)
Enc. Oh Happy Day [Edwin Hawkins]
show ended 20:45

(2009年5月5日火曜、昭和女子大学・人見記念講堂=ドニー・マクラーキン・コンサート)
ENT>MUSIC>LIVE>McClurkin, Donnie
2009-36

エディー・リヴァート・ライヴ: Eddie Levert Of The O’Jays

(ライヴの内容でます。これからごらんになる方で事前に内容を知りたくない方はご注意ください。行こうか行くまいか迷っている方はごらんください)

【エディー・リヴァート・ライヴ~熱いソウルは零れ落ちる汗とともに】

熱汗。

フィリー・ソウルの人気者、オージェイズが初来日したのは1990年3月。今はなき有明MZA。今回の来日は、そのオージェイズのリード・シンガー、エディー・リヴァートのソロとしては初来日だが、彼の来日としては19年2ヶ月ぶりということになる。これはファンとしては熱く期待に胸が膨らむ。

バンドがドラムス、ギター2、ベース、キーボード2、パーカッション、コーラス8人というしっかりした編成。キーボードのデニスは、もう40年近くエディーらと一緒にやっている音楽ディレクターだという。

アメリカでは絶大な人気を誇るソウル・ヴォーカル・グループの大御所。モータウン代表がテンプテーションズなら、フィリー・ソウルの代表はこのオージェイズだ。

ステージに上がるなり、「マイ・ネーム・イズ・エディー・リヴァート」と自己紹介した瞬間流れ出す「バック・スタバーズ」の軽快なピアノのイントロ。わお~~。いきなりか。冒頭からオージェイズ・メドレーで観客を圧倒し、その力強い喉を披露する。最初の1-2曲だけ声の出方が若干弱かったかもしれないが、すぐに油が乗ると、一気に熱々のソウル・シンガー、エディー・リヴァート全開だ。その歌唱は本当に熱い。とても66歳の喉とは思えない。

「俺はフィラデルフィア・インターナショナル・レコードでたくさんレコードを出した。ギャンブル&ハフたちがたくさん曲を書いた。『ターン・オフ・ザ・ライツ』なんて曲もテディー・ペンダグラスが歌っていたが、あれは本当だったら俺の曲になるはずだった。(笑)」 そんなことを言って歌いだしたのが、ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツの大ヒット「ウェイク・アップ・エヴリバディー」。オリジナルよりぐっとテンポを落としたスローにしてエディーは歌った。エディーが歌うと、テディーのヴァージョンより、さらに重厚さが加わる。こうした曲の解釈力は改めてすごいな、と思った。個人的には、たまたま最近この曲(ブルーノーツのもの)が車に乗っていて聴いていたので、その対照的な歌唱に印象付けられたものだ。

「息子が俺を若い世代の間で、スーパースターにしてくれたんだ」という一言から、エディーの自慢の息子ジェラルド・リヴァート関係の曲を3曲。特に最初の「オールウェイズ・ミッシング・ユー」は亡き息子を思いながら歌うのか、しっとりとしたバラードで、曲の内容からも胸を打つ。マーヴィンの声が濡れるというなら、このあたりのバラードでのエディーの声は悲しみに暮れるそれだ。

「みんなオールド・スクールというと、俺たちのことを指す。だけど、俺がオールド・スクールというと、俺よりも年上のひとたちの曲を意味するんだ。そこで、(俺にとっての)オールド・スクールの作品を何曲か歌おう」 と言って歌い始めたのが、ブルーズのBBキングの「スリル・イズ・ゴーン」(これは実にエディーにあっていて、素晴らしかった!)、さらに、サム・クック・メドレー。こりゃあ、確かに彼から見てもオールド・スクールだ。しかも、その歌唱はどこを切ってもエディー節。

ショーの半分あたりもいかないうちから、厚手のジャケットの背中から半分以上の面積に汗が染み出てきた。そして、ショーを終える頃には、背中全体が汗びっしょり。そして、帰り際通路のところで握手を求めると、袖のところまでびっしょりだった。やはり、熱いソウルは零れ落ちる汗とともに。

◎ ライヴは2009年5月9日(土曜)まで、ビルボード・ライヴ東京で毎日2ステージ。
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=6784&shop=1

2009年5月11日~12日、大阪ビルボード・ライヴ
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=6785&shop=2

■ エディー・リヴァート・サー&ジェラルド・リヴァート著 『アイ・ガット・ユア・バック』(洋書)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0767927443/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ オージェイズ『エッセンシャル』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00136MBWK/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ メンバー

エディー・リヴァート/Eddie Levert(Vocal)
シェレナ・ウイン/Sherena Wynn(Background Vocals)
トニー・マステラントニオ/Tony Masterantonio(Guitar)
ジョニー・ジョーソン/Johnny Johson(Guitar)
デニス・ウイリアムス/Dennis Williams (Keyboards)
マット・ローズ/Matt Rose(Keyboards)
デイヴィッド・ロメオ/David Romeo(Percussion)
デイヴィッド・イナミネ/David Inamine(Bass)
フレディ・’ゴールデン・スティックス’・ホリデー/Freddie ’Golden Stix’ Holliday(Drums)

■セットリスト エディー・リヴァート・オブ・オージェイズ
Setlist : Eddie Levert Of The O’Jays @ Billboard Live, May 6th, 2009

show started 21:05
01. Back Stabbers
02. I Love Music
03. Love Train
04. She Used To Be My Girl
05. Wake Up Everybody [Harold Melvin & Bluenotes]
06. When The World’s At Peace
07. Always Missing You [Gerald Levert]
08. Baby Hold On To Me [Gerald Levert]
09. Casanova [Levert]
10. Addicted To Love [Robert Palmer]
11. Thrill Is Gone [B.B.King]
12. Twistin’ The Night Away [Sam Cook]
13. Shake [Sam Cook]
14. Having A Party [Sam Cook]
15. Survival
show ended 22:12

(2009年5月6日水曜、ビルボード・ライヴ東京=エディー・リヴァート・オブ・オージェイズ)
ENT>MUSIC>LIVE>Levert, Eddie Of The O’Jays
2009-37

■James Brown: Preserving The Legacy (フィリップ・ウー=パート3)

■【ジェームス・ブラウン伝説保存展覧会、サウス・キャロライナ大学で開催】

展覧会。

フィリップ・ウーのライヴにやってきていたAさんから、「吉岡さんに会ったら、お伝えしたいことがあったんです」と言われた。Aさんは、フィリップやその他のブラック系のライヴでよく顔をあわせていたが、話しによると、最近サウス・キャロライナに旅行に行き、サウス・キャロライナ州立大学を訪問したという。そこで、ジェームス・ブラウンの多くの遺品などを展示している展覧会が催されていて見に行った。楽譜や、ステージ衣装、楽器、レコード、テープなど、膨大な量のブラウンの遺品が大学内の展示場で公開されていて、無数の写真もあった。

なんと、その写真の中に僕とミスター・ブラウンが一緒に映ってる写真を見つけて興奮した、というのだ。他にミスター・ブラウンが来日したときには必ずおっかけている関さん夫妻の写真もあったらしい。おそらく、勝本さんやその周辺の写真もあるのだろう。ブラウン愛好家の佐藤さんの写真などもあるのではないだろうか。

ミスター・ブラウンとはたくさん一緒に写真を撮ったが、いつのものなのだろう。そういえば、彼の最後かその前の来日か覚えてないが、勝本さんと僕と一緒に映ってる写真(これはきっと70年代のものかな)を額にいれて飾ってあると言っていたことを思い出した。ニュー・オータニで食事したときだったかなあ。

そこで調べてみると詳細があった。

James Brown: Preserving The Legacy Friday, February 20, 2009
http://www.scsu.edu/event_details.aspx?event_id=306

2009年2月20日から始まり、2009年9月30日まで開催している、という。開催に先立って、ブラウンの遺族、関係者が集まったレセプションなども開かれたようだ。見に行きたいなあ。

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James Brown: Preserving The Legacy Friday, February 20, 2009

The I.P. Stanback Museum and Planetarium will open the exhibition, James Brown: “Preserving the Legacy," on Friday, Feb. 20, 2009 at 5:30 p.m.

The I.P. Stanback Museum and Planetarium was selected to preserve the memorabilia of the legendary James Brown, the Godfather of Soul. “We are excited to have the opportunity to honor the genius of the Godfather of Soul, said Ellen Zisholtz, director of the I.P. Stanback Museum and Planetarium.

Zisholtz and other SC State staff visited Brown’s estate in Beech Island, S.C., and selected items for preservation, including costumes, original music, unpublished photographs, early cuts of vinyl recordings, awards, trophies, personal notes, letters, fan memorabilia, and souvenirs collected from around the world. The exhibition will showcase these items and will be on display Friday, February 20 through Wednesday, September 30, 2009.

The I.P. Stanback Museum and Planetarium will also welcome special guests such as Brown’s daughters Deanna Brown and Dr. Yamma Brown, son Larry Brown, and great granddaughter Chelse Woolfork. Woolfork is also the daughter of Tonya Brown Segan, granddaughter to the deceased Teddy Brown. Also in attendance will be Brown’s personal assistant of 35 years, Mrs. Ella Overton, and a former member of Brown’s band, George “Spike” Nealy. Ironically, Nealy serves as the assistant band director for the SC State Marching 101.

Brown, born in Barnwell, S.C., began performing gospel and R&B at an early age. His entry into the professional music business came at the age of 16 when he met Bobby Byrd. Brown found himself in Byrd’s group The Avons, who later became The Famous Flames in 1955. Cincinnati’s King Records signed the popular touring group, now with Brown’s name in front, and the band scored an immediate R&B smash with the 1956 hit, "Please, Please, Please."

In the late 1960’s, Brown became a cultural hero and was given the title, "Soul Brother Number One." As a black man of wealth, independence, and influence, he was a symbol of self-determination and triumph over racism. He took that responsibility seriously. His hit recordings of that decade have often been related to the emergence of the black artistic and Black Nationalist movements. The songs “Say It Loud - I’m Black and I’m Proud” (1968), “Don’t Be a Drop-Out” (1966), and “I Don’t Want Nobody to Give Me Nothin’ (Open Up the Door, I’ll Get It Myself)” (1969), contained direct social messages. Brown sponsored programs for underprivileged youth, spoke at high schools, invested in black businesses, performed for troops in Vietnam, and went on television to help restore a sense of calm after the April 4, 1968 assassination of Dr. Martin Luther King Jr. Politicians often recruited him to help calm cities struck by civil insurrection, and avidly courted his endorsement.

Due to his fervent energy as an activist in the 1970’s, Brown became “the Godfather of Soul,” and was noted as one of the most important entertainers in popular music. His extraordinary achievements earned him the name “The Hardest-Working Man in Show Business.” Brown’s commitment, hard work, and optimism, is one reason why his daughter, Deanna Brown, believes that this exhibition is so significant, stating, “through his dedication to education, involvement in the Civil Rights Movement, and as an astronomer and collector of space memorabilia, I believe that SC State’s I.P Stanback Museum and Planetarium is the best institution to preserve my father’s legacy. I feel that the most exciting part of this exhibition will be the involvement of SC State students,” she continued.

In conjunction with the opening of the exhibition, James Brown: “Preserving the Legacy,” there will also be a night sky planetarium show arranged by Dr. Elizabeth Mayo, planetarium manager for the I.P. Stanback Museum and Planetarium, followed by a star party with telescopes on the lawn for viewing planets Venus, Saturn and various constellations, a nebula, and star clusters. On display will be the Godfather of Soul’s telescope. Following the night sky show, there will be a medley of Brown’s music arranged by James Orlick, director of the SC State Percussion Ensemble.

On Sunday, Feb. 22, at SC State’s 113th Founders’ Day, Brown will be posthumously honored with the distinguished community service award to be accepted by Deanna Brown. This award is being presented to a man who passionately served his community, and whose unique trademark style influenced other artists like Michael Jackson, Prince, MC Hammer, Mick Jagger, Snoop Dogg, Usher, and newcomers Chris Brown and Neo.

For more information about James Brown: “Preserving the Legacy” exhibition, contact Ellen Zisholtz, director, or Ingrid Owens, program manager for the I.P. Stanback Museum and Planetarium at (803)536-7174.

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ENT>ANNOUNCEMENT>Brown, James
ENT>ARTIST>Brown, James

▲【真鍋太郎展~70年代にフラッシュバック】

犬。

本ソウル・サーチン・ブログでも、連載「車窓を奏でるメロディー」のイラストを描いていただいている画家の真鍋太郎さんが、2009年4月から5月にかけて代官山のサンドウィッチ店「トムス・サンドウィッチ」で個展「Tom’s Dog Show」を開いた。

4月にご案内を頂いていたのだが、ばたばたしていて、結局お伺いできたのが最終日の5月3日(日曜)。「ソウル・ブレンズ」の前に慌しく出向いた。前回の展覧会が2008年11月の猫を描いたものだったが、今回は犬をテーマに、イラスト・絵などのデータを加工し出力したものを展示している。もちろん数は限定。

入口で目についたのが、ターポリンという素材2枚にイラストをプリントしたものを張り合わせ、その間に詰め物をいれ、立体感を出した犬の展示品。このワンちゃんの横には、犬の大好物である白い骨も添えられている。

今回は小さなバッジもあって、3つほど購入。これがかわいい。

ところでこの代官山トムス・サンドウィッチだが、代官山のヒルサイド・テラスの一角にある。僕もよく学生時代から来ていた店だったので、久しぶりにやってきて、かなり懐かしかった。大ぶりのトースト・パンにダイナミックに具が載せられ、とても一口では食べられないほどの大きさのサンドウィッチ。これをふたつくらいにナイフで切って、食べる。しかも、これ、野菜などが新鮮でとてもおいしい。

また、サンドウィッチを頼むとこれまた大ぶりのピクルスがついてきて、そのままかぶりついてもよし、薄く切ってサンドウィッチにいれてもいい。これが好きでねえ。昔はお代わりしていました。(笑) ちなみに、僕はよく「トムズ」と「ス」をにごって発音してしまうのだが、お店の正式名称は「トムス」としている。店の奥には隣の邸宅の緑が広がり、新緑の頃など実に気分がいい。

写真に写っているのは、「BLTサンドウィッチ」。今ではどこにでもあるおなじみのベーコン(B)・レタス(L)・トマト(T)のサンドウィッチだが、これを生まれて初めて食べたのが、ここだったことを思い出した! 

その昔はこんなおしゃれな店がほとんどなかったのでサンドウィッチと言えば、このトムスに来てた。聞けば、このトムスは、1973年オープンだというから、すでに開店36年。初めてこの店に来たのがいつだったか覚えていないが、1974~5年かもしれない。一時期、近くの八幡通りに「トムス・ホットドッグ」という店も1980年代に15年近くやっていて、そちらにもお世話になった。

http://www.tom-s.com/gallery/

そういえば、このトムスの隣にはビギがやっていたラポンベールというケーキ屋さんがあったと記憶する。ヒルサイド・テラス自体は、1967年から計画が始まり、数期に別れてあちこちの建物が出来てきた。このトムスなどがあるC棟というのは、1973年完成なので、トムスはC棟完成と同時に開店したことになる。トムスを背にして(旧山手通りを正面に見て)、トムスの右手には一時期「東風(トン・フー)」という、これまた当時としてはおしゃれなチャイニーズがあった。これは確か、六本木の現在「スイート・ベイジル」がある場所に一号店が出来、その二号店だったので「東風イースト」だったかと思う。1980年代に入ってからだ。この「東風」もよく行ったなあ。チャイニーズをおしゃれに食べる先駆的店だった。「東風」はSB食品がやっていた。

フラッシュバックが続く。この頃、はやっていた店に青山の「クーリーズ・クリーク」というレストランがあった。1980年代初めに数年間続き、数年でなくなったのだが、この店がなんと先月、突然のように古川橋に復活オープンした。噂を聞きつけ行って来たので、このはなしはまた後日。

太郎さん、ようこさんらは比較的時代が同じせいか、いろいろ話をしているとその頃の店の話しなどがかぶってくる。彼の個展をこうした昔懐かしいトムスのような店でやることによって、70年代フラッシュバックが2倍増量くらいになって楽しくなってくる。いろんなことを思い出した。太郎さん、藤原さん、ありがとうございます。ちなみに、トムスは、ラストオーダー午後5時で店が5時半まで。だから、ランチに来るしかない。

■ 関連記事

○車窓を奏でるメロディー
http://www.soulsearchin.com/periodical/l&g/index.html
(雑誌「L&G」1999年4月号から2000年10月号まで連載した原稿と真鍋太郎さんのイラスト)

2003/11/03 (Mon)
Dear Friend: Illustration Of Sampling Or Remix
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200311/diary20031103.html

November 28, 2008
Picaro Taro’s Exhibition: Draws Riverside Cats
http://blog.soulsearchin.com/archives/cat_entart.html

ENT>EXHIBITION>Manabe, Taro
ENT>ARTIST>Manabe, Taro

★キャンディー・ダルファーとシーラECandy Dulfer & Sheila E

【キャンディー&シーラ・ライヴ】

華。

ファンキーな女性サックス奏者、キャンディー・ダルファーと華麗な女性パーカッション奏者、シーラ・Eが夢の共演。ステージの上がいつになく華やかだ。

キャンディーとそのバンドが全体を仕切り、そこにシーラEが客演するという感じ。よく考えてみると、なかなかいい組み合わせだ。2人とも女性としても華があるので、絵になる。

アップテンポ、ファンク、そしてメローな作品などを織り交ぜていく。1曲目はいきなりジェームス・ブラウン作品をメドレーにしたものをぶつけてきて驚いた。「マザー・ポップコーン」から「コールド・スゥエット」。いいノリだ。かと思えば、3曲目「スティル・アイ・ラヴ・ユー」などはひじょうにメロディアスで、「火曜サスペンス(火サス)のテーマ」にでもなりそうな曲。確かに「火サス」向きの1曲だ。

しかし、シーラEの後半でのはじけっぷりはハンパではない。ファーストからこんなに飛ばして、ガス欠になったりしないだろうかと心配になるほど。それくらいエネルギー全開だ。途中でドラムスに出向き、しばし叩くところもある。

キャンディーは「ピック・アップ・ザ・ピーセス」、シーラは「グラマラス・ライフ」とアップテンポの曲で大ヒットがある。改めて思うのが、そうした大ヒットが1曲でもあれば、それだけで十分盛り上がる、ということ。本編最後のところ、アンコール部分など一気に観客も大爆発、という感じだ。「Do you want more?」とシーラが叫び、観客が「いえ~~」と答える。すると、シーラは、大きく1回だけシンバルを叩き、「サンキュー!」。ツボを押さえてる。(笑)

ちなみにブルーノートのウェッブで、セットリストを見ると、1曲目が「Speedreading」となっているが、これはメイシオ・パーカーの作品。CDを聴いてみるとちょっと「マザー・ポップコーン」や「コールド・スゥエット」はででこない。違う曲を演奏したのだろうか。

■メンバー

キャンディ・ダルファー(サックス、ヴォーカル)Candy Dulfer(sax,vo)
シーラ・E.(パーカッション、ヴォーカル)Sheila E.(per,vo)
レオナ(ヴォーカル)Leona(vo)
ヤン・ヴァン・ダウレケン(トランペット)Jan van Duikeren(tp)
ロナルド・クール(キーボード)Ronald Kool(key)
チャンス・ハワード(キーボード、ヴォーカル)Chance Howard(key,vo)
ウルコ・ベッド(ギター)Ulco Bed(g)
マニュエル・ヒューガス(ベース)Manuel Hugas(b)
カーク・ジョンソン(ドラムス)Kirk Johnson(drs)

■セットリスト キャンディー・ダルファー&シーラE
Setlist : Candy Dulfer & Sheila E @ Blue Note, May 8th, 2009

show started 19:04
01. Mother Popcorn ~ Cold Sweat
02. My Funk (+Leyona)
03. Still I Love You
04. First In Line (+Leyona)
05. Daylight (Chance on vocal) [Bobby Womack]
06. Tailfeather
07. Don’t Go
(+Sheila E)↓
08. Oda Al Vino (+Leyona)
09. Slight Accent
10. Pick Up The Pieces (+Leyona)
Enc. Sax A Go Go
Enc. The Glamorous Life
show ended 20:30

(2009年5月8日金曜、東京ブルーノート=キャンディー・ダルファー&シーラEライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Dulfer, Candy & Sheila E
2009-38
◆アーニー・バーンズ70歳で死去: Ernie Barnes Dies At 70; Known For "I Want You" Cover 

【アーニー・バーンズ死去~『シュガー・シャック』で知られる】

訃報。

マーヴィン・ゲイのアルバム『アイ・ウォント・ユー』のジャケットに使われたことで一躍知られるようになった「シュガー・シャック」という作品を描いた、アメリカの黒人画家アーニー・バーンズが2009年4月27日、ロスアンジェルスのシーダース・サイナイ病院で血液に起因する合併症のため死去した。70歳だった。

アーニー・バーンズは1938年7月15日、ノース・キャロライナ州ダーハム生まれ。1960年から1964年までアメリカン・フットボールの選手として活躍。その後、選手になる前から絵を描いていた作品を次々と発表するようになる。1971年、黒人がダンスホールで踊っている姿を描いた「シュガー・シャック」を発表。話題を集め、さらに、1970年代中期にはテレビ番組『グッドタイムス』で多くのキャラクターを描いた。1976年、マーヴィン・ゲイがアルバム『アイ・ウォント・ユー』のジャケットでバーンズの作品「シュガー・シャック」を使い、さらに一般的な知名度をあげた。1984年、ロスアンジェルス・オリンピックのオフィシャル・アーティストに選出。

バーンズは、シンガー・ソングライターのビル・ウィザースと親しかったそうで、ウィザースによれば、バーンズは「アートを人々を教育するツールとして使ってみたかった」と言っていたという。また、ウィザースは「バーンズは、過去の表面的なものから、本質的なことを見て欲しいと思っている」と解説する。

バーンズの作品の中に踊っているものが多いのは、彼が幼少の頃、ダンスの輪の中に入ることを禁じられた思い出ゆえのことだという。そして、彼が描く黒人たちの目はいつも閉じているのが特徴。これは「我々はお互いの人間性に対して、盲目である」ということを表現していると彼は説明する。

ノース・キャライナ生まれのバーンズは、母親がリッチな弁護士のメイドをしていたことで、その家でいらなくなった書籍やレコードをもらってきては、子供たちに聞かせたり、見せたりしていた。1940年代の黒人家庭で、子供に芸術や教育を施そうしたしたのは極めて珍しかった。母親はアーニーに絵を描くよう勧め、アーニーは学友のいじめから逃れるために、絵に没頭した。高校時代から絵だけでなく、大きな身長(190センチ以上)を生かしてスポーツをするようになり、高校卒業時には26の大学から奨学金のオファーが来たという。まさに文武両道だ。その中から彼は黒人大学の名門ノース・キャロライナ大学を選び、進学。しかし、卒業を前に、彼はプロのフットボール選手に転向した。

フットボール時代にも筆を持ち、選手仲間などを描いて、仲間からは「大きなレンブラント」というニックネームまでもらった。選手としてはそれほどの成功を収めなかった彼は、自分が所属していたサンディエゴ・チャージャースのオーナーのもとに直談判に行き、作品を売り込みにいく。このときオーナーは彼の作品を1000ドルで購入した。

60年代初めの1000ドル(36万円)は大金だ。アルバイトで働いていたら日給1ドル、昭和30年代だと日本でも初任給1万円程度の頃である。これを機に彼は、AFLのオフィシャル・アーティストとなり、さらに、アーニーの才能にほれ込んだニューヨーク・ジェッツのオーナー、ソニー・ウォーブリンが年俸1万5000ドル以上を絵を描くために払うことになった。これは彼のフットボール選手としての年俸よりも1000ドル高い金額だった。こうしてアーニーは絵を描くアーティストとして売れっ子になっていく。以後は様々なセレブから作品を描いてくれと頼まれるようになったり、展覧会などを開くようになった。

(アーニー・バーンズ作品を使用したジャケット。このほかにドナルド・バード、クルセイダーズ、フェイス・ホープ&チャリティーなども)

■ マーヴィン・ゲイ 『アイ・ウォント・ユー』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000060NN/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ カーティス・メイフィールド 『サムシング・トゥ・ビリーヴ・イン』 

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000089B1/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ BBキング 『メイキング・ラヴ・イズ・グッド・フォー・ユー』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00004STPF/soulsearchiho-22/ref=nosim/

■ アーニー・バーンズ・オフィシャル・ウェッブ(英語)
http://www.erniebarnesart.com/
(ここでプリントの作品なども買えます)

■ 横浜の名門ソウル・バー「シュガーシャック」、川崎に再オープン

再起。

昨年1月にクローズした横浜の名門ソウル・バー「シュガーシャック」が、来る2009年5月21日、川崎に新規オープンする。場所は川崎駅から徒歩5分程度のところ。

『シュガーシャックSugarshack』
神奈川県川崎市川崎区砂子2-11-21 深沢ビル3階
電話044-223-8131

川崎駅・東口下車。市役所通りを第一京浜方向(海方向)に進み、サンルートと野村證券ビルとの間を右折。たちばな通り、マクドナルドの隣。ビルの3階。

(詳細は、また後日)

■ (参考資料)アーニー・バーンズ死去を伝える記事

http://www.latimes.com/entertainment/news/arts/la-me-ernie-barnes30-2009apr30,0,2835443.story

Ernie Barnes dies at 70; pro football player, successful painter

By Elaine Woo
April 30, 2009

Ernie Barnes, a former professional football player who became a successful figurative painter, known for depictions of athletes and ordinary people whose muscled, elongated forms express physical and spiritual struggles, died Monday at Cedars-Sinai Medical Center in Los Angeles. He was 70.

ENT>OBITUARY>Barnes, Ernie (July 15, 1938 - April 27, 2009, 70)

○【全身全霊でかけぬけた50本~山下達郎ツアー最終日終了】

千穐楽。

2008年12月末に大阪に行ってきた後、僕の母親が「大阪に何しにいったの」と聞いてきたので、「山下達郎のコンサートを見に行ってきた」というと、「あら、いいわね、私も見てみたいわ」と言う。そこで、東京での最終公演に母親を連れて行くことになった。どうやら名前は知っていて、「クリスマス・イブ」などの曲も知っているらしい。

「今日、初めて山下達郎のコンサートに来た人、ちょっと手をあげてください」 母親も手を上げる。全体で1割から2割くらいだろうか。それを見て、達郎さん、「それでも、まだこんなにいる…」(会場・爆笑) 「では、今回のツアー、2回目以上の人?」 客電がついたサンプラザの観客の手が一斉にあがる。7~8割、いや9割と言ってもいいだろうか。ほとんどリピーターばかりではないか。(笑)すごい。「番組のほうには、何度もいろいろやったけれど、チケットが取れなかった、なんていう葉書がたくさん来るんですが、みなさん、どうやってチケット取ってるんですか? 親戚縁者の名前、みんな使ってるんですか?」(笑) (発言はいずれも大意)

「今日は千穐楽ということで、予定調和がないかもしれません。(拍手) でも、ツアーですので、セットリストは変わりません。ライヴというのはそういうものです」(きっぱり) 千穐楽ということもあり、達郎さん自身が最初の部分はけっこうナーヴァスになっていたかもしれない。しかし達郎さんはこの日、雄弁だった。よく語った。

セットリストについては、毎回自分がツアーをするときは、新譜アルバムの発売と関連し、そのプロモーションでやるために、新譜からの作品を中心に組んだが、今回は新譜がないので、これまでの自分の好きな曲からベストのものを選んだ、ある意味「ベスト・セットリスト」になった、というような説明をした。それにしても、50本かたくなにセットリストを変えずにやり続けるというところがすごい。ツアーとはそういうものなんだ…。

「でも、最近はインターネットなどで事前にセットリストなどを予習してから来る人もいるようだが、予習なんかしないほうが、いい。ライヴというのは何が(次に)来るかわからないのがいいんです」とも言う。


ホームグラウンド。

元々は札幌で終了の予定だった6年ぶりのツアーのちょうど50本目は本当に最後の最後。僕自身は大阪の12月28日以来の鑑賞だ。(その感想文は下記参照) 達郎さんは、1980年5月1日、ここ中野サンプラザのステージに初めて立ったという。以来、彼はここを「自分のホームグラウンド」にすることに決めたそうだ。フェスティヴァル・ホールでのライヴ中に彼は何度も「フェスティヴァル・ホールの(音楽の)神様」と言った。この日も何度か「中野サンプラザの音楽の神様」という言い方をした。ひょっとすると今回がサンプラでの最後になるかもしれない、などということも思ってしまう、とも。それは最近のホール事情がひじょうによくないためだそうだ。このサンプラにも取り壊しの話があるらしい。

また、最近は年になって、という話の中で、森光子さんから10年くらい前にきいた話しとして、「自分が年のことを言っている間は、まだぜんぜん年じゃない。しばらくして年を重ねると、年の話をしなくなる。さらに、年になると、今度は年のことを自慢するようになる」と言われたそうだ。また森さんからは、鼻うがいの方法を習い、それをやって以来、10年以上風邪知らずとのこと。

年の話しの関連で後半には清志郎さんについてもひとことあった。「沖縄でやっているときに、忌野清志郎さんの急逝を知りました。彼とは2つしか違わないので、彼の人生と(自分の人生)がかぶって思えることがあります。この年になると、このライヴがひょっとしたら最後になるのではないか、などといろいろ考えたりすることもある」

こんなことも言った。「このバンド・メンバーはここ20年以上やっている中で一番自分にあってるような気がする。今でも月に何度か新曲のリハーサルなどを続けていて、これで、レパートリーが50曲くらいに増えたら、ライヴハウスでやってみたい。夏フェスみたいのにも出てみたい」 ライヴハウスはイメージがわくが、夏フェスはどうにも想像がつかない。(笑)

「自分は漫才より落語派で、アドリブで何かをポンポンしゃべれるような人間ではない。だけど(落語と一緒で)、いいものは何度聴いてもいいんです」(受ける) 確かにこれだけのリピーターたちは、いいものは何度聴いてもいいんです、というのを強烈に実感していることだろう。

バンドはタイトに、歌声は力強く、山下達郎が空間と時間を完全に支配する。この10人は、まさにひとつの音楽(山下達郎の音楽)を人に聴かせるために、イメージを共有し、完璧に一点に集中しているマグニフィセント10だ。「ライド・オン・タイム」で本編が終った時点で3時間を超えていた。演奏家たちが高いレヴェルで集中しているため、聴き手も集中し、時が経つのがあっという間に感じられる。


感動源。

しかし、これだけの長さのライヴで観客を飽きさせない構成力、歌力、バンド力は圧巻だ。もちろん、声がいい、歌唱・バンド演奏(パフォーマンス)がいい、曲がいい、という基本三原則が堂々とそこに横たわっているが、それ以上にこの4時間という時間が与えてくれる感動の源は何なのだろうか。

彼の語りや歌を見て、聴いて思ったことは、結局それは、山下達郎という人物の音楽に対する圧倒的、本質的な真摯な姿勢と、山下達郎という人間そのものの存在ではないかと思う。このブログのライヴ感想文でもしばしば書いているが、音楽とはそのミュージシャンの等身大の鏡、つまり、そのアーティストの人間そのもの、人間性を映し出すものだ。

そこに汚れ(けがれ)があればそれがシミとなり、悩みがあればそれが曇りとなり、苦しみや悲しみがあれば影となり、喜びがあれば太陽のような光が放たれる。本人もステージで「根が真面目なので、話が講演会みたいになってしまいますが」と話していたが、こと音楽に関して頑固で、誠実で、妥協を許さない、その真剣さが如実に露出され、その「気」が同じように音楽に真摯に向かう多くのファン、観客の胸を、心を打つのだ。全身全霊でライヴ・ツアー50本目のライヴをやっていた山下達郎は、「これ(50本のツアー)ができたので、まだまだ出来そうな気がします」と言った。

マイク・スタンドにしがみつく小さなタンバリン、ウィンドチャイムの前にちょこんと座るゴジラの人形。ドラムセットの前になにげなく置かれたハーシーズ・ショップの板。暗くなったステージでたったひとりになって中央のマイク・スタンドの前に立ち「ユア・アイズ」を歌うとき、彼のところに集中する天井からの5本のスポットライト。「ライド・オン・タイム」でのマイクから離れてのひとり生声歌い。どのシーンも、瞼に焼き付いて残る。 

最後に達郎さんは言った。「音楽で革命は起こせませんけど、人の心を慰めたり、励ましたりすることはできると思います。何かに悩んだりした時には、是非ともまた、山下達郎のライヴにおでかけください」 はい、でかけたいと思います。

アンコール後の「ザッツ・マイ・デザイアー」が終わるまで3時間54分。ノン・ストップ。ときおりオペラグラスでステージを見ていた母親が言った。「最初3時間半って聞いて、長いのねと思ったけど、(終わってみると)あっという間に時間が経った。知らない曲もあったけど、聴き入っちゃったわ」 「鉄腕アトム」やアカペラものが気に入ったようだ。母親は昭和3年8月生まれ。80歳である。

(セットリストは、ついに解禁です。(笑) 達郎さん曰く「これでツアーも終了ですので、後は煮てでも焼いてでもしてください」。)

■ 山下達郎ライヴ 過去関連記事

May 07, 2008
Yamashita Tatsuro Live At Hamarikyu Asahi Hall
【山下達郎~素晴らしき人生】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_05_07.html

May 11, 2008
Yamashita Tatsuro Acoustic Mini Live @ Hamarikyu Asahi Hall
【山下達郎・アコースティック・ミニ・ライヴ・セットリスト】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_05_11.html
(2008年5月アコースティック・ミニ・ライヴ記事)

December 29, 2008
Yamashita Tatsuro @ Osaka Festival Hall Final
【山下達郎~フェスティヴァル・ホール最後の日】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_12_29.html

■ メンバー 山下達郎2008~2009

山下達郎 (歌、ギター)
伊藤広規 (ベース)
難波弘之 (ピアノ、ローズ)
柴田俊文 (キーボード)
佐橋佳幸 (ギター)
土岐英史 (サックス)
小笠原拓海 (ドラムス)
国分友里恵 (バックヴォーカル)
佐々木久美 (バックヴォーカル)
三谷泰弘 (バックヴォーカル)
竹内まりや (特別ゲスト)

■セットリスト 山下達郎@中野サンプラザ 2009年5月11日(月)
Setlist : May 11, 2009 Monday @ Nakano Sunplaza

Show started 18:34 
Performance started 18:36
01. Sparkle
02. Jungle Swing
03. Blow
04. Donut Song
05. 夏への扉
06. ついておいで
07. Paper Doll
08. さよなら夏の日
09. Forever Mine
10. バラ色の人生 (ひとりアカペラ~13まで)
11. Chapel Of Dreams
12. Have Yourself A Merry Little Christmas
13. We Wish You A Merry Christmas
14. クリスマス・イブ
15. 蒼氓 ~ People Get Ready ~ A Ray of Hope ~ Blowin’In The Wind ~ 友よ ~ 蒼氓
16. Get Back In Love
17. Bomber
18. Let’s Dance Baby ~ Mean Woman Blues ~ Let’s Dance Baby
19. 高気圧ガール
20. Ride On Time
(Encore)
21. ずっと一緒さ
22. アトムの子 ~ 鉄腕アトムのテーマ ~ アトムの子
23. September(竹内まりや)
24. Downtown
25. Circus Town
26. Last Step
27. Your Eyes
CD That’s My Desire
Show ended 22:28

■ 参考資料 

セットリスト2008年12月28日大阪フェスティヴァル・ホール
アンコール以降が次の通り。

Show started 18:06
1~20は同じ。
(Encore)
21. ずっと一緒さ
22. 人生の扉(竹内まりや)
23. セプテンバー(竹内まりや)
24. アトムの子
25. Downtown
26. Circus Town
27. Last Step
28. Your Eyes
CD That’s My Desire
29. Let It Be Me (with竹内まりや)
CD That’s My Desire
Show ended 21:37

(2009年05月11日月曜、中野サンプラザ=山下達郎・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Yamashita, Tatsuro
2009-42

◎【木下航志・誕生日記念ライヴ】

成人。

「コーシ、じゃあ少し次のソロをSSSSS(ス~~~)セクシーにやってみよう」 フィリップがそう言いながら、航志にソロをふる。木下航志が2009年5月8日でちょうど20歳になり、その翌日、目黒ブルース・アレイで誕生日記念ライヴをおこなった。前半がオリジナル中心、後半がカヴァー中心。

あいかわらず、航志くんのMCがとぼけてておもしろい。ファースト、セカンドあわせて全部で20曲。前半はかなりスローな感じだったが、セカンド後半は 序々にあったまった感じ。気がついたのが、1曲終わるごとになにか一言しゃべって次の曲に行っていたが、曲間のトークは2-3曲に1回でいいのではないかということ。曲の流れで勢いをつけていくのがいい。

このところよくライヴで会う横浜在住のデイヴィッド・キングがこの日もブレンダと登場。チャック・ウィリスのブルーズ曲「イッツ・トゥ・レイト」でかなりいい喉を聴かせた。スモーキーのようなハイヴォイス、ところどころフィリップ・ベイリーなども思わせる。航志くんが歌ったこのブルーズ2曲(「イッツ・トゥ・レイト」と「スイート・ホーム・シカゴ」)あたりでは、こぶしなどもきかせ、なかなかの迫力だった。ヴォーカリストとしていろいろ引き出しが増えている。

また、やはり、ステージ慣れしているところはあり、さすが回数重ねれば重ねるだけのことはある。

アンコールのところでは、誕生日ということもあり、メンバーが「ハッピー・バースデイ」を歌い大きなケーキがステージにあげられた。

■ メンバー

Vo/Fender Rhodes1970)木下航志
(HAMMOND A-100/1964)PHILIP WOO (B)名村武 (G)西山Hank史翁
(Ds)マイケル河合 (Vo)Brenda Vaughn、David King (Vo/Per/Sax)Gary Scott

■ セットリスト 木下航志 @ ブルース・アレイ 2009年5月9日
Setlist: Kishita Kohshi @ Blues Alley

show started 19:46
01. Tulip
02. Love Love Love [Dreams Come True]
03. I Just Called To Say I Love You [Stevie]
04. Shiosai [Tatsuro Yamashita]
05. What’s Going On [Marvin Gaye]
06. Touri Ame
07. Tsuki Futatsu
08. Gozen Yoji (4.A.M.)
09. We Got Rhythm
show ended 20:43

Second set
show started 21:17
01. Outa Space [Billy Preston] / I Wanna Take You Higher [Sly & Family Stone]
02. English Man In New York [Sting]
03. On Broadway [George Benson]
04. It’s Too Late [Chuck Willis]
05. Sweet Home Chicago [Robert Johnson]
06. Tonight I Celebrate My Love (A Duet With Brenda Vaughn) [Roberta Flack & Peabo Bryson]
07. If You Really Love Me [Stevie Wonder]
08. Joy To The World [Three Dog Night]
09. Sing A Song [Earth Wind & Fire]
Enc. Happy Birthday [Stevie]
Enc. Thank You [Sly]
Enc. Many Rivers To Cross [Jimmy Cliff]
show ended 22:46

(2009年5月9日土曜、目黒ブルース・アレイ=木下航志ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Kishita, Kohshi
2009-40

☆川畑氏ソウル・バー歴30周年パーティーにジェームス・ギャドソン、山岸潤史ら登場~ジャム・セッションの夜か 

【ソウル・バー周年記念パーティー続々 ~ 川畑氏30周年、ダンステリア25周年】

豪華ゲスト。

もはや日本全国ソウル・バー業界の重鎮となった川畑満男氏が、今年(2009年)ソウル・バー歴30年を迎え、その周年パーティーを来る2009年5月17日(日曜日)、六本木A LIFE(エー・ライフ)で行う。全フロアを借り切ってのパーティーで、各フロアにソウル・バー関係のDJが集結。また、ショーケース・ライヴも行われる。

今回のショーケース・ライヴは、なんとロス・アンジェルスから川畑氏の盟友ファンキー・ドラマー・ナンバー・ワン、ジェームス・ギャドソンを向かえ、さらに、ニューオーリンズからファンキー・ギタリスト・ナンバー・ワン、山岸潤史が来日、大阪からファンキー・ベース・ナンバー・ワン、清水興、そして東京からファンキー・キーボード・ナンバー・ワン、吉弘千鶴子が集まり、ファンク度の高いライヴ・パフォーマンスを見せる。ギャドソンは、ご存知のように、歌も歌うドラマーだ。このファースト・セットは夜10時過ぎから。かなり濃そうなソウル・ナイトな予感がする。

また、この4人がハウス・バンドとして残り、1時過ぎからのセカンド・セットでは、川畑氏が多くの友人ミュージシャンたちに声をかけており、スケジュールがあうミュージシャンたちがかけつけ、ワイルドでファンキーなジャム・セッションを繰り広げる予定だ。

川畑氏は、1970年代中期に四谷のソウル・スナック「ライブ」に勤めた後、1979年、六本木旧防衛庁前にソウル・バー「ラヴィング・パワー」をオープン。その後、「テンプス」、「ヒップ・ホップ」などを経て、2003年4月赤坂に「ミラクル」をオープン。川畑氏のソウル・バー歴は「ラヴィング・パワー」から数えて、今年でちょうど30周年となる。

■ 川畑氏 過去記事

2003/05/09 (Fri)
Miracle: Don’t show up with old name
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200305/diary20030509.html

May 23, 2006
Miracle 27th Anniversary Party At The Garden
http://blog.soulsearchin.com/archives/001031.html

◎ 『ルーツ・オブ・ソウル祭・ソウル・バー・オヤジ30周年記念パーティー』

日時 2009年5月17日(日曜)20時~4時
場所 六本木A LIFE(エーライフ)
東京都港区西麻布1-7-2ECONACH西麻布ビル 03-5785-2531
(PC) http://www.e-alife.net  (携帯) www.ktai.at/alife
地下鉄 日比谷線「六本木」2番出口・徒歩5分
地下鉄 大江戸線「六本木」4b出口・徒歩7分     
料金 5000円(1ドンリンク)
ライヴ演奏 ジェームス・ギャドソン(ドラムス、ヴォーカル) 山岸潤史(ギター) 吉弘千鶴子(キーボード) 清水興(ベース)ほか飛び入り多数 (ライヴは夜10時頃からと1時頃からの予定。基本的にこの4人がファーストを行い、セカンドでは飛び入りミュージシャンたちが加わりジャム・セッションを繰り広げます。ライヴ時間は流動的です)
DJ地下1階 川畑  KIYOMI  KOUNO
Special Guest DJs  Åτοm  AKIRA
1階2階MASAKO NAOKO  有輝  NOBU  Brother-M

+++++

◎ 白金ダンステリアも25周年

25周年。

今は亡きドン勝本氏が1984年にオープンした長寿店「ダンステリア」。四半世紀を祝って来る2009年5月24日(日曜)、白金ダンステリアでパーティーを行う。先着50名にダンステリア・オリジナル携帯ストラップをプレゼントするという。また、25周年記念・特製江守藹オリジナル・イラストTシャツも販売する。

◎ 『白金ダンステリア25周年記念パーティー』

日時 2009年5月24日(日曜)18時~夜中
場所 白金ダンステリア 03-3444-0097
〒108-0072 東京都港区白金台1-29-13 白金ビレッジ地下1階
http://danceteria.web.fc2.com/
料金 3500円(2ドリンク付き)
DJs 江守藹 /川畑(ミラクル)/MASAKO /鶴賀谷/K-CO/有輝

+++++

ENT>SOUL BARS>Miracle, Danceteria

◎【ソウル・ナッツ4周年パーティー】

4周年。

三宿のソウル・バー、ファンキー居酒屋「ソウル・ナッツ」が4周年を向かえ、そのパーティーが2009年5月10日二子玉川のライヴハウス「ピンク・ノイズ」で行われた。

ダンス・パフォーマンス、ライヴ、DJなどで、普段のソウル・ナッツの常連などソウル好き、ダンス好きが多数集まった。ライヴは、おなじみワンダラーズがメインとなりソウル・ヒットを歌い、そこにゲスト(レディーキューブ、シュガピンプス)がはいる形で展開。司会ホスト役のマイケル鶴岡は、この日は司会だけでなく、ダンスもし、さらにワンダラーズに混ざってパンチョ鶴岡を名乗りパーカッションまで担当した。

驚いたのが、ライヴ後半、司会のマイケルに「特別ゲストがやってきました」と言って紹介されたゴスペラーズ、村上てつやさん。マイケルに呼び出され、ステージにあがるとその場でバンドと打ち合わせをして、「スタンド・バイ・ミー」を歌った。村上さんは地声だけでなく、ファルセット(裏声)もなかなか力強い。観客に、サビ部分を歌わせたり、さすがに一気にお客さんをつかんだ。ちょうど村上さんはこの日、地方から帰ったばかりで、「(ステップの)先生に頼まれたら、来ないわけに行かないでしょう」と駆けつけたという。

■セットリスト ソウル・ナッツ4周年パーティー
Setlist : Soul Nuts 4th Anniversary Party: "Super Fly" @ Pink Noise, May 10, 2009

show started 20:18
01. Michael & Yuki Dance
02. Michael, Yuki & Keiko Dance (Temptations Medley)
~Wonderers Review
01. Move On Up
02. How Sweet It Is (To Be Loved By You)
03. Ain’t Too Proud To Beg
04. You’ve Really Got A Hold On Me
05. You’ll Never Find Another Love Like Mine
06. What Does It Take (To Win Your Love)
~Lady Cube
07. Got To Be Real
08. Lady Marmalade
09. Play That Funky Music
10. Le Freak
~Suga Pimps
11. (Sitting In The) Dock Of The Bay
12. What’s Going On
13. Stand By Me (Murakami Tetsuya)
14. Back Field In Motion
15. Trying To Live My Life Without You
Enc. Funky Nassau
show ended 21:47

(2009年5月10日日曜、二子玉川・ピンク・ノイズ=ソウル・ナッツ4周年記念パーティー)
ENT>LIVE>Soul Nuts Anniversary Party
ENT>SOUL BARS>Soul Nuts
2009-41

●ウェイマン・ティズデール44歳で死去~スター・バスケ選手からスター・ベース奏者へ

訃報。

バスケット・ボールの選手として華やかな成功を収め、また音楽の世界にもジャズー・ベーシストとして入り、アルバム8枚をリリースしてきたウェイマン・ティズデールが2009年5月15日(金)朝、入院中のアメリカ・オクラホマ州の病院で死去した。ガンで闘病中だった。44歳。

ウェイマンは1964年6月9日、オクラホマ州タルサ生まれ。父は地元では大変有名な牧師で、そこには父の名を冠した通り「L.L.ティスデール・パークウェイ」ができたほど。ウェイマンは当初音楽に夢中になったが、大きくなるにつれ、バスケットに熱中。オクラホマ大学でバスケの選手となる。1984年のロス・アンジェルス・オリンピックでは、アメリカ代表チームの一員となり、バスケット・ボールの金メダルに貢献した。12シーズン、プロのチーム(NBA)、インディアナ・ペイサーズ、サクラメント・キングスなどで活躍。

2007年2月8日、自宅の階段から落ちて足を怪我、この治療過程で骨肉腫が発覚。治療にはいった。しかし、いったん治癒したかに見えたが、2008年夏、ガンの転移のため、右足をひざから切断、義足での生活となった。多くの人にはいつも笑顔のウェイマンとして知られていた。

ティズデールは、ベース奏者としても大変評価が高く、1995年モータウン傘下モージャズ・レーベルから『パワー・フォワード』でデビュー、いわゆるスムース・ジャズ・シーンで人気を集め、2008年のアルバム『リバウンド』まで計8枚のアルバムを出した。

October 04, 2008
Joe Sample Talks (Part 2): Dave Koz Live: The Most Choreographed Sax Player In The Jazz
http://blog.soulsearchin.com/archives/002692.html

2008年10月のデイヴ・コズのライヴに参加、来日予定だったが、治療に専念するために断念。デイヴは次回の来日には必ずや、ウェイマンを連れてくると言ったが、実現しなかった。ティズデールは先月、化学治療の後、全米ツアーにでたところだった。

ウェイマンは妻と4人の子供に送られる。ご冥福をお祈りする。

■ ウェイマン・ティズデール 遺作『リバウンド』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0017TCSIK/soulsearchiho-22/ref=nosim/

ENT>MUSIC>OBITUARY>Tisdale, Wayman (June 9, 1964 - May 15, 2009, 44)

A Man Who Taught Exile To Ei Rokusuke

【新旧レコード大賞受賞作詞家の邂逅】

邂逅。

松尾潔さんが、2009年3月21日(土)にTBSラジオの番組『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』にゲスト出演し、彼が学生時代を過ごした阿佐ヶ谷周辺をレポートした。松尾さんがこの番組に出るのは初めてで、永さんは松尾さんがエグザイルの作詞をしていることをスタッフから教わるが、なんとエグザイルの存在自体を知らなかった。そのことには、リスナーから多数の電話がかかってきたが、永さんは松尾さんとのやりとりがおもしろかったので、彼に興味を持った。ほとんど日本の曲をかけない番組ながら、当日は番組後半でエグザイルの曲をかけたことにスタッフも驚いたという。そこで改めて松尾さんへのスタジオでの出演依頼がきて、昨日(2009年5月16日)、ゲスト出演を果たした。

午後12時20分すぎから、途中に新型インフルエンザのニュースがはいってきてしまったため、20分程度の出演になってしまったが、これがおもしろかった。

永さんは開口一番、「僕も作詞をしていました。でも、あるとき、中村八大(作曲家、永さん作詞で多数の作品がある)に『これからはもう言葉とメロディーじゃない。これからはビートの時代だ。だからあなたには(作詞は)もう無理だと思う』と言われて、他にもいろいろあったんですが、それでやめたんです」と約40年前(1968年前後)に作詞をやめた理由を語った。

そして、「くわ…」と言って口ごもり、その瞬間、松尾さんが「くわたけいすけ(桑田佳祐)さんですか?」と返し、「そうそう、その桑田佳祐、あそこからわからない。歌詞がわからない。…(最近の作品は)言葉が選ばれてない。言いたいこと全部言っちゃってるから。そんな感じがするんですね」と言ったのだ。この永さんの「くわ…」と松尾さんの受けが最高におもしろかった。

中村八大氏が40年以上も前に、これからはビートの時代だと言ったのも大変な慧眼(けいがん)だが、その点に意見を求められた松尾さんは「(半分は同意しつつ)それでも、変わり行く変わらないものがあります」と現状を説明した。

永さんはさらに「みんなが(一緒に)歌う曲が今はない。ある時代、ある世代、ある場所でめちゃくちゃ支持されてる。でも、そのほかが置いてけぼりになってる」と現状を嘆き、「最近はみんなパーソナルなことばかり歌うんですか」と松尾さんに尋ねる。「たしかに、日記から出てきたような詞が多いですね」と松尾さん。

永さんが作詞をやめようと思ったその頃の1968年、松尾さんが九州・福岡に誕生する。そんな松尾さんと永さんとの最初の接点は、松尾さんが小学校3-4年頃(1975年~76年頃)、九州・佐賀の市民会館で行われた「永六輔、江藤淳の講演会」のときだった。母親が江藤淳氏の著作『海舟余波』(1974年発表)をもち、講演会後、サインをもらおうと出口で待っていると、そこに永さんが現れ、その江藤さんの本に無理やりサインをもらったというのだ。永さんはそのとき、「私でいいんですか」と苦笑したそうだが、母は「いいんです」と答え、サインをもらったという。そしてそのとき永さんが少年の頭をなでたことを松尾さんはよく覚えている。松尾さん曰く「まあ、今から思えば初めて見た文化人だった」。

1933年4月10日生まれの永さんは、1959年12月、第1回レコード大賞で水原弘の「黒い花びら」で作詞を担当、大賞を受賞する。それから49年後、ちょうど第50回のレコード大賞(2008年12月)で松尾さんはエグザイルの「ティアモ(Ti Amo)」で大賞受賞。

この日の永六輔・松尾潔対談は、レコード大賞の半世紀の歴史、第1回と第50回という節目を飾るふたりの対談となった。

ちなみに1933年という年は奇しくも、永さんのほかに、松尾さんに大きな影響を与えたクインシー・ジョーンズ、さらに、ジェームス・ブラウンの生年でもある。最初、この番組に出演を依頼されたときは、「(それらを含めて)あらゆる点で、感無量でした」と松尾さんは言った。

新旧レコード大賞受賞作詞家の邂逅、ここにありだ。

ENT>RADIO>Ei, Rokusuke
ENT>SONGWRITER>Ei, Rokusuke / Matsuo Kiyoshi

▲【『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』、5月28日までに店頭に】

発売。

昨年(2008年)9月からスタートし、なんやかんや足掛け8ヶ月かかったマーヴィン・ゲイ本人が語った唯一の伝記『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル(Divided Soul)』(ブルース・インターアクションズ)が完成、見本が昨日できてきた。2009年5月28日までに書店、大手CDショップなどに並ぶ。アマゾンにもそれまでに入荷、28日から出荷になる。アマゾンは28日までに予約を入れれば、28日もしくは29日に出荷となるので、早ければ翌日お手元に届くはずだ。

■ 『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』(ブルース・インターアクションズ)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4860203186/soulsearchiho-22/ref=nosim/

僕がこの本を入手したのが、1985年5月。当時僕は多くの雑誌をアメリカやイギリスから取り寄せて、かたっぱしから見ていたが、日本語に訳して、広く紹介したいと思った初めての洋書がこのマーヴィンの自伝だった。それから干支も2周した24年後にこうしてその夢が実現した。感無量である。

一冊の本を作りあげるまでには、何度も表紙や、本の形のものを試し刷りする。そんな一部をご紹介。

(写真はこちらのブログをご覧くださいhttp://blog.soulsearchin.com/

写真中央の白い本。これは、いわゆる「束見本(つかみほん)」といって、最終的な本と同じ紙質、ページ数で製本したもの。これによって、本の質感、外観、また厚さなどがわかる。最終的なページ数は、もちろん、文字数によって決まるので、束見本もかなり最終段階にならないとできない。だが、これができると本のカヴァーのデザインができる。このマーヴィンの本は、当初ソフトカヴァーで予定されたが、きっちりした本にしようということで、いわゆる表紙の硬いハード・カヴァーになった。カヴァーを取るとオレンジ色一色の、重厚な洋書のような雰囲気になる。

白い束見本の上にあるのが、『ディヴァイデッド・ソウル』の1991年刊行のソフトカヴァー、その右が1985年の初版ハード・カヴァー。左側のマーヴィンのモノクロの写真が、今回の日本版の表紙に使われた写真。下に映っている紙の束は、本文の一台ごとにまとめられたもの。一台で16ページ分がひとくくりになり、それが27台分集まり、一冊の本になる。

本書にかけるカヴァーは、書店で一番目に入るものだけに、かなり重要で、編集者、デザイナーは何度も色校(色の校正)を見る。今回は、マーヴィンの顔写真が選ばれたが、これも何枚ものマーヴィンの写真から厳選された。ファンの方はおわかりになるかと思うが、『ホワッツ・ゴーイング・オン』のときの写真の1枚である。日本独特の帯も、いろいろ頭を使うところ。

さまざまな本の制作にかかわっていただいたみなさん、ありがとうございます。いよいよ書店、CDショップに並びます。

ENT>BOOK>Gaye, Marvin / Divided Soul

★川畑満男氏ソウル・バー歴30周年記念パーティー~フィーチャリング・ジェームス・ギャドソン

【豪華絢爛大ソウル・パーティー】

豪華。

全国ソウル・バー総本山赤坂ミラクル・オウナー、川畑満男氏のソウル・バー歴30周年を記念したパーティーが2009年5月17日(日曜)、東京・六本木のA-LIFE(エー・ライフ)で行われた。3フロアで複数のDJプレイがあったほか、ライヴも。それがこの日の最大の目玉で、ロス・アンジェルスからやってきた伝説のドラマー、ジェームス・ギャドソンをフィーチャーしたライヴ・バンドのショー。ここにニュー・オーリンズからの山岸潤史、キーボードにやはりかつてニュー・オーリンズで活躍した吉弘千鶴子、ベースになにわの清水興という強力ファンク部隊が揃っての演奏となった。

会場は、全国のソウル・バー関係者、音楽ファン、ソウル・ファン多数であふれかえっていた。ソウル・バーは日曜が休みのところが多いため、多くのソウル・バー・マスターが登場していた。沖縄オージー、都内恵比寿・ブラウン・シュガー、川崎ソウル・ビート、大宮ディープ、下北沢しずおかや、リトル・ソウル・カフェ、ダンステリアその他多数だ。おや、マイケル&ケイコがいないぞ…。(笑)

さらにこのほかに川畑さんとゆかりのあるミュージシャンたちが多数かけつけ、楽屋はごった返していた。

ライヴは第一部が4人での山岸オリジナル曲や、ジョニー・ギター・ワトソン曲、バンド・オブ・プレジャーの曲など。いずれものり抜群で、ブルーズ調の曲でも観客は踊る。第二部がこの4人をベースに、当日遊びに来たミュージシャンたちが次々と入れ替わり立ち代りステージにあがり、ジャム・セッションを繰り広げた。

それにしても、みんな楽しそうにプレイしてる。ソウルオヤジ川畑さんの元に集まったみんなが好き勝手に、自分たちの好きな音楽を思い切りエンジョイしている、という感じだ。ある種、ファミリー・パーティーのような楽しいジャム・セッションで、たとえば、山岸の熱血プレイぶりに、思わず僕もステージ横から「ヤマギシー~~」と声をかけてしまった。(笑)こんな楽しいパーティーは、川畑さんのキャラクターのなせる業か。

第二部で僕は初めてみたが、北京一さんの「かたつむり」というのがめちゃくちゃおもしろかった。ブルーズ調のバックに乗せ、パントマイム風動きと、おもしろいストーリー展開が最高に楽しい。聞くと、北京一さんは、その昔北京一・京二として漫才をやっていたが、その後単身渡米しロスでパントマイムを勉強し、帰国後はソー・バッド・レヴューを結成、リード・シンガーとなった。現在は歌とそのパフォーマンスを合体させたものをやっている、という。この「かたつむり」は彼の18番だそうだ。

しかし、この4人、たかが4人でよくこれだけのリズム、サウンドを作ることができる。

第二部ではまたまた熱いジェイ公山のサム・クックなどでオールド・スクール客を熱狂させる。そして、最後2曲、ギャドソンの盟友、ビル・ウィザースの2曲「キッシング・マイ・ラヴ」と「ユーズ・ミー」は、本物のジェームス・ギャドソンのドラムスで最高だった。あのチッチッチという独特の音が、レコードそっくりでもうたまらない。客の中からも、「本物だよ、本物がやってるよ」という声が聞こえてきた。

このギャドソンのドラム・プレイについては、川畑さんがMCで「僕が一番好きなドラマーなんです。あんまりでしゃばらないで、でも、ちゃんと自分らしさがあって」といったようなことを言っていたが、本当にその通りだ。

ジェームス・ギャドソンは、1939年6月生まれ。現在69歳、来月70歳だ。ワッツ103(ワンハンドレッド・サード)ストリート・バンド、ビル・ウィザースなどを皮切りに、セッション・ドラマー、プロデューサーとして多数の作品に参加してきた、伝説のドラマーだ。しかし、伝説というよりも、まるでまだまだ現役の超強力なドラマーだった。しかも、歌も歌うのだからたまらない。

下記セットリストをごらんになるとわかると思うが、今は亡きジョニー・ギター・ワトソンの作品が多いことに気づかれるだろう。実は、ジェームス、山岸らは、今回この川畑パーティーともう一件、トリビュート・トゥ・ジョニー・ギター・ワトソンのライヴのために、来日したのだ。それは翌日月曜のことなので、それは明日レポートする。

ワトソンは1996年5月17日、横浜の「ブルーズ・カフェ」というライヴ・ハウスで1曲目が始まってステージにでてきたところで倒れ、そのまま帰らぬ人となった。もちろん観客は、それが最初は演出だと思ったが、何分経っても起き上がらないので、ミュージシャンたちが焦り始め、ことの重大さに気づいたのだ。5月17日は、それからちょうど13年である。

(この項、つづく)

■ メンバー

James Gadson (Drums)
Shimizu Kou (Bass)
Yamagishi Junshi (Guitar)
Yoshihiro Chizuko (Keyboards)
+++
Jay Kouyama (Vocal), Chaka (Vocal), Take (Vocal), Kita Kyoichi (Vocal), Hank Nishiyama (Guitar), Jimmy Hashizume (Drums), Minamisawa Kaz (Guitar), Nao (Sax), horn sections, among others

■ セットリスト ジェームス・ギャドソン・バンド@Aライフ 2009年5月17日
Setlist : James Gadson Band @ A-Life, May 17, 2009

show started 22:16
00. MC Kawabata Mitsuo
01. Slap Jack [Yamagishi Jun]
02. Superman Lover [Johnny Guitar Watson - 1976]
03. 12:23 [Yamagishi Jun]
04. Cuttin’ In [Johnny Guitar Watson - 1962]
05. Woke Up This Morning [B.B.King]
06. Long Distant Lover [Band Of Pleasure]
07. Born Under A Bad Sign [Albert King, William Bell]
08. Love Land [James Gadson, Charles Wright & Watts 103rd Street Rhythm Band]
show ended 23:10

Second set
show started 01:02
01. Holy Ghost [Bar Kays] (Jay Kouyama)
02. A Change Is Gonna Come [Sam Cooke] (Jay Kouyama)
03. Special Lady [Band Of Pleasure] (Chaka & James Gadson)
04. Got To Be Real [Cheryl Lynn] (+3 horn players, Take from Skoop On Somebody, +girl singer)
05. Taste Of Tokyo [Band Of Pleasure] (James sings)
06. Katatsumuri [Kita Kyoichi]
07. Untitled Jam Session (featuring Ichiro)
08. Kissing My Love [Bill Withers]
09. Use Me [Bill Withers]
show ended 2:45?

(2009年5月17日日曜、六本木Aライフ=ジェームス・ギャドソン・グループ、川畑満男ソウル・バー歴30周年記念パーティー)

ENT>MUSIC>LIVE>Gadson, James
2009-44

◆ジョニー・ギター・ワトソン・トリビュート・ライヴ~ギャドソンのドラムスを満喫して

【ジョニー・ギター・ワトソン・トリビュート・ライヴ】

満喫。

日曜日、六本木のAライフでのソウル・オヤジ、川畑氏のソウルバー歴30周年記念パーティーは、ライヴ後、ミュージシャンたちの控え室でいろいろ雑談をしていたらえらく遅くになってしまい、外に出たら夜が明けていた。控え室はえらく煙かった。最近は日が長くなった。スクープのTAKEさんには、ファーストが始まる前にいきなり、「ソウルあるとこ、吉岡さんありですね」と言われた。確かにそう見えるかも。(笑) 彼や、サックスのナオちゃん、ブレンダに、出来たばかりのマーヴィン本サンプルを見せると、みんな異様に反応する。なんと写メを撮られ、さっそくアップしてくれた。暗くてよくわからないかもしれないが、となりはスクープTAKEさん。

http://blog.naoh3.com/?eid=1195779

そして、その席で翌日(5月18日=月曜)に横浜ブリッツで『ジョニー・ギター・ワトソン・トリビュート』ライヴをギャドソンたちがやるというので、見に行くことになった。5時から1本四谷で打ち合わせがあったので、現地に着いたのは7時過ぎだったが、下記セットリスト円道一成さんあたりから見られた。円道さんがいるとは知らなかったので、驚いた。今まで大きなところで見たことがなかったが、さすが筋金入りのソウル・円タテイナー(わざと円道にちなんで円にしてみた)、客とのやり取りも、つかみもOK。

11曲目からこの日のテーマ、ジョニー・ギター・ワトソン楽曲が。エディ藩さん、永井隆さんなど、日本のブルーズ界で活躍する人たちが登場。こういうソウル、R&B、ブルーズになるとこのギャドソンのドラムスは圧倒的だ。彼のドラムは気持ち控えめで、でも出すところは出し、あちこちのフレーズに品があって実にかっこいい。もちろんファンクネスとグルーヴもたっぷり。ちょっとクロウト好みなのかな。この日一番よかったのは、「スーパーマン・ラヴァー」。二日続けてのギャドソン・プレイ、満喫だ。

下記セットリスト15あたりで途中ポンタ氏とギャドソンがツイン・ドラムになるところがあったが、2人のキャラクターの対照的な違いが如実に出ていて興味深かった。

この日は元々渋谷デュオでのロイ・エヤーズに行く予定だったので、ライヴ終了後挨拶もそこそこに渋谷へ直行。

■メンバー Johnny Guitar Watson Tribute

BAND:山岸潤史(G)/James Gadson(Dr)/清水興(B)/吉弘千鶴子(Key)
Guest:村上“ポンタ”秀一/Nasty Girls/円道一成/永井隆/エディ藩他

■セットリスト: ジョニー・ギター・ワトソン・トリビュート @横浜ブリッツ
Setlist : Johnny Guitar Watson Tribute @ Blitz, Yokohama, May 18, 2009

show started
01. Opening
02. I Love U-All (Shodai)
03. What’s Going On (Shodai)
04. Supremes Medley (Nasty Girls)
05. Chapel Of Love (Nasty Girls)
06. Sex shooter (Nasty Girls)
07. Midnight Hour (Endo Issey)
08. When Something’s Wrong With My Baby (Endo Issey)
09. Mustang Sally (Endo Issey)
10. Won’t Be Long (Nasty Girls)
> Johnny Guitar Watson Tribute (#11 to #14, #18 to #23)↓
11. Stormy Monday Blues (Eddy Ban)
12. Walkin’ The Dog (Eddy Ban)
13. Gangster Of Love (Gadson on Vocal)
14. Woke Up This Morning
>
15. Nasty Girl (Nasty Girls, Murakami Ponta)
16. Nigai Namida (Nasty Girls, Murakami Ponta)
17. Got To Be Real (Nasty Girls, Murakami Ponta)
> Johnny Guitar Watson Tribute (#18 to #23)↓
18. Cuttin’ In
19. Hey Little Mama (Nagai Takashi)
20. Those Lonely Nights (Nagai Takashi)
21. Superman Lover (Gadson on Vocal)
22. Tata
23. A Real Mother For Ya
show ended 21:00

(2009年5月18日月曜、横浜ブリッツ=ジョニー・ギター・ワトソン・トリビュート・ライヴ)
ENT>LIVE>Watson, Johnny Guitar
2009-45

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