☆【小川隆夫さん : 絶好調トーク(パート2)~生粋のコレクター(ネイティヴ・コレクター)の巻】
炸裂。
駒場東大前の「オーチャード・バー」はとても、営業店があるとは思えない住宅街にある。駐車場が近くにあるので、そこに僕が車を停めていたら、真横に黄色のポルシェが停めようとしてきた。ポルシェの排気管からでてくるガソリンの匂い。変形の土地にある駐車場でなかなか停めにくい。
そこから歩いて1分、オーチャード・バーは住宅街にぽっつりと佇む一軒家だった。中に入るとまもなく小川さんが大きな荷物を持ってやってきた。
「お久しぶりです、これどうぞ」 そう挨拶をしてマーヴィンの『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』を彼に手渡した。すると間髪を入れず、「ああ、じゃあ、これ」と言って小川さんが大きな荷物の中から彼の著作『ブルーノート大辞典 1500番台編』(東京キララ社・刊)を手渡してくれた。「いいですね、この物々交換!(笑)」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309908349/soulsearchiho-22/ref=nosim/
『音楽ゼミナール』本編が終わったあと、小川さんはファンの方とお話をしたり、写真を撮られたりしていたが、一段落したところで、ゆっくりお話をした。
最初はお互いの本の話し。
『マーヴィン・ゲイ物語』は、約448ページ。本文は35万字超。ディスコグラフィーなどの部分を数えるとおそらく40万字を超える。重さ740グラム。2900円(税別)。『ブルーノート大辞典』は、434ページ、680グラム。3500円(税別)。どちらも厚さは2.8センチくらい。文字数は最初のディスコグラフィーのところは、それほど字がつまっていない。本の大きさはどちらも同じでハード・カヴァー、上製だ。内容の熱さはどちらも100点満点だ。
小川さん。「『マイルス・デイヴィスの真実』は、2段で500ページちょい。400字で1400枚(約56万字)くらいかなあ。最初のうちは、そんなに書くつもりなかったのに、どんどん書いちゃって。編集者が同級生だったんで、『増えちゃったよ』っていったら、『もう、いいよ』ってヤケになっちゃってね。(笑) 3800円で5000部初版。今、3刷りだよ。たぶんこういう本って高くても買う人は買うんだろうね。部数は値段に関係ないんだろう」 それは、すごい! これは、さすがに画期的だそうだ。マーヴィンも、それくらい売れないかなあ。「あれは(『マイルス』本)3大新聞の書評に載ったんだ。今までで著作は、単独だけで40冊くらいです。共著も含めるともっとある」
そういえば、彼はブログもあっという間に書き上げる。一日分を2-30分程度で書くというのを、以前自身のブログの中で紹介していた。
小川さんは書くのが本当に速いので有名な男だ。
「じゃあ、この『60年代の音楽』は、たとえば10回くらいやって、本にするんですか」と僕が訊くと、「いやあ、わからないなあ。死ぬまでやって本にならなかったりして。(笑)ジャズでも、ロックでも、いくらでもジャンル分けできるしね…」 「しかし、小川さんは、ジャズだけでなく、ロックでも日本のものでも、何でも詳しいんですか」 「詳しいかどうかわからないけど、(自分は)みんな好きだよ。ロックは、ビートルズのアメリカ盤の本書いたり…。ビートルズは、日本盤、アメリカ盤、イギリス盤、特に初期の頃のはみんな違ってるのよ」 「で、日・米・英、みんな持ってるんですか」 「うん、ステレオ、モノラルも両方ね。でも、唯一ね、日本盤の帯付きが、昔、俺、全部帯切っちゃってたから、ないんだよ」「うわああ。もったいない。帯…。あれねえ、僕は捨てない主義ですが…」 「うん、でももう買えないね、(ものによっては)1枚70万円くらいするんだよ。東芝の初期のは掛け帯っていう奴だったんだ。(ビートルズの)初代のディレクターは、さっきの草野さん(漣健児)の弟だよ」 そこに内田さん。「今度、ビートルズは紙ジャケが復刻されるらしいですよね」 「そうそう、でも、それは帯はない」 「で、どこの(国の)盤にするんですか」 「それが今、問題なのよ(笑) どうなるんだろうね」
泥沼。
ということで、小川さんは、ビートルズのほか、ローリング・ストーンズ、それぞれのソロ、各国盤、全部買う。「小川さん、ちょっと待って。イギリス盤とEU盤っていうのは、違うんですか?」 「いやあ、それがね、そんときによって違うんだよ。(笑) イギリス盤っていうのは今は原則的になくて、インターナショナル盤っていう訳のわかんないのがあるんだ。(笑) でも、EU盤とはバーコードが違ってたりするんだ」 「EU盤とインターナショナル盤はどこでプレスされてるんですか」 「わかんないなあ。でも、バーコードが違ってたら、買わなきゃなんないし。もうよくわかんないよ。(笑)」 なんと、小川さん、ビートルズなど東芝EMIから、EMIジャパンになったときや、消費税が3%から5%になって再発されたときも、買ったという。すごい徹底振りだ。その結果、同じ内容のCDが何枚も(10枚単位で)、揃うことになるという。恐れ入りました。コレクターの鏡だ。小川さんがそこで一言、「困ります!」。(周囲爆笑) 自分で自分を追い込むタイプとお見受けした。(笑)
というわけで、小川さんは、ビートルズ、ストーンズ、日英米、コンプリートを目指している男であった。
アメリカに行くと、やはりお決まりのレコード屋めぐり。自分のお気に入りのものを安い値段で発見するととりあえず買っておく。特にシールド(ビニールの封がされたもの)を見つけたら、安ければ、とりあえず買うという。だから、けっこうシールドものも集まってるそうだ。
初めてアメリカに行ったのは1973年、16日間くらいの、ニューヨーク、ロス、ラスヴェガス、ハワイなどを周るいわゆるパック旅行だった。23歳、医学部の学生だった。あちこちの街でレコード店をめぐり、その頃、アルバム1枚50セントくらいでいくらでも買えたので、買っては船便で日本に送っていた。
レコード、CDの整理は、きっちりアーティストのABC順。ファミリー・ネームで分けている。マイルス・デイヴィスは、Dに入る。昔は7インチも集めていたが、最近はさすがにやめたという。そして、自分で自分の持っているレコード、CDのデータ・ベースを自分の使いやすいようにコツコツ作っているそうだ。「何でも集める、何でも揃えるのが好き」だと小川さんは言う。だから、最初ブルーノートのレコードをある程度集めたときに、その番号が抜けているところをどんどん埋めたくなっていった、という。生来のコンプリート・コレクターだ。
小川さんのライナーノーツ・デビューは1983年。それから、現在までなんと3000枚以上のライナーを書いた。2年目くらいからは、年100枚以上のペースがほとんど続いているそうだ。1年だけ100枚にならなかった年があったそうだが、多い時は年に300枚近くになったこともあるという。僕が初めてライナーを書いたのは1975年、メジャー・ハリスの『マイ・ウェイ』(「ラヴ・ウォント・レット・ミー・ウェイト」が入っているアルバムだ。以来、僕もけっこう書いたが、1300枚くらいか。年間で80枚を超えたときはあったが、平均50枚程度。今は数えるほど。だから、小川さんのライナーの数ははんぱなく、すごい数字なのだ。途中から、小川さんは自身のライナーに「ジョブ・ナンバー(仕事ナンバー)」みたいなものをつけるようになった。これは、知り合いのエンジニアが自分の仕事したテープに「ジョブ・ナンバー」というのをつけていたのを見て、「これは、いい」と思ってやるようになった、そうだ。
小川さん、自分が書いたものはすべて保存している。途中からワープロ、パソコンになり、そのデータはもちろん残っているが、驚いたことに、1983年以降でデータ化されていない自身の原稿を、数年分、コツコツとパソコンで打ち、データ化しているそうだ。恐れ入った。
何でも揃え、きっちり整理する男だった。
しかし、小川さん、僕が興味をもつところもつところ、すべて徹底的にやっているので、話が尽きない。はっきり言って話しは泥沼に入っている。(笑) 駒場東大前の夜は更けていく…。
(この項、続くものと思われる・・・(笑))
ENT>PEOPLE>Ogawa, Takao
炸裂。
駒場東大前の「オーチャード・バー」はとても、営業店があるとは思えない住宅街にある。駐車場が近くにあるので、そこに僕が車を停めていたら、真横に黄色のポルシェが停めようとしてきた。ポルシェの排気管からでてくるガソリンの匂い。変形の土地にある駐車場でなかなか停めにくい。
そこから歩いて1分、オーチャード・バーは住宅街にぽっつりと佇む一軒家だった。中に入るとまもなく小川さんが大きな荷物を持ってやってきた。
「お久しぶりです、これどうぞ」 そう挨拶をしてマーヴィンの『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』を彼に手渡した。すると間髪を入れず、「ああ、じゃあ、これ」と言って小川さんが大きな荷物の中から彼の著作『ブルーノート大辞典 1500番台編』(東京キララ社・刊)を手渡してくれた。「いいですね、この物々交換!(笑)」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309908349/soulsearchiho-22/ref=nosim/
『音楽ゼミナール』本編が終わったあと、小川さんはファンの方とお話をしたり、写真を撮られたりしていたが、一段落したところで、ゆっくりお話をした。
最初はお互いの本の話し。
『マーヴィン・ゲイ物語』は、約448ページ。本文は35万字超。ディスコグラフィーなどの部分を数えるとおそらく40万字を超える。重さ740グラム。2900円(税別)。『ブルーノート大辞典』は、434ページ、680グラム。3500円(税別)。どちらも厚さは2.8センチくらい。文字数は最初のディスコグラフィーのところは、それほど字がつまっていない。本の大きさはどちらも同じでハード・カヴァー、上製だ。内容の熱さはどちらも100点満点だ。
小川さん。「『マイルス・デイヴィスの真実』は、2段で500ページちょい。400字で1400枚(約56万字)くらいかなあ。最初のうちは、そんなに書くつもりなかったのに、どんどん書いちゃって。編集者が同級生だったんで、『増えちゃったよ』っていったら、『もう、いいよ』ってヤケになっちゃってね。(笑) 3800円で5000部初版。今、3刷りだよ。たぶんこういう本って高くても買う人は買うんだろうね。部数は値段に関係ないんだろう」 それは、すごい! これは、さすがに画期的だそうだ。マーヴィンも、それくらい売れないかなあ。「あれは(『マイルス』本)3大新聞の書評に載ったんだ。今までで著作は、単独だけで40冊くらいです。共著も含めるともっとある」
そういえば、彼はブログもあっという間に書き上げる。一日分を2-30分程度で書くというのを、以前自身のブログの中で紹介していた。
小川さんは書くのが本当に速いので有名な男だ。
「じゃあ、この『60年代の音楽』は、たとえば10回くらいやって、本にするんですか」と僕が訊くと、「いやあ、わからないなあ。死ぬまでやって本にならなかったりして。(笑)ジャズでも、ロックでも、いくらでもジャンル分けできるしね…」 「しかし、小川さんは、ジャズだけでなく、ロックでも日本のものでも、何でも詳しいんですか」 「詳しいかどうかわからないけど、(自分は)みんな好きだよ。ロックは、ビートルズのアメリカ盤の本書いたり…。ビートルズは、日本盤、アメリカ盤、イギリス盤、特に初期の頃のはみんな違ってるのよ」 「で、日・米・英、みんな持ってるんですか」 「うん、ステレオ、モノラルも両方ね。でも、唯一ね、日本盤の帯付きが、昔、俺、全部帯切っちゃってたから、ないんだよ」「うわああ。もったいない。帯…。あれねえ、僕は捨てない主義ですが…」 「うん、でももう買えないね、(ものによっては)1枚70万円くらいするんだよ。東芝の初期のは掛け帯っていう奴だったんだ。(ビートルズの)初代のディレクターは、さっきの草野さん(漣健児)の弟だよ」 そこに内田さん。「今度、ビートルズは紙ジャケが復刻されるらしいですよね」 「そうそう、でも、それは帯はない」 「で、どこの(国の)盤にするんですか」 「それが今、問題なのよ(笑) どうなるんだろうね」
泥沼。
ということで、小川さんは、ビートルズのほか、ローリング・ストーンズ、それぞれのソロ、各国盤、全部買う。「小川さん、ちょっと待って。イギリス盤とEU盤っていうのは、違うんですか?」 「いやあ、それがね、そんときによって違うんだよ。(笑) イギリス盤っていうのは今は原則的になくて、インターナショナル盤っていう訳のわかんないのがあるんだ。(笑) でも、EU盤とはバーコードが違ってたりするんだ」 「EU盤とインターナショナル盤はどこでプレスされてるんですか」 「わかんないなあ。でも、バーコードが違ってたら、買わなきゃなんないし。もうよくわかんないよ。(笑)」 なんと、小川さん、ビートルズなど東芝EMIから、EMIジャパンになったときや、消費税が3%から5%になって再発されたときも、買ったという。すごい徹底振りだ。その結果、同じ内容のCDが何枚も(10枚単位で)、揃うことになるという。恐れ入りました。コレクターの鏡だ。小川さんがそこで一言、「困ります!」。(周囲爆笑) 自分で自分を追い込むタイプとお見受けした。(笑)
というわけで、小川さんは、ビートルズ、ストーンズ、日英米、コンプリートを目指している男であった。
アメリカに行くと、やはりお決まりのレコード屋めぐり。自分のお気に入りのものを安い値段で発見するととりあえず買っておく。特にシールド(ビニールの封がされたもの)を見つけたら、安ければ、とりあえず買うという。だから、けっこうシールドものも集まってるそうだ。
初めてアメリカに行ったのは1973年、16日間くらいの、ニューヨーク、ロス、ラスヴェガス、ハワイなどを周るいわゆるパック旅行だった。23歳、医学部の学生だった。あちこちの街でレコード店をめぐり、その頃、アルバム1枚50セントくらいでいくらでも買えたので、買っては船便で日本に送っていた。
レコード、CDの整理は、きっちりアーティストのABC順。ファミリー・ネームで分けている。マイルス・デイヴィスは、Dに入る。昔は7インチも集めていたが、最近はさすがにやめたという。そして、自分で自分の持っているレコード、CDのデータ・ベースを自分の使いやすいようにコツコツ作っているそうだ。「何でも集める、何でも揃えるのが好き」だと小川さんは言う。だから、最初ブルーノートのレコードをある程度集めたときに、その番号が抜けているところをどんどん埋めたくなっていった、という。生来のコンプリート・コレクターだ。
小川さんのライナーノーツ・デビューは1983年。それから、現在までなんと3000枚以上のライナーを書いた。2年目くらいからは、年100枚以上のペースがほとんど続いているそうだ。1年だけ100枚にならなかった年があったそうだが、多い時は年に300枚近くになったこともあるという。僕が初めてライナーを書いたのは1975年、メジャー・ハリスの『マイ・ウェイ』(「ラヴ・ウォント・レット・ミー・ウェイト」が入っているアルバムだ。以来、僕もけっこう書いたが、1300枚くらいか。年間で80枚を超えたときはあったが、平均50枚程度。今は数えるほど。だから、小川さんのライナーの数ははんぱなく、すごい数字なのだ。途中から、小川さんは自身のライナーに「ジョブ・ナンバー(仕事ナンバー)」みたいなものをつけるようになった。これは、知り合いのエンジニアが自分の仕事したテープに「ジョブ・ナンバー」というのをつけていたのを見て、「これは、いい」と思ってやるようになった、そうだ。
小川さん、自分が書いたものはすべて保存している。途中からワープロ、パソコンになり、そのデータはもちろん残っているが、驚いたことに、1983年以降でデータ化されていない自身の原稿を、数年分、コツコツとパソコンで打ち、データ化しているそうだ。恐れ入った。
何でも揃え、きっちり整理する男だった。
しかし、小川さん、僕が興味をもつところもつところ、すべて徹底的にやっているので、話が尽きない。はっきり言って話しは泥沼に入っている。(笑) 駒場東大前の夜は更けていく…。
(この項、続くものと思われる・・・(笑))
ENT>PEOPLE>Ogawa, Takao
△BAY FM 『ベイ・ライン・ゴー・ゴー』(6月4日木曜夕方)にゲスト
2009年6月1日 音楽△【BAY FM 『ベイ・ライン・ゴー・ゴー』(6月4日木曜夕方)にゲスト出演】
ゲスト。
マーヴィン・ゲイの伝記『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』のプロモーションの一環で、来る2009年6月4日(木曜)、千葉県のFM局ベイ・FM(78.0mhz)の夕方の人気番組『ベイ・ライン・ゴー・ゴー』(16時~18時50分)に吉岡正晴がゲスト出演する。出演時刻は、同番組内「ミュージック・フォーカス・スペシャル」のコーナー、18時10分くらいから、約30分程度。
番組DJ伊津野亮さんのブログ
http://djryo.blog.ocn.ne.jp/oyazi/2009/05/780fm_a29e.html
番組ウェッブ
http://www.bayline-gogo.com/wordpress4/
番組宛てEメール : gogo@bayfm.co.jp
■ 6月4日以降の出演番組一覧↓
May 29, 2009
『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』宣伝活動開始
http://blog.soulsearchin.com/archives/002934.html
今後、新たに決まりましたら、改めてご案内いたします。
ENT>BOOK>Divided Soul
ゲスト。
マーヴィン・ゲイの伝記『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』のプロモーションの一環で、来る2009年6月4日(木曜)、千葉県のFM局ベイ・FM(78.0mhz)の夕方の人気番組『ベイ・ライン・ゴー・ゴー』(16時~18時50分)に吉岡正晴がゲスト出演する。出演時刻は、同番組内「ミュージック・フォーカス・スペシャル」のコーナー、18時10分くらいから、約30分程度。
番組DJ伊津野亮さんのブログ
http://djryo.blog.ocn.ne.jp/oyazi/2009/05/780fm_a29e.html
番組ウェッブ
http://www.bayline-gogo.com/wordpress4/
番組宛てEメール : gogo@bayfm.co.jp
■ 6月4日以降の出演番組一覧↓
May 29, 2009
『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』宣伝活動開始
http://blog.soulsearchin.com/archives/002934.html
今後、新たに決まりましたら、改めてご案内いたします。
ENT>BOOK>Divided Soul
●小川隆夫さん語る: 絶好調トーク(パート3)~マイルス・デイヴィスの巻
2009年6月2日 音楽●【小川隆夫さん語る: 絶好調トーク(パート3)~マイルス・デイヴィスの巻】
キャンセル。
駒場東大前の夜は更けていく。満員だったお客さんも小川さんに挨拶をして少しずつ帰路につく。僕と内田さんは、小川さんと談笑を続ける。小川さんの本職は優秀なブラック・ジャックのような整形外科医だ。医師としての仕事の合間に大好きな音楽の仕事、とりわけジャズ関係の仕事を精力的にこなしている。
そして、小川さんといえば、マイルス・デイヴィスである。たぶん、小川さんファンの方、『マイルス・デイヴィスの真実』をお読みになった方はご存知のエピソードなのだろうが、小川さんの話しっぷりが実にうまく、引き込まれた。僕は初めて聞いたので、また、おそらくこの「ソウル・サーチン」読者にも初めての方が多いと思うので、記憶の限り彼の話を再現してみたい。
小川さんのマイルスとの初遭遇は、なんと驚くなかれ1964年、14歳のときだった。彼の兄がガールフレンドと行くためにチケットを2枚買っていたが、その彼女に振られたので、弟(小川さん)にくれた。弟はわけもわからず新宿の厚生年金ホールに見に行った、という。まだマイルスのレコードもほとんど聴いていなかった。実際ライヴを見ても、2階席の一番上のほうでほとんど見えず、あんまり印象にも残っていなかった。後に自分がレコードをぼつぼつ集め始めて、「ああ、そういえば、このマイルスのコンサート、行ったことあるなあ」ということを思い出した程度だった。
物心ついてからは、マイルス一直線になっていき、もちろん、ジャズ評論家としてマイルスのレコードはかなりコンプリートに集め、ブートレッグ(海賊盤)も相当収集するようになる。そんな小川さんだが、初めてマイルス・デイヴィス本人に会ったのは、いつですか、と聞くと「1985年3月1日」と間髪をいれずその日にちが返ってきた。日本のレコード会社(CBSソニー=当時)から、マイルスがちょうどレコーディングしていた最新作についてインタヴューをして、できればマスターを持ってきてくれと依頼された。そこで、インタヴューの日取り、場所などがレコード会社によって設定された。
このときのアルバムは、『ユー・アー・アンダー・アレスト』となるが、実際にリリースされるのは1985年9月のこと。3月の時点では完成したマスターテープを、アメリカ本国CBSの人間さえ聴いていなかった。音もなく、巨匠マイルスにインタヴューするということで小川さんもかなり焦った。そりゃそうだ。最新作についてのインタヴューをするのに、それを聴いていないことには話しは始まらない。しかも相手はマイルスだ。あのぎょろっとした目で睨まれた日にはひとたまりもない。
2月末のインタヴュー予定日、場所はニューヨーク。あっさり、マイルスからキャンセルされた。改めて、別の日が設定された。第二の日程になったら、また、キャンセルされた。アーティストのインタヴューのキャンセルは日常茶飯事だ。僕もそうした経験は何度もあるが、デイヴィッド・リッツが言うように、取材する側は辛抱強くひたすら待つしかないのだ。アーティストが口を開かない限り、記事は誕生しない。
遅刻。
小川さんが日本に戻る日が刻々と迫ってきた。もう今回のインタヴューはないかと思われたとき、マイルスが会うと言ってきた。しかし、とんでもないことに、その場所はカリフォルニア・マリブのマイルスの自宅だという。飛行機で5-6時間はかかる。とは言っても、もちろん、小川さんはカリフォルニアに飛んでいくことになる。ニューヨークを朝一番に飛び、ロスに昼ごろ到着して、マリブに車で行く。マイルスからは当初、2時間程度の時間がもらえることになったという。
ところが、マイルスのインタヴューは一筋縄ではいかない。よりによって、その日乗った飛行機が大幅に遅れたのだ。どうがんばっても、指定された時刻には間に合わなくなった。そこで、ロスのCBSのスタッフがかけあい、2時間のところを30分でもいいから時間をくれと交渉し、承諾された。
こうして小川さんは、巨匠マイルスを何時間か待たせた男となった。
空港からマリブまで飛ばし、自宅に到着すると、マイルスは意外と上機嫌だった。そこは当時のガールフレンド、シシリーと住んでいた家だった。開口一番、小川さんはマイルスに謝った。「新作アルバムのインタヴューに来たが、実はまだそのアルバムの音を聴いていない。申し訳ない」 するとマイルスは言った。「当たり前だ。そのマスターは、まだ誰にも渡してない。オレのところにしかないんだからな。聴きたいか?」 小川さんはその場でレコード会社の人間さえも聴いていなかった最新作を、マイルス直々の(レコード)プレイで聴かされる。
予定の30分なんて、レコードを聴くだけであっという間に過ぎる。だが、マイルスはそんな時間のことなど気にかける様子もなく、小川さんの質問に淡々と答えた。オフィシャルのインタヴューを一通り終えると、マイルスは彼に尋ねた。「これからどうするんだ?」 「飛行機に乗って、ニューヨークに帰ります」日本に戻るなら、LAから直接戻ればいいようなものの、このときの日本・アメリカのチケットがニューヨークから戻るものになっていたので、一度戻らなければならなかったのだ。ほとんど西海岸日帰りコースだ。飛行機の出発時刻までにはしばらく余裕があった。するとマイルスが「じゃあ、しばらく、いろ」という。そこで家を案内されたり、インタヴューではない雑談をするようになった。
マイルスの車好きは有名だ。黄色のフェラーリに乗っている。マイルスはそれを見せてくれた。「乗りたいか?」とマイルスは言う。小川さんはもちろん乗る、助手席に。家の近くをしばしドライヴとしゃれた。
そう、小川さんはマイルスにフェラーリを運転させた男だったのだ。
時が経つにつれ、小川さんとマイルスは徐々に近づいていく。いろんな雑談の中で、マイルスの足の傷の話しになった。マイルスは当時、右足に手術を受け、それが失敗し、びっこをひいていた。小川さんによれば、その手術を執刀した白人医師が、マイルスが黒人のため、本当だったらありえないような手術を行い、傷つけたという。人種差別でそういうことをする者がいるという。マイルスは人種差別には、相当な一家言を持っていた人物だ。
マイルスはすでにいくつかリハビリをしていたが、効を奏せず、痛がっていた。小川さんは1981年から1983年にかけてニューヨーク医科大学でリハビリテーションを専攻しており、それはまさに彼の専門であった。そこで、帰り際、いくつかのリハビリの仕方をメモに残し、伝授していった。
再会。
それから4ヵ月後。1985年7月末。マイルスが『ライヴ・アンダー・ザ・スカイ』のために来日する。一目再会したいと思った小川さんは、彼を追っかけて滞在先のホテルまで行き、マイルスを待ち受けた。マリブで会ったときは、周りにガードマンなどもいなかったが、さすがに来日時にはがっちり周囲は御付の人に固められ、インタヴューはもちろんどこの媒体もなし、一目会うのさえ不可能のように思えた。
マイルスご一行が新宿のホテルのロビーに到着した。彼の周りには屈強な連中が何人もいる。とても近づけそうにない。すると、なんとマイルス本人が、小川さんを見つけ、「こっちに来い」と手招きするではないか。マイルスのところに近づくと、マイルスは小川さんに言った。「ほら、ちゃんと歩いてるだろ」 そう、4ヶ月前に彼が伝授したリハビリをマイルスはちゃんとやって、その効果があったのだ。若干びっこの跡はあったが、マリブで会ったときより数段よくなっていた。そして、「部屋に来い」と言われ、マイルスの部屋に招かれたのである。
小川さんはこれを機にマイルスと急速に親しくなっていき、来日のたびに、またニューヨークなどで何度も会うようになる。マイルスは彼のことを「マイ・ドック(my dock=my doctor)」と呼ぶ。整形外科医という仕事が、まったく予期せぬところで、マイルスとの邂逅を一段深みのあるものにしたのだ。
1964年、14歳のときに、兄からのお下がりで何もわからず初めて見たマイルス・デイヴィスのコンサートから21年。マイルスに憧れ、ファンとなった小川さんは、ついに彼のマイ・ドックとなった。まさにこれぞ「縁」であり、「運命」そして「必然」なのだろう。
小川さんは、マイルスに「マイ・ドック」と言わせた男なのだ。
(この項、つづく)
ENT>MUSIC>ARTIST>Davis, Miles
ENT>PEOPLE>Ogawa, Takao
キャンセル。
駒場東大前の夜は更けていく。満員だったお客さんも小川さんに挨拶をして少しずつ帰路につく。僕と内田さんは、小川さんと談笑を続ける。小川さんの本職は優秀なブラック・ジャックのような整形外科医だ。医師としての仕事の合間に大好きな音楽の仕事、とりわけジャズ関係の仕事を精力的にこなしている。
そして、小川さんといえば、マイルス・デイヴィスである。たぶん、小川さんファンの方、『マイルス・デイヴィスの真実』をお読みになった方はご存知のエピソードなのだろうが、小川さんの話しっぷりが実にうまく、引き込まれた。僕は初めて聞いたので、また、おそらくこの「ソウル・サーチン」読者にも初めての方が多いと思うので、記憶の限り彼の話を再現してみたい。
小川さんのマイルスとの初遭遇は、なんと驚くなかれ1964年、14歳のときだった。彼の兄がガールフレンドと行くためにチケットを2枚買っていたが、その彼女に振られたので、弟(小川さん)にくれた。弟はわけもわからず新宿の厚生年金ホールに見に行った、という。まだマイルスのレコードもほとんど聴いていなかった。実際ライヴを見ても、2階席の一番上のほうでほとんど見えず、あんまり印象にも残っていなかった。後に自分がレコードをぼつぼつ集め始めて、「ああ、そういえば、このマイルスのコンサート、行ったことあるなあ」ということを思い出した程度だった。
物心ついてからは、マイルス一直線になっていき、もちろん、ジャズ評論家としてマイルスのレコードはかなりコンプリートに集め、ブートレッグ(海賊盤)も相当収集するようになる。そんな小川さんだが、初めてマイルス・デイヴィス本人に会ったのは、いつですか、と聞くと「1985年3月1日」と間髪をいれずその日にちが返ってきた。日本のレコード会社(CBSソニー=当時)から、マイルスがちょうどレコーディングしていた最新作についてインタヴューをして、できればマスターを持ってきてくれと依頼された。そこで、インタヴューの日取り、場所などがレコード会社によって設定された。
このときのアルバムは、『ユー・アー・アンダー・アレスト』となるが、実際にリリースされるのは1985年9月のこと。3月の時点では完成したマスターテープを、アメリカ本国CBSの人間さえ聴いていなかった。音もなく、巨匠マイルスにインタヴューするということで小川さんもかなり焦った。そりゃそうだ。最新作についてのインタヴューをするのに、それを聴いていないことには話しは始まらない。しかも相手はマイルスだ。あのぎょろっとした目で睨まれた日にはひとたまりもない。
2月末のインタヴュー予定日、場所はニューヨーク。あっさり、マイルスからキャンセルされた。改めて、別の日が設定された。第二の日程になったら、また、キャンセルされた。アーティストのインタヴューのキャンセルは日常茶飯事だ。僕もそうした経験は何度もあるが、デイヴィッド・リッツが言うように、取材する側は辛抱強くひたすら待つしかないのだ。アーティストが口を開かない限り、記事は誕生しない。
遅刻。
小川さんが日本に戻る日が刻々と迫ってきた。もう今回のインタヴューはないかと思われたとき、マイルスが会うと言ってきた。しかし、とんでもないことに、その場所はカリフォルニア・マリブのマイルスの自宅だという。飛行機で5-6時間はかかる。とは言っても、もちろん、小川さんはカリフォルニアに飛んでいくことになる。ニューヨークを朝一番に飛び、ロスに昼ごろ到着して、マリブに車で行く。マイルスからは当初、2時間程度の時間がもらえることになったという。
ところが、マイルスのインタヴューは一筋縄ではいかない。よりによって、その日乗った飛行機が大幅に遅れたのだ。どうがんばっても、指定された時刻には間に合わなくなった。そこで、ロスのCBSのスタッフがかけあい、2時間のところを30分でもいいから時間をくれと交渉し、承諾された。
こうして小川さんは、巨匠マイルスを何時間か待たせた男となった。
空港からマリブまで飛ばし、自宅に到着すると、マイルスは意外と上機嫌だった。そこは当時のガールフレンド、シシリーと住んでいた家だった。開口一番、小川さんはマイルスに謝った。「新作アルバムのインタヴューに来たが、実はまだそのアルバムの音を聴いていない。申し訳ない」 するとマイルスは言った。「当たり前だ。そのマスターは、まだ誰にも渡してない。オレのところにしかないんだからな。聴きたいか?」 小川さんはその場でレコード会社の人間さえも聴いていなかった最新作を、マイルス直々の(レコード)プレイで聴かされる。
予定の30分なんて、レコードを聴くだけであっという間に過ぎる。だが、マイルスはそんな時間のことなど気にかける様子もなく、小川さんの質問に淡々と答えた。オフィシャルのインタヴューを一通り終えると、マイルスは彼に尋ねた。「これからどうするんだ?」 「飛行機に乗って、ニューヨークに帰ります」日本に戻るなら、LAから直接戻ればいいようなものの、このときの日本・アメリカのチケットがニューヨークから戻るものになっていたので、一度戻らなければならなかったのだ。ほとんど西海岸日帰りコースだ。飛行機の出発時刻までにはしばらく余裕があった。するとマイルスが「じゃあ、しばらく、いろ」という。そこで家を案内されたり、インタヴューではない雑談をするようになった。
マイルスの車好きは有名だ。黄色のフェラーリに乗っている。マイルスはそれを見せてくれた。「乗りたいか?」とマイルスは言う。小川さんはもちろん乗る、助手席に。家の近くをしばしドライヴとしゃれた。
そう、小川さんはマイルスにフェラーリを運転させた男だったのだ。
時が経つにつれ、小川さんとマイルスは徐々に近づいていく。いろんな雑談の中で、マイルスの足の傷の話しになった。マイルスは当時、右足に手術を受け、それが失敗し、びっこをひいていた。小川さんによれば、その手術を執刀した白人医師が、マイルスが黒人のため、本当だったらありえないような手術を行い、傷つけたという。人種差別でそういうことをする者がいるという。マイルスは人種差別には、相当な一家言を持っていた人物だ。
マイルスはすでにいくつかリハビリをしていたが、効を奏せず、痛がっていた。小川さんは1981年から1983年にかけてニューヨーク医科大学でリハビリテーションを専攻しており、それはまさに彼の専門であった。そこで、帰り際、いくつかのリハビリの仕方をメモに残し、伝授していった。
再会。
それから4ヵ月後。1985年7月末。マイルスが『ライヴ・アンダー・ザ・スカイ』のために来日する。一目再会したいと思った小川さんは、彼を追っかけて滞在先のホテルまで行き、マイルスを待ち受けた。マリブで会ったときは、周りにガードマンなどもいなかったが、さすがに来日時にはがっちり周囲は御付の人に固められ、インタヴューはもちろんどこの媒体もなし、一目会うのさえ不可能のように思えた。
マイルスご一行が新宿のホテルのロビーに到着した。彼の周りには屈強な連中が何人もいる。とても近づけそうにない。すると、なんとマイルス本人が、小川さんを見つけ、「こっちに来い」と手招きするではないか。マイルスのところに近づくと、マイルスは小川さんに言った。「ほら、ちゃんと歩いてるだろ」 そう、4ヶ月前に彼が伝授したリハビリをマイルスはちゃんとやって、その効果があったのだ。若干びっこの跡はあったが、マリブで会ったときより数段よくなっていた。そして、「部屋に来い」と言われ、マイルスの部屋に招かれたのである。
小川さんはこれを機にマイルスと急速に親しくなっていき、来日のたびに、またニューヨークなどで何度も会うようになる。マイルスは彼のことを「マイ・ドック(my dock=my doctor)」と呼ぶ。整形外科医という仕事が、まったく予期せぬところで、マイルスとの邂逅を一段深みのあるものにしたのだ。
1964年、14歳のときに、兄からのお下がりで何もわからず初めて見たマイルス・デイヴィスのコンサートから21年。マイルスに憧れ、ファンとなった小川さんは、ついに彼のマイ・ドックとなった。まさにこれぞ「縁」であり、「運命」そして「必然」なのだろう。
小川さんは、マイルスに「マイ・ドック」と言わせた男なのだ。
(この項、つづく)
ENT>MUSIC>ARTIST>Davis, Miles
ENT>PEOPLE>Ogawa, Takao
■小川隆夫さん語る:絶好調トーク(パート4)~マイルスからキャメオまで
2009年6月3日 音楽■【小川隆夫さん語る: 絶好調トーク(パート4)~マイルスからキャメオまで】
~~~~~
ホットライン。
マイルスの「マイ・ドック(かかりつけの医師)」となった小川さんは、ニューヨーク、東京などで何度も会うチャンスに恵まれた。そうしたときは、正式なインタヴューというよりも、マイルスが話すことをただ聴くだけだった。テープに録音することもできなかった。
マイルスに呼びつけられて部屋に行く。しかし、早く帰ろうものなら、怒られる。あんまりだらだら長くいても機嫌が悪くなる。どのタイミングで席をはずせばいいのか、まさに「あうんの呼吸」だと小川さんは言う。
マイルスと時間を過ごす時に、してはいけないことがある、と言う。それは質問をしてはならない、ということだ。ただひたすら、マイルスが話したいと思うことを自由に話してもらう、こちらはただ単純にうなずくだけ。うなずきは、最高のコミュニケーションである。
なぜ(Why)、何を(What)、どうした(How)、いつ(When)などから始まるいわゆる「5W1H」の言葉はタブーだ。それでも、時に興味が深まり、そうした言葉を発してしまうこともある。すると、マイルスからは、強烈な答えが返ってくる。「ソー・ホワット(So what...)(だから何なんだ?)」(マイルスの代表曲のタイトルと同じ) この言葉がマイルスの口から出たら、誰もそれ以上先には進めない。「僕は一度だけ、マイルスに『ソー・ホワット…』を言われました…」と小川さん。
■ 「ソー・ホワット」はアルバム『カインド・オブ・ブルー』に
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001QL34X2/soulsearchiho-22/ref=nosim/
マイルスは質問をしなくても、自由にその時の気分で昔話をどんどんしてくる。だが、小川さんはメモも取らなければ、テープも取らない。「いろんな話をしてくれるから、彼の部屋から出たら、すぐ必死になって思い出して、メモするんですよ」 そうしたメモの積み重ねが、『マイルス・デイヴィスの真実』に結集した。この「部屋を出たら、速攻メモする」という気持ちが痛いほどわかる。僕もそういうときに同じだからだ。
僕自身、かつてジェームス・ブラウンと食事をしたとき、別れた後、速攻メモをした。そうして書いたのがこれ↓ 大体メモを書き出すといろいろと思い出すもの。
2003/10/06 (Mon)
I Ate Chicken With James Brown (Part 1)
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200310/diary20031006.html
マイルスはせっかちだという。「たとえば、彼の家に電話をするでしょう。(時間があるときは)彼は『今すぐ来い』って言うんですよ。だから、こちらの準備が整っているときは、彼のアパートの前にある公衆電話から電話をするんです。そうすれば、今すぐ来い、と言われても、すぐに行けますからね。10分で気が変わっちゃって、もう今日は会わない、なんてこともありますから」
マイルスの自宅前の公衆電話は、小川さんにとってマイルスへのホットラインになった。
~~~~~
傘。
マイルスはことのほか優しい人だ、と小川さんは言う。こんなエピソードを披露してくれた。
あるとき、ニューヨークのマイルスの家を訪ねた。ちょうど昼過ぎでマイルスからは、どこかに何かを食べに行こうと誘われた。とは言われても、ニューヨークで超有名人のマイルスと日本人が2人で食事をしていたら、これは目立つ。小川さんは躊躇し、丁重に断る。するとマイルスは、家の近くにおいしいハンバーガーを出すようなデリがあるから、そこから持ち帰り(テイクアウト)で買ってきて、家で食べようと提案した。小川さんがその店に買いに出た。マイルスのお使いである。
ワンブロックもいかないすぐ近くの店で、小川さんがテイクアウトすると、まもなくパラパラと雨が降ってきた。次第に強くなり、「困ったなあ」と思いながらも、「まあ、ニューヨークの通り雨だから、すぐに止むだろう」としばし店で雨宿りをしていた。
するとなんと、通りの向こうから傘を差したマイルスが小川さん用の傘を1本片手に持って、店の方に向かってくるではないか。小川さんが雨に濡れると思ってとことこと傘を持ってきたのだ。小川さんはさすがに巨匠マイルスに傘を持ってこさせて恐縮した。「いやあ、ほんとにそんなことまでしてもらわなくても、すいません」と言うと、マイルスはきっぱり言った。「(この雨で)お前に風邪をひかれて、オレの責任になっては困るからな」
その話を聞いた僕と内田さん、思わず「おおおおっ~~!」と感嘆の声をあげた。内田さん、「(今の話し聞いて)涙、出そうになりましたよ」。こういう話、僕も最高に大好きである。小川さんから、生で聞いているだけで、大興奮する。
僕はそのマイルスのセリフを聞いた瞬間、ジェームス・ブラウンみたいだと思った。ミスター・ブラウンも、ある程度打ち解けた仲間(ファミリー)に対して、異様なほどに優しく、気を使う。敵に対しては、鋼鉄の鎧(よろい)を纏(まと)うが、味方(ファミリー、仲間)には徹底して尽くし、優しい。マイルスってきっと、仲間内に対する接し方がジェームス・ブラウンみたいなんだろうな、と想像した。
マイルスとジェームス・ブラウンに黒人としての同じ匂い(ファンキーさ)を感じるが、もし違いがあるとすれば、ミスター・ブラウンは取り巻きを大勢置く一方、マイルスはどちらかというと一匹狼的に動くような気がした。また、ブラウンはほとんど教育を受けることもなく、ストリート叩き上げだが、マイルスは父が医者だったこともあり裕福な家に育ち教育も受けた。ブラウンはストリートから、物を覚え自ら知識を獲得していった。マイルスは教育はあったが、ストリートからも学んでいった。出自は違うが、手にしたものは2人とも似ていた。そういえば、小川さんは、ジェームス・ブラウンのニューヨークで行われた葬儀のパブリック・ヴューイングに参列している。
こうして、小川さんは、マイルスに傘を持ってこさせた男となった。マイルスにお使いに行かされるも、迎えに来させた男でもある。
~~~~~
ボクシング。
マイルスが優しいという話をもうひとつ。あるとき、彼が日本に来て、ホテルで小川さん、中山(康樹=マイルス・デイビス自叙伝・翻訳者、元スイング・ジャーナル編集長)さんらとルームサーヴィスを取って食事をすることになった。マイルスがいろいろ注文をしてくれ、その食事が到着すると、彼らに「さあ、食べろ」と促す。最初は遠慮しつつも、残しても悪いと思うので、彼らは食べる。すると、マイルスはそっと隣のベッドルームに行って、電話でルームサーヴィスの追加を注文しているのだ。心を許した仲間にはことの他優しい。
マイルスは5歳くらいまで、自分が黒人であることを意識したことがなかった、という。それまで人種差別に無縁だった。父が医師で裕福な環境に育ったからだ。小川さんとマイルスが意気投合したのには、小川さんの父も、マイルスの父もともに医者だったということもあるのではないだろうか、と小川さんは分析する。
他にも小川さんがボクシング好きだったことなども、マイルスとその話題で盛り上がることができた、という。小川さん情報によると、ファンク・グループ、キャメオのリーダー、ラリー・ブラックモンの父親が、人気ボクサー、シュガー・レイの持つジムのトレーナーだったそうだ。ボクシング好きのマイルスは、ラリーの父であるそのトレーナーについていたという。そういう経緯もあって、1988年のキャメオのアルバム『マチズモ』内の「イン・ザ・ナイト」という曲で、マイルスはトランペットを吹いている。
60年代歌謡ポップス、グループ・サウンズから、マイルス・デイヴィス、はては、ジェームス・ブラウン、キャメオまで。その守備範囲の広さに、改めて感服だ。
小川さんは、僕が途中でどんなに突っ込んだ質問をしても、決して「ソー・ホワット…」とは言わなかった。いい人だ。
(とりあえず、この項、一旦休憩=(笑))
■「マイルス・デイヴィスの真実」(小川隆夫・著)(さらなるエピソードはこちらの著作で)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582831273/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 小川隆夫トーク・イヴェント
2009年6月13日(土)18時~21時 「音楽(ONGAKU)ゼミナール@銀座」 ブルーノート特集 会場・銀座バー・ル・セプト(Bar Le Sept) 会費3000円(1ドリンク付き)
2009年7月5日(日)開場15時15分、開演15時30分~17時「ブルーノート大事典」出版記念 会場・自由が丘・ギャラリー悠・地下一階ステージ悠 会費3500円=「ブルーノート大事典」がお土産で付きます。同本ご持参の方は500円。
2009年8月1日(土)「音楽(ONGAKU)ゼミナール・イン・京都」 会場・バー探偵 詳細は近日中に発表
このほか9月に、駒場東大前オーチャード・バーで行った「60年代音楽」の2回目と、ローテーション通りなら銀座のBar「le sept」の予定も。
詳細は、小川さんのホームページへ。(上記トーク・イヴェントの告知もあります)
http://blog.excite.co.jp/ogawatakao/10360021/
(なんと、アドレスをコピーしに行ったら、小川さんがこのソウル・サーチン・ブログのことを紹介してくれていた=(笑) ありがとうございます。またまたブログの無限ループに陥る…)
ENT>MUSIC>ARTIST>Davis, Miles
ENT>PEOPLE>Ogawa, Takao
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ホットライン。
マイルスの「マイ・ドック(かかりつけの医師)」となった小川さんは、ニューヨーク、東京などで何度も会うチャンスに恵まれた。そうしたときは、正式なインタヴューというよりも、マイルスが話すことをただ聴くだけだった。テープに録音することもできなかった。
マイルスに呼びつけられて部屋に行く。しかし、早く帰ろうものなら、怒られる。あんまりだらだら長くいても機嫌が悪くなる。どのタイミングで席をはずせばいいのか、まさに「あうんの呼吸」だと小川さんは言う。
マイルスと時間を過ごす時に、してはいけないことがある、と言う。それは質問をしてはならない、ということだ。ただひたすら、マイルスが話したいと思うことを自由に話してもらう、こちらはただ単純にうなずくだけ。うなずきは、最高のコミュニケーションである。
なぜ(Why)、何を(What)、どうした(How)、いつ(When)などから始まるいわゆる「5W1H」の言葉はタブーだ。それでも、時に興味が深まり、そうした言葉を発してしまうこともある。すると、マイルスからは、強烈な答えが返ってくる。「ソー・ホワット(So what...)(だから何なんだ?)」(マイルスの代表曲のタイトルと同じ) この言葉がマイルスの口から出たら、誰もそれ以上先には進めない。「僕は一度だけ、マイルスに『ソー・ホワット…』を言われました…」と小川さん。
■ 「ソー・ホワット」はアルバム『カインド・オブ・ブルー』に
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001QL34X2/soulsearchiho-22/ref=nosim/
マイルスは質問をしなくても、自由にその時の気分で昔話をどんどんしてくる。だが、小川さんはメモも取らなければ、テープも取らない。「いろんな話をしてくれるから、彼の部屋から出たら、すぐ必死になって思い出して、メモするんですよ」 そうしたメモの積み重ねが、『マイルス・デイヴィスの真実』に結集した。この「部屋を出たら、速攻メモする」という気持ちが痛いほどわかる。僕もそういうときに同じだからだ。
僕自身、かつてジェームス・ブラウンと食事をしたとき、別れた後、速攻メモをした。そうして書いたのがこれ↓ 大体メモを書き出すといろいろと思い出すもの。
2003/10/06 (Mon)
I Ate Chicken With James Brown (Part 1)
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200310/diary20031006.html
マイルスはせっかちだという。「たとえば、彼の家に電話をするでしょう。(時間があるときは)彼は『今すぐ来い』って言うんですよ。だから、こちらの準備が整っているときは、彼のアパートの前にある公衆電話から電話をするんです。そうすれば、今すぐ来い、と言われても、すぐに行けますからね。10分で気が変わっちゃって、もう今日は会わない、なんてこともありますから」
マイルスの自宅前の公衆電話は、小川さんにとってマイルスへのホットラインになった。
~~~~~
傘。
マイルスはことのほか優しい人だ、と小川さんは言う。こんなエピソードを披露してくれた。
あるとき、ニューヨークのマイルスの家を訪ねた。ちょうど昼過ぎでマイルスからは、どこかに何かを食べに行こうと誘われた。とは言われても、ニューヨークで超有名人のマイルスと日本人が2人で食事をしていたら、これは目立つ。小川さんは躊躇し、丁重に断る。するとマイルスは、家の近くにおいしいハンバーガーを出すようなデリがあるから、そこから持ち帰り(テイクアウト)で買ってきて、家で食べようと提案した。小川さんがその店に買いに出た。マイルスのお使いである。
ワンブロックもいかないすぐ近くの店で、小川さんがテイクアウトすると、まもなくパラパラと雨が降ってきた。次第に強くなり、「困ったなあ」と思いながらも、「まあ、ニューヨークの通り雨だから、すぐに止むだろう」としばし店で雨宿りをしていた。
するとなんと、通りの向こうから傘を差したマイルスが小川さん用の傘を1本片手に持って、店の方に向かってくるではないか。小川さんが雨に濡れると思ってとことこと傘を持ってきたのだ。小川さんはさすがに巨匠マイルスに傘を持ってこさせて恐縮した。「いやあ、ほんとにそんなことまでしてもらわなくても、すいません」と言うと、マイルスはきっぱり言った。「(この雨で)お前に風邪をひかれて、オレの責任になっては困るからな」
その話を聞いた僕と内田さん、思わず「おおおおっ~~!」と感嘆の声をあげた。内田さん、「(今の話し聞いて)涙、出そうになりましたよ」。こういう話、僕も最高に大好きである。小川さんから、生で聞いているだけで、大興奮する。
僕はそのマイルスのセリフを聞いた瞬間、ジェームス・ブラウンみたいだと思った。ミスター・ブラウンも、ある程度打ち解けた仲間(ファミリー)に対して、異様なほどに優しく、気を使う。敵に対しては、鋼鉄の鎧(よろい)を纏(まと)うが、味方(ファミリー、仲間)には徹底して尽くし、優しい。マイルスってきっと、仲間内に対する接し方がジェームス・ブラウンみたいなんだろうな、と想像した。
マイルスとジェームス・ブラウンに黒人としての同じ匂い(ファンキーさ)を感じるが、もし違いがあるとすれば、ミスター・ブラウンは取り巻きを大勢置く一方、マイルスはどちらかというと一匹狼的に動くような気がした。また、ブラウンはほとんど教育を受けることもなく、ストリート叩き上げだが、マイルスは父が医者だったこともあり裕福な家に育ち教育も受けた。ブラウンはストリートから、物を覚え自ら知識を獲得していった。マイルスは教育はあったが、ストリートからも学んでいった。出自は違うが、手にしたものは2人とも似ていた。そういえば、小川さんは、ジェームス・ブラウンのニューヨークで行われた葬儀のパブリック・ヴューイングに参列している。
こうして、小川さんは、マイルスに傘を持ってこさせた男となった。マイルスにお使いに行かされるも、迎えに来させた男でもある。
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ボクシング。
マイルスが優しいという話をもうひとつ。あるとき、彼が日本に来て、ホテルで小川さん、中山(康樹=マイルス・デイビス自叙伝・翻訳者、元スイング・ジャーナル編集長)さんらとルームサーヴィスを取って食事をすることになった。マイルスがいろいろ注文をしてくれ、その食事が到着すると、彼らに「さあ、食べろ」と促す。最初は遠慮しつつも、残しても悪いと思うので、彼らは食べる。すると、マイルスはそっと隣のベッドルームに行って、電話でルームサーヴィスの追加を注文しているのだ。心を許した仲間にはことの他優しい。
マイルスは5歳くらいまで、自分が黒人であることを意識したことがなかった、という。それまで人種差別に無縁だった。父が医師で裕福な環境に育ったからだ。小川さんとマイルスが意気投合したのには、小川さんの父も、マイルスの父もともに医者だったということもあるのではないだろうか、と小川さんは分析する。
他にも小川さんがボクシング好きだったことなども、マイルスとその話題で盛り上がることができた、という。小川さん情報によると、ファンク・グループ、キャメオのリーダー、ラリー・ブラックモンの父親が、人気ボクサー、シュガー・レイの持つジムのトレーナーだったそうだ。ボクシング好きのマイルスは、ラリーの父であるそのトレーナーについていたという。そういう経緯もあって、1988年のキャメオのアルバム『マチズモ』内の「イン・ザ・ナイト」という曲で、マイルスはトランペットを吹いている。
60年代歌謡ポップス、グループ・サウンズから、マイルス・デイヴィス、はては、ジェームス・ブラウン、キャメオまで。その守備範囲の広さに、改めて感服だ。
小川さんは、僕が途中でどんなに突っ込んだ質問をしても、決して「ソー・ホワット…」とは言わなかった。いい人だ。
(とりあえず、この項、一旦休憩=(笑))
■「マイルス・デイヴィスの真実」(小川隆夫・著)(さらなるエピソードはこちらの著作で)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582831273/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 小川隆夫トーク・イヴェント
2009年6月13日(土)18時~21時 「音楽(ONGAKU)ゼミナール@銀座」 ブルーノート特集 会場・銀座バー・ル・セプト(Bar Le Sept) 会費3000円(1ドリンク付き)
2009年7月5日(日)開場15時15分、開演15時30分~17時「ブルーノート大事典」出版記念 会場・自由が丘・ギャラリー悠・地下一階ステージ悠 会費3500円=「ブルーノート大事典」がお土産で付きます。同本ご持参の方は500円。
2009年8月1日(土)「音楽(ONGAKU)ゼミナール・イン・京都」 会場・バー探偵 詳細は近日中に発表
このほか9月に、駒場東大前オーチャード・バーで行った「60年代音楽」の2回目と、ローテーション通りなら銀座のBar「le sept」の予定も。
詳細は、小川さんのホームページへ。(上記トーク・イヴェントの告知もあります)
http://blog.excite.co.jp/ogawatakao/10360021/
(なんと、アドレスをコピーしに行ったら、小川さんがこのソウル・サーチン・ブログのことを紹介してくれていた=(笑) ありがとうございます。またまたブログの無限ループに陥る…)
ENT>MUSIC>ARTIST>Davis, Miles
ENT>PEOPLE>Ogawa, Takao
▲【ソウル・ヴォーカル・グループを復興~ゲイリー・アドキンスのグループ】
復興。
日本で活躍するソウル・シンガー、ゲイリー・アドキンスが中心となり、往年のソウル・ヴォーカル・グループの味わいを復活させようと、ブラックの4人組グループ、「ア・タッチ・オブ・エレガンス」を結成。そのお披露目ライヴを来る2009年6月29日(月)、目黒・ブルース・アレイで行う。
4人組ヴォーカル・グループのメンバーは、ゲイリーのほか、デイヴィッド・キング、カルヴィン・ヤングブラッド、そして、A.J.ジョンソン。ゲイリーは、木村拓哉が画面に出ている男性化粧品のCM曲「愛がすべて」(オリジナルはスタイリスティックス)をカヴァーしていることでも知られるシンガー。2007年12月の『ソウル・サーチン・プレゼンツ~フィリー・ソウル・ナイト』でも、多くのフィリー・ソウルを歌った。
ゲイリーによれば、すでにお揃いの衣装も揃え、4人でしっかりと振り付けを練習しており、往年のソウル・ヴォーカル・グループの味わいを全力で再現する、という。どのあたりの作品を歌うか、ゲイリーにこっそり聞いたところ、「まだトップ・シークレットだが、特別に教える。テンプス、フォー・トップス、オージェイス、スタイリスティックスなんかのヒット曲を、エレガンスにやるんだ」という。
バックは、フィリップ・ウー、クリフ・アーチャーら鉄壁。最近はこうしたヴォーカル・グループが少なくなっているだけに楽しみだ。
(写真)
■Gary Adkins and David King presents
~A Touch of Elegance: A Night of R&B Soul~
(Vo)Gary Adkins、David King、Calvin Youngblood、A.J. Johnson
(HAMMOND A-100)Phillip Woo (Key)Anthony Johnson (Ds)Bert Adams
(B)Clifford Archer (G)Pat Pryor
日時 2009年6月29日(月曜)19時半、21時15分(入れ替えなし)
会場 目黒・ブルース・アレイ http://www.bluesalley.co.jp/
住所 〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14
ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F
電話 03-5740-6041(予約専用電話)当日のお店の番号03-5496-4381
チケット 4500円、当日は500円アップ
ENT>ANNUONCEMENT>A Touch Of Elegance
復興。
日本で活躍するソウル・シンガー、ゲイリー・アドキンスが中心となり、往年のソウル・ヴォーカル・グループの味わいを復活させようと、ブラックの4人組グループ、「ア・タッチ・オブ・エレガンス」を結成。そのお披露目ライヴを来る2009年6月29日(月)、目黒・ブルース・アレイで行う。
4人組ヴォーカル・グループのメンバーは、ゲイリーのほか、デイヴィッド・キング、カルヴィン・ヤングブラッド、そして、A.J.ジョンソン。ゲイリーは、木村拓哉が画面に出ている男性化粧品のCM曲「愛がすべて」(オリジナルはスタイリスティックス)をカヴァーしていることでも知られるシンガー。2007年12月の『ソウル・サーチン・プレゼンツ~フィリー・ソウル・ナイト』でも、多くのフィリー・ソウルを歌った。
ゲイリーによれば、すでにお揃いの衣装も揃え、4人でしっかりと振り付けを練習しており、往年のソウル・ヴォーカル・グループの味わいを全力で再現する、という。どのあたりの作品を歌うか、ゲイリーにこっそり聞いたところ、「まだトップ・シークレットだが、特別に教える。テンプス、フォー・トップス、オージェイス、スタイリスティックスなんかのヒット曲を、エレガンスにやるんだ」という。
バックは、フィリップ・ウー、クリフ・アーチャーら鉄壁。最近はこうしたヴォーカル・グループが少なくなっているだけに楽しみだ。
(写真)
■Gary Adkins and David King presents
~A Touch of Elegance: A Night of R&B Soul~
(Vo)Gary Adkins、David King、Calvin Youngblood、A.J. Johnson
(HAMMOND A-100)Phillip Woo (Key)Anthony Johnson (Ds)Bert Adams
(B)Clifford Archer (G)Pat Pryor
日時 2009年6月29日(月曜)19時半、21時15分(入れ替えなし)
会場 目黒・ブルース・アレイ http://www.bluesalley.co.jp/
住所 〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14
ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F
電話 03-5740-6041(予約専用電話)当日のお店の番号03-5496-4381
チケット 4500円、当日は500円アップ
ENT>ANNUONCEMENT>A Touch Of Elegance
★「ブルーズの女王」ココ・テイラー死去
2009年6月5日 音楽★【シカゴ・ブルーズの女王、ココ・テイラー死去】
訃報。
シカゴ・ブルーズの女王として活躍してきたヴェテラン・ブルーズ・シンガー、ココ・テイラーが2009年6月3日午後、地元シカゴの病院で合併症のため死去した。2009年5月19日に、胃腸に出血があり、その手術を行っていた。80歳だった。
ココ・テイラーは、出生名はコーラ・ウォルトン。南部テネシー州メンフィスの農家に1928年(昭和3年)9月28日生まれた。当初はゴスペルを歌っていたが、メンフィスの人気ラジオ局WDIAから流れてくるブルーズにも興味を持った。この頃、同局のDJには、BBキングやルーファス・トーマスらがいた。その後最初の結婚をし、1952年に、夢を求めて北部の都会シカゴに移り住む。このとき彼らはわずか35セントとリッツのクラッカーしかなかった、という。シカゴ行きのグレイハウンド・バスに乗る2人分の運賃もなかったらしい。
シカゴでは夫も仕事をし、ココも昼間は白人家庭で家政婦のような仕事をし、夜はブルーズ・バーなどに出入り。シカゴ・サウスサイドで聴いた都会的なブルーズに魅せられ、ブルーズ・シンガーとして活動を始める。テイラー姓は、この最初の夫のもの。当時南部では、電気的楽器などがなく、みなアコースティックな楽器でブルーズを歌っていたので、シカゴに来て、みなエレキ・ギターなどを鳴らしていたことに衝撃を受けた。このあたりの様子は、日本でも8月に公開される『キャデラック・レコード』でも描かれている。(この映画については近日中にご紹介します)
1962年、ブルーズ界ですでにソングライター、シンガー、プロデューサーとして活躍していたウィリー・ディクソンに認められ、1964年にはチェス・レコード入り。ディクソンが書き、その前に同じチェスのハウリン・ウルフがレコーディングしていた「ワング・ダング・ドゥードル」をカヴァー、ココのものも1966年4月から大ヒットしR&Bチャートで4位を記録、一躍人気シンガーとなった。
1975年、チェスが経営に行き詰った後は、シカゴのブルーズ専門レーベル、アリゲーターと契約、今日まで同レーベルに所属していた。
1991年初来日の後、2007年2度目の来日。このときは、2000年10月から正式にココ・テイラーのバンド・メンバーになっていた日本人ギタリストでシカゴ在住の菊田俊介も帯同した。
最後に人前に姿を現したのは2009年5月7日、「第29回ブルーズ・アワード」の授賞式でのこと。ココは、他の誰よりも多くの同ブルーズ・アワード(今年の受賞までで29個)を獲得している、という。最新作『オールド・スクール』(2007年)も含めアリゲーターから発売された9枚のアルバムのうち、8枚までがグラミー賞にノミネートされている。グラミーは、1984年のコンピレーション・アルバム『ブルーズ・エクスプロージョン』の参加で受賞している。
+++++
菊田ブログ。
僕がココ・テイラーのライヴを見たのは、2007年7月。もう2年も前、しかし、ばりばりに元気だった。そしてそのときギターを弾いていた菊田さん。彼のブログの記事にココ・テイラーのことを書いたものがある。もちろん、昨日(6月4日)付けでココの死去に触れている。まだ心の整理もついていないだろう。ゆっくり近いうちに思い出話を書いてくれることを期待したい。ココの死去を聞いて、まっさきに菊田さんのブログに行った。
ここに彼がココから直接書いた話が数本あるが、これが素晴らしい。本当に生のブルーズの歴史そのものだ。どんな評伝よりも、ココの人間性や、彼女の人となりがわかる。アーティスト本人が仲間内に語っている情報は、時として記憶違いなどもあるが、やはり本人にとっての真実ということで、重みが違う。
今回改めて読み直して、菊田さんがココに雇われるシーン(「ココ・テイラーとの活動、10年目に突入だ」記載)や、ココが夫とシカゴに行く時、2人分のバス代がなく乗せてもらうシーンのところなども胸を打つ(「ココの昔話に、アメリカ黒人史を学ぶ」)。黒人用座席はバスの後部と決められていたが、彼女たちは「そんなことは当たり前と思い、前に座っても、後ろに座っても、同じ時間にシカゴに着くのよ」と笑い飛ばすところなど、感動的だ。本当に生のブルーズの歴史の一部が語られている。ぜひ、菊田さんにはもっともっと思い出してもらってたくさん書いてもらいたい。
ご冥福をお祈りしたい。
■前回来日ライヴ評
July 22, 2007
Koko Taylor Live: Queen Of Blues & Shun Kikuta
【ココ・テイラー・ライヴ】
http://blog.soulsearchin.com/archives/001907.html
■菊田俊介オフィシャル・ウェッブ
http://www.shunkikuta.com/japanese/
◎同菊田俊介ブログ内でのココ・テイラーについてのエントリー
June 04, 2009
ココが死んじゃった
http://ameblo.jp/shunkikuta/day-20090604.html
August 13, 2008
ココの昔話再び・・マディ・ウォーターズ
http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10126714673.html
July 04, 2008
ココの昔話に、アメリカ黒人史を学ぶ
http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10112626048.html#cbox
July 04, 2008
ココの昔話・・・の続き
http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10112939960.html#main
May 18, 2009
ココ・テイラーとの活動、10年目に突入だ
http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10263264706.html
July 29, 2008
ココも飛び入り参加、Rockin’ Horse
http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10121496731.html
ENT>MUSIC>OBITUARY>Taylor, Koko (September 28, 1928 - June 3, 2009, 80)
訃報。
シカゴ・ブルーズの女王として活躍してきたヴェテラン・ブルーズ・シンガー、ココ・テイラーが2009年6月3日午後、地元シカゴの病院で合併症のため死去した。2009年5月19日に、胃腸に出血があり、その手術を行っていた。80歳だった。
ココ・テイラーは、出生名はコーラ・ウォルトン。南部テネシー州メンフィスの農家に1928年(昭和3年)9月28日生まれた。当初はゴスペルを歌っていたが、メンフィスの人気ラジオ局WDIAから流れてくるブルーズにも興味を持った。この頃、同局のDJには、BBキングやルーファス・トーマスらがいた。その後最初の結婚をし、1952年に、夢を求めて北部の都会シカゴに移り住む。このとき彼らはわずか35セントとリッツのクラッカーしかなかった、という。シカゴ行きのグレイハウンド・バスに乗る2人分の運賃もなかったらしい。
シカゴでは夫も仕事をし、ココも昼間は白人家庭で家政婦のような仕事をし、夜はブルーズ・バーなどに出入り。シカゴ・サウスサイドで聴いた都会的なブルーズに魅せられ、ブルーズ・シンガーとして活動を始める。テイラー姓は、この最初の夫のもの。当時南部では、電気的楽器などがなく、みなアコースティックな楽器でブルーズを歌っていたので、シカゴに来て、みなエレキ・ギターなどを鳴らしていたことに衝撃を受けた。このあたりの様子は、日本でも8月に公開される『キャデラック・レコード』でも描かれている。(この映画については近日中にご紹介します)
1962年、ブルーズ界ですでにソングライター、シンガー、プロデューサーとして活躍していたウィリー・ディクソンに認められ、1964年にはチェス・レコード入り。ディクソンが書き、その前に同じチェスのハウリン・ウルフがレコーディングしていた「ワング・ダング・ドゥードル」をカヴァー、ココのものも1966年4月から大ヒットしR&Bチャートで4位を記録、一躍人気シンガーとなった。
1975年、チェスが経営に行き詰った後は、シカゴのブルーズ専門レーベル、アリゲーターと契約、今日まで同レーベルに所属していた。
1991年初来日の後、2007年2度目の来日。このときは、2000年10月から正式にココ・テイラーのバンド・メンバーになっていた日本人ギタリストでシカゴ在住の菊田俊介も帯同した。
最後に人前に姿を現したのは2009年5月7日、「第29回ブルーズ・アワード」の授賞式でのこと。ココは、他の誰よりも多くの同ブルーズ・アワード(今年の受賞までで29個)を獲得している、という。最新作『オールド・スクール』(2007年)も含めアリゲーターから発売された9枚のアルバムのうち、8枚までがグラミー賞にノミネートされている。グラミーは、1984年のコンピレーション・アルバム『ブルーズ・エクスプロージョン』の参加で受賞している。
+++++
菊田ブログ。
僕がココ・テイラーのライヴを見たのは、2007年7月。もう2年も前、しかし、ばりばりに元気だった。そしてそのときギターを弾いていた菊田さん。彼のブログの記事にココ・テイラーのことを書いたものがある。もちろん、昨日(6月4日)付けでココの死去に触れている。まだ心の整理もついていないだろう。ゆっくり近いうちに思い出話を書いてくれることを期待したい。ココの死去を聞いて、まっさきに菊田さんのブログに行った。
ここに彼がココから直接書いた話が数本あるが、これが素晴らしい。本当に生のブルーズの歴史そのものだ。どんな評伝よりも、ココの人間性や、彼女の人となりがわかる。アーティスト本人が仲間内に語っている情報は、時として記憶違いなどもあるが、やはり本人にとっての真実ということで、重みが違う。
今回改めて読み直して、菊田さんがココに雇われるシーン(「ココ・テイラーとの活動、10年目に突入だ」記載)や、ココが夫とシカゴに行く時、2人分のバス代がなく乗せてもらうシーンのところなども胸を打つ(「ココの昔話に、アメリカ黒人史を学ぶ」)。黒人用座席はバスの後部と決められていたが、彼女たちは「そんなことは当たり前と思い、前に座っても、後ろに座っても、同じ時間にシカゴに着くのよ」と笑い飛ばすところなど、感動的だ。本当に生のブルーズの歴史の一部が語られている。ぜひ、菊田さんにはもっともっと思い出してもらってたくさん書いてもらいたい。
ご冥福をお祈りしたい。
■前回来日ライヴ評
July 22, 2007
Koko Taylor Live: Queen Of Blues & Shun Kikuta
【ココ・テイラー・ライヴ】
http://blog.soulsearchin.com/archives/001907.html
■菊田俊介オフィシャル・ウェッブ
http://www.shunkikuta.com/japanese/
◎同菊田俊介ブログ内でのココ・テイラーについてのエントリー
June 04, 2009
ココが死んじゃった
http://ameblo.jp/shunkikuta/day-20090604.html
August 13, 2008
ココの昔話再び・・マディ・ウォーターズ
http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10126714673.html
July 04, 2008
ココの昔話に、アメリカ黒人史を学ぶ
http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10112626048.html#cbox
July 04, 2008
ココの昔話・・・の続き
http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10112939960.html#main
May 18, 2009
ココ・テイラーとの活動、10年目に突入だ
http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10263264706.html
July 29, 2008
ココも飛び入り参加、Rockin’ Horse
http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10121496731.html
ENT>MUSIC>OBITUARY>Taylor, Koko (September 28, 1928 - June 3, 2009, 80)
◆(お知らせ) 今夜『大西貴文のザ・ナイト』に出ます
2009年6月5日 音楽◆(お知らせ) 今夜『大西貴文のザ・ナイト』に出ます
マーヴィン・ゲイ自伝・伝記『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』の紹介で、今夜『大西貴文のザ・ナイト』に出ます。この番組は、有料放送のFMバードと、全国のコミュニティーFM66局で放送されます。コミュニティーFMは、放送範囲が狭いですが、各地に密着してありますので、お近くのコミュニティーFM局をお探しください。
『大西貴文のザ・ナイト』 DJ大西貴文
FMバードおよびコミュニティーFM全国66局ネット 月~金21時~24時
放送日 2009年6月5日(金)出演22時~23時くらいの間 (生放送)
(コミュニティーのネット局一覧=下記参照)
DJ大西貴文ブログ http://blog.livedoor.jp/tkcompany/
メールのあて先 nite@musicbird.co.jp
『大西貴文のザ・ナイト』 DJ大西貴文
FMバードおよびコミュニティーFM全国66局ネット一覧です。コミュニティー・ラジオの周波数などは、各地の新聞・ウェッブなどをごらんください。
〔北海道〕エフエムわっぴー FMおたる FMアップル FMねむろ FMいるか FMパンプキン
〔青森〕FMジャイゴウェーブ FMいわぬま
〔秋田〕FMゆーとぴあ Radio A
〔福島〕FMきたかた
〔岩手〕奥州FM
〔新潟〕Radio CHAT FMピッカラ FMゆきぐに FM-J エフエムとおかまち ラジオアガット
〔群馬〕FM OZE ラジオななみ
〔茨城〕FMパルルン FMかしま
〔千葉〕木更津エフエム
〔埼玉〕エフエム茶笛
〔東京〕調布エフエム FM844(立川)
〔神奈川〕レディオ湘南 エフエム戸塚
〔山梨〕FM-KOFU Radio VILLA
〔静岡〕FM マリンパル FMボイスキュー FMチャオ G-sky765
〔長野〕FMさくだいら FM軽井沢 エルシーブイFM769 エフエムとなみ
〔福井〕ラジオあいらんど
〔愛知〕FMやしのみ(豊橋)FMおかざき MID FM(名古屋)ラジオラヴィート FM PIPI
〔京都〕FMいかる FMキャッスル
〔奈良〕FMハイホー
〔大阪〕FM HANAKO エフエム貝塚 千里ニュータウンFM
〔兵庫〕エフエムみっきぃ FMジャングル エフエム宝塚
〔岡山〕エフエムゆめウェーブ
〔広島〕FM尾道
〔山口〕しゅうなんFM カモンエフエム
〔島根〕エフエムいずも
〔香川〕エフエム サン FM まんでがん815
〔徳島〕B-FM791
〔愛媛〕エフエム ラジオバリバリ
〔福岡〕スターコーンFM
〔熊本〕熊本CITY FM 791 KAPPA FM
〔宮崎〕サンシャインFM
+++++
ENT>RADIO>Gaye, Marvin
ENT>BOOK>Gaye, Marvin
マーヴィン・ゲイ自伝・伝記『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』の紹介で、今夜『大西貴文のザ・ナイト』に出ます。この番組は、有料放送のFMバードと、全国のコミュニティーFM66局で放送されます。コミュニティーFMは、放送範囲が狭いですが、各地に密着してありますので、お近くのコミュニティーFM局をお探しください。
『大西貴文のザ・ナイト』 DJ大西貴文
FMバードおよびコミュニティーFM全国66局ネット 月~金21時~24時
放送日 2009年6月5日(金)出演22時~23時くらいの間 (生放送)
(コミュニティーのネット局一覧=下記参照)
DJ大西貴文ブログ http://blog.livedoor.jp/tkcompany/
メールのあて先 nite@musicbird.co.jp
『大西貴文のザ・ナイト』 DJ大西貴文
FMバードおよびコミュニティーFM全国66局ネット一覧です。コミュニティー・ラジオの周波数などは、各地の新聞・ウェッブなどをごらんください。
〔北海道〕エフエムわっぴー FMおたる FMアップル FMねむろ FMいるか FMパンプキン
〔青森〕FMジャイゴウェーブ FMいわぬま
〔秋田〕FMゆーとぴあ Radio A
〔福島〕FMきたかた
〔岩手〕奥州FM
〔新潟〕Radio CHAT FMピッカラ FMゆきぐに FM-J エフエムとおかまち ラジオアガット
〔群馬〕FM OZE ラジオななみ
〔茨城〕FMパルルン FMかしま
〔千葉〕木更津エフエム
〔埼玉〕エフエム茶笛
〔東京〕調布エフエム FM844(立川)
〔神奈川〕レディオ湘南 エフエム戸塚
〔山梨〕FM-KOFU Radio VILLA
〔静岡〕FM マリンパル FMボイスキュー FMチャオ G-sky765
〔長野〕FMさくだいら FM軽井沢 エルシーブイFM769 エフエムとなみ
〔福井〕ラジオあいらんど
〔愛知〕FMやしのみ(豊橋)FMおかざき MID FM(名古屋)ラジオラヴィート FM PIPI
〔京都〕FMいかる FMキャッスル
〔奈良〕FMハイホー
〔大阪〕FM HANAKO エフエム貝塚 千里ニュータウンFM
〔兵庫〕エフエムみっきぃ FMジャングル エフエム宝塚
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〔山口〕しゅうなんFM カモンエフエム
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〔香川〕エフエム サン FM まんでがん815
〔徳島〕B-FM791
〔愛媛〕エフエム ラジオバリバリ
〔福岡〕スターコーンFM
〔熊本〕熊本CITY FM 791 KAPPA FM
〔宮崎〕サンシャインFM
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ENT>RADIO>Gaye, Marvin
ENT>BOOK>Gaye, Marvin
○ソウル・サーチン美術部~岡伸昭先生の講座と推薦の展覧会
2009年6月6日 音楽○【ソウル・サーチン美術部~岡伸昭先生講座と推薦の展覧会】
講座。
7月に開かれる音楽イヴェント『ソウル・サーチン:ザ・セッション~アイズリー・ブラザーズ』でもパネリストとして参加するソウル・サーチャーの1人、岡伸昭さんが、自身の講座を持ち、得意の美術史を教えている。そのいくつかをご紹介しつつ、後半で、岡先生が注目するこれからの美術展を案内してもらった。
◆ 岡伸昭の講座
まず、青山で開校している美の専門家を育てるアカデミー、「フロムハンド」で特別講座を開始。これは特別講座なので、入学しなくとも単体で受講できる。6月から20回にわたって美術史を岡さん独自の視点と切り口で解説する。基本は20回を受けるが、1回ずつでも受講できる。
1)
学校名 フロムハンド・メイクアップアカデミー
http://www.fromhand.co.jp/short/index.html
講座名 美術史専科
講師 岡伸昭
会場 東京都港区南青山5-4-31 ニッカウヰスキー ビル・1F
授業日時・回数 2009年6月4日(木)から12月まで総計20回
授業時間 19時~21時(18時30分開場)
受講料 20回一括 80,000円 1回ごとの場合4500円(軽食つき)
申し込み方 事前に次の口座へ振込み 銀行:三菱東京UFJ銀行 渋谷支店 口座番号:普通 2993146 口座名:フロムハンド
問い合わせ申し込み方法など 0120-266-841
講座内容例
第1回:6月4日・・・洗礼者ヨハネ風しつけ~絵画の成り立ち、初期ルネサンスからハイ・ルネサンス前夜
第2回:6月18日・・・天才は非凡にして孤独なり~フィレンツェ・ルネサンスの三代巨匠。ダヴィンチ+ミケランジェロ+ラファエロ
第3回:7月2日・・・水際の甘すぎるワナ~ヴェネチアでは。ブリューゲル特集
第4回:7月16日・・・どうにも気になる1888年~ゴーギャン
20回までのテーマは、上記ウェッブに詳細がでています。
2)
学校名 美術アカデミー&スクール
講座名 「まさに名品ぞろいの美術展」
講師 岡伸昭 北進一
会場 スター会議室・市ヶ谷03-5217-5577
住所 東京都千代田区九段南4-7-22 メゾン・ド・シャルー201
(アクセス)都営新宿線、東京メトロ南北線・有楽町線「市ヶ谷駅」A3出口 徒歩1分 JR総武線 市ヶ谷駅 徒歩4分
講座日時 2009年6月11日(木)19時~21時
受講料 3500円
申し込み方 http://shop.art-a-school.info/?pid=13753988 にアクセスして申し込む
問合せ先 美術アカデミー&スクール
港区赤坂4-1-1 SHIM赤坂ビル電話 03-6234-6242 ファクス 03-6234-4150
EMAIL info@art-a-school.info 電話受付時間(12時~20時)
講座内容 東京都美術館に来ている「日本の美術館名品展」についての解説
3)
学校名 美術アカデミー&スクール
講座名 「東西美術対決シリーズ~都市風俗の表象:ドガ x 春信」
講師 岡伸昭 北進一
会場 スター会議室・市ヶ谷03-5217-5577
住所 東京都千代田区九段南4-7-22 メゾン・ド・シャルー201
(アクセス)都営新宿線、東京メトロ南北線・有楽町線「市ヶ谷駅」A3出口 徒歩1分 JR総武線 市ヶ谷駅 徒歩4分
講座日時 2009年6月 25日(木)19時~21時
受講料 3500円
申し込み方 http://shop.art-a-school.info/?pid=13967711から申し込む
問合せ先 美術アカデミー&スクール
港区赤坂4-1-1 SHIM赤坂ビル電話 03-6234-6242 ファクス 03-6234-4150
EMAIL info@art-a-school.info 電話受付時間(12時~20時)
講座内容 19世紀の東洋と西洋の都市における美術をパリのドガと江戸の春信を比較して解説
■岡さんが推薦する展覧会、4本
1)
展覧会名 Museum Island 日本の美術館名品展
会場 東京都美術館 (東京上野公園内)
会期 2009年4月25日(土)から7月5日(日)
詳細 http://www.museum-islands.jp/index.html
内容 日本の美術が西洋の美術に与えた影響を展示。ドーミエ、ミレー、クールベなどから池田満寿夫まで。
岡伸昭の視点 「これは、画家が自由を勝ち取る戦いの歴史であり、画家の生きざまである」
2)
展覧会名 フランス絵画の19世紀 美をめぐる100年のドラマ
会場 横浜美術館 (横浜みなとみらい)
会期 2009年6月12日(金)から8月31日(月)
詳細 http://france19.com/
内容 アカデミズムと西洋美術の関係性にスポットを当てた展示。
岡伸昭の視点 「アカデミズムと西洋美術の関係は、モータウンとリック・ジェームスのような関係だ」
3)
展覧会名 ゴーギャン展
会場 東京都国立近代美術館 竹橋・千代田区北の丸公園
会期 2009年7月3日(金)から9月23日(水)
詳細 http://gauguin2009.jp/index.html
内容 ゴーギャンの最高傑作『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(1897年)、日本初公開。ボストン美術館以外に、ニューヨーク近代美術館、クライスラー美術館、プーシキン美術館、テート ギャラリー、
シュトゥットガルト州立美術館などから、日本初公開を含む厳選された作品を展示。
岡伸昭の視点 「表現を獲得することと反比例して、孤独になってゆくゴッホとの共同生活の破綻、女癖が極めて悪い、特異な生い立ちからもとても興味深い画家。男っぽさが強烈に出た作家でもある」
4)
展覧会名 奇想の王国 だまし絵展
会期 2009年6月13日(土)から8月16日(日)
会場 渋谷文化村 Bunkamura ザ・ミュージアム 渋谷
詳細 http://www.bunkamura.co.jp/shosai/topics_mu_090426s.html
岡伸昭の視点 「これは、おもしろいですよ! みなさんどこまで騙されますか?」
ENT>ART>ANNOUNCEMENT
講座。
7月に開かれる音楽イヴェント『ソウル・サーチン:ザ・セッション~アイズリー・ブラザーズ』でもパネリストとして参加するソウル・サーチャーの1人、岡伸昭さんが、自身の講座を持ち、得意の美術史を教えている。そのいくつかをご紹介しつつ、後半で、岡先生が注目するこれからの美術展を案内してもらった。
◆ 岡伸昭の講座
まず、青山で開校している美の専門家を育てるアカデミー、「フロムハンド」で特別講座を開始。これは特別講座なので、入学しなくとも単体で受講できる。6月から20回にわたって美術史を岡さん独自の視点と切り口で解説する。基本は20回を受けるが、1回ずつでも受講できる。
1)
学校名 フロムハンド・メイクアップアカデミー
http://www.fromhand.co.jp/short/index.html
講座名 美術史専科
講師 岡伸昭
会場 東京都港区南青山5-4-31 ニッカウヰスキー ビル・1F
授業日時・回数 2009年6月4日(木)から12月まで総計20回
授業時間 19時~21時(18時30分開場)
受講料 20回一括 80,000円 1回ごとの場合4500円(軽食つき)
申し込み方 事前に次の口座へ振込み 銀行:三菱東京UFJ銀行 渋谷支店 口座番号:普通 2993146 口座名:フロムハンド
問い合わせ申し込み方法など 0120-266-841
講座内容例
第1回:6月4日・・・洗礼者ヨハネ風しつけ~絵画の成り立ち、初期ルネサンスからハイ・ルネサンス前夜
第2回:6月18日・・・天才は非凡にして孤独なり~フィレンツェ・ルネサンスの三代巨匠。ダヴィンチ+ミケランジェロ+ラファエロ
第3回:7月2日・・・水際の甘すぎるワナ~ヴェネチアでは。ブリューゲル特集
第4回:7月16日・・・どうにも気になる1888年~ゴーギャン
20回までのテーマは、上記ウェッブに詳細がでています。
2)
学校名 美術アカデミー&スクール
講座名 「まさに名品ぞろいの美術展」
講師 岡伸昭 北進一
会場 スター会議室・市ヶ谷03-5217-5577
住所 東京都千代田区九段南4-7-22 メゾン・ド・シャルー201
(アクセス)都営新宿線、東京メトロ南北線・有楽町線「市ヶ谷駅」A3出口 徒歩1分 JR総武線 市ヶ谷駅 徒歩4分
講座日時 2009年6月11日(木)19時~21時
受講料 3500円
申し込み方 http://shop.art-a-school.info/?pid=13753988 にアクセスして申し込む
問合せ先 美術アカデミー&スクール
港区赤坂4-1-1 SHIM赤坂ビル電話 03-6234-6242 ファクス 03-6234-4150
EMAIL info@art-a-school.info 電話受付時間(12時~20時)
講座内容 東京都美術館に来ている「日本の美術館名品展」についての解説
3)
学校名 美術アカデミー&スクール
講座名 「東西美術対決シリーズ~都市風俗の表象:ドガ x 春信」
講師 岡伸昭 北進一
会場 スター会議室・市ヶ谷03-5217-5577
住所 東京都千代田区九段南4-7-22 メゾン・ド・シャルー201
(アクセス)都営新宿線、東京メトロ南北線・有楽町線「市ヶ谷駅」A3出口 徒歩1分 JR総武線 市ヶ谷駅 徒歩4分
講座日時 2009年6月 25日(木)19時~21時
受講料 3500円
申し込み方 http://shop.art-a-school.info/?pid=13967711から申し込む
問合せ先 美術アカデミー&スクール
港区赤坂4-1-1 SHIM赤坂ビル電話 03-6234-6242 ファクス 03-6234-4150
EMAIL info@art-a-school.info 電話受付時間(12時~20時)
講座内容 19世紀の東洋と西洋の都市における美術をパリのドガと江戸の春信を比較して解説
■岡さんが推薦する展覧会、4本
1)
展覧会名 Museum Island 日本の美術館名品展
会場 東京都美術館 (東京上野公園内)
会期 2009年4月25日(土)から7月5日(日)
詳細 http://www.museum-islands.jp/index.html
内容 日本の美術が西洋の美術に与えた影響を展示。ドーミエ、ミレー、クールベなどから池田満寿夫まで。
岡伸昭の視点 「これは、画家が自由を勝ち取る戦いの歴史であり、画家の生きざまである」
2)
展覧会名 フランス絵画の19世紀 美をめぐる100年のドラマ
会場 横浜美術館 (横浜みなとみらい)
会期 2009年6月12日(金)から8月31日(月)
詳細 http://france19.com/
内容 アカデミズムと西洋美術の関係性にスポットを当てた展示。
岡伸昭の視点 「アカデミズムと西洋美術の関係は、モータウンとリック・ジェームスのような関係だ」
3)
展覧会名 ゴーギャン展
会場 東京都国立近代美術館 竹橋・千代田区北の丸公園
会期 2009年7月3日(金)から9月23日(水)
詳細 http://gauguin2009.jp/index.html
内容 ゴーギャンの最高傑作『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(1897年)、日本初公開。ボストン美術館以外に、ニューヨーク近代美術館、クライスラー美術館、プーシキン美術館、テート ギャラリー、
シュトゥットガルト州立美術館などから、日本初公開を含む厳選された作品を展示。
岡伸昭の視点 「表現を獲得することと反比例して、孤独になってゆくゴッホとの共同生活の破綻、女癖が極めて悪い、特異な生い立ちからもとても興味深い画家。男っぽさが強烈に出た作家でもある」
4)
展覧会名 奇想の王国 だまし絵展
会期 2009年6月13日(土)から8月16日(日)
会場 渋谷文化村 Bunkamura ザ・ミュージアム 渋谷
詳細 http://www.bunkamura.co.jp/shosai/topics_mu_090426s.html
岡伸昭の視点 「これは、おもしろいですよ! みなさんどこまで騙されますか?」
ENT>ART>ANNOUNCEMENT
◎『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』ブログ開始
2009年6月7日 音楽◎【『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』ブログ開始】
ブログ。
マーヴィン・ゲイが生まれて70年、死去して25年、そしてモータウンが設立されてちょうど50年というあらゆる点で節目の2009年。その5月28日に発売された『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』、この感想文や、関連する事項(プロモーションの告知なども含む)を紹介するブログを始めました。その名も『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』ブログ。このコメント欄に書き込んでいただいてもいいですし、直接僕にメールをいただいて掲載ということでもOKです。匿名希望であれば、その旨書いていただければ、匿名で出します。公開せずに、直接翻訳者までメッセージを送りたいというのも可です。また、ウェッブを見ていて、感想文などを発見したら、そのリンクをはってみたり、この本を持った方の写真も掲載していいくことも考えています。ブログのアドレスは次の通りです。
http://ameblo.jp/divided-soul/
直接メッセージを送る場合のアドレス。yoshioka@soulsearchin.com
(@を半角にしてください)
なお、コメントはスパムを防ぐために、内容を確認してからアップされます。
記念すべき第一弾エントリーは、すでに5月29日深夜に直接メールをいただいたデイヴィッド・T・ウォーカーの強力なサイトを運営するウエヤマ・シュージさんの読後感想文第一号です。ご本人の許諾を得て、転載いたしました。
+++++
西寺郷太さん。
日本のポップ・グループ、ノーナ・リーヴスのメンバー、西寺郷太さんが毎週レギュラーで出演中のTBSラジオの番組『小島慶子 キラ☆キラ』(月~金 午後1時~3時半)の中で、6月3日(水)にマーヴィン・ゲイのこの本『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』をご紹介されました。その模様はポッドキャストで聞けます。
番組ポッドキャスト
http://podcast.tbsradio.jp/kirakira/files/090603_nishidera_pate.mp3
同じく西寺さんのブログ。(日にちが進むとページが変わってしまいますので、2009年6月3日(水)付けをごらんください)
http://www.nonareeves.com/cgi-bin/nr_bbsultra.cgi?file=bbs_a&number=1&category=0&type=read
西寺さんのグループ、ノーナ・リーヴスの「ノーナ」は、マーヴィン・ゲイの娘ノーナ・ゲイから、また、リーヴスはモータウンの人気グループ、マーサ・リーヴス&ヴァンデラスのマーサ・リーヴスから取るほどのソウル好き。内容の濃いご紹介、ありがとうございました。
+++++
■次回番組出演は2009年6月9日、ネットでどこでも聴ける湘南ビーチFM午後7時半から
宣伝活動。
地道な宣伝活動を続けていますが、そんな中で、マーヴィン・ゲイのことを知らない世代が登場していることに驚きを感じています。「マーヴィン・ゲイがお父さんに殺されたんだ」というと、「うっそー」と驚愕。よく考えてみれば、マーヴィン死去は、1984年のこと。すでに25年前のことだ。今、25歳の人が、マーヴィンの死を知らなくても当然といえば当然。
ということで、次の吉岡出演のラジオ番組は2009年6月9日(火曜)、湘南ビーチFMの『STARLIGHT CRUISIN’』(DJ人見欣幸・ひとみよしゆき)。午後7時半から9時まで生放送。この番組は、全編音楽も含めてインターネットで聴くことができるので、ぜひ全国のみなさん、PCの前でお聴きください。今、マーヴィン作品を入魂選曲中です。
http://www.simulradio.jp/asx/shonanbeachfma.asx
番組へのメールのあて先。letter@beachfm.co.jp
(@を半角にしてください)
+++++
ENT>ARTIST>Gaye, Marvin
ブログ。
マーヴィン・ゲイが生まれて70年、死去して25年、そしてモータウンが設立されてちょうど50年というあらゆる点で節目の2009年。その5月28日に発売された『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』、この感想文や、関連する事項(プロモーションの告知なども含む)を紹介するブログを始めました。その名も『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』ブログ。このコメント欄に書き込んでいただいてもいいですし、直接僕にメールをいただいて掲載ということでもOKです。匿名希望であれば、その旨書いていただければ、匿名で出します。公開せずに、直接翻訳者までメッセージを送りたいというのも可です。また、ウェッブを見ていて、感想文などを発見したら、そのリンクをはってみたり、この本を持った方の写真も掲載していいくことも考えています。ブログのアドレスは次の通りです。
http://ameblo.jp/divided-soul/
直接メッセージを送る場合のアドレス。yoshioka@soulsearchin.com
(@を半角にしてください)
なお、コメントはスパムを防ぐために、内容を確認してからアップされます。
記念すべき第一弾エントリーは、すでに5月29日深夜に直接メールをいただいたデイヴィッド・T・ウォーカーの強力なサイトを運営するウエヤマ・シュージさんの読後感想文第一号です。ご本人の許諾を得て、転載いたしました。
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西寺郷太さん。
日本のポップ・グループ、ノーナ・リーヴスのメンバー、西寺郷太さんが毎週レギュラーで出演中のTBSラジオの番組『小島慶子 キラ☆キラ』(月~金 午後1時~3時半)の中で、6月3日(水)にマーヴィン・ゲイのこの本『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』をご紹介されました。その模様はポッドキャストで聞けます。
番組ポッドキャスト
http://podcast.tbsradio.jp/kirakira/files/090603_nishidera_pate.mp3
同じく西寺さんのブログ。(日にちが進むとページが変わってしまいますので、2009年6月3日(水)付けをごらんください)
http://www.nonareeves.com/cgi-bin/nr_bbsultra.cgi?file=bbs_a&number=1&category=0&type=read
西寺さんのグループ、ノーナ・リーヴスの「ノーナ」は、マーヴィン・ゲイの娘ノーナ・ゲイから、また、リーヴスはモータウンの人気グループ、マーサ・リーヴス&ヴァンデラスのマーサ・リーヴスから取るほどのソウル好き。内容の濃いご紹介、ありがとうございました。
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■次回番組出演は2009年6月9日、ネットでどこでも聴ける湘南ビーチFM午後7時半から
宣伝活動。
地道な宣伝活動を続けていますが、そんな中で、マーヴィン・ゲイのことを知らない世代が登場していることに驚きを感じています。「マーヴィン・ゲイがお父さんに殺されたんだ」というと、「うっそー」と驚愕。よく考えてみれば、マーヴィン死去は、1984年のこと。すでに25年前のことだ。今、25歳の人が、マーヴィンの死を知らなくても当然といえば当然。
ということで、次の吉岡出演のラジオ番組は2009年6月9日(火曜)、湘南ビーチFMの『STARLIGHT CRUISIN’』(DJ人見欣幸・ひとみよしゆき)。午後7時半から9時まで生放送。この番組は、全編音楽も含めてインターネットで聴くことができるので、ぜひ全国のみなさん、PCの前でお聴きください。今、マーヴィン作品を入魂選曲中です。
http://www.simulradio.jp/asx/shonanbeachfma.asx
番組へのメールのあて先。letter@beachfm.co.jp
(@を半角にしてください)
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ENT>ARTIST>Gaye, Marvin
☆イヴェント『ソウル・サーチン~アイズリー・ブラザーズ』のフライヤー完成
2009年6月8日 音楽☆イヴェント『ソウル・サーチン~アイズリー・ブラザーズ』のフライヤー完成
【イヴェント『ソウル・サーチン:ザ・セッションVol.3~ア・トリビュート・トゥ・アイズリー・ブラザーズ』のフライヤー完成】
フライヤー。
来る2009年7月14日、15日に目黒のブルース・アレイで行われる『ソウル・サーチン~アイズリー・ブラザーズ』の告知フライヤー(葉書大)が出来ました。今回の『ソウル・サーチン』は、前回2007年3月のアレサ・フランクリン以来2年4ヶ月ぶり。しかも、今回は2デイズとなり、スタッフも相当力がはいっています。
僕もいろいろアイズリーのことを調べていて、アマゾンをうろうろしていたら、なんとアイズリーの楽譜集を発見。さっそく申し込んでやっと到着。主なヒットが16曲楽譜になっている。これは、ミュージシャンにとっては役に立つかな。
アイズリーはいわゆる伝記、自伝ものがまだないみたいで、まとまった読み物がありません。そういえば、昔、自分でレコード・コレクターズに「アイズリー物語」を書いたことを思い出しました。そのあたりを改めて読み返してみます。
果たして50年余におよぶ歴史、一体どうまとめるのか。映像素材なども必死に集めてみます。『ソウル・サーチン』始まって以来、初めてのグループもの。なお、2デイズ、出し物は同じものになります。
フライヤーをおいていただける都内および近郊のソウル・バー、バー、ショップなどございましたら、住所・送り先名・枚数などをお知らせください。できるだけご希望に沿うよういたします。メールのあて先は、yoshioka@soulsearchin.com です。
(@は半角にしてください)
また、マーヴィン・ゲイの『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』の簡易フライヤー(B5)もできました。本のタイトル、ISBN番号などが書かれたもので、これをそのまま書店にもっていけば、注文できるというフライヤーです。B5サイズ(一色)なので、2つに折って置いていただければ幸いです。こちらは数が少ないのですが、ご希望のお店の方はご連絡ください。
『ソウル・サーチン』についての詳細は、下記へ。予約方法などでています。
http://blog.soulsearchin.com/archives/002928.html
ENT>ANNOUNCEMENT>Soul Searchin
【イヴェント『ソウル・サーチン:ザ・セッションVol.3~ア・トリビュート・トゥ・アイズリー・ブラザーズ』のフライヤー完成】
フライヤー。
来る2009年7月14日、15日に目黒のブルース・アレイで行われる『ソウル・サーチン~アイズリー・ブラザーズ』の告知フライヤー(葉書大)が出来ました。今回の『ソウル・サーチン』は、前回2007年3月のアレサ・フランクリン以来2年4ヶ月ぶり。しかも、今回は2デイズとなり、スタッフも相当力がはいっています。
僕もいろいろアイズリーのことを調べていて、アマゾンをうろうろしていたら、なんとアイズリーの楽譜集を発見。さっそく申し込んでやっと到着。主なヒットが16曲楽譜になっている。これは、ミュージシャンにとっては役に立つかな。
アイズリーはいわゆる伝記、自伝ものがまだないみたいで、まとまった読み物がありません。そういえば、昔、自分でレコード・コレクターズに「アイズリー物語」を書いたことを思い出しました。そのあたりを改めて読み返してみます。
果たして50年余におよぶ歴史、一体どうまとめるのか。映像素材なども必死に集めてみます。『ソウル・サーチン』始まって以来、初めてのグループもの。なお、2デイズ、出し物は同じものになります。
フライヤーをおいていただける都内および近郊のソウル・バー、バー、ショップなどございましたら、住所・送り先名・枚数などをお知らせください。できるだけご希望に沿うよういたします。メールのあて先は、yoshioka@soulsearchin.com です。
(@は半角にしてください)
また、マーヴィン・ゲイの『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』の簡易フライヤー(B5)もできました。本のタイトル、ISBN番号などが書かれたもので、これをそのまま書店にもっていけば、注文できるというフライヤーです。B5サイズ(一色)なので、2つに折って置いていただければ幸いです。こちらは数が少ないのですが、ご希望のお店の方はご連絡ください。
『ソウル・サーチン』についての詳細は、下記へ。予約方法などでています。
http://blog.soulsearchin.com/archives/002928.html
ENT>ANNOUNCEMENT>Soul Searchin
△チェス・レコードを描いた映画『キャデラック・レコード』8月に公開
2009年6月9日 音楽 コメント (1)△チェス・レコードを描いた映画『キャデラック・レコード』8月に公開
ファミリー。
1950年代から60年代にかけて、シカゴを本拠に多くのブルーズ、ソウル、ゴスペル、ジャズなどのレコードを多数リリースしたチェス・レコードをモデルにし、そこに集まるアーティストや人々を描いた映画が『キャデラック・レコード』だ。ストーリーは、チェスを始めたレナード・チェスを軸に、彼がスカウトする多くのアーティストたちとの様々な物語が語られる。
1940年代、舞台はシカゴ。その地にナイト・クラブをオープンさせたポーランド移民の音楽好きの男レナード・チェス(1917年3月12日生まれ~1969年10月16日死去)。そのクラブに登場する才能あふれるアーティストたちに、レナードはすっかりほれ込み、彼らをレコーディングするためにレコード会社を始める。(正確にはすでに録音は始めていたが、既存レーベルを買い取り、チェスとして再出発させた)映画でのレコード会社の名前は、「キャデラック・レコード」。
まだ音楽も黎明期、シカゴでもっともホットだった音楽は都会的なブルーズだった。南部出身の泥臭いブルーズを都会的に聴かせていたマディー・ウォーターズからレコーディングをスタート。徐々にヒットが出るようになり、レナードはヒットしたアーティストたちに気前良く新車のキャデラックをプレゼント、そうして、ファミリーとしての絆を強くしていった。
誰もが成功の階段を上り、「酒、ドラッグ、女、ギャンブル」などにうつつを抜かしエゴをあからさまに出すアーティストも出てくる。レナードはそんな中、悲しみに暮れる女性ブルーズ・シンガー、エタ・ジェイムズと知り合い、その才能を認め、チェスで売り出す。だが、彼女も成功と裏腹に自分の出生に悩みながらドラッグに溺れていく。人種差別や成功者のエゴが爆発する様々なトラブルの中、それぞれが人生を歩み始める。そして、彼らブルーズ・アーティストたちが作り上げた誇り高き黒人音楽(ブラック・ミュージック)がいつのまにか白人にコピーされ、世間を騒がせるようになり、黒人アーティストや、レナードらを傷つけ苦しませるようになっていた…。
+++++
ビヨンセ。
この映画は、2008年12月、全米で公開され大いに話題になった作品だ。音楽映画としては、『ドリームガールズ』がデトロイトのモータウンを描いた作品とすれば、これはそれと対比するかのようにシカゴのチェス・レコードを描いた作品。悲しみのブルーズ・シンガー、エタ・ジェイムズを今大人気のビヨンセが演じていることでも大いに話題になった。
僕はこの映画で描かれたリトル・ウォルターの強烈なキャラや、ハウリン・ウルフ、マディー・ウォーターズ、そして、レナード、エタらのそれぞれの個性が興味深かった。そうしたエピソードを見ていると、本当にひとつのレコード会社の成功というのは、人間と人間の縁の積み重ねだなあ、と思う。出会いも、ちょっとしたことからの喧嘩別れも、縁、運命。音楽好き、しかも、こうしたブルーズやソウルなどのブラック・ミュージック好きは見ておきたい1本だ。
本作ではレナード・チェス役をエイドリアン・ブロディーが演じているが、当初はマット・ディロンが演じる予定だったらしい。ただ、マットのスケジュールがどうしても合わず、エイドリアンになった。エタ役のビヨンセは企画当初から、監督でもあり脚本を書いたダーネル・マーティンがビヨンセを想定してストーリーを書いた。
映画では、エタ役のビヨンセが実際に歌う「アット・ラスト」(エタのヒット)と「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」(エタ・ジェームスのほか、クラレンス・カーター、ココ・テイラー、ロッド・スチュワートなどの歌で有名)が圧巻。特にビヨンセの「アット・ラスト」はその後、オバマ大統領就任式のパーティーのひとつで歌われ、ビヨンセの歌でオバマ夫妻が踊るというシーンがテレビ中継され話題になった。
本作は、総予算1200万ドル(約12億円)で制作され、2008年12月からの全米公開で約800万ドルの興行収入を得て、2009年3月にDVDなどが発売され8週間で約700万ドルを売り上げている。『ドリームガールズ』の予算7500万ドル、『レイ』の予算4000万ドル、『ブルース・ブラザース2000』の予算2800万ドルなどと比べると小規模だが、ローリング・ストーンズのドキュメンタリー映画『シャイン・ア・ライト』の予算100万ドルなどよりははるかに大きく、また、十分ブレイクイーヴンしているようだ。
今度は誰か、スタックス・レコードを舞台にした映画でも作ってくれないだろうか。『オーティス・レディング・ストーリー』とか。
■日本での公式サイト
http://www.sonypictures.jp/movies/cadillacrecords/
日本では、2009年8月15日から新宿ピカデリー、恵比寿ガーデン・シネマなどで公開される。
■ サントラ=2枚組
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001HBVECO/soulsearchiho-22/ref=nosim/
サントラ=1枚もの
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001F6QISG/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>MOVIE>Cadillac Records
ファミリー。
1950年代から60年代にかけて、シカゴを本拠に多くのブルーズ、ソウル、ゴスペル、ジャズなどのレコードを多数リリースしたチェス・レコードをモデルにし、そこに集まるアーティストや人々を描いた映画が『キャデラック・レコード』だ。ストーリーは、チェスを始めたレナード・チェスを軸に、彼がスカウトする多くのアーティストたちとの様々な物語が語られる。
1940年代、舞台はシカゴ。その地にナイト・クラブをオープンさせたポーランド移民の音楽好きの男レナード・チェス(1917年3月12日生まれ~1969年10月16日死去)。そのクラブに登場する才能あふれるアーティストたちに、レナードはすっかりほれ込み、彼らをレコーディングするためにレコード会社を始める。(正確にはすでに録音は始めていたが、既存レーベルを買い取り、チェスとして再出発させた)映画でのレコード会社の名前は、「キャデラック・レコード」。
まだ音楽も黎明期、シカゴでもっともホットだった音楽は都会的なブルーズだった。南部出身の泥臭いブルーズを都会的に聴かせていたマディー・ウォーターズからレコーディングをスタート。徐々にヒットが出るようになり、レナードはヒットしたアーティストたちに気前良く新車のキャデラックをプレゼント、そうして、ファミリーとしての絆を強くしていった。
誰もが成功の階段を上り、「酒、ドラッグ、女、ギャンブル」などにうつつを抜かしエゴをあからさまに出すアーティストも出てくる。レナードはそんな中、悲しみに暮れる女性ブルーズ・シンガー、エタ・ジェイムズと知り合い、その才能を認め、チェスで売り出す。だが、彼女も成功と裏腹に自分の出生に悩みながらドラッグに溺れていく。人種差別や成功者のエゴが爆発する様々なトラブルの中、それぞれが人生を歩み始める。そして、彼らブルーズ・アーティストたちが作り上げた誇り高き黒人音楽(ブラック・ミュージック)がいつのまにか白人にコピーされ、世間を騒がせるようになり、黒人アーティストや、レナードらを傷つけ苦しませるようになっていた…。
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ビヨンセ。
この映画は、2008年12月、全米で公開され大いに話題になった作品だ。音楽映画としては、『ドリームガールズ』がデトロイトのモータウンを描いた作品とすれば、これはそれと対比するかのようにシカゴのチェス・レコードを描いた作品。悲しみのブルーズ・シンガー、エタ・ジェイムズを今大人気のビヨンセが演じていることでも大いに話題になった。
僕はこの映画で描かれたリトル・ウォルターの強烈なキャラや、ハウリン・ウルフ、マディー・ウォーターズ、そして、レナード、エタらのそれぞれの個性が興味深かった。そうしたエピソードを見ていると、本当にひとつのレコード会社の成功というのは、人間と人間の縁の積み重ねだなあ、と思う。出会いも、ちょっとしたことからの喧嘩別れも、縁、運命。音楽好き、しかも、こうしたブルーズやソウルなどのブラック・ミュージック好きは見ておきたい1本だ。
本作ではレナード・チェス役をエイドリアン・ブロディーが演じているが、当初はマット・ディロンが演じる予定だったらしい。ただ、マットのスケジュールがどうしても合わず、エイドリアンになった。エタ役のビヨンセは企画当初から、監督でもあり脚本を書いたダーネル・マーティンがビヨンセを想定してストーリーを書いた。
映画では、エタ役のビヨンセが実際に歌う「アット・ラスト」(エタのヒット)と「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」(エタ・ジェームスのほか、クラレンス・カーター、ココ・テイラー、ロッド・スチュワートなどの歌で有名)が圧巻。特にビヨンセの「アット・ラスト」はその後、オバマ大統領就任式のパーティーのひとつで歌われ、ビヨンセの歌でオバマ夫妻が踊るというシーンがテレビ中継され話題になった。
本作は、総予算1200万ドル(約12億円)で制作され、2008年12月からの全米公開で約800万ドルの興行収入を得て、2009年3月にDVDなどが発売され8週間で約700万ドルを売り上げている。『ドリームガールズ』の予算7500万ドル、『レイ』の予算4000万ドル、『ブルース・ブラザース2000』の予算2800万ドルなどと比べると小規模だが、ローリング・ストーンズのドキュメンタリー映画『シャイン・ア・ライト』の予算100万ドルなどよりははるかに大きく、また、十分ブレイクイーヴンしているようだ。
今度は誰か、スタックス・レコードを舞台にした映画でも作ってくれないだろうか。『オーティス・レディング・ストーリー』とか。
■日本での公式サイト
http://www.sonypictures.jp/movies/cadillacrecords/
日本では、2009年8月15日から新宿ピカデリー、恵比寿ガーデン・シネマなどで公開される。
■ サントラ=2枚組
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001HBVECO/soulsearchiho-22/ref=nosim/
サントラ=1枚もの
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001F6QISG/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>MOVIE>Cadillac Records
●三浦半島で『マーヴィン・ゲイ』特集をするの巻
2009年6月10日 音楽●三浦半島で『マーヴィン・ゲイ』特集をするの巻
【マーヴィン・ゲイとともに三浦半島小旅行】
ソウルタウン。
昨日(6月9日)は、三浦半島小旅行。まずFMブルー湘南(横須賀=78.5mhz)に行くために、横須賀へ向かう。車で横須賀まで行く道すがら、ずっと『アイ・ウォント・ユー』を聴いていたが、ちょうど横浜のベイブリッジのあたりで、同アルバムの中でも特に卑猥な「スーン・アイル・ビー・ラヴィング・ユー・アゲイン」が流れる。この歯切れのいいギターの音が、右手遠くに小さく見えるランドマークから左手の広大な海のシーンに妙にあう。このギターは誰なんだろう。クレジットでは、デニス・コフィー、レイ・パーカー、ジェイ・グレイドン、メルヴィン・ワウワウ・レジン、そして、デイヴィッドTと出ているが、これはアルバム全部での参加者で、この曲を誰がプレイしているか個々のクレジットがない。しかし、ドラムスはジェームス・ギャドソンだ。
横須賀市内に入ると、ちょうど横断歩道のところにランドセルを背負った小学生(おそらく1年生か2年生)が4人ほど、小走りに家路を急いでいるのだろう。そのうちのひとりは、アフリカン・アメリカンの子だ。日本人の子とアメリカ人の子が何の偏見もなく仲良く戯れている。かと思えば、僕が右折するために渋滞の道に割って入らなければならないとき、その途中の車の運転手が右手を前に動かし、「先に行け」と愛想良く合図してくれたのも、Yナンバーに乗るブラザーだった。横須賀ソウルタウンの一こまだった。
人見欣幸(ひとみ・よしゆき)さんの土曜日の番組『人見欣幸の音楽三昧』(土曜午後2時~3時)収録。この番組では、このところ毎週マーヴィンのアルバムを1枚全部かけているが、『ホワッツ・ゴーイング・オン』、『レッツ・ゲット・イット・オン』、『ライヴ』と来ているので、今回は『アイ・ウォント・ユー』のアルバムを1曲目から最後までかけて、おしゃべりしましょう、ということになった。この模様は6月20日にオンエアされます。横須賀地区にお住まいの方はぜひ。
きっかり1時間で1時間番組を終え、いざ、葉山の湘南ビーチFMへ。葉山への道中は、ラファエル・サディーク最新作『ザ・ウェイ・アイ・シー・イット』。完璧にソウルのコピーで、「ネヴァー・ギヴ・ユー・アップ」は、完璧マーヴィン・ゲイ・サウンド。この日の気分には最高だった。
到着すると、たまたまいらしたDJ竹下由起さんとしばし雑談。数日前にシャンティ・ライヴ@カモメであったばかりだ。この湘南ビーチFMに来るのは、拙著『ソウル・サーチン』を出した2000年夏以来。じゃあ、9年ぶりということでしょうか。あんまりそんな久しぶりという感じはしなかった。
A4の紙4枚に軽く話すネタと候補曲を箇条書きしたものを用意したが、案の定、話は止まらず、結局、しっかりかける予定の曲もBGMにしてしまったりして、かかったのは4曲か…。(苦笑) 今気づいたが、かけた曲4曲、いずれもスローだ。もちろん他の曲はアップテンポだったりするが、たまたまBGMになってしまった。自分でも不思議なのだが、これまで出た中で、基本的な情報以外、ほとんど話がかぶってないこと。そのときの相手の方とのやりとりで、聞かれるがままに話すと、比較的毎回違った話が飛び出てくる。
今回ユニークだったのが、人見さんの90分の番組中、毎週ジェームス・ブラウンとシックの曲をかけるところがあり、そこでマーヴィン・ゲイ関連の曲をかけたこと。シック関連は、パワー・ステーションが「レッツ・ゲット・イット・オン」をカヴァーしていたので、すぐに決まったが、ミスター・ブラウンがなかなか難航した。ミスター・ブラウンが「ホワッツ・ゴーイング・オン」でもカヴァーしてくれてれば、一番簡単なのだが、そうは問屋が卸さない。で、マーヴィンが歌っている曲で、ブラウンも歌っている曲を探し出した。それが、ナット・キング・コールの「モナ・リサ」だった。マーヴィンはこれを1965年に録音、ブラウンは1967年に録音していた。生放送なので、こちらもきっちり90分で終了。しかし、何時間でも出来そうだなあ…。(苦笑)
横浜横須賀道路では、デラックス・エディションの『アイ・ウォント・ユー』のディスク2をかけて帰ってきた。
■ 「マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル」ブログ始めました
http://ameblo.jp/divided-soul/
■ セットリスト
Setlist : Starlight Crusing @ Shonan Beach FM, June 9, 2009
(人見さんブログから拝借)
BGM:
19:40 STUBBORN KIND OF FELLOW, ’62.
19:51 MOST OF ALL /The Moonglows, ’55.
19:53 HITCH HIKE, ’63.
19:55 PRIDE AND JOY, ’63.
M1
19:56 THE SHADOW OF YOUR SMILE, released in ’97.
dedicated to J.B. -J.B.とマーヴィンが共にカヴァーした曲-
BGM:
20:05 MONA LISA /Marvin Gaye, ’65.
M2
20:08 MONA LISA /James Brown, ’67.
CHIC history -マーヴィン・ゲイのカヴァー-
BGM:
20:16 LET’S GET IT ON /The Power Station, ’96.
produced by Bernard Edwards
bass: Bernard Edwards, drums: Tony Thompson
BGM:
20:25 WHAT’S GOING ON, ’71.
20:29 INNER CITY BLUES (MAKE ME WANNA HOLLAR), ’71.
M3
20:33 PIECE OF CLAY, released in ’94.
BGM:
20:38 DISTANT LOVER〜CLOSING THEME (I WANT YOU), live ’76.
M4
20:47 JAN, live ’74.
BGM:
20:50 I WANT YOU, ’76.
20:56 SEXUAL HEALING, ’82.
ending BGM:
20:58 AFTER THE DANCE, ’76.
ENT>MUSIC>ARTIST>Gaye, Marvin
ENT>BOOK>Gaye, Marvin
ENT>RADIO>Starlight Crusin
【マーヴィン・ゲイとともに三浦半島小旅行】
ソウルタウン。
昨日(6月9日)は、三浦半島小旅行。まずFMブルー湘南(横須賀=78.5mhz)に行くために、横須賀へ向かう。車で横須賀まで行く道すがら、ずっと『アイ・ウォント・ユー』を聴いていたが、ちょうど横浜のベイブリッジのあたりで、同アルバムの中でも特に卑猥な「スーン・アイル・ビー・ラヴィング・ユー・アゲイン」が流れる。この歯切れのいいギターの音が、右手遠くに小さく見えるランドマークから左手の広大な海のシーンに妙にあう。このギターは誰なんだろう。クレジットでは、デニス・コフィー、レイ・パーカー、ジェイ・グレイドン、メルヴィン・ワウワウ・レジン、そして、デイヴィッドTと出ているが、これはアルバム全部での参加者で、この曲を誰がプレイしているか個々のクレジットがない。しかし、ドラムスはジェームス・ギャドソンだ。
横須賀市内に入ると、ちょうど横断歩道のところにランドセルを背負った小学生(おそらく1年生か2年生)が4人ほど、小走りに家路を急いでいるのだろう。そのうちのひとりは、アフリカン・アメリカンの子だ。日本人の子とアメリカ人の子が何の偏見もなく仲良く戯れている。かと思えば、僕が右折するために渋滞の道に割って入らなければならないとき、その途中の車の運転手が右手を前に動かし、「先に行け」と愛想良く合図してくれたのも、Yナンバーに乗るブラザーだった。横須賀ソウルタウンの一こまだった。
人見欣幸(ひとみ・よしゆき)さんの土曜日の番組『人見欣幸の音楽三昧』(土曜午後2時~3時)収録。この番組では、このところ毎週マーヴィンのアルバムを1枚全部かけているが、『ホワッツ・ゴーイング・オン』、『レッツ・ゲット・イット・オン』、『ライヴ』と来ているので、今回は『アイ・ウォント・ユー』のアルバムを1曲目から最後までかけて、おしゃべりしましょう、ということになった。この模様は6月20日にオンエアされます。横須賀地区にお住まいの方はぜひ。
きっかり1時間で1時間番組を終え、いざ、葉山の湘南ビーチFMへ。葉山への道中は、ラファエル・サディーク最新作『ザ・ウェイ・アイ・シー・イット』。完璧にソウルのコピーで、「ネヴァー・ギヴ・ユー・アップ」は、完璧マーヴィン・ゲイ・サウンド。この日の気分には最高だった。
到着すると、たまたまいらしたDJ竹下由起さんとしばし雑談。数日前にシャンティ・ライヴ@カモメであったばかりだ。この湘南ビーチFMに来るのは、拙著『ソウル・サーチン』を出した2000年夏以来。じゃあ、9年ぶりということでしょうか。あんまりそんな久しぶりという感じはしなかった。
A4の紙4枚に軽く話すネタと候補曲を箇条書きしたものを用意したが、案の定、話は止まらず、結局、しっかりかける予定の曲もBGMにしてしまったりして、かかったのは4曲か…。(苦笑) 今気づいたが、かけた曲4曲、いずれもスローだ。もちろん他の曲はアップテンポだったりするが、たまたまBGMになってしまった。自分でも不思議なのだが、これまで出た中で、基本的な情報以外、ほとんど話がかぶってないこと。そのときの相手の方とのやりとりで、聞かれるがままに話すと、比較的毎回違った話が飛び出てくる。
今回ユニークだったのが、人見さんの90分の番組中、毎週ジェームス・ブラウンとシックの曲をかけるところがあり、そこでマーヴィン・ゲイ関連の曲をかけたこと。シック関連は、パワー・ステーションが「レッツ・ゲット・イット・オン」をカヴァーしていたので、すぐに決まったが、ミスター・ブラウンがなかなか難航した。ミスター・ブラウンが「ホワッツ・ゴーイング・オン」でもカヴァーしてくれてれば、一番簡単なのだが、そうは問屋が卸さない。で、マーヴィンが歌っている曲で、ブラウンも歌っている曲を探し出した。それが、ナット・キング・コールの「モナ・リサ」だった。マーヴィンはこれを1965年に録音、ブラウンは1967年に録音していた。生放送なので、こちらもきっちり90分で終了。しかし、何時間でも出来そうだなあ…。(苦笑)
横浜横須賀道路では、デラックス・エディションの『アイ・ウォント・ユー』のディスク2をかけて帰ってきた。
■ 「マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル」ブログ始めました
http://ameblo.jp/divided-soul/
■ セットリスト
Setlist : Starlight Crusing @ Shonan Beach FM, June 9, 2009
(人見さんブログから拝借)
BGM:
19:40 STUBBORN KIND OF FELLOW, ’62.
19:51 MOST OF ALL /The Moonglows, ’55.
19:53 HITCH HIKE, ’63.
19:55 PRIDE AND JOY, ’63.
M1
19:56 THE SHADOW OF YOUR SMILE, released in ’97.
dedicated to J.B. -J.B.とマーヴィンが共にカヴァーした曲-
BGM:
20:05 MONA LISA /Marvin Gaye, ’65.
M2
20:08 MONA LISA /James Brown, ’67.
CHIC history -マーヴィン・ゲイのカヴァー-
BGM:
20:16 LET’S GET IT ON /The Power Station, ’96.
produced by Bernard Edwards
bass: Bernard Edwards, drums: Tony Thompson
BGM:
20:25 WHAT’S GOING ON, ’71.
20:29 INNER CITY BLUES (MAKE ME WANNA HOLLAR), ’71.
M3
20:33 PIECE OF CLAY, released in ’94.
BGM:
20:38 DISTANT LOVER〜CLOSING THEME (I WANT YOU), live ’76.
M4
20:47 JAN, live ’74.
BGM:
20:50 I WANT YOU, ’76.
20:56 SEXUAL HEALING, ’82.
ending BGM:
20:58 AFTER THE DANCE, ’76.
ENT>MUSIC>ARTIST>Gaye, Marvin
ENT>BOOK>Gaye, Marvin
ENT>RADIO>Starlight Crusin
■マーヴィン・ゲイ特集でかけた曲
2009年6月11日 音楽■【マーヴィン・ゲイ特集でかけた曲】
選曲。
『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』を宣伝するために、これまでに「松任谷由実のスイート・ディスカヴァリー」を皮切りに、4本の番組にゲスト出演させていただいた。そこでかかった曲のリストをご紹介しよう。
こうして並べてみると、驚いたのが、ユーミンの「スイート・ディスカヴァリー」。ほぼワンコーラス程度ではあるが、実に10曲もかかっていた。僕の話も、ユーミンの話もコンパクトにエッセンスがまとめられ、編集されている。オンエアでは流れなかったが、ユーミンが会って軽く打ち合わせっぽく話しているときに、いきなり「これは、ソウル界の源氏物語ですよねえ…」とおっしゃって、どきっとした。さらに、3分の1くらいしか読んでいないと言うユーミンがマーヴィンをして、「被害者として支配する図式」、さらには「性的不能がひとつ、原因にあったのではないか」という指摘には、心底驚いた。アーティストとしてマーヴィンの気持ちがわかるのだろう。このユーミンさんとのマーヴィン・ゲイ談義は、オンエアされなかった部分も含めて、改めてゆっくりまとめてみたいと思う。
「ベイライン・ゴー・ゴー」では、時間が短かったので本当に一般的な話しに的を絞ったが、DJの伊津野さんとは30年来の知己があり、放送後の雑談も楽しかった。僕は彼とは、勝本氏を通じて1976年か77年くらいには知っていたような気がするが、彼は1979年に僕を西麻布の「トミーズ・ハウス」で見たのが最初だと言う。
大西さんの「ナイト」は、いつもあのDJオッシーが、DJアキラさんらと乱入しているという無法地帯番組らしく、50分でかかった曲わずか3曲というほど、自由にしゃべらせてもらった。(笑) かける予定の曲は、軒並みBGM扱いだ。(笑)
人見さんの「スターライト・クルージング」も当初10曲以上選曲予定をいれていたが、結局かけたのは4曲。かけ曲は、ことごとくBGMへ。(笑) 「ピース・オブ・クレイ」と「ジャン」は、なかなかかかりにくい曲なので、かけられてよかった。「ジャン」は、スタジオ録音盤がなく、このライヴ・ヴァージョンのみ。ただし、フィラデルフィアのイントゥルーダーズが1975年にカヴァーしていて、それもいい感じだ。
選曲リスト (放送日)
Yuming’s Sweet Discovery @ Tokyo Fm, May 31st, 2009 (50minutes)
M1 I Heard It Through The Grapevine
M2 Too Busy Thinking About My Baby
M3 Stubborn Kind Of Fellow
M4 Ain’t No Mountain High Enough (With Tammi Terrell)
M5 You’re A Special Part Of Me (With Diana Ross)
BGM Ain’t Nothing A Real Thing
M6 Mercy Mercy Me
M7 All The Way Around
M8 I Met A Little Girl
M9 Sexual Healing
M10 God Is Love (Original singles version, not the album version)
Bay Line Go Go @ Bay FM, June 4th, 2009 (20minutes)
M1 What’s Going On
M2 Sexual Healing
大西貴文のThe Night @ FM Music Bird, June 5th, 2009(50minutes)
M1 Stubborn Kind Of Fellow
M2 What’s Going On
M3 After The Dance
Starlight Crusin @ Shonan Beach FM, June 9, 2009 (90minutes)
M1 The Shadow Of Your Smile
M2 Mona Lisa / James Brown
M3 Piece Of Clay
M4 Jan
Ending After The Dance
■ 「マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル」ブログ
http://ameblo.jp/divided-soul/
フライヤーを置かせていただいたショップなどのご紹介も。
ENT>MUSIC>ARTIST>Gaye, Marvin
ENT>BOOK>Gaye, Marvin
選曲。
『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』を宣伝するために、これまでに「松任谷由実のスイート・ディスカヴァリー」を皮切りに、4本の番組にゲスト出演させていただいた。そこでかかった曲のリストをご紹介しよう。
こうして並べてみると、驚いたのが、ユーミンの「スイート・ディスカヴァリー」。ほぼワンコーラス程度ではあるが、実に10曲もかかっていた。僕の話も、ユーミンの話もコンパクトにエッセンスがまとめられ、編集されている。オンエアでは流れなかったが、ユーミンが会って軽く打ち合わせっぽく話しているときに、いきなり「これは、ソウル界の源氏物語ですよねえ…」とおっしゃって、どきっとした。さらに、3分の1くらいしか読んでいないと言うユーミンがマーヴィンをして、「被害者として支配する図式」、さらには「性的不能がひとつ、原因にあったのではないか」という指摘には、心底驚いた。アーティストとしてマーヴィンの気持ちがわかるのだろう。このユーミンさんとのマーヴィン・ゲイ談義は、オンエアされなかった部分も含めて、改めてゆっくりまとめてみたいと思う。
「ベイライン・ゴー・ゴー」では、時間が短かったので本当に一般的な話しに的を絞ったが、DJの伊津野さんとは30年来の知己があり、放送後の雑談も楽しかった。僕は彼とは、勝本氏を通じて1976年か77年くらいには知っていたような気がするが、彼は1979年に僕を西麻布の「トミーズ・ハウス」で見たのが最初だと言う。
大西さんの「ナイト」は、いつもあのDJオッシーが、DJアキラさんらと乱入しているという無法地帯番組らしく、50分でかかった曲わずか3曲というほど、自由にしゃべらせてもらった。(笑) かける予定の曲は、軒並みBGM扱いだ。(笑)
人見さんの「スターライト・クルージング」も当初10曲以上選曲予定をいれていたが、結局かけたのは4曲。かけ曲は、ことごとくBGMへ。(笑) 「ピース・オブ・クレイ」と「ジャン」は、なかなかかかりにくい曲なので、かけられてよかった。「ジャン」は、スタジオ録音盤がなく、このライヴ・ヴァージョンのみ。ただし、フィラデルフィアのイントゥルーダーズが1975年にカヴァーしていて、それもいい感じだ。
選曲リスト (放送日)
Yuming’s Sweet Discovery @ Tokyo Fm, May 31st, 2009 (50minutes)
M1 I Heard It Through The Grapevine
M2 Too Busy Thinking About My Baby
M3 Stubborn Kind Of Fellow
M4 Ain’t No Mountain High Enough (With Tammi Terrell)
M5 You’re A Special Part Of Me (With Diana Ross)
BGM Ain’t Nothing A Real Thing
M6 Mercy Mercy Me
M7 All The Way Around
M8 I Met A Little Girl
M9 Sexual Healing
M10 God Is Love (Original singles version, not the album version)
Bay Line Go Go @ Bay FM, June 4th, 2009 (20minutes)
M1 What’s Going On
M2 Sexual Healing
大西貴文のThe Night @ FM Music Bird, June 5th, 2009(50minutes)
M1 Stubborn Kind Of Fellow
M2 What’s Going On
M3 After The Dance
Starlight Crusin @ Shonan Beach FM, June 9, 2009 (90minutes)
M1 The Shadow Of Your Smile
M2 Mona Lisa / James Brown
M3 Piece Of Clay
M4 Jan
Ending After The Dance
■ 「マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル」ブログ
http://ameblo.jp/divided-soul/
フライヤーを置かせていただいたショップなどのご紹介も。
ENT>MUSIC>ARTIST>Gaye, Marvin
ENT>BOOK>Gaye, Marvin
▲ボブ・ディラン最新作の中川五郎さんの訳詞
2009年6月12日 音楽▲ボブ・ディラン最新作の中川五郎さんの訳詞
【「ライフ・イズ・ハード」の訳詞】
感銘。
先日、「山野ミュージック・ジャム」で、ボブ・ディランの最新作『トゥゲザー・スルー・ライフ』を紹介した。僕にとっては、かなり「アウェイ」なアーティスト(笑)なので、いろいろライナーを読んだり、歌詞を読んだりして勉強したのだが、その中で、2曲目の「ライフ・イズ・ハード」の訳詞に衝撃を受けた。
日本語はこうだ。
~そよともしない黄昏の風
わたしは手だても望みもなくしてしまった…~
「そよともしない黄昏の風」って英語で何なんだ? 左側の英語を見る。すると~
The evening winds are still. I’ve lost the way and will.
となっている。う~~む。
この英語からせいぜい思いつくのは、「黄昏の風が止まっている…」(直訳調)あたりか。でも、止まっていたら、風ではなくなる…。つまり、ほとんど吹いていない風だ。そこで、「そよともしない…」がでてくる。
いやあ、感激しましたね。これを訳したのは、中川五郎さん。彼自身がシンガー・ソングライターでもあるから、元々詩心がある。hats off to Goro-san.って感じだ。
今回のボブ・ディランの音を聴いたら、ずいぶんとブルーズっぽいなあ、と思った。そうしたら、ディラン本人はライナーノーツの中で紹介されているインタヴューで、「チェス・レコードとか、サン・レコードのサウンドが好きだ」と言っている。そうしたものに影響を受けたようだ。
ボブ・ディランの曲だと、僕はオージェイズがカヴァーした「エモーショナリー・ユアーズ」のゴスペル・ヴァージョンがなんといっても一番好きだ。ボブ・ディランの曲もいいが、これを黒くゴスペルにしたオージェイズの解釈力は筆舌に尽くしがたい。
■ ボブ・ディラン 『トゥゲザー・スルー・ライフ』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0021MFAUU/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ オージェイズ 『エッセンシャル』 ゴスペル・ヴァージョンはいってます
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001C18K4E/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Dylan, Bob
ENT>ARTIST>O’Jays
【「ライフ・イズ・ハード」の訳詞】
感銘。
先日、「山野ミュージック・ジャム」で、ボブ・ディランの最新作『トゥゲザー・スルー・ライフ』を紹介した。僕にとっては、かなり「アウェイ」なアーティスト(笑)なので、いろいろライナーを読んだり、歌詞を読んだりして勉強したのだが、その中で、2曲目の「ライフ・イズ・ハード」の訳詞に衝撃を受けた。
日本語はこうだ。
~そよともしない黄昏の風
わたしは手だても望みもなくしてしまった…~
「そよともしない黄昏の風」って英語で何なんだ? 左側の英語を見る。すると~
The evening winds are still. I’ve lost the way and will.
となっている。う~~む。
この英語からせいぜい思いつくのは、「黄昏の風が止まっている…」(直訳調)あたりか。でも、止まっていたら、風ではなくなる…。つまり、ほとんど吹いていない風だ。そこで、「そよともしない…」がでてくる。
いやあ、感激しましたね。これを訳したのは、中川五郎さん。彼自身がシンガー・ソングライターでもあるから、元々詩心がある。hats off to Goro-san.って感じだ。
今回のボブ・ディランの音を聴いたら、ずいぶんとブルーズっぽいなあ、と思った。そうしたら、ディラン本人はライナーノーツの中で紹介されているインタヴューで、「チェス・レコードとか、サン・レコードのサウンドが好きだ」と言っている。そうしたものに影響を受けたようだ。
ボブ・ディランの曲だと、僕はオージェイズがカヴァーした「エモーショナリー・ユアーズ」のゴスペル・ヴァージョンがなんといっても一番好きだ。ボブ・ディランの曲もいいが、これを黒くゴスペルにしたオージェイズの解釈力は筆舌に尽くしがたい。
■ ボブ・ディラン 『トゥゲザー・スルー・ライフ』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0021MFAUU/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ オージェイズ 『エッセンシャル』 ゴスペル・ヴァージョンはいってます
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001C18K4E/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Dylan, Bob
ENT>ARTIST>O’Jays
★マスル・ショールズ・リズム・セクションのバリー・ベケット死去
2009年6月13日 音楽★【マスル・ショールズ・リズム・セクションのバリー・ベケット死去】
訃報。
アメリカ南部マスル・ショールズ・スタジオを本拠に活躍したキーボード奏者、バリー・ベケットが、2009年6月10日(水曜)、テネシー州ヘンダーソンヴィルの自宅で死去した。66歳だった。前立腺がん、甲状腺がんなどを患っていた。
バリー・ベケットは、1943年2月4日、アラバマ州バーミングハム生まれ。アラバマ大学に通いながら、デル・レイズというグループのバック・バンドとなった。そのバンドに、ジミー・ジョンソン(ギター)とロジャー・ホーキンス(ドラムス)がいた。バリー・ベケットはその頃、フロリダ州ペンサコーラでブルーズのプロデューサー、パパ・ドン・シュローダーのもとで仕事をしたこともあり、パパ・ドンがマスル・ショールズを紹介してくれた、という。
1967年頃、マスル・ショールズのリズム・セクションは、キーボードはスプーナー・オールダムだったが、ちょうど、彼がそこを去ることになり、その後釜として彼が入ることになった。こうして、ベケットは、ジミー・ジョンソン、ロジャー・ホーキンスに加えベース奏者デイヴィッド・フードとともに、当初は同地のリック・ホールが持っていたフェーム・スタジオで活躍するようになる。1969年、バリーは、マスル・ショールズ・リズム・セクションのメンバーとして、また、マスル・ショールズ・サウンド・スタジオの設立メンバーともなった。彼らはこのマスル・ショールズ・サウンド・スタジオを本拠に鉄壁のリズム隊として、この地にレコーディングに訪れる多くのシンガーたちのバックをつけることになった。
この時期に彼らがバックをつけたアーティストは、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、ジョー・コッカー、ポール・サイモン、メアリー・マクレガーなどのポップ・ロック系アーティストのほか、ステイプル・シンガーズ、エタ・ジェームズ、アレサ・フランクリン、ウィルソン・ピケット、パーシー・スレッジなどのソウル・シンガー、さらにカントリー系シンガーまで多数いる。ボブ・ディランのプラチナム・アルバム『スロー・トレイン・カミング』(=1979年作品。故ジェリー・ウェクスラーと共同プロデュース)は、彼のプロデューサー活動の中でもハイライトだという。
アレサの「アイ・ネヴァー・ラヴド・ア・マン」、ピケットの「ダンス天国」、パーシー・スレッジの「男が女を愛する時」などはいずれも、マスル・ショールズのフェーム・スタジオで録音された傑作群の一部だ。
ベケットは、1985年頃、ナッシュヴィルに移り、ワーナー・ブラザース・レコードのカントリー部門のA&Rマンに就任、カントリー系の作品を中心にプロデュースしていた。ワーナーを辞めた後はインディで活躍していた。
バリー・ベケットがプレイしている作品、アットランダムに。
Starting All Over Again / Mel & Tim
Born To Get Down / Muscle Shoals Horns
Oh What A Feeling / Mavis Staple
I’ll Take You There / Staple Singers
Kodachrome / Paul Simon
Seven Year Itch / Etta James
Spirit In The Dark / Aretha Franklin
This Girl’s In Love With You / Aretha Franklin
Candi / Candi Staton
Caught Up / Millie Jackson
Dramatic Jackpot / Dramatics
Land Of 10,000 Dances / Wilson Pickett
その他多数。
ご冥福をお祈りする。
ENT>MUSIC>OBITUARY> Beckett, Barry (Feb 4, 1943 - June 10, 2009, 66 year old)
訃報。
アメリカ南部マスル・ショールズ・スタジオを本拠に活躍したキーボード奏者、バリー・ベケットが、2009年6月10日(水曜)、テネシー州ヘンダーソンヴィルの自宅で死去した。66歳だった。前立腺がん、甲状腺がんなどを患っていた。
バリー・ベケットは、1943年2月4日、アラバマ州バーミングハム生まれ。アラバマ大学に通いながら、デル・レイズというグループのバック・バンドとなった。そのバンドに、ジミー・ジョンソン(ギター)とロジャー・ホーキンス(ドラムス)がいた。バリー・ベケットはその頃、フロリダ州ペンサコーラでブルーズのプロデューサー、パパ・ドン・シュローダーのもとで仕事をしたこともあり、パパ・ドンがマスル・ショールズを紹介してくれた、という。
1967年頃、マスル・ショールズのリズム・セクションは、キーボードはスプーナー・オールダムだったが、ちょうど、彼がそこを去ることになり、その後釜として彼が入ることになった。こうして、ベケットは、ジミー・ジョンソン、ロジャー・ホーキンスに加えベース奏者デイヴィッド・フードとともに、当初は同地のリック・ホールが持っていたフェーム・スタジオで活躍するようになる。1969年、バリーは、マスル・ショールズ・リズム・セクションのメンバーとして、また、マスル・ショールズ・サウンド・スタジオの設立メンバーともなった。彼らはこのマスル・ショールズ・サウンド・スタジオを本拠に鉄壁のリズム隊として、この地にレコーディングに訪れる多くのシンガーたちのバックをつけることになった。
この時期に彼らがバックをつけたアーティストは、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、ジョー・コッカー、ポール・サイモン、メアリー・マクレガーなどのポップ・ロック系アーティストのほか、ステイプル・シンガーズ、エタ・ジェームズ、アレサ・フランクリン、ウィルソン・ピケット、パーシー・スレッジなどのソウル・シンガー、さらにカントリー系シンガーまで多数いる。ボブ・ディランのプラチナム・アルバム『スロー・トレイン・カミング』(=1979年作品。故ジェリー・ウェクスラーと共同プロデュース)は、彼のプロデューサー活動の中でもハイライトだという。
アレサの「アイ・ネヴァー・ラヴド・ア・マン」、ピケットの「ダンス天国」、パーシー・スレッジの「男が女を愛する時」などはいずれも、マスル・ショールズのフェーム・スタジオで録音された傑作群の一部だ。
ベケットは、1985年頃、ナッシュヴィルに移り、ワーナー・ブラザース・レコードのカントリー部門のA&Rマンに就任、カントリー系の作品を中心にプロデュースしていた。ワーナーを辞めた後はインディで活躍していた。
バリー・ベケットがプレイしている作品、アットランダムに。
Starting All Over Again / Mel & Tim
Born To Get Down / Muscle Shoals Horns
Oh What A Feeling / Mavis Staple
I’ll Take You There / Staple Singers
Kodachrome / Paul Simon
Seven Year Itch / Etta James
Spirit In The Dark / Aretha Franklin
This Girl’s In Love With You / Aretha Franklin
Candi / Candi Staton
Caught Up / Millie Jackson
Dramatic Jackpot / Dramatics
Land Of 10,000 Dances / Wilson Pickett
その他多数。
ご冥福をお祈りする。
ENT>MUSIC>OBITUARY> Beckett, Barry (Feb 4, 1943 - June 10, 2009, 66 year old)
◆トゥオモ~北欧のスティーヴィー・ワンダー~来日
2009年6月14日 音楽◆トゥオモ~北欧のスティーヴィー・ワンダー~来日
フィンランド出身のシンガー、トゥオモ
北欧。
2007年、北欧のフィンランドから登場したシンガーで注目を集めたトゥオモが新作『リーチ・アウト・フォー・ユー』を出し、2度目の来日を果たす。デビュー当初のキャッチは、「北欧のスティーヴィー・ワンダー」。
トゥオモは、本名Tuomo Prättälä,(ちょっと読みがわからないが、トゥオモ・プラッターラか)、1979年生まれ。誕生日が来ていれば30歳。まだなら29歳。彼の作品は、まさに1970年代のソウル・ミュージックを彷彿とさせる21世紀の「ブルー・アイド・ソウル」だ。
全体的にアコースティックな音を多用した「ネオ・ソウル」系で、最近のアーティストで言うと、ジョン・レジェンド、ラファエル・サディーク、ミュージック・ソウルチャイルド的な方向性。新作の1曲目「ファースツ」などは時代がかったハモンド・オルガンから始まり、カーティスかマーヴィンかアル・グリーンというようなヴォーカルが入ってくる。アルバム全体から、70年代ソウルのいいとこ取りという感じがあり、実にうまく音を作っている。一体どんなライヴを見せるのだろうか。生音中心のリアル・ミュージックか。
マイスペースで数曲、聴けます。
http://www.myspace.com/organkane
来日は2007年12月以来。今回のライヴは、2009年6月20日(土)と21日(日)、丸の内コットンクラブ、6月23日(火)横浜モーション・ブルーの計3日、6公演。
■コットンクラブ
http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/schedule/
■モーション・ブルー
http://www.motionblue.co.jp/schedule/
コットンクラブは、土曜が通常の7時と9時半だが、日曜は5時と8時スタート。モーションは6時半と9時半の各2セット、入れ替え。
■ トゥオモ2枚目
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00209WK7U/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ トゥオモ・1枚目(2007年)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000RG1420/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Tuomo
フィンランド出身のシンガー、トゥオモ
北欧。
2007年、北欧のフィンランドから登場したシンガーで注目を集めたトゥオモが新作『リーチ・アウト・フォー・ユー』を出し、2度目の来日を果たす。デビュー当初のキャッチは、「北欧のスティーヴィー・ワンダー」。
トゥオモは、本名Tuomo Prättälä,(ちょっと読みがわからないが、トゥオモ・プラッターラか)、1979年生まれ。誕生日が来ていれば30歳。まだなら29歳。彼の作品は、まさに1970年代のソウル・ミュージックを彷彿とさせる21世紀の「ブルー・アイド・ソウル」だ。
全体的にアコースティックな音を多用した「ネオ・ソウル」系で、最近のアーティストで言うと、ジョン・レジェンド、ラファエル・サディーク、ミュージック・ソウルチャイルド的な方向性。新作の1曲目「ファースツ」などは時代がかったハモンド・オルガンから始まり、カーティスかマーヴィンかアル・グリーンというようなヴォーカルが入ってくる。アルバム全体から、70年代ソウルのいいとこ取りという感じがあり、実にうまく音を作っている。一体どんなライヴを見せるのだろうか。生音中心のリアル・ミュージックか。
マイスペースで数曲、聴けます。
http://www.myspace.com/organkane
来日は2007年12月以来。今回のライヴは、2009年6月20日(土)と21日(日)、丸の内コットンクラブ、6月23日(火)横浜モーション・ブルーの計3日、6公演。
■コットンクラブ
http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/schedule/
■モーション・ブルー
http://www.motionblue.co.jp/schedule/
コットンクラブは、土曜が通常の7時と9時半だが、日曜は5時と8時スタート。モーションは6時半と9時半の各2セット、入れ替え。
■ トゥオモ2枚目
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00209WK7U/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ トゥオモ・1枚目(2007年)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000RG1420/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>ARTIST>Tuomo
○円道一成@恵比寿アートカフェ・フレンズ
2009年6月15日 音楽○円道一成@恵比寿アートカフェ・フレンズ
【元祖ジャパニーズ・ソウル・シンガー、円道一成】
面目躍如。
「待たせたな」で始まる元祖ジャパニーズ・ソウル・シンガーともいえる円道一成さんライヴ。彼は、今でも年に何回か定期的にライヴ・ハウスを中心にライヴ活動を行っている。先日は、ジェームス・ギャドソンらが行った「ジョニー・ギター・ワトソン・トリビュート・ライヴ」でゲスト出演していた。その前には2008年10月2日に中野の弁天での単独ライヴ(バンド編成もの)を鑑賞している。
その円道さんが恵比寿のアートカフェ・フレンズでライヴを行った。ここでは、アコースティック・スタイルというコンセプトだったが、結局ドラムス、ベース、ギターなども入りバンドスタイルへ。
円道さんは1980年にデビューして四半世紀を超えるヴェテラン。この日はデビューした頃に、彼のライヴを追っかけていたというファンの夫婦が、25年ぶり以上にこの日、ステージを見に来た、という。円道さんのMCによると、「25年以上昔、僕のステージをよく見にきてくれていた方がひさしぶりに来てくれました。どれくらい熱心な追っかけだったかというと、彼らのお子さんになんと『一成』という名前をつけたくらいで…」 なんとそのお子さんは、すでに25歳になっているそうだ。これは、歌手冥利に尽きるだろうなあ。
ファーストとセカンドの2部制で、ファーストはいきなり強烈なヴォイス・パーカッションから(すごくよかった!)、そこで煽ってそのままバンド演奏で「ホワッツ・ゴーイング・オン」へ。アコースティック・ギターを弾くハンコ屋さんがファンキーだ。さらに、サム&デイヴ、ジェームス・ブラウンへの流れは、もう完成されている。客あしらいも実にうまく、客を乗せ、コール&レスポンスもしっかりさせる。そしてソウルフルな歌声は元祖ジャパニーズ・ソウル・円タテイナーの面目躍如だ。その熱さはいつもかわらない。まさに現役ばりばりだ。
楽屋で円道さんらに挨拶していたら、ここのオウナー鈴木正勝さんがひょっこり登場。「全然来てくれないじゃない」とクレイムされた。(笑) 「オープニング・パーティーはしっかり来ましたよ」と返答するも「何かアコースティック系のアーティストいたら、紹介してよ」と頼まれた。前の店より随分広くなり、今は「ライヴ・ハウス」として、毎日日本人アーティストのライヴが入っている。
■ 過去記事 円道一成関連
2003/11/30 (Sun)
Album Between Elbert & Errison
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200311/diary20031130.html
February 16, 2006
Endoh Issei Live: He’s Been Singing Soul Music For More Than Quarter Century
【もうひとりの四半世紀ソウルシンガー、円道一成】
http://blog.soulsearchin.com/archives/000837.html
May 02, 2007
Hatakeyama You & Endo Issey: A Tribute To James Brown
http://blog.soulsearchin.com/archives/001750.html
May 20, 2009
ジョニー・ギター・ワトソン・トリビュート・ライヴ~ギャドソンのドラムスを満喫して
http://blog.soulsearchin.com/archives/002925.html
■ 過去関連記事 アートカフェ・オープニング
April 08, 2008
Art Café Friends Open
【アートカフェ・フレンズ・オープン】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002438.html
■ アートカフェのオフィシャル・ページ
http://artcafefriends.com/
■ メンバー
円道シャーク一成プロデュースナイト
Shark Acoustics Tew Vol.3
円道シャーク一成(Vo/Gt)・Shanti(Vo)・HANK西山(Cho,Gt) 五十川博(Bs)・伊勢賢治(Sax,Cho)・今井ヨシノリ(Ds) +新山ユキ(ヴォイス・パーカッション)、川野太郎(歌)
■セットリスト 円道一成@アートカフェ・フレンズ
Setlist : Endo "Shark" Issey @ Ebisu Art Cafe Friends, June 13, 2009
show started 19:35
01. Voice Percussion by Niiyama
02. What’s Going On (Marvin Gaye)
03. When Something’s Wrong With My Baby (Sam & Dave)
04. Papa’s Got A Brand New Bag (James Brown)
05. Rain (original)
06. Rolling Dreamer (original)
07. Stand By Me ~ including a riff of "Every Breath You Take", "Sans Toi Mamie", etc (+Shanti) (Ben E King)
>Shanti (#7-#10)
08. Closing Time ~ including a riff of "Keep That Same Old Feeling"(Crusaders) (Shanti original)
09. Up On The Roof (Drifters)
10. 甘い囁き(Shanti & Endo Issey)(アラン・ドロン&ダリダ、細川俊之&中村晃子)
11. お江戸Fire (+川野太郎)
show ended 20:52
Second setもすべて違う曲でありました
(2009年6月13日土曜、恵比寿アートカフェ・フレンズ=円道一成ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Endo, Issey
2009-61
【元祖ジャパニーズ・ソウル・シンガー、円道一成】
面目躍如。
「待たせたな」で始まる元祖ジャパニーズ・ソウル・シンガーともいえる円道一成さんライヴ。彼は、今でも年に何回か定期的にライヴ・ハウスを中心にライヴ活動を行っている。先日は、ジェームス・ギャドソンらが行った「ジョニー・ギター・ワトソン・トリビュート・ライヴ」でゲスト出演していた。その前には2008年10月2日に中野の弁天での単独ライヴ(バンド編成もの)を鑑賞している。
その円道さんが恵比寿のアートカフェ・フレンズでライヴを行った。ここでは、アコースティック・スタイルというコンセプトだったが、結局ドラムス、ベース、ギターなども入りバンドスタイルへ。
円道さんは1980年にデビューして四半世紀を超えるヴェテラン。この日はデビューした頃に、彼のライヴを追っかけていたというファンの夫婦が、25年ぶり以上にこの日、ステージを見に来た、という。円道さんのMCによると、「25年以上昔、僕のステージをよく見にきてくれていた方がひさしぶりに来てくれました。どれくらい熱心な追っかけだったかというと、彼らのお子さんになんと『一成』という名前をつけたくらいで…」 なんとそのお子さんは、すでに25歳になっているそうだ。これは、歌手冥利に尽きるだろうなあ。
ファーストとセカンドの2部制で、ファーストはいきなり強烈なヴォイス・パーカッションから(すごくよかった!)、そこで煽ってそのままバンド演奏で「ホワッツ・ゴーイング・オン」へ。アコースティック・ギターを弾くハンコ屋さんがファンキーだ。さらに、サム&デイヴ、ジェームス・ブラウンへの流れは、もう完成されている。客あしらいも実にうまく、客を乗せ、コール&レスポンスもしっかりさせる。そしてソウルフルな歌声は元祖ジャパニーズ・ソウル・円タテイナーの面目躍如だ。その熱さはいつもかわらない。まさに現役ばりばりだ。
楽屋で円道さんらに挨拶していたら、ここのオウナー鈴木正勝さんがひょっこり登場。「全然来てくれないじゃない」とクレイムされた。(笑) 「オープニング・パーティーはしっかり来ましたよ」と返答するも「何かアコースティック系のアーティストいたら、紹介してよ」と頼まれた。前の店より随分広くなり、今は「ライヴ・ハウス」として、毎日日本人アーティストのライヴが入っている。
■ 過去記事 円道一成関連
2003/11/30 (Sun)
Album Between Elbert & Errison
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200311/diary20031130.html
February 16, 2006
Endoh Issei Live: He’s Been Singing Soul Music For More Than Quarter Century
【もうひとりの四半世紀ソウルシンガー、円道一成】
http://blog.soulsearchin.com/archives/000837.html
May 02, 2007
Hatakeyama You & Endo Issey: A Tribute To James Brown
http://blog.soulsearchin.com/archives/001750.html
May 20, 2009
ジョニー・ギター・ワトソン・トリビュート・ライヴ~ギャドソンのドラムスを満喫して
http://blog.soulsearchin.com/archives/002925.html
■ 過去関連記事 アートカフェ・オープニング
April 08, 2008
Art Café Friends Open
【アートカフェ・フレンズ・オープン】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002438.html
■ アートカフェのオフィシャル・ページ
http://artcafefriends.com/
■ メンバー
円道シャーク一成プロデュースナイト
Shark Acoustics Tew Vol.3
円道シャーク一成(Vo/Gt)・Shanti(Vo)・HANK西山(Cho,Gt) 五十川博(Bs)・伊勢賢治(Sax,Cho)・今井ヨシノリ(Ds) +新山ユキ(ヴォイス・パーカッション)、川野太郎(歌)
■セットリスト 円道一成@アートカフェ・フレンズ
Setlist : Endo "Shark" Issey @ Ebisu Art Cafe Friends, June 13, 2009
show started 19:35
01. Voice Percussion by Niiyama
02. What’s Going On (Marvin Gaye)
03. When Something’s Wrong With My Baby (Sam & Dave)
04. Papa’s Got A Brand New Bag (James Brown)
05. Rain (original)
06. Rolling Dreamer (original)
07. Stand By Me ~ including a riff of "Every Breath You Take", "Sans Toi Mamie", etc (+Shanti) (Ben E King)
>Shanti (#7-#10)
08. Closing Time ~ including a riff of "Keep That Same Old Feeling"(Crusaders) (Shanti original)
09. Up On The Roof (Drifters)
10. 甘い囁き(Shanti & Endo Issey)(アラン・ドロン&ダリダ、細川俊之&中村晃子)
11. お江戸Fire (+川野太郎)
show ended 20:52
Second setもすべて違う曲でありました
(2009年6月13日土曜、恵比寿アートカフェ・フレンズ=円道一成ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Endo, Issey
2009-61
◎もっとラジオを聴こう~USBラジオをパソコンにつけてみた
2009年6月16日 音楽◎もっとラジオを聴こう~USBラジオをパソコンにつけてみた
【USBラジオ体験記】
試聴。
『ソウル・ブレンズ』(インターFM=東京地区76.1mhz)でリスナー・プレゼントをしていたパソコンでラジオが聴けるという「USBラジオ」というのに興味を持ったら、サンプルを貸してくれるというので借りてきた。
機械に弱い僕でも、ワン・ツー・スリーでインストール完了。あ~実に簡単。で、聴いてみると、これまた操作性も簡単で、すぐにパソコンのスピーカーからラジオが聴けた。(新しいアプリケーションをインストールするのがめんどくさい僕でも大丈夫だった)
僕はパソコンの音声端子を通常のステレオにつないで、普通のステレオのスピーカーから聴いているので、CDやチューナーからのラジオと同等の音がでてきた。
で、試しにノート型でもやってみたら、これまた簡単。すぐにパソコンがラジオになった。最近はインターネット・ラジオなどもよく聴くようになったが、このUSBラジオはとても使い勝手がいい。特にパソコンの画面上で、局の選択、また留守録(8パターン)まで出来る。今まで、ラジオの録音はチューナーとテープレコーダーをつないでやっていたので、これがあれば、PCにそのまま入り、そこから必要ならCDRに焼ける。これで、達郎さんの『サンデイ・ソングブック』もばっちりPCに録音できる。
今回のお試し機は、サン電子株式会社から発売されているUSBラジオ。正式にはUSB AM/FMラジオ。(下記ウェッブからも購入できる)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001UUJ9N8/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name
最近は、いわゆるラジカセなどはとうになくなり、ラジオ自体を持っていない人が増えたようだが、これでパソコンがラジオになれば、ラジオのセットイン・ユースも増えるのではないだろうか。やはり、音楽を知るのは、まずラジオからだ。そして、ラジオからの「音育」を広めたい。
「音育」とは、様々な経験を通じて「音」に関する知識と「音」を選択する力を習得し、健全な音楽生活を営めることができる人間を育てること。もちろん、これは最近よく聴く「食育」をヒントにしたもので、僕も積極的に提唱したい考え方だ。そして、いい「音育」をするには、いい「音楽番組」を作らないと。「音育」のためにも、USBラジオはいいツールになりそうだ。
ENT>TOOL>USB RADIO
【USBラジオ体験記】
試聴。
『ソウル・ブレンズ』(インターFM=東京地区76.1mhz)でリスナー・プレゼントをしていたパソコンでラジオが聴けるという「USBラジオ」というのに興味を持ったら、サンプルを貸してくれるというので借りてきた。
機械に弱い僕でも、ワン・ツー・スリーでインストール完了。あ~実に簡単。で、聴いてみると、これまた操作性も簡単で、すぐにパソコンのスピーカーからラジオが聴けた。(新しいアプリケーションをインストールするのがめんどくさい僕でも大丈夫だった)
僕はパソコンの音声端子を通常のステレオにつないで、普通のステレオのスピーカーから聴いているので、CDやチューナーからのラジオと同等の音がでてきた。
で、試しにノート型でもやってみたら、これまた簡単。すぐにパソコンがラジオになった。最近はインターネット・ラジオなどもよく聴くようになったが、このUSBラジオはとても使い勝手がいい。特にパソコンの画面上で、局の選択、また留守録(8パターン)まで出来る。今まで、ラジオの録音はチューナーとテープレコーダーをつないでやっていたので、これがあれば、PCにそのまま入り、そこから必要ならCDRに焼ける。これで、達郎さんの『サンデイ・ソングブック』もばっちりPCに録音できる。
今回のお試し機は、サン電子株式会社から発売されているUSBラジオ。正式にはUSB AM/FMラジオ。(下記ウェッブからも購入できる)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001UUJ9N8/soulsearchiho-22/ref=nosim/" name
最近は、いわゆるラジカセなどはとうになくなり、ラジオ自体を持っていない人が増えたようだが、これでパソコンがラジオになれば、ラジオのセットイン・ユースも増えるのではないだろうか。やはり、音楽を知るのは、まずラジオからだ。そして、ラジオからの「音育」を広めたい。
「音育」とは、様々な経験を通じて「音」に関する知識と「音」を選択する力を習得し、健全な音楽生活を営めることができる人間を育てること。もちろん、これは最近よく聴く「食育」をヒントにしたもので、僕も積極的に提唱したい考え方だ。そして、いい「音育」をするには、いい「音楽番組」を作らないと。「音育」のためにも、USBラジオはいいツールになりそうだ。
ENT>TOOL>USB RADIO
☆中田亮さん(オーサカ=モノレール)語る
2009年6月17日 音楽☆【中田亮さん(オーサカ=モノレール)、ツアー、ブラック・ムーヴィーを語る】
全欧ツアー。
オーサカ=モノレールのリーダー、中田亮さんと先日、ゆっくり話をする機会があった。その昔、中田さんから「ファミレス会議10時間くらいやってました」というのを聞いていたので、近いうちにファミレス会議やりましょう、という話しだったのだが、結局、当初予定していたファミレスに駐車場がなかったので、白金ボヘムのテラスでのんびり話すことになった。
中田さんといえば、日本でもっともジェームス・ブラウンの魂に近いアーティストと言えるが、彼のオーサカ=モノレールは、随分と長い間活動を続けている。昨年(2008年)はドイツなどを中心に5カ国17本のヨーロッパ・ツアーを敢行し、また、今年も同規模のヨーロッパ・ツアーを行うという。
「イギリスだけは、国に入ったという感じはありますが、他のEUの国はただ車で走ってて、あ、次の国に来ちゃったという感じで、パスポートなんかぜんぜん見せないんですよ。小さな町ではメンバーみんなアパートの大部屋みたいなところに泊まったりしてね。今度アメリカ・ツアーやりたいです」
ブラック・ムーヴィー。
中田さんといえば、ブラック・ムーヴィーを日本に紹介している人と言えるが、メルヴィン・ヴァン・ピーブルス監督の『スイート・スイート・バック』や、パム・グリアの『コフィー』、さらに『スーパーフライ』も、権利を取って、日本での公開を行ってきた。
そうしたら、メルヴィンに聞いた話として、『シャフト』の裏話をしてくれた。これは元々白人のキャストで制作されることになっていたそうだが、配給元のMGMが、これより先に『スイート・スイート・バック』というブラック映画が大ヒットしていたのを見て、急遽「黒人を使った映画が売れる」と見て、キャストを黒人に変えたのだという。
それで、じゃあ、音楽は誰にする、って言ったときに、『スイート・スイート・バック』のメルヴィンがスタックス・レコードに関係していたことから、スタックスに『シャフト』の音楽を作ってもらおうと声をかけた。スタックスは、この話を受け、アイザック・ヘイズに話を振り、彼が音楽を手がけ、映画とともに、サントラも大ヒットになった、というわけだ。
中田さんは、さらにメルヴィンの言葉としてこう説明してくれた。「メルヴィンがこう言ってました。『だけどな、「シャフト」は「カウンター・レヴォリューショナリー」の映画なんだ。俺のは、「レヴォリューショナリー」の映画だけどね』と」 「カウンター・レヴォリューショナリー」は、アンチ革命、対革命、どちらかというと体制寄りという意味だそうだ。「レヴォリューショナリー」は文字通り「革命的」、「反体制」だ。
なぜ、あの黒人映画、ブラック・エクスプロイテーション映画と言われた『シャフト』が体制側の映画か。中田さんが説明する。「『シャフト』も表層的に見ると、ブラックパワーの映画みたいに見えますよね。でも、シャフトは一匹狼の私立探偵だけど、実は警察の手先なんですよ。あのシャフトの最後のシーン覚えてます? 彼が公衆電話で電話をかけて『任務を完了しました』って言うんですよ。警察の誰かに電話してね。だから、体制側で仕事をしてる」 な~~るほど。それを初めてメルヴィンから聞いた中田さんも目から鱗(うろこ)だったそうだ。
中田さんは、こうしたブラック・ムーヴィーの字幕をつける仕事もしたが、けっこう字幕の仕事は気に入っているという。
いやいや、話は止まらない…。
■ 中田亮日記 (2009年6月12日付けで僕との話が書かれてます)
http://blog.osakamonaurail.com/?day=20090612
ENT>ARTIST>Nakata, Ryo
全欧ツアー。
オーサカ=モノレールのリーダー、中田亮さんと先日、ゆっくり話をする機会があった。その昔、中田さんから「ファミレス会議10時間くらいやってました」というのを聞いていたので、近いうちにファミレス会議やりましょう、という話しだったのだが、結局、当初予定していたファミレスに駐車場がなかったので、白金ボヘムのテラスでのんびり話すことになった。
中田さんといえば、日本でもっともジェームス・ブラウンの魂に近いアーティストと言えるが、彼のオーサカ=モノレールは、随分と長い間活動を続けている。昨年(2008年)はドイツなどを中心に5カ国17本のヨーロッパ・ツアーを敢行し、また、今年も同規模のヨーロッパ・ツアーを行うという。
「イギリスだけは、国に入ったという感じはありますが、他のEUの国はただ車で走ってて、あ、次の国に来ちゃったという感じで、パスポートなんかぜんぜん見せないんですよ。小さな町ではメンバーみんなアパートの大部屋みたいなところに泊まったりしてね。今度アメリカ・ツアーやりたいです」
ブラック・ムーヴィー。
中田さんといえば、ブラック・ムーヴィーを日本に紹介している人と言えるが、メルヴィン・ヴァン・ピーブルス監督の『スイート・スイート・バック』や、パム・グリアの『コフィー』、さらに『スーパーフライ』も、権利を取って、日本での公開を行ってきた。
そうしたら、メルヴィンに聞いた話として、『シャフト』の裏話をしてくれた。これは元々白人のキャストで制作されることになっていたそうだが、配給元のMGMが、これより先に『スイート・スイート・バック』というブラック映画が大ヒットしていたのを見て、急遽「黒人を使った映画が売れる」と見て、キャストを黒人に変えたのだという。
それで、じゃあ、音楽は誰にする、って言ったときに、『スイート・スイート・バック』のメルヴィンがスタックス・レコードに関係していたことから、スタックスに『シャフト』の音楽を作ってもらおうと声をかけた。スタックスは、この話を受け、アイザック・ヘイズに話を振り、彼が音楽を手がけ、映画とともに、サントラも大ヒットになった、というわけだ。
中田さんは、さらにメルヴィンの言葉としてこう説明してくれた。「メルヴィンがこう言ってました。『だけどな、「シャフト」は「カウンター・レヴォリューショナリー」の映画なんだ。俺のは、「レヴォリューショナリー」の映画だけどね』と」 「カウンター・レヴォリューショナリー」は、アンチ革命、対革命、どちらかというと体制寄りという意味だそうだ。「レヴォリューショナリー」は文字通り「革命的」、「反体制」だ。
なぜ、あの黒人映画、ブラック・エクスプロイテーション映画と言われた『シャフト』が体制側の映画か。中田さんが説明する。「『シャフト』も表層的に見ると、ブラックパワーの映画みたいに見えますよね。でも、シャフトは一匹狼の私立探偵だけど、実は警察の手先なんですよ。あのシャフトの最後のシーン覚えてます? 彼が公衆電話で電話をかけて『任務を完了しました』って言うんですよ。警察の誰かに電話してね。だから、体制側で仕事をしてる」 な~~るほど。それを初めてメルヴィンから聞いた中田さんも目から鱗(うろこ)だったそうだ。
中田さんは、こうしたブラック・ムーヴィーの字幕をつける仕事もしたが、けっこう字幕の仕事は気に入っているという。
いやいや、話は止まらない…。
■ 中田亮日記 (2009年6月12日付けで僕との話が書かれてます)
http://blog.osakamonaurail.com/?day=20090612
ENT>ARTIST>Nakata, Ryo
△『ハーレム・ナイツ』第8回 7月に開催~オマー・エドワーズ再び
2009年6月18日 音楽△【『ハーレム・ナイツ』第8回 7月に開催~オマー・A・エドワーズ再び】
風物詩。
横浜ランドマークホール「夏の風物詩」として定着してきたニューヨーク・ハーレムのナイトクラブを再現するというコンセプトの『ハーレム・ナイツ』が今年で8回目を向かえ、2009年7月末に全6公演行われる。例年通り、「ソウル・フード」の売店が設置され、ソウル・フードが販売される。また今年は画家、イラストレーター早乙女道春さんのイラストが会場に展示される。
すっかりレギュラー・メンバーとして定着したタップ・ダンサーのオマー・エドワーズをはじめ、ヴォーカルにロン・グラント、キンバリー・ニコールなど初登場組も参加して彩りを添える。オマー・A・エドワーズの来日は、2008年7月の『ハーレム・ナイツ7』、2008年10月のコットン・クラブ、2009年3月の映画『メトロポリス』の上映イヴェント(ランドマークホール)以来4ヶ月ぶりになる。
ロン・グラントは、ソニーなどでプロデューサー、ディレクターなどとして活躍する一方、自身も教会の聖歌隊で歌ってきたシンガーとしても活動。彼が毎週開催しているショーケースはニューヨークで一番との評判で、プリンス、スティーヴィーなどが見に来て、ときには飛び入りでステージにあがることもあるらしい。
また、キンバリー・ニコールはワシントン州シアトル生まれ。アトランタで大学を卒業後、ニューヨークに出てきた。すでにインディで作品を出しており、ニューヨークで注目されている。
■ 過去関連記事 ハーレム・ナイツ過去ライヴ評、オマー関連記事
March 23, 2009
Metropolis Meets Hino Terumasa With Omar Edwards @ Landmark Hall
【無声映画『メトロポリス』に日野皓正、オマー・エドワーズの即興ライヴ】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2009_03_23.html
October 23, 2008
Omar Is Rhythm, Omar Is Music, Omar Is Singer: We Hear Omar’s Songs
http://blog.soulsearchin.com/archives/002711.html
October 25, 2008
Omar Edwards Talks (Part 2) : After The Dance
【オマー、電撃的タップ・ダンスの後に語る】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002713.html
過去『ハーレム・ナイツ』ライヴ評↓
July 24, 2008
Harlem Nights Vol.7 Has Just Started
http://blog.soulsearchin.com/archives/002617.html
第7回ライヴ評
July 26, 2007
"Harlem Nights Vol.6" At Landmark Tower: "I Don’t Repeat" Says Omar
http://blog.soulsearchin.com/archives/001918.html
第6回ライヴ評
July 29, 2006
Alyson Talks, Omar Talks: Harlem Nights
http://blog.soulsearchin.com/archives/001164.html
オマー語る
July 28, 2006
Harlem Nights Vol.5: Alyson Williams Sings Wide Variety Of Music, Omar Edwards Taps With New Idea
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200607/2006_07_28.html
第5回ライヴ評
July 29, 2005
Harlem Nights: Omar Edwards, Barefoot Tap Dancer
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200507/2005_07_29.html
第4回ライヴ評
2004/07/31 (Sat)
Harlem Nights III: Bring Your Cake For Lonnie’s Birthday
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200407/diary20040731.html
第3回ライヴ評
2003/03/22 (Sat)
Bring In ’Da Noise, Bring In ’Da Funk: Soul explosion!
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200303/diary20030322.html
オマーの従兄弟で師匠的存在のセヴィアン・グローヴァーのタップが登場スル『ノイズ・アンド・ファンク』ライヴ評
+++++
『ハーレム・ナイツⅧ(8)』開催概要
【日時】
2009年7月29日(水)30日(木)31日(金)開場18:00 開演19:00
2009年8月 1日(土)昼の部 開場13:00 開演14:00
夜の部 開場18:00 開演19:00
2009年8月 2日(日)開場13:00 開演14:00
(パフォーマンスは約2時間半の予定です)
【会場】
横浜ランドマークタワー5階 ランドマークホール
神奈川県横浜市西区みなとみらい2-2-1
http://www.landyou.jp/event/hall/index.html
【出演者】
ロン・グラント(ヴォーカル)
キンバリー・ニコール(ヴォーカル)
オマー・A・エドワーズ(タップ)
アーロン・スウィナトン(キーボード)
ナザニエル・タウンスレイ・サード(ドラムス)
トニー・スティーブンソン(ベース)
レジー・ハインズ(サックス)
コーリー・ヘンリー(ハモンドオルガン)
【チケット料金】 5500円(税込み)チケットぴあ、ローソン、イープラス、ランドマークプラザ3階インフォメーション・カウンターなどで発売
【お問合せ】ランドマークホール 045-222-5050(平日10:00~17:00)
ENT>ANNOUNCEMENT>Harlem Nights
風物詩。
横浜ランドマークホール「夏の風物詩」として定着してきたニューヨーク・ハーレムのナイトクラブを再現するというコンセプトの『ハーレム・ナイツ』が今年で8回目を向かえ、2009年7月末に全6公演行われる。例年通り、「ソウル・フード」の売店が設置され、ソウル・フードが販売される。また今年は画家、イラストレーター早乙女道春さんのイラストが会場に展示される。
すっかりレギュラー・メンバーとして定着したタップ・ダンサーのオマー・エドワーズをはじめ、ヴォーカルにロン・グラント、キンバリー・ニコールなど初登場組も参加して彩りを添える。オマー・A・エドワーズの来日は、2008年7月の『ハーレム・ナイツ7』、2008年10月のコットン・クラブ、2009年3月の映画『メトロポリス』の上映イヴェント(ランドマークホール)以来4ヶ月ぶりになる。
ロン・グラントは、ソニーなどでプロデューサー、ディレクターなどとして活躍する一方、自身も教会の聖歌隊で歌ってきたシンガーとしても活動。彼が毎週開催しているショーケースはニューヨークで一番との評判で、プリンス、スティーヴィーなどが見に来て、ときには飛び入りでステージにあがることもあるらしい。
また、キンバリー・ニコールはワシントン州シアトル生まれ。アトランタで大学を卒業後、ニューヨークに出てきた。すでにインディで作品を出しており、ニューヨークで注目されている。
■ 過去関連記事 ハーレム・ナイツ過去ライヴ評、オマー関連記事
March 23, 2009
Metropolis Meets Hino Terumasa With Omar Edwards @ Landmark Hall
【無声映画『メトロポリス』に日野皓正、オマー・エドワーズの即興ライヴ】
http://blog.soulsearchin.com/archives/2009_03_23.html
October 23, 2008
Omar Is Rhythm, Omar Is Music, Omar Is Singer: We Hear Omar’s Songs
http://blog.soulsearchin.com/archives/002711.html
October 25, 2008
Omar Edwards Talks (Part 2) : After The Dance
【オマー、電撃的タップ・ダンスの後に語る】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002713.html
過去『ハーレム・ナイツ』ライヴ評↓
July 24, 2008
Harlem Nights Vol.7 Has Just Started
http://blog.soulsearchin.com/archives/002617.html
第7回ライヴ評
July 26, 2007
"Harlem Nights Vol.6" At Landmark Tower: "I Don’t Repeat" Says Omar
http://blog.soulsearchin.com/archives/001918.html
第6回ライヴ評
July 29, 2006
Alyson Talks, Omar Talks: Harlem Nights
http://blog.soulsearchin.com/archives/001164.html
オマー語る
July 28, 2006
Harlem Nights Vol.5: Alyson Williams Sings Wide Variety Of Music, Omar Edwards Taps With New Idea
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200607/2006_07_28.html
第5回ライヴ評
July 29, 2005
Harlem Nights: Omar Edwards, Barefoot Tap Dancer
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200507/2005_07_29.html
第4回ライヴ評
2004/07/31 (Sat)
Harlem Nights III: Bring Your Cake For Lonnie’s Birthday
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200407/diary20040731.html
第3回ライヴ評
2003/03/22 (Sat)
Bring In ’Da Noise, Bring In ’Da Funk: Soul explosion!
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200303/diary20030322.html
オマーの従兄弟で師匠的存在のセヴィアン・グローヴァーのタップが登場スル『ノイズ・アンド・ファンク』ライヴ評
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『ハーレム・ナイツⅧ(8)』開催概要
【日時】
2009年7月29日(水)30日(木)31日(金)開場18:00 開演19:00
2009年8月 1日(土)昼の部 開場13:00 開演14:00
夜の部 開場18:00 開演19:00
2009年8月 2日(日)開場13:00 開演14:00
(パフォーマンスは約2時間半の予定です)
【会場】
横浜ランドマークタワー5階 ランドマークホール
神奈川県横浜市西区みなとみらい2-2-1
http://www.landyou.jp/event/hall/index.html
【出演者】
ロン・グラント(ヴォーカル)
キンバリー・ニコール(ヴォーカル)
オマー・A・エドワーズ(タップ)
アーロン・スウィナトン(キーボード)
ナザニエル・タウンスレイ・サード(ドラムス)
トニー・スティーブンソン(ベース)
レジー・ハインズ(サックス)
コーリー・ヘンリー(ハモンドオルガン)
【チケット料金】 5500円(税込み)チケットぴあ、ローソン、イープラス、ランドマークプラザ3階インフォメーション・カウンターなどで発売
【お問合せ】ランドマークホール 045-222-5050(平日10:00~17:00)
ENT>ANNOUNCEMENT>Harlem Nights
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