○ルーサー・ヴァンドロス命日 ~ ブログのお知らせ
2009年7月1日 音楽○【ルーサー・ヴァンドロス逝去から4年】
命日。
あのソング・スタイリスト、ルーサー・ヴァンドロスが2005年7月1日に亡くなってからはや4年。今日は4周年の命日だ。2006年7月1日には、目黒のブルース・アレイで『ソウル・サーチン~トリビュート・トゥ・ルーサー・ヴァンドロス』を行った。あれからでも、もう3年かと思うと、時が経つのは本当にはやい。
2年4ヶ月ぶりのイヴェント『ソウル・サーチン』、今回はみなさんの多くのリクエストに答えてアイズリー・ブラザーズである。そういえば、ルーサーで「ラヴ・ザ・ワン・ユア・ウィズ」をやったが、アイズリーもこの曲をやっている。
準備は順調に進んでいるのでいらっしゃる方はぜひ楽しみにしていただきたい。
+++++
マイケル・ジャクソンの死去に関連して、毎日新聞に追悼文を寄稿した。いま、毎日新聞のサイトを見たのだが、まだアップされていないようだ。明日以降にアップされると思うので、そのとき追記でリンクを張ることにする。
マイケル・ジャクソン関連記事
2009年6月30日付毎日新聞夕刊
「黒人音楽を世界中の音楽にしたスーパースター~マイケル・ジャクソンさんを悼む」
2009年6月29日付け日本経済新聞夕刊
「M・ジャクソンさん、CD黄金期と共に去りぬ」
また、6月29日付け日本経済新聞夕刊の「M・ジャクソンさん、CD黄金期と共に去りぬ」という記事にコメントを寄せた。これも、ネットで読めるかと思いきやまだ見つけられない。
もしそれらの新聞をお持ちでしたら、ごらんください。
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■ ブログについてのお知らせ
メインサイトであるソウル・サーチン・ブログのサーヴァが昨日(2009年6月30日)からダウンしております。ホームページ本体、アーカイブなどは生きていますが、ブログの古いもの2008年1月から最新のものまでが、個々では見られなくなっています。2007年までは、ホームページ→目次→Diary過去分で月ごとに収録されています。
ブログ自体は、ミラー・サイトとして次のところにアップしておりますので、引き続きごらんください。最新の日記もデイリーでアップしています。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/little_diary.cgi
(過去1000件分=約3年弱分。ここには写真が載せられません。過去1000件分が入っていますが、古い順から消えていきます。ソウル・サーチン・ダイアリーとして、ここから2002年6月スタートしました)
http://32970.diarynote.jp/
(2003年3月21日以降のブログ。ここには2003年3月以降のものがすべて収録されています。写真はほとんどありません。)
http://ameblo.jp/soulsearchin/
(2007年3月27日以降のブログ。前回のソウル・サーチン以降始めたアメブロ。写真なども載せています。コメントもトラックバックも承認制ですが可能です)
本サイトがダウンしている間は、このアメブロがお勧めです。
また、同じアメブロで『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』ブログを始めました。本に関することをアップしています。こちらもよろしく。
http://ameblo.jp/divided-soul/
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命日。
あのソング・スタイリスト、ルーサー・ヴァンドロスが2005年7月1日に亡くなってからはや4年。今日は4周年の命日だ。2006年7月1日には、目黒のブルース・アレイで『ソウル・サーチン~トリビュート・トゥ・ルーサー・ヴァンドロス』を行った。あれからでも、もう3年かと思うと、時が経つのは本当にはやい。
2年4ヶ月ぶりのイヴェント『ソウル・サーチン』、今回はみなさんの多くのリクエストに答えてアイズリー・ブラザーズである。そういえば、ルーサーで「ラヴ・ザ・ワン・ユア・ウィズ」をやったが、アイズリーもこの曲をやっている。
準備は順調に進んでいるのでいらっしゃる方はぜひ楽しみにしていただきたい。
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マイケル・ジャクソンの死去に関連して、毎日新聞に追悼文を寄稿した。いま、毎日新聞のサイトを見たのだが、まだアップされていないようだ。明日以降にアップされると思うので、そのとき追記でリンクを張ることにする。
マイケル・ジャクソン関連記事
2009年6月30日付毎日新聞夕刊
「黒人音楽を世界中の音楽にしたスーパースター~マイケル・ジャクソンさんを悼む」
2009年6月29日付け日本経済新聞夕刊
「M・ジャクソンさん、CD黄金期と共に去りぬ」
また、6月29日付け日本経済新聞夕刊の「M・ジャクソンさん、CD黄金期と共に去りぬ」という記事にコメントを寄せた。これも、ネットで読めるかと思いきやまだ見つけられない。
もしそれらの新聞をお持ちでしたら、ごらんください。
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■ ブログについてのお知らせ
メインサイトであるソウル・サーチン・ブログのサーヴァが昨日(2009年6月30日)からダウンしております。ホームページ本体、アーカイブなどは生きていますが、ブログの古いもの2008年1月から最新のものまでが、個々では見られなくなっています。2007年までは、ホームページ→目次→Diary過去分で月ごとに収録されています。
ブログ自体は、ミラー・サイトとして次のところにアップしておりますので、引き続きごらんください。最新の日記もデイリーでアップしています。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/little_diary.cgi
(過去1000件分=約3年弱分。ここには写真が載せられません。過去1000件分が入っていますが、古い順から消えていきます。ソウル・サーチン・ダイアリーとして、ここから2002年6月スタートしました)
http://32970.diarynote.jp/
(2003年3月21日以降のブログ。ここには2003年3月以降のものがすべて収録されています。写真はほとんどありません。)
http://ameblo.jp/soulsearchin/
(2007年3月27日以降のブログ。前回のソウル・サーチン以降始めたアメブロ。写真なども載せています。コメントもトラックバックも承認制ですが可能です)
本サイトがダウンしている間は、このアメブロがお勧めです。
また、同じアメブロで『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』ブログを始めました。本に関することをアップしています。こちらもよろしく。
http://ameblo.jp/divided-soul/
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◎アン・ヴォーグもマイケル・ジャクソンへ捧げる
2009年7月2日 音楽◎【オリジナル・アン・ヴォーグもマイケル・ジャクソンへ捧げる】
迫力。
サンフランシスコ、オークランド出身の女性4人組グループとして1990年代に大きな人気を獲得したアン・ヴォーグの2008年2月以来、5回目の来日ライヴ。今回は、シンディー、マキシーン、テリーに加え、オリジナルのドーンが参加。オリジナル・アン・ヴォーグとして登場した。(ちなみに前回はローナが参加、その前はローナなしの3人)
バックはドラムス、ベース、キーボードの3人だが、しっかり厚めのサウンドを作り、多くの曲に4人のセクシーな振り付けをつけ、徹底して観客をエンタテインする。思い切りハイ・エナジーなショー。それぞれがリードを交代に取り、誰がリードを取っても、しっかり歌いこなす。ドーンは、「リスペクト」や「ギヴィング・ヒム・サムシング…」などでリードを取っていた。
この日は最初の立ち位置で左からテリー(MCの中心)、ドーン(迫力、衣装についた黒のヒラヒラが印象的)、マキシーン(唯一の袖ありシャツ)、シンディー(唯一のミニ・スカート)という並び。4人が揃って踊ると相当インパクトがある。
中盤の女性ソウル・シンガーのヒット曲メドレー12曲は、いつもながら強烈だった。そして、「ホールド・オン」に入る前に、確かテリーが「音楽的天才、マイケル・ジャクソンは、体はいなくなってしまいましたが、ソウルはずっと私たちの中に生き続いていきます」と言って、マイケルへ捧げる歌を歌った。これが、奇しくもラファエル・サディークも曲の中に挟みこんで歌っていた「フーズ・ラヴィング・ユー」。アン・ヴォーグのレディー4人は、最初、アカペラで歌い始め、途中からバンド演奏がついた。とてもよかった。
途中から観客はかなり立ち上がっていたが、アンコールでは、1階のアリーナ席は総立ちになっていた。
■ 過去記事
2008年2月13日付け
▽4人のアン・ヴォーグ・ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080213.html
(前回ライヴ評)
March 01, 2006
En Vogue: Whatta Girl, Whatta Girl
http://32970.diarynote.jp/?day=20060301
http://blog.soulsearchin.com/archives/000857.html
(前々回ライヴ評)
■ メンバー
~アン・ヴォーグ~
テリー・エリス/Terri Ellis(Vocals)
シンディー・ヘロン・ブラッグス/Cindy Herron Braggs(Vocals)
ドーン・ロビンソン/Dawn Robinson(Vocals)
マキシーン・ジョーンズ/Maxine Jones(Vocals)
~バックバンド~
イライジャ・グリーン/Elijah Green(Bass)
ダンテ・ロバーソン/Dante Roberson(Drums)
ウォルター・ホーキンズ/Walter Hawkins(Keyboards)
■セットリスト アン・ヴォーグ @ ビルボード・ライヴ
Setlist : En Vogue @ Billboard Live Tokyo, June 30, 2009
show started 21:32
01. Intro; Does Anybody Hear Me
02. Love Don’t Love You
03. No, No, No, Can’t come Back
04. My Lovin’ (You’re Never Gonna Get It)
05. You Don’t Have To Worry
06. Lies
07. Riddle
08. Diva’s Medley: Ain’t No Mountain High Enough
Got To Be Real
Bad Girls
Ring My Bell
Best Of My Love
I Heard It Through The Grapevine
Respect
Lady Marmalade
Tell Me Something Good
Square Biz
My House
Proud Mary
09. Giving Him Something He Can Feel
10. Whatta Man
11. Don’t Mess With My Man
12. Don’t Let Go (Love)
13. Who’s Loving You (Dedicated To Michael Jackson)
14. Hold On
Enc. Free Your Mind
show ended 22:39
(2009年6月30日火曜、ビルボード・ライヴ東京=アン・ヴォーグ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>En Vogue
2009-71
迫力。
サンフランシスコ、オークランド出身の女性4人組グループとして1990年代に大きな人気を獲得したアン・ヴォーグの2008年2月以来、5回目の来日ライヴ。今回は、シンディー、マキシーン、テリーに加え、オリジナルのドーンが参加。オリジナル・アン・ヴォーグとして登場した。(ちなみに前回はローナが参加、その前はローナなしの3人)
バックはドラムス、ベース、キーボードの3人だが、しっかり厚めのサウンドを作り、多くの曲に4人のセクシーな振り付けをつけ、徹底して観客をエンタテインする。思い切りハイ・エナジーなショー。それぞれがリードを交代に取り、誰がリードを取っても、しっかり歌いこなす。ドーンは、「リスペクト」や「ギヴィング・ヒム・サムシング…」などでリードを取っていた。
この日は最初の立ち位置で左からテリー(MCの中心)、ドーン(迫力、衣装についた黒のヒラヒラが印象的)、マキシーン(唯一の袖ありシャツ)、シンディー(唯一のミニ・スカート)という並び。4人が揃って踊ると相当インパクトがある。
中盤の女性ソウル・シンガーのヒット曲メドレー12曲は、いつもながら強烈だった。そして、「ホールド・オン」に入る前に、確かテリーが「音楽的天才、マイケル・ジャクソンは、体はいなくなってしまいましたが、ソウルはずっと私たちの中に生き続いていきます」と言って、マイケルへ捧げる歌を歌った。これが、奇しくもラファエル・サディークも曲の中に挟みこんで歌っていた「フーズ・ラヴィング・ユー」。アン・ヴォーグのレディー4人は、最初、アカペラで歌い始め、途中からバンド演奏がついた。とてもよかった。
途中から観客はかなり立ち上がっていたが、アンコールでは、1階のアリーナ席は総立ちになっていた。
■ 過去記事
2008年2月13日付け
▽4人のアン・ヴォーグ・ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080213.html
(前回ライヴ評)
March 01, 2006
En Vogue: Whatta Girl, Whatta Girl
http://32970.diarynote.jp/?day=20060301
http://blog.soulsearchin.com/archives/000857.html
(前々回ライヴ評)
■ メンバー
~アン・ヴォーグ~
テリー・エリス/Terri Ellis(Vocals)
シンディー・ヘロン・ブラッグス/Cindy Herron Braggs(Vocals)
ドーン・ロビンソン/Dawn Robinson(Vocals)
マキシーン・ジョーンズ/Maxine Jones(Vocals)
~バックバンド~
イライジャ・グリーン/Elijah Green(Bass)
ダンテ・ロバーソン/Dante Roberson(Drums)
ウォルター・ホーキンズ/Walter Hawkins(Keyboards)
■セットリスト アン・ヴォーグ @ ビルボード・ライヴ
Setlist : En Vogue @ Billboard Live Tokyo, June 30, 2009
show started 21:32
01. Intro; Does Anybody Hear Me
02. Love Don’t Love You
03. No, No, No, Can’t come Back
04. My Lovin’ (You’re Never Gonna Get It)
05. You Don’t Have To Worry
06. Lies
07. Riddle
08. Diva’s Medley: Ain’t No Mountain High Enough
Got To Be Real
Bad Girls
Ring My Bell
Best Of My Love
I Heard It Through The Grapevine
Respect
Lady Marmalade
Tell Me Something Good
Square Biz
My House
Proud Mary
09. Giving Him Something He Can Feel
10. Whatta Man
11. Don’t Mess With My Man
12. Don’t Let Go (Love)
13. Who’s Loving You (Dedicated To Michael Jackson)
14. Hold On
Enc. Free Your Mind
show ended 22:39
(2009年6月30日火曜、ビルボード・ライヴ東京=アン・ヴォーグ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>En Vogue
2009-71
☆ジョージ・クリントン(Pファンク)、パーラメント/ファンカデリック9月に来日
来日。
ジョージ・クリントンがパーラメント/ファンカデリックをひっさげて2009年9月に来日、NHK主催の『東京ジャズ』の9月5日、昼の部に登場する。同ジャズのホームページで発表された。クリントンの来日はかなり久しぶり。
2009年9月5日(土)午後1時からの部。この部には他に神保彰、ジョン・スコフィールドが出る。クリントンが何番目に登場するかはわからない。果たして、きっちり1時間でライヴを終えることができるのだろうか。メンバーなどはまだ発表されていない。
今年の東京ジャズは、9月4日夜の部から、9月6日の夜まで、金曜から日曜まで5ステージ。
詳細はこちらへ↓
http://www.tokyo-jazz.com/index.html
+++++
マイケルの遺書。
マイケル・ジャクソンの遺書の内容に驚いた。子供の後見人にマイケルの母というのはわかるとしても、もし母キャサリンが引き受けられなくなったら、ダイアナ・ロスに頼むとしていた。これは本当に驚いた。
+++++
来日。
ジョージ・クリントンがパーラメント/ファンカデリックをひっさげて2009年9月に来日、NHK主催の『東京ジャズ』の9月5日、昼の部に登場する。同ジャズのホームページで発表された。クリントンの来日はかなり久しぶり。
2009年9月5日(土)午後1時からの部。この部には他に神保彰、ジョン・スコフィールドが出る。クリントンが何番目に登場するかはわからない。果たして、きっちり1時間でライヴを終えることができるのだろうか。メンバーなどはまだ発表されていない。
今年の東京ジャズは、9月4日夜の部から、9月6日の夜まで、金曜から日曜まで5ステージ。
詳細はこちらへ↓
http://www.tokyo-jazz.com/index.html
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マイケルの遺書。
マイケル・ジャクソンの遺書の内容に驚いた。子供の後見人にマイケルの母というのはわかるとしても、もし母キャサリンが引き受けられなくなったら、ダイアナ・ロスに頼むとしていた。これは本当に驚いた。
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△マイケル・ジャクソンのリハーサル模様
2009年7月4日 音楽△マイケル・ジャクソンのリハーサル模様
リハーサル。
昨日(7月3日=金)、CNNなどでマイケル死去2日前のリハーサルの映像が放送されていた。歌われていた曲は、「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」(1996年のヒット)だった。かなり激しい踊りをバックダンサーがやり、それにあわせてマイケルも踊る。特に問題があるようにはとても見えなかった。
この記録映像は、将来的に「メイキング」を作るときのための映像と思われるが、これがまさか遺作映像になるとは、だれも思っていなかったにちがいない。
インタヴューに、ヴォーカル・コーチとしてドリアン・ホリーが出ていた。彼も「特に変わったことはなかった」と言った旨の証言をしていた。ドリアンは、最初の1987年9月来日時にコーラスの一員として来ていた人物だ。
+++++
久しぶりに『ウィ・アー・ザ・ワールド』のDVDを見た。ここには45人のアーティストたちが参加しているが、この中で死去しているのは、レイ・チャールズだけだった。そして、誰がこの中で次に亡くなるがマイケルだなんて思い描いただろうか。マイケルはこのとき26歳だ。
クインシーもまだ若い。ライオネルも、そして、ダイアナも。1985年1月のドキュメントだから、もう24年も前のことになる。
+++++
ワックスポエティックスの第5号の準備が進んでいる。月末に発売されるが、今回は僕はなんとマイルス・デイヴィスの記事を翻訳した。マイルスの1972年から1975年にかけての『オン・ザ・コーナー』からしばらくの期間にスポットを当てた記事。マイケル・ヘンダーソン、エムトゥーメ、ピート・コージーらに、この時期のサウンドについて、実際にマイルスとプレイしてきたアーティストとして話を聞いている。これはおもしろい。
+++++
昨日(7月3日)は、収録の後、ゴスペラーズ@武道館。久々にメンバーに会った。それにしても、武道館、超満員。東・西、ステージの真横までぎっちりファンが座ってる。15年間、やり続けてきた自信と、感謝にあふれていた。好きな歌を歌い、これだけの人たちに支持され愛され続けるということは、シンガーにとってこの上ない幸せだ。そして、今日は、マーチンの千穐楽。
+++++
リハーサル。
昨日(7月3日=金)、CNNなどでマイケル死去2日前のリハーサルの映像が放送されていた。歌われていた曲は、「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」(1996年のヒット)だった。かなり激しい踊りをバックダンサーがやり、それにあわせてマイケルも踊る。特に問題があるようにはとても見えなかった。
この記録映像は、将来的に「メイキング」を作るときのための映像と思われるが、これがまさか遺作映像になるとは、だれも思っていなかったにちがいない。
インタヴューに、ヴォーカル・コーチとしてドリアン・ホリーが出ていた。彼も「特に変わったことはなかった」と言った旨の証言をしていた。ドリアンは、最初の1987年9月来日時にコーラスの一員として来ていた人物だ。
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久しぶりに『ウィ・アー・ザ・ワールド』のDVDを見た。ここには45人のアーティストたちが参加しているが、この中で死去しているのは、レイ・チャールズだけだった。そして、誰がこの中で次に亡くなるがマイケルだなんて思い描いただろうか。マイケルはこのとき26歳だ。
クインシーもまだ若い。ライオネルも、そして、ダイアナも。1985年1月のドキュメントだから、もう24年も前のことになる。
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ワックスポエティックスの第5号の準備が進んでいる。月末に発売されるが、今回は僕はなんとマイルス・デイヴィスの記事を翻訳した。マイルスの1972年から1975年にかけての『オン・ザ・コーナー』からしばらくの期間にスポットを当てた記事。マイケル・ヘンダーソン、エムトゥーメ、ピート・コージーらに、この時期のサウンドについて、実際にマイルスとプレイしてきたアーティストとして話を聞いている。これはおもしろい。
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昨日(7月3日)は、収録の後、ゴスペラーズ@武道館。久々にメンバーに会った。それにしても、武道館、超満員。東・西、ステージの真横までぎっちりファンが座ってる。15年間、やり続けてきた自信と、感謝にあふれていた。好きな歌を歌い、これだけの人たちに支持され愛され続けるということは、シンガーにとってこの上ない幸せだ。そして、今日は、マーチンの千穐楽。
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⊿鈴木雅之:「イエス、ウイ・ラヴ!」と宣言
2009年7月5日 音楽⊿鈴木雅之:「イエス、ウイ・ラヴ!」と宣言
【ラヴ・ソングの匠(たくみ)のきわみ~イエス・ウイ・ラヴ!】
匠。
マーヴィン・ゲイの「ザッツ・ザ・ウェイ・ラヴ・イズ」がかかっていたと思ったら、しばし、その音量がアップ。そして、曲終わりとともに暗転。ライヴが始まった。真っ暗闇のステージの上の方に忽然とマーチンが現れた。
「マーチン、朝まで歌ってぇ~~~」 客席から黄色い声援(ヴォキャブラリーが古くてすいません)がかかる。ずっと輝き続けること、スティル・ゴールドを大きなメイン・テーマに掲げた最新作『スティル・ゴールド』を中心にしたツアー千穐楽。フル・ショーを見るのは、2007年6月以来、ほぼ2年ぶり。
かつて渋谷公会堂だった場所は、今や、シーシー・レモン・ホール。「『スティル・ゴールド』ということで、マイクもゴールドにしました。やはり、この殺伐とした世の中、今、私たちに必要なのは、チェンジ…、あ、いや、違う、ラヴだと思います。だから、イエス・ウイ… ラヴ! さあ、皆さんもご一緒に。イエス・ウイ…」 すると観客席から一斉に「ラヴ」。
観客とのコール&レスポンスも手馴れたもので、MCも絶好調。そして、歌声も力強く、バンドもオールスター最強バンド。シュアでグルーヴィなベース小松さん、スーツ姿もかっこいい。コーイチロウさんもファンキーだ。マーチン曰く「来年は、私、デビュー30周年ということなんですが、今年は29年という中途半端な年でありまして…」(会場から爆笑)
1階は1曲目から立ち上がる客も。後半「ランアウェイ」以降は一気にパーティーが爆発。シーシー・レモン・ホールの温度も2度あがった。「可愛いいひとよ」を歌い終えた後、「生きて行く上でつらいときもあるでしょうけれど、これからもラヴ・ソングを歌っていきます」と言ってから、最新作から「ホーム・グロウン」を歌った。みんな、けっこう女優ミラー、持ってるんだ。浸透してます。
公会堂デビュー。
個人的なことなのだが、実は今回、達郎さん以来、また母親をライヴに連れて行った。するとこの会場、渋谷公会堂についての思わぬ事実が発覚。「今日行くところは、今はシーシー・レモン・ホールっていうんだけど、昔は、渋谷公会堂っていってたところだよ」 「あの公園通りを上がってったところ?」 「そう」 「そこね、前、行ったことあるわよ。あなたが幼稚園のとき、幼稚園でオルガン習ってて、その発表会が、渋谷公会堂であったの。40年以上前ね。あなた、覚えてない?」「ぜ~~んぜ~~ん、覚えてない…」
確か、最初オルガンを習い、小学校の途中からピアノを習ったのは覚えているのだが。藤沢でやった別の発表会は覚えてるのだが…。と、と、ということは、僕はマーチンより先に渋谷公会堂デビューしていた、ということ? (笑) たぶん、昭和35年(1960年)前後ではないか。
楽屋でマーチンと母親初対面。母親。「とても楽しめました。意外と時間が短かったんですね」(おそらく、達郎さんの3時間半を想像していたものと思われる) するとマーチン。「いや、もうこれでいっぱい、いっぱいです(笑)」 そして、今回、イラストレーター・作家の江守藹氏をお誘いし、一緒に鑑賞。マーチンとご対面。な、な、なんと2人はお互い知っていたが、実際に会うのは初めてということだった。これには僕もびっくり。楽屋では、ブラザー・コーンちゃん、ケイ・グラントさん、松尾潔さんと久しぶりに会った。楽屋から帰るとき、そのステージを横から見て、母親曰く「意外と小さいのね」。さっきまであった夢のステージはスタッフによって、手際よく撤収作業が行われていた。
■ 過去記事
前回ライヴ評~鈴木雅之ライヴ、ファイナルは大幅増量
2007年6月23日付けブログ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070623.html
■早くもこのツアーDVD発売決定
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002B5WVQ8/soulsearchiho-22/ref=nosim/
最新作『スティル・ゴールド』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001OAMWBK/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ メンバー
小松秀行(ベース、ミュージカル・ディレクター)
コーイチロウKo-Ichiro(キーボード)
竹内亨 (ギター)
林部直樹 (ギター)
岸田容男 (ドラムス)
高尾直樹 (バック・ヴォーカル)
有坂美香 (バック・ヴォーカル)
アイサ (バック・ヴォーカル)
■セットリスト 鈴木雅之
Setlist :taste of martini tour 2009 ~ Still Gold~ Suzuki Masayuki @ CC Lemon Hall, July 4th, 2009
*= song from Still Gold
show started 18:14
00. That’s The Way Love Is (Kenny Lattimore version - Marvin Gaye)
00. Intro
01. Still Gold *
02. Mirage~眩暈(めまい)~ *
03. ひとつだけ *
04. バックミラー *
05. さよならいとしのBaby Blues
06. ジョアンナ *
07. Endless Love (duo with Aisa)
08. 夜明けのスターライト(duo with Arisaka Mika)
09. ジョニイへの伝言
10. おやすみ *
11. おやすみロージー(アカペラ)
00. (インストゥルメンタル)
12. My Last Secret *
13. 恋のフライトタイム~12pm~
14. ランナウェイ
15. め組の人
16. 可愛いいひとよ
17. Home Grown *
Encore:
18. 違う、そうじゃない
19. 恋人
20. Walk Of Life *
21. 愛してるのに *
show ended 20:50
(2009年7月4日土曜、渋谷シーシー・レモン・ホール=鈴木雅之ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Suzuki, Masayuki
2009-73
【ラヴ・ソングの匠(たくみ)のきわみ~イエス・ウイ・ラヴ!】
匠。
マーヴィン・ゲイの「ザッツ・ザ・ウェイ・ラヴ・イズ」がかかっていたと思ったら、しばし、その音量がアップ。そして、曲終わりとともに暗転。ライヴが始まった。真っ暗闇のステージの上の方に忽然とマーチンが現れた。
「マーチン、朝まで歌ってぇ~~~」 客席から黄色い声援(ヴォキャブラリーが古くてすいません)がかかる。ずっと輝き続けること、スティル・ゴールドを大きなメイン・テーマに掲げた最新作『スティル・ゴールド』を中心にしたツアー千穐楽。フル・ショーを見るのは、2007年6月以来、ほぼ2年ぶり。
かつて渋谷公会堂だった場所は、今や、シーシー・レモン・ホール。「『スティル・ゴールド』ということで、マイクもゴールドにしました。やはり、この殺伐とした世の中、今、私たちに必要なのは、チェンジ…、あ、いや、違う、ラヴだと思います。だから、イエス・ウイ… ラヴ! さあ、皆さんもご一緒に。イエス・ウイ…」 すると観客席から一斉に「ラヴ」。
観客とのコール&レスポンスも手馴れたもので、MCも絶好調。そして、歌声も力強く、バンドもオールスター最強バンド。シュアでグルーヴィなベース小松さん、スーツ姿もかっこいい。コーイチロウさんもファンキーだ。マーチン曰く「来年は、私、デビュー30周年ということなんですが、今年は29年という中途半端な年でありまして…」(会場から爆笑)
1階は1曲目から立ち上がる客も。後半「ランアウェイ」以降は一気にパーティーが爆発。シーシー・レモン・ホールの温度も2度あがった。「可愛いいひとよ」を歌い終えた後、「生きて行く上でつらいときもあるでしょうけれど、これからもラヴ・ソングを歌っていきます」と言ってから、最新作から「ホーム・グロウン」を歌った。みんな、けっこう女優ミラー、持ってるんだ。浸透してます。
公会堂デビュー。
個人的なことなのだが、実は今回、達郎さん以来、また母親をライヴに連れて行った。するとこの会場、渋谷公会堂についての思わぬ事実が発覚。「今日行くところは、今はシーシー・レモン・ホールっていうんだけど、昔は、渋谷公会堂っていってたところだよ」 「あの公園通りを上がってったところ?」 「そう」 「そこね、前、行ったことあるわよ。あなたが幼稚園のとき、幼稚園でオルガン習ってて、その発表会が、渋谷公会堂であったの。40年以上前ね。あなた、覚えてない?」「ぜ~~んぜ~~ん、覚えてない…」
確か、最初オルガンを習い、小学校の途中からピアノを習ったのは覚えているのだが。藤沢でやった別の発表会は覚えてるのだが…。と、と、ということは、僕はマーチンより先に渋谷公会堂デビューしていた、ということ? (笑) たぶん、昭和35年(1960年)前後ではないか。
楽屋でマーチンと母親初対面。母親。「とても楽しめました。意外と時間が短かったんですね」(おそらく、達郎さんの3時間半を想像していたものと思われる) するとマーチン。「いや、もうこれでいっぱい、いっぱいです(笑)」 そして、今回、イラストレーター・作家の江守藹氏をお誘いし、一緒に鑑賞。マーチンとご対面。な、な、なんと2人はお互い知っていたが、実際に会うのは初めてということだった。これには僕もびっくり。楽屋では、ブラザー・コーンちゃん、ケイ・グラントさん、松尾潔さんと久しぶりに会った。楽屋から帰るとき、そのステージを横から見て、母親曰く「意外と小さいのね」。さっきまであった夢のステージはスタッフによって、手際よく撤収作業が行われていた。
■ 過去記事
前回ライヴ評~鈴木雅之ライヴ、ファイナルは大幅増量
2007年6月23日付けブログ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070623.html
■早くもこのツアーDVD発売決定
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002B5WVQ8/soulsearchiho-22/ref=nosim/
最新作『スティル・ゴールド』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001OAMWBK/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ メンバー
小松秀行(ベース、ミュージカル・ディレクター)
コーイチロウKo-Ichiro(キーボード)
竹内亨 (ギター)
林部直樹 (ギター)
岸田容男 (ドラムス)
高尾直樹 (バック・ヴォーカル)
有坂美香 (バック・ヴォーカル)
アイサ (バック・ヴォーカル)
■セットリスト 鈴木雅之
Setlist :taste of martini tour 2009 ~ Still Gold~ Suzuki Masayuki @ CC Lemon Hall, July 4th, 2009
*= song from Still Gold
show started 18:14
00. That’s The Way Love Is (Kenny Lattimore version - Marvin Gaye)
00. Intro
01. Still Gold *
02. Mirage~眩暈(めまい)~ *
03. ひとつだけ *
04. バックミラー *
05. さよならいとしのBaby Blues
06. ジョアンナ *
07. Endless Love (duo with Aisa)
08. 夜明けのスターライト(duo with Arisaka Mika)
09. ジョニイへの伝言
10. おやすみ *
11. おやすみロージー(アカペラ)
00. (インストゥルメンタル)
12. My Last Secret *
13. 恋のフライトタイム~12pm~
14. ランナウェイ
15. め組の人
16. 可愛いいひとよ
17. Home Grown *
Encore:
18. 違う、そうじゃない
19. 恋人
20. Walk Of Life *
21. 愛してるのに *
show ended 20:50
(2009年7月4日土曜、渋谷シーシー・レモン・ホール=鈴木雅之ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Suzuki, Masayuki
2009-73
●訂正:マイケル・ジャクソンは『ウィ・アー・ザ・ワールド』で4番目の逝去
2009年7月6日 音楽【訂正:マイケル・ジャクソンは『ウィ・アー・ザ・ワールド』で4番目の逝去】
意外。
おとといのブログで、『ウィ・アー・ザ・ワールド』を久々に見て、マイケルがこのセッション参加者45名の中で、レイ・チャールズに続いて死去した2人目だと書いた。そうしたら、それを読んだ西寺郷太さんが、「あの中にもうひとりマイケル以前に亡くなった人がいます。ジューン・ポインターです。だから、3番目です」と連絡をくれた。
そこで再度確認してみた。僕は、おとといの記事を書くときに、一応他に亡くなっている人がいないか、絶対生きている人以外は、確認した。で、一番気にしたのがポインター・シスターズだった。4姉妹の誰かが亡くなったことが記憶にあったので、4人を確認すると一番下のジューンが2006年に亡くなっていた。
April 14, 2006
June Pointer Dies At 52
【ジューン・ポインター死去】
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200604/2006_04_14.html
ところが、45人のリスト(DVDのライナーノーツ)を見ると、ポインターで参加しているのは、アニタ、ルース、そして、ボニーと印刷されていた。正確には43人が集合写真で映っていて、ボニーは44人目で「ノット・ピクチャーズ」として、45人目のウェイロン・ジェニングスと名前だけクレジットされていた。
なので、ジューンはいないと確認したのだ。だから、レイの次に亡くなったのがマイケル、と判断した。
ところが、西寺さんはさらに研究が深い。なんと、彼はこのセッションには、ジューンが来ていて、ボニーは来ていなかったはずだという。そこで深夜、いろいろ電話で話しながら、写真をネットで探したりして、このセッションに参加したのは、ボニーか、ジューンかということを議論した。
このセッションに関する資料本に載っていた他の写真(ジューンと思われる)、ボニーと姉妹が仲が悪いという事実などから、総合的に判断して当日このセッションに来ていたのはジューンで、ボニーは来ていなかったという結論になった。つまり、DVDのライナーのクレジットが間違っていたのだ。おそらくブックレット編集者は、ポインターの4人の名前と顔が一致していなかったのだろう。
ではなぜジューンは個々の写真には載っているのに、43人の集合写真に載っていないのか。ここからは西寺説なのだが、彼女はグループのリード・シンガー。この日、リード・シンガーで「ウィ・アー・ザ・ワールド」ではみな少しでもリードをもらっているが、彼女はたまたまリードをもらえなかった、そこでへそを曲げて帰ってしまったのではないか、という。作詞家のウェイロンは、この曲の歌詞が気に入らないというので帰ったそうだ。まあ、もっともスタジオの入り口には「エゴをドアに置いて、ここに入るように」といったニュアンスの張り紙があったのだが…。
そして、この集合写真に載っていないもうひとりのウェイロン・ジェニングスを一応調べたら、な、なんと彼は1937年6月15日生まれで、2002年2月13日、この45人の中で一番最初に亡くなっていたのだ。45人のうち、2人が集合写真に載っておらず(ジューンが正しいとして)、計らずもその2人が亡くなっていたことになる。なんという偶然か、奇遇か、あるいは呪いか。
実はこのウェイロン・ジェニングスにはおもしろい話があって、それを下記に書いている。
2004/05/03 (Mon)
8 Minutes 30 Seconds of American Pie: The Day The Music Born
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200405/diary20040503.html
大ヒット「アメリカン・パイ」関連の記事なのだが、その中で飛行機事故で死去するロックスターの話しになる。ウェイロンは、本来その飛行に乗るはずだったのだ。
というわけで、集合写真には写っていないが、このセッションには参加していたウェイロン(2002年2月)、レイ(2004年6月)、ジューン(2006年4月)、に続いてマイケルは4番目に亡くなっていたと訂正します。
それにしても、そのときにいろいろと生年月日を調べたのだが、マイケルはこの45人の中で2番目に若いのだ。マイケルよりさらに若いのは、弟のランディー(1961年10月29日生まれ)だけである。逆に長老はハリー・ベラフォンテ(1927年3月1日生まれ)、続いてレイ・チャールズ(1930年9月23日生まれ)、そして、クインシー・ジョーンズ(1933年3月14日生まれ)である。このセッションの1985年1月28日、クインシーは51歳だった。マイケルは、26歳である。
ところで、この『ウィ・アー・ザ・ワールド』のセッションについて、西寺郷太さんが大変おもしろい仮説を書いている。長文だが、興味深いのでごらんになってはいかがだろうか。なるほどと思う点も多々ある。
『(仮説)We Are The World の呪い』(2009年7月1日付け)
西寺郷太
http://www.nonareeves.com/life/gotama/words-session/
+++++
ENT>ARTIST>Jackson, Michael
ENT>SONG>We’re The World
意外。
おとといのブログで、『ウィ・アー・ザ・ワールド』を久々に見て、マイケルがこのセッション参加者45名の中で、レイ・チャールズに続いて死去した2人目だと書いた。そうしたら、それを読んだ西寺郷太さんが、「あの中にもうひとりマイケル以前に亡くなった人がいます。ジューン・ポインターです。だから、3番目です」と連絡をくれた。
そこで再度確認してみた。僕は、おとといの記事を書くときに、一応他に亡くなっている人がいないか、絶対生きている人以外は、確認した。で、一番気にしたのがポインター・シスターズだった。4姉妹の誰かが亡くなったことが記憶にあったので、4人を確認すると一番下のジューンが2006年に亡くなっていた。
April 14, 2006
June Pointer Dies At 52
【ジューン・ポインター死去】
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200604/2006_04_14.html
ところが、45人のリスト(DVDのライナーノーツ)を見ると、ポインターで参加しているのは、アニタ、ルース、そして、ボニーと印刷されていた。正確には43人が集合写真で映っていて、ボニーは44人目で「ノット・ピクチャーズ」として、45人目のウェイロン・ジェニングスと名前だけクレジットされていた。
なので、ジューンはいないと確認したのだ。だから、レイの次に亡くなったのがマイケル、と判断した。
ところが、西寺さんはさらに研究が深い。なんと、彼はこのセッションには、ジューンが来ていて、ボニーは来ていなかったはずだという。そこで深夜、いろいろ電話で話しながら、写真をネットで探したりして、このセッションに参加したのは、ボニーか、ジューンかということを議論した。
このセッションに関する資料本に載っていた他の写真(ジューンと思われる)、ボニーと姉妹が仲が悪いという事実などから、総合的に判断して当日このセッションに来ていたのはジューンで、ボニーは来ていなかったという結論になった。つまり、DVDのライナーのクレジットが間違っていたのだ。おそらくブックレット編集者は、ポインターの4人の名前と顔が一致していなかったのだろう。
ではなぜジューンは個々の写真には載っているのに、43人の集合写真に載っていないのか。ここからは西寺説なのだが、彼女はグループのリード・シンガー。この日、リード・シンガーで「ウィ・アー・ザ・ワールド」ではみな少しでもリードをもらっているが、彼女はたまたまリードをもらえなかった、そこでへそを曲げて帰ってしまったのではないか、という。作詞家のウェイロンは、この曲の歌詞が気に入らないというので帰ったそうだ。まあ、もっともスタジオの入り口には「エゴをドアに置いて、ここに入るように」といったニュアンスの張り紙があったのだが…。
そして、この集合写真に載っていないもうひとりのウェイロン・ジェニングスを一応調べたら、な、なんと彼は1937年6月15日生まれで、2002年2月13日、この45人の中で一番最初に亡くなっていたのだ。45人のうち、2人が集合写真に載っておらず(ジューンが正しいとして)、計らずもその2人が亡くなっていたことになる。なんという偶然か、奇遇か、あるいは呪いか。
実はこのウェイロン・ジェニングスにはおもしろい話があって、それを下記に書いている。
2004/05/03 (Mon)
8 Minutes 30 Seconds of American Pie: The Day The Music Born
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200405/diary20040503.html
大ヒット「アメリカン・パイ」関連の記事なのだが、その中で飛行機事故で死去するロックスターの話しになる。ウェイロンは、本来その飛行に乗るはずだったのだ。
というわけで、集合写真には写っていないが、このセッションには参加していたウェイロン(2002年2月)、レイ(2004年6月)、ジューン(2006年4月)、に続いてマイケルは4番目に亡くなっていたと訂正します。
それにしても、そのときにいろいろと生年月日を調べたのだが、マイケルはこの45人の中で2番目に若いのだ。マイケルよりさらに若いのは、弟のランディー(1961年10月29日生まれ)だけである。逆に長老はハリー・ベラフォンテ(1927年3月1日生まれ)、続いてレイ・チャールズ(1930年9月23日生まれ)、そして、クインシー・ジョーンズ(1933年3月14日生まれ)である。このセッションの1985年1月28日、クインシーは51歳だった。マイケルは、26歳である。
ところで、この『ウィ・アー・ザ・ワールド』のセッションについて、西寺郷太さんが大変おもしろい仮説を書いている。長文だが、興味深いのでごらんになってはいかがだろうか。なるほどと思う点も多々ある。
『(仮説)We Are The World の呪い』(2009年7月1日付け)
西寺郷太
http://www.nonareeves.com/life/gotama/words-session/
+++++
ENT>ARTIST>Jackson, Michael
ENT>SONG>We’re The World
■フェデラーとロディックのソウルの戦い~ウィンブルドン男子決勝
2009年7月7日 音楽■フェデラーとロディックのソウルの戦い~ウィンブルドン男子決勝
【フェデラー対ロディック、見事な芸術】
アート。
まさにアートと評してもいいのではないだろうか。あるいは、2人のソウル対ソウルの熱き戦いといってもいい。2009年7月5日(日曜)ウィンブルドンで行われた男子シングルス決勝は、本当にすばらしかった。このレヴェルでの戦い、このレヴェルでの技術を持つ2人の戦いは、マインド、ボディー、そしてソウルの戦いだ。どちらにも勝たせたかった。
全77ゲーム中(4大大会決勝新記録)フェデラーはサーヴィス・ゲームを2度しか落としていない。ロディックにいたっては、第76ゲームまで1度も落としていないのだ。白熱の壮絶な戦いだ。タイブレイクのない第5セットは、14ゲームズ・オールとなったところで、88分を経過していた。女子の試合なら1試合終わってしまうことも可能な時間だ。
29ゲーム目はフェデラーのサーヴ。これを簡単にキープ。フェデラーの15-14。そしてロディックのサーヴィス・ゲーム第30ゲームは、いきなり、0-30となりセンター・コートがざわめく。しかし、そこからロディックが3ポイントを連取し40-30、ゲーム・ポイント。しかし、フェデラーがもう1本取りデュース。ロディックの強烈なサーヴィスでアドヴァンテージ・ロディック。しかし、続くポイントをフェデラーが取り再びデュース。その次のポイントをロディックがミスして、ついに77ゲーム目にしてブレイク・ポイント、しかも、チャンピヨンシップ・ポイントとなる。
この日、それまで6回のブレイク・ポイントをものにできていなかった王者は、ロディックのミスショットか、フレームショットか、あるいはイレギュラー・バウンドだったか、いずれにせよ、このワンチャンスをものにした。4時間超で訪れたたった1回のチャンス。王者のグランドスラムは、15個に。それまで14個を保持していた元王者ピート・サンプラスの目前で、彼は15個目、ウィンブルドン優勝6回目を手にした。ロイヤル・ボックスにいたのは、サンプラスだけでなく、ボルグ、そして、ロッド・レイヴァー。放送席にはマッケンローも。4時間16分におよぶ死闘についに決着がついた。
本当にフェデラーは勝負強い。データを見ると、トータル・ポイントは、フェデラー223、ロディック213で、わずか10ポイントの差。互角だ。しかも強烈なのは、その200ポイント以上の中でロディックは5回のブレイク・ポイントで2回をゲット。この2回によって彼は2セットを取る。一方、フェデラーは7回のブレイク・ポイントを得ながら取れるのはたった1度だけ。しかし、それが、よりによって最後の最後77ゲーム目のブレイク・ポイント、すなわち、チャンピオンシップ・ポイントをものにするのである。勝負のあやは紙一重(かみひとえ)とはこのことだ。いや、神一重だ。
歴史に「もし」はないが、唯一ロディックに勝利の栄冠が輝いたとすれば、第2セットで得た4つのセットポイント(タイブレイクでロディック6-2になっていた)のどれか一つでもものにできれば、ということだろう。あそこで取っていれば、ロディックのセットカウント2-0になり展開は違った。おそらくロディックに勝利の女神が微笑んだ可能性は高い。
逆に言えばそれを取らせなかったフェデラーのすごさだ。フェデラー対ロディックのそれまでの対戦成績はフェデラーの18勝2敗だった。ひょっとして、これが呪縛としてロディックの頭によぎったのか。イギリスのメディアが書いた。「悪夢の4ポイント」。
ロディックはまちがいなく生涯、最高の試合をした。しかし、それに負けた。試合後、ロディックは椅子に座り呆然としていた。目は赤くなっているようだった。テニスは、スポーツはときとして残虐だ。試合後の会見場ではジャーナリストたちが、ロディックへの質問を躊躇していた、という。第2セットを落として、前向きでいられたか、という質問にロディックはこう答えた。「何事もそうだが、2つの考え方がある。落ち込んであきらめるか、前に向かって進むかだ。後者のほうが僕はいいと思った」
一方、フェデラーは言った。「確かに、僕はウィンブルドンの決勝のファイナル・セットでどう戦うべきかを知っていた」
打ちひしがれたロディックへの表彰式でのスタンディング・オヴェーションは、フェデラーよりも長く感じられた。この日、ロディックも、フェデラーも、見事なパフォーマンスを見せたアーティストだった。
SPORTS>TENNIS>Wimbledon, 2009
【フェデラー対ロディック、見事な芸術】
アート。
まさにアートと評してもいいのではないだろうか。あるいは、2人のソウル対ソウルの熱き戦いといってもいい。2009年7月5日(日曜)ウィンブルドンで行われた男子シングルス決勝は、本当にすばらしかった。このレヴェルでの戦い、このレヴェルでの技術を持つ2人の戦いは、マインド、ボディー、そしてソウルの戦いだ。どちらにも勝たせたかった。
全77ゲーム中(4大大会決勝新記録)フェデラーはサーヴィス・ゲームを2度しか落としていない。ロディックにいたっては、第76ゲームまで1度も落としていないのだ。白熱の壮絶な戦いだ。タイブレイクのない第5セットは、14ゲームズ・オールとなったところで、88分を経過していた。女子の試合なら1試合終わってしまうことも可能な時間だ。
29ゲーム目はフェデラーのサーヴ。これを簡単にキープ。フェデラーの15-14。そしてロディックのサーヴィス・ゲーム第30ゲームは、いきなり、0-30となりセンター・コートがざわめく。しかし、そこからロディックが3ポイントを連取し40-30、ゲーム・ポイント。しかし、フェデラーがもう1本取りデュース。ロディックの強烈なサーヴィスでアドヴァンテージ・ロディック。しかし、続くポイントをフェデラーが取り再びデュース。その次のポイントをロディックがミスして、ついに77ゲーム目にしてブレイク・ポイント、しかも、チャンピヨンシップ・ポイントとなる。
この日、それまで6回のブレイク・ポイントをものにできていなかった王者は、ロディックのミスショットか、フレームショットか、あるいはイレギュラー・バウンドだったか、いずれにせよ、このワンチャンスをものにした。4時間超で訪れたたった1回のチャンス。王者のグランドスラムは、15個に。それまで14個を保持していた元王者ピート・サンプラスの目前で、彼は15個目、ウィンブルドン優勝6回目を手にした。ロイヤル・ボックスにいたのは、サンプラスだけでなく、ボルグ、そして、ロッド・レイヴァー。放送席にはマッケンローも。4時間16分におよぶ死闘についに決着がついた。
本当にフェデラーは勝負強い。データを見ると、トータル・ポイントは、フェデラー223、ロディック213で、わずか10ポイントの差。互角だ。しかも強烈なのは、その200ポイント以上の中でロディックは5回のブレイク・ポイントで2回をゲット。この2回によって彼は2セットを取る。一方、フェデラーは7回のブレイク・ポイントを得ながら取れるのはたった1度だけ。しかし、それが、よりによって最後の最後77ゲーム目のブレイク・ポイント、すなわち、チャンピオンシップ・ポイントをものにするのである。勝負のあやは紙一重(かみひとえ)とはこのことだ。いや、神一重だ。
歴史に「もし」はないが、唯一ロディックに勝利の栄冠が輝いたとすれば、第2セットで得た4つのセットポイント(タイブレイクでロディック6-2になっていた)のどれか一つでもものにできれば、ということだろう。あそこで取っていれば、ロディックのセットカウント2-0になり展開は違った。おそらくロディックに勝利の女神が微笑んだ可能性は高い。
逆に言えばそれを取らせなかったフェデラーのすごさだ。フェデラー対ロディックのそれまでの対戦成績はフェデラーの18勝2敗だった。ひょっとして、これが呪縛としてロディックの頭によぎったのか。イギリスのメディアが書いた。「悪夢の4ポイント」。
ロディックはまちがいなく生涯、最高の試合をした。しかし、それに負けた。試合後、ロディックは椅子に座り呆然としていた。目は赤くなっているようだった。テニスは、スポーツはときとして残虐だ。試合後の会見場ではジャーナリストたちが、ロディックへの質問を躊躇していた、という。第2セットを落として、前向きでいられたか、という質問にロディックはこう答えた。「何事もそうだが、2つの考え方がある。落ち込んであきらめるか、前に向かって進むかだ。後者のほうが僕はいいと思った」
一方、フェデラーは言った。「確かに、僕はウィンブルドンの決勝のファイナル・セットでどう戦うべきかを知っていた」
打ちひしがれたロディックへの表彰式でのスタンディング・オヴェーションは、フェデラーよりも長く感じられた。この日、ロディックも、フェデラーも、見事なパフォーマンスを見せたアーティストだった。
SPORTS>TENNIS>Wimbledon, 2009
▲緊急特番 TOKYO-FM マイケル・ジャクソン 今日深夜 放送にゲスト出演します
今夜(2009年7月7日)深夜27時(正確には、7月8日水曜・午前3時)からのTOKYO-FMのマイケル・ジャクソン特番に出演します。アメリカ・ロスアンジェルスのステイプル・センターで行われる葬儀の現地リポートを含めた番組です。
今夜(2009年7月7日)深夜27時(正確には、7月8日水曜・午前3時)からのTOKYO-FMのマイケル・ジャクソン特番に出演します。アメリカ・ロスアンジェルスのステイプル・センターで行われる葬儀の現地リポートを含めた番組です。
★(緊急告知)今日朝、日本テレビ系『ズームイン・スーパー』でコメントします
2009年7月8日 音楽★(緊急告知)今日朝、日本テレビ系『ズームイン・スーパー』でコメントします
マイケル・ジャクソン追悼式に関連して、2009年7月8日(水曜)朝、日本テレビ系列の『ズームイン・スーパー』(午前5時20分~8時)で吉岡正晴がコメントをします。マイケルのこと、またマイケル・ジャクソンとこの日歌うと言われているスティーヴィー・ワンダーとの関係などについて話します。何秒使われるかわかりませんが。
マイケル・ジャクソン追悼式に関連して、2009年7月8日(水曜)朝、日本テレビ系列の『ズームイン・スーパー』(午前5時20分~8時)で吉岡正晴がコメントをします。マイケルのこと、またマイケル・ジャクソンとこの日歌うと言われているスティーヴィー・ワンダーとの関係などについて話します。何秒使われるかわかりませんが。
◆マイケル・ジャクソン追悼式
2009年7月8日 音楽◆マイケル・ジャクソン追悼式
【マイケル・ジャクソン追悼式】
追悼式。
マイケル・ジャクソンの追悼式が2009年7月7日午前10時すぎ(日本時間=8日午前2時すぎ)から、ロス・アンジェルスのステイプルス・センターで行われた。マライア・キャリー、スティーヴィー・ワンダー、ライオネル・リッチー、スモーキー・ロビンソン、ジェニファー・ハドソン、ベリー・ゴーディーらが参加。最後には、「ウィ・アー・ザ・ワールド」を全員で歌い盛大な追悼式となった。
セットリストなど詳細は明日以降にまとめるが、僕は東京FMの生番組『マイケル・ジャクソン追悼スペシャル キング・オブ・ポップ マイケル・イズ・フォーエヴァー』に午前3時から5時まで出ていた。スタジオ内でインターネットで画像だけを見ながら、番組を進行。とてもおもしろかった。
マライア・キャリーがトレイ・ロレンツと「アイル・ビー・ゼア」を歌う。そして、クイーン・ラティーファのスピーチ。ライオネル・リッチーの歌「ジーザス・ラヴズ・ミー」。
驚いたのは、ベリー・ゴーディーがスピーチの壇上に上がったこと。なかなか公の席に出てこないベリーが、さすがにマイケルの葬儀ということで、ユーモアも含めたスピーチをこなしていた。それに続いて登場したスティーヴィーが、「ネヴァー・ドリームド・ユー・リーヴ・イン・サマー」~「ゼイ・ウォント・ゴー・ホエン・アイ・ゴー」をピアノの弾き語りで披露。前者は、「まさか君が夏にいなくなるなんて夢にも思わなかった」という歌だ。なるほど、これはどんぴしゃの曲ではないか。
そして、ジェニファー・ハドソンの「ウィル・ユー・ビー・ゼア」。最初、顔だけではわからなかった。「フーズ・ラヴィン・ユー」を歌ったのは、なんと、7月13日から始まる予定だったロンドンでのライヴで前座を務めることになっていたシャヒーム。最後は「ウィ・アー・ザ・ワールド」を参加者全員で大合唱した。
最前列には、ジャクソン兄弟たちが、金色のネクタイ、黒いサングラスといういでたちで座っていた。ジャネット、ラトーヤ、そして、クインシー・ジョーンズはいたのだろうか。
ENT>MUSIC>ARTIST>Jackson, Michael
【マイケル・ジャクソン追悼式】
追悼式。
マイケル・ジャクソンの追悼式が2009年7月7日午前10時すぎ(日本時間=8日午前2時すぎ)から、ロス・アンジェルスのステイプルス・センターで行われた。マライア・キャリー、スティーヴィー・ワンダー、ライオネル・リッチー、スモーキー・ロビンソン、ジェニファー・ハドソン、ベリー・ゴーディーらが参加。最後には、「ウィ・アー・ザ・ワールド」を全員で歌い盛大な追悼式となった。
セットリストなど詳細は明日以降にまとめるが、僕は東京FMの生番組『マイケル・ジャクソン追悼スペシャル キング・オブ・ポップ マイケル・イズ・フォーエヴァー』に午前3時から5時まで出ていた。スタジオ内でインターネットで画像だけを見ながら、番組を進行。とてもおもしろかった。
マライア・キャリーがトレイ・ロレンツと「アイル・ビー・ゼア」を歌う。そして、クイーン・ラティーファのスピーチ。ライオネル・リッチーの歌「ジーザス・ラヴズ・ミー」。
驚いたのは、ベリー・ゴーディーがスピーチの壇上に上がったこと。なかなか公の席に出てこないベリーが、さすがにマイケルの葬儀ということで、ユーモアも含めたスピーチをこなしていた。それに続いて登場したスティーヴィーが、「ネヴァー・ドリームド・ユー・リーヴ・イン・サマー」~「ゼイ・ウォント・ゴー・ホエン・アイ・ゴー」をピアノの弾き語りで披露。前者は、「まさか君が夏にいなくなるなんて夢にも思わなかった」という歌だ。なるほど、これはどんぴしゃの曲ではないか。
そして、ジェニファー・ハドソンの「ウィル・ユー・ビー・ゼア」。最初、顔だけではわからなかった。「フーズ・ラヴィン・ユー」を歌ったのは、なんと、7月13日から始まる予定だったロンドンでのライヴで前座を務めることになっていたシャヒーム。最後は「ウィ・アー・ザ・ワールド」を参加者全員で大合唱した。
最前列には、ジャクソン兄弟たちが、金色のネクタイ、黒いサングラスといういでたちで座っていた。ジャネット、ラトーヤ、そして、クインシー・ジョーンズはいたのだろうか。
ENT>MUSIC>ARTIST>Jackson, Michael
○マイケル・ジャクソン・メモリアル:5人のグローヴに見る兄弟の絆
2009年7月9日 音楽○マイケル・ジャクソン・メモリアル:5人のグローヴに見る兄弟の絆
【マイケルにとっての初のビッグ・セレブレーション】
セレブレーション。
マイケル・ジャクソンは、長い間、その両親の宗教のために、いわゆる「祝い事」ができなかった。クリスマスのパーティーもプレゼントもなければ、誕生日を祝うこともなかった。おそらく、小さな子供心になぜクリスマス・プレゼントや誕生日パーティーがないのだろう、と思ったにちがいない。しかし、何年もそうしたパーティーがないことに徐々に慣れてしまったのだろう。
マイケルは11歳のときにすでに全米ナンバーワンヒットを出したことで、常に衆人環視の中で生きてこなければならなかった。そうして普通の子供ができることが出来なかった。放課後に級友と公園に行って遊んだり、近所の同級生とたわいないことで日が暮れるまで遊ぶことなどできなかった。彼は後年、それを自分の「失われた子供時代」と呼び、それを大人になり成功してから、取り戻そうとする。
その結果が、ネヴァーランドであり、子供たちを周囲に置いて、その子供たちと遊ぶことだった。「祝い事」がなかったことも、彼にとっては「失われた子供時代」の象徴的な一ページであっただろう。
そんなマイケル・ジャクソンにとって、生まれて初めての、そして最大のセレブレーション(祝い事)が、皮肉にもこの「メモリアル・サーヴィス」になった。CNNの中継は、タイムス・スクエア、ハーレム、アトランタ、ジャクソン家の生まれ故郷インディアナ州ゲイリーなどあちこちにカメラを配置している。
次々繰り広げられるスピーチ、音楽パフォーマンスは、どれも感動的だ。ベリー・ゴーディーは、マイケルを「グレイテスト・エンタテイナー・エヴァー・リヴド」(今まで誕生した中で、最大のエンタテイナー」と評した。マジック・ジョンソンは、「マイケルが我々(アフリカン・アメリカン)のために多くの扉を開いてくれた」と賞賛。
幼馴染で、お互い子供の頃から衆人環視の中にあって悩みを語り合ったブルック・シールズが、マイケルの好きだった曲としてチャーリー・チャップリンの「スマイル」のことを話すと、ジャーメイン・ジャクソンがその「スマイル」を歌った。ブルックは言った。「私たちは子供の頃から、大人であるように強制されました。でも私たちが2人でいるときは、2人とも小さな子供同士だったんです」 2人は「失われた子供時代」を、ほんの一時(ひととき)だったが、取り戻していたのだろう。
"Smile" by Charlie Chaplin
Smile though your heart is aching
さあ、微笑んで、心が痛んでも
Smile even though its breaking
ねえ、微笑んで、恋が破れても
When there are clouds in the sky, you’ll get by
大空が雲で覆われても、大丈夫、なんとかなる
If you smile through your fear and sorrow
恐怖と悲しみを乗り越えて微笑むことができれば、
Smile and maybe tomorrow
きっと、明日、
Youll see the sun come shining through for you
太陽があなたに燦燦とふりそそぐでしょう
ジャーメインは、なんとか歌いきった。拍手。
絆。
詩人マヤ・アンジェロウの詩を読んだクイーン・ラティーファ、ゴスペルを歌ったライオネル・リッチー、どちらもマイケルへの曲としては最高の2曲をメドレーで歌ったスティーヴィー、堂々としたジェニファー・ハドソン、そして、最後泣き出しそうになっていたアッシャー。アッシャーが歌うように、マイケルは、Gone too soon あまりに早くに行き過ぎた。
そして、当初まったく予定されていなかったのが、世界中を泣かせた11歳のパリス・キャサリーン・ジャクソンの「I just wanted to say, ever since I was born, Daddy has been the best father you could ever imagine. And I just wanted to say, I love him so much.(生まれた日からダディーは考えうる中で最高のダディー、愛してるわ、とっても)」という言葉だ。
ラリー・キングは、「このステイプルズ・センターには何度も来ているが、この日ほど感動したことはなかった」と言った。
ジャクソン家からは、5人の兄弟、ラトーヤ、ジャネット、リヴィー、そしてキャサリン、ジョー、兄弟たちの子供たちも来ていたようだ。しかし、やはりクインシー・ジョーンズの姿は見えなかった。ダイアナは、手紙での参加だ。
マジック・ジョンソンが彼にケンタッキー・フライド・チキンを勧めた話をした後に、言った。「今日は、彼のレガシーを祝う場です」
ジャッキー、ティト、ジャーメイン、マーロン、そして、ランディーらの「ジャクソン5人衆」は、黒いサングラスにゴールドのネクタイ、そして、片手にラインストーンの入ったグローヴをはめていた。それは、この5人のジャクソン兄弟たちの、マイケル・ジャクソンへ最大級のトリビュート、強い絆を見せた瞬間でもあった。
式典が終わり、最後、1本のスポットライトが天井から主人公のいなくなったステージ中央を照らしていた。それは今にもマイケルが、ムーンウォークを見せてくれそうな雰囲気を醸し出していた。
■マイケル・ジャクソンが歌った「スマイル」が収録されているのは『ヒストリー』↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00273D438/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■セットリスト マイケル・ジャクソン・メモリアル @ステイプルズ・センター 2009年7月7日
Setlist: Michael Jackson Memorial; @ Staples Center, July 7, 2009
memorial started around 10:12 (LA Time) (2:12am, July 8, Japan Time)
00. Soon and Very Soon (Andrae Crouch Choir)
01. Smokey Robinson Reads Diana Ross, Nelson Mandela Statement
>Casket In
02. Rev. Lucious Smith Speech
03. I’ll Be There (Mariah Carey & Trey Lorenz)
04. Queen Latifa Speech
05. Jesus Loves Me (Lionel Richie)
06. Berry Gordy Speech
07. Medley: Never Dreamed You’d Leave In Summer /
They Won’t Go When I Go (Stevie Wonder)
08. Magic Johnson & Kobe Bryant Speech
09. Will You Be There (Jennifer Hudson)
10. Al Sharpton Speech
11. Human Nature (John Mayer)
12. Brooke Shields Speech
13. Smile (Jermain Jackson)
14. Martin Luther King III & Bernice King Speech
15. Sheila Jackson Lee (congress woman) Speech
16. Gone Too Soon (Usher)
17. Video Footage of Michael Jackson
18. Who’s Lovin’ You (Shaheen Jafargholi)
19. Kenny Ortega Introducing Shaheen
20. We Are The World (All)
21. Heal The World (All)
22. Marlon Jackson Speech
23. Paris Jackson Speaking
>Casket go out
24. Rev. Lucious Smith Closing Speech
00. Man In The Mirror (Instrumental)
show ended 12:49 (04:49)
(2009年7月7日火曜、LA時間=ロスアンジェルス・ステイプルズ・センター=マイケル・ジャクソン・メモリアル・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Jackson, Michael Memorial
【マイケルにとっての初のビッグ・セレブレーション】
セレブレーション。
マイケル・ジャクソンは、長い間、その両親の宗教のために、いわゆる「祝い事」ができなかった。クリスマスのパーティーもプレゼントもなければ、誕生日を祝うこともなかった。おそらく、小さな子供心になぜクリスマス・プレゼントや誕生日パーティーがないのだろう、と思ったにちがいない。しかし、何年もそうしたパーティーがないことに徐々に慣れてしまったのだろう。
マイケルは11歳のときにすでに全米ナンバーワンヒットを出したことで、常に衆人環視の中で生きてこなければならなかった。そうして普通の子供ができることが出来なかった。放課後に級友と公園に行って遊んだり、近所の同級生とたわいないことで日が暮れるまで遊ぶことなどできなかった。彼は後年、それを自分の「失われた子供時代」と呼び、それを大人になり成功してから、取り戻そうとする。
その結果が、ネヴァーランドであり、子供たちを周囲に置いて、その子供たちと遊ぶことだった。「祝い事」がなかったことも、彼にとっては「失われた子供時代」の象徴的な一ページであっただろう。
そんなマイケル・ジャクソンにとって、生まれて初めての、そして最大のセレブレーション(祝い事)が、皮肉にもこの「メモリアル・サーヴィス」になった。CNNの中継は、タイムス・スクエア、ハーレム、アトランタ、ジャクソン家の生まれ故郷インディアナ州ゲイリーなどあちこちにカメラを配置している。
次々繰り広げられるスピーチ、音楽パフォーマンスは、どれも感動的だ。ベリー・ゴーディーは、マイケルを「グレイテスト・エンタテイナー・エヴァー・リヴド」(今まで誕生した中で、最大のエンタテイナー」と評した。マジック・ジョンソンは、「マイケルが我々(アフリカン・アメリカン)のために多くの扉を開いてくれた」と賞賛。
幼馴染で、お互い子供の頃から衆人環視の中にあって悩みを語り合ったブルック・シールズが、マイケルの好きだった曲としてチャーリー・チャップリンの「スマイル」のことを話すと、ジャーメイン・ジャクソンがその「スマイル」を歌った。ブルックは言った。「私たちは子供の頃から、大人であるように強制されました。でも私たちが2人でいるときは、2人とも小さな子供同士だったんです」 2人は「失われた子供時代」を、ほんの一時(ひととき)だったが、取り戻していたのだろう。
"Smile" by Charlie Chaplin
Smile though your heart is aching
さあ、微笑んで、心が痛んでも
Smile even though its breaking
ねえ、微笑んで、恋が破れても
When there are clouds in the sky, you’ll get by
大空が雲で覆われても、大丈夫、なんとかなる
If you smile through your fear and sorrow
恐怖と悲しみを乗り越えて微笑むことができれば、
Smile and maybe tomorrow
きっと、明日、
Youll see the sun come shining through for you
太陽があなたに燦燦とふりそそぐでしょう
ジャーメインは、なんとか歌いきった。拍手。
絆。
詩人マヤ・アンジェロウの詩を読んだクイーン・ラティーファ、ゴスペルを歌ったライオネル・リッチー、どちらもマイケルへの曲としては最高の2曲をメドレーで歌ったスティーヴィー、堂々としたジェニファー・ハドソン、そして、最後泣き出しそうになっていたアッシャー。アッシャーが歌うように、マイケルは、Gone too soon あまりに早くに行き過ぎた。
そして、当初まったく予定されていなかったのが、世界中を泣かせた11歳のパリス・キャサリーン・ジャクソンの「I just wanted to say, ever since I was born, Daddy has been the best father you could ever imagine. And I just wanted to say, I love him so much.(生まれた日からダディーは考えうる中で最高のダディー、愛してるわ、とっても)」という言葉だ。
ラリー・キングは、「このステイプルズ・センターには何度も来ているが、この日ほど感動したことはなかった」と言った。
ジャクソン家からは、5人の兄弟、ラトーヤ、ジャネット、リヴィー、そしてキャサリン、ジョー、兄弟たちの子供たちも来ていたようだ。しかし、やはりクインシー・ジョーンズの姿は見えなかった。ダイアナは、手紙での参加だ。
マジック・ジョンソンが彼にケンタッキー・フライド・チキンを勧めた話をした後に、言った。「今日は、彼のレガシーを祝う場です」
ジャッキー、ティト、ジャーメイン、マーロン、そして、ランディーらの「ジャクソン5人衆」は、黒いサングラスにゴールドのネクタイ、そして、片手にラインストーンの入ったグローヴをはめていた。それは、この5人のジャクソン兄弟たちの、マイケル・ジャクソンへ最大級のトリビュート、強い絆を見せた瞬間でもあった。
式典が終わり、最後、1本のスポットライトが天井から主人公のいなくなったステージ中央を照らしていた。それは今にもマイケルが、ムーンウォークを見せてくれそうな雰囲気を醸し出していた。
■マイケル・ジャクソンが歌った「スマイル」が収録されているのは『ヒストリー』↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00273D438/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■セットリスト マイケル・ジャクソン・メモリアル @ステイプルズ・センター 2009年7月7日
Setlist: Michael Jackson Memorial; @ Staples Center, July 7, 2009
memorial started around 10:12 (LA Time) (2:12am, July 8, Japan Time)
00. Soon and Very Soon (Andrae Crouch Choir)
01. Smokey Robinson Reads Diana Ross, Nelson Mandela Statement
>Casket In
02. Rev. Lucious Smith Speech
03. I’ll Be There (Mariah Carey & Trey Lorenz)
04. Queen Latifa Speech
05. Jesus Loves Me (Lionel Richie)
06. Berry Gordy Speech
07. Medley: Never Dreamed You’d Leave In Summer /
They Won’t Go When I Go (Stevie Wonder)
08. Magic Johnson & Kobe Bryant Speech
09. Will You Be There (Jennifer Hudson)
10. Al Sharpton Speech
11. Human Nature (John Mayer)
12. Brooke Shields Speech
13. Smile (Jermain Jackson)
14. Martin Luther King III & Bernice King Speech
15. Sheila Jackson Lee (congress woman) Speech
16. Gone Too Soon (Usher)
17. Video Footage of Michael Jackson
18. Who’s Lovin’ You (Shaheen Jafargholi)
19. Kenny Ortega Introducing Shaheen
20. We Are The World (All)
21. Heal The World (All)
22. Marlon Jackson Speech
23. Paris Jackson Speaking
>Casket go out
24. Rev. Lucious Smith Closing Speech
00. Man In The Mirror (Instrumental)
show ended 12:49 (04:49)
(2009年7月7日火曜、LA時間=ロスアンジェルス・ステイプルズ・センター=マイケル・ジャクソン・メモリアル・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Jackson, Michael Memorial
◎『ソウル・サーチン:アイズリー・ブラザーズ』まであと4日
2009年7月10日 音楽◎『ソウル・サーチン:アイズリー・ブラザーズ』まであと4日
【『ソウル・サーチン』リハーサル始まる】
プロ集団。
2年4ヶ月ぶりとなる音楽イヴェント『ソウル・サーチン:ザ・セッションVol.3~ア・トリビュート・トゥ・アイズリー・ブラザーズ(アイズレー・ブラザース)』まであと4日。9日(木)からいよいよリハーサルが始まった。いつもの通り、ヴォーカル隊のリハーサル、バンドのリハーサル、そして合同のリハーサルと3日間のリハを経て本番に臨む。
毎回一組のソウル・レジェンドをピック・アップして、そのアーティストについてのトークとリアル・バンドによるライヴ演奏でそのアーティストの魅力を探るイヴェント『ソウル・サーチン』。通算8回目は、8回目にして初のグループ。取り上げたのは50年近い歴史を誇るアイズリー・ブラザーズだ。
今日のヴォーカル・リハには、音楽ディレクターのケイリブ・ジェームス、現在AI(アイ)や久保田利伸などのコーラスなどで活躍するユリ、ニューヨーク出身でケイリブとは長年の友人でもあるタイロン・デイヴィス(シカゴ出身のソウル・シンガーとは同名異人)、そして、『ソウル・サーチン~ディーヴァ・グレイ』のライヴでコーラスをつけてくれたロビー・ダンジー(元クリストル=1980年代にアルバムをリリースした4人組女性R&Bグループの一員)、当日パーカッション、サックスもやりながら、コーラスをつけるゲイリー・スコットらの基本メンバーに、ゲストのシャンティ、木下航志、そして、シークレット・ゲストが集まった。
アイズリーは、レコード上では歌の部分を3人、バンドが3人という布陣で全音を作るが、それでも多重録音しているため、実際にライヴでやるには6人では足りない。たとえば、コーラスもダブルで入っていたり、ギターの音も2種類入っていたりするからだ。
そして、『ソウル・サーチン』は、いつもながら、あれもこれも加えていくという悪い癖があり(笑)、またまたかなりの大所帯になってしまった。今回はバンドが7人、コーラスが3人、これにゲスト・シンガーが5人ほど入る予定。そして、吉岡が司会となり、トーク・パネリストが3人だ。周囲からは、「こんなぜいたくなイヴェントがあるのか」と言われているが、確かに、よくよく冷静に考えるとずいぶんぜいたくな感じだ。いつも密度は濃い。
それはともかく、先日のケイリブとの打ち合わせでやる曲を絞り込んだのだが、これがなんといっても50年の歴史があるだけに、実に大変。しかし、選曲してヴォーカルのリハーサルをしてみると、タイロン、ユリ、ロビー、ゲイリー、シャンティらのコーラスが実にぶ厚くなって素晴らしい。
奇しくもシャンティが言った。「このコーラス、最高。こうしたい、ああしたいというという希望もすぐ、みんなわかってくれる。たとえば、もう少し暖かく、って言うと、みんなそれをすぐ理解してくれて、暖かいコーラス・ハーモニーをつけてくれる。やわらかく、といえば、やわらかくなる。楽しいわ~~」。
いくつかのセクションでメドレーにしたが、たぶん、みなさんの好きなあんな曲、こんな曲の多くの曲をできるかとは思うが、果たして。
ところで、いつもリハーサルに入ると、僕はオーガナイザーという立場を忘れてしまう。狭いスタジオでケイリブをはじめとするシンガーやミュージシャンたちが、真剣にたった4小節のコーラス部分を何度も何度もやり直しながら完成させていく過程を目の当たりにしているだけで興奮してくる。彼らは純粋にそのコーラス・パートをどうすれば最高のものにできるか、徹底して研究し、実践しているのだ。特に今回は、ソロ・シンガーではなく、初めてのヴォーカル・グループということもあり、コーラス・パートはおもしろい。前回のアレサのときの、バック・コーラスも実に見ていて楽しかったが、今回もそれ以上のものがある。当たり前なんだが、みんなほんとにプロ集団だ。
帰り際、ゲイリーに言われた。「マサハル、なんで、ジェームス・ブラウンをやらないんだ。それから、今年中にマイケル・ジャクソンをやろうよ」 すると横にいたロビー・ダンジーが、彼女は7月末に一度LAに戻り、12月の頭に日本に戻るが、「もし11月にソウル・サーチンやるなら、それにあわせて絶対戻ってくるわよ」との嬉しい一言。みなさん、ありがとう。
■予習するなら、とりあえず『エッセンシャル』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002JP1W6/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ソウル・サーチン告知:
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090524.html
詳細 (まだ初日のほうは、若干座席が残っています。ご予約はお早めに)
記
イヴェント名 『ブルース・アレー・ジャパン・プレゼンツ~ソウル・サーチン: ザ・セッションVol.3 ~ア・トリビュート・トゥ・アイズリー・ブラザーズ』
日時 2009年07月14日(火曜) July 14 (Tuesday), 2009 19時半~
日時 2009年07月15日(水曜) July 15 (Wednesday), 2009 19時半~
出演 ケイリブ・ジェームス&ザ・ソウル・サーチャーズ・フィーチャリング・フィリップ・ウー
ゲスト 木下航志、シャンティほか
トーク・パネリスト 司会 吉岡正晴、松尾潔(予定)、尾臺順子、岡伸昭
会場 目黒・ブルース・アレー http://www.bluesalley.co.jp/
住所 〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14
ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F
電話 03-5740-6041(予約専用電話)当日のお店の番号03-5496-4381
料金 5500円(チケット代)+525円(席料)+ドリンクなど、立ち見は5000円 当日券は各料金\500UP (各税込)
主催・制作 ソウル・サーチン実行委員会
お問い合わせ先 soul_searchin_the_session@yahoo.co.jp
予約は 03-5740-6041(予約専用電話)あるいは、ウェッブから。
http://www.bluesalley.co.jp/
ENT>ANNOUNCEMENT>Soul Searchin
【『ソウル・サーチン』リハーサル始まる】
プロ集団。
2年4ヶ月ぶりとなる音楽イヴェント『ソウル・サーチン:ザ・セッションVol.3~ア・トリビュート・トゥ・アイズリー・ブラザーズ(アイズレー・ブラザース)』まであと4日。9日(木)からいよいよリハーサルが始まった。いつもの通り、ヴォーカル隊のリハーサル、バンドのリハーサル、そして合同のリハーサルと3日間のリハを経て本番に臨む。
毎回一組のソウル・レジェンドをピック・アップして、そのアーティストについてのトークとリアル・バンドによるライヴ演奏でそのアーティストの魅力を探るイヴェント『ソウル・サーチン』。通算8回目は、8回目にして初のグループ。取り上げたのは50年近い歴史を誇るアイズリー・ブラザーズだ。
今日のヴォーカル・リハには、音楽ディレクターのケイリブ・ジェームス、現在AI(アイ)や久保田利伸などのコーラスなどで活躍するユリ、ニューヨーク出身でケイリブとは長年の友人でもあるタイロン・デイヴィス(シカゴ出身のソウル・シンガーとは同名異人)、そして、『ソウル・サーチン~ディーヴァ・グレイ』のライヴでコーラスをつけてくれたロビー・ダンジー(元クリストル=1980年代にアルバムをリリースした4人組女性R&Bグループの一員)、当日パーカッション、サックスもやりながら、コーラスをつけるゲイリー・スコットらの基本メンバーに、ゲストのシャンティ、木下航志、そして、シークレット・ゲストが集まった。
アイズリーは、レコード上では歌の部分を3人、バンドが3人という布陣で全音を作るが、それでも多重録音しているため、実際にライヴでやるには6人では足りない。たとえば、コーラスもダブルで入っていたり、ギターの音も2種類入っていたりするからだ。
そして、『ソウル・サーチン』は、いつもながら、あれもこれも加えていくという悪い癖があり(笑)、またまたかなりの大所帯になってしまった。今回はバンドが7人、コーラスが3人、これにゲスト・シンガーが5人ほど入る予定。そして、吉岡が司会となり、トーク・パネリストが3人だ。周囲からは、「こんなぜいたくなイヴェントがあるのか」と言われているが、確かに、よくよく冷静に考えるとずいぶんぜいたくな感じだ。いつも密度は濃い。
それはともかく、先日のケイリブとの打ち合わせでやる曲を絞り込んだのだが、これがなんといっても50年の歴史があるだけに、実に大変。しかし、選曲してヴォーカルのリハーサルをしてみると、タイロン、ユリ、ロビー、ゲイリー、シャンティらのコーラスが実にぶ厚くなって素晴らしい。
奇しくもシャンティが言った。「このコーラス、最高。こうしたい、ああしたいというという希望もすぐ、みんなわかってくれる。たとえば、もう少し暖かく、って言うと、みんなそれをすぐ理解してくれて、暖かいコーラス・ハーモニーをつけてくれる。やわらかく、といえば、やわらかくなる。楽しいわ~~」。
いくつかのセクションでメドレーにしたが、たぶん、みなさんの好きなあんな曲、こんな曲の多くの曲をできるかとは思うが、果たして。
ところで、いつもリハーサルに入ると、僕はオーガナイザーという立場を忘れてしまう。狭いスタジオでケイリブをはじめとするシンガーやミュージシャンたちが、真剣にたった4小節のコーラス部分を何度も何度もやり直しながら完成させていく過程を目の当たりにしているだけで興奮してくる。彼らは純粋にそのコーラス・パートをどうすれば最高のものにできるか、徹底して研究し、実践しているのだ。特に今回は、ソロ・シンガーではなく、初めてのヴォーカル・グループということもあり、コーラス・パートはおもしろい。前回のアレサのときの、バック・コーラスも実に見ていて楽しかったが、今回もそれ以上のものがある。当たり前なんだが、みんなほんとにプロ集団だ。
帰り際、ゲイリーに言われた。「マサハル、なんで、ジェームス・ブラウンをやらないんだ。それから、今年中にマイケル・ジャクソンをやろうよ」 すると横にいたロビー・ダンジーが、彼女は7月末に一度LAに戻り、12月の頭に日本に戻るが、「もし11月にソウル・サーチンやるなら、それにあわせて絶対戻ってくるわよ」との嬉しい一言。みなさん、ありがとう。
■予習するなら、とりあえず『エッセンシャル』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002JP1W6/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ソウル・サーチン告知:
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090524.html
詳細 (まだ初日のほうは、若干座席が残っています。ご予約はお早めに)
記
イヴェント名 『ブルース・アレー・ジャパン・プレゼンツ~ソウル・サーチン: ザ・セッションVol.3 ~ア・トリビュート・トゥ・アイズリー・ブラザーズ』
日時 2009年07月14日(火曜) July 14 (Tuesday), 2009 19時半~
日時 2009年07月15日(水曜) July 15 (Wednesday), 2009 19時半~
出演 ケイリブ・ジェームス&ザ・ソウル・サーチャーズ・フィーチャリング・フィリップ・ウー
ゲスト 木下航志、シャンティほか
トーク・パネリスト 司会 吉岡正晴、松尾潔(予定)、尾臺順子、岡伸昭
会場 目黒・ブルース・アレー http://www.bluesalley.co.jp/
住所 〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14
ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F
電話 03-5740-6041(予約専用電話)当日のお店の番号03-5496-4381
料金 5500円(チケット代)+525円(席料)+ドリンクなど、立ち見は5000円 当日券は各料金\500UP (各税込)
主催・制作 ソウル・サーチン実行委員会
お問い合わせ先 soul_searchin_the_session@yahoo.co.jp
予約は 03-5740-6041(予約専用電話)あるいは、ウェッブから。
http://www.bluesalley.co.jp/
ENT>ANNOUNCEMENT>Soul Searchin
☆ソウル・サーチン:バンド・リハーサル~ソウル・サーチンまであと3日
2009年7月11日 音楽☆ソウル・サーチン:バンド・リハーサル~ソウル・サーチンまであと3日
【ソウル・サーチンまであと3日】
タイト。
音楽イヴェント『ソウル・サーチン~アイズレー・ブラザース』のリハーサル第2日目はバンドのリハ。ドラムス、ギター、ギター、ベース、キーボード、キーボード、パーカッション&サックス。前回アレサ・フランクリンのときの強力布陣だが、2人目のギターは『ソウル・サーチン』初登場のマサ小浜さん。
もう何度もあちこちでそのファンキーなギター・ワークを見せて、聴かせてもらってるが、ソウル・サーチャーズに参加していただくのは初めて。ガッツ(中澤信栄)とのコンビネーションも実にいい感じだ。そして、ドラムス(高田真)、ベース(原武)のコンビネーションも前回証明済み。さらに、ケイリブ・ジェームスとフィリップ・ウーのツイン・キーボードも役割分担がしっかりできている。フィリップは、こういうリハの様子を見ていると、実に職人、まさに匠という感じがする。
ガッツは、昨日朝沖縄から羽田に戻ってきて、一度自宅に戻り、そこからリハ・スタジオまでやってきた。
アコースティック・ギターの響きも印象的な代表曲のひとつでこんなことがあった。一度通してやってみたあとフィリップが言った。「ケイリブ、ヴァースの先をちょっとかけてくれないか」 ケイリブがCDをプレイする。「うん、1回目は、こうだが(とキーボードをプレイする)、2回目だけはこうだ。1回目はセヴンなんだが、2回目は、2回目だけは、Eマイナーだ」 「ほんとか、そうするとクラッシュしてるな」 そうしてそこに調整が行われた。
ケイリブが軽く仮歌で歌うのだが、その声を聴いているとだんだんケイリブの声がロナルドのように聞こえてくるから不思議だ。
ソウル・サーチャーズのロナルドは、ケイリブ、アーニー・アイズレー役はガッツとマサ小浜。クリス・ジャスパー(キーボード)は、ケイリブ&フィリップ、そして、ドラムスはギター同様アーニーで、その役は高田真、ベース役マーヴィンは、原武ということになる。東京アイズレーたちだ。
メドレーでまとめる曲もあるが、全部で23曲ほどになる予定だ。フィリップが言った。「クソ多いな、この曲数!(笑)」しかし、ゲイリーとケイリブのかけあいは、みょーな漫才みたいでおもしろい。
マサさんが言った。「アイズレーって、ロックぽい曲が多いですよね。そこがおもしろい」
ひとつネタばれになるが、書いてしまおう。実は、彼らの大ヒット「フーズ・ザット・レイディー」をやるのだが、この曲は1973年の『3+3』のアルバムに入っているヴァージョンがよく知られている。これは、元々1964年ごろレコーディングされたもので、そのヴァージョンはボサノヴァ風でオルガンなども入ったかなり60年代風のもの。1973年ヴァージョンとはまったく違う。そこで、冒頭で少し60年代風をやって、そこから70年代ものにつなげようというアイデアだ。これはけっこうおもしろい出来になると思う。
それにしても、小さなリハ・スタジオで聴いているせいか、実に音にしまりがあってタイトでファンキーだ。ほんと、なんかこれでミニ・ツアーでもしたい感じになってくる。
ソウル・サーチンまであと3日。
ソウル・サーチン告知:
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090524.html
詳細 (まだ初日のほうは、若干座席が残っています。ご予約はお早めに)
記
イヴェント名 『ブルース・アレー・ジャパン・プレゼンツ~ソウル・サーチン: ザ・セッションVol.3 ~ア・トリビュート・トゥ・アイズリー・ブラザーズ』
日時 2009年07月14日(火曜) July 14 (Tuesday), 2009 19時半~
日時 2009年07月15日(水曜) July 15 (Wednesday), 2009 19時半~
出演 ケイリブ・ジェームス&ザ・ソウル・サーチャーズ・フィーチャリング・フィリップ・ウー
ゲスト 木下航志、シャンティほか
トーク・パネリスト 司会 吉岡正晴、松尾潔(予定)、尾臺順子、岡伸昭
会場 目黒・ブルース・アレイ http://www.bluesalley.co.jp/
住所 〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14
ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F
電話 03-5740-6041(予約専用電話)当日のお店の番号03-5496-4381
料金 5500円(チケット代)+525円(席料)+ドリンクなど、立ち見は5000円 当日券は各料金\500UP (各税込)
主催・制作 ソウル・サーチン実行委員会
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予約は 03-5740-6041(予約専用電話)あるいは、ウェッブから。
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【ソウル・サーチンまであと3日】
タイト。
音楽イヴェント『ソウル・サーチン~アイズレー・ブラザース』のリハーサル第2日目はバンドのリハ。ドラムス、ギター、ギター、ベース、キーボード、キーボード、パーカッション&サックス。前回アレサ・フランクリンのときの強力布陣だが、2人目のギターは『ソウル・サーチン』初登場のマサ小浜さん。
もう何度もあちこちでそのファンキーなギター・ワークを見せて、聴かせてもらってるが、ソウル・サーチャーズに参加していただくのは初めて。ガッツ(中澤信栄)とのコンビネーションも実にいい感じだ。そして、ドラムス(高田真)、ベース(原武)のコンビネーションも前回証明済み。さらに、ケイリブ・ジェームスとフィリップ・ウーのツイン・キーボードも役割分担がしっかりできている。フィリップは、こういうリハの様子を見ていると、実に職人、まさに匠という感じがする。
ガッツは、昨日朝沖縄から羽田に戻ってきて、一度自宅に戻り、そこからリハ・スタジオまでやってきた。
アコースティック・ギターの響きも印象的な代表曲のひとつでこんなことがあった。一度通してやってみたあとフィリップが言った。「ケイリブ、ヴァースの先をちょっとかけてくれないか」 ケイリブがCDをプレイする。「うん、1回目は、こうだが(とキーボードをプレイする)、2回目だけはこうだ。1回目はセヴンなんだが、2回目は、2回目だけは、Eマイナーだ」 「ほんとか、そうするとクラッシュしてるな」 そうしてそこに調整が行われた。
ケイリブが軽く仮歌で歌うのだが、その声を聴いているとだんだんケイリブの声がロナルドのように聞こえてくるから不思議だ。
ソウル・サーチャーズのロナルドは、ケイリブ、アーニー・アイズレー役はガッツとマサ小浜。クリス・ジャスパー(キーボード)は、ケイリブ&フィリップ、そして、ドラムスはギター同様アーニーで、その役は高田真、ベース役マーヴィンは、原武ということになる。東京アイズレーたちだ。
メドレーでまとめる曲もあるが、全部で23曲ほどになる予定だ。フィリップが言った。「クソ多いな、この曲数!(笑)」しかし、ゲイリーとケイリブのかけあいは、みょーな漫才みたいでおもしろい。
マサさんが言った。「アイズレーって、ロックぽい曲が多いですよね。そこがおもしろい」
ひとつネタばれになるが、書いてしまおう。実は、彼らの大ヒット「フーズ・ザット・レイディー」をやるのだが、この曲は1973年の『3+3』のアルバムに入っているヴァージョンがよく知られている。これは、元々1964年ごろレコーディングされたもので、そのヴァージョンはボサノヴァ風でオルガンなども入ったかなり60年代風のもの。1973年ヴァージョンとはまったく違う。そこで、冒頭で少し60年代風をやって、そこから70年代ものにつなげようというアイデアだ。これはけっこうおもしろい出来になると思う。
それにしても、小さなリハ・スタジオで聴いているせいか、実に音にしまりがあってタイトでファンキーだ。ほんと、なんかこれでミニ・ツアーでもしたい感じになってくる。
ソウル・サーチンまであと3日。
ソウル・サーチン告知:
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090524.html
詳細 (まだ初日のほうは、若干座席が残っています。ご予約はお早めに)
記
イヴェント名 『ブルース・アレー・ジャパン・プレゼンツ~ソウル・サーチン: ザ・セッションVol.3 ~ア・トリビュート・トゥ・アイズリー・ブラザーズ』
日時 2009年07月14日(火曜) July 14 (Tuesday), 2009 19時半~
日時 2009年07月15日(水曜) July 15 (Wednesday), 2009 19時半~
出演 ケイリブ・ジェームス&ザ・ソウル・サーチャーズ・フィーチャリング・フィリップ・ウー
ゲスト 木下航志、シャンティほか
トーク・パネリスト 司会 吉岡正晴、松尾潔(予定)、尾臺順子、岡伸昭
会場 目黒・ブルース・アレイ http://www.bluesalley.co.jp/
住所 〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14
ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F
電話 03-5740-6041(予約専用電話)当日のお店の番号03-5496-4381
料金 5500円(チケット代)+525円(席料)+ドリンクなど、立ち見は5000円 当日券は各料金\500UP (各税込)
主催・制作 ソウル・サーチン実行委員会
お問い合わせ先 soul_searchin_the_session@yahoo.co.jp
予約は 03-5740-6041(予約専用電話)あるいは、ウェッブから。
http://www.bluesalley.co.jp/
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△マイケルの急死を悼んで~マイケル・ジャクソンとメディアの戦い (パート1)
2009年7月12日 音楽△マイケルの急死を悼んで~マイケル・ジャクソンとメディアの戦い (パート1)
【マイケル・ジャクソンとメディアの戦い(パート1)】
嘘。
「自分の行動には十分注意しなさい。なぜなら、嘘だって(いつしか)真実になってしまうから」(And be careful of what you do ’cause the lie becomes the truth) (「ビリー・ジーン」から)
嘘だとしても、それがメディアで繰り返し流されてしまえば、多くの人が信じてしまう「虚像の真実」になってしまう。この「嘘が(いつしか)真実になる(lie becomes the truth)」という一行は、1982年暮れに発表された『スリラー』の「ビリー・ジーン」の中でも強烈なマイケル・ジャクソンの主張だった。すでにこの時点で、マイケル・ジャクソンはメディアと距離を置き、一切のインタヴューを受けないと宣言していた。
それは、いくらインタヴューに答えても、メディアは自分が書きたいと思う趣旨の記事しか書かず、何か書く時は、その趣旨にあわせ、発言者の発言をねじまげて書く。そうしたことにすっかり嫌気が差したマイケルは一切の取材を遮断する。メディアに答えなくなると、今度はメディアは憶測と想像でストーリーを作り始める。すると、マイケルはさらにメディア嫌いになっていく。もはや悪の連鎖は誰にも止められなくなった。それが1980年代初期のことだ。
マイケルは、『オフ・ザ・ウォール』(1979年発表)のリリース時にはいくつかの媒体のインタヴューを受けていた。だが、『スリラー』(1982年発表)の時には、一切のインタヴューを受けなかった。1984年にジャネット・ジャクソンに僕がインタヴューしたときに、「なぜ、マイケルは一切のメディアのインタヴューを受けなくなったのか」と尋ねると、「かつて、自分が言ったこととまったく逆のことを書かれ、とても傷ついたので、それ以来一切の取材を断ることにしたのよ」と言っていたことを思い出す。
その後、マイケルは、編集ができない生放送でのインタヴューならという条件で2度インタヴューに答える。それがオプラ・ウィンフリー(1993年2月10日)とダイアン・ソーヤーのトーク・ショー(1995年6月15日)への出演だ。
では取材を断るようになって以来、マイケルはどうしたかというと、自分の主張や考え方は、時折開かれる何かの記者会見のときや、自らのレコード、作品の中で発表するようになる。「ビリー・ジーン」での一行は、そうしたメディアに対するメッセージだ。
+++++
黒白。
未だに多くのメディアが「マイケルは白人になりたかった」「肌を脱色している」と書く。肌の件は、彼の持病だ。膠原病(こうげんびょう)という病気で、肌の色素が壊れてしまい、白い斑点ができてしまうというもの。免疫力も低下するという。彼は肌の病気だということを1980年代の初めから言っている。
僕が1983年8月、マイケルの自宅で彼に会ったとき、マイケルは「僕は太陽の光に当たってはいけないんだ」と言ったことを強烈に覚えている。真夏の暑い日ざしのカリフォルニアだったからだと思った。そのときは、僕自身それがどれほど重大なことかまったく認識していなかった。その発言自体をずっと忘れていたほどだ。だが、その後彼の肌が変化するにつれ、ダイアン・ソーヤーのショーに生放送で出演し、肌の病気のことを語ったとき、そのことを思い出した。
彼の音楽や出自をじっくり観察し冷静に考えてみれば、マイケルが「白人になりたい」などと思うはずがないことは自明の理なのだ。白人のエンタテイナーを尊敬することはあれ、自身の黒人としてのプライドは強い。それをおもしろおかしく、「白人になりたい黒人」というステレオ・タイプにはめ込んだほうがネタとして売れるので、そういうストーリーを作ったのだろう。
しかし、メディアで「マイケルは白人になりたがった」ということが繰り返し流されると、多くの人はそうだと思ってしまう。メディアのいいかげんさが良く出た例だ。まさに「嘘も(いつしか)真実になってしまう」のだ。これはマイケルのことだけに限らない。
肌の病気ゆえに、『マイケルは白人になりたがっている』といわれてしまったのは、彼にとっても本当に不本意だったことだろう。この病気ゆえに痛み止めを常用し、それが中毒となり、痛み止めのオーヴァードーズ(過剰摂取)が死に至らしめたとしたら、この病気こそ、彼の大きな死因となる。(このあたりは今後の死因の正式な発表を待たねばならない)
僕はマイケル自身もこの病気については、もっとはっきりと声明なりを発表すればよかったと思う。そこで本当に文字通り白黒はっきりさせるべきだったと言えるが、今となってはそれも結果論かもしれない。
(この項、つづく予定)
■ マイケル・ジャクソン逝去関連記事
June 27, 2009 04:53:57
●マイケル・ジャクソンが成し遂げたこと
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10288332826.html#main
June 29, 2009 04:52:33
★マイケル・ジャクソンの死とマーヴィン・ゲイの死
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10289623911.html
July 04, 2009 05:56:21
△ マイケル・ジャクソンのリハーサル模様
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10292898588.html
July 08, 2009 06:54:44
◆ マイケル・ジャクソン追悼式
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10295593849.html
July 09, 2009 05:14:04
○ マイケル・ジャクソン・メモリアル:5人のグローヴに見る兄弟の絆
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10296230966.html#main
++++
2003/12/23 (Tue)
From King To King
http://www.soulsearchin.com/entertainment/tv/diary20031223.html
2003/02/25 (Tue)
Michael Jackson’s Soul Searchin’
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200302/diary20030225.html
■ マイケル・ジャクソンの言葉はここの現場に 『ヒストリー』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00273D438/soulsearchiho-22/ref=nosim/
『デンジャラス』もメッセージいっぱい
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00273D43I/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>MUSIC>ARTIST>Jackson, Michael
【マイケル・ジャクソンとメディアの戦い(パート1)】
嘘。
「自分の行動には十分注意しなさい。なぜなら、嘘だって(いつしか)真実になってしまうから」(And be careful of what you do ’cause the lie becomes the truth) (「ビリー・ジーン」から)
嘘だとしても、それがメディアで繰り返し流されてしまえば、多くの人が信じてしまう「虚像の真実」になってしまう。この「嘘が(いつしか)真実になる(lie becomes the truth)」という一行は、1982年暮れに発表された『スリラー』の「ビリー・ジーン」の中でも強烈なマイケル・ジャクソンの主張だった。すでにこの時点で、マイケル・ジャクソンはメディアと距離を置き、一切のインタヴューを受けないと宣言していた。
それは、いくらインタヴューに答えても、メディアは自分が書きたいと思う趣旨の記事しか書かず、何か書く時は、その趣旨にあわせ、発言者の発言をねじまげて書く。そうしたことにすっかり嫌気が差したマイケルは一切の取材を遮断する。メディアに答えなくなると、今度はメディアは憶測と想像でストーリーを作り始める。すると、マイケルはさらにメディア嫌いになっていく。もはや悪の連鎖は誰にも止められなくなった。それが1980年代初期のことだ。
マイケルは、『オフ・ザ・ウォール』(1979年発表)のリリース時にはいくつかの媒体のインタヴューを受けていた。だが、『スリラー』(1982年発表)の時には、一切のインタヴューを受けなかった。1984年にジャネット・ジャクソンに僕がインタヴューしたときに、「なぜ、マイケルは一切のメディアのインタヴューを受けなくなったのか」と尋ねると、「かつて、自分が言ったこととまったく逆のことを書かれ、とても傷ついたので、それ以来一切の取材を断ることにしたのよ」と言っていたことを思い出す。
その後、マイケルは、編集ができない生放送でのインタヴューならという条件で2度インタヴューに答える。それがオプラ・ウィンフリー(1993年2月10日)とダイアン・ソーヤーのトーク・ショー(1995年6月15日)への出演だ。
では取材を断るようになって以来、マイケルはどうしたかというと、自分の主張や考え方は、時折開かれる何かの記者会見のときや、自らのレコード、作品の中で発表するようになる。「ビリー・ジーン」での一行は、そうしたメディアに対するメッセージだ。
+++++
黒白。
未だに多くのメディアが「マイケルは白人になりたかった」「肌を脱色している」と書く。肌の件は、彼の持病だ。膠原病(こうげんびょう)という病気で、肌の色素が壊れてしまい、白い斑点ができてしまうというもの。免疫力も低下するという。彼は肌の病気だということを1980年代の初めから言っている。
僕が1983年8月、マイケルの自宅で彼に会ったとき、マイケルは「僕は太陽の光に当たってはいけないんだ」と言ったことを強烈に覚えている。真夏の暑い日ざしのカリフォルニアだったからだと思った。そのときは、僕自身それがどれほど重大なことかまったく認識していなかった。その発言自体をずっと忘れていたほどだ。だが、その後彼の肌が変化するにつれ、ダイアン・ソーヤーのショーに生放送で出演し、肌の病気のことを語ったとき、そのことを思い出した。
彼の音楽や出自をじっくり観察し冷静に考えてみれば、マイケルが「白人になりたい」などと思うはずがないことは自明の理なのだ。白人のエンタテイナーを尊敬することはあれ、自身の黒人としてのプライドは強い。それをおもしろおかしく、「白人になりたい黒人」というステレオ・タイプにはめ込んだほうがネタとして売れるので、そういうストーリーを作ったのだろう。
しかし、メディアで「マイケルは白人になりたがった」ということが繰り返し流されると、多くの人はそうだと思ってしまう。メディアのいいかげんさが良く出た例だ。まさに「嘘も(いつしか)真実になってしまう」のだ。これはマイケルのことだけに限らない。
肌の病気ゆえに、『マイケルは白人になりたがっている』といわれてしまったのは、彼にとっても本当に不本意だったことだろう。この病気ゆえに痛み止めを常用し、それが中毒となり、痛み止めのオーヴァードーズ(過剰摂取)が死に至らしめたとしたら、この病気こそ、彼の大きな死因となる。(このあたりは今後の死因の正式な発表を待たねばならない)
僕はマイケル自身もこの病気については、もっとはっきりと声明なりを発表すればよかったと思う。そこで本当に文字通り白黒はっきりさせるべきだったと言えるが、今となってはそれも結果論かもしれない。
(この項、つづく予定)
■ マイケル・ジャクソン逝去関連記事
June 27, 2009 04:53:57
●マイケル・ジャクソンが成し遂げたこと
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10288332826.html#main
June 29, 2009 04:52:33
★マイケル・ジャクソンの死とマーヴィン・ゲイの死
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10289623911.html
July 04, 2009 05:56:21
△ マイケル・ジャクソンのリハーサル模様
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10292898588.html
July 08, 2009 06:54:44
◆ マイケル・ジャクソン追悼式
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10295593849.html
July 09, 2009 05:14:04
○ マイケル・ジャクソン・メモリアル:5人のグローヴに見る兄弟の絆
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10296230966.html#main
++++
2003/12/23 (Tue)
From King To King
http://www.soulsearchin.com/entertainment/tv/diary20031223.html
2003/02/25 (Tue)
Michael Jackson’s Soul Searchin’
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200302/diary20030225.html
■ マイケル・ジャクソンの言葉はここの現場に 『ヒストリー』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00273D438/soulsearchiho-22/ref=nosim/
『デンジャラス』もメッセージいっぱい
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00273D43I/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>MUSIC>ARTIST>Jackson, Michael
⊿『J-Wave 25~When Marvin Said』、今日深夜オンエア
2009年7月12日 音楽⊿『J-Wave 25~When Marvin Said』、今日深夜オンエア
『J-Wave 25~When Marvin Said』、今日深夜オンエア
マーヴィン。
マーヴィン・ゲイの『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』の出版と関連して、今日深夜、東京地区のFM局Jウェイヴ(81.3mhz)の『Jウェイヴ25』(深夜1時から2時、正確には7月13日午前1時から2時)でマーヴィン・ゲイの特集をします。ナヴィゲーターは、シャンティ、ゲストで吉岡正晴がマーヴィンと自伝の話をします。東京地区の方、ぜひお聴きください。
番組名 J Wave 25 When Marvin Said
放送局 J Wave 81.3mhz (東京地区FM)
出演 シャンティ(ナヴィゲーター) 吉岡正晴(ゲスト)
日時 2009年7月12日深夜25時~26時
番組ホームページ http://www.j-wave.co.jp/original/jwave25/
ENT>ANNOUNCEMENT>J Wave 25
『J-Wave 25~When Marvin Said』、今日深夜オンエア
マーヴィン。
マーヴィン・ゲイの『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』の出版と関連して、今日深夜、東京地区のFM局Jウェイヴ(81.3mhz)の『Jウェイヴ25』(深夜1時から2時、正確には7月13日午前1時から2時)でマーヴィン・ゲイの特集をします。ナヴィゲーターは、シャンティ、ゲストで吉岡正晴がマーヴィンと自伝の話をします。東京地区の方、ぜひお聴きください。
番組名 J Wave 25 When Marvin Said
放送局 J Wave 81.3mhz (東京地区FM)
出演 シャンティ(ナヴィゲーター) 吉岡正晴(ゲスト)
日時 2009年7月12日深夜25時~26時
番組ホームページ http://www.j-wave.co.jp/original/jwave25/
ENT>ANNOUNCEMENT>J Wave 25
●マイケルの急死を悼んで~マイケル・ジャクソンとメディアの戦い(パート2)
2009年7月13日 音楽 コメント (1)●マイケルの急死を悼んで~マイケル・ジャクソンとメディアの戦い(パート2)
【マイケル・ジャクソンとメディアの戦い(パート2)】
現場。
1995年にリリースされた『ヒストリー』をじっくり久しぶりに聴いてみた。特に2枚目の『History Continues』サイドは強烈だ。「スクリーム」「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」「ディス・タイム・アラウンド」「D.S.」「チャイルドフッド(CDの表記はチャイルドフード)」「タブロイド・ジャンキー」と、マイケルのメディアに対する、これでもかというほどのメッセージが思い切り詰め込まれている。改めてこの作品のメッセージを読んで、この時期のマイケルの心の奥底がほんの少しだけでも垣間見られたような気がする。
しかも、これらのサウンドは、『スリラー』や『バッド』よりも、はるかに「黒い」。サウンドは黒く、メッセージは強く、マイケル・ジャクソンというアーティスト性はクインシー3部作(『オフ・ザ・ウォール』『スリラー』『バッド』)よりも、ひょっとして色濃く出ていたのかもしれない。しかし、ご存知のようにこれらの作品群はクインシー3部作と比べれば、それほど爆発的なベストセラーにはならなかった。それはあたかもマーヴィン・ゲイのもっともアーティスト性が反映したという『ヒア、マイ・ディア(離婚伝説)』が、それまでの作品ほど売れなかった、ということと重なる。
そもそもメディアというものは、一般的に言って、物事を深く追求し、本質を見ぬく力が弱い。もちろん一部に優れたジャーナリストがいて、優れたジャーナリズムを形成するものもあるが、そうしたことは珍しく、大体がその場しのぎで情報を集め、それをすぐに発表する。締め切りがあるから物理的にも仕方がない。新聞やテレビなど、数時間で集めたものをすぐに出す。言ってみれば「取って出し」状態なのだ。そこにまことしやかな嘘が紛れ込んでも、それを嘘と見抜く力はなかなかない。
しかも、ひとつのメディアが嘘を流してしまうと、それを信じた二次的なメディアがそれに輪をかけて報道し、偽情報がねずみ講式に広まってしまう。そうなったら、誰も何も止めることはできない。メディアの暴走が始まる。特にマイケル・ジャクソンに関しては、メディアは暴走を続け、真実に対する「免疫機能不全」に陥ってしまった。
僕は1980年代初期に見たマイケル対メディアの戦いで、メディアの表層的な部分を強く感じ、簡単にそうしたものを信じてはいけない、と思うようになった。
マイケル・ジャクソンという取材対象に、メディアが何かを書こうとしたとき、記者は何をするのだろうか。一番いいのは、本人に直接話を聞くことだ。これは文句なくベスト。だがマイケルのときのようにそれが出来ないときには、次に何をすべきか。
殺人課の刑事と同じく「現場百回」である。この場合の「現場」とは? それは彼が過去に語ったインタヴューの記録などもあるが、なんと言ってもレコード(CD)作品である。そこには、マイケル・ジャクソンの主義主張、信条が実によく現れている。特に、1990年代以降の作品にはそれが顕著だ。それをていねいに読み取っていくと、マイケルの心の片隅が我々にもわかってくる。
一例をあげよう。『ヒストリー』の中に、「D.S.」という曲がある。これは、「ドム・シェルドン」という名の冷酷な男のストーリーだ。ドム・シェルドンの頭文字(D.S)を取って、タイトルにした。これは、マイケル・ジャクソンに対し異常なほどの執念を燃やし、マイケルを有罪にしようとしたサンタバーバラの検事、トム・スネドンのことを歌っている。トム・スネドンを音の響きのよく似た別名のドム・シェルドンに変えているわけだ。「僕を捕まえるなら、手段を選ばないらしい。ドム・シェルドンは冷酷な男。どんなやり口を使っても、世間をあっと言わせたいんだ。KKK(黒人を差別する強烈な白人至上主義のグループ)とも関係があるのかな?」 トム・スネドンに対する気持ちを正直に吐露(とろ)している。これは氷山の一角だ。それぞれの曲にさまざまなストーリーがある。タブロイド紙を漁る前に、CDをじっくりお聴きなさい。DVDをゆっくり座って御覧なさい。そうすれば、ある程度の感性を持っていれば、彼がどれほど偉大なアーティストかわかるだろう。
果たして今回のマイケル・ジャクソン逝去関連記事を書いた記者の中に、じっくり「現場」を訪れた記者はいたのか。現在のところ僕も多数の記事を見てきたが、とても「現場」を取材したと思える記事にはお目にかかっていない。全体的に表層を見ただけで書いたものが多い。「現場」を取材することなくして、きちんとした記事など書けるわけがない。逆に言えば、「現場」など取材もせずに何かを書けてしまうほどの材料があふれているということだ。それほど、マイケル・ジャクソンという存在が大きかったのである。
メディアの暴走、メディアの免疫不全、そして、現場取材のなさ、これがマイケル・ジャクソン関連報道のがん細胞だ。
(マイケル・ジャクソン関連は続く予定)
■ マイケルの踊りは誰をも熱中させます
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000BNM8B0/soulsearchiho-22/ref=nosim/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000BNM8AQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>MUSIC>ARTIST>Jackson, Michael
【マイケル・ジャクソンとメディアの戦い(パート2)】
現場。
1995年にリリースされた『ヒストリー』をじっくり久しぶりに聴いてみた。特に2枚目の『History Continues』サイドは強烈だ。「スクリーム」「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」「ディス・タイム・アラウンド」「D.S.」「チャイルドフッド(CDの表記はチャイルドフード)」「タブロイド・ジャンキー」と、マイケルのメディアに対する、これでもかというほどのメッセージが思い切り詰め込まれている。改めてこの作品のメッセージを読んで、この時期のマイケルの心の奥底がほんの少しだけでも垣間見られたような気がする。
しかも、これらのサウンドは、『スリラー』や『バッド』よりも、はるかに「黒い」。サウンドは黒く、メッセージは強く、マイケル・ジャクソンというアーティスト性はクインシー3部作(『オフ・ザ・ウォール』『スリラー』『バッド』)よりも、ひょっとして色濃く出ていたのかもしれない。しかし、ご存知のようにこれらの作品群はクインシー3部作と比べれば、それほど爆発的なベストセラーにはならなかった。それはあたかもマーヴィン・ゲイのもっともアーティスト性が反映したという『ヒア、マイ・ディア(離婚伝説)』が、それまでの作品ほど売れなかった、ということと重なる。
そもそもメディアというものは、一般的に言って、物事を深く追求し、本質を見ぬく力が弱い。もちろん一部に優れたジャーナリストがいて、優れたジャーナリズムを形成するものもあるが、そうしたことは珍しく、大体がその場しのぎで情報を集め、それをすぐに発表する。締め切りがあるから物理的にも仕方がない。新聞やテレビなど、数時間で集めたものをすぐに出す。言ってみれば「取って出し」状態なのだ。そこにまことしやかな嘘が紛れ込んでも、それを嘘と見抜く力はなかなかない。
しかも、ひとつのメディアが嘘を流してしまうと、それを信じた二次的なメディアがそれに輪をかけて報道し、偽情報がねずみ講式に広まってしまう。そうなったら、誰も何も止めることはできない。メディアの暴走が始まる。特にマイケル・ジャクソンに関しては、メディアは暴走を続け、真実に対する「免疫機能不全」に陥ってしまった。
僕は1980年代初期に見たマイケル対メディアの戦いで、メディアの表層的な部分を強く感じ、簡単にそうしたものを信じてはいけない、と思うようになった。
マイケル・ジャクソンという取材対象に、メディアが何かを書こうとしたとき、記者は何をするのだろうか。一番いいのは、本人に直接話を聞くことだ。これは文句なくベスト。だがマイケルのときのようにそれが出来ないときには、次に何をすべきか。
殺人課の刑事と同じく「現場百回」である。この場合の「現場」とは? それは彼が過去に語ったインタヴューの記録などもあるが、なんと言ってもレコード(CD)作品である。そこには、マイケル・ジャクソンの主義主張、信条が実によく現れている。特に、1990年代以降の作品にはそれが顕著だ。それをていねいに読み取っていくと、マイケルの心の片隅が我々にもわかってくる。
一例をあげよう。『ヒストリー』の中に、「D.S.」という曲がある。これは、「ドム・シェルドン」という名の冷酷な男のストーリーだ。ドム・シェルドンの頭文字(D.S)を取って、タイトルにした。これは、マイケル・ジャクソンに対し異常なほどの執念を燃やし、マイケルを有罪にしようとしたサンタバーバラの検事、トム・スネドンのことを歌っている。トム・スネドンを音の響きのよく似た別名のドム・シェルドンに変えているわけだ。「僕を捕まえるなら、手段を選ばないらしい。ドム・シェルドンは冷酷な男。どんなやり口を使っても、世間をあっと言わせたいんだ。KKK(黒人を差別する強烈な白人至上主義のグループ)とも関係があるのかな?」 トム・スネドンに対する気持ちを正直に吐露(とろ)している。これは氷山の一角だ。それぞれの曲にさまざまなストーリーがある。タブロイド紙を漁る前に、CDをじっくりお聴きなさい。DVDをゆっくり座って御覧なさい。そうすれば、ある程度の感性を持っていれば、彼がどれほど偉大なアーティストかわかるだろう。
果たして今回のマイケル・ジャクソン逝去関連記事を書いた記者の中に、じっくり「現場」を訪れた記者はいたのか。現在のところ僕も多数の記事を見てきたが、とても「現場」を取材したと思える記事にはお目にかかっていない。全体的に表層を見ただけで書いたものが多い。「現場」を取材することなくして、きちんとした記事など書けるわけがない。逆に言えば、「現場」など取材もせずに何かを書けてしまうほどの材料があふれているということだ。それほど、マイケル・ジャクソンという存在が大きかったのである。
メディアの暴走、メディアの免疫不全、そして、現場取材のなさ、これがマイケル・ジャクソン関連報道のがん細胞だ。
(マイケル・ジャクソン関連は続く予定)
■ マイケルの踊りは誰をも熱中させます
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000BNM8B0/soulsearchiho-22/ref=nosim/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000BNM8AQ/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>MUSIC>ARTIST>Jackson, Michael
■『ソウル・サーチン~アイズレー・ブラザース』いよいよ明日~松尾潔さんは明日登場
2009年7月13日 音楽■『ソウル・サーチン~アイズレー・ブラザース』いよいよ明日~松尾潔さんは明日登場
明日(2009年7月14日)、目黒のブルース・アレイで『ソウル・サーチン~アイズレー・ブラザース』です。毎回一組のソウル・ジャイアントをピックアップして、トークとライヴでそのアーティストの魅力を探ります。今回は2年4ヶ月ぶりの開催。なお、出演日程が未定だった音楽プロデューサー、松尾潔さんの出演は14日のみとなりました。松尾潔さんファンは、14日にブルース・アレイに直行! ミュージシャン、シンガーは総計14名に。シークレット・ゲストも登場。
ソウル・サーチン告知:
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090524.html
詳細 (まだ初日のほうは、若干座席が残っています。ご予約はお早めに)
記
イヴェント名 『ブルース・アレイ・ジャパン・プレゼンツ~ソウル・サーチン: ザ・セッションVol.3 ~ア・トリビュート・トゥ・アイズリー・ブラザーズ』
日時 2009年07月14日(火曜) July 14 (Tuesday), 2009 19時半~
日時 2009年07月15日(水曜) July 15 (Wednesday), 2009 19時半~
出演 ケイリブ・ジェームス&ザ・ソウル・サーチャーズ・フィーチャリング・フィリップ・ウー
ゲスト 木下航志、シャンティ、ブレンダ・ヴォーンほかシークレット・ゲスト。
トーク・パネリスト 司会 吉岡正晴、松尾潔(14日のみ)、尾臺順子、岡伸昭
会場 目黒・ブルース・アレイ http://www.bluesalley.co.jp/
住所 〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14
ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F
電話 03-5740-6041(予約専用電話)当日のお店の番号03-5496-4381
料金 5500円(チケット代)+525円(席料)+ドリンクなど、立ち見は5000円 当日券は各料金500UP (各税込)
主催・制作 ソウル・サーチン実行委員会
お問い合わせ先 soul_searchin_the_session@yahoo.co.jp
予約は 03-5740-6041(予約専用電話)あるいは、ウェッブから。
http://www.bluesalley.co.jp/
明日(2009年7月14日)、目黒のブルース・アレイで『ソウル・サーチン~アイズレー・ブラザース』です。毎回一組のソウル・ジャイアントをピックアップして、トークとライヴでそのアーティストの魅力を探ります。今回は2年4ヶ月ぶりの開催。なお、出演日程が未定だった音楽プロデューサー、松尾潔さんの出演は14日のみとなりました。松尾潔さんファンは、14日にブルース・アレイに直行! ミュージシャン、シンガーは総計14名に。シークレット・ゲストも登場。
ソウル・サーチン告知:
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090524.html
詳細 (まだ初日のほうは、若干座席が残っています。ご予約はお早めに)
記
イヴェント名 『ブルース・アレイ・ジャパン・プレゼンツ~ソウル・サーチン: ザ・セッションVol.3 ~ア・トリビュート・トゥ・アイズリー・ブラザーズ』
日時 2009年07月14日(火曜) July 14 (Tuesday), 2009 19時半~
日時 2009年07月15日(水曜) July 15 (Wednesday), 2009 19時半~
出演 ケイリブ・ジェームス&ザ・ソウル・サーチャーズ・フィーチャリング・フィリップ・ウー
ゲスト 木下航志、シャンティ、ブレンダ・ヴォーンほかシークレット・ゲスト。
トーク・パネリスト 司会 吉岡正晴、松尾潔(14日のみ)、尾臺順子、岡伸昭
会場 目黒・ブルース・アレイ http://www.bluesalley.co.jp/
住所 〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14
ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F
電話 03-5740-6041(予約専用電話)当日のお店の番号03-5496-4381
料金 5500円(チケット代)+525円(席料)+ドリンクなど、立ち見は5000円 当日券は各料金500UP (各税込)
主催・制作 ソウル・サーチン実行委員会
お問い合わせ先 soul_searchin_the_session@yahoo.co.jp
予約は 03-5740-6041(予約専用電話)あるいは、ウェッブから。
http://www.bluesalley.co.jp/
◆『ソウル・サーチン~アイズレー・ブラザース』いよいよ今日
2009年7月14日 音楽◆【『ソウル・サーチン~アイズレー・ブラザース』】
リハーサル。
日曜日(7月12日)、シンガーとバンドの合同リハーサル。この日でほぼ形を整える。バンド7人とコーラス3人で基本的には10人編成のバンドということになる。バンドの中でも、ケイリブ、ゲイリー、そして、ガッツが歌も歌うので、ヴォーカル陣も豪華だ。さらに、ここにゲスト・シンガーがはいる。確かにライヴ・ハウスでやるには贅沢すぎる布陣だ。
セットリストは、メドレーでやる曲も含め23曲を練習したのだが、どうやら、1曲時間の関係でボツになるようだ。そのあたりは、音楽ディレクターのケイリブがうまくまとめてくれるだろう。バンドは、タイトでコーラスも基本3人に、歌えるシンガーが加わる。
しかし、3日のリハーサルでここまでまとめてくるとは、やはりいつもながら、こういう人たちはすごいなあ、と思う。それにしても、このユニットを2日だけで終わらせるのはもったいない。地方ツアーなど十分にできるのだが、どこかのプロモーターが買ってくれないかなあ。(笑)
さて、それはともかく、ほぼセットリストも決まり、それにあわせてトーク・ネタを仕込んだ進行表を仕上げ、パネリストにメールした。時間を概算するとやはり足りない。(笑)
日本のアーニー・アイズレーは2人、ロン・アイズレーもしっかり用意いたしました。さらに、日本のアリーヤ、日本のクリス・ジャスパーも2人。じっくりお楽しみいただけると思います。いよいよ今日夜7時半、目黒・ブルース・アレイで。
■ エッセンシャル
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002JP1W6/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■告知
ソウル・サーチン告知:
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090524.html
詳細 (まだ初日のほうは、若干座席が残っています。ご予約はお早めに)
記
イヴェント名 『ブルース・アレイ・ジャパン・プレゼンツ~ソウル・サーチン: ザ・セッションVol.3 ~ア・トリビュート・トゥ・アイズリー・ブラザーズ』
日時 2009年07月14日(火曜) July 14 (Tuesday), 2009 19時半~
日時 2009年07月15日(水曜) July 15 (Wednesday), 2009 19時半~
出演 ケイリブ・ジェームス&ザ・ソウル・サーチャーズ・フィーチャリング・フィリップ・ウー
ゲスト 木下航志、シャンティ、ブレンダ・ヴォーンほかシークレット・ゲスト。
トーク・パネリスト 司会 吉岡正晴、松尾潔(14日のみ)、尾臺順子、岡伸昭
会場 目黒・ブルース・アレイ http://www.bluesalley.co.jp/
住所 〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14
ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F
電話 03-5740-6041(予約専用電話)当日のお店の番号03-5496-4381
料金 5500円(チケット代)+525円(席料)+ドリンクなど、立ち見は5000円 当日券は各料金500UP (各税込)
主催・制作 ソウル・サーチン実行委員会
お問い合わせ先 soul_searchin_the_session@yahoo.co.jp
予約は 03-5740-6041(予約専用電話)あるいは、ウェッブから。
http://www.bluesalley.co.jp/
リハーサル。
日曜日(7月12日)、シンガーとバンドの合同リハーサル。この日でほぼ形を整える。バンド7人とコーラス3人で基本的には10人編成のバンドということになる。バンドの中でも、ケイリブ、ゲイリー、そして、ガッツが歌も歌うので、ヴォーカル陣も豪華だ。さらに、ここにゲスト・シンガーがはいる。確かにライヴ・ハウスでやるには贅沢すぎる布陣だ。
セットリストは、メドレーでやる曲も含め23曲を練習したのだが、どうやら、1曲時間の関係でボツになるようだ。そのあたりは、音楽ディレクターのケイリブがうまくまとめてくれるだろう。バンドは、タイトでコーラスも基本3人に、歌えるシンガーが加わる。
しかし、3日のリハーサルでここまでまとめてくるとは、やはりいつもながら、こういう人たちはすごいなあ、と思う。それにしても、このユニットを2日だけで終わらせるのはもったいない。地方ツアーなど十分にできるのだが、どこかのプロモーターが買ってくれないかなあ。(笑)
さて、それはともかく、ほぼセットリストも決まり、それにあわせてトーク・ネタを仕込んだ進行表を仕上げ、パネリストにメールした。時間を概算するとやはり足りない。(笑)
日本のアーニー・アイズレーは2人、ロン・アイズレーもしっかり用意いたしました。さらに、日本のアリーヤ、日本のクリス・ジャスパーも2人。じっくりお楽しみいただけると思います。いよいよ今日夜7時半、目黒・ブルース・アレイで。
■ エッセンシャル
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002JP1W6/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■告知
ソウル・サーチン告知:
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090524.html
詳細 (まだ初日のほうは、若干座席が残っています。ご予約はお早めに)
記
イヴェント名 『ブルース・アレイ・ジャパン・プレゼンツ~ソウル・サーチン: ザ・セッションVol.3 ~ア・トリビュート・トゥ・アイズリー・ブラザーズ』
日時 2009年07月14日(火曜) July 14 (Tuesday), 2009 19時半~
日時 2009年07月15日(水曜) July 15 (Wednesday), 2009 19時半~
出演 ケイリブ・ジェームス&ザ・ソウル・サーチャーズ・フィーチャリング・フィリップ・ウー
ゲスト 木下航志、シャンティ、ブレンダ・ヴォーンほかシークレット・ゲスト。
トーク・パネリスト 司会 吉岡正晴、松尾潔(14日のみ)、尾臺順子、岡伸昭
会場 目黒・ブルース・アレイ http://www.bluesalley.co.jp/
住所 〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14
ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F
電話 03-5740-6041(予約専用電話)当日のお店の番号03-5496-4381
料金 5500円(チケット代)+525円(席料)+ドリンクなど、立ち見は5000円 当日券は各料金500UP (各税込)
主催・制作 ソウル・サーチン実行委員会
お問い合わせ先 soul_searchin_the_session@yahoo.co.jp
予約は 03-5740-6041(予約専用電話)あるいは、ウェッブから。
http://www.bluesalley.co.jp/
○『ソウル・サーチン~アイズレー・ブラザース』初日無事終了
2009年7月15日 音楽○『ソウル・サーチン~アイズレー・ブラザース』初日無事終了
(内容が少しでます。今日、ごらんになる方で事前にあまり内容をしりたくない方は、ご注意ください)
【『ソウル・サーチン~アイズレー・ブラザース』初日無事終了】
2年4ヶ月ぶり。
2007年3月の『ソウル・サーチン・ザ・セッションVol.2~アレサ・フランクリン』以来、2年4ヶ月ぶりの『ソウル・サーチン』、今回は50年の歴史を持つアイズレイ・ブラザース。上から、オケーリー・アイズレー(1937年12月25日~1986年3月31日、48歳)、ルドルフ(1939年4月1日生まれ)、ロナルド(1941年5月21日生まれ)の3人のヴォーカルに、アーニー(1952年3月7日生まれ)、マーヴィン(1953年8月18日生まれ)、ルドルフの義理の弟クリス・ジャスパー(1951年12月30日生まれ)の3人バンドを加えた6人組。
50年の歴史、80曲以上のヒット、様々なタイプのサウンド(ロック風、ソウル風、ゴスペル風、スロー・ジャム系)を持つアイズレイ・ブラザースの魅力は、これだけの時間があっても、消化しきれない。ということで、結局、予想はされたが、トークの部分を一部と曲を1曲カットせざるを得なくなった。2日目は、うまく時間のマネージメントをしっかりして、1曲カットがないようにしたいと思う。
始まる前のリハで、フィリップが説明してくれた。「アイズレイズは、クラヴィネットのサウンドがとても重要なんだ。だから、今回僕はノードのキーボードをクラヴィネット専用として持ってきた。それからアナログ風の音がでるデジタル・シンセサイザー、これで、70年代風のアナログ・キーボードの音を出すんだよ。そして、最後がこれ。ハモンドB3」 「アイズレイのメンバーとは、彼らのオープニング・アクトをやったことがあったよ。(僕が)ロイ・エヤーズにいたときかな。メイズのときもやった。クリス・ジャスパーはワンダフルなキーボード・プレイヤーだ」
クラヴィネットといえば、僕が初めてその楽器の存在を知ったのが、コモドアーズの1974年の大ヒット「マシン・ガン」というと、フィリップがすぐにそのフレーズを弾いてくれた。
アイズレイの魅力は、グルーヴあふれるサウンドに、ロナルドのセンシュアルなヴォーカル。そして、ファンクとロックの融合が大きなポイントのグループ。松尾潔さん、尾臺順子さん、岡伸昭さんとの楽しいトークと、ケイリブ・ジェームス&ザ・ソウル・サーチャーズ・フィーチャリング・フィリップ・ウーのライヴで予定時間を大幅に超えてのパフォーマンスになった。
シンガーは、ケイリブ、ガッツ、ブレンダ、木下航志、ユリ、シャンティ、ロビー・ダンジー、タイロン・デイヴィスら豪華布陣。さらにサプライズで黒沢薫さんが参加してくれ、アイズレイの1973年のアルバム『3+3』からの「イフ・ユー・ワー・ゼア」を山下達郎さんの「ダウンタウン」とうまくミックスして歌ってくれた。ケイリブとゲイリーがバック・コーラスを日本語で「ダウンタウンへくりだそう」という歌詞をつけたのがおもしろかった。黒沢さんは、「アイズレイと大好きな達郎さんへトリビュートできて嬉しいです」とご紹介。
トーク・ネタでは、松尾さんが、彼がリミックスを担当したジョンBの曲「シンプル・メロディー」で、アイズレイ・ジャスパー・アイズレイの「アイ・キャント・ゲット・ルージング・ユー」をサンプリングしたときの話をしてくれた。これを使用するにあたり、アメリカ本国にサンプリングの許諾を求めたところ、名義を「アイズレイ・ブラザース」にしろと言われ、なくなくしたという。しかし自分も音楽ライター的なことをやっているので、アイズレイ・ジャスパー・アイズレイのものをアイズレイ・ブラザースと書いて、間違われてと思われるのがすごく嫌だったことをおもしろおかしく説明してくれた。
また、尾臺さんは、彼らに「オハイオ男気質」を感じるという話を、あつーく語ってくれた。
ユリの2曲は、ホイットニーばりでよくあっていて、またシャンティの「アット・ユア・ベスト」も、彼女が「ソウル・サーチン」で歌った中で一番フィットしていたような気がした。ブレンダは、いつでも観客を盛り上がらせるのが実にうまい。今日はまた別のシークレット・ゲストの登場、今日できなかった曲などがはいります。
詳細は、また今日。昨日、ご来場いただいた方、ありがとうございました。そして、第二日目、いらっしゃる方、十分お楽しみください。
■ ソウル・サーチン・ザ・セッション@目黒・ブルース・アレイ
(15日の当日券、若干はあります。立ち見の可能性もあります)
記
イヴェント名 『ブルース・アレイ・ジャパン・プレゼンツ~ソウル・サーチン: ザ・セッションVol.3 ~ア・トリビュート・トゥ・アイズリー・ブラザーズ』
日時 2009年07月15日(水曜) July 15 (Wednesday), 2009 19時半~
出演 ケイリブ・ジェームス&ザ・ソウル・サーチャーズ・フィーチャリング・フィリップ・ウー
ゲスト 木下航志、シャンティ、ブレンダ・ヴォーンほかシークレット・ゲスト。
トーク・パネリスト 司会 吉岡正晴、尾臺順子、岡伸昭
会場 目黒・ブルース・アレイ http://www.bluesalley.co.jp/
住所 〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F
電話 03-5740-6041(予約専用電話)当日のお店番号03-5496-4381
料金 5500円(チケット代)+525円(席料)+ドリンクなど、立ち見は5000円 当日券は各料金500UP (各税込)
主催・制作 ソウル・サーチン実行委員会
お問い合わせ先 soul_searchin_the_session@yahoo.co.jp
予約は 03-5740-6041(予約専用電話)あるいは、ウェッブから。
http://www.bluesalley.co.jp/
■セットリスト
SOUL SEARCHIN: THE SESSION VOL.3 A TRIBUTE TO ISLEY BROTHERS @ BLUES ALLEY, JULY 14, 2009
(明日のブログでご紹介します)
ENT>LIVE>Soul Searchin
ENT>LIVE>James, Kaleb & The Soul Searchers
(内容が少しでます。今日、ごらんになる方で事前にあまり内容をしりたくない方は、ご注意ください)
【『ソウル・サーチン~アイズレー・ブラザース』初日無事終了】
2年4ヶ月ぶり。
2007年3月の『ソウル・サーチン・ザ・セッションVol.2~アレサ・フランクリン』以来、2年4ヶ月ぶりの『ソウル・サーチン』、今回は50年の歴史を持つアイズレイ・ブラザース。上から、オケーリー・アイズレー(1937年12月25日~1986年3月31日、48歳)、ルドルフ(1939年4月1日生まれ)、ロナルド(1941年5月21日生まれ)の3人のヴォーカルに、アーニー(1952年3月7日生まれ)、マーヴィン(1953年8月18日生まれ)、ルドルフの義理の弟クリス・ジャスパー(1951年12月30日生まれ)の3人バンドを加えた6人組。
50年の歴史、80曲以上のヒット、様々なタイプのサウンド(ロック風、ソウル風、ゴスペル風、スロー・ジャム系)を持つアイズレイ・ブラザースの魅力は、これだけの時間があっても、消化しきれない。ということで、結局、予想はされたが、トークの部分を一部と曲を1曲カットせざるを得なくなった。2日目は、うまく時間のマネージメントをしっかりして、1曲カットがないようにしたいと思う。
始まる前のリハで、フィリップが説明してくれた。「アイズレイズは、クラヴィネットのサウンドがとても重要なんだ。だから、今回僕はノードのキーボードをクラヴィネット専用として持ってきた。それからアナログ風の音がでるデジタル・シンセサイザー、これで、70年代風のアナログ・キーボードの音を出すんだよ。そして、最後がこれ。ハモンドB3」 「アイズレイのメンバーとは、彼らのオープニング・アクトをやったことがあったよ。(僕が)ロイ・エヤーズにいたときかな。メイズのときもやった。クリス・ジャスパーはワンダフルなキーボード・プレイヤーだ」
クラヴィネットといえば、僕が初めてその楽器の存在を知ったのが、コモドアーズの1974年の大ヒット「マシン・ガン」というと、フィリップがすぐにそのフレーズを弾いてくれた。
アイズレイの魅力は、グルーヴあふれるサウンドに、ロナルドのセンシュアルなヴォーカル。そして、ファンクとロックの融合が大きなポイントのグループ。松尾潔さん、尾臺順子さん、岡伸昭さんとの楽しいトークと、ケイリブ・ジェームス&ザ・ソウル・サーチャーズ・フィーチャリング・フィリップ・ウーのライヴで予定時間を大幅に超えてのパフォーマンスになった。
シンガーは、ケイリブ、ガッツ、ブレンダ、木下航志、ユリ、シャンティ、ロビー・ダンジー、タイロン・デイヴィスら豪華布陣。さらにサプライズで黒沢薫さんが参加してくれ、アイズレイの1973年のアルバム『3+3』からの「イフ・ユー・ワー・ゼア」を山下達郎さんの「ダウンタウン」とうまくミックスして歌ってくれた。ケイリブとゲイリーがバック・コーラスを日本語で「ダウンタウンへくりだそう」という歌詞をつけたのがおもしろかった。黒沢さんは、「アイズレイと大好きな達郎さんへトリビュートできて嬉しいです」とご紹介。
トーク・ネタでは、松尾さんが、彼がリミックスを担当したジョンBの曲「シンプル・メロディー」で、アイズレイ・ジャスパー・アイズレイの「アイ・キャント・ゲット・ルージング・ユー」をサンプリングしたときの話をしてくれた。これを使用するにあたり、アメリカ本国にサンプリングの許諾を求めたところ、名義を「アイズレイ・ブラザース」にしろと言われ、なくなくしたという。しかし自分も音楽ライター的なことをやっているので、アイズレイ・ジャスパー・アイズレイのものをアイズレイ・ブラザースと書いて、間違われてと思われるのがすごく嫌だったことをおもしろおかしく説明してくれた。
また、尾臺さんは、彼らに「オハイオ男気質」を感じるという話を、あつーく語ってくれた。
ユリの2曲は、ホイットニーばりでよくあっていて、またシャンティの「アット・ユア・ベスト」も、彼女が「ソウル・サーチン」で歌った中で一番フィットしていたような気がした。ブレンダは、いつでも観客を盛り上がらせるのが実にうまい。今日はまた別のシークレット・ゲストの登場、今日できなかった曲などがはいります。
詳細は、また今日。昨日、ご来場いただいた方、ありがとうございました。そして、第二日目、いらっしゃる方、十分お楽しみください。
■ ソウル・サーチン・ザ・セッション@目黒・ブルース・アレイ
(15日の当日券、若干はあります。立ち見の可能性もあります)
記
イヴェント名 『ブルース・アレイ・ジャパン・プレゼンツ~ソウル・サーチン: ザ・セッションVol.3 ~ア・トリビュート・トゥ・アイズリー・ブラザーズ』
日時 2009年07月15日(水曜) July 15 (Wednesday), 2009 19時半~
出演 ケイリブ・ジェームス&ザ・ソウル・サーチャーズ・フィーチャリング・フィリップ・ウー
ゲスト 木下航志、シャンティ、ブレンダ・ヴォーンほかシークレット・ゲスト。
トーク・パネリスト 司会 吉岡正晴、尾臺順子、岡伸昭
会場 目黒・ブルース・アレイ http://www.bluesalley.co.jp/
住所 〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F
電話 03-5740-6041(予約専用電話)当日のお店番号03-5496-4381
料金 5500円(チケット代)+525円(席料)+ドリンクなど、立ち見は5000円 当日券は各料金500UP (各税込)
主催・制作 ソウル・サーチン実行委員会
お問い合わせ先 soul_searchin_the_session@yahoo.co.jp
予約は 03-5740-6041(予約専用電話)あるいは、ウェッブから。
http://www.bluesalley.co.jp/
■セットリスト
SOUL SEARCHIN: THE SESSION VOL.3 A TRIBUTE TO ISLEY BROTHERS @ BLUES ALLEY, JULY 14, 2009
(明日のブログでご紹介します)
ENT>LIVE>Soul Searchin
ENT>LIVE>James, Kaleb & The Soul Searchers
◎【『ソウル・サーチン~アイズレイ・ブラザーズ』満員御礼無事終了】
感謝感謝。
音楽イヴェント『ソウル・サーチン~アイズレイ・ブラザーズ』の回が無事2日間の日程を終えた。2日目は初日の問題点を反省し、定時スタートで、トーク部分を削り、曲が2曲増えた。正味時間はほぼ同じだったので、全体的に引き締まったということなのだろう。
バンドは実にタイトで、うまいシンガーが次々と登場してきて、さながらソウルのコンピレーション・アルバムを聴いているかのようだ。
この日のサプライズは、『ソウル・サーチン』初登場。スクープ・オン・サムバディーからタケ(Take)さん。ファースト・セットでユリさんが「フォー・ザ・ラヴ・オブ・ユー」を歌った後登場。実はタケさんとは、ここ3年ほどあちこちで顔をあわせるようになり、いつかスケジュールが合う時に『ソウル・サーチン』でも歌ってください、と頼んでいた。それがやっと実現した。
いろいろケイリブと相談し、タケさんにはロナルド・アイズレイとバート・バカラックが組んで作ったアルバムから1曲をお願いすることにして、「クロース・トゥ・ユー」を歌ってもらった。フィリップとケイリブのキーボードだけをバックに、実にエロエロに歌ってくれた。観客もトロトロになっただろう。他が全曲フル・バンドでの曲だったため、このシンプルなキーボード2人でのヴォーカルは、特にヴォーカルを際立たせた。
そして、この日は綿密に時間を計算し、ファースト・セットはほぼ予定通り。セカンドは、途中で予期せぬケイリブのトークが5分ほどはいり、そのまま後ろに押した。(笑) さらに、セカンドでは前日の登場で若干ばればれでもあった「いつものシークレット・ゲスト」、黒沢薫さん登場。しかも、この日は濃いブルーの帽子にステッキを手に持ってステージに上がった。それを見たケイリブ「楽屋にステッキがあって、一体誰が使うのかと思ったら、彼だったか!」と大うけしていた。「イフ・ユー・ワー・ゼア」を熱唱。
しかし、タケさんの歌を客席で見ていた黒沢さんが、「僕も、こんな曲歌いたかったなあ…」とぽつりと言ったのはひじょうに印象に残った。
この日も『マーヴィン・ゲイ物語』が完売。ありがとうございます。そして、今回初めていらっしゃったという方々も多かった『ソウル・サーチン』、お初の方も、リピーターの方も、またぜひおいでください。今度は2年以上もあけることなくやりたいと思います。
(ライヴの詳細は、明日以降に続きます)
■ メンバー
「ケイリブ・ジェームス&ザ・ソウル・サーチャーズ・フィーチャリング・フィリップ・ウー」
ケイリブ・ジェームス(キーボード&ヴォーカル)
フィリップ・ウー (キーボード、ハモンド・オルガン)
中澤信栄(ギター&ヴォーカル)
高田真(ドラムス)
マサ小浜(ギター)
原たけし(ベース)
ゲイリー・スコット(サックス、パーカッション、ヴォーカル)
ロビー・ダンジー(ヴォーカル)
タイロン・デイヴィス(ヴォーカル)
ユリ(ヴォーカル)
ブレンダ・ヴォーン(ヴォーカル)
木下航志(ヴォーカル&キーボード)
シャンティ(ヴォーカル)
特別ゲスト 黒沢薫(ヴォーカル)
特別ゲスト Take from Skoop On Somebody(タケ)(ヴォーカル)15日のみ
トーク・パネリスト 司会 吉岡正晴、尾臺順子、岡伸昭、松尾潔(15日のみ)
■セットリスト(2009年7月14日)
SOUL SEARCHIN: THE SESSION VOL.3 A TRIBUTE TO ISLEY BROTHERS @ BLUES ALLEY, JULY 14, 2009
1st set
19:45 show started
Panelist Talk #1
M01. Harvest For The World (Kaleb)
M02 Who’s That Lady (60s version and 70s version) (Gatz)
M03. Footsteps In The Dark (Brenda)
M04. This Old Heart Of Mine (Kishita Kohshi)
M05. Summer Breeze (Kishita Kohshi)
M06. Voyage To Atlantis (Kaleb)
M07. For The Love Of You (Yuri)
M08. Love The One You’re With (Kaleb)
end stage 21:12
Second set
show started 21:30
Panelist Talk #2
M09. Work To Do (Gatz)
M10. Don’t Say Goodnight (Yuri)
M11. At Your Best (Shanti)
M12. Lay Your Troubles Down (Kaleb & Robbie Danzie)
M13. Medley(13-16)Ensemble
M14 Make Me Say It Again (Kaleb & Robbie)
M15 Smooth Sailing (Kaleb)
M16 Don’t Let Me Be Lonely Tonight (Kaleb)
M17 Caravan Of Love (Kaleb)
Panelist Talk #3
M18 If You Were There (Kurosawa Kaoru)
M19 It’s Your Thing (Brenda)
M20 Shout (Tyrone)
Encore Fight The Power (all)
show ended 23:18
(2009年7月14日火曜、目黒ブルース・アレイ=ソウル・サーチン・ザ・セッションVol.3 アイズレイ・ブラザース)
■セットリスト(2009年7月15日)
SOUL SEARCHIN: THE SESSION VOL.3 A TRIBUTE TO ISLEY BROTHERS @ BLUES ALLEY, JULY 15, 2009
1st set
19:31 show started
Panelist Talk #1
M01. Harvest For The World (Kaleb)
M02 Who’s That Lady (60s version and 70s version) (Gatz)
M03. Footsteps In The Dark (Brenda)
M04. This Old Heart Of Mine (Kishita Kohshi)
M05. Summer Breeze (Kishita Kohshi)
M06. Voyage To Atlantis (Kaleb)
M07. For The Love Of You (Yuri)
M08. Close To You (Take from Skoop On Somebody)
M09. Love The One You’re With (Kaleb)
end stage 21:04
Second set
show started 21:22
Panelist Talk #2
M10. Work To Do (Gatz)
M11. At Your Best (Shanti)
M12. Don’t Say Goodnight (Yuri)
M13. Lay Your Troubles Down (Kaleb & Robbie Danzie)
M14. (Medley 14-17) Make Me Say It Again (Kaleb & Robbie)
M15 Smooth Sailing (Kaleb)
M16 Don’t Let Me Be Lonely Tonight (Kaleb)
M17 Caravan Of Love (Kaleb)
M18 If You Were There (Kurosawa Kaoru)
M19 It’s Your Thing (Brenda)
M20. Between The Sheets (Kaleb & Brenda)
M21 Shout (Tyrone)
Encore Fight The Power (all)
show ended 23:08
(2009年7月15日水曜、目黒ブルース・アレイ=ソウル・サーチン・ザ・セッションVol.3 アイズレイ・ブラザース)
ENT>LIVE>Soul Searchin
ENT>LIVE>James, Kaleb & The Soul Searchers
感謝感謝。
音楽イヴェント『ソウル・サーチン~アイズレイ・ブラザーズ』の回が無事2日間の日程を終えた。2日目は初日の問題点を反省し、定時スタートで、トーク部分を削り、曲が2曲増えた。正味時間はほぼ同じだったので、全体的に引き締まったということなのだろう。
バンドは実にタイトで、うまいシンガーが次々と登場してきて、さながらソウルのコンピレーション・アルバムを聴いているかのようだ。
この日のサプライズは、『ソウル・サーチン』初登場。スクープ・オン・サムバディーからタケ(Take)さん。ファースト・セットでユリさんが「フォー・ザ・ラヴ・オブ・ユー」を歌った後登場。実はタケさんとは、ここ3年ほどあちこちで顔をあわせるようになり、いつかスケジュールが合う時に『ソウル・サーチン』でも歌ってください、と頼んでいた。それがやっと実現した。
いろいろケイリブと相談し、タケさんにはロナルド・アイズレイとバート・バカラックが組んで作ったアルバムから1曲をお願いすることにして、「クロース・トゥ・ユー」を歌ってもらった。フィリップとケイリブのキーボードだけをバックに、実にエロエロに歌ってくれた。観客もトロトロになっただろう。他が全曲フル・バンドでの曲だったため、このシンプルなキーボード2人でのヴォーカルは、特にヴォーカルを際立たせた。
そして、この日は綿密に時間を計算し、ファースト・セットはほぼ予定通り。セカンドは、途中で予期せぬケイリブのトークが5分ほどはいり、そのまま後ろに押した。(笑) さらに、セカンドでは前日の登場で若干ばればれでもあった「いつものシークレット・ゲスト」、黒沢薫さん登場。しかも、この日は濃いブルーの帽子にステッキを手に持ってステージに上がった。それを見たケイリブ「楽屋にステッキがあって、一体誰が使うのかと思ったら、彼だったか!」と大うけしていた。「イフ・ユー・ワー・ゼア」を熱唱。
しかし、タケさんの歌を客席で見ていた黒沢さんが、「僕も、こんな曲歌いたかったなあ…」とぽつりと言ったのはひじょうに印象に残った。
この日も『マーヴィン・ゲイ物語』が完売。ありがとうございます。そして、今回初めていらっしゃったという方々も多かった『ソウル・サーチン』、お初の方も、リピーターの方も、またぜひおいでください。今度は2年以上もあけることなくやりたいと思います。
(ライヴの詳細は、明日以降に続きます)
■ メンバー
「ケイリブ・ジェームス&ザ・ソウル・サーチャーズ・フィーチャリング・フィリップ・ウー」
ケイリブ・ジェームス(キーボード&ヴォーカル)
フィリップ・ウー (キーボード、ハモンド・オルガン)
中澤信栄(ギター&ヴォーカル)
高田真(ドラムス)
マサ小浜(ギター)
原たけし(ベース)
ゲイリー・スコット(サックス、パーカッション、ヴォーカル)
ロビー・ダンジー(ヴォーカル)
タイロン・デイヴィス(ヴォーカル)
ユリ(ヴォーカル)
ブレンダ・ヴォーン(ヴォーカル)
木下航志(ヴォーカル&キーボード)
シャンティ(ヴォーカル)
特別ゲスト 黒沢薫(ヴォーカル)
特別ゲスト Take from Skoop On Somebody(タケ)(ヴォーカル)15日のみ
トーク・パネリスト 司会 吉岡正晴、尾臺順子、岡伸昭、松尾潔(15日のみ)
■セットリスト(2009年7月14日)
SOUL SEARCHIN: THE SESSION VOL.3 A TRIBUTE TO ISLEY BROTHERS @ BLUES ALLEY, JULY 14, 2009
1st set
19:45 show started
Panelist Talk #1
M01. Harvest For The World (Kaleb)
M02 Who’s That Lady (60s version and 70s version) (Gatz)
M03. Footsteps In The Dark (Brenda)
M04. This Old Heart Of Mine (Kishita Kohshi)
M05. Summer Breeze (Kishita Kohshi)
M06. Voyage To Atlantis (Kaleb)
M07. For The Love Of You (Yuri)
M08. Love The One You’re With (Kaleb)
end stage 21:12
Second set
show started 21:30
Panelist Talk #2
M09. Work To Do (Gatz)
M10. Don’t Say Goodnight (Yuri)
M11. At Your Best (Shanti)
M12. Lay Your Troubles Down (Kaleb & Robbie Danzie)
M13. Medley(13-16)Ensemble
M14 Make Me Say It Again (Kaleb & Robbie)
M15 Smooth Sailing (Kaleb)
M16 Don’t Let Me Be Lonely Tonight (Kaleb)
M17 Caravan Of Love (Kaleb)
Panelist Talk #3
M18 If You Were There (Kurosawa Kaoru)
M19 It’s Your Thing (Brenda)
M20 Shout (Tyrone)
Encore Fight The Power (all)
show ended 23:18
(2009年7月14日火曜、目黒ブルース・アレイ=ソウル・サーチン・ザ・セッションVol.3 アイズレイ・ブラザース)
■セットリスト(2009年7月15日)
SOUL SEARCHIN: THE SESSION VOL.3 A TRIBUTE TO ISLEY BROTHERS @ BLUES ALLEY, JULY 15, 2009
1st set
19:31 show started
Panelist Talk #1
M01. Harvest For The World (Kaleb)
M02 Who’s That Lady (60s version and 70s version) (Gatz)
M03. Footsteps In The Dark (Brenda)
M04. This Old Heart Of Mine (Kishita Kohshi)
M05. Summer Breeze (Kishita Kohshi)
M06. Voyage To Atlantis (Kaleb)
M07. For The Love Of You (Yuri)
M08. Close To You (Take from Skoop On Somebody)
M09. Love The One You’re With (Kaleb)
end stage 21:04
Second set
show started 21:22
Panelist Talk #2
M10. Work To Do (Gatz)
M11. At Your Best (Shanti)
M12. Don’t Say Goodnight (Yuri)
M13. Lay Your Troubles Down (Kaleb & Robbie Danzie)
M14. (Medley 14-17) Make Me Say It Again (Kaleb & Robbie)
M15 Smooth Sailing (Kaleb)
M16 Don’t Let Me Be Lonely Tonight (Kaleb)
M17 Caravan Of Love (Kaleb)
M18 If You Were There (Kurosawa Kaoru)
M19 It’s Your Thing (Brenda)
M20. Between The Sheets (Kaleb & Brenda)
M21 Shout (Tyrone)
Encore Fight The Power (all)
show ended 23:08
(2009年7月15日水曜、目黒ブルース・アレイ=ソウル・サーチン・ザ・セッションVol.3 アイズレイ・ブラザース)
ENT>LIVE>Soul Searchin
ENT>LIVE>James, Kaleb & The Soul Searchers
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