Herbie Mann Dies at 73 

2003年7月5日
ハービー・マン死去

ジャズ・フルート奏者として知られるハービー・マンが、1日(火曜)、カリフォルニア州サンタフェ近くのペコという街で死去した。73歳だった。6年前から前立腺(せん) 癌を患っていた。最期は家族にみとられ、静かに息を引き取ったという。

去る5月3日にニューオーリンズ・ミュージック・フェスティヴァルで演奏したのが、最後になった。このとき彼は、病状がかなり悪化しており、酸素ボンベを従えてステージに登場、観衆からスタンディング・オヴェーションを得ていた。

彼は、これまでにアフリカ、キューバ、アジアなど世界の様々なスタイルの音楽を自らの演奏にとりいれ、そうした音楽性の多様性が彼の持ち味だった。

1930年4月16日ニューヨーク・ブルックリン生まれ。本名ハーバート・ソロモン。1953年、ブランズウィック・レーベルのマシューズ・クインテットで録音したのを皮切りに、今日まで約100枚近いリーダー作を残している。

60年代初期にアフリカとブラジルに旅をしたことが、彼の音楽人生に大きな影響を与え、さまざまなタイプの音楽を吸収し、それを自分なりに表現することになった。

1966年、サックスのキング・カーティスをフィーチャーした「フィリー・ドッグ」が初ヒット。69年の「メンフィス・アンダーグラウンド」の大ヒットで名前を決定づけた。

また、1975年、当時はやりだしたディスコ・サウンドに挑戦、「ハイジャック」という曲をヒットさせ、ソウル・チャートで24位、ポップチャートで14位を記録。彼にとっての最大のヒットとなった。

彼は東欧をルーツに持つユダヤ系だが、こう語ったことがある。「私はキューバ音楽をプレイしたが、キューバ人ではない。ブラジル音楽をやるが、ブラジル人ではない。ジャズをプレイしてきたが、アフリカ系アメリカ人ではない。私はといえば、東欧系のユダヤ人なのだ。自分が演奏してきた音楽はすべて愛してきたが、私はなにか自分のルーツのものをやってみたい」

1997年に癌を宣告された後、彼はルーツを求めるようになり、2000年に「イースト・ヨーロピアン・ルーツ」というアルバムを発表した。これは、彼の70年に及ぶ音楽の旅の集大成とも呼ぶべき作品となったことになる。

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