歓喜。

満面の笑み。首を左右に、上下に振り、時にピアノの椅子から立ち上がり、動き、踊る。なぜあそこまで解放できるのか。何かが乗り移り、指先だけでなく彼女の肉体すべてが媒介となる。この一月ほどちょっとばかりマイ・ブームな驚異のピアニスト、上原ひろみのライヴをやっと見ることができた。27日、28日は既に満員で入れず、追加の30日の分に行った。(11月7日付け日記参照)

このテンション、この躍動感、このスピード感。恐るべき24歳。やはり、天才か。細かい点ではいくつか思うところはあるが、全体的には非常に楽しめたライヴだった。ベースはもう一人の匠、アンソニー・ジャクソン、ドラムスは若手のマーティン・ヴァリホラ。約82分のライヴを終えてまず思ったのが、彼女のソロだけで見てみたい、ということだった。

この日のライヴは、ひとりの天才とひとりの超一流の職人とひとりの発展途上新人のトリオだった。もちろん、アンソニーのベースは最高だ。しかし、上原くらいのレベルになると、トリオでやる必然性があるのかとさえ思ってしまう。トリオはトリオで楽しめるのだが、ソロで見たい。飾り気のないネイキッドな上原ひろみを見たい。そう強く感じた。それは、深町純のソロ・ピアノ演奏が、他のミュージシャンとのコラボレーションよりも圧倒的にすばらしいという点でも証明されている。一般論として、かなりレベルの高いミュージシャンになると、普通のミュージシャンとコラボレートするとどうしても全体的に凡庸(ぼんよう)になってしまう危険性がつきまとうのだ。(この日の上原はもちろん凡庸ではなかった。アンソニーも超一流だ)

今回のベースはアンソニー・ジャクソン。となると、平凡な聴き手としては、やはりドラムに黒人のドラマーを従えて見てみたいとも思う。例えば、誰かといえば、デニス・チェンバースとか、ソニー・エモリー、ハーヴィー・メイソンあたりはどうだろう。しかし、上原はコラボレートするのが誰であろうと、すでに自分のリズムを持っている。独特のグルーヴ感を持っている。そして独特の色をもっている。この弾け感。シャンパーンのようなバブリングな感触。そして、彼女のすべての感情がピアノ自体に伝わり、ピアノから観客に到達する。その時、文字通りピアノ自体が彼女の肉体の一部になっていた。She’s became a part of piano, or she is a piano.

上原のパフォーマンスを見ていて感じたこと,沸いた疑問のいくつか。彼女は、ステージに上るときにあがったり、緊張したり、ナーヴァスになったりすることがあるのだろうか。そのパフォーマンスからは彼女があがることなど到底想像できない。ステージから観客席の方に向かって見せる満面の笑み。その時、彼女は何を見ているのだろうか。何かを感じているのか。エネルギーを吸収しているのか。あるいは何かを発散しているのか。

6曲目の「ダンサンド・パライーゾ」でおもしろいことが起こった。ドラムソロになったときだ。思い切りドラムを叩いていたマーティンのスティックが力余ってアンソニー・ジャクソンの所に飛んで行ってしまったのだ。そのスティックがアンソニーのベースに一瞬当たって床に落ちた。アンソニーがしかめっ面をする。(彼はだいたいいつもしかめっ面ではあるが・・・) それはあたかも「若いの、オレのベースに向かってなんてことをするんだ」とたしなめるかのようだった。ちょうど手があいていた上原がスティックを拾いマーティンに手渡した。それを受け取った彼は、アンソニーに向かって、「ごめんなさい」というジェスチャーをした。客席からはちょっとした笑いが漏れた。以後、ドラム・ソロは萎縮した。(笑) 平静に戻るまでに若干の時間が必要だった。そして、アンソニーは指で自分のベースに大丈夫かと尋ねるように愛撫したのだ。スティックがぶつかったときのアンソニーの表情と、愛撫するときのアンソニーの表情がなんとも言えなかった。

88の鍵盤から発せられる音は、歓喜、狂喜、興奮、神聖にあふれる。ピアノの近くから煙がでる如く白い光が漂うかのよう。しかも煌めく光は、白だけでなく、赤、紫、青など様々な彩りを見せる。鍵盤の数は88に限られている。が、彼女のプレイの可能性は無限大だ。彼女は24歳にして88のマスター、達人。なぜ彼女はこんなピアノが弾けるのか。

ライヴ後幸運なことに彼女と、さらに彼女のピアノの先生と少しだけだが、話すことができた。その話は、また明日に続く。いくつかの謎へのヒントが明らかになる。

(2003年11月30日(日)ジェイジー・ブラット=JZ Brat=上原ひろみ・ライヴ)

コネクト。

6曲目の「ダンサンド・パライーゾ」を終えて、万雷の拍手を受けた上原は一旦ステージを降り楽屋に戻ろうと僕の横を通った。その時、「ひろみさん!」とちょうど目の前に座っていた人が声をかけた。すると、その人たちを見た上原は「わ〜〜」と歓喜の声を上げた。

一息おいて再びステージに戻った上原はマイクを握ってしゃべり始めた。「私がこうやってピアノを弾いていられるのは、最初に出会ったピアノの先生がいたからです。今すごく驚いているのですが、彼女がここにいらっしゃって・・・。心から音楽を伝えることを教えてくれたひきた先生にこの曲を捧げます」 そして、彼女が弾いたアンコール曲は「ジョイ」。

上原ひろみのピアノの先生が目の前に座っていたのだ。これは話を訊かないわけにはいかない。正確には僕の斜め前に座っていたので、ソウルメイトUと席を代わってもらい、もうひとりのソウルメイトNとともに先生の真後ろに移動した。「あの〜〜、ちょっとお話をおうかがいしたいんですが・・・」と若干の前ふりをして、「一体、上原ひろみさんはどのような生徒さんだったのですか。他のお子さんと何か違いとかありましたか」 先生は突然の質問に面食らった様子だったが、口を開いてくれた。「いやあ、ちょっと変わっていました。それから絶対にあきらめない、というか頑固というか。自分が好きなことはとことんやる、という感じ。そのかわり、嫌いなことは一切やらないんです」

ひきた先生は上原が6歳のときからピアノを教え始めた。頑固さを示すこんなエピソードを話してくれた。「ピアノの曲でちょっと難しいブルグミュラーの『貴婦人の乗馬』という曲があるんですが、それが弾きたい、と言うんですね。でも、それはあなたにはまだちょっと難しいから、そこに行く前にこの曲が弾けるようにならないとだめよ、と言うと翌週にはその曲を弾けるようになってるんですよ。そして、これでどう、といわんばかりに『貴婦人・・・』を教えて、となるわけです」

ひきた先生は個人でクラシックピアノを教える先生だったが、プライヴェートではジャズも好きだった。そこで上原にクラシックだけではなくいろいろジャズを聴かせるようになると、すっかり彼女もジャズに傾注していった、という。6歳でオスカー・ピーターソンがお気に入りだったというから恐れ入る。「とにかくやりたい、と思うと頑固でしたね。そして、なにより、他の生徒と違って個性的でした」

しばらくして上原がやってきて、レコード会社の人が紹介してくれ、立ち話をした。「あなたは自分を天才だと思いますか」と聞くと、「さあ、わからないです」。「では、才能はあると思いますか」 「はい」ときっぱり。「では、いつ頃、自分に才能があると感じましたか」 「6歳の頃です」 「!!!!」  ソウルメイトNとの会話の中で、上原は6歳の時、生まれて初めてのピアノの発表会の時、ピアノの前に座った瞬間、「自分の家に戻ってきたような感じがした」と言ったという。

彼女は6歳の時に、自分に才能があると認識し、自らの人生の道を見出し、しかもその道をしっかりと進むべき道と確信したのだ。6歳で、これは、天才というより早熟の極みではないだろうか。そして、こんな幸せな人生はないだろう。

上原はピアノを弾くとき満面の笑みを見せる。僕は尋ねた。「あの満面の笑みはどこからでるのですか。笑顔の練習でもするんですか(笑)」 「いや、別に。(笑) (ピアノを弾いていると)楽しいから」 「じゃあ、一日のうち寝てる時と食事をしている以外の16時間、ピアノを弾いていてもオーケー?」 「ぜんぜん、オッケーです」と顔色ひとつ変えず彼女は言う。

「挫折したことは?」 「ないです」 「曲はどうやって作りますか?」 「曲はすぐできます。いくらでもあります」 確かに、彼女はできなければできるまでやる。だから、できないことはない。従って、それは挫折に値しない。極めて明快だ。そうかあ、できなければできるまでやればいいのか。っていったって、なかなか現実にはそうもいかない・・・。でも、それは彼女が正しい。

「ライヴをしている時は何を考えていますか、あるいはどんな感じなんでしょう?」 「トランス状態かな」 「では、弾いている時、神は降りてきている感じはありますか?」 「はい、あります」 「それは、いつも?」 「毎回です」 「毎回、降りてくるの?」 「観客の前で弾いてれば、降りてきます」 「では、練習の時は?」 「練習の時は、ちょっと違います・・・」

「好きなピアニストは?」 ちょっと困った顔をして「いっぱいいすぎて・・・」 「では好きなベース奏者は?」 「アンソニー・ジャクソン(笑)」 「好きなドラマーは?」 「マーティン・ヴァリホラ(笑)」(この日のドラマーのこと) 「共演したい相手は、例えば、黒人、白人、あるいは日本人など特に問わないのですか」 「えー、関係ないですね。コネクトすれば(OKです)」 「!!!! コネクトすれば!!!!」(僕)  すばらしい! (コネクトするとは、つながることができれば、とか、フィーリングがあえば、とか、ミュージシャンシップが通じあえば、といったニュアンスです) 僕はこの「コネクトすれば」という一言にものすごく感銘を受けた。(ちなみに『ソウル・ブレンズ』のキャッチは、「R&Bコネクト」です)

多くの子供たちにとって、例えばピアノのレッスンは親や先生から言われたりする「やらなければならないもの」だっただろう。だが、彼女にとって、それは「やりたいもの」だったのだ。だから、やることは何の苦でもなかった。そして、やれないものは、やれるまでやるのが彼女の信条だった。やれるものをやってきて、彼女は今のこの位置に立つ。ほんの数分の立ち話だったが、彼女の意思の強さとガッツを強烈に感じた。そして、何かものすごく強いオーラから元気をもらったような気がした。「自分も何かをやらなければ」という気持ちがふつふつと湧いてきたのだ。

「だから彼女には、(これまでのところ)ソウル・サーチンがないというか、必要がないのね」とNが言った。僕は答えた。「いや、今のところないけれど、何年かのうちに彼女がソウル・サーチンをすれば、さらにもう一周りもふた周りも大きな存在になると思うな。それが見てみたいな」

上原はライヴを見せる時、神とコネクトしている。神とコネクトできるピアニストなんて、そうそういない。ピアノの近くから漂う白い光は、神とコネクトして起こった化学反応の産物だ。彼女は天才? あるいは彼女は神の媒介者なのかもしれない。ということは、僕は神の使者と話をしたんだ。いいなあ、コネクトできて。うらやましい。

Setlist

show starts 21.46

1. Summer Rain
2. Another Mind
3. Kung Fu World Champion (new song, will be on next album)
4. If (with Honma Masato)
5. XYZ (with Honma Masato)
6. Dancando No Paraiso
(encore)
7. Joy

show ends 22.08

(2003年11月30日(日)ジェイジー・ブラット=JZ Brat=上原ひろみ・ライヴ)
ハイプ。

6時半から開演だと聞いていて、ずいぶん早いなあとは思ったが、なんと前座のDJがあったのね。それが約50分。ざっと見渡すと、アリーナのみで、2階席、3階席には客がいない。あんなにガラガラなドームを見たのは初めてでした。アリーナだけだったら、1万人くらいかな、というのが僕の目算でしたが、今朝のスポーツ紙などを見ると観客2万人という発表。本当ですか。5万人弱入るところへ1万しかいなければ、それはすきすき、ガラガラ感たっぷりでしょう。(笑) 

ネットではチケットが250円で売られていたりといった話題もでましたが、でもまあ、考えてみれば、1万人でも来るってことは、武道館だったら、ひょっとしたらプラチナチケットになっていたかもしれません。(笑) 典型的なハイプ(虚像)のスターです。

さて、7時22分。タトゥーの2人登場。すぐに熱烈キス。彼女たちが登場するや、持ち上がる携帯、携帯、携帯の洪水。なかには、デジカメでフラッシュたいて写真とってる人もいる! もう、入口でのカメラチェックなんて、意味ないですねえ。(笑) 時代は確実に変化してます。それだけじゃなく、動画とってる人もいましたよ。(笑) まあ、もちろん画像はねえ、テレビほどじゃないでしょうけど。まあ、飲み屋あたりで、「ほらほら、タトゥー行ったんだよ」的には使えますね。音楽としてもその程度のもんですが。(笑) (この日はカメラOKだったんですか? すいません、よくわかりませんが)

セットリストを見ると13曲となっていますが、13曲目はただリミックスとだけ書かれていて、さらに大ヒットした「ノット・ゴーン・ゲット・アス」が10曲目、12曲目に入っているいたので実質は11曲かな。しかし、演奏も歌も実際にその場でやってるのか、わからないパフォーマンスが、テンポよく続きます。一曲が意外と短い。4分くらいで進むのかな。指折り計算したら、13曲あっても1時間にならないんじゃないか、なんて途中で心配したりして。

そしたら、案の定、ほぼ50分で彼女たちは退場しました。たぶん、「30ミニッツ」というスローの曲は、実際に歌っていたと思います。これは、実際、下手だったし。(笑) 歌っていたのが確認できたのは、これくらいかな。あと、掛け声は本物でしょう。ステージから長く続く花道は、よかったです。あれは、使えます。

要は西麻布あたりでやるクラブ・イヴェントみたいなものを東京ドームなんていうところでやってしまった、ということなんでしょうね。だから、寒かった。クラブ・イヴェントだったら、超もりあがるんじゃないでしょうか。あ、そうそう、大きなスクリーンに映し出されたちょっとエッチな映像はおもしろかった。そうねえ、タトゥの二人に何か言いたいことあるかって? 上原ひろみさんの爪の垢でも煎じて飲みなさい、と。(笑) 

今回のライヴ(?)、イヴェントで学んだこと。1、カメラチェック意味なし。2、ドームに雨の日に行く時は、本当に外の床が滑りやすいので、滑らない靴を履いていくべし。ほんと、中にはいるまで、転ばないように足の筋肉使ったあ。

ハイプとは、「詐欺, 誇大広告」「(麻薬を注射して)興奮させる, 刺激する 」「だます, 誇大宣伝する 」といった意味です。パブリック・エナミーの大ヒットに「ドント・ビリーヴ・ハイプ」という曲がありますね。それと、「スリッパリー・ホエン・ウエット」は,道路標識の言葉。雨の時、スリップ注意、というあれの英語版です。コモドアーズの大ヒット曲でもあります。ワンポイント英語レッスンでした。(タトゥのネタで日記、こんな長く書くつもりなかったのに。(笑))

(2003年12月01日(月)東京ドーム・タトゥ=t.A.T.u=ライヴ)

PS えっ? 二日目はいっぱいだったんですか? 1日目のガラガラの東京ドームがテレビなんかで報道されて、ひやかし客がたくさん、きたとか。笑える。


参考リンク

日刊スポーツの記事

http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/p-et-tp0-031202-0002.html

スポニチの記事
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2003/12/02/02.html

Roots Live At Bluenote

2003年12月4日
ルーツ。

キーボード、ギター2人、ベース、ドラム、パーカッション、そして、MC。ステージ上にいたのは7人。これに後半、ジャグワー・ライトが加わる。ブルーノートで行われたルーツのライヴ。

ジャグワー・ライトは、かっこいい。ソウル・シスター・ナンバー・ワンと紹介されて登場。その迫力ある歌声は、ちょっとどこかジェームス・ブラウン・ファミリーのリン・コリンズを思わせました。あの迫力は、ダイナマイトボディーゆえか。(笑)

それからもうひとり、マーティン・ルーサーというギタリストの歌が、けっこうお上手です。インターネットだけで自分のCDを出しているとか。なにより、今回感心したのは、クエスト・ラヴ(アミール・トンプソン)のドラムが意外としっかりしていて、非常によかったことです。

それにしても以前、ヴェルファーレや、お台場で見たときはパフォーマンスの時間が長かったんですが、この日は約1時間18分ほど。短くてよかった。(笑) たしか、「ノー・サンプリング、ノー・スクラッチ」で売り出したルーツ。なにか彼らのライヴを見ていると、メンバーがちょくちょく変わり、しかし核となるクエスト・ラヴなどは変わらずといったやり方が、ジョージ・クリントン&Pファンクあたりを思わせます。

ルーツというグループ名がいいですね。なんといっても、自分たちの先祖や、昔のソウル、ブラックミュージックへのリスペクト感がいいです。それに、生音感もね。リアル・ミュージック・バイ・リアル・ミュージシャンです。

(2003年12月03日(水)東京ブルーノート=ルーツ・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Roots

自由自在。

アナログがどこかにあったはずなのに手元にない。レコードの整理がずさんな僕の場合そんなことはよくあること。CDで買い直そうと、夕方渋谷のタワーに行った。Mのところで探したのはマリーナ・ショウの名盤『フー・イズ・ディス・ビッチ・エニウェイ』(75年)だ。CD1枚だけを買うつもりだったのに、余計なものを買い、タワーの袋はかなりの重さに。だからCDショップに行くのは気がひける。そのマリーナ・ショウのライヴを見るために赤坂の「Bフラット」へ。

ちょうど1年前(2002年)の今ごろ同じ「Bフラット」でマリーナを見た。さらにその前の2002年6月の「Bフラット」におけるライヴの模様は、『ライヴ・イン・トウキョウ』となって高音質のCDになっている。そして、2003年11月にリリースされた新作『ルッキン・フォー・ラヴ』も今年6月来日時に時間を割いて東京で録音されたものだ。これも音がいい。

今回のライヴは、その『ルッキン・フォー…』を録音したジェフ・チェンバース(ベース)、レニー・ロビンソン(ドラムス)、そしてデイヴィッド・ヘイゼルティーン(ピアノ)のトリオがそのまま参加、実に息のあったところを見せる。このトリオはなかなか聞きもの。特にデイヴィッドのピアノは僕の好きなタイプだ。横顔が映画『ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』でピアニストを演じたジェフ・ブリッジスを思わせた。「おはよう、おはよう・・・」と言って始まったライヴはファーストセットとセカンドセットでダブリ曲なしという密度の濃さ。

3曲ほど歌ってマリーナは話し始めた。「今日はニュー・アルバムを初めてお披露目します。新作は『ルッキン・フォー・ラヴ』。それ、それ、すでにお持ちなのね。(と言って一番前のお客さんが持っているCDを指差す) じゃあ、歌詞、もうご存知でしょう。(忘れたら)私に教えてね。(笑)」 それまでアコースティック・ピアノを弾いていたデイヴが向きをローズ(エレクトリック・キーボード)のほうに変えた。そしてアルバム1曲目の「ホープ・イン・ア・ホープレス・ワールド」が始まった。イギリスのポール・ヤングや、ジャムバンド系のワイドスプレッド・パニックなどが録音している佳曲だ。じっくり歌詞を読むと「ホワッツ・ゴーイング・オン」などに通じるメッセージがある作品だ。いい感じ。

サッチモの「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」やビリー・ジョエルの「ニューヨーク・ステイト・オブ・マインド」、ミュージカル『バブリング・ブラウン・シュガー』の挿入歌としても知られる「スイート・ジョージア・ブラウン」など有名なスタンダードがマリーナ節で次々と歌われる。彼女の場合特に低音の声が魅力的。あの低い声はなかなか類をみない。もちろん、その声は上に行くのも、下に行くのも自由自在。声帯使いのプロだ。しかも曲調も様々なタイプを実にそつなくこなす。声で彼女の世界を作る。What A Wonderful Her World!

今年のパフォーマンスは、去年見た時よりも、声に張りと艶(つや)があってよく通ってるように感じた。ライヴが終った後、少しだけ話した。「あなたの声はとても強力ですね。どのように維持されてるのですか」 すると彼女は「子供が5人もいて、いつも叫んでるからねえ。ははは」とジョークたっぷりに答えた。気のいいビッグママという感じのマリーナ・ショウ。彼女はステージでも笑いを取ることを忘れない。「ではお孫さんは?」「7人いるわ。それも、み〜〜んな女の子なのよ。だから買い物しっぱなしよ(笑) もうすぐクリスマスだから、何かあげなきゃね」 「じゃあ、何かプレゼントを買うんですね」 「いやあ、最近はみんな物じゃなくて、現金や、あれ、なんだっけ、デパートなんかで使える・・・、ああ、商品券。そういうのを欲しがるのよねえ(笑) 私は、メイシーズで買い物するけど、彼女たちは高級店に行くのよ(笑)」 本当に気取りのないフレンドリーな人だ。だからサインや写真をねだるファンがいれば、誰にでもつきあう。

帰り際、車の中でJウエイヴの『ソウル・トレイン』を聞いていたら、男女のモノローグが流れてきた。映画のようなやりとり。都会のバーでの会話だ。男「どんな仕事をしているの?」 女「社会サーヴィスみたいなものね」 男「何か奢らせてもらえないかな」 女「シャンペーンを持ってきて」 男「今日はね、僕にとってお祝いの日なんだ」 女「へえー、どんな」 男「9回目の結婚記念日なんだ」 女「サム(ウエイター)、(シャンパーンを大きな)マグナムにして!」 マグナムにして、といったところが実にちゃっかりしていて笑える。会話に思わず聞き入ってしまった。そのモノローグはマリーナ・ショウの『フー・イズ・ディス・ビッチ・エニウェイ』の1曲目「ストリート・トーキング・ウーマン」の冒頭部分だった。夕方にCDを買い直したばかりの作品だった。

(2003年12月04日(木)赤坂Bフラット=マリーナ・ショウ・ライヴ)


候補。

第46回グラミー賞のノミネートがNARASから発表された。今年は全31分野(フィールド)、105部門(カテゴリー)でそれぞれに該当するアーティスト、作品などがノミネートされている。グラミー賞は、今年度からスケジュールが前年までより一月ほどくりあげられ、ノミネート発表、授賞式ともに例年よりはやくなっている。これはアカデミー賞の発表が3月に前倒しになった影響を受けてのもの。グラミー賞は2004年2月8日、ロスアンジェルスのステイプル・センターで発表される。中継はCBSが担当。

今年のグラミー賞の最大の特色は、R&B、ヒップ・ホップ系のアーティストが多数ノミネートされている点。これまでもそれぞれの専門分野でのノミネートはあったが、一般分野におけるこれほどの浸透ぶりは初めてのもの。今年の最多ノミネートは6部門で、ビヨンセ、ジェイZ、アウトキャスト、ネプチューンズのファレル・ウィリアムスとすべてR&B、ヒップホップ系。この他5部門ノミネートが,ミッシー・エリオット、エミネム、エヴァネセンス、50(フィフティー)セント、ネプチューンのチャド・ヒューゴ、リッキー・スキャッグス、ジャスティン・ティンバーレイク、ルーサー・ヴァンドロス、故ウォーレン・ジヴォンらとやはりR&B、ヒップホップ系が圧倒的な強さを見せている。

主なカテゴリーのノミネートは次の通り。また、恒例グラミー予想は、近日中に発表します。完全なリストはhttp://www.grammy.com/awards/grammy/46noms.aspx に。


The 46th Grammy Nominations List
Category 1

Record Of The Year
Crazy In Love
Beyonce Featuring Jay-Z

Where Is The Love
The Black Eyed Peas & Justin Timberlake
Ron Fair & will.i.am,

Clocks
Coldplay

Lose Yourself
Eminem

Hey Ya!
Outkast

Category 2

Album Of The Year

Under Construction
Missy Elliott

Fallen
Evanescence


Speakerboxxx/The Love Below
Outkast

Justified
Justin Timberlake

Elephant
The White Stripes

Category 3

Song Of The Year

Beautiful
Linda Perry, songwriter (Christina Aguilera)

Dance With My Father
Richard Marx & Luther Vandross, songwriters (Luther Vandross)

I’m With You
Avril Lavigne & The Matrix, songwriters (Avril Lavigne)

Keep Me In Your Heart
Jorge Calderon & Warren Zevon, songwriters (Warren Zevon)


Lose Yourself
J. Bass, M. Mathers & L. Resto, songwriters (Eminem)

Category 4

Best New Artist

Evanescence

50 Cent

Fountains Of Wayne

Heather Headley

Sean Paul


9番。

トータス松本さんと井筒監督のアメリカ南部の旅をつづった番組『井筒監督&トータス松本 歌った!踊った!泣いた!アメリカ南部★ブルースな旅』を見ました。(2003年12月6日・テレビ朝日で放送) 

いやあ、音楽ファンにはたまらない内容ですねえ。特にブルースマン、ロバート・ジョンソンが「魂を売ったクロスロード(十字路)」って、本当にあそこに特定されてるんですか。知りませんでした。すごいなあ。それは、松本さんじゃなくても、感激するねえ。

それからロイヤル・スタジオでウィリー・ミッチェルと対面するシーン。なんだか日テレの『バラ珍』みたいな強引な演出でしたが、まあ、あれも素材がいいだけに許しましょう。(笑) ウィリー・ミッチェルの声の吹き替えした人、上手でした。雰囲気でてました。

アル・グリーンの新作をウィリー・ミッチェルがやっているというのを知った松本さんが驚いているのは、まあ、なんという奇遇ということなんでしょう。どこでもすぐにギター片手に歌ってしまう松本さんはなかなかいい感じで、好感度アップです。

しかし、彼がアル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」を初めて知ったのが、タランティーノの映画『パルプ・フィクション』だったという告白には、相当衝撃受けました。94年ですよ、94年。まだたったの9年前。その映画の中で流れてきた「レッツ・ステイ・トゥゲザー」に瞬時に心を奪われた、という。それはそれでものすごくすばらしい感性なのですが、それまでに接点がなかったというのが驚きです。

最後にアル・グリーンがロイヤル・スタジオにやってきたのもよかったなあ。それと、ずっとアル・グリーンが使っていたというマイク「ナンバー・ナイン」が出されたのにはノックアウトさせられた。

(2003年9月25日付け日記参照)

30年前のマイクなんでしょうね。そりゃあ、歌いたくなりますよね。「レッツ・ステイ・トゥゲザー」。そうそう、ウルフルズっていうのはソウルフルから取ったという話は前にどこかででてましたっけ。

ストーリーテラー。

マリーナ・ショウのアルバム『フー・イズ・ディス・ビッチ・エニウェイ』(75年)の1曲目「ストリート・トーキング・ウーマン」には男女の会話が収録されています。なんでまたそんなことをしたのでしょうか。気さくでフレンドリーなマリーナさんが説明してくれました。「私は、ストーリーテラー(物語を語る人)だから」 なるほど。その通りです。「70年代の初期だったか、私はサミー・デイヴィス・ジュニアのオープニングアクトをやっていた。それで、初めて日本に来たんだけどね。それで、私のショウを見たプロデューサーみたいな人が、『彼女には好きにやらせるほうがいい』というようなことを言ってくれたのね。歌うということは、表現すること、演技することと一緒だから。例えば、シンガーによっては、ここでどういう話をして、次の曲は何で、どこをどう歩きみたいなことをきちっと決めてやるシンガーもいるけど、私は違う。その時の雰囲気でやりたい。で、自由にやらせてもらえるようになった。ちょうどあの頃、ああいうラップのようなモノローグが流行っていて、私もやってみようっていうことになったの。あれは私が実際に考えて、やったの」

あの映画のような演技もいいが、アルバム『スイート・ビギニングス』に収録されている「ゴー・アウェイ・リトル・ボーイ」でのオープニング・ナレーションもぞくぞくします。仕事を辞めてしまった男に愛想をつかす女性。その彼女が彼に言う一言は、「ゴー・アウェイ・リトル・ボーイ(もう、出て行ってよ、ボーイ)」 まさにストーリーテラーの面目躍如です。

そういうナレーションで思い出すのが、シャーリー・ブラウンの75年の大ヒット「ウーマン・トゥ・ウーマン」やミリー・ジャクソンの一連のヒットなどです。「そういえば、70年代初期って、ミリー・ジャクソンなんかも、あなたのようなナレーションをいれてましたよね」と話を向けると、マリーナさん、「彼女とは、(私は)ちょっと違うわ」。そう、ミリーのほうがもっとダーティー(卑猥)だからですね。「私には子供たちに聞かせたくないある種の言葉があるわ。そういうのは、自分ではやらないわね(笑)」 良識とクラース(品格)があるマリーナさんです。

そういうナレーションを曲の中にいれるスタイルは最近はあまり聞かれませんでしたが、なんと、あのアリシア・キーズが新曲「ユー・ドント・ノウ・マイ・ネーム」でそうしたナレーションをいれています。アリシアが「70年代にはそういうモノローグが入った曲がよくあった」という時、その中に間違いなくこのマリーナの作品などは入っているでしょう。アリシアの途中のナレーションを聞いて、マリーナの曲やナレーションを思い浮かべる人は少なくありません。

日本には数え切れないほどやってきています。でも、日本語は? 「ぜんぜ〜〜ん、わからない。(笑) 日本語をあなたたちがしゃべってると、とてもおもしろい。私にはリズミックに聞こえる! ヴァイブを感じるわ。タラララララ〜〜。(笑) 」 日本の人は大好きだけど、日本食はだめ、というマリーナさん。「でも、ジャパニーズ・ケンタッキー・フライド・チキンはOKよ!(笑)」 

ニューアルバム『ルッキン・フォー・ラヴ』のトップを飾るのは「ホープ・イン・ア・ホープレス・ワールド」。ポール・ヤングも93年に録音している作品ですが、マリーナはその存在を知りませんでした。「ソングライターから直接、この曲をもらったの。新曲だと思ったわ。ポール・ヤング? あ、そう。知らなかった。この曲はメッセージが今にぴったりだと思ったから。本当に今の時代って希望がないでしょう。だからこの曲は前向きなメッセージが気に入ったの」 この曲でも、彼女は充分物語を語っています。

アナログアルバムを4枚ほど持っていったのでサインをねだったら、4枚すべてにサインをしてくれました。やった。

+++++

ライヴは今後、12月8日(月)・六本木スイートベイジル、12日(金)赤坂Bフラットなど。他地方もあります。
伝記。

明日12月10日はソウルファンにとって何の日かといいますと、ご存知オーティス・レディングの命日であります。翌12月11日はサム・クックの命日。12月8日はジョン・レノンの命日。この週は、ほんとに忙しい。(って、なにが忙しいんだか・・・)

ずいぶん前にタワーに行ったときにオーティスの伝記がでていたので買ってきましたが、いつの間にこんな本が作られていたのだろう、って驚きました。スコット・フリーマンという人が書いた『ザ・オーティス・レディング・ストーリー』(セント・マーティンズ・グリフィン刊)。全米では2002年9月にリリースされています。

本文約240ページ。生まれてから死ぬまでの短い人生を様々な人への取材を元に書いています。これを書いたフリーマン氏は、これまでにオールマン・ブラザース・バンドの伝記も書いている人です。南部の音楽に詳しいようです。ひとつこんなエピソードを読みました。一番最後ですが。

事故後ほんの2-3日で、ウィリアム・ベルたちはオフィースで「この痛みを和らげるために何かしなければならない」と考え、オーティスの妻ズレマのために、オーティスへのトリビュート・ソングを書きました。それは、元々シングルリリースする予定ではなかったそうです。ウィリアム・ベルは、まったくリリースを考えていませんでした。ところが、その曲を聴いたズレマは、ウィリアムにシングルをリリースするよう提案します。しかし、彼は「自分が友人の死をネタに金儲けをした」と思われるのを嫌い、拒絶します。それでも熱心な勧めにウィリアムも折れ、シングルのB面なら出してもいいということになり、シングルのB面としてその曲はリリースされました。それが「ア・トリビュート・トゥ・キング」という曲です。しかし、ラジオDJはみなこのB面の曲をかけ始め、結局68年4月からヒットし、ソウル・チャートで16位を記録するヒットに成りました。

本当はしっかり全部読んでから日記に書こうかと思ったのですが、いつまでたっても読めないので(失笑)、簡単にこの命日にからめて紹介することにしました。



麻薬。

一度ライヴを見終わった瞬間、また見たいと思う。そういうライヴはそれほど多くはない。まあ、たいがいは、さあ終った、何食べに行こう、とかそんな風に思ってしまうもの。もちろん、それなりに満足が行くライヴでも。ところが、この6人組たちのライヴは、どうしても終った瞬間、また見たいとつくづく感じてしまう。なぜなんだろう。

今回で来日は13回目。初来日89年11月だからもう14年も前のことになる。初来日からまあ、来日ごとに最低1回は行ってるだろうから、僕も最低13回くらいは彼らを見ていることになる。初めて見たのは、おそらく89年5月のロスでと記憶するが、それはおいといて。しかしねえ、同じアーティストのライヴ、200回見てる人がいるかあ??? いたんですよ。(笑)

今年8月に続いて中3ヶ月ではやくも日本登場。「イフ・ウィ・エヴァー」から始まったショウ、2曲目の「ウエイド・イン・ザ・ウォーター」が終わると、今日誕生日のルリコさんを舞台にあげ、彼女のために「ハッピー・バースデイ」を歌った。そしてクロードがマイクをもちながら言った。「今日は、もうひとつ祝わなければならないことがあるんだ。じつは、今度はミチコのために。なんと、今日のテイク6のコンサートは、彼女にとって200回目のコンサートになるんだ! ハッピー200回! ミチコ、あがって」 

こうして舞台に挙げられたのはテイク6の世界的大ファン松浦美智子さん。僕も個人的にいろいろお世話になっているが(何でお世話になってるんだろ=笑)、彼女は自らhttp://www.take6.net/ というテイク6のホームページを運営している。このページは一部が英語で書かれているために世界中のテイク6が立ち寄る有名サイトだ。もちろんメンバーとも親交深く、このサイトはメンバーたちも覗く。彼女は来日のたびに東京は全公演、つまりブルーノート6日x2=12回見る。その他、仕事の都合が許せば週末など地方にも顔をだす。それだけではない、韓国、ニューヨーク、ヨーロッパ、テイク6行くところ、ミチコあり、というほど世界をまたにかけたファンなのだ。そんな彼女が95年に初めてライヴを見て以来、指折り数えて今日のファーストが200回目となったという。もちろん、世界一テイク6のライヴを見ている人物である。テイク6のCDにもスペシャル・サンクスでmichikoとクレジットされている。

メンバー全員がミチコを囲み、「ハッピー・バースデイ」の歌詞をもじり「ハッピー・トゥハンドレッド・・・」と歌った。いやあ、まいった。200回。すごい。なかなかできることではない。十数回なんて足元にも及ばない。

およそ5分ほどこの日のスペシャルがあったところで、トランペットなどの管楽器をすべて口でやる作品(一応セットリスト上は、「アンタイトルド」=タイトル未定)に。ますます磨きがかかってるなあ。オン・トランペット、ジョーイ・キブル! ベース、アルヴィン・チーア! オン・トロンボーン、クロード・マクナイト! あたかもそこにマイルス・デイヴィスでもでてきそうなジャジーな雰囲気。腕をあげている。いや、喉をあげている、というべきか。

12月ということもあって、クリスマス・メドレーが歌われる。いずれの曲も、テイク6のコンセプトと完璧にマッチしていて、ブルーノートの空間の隅々までがテイク6の色に彩られる。ジョーイ、デイヴィッド、マークと移って行く「エイメン」、セドリックが教会の牧師さながらに観客とコール&レスポンスを見せる「オー・カム・オール・ヤ・フェイスフル(神の御子は今宵しも)」。徐々に気分はクリスマス、というよりも、むしろ、気分は神神(こうごう)しくなっていく。不純な気持ちは持ってはいけない、神聖な気持ちや純粋な気持ちを持たなければいけない、というようなことを思わせられる。

これだけのハーモニーを作り上げながら、彼らは絶対音感がない。いわゆる相対音感だけでこれほどのものを成し遂げる。曲の始まりで、一瞬クロードがハーモニカを吹くシーンがある。ほんの一瞬だ。それで音を取って、歌い始める。あの一瞬で取るのだから、まあ、プロだから当たり前なのかもしれないが、やはりたいしたもの。

クロードの弟ブライアン・マクナイトが書いた作品「ウィ・ドント・ハヴ・トゥ・クライ」もなかなかいい感じ。そして、前作『ビューティフル・ワールド』に収録されていたビル・ウィザースの「グランドマズ・ハンド(おばあちゃんの手)」。リードがアルヴィンからジョーイへ移るが、ジョーイとデイヴィッドがギターを聞かせる。たまたま僕は昨日、ビル・ウィザースが71年頃にこの曲を歌う映像を見ていたので、かなり感慨深かった。(この映像については、後日詳細します)

この曲がけっこう激しかったので、MCのセドリックは息をあげながら、「ちょっと次の曲はスローダウンしようか」と言う。ところが始まったのはアップテンポの「ソー・マッチ・トゥ・セイ」。曲のブレイク中のアルヴィンのベースとジョーイのパーカッションのバトルが最大の見ものだ。それにからむマークのドラムスもおもしろい。ブレイクから曲のコーラスに戻るところなど、背筋がぞくぞくするほどのスリルだ。

ライヴが終ると、ミチコが近くにやってきた。「ハッピー200! すごいねえ。誰が数えたの?」 「自分で数えた」 「ブルーノートは、一日2回で数えるんだ?」 「そうそう(笑)」 大体一回のブルーノートツアーで20回くらい見る、という。 「89年が一回目?」 「いや、その頃知らなかったもん。95年11月が初めてですよ」 「えええっ??? じゃあ、たったの8年で? すごい」

アンコールも含め80分。去年と比べると彼らの楽器演奏が減って、よくなった。密度が濃くなっている。ハーモニーもよりタイトになった感がする。ちなみに今回からミキシング・エンジニアがドイツからやってきた人物になったそうで、彼らのハーモニーが一体化して、しかもよくクリアに聞こえるようなサウンドになっている、という。もちろんこれはミチコ情報。

世界一のコーラスグループの世界一のファン。それにしても、テイク6のライヴは、一度見るとまた見たくなる。なんでだろう。やっぱり、人間の声だけだからか。レス・イズ・モアだからかもしれない。しかしこの中毒性は困ったものだ。麻薬に溺れる者に理由はないのだ。そして、彼女はその中毒にかかった世界に誇るテイク6ジャンキー。(これは誉め言葉です、念のため)

(2003年12月09日(火)東京ブルーノート=テイク6・ライヴ)


引き算。

現存するピアニストの中で、おそらく個人的に世界一好きなピアニストと言ってもいいのがジョー・サンプルだ。その彼が2日間だけまったくのソロ・ライヴをやるという。ドラムもベースもギターもなし。ただピアノだけ。これまでもグループのライヴの中で一曲だけ完全にソロになったりすることもあったが、フルショウがソロというのは僕は初めての体験だから、期待した。そうとう期待は高まっていたと思う。

ピアニストのこうしたソロはピアニストにとって究極の姿ではないかと思った。そこにいる150人なら150人観客全員の目が、他の誰でもない、そのピアニストに注がれているのだ。役者の究極の夢が一人芝居をすることだ、ということをかつて聴いたことがある。その伝でいけば、ピアニストの究極の夢も完璧なピアノ・ソロなのだろう。1対150。その客席からもらうエネルギーたるや半端なものではないはずだ。少々体調が悪かろうが、その観客席からエネルギーをもらえばアドレナリンもでて元気にもなるというもの。ピアノの横には赤い布が被せられた小さな台が用意され、ミネラルウォーターがぽつんと置かれている。

今回のジョーのソロを見て聴いて感じたのは、彼のピアノは「引き算」のピアノだなあ、ということ。例えば、最近よく話題にする上原ひろみやミシェル・カミロあたりは、がんがんきて、足し算、足し算、ひょっとして掛け算くらいやってるんじゃないか、と思わせるほどだが、ジョーのはそれと対照的に、すべてを引いていく感じなのだ。がつんと行きそうなところを、すっと一歩引いて弾く。この繊細なタッチはなかなか他のピアニストでは味わえない。

「ソング・リヴズ・オン」から始まったライヴは、快調に進む。しかし、なぜか僕の心に到達しない。なぜなんだろう。不思議だ。ジョーのピアノにはいつもソウルがあるのに、今日はなかなかソウルが感じられないのだ。理由はわからない。ソロだからか。そんなことはあるまい。曲を弾きにいってる感じなのだ。その曲を弾くのに必死というか、余裕がないというか。こんなことを感じたのは初めてのこと。だが、聴いていて気持ちはいい。おそらく、彼の長年の技術でこれくらいのレベルのことはできるのだろう。

「スペルバウンド」、そして、18番の「メロディーズ・オブ・ラヴ」など、いくつも「来そうな」ポイントはあるはずなのに、そこにはせみの抜け殻のようなものを感じてしまう。ピアノの演奏は、もちろんいい。当たり前だ。世界一なんだから。ジョー・サンプルなんだから。だが、つまらない。何かが足りない。一言で言うと僕にコネクトしてこない。こんなはずはないのに。前方スクリーンにジョーの指が映し出されるのを見ながら、ずっとそのことをぼんやりと考えていた。

ジョーは一曲、一曲にちょっとした解説をつけてピアノを弾く。その解説が実に勉強になる。一々メモを取ってしまうのだが、どうしても聞き取れないところがでてくる。思ったのだが、これはジョーの場合、彼の話に通訳をつけたほうがいいのではないだろうか。その話をわかって曲を聴くと、その曲の魅力が倍増するからだ。

「もう一曲だけ弾こう。次の曲は大好きなピアニスト、ファッツ・ウォーラーがやっていた曲だ。彼はとても才能がある人物だった。この曲自体は、ファッツが書いた曲ではないが、彼のヴァージョンが大好きなんだ。『イッツ・ア・シン・トゥ・テル・ア・ライ』!」 彼のアルバム『ソング・リヴズ・オン』ではレイラ・ハザウェイが歌っていた作品だ。一旦ステージを降りた後、アンコールで「ミスティー」を弾いた。ステージで立ち上がった時、ジョーのシャツの肩あたりがかなり濡れていた。あんなに汗をかいていたのか。

僕はコネクトしなかった理由が知りたかった。しばらくして楽屋に会いに行った。「何度かお会いしています。どうですか調子は(how’s everything?)」と尋ねた。「おお、ブルーノートで会ったかな。いや、かなりきついスケジュールなんだよ。昨日来て、今日明日やって、金曜にはバンコックに行く。今日は何曜日かわからないほどだよ。日曜日にはシカゴにいたのかな。(笑)」 彼の話し方、声の出方で、ジョーが相当疲れているような気がした。

ピアニストにとってステージに臨むときのベストコンディションというのはどういうものかを訊いてみたかった。今日がひょっとしてベストコンディションではないのかな、と思ったからだ。「ああ、それは、ピアノだよ。世界中にはほんとにひどいピアノを置いてあるところもあるからね。いいピアノがあれば、いい演奏ができる。僕が好きなスタインウェイのピアノはドイツ製なんだが、12万ドル(約1300万円)もする。ここ(モーションブルー)のスタッフは、ピアノの鍵盤のところを抜き出して、弾いていない時はこっち(楽屋)に持ってきて、加湿器で湿り気を与えてるんだ。すばらしいよ」 「あの〜、つまり体調のことなんです。つまり、例えばあなたが時差ぼけとかあると、うまく弾けないとか。ピアニストとしてのベストコンディションというのはどういう時なんでしょう」 (ちょっと英語の質問がうまくなかったのだが。いい直して改めて訊いてみた) 「ああ、そうねえ、でもミュージシャンというのは、どんなに疲れていてもステージに上がってしまえば、そんなことは忘れてプレイするからね。この前の福岡の時だったか、最後のステージの前なんかみんなくたくたで、楽屋ではほとんど誰も何もしゃべらず居眠りしているような感じだったんだが、ひとたびステージに上がると、全員元気になってプレイする。ミュージシャンなんてそんなもんだよ」

「日本の指圧はいいねえ。テキサスにはないんだ。大阪のヒルトンの横にいる指圧師はいいな。それと名古屋にひとり、ものすごくいいのがいる。(笑) もちろん、ある程度うまい人はいるが、彼女は非常にすばらしい。今夜、ホテルに指圧師は来てくれるかなあ」 「1時くらいまでは大丈夫じゃないでしょうか」 一回ステージをこなすと、肩のあたりから、背中までパンパンに張るという。

この日はファーストとセカンド、ダブリは一曲だけだという。セットリストを見せてもらったら、確かにそうだった。「メロディーズ・オブ・ラヴ」だけは両方やったらしい。セカンドセットは、アンコールを含めて13曲。

しばらく話して、やはりジョーのこの日のコンディションはベストではなかったのだろうと思った。言葉が一瞬途切れたり、語り口調がクルセイダーズで来た時のMCと比べ、あまりはっきりせずにちょっとわかりにくかった。つまり、疲れているのだ。ボディ&ソウルのうち、ボディーが疲れていてはいいソウルも生まれない。だから蝉の抜け殻だったのかもしれない。だが、表面上は技術と職人技で一見まったくそんな風には見せないのだ。そこがプロフェッショナルたる所以だろう。

ジョー・サンプル、64歳。まだまだがんばってもらわなくては困る。一度倒れているのだから、あまり無理をせずにゆっくり休んで、マイペースで仕事をしてほしい。ちょっと心配だ。コネクトしなかった理由がなんとなくわかった。彼もまた生涯一現役ピアニストだ。

そして、彼のピアノは引くピアノ。I love you, Joe!

Set List
show starts 21.31

1. The Song Lives On
2. One On One
3. Carolina Shout
4. I’ve Got Rhythm
5. I’ve Got It Bad That Ain’t Good
6. Spellbound
7. How Are You Gonna Keep On (?)
8. Melodies Of Love
9. The Entertainer
10. Carmel
11.Jungle (?)
12. It’s A Sin To Tell A Lie
Enc. Misty

show ends 22.57


(2003年12月10日(水)横浜モーションブルー=ジョー・サンプル・ライヴ)
美学。

アル・グリーンの最新作『アイ・キャント・ストップ』をじっくり聴いてます。全12曲、いやあ、いいですねえ。70年代とほとんど変わらないサウンド。 Everything Must Change(すべては変わり行くべき)という歌もありますが、ここにある心はEverything Must Not Change(すべては変わるべきではない)です。

70年代に、文字通り田舎の無名シンガーだったアル・グリーンを世界的スーパースターに育てあげたプロデューサー、ウィリー・ミッチェルが今回プロデュースをてがけています。彼らが手を組むのは85年の『ヒー・イズ・ザ・ライト』以来18年ぶりとのこと。まったく変わりませんね。

70年代にずっと使ってきたメンフィス、ロイヤル・スタジオでアル・グリーン専用のマイク・ナンバー・ナインでレコーディングされたアルバムです。CDのトップを飾るアルバム・タイトル曲「アイ・キャント・ストップ」もいいですが、通して聴いて一番気に入ったのは7曲目の「ミリオン・トゥ・ワン」。このイントロ、このテンポ、そして、この「ためにためた」歌いだし! もう涙がでるほどすばらしい! 

こんなのも、2−3テイクで録音してしまうんでしょうか。あるいは、ミッチェル・プロデューサーは昔のように何十回と録音させるのかな。このほかに10曲目のアップテンポの「アイヴ・ビーン・シンキング・バウト・ユー」もかっこいい。

別に懐古趣味でいいというのではありません。今、このサウンドを聴くことが気持ちいいのです。やはり歌心を大事にした作品には暖かいソウルがたっぷりあります。Full Of Soulっていう感じ。そして、頑固に変わらないソウルの美学がここにあります。
性魂。

Rケリーと並んで今もっともセクシーなシンガーと言えば、このジョーです。このところ頻繁に来日する彼のライヴを久々に見ました。前回見たのは新宿リキッドだったか。全体的な感想は、歌はうまいなあ、というもの。そして、もしテディー・ペンダグラスあたりが元気だったらこんな風に歌うのではないか、とふと思いました。そうですね、マーヴィンほどのセクシーさは感じないが、テディーペン的なそれは感じる。ちょっとセクシーさ、センシュアルな部分の種類が違うというか。雰囲気としては、テディペンとアイズレイ・ブラザースを足して2で割ったようなあたり。英語の意味や音楽を理解しているカップルだったら、当然その気になるでしょう。

前半はアップテンポの曲を中心に、後半はバラード中心というシンプルな構成。ドラムス、ギター、ベース、キーボード、コーラス2人にダンサー2人という布陣。バックの音はかなり大きく、迫力はあるが、若干ジョーの声を打消し気味。僕はもっとジョーの声をじっくり聴きたいので、このバンドの音の大きさはNGです。そのせいかジョー自身にあまり声量がないのではないかと感じてしまいました。

そういえば、前回見たリキッドルームでは全体的な音が小さく、けっこう地味だったことを思い出しました。ゴスペル出身のシンガーだと皆、張り上げて、迫力ある歌を聴かせるのが当たり前だと思い込んでいるのですが、そういう意味だと歌自体の迫力、パンチは感じない。その点で、ひょっとするとジョーはスタジオの人なのかもしれないとも思いました。とはいうものの、彼はステージでライヴをすることも大好きだそうです。

ちょうど5作目となる最新作『アンド・ゼン...』がリリースされたばかりで、このアルバムから「スイーター・ザン・シュガー」、「モア・アンド・モア」、「ライド・ウィズ・ユー」、「アンド・ゼン」などを披露。まだ僕自身がなじんでないせいか、ちょっと親しめなかったが、アンコール以降の3曲はさすがに圧巻でした。「アイ・ウォナ・ノウ」「オール・ザット・アイ・アム」、そして「ノーワン・エルス・カムズ・クロース」。特に1曲目と3曲目はかなりひっぱって歌い会場を盛り上げました。

60年代のマーヴィン・ゲイ、70年代のテディー・ペンダグラス、80年代のフレディー・ジャクソン、90年代のキース・スウェットなどにつづいて、2000年代はジョーにもぜひがんばって「セックス&ソウル」を伝道していって欲しいと思う。そう、2004年のテーマは「セックス&ソウル」です。(ロイCの1973年のアルバム『セックス&ソウル』は名盤でした)

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Set List

show starts 20.55

01. Don’t Wanna Be A Player (from 2nd album "All That I Am")
02. Stutter (from 3rd album "My Name Is Joe")
03. Let’s Stay Home Tonight (from 4th album "Better Days")
04. Sweeter Than Sugar (from new album"And Then...")
05. Thank God I Found You (from 3rd album "My Name Is Joe")
(Make It Last Forever Remix Edit)
06. Faded Pictures (From "Rush Hour" Soundtrack)
07. What If A Woman (from 4th album "Better Days")
08. Treat Her Like A Lady (from 3rd album "My Name Is Joe")
09. Ride With U (from new album"And Then...")

(2nd Half)

10. Good Girls (from 2nd album "All That I Am")
11. The Love Scene (from 2nd album "All That I Am")
12. So Beautiful (from 3rd album "My Name Is Joe")
13. All The Things (Your Man Won’t Do) (from 2nd album "All That I Am")
14. And Then (from new album"And Then...")
15. More & More (from new album"And Then...")

Encore

16. Acapella: Make You My Baby (from new album"And Then...")
17. All I Do (Member introduction) (Originally recorded by Stevie Wonder)
18. I Wanna Know (from 3rd album "My Name Is Joe")
19. All That I Am (from 2nd album "All That I Am")
20. No One Else Comes Close (from 2nd album "All That I Am")

show ends 22.34

Joe’s Albums

1. Everything (Mercury)(1993)
2. All That I Am (Jive)(1997)
3. My Name Is Joe (Jive)(2000)
4. Better Days (Jive)(2001)
5. And Then... (Jive)(2003)

(2003年12月11日・木曜・恵比寿ガーデンホール=ジョー・ライヴ)

How To Enjoy Bluenote 

2003年12月14日
感謝。

ブルーノートでの楽しみ方、ですか。特に別にそんな難しいことはありません。単純にシステムは、ファーストセットが夜7時スタート、セカンドが9時半スタート。だいたい1時間から長くて1時間半くらいのステージです。席は早いもの順。整理券が毎日午後3時からでしたっけ。配られるので、もし可能なら3時に一度行って番号(整理券)を獲得していくと、いい席につけるようになります。もちろん、入場の際に番号を呼ばれる時にその場にいないと飛ばされてしまいますが。

ファースト・セットを見た場合は、次のセットとの入れかえがありますので、大体8時半までに外にでなければなりません。なので、余韻を楽しむにはセカンドの方がお勧めです。セカンドは9時半から11時までやっても、その後12時過ぎくらいまでお店は開いていますので、ゆっくりできます。ただし電車の場合は、終電に間に合うように。

さて、6日間12回のステージをこなすアーティストにとって、いつのステージがいいか。それはアーティストにもよりますが、一般的には、土曜日のセカンドが一番盛り上がる、というのが言えるようです。アーティストもそれで最後ですから。また、別のブルーノートに行く場合でも、少なくとも日曜は休養日になっていますので、力をセーブすることなく、思い切りパフォームしてくれるはずです。

では、その次は、どこでしょうか。金曜のセカンドあたりでしょうか。これはお客さんがかなり盛り上がっています。翌日休みですしね。しかし、一方でその時に東京に来ているミュージシャンなどの飛び入りは曜日に関係なくはいってきます。それこそ、月曜だろうが、火曜だろうが。それは、まさに運次第。

また週の前半に見ておけば、それをものすごく気に入ったら、週末にもう一度見に来る、ということもできます。

ファーストは終ったら、比較的早めにでなければなりませんが、セカンドならゆっくりできます。特にセカンド終わりには気さくなミュージシャンたちは、客席のほうにでてきますから、気楽に話やラッキーならサインをねだったりすることもできます。ですから、僕はセカンドをお勧めします。

それともうひとつ、食事は済ませてくるほうがよいです。もちろんブルーノートで食事もできますが、食べながらですと、どうしても演奏を聞いたり見たりするのに集中できません。始まる前に食べきれるのでしたらかまいませんが。ですからブルーノートで食事をするのは、時間的にいってファーストでかなり前に入場した時、ということになります。食べながら見るのはお勧めしません。しいて言えば、フライドポテトあたりをつまむくらいなら許しましょうか。(笑) ここのフライドポテトは定番です。

それにしても、ブルーノートは現在僕が日本で一番好きなライヴハウスです。なにしろ、あの規模で空間に一本も余分な柱がない。あの作りが箱としてとにかくすばらしい。非常に見やすい。JZブラットや、渋谷のクアトロなんて、柱があるだけでいやになります。(笑) そして、なにより音がいい。あれほどの音を聞かせるところはなかなかありません。ミュージシャンのひとつひとつの息遣いがきちんとスピーカーを通して伝わってきます。

そして登場するアーティストがほとんど世界の一流どころというのがまたすごい。要は毎週相当高いレベルのメジャーリーグの試合を目の前で見ることができる、ということです。ここでのライヴに聴きなれて、それを当たり前のように思ってしまうと、たまに新人の日本人アーティストなどを聴いたときに、その差に愕然としたりすることがあります。そう、日本の高校野球か、草野球あたりを見た時に、逆にメジャーの試合を見られることに感謝の気持ちが湧いてくるのです。

基本的にはここに出てくるアーティストはまず間違いないところなので、自分の好きなアーティストをぜひ見つけてください。



Christmas Song: This & That

2003年12月15日
クリスマスソング。

去年はマイ・クリスマス・ソングトップ5なんていうのを決めてました。今年はなんでしょう。今、気に入ってるのはメイシー・グレイの「ウィンター・ワンダーランド」。よく売れてるオムニバス・アルバム『プレミア・クリスマス』に収録されています。

このメイシーの声がね、なんといっても、魅力的です。彼女がデビューした時には衝撃でした。それこそ、アル・グリーンもまっつぁおのメンフィス・サウンド風の音で登場したのですから。そして、あのしわがれ声。

で、本人はかなり図体が大きく、しかし、しゃべり方はものすごくユニーク。まるでアニメのキャラクターのようなしゃべり方をします。これがおもしろい。

DJマーヴィンはこのメイシーの声を聴いて、なんと「サッチモ」ことルイ・アームストロングを思い出した、といいます。たしかに、その通りですね。メイシー・グレイは女版ルイ・アームストロングでしょうか。うまい表現です。

その曲、ベイビーフェイスもやっています。これは、ジャジーなピアノもはいって、けっこうテンポもはやくアレンジしてます。

オージェイズもクリスマスソングを録音してます。「ハヴ・ユアセルフ・ア・メリー・リトル・クリスマス」。オージェイズが歌えば、そりゃあ、ソウルフルです。91年の彼らのクリスマス・アルバムに収録。

ダニー・ハザウェイの「ディス・クリスマス」ですと、アッシャー、ピーボ・ブライソン、ジェフリー・オズボーンなども歌っています。あ〜〜、きりがないですね。ジョーも、パティー・ラベルも、ステファニー・ミルズも、テンプスも、ウィスパーズ、ボビー・ウーマックも。

クリスマス時期になるとやたらと聴くのがナット・キング・コール。彼の「クリスマス・ソング」はもはや定盤(定番)ですね。自分のお気に入りのクリスマス・ソングだけを集めたテープかMD、あるいはCDでも作りますか。

日曜。

ニューヨークのWBLS(107.5mhz)の『サンデイ・クラシック』は、毎週日曜日午前8時から午後4時までの8時間。50年代から90年代まで数々のソウル、R&Bヒッツのクラシックがかかります。そして、それだけではないんですね。このフォーマットにあう作品なら新譜でもかけるんです。例えば、今年だとリズ・ライトの新譜をかけていました。今もかかっています。あるいは、アル・グリーンの新譜などもかかるのでしょう。さっきは、アレサの新譜がかかっていました。

一言で言えば、ダンス、ソウルのクラシックをかけるが、非ヒップホップなら新譜もOKというようなニュアンスです。そうそう、ルーサーも新譜が出た頃かけてました。

この番組、なんと20年続いているそうです。今年で20周年だそうです。恐るべし。ハル・ジャクソンは、アメリカ・ブラック・ラジオ界の重鎮。そこに若手のクレイ・ベリーと女性アナウンサーが補佐します。

ニューヨークの友人がこれをエアチェックし、DVDに焼いてくれました。DVDに音声だけでいれると5時間半はいるんですね。すごい。今11月16日のオンエア分を聞きながら書いています。もう、いつ聴いてもWBLSは最高です。この『サンデイ・クラシック』も。これをかけていると、気分はマンハッタンになります。

前にも書きましたが、WBLSは今、インターネットで聴けます。
http://www.wbls.com/

ここから一番右上にあるlistenという箱をクリックすると再生できます。

WBLSのもうひとつの売り物は『クワイエット・ストーム』。毎日夜10時から夜中の2時まで。ということは日本時間では朝11時から昼3時までですね。ソウル、R&Bのバラードと若干のスムース・ジャムが気持ちよくかかります。



Quiet Storm to Smooth Jazz

2003年12月17日
静嵐。

昨日、ちょっと「クワイエット・ストーム」のことに触れましたが、このフォーマットがアメリカで急速に注目され始めたのは、86年頃のこと。その流れにのってスターになったのが、ホイットニー、アニタ・ベイカー、ルーサー・ヴァンドロス、あるいはケニーGなどでした。

「クワイエット・ストーム」はアメリカのラジオのフォーマットのひとつ。76年ワシントンDCのハワード大学の学生が始めたフォーマットでした。それは、当時大全盛だったディスコの対極として静かなソウル、R&Bと若干のスローなジャズをかけるといういかにも大人向けのもので、特に深夜の時間帯にもってこいのプログラムでした。

このフォーマットは徐々に都市部で人気となり、サンフランシスコのラジオやニューヨークのWBLSなどがこれをとりあげ、「クワイエット・ストーム」の番組を始めます。そして、それに火がついたのが86年頃。この人気に目をつけた各地のラジオ局はぞくぞくとこのフォーマットを真似、一時期は100局以上のラジオ局が「クワイエット・ストーム」を自局にとりいれるようになりました。

そして、90年代に入ると、今度は非ヒップホップであるR&Bの中でじっくり聞かせるR&Bに対して「スムースド・アウトR&B」といった言葉が冠せられるようになります。いかにも、例えば、アル・B・シュアとか、キース・スゥエットとか、キース・ワシントンなどなど。なめらかなソウル、R&Bということです。

こうした「クワイエット・ストーム」系のフォーマットが人気となると、今度はこれのジャズ、フュージョン・ヴァージョンが登場します。80年代中期にカリフォルニアに登場した「ウェイヴ」というフォーマットがそれにあたります。日本のJウェイブは、当初そのフォーマットを参考にして、大人向けの選曲をしていきました。かなり乱暴に言えば、「ウェイヴ」というのは、「クワイエット・ストーム」のジャズ版、白人版となるかもしれません。そして、それがさらに進化して「スムース・ジャズ」のフォーマットというわけです。

「スムース・ジャズ」という言葉がひんぱんに使われるようになったのは、90年代初期から。それまでのフュージョン、ジャズよりさらに洗練され、イージーリスニング的になったニュアンスが感じられます。スムースな、つまりなめらかなジャズということです。

「クワイエット・ストーム」は75年のスモーキー・ロビンソンのヒットから取っています。今でもWBLSでは夜10時から夜中の2時くらいまで毎日「クワイエット・ストーム」やっています。ニューヨークの夜10時は、日本では翌昼12時。朝、起きたててで「クワイエット・ストーム」などを聴くと、すっかりゆったりした気分になってしまいます。


共有。

そのCDショップの店内で流れている曲は知っていた。流麗なストリングス・アレンジ。おちついた雰囲気のヴォーカル。そして非常にしわがれているハスキーな声。聞いたことがあるかもしれないが、でも、ちょっと名前が浮かばない。

まあ、スタンダードだからどこかのジャズシンガーかもしれない。ちょっとソウルフルだが、おそらく白人だろう。今年はマイケル・マクドナルドのモータウンのカヴァー集がでたり、ブルーノートでBGMでかかっていたスティーヴ・タイレルというシンガーも知った。みな白人だ。スティーヴ・タイレルの「ジョージア・オン・マイ・マインド」など、ちょっと黒人かと思ってしまうほど。どこかルー・ロウルズを思わせる声をだす。スティーヴは歌は本職ではないのに、こんなに上手に歌ってしまうのかというほど、雰囲気のあるシンガーだった。

「ヴェリー・ソート・オブ・ユー」が流れる。ウォーキング・テンポの「ザ・ニアネス・オブ・ユー」がかかる。最近ではノラ・ジョーンズが歌っていて、改めてその曲の良さを再確認していた曲だ。ピアノのイントロに導かれて「フォー・オール・ウィ・ノウ」が歌われる。まるでサンデイ・アフタヌーンをゆったりとさせるかのような歌声。駒沢公園のカフェ・ニコでフレンチローストでも飲みながらそのバックに小さな音で流れるのがぴったりとくるような、そんな歌声と演奏だった。そのセクシーなしわがれ声の歌はまるで恋人たちへのサウンドトラックのようだ。

これが今年の新譜であろうと、10年前の旧譜であろうと関係がない。まあ、言ってみれば時代の流れとはまったく無縁の時間軸を持った作品だ。どこかのオーケストラや楽団で歌っていたシンガーなのだろうか。新進気鋭のジャズ・ヴォーカリストか。僕はどう転んでもこの魅力的なシンガーの名前がわからないだろうと、それを推測する努力をあきらめた。遂にカウンターに出向き店員に尋ねた。「今、かかっているのは、誰ですか?」 その答えに驚嘆した。「あ、これですか。ロッド・スチュワートです。去年のアルバムですよ。スタンダードばかり歌った作品で、この続編が最近でたんです」

アルバムのタイトルは『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』。2002年11月に発売されていたアルバムだった。声は知ってるはずだ。あまりに多くのヒットがある彼なのだから。しかし、まったく思い浮かばなかった。ライナーノーツによれば、ロッドはこうしたスタンダードばかりのアルバムを1983年頃から作りたかった、という。20年間暖め続けてきた作品だったのだ。そして、2003年、その続編も出た。

ロッドはもう何年もこうしたスタンダードをプライヴェートでは歌っていた、という。特に恋人のために。このソングブックは、恋人だけが独占的に聴いてきた作品を、広く多くの人に公開した作品ということになる。それまでロッドのこれらの作品を聴くためには、彼の恋人になるか、あるいは極めて親しくなるしか方法はなかった。すばらしき物は独占せずに、共有することが望ましく、そして、美しい。
はしご。

A社編集者T氏、音楽評論家T氏と下北沢のソウルおでん店「しずおか屋」にて会食することになった。ここは元エクセロというソウルバーだったところ。以前書いたが、音楽はそのままソウル、ブルーズを中心に小さな音で流している。

評論家T氏とは初対面。大阪出身のヴェテランの方で、名前は以前から存じ上げていた。話題が豊富で、この時は、東京の川を歩く、という話をされた。東京には正式には70いくつ川があるそうだ。10かそこらかと思っていたので、びっくり。目黒川の横なども歩かれたという。

さて、ずっとマスターがアナログ・ディスクをCDに焼いた作品をかけていたのだが、一息ついたところでなんとアル・グリーンの新譜からの曲がかかった。それが、な、な、なんと僕の今週のへヴィーローテーションでもある「ミリオン・トゥ・ワン」。(2003年12月12日付け)ちょうど、これがかかったとき、「7曲目、7曲目ですよね! これ、これ! このアルバムからはこれでしょう!」と思わず立ち上がってしまった。

そして、しばしトータス松本氏が登場したテレビ番組の話に。マスターはたまたま見逃してしまった、という。僕が見たことをいくつか紹介する。

それからおでんにいきつつ、僕は僕で何枚か持ってきたCDから、マスターが好きそうなものをみつくろって、Rケリーの「イフ・アイ・クド・ターン・バック・ザ・ハンズ・オブ・タイム」をかけてもらおう、とそれを手渡した。「え〜と、13曲目です」 すると、なんと、ちょうどその時、「いやあ、僕も今この曲かけようと思ったんですよ」というではないか。なんという奇遇というか偶然というか。これはサム・クックの影響の強い実にいい曲。その時、聴きたいと思う空気というのは伝染するのか。これもシンクロニシティー(同時性・共時性)だろうか。(笑)

いろいろなソウルの名曲がかかるが、ふと懐かしい曲がかかる。パースゥエーダーズの74年作品「ベスト・シング・ザット・エヴァー・ハプン・トゥ・ミー」だ。元々グラディス・ナイト&ピップスのヒットとして知られるクラシック曲。いやあ、パースゥエーダーズのもいいですねえ、あいかわらず。これはCD化されてません。

この「しずおか屋」さんの壁には、これでもかこれでもかというほど、昔のコンサートのチケットやら、ポスターやら、レコードのジャケットなどが飾られている。例えば、1965年1月14日(木曜)、「リサイタル・ダンス・パーティー」がリキ・スポーツ・パレスで行われ、そのチケットがある。このリキ・スポーツ・パレスは、かつて渋谷にあったプロレス場なのだという。力道山がやっていたので、リキ・スポーツ。もちろん僕は行ったことはない。そこでリングを取り払って、若干のステージを作り、ライヴアーティストを招聘しダンス・パーティーのようなものをやり、そのチケットを売った、というわけだ。入場料は500円らしい。ただ小さく「500」と数字が書かれているだけ。で、演奏は誰か? なんと、ヴェンチャーズ!

他にもヴェンチャーズは同年7月にやってきて、この時のチケット価格は1000円。この頃から日本びいきだったのね。ファッツ・ドミノは74年2月18日で1500円。すごいのは、68年2月12日に行われたモータウン・レヴューとしての来日告知チラシ。今で言えばフライヤーか。(笑) スティーヴィー・ワンダー(もちろんこの時が初来日です)、マーサ&ヴァンデラス、ダイアナ・ロス&シュープリームス、テンプテーションズの写真がレイアウトされている。そのキャッチコピーがすごい。

「黒い旋風! 一行28名」 「一行」ってねえ。(笑) まあ、確かに一行様ですが。今のドームなんかでやるライヴだったら、「黒い旋風! 一行120名」とかになるのか。この時は、テンプテーションズが来日しなかったために、入場料を無料にした、という。この時のテンプスはデイヴィッド・ラッフィンがリードの頃。次のテンプスの来日時には既にデニス・エドワーズになっていたので、デイヴィッドを見る機会はここでしかなかった、ということになる。仮に来ればの話だが。

話は尽きないが、「しずおか屋」を後に、正面の「リトル・ソウル・カフェ」へ移動。こちらもあいかわらずとろけるようなスイートソウルが惜しげもなくかかる。まもなく、そこでアル・グリーンの「フル・オブ・ファイアー」が流れた。「アル・グリーンだ!」 この「フル・オブ・ファイアー」と、さっきの「ミリオン・トゥ・ワン」にはどこか通じるところがあった。僕の中では「ミリオン・トゥ・ワン」は、「フル・オブ・ファイアー」を少しテンポを遅くしたものというイメージがあった。マスターに尋ねた。「CDは、こちらはかけなかったんでしたっけ」 「えー、アナログだけで」 「アル・グリーンの新譜いいですよ」 「いいらしいですねえ」 新譜『アイ・キャント・ストップ』、アナログででるといいですね。

まもなくすると暗い店内にまた聴いたことがある曲が流れ始めた。パースゥエーダーズの「ベスト・シング・・・」だった。さっき、しずおか屋さんで聴いたばかりの同じ曲だ! ほんの2時間程度の間に違う店でこんな珍しい曲、しかも名曲を2度も聴けるとは。思わずソファからまた立ち上がってしまった。「ソウルバーで流れてる曲のリストが、2チャンネルかなんかのネットででまわってるんじゃないの?(笑)」 これもまたソウル・サーチンしていると遭遇するシンクロニシティーか。それほど、はまった夜だった。


大歓迎。

前にこの曲のことは書いたことがあったでしょうか。スタンダードの「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」。ハーマン・ハップフェルドという作曲家が1931年に書いた作品で、元々ミュージカル『エヴリバディーズ・ウェルカム』に使われました。同年ジャック・レナード、さらにルディー・ヴァレーでヒット。その後1942年の映画『カサブランカ』で使用され再度ヒットとなっています。なんと言っても、ハンフリー・ボカートとイングリッド・バーグマンの出演する『カサブランカ』はこの曲を光輝くものにしました。僕の個人的なフェヴァリットはタック&パティーのヴァージョンです。

タイトルの「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」は、「時がどんなに流れても」という意味です。曲の内容は、「時がどんなに流れても、もっとも基本的なことはなにも変わらない。キスはキス、ため息はため息、女は男を求め、男には女が必要。それは、どんなに時代が流れようとも、決して変わることがない真実・・・」と言った歌です。

何百というヴァージョンがありますが、最新ヴァージョンは、そう、ロッド・スチュワートです。先日書いた『グレイト・アメリカン・ソング・ブック ヴォリューム2』の中でこの曲が歌われていました。しかも、女性とデュエットで。 曲のイントロで映画のような演技をするこの声は誰? 新しいジャズシンガー? どこかのミュージカルスター? ディディー・ブリッジウォーターあたりか? いやいやいや、違いました。ほ〜〜〜、へえ〜〜〜。そうですかあ。驚きました。なんと一緒に歌っているのは,ラッパーのクイーン・ラティーファ。

最近はもっぱら映画での活躍が目立つラティーファですが、こんな曲をこんな風に歌うんですか。いい、いい。ロッドのしわがれ声と、ラティーファの落ち着いた歌声のコンビネーション。こんな組合せが可能なんですね。すばらしいサプライズです。

この曲が書かれて72年の時が流れているわけですが、72年たっても、この曲の魅力は色あせることはありません。世界は、いつでも「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」を大歓迎します。どんなに時が流れても。


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