Gospellers Live At Mark City
2003年12月21日遠恋。
北風すさむ渋谷マークシティー。1700人もの人がスターの登場を待っている。抽選で選ばれた350組700人の幸運なリスナーたち。抽選にもれたものの、どうしても一目その姿を見たいと思ってやってきた人々。そして、通りすがりの人々。ひっきりなしに係りの人が、「止まらないでください」という声をかける。気温は低いが熱気は充分。ゴスペラーズの番組『フィールン・ソウル』の公開録音が昨日、行われました。
彼らが登場すると「キャ〜〜」というものすごい歓声。観客の95%は女性でしょうか。すごいですねえ。司会のアンナさんに導かれて5人が登場。しばしクリスマス話題でトークが盛り上がり、2曲ほどCDからクリスマスソングを紹介。これがアル・グリーンとルーサー・ヴァンドロス。黒沢さんの「では、2曲、きいてくらはい」の言葉が、えらく観客から受けた。(笑)
事前にメールで送ってもらっていた「遠距離恋愛」についてのお便りが、大変な数来ていて、目を通すのも大変でした。みんな、そんなに遠距離してるんですねえ。多くの人が遠距離恋愛を「遠恋」と略していました。う〜〜ん、そこまで浸透してるのか、「遠恋」。メンバー一人が一枚ずつメールをもち、それを読んだ。けっこうそれらのメールに観客も「へえ〜〜」とか反応していました。いろいろな物語がありますね。
ライヴでは、「新大阪」、「冬物語」、そして、ダニー・ハザウェイの「ディス・クリスマス」。クリスマスソングの中でも、これが一番リクエストが多いですね。クリスマス・ソングの「赤鼻のトナカイ」をその場で即興でやったのは、おもしろかったですね。それにしても、ちょっと寒かった。
ライヴが5時半までには終わり、その後、生放送まで時間があるため、一旦ばらけて、僕は急に誘われた青山カイでのマリーアというシンガーのショウケースに。アフリカ出身の歌手。8時半スタートということなので、頭の15分だけでも見ようかと思ったら、スタートしたのが8時50分だった。10分だけいましたが、まあ、それで充分でした。そこらへんのクラブの箱バンドのシンガーみたい。音程も不安定だし。これでよくデビューできたましたね。よほどデモテープがよかったのか。
それはさておき、すぐに半蔵門へ。渋谷での模様をさっそく当日10時からオンエア。いやあ、イヴェント自体がおもしろかったので、そのオンエアもいいところを使って、非常にいい感じでしたね。司会のアンナさん、おもしろいねえ。笑える。これぐらいのテンポ感だといいですね。しかも、どんどんメンバーにつっこむ。(笑) 「新大阪」についての彼女のコメント「久々にいい曲だよねえ」には、爆笑した。じゃあ、それまでの曲はどうだったんだ。(笑) すかさず北山さんが「他のアーティストのいろんな曲を含めて、という久々ね」とフォロー。
生のオンエア・スタジオは黒沢さんと北山さんだけ。普段ここで生をやるときはメンバー全員が揃いますが、今日は二人だけということもあり、ライヴの模様をやればいいということもあってか、ずいぶんとリラックスしてました。北山さん「まあ、今日は(生スタジオの部分が)楽だったあ」と言っていました。おっつかれさま。ロングデイでした。
(2003年12月20日・土曜・渋谷マークシティー=ゴスペラーズ・イヴェントライヴ)
北風すさむ渋谷マークシティー。1700人もの人がスターの登場を待っている。抽選で選ばれた350組700人の幸運なリスナーたち。抽選にもれたものの、どうしても一目その姿を見たいと思ってやってきた人々。そして、通りすがりの人々。ひっきりなしに係りの人が、「止まらないでください」という声をかける。気温は低いが熱気は充分。ゴスペラーズの番組『フィールン・ソウル』の公開録音が昨日、行われました。
彼らが登場すると「キャ〜〜」というものすごい歓声。観客の95%は女性でしょうか。すごいですねえ。司会のアンナさんに導かれて5人が登場。しばしクリスマス話題でトークが盛り上がり、2曲ほどCDからクリスマスソングを紹介。これがアル・グリーンとルーサー・ヴァンドロス。黒沢さんの「では、2曲、きいてくらはい」の言葉が、えらく観客から受けた。(笑)
事前にメールで送ってもらっていた「遠距離恋愛」についてのお便りが、大変な数来ていて、目を通すのも大変でした。みんな、そんなに遠距離してるんですねえ。多くの人が遠距離恋愛を「遠恋」と略していました。う〜〜ん、そこまで浸透してるのか、「遠恋」。メンバー一人が一枚ずつメールをもち、それを読んだ。けっこうそれらのメールに観客も「へえ〜〜」とか反応していました。いろいろな物語がありますね。
ライヴでは、「新大阪」、「冬物語」、そして、ダニー・ハザウェイの「ディス・クリスマス」。クリスマスソングの中でも、これが一番リクエストが多いですね。クリスマス・ソングの「赤鼻のトナカイ」をその場で即興でやったのは、おもしろかったですね。それにしても、ちょっと寒かった。
ライヴが5時半までには終わり、その後、生放送まで時間があるため、一旦ばらけて、僕は急に誘われた青山カイでのマリーアというシンガーのショウケースに。アフリカ出身の歌手。8時半スタートということなので、頭の15分だけでも見ようかと思ったら、スタートしたのが8時50分だった。10分だけいましたが、まあ、それで充分でした。そこらへんのクラブの箱バンドのシンガーみたい。音程も不安定だし。これでよくデビューできたましたね。よほどデモテープがよかったのか。
それはさておき、すぐに半蔵門へ。渋谷での模様をさっそく当日10時からオンエア。いやあ、イヴェント自体がおもしろかったので、そのオンエアもいいところを使って、非常にいい感じでしたね。司会のアンナさん、おもしろいねえ。笑える。これぐらいのテンポ感だといいですね。しかも、どんどんメンバーにつっこむ。(笑) 「新大阪」についての彼女のコメント「久々にいい曲だよねえ」には、爆笑した。じゃあ、それまでの曲はどうだったんだ。(笑) すかさず北山さんが「他のアーティストのいろんな曲を含めて、という久々ね」とフォロー。
生のオンエア・スタジオは黒沢さんと北山さんだけ。普段ここで生をやるときはメンバー全員が揃いますが、今日は二人だけということもあり、ライヴの模様をやればいいということもあってか、ずいぶんとリラックスしてました。北山さん「まあ、今日は(生スタジオの部分が)楽だったあ」と言っていました。おっつかれさま。ロングデイでした。
(2003年12月20日・土曜・渋谷マークシティー=ゴスペラーズ・イヴェントライヴ)
国家。
まあ、毎年いろいろなクリスマスソングが発掘されるわけですが、95年に『アンソロジー』に収録されていたオハイオ・ファンクの雄、オハイオ・プレイヤーズのクリスマス・ソング「ハッピー・ホリデイズ」という曲があります。これが、2001年にリリースされたクリスマスのオムニバス・アルバム『ボディー・アンド・ソウル』http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&uid=UIDMISS70311061515161479&sql=Aag967uy020jaに収録されています。土曜日にもいろいろあるクリスマスソングの中でも、みんなで聞き比べなどして、これもいいね、なんて言っていた曲です。(土曜日使ったのは、ルーサーとアル・グリーンでしたが)
で、これは1975年の録音とクレジットされているのですが、今までどうやら未発表だったらしいのです。95年にべスト曲を集めた『アンソロジー』を編纂するときに、発掘したらしいんですね。そしてその『アンソロジー』に収録され、その後2001年の前述のオムニバスにも収録されました。そして、『ソウルブレンズ』で、DJオッシーがこの「ハッピー・ホリデイズ」をそのオムニバスから選曲、かけたわけです。
イントロで「オハイオ・プレイヤーズがメリー・クリスマス・・・」などと言って始まり、まもなく安っぽいシンセの音が流れる、いかにもオハイオ・プレイヤーズらしい曲です。そして、これがかかってる時に、スタッフ内では、まあ、いろんなソウル系クリスマスソングあるけど、こんな曲かける番組ないよなあ、とか言ってたのです。
それから約8時間後。NHK『ソウル・ミュージック・スペシャル』公開生放送。なんとDJオダイさん、この同じオハイオ・プレイヤーズの「ハッピー・ホリデイズ」を選曲、オンエアー! そして、かけた後ブラザートム「日本広しと言えども、こんな曲かける番組、他にないでしょう」とまるで、同じコメントをされたので、おもしろかった。結局は、みな同じような曲をチェックし、かけている、ということなんですね。ひとつ言えることは、One Nation Under A Groove! (ひとつのグルーヴの元には国家はひとつ)
>カーニャさん
ロッドの「ピープル・ゲット・レディー」ですね。あれもなかなか味わい深いです。昨日は、日本人のドスコイ・ファンク・シンガー,ガッツTKBが「ピープル・ゲット・レディー」を歌っていました。今度機会あれば、聞いてみてください。
まあ、毎年いろいろなクリスマスソングが発掘されるわけですが、95年に『アンソロジー』に収録されていたオハイオ・ファンクの雄、オハイオ・プレイヤーズのクリスマス・ソング「ハッピー・ホリデイズ」という曲があります。これが、2001年にリリースされたクリスマスのオムニバス・アルバム『ボディー・アンド・ソウル』http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&uid=UIDMISS70311061515161479&sql=Aag967uy020jaに収録されています。土曜日にもいろいろあるクリスマスソングの中でも、みんなで聞き比べなどして、これもいいね、なんて言っていた曲です。(土曜日使ったのは、ルーサーとアル・グリーンでしたが)
で、これは1975年の録音とクレジットされているのですが、今までどうやら未発表だったらしいのです。95年にべスト曲を集めた『アンソロジー』を編纂するときに、発掘したらしいんですね。そしてその『アンソロジー』に収録され、その後2001年の前述のオムニバスにも収録されました。そして、『ソウルブレンズ』で、DJオッシーがこの「ハッピー・ホリデイズ」をそのオムニバスから選曲、かけたわけです。
イントロで「オハイオ・プレイヤーズがメリー・クリスマス・・・」などと言って始まり、まもなく安っぽいシンセの音が流れる、いかにもオハイオ・プレイヤーズらしい曲です。そして、これがかかってる時に、スタッフ内では、まあ、いろんなソウル系クリスマスソングあるけど、こんな曲かける番組ないよなあ、とか言ってたのです。
それから約8時間後。NHK『ソウル・ミュージック・スペシャル』公開生放送。なんとDJオダイさん、この同じオハイオ・プレイヤーズの「ハッピー・ホリデイズ」を選曲、オンエアー! そして、かけた後ブラザートム「日本広しと言えども、こんな曲かける番組、他にないでしょう」とまるで、同じコメントをされたので、おもしろかった。結局は、みな同じような曲をチェックし、かけている、ということなんですね。ひとつ言えることは、One Nation Under A Groove! (ひとつのグルーヴの元には国家はひとつ)
>カーニャさん
ロッドの「ピープル・ゲット・レディー」ですね。あれもなかなか味わい深いです。昨日は、日本人のドスコイ・ファンク・シンガー,ガッツTKBが「ピープル・ゲット・レディー」を歌っていました。今度機会あれば、聞いてみてください。
From King To King
2003年12月23日王。
2003年6月23日に行われたBET(ブラック・エンタテインメント・テレヴィジョン=アメリカのケーブル放送の一チャンネル)が主宰する「BETアワード」の模様のヴィデオを入手し、見た。既に外電などでそのニュースは流れているが、ジェームス・ブラウンが「ライフタイム・アチーヴメント(生涯功労)賞」を受賞。それを手渡したのが、誰あろう、マイケル・ジャクソンだった。
まず、ジェームス・ブラウンの足跡を簡単に紹介するフーテージ(過去映像)が流され、MCがブラウンを称え、本人の登場。「ソウル!」の掛け声とともに、なんと「マンズ・ワールド」が始まった。いつものバンドが、いつもの「マンズ・ワールド」を演奏する。そして、「セックス・マシーン」へ。
ジェームス・ブラウン、キング・オブ・ソウル。そして、曲の途中で今度はキング・オブ・ポップが登場。ブラウンとともにしばしステージ上で激しいダンスを見せる。観客からは大喝采。バンドはいつしかジャクソンズの大ヒットのひとつ「シェイク・ユア・ボディー」のフレーズを。
そして、マイケルが舞台横に移動し、紙に書いたメッセージを読み上げる。ブラウンがマイケルの横へ。しかしマイケルは感極まってそのメッセージを読みきれず、「今日、この賞を(彼に)あげる役を断るわけにはいきませんでした。なぜなら、今ここに立つこの人物ほど僕に影響を与えた人物はいないからです」 ここで涙声。横にいたブラウン、思わずマイケルを抱きしめる。「僕がまだ6歳だった頃、彼以上に尊敬していたエンタテイナーはいませんでした。そして、今でも尊敬しています。今日のこの賞を受賞するのに、彼以上にふさわしい人物はいません」 ちなみに、これは「シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ」のときの演技の泣きとは違って、本当の泣き。(笑) まだ今回の幼児虐待問題が発覚していない時期だが、ちょっと感動した。
マイケルが涙ぐむ気持ちは痛いほどわかる。なんといったって、マイケルの一番最初のそして、最大のアイドルは、ブラウンだ。
ジェームス・ブラウンは約20分の出番。観客は、ほとんど着飾ったブラック。キング・オブ・ポップからキング・オブ・ソウルへ渡された生涯功労賞。キング・オブ・ポップは、今、ライヴを行わないが(行えないが)、キング・オブ・ソウルはいまだに今夜もどこかの街で観客の腰を振らせている。ブラウンは依然現役、継続の力の偉大なることよ。
2003年6月23日に行われたBET(ブラック・エンタテインメント・テレヴィジョン=アメリカのケーブル放送の一チャンネル)が主宰する「BETアワード」の模様のヴィデオを入手し、見た。既に外電などでそのニュースは流れているが、ジェームス・ブラウンが「ライフタイム・アチーヴメント(生涯功労)賞」を受賞。それを手渡したのが、誰あろう、マイケル・ジャクソンだった。
まず、ジェームス・ブラウンの足跡を簡単に紹介するフーテージ(過去映像)が流され、MCがブラウンを称え、本人の登場。「ソウル!」の掛け声とともに、なんと「マンズ・ワールド」が始まった。いつものバンドが、いつもの「マンズ・ワールド」を演奏する。そして、「セックス・マシーン」へ。
ジェームス・ブラウン、キング・オブ・ソウル。そして、曲の途中で今度はキング・オブ・ポップが登場。ブラウンとともにしばしステージ上で激しいダンスを見せる。観客からは大喝采。バンドはいつしかジャクソンズの大ヒットのひとつ「シェイク・ユア・ボディー」のフレーズを。
そして、マイケルが舞台横に移動し、紙に書いたメッセージを読み上げる。ブラウンがマイケルの横へ。しかしマイケルは感極まってそのメッセージを読みきれず、「今日、この賞を(彼に)あげる役を断るわけにはいきませんでした。なぜなら、今ここに立つこの人物ほど僕に影響を与えた人物はいないからです」 ここで涙声。横にいたブラウン、思わずマイケルを抱きしめる。「僕がまだ6歳だった頃、彼以上に尊敬していたエンタテイナーはいませんでした。そして、今でも尊敬しています。今日のこの賞を受賞するのに、彼以上にふさわしい人物はいません」 ちなみに、これは「シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ」のときの演技の泣きとは違って、本当の泣き。(笑) まだ今回の幼児虐待問題が発覚していない時期だが、ちょっと感動した。
マイケルが涙ぐむ気持ちは痛いほどわかる。なんといったって、マイケルの一番最初のそして、最大のアイドルは、ブラウンだ。
ジェームス・ブラウンは約20分の出番。観客は、ほとんど着飾ったブラック。キング・オブ・ポップからキング・オブ・ソウルへ渡された生涯功労賞。キング・オブ・ポップは、今、ライヴを行わないが(行えないが)、キング・オブ・ソウルはいまだに今夜もどこかの街で観客の腰を振らせている。ブラウンは依然現役、継続の力の偉大なることよ。
Live & Direct For "Soul Music Special"
2003年12月24日公開放送。
NHKの『ソウル・ミュージック・スペシャル』の公開生放送、僕も途中からですが、おじゃまして見学しました。ラジオではおわかりにならなかったと思いますが、ゲストの方々とオダイさんがおしゃべりするテーブルの後ろには、様々なソウルレコードのジャケットが飾られていました。ちょっとソウルバー風に。
そして、そのソウルバーについてのブラザー・トムさんのうんちくはかなりおもしろかった。儲かっちゃいけない、でもつぶれてもいけない。そのギリギリのところでやってるのが、全国のソウルバーなのよ、と。確かに普段普通の日に客が大入りのソウルバーなんて聴いたことがないです。(笑)
トムさんが疎(うと)ましく思うソウルバーに来る客への風刺といいますか、なんといいますか、そのあたりについては、今度ゆっくりお話してみたいものです。(笑)
ライヴは、僕が到着した時にはすでにガッツが終わってしまっていました。ただしガッツは移動中の車の中で聴きました。相変わらず、「ピープル・ゲット・レディー」がいいですねえ。この路線でしょうか。オオサカ・モノレールは、留守録で聴きました。やはり生でその場で聴きたかったですね。
リアルブラッドは、いつものとおり、が〜〜と盛り上げてくれました。「恋はジョージョー」ではいつもどおり、メンバー全員が客席に下り、それぞれが客席の女性の耳元で歌います。皆照れていますが、なかなかの演出です。そして、後半、彼らは観客を立ち上がらせ、ソウルトレイン・ラインダンス(?)あるいはフォークダンス(?)みたいなのをやらせました。すごいですね。
オダイさん、38度の熱があったんですか? 超びっくり、全然そんなに見えなかったですね。それにしても、トムさんのトークは、サイコーですね。ところでこういう公開番組だと、どうしても曲がかかっている間が、困るんですよねえ。(笑) つまり間が持たない。もういっそのこと、曲の間もDJたちで好き勝手におしゃべりしてたらどうでしょうね。カフは下がっていてオンエアにはでないが、そこのスタジオにいる人には聴こえるようにするわけです。
ライヴバンドのメンバーや、オダイさんにもご挨拶したかったのですが、なんとなく楽屋がどこかだかもよくわからず、失礼してしまいました。
こういうソウルばっかりを聴かせてほぼ5時間もやれるなんて、NHKでなければできません。ぜひまたやってください。
NHKの『ソウル・ミュージック・スペシャル』の公開生放送、僕も途中からですが、おじゃまして見学しました。ラジオではおわかりにならなかったと思いますが、ゲストの方々とオダイさんがおしゃべりするテーブルの後ろには、様々なソウルレコードのジャケットが飾られていました。ちょっとソウルバー風に。
そして、そのソウルバーについてのブラザー・トムさんのうんちくはかなりおもしろかった。儲かっちゃいけない、でもつぶれてもいけない。そのギリギリのところでやってるのが、全国のソウルバーなのよ、と。確かに普段普通の日に客が大入りのソウルバーなんて聴いたことがないです。(笑)
トムさんが疎(うと)ましく思うソウルバーに来る客への風刺といいますか、なんといいますか、そのあたりについては、今度ゆっくりお話してみたいものです。(笑)
ライヴは、僕が到着した時にはすでにガッツが終わってしまっていました。ただしガッツは移動中の車の中で聴きました。相変わらず、「ピープル・ゲット・レディー」がいいですねえ。この路線でしょうか。オオサカ・モノレールは、留守録で聴きました。やはり生でその場で聴きたかったですね。
リアルブラッドは、いつものとおり、が〜〜と盛り上げてくれました。「恋はジョージョー」ではいつもどおり、メンバー全員が客席に下り、それぞれが客席の女性の耳元で歌います。皆照れていますが、なかなかの演出です。そして、後半、彼らは観客を立ち上がらせ、ソウルトレイン・ラインダンス(?)あるいはフォークダンス(?)みたいなのをやらせました。すごいですね。
オダイさん、38度の熱があったんですか? 超びっくり、全然そんなに見えなかったですね。それにしても、トムさんのトークは、サイコーですね。ところでこういう公開番組だと、どうしても曲がかかっている間が、困るんですよねえ。(笑) つまり間が持たない。もういっそのこと、曲の間もDJたちで好き勝手におしゃべりしてたらどうでしょうね。カフは下がっていてオンエアにはでないが、そこのスタジオにいる人には聴こえるようにするわけです。
ライヴバンドのメンバーや、オダイさんにもご挨拶したかったのですが、なんとなく楽屋がどこかだかもよくわからず、失礼してしまいました。
こういうソウルばっかりを聴かせてほぼ5時間もやれるなんて、NHKでなければできません。ぜひまたやってください。
Once A Year, He’s On The Air
2003年12月25日年一。
24日の深夜12時からJウェイヴでは毎年作家沢木耕太郎さんの番組をやっています。一言で言うなら彼の旅番組。彼がこれまでに行った場所の話や、メールを送ってきてくれた人と電話をつないで、その彼らが現在行っているところのを話をしてもらうという番組です。
これがねえ、けっこう、いいんですよ。年に一回だけのレギュラー。今年で何回目なんだろう。5回くらいやってるのかな。
何がいいかというと、沢木さんが世界各地に飛んでいるリスナー、といってもその人たちは番組を聴けないのですが、と話をするのがおもしろい。沢木さんの質問のもっていきかたがすばらしい。ちょうど僕が聴きたいと思うことをちゃんと聴いてくれる。かゆいところに手が届くインタヴュアーだ。すばらし。
おそらく、沢木さんは世界各地に行って、そこで出会う人、興味を持った人にいろいろとこうやって質問してるんだろうな、と思います。結局は、好奇心なんでしょうね。好奇心があるから知りたくなる。知りたくなるから、質問がでる。質問の答えからまた次の質問が引き出される。いい循環が生まれます。そしていいストーリーが掘り起こされる。そう、アーマッド・ジャマルも言うように「宝物」は掘って、掘って、掘りまくらないと見つけられないのです。
モンゴルに行った人と電話をつないで、「なぜモンゴルに行ったのか」「今、いる部屋はどんな部屋か」「どれくらい寒いのか」「寒さには耐えられるのか」とか、矢継ぎ早の質問がいい感じです。そういう質問と答えを聴いていると、そのモンゴルの彼が住んでいる状況が少しずつイメージとして浮かびあがってきます。これがラジオですよ! 言葉からイメージを広げさせる。すばらしいと思う。
テレビの旅番組は、すべてを映し出します。それはそれで有益だと思う。そこに行かなくとも、それなりの雰囲気や状況、情報などがとれるわけですから。でも、ラジオはそれ以上にイマジネーションを広げられる媒体なんですね。
タイに行った元週刊文春の記者の人とつないだ電話は、おそらく彼が携帯で街を歩いているのでしょう。その街の騒音まで入ってきて、臨場感がでています。モンゴルからタイへひとっとび。電話ひとつで何でもできるんですね。
ただね、この番組、選曲がねえ。いまいちです。もっと考えて欲しいですねえ。曲と話にまったく関連性もないようだし、選曲されている曲がつまらない曲ばかりだ。(まあ、音楽は趣味ですからねえ。僕の趣味とあわないということなんですけどね)
旅と音楽というのは、かなり密接に関連してもいいはずなんですね。例えば、旅に行く時に必ず持っていくCDとか、あるいはそれこそ現地で聴いた音楽のCDとか、現地で聴いた日本のポップスと現地の雰囲気が意外とあったとか、切り口はなんでもいいんですよ。沢木さんの話がおもしろいだけにね、残念です。曲になると局を変えちゃおうかと思うくらいだから。普通、逆ですけどね。DJがしゃべりだすと局を変えてしまうことはありますが…(笑) 来年も聴きましょう。
24日の深夜12時からJウェイヴでは毎年作家沢木耕太郎さんの番組をやっています。一言で言うなら彼の旅番組。彼がこれまでに行った場所の話や、メールを送ってきてくれた人と電話をつないで、その彼らが現在行っているところのを話をしてもらうという番組です。
これがねえ、けっこう、いいんですよ。年に一回だけのレギュラー。今年で何回目なんだろう。5回くらいやってるのかな。
何がいいかというと、沢木さんが世界各地に飛んでいるリスナー、といってもその人たちは番組を聴けないのですが、と話をするのがおもしろい。沢木さんの質問のもっていきかたがすばらしい。ちょうど僕が聴きたいと思うことをちゃんと聴いてくれる。かゆいところに手が届くインタヴュアーだ。すばらし。
おそらく、沢木さんは世界各地に行って、そこで出会う人、興味を持った人にいろいろとこうやって質問してるんだろうな、と思います。結局は、好奇心なんでしょうね。好奇心があるから知りたくなる。知りたくなるから、質問がでる。質問の答えからまた次の質問が引き出される。いい循環が生まれます。そしていいストーリーが掘り起こされる。そう、アーマッド・ジャマルも言うように「宝物」は掘って、掘って、掘りまくらないと見つけられないのです。
モンゴルに行った人と電話をつないで、「なぜモンゴルに行ったのか」「今、いる部屋はどんな部屋か」「どれくらい寒いのか」「寒さには耐えられるのか」とか、矢継ぎ早の質問がいい感じです。そういう質問と答えを聴いていると、そのモンゴルの彼が住んでいる状況が少しずつイメージとして浮かびあがってきます。これがラジオですよ! 言葉からイメージを広げさせる。すばらしいと思う。
テレビの旅番組は、すべてを映し出します。それはそれで有益だと思う。そこに行かなくとも、それなりの雰囲気や状況、情報などがとれるわけですから。でも、ラジオはそれ以上にイマジネーションを広げられる媒体なんですね。
タイに行った元週刊文春の記者の人とつないだ電話は、おそらく彼が携帯で街を歩いているのでしょう。その街の騒音まで入ってきて、臨場感がでています。モンゴルからタイへひとっとび。電話ひとつで何でもできるんですね。
ただね、この番組、選曲がねえ。いまいちです。もっと考えて欲しいですねえ。曲と話にまったく関連性もないようだし、選曲されている曲がつまらない曲ばかりだ。(まあ、音楽は趣味ですからねえ。僕の趣味とあわないということなんですけどね)
旅と音楽というのは、かなり密接に関連してもいいはずなんですね。例えば、旅に行く時に必ず持っていくCDとか、あるいはそれこそ現地で聴いた音楽のCDとか、現地で聴いた日本のポップスと現地の雰囲気が意外とあったとか、切り口はなんでもいいんですよ。沢木さんの話がおもしろいだけにね、残念です。曲になると局を変えちゃおうかと思うくらいだから。普通、逆ですけどね。DJがしゃべりだすと局を変えてしまうことはありますが…(笑) 来年も聴きましょう。
"Sex & Soul": Theme Of New Year Random Talk
2003年12月26日放談。
さてさて、再び年一の新春放談。2004年のテーマは、なんと、『セックス&ソウル』です。この日記でもしばらく前からこのキーワードがでてきているので、驚かれる方も少ないかもしれませんが、このテーマでどう、と提案したら、Iさん,Kさん、二つ返事でOKに。Mさんはそれを後から聞いて驚いたそうですが。(笑)
しばらく前に、武蔵小山の某ソウルバーに行ったときに、ロイCの『セックス&ソウル』という73年のアルバムがかかっていて、久々に聴いたのです。で、その時、そこに飾られているジャケットを見ながら、「結局、ソウルミュージックってこれだよなあ・・・」と思ったわけです。
というわけで、いろいろ調べると、なんと「セックス&ソウル」というコンピレーションまででているではありませんか。http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/stores/artist/glance/-/76102/002-8074578-2144068
要はセクシーさを感じるソウルバラード、むらむらくるようなソウルの名曲、声からしてエッチなソウルシンガー、そうしたものをど〜んとご紹介できたら、おもしろいのではないか、と思ったわけです。キーワードとしても、使える言葉です。
最初、しかし、提案したもの、一体どうなるかと思ったのですが、いやあ、結局トーク爆発です。Iさん、サイコー。やはり男3人の男の視線と女性の視線は違いますね。1週目は男性ソロ、2週目はグループ。3週目は女性ソロとグループなどをご紹介します。で、ふと、1月は5週間あるということが、昨日気付きました。(笑) 急遽、「不倫」を追加です。
そうそう、いろいろ準備している間にテリー・ジョンソン他著『甘茶ソウル百科事典』(ブルースインターアクションズ=1997年)を久しぶりに読み返しました。やはり、おもしろいですねえ。このイラストとこの解説。つまり、ロックにはこうした要素が、なくはないが、あまりないということなんですね。だから、ソウルの最大の魅力のひとつである、と。Mさんの「要は、(こういう歌を歌うとき彼らには)金か女しかないんだよね」というのが、すべてを凝縮した言葉なのであります。
さてさて、再び年一の新春放談。2004年のテーマは、なんと、『セックス&ソウル』です。この日記でもしばらく前からこのキーワードがでてきているので、驚かれる方も少ないかもしれませんが、このテーマでどう、と提案したら、Iさん,Kさん、二つ返事でOKに。Mさんはそれを後から聞いて驚いたそうですが。(笑)
しばらく前に、武蔵小山の某ソウルバーに行ったときに、ロイCの『セックス&ソウル』という73年のアルバムがかかっていて、久々に聴いたのです。で、その時、そこに飾られているジャケットを見ながら、「結局、ソウルミュージックってこれだよなあ・・・」と思ったわけです。
というわけで、いろいろ調べると、なんと「セックス&ソウル」というコンピレーションまででているではありませんか。http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/stores/artist/glance/-/76102/002-8074578-2144068
要はセクシーさを感じるソウルバラード、むらむらくるようなソウルの名曲、声からしてエッチなソウルシンガー、そうしたものをど〜んとご紹介できたら、おもしろいのではないか、と思ったわけです。キーワードとしても、使える言葉です。
最初、しかし、提案したもの、一体どうなるかと思ったのですが、いやあ、結局トーク爆発です。Iさん、サイコー。やはり男3人の男の視線と女性の視線は違いますね。1週目は男性ソロ、2週目はグループ。3週目は女性ソロとグループなどをご紹介します。で、ふと、1月は5週間あるということが、昨日気付きました。(笑) 急遽、「不倫」を追加です。
そうそう、いろいろ準備している間にテリー・ジョンソン他著『甘茶ソウル百科事典』(ブルースインターアクションズ=1997年)を久しぶりに読み返しました。やはり、おもしろいですねえ。このイラストとこの解説。つまり、ロックにはこうした要素が、なくはないが、あまりないということなんですね。だから、ソウルの最大の魅力のひとつである、と。Mさんの「要は、(こういう歌を歌うとき彼らには)金か女しかないんだよね」というのが、すべてを凝縮した言葉なのであります。
コツ。
先日の沢木さんのトークショウがあるというので、青山の青山ブックセンターに行ってみた。スイッチの元編集長の新井さんとの二人で約2時間のトークショウ。会場には120を超える人が集まっていました。
雑誌スイッチの成り立ち、そのスイッチ編集者である新井さんと沢木さんとの接点の話などなかなか興味深かったです。沢木さんが月刊プレイボーイが創刊された時、自分も何か書きたかったという話、かつて山口瞳氏から聞いた紀行文を書く時のコツの話、人生の回り道の話などなど、自分が書く時唯一心がけているのはリーダブル(読みやすく)ということ、今までの仕事で手を抜いた仕事はない、ときっぱり言い切るところなど、得るものは多かったです。
その中で、これはと思ったのが紀行文のコツの話です。山口氏の言ったコツとは、1、旅が始まるまでをできるだけ長く書け。2、旅にはパートナーがいるほうがいい。3、その場所に行ったらできるだけ同じ所(店)に何度も行け。というものでした。これはなるほど、と思いました。いろいろなことに応用できますね。
例えばーーー。ライヴ評を書く時。1、ライヴが始まるまで、そこに行くまでをできるだけ長く書く。ある程度のキャリアのあるアーティストだったら、何でも書けますね。そのアーティストをいつ知り、どのように好きになったか、よってライヴに行くことはどういう意味を持つとか。2、ライヴは誰かと一緒に行くといい。そのパートナーがどう思ったか、どう反応したかなんかを書けば、これはこれで広がる。3、その同じライヴを何度も見る。そりゃあ、何度も見れば、得る情報量は増える。そうやって見たライヴ評は、かなり長くなるかもしれませんが、相当おもしろい物になる可能性はあります。ちょっと今度試してみるかな。
あ、でも、僕のジェームスブラウンのライヴ評とかちょっとその雰囲気あるかな。前段があまりなく、パートナーはいません。ただし登場人物はいますが。でも、これをやっちゃうとライヴ評としては若干へヴィーになるかもしれません。
最後に質疑応答がありました。「年齢とともに感性が目減りしていくと思いますが、それを目減りさせないために、あるいは感性を磨いていくためにどうすればいいのでしょうか」という質問に、沢木さんはこう答えました。「感性は磨耗するものです。最初に行った島のことなど8日くらいしかいかないのに何百枚も書けた。でも、今は同じ所に行ったら5枚も書けないでしょう。それは(そのことを)知ったから新鮮ではなくなったためです。それは(感性の目減りのようなものは)物を知ることによって宿命づけられているんだと思いますね」
これも共感します。いい音楽やライヴをたくさん見れば見るほど、感激することは少なくなります。それは多くのものを知ることによってそうなってしまうんですね。しばらく前にメジャーリーグと高校野球の話に例えたことがありましたが、それと同じですね。高校野球しか知らなければ、それはそれで感動するかもしれないが、もっと上のレベルのものを知ってしまうとなかなか感動はできなくなります。
ですからこういういい方はできるかもしれません。「知ることによって感性が磨耗する」のではなく、「知ることによって感性のレヴェルがアップする、感性が磨かれる」ということです。僕なども時に知らなければ良かったなどと思うことがないことはありませんが、でもそれでもなお、知らないことで得るものよりも知ることによって得るものの方がはるかに価値があるようにつくづく思います。結局知識欲求みたいなものも、人間の性(さが)なんですかねえ。
(2003年12月26日金=青山ブックセンター本店=沢木耕太郎、新井敏記トークショウ)
An Account Of A Person’s Travels=紀行文
先日の沢木さんのトークショウがあるというので、青山の青山ブックセンターに行ってみた。スイッチの元編集長の新井さんとの二人で約2時間のトークショウ。会場には120を超える人が集まっていました。
雑誌スイッチの成り立ち、そのスイッチ編集者である新井さんと沢木さんとの接点の話などなかなか興味深かったです。沢木さんが月刊プレイボーイが創刊された時、自分も何か書きたかったという話、かつて山口瞳氏から聞いた紀行文を書く時のコツの話、人生の回り道の話などなど、自分が書く時唯一心がけているのはリーダブル(読みやすく)ということ、今までの仕事で手を抜いた仕事はない、ときっぱり言い切るところなど、得るものは多かったです。
その中で、これはと思ったのが紀行文のコツの話です。山口氏の言ったコツとは、1、旅が始まるまでをできるだけ長く書け。2、旅にはパートナーがいるほうがいい。3、その場所に行ったらできるだけ同じ所(店)に何度も行け。というものでした。これはなるほど、と思いました。いろいろなことに応用できますね。
例えばーーー。ライヴ評を書く時。1、ライヴが始まるまで、そこに行くまでをできるだけ長く書く。ある程度のキャリアのあるアーティストだったら、何でも書けますね。そのアーティストをいつ知り、どのように好きになったか、よってライヴに行くことはどういう意味を持つとか。2、ライヴは誰かと一緒に行くといい。そのパートナーがどう思ったか、どう反応したかなんかを書けば、これはこれで広がる。3、その同じライヴを何度も見る。そりゃあ、何度も見れば、得る情報量は増える。そうやって見たライヴ評は、かなり長くなるかもしれませんが、相当おもしろい物になる可能性はあります。ちょっと今度試してみるかな。
あ、でも、僕のジェームスブラウンのライヴ評とかちょっとその雰囲気あるかな。前段があまりなく、パートナーはいません。ただし登場人物はいますが。でも、これをやっちゃうとライヴ評としては若干へヴィーになるかもしれません。
最後に質疑応答がありました。「年齢とともに感性が目減りしていくと思いますが、それを目減りさせないために、あるいは感性を磨いていくためにどうすればいいのでしょうか」という質問に、沢木さんはこう答えました。「感性は磨耗するものです。最初に行った島のことなど8日くらいしかいかないのに何百枚も書けた。でも、今は同じ所に行ったら5枚も書けないでしょう。それは(そのことを)知ったから新鮮ではなくなったためです。それは(感性の目減りのようなものは)物を知ることによって宿命づけられているんだと思いますね」
これも共感します。いい音楽やライヴをたくさん見れば見るほど、感激することは少なくなります。それは多くのものを知ることによってそうなってしまうんですね。しばらく前にメジャーリーグと高校野球の話に例えたことがありましたが、それと同じですね。高校野球しか知らなければ、それはそれで感動するかもしれないが、もっと上のレベルのものを知ってしまうとなかなか感動はできなくなります。
ですからこういういい方はできるかもしれません。「知ることによって感性が磨耗する」のではなく、「知ることによって感性のレヴェルがアップする、感性が磨かれる」ということです。僕なども時に知らなければ良かったなどと思うことがないことはありませんが、でもそれでもなお、知らないことで得るものよりも知ることによって得るものの方がはるかに価値があるようにつくづく思います。結局知識欲求みたいなものも、人間の性(さが)なんですかねえ。
(2003年12月26日金=青山ブックセンター本店=沢木耕太郎、新井敏記トークショウ)
An Account Of A Person’s Travels=紀行文
Stevie Showed Us How To Build Up A Song From The Scratch With "Shame---So What The Fuss"
2003年12月28日(スティーヴィーのライヴ評です。ネタばれあります。これからごらんになる方はご注意ください)
神秘。
まず、行くまでのことをできるだけ長く書くのか・・・。長くなりすぎる・・・。(笑) 大体会場が遠すぎる。霞ヶ関から首都高乗って、駐車場いれて、会場につくまでに一時間はかかる。たまたま大きな渋滞がなかったからいいが、帰りには下り線は事故でものすごい渋滞になっていた。行きにあれにひっかかっていたら、スティーヴィーを見られなかったかもしれない。電車で行けばいいのか。すいません。会場に着いてもなかなか開演せず、席で待っているとドクター中松発見。僕の同行ソウルメートYが知人なので、またまた挨拶。ドクター会うたびに名刺を交換するので、すでに2-3枚あります。今日は今度行われるパーティーのフライアーをいただきました。(笑) (そんな前説はやはり長く書いてもね。すいません、山口先生。以下略)
約4年ぶりの通算14回目の来日、まずは一曲目は何かと思ったら「ゴールデン・レディー」ときた! 『インナーヴィジョンズ』から。わおおおおっ! なるほど。これはいい。しかし、ちょっとサウンドが・・・。次々とヒット曲が歌われる。ゆったりとしたテンポでショウは進み、「ザット・ガール」がおわったところで、ピアノのイントロで「桜」を少しだけ弾き「オール・イン・ラヴ・イズ・フェア」へ。そして、この次に未発表新曲が登場した。
タイトルは「アイ・キャント・イマジン・ラヴ・ウィズアウト・ユー」(君なしの愛は考えられない)、しっとりとしたバラードだ。ちょうどこのあたりは、ピアノを中心にしたバラードのセクション。そこで、続いて「レイトリー」に。会場はシーンとなる。しかし、何度聴いてもこれは染みるなあ。スティーヴィーの声は、相変わらずよく通る。彼は自身いろいろな声を出すが、よく自分の声を知っている。どういう声が観客に快感を与えるか、体で知っている。決して美声ではないのに、彼の声には本当に引き込まれる。
正直なところしっとりとした「レイトリー」はアコースティックピアノでやって欲しかったが、まあ、それがおわって一瞬「オーヴァージョイド」のイントロが始まった。この流れは完璧な流れ。がすぐやめてスティーヴィーはまた話し始めた。そして紹介されたのが2曲目の新曲「トゥルー・ラヴ」。これはバックにサックスがはいる聴きやすいバラード。う〜ん、どうでしょう。「リボン・・・」「レイトリー」級まで行きますか? 聴いているときはすごくいい曲だと思ったんですが、後からなかなか思い出せない。(笑)
ちなみに、このセクションは他に「リボン・イン・ザ・スカイ」「オーヴァージョイド」「ユー・アンド・アイ」「ノー・タブー・トゥ・ラヴ」「イット・エイント・ノー・ユース」などなど候補曲はいくらでもある。その日の気分で、3-4曲が選ばれる。今回は新曲がここに来ると、既存曲は若干減るかもしれません。
そして10曲目の「ドンチュー・ウォーリー・バウト・ア・シング」あたりにくると音もかなりまとまってきた。緑のレーザー、青いレーザーで作られる円錐など。一昔前のライヴステージのような演出。
続いて、スティーヴィーがお客さんにあるメロディーを歌ってもらおうと、突然通訳のカズコさんを呼び出した。だがなかなかでてこないので、アップテンポの「ジングルベル」でカズコさんが来るのをうながした。でも、カズコさんは現れなかった。(笑) 彼が観客に歌わせたかったメロディーは「マイ・シェリー・アモール」。
そして、いつもどおり「サインド・シールド・・・」「サー・デューク」「アイ・ウィッシュ」ときて、通常だと「アイ・ウィッシュ」のカットアウトと同時に次の曲に行くのだが、この日は舞台袖からスタッフがでてきて、スティーヴィーが人の名前を呼んだ。そう、そこに登場したのは平井堅。次の曲は「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」だ。これを平井堅とスティーヴィーのデュエットで披露。
この日のもうひとつのサプライズは、「スーパースティション」の途中で急にベースのネイトにソロを弾かせ、「ドゥ・アイ・ドゥ」に持っていき、そして、なんと、ドラムソロへ行ったことだ。ここは、おそらくその日の気分なのでしょうね。ただドラムセットは最初からあったが、気分がのらなければ、「スーパースティション」から「アイ・ジャスト・コールド・・・」にすぐ移る。ドラムをたたきたくなると、「ドゥ・アイ・ドゥ」へ入るというわけだ。
そして、最後の曲「アナザースター」が終わると、拍手の中に客電がついたが、拍手は止まらずスティーヴィーがバンドを従えて戻ってきた。そして、この日もっとも面白かったのが、このアンコールだ。
彼が「まだ誰も知らない曲をやろう」と言ってファンキーな曲を始めた。まず、キーボードで、そして、ベース奏者に「バババンって感じで」と指示、さらにシンセサイザーにも口真似で指示、それを受けて彼らが徐々にサウンドを作りこんでいく。ひょっとして、この場で曲作りをしているのだろうか。スティーヴィーの曲作りの一端を垣間見ることができて、非常にラッキーだ。おそらくスティーヴィーはこうやって一曲作ることもあるのだろう。しかも観客にメロディーを教えながら、「シェーム、シェーム・・・」と歌わせ、「ソー・ホワット・ザ・ファス」と言わせる。そして、そのフレーズがサビになり、キャッチーになっていく。こうして徐々に曲ができていく様は、なかなかスリリングだ。一体レコードではどうなるのか、楽しみ。問題はいつのレコードに入るか、だ。果たして次の作品かそれとも10年後か。(笑) 以上、ここはスティーヴィー先生の「曲の作り方講座」でした。
スティーヴィーは観客を見ていない。しかし、観客は彼を凝視している。今度2時間、目隠しをしてスティーヴィーのライヴを体験してみようかともふと思った。少しはスティーヴィーに近づけるかな。一体どんな感じなのだろう。誰かやってみたら、どう感じるか教えてください。
スティーヴィーを初めて見たというソウルメイトNは、「すごいね。天井に突き抜ける感じ。ものすごく感激した」と評した。そして、これを書いている途中でBBSへの書き込みもきています。ありがとうございます。
スティーヴィー・ワンダー、53歳。現役40年のライフ・オン・ザ・ロード。正直言って「ゴールデン・レイディー」が始まった時には、今日のライヴはどうなるんだ、と不安を持ったが、最後はしっかり帳尻を合わせる。音楽的にいくつかあるが、全体的にはこれは見事としかいいようがない。やはりミュージシャン力が違う、底力が違う。
彼は人が踊るところを見たことがないのに、人を躍らせる。Eighth Wonder!
彼は何が美しく、何が美しくないのかわからないはずなのに、われわれに美しいものを教えてくれる。Eighth Wonder!
何度も書いてきて繰り返しになるが、彼には僕たちが見えてないものが見えているのだ。Eighth Wonder!
それは世界の八番目の不思議、神秘。スティーヴィーのライヴを体験するということは、神秘に触れる至福の瞬間だ。これはさすがにレコードを聴くだけでは得られない。
Set List
Stevie Wonder live at Saitama Arena 2003.12.27 (Saturday)
Audience about 20,000
Show starts 18.26
1. Golden Lady
2. If You Really Love Me
3. Master Blaster
4. Higher Ground
5. That Girl
6. Sakura interlude to All In Love Is Fair
7. I Can’t Imagine Love Without You (new song)
8. Lately
9. True Love (new song)
10. Don’t You Worry ’Bout A Thing
11. ("Jingle Bell" just for fun for waiting for translator)
My Cherie Amour
12. Signed Sealed And Delivered I’m Yours
13. Sir Duke
14. I Wish
15. You’re The Sunshine Of My Life
16. Isn’t She Lovely
17. Part Time Lover
18. Superstition
19. Do I Do (including Stevie’s drum solo)
20. I Just Called To Say I Love You
21. Another Star
22. (Enc) Shame---So What The Fuss (new song)
23. (Enc) Uptight
Show ends 20.27
(2003年12月27日土曜=埼玉スーパーアリーナ=スティーヴィー・ワンダー・ライヴ)
神秘。
まず、行くまでのことをできるだけ長く書くのか・・・。長くなりすぎる・・・。(笑) 大体会場が遠すぎる。霞ヶ関から首都高乗って、駐車場いれて、会場につくまでに一時間はかかる。たまたま大きな渋滞がなかったからいいが、帰りには下り線は事故でものすごい渋滞になっていた。行きにあれにひっかかっていたら、スティーヴィーを見られなかったかもしれない。電車で行けばいいのか。すいません。会場に着いてもなかなか開演せず、席で待っているとドクター中松発見。僕の同行ソウルメートYが知人なので、またまた挨拶。ドクター会うたびに名刺を交換するので、すでに2-3枚あります。今日は今度行われるパーティーのフライアーをいただきました。(笑) (そんな前説はやはり長く書いてもね。すいません、山口先生。以下略)
約4年ぶりの通算14回目の来日、まずは一曲目は何かと思ったら「ゴールデン・レディー」ときた! 『インナーヴィジョンズ』から。わおおおおっ! なるほど。これはいい。しかし、ちょっとサウンドが・・・。次々とヒット曲が歌われる。ゆったりとしたテンポでショウは進み、「ザット・ガール」がおわったところで、ピアノのイントロで「桜」を少しだけ弾き「オール・イン・ラヴ・イズ・フェア」へ。そして、この次に未発表新曲が登場した。
タイトルは「アイ・キャント・イマジン・ラヴ・ウィズアウト・ユー」(君なしの愛は考えられない)、しっとりとしたバラードだ。ちょうどこのあたりは、ピアノを中心にしたバラードのセクション。そこで、続いて「レイトリー」に。会場はシーンとなる。しかし、何度聴いてもこれは染みるなあ。スティーヴィーの声は、相変わらずよく通る。彼は自身いろいろな声を出すが、よく自分の声を知っている。どういう声が観客に快感を与えるか、体で知っている。決して美声ではないのに、彼の声には本当に引き込まれる。
正直なところしっとりとした「レイトリー」はアコースティックピアノでやって欲しかったが、まあ、それがおわって一瞬「オーヴァージョイド」のイントロが始まった。この流れは完璧な流れ。がすぐやめてスティーヴィーはまた話し始めた。そして紹介されたのが2曲目の新曲「トゥルー・ラヴ」。これはバックにサックスがはいる聴きやすいバラード。う〜ん、どうでしょう。「リボン・・・」「レイトリー」級まで行きますか? 聴いているときはすごくいい曲だと思ったんですが、後からなかなか思い出せない。(笑)
ちなみに、このセクションは他に「リボン・イン・ザ・スカイ」「オーヴァージョイド」「ユー・アンド・アイ」「ノー・タブー・トゥ・ラヴ」「イット・エイント・ノー・ユース」などなど候補曲はいくらでもある。その日の気分で、3-4曲が選ばれる。今回は新曲がここに来ると、既存曲は若干減るかもしれません。
そして10曲目の「ドンチュー・ウォーリー・バウト・ア・シング」あたりにくると音もかなりまとまってきた。緑のレーザー、青いレーザーで作られる円錐など。一昔前のライヴステージのような演出。
続いて、スティーヴィーがお客さんにあるメロディーを歌ってもらおうと、突然通訳のカズコさんを呼び出した。だがなかなかでてこないので、アップテンポの「ジングルベル」でカズコさんが来るのをうながした。でも、カズコさんは現れなかった。(笑) 彼が観客に歌わせたかったメロディーは「マイ・シェリー・アモール」。
そして、いつもどおり「サインド・シールド・・・」「サー・デューク」「アイ・ウィッシュ」ときて、通常だと「アイ・ウィッシュ」のカットアウトと同時に次の曲に行くのだが、この日は舞台袖からスタッフがでてきて、スティーヴィーが人の名前を呼んだ。そう、そこに登場したのは平井堅。次の曲は「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」だ。これを平井堅とスティーヴィーのデュエットで披露。
この日のもうひとつのサプライズは、「スーパースティション」の途中で急にベースのネイトにソロを弾かせ、「ドゥ・アイ・ドゥ」に持っていき、そして、なんと、ドラムソロへ行ったことだ。ここは、おそらくその日の気分なのでしょうね。ただドラムセットは最初からあったが、気分がのらなければ、「スーパースティション」から「アイ・ジャスト・コールド・・・」にすぐ移る。ドラムをたたきたくなると、「ドゥ・アイ・ドゥ」へ入るというわけだ。
そして、最後の曲「アナザースター」が終わると、拍手の中に客電がついたが、拍手は止まらずスティーヴィーがバンドを従えて戻ってきた。そして、この日もっとも面白かったのが、このアンコールだ。
彼が「まだ誰も知らない曲をやろう」と言ってファンキーな曲を始めた。まず、キーボードで、そして、ベース奏者に「バババンって感じで」と指示、さらにシンセサイザーにも口真似で指示、それを受けて彼らが徐々にサウンドを作りこんでいく。ひょっとして、この場で曲作りをしているのだろうか。スティーヴィーの曲作りの一端を垣間見ることができて、非常にラッキーだ。おそらくスティーヴィーはこうやって一曲作ることもあるのだろう。しかも観客にメロディーを教えながら、「シェーム、シェーム・・・」と歌わせ、「ソー・ホワット・ザ・ファス」と言わせる。そして、そのフレーズがサビになり、キャッチーになっていく。こうして徐々に曲ができていく様は、なかなかスリリングだ。一体レコードではどうなるのか、楽しみ。問題はいつのレコードに入るか、だ。果たして次の作品かそれとも10年後か。(笑) 以上、ここはスティーヴィー先生の「曲の作り方講座」でした。
スティーヴィーは観客を見ていない。しかし、観客は彼を凝視している。今度2時間、目隠しをしてスティーヴィーのライヴを体験してみようかともふと思った。少しはスティーヴィーに近づけるかな。一体どんな感じなのだろう。誰かやってみたら、どう感じるか教えてください。
スティーヴィーを初めて見たというソウルメイトNは、「すごいね。天井に突き抜ける感じ。ものすごく感激した」と評した。そして、これを書いている途中でBBSへの書き込みもきています。ありがとうございます。
スティーヴィー・ワンダー、53歳。現役40年のライフ・オン・ザ・ロード。正直言って「ゴールデン・レイディー」が始まった時には、今日のライヴはどうなるんだ、と不安を持ったが、最後はしっかり帳尻を合わせる。音楽的にいくつかあるが、全体的にはこれは見事としかいいようがない。やはりミュージシャン力が違う、底力が違う。
彼は人が踊るところを見たことがないのに、人を躍らせる。Eighth Wonder!
彼は何が美しく、何が美しくないのかわからないはずなのに、われわれに美しいものを教えてくれる。Eighth Wonder!
何度も書いてきて繰り返しになるが、彼には僕たちが見えてないものが見えているのだ。Eighth Wonder!
それは世界の八番目の不思議、神秘。スティーヴィーのライヴを体験するということは、神秘に触れる至福の瞬間だ。これはさすがにレコードを聴くだけでは得られない。
Set List
Stevie Wonder live at Saitama Arena 2003.12.27 (Saturday)
Audience about 20,000
Show starts 18.26
1. Golden Lady
2. If You Really Love Me
3. Master Blaster
4. Higher Ground
5. That Girl
6. Sakura interlude to All In Love Is Fair
7. I Can’t Imagine Love Without You (new song)
8. Lately
9. True Love (new song)
10. Don’t You Worry ’Bout A Thing
11. ("Jingle Bell" just for fun for waiting for translator)
My Cherie Amour
12. Signed Sealed And Delivered I’m Yours
13. Sir Duke
14. I Wish
15. You’re The Sunshine Of My Life
16. Isn’t She Lovely
17. Part Time Lover
18. Superstition
19. Do I Do (including Stevie’s drum solo)
20. I Just Called To Say I Love You
21. Another Star
22. (Enc) Shame---So What The Fuss (new song)
23. (Enc) Uptight
Show ends 20.27
(2003年12月27日土曜=埼玉スーパーアリーナ=スティーヴィー・ワンダー・ライヴ)
Stevie Gave Love & Courage To Everybody
2003年12月29日(昨日の続き)
余韻。
ショウが始まる前スティーヴィーの兄ミルトンが、アリーナ左側にある車椅子の人たちの所へ近寄って一言、二言言葉をかわしていた。何を話したかはわからないが、なんとなくそのときの雰囲気から彼が「あなたはスティーヴィーの音楽が好きなのか」と尋ね、座っている人が「もちろん、大好きです」と答えているかのようにみえた。ただ単にeverything’s alright?(すべては大丈夫ですか)と訊いていたのかもしれない。あるいはその人たちが通訳の人を介して、彼がスティーヴィーの兄であることを知って驚いていたのかもしれない。
さいたまアリーナは、車椅子にやさしい作りになっている。確かに武道館などではあまり見かけないほどの数の車椅子が右へ左へ動いていたのが印象的だった。そして今回は観客の年齢層が多岐にわたっているのが大きな特徴だ。それこそ小学生から50代、白髪の60代までいる。コンビニエンスストアampmが冠についている影響もあるのかもしれない。
ソウルメイトSは、この一年いいこともあれば、辛いこともあったが、最後の最後をスティーヴィーのライヴで締めることができて本当によかった、と言った。すべてを洗い流すことができ、そして、新たなる一年への勇気と力をもらった。それはスティーヴィーからの少しだけ遅れてやってきた最高のクリスマスプレゼントだったのかもしれない。
アース・ファンを自認するソウルメイトLは、「アイ・ジャスト・コール・・・」は嫌いだけど、やはりこれだけのライヴを見せ付けられてしまっては改めてスティーヴィーはすばらしいと言わざるを得ない、と告白した。やはり、一曲目の「ゴールデン・レディー」には「お〜〜」となったと振り返る。
斜め前に10歳くらいの男の子が両親にはさまれて座っていた。後姿を見ていると、まるでスティーヴィーのように首を動かし、リズムをとる。リズム感がいい。ダンサブルな曲になると、彼は立ち上がって踊る。けっこういろいろなスティーヴィーの曲を覚えていて、一緒に歌っている。だが、「アイ・ジャスト・コールド・トゥ・セイ・アイ・ラヴ・ユー」になると、その彼は一字一句を覚えていて、スティーヴィーと一緒に歌う。ただそれだけではない、彼の独特の節回しまでをそっくりに歌ったのだ。おそらく両親の影響でスティーヴィーが大好きになったファンの一人なのだろう。
ちょっとした時にその少年が後ろを振り返った。すると思わぬ事実を知った。彼は盲目だったのだ。彼がいつから失明しているのかは知らない。だが、スティーヴィーと同じように首を振っているのを見て改めて愕然とする。目が見えないとリズムの取り方が似てくるのか。だが、そんなことより、ひとつ確実にいえることは、スティーヴィーの音楽がまちがいなくこの少年に勇気を与えている、ということだ。
スティーヴィー・ワンダーという人物は、その音楽を通して愛と勇気を与えている。その愛は車椅子に乗る人々にも、盲目の少年にも、人生に行き詰まっている大人にも、あるいは行き詰まっていない人々にも、誰にでも平等に注がれる。あなたの愛を大事な人におくりなさい、と彼は歌う。愛は愛そのものを必要としていると歌う。その姿は一貫し変わらない。
そして、僕はこうしてライヴを思い出しながら作文を書いているだけで、その感動に再びひたることができる。彼からもらった愛の残り香ゆえだ。愛の余韻はできるだけ長く楽しみたい。
(2003年12月27日土曜=埼玉スーパーアリーナ=スティーヴィー・ワンダー・ライヴ)
余韻。
ショウが始まる前スティーヴィーの兄ミルトンが、アリーナ左側にある車椅子の人たちの所へ近寄って一言、二言言葉をかわしていた。何を話したかはわからないが、なんとなくそのときの雰囲気から彼が「あなたはスティーヴィーの音楽が好きなのか」と尋ね、座っている人が「もちろん、大好きです」と答えているかのようにみえた。ただ単にeverything’s alright?(すべては大丈夫ですか)と訊いていたのかもしれない。あるいはその人たちが通訳の人を介して、彼がスティーヴィーの兄であることを知って驚いていたのかもしれない。
さいたまアリーナは、車椅子にやさしい作りになっている。確かに武道館などではあまり見かけないほどの数の車椅子が右へ左へ動いていたのが印象的だった。そして今回は観客の年齢層が多岐にわたっているのが大きな特徴だ。それこそ小学生から50代、白髪の60代までいる。コンビニエンスストアampmが冠についている影響もあるのかもしれない。
ソウルメイトSは、この一年いいこともあれば、辛いこともあったが、最後の最後をスティーヴィーのライヴで締めることができて本当によかった、と言った。すべてを洗い流すことができ、そして、新たなる一年への勇気と力をもらった。それはスティーヴィーからの少しだけ遅れてやってきた最高のクリスマスプレゼントだったのかもしれない。
アース・ファンを自認するソウルメイトLは、「アイ・ジャスト・コール・・・」は嫌いだけど、やはりこれだけのライヴを見せ付けられてしまっては改めてスティーヴィーはすばらしいと言わざるを得ない、と告白した。やはり、一曲目の「ゴールデン・レディー」には「お〜〜」となったと振り返る。
斜め前に10歳くらいの男の子が両親にはさまれて座っていた。後姿を見ていると、まるでスティーヴィーのように首を動かし、リズムをとる。リズム感がいい。ダンサブルな曲になると、彼は立ち上がって踊る。けっこういろいろなスティーヴィーの曲を覚えていて、一緒に歌っている。だが、「アイ・ジャスト・コールド・トゥ・セイ・アイ・ラヴ・ユー」になると、その彼は一字一句を覚えていて、スティーヴィーと一緒に歌う。ただそれだけではない、彼の独特の節回しまでをそっくりに歌ったのだ。おそらく両親の影響でスティーヴィーが大好きになったファンの一人なのだろう。
ちょっとした時にその少年が後ろを振り返った。すると思わぬ事実を知った。彼は盲目だったのだ。彼がいつから失明しているのかは知らない。だが、スティーヴィーと同じように首を振っているのを見て改めて愕然とする。目が見えないとリズムの取り方が似てくるのか。だが、そんなことより、ひとつ確実にいえることは、スティーヴィーの音楽がまちがいなくこの少年に勇気を与えている、ということだ。
スティーヴィー・ワンダーという人物は、その音楽を通して愛と勇気を与えている。その愛は車椅子に乗る人々にも、盲目の少年にも、人生に行き詰まっている大人にも、あるいは行き詰まっていない人々にも、誰にでも平等に注がれる。あなたの愛を大事な人におくりなさい、と彼は歌う。愛は愛そのものを必要としていると歌う。その姿は一貫し変わらない。
そして、僕はこうしてライヴを思い出しながら作文を書いているだけで、その感動に再びひたることができる。彼からもらった愛の残り香ゆえだ。愛の余韻はできるだけ長く楽しみたい。
(2003年12月27日土曜=埼玉スーパーアリーナ=スティーヴィー・ワンダー・ライヴ)
Stevie’s Booklet Which Will Never Be Available
2003年12月30日幻。
「現物は明日現地納品になりますので、当日物販売り場のところでお渡しできると思います」 編集者は26日そう電話で告げた。スティーヴィー・ワンダーのパンフレットが明日完成し、現地でお渡しします、という連絡だった。実はそのパンフレットにかなり入魂の年表とストーリー原稿を書いていたのである。95年来日のパンフレットも相当なヴォリュームになっていたが、それ以降の年表事項を加え、ストーリーを整理して書いた。
ファクスだったが、校正もチェックして、あとは印刷・完成を待つばかりだった。校正時のレイアウトを見て、なかなかいいデザインだなと思った。通常のパンフレットと違い、LP盤のように丸いブックレットになっているようだった。大きさは直径30センチ程度らしい。
27日夕方。首都高は一部渋滞していたが、概ね順調で5時半までには会場近くまでたどり着いた。高速の終点で降りるときのことだ。この高速は、地上からずいぶんと高いところを走っている。ユーミンではないが、空へ導かれる滑走路のようだった。しかも、ふと遠くを見ると、ものすごく空気が澄んでいて、地平線の向こうの山並みがカラーの影絵のように美しかった。
高速が緩やかに左カーヴを描くとき、ちょうど西向きになったのだろう。ほぼ落ちた太陽が空一面をまだ明るく照らしていた。正面に広がる山脈のひとつは富士山のように思えた。大宮から富士山が見えるとは想像していなかったので、驚きだった。あれほど美しい黄昏時の景色を見たのは久しぶりで、思わず車を止めて写真でも撮ろうかと思ったほどだ。
高速を降りてからしばし渋滞に巻き込まれたが、無事駐車場にもいれ、会場に向かう。今度は、アリーナまわりの青いライトのツリーがまた美しい。電話で指示されたグッズの販売所を探す。ところがどこにもない。もっとも僕はさいたまアリーナが初めてだったので、探し方が悪いのかと思った。だが探し出せないので、受付のところに行って関係者に尋ねた。「物販の場所はどこですか?」 「えー、今日は物販、予定されていたんですが、急遽中止になったんです。詳しいことはまだわかりません」 おやあ、一体どうしたのだろう、と思った。だがいずれにせよ、物販はないということだった。これは今日はあきらめるしかない。まあ、後日もらうことにするか。
翌日、編集者から電話があった。「実は印刷も刷り上って、現地に納品までされたんですが、諸事情あって今回のパンフレットだけでなく、すべての物販は中止になってしまいました。すいません。ほんとうに申し訳ないです、原稿書いていただいたのに」 あああ、愕然。そんなあ・・・。結局、すべてパンフは破棄処分になり、この世には存在しなかったことになるそうだ。が〜〜ん。僕も泣く泣くあきらめた。
しょうがない。次回の来日の時のパンフレットにでも使ってもらうか。(笑) そこで一部分だけでも、ここに記しておくことにした。この日記で得たものをコンパクトにまとめた部分もある。本ページ読者ならすぐにおわかりになると思う。すでにライヴをごらんになった方は、会場でこの文章を読んだつもりに、またこれからごらんになる方は、会場に行ったときにでもお読みください。
2003年、スティーヴィーの来日パンフレットは幻になりにけり。
+++++++++++++++++++
スティーヴィー・ワンダー・ストーリー
〜スティーヴィーの音楽の力〜 (抜粋ヴァージョン)
Stevie’s Power Of Music: Music Tied With Yesterday, Today & Tomorrow
架け橋。
1973年、ブエノスアイレス。父親の仕事の関係でアルゼンチンの首都にいた13歳の彼はカーラジオで「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」を初めて聴いて衝撃を受けた。今でもこの曲を聴くと、彼の脳裏にはふとそのブエノスアイレスの風景や色や匂いが浮かび上がってくる。
1978年、アトランタ。高校生だった彼は、前年10月に発売され地元のラジオでひんぱんにプレイされていたスティーヴィーの『キー・オブ・ライフ』のアルバムがどうしても欲しかったが、2枚組で高かったため自分の小遣いではなかなか買えないでいた。しかし、次の学期でよい成績を収めたのでご褒美に母親がそのアルバムを買ってくれた。あまりのうれしさに自分の部屋に飛んで行きステレオにそのアルバムをのせ1曲目の「ラヴズ・イン・ニード・オブ・ラヴ・トゥデイ」が流れてきた瞬間泣きそうになった。
1993年、東京。クラブでインコグニートの「ドンチュー・ウォーリー・アバウト・ア・シング(邦題、くよくよするな)」を聴いた彼女は早速そのレコードを買い求めた。そこでこの曲がスティーヴィーの作品であることを知り、オリジナルが入っているアルバム『インナーヴィジョンズ』を手に入れて聴いてみると、その1曲目の「トゥ・ハイ」で、文字通りハイになってしまった。
1999年、ボストン。ボストン生まれの彼はニューヨークへ向かう夜行バスの中で『キー・オブ・ライフ』のディスク2を聴いていた。「イズント・シー・ラヴリー(邦題、可愛いアイシャ)」に続いて「ジョイ・インサイド・オブ・マイ・ティアーズ」が流れてきた時、徐々に離れて行くボストンの街を車窓から眺めながら、知らぬ間に両手で強く握りこぶしを作っていた。曲が終わった瞬間手を開くとじっとりと汗をかいていた。揺れるボストンの街の光りとそれほど集中して聴いていた曲があまりにマッチしていた。
誰にでも、ある音楽とある情景や場所や思い出が完璧に結び付くことがある。今の4例はそんな物語の一握りだ。スティーヴィー・ワンダーの音楽には、他のアーティスト以上にイメージや情景と結び付く曲が多い。そして、そうした作品を聴く度に人々は昔にフラッシュバックできる。ある人にとっては「サンシャイン」が、別の人にとっては「可愛いアイシャ」が、さらに他の人には「レイトリー」が何かのメモリーとリンクしているかもしれない。きっと、今日このスティーヴィーのコンサート会場に足を運び、このプログラムを読まれている方ならスティーヴィーのなんらかの曲で、思い出のひとつやふたつお持ちのことだろう。
スティーヴィーの音楽は、その曲に貼りつけられた思い出を、何年たとうとも鮮明に再生させる精密なビデオテープのようだ。その点で、あの時代と今を結ぶ架け橋になっている。そして、それこそがスティーヴィーの音楽が持つ底知れぬ力でもある。
#####
見所。
スティーヴィー・ワンダーのライヴへようこそ。1968年の初来日から数えて今回の来日は14回目。彼は毎回確実に観客を楽しませてくれるライヴを見せてくれるが、見所を二つだけご紹介しよう。
彼は未発表曲をライヴ会場でテストする。もし今日ここで歌われる作品で、あまりなじみのない曲だったら、ひょっとしたらそれはまだ世界中の誰もが聴いたことがないスティーヴィーの未発表曲かもしれない。そんな曲を聴けたらそれはラッキーだ。
もうひとつ、彼はとても素晴らしいドラマーでもある。CDで聴かれる「スーパースティション(邦題、迷信)」や、「ドゥ・アイ・ドゥ」などで聴かれるドラムはスティーヴィー本人のドラムである。そこでもし気分がのってステージでドラム・ソロをやってくれたらそれもかなりのラッキーである。
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音楽力。
今日このライヴ会場で「サンシャイン」が歌われブエノスアイレスを思いだす人もいれば、「くよくよするな」で10年前のクラブを思いだす人もいるだろう。「リボン・イン・ザ・スカイ」が紡ぎだす物語に酔いしれるのもよいだろうし、「レイトリー」で自らの失恋を重ね合わせるのもありかもしれない。
スティーヴィーのヒット曲は70曲以上、アルバム収録曲は300曲を越える。グラミー賞も19を数える。同じ「アズ」でも、それを聴くリスナーそれぞれに貼りつけられた思い出や物語があるに違いない。
さあ、今宵スティーヴィーが歌う時、スティーヴィーは、そしてスティーヴィーの音楽はあなたに昨日を思いださせ、今日のスティーヴィーの音楽は、明日の思い出を作る。彼の音楽は、常に過去と現在と未来を強烈に結び付けている。それは時代の架け橋であり、場所の架け橋でもある。それが彼の音楽の力だ。
His music always take you back and reminisce of yesterday, and his music always make tomorrow’s memories. Thus his music is always tied with yesterday, today and tomorrow. Music between the lines of time and places. That’s what his power of music.
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「現物は明日現地納品になりますので、当日物販売り場のところでお渡しできると思います」 編集者は26日そう電話で告げた。スティーヴィー・ワンダーのパンフレットが明日完成し、現地でお渡しします、という連絡だった。実はそのパンフレットにかなり入魂の年表とストーリー原稿を書いていたのである。95年来日のパンフレットも相当なヴォリュームになっていたが、それ以降の年表事項を加え、ストーリーを整理して書いた。
ファクスだったが、校正もチェックして、あとは印刷・完成を待つばかりだった。校正時のレイアウトを見て、なかなかいいデザインだなと思った。通常のパンフレットと違い、LP盤のように丸いブックレットになっているようだった。大きさは直径30センチ程度らしい。
27日夕方。首都高は一部渋滞していたが、概ね順調で5時半までには会場近くまでたどり着いた。高速の終点で降りるときのことだ。この高速は、地上からずいぶんと高いところを走っている。ユーミンではないが、空へ導かれる滑走路のようだった。しかも、ふと遠くを見ると、ものすごく空気が澄んでいて、地平線の向こうの山並みがカラーの影絵のように美しかった。
高速が緩やかに左カーヴを描くとき、ちょうど西向きになったのだろう。ほぼ落ちた太陽が空一面をまだ明るく照らしていた。正面に広がる山脈のひとつは富士山のように思えた。大宮から富士山が見えるとは想像していなかったので、驚きだった。あれほど美しい黄昏時の景色を見たのは久しぶりで、思わず車を止めて写真でも撮ろうかと思ったほどだ。
高速を降りてからしばし渋滞に巻き込まれたが、無事駐車場にもいれ、会場に向かう。今度は、アリーナまわりの青いライトのツリーがまた美しい。電話で指示されたグッズの販売所を探す。ところがどこにもない。もっとも僕はさいたまアリーナが初めてだったので、探し方が悪いのかと思った。だが探し出せないので、受付のところに行って関係者に尋ねた。「物販の場所はどこですか?」 「えー、今日は物販、予定されていたんですが、急遽中止になったんです。詳しいことはまだわかりません」 おやあ、一体どうしたのだろう、と思った。だがいずれにせよ、物販はないということだった。これは今日はあきらめるしかない。まあ、後日もらうことにするか。
翌日、編集者から電話があった。「実は印刷も刷り上って、現地に納品までされたんですが、諸事情あって今回のパンフレットだけでなく、すべての物販は中止になってしまいました。すいません。ほんとうに申し訳ないです、原稿書いていただいたのに」 あああ、愕然。そんなあ・・・。結局、すべてパンフは破棄処分になり、この世には存在しなかったことになるそうだ。が〜〜ん。僕も泣く泣くあきらめた。
しょうがない。次回の来日の時のパンフレットにでも使ってもらうか。(笑) そこで一部分だけでも、ここに記しておくことにした。この日記で得たものをコンパクトにまとめた部分もある。本ページ読者ならすぐにおわかりになると思う。すでにライヴをごらんになった方は、会場でこの文章を読んだつもりに、またこれからごらんになる方は、会場に行ったときにでもお読みください。
2003年、スティーヴィーの来日パンフレットは幻になりにけり。
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スティーヴィー・ワンダー・ストーリー
〜スティーヴィーの音楽の力〜 (抜粋ヴァージョン)
Stevie’s Power Of Music: Music Tied With Yesterday, Today & Tomorrow
架け橋。
1973年、ブエノスアイレス。父親の仕事の関係でアルゼンチンの首都にいた13歳の彼はカーラジオで「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」を初めて聴いて衝撃を受けた。今でもこの曲を聴くと、彼の脳裏にはふとそのブエノスアイレスの風景や色や匂いが浮かび上がってくる。
1978年、アトランタ。高校生だった彼は、前年10月に発売され地元のラジオでひんぱんにプレイされていたスティーヴィーの『キー・オブ・ライフ』のアルバムがどうしても欲しかったが、2枚組で高かったため自分の小遣いではなかなか買えないでいた。しかし、次の学期でよい成績を収めたのでご褒美に母親がそのアルバムを買ってくれた。あまりのうれしさに自分の部屋に飛んで行きステレオにそのアルバムをのせ1曲目の「ラヴズ・イン・ニード・オブ・ラヴ・トゥデイ」が流れてきた瞬間泣きそうになった。
1993年、東京。クラブでインコグニートの「ドンチュー・ウォーリー・アバウト・ア・シング(邦題、くよくよするな)」を聴いた彼女は早速そのレコードを買い求めた。そこでこの曲がスティーヴィーの作品であることを知り、オリジナルが入っているアルバム『インナーヴィジョンズ』を手に入れて聴いてみると、その1曲目の「トゥ・ハイ」で、文字通りハイになってしまった。
1999年、ボストン。ボストン生まれの彼はニューヨークへ向かう夜行バスの中で『キー・オブ・ライフ』のディスク2を聴いていた。「イズント・シー・ラヴリー(邦題、可愛いアイシャ)」に続いて「ジョイ・インサイド・オブ・マイ・ティアーズ」が流れてきた時、徐々に離れて行くボストンの街を車窓から眺めながら、知らぬ間に両手で強く握りこぶしを作っていた。曲が終わった瞬間手を開くとじっとりと汗をかいていた。揺れるボストンの街の光りとそれほど集中して聴いていた曲があまりにマッチしていた。
誰にでも、ある音楽とある情景や場所や思い出が完璧に結び付くことがある。今の4例はそんな物語の一握りだ。スティーヴィー・ワンダーの音楽には、他のアーティスト以上にイメージや情景と結び付く曲が多い。そして、そうした作品を聴く度に人々は昔にフラッシュバックできる。ある人にとっては「サンシャイン」が、別の人にとっては「可愛いアイシャ」が、さらに他の人には「レイトリー」が何かのメモリーとリンクしているかもしれない。きっと、今日このスティーヴィーのコンサート会場に足を運び、このプログラムを読まれている方ならスティーヴィーのなんらかの曲で、思い出のひとつやふたつお持ちのことだろう。
スティーヴィーの音楽は、その曲に貼りつけられた思い出を、何年たとうとも鮮明に再生させる精密なビデオテープのようだ。その点で、あの時代と今を結ぶ架け橋になっている。そして、それこそがスティーヴィーの音楽が持つ底知れぬ力でもある。
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見所。
スティーヴィー・ワンダーのライヴへようこそ。1968年の初来日から数えて今回の来日は14回目。彼は毎回確実に観客を楽しませてくれるライヴを見せてくれるが、見所を二つだけご紹介しよう。
彼は未発表曲をライヴ会場でテストする。もし今日ここで歌われる作品で、あまりなじみのない曲だったら、ひょっとしたらそれはまだ世界中の誰もが聴いたことがないスティーヴィーの未発表曲かもしれない。そんな曲を聴けたらそれはラッキーだ。
もうひとつ、彼はとても素晴らしいドラマーでもある。CDで聴かれる「スーパースティション(邦題、迷信)」や、「ドゥ・アイ・ドゥ」などで聴かれるドラムはスティーヴィー本人のドラムである。そこでもし気分がのってステージでドラム・ソロをやってくれたらそれもかなりのラッキーである。
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音楽力。
今日このライヴ会場で「サンシャイン」が歌われブエノスアイレスを思いだす人もいれば、「くよくよするな」で10年前のクラブを思いだす人もいるだろう。「リボン・イン・ザ・スカイ」が紡ぎだす物語に酔いしれるのもよいだろうし、「レイトリー」で自らの失恋を重ね合わせるのもありかもしれない。
スティーヴィーのヒット曲は70曲以上、アルバム収録曲は300曲を越える。グラミー賞も19を数える。同じ「アズ」でも、それを聴くリスナーそれぞれに貼りつけられた思い出や物語があるに違いない。
さあ、今宵スティーヴィーが歌う時、スティーヴィーは、そしてスティーヴィーの音楽はあなたに昨日を思いださせ、今日のスティーヴィーの音楽は、明日の思い出を作る。彼の音楽は、常に過去と現在と未来を強烈に結び付けている。それは時代の架け橋であり、場所の架け橋でもある。それが彼の音楽の力だ。
His music always take you back and reminisce of yesterday, and his music always make tomorrow’s memories. Thus his music is always tied with yesterday, today and tomorrow. Music between the lines of time and places. That’s what his power of music.
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土台。
今年最後の日です。2003年、いやあ、たくさんいい音楽聴きました。CDも、そして、なによりも多くのライヴで。最後の最後にスティーヴィー・ワンダーというとてつもないライヴのプレゼントでした。75年以来、何度見てきても、毎回新鮮な発見と感動があります。
もちろん、ライヴですから、そして、人間がやるものですから、その日がいいできの場合もあれば、普通の日もある。そして、できが悪い日もあれば、ものすごく最高の日もあります。その最高の日に遭遇すべく日々ライヴに通うわけです。最高のものはなかなかないものです。そんなに最高は安売りされません。
何年もライヴに行ってれば最初に覚えた感動と同じ物を得ることはできなくなるかもしれません。しかし、逆に積み重ねがその人の感性の血となり肉となり、さらに違う種類の深い感動の存在を教えてくれます。そこに到達するにはひたすら積み重ねるしかありません。
ある映画を最初に見てものすごく感動したとします。二度目に見たときも同じように感動できるかもしれません。できないかもしれません。しかし、その時一度目では気が付かなかったものを知り、別の面で感動できるかもしれません。その二度目の感動は一度目に比べて度合いが薄かったとしても、違う種類の感動が提供されているのです。それは一度目を経験し、一度目が家の土台のようになってからの二度目だからこそ得られる感動なのです。回数を重ねれば重ねるほど、土台が厚くなっていきます。
スティーヴィー・ワンダーのライヴを75年に初めて見た時、どれほど感動したか、僕はもう昔のことなので正確に覚えていません。感動する余裕もなく、ただ圧倒されたということをおぼろげに覚えています。たぶんスティーヴィーの音楽を受け入れるキャパシティーみたいなものがなかったのかもしれません。(84年初めてプリンスを見たときも同じでした)
しかし、それ以来何度も彼のライヴに触れ、彼の音楽を理解するようになり、どんどん感動の度合いが増えてきたような気がしています。それはきっとその土台が厚くなっているためだと思います。時に出来が悪いライヴに遭遇してしまうと感動できない日もあるかもしれません。それはライヴですから仕方がないことです。しかし基礎となる土台は確実に固まっているのです。
例えばこういうことなのでしょう。初めは「レイトリー」はメロディーのすごくきれいないい曲だと思って聴いています。でも、その歌をただ聴き流すのではなく、じっくり歌詞カードを読んで、何度もCDを聴いてその意味を知ってからライヴに臨めば、感動の度合いもひときわ大きくなるはずです。スティーヴィーの一言一言のニュアンスに感じ入ることができます。それはそうした知識を持ったからこそ得られる感動です。知ったからこそ得られる倍増の感動というわけです。だから知ることを恐れることはありません。
今年聞いた言葉でもっとも気に入った言葉は、アーマッド・ジャマルのこの言葉です。「宝石はなかなか見つからない。掘って、掘って、掘りまくらないと (Jewels are hard to find--you have to dig.")」 http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200310/diary20031029.html ライヴもたくさんありますが、本当に輝けるものは数少ないものです。それを探すためにはたくさん行って、ディッグ(掘ること)しないと。
スティーヴィーのライヴは、まさに疑うことなく宝石(Jewels)です。今回初めてスティーヴィーのライヴに行かれて感動された方が多数いらっしゃってBBSに書き込まれています。そうした書き込みを読んでいると、改めてその日のライヴのことがよみがえり、感動が再生されて嬉しくなります。この人はこの曲で泣いたんだとか、別の人はあの曲で胸が一杯になったんだとか。
今後もぜひ、2回、3回と足を運ばれてください。その度に新たな発見や、新たな感動を得られることをお約束します。1度目を知り、2度目を経験してからこそ得られる3度目の感動が生まれます。初めてより倍増の2度目の感動が、3倍増の3度目の感動がくるかもしれない、スティーヴィーのライヴというのはそれだけの価値がある非常に稀なものなのです。
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感謝。
スティーヴィーの空気に触れて改めて確認したことがあります。しばらく忘れていました。毎回彼のライヴに行ったあと感じていたこと。それはなぜ彼のライヴを見るとものすごく感動するのか。なぜ多くの人がこれほどまでに涙を流すのか、ということです。
その答えは彼が無条件にすべてを与えているということなのです。ギヴ&テイクではなく、ギヴ&ギヴ&ギヴなのです。ギヴ&テイクならまだしも、テイク&テイクな人も蔓延する今日の世界ですが(そのために戦争はなくならない)、スティーヴィーは常にそこにいる人にすべてを与えています。特に、彼は幅広い意味での愛を、ものすごく大きな愛を与えています。それを僕たちは受け取るから嬉しくなり、時にはその喜びに涙するのです。そう、彼のライヴを見た後はいつも自分も彼のようにギヴ&ギヴになろうと思っていました。でもだんだん時が経つと忘れがちになるんですね。こういう世の中ですからね。(笑) ですが、今回また彼のオウラに触れて、気持ちはギヴ&ギヴ&ギヴな感じです。
日記も自分でもよく続くなあと思います。これもひとえにこのウェッブを読んでくださる方がいるからです。読者の皆さんに大きな感謝を。そして、毎回テーマを提供してくれるミュージシャンたちや話題の人々や僕にインスピレーションを与えてくれる人々へ感謝を。
さらに、特に今年も多くのすばらしいライヴを体験することができました。まずはそのすばらしいライヴを見せてくれたミュージシャンたちへビッグアプローズを。そして、それらを見させてくれた多くのプロモーター、会場関係者の方々へ改めて大きな感謝を。また、そうした感想文を発表する場を与えてくれた媒体関係者の方々へも感謝。最後に、僕とともに多くのソウルサーチンの旅に同行してくれた多くのソウルメイトたちへも大きな感謝を捧げたいと思います。You know who you are. I love you all.
すべてはソウルサーチンから始まりました。(←このフレーズ、お気に入り) あなたはどこかであなたのソウルを探しましたか? この旅は来年も続きます。この日記が、あなたのソウルサーチンの手助けとなることを願って・・・。
今年最後の日です。2003年、いやあ、たくさんいい音楽聴きました。CDも、そして、なによりも多くのライヴで。最後の最後にスティーヴィー・ワンダーというとてつもないライヴのプレゼントでした。75年以来、何度見てきても、毎回新鮮な発見と感動があります。
もちろん、ライヴですから、そして、人間がやるものですから、その日がいいできの場合もあれば、普通の日もある。そして、できが悪い日もあれば、ものすごく最高の日もあります。その最高の日に遭遇すべく日々ライヴに通うわけです。最高のものはなかなかないものです。そんなに最高は安売りされません。
何年もライヴに行ってれば最初に覚えた感動と同じ物を得ることはできなくなるかもしれません。しかし、逆に積み重ねがその人の感性の血となり肉となり、さらに違う種類の深い感動の存在を教えてくれます。そこに到達するにはひたすら積み重ねるしかありません。
ある映画を最初に見てものすごく感動したとします。二度目に見たときも同じように感動できるかもしれません。できないかもしれません。しかし、その時一度目では気が付かなかったものを知り、別の面で感動できるかもしれません。その二度目の感動は一度目に比べて度合いが薄かったとしても、違う種類の感動が提供されているのです。それは一度目を経験し、一度目が家の土台のようになってからの二度目だからこそ得られる感動なのです。回数を重ねれば重ねるほど、土台が厚くなっていきます。
スティーヴィー・ワンダーのライヴを75年に初めて見た時、どれほど感動したか、僕はもう昔のことなので正確に覚えていません。感動する余裕もなく、ただ圧倒されたということをおぼろげに覚えています。たぶんスティーヴィーの音楽を受け入れるキャパシティーみたいなものがなかったのかもしれません。(84年初めてプリンスを見たときも同じでした)
しかし、それ以来何度も彼のライヴに触れ、彼の音楽を理解するようになり、どんどん感動の度合いが増えてきたような気がしています。それはきっとその土台が厚くなっているためだと思います。時に出来が悪いライヴに遭遇してしまうと感動できない日もあるかもしれません。それはライヴですから仕方がないことです。しかし基礎となる土台は確実に固まっているのです。
例えばこういうことなのでしょう。初めは「レイトリー」はメロディーのすごくきれいないい曲だと思って聴いています。でも、その歌をただ聴き流すのではなく、じっくり歌詞カードを読んで、何度もCDを聴いてその意味を知ってからライヴに臨めば、感動の度合いもひときわ大きくなるはずです。スティーヴィーの一言一言のニュアンスに感じ入ることができます。それはそうした知識を持ったからこそ得られる感動です。知ったからこそ得られる倍増の感動というわけです。だから知ることを恐れることはありません。
今年聞いた言葉でもっとも気に入った言葉は、アーマッド・ジャマルのこの言葉です。「宝石はなかなか見つからない。掘って、掘って、掘りまくらないと (Jewels are hard to find--you have to dig.")」 http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200310/diary20031029.html ライヴもたくさんありますが、本当に輝けるものは数少ないものです。それを探すためにはたくさん行って、ディッグ(掘ること)しないと。
スティーヴィーのライヴは、まさに疑うことなく宝石(Jewels)です。今回初めてスティーヴィーのライヴに行かれて感動された方が多数いらっしゃってBBSに書き込まれています。そうした書き込みを読んでいると、改めてその日のライヴのことがよみがえり、感動が再生されて嬉しくなります。この人はこの曲で泣いたんだとか、別の人はあの曲で胸が一杯になったんだとか。
今後もぜひ、2回、3回と足を運ばれてください。その度に新たな発見や、新たな感動を得られることをお約束します。1度目を知り、2度目を経験してからこそ得られる3度目の感動が生まれます。初めてより倍増の2度目の感動が、3倍増の3度目の感動がくるかもしれない、スティーヴィーのライヴというのはそれだけの価値がある非常に稀なものなのです。
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感謝。
スティーヴィーの空気に触れて改めて確認したことがあります。しばらく忘れていました。毎回彼のライヴに行ったあと感じていたこと。それはなぜ彼のライヴを見るとものすごく感動するのか。なぜ多くの人がこれほどまでに涙を流すのか、ということです。
その答えは彼が無条件にすべてを与えているということなのです。ギヴ&テイクではなく、ギヴ&ギヴ&ギヴなのです。ギヴ&テイクならまだしも、テイク&テイクな人も蔓延する今日の世界ですが(そのために戦争はなくならない)、スティーヴィーは常にそこにいる人にすべてを与えています。特に、彼は幅広い意味での愛を、ものすごく大きな愛を与えています。それを僕たちは受け取るから嬉しくなり、時にはその喜びに涙するのです。そう、彼のライヴを見た後はいつも自分も彼のようにギヴ&ギヴになろうと思っていました。でもだんだん時が経つと忘れがちになるんですね。こういう世の中ですからね。(笑) ですが、今回また彼のオウラに触れて、気持ちはギヴ&ギヴ&ギヴな感じです。
日記も自分でもよく続くなあと思います。これもひとえにこのウェッブを読んでくださる方がいるからです。読者の皆さんに大きな感謝を。そして、毎回テーマを提供してくれるミュージシャンたちや話題の人々や僕にインスピレーションを与えてくれる人々へ感謝を。
さらに、特に今年も多くのすばらしいライヴを体験することができました。まずはそのすばらしいライヴを見せてくれたミュージシャンたちへビッグアプローズを。そして、それらを見させてくれた多くのプロモーター、会場関係者の方々へ改めて大きな感謝を。また、そうした感想文を発表する場を与えてくれた媒体関係者の方々へも感謝。最後に、僕とともに多くのソウルサーチンの旅に同行してくれた多くのソウルメイトたちへも大きな感謝を捧げたいと思います。You know who you are. I love you all.
すべてはソウルサーチンから始まりました。(←このフレーズ、お気に入り) あなたはどこかであなたのソウルを探しましたか? この旅は来年も続きます。この日記が、あなたのソウルサーチンの手助けとなることを願って・・・。
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