▼Fukamachi Jun #89: Keyboard Party
2008年6月1日【深町純、キーボード・パーティー89回】
再発。
深町純、月例即興キーボード演奏会。この日は客足悪く、ほぼ常連さんばかりの観客。演者、あまりモチヴェーションがあがらないかもしれない。(笑) そんな中、深町さんの旧作がCD化されるトピックが登場。
かつて1970年代にリリースされたアルバムが、ユニバーサルから新装発売される。まず7月に出るのが『ゴールデン・ベスト』という作品。これは深町さんがキティー・レコードから出した複数のアルバムから各2曲程度ずつ選んだベストもの。選曲、ライナーも本人だという。キティーの作品の権利が今、ユニバーサルにあるので、ユニバーサルから発売されることになった。
もう一枚がこれがなかなかすごい。8月にリリースされる『トライアングル・セッション』。これはもともと1977年発売のアルバムで、このマルチ・トラックのマスター・テープが倉庫から発見され、新たにリミックスして再度リリースするというもの。これは、マイケルとランディー・ブレッカーをアメリカから呼んでレコーディングしたもので、本盤のギターは大村憲二さんだが、オルタナティヴ・テイクで高中正義さんが弾いているテイクがあり、それらを使用することも考えられている。リミックスには深町さんも立ち会う。
深町さんのアルファ時代の作品群はソニーに権利があり、何枚かは今年になって発売されている。
セットリスト第二部の5曲目は、彼の自作自演による歌。NHKのみんなの歌ように何曲か書き、半分くらいは採用されたが、これはボツになった曲のひとつだそうだ。歌い終えて、「僕は、歌が好きなんだよねえ」とぽつりと言った。
■ 過去記事
April 27, 2008
Fukamachi Jun #88: Jun Lose To Young Energy
http://blog.soulsearchin.com/archives/002483.html
March 30, 2008
Fukamachi Jun #87
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_03_30.html
March 27, 2008
Fukamachi Jun #86; Talks About New York All Stars
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_03_27.html
January 28, 2008
Fukamachi Jun #85: 8th Year Has Just Started
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_01_28.html
■セットリスト
Setlist : Fukamachi Jun #89 @FJ’s, May 31, 2008
セットリスト 深町純 89回
1st set
show started 20:02
01. 2008年5月31日20時02分の作品(15:34)
02. 2008年5月31日20時26分の作品(11:11)
03. 2008年5月31日お題拝借作品1「ウーーン」(01:33)
04. 2008年5月31日お題拝借作品2トムのメロディー(02:31)
show ended 20:59
2nd set
show started 21:32
01. 2008年5月31日21時32分の作品(19.25)
02. 2008年5月31日21時51分の作品(05:01)
03. 2008年5月31日21時56分の作品(06:57)
04. 2008年5月31日22時03分の作品(09:35)
05.「風の色」(歌・深町純) (05:58)
06. 2008年5月31日22時28分の作品(05:03)
show ended 22:34
■過去の音楽比率(ライヴ全体の中での音楽の割合を表します)(単位は%)
2007年07月 第一部 66.23 第二部 66.45
2007年08月 第一部 67.03 第二部 68.04
2007年09月 第一部 71.16 第二部 67.30
2007年10月20日 第一部 67.81 第二部 49.29 (通算82回)
2007年10月27日 第一部 96.00 第二部 74.65(サントリー・ホール・ブルー・ローズ)
2007年11月24日 第一部 66.96 第二部 77.04 (通算83回)
2007年12月29日 第一部 60.67 第二部 58.38
2008年01月26日 第一部 71.90 第二部 59.06 (第85回)
2008年02月24日 第一部 64.80 第二部 48.43
2008年03月29日 第一部 67.78 第二部 73.29 (第87回)
2008年04月26日 第一部 54.13 第二部 74.46(第88回)
2008年05月31日 第一部 54.06 第二部83.84(第89回)
(2008年05月31日土曜、祐天寺FJズ=深町純ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Fukamachi, Jun
2008-90
再発。
深町純、月例即興キーボード演奏会。この日は客足悪く、ほぼ常連さんばかりの観客。演者、あまりモチヴェーションがあがらないかもしれない。(笑) そんな中、深町さんの旧作がCD化されるトピックが登場。
かつて1970年代にリリースされたアルバムが、ユニバーサルから新装発売される。まず7月に出るのが『ゴールデン・ベスト』という作品。これは深町さんがキティー・レコードから出した複数のアルバムから各2曲程度ずつ選んだベストもの。選曲、ライナーも本人だという。キティーの作品の権利が今、ユニバーサルにあるので、ユニバーサルから発売されることになった。
もう一枚がこれがなかなかすごい。8月にリリースされる『トライアングル・セッション』。これはもともと1977年発売のアルバムで、このマルチ・トラックのマスター・テープが倉庫から発見され、新たにリミックスして再度リリースするというもの。これは、マイケルとランディー・ブレッカーをアメリカから呼んでレコーディングしたもので、本盤のギターは大村憲二さんだが、オルタナティヴ・テイクで高中正義さんが弾いているテイクがあり、それらを使用することも考えられている。リミックスには深町さんも立ち会う。
深町さんのアルファ時代の作品群はソニーに権利があり、何枚かは今年になって発売されている。
セットリスト第二部の5曲目は、彼の自作自演による歌。NHKのみんなの歌ように何曲か書き、半分くらいは採用されたが、これはボツになった曲のひとつだそうだ。歌い終えて、「僕は、歌が好きなんだよねえ」とぽつりと言った。
■ 過去記事
April 27, 2008
Fukamachi Jun #88: Jun Lose To Young Energy
http://blog.soulsearchin.com/archives/002483.html
March 30, 2008
Fukamachi Jun #87
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_03_30.html
March 27, 2008
Fukamachi Jun #86; Talks About New York All Stars
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_03_27.html
January 28, 2008
Fukamachi Jun #85: 8th Year Has Just Started
http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_01_28.html
■セットリスト
Setlist : Fukamachi Jun #89 @FJ’s, May 31, 2008
セットリスト 深町純 89回
1st set
show started 20:02
01. 2008年5月31日20時02分の作品(15:34)
02. 2008年5月31日20時26分の作品(11:11)
03. 2008年5月31日お題拝借作品1「ウーーン」(01:33)
04. 2008年5月31日お題拝借作品2トムのメロディー(02:31)
show ended 20:59
2nd set
show started 21:32
01. 2008年5月31日21時32分の作品(19.25)
02. 2008年5月31日21時51分の作品(05:01)
03. 2008年5月31日21時56分の作品(06:57)
04. 2008年5月31日22時03分の作品(09:35)
05.「風の色」(歌・深町純) (05:58)
06. 2008年5月31日22時28分の作品(05:03)
show ended 22:34
■過去の音楽比率(ライヴ全体の中での音楽の割合を表します)(単位は%)
2007年07月 第一部 66.23 第二部 66.45
2007年08月 第一部 67.03 第二部 68.04
2007年09月 第一部 71.16 第二部 67.30
2007年10月20日 第一部 67.81 第二部 49.29 (通算82回)
2007年10月27日 第一部 96.00 第二部 74.65(サントリー・ホール・ブルー・ローズ)
2007年11月24日 第一部 66.96 第二部 77.04 (通算83回)
2007年12月29日 第一部 60.67 第二部 58.38
2008年01月26日 第一部 71.90 第二部 59.06 (第85回)
2008年02月24日 第一部 64.80 第二部 48.43
2008年03月29日 第一部 67.78 第二部 73.29 (第87回)
2008年04月26日 第一部 54.13 第二部 74.46(第88回)
2008年05月31日 第一部 54.06 第二部83.84(第89回)
(2008年05月31日土曜、祐天寺FJズ=深町純ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Fukamachi, Jun
2008-90
【伝統的R&Bヴォーカル・グループの真髄〜マンハッタンズ・ライヴ】
真髄。
ソウル・ヴォーカル・グループ、マンハッタンズの2006年1月以来およそ2年5ヶ月ぶりの来日ライヴ。前回ライヴのときに、一番低音のウィンフレッド・ブルー・ラヴェットが杖をついていたのだが、今回は杖などなく、昔ながらに元気にステージ狭しと踊っていた。たぶん、前回は単にそのとき怪我をしていたということなのだろう。それを見ただけで、僕は嬉しくなった。直ってよかった、という感じだ。観客層もやはりかなり年齢が高い。
さて、9時1分前にはバンドがスタンバイ。9時ちょうどにライヴがスタート。きっちりしている。マンハッタンズの4人がMCに煽られてさっそうと登場。スーツとシャツはサーモン・ピンク、靴もピカピカのサーモン・ピンク、もちろんハンカチーフもシルクのサーモン・ピンク。きっちり決める。「エイント・ノー・ストッピン」でイケイケにしておいて、持ち歌「アイル・ネヴァー・・・」へ突入。4人での振り付けが、もう伝統的ソウル・ヴォーカル・グループのそれだ。テンプス、スタイリスティックス、そして、今マンハッタンズ。まさに王道。
1曲目から最後まで、ほとんど曲間なく、次々とテンポよく曲が歌われる。きっちりきっちり。このあたりのちょっとやってノンストップで次の曲へ行くスタイルは、ソウル・ヴォーカル・グループの真骨頂。ほんとに息つく間もなく楽しめる。スローバラードでは客席のカップルがチークを踊る姿も。いいですねえ、こういう雰囲気。
オリジナルのヒット曲にはちゃんと振り付けがついている。これらの多くはチョーリー・アトキンスという伝説の振り付け師が振付けたもの。(曲によっては、ブルーらメンバーも振り付ける) チョーリーは、元々モータウンで多くの振り付けの仕事をしていたが、その後、マンハッタンズやスタイリスティックス、スピナーズなどいわゆる多くのヴォーカル・グループの振り付けをした。
バックを支えるバンドは、ドラムス、ギター、ベースにキーボード2人の5人。「イースト・コースト・コネクション」という名前で、マンハッタンズのバックバンドとして10年以上活動を続けている。バンドもきっちりきっちり。
また、マンハッタンズの低音ブルー・ラヴェットとジェラルド以外のふたりのうち、デイヴィッド・タイソンはなんとテンプテーションズのロン・タイソンの弟だという。1994年以来、現在のマンハッタンズに参加している。デイヴィッドのウェッブサイトによれば、1959年9月14日生まれ。現在48歳。ブルーやジェラルドよりもかなり若い。スキンヘッドのトロイも1994年からの参加。2人も目立たないがうまい。
やはり、はりのあるジェラルドが歌い、ブルーがあの低音でコーラスをつけたりしゃべったりすると、もうそれだけできっちりマンハッタンズの世界になる。そして短めのMCが、曲のイントロにのって話されるので、まるでノンストップのラジオ・ショウを聴いているかのよう。
下記セットリスト13では、マンハッタンズの3人がステージを降りてジェラルドだけが残り、サム・クックの「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」を熱唱。サム・クックの影響を多大に受けているジェラルドならではの解釈で、存分にサム・クック節を聴かせ、ショウのハイライトのひとつになった。これは前の曲から「チェンジ」つながりになっている。生のサム・クックを見られない今日、こうしたサム・スクールのシンガーをじっくり聴こうとすると、こうしたジェラルドの歌声になるのだろう。もちろん、ボビー・ウーマックもいい。
スピナーズの「ラヴ・ドント・ラヴ・ノーバディー」からボーイズ・トゥ・メンの「アイル・メイク・ラヴ・トゥ・ユー」をメドレーでやったが、グラディス・ナイトがこの並びでつないでいた。この前武道館で見たカラオケ・ヴァージョンの同曲(ボーイズ・トゥ・メンの歌)よりも、はるかによかった。やはり、振り付けのついたヴォーカル・グループのリアルなバンドとともに歌われるライヴ・パフォーマンスは楽しい。そして、彼らの曲が終わるときの直角に折れるおじぎが長くてすがすがしい。おじぎもきっちりだ。
もう一箇所圧倒的だったのが、これも前回来日で見せてくれたが、アンコールのオープニングの部分。4人アカペラで「ジョージア…」を歌う。別に彼らのヒットでもないのに、まるで彼らが何十年と歌ってきたかのようにさえ思える。歌手自身の解釈力を見せ付ける。
ほぼ無音部分なしの80分は、密度濃くあっという間。彼らにとっては「朝飯前」なんだろうが、やはり何度見ても嬉し楽し。同行ソウルメイト黒沢さんは、「いい声、いい音楽は本当に耳の栄養になります、いやあ、本当に来てよかった」といたく感激していた。ライヴ後はサイン会で、長い列ができていた。最後まできっちり仕事するなあ。
■ 過去記事
January 08, 2006
Manhattans: Brings The Legacy Of Sam Cook, Ray Charles
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200601/2006_01_08.html
(前回来日ライヴ評)
■ メンバー
(マンハッタンズ)
ジェラルド・アルストン/Gerald Alston(Lead Vocals)
ブルー・ ラヴェット/Blue Lovett(Vocals(Bass))
トロイ・メイ/Troy May(Vocals(Bariton & Tenor))
デイヴィッド・タイソン/David Tyson(Vocals(1st Tenor)
(イースト・コースト・コネクション)
ジャスティス・バトラー/Justice Butler("Drums/ Musical Director")
コルト・ヤンガー/Colt Younger("Keyboards/co-Musical Director")
ハーウィ・ロビンス/Howie Robbins(Keyboards)
マーク・バウワーズ/Mark Bowers(Guitar)
ジェイソン・シモンズ/Jason Simons(Bass)
■ セットリスト マンハッタンズ
Setlist : Manhattans @ Billboard Live, June 1st, 2008
[ ] indicates original artist or artist made the song hit
Show started21:00
01. Ain’t No Stoppin’ Us Now [MacFadden & Whitehead]
02. I’ll Never Find Another (Find Another Like You)
03. Wish That You Were Mine
04. Hurt [Timi Yuro]
05. Tomorrow [Musical “Annie”]
06. We Never Danced To A Love Song
07. It Feels So Good To Be Loved So Bad
08. There’s No Good In Goodbye
09. There’s No Me Without You
10. Crazy
11. Don’t Take Your Love From Me (including a riff of “If You Think You’re Lonely Now)
12. Hold On (Change Is Coming) [Sounds Of Blackness]
13. A Change Is Gonna Come [Sam Cooke]
14. Love Don’t Love Nobody [Spinners]
15. End Of The Road [Boys II Men]
16. Shining Star
17. Introducing members on “For The Love Of Money”[O’Jays]
18. Kiss And Say Goodbye
Enc. Georgia On My Mind [Ray Charles]
Show ended 22:20
(2008年6月1日日曜、ビルボード・ライヴ東京=マンハッタンズ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Manhattans
2008-91
真髄。
ソウル・ヴォーカル・グループ、マンハッタンズの2006年1月以来およそ2年5ヶ月ぶりの来日ライヴ。前回ライヴのときに、一番低音のウィンフレッド・ブルー・ラヴェットが杖をついていたのだが、今回は杖などなく、昔ながらに元気にステージ狭しと踊っていた。たぶん、前回は単にそのとき怪我をしていたということなのだろう。それを見ただけで、僕は嬉しくなった。直ってよかった、という感じだ。観客層もやはりかなり年齢が高い。
さて、9時1分前にはバンドがスタンバイ。9時ちょうどにライヴがスタート。きっちりしている。マンハッタンズの4人がMCに煽られてさっそうと登場。スーツとシャツはサーモン・ピンク、靴もピカピカのサーモン・ピンク、もちろんハンカチーフもシルクのサーモン・ピンク。きっちり決める。「エイント・ノー・ストッピン」でイケイケにしておいて、持ち歌「アイル・ネヴァー・・・」へ突入。4人での振り付けが、もう伝統的ソウル・ヴォーカル・グループのそれだ。テンプス、スタイリスティックス、そして、今マンハッタンズ。まさに王道。
1曲目から最後まで、ほとんど曲間なく、次々とテンポよく曲が歌われる。きっちりきっちり。このあたりのちょっとやってノンストップで次の曲へ行くスタイルは、ソウル・ヴォーカル・グループの真骨頂。ほんとに息つく間もなく楽しめる。スローバラードでは客席のカップルがチークを踊る姿も。いいですねえ、こういう雰囲気。
オリジナルのヒット曲にはちゃんと振り付けがついている。これらの多くはチョーリー・アトキンスという伝説の振り付け師が振付けたもの。(曲によっては、ブルーらメンバーも振り付ける) チョーリーは、元々モータウンで多くの振り付けの仕事をしていたが、その後、マンハッタンズやスタイリスティックス、スピナーズなどいわゆる多くのヴォーカル・グループの振り付けをした。
バックを支えるバンドは、ドラムス、ギター、ベースにキーボード2人の5人。「イースト・コースト・コネクション」という名前で、マンハッタンズのバックバンドとして10年以上活動を続けている。バンドもきっちりきっちり。
また、マンハッタンズの低音ブルー・ラヴェットとジェラルド以外のふたりのうち、デイヴィッド・タイソンはなんとテンプテーションズのロン・タイソンの弟だという。1994年以来、現在のマンハッタンズに参加している。デイヴィッドのウェッブサイトによれば、1959年9月14日生まれ。現在48歳。ブルーやジェラルドよりもかなり若い。スキンヘッドのトロイも1994年からの参加。2人も目立たないがうまい。
やはり、はりのあるジェラルドが歌い、ブルーがあの低音でコーラスをつけたりしゃべったりすると、もうそれだけできっちりマンハッタンズの世界になる。そして短めのMCが、曲のイントロにのって話されるので、まるでノンストップのラジオ・ショウを聴いているかのよう。
下記セットリスト13では、マンハッタンズの3人がステージを降りてジェラルドだけが残り、サム・クックの「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」を熱唱。サム・クックの影響を多大に受けているジェラルドならではの解釈で、存分にサム・クック節を聴かせ、ショウのハイライトのひとつになった。これは前の曲から「チェンジ」つながりになっている。生のサム・クックを見られない今日、こうしたサム・スクールのシンガーをじっくり聴こうとすると、こうしたジェラルドの歌声になるのだろう。もちろん、ボビー・ウーマックもいい。
スピナーズの「ラヴ・ドント・ラヴ・ノーバディー」からボーイズ・トゥ・メンの「アイル・メイク・ラヴ・トゥ・ユー」をメドレーでやったが、グラディス・ナイトがこの並びでつないでいた。この前武道館で見たカラオケ・ヴァージョンの同曲(ボーイズ・トゥ・メンの歌)よりも、はるかによかった。やはり、振り付けのついたヴォーカル・グループのリアルなバンドとともに歌われるライヴ・パフォーマンスは楽しい。そして、彼らの曲が終わるときの直角に折れるおじぎが長くてすがすがしい。おじぎもきっちりだ。
もう一箇所圧倒的だったのが、これも前回来日で見せてくれたが、アンコールのオープニングの部分。4人アカペラで「ジョージア…」を歌う。別に彼らのヒットでもないのに、まるで彼らが何十年と歌ってきたかのようにさえ思える。歌手自身の解釈力を見せ付ける。
ほぼ無音部分なしの80分は、密度濃くあっという間。彼らにとっては「朝飯前」なんだろうが、やはり何度見ても嬉し楽し。同行ソウルメイト黒沢さんは、「いい声、いい音楽は本当に耳の栄養になります、いやあ、本当に来てよかった」といたく感激していた。ライヴ後はサイン会で、長い列ができていた。最後まできっちり仕事するなあ。
■ 過去記事
January 08, 2006
Manhattans: Brings The Legacy Of Sam Cook, Ray Charles
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200601/2006_01_08.html
(前回来日ライヴ評)
■ メンバー
(マンハッタンズ)
ジェラルド・アルストン/Gerald Alston(Lead Vocals)
ブルー・ ラヴェット/Blue Lovett(Vocals(Bass))
トロイ・メイ/Troy May(Vocals(Bariton & Tenor))
デイヴィッド・タイソン/David Tyson(Vocals(1st Tenor)
(イースト・コースト・コネクション)
ジャスティス・バトラー/Justice Butler("Drums/ Musical Director")
コルト・ヤンガー/Colt Younger("Keyboards/co-Musical Director")
ハーウィ・ロビンス/Howie Robbins(Keyboards)
マーク・バウワーズ/Mark Bowers(Guitar)
ジェイソン・シモンズ/Jason Simons(Bass)
■ セットリスト マンハッタンズ
Setlist : Manhattans @ Billboard Live, June 1st, 2008
[ ] indicates original artist or artist made the song hit
Show started21:00
01. Ain’t No Stoppin’ Us Now [MacFadden & Whitehead]
02. I’ll Never Find Another (Find Another Like You)
03. Wish That You Were Mine
04. Hurt [Timi Yuro]
05. Tomorrow [Musical “Annie”]
06. We Never Danced To A Love Song
07. It Feels So Good To Be Loved So Bad
08. There’s No Good In Goodbye
09. There’s No Me Without You
10. Crazy
11. Don’t Take Your Love From Me (including a riff of “If You Think You’re Lonely Now)
12. Hold On (Change Is Coming) [Sounds Of Blackness]
13. A Change Is Gonna Come [Sam Cooke]
14. Love Don’t Love Nobody [Spinners]
15. End Of The Road [Boys II Men]
16. Shining Star
17. Introducing members on “For The Love Of Money”[O’Jays]
18. Kiss And Say Goodbye
Enc. Georgia On My Mind [Ray Charles]
Show ended 22:20
(2008年6月1日日曜、ビルボード・ライヴ東京=マンハッタンズ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Manhattans
2008-91
(これからライヴをごらんになる方は十分ご注意ください)
【シャカ・カーン初日から全開】
エネルギー全開。
2003年10月以来4年8ヶ月ぶりの現代のソウル・ディーヴァ、シャカ・カーン(チャカ・カーン)の来日公演。前回武道館、今回は小さなライヴ・ハウス、ビルボードということで、初日セカンド超満員。ほぼ空席なしだ。改めてシャカ人気を認識。
今回の最大のポイントは、ギターに1970年代に一緒に活動したファンク・グループ、ルーファスの名ギタリスト、トニー・メイデンが参加していること。30年来の友人だけに、お互いすべてを知り尽くしているパフォーマンスとなる。
シャカ・カーンは、1970年代にルーファスの一員として来日して以来、1980年代、1990年代とコンスタントに来日している。彼女の場合、ライヴには波があり、ものすごく良いときは誰もかなわないほど素晴らしく、逆に気分が乗らないときにはこんなことがあるのかというほどの醜態を見せる。ひどかったのは1980年代初期のもの。ワイン・グラスのみながらやるわ、もう酒でよっぱらうわ、音程ははずすわ、でどうしようもなかった。そのときのプロモーターの社長が激怒して、マネージャーとやりあったという。逆に僕がもっとも素晴らしいと思ったのは、1990年代に今はなき横浜・本牧にほんの一時期だけあった「マイカル本牧アポロ・シアター」で見たシャカ・カーンだった。どの曲も完璧で、本当に気持ちよさそうに歌い、「スルー・ザ・ファイアー」など、涙がでるほど感激し鳥肌が立った。おそらくそのときの彼女の精神状態によって、出来不出来がでるのだろう。
さて、まず初日を見なければならない。結論から言うとシャカの声は、よく出ていた。パフォーマンスもよかった。もういきなり全開である。声が若干キンキンしている部分はあったが、概ねよかった。セットリストも短いながらも、コンパクトにまとめ、ラインアップも悪くない。ルーファス時代の曲も、シャカ・ソロもいれていて、ソウル・シンガー・ショウという感じだ。若干バンドの音量が大きめでシャカの声が聞き取りにくいところがあったが、これはシャカの問題ではない。しいていえば、1曲だけでいいので、ジャズ風の曲をいれてもよかったかもしれない。例えば、「エンド・オブ・ラヴ・アフェア」とか、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」あたり。2曲はいらない、1曲でいい。
それにしても、あの声はどこからでてくるのか。頭のてっぺんから出てくるのではないかと思われるほどの声。声力、声圧、迫力、相当なものだ。例えば、多くのシンガーが目指すのがアレサ・フランクリンか、シャカ・カーンというのもうなずける。
セカンドでは、当初の予定では4曲目に「アイム・ア・ウーマン」をやる予定だったのを、急遽、「ステイ」のフル・ヴァージョンに変えて歌った。3曲目が終わった後、ベース奏者(ミュージカル・ディレクター)に耳打ちし、これにした。また、ファーストでは「スイート・シング」のあとにアンコールだったそうだが、セカンドでは「ホワッツ・ゴーイング・オン」を歌ってくれた。
アレサも、その場その場で気分次第で曲をどんどん変えていくというが、シャカも乗ってきて、なれてくると、どんどんと曲を変えていきそうな予感がする。
東京は休息日1日はさみ5日間計10回、さらにその後大阪3日6回。果たしてどうなるだろうか。さらに日が進むごとに、ライヴはよくなっていくか。
■過去記事
2003/10/11 (Sat)
Chaka Khan Live @ Budoukan: One & Only Voice Still Shines
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/diary20031011.html
(前回来日ライヴ評)
■ メンバー
シャカ・カーン/Chaka Khan(Vocals)
アンドリュー・ガウチェ/Andrew Gouche(Bass/Music Director)
ジャヴァド・デイ/Javad Day(Keyboards)
ダレル・クロックス/Darrell Crooks(Guitar)
トニー・メイデン/Tony Maiden(Guitar)
チャールズ・ストリーター/Charles Streeter(Drums)
ティファニー・スミス/Tiffany Smith(Vocals)
トニー・スクラッグス/Tony Scruggs(Vocals)
マヴゥート・カーペンター/Mabvuto Carpenter(Vocals)
■セットリスト シャカ・カーン(チャカ・カーン)
Setlist : Chaka Khan @ Billboard, June 2, 2008
Show started 21:39
01. Intro : Once You Get Started ./ Stay
02. I Feel For You
03. Ain’t Nobody
04. Stay
05. Whatcha Gonna Do For Me
06. Please Pardon Me
07. Hollywood
08. Do You Love What You Feel
09. Will You Love Me
10. Angel
11. Through The Fire
12. You Got The Love
13. Tell Me Something Good
14. Sweet Thing
15. What’s Going On
Enc. I’m Every Woman
Show ended 22:59
(2008年6月2日月曜、ビルボード・ライヴ東京=シャカ・カーン・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Khan, Chaka
2008-92
【シャカ・カーン初日から全開】
エネルギー全開。
2003年10月以来4年8ヶ月ぶりの現代のソウル・ディーヴァ、シャカ・カーン(チャカ・カーン)の来日公演。前回武道館、今回は小さなライヴ・ハウス、ビルボードということで、初日セカンド超満員。ほぼ空席なしだ。改めてシャカ人気を認識。
今回の最大のポイントは、ギターに1970年代に一緒に活動したファンク・グループ、ルーファスの名ギタリスト、トニー・メイデンが参加していること。30年来の友人だけに、お互いすべてを知り尽くしているパフォーマンスとなる。
シャカ・カーンは、1970年代にルーファスの一員として来日して以来、1980年代、1990年代とコンスタントに来日している。彼女の場合、ライヴには波があり、ものすごく良いときは誰もかなわないほど素晴らしく、逆に気分が乗らないときにはこんなことがあるのかというほどの醜態を見せる。ひどかったのは1980年代初期のもの。ワイン・グラスのみながらやるわ、もう酒でよっぱらうわ、音程ははずすわ、でどうしようもなかった。そのときのプロモーターの社長が激怒して、マネージャーとやりあったという。逆に僕がもっとも素晴らしいと思ったのは、1990年代に今はなき横浜・本牧にほんの一時期だけあった「マイカル本牧アポロ・シアター」で見たシャカ・カーンだった。どの曲も完璧で、本当に気持ちよさそうに歌い、「スルー・ザ・ファイアー」など、涙がでるほど感激し鳥肌が立った。おそらくそのときの彼女の精神状態によって、出来不出来がでるのだろう。
さて、まず初日を見なければならない。結論から言うとシャカの声は、よく出ていた。パフォーマンスもよかった。もういきなり全開である。声が若干キンキンしている部分はあったが、概ねよかった。セットリストも短いながらも、コンパクトにまとめ、ラインアップも悪くない。ルーファス時代の曲も、シャカ・ソロもいれていて、ソウル・シンガー・ショウという感じだ。若干バンドの音量が大きめでシャカの声が聞き取りにくいところがあったが、これはシャカの問題ではない。しいていえば、1曲だけでいいので、ジャズ風の曲をいれてもよかったかもしれない。例えば、「エンド・オブ・ラヴ・アフェア」とか、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」あたり。2曲はいらない、1曲でいい。
それにしても、あの声はどこからでてくるのか。頭のてっぺんから出てくるのではないかと思われるほどの声。声力、声圧、迫力、相当なものだ。例えば、多くのシンガーが目指すのがアレサ・フランクリンか、シャカ・カーンというのもうなずける。
セカンドでは、当初の予定では4曲目に「アイム・ア・ウーマン」をやる予定だったのを、急遽、「ステイ」のフル・ヴァージョンに変えて歌った。3曲目が終わった後、ベース奏者(ミュージカル・ディレクター)に耳打ちし、これにした。また、ファーストでは「スイート・シング」のあとにアンコールだったそうだが、セカンドでは「ホワッツ・ゴーイング・オン」を歌ってくれた。
アレサも、その場その場で気分次第で曲をどんどん変えていくというが、シャカも乗ってきて、なれてくると、どんどんと曲を変えていきそうな予感がする。
東京は休息日1日はさみ5日間計10回、さらにその後大阪3日6回。果たしてどうなるだろうか。さらに日が進むごとに、ライヴはよくなっていくか。
■過去記事
2003/10/11 (Sat)
Chaka Khan Live @ Budoukan: One & Only Voice Still Shines
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/diary20031011.html
(前回来日ライヴ評)
■ メンバー
シャカ・カーン/Chaka Khan(Vocals)
アンドリュー・ガウチェ/Andrew Gouche(Bass/Music Director)
ジャヴァド・デイ/Javad Day(Keyboards)
ダレル・クロックス/Darrell Crooks(Guitar)
トニー・メイデン/Tony Maiden(Guitar)
チャールズ・ストリーター/Charles Streeter(Drums)
ティファニー・スミス/Tiffany Smith(Vocals)
トニー・スクラッグス/Tony Scruggs(Vocals)
マヴゥート・カーペンター/Mabvuto Carpenter(Vocals)
■セットリスト シャカ・カーン(チャカ・カーン)
Setlist : Chaka Khan @ Billboard, June 2, 2008
Show started 21:39
01. Intro : Once You Get Started ./ Stay
02. I Feel For You
03. Ain’t Nobody
04. Stay
05. Whatcha Gonna Do For Me
06. Please Pardon Me
07. Hollywood
08. Do You Love What You Feel
09. Will You Love Me
10. Angel
11. Through The Fire
12. You Got The Love
13. Tell Me Something Good
14. Sweet Thing
15. What’s Going On
Enc. I’m Every Woman
Show ended 22:59
(2008年6月2日月曜、ビルボード・ライヴ東京=シャカ・カーン・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Khan, Chaka
2008-92
【シーシー・ワイナンズ登場、東急ワールドミュージックスペシャル】
光。
東急グループが定期的に行っているイヴェント『東急ワールド・ミュージック・スペシャル』、今回は数えて9回目。ひょんなことから、ここにゴスペル・シンガー、シーシー・ワイナンズがやってくると知り、見たいなあと思い、ネットからいろんな名前を使って応募したが、全部はずれた。(笑)
シーシーは、一度1990年代初めに新宿のルミネ・ホールにビービー&シーシーで来日、ライヴを見た。また1997年5月、ホイットニー・ヒューストンの東京ドームでのライヴに彼女が飛び入りで1曲「カウント・オン・ミー」を歌ったことを記憶している。去年はヴァネッサ・ベル・アームストロングがひょいとやってきたり、カーク・ウェイラムとジョン・スタッダードが来日したり、今年はシーシーと、知らぬ間にいろんなゴスペル・アーティストが来ている。
シーシーは現在日本のレコード会社もないようで、前日まで鑑賞はあきらめていたところ、これまた当日午後になって急遽とあるご縁で見られることになり、ビービー&シーシーの来日時に彼のラジオのゲストにでてもらったという松尾潔氏とともに観戦。無料、抽選で、その倍率は10倍以上だったとか。じゃあ、3通くらい出したくらいじゃあ当たらない。(笑)
東急グループのサイト↓
http://www.tokyu.co.jp/group/twms2008/index.html
プロフィール↓
http://www.tokyu.co.jp/group/twms2008/profil.html
無料イヴェントということもあり、会場は超満員。またテーマがゴスペルということで、ゴスペルを歌っている風の人たちも見受けられたが、多くは年齢層も幅広い一般の方々が集まっていた。入り口で、本日のプログラム(曲目が書いてある)、小さなLEDライトを渡され、最後の曲でお使いください、とご案内された。これが小さいがとてもきれいな色を発光する。入り口でシーシーの新作を売っていたので、松尾氏とそれぞれ一枚ずつご購入。もう一枚、ビービー&シーシーのベストもあったが、曲目をよく見ると、けっこう持っていたのでこちらはパス。
第一部のザ・ボーン・アゲイン・チャーチからは11名のシンガーたちが登場。そのうちの1名がオルガンを弾く。「アメージング・グレイス」から始まり、最後のほうで50名以上の日本人コーラスがバックに立った。
休憩をはさんで、シーシー登場。さすがに立派、歌の格が違う感じ。前日のシャカ・カーンが頭の先から声を出すのに比べて、このシーシーはおなかのおへそのあたりから、ガツーンと低い声をだしてくる。タイプが違うわけだが、シーシーの堂々としたふるまいはもはや中堅からヴェテランの域に達しているということか。
ドラムス、ギター、ベース、キーボード2人にコーラス4人という9人のバックというきちんとした編成。この4人のコーラスがまたけっこううまかった。この4人とシーシーの歌を聴いていると、その迫力は50人のクワイアーを凌駕。こういうのを見ると、ゴスペルも人数だけではないんだなあ、と感じる。もちろん人数がいればいたで、迫力なんですけどね。松尾氏この歌とコーラスを見て、「クワイアーいらずですねえ…」。
シーシーはセットリスト中7曲までが、2008年4月全米リリースの最新作『サイ・キンゴドム・カム』収録の曲だった。道理でなじみはなかったが、荘厳な雰囲気とのりのいいコンテンポラリー・ゴスペルの世界にたっぷり浸れた。
特に5曲目「ヒーズ・コンサーンド」では、シーシーは通訳を招き入れ、「あなたたちを、神様はみな気にかけています。愛しています」といったメッセージを説明、さらに歌に入るとアフリカのホームレスの子供たちの映像をスクリーンに映し出した。
最後アンコールで「オー・ハッピー・デイ」。第一部ででてきた人たちも含めて全員登場。ここで、先のLEDライトが登場。2000以上のこの小さなライトが暗い会場に一斉に光ると、ホタルみたいで実にきれいだ。「アメージング・グレイス」に始まり、「オー・ハッピー・デイ」に終わるゴスペル・イヴェント。最後はホタルの光…。
■ 「東急ワールドミュージックスペシャルin Bunkamura vol.9ゴスペルナイト」(シーシー・ワイナンズなど)会場 東急文化村
■セットリスト 東急ワールドミュージックスペシャルin Bunkamura vol.9
ゴスペルナイト
Setlist : Tokyu Bunkamura, Orchard Hall, June 3, 2008
The Born Again Church Choir & Tokyu World Music Special Choir
MC started 19:02
Live performance started 19:10
01. Amazing Grace
02. Nobody Knows The Trouble I’ve Seen
03. I Want To Be Ready
04. Precious Lord, Take My Hand
05. O Mary Don’t You Weep
06. Sweeping Through the City
07. Hosanna
08. Blessed And Highly Favored
09. Faithful Is Our God
10. Total Praise
Performance ended 20:00
-break-
CeCe Winans
MC 20:24
Performance started 20:28
01. We Welcome You (Holy Father)
02. Forever
03. Pray
04. Waging War
05. He’s Concerned -- Jesus Loves Me -- He’s Concerned
06. Oh Holy Place
07. You’re The One
08. Alabaster Box (??)
09. Million Miles
10. It Ain’t Over
Enc. Oh, Happy Day (all)
Show ended 21:30
(2008年6月3日火曜、東急文化村=東急ワールドミュージックスペシャルin Bunkamura vol.9 ゴスペルナイト・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Tokyu World Music Special In Bunkamura, Vol.9
2008-93
光。
東急グループが定期的に行っているイヴェント『東急ワールド・ミュージック・スペシャル』、今回は数えて9回目。ひょんなことから、ここにゴスペル・シンガー、シーシー・ワイナンズがやってくると知り、見たいなあと思い、ネットからいろんな名前を使って応募したが、全部はずれた。(笑)
シーシーは、一度1990年代初めに新宿のルミネ・ホールにビービー&シーシーで来日、ライヴを見た。また1997年5月、ホイットニー・ヒューストンの東京ドームでのライヴに彼女が飛び入りで1曲「カウント・オン・ミー」を歌ったことを記憶している。去年はヴァネッサ・ベル・アームストロングがひょいとやってきたり、カーク・ウェイラムとジョン・スタッダードが来日したり、今年はシーシーと、知らぬ間にいろんなゴスペル・アーティストが来ている。
シーシーは現在日本のレコード会社もないようで、前日まで鑑賞はあきらめていたところ、これまた当日午後になって急遽とあるご縁で見られることになり、ビービー&シーシーの来日時に彼のラジオのゲストにでてもらったという松尾潔氏とともに観戦。無料、抽選で、その倍率は10倍以上だったとか。じゃあ、3通くらい出したくらいじゃあ当たらない。(笑)
東急グループのサイト↓
http://www.tokyu.co.jp/group/twms2008/index.html
プロフィール↓
http://www.tokyu.co.jp/group/twms2008/profil.html
無料イヴェントということもあり、会場は超満員。またテーマがゴスペルということで、ゴスペルを歌っている風の人たちも見受けられたが、多くは年齢層も幅広い一般の方々が集まっていた。入り口で、本日のプログラム(曲目が書いてある)、小さなLEDライトを渡され、最後の曲でお使いください、とご案内された。これが小さいがとてもきれいな色を発光する。入り口でシーシーの新作を売っていたので、松尾氏とそれぞれ一枚ずつご購入。もう一枚、ビービー&シーシーのベストもあったが、曲目をよく見ると、けっこう持っていたのでこちらはパス。
第一部のザ・ボーン・アゲイン・チャーチからは11名のシンガーたちが登場。そのうちの1名がオルガンを弾く。「アメージング・グレイス」から始まり、最後のほうで50名以上の日本人コーラスがバックに立った。
休憩をはさんで、シーシー登場。さすがに立派、歌の格が違う感じ。前日のシャカ・カーンが頭の先から声を出すのに比べて、このシーシーはおなかのおへそのあたりから、ガツーンと低い声をだしてくる。タイプが違うわけだが、シーシーの堂々としたふるまいはもはや中堅からヴェテランの域に達しているということか。
ドラムス、ギター、ベース、キーボード2人にコーラス4人という9人のバックというきちんとした編成。この4人のコーラスがまたけっこううまかった。この4人とシーシーの歌を聴いていると、その迫力は50人のクワイアーを凌駕。こういうのを見ると、ゴスペルも人数だけではないんだなあ、と感じる。もちろん人数がいればいたで、迫力なんですけどね。松尾氏この歌とコーラスを見て、「クワイアーいらずですねえ…」。
シーシーはセットリスト中7曲までが、2008年4月全米リリースの最新作『サイ・キンゴドム・カム』収録の曲だった。道理でなじみはなかったが、荘厳な雰囲気とのりのいいコンテンポラリー・ゴスペルの世界にたっぷり浸れた。
特に5曲目「ヒーズ・コンサーンド」では、シーシーは通訳を招き入れ、「あなたたちを、神様はみな気にかけています。愛しています」といったメッセージを説明、さらに歌に入るとアフリカのホームレスの子供たちの映像をスクリーンに映し出した。
最後アンコールで「オー・ハッピー・デイ」。第一部ででてきた人たちも含めて全員登場。ここで、先のLEDライトが登場。2000以上のこの小さなライトが暗い会場に一斉に光ると、ホタルみたいで実にきれいだ。「アメージング・グレイス」に始まり、「オー・ハッピー・デイ」に終わるゴスペル・イヴェント。最後はホタルの光…。
■ 「東急ワールドミュージックスペシャルin Bunkamura vol.9ゴスペルナイト」(シーシー・ワイナンズなど)会場 東急文化村
■セットリスト 東急ワールドミュージックスペシャルin Bunkamura vol.9
ゴスペルナイト
Setlist : Tokyu Bunkamura, Orchard Hall, June 3, 2008
The Born Again Church Choir & Tokyu World Music Special Choir
MC started 19:02
Live performance started 19:10
01. Amazing Grace
02. Nobody Knows The Trouble I’ve Seen
03. I Want To Be Ready
04. Precious Lord, Take My Hand
05. O Mary Don’t You Weep
06. Sweeping Through the City
07. Hosanna
08. Blessed And Highly Favored
09. Faithful Is Our God
10. Total Praise
Performance ended 20:00
-break-
CeCe Winans
MC 20:24
Performance started 20:28
01. We Welcome You (Holy Father)
02. Forever
03. Pray
04. Waging War
05. He’s Concerned -- Jesus Loves Me -- He’s Concerned
06. Oh Holy Place
07. You’re The One
08. Alabaster Box (??)
09. Million Miles
10. It Ain’t Over
Enc. Oh, Happy Day (all)
Show ended 21:30
(2008年6月3日火曜、東急文化村=東急ワールドミュージックスペシャルin Bunkamura vol.9 ゴスペルナイト・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Tokyu World Music Special In Bunkamura, Vol.9
2008-93
【吉弘知鶴子ゴスペル・ナイト〜ブレンダ節炸裂】
スピリット。
かつてニューオーリンズで腕を鳴らしてきた女性キーボード奏者吉弘知鶴子さん名義としてはブルース・アレーで初のライヴ。それもゴスペル曲ばかりをやるという異色のライヴにいい感じの胸騒ぎ。しかも、オンステージ8人のうち日本人は吉弘さんだけ、残りは全員アフリカン・アメリカン。まあ、そのままブラック・ゴスペルが目黒ブルース・アレーを占拠したようなものだ。(笑)シンガー4人をまとめるのは、我らがブレンダ・ヴォーン、東京レディー・ソウル・ナンバー・ワンだ。ワキを固めるのは、フランク、ミーシャ、シモニークのブラザー&シスター軍団。
シャカ・カーン→シーシー・ワイナンズ→ブレンダ・ヴォーンと、まさに3連続ゴスペル系シンガーを見られる東京の夜って一体なんなんだろう。(笑)
冒頭2曲は演奏曲。ブルース・アレー、ピアノの上にカメラを設置し、上からの映像をスクリーンに映し出した。これ、なかなかいい。しばらく前に、上原ひろみ&チック・コーリアでも俯瞰の映像がひじょうによかったが、やはりピアノを真上から見る映像は楽しい。
3曲目以降ヴォーカルが入る。1人リードで3人コーラスでも、迫力がめいっぱいある。前日も、クワイアーも物量作戦は必要ないかもしれない、と思ったが、ここでの1+3も十分だ。これは、このライヴに限らないが、ゴスペル曲って初めて聴いても、すぐになじめる感じのものが多い。ヒップホップの新曲などだと、いちいち耳に残らないのだが、ゴスペル曲はなぜかすっと入ってくる。そもそもそういう作りなのかなあ。それとも、こちらが年を取ったせいか。(笑)
しかし、こうしたゴスペルを歌うときのブレンダは本当にすごい。存分にブレンダ節を聴かせる。僕はシャカのライヴを見ているときに、ブレンダが思い浮かんだ。ブレンダはシャカ、シーシーなどと並んで歌っても、まったく遜色ない。たまたま彼女は日本をベースにして、ここで活躍しているだけで、彼女がずっとオークランドかロスで活躍して、それなりのプロデューサーなんかと出会っていたら、まちがいなくビッグな存在になっていたと思う。実力と知名度、ヒット曲のあるなしは関係ない。実力があっても、ヒットなしには知名度はでない。要は「ご縁」の問題なのだ。
この日は、全テーブルに演奏曲目が書かれた紙が置かれ、全員がこの曲目を知ることができた。しかも、それに加え吉弘さんが1曲ごとに丁寧に解説してから演奏に入った。こういうのもいい。たとえば、5曲目では、「これは元はこういう曲でした」といってピアノでそのメロディーを弾く。みんなが知っているメロディーだったので、観客が歌い始めた。「そして、それをブラック・ゴスペルでやるとこうなります」といってその曲に入った。
ヴォーカルもの4曲の中では、どれもよかったが、特に「スピリット」という曲が素晴らしかった。空気はブルース・アレー転じてゴスペル・アレーだ。シャカも当然ゴスペル・ルーツ、そして、シーシー・ワイナンズももろゴスペル、この日も完全ゴスペルということで、今週前半は、べったりゴスペル漬けになった。吉弘さんに「2ヶ月に1度くらいの割りでやったら、どうですか」と言ったら、「ほんと大変なんです。体力ないんで、(笑)半年に一度くらいでいいかなって。次は12月にはクリスマスも含めてやろうと思ってます」とのお答え。う〜〜ん、もったいない。
僕は第二部もかなり見たかったが、後ろ髪ひかれつつ次に移動。
■ メンバー
吉弘知鶴子ゴスペルナイト
(Pf/Org)吉弘知鶴子 (G)ザンドレ・ヤブロウ (B)グレッグ・リー (Ds)マーティー・ブレイシー (Vo)ブレンダ・ヴォーン、ミーシャ・ドナルド、シャモニーク・ジャクソン、フランク・レグリー
★Special Guest シスターリード(from CampZama)
■ セットリスト
Setlist : Yoshihiro Chizuko Gospel Night @ Blues Alley Japan, June 4th, 2008
First set
Show started 19:40
01. Oh How I Love Jesus (Instrumental)
02. He Reigns (Instrumental)
03. Ooh Child
04. Spirit
05. What A Friend We Have
06. Authority
Show ended 20:42
Second set
01. Just A Closer Walk To Thee
02. Never Would Have Made It
03. Oh Happy Day
04. He’s Standing Right There
05. Conquerors
06. Hallelujah, You’re Worthy To Be Praised
07. I Need You To Survive
(2008年6月4日水曜、目黒ブルース・アレー=吉弘知鶴子ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Yoshihiro, Chizuko
2008-94
スピリット。
かつてニューオーリンズで腕を鳴らしてきた女性キーボード奏者吉弘知鶴子さん名義としてはブルース・アレーで初のライヴ。それもゴスペル曲ばかりをやるという異色のライヴにいい感じの胸騒ぎ。しかも、オンステージ8人のうち日本人は吉弘さんだけ、残りは全員アフリカン・アメリカン。まあ、そのままブラック・ゴスペルが目黒ブルース・アレーを占拠したようなものだ。(笑)シンガー4人をまとめるのは、我らがブレンダ・ヴォーン、東京レディー・ソウル・ナンバー・ワンだ。ワキを固めるのは、フランク、ミーシャ、シモニークのブラザー&シスター軍団。
シャカ・カーン→シーシー・ワイナンズ→ブレンダ・ヴォーンと、まさに3連続ゴスペル系シンガーを見られる東京の夜って一体なんなんだろう。(笑)
冒頭2曲は演奏曲。ブルース・アレー、ピアノの上にカメラを設置し、上からの映像をスクリーンに映し出した。これ、なかなかいい。しばらく前に、上原ひろみ&チック・コーリアでも俯瞰の映像がひじょうによかったが、やはりピアノを真上から見る映像は楽しい。
3曲目以降ヴォーカルが入る。1人リードで3人コーラスでも、迫力がめいっぱいある。前日も、クワイアーも物量作戦は必要ないかもしれない、と思ったが、ここでの1+3も十分だ。これは、このライヴに限らないが、ゴスペル曲って初めて聴いても、すぐになじめる感じのものが多い。ヒップホップの新曲などだと、いちいち耳に残らないのだが、ゴスペル曲はなぜかすっと入ってくる。そもそもそういう作りなのかなあ。それとも、こちらが年を取ったせいか。(笑)
しかし、こうしたゴスペルを歌うときのブレンダは本当にすごい。存分にブレンダ節を聴かせる。僕はシャカのライヴを見ているときに、ブレンダが思い浮かんだ。ブレンダはシャカ、シーシーなどと並んで歌っても、まったく遜色ない。たまたま彼女は日本をベースにして、ここで活躍しているだけで、彼女がずっとオークランドかロスで活躍して、それなりのプロデューサーなんかと出会っていたら、まちがいなくビッグな存在になっていたと思う。実力と知名度、ヒット曲のあるなしは関係ない。実力があっても、ヒットなしには知名度はでない。要は「ご縁」の問題なのだ。
この日は、全テーブルに演奏曲目が書かれた紙が置かれ、全員がこの曲目を知ることができた。しかも、それに加え吉弘さんが1曲ごとに丁寧に解説してから演奏に入った。こういうのもいい。たとえば、5曲目では、「これは元はこういう曲でした」といってピアノでそのメロディーを弾く。みんなが知っているメロディーだったので、観客が歌い始めた。「そして、それをブラック・ゴスペルでやるとこうなります」といってその曲に入った。
ヴォーカルもの4曲の中では、どれもよかったが、特に「スピリット」という曲が素晴らしかった。空気はブルース・アレー転じてゴスペル・アレーだ。シャカも当然ゴスペル・ルーツ、そして、シーシー・ワイナンズももろゴスペル、この日も完全ゴスペルということで、今週前半は、べったりゴスペル漬けになった。吉弘さんに「2ヶ月に1度くらいの割りでやったら、どうですか」と言ったら、「ほんと大変なんです。体力ないんで、(笑)半年に一度くらいでいいかなって。次は12月にはクリスマスも含めてやろうと思ってます」とのお答え。う〜〜ん、もったいない。
僕は第二部もかなり見たかったが、後ろ髪ひかれつつ次に移動。
■ メンバー
吉弘知鶴子ゴスペルナイト
(Pf/Org)吉弘知鶴子 (G)ザンドレ・ヤブロウ (B)グレッグ・リー (Ds)マーティー・ブレイシー (Vo)ブレンダ・ヴォーン、ミーシャ・ドナルド、シャモニーク・ジャクソン、フランク・レグリー
★Special Guest シスターリード(from CampZama)
■ セットリスト
Setlist : Yoshihiro Chizuko Gospel Night @ Blues Alley Japan, June 4th, 2008
First set
Show started 19:40
01. Oh How I Love Jesus (Instrumental)
02. He Reigns (Instrumental)
03. Ooh Child
04. Spirit
05. What A Friend We Have
06. Authority
Show ended 20:42
Second set
01. Just A Closer Walk To Thee
02. Never Would Have Made It
03. Oh Happy Day
04. He’s Standing Right There
05. Conquerors
06. Hallelujah, You’re Worthy To Be Praised
07. I Need You To Survive
(2008年6月4日水曜、目黒ブルース・アレー=吉弘知鶴子ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Yoshihiro, Chizuko
2008-94
▲Bo Diddley Dies At 79
2008年6月6日コメント (1)【ロックン・ロール・オリジネイター、ボ・ディドリー死去】
ビート。
いわゆる「ロックン・ロール」のオリジネイターのひとりであるミュージシャン、ボ・ディドリーが2008年6月2日、フロリダ州アーチャーの自宅で心臓疾患で死去した。79歳だった。
ボ・ディドリーは1928年12月30日アメリカ南部ミシシッピー州マッコム生まれ。本名はエラ・オサ・ベイツ・マクダニエル。実の親ではなく、親類に育てられ、その親類家族と7歳で北部シカゴへ。ブルーズ・ギタリスト、ジョン・リー・フッカーを見て影響され、ブルーズ・ギタリスト、シンガーとしてシカゴのサウスサイドのライヴハウスなどで活動するようになる。その後リズムを強調したサウンドを作り出し、ロックン・ロールの原型となるサウンドを作り出し、多くの黒人、白人ミュージシャン、ロッカーに多大な影響を与えた。
1954年、ハーモニカ奏者、ドラマーらとともに、2曲のデモテープを制作。それが「アイム・ア・マン」と「ボ・ディドリー」という楽曲。シカゴの名門スタジオ、チェスでこれを再録音。1955年になって、R&Bチャートで1位を記録する大ヒットとなった。
「ボ・ディドリー」のサウンドは、当時「ボ・ディドリー・ビート」と呼ばれ、その特徴は、「ボンバ・・ボンバ・・」といったパーカッシヴなリズム・サウンド。そして、ほとんどワンコードで楽曲が作られ、そののりのよさはそうしたパーカッション的な音ゆえだった。また彼はカスタムメイドの独特の形をしたギターを持って演奏したことからも有名になった。
1955年11月、彼は『エド・サリヴァン・ショウ』(生放送)に出演するが、このとき、事前の打ち合わせではテネシー・アーニー・フォードの「16トンズ」を歌うように言われていたが、それを無視し、自身のヒット「ボ・ディドリー」を歌い、司会者エド・サリヴァンを激怒させた。以来、番組には出られなくなった。しかし、彼は次々とヒットを生み出し、珍しく白人からも支持を集める黒人アーティストとなった。
ロックン・ローラー、バディー・ホリーは「ノット・フェイド・アウェイ」で、ボ・ディドリーのリズムを借用するが、これは後にローリング・ストーンズが1964年にカヴァーし、彼らにとっての初ヒットとなる。
1980年代には映画に端役で出演したり、ナイキのCMに出演したりしていた。
1997年、楽曲「ボ・ディドリー」は、「グラミー・ホール・オブ・フェイム」入りし、また1998年グラミー賞ライフタイム・アチーヴメント賞を獲得。そのほかにも多数のアワードを獲得している。近年は、教会に通い、ゴスペル的な作品を録音するつもりだったらしい。
2007年5月12日のライヴ後、心臓発作に見舞われ翌13日入院。8月に再発。その後11月までに一時退院し、自宅療養していた。
6月2日午前1時45分頃、自宅には約35名の家族親類が集まり、ゴスペル曲「ウォーク・アラウンド・ザ・ヘヴン」が歌われたという。これを聴きながら、本人は「私はこれから天国へ行く」と言って旅立ったという。
彼には15人の孫、15人のひ孫、さらに3人の玄孫(やしゃご=ひ孫の子供)がいる。
ENT>OBITUARY>Bo Diddley / December 30, 1928 - June 2, 2008 (79)
ビート。
いわゆる「ロックン・ロール」のオリジネイターのひとりであるミュージシャン、ボ・ディドリーが2008年6月2日、フロリダ州アーチャーの自宅で心臓疾患で死去した。79歳だった。
ボ・ディドリーは1928年12月30日アメリカ南部ミシシッピー州マッコム生まれ。本名はエラ・オサ・ベイツ・マクダニエル。実の親ではなく、親類に育てられ、その親類家族と7歳で北部シカゴへ。ブルーズ・ギタリスト、ジョン・リー・フッカーを見て影響され、ブルーズ・ギタリスト、シンガーとしてシカゴのサウスサイドのライヴハウスなどで活動するようになる。その後リズムを強調したサウンドを作り出し、ロックン・ロールの原型となるサウンドを作り出し、多くの黒人、白人ミュージシャン、ロッカーに多大な影響を与えた。
1954年、ハーモニカ奏者、ドラマーらとともに、2曲のデモテープを制作。それが「アイム・ア・マン」と「ボ・ディドリー」という楽曲。シカゴの名門スタジオ、チェスでこれを再録音。1955年になって、R&Bチャートで1位を記録する大ヒットとなった。
「ボ・ディドリー」のサウンドは、当時「ボ・ディドリー・ビート」と呼ばれ、その特徴は、「ボンバ・・ボンバ・・」といったパーカッシヴなリズム・サウンド。そして、ほとんどワンコードで楽曲が作られ、そののりのよさはそうしたパーカッション的な音ゆえだった。また彼はカスタムメイドの独特の形をしたギターを持って演奏したことからも有名になった。
1955年11月、彼は『エド・サリヴァン・ショウ』(生放送)に出演するが、このとき、事前の打ち合わせではテネシー・アーニー・フォードの「16トンズ」を歌うように言われていたが、それを無視し、自身のヒット「ボ・ディドリー」を歌い、司会者エド・サリヴァンを激怒させた。以来、番組には出られなくなった。しかし、彼は次々とヒットを生み出し、珍しく白人からも支持を集める黒人アーティストとなった。
ロックン・ローラー、バディー・ホリーは「ノット・フェイド・アウェイ」で、ボ・ディドリーのリズムを借用するが、これは後にローリング・ストーンズが1964年にカヴァーし、彼らにとっての初ヒットとなる。
1980年代には映画に端役で出演したり、ナイキのCMに出演したりしていた。
1997年、楽曲「ボ・ディドリー」は、「グラミー・ホール・オブ・フェイム」入りし、また1998年グラミー賞ライフタイム・アチーヴメント賞を獲得。そのほかにも多数のアワードを獲得している。近年は、教会に通い、ゴスペル的な作品を録音するつもりだったらしい。
2007年5月12日のライヴ後、心臓発作に見舞われ翌13日入院。8月に再発。その後11月までに一時退院し、自宅療養していた。
6月2日午前1時45分頃、自宅には約35名の家族親類が集まり、ゴスペル曲「ウォーク・アラウンド・ザ・ヘヴン」が歌われたという。これを聴きながら、本人は「私はこれから天国へ行く」と言って旅立ったという。
彼には15人の孫、15人のひ孫、さらに3人の玄孫(やしゃご=ひ孫の子供)がいる。
ENT>OBITUARY>Bo Diddley / December 30, 1928 - June 2, 2008 (79)
【シャカ・カーン(チャカ・カーン)、多くの修羅場をくぐりぬけて】
修羅場。
まさに旋風を巻き起こしている感のあるビルボード・ライヴでのシャカ・カーン(チャカ・カーン)のライヴだが、多くのおなじみのヒット曲の中でイントロが始まるととびきり歓声があがる曲がある。そう、「スルー・ザ・ファイアー」だ。メロディアスな日本人受けするデイヴィッド・フォスター作品だが、これを歌う前に、シャカは、一言二言コメントした。
「今まで、修羅場をくぐってきたことがある人、いる?」 たぶん、バックのバンドが少さく音を流しながら話したために、英語が聞き取れなかったのだろう。彼女の問いかけはあまり伝わらなかった感じはあった。「修羅場」は、もちろん意訳だ。直訳では「あなたは、今まで火の中を通ったことある?」だ。「私は随分と火をくぐりぬけてきた。(修羅場を通ってきたわ)。でも、神様はみんなのことを愛してるのよ」 そして、ギターのイントロへ。その瞬間、客席から大歓声。
シャカ・カーンの歴史は修羅場の連続だったのかもしれない。シカゴの男ばかりのファンク・バンド、ルーファスに入った。1970年代初期、男性バンドに女性1人というのは、珍しかった。シャカはまだ20歳にもなっていなかった。当然、メンバーからは軽くあしらわれ、とてもきちんとリスペクトされてはこなかった。意見を言えば、女のくせに、若いくせに、と言ったことでないがしろにされメンバーとはしばしばぶつかった。そのころ大体音楽業界に限らず、どこでも男性社会だった。
アレサが歌う「リスペクト」(少しは女性に対してリスペクトの念を見せなさいよ、という歌)が、多くの女性のアンセムになったが、シャカにとっても「リスペクト」は希望の星だった。
そんなシャカはリード・シンガーとしてどんどんと力をつけ、人気も高まる。すると今度はそれはそれで、彼女だけにスポットが当たることをメンバーが嫉妬しねたんだりするようになる。やっとの思いでソロ活動を始めるも、その成功にこんどはシャカが入ったほうがレコードが売れるということで、グループへの復帰を望まれる。グループ、ソロ、グループ、ソロと彼女の立ち位置はリヴォルヴィング・ドアのように回り人生は翻弄される。彼女の思うようにはならない。
そうしたことをさせるマネージメントとともうまくいかなかった。子供も設けたが、その父親ともうまくいかなかった。1980年代初期から後期はそんなこともあって、かなり荒れ、酒におぼれることもあった。彼女のライヴ・パフォーマンスは彼女のそのときの精神状態を如実に表すために、ライヴは良いときも、悪いときもあった。図らずも、ライヴは彼女の人生のその瞬間のバロメーターになった。
もちろん、1970年代から1980年代にかけて音楽的には素晴らしい作品を残してきた。アリフ・マーディン、クインシー・ジョーンズら素晴らしきプロデューサーたちの厳しいガイダンスのもと、質の高いアルバムや楽曲が作られた。ファンク・バンドの一シンガーがジャズにも挑戦し、それがまた高い評価を得た。
1990年代に入り、少し状況が変わった。新しいマネージメント、新しいボーイフレンド。一時期彼女は新しいボーイフレンドとともにドイツに移り住んだ。ぎすぎすしたアメリカとは違ったフレンドリーなヨーロッパの空気は彼女に新たな命を与えた。嬉しいニュースも生まれた。40代で「おばあちゃん」になったのだ。
だが皮肉なもので、私生活の安定した充実とは裏腹に、2000年代に入ると、彼女のレコード(CD)作品はメジャー・レーベルからリリースされなくなる。しかし、レコードが出なくとも、彼女はシンガーとしてそれまでになく尊敬され、多くの若手から慕われ、崇められるようになる。が、かつてのようなヒット曲は生まれなくなった。
2004年、再び事件は起きる。息子のダミアン・ホランドが銃で友人を誤って殺してしまいその損害賠償(約130万ドル=約1億3千万円=現在裁判中)の責任を負ってしまったのだ。(だから彼女はたくさん仕事をして、お金を稼がなくてはならないのかもしれない。だから、ギャラが高くて、チケット代が高いのかもしれない(笑))
彼女は過去35年以上、「炎の中をかけぬけて(through the fire)」人生を生きてきたのだ。シャカは、多くの修羅場をくぐり抜け、嫌なこともたくさん我慢し、自身が成長し、なぜ自分にこんな不幸が起こるのか自問自答し、日々ソウル・サーチンし、今、今日の日を迎えている。
だから、彼女がこの「スルー・ザ・ファイアー」を歌うとき、そこに彼女が自身の人生を投影し、ありったけの魂を込めて歌ったとしてもなんらおかしくない。ときにはこれを歌いながら、自身の人生における修羅場の一場面が走馬灯して涙する瞬間もあるかもしれない。この曲が1984年にレコーディングされたときから、すでに24年が経っている。2008年ライヴで聴く「スルー・ザ・ファイアー」は、CDからわれわれが聞ける「スルー・ザ・ファイアー」よりも24年の重みが加わっているのだ。だから、シャカのかつてのオウラの何倍もの強力なオウラが今そこで見事な光を放つのである。そして、会場でこの強力なオウラに満ち溢れた「スルー・ザ・ファイアー」が歌われると、観客に歓喜にも似た涙が訳もなくあふれ出るわけだ。
彼女は「スルー・ザ・ファイアー」の後半で「ハレル〜〜ヤ」「アイ・サンキュー」と声を張り上げる。これもまさにゴスペルだ。
「限界の限界まで火をくぐりぬけて、
あなたとともに生きることに賭けるわ
あらゆるリスクを負いましょう
何が起ころうと、何がどうなろうと
あなたを愛するためなら、
どこまでも行くわ
最後の最後までどんな火の中でもかけ抜けていくわ」
(「スルー・ザ・ファイアー」)
火を駈け抜けて、素晴らしき人生を進め、シャカ・カーン!
火を駈け抜けて、素晴らしき人生を切り開け、シャカ・カーン!
火を駈け抜けて、素晴らしき人生に火を灯せ、シャカ・カーン!
■ 「スルー・ザ・ファイアー」収録の『フィール・フォー・ユー』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HGC1/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 関連記事
June 03, 2008
Chaka Khan Live @ Hi Energy Performance
http://blog.soulsearchin.com/archives/002552.html
2008年6月2日(月)ビルボード・ライヴのライヴ評
2003/10/11 (Sat)
Chaka Khan Live @ Budoukan: One & Only Voice Still Shines
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/diary20031011.html
(前回来日ライヴ評)
+++++
Through The Fire (written by David Foster, Tom Keane and Cynthia Weil)
I look in your eyes and I can see
We’ve loved so dangerously
You’re not trusting your heart to anyone
You tell me you’re gonna play it smart
We’re through before we start
But I believe that we’ve only just begun
When it’s this good, there’s no saying no
I want you so, I’m ready to go
Chorus:
Through the fire
To the limit, to the wall
For a chance to be with you
I’d gladly risk it all
Through the fire
Through whatever, come what may
For a chance at loving you
I’d take it all the way
Right down to the wire
Even through the fire
I know you’re afraid of what you feel
You still need time to heal
And I can help if you’ll only let me try
You touch me and something in me knew
What I could have with you
Well I’m not ready to kiss that dream goodbye
When it’s this sweet, there’s no saying no
I need you so, I’m ready to go
Chorus
Through the test of time
Chorus
Through the fire, to the limit
Through the fire, through whatever
Through the fire, to the limit
Through the fire, through whatever
+++++
ENT>MUSIC>LIVE>Khan, Chaka
ENT>MUSIC>ARTIST>Khan, Chaka
ENT>MUSIC>SONG>Through The Fire
修羅場。
まさに旋風を巻き起こしている感のあるビルボード・ライヴでのシャカ・カーン(チャカ・カーン)のライヴだが、多くのおなじみのヒット曲の中でイントロが始まるととびきり歓声があがる曲がある。そう、「スルー・ザ・ファイアー」だ。メロディアスな日本人受けするデイヴィッド・フォスター作品だが、これを歌う前に、シャカは、一言二言コメントした。
「今まで、修羅場をくぐってきたことがある人、いる?」 たぶん、バックのバンドが少さく音を流しながら話したために、英語が聞き取れなかったのだろう。彼女の問いかけはあまり伝わらなかった感じはあった。「修羅場」は、もちろん意訳だ。直訳では「あなたは、今まで火の中を通ったことある?」だ。「私は随分と火をくぐりぬけてきた。(修羅場を通ってきたわ)。でも、神様はみんなのことを愛してるのよ」 そして、ギターのイントロへ。その瞬間、客席から大歓声。
シャカ・カーンの歴史は修羅場の連続だったのかもしれない。シカゴの男ばかりのファンク・バンド、ルーファスに入った。1970年代初期、男性バンドに女性1人というのは、珍しかった。シャカはまだ20歳にもなっていなかった。当然、メンバーからは軽くあしらわれ、とてもきちんとリスペクトされてはこなかった。意見を言えば、女のくせに、若いくせに、と言ったことでないがしろにされメンバーとはしばしばぶつかった。そのころ大体音楽業界に限らず、どこでも男性社会だった。
アレサが歌う「リスペクト」(少しは女性に対してリスペクトの念を見せなさいよ、という歌)が、多くの女性のアンセムになったが、シャカにとっても「リスペクト」は希望の星だった。
そんなシャカはリード・シンガーとしてどんどんと力をつけ、人気も高まる。すると今度はそれはそれで、彼女だけにスポットが当たることをメンバーが嫉妬しねたんだりするようになる。やっとの思いでソロ活動を始めるも、その成功にこんどはシャカが入ったほうがレコードが売れるということで、グループへの復帰を望まれる。グループ、ソロ、グループ、ソロと彼女の立ち位置はリヴォルヴィング・ドアのように回り人生は翻弄される。彼女の思うようにはならない。
そうしたことをさせるマネージメントとともうまくいかなかった。子供も設けたが、その父親ともうまくいかなかった。1980年代初期から後期はそんなこともあって、かなり荒れ、酒におぼれることもあった。彼女のライヴ・パフォーマンスは彼女のそのときの精神状態を如実に表すために、ライヴは良いときも、悪いときもあった。図らずも、ライヴは彼女の人生のその瞬間のバロメーターになった。
もちろん、1970年代から1980年代にかけて音楽的には素晴らしい作品を残してきた。アリフ・マーディン、クインシー・ジョーンズら素晴らしきプロデューサーたちの厳しいガイダンスのもと、質の高いアルバムや楽曲が作られた。ファンク・バンドの一シンガーがジャズにも挑戦し、それがまた高い評価を得た。
1990年代に入り、少し状況が変わった。新しいマネージメント、新しいボーイフレンド。一時期彼女は新しいボーイフレンドとともにドイツに移り住んだ。ぎすぎすしたアメリカとは違ったフレンドリーなヨーロッパの空気は彼女に新たな命を与えた。嬉しいニュースも生まれた。40代で「おばあちゃん」になったのだ。
だが皮肉なもので、私生活の安定した充実とは裏腹に、2000年代に入ると、彼女のレコード(CD)作品はメジャー・レーベルからリリースされなくなる。しかし、レコードが出なくとも、彼女はシンガーとしてそれまでになく尊敬され、多くの若手から慕われ、崇められるようになる。が、かつてのようなヒット曲は生まれなくなった。
2004年、再び事件は起きる。息子のダミアン・ホランドが銃で友人を誤って殺してしまいその損害賠償(約130万ドル=約1億3千万円=現在裁判中)の責任を負ってしまったのだ。(だから彼女はたくさん仕事をして、お金を稼がなくてはならないのかもしれない。だから、ギャラが高くて、チケット代が高いのかもしれない(笑))
彼女は過去35年以上、「炎の中をかけぬけて(through the fire)」人生を生きてきたのだ。シャカは、多くの修羅場をくぐり抜け、嫌なこともたくさん我慢し、自身が成長し、なぜ自分にこんな不幸が起こるのか自問自答し、日々ソウル・サーチンし、今、今日の日を迎えている。
だから、彼女がこの「スルー・ザ・ファイアー」を歌うとき、そこに彼女が自身の人生を投影し、ありったけの魂を込めて歌ったとしてもなんらおかしくない。ときにはこれを歌いながら、自身の人生における修羅場の一場面が走馬灯して涙する瞬間もあるかもしれない。この曲が1984年にレコーディングされたときから、すでに24年が経っている。2008年ライヴで聴く「スルー・ザ・ファイアー」は、CDからわれわれが聞ける「スルー・ザ・ファイアー」よりも24年の重みが加わっているのだ。だから、シャカのかつてのオウラの何倍もの強力なオウラが今そこで見事な光を放つのである。そして、会場でこの強力なオウラに満ち溢れた「スルー・ザ・ファイアー」が歌われると、観客に歓喜にも似た涙が訳もなくあふれ出るわけだ。
彼女は「スルー・ザ・ファイアー」の後半で「ハレル〜〜ヤ」「アイ・サンキュー」と声を張り上げる。これもまさにゴスペルだ。
「限界の限界まで火をくぐりぬけて、
あなたとともに生きることに賭けるわ
あらゆるリスクを負いましょう
何が起ころうと、何がどうなろうと
あなたを愛するためなら、
どこまでも行くわ
最後の最後までどんな火の中でもかけ抜けていくわ」
(「スルー・ザ・ファイアー」)
火を駈け抜けて、素晴らしき人生を進め、シャカ・カーン!
火を駈け抜けて、素晴らしき人生を切り開け、シャカ・カーン!
火を駈け抜けて、素晴らしき人生に火を灯せ、シャカ・カーン!
■ 「スルー・ザ・ファイアー」収録の『フィール・フォー・ユー』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HGC1/soulsearchiho-22/ref=nosim/
■ 関連記事
June 03, 2008
Chaka Khan Live @ Hi Energy Performance
http://blog.soulsearchin.com/archives/002552.html
2008年6月2日(月)ビルボード・ライヴのライヴ評
2003/10/11 (Sat)
Chaka Khan Live @ Budoukan: One & Only Voice Still Shines
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/diary20031011.html
(前回来日ライヴ評)
+++++
Through The Fire (written by David Foster, Tom Keane and Cynthia Weil)
I look in your eyes and I can see
We’ve loved so dangerously
You’re not trusting your heart to anyone
You tell me you’re gonna play it smart
We’re through before we start
But I believe that we’ve only just begun
When it’s this good, there’s no saying no
I want you so, I’m ready to go
Chorus:
Through the fire
To the limit, to the wall
For a chance to be with you
I’d gladly risk it all
Through the fire
Through whatever, come what may
For a chance at loving you
I’d take it all the way
Right down to the wire
Even through the fire
I know you’re afraid of what you feel
You still need time to heal
And I can help if you’ll only let me try
You touch me and something in me knew
What I could have with you
Well I’m not ready to kiss that dream goodbye
When it’s this sweet, there’s no saying no
I need you so, I’m ready to go
Chorus
Through the test of time
Chorus
Through the fire, to the limit
Through the fire, through whatever
Through the fire, to the limit
Through the fire, through whatever
+++++
ENT>MUSIC>LIVE>Khan, Chaka
ENT>MUSIC>ARTIST>Khan, Chaka
ENT>MUSIC>SONG>Through The Fire
◆More Chaka Khan At Billboard
2008年6月8日【シャカ・カーン旋風、東京を席巻】
旋風。
シャカ(チャカ)・カーンは1981年『エコーズ・オブ・アン・エラ』というジャズ・アルバムを出した。以来、彼女は徐々にジャズ志向を強め、ジャズ作品→ファンク・R&B作品→ジャズ→ファンクと、音楽的に行き来している。ここしばらくは、どちらかというとジャズ系のライヴが多かったが、今回のライヴは、新作『ファンク・ディス』で見られたようなファンク、R&B系でいくコンセプトだ。4年前の武道館ライヴも、基本は今回と同じ。昔のルーファスのヒット、シャカのヒットを中心に組んでいた。
さて、東京最終日、僕は足を運べなかったのだが、終わった頃から続々とメールや電話が。
まず、ソウルメイト・ハセヤンは、今、彼の会社で「女優ミラー」という商品を売り出し中。手鏡の両サイドに楽屋で使われるようなライトが点灯する優れもの。特にこうした暗いクラブやライヴハウスなどで、お化粧を直すときなど最適だ。すでに流行に敏感な女性たちの間では大評判を得ている。彼のもとにはマトメ買いする友人からのオーダーが殺到しているらしい。この日、その話題の「女優ミラー」をシャカに花束とともに手渡した。彼は今週一週間皆勤で5回ライヴを見た。もし、シャカの次のジャケットに「女優ミラー」が映っていたら、最高だね!
さらに、驚いたのが、久保田利伸さん、AIのバックコーラスを担当し、『ソウル・サーチン・ザ・セッション』でも強烈な歌を聴かせてくれたソウルフルなシンガー、神野ゆりさんがステージにあげられて、シャカとともに「ユー・ガット・ザ・ラヴ」を少し歌ったこと。この日は、久保田さん、AIらもシャカのステージを観覧していたようだ。ゆりさん、久保田、AIの次はシャカのバック・コーラスか。(笑)どういう経緯でステージにあがったのか聴こうと思って電話したが、つながらなかった。(笑)
一週間、全ステージ(ファーストもセカンドも)10本を完全制覇(この後、大阪も帯同予定)したやはりソウルメイト、松浦さんにどれがいちばんよかったか、と尋ねると金曜のセカンドだったとのこと。
ライヴ後、近くのソウルバーに行っていたAIから電話がかかってきて「いやあ、ほんとヤバイっすね、ほんとすごいっす」とえらいテンションだった。
今回のバンド・マスターは、ベースのアンドリュー。ひときわ目立ったギタリストのトニー・メイデンは客演だ。僕はバンド自体はもっとシャカにあったリズムのしっかりした強力なファンク・バンドがいいと思うが、シャカ本人はひじょうに今回のツアーにごきげんらしく、「また、来年やってきたい」と言っているそうだ。
それと当初メンバー紹介をしなかった件だが、金曜あたりから少しずつしていて、土曜の最後には全員を紹介した。どうやら、最初のうち名前を全部は覚えていなかったため単純にできなかったらしい。(笑) メンバー紹介をしなかったのは、他意はなくただ自然にそうだっただけらしい。シャカはなんでも自然体だ。お願いとしては、来年来るときは、少しギャラ、経費、安くしてもらえないかなあ。(笑)
今回のシャカの来日は、これまでになく盛り上がった。今回見て感じたのが、往年のファンだけでなく、比較的若い20代と思われるファンもけっこういたこと。ルーファス時代をリアル・タイムで知らなくとも、「ソウル・レジェンド」としてシャカを知っている人が増えているということなのだろう。
ひとつだけ、セットリストについて。今回はファンクがコンセプトということで、R&Bセットに終始しているのだが、例えば、「ウィル・ユー・ラヴ・ミー」のところに、ジャズ曲1曲だけいれると、絶対いいと思う。ファンクの中にぽっと1曲そういうのが入ると、全体のセットリストがぐっとひきしまるはずだ。ファンク・セット、R&Bセットの「箸休め」だ。
最後におまけ情報。ルーファス・フィーチャリング・シャカ・カーンの名盤ライヴ『Live – Stompin’ At The Savoy サヴォイでストンプ』が2008年7月にワーナーから再発されるが、そのライナーノーツを書いた。ほんとだったら、先月末くらいの締め切りだったのだが、無理をお願いしてシャカのライヴを見てから原稿を書いた。もっとも、このライナーは、最初にアルバムが出た1983年、CD化された1992年と2度書いていて、今回が3回目。全面的に書き直した。25年前の作品のライナーノーツを書き直すというのも感無量だ。
■シャカ・カーン、ライヴはこのあと大阪ビルボードで2008年6月9日月曜から11日水曜まで。
■ 関連記事
June 07, 2008
“Through The Fire” Is Chaka Khan’s Soul Searchin’ Song
【シャカ・カーン(チャカ・カーン)、多くの修羅場をくぐりぬけて】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002556.html
June 03, 2008
Chaka Khan Live @ Hi Energy Performance
http://blog.soulsearchin.com/archives/002552.html
2008年6月2日(月)ビルボード・ライヴのライヴ評
2003/10/11 (Sat)
Chaka Khan Live @ Budoukan: One & Only Voice Still Shines
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(前回来日ライヴ評)
ENT>ARTIST>Khan, Chaka
ENT>LIVE>Khan, Chaka
旋風。
シャカ(チャカ)・カーンは1981年『エコーズ・オブ・アン・エラ』というジャズ・アルバムを出した。以来、彼女は徐々にジャズ志向を強め、ジャズ作品→ファンク・R&B作品→ジャズ→ファンクと、音楽的に行き来している。ここしばらくは、どちらかというとジャズ系のライヴが多かったが、今回のライヴは、新作『ファンク・ディス』で見られたようなファンク、R&B系でいくコンセプトだ。4年前の武道館ライヴも、基本は今回と同じ。昔のルーファスのヒット、シャカのヒットを中心に組んでいた。
さて、東京最終日、僕は足を運べなかったのだが、終わった頃から続々とメールや電話が。
まず、ソウルメイト・ハセヤンは、今、彼の会社で「女優ミラー」という商品を売り出し中。手鏡の両サイドに楽屋で使われるようなライトが点灯する優れもの。特にこうした暗いクラブやライヴハウスなどで、お化粧を直すときなど最適だ。すでに流行に敏感な女性たちの間では大評判を得ている。彼のもとにはマトメ買いする友人からのオーダーが殺到しているらしい。この日、その話題の「女優ミラー」をシャカに花束とともに手渡した。彼は今週一週間皆勤で5回ライヴを見た。もし、シャカの次のジャケットに「女優ミラー」が映っていたら、最高だね!
さらに、驚いたのが、久保田利伸さん、AIのバックコーラスを担当し、『ソウル・サーチン・ザ・セッション』でも強烈な歌を聴かせてくれたソウルフルなシンガー、神野ゆりさんがステージにあげられて、シャカとともに「ユー・ガット・ザ・ラヴ」を少し歌ったこと。この日は、久保田さん、AIらもシャカのステージを観覧していたようだ。ゆりさん、久保田、AIの次はシャカのバック・コーラスか。(笑)どういう経緯でステージにあがったのか聴こうと思って電話したが、つながらなかった。(笑)
一週間、全ステージ(ファーストもセカンドも)10本を完全制覇(この後、大阪も帯同予定)したやはりソウルメイト、松浦さんにどれがいちばんよかったか、と尋ねると金曜のセカンドだったとのこと。
ライヴ後、近くのソウルバーに行っていたAIから電話がかかってきて「いやあ、ほんとヤバイっすね、ほんとすごいっす」とえらいテンションだった。
今回のバンド・マスターは、ベースのアンドリュー。ひときわ目立ったギタリストのトニー・メイデンは客演だ。僕はバンド自体はもっとシャカにあったリズムのしっかりした強力なファンク・バンドがいいと思うが、シャカ本人はひじょうに今回のツアーにごきげんらしく、「また、来年やってきたい」と言っているそうだ。
それと当初メンバー紹介をしなかった件だが、金曜あたりから少しずつしていて、土曜の最後には全員を紹介した。どうやら、最初のうち名前を全部は覚えていなかったため単純にできなかったらしい。(笑) メンバー紹介をしなかったのは、他意はなくただ自然にそうだっただけらしい。シャカはなんでも自然体だ。お願いとしては、来年来るときは、少しギャラ、経費、安くしてもらえないかなあ。(笑)
今回のシャカの来日は、これまでになく盛り上がった。今回見て感じたのが、往年のファンだけでなく、比較的若い20代と思われるファンもけっこういたこと。ルーファス時代をリアル・タイムで知らなくとも、「ソウル・レジェンド」としてシャカを知っている人が増えているということなのだろう。
ひとつだけ、セットリストについて。今回はファンクがコンセプトということで、R&Bセットに終始しているのだが、例えば、「ウィル・ユー・ラヴ・ミー」のところに、ジャズ曲1曲だけいれると、絶対いいと思う。ファンクの中にぽっと1曲そういうのが入ると、全体のセットリストがぐっとひきしまるはずだ。ファンク・セット、R&Bセットの「箸休め」だ。
最後におまけ情報。ルーファス・フィーチャリング・シャカ・カーンの名盤ライヴ『Live – Stompin’ At The Savoy サヴォイでストンプ』が2008年7月にワーナーから再発されるが、そのライナーノーツを書いた。ほんとだったら、先月末くらいの締め切りだったのだが、無理をお願いしてシャカのライヴを見てから原稿を書いた。もっとも、このライナーは、最初にアルバムが出た1983年、CD化された1992年と2度書いていて、今回が3回目。全面的に書き直した。25年前の作品のライナーノーツを書き直すというのも感無量だ。
■シャカ・カーン、ライヴはこのあと大阪ビルボードで2008年6月9日月曜から11日水曜まで。
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June 07, 2008
“Through The Fire” Is Chaka Khan’s Soul Searchin’ Song
【シャカ・カーン(チャカ・カーン)、多くの修羅場をくぐりぬけて】
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June 03, 2008
Chaka Khan Live @ Hi Energy Performance
http://blog.soulsearchin.com/archives/002552.html
2008年6月2日(月)ビルボード・ライヴのライヴ評
2003/10/11 (Sat)
Chaka Khan Live @ Budoukan: One & Only Voice Still Shines
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/diary20031011.html
(前回来日ライヴ評)
ENT>ARTIST>Khan, Chaka
ENT>LIVE>Khan, Chaka
【木下航志・ブルース・アレー自己名義で初登場】
新社会人。
高校を卒業し、新社会人1年生になった木下航志くんの目黒ブルース・アレーライヴ。(航志くんは1989年5月8日生まれ、平成元年生まれの19歳) 彼がこのブルース・アレーのステージに初めて立ったのは、2005年6月26日のこと。『ソウル・サーチン』イヴェントのレイ・チャールズの回にゲストで登場した。それ以来、航志くんは『ソウル・サーチン』の「レギュラー・ゲスト」になり、マーヴィン・ゲイ、ルーサー・ヴァンドロス、アレサ・フランクリンと4回連続の出演となっている。また、ほかにフィリップ・ウーのライヴ、ブレンダ・ヴォーンのライヴでもゲストで登場している。そんな航志くんが自分名義のフル・ショウでブルース・アレーに初登場となった。そして立ち見もでるほどの超満員。ある意味、これもまた感無量だ。
今回のライヴのテーマは、『ドゥ・ザ・ソウル』。ソウル・ミュージックをやる、ということで、アンコール1曲以外すべてソウル系の作品になった。バックを支えるのは、最近の航志くんのピアノの先生、フィリップ・ウーが集めたバンド。メンバーは、ジェイ・スティックス(ドラムス)、キース・ウィリアムソン(ベース)、パット・プライアー(ギター)、そしてコーラスにブレンダ・ヴォーンとアンソニー・ベイリー。みなブラザーとシスター、まさにソウル・ショウにふさわしい強力なメンバーが集まっている。バックがみんなアフリカン・アメリカンなら、否が応でもソウルな雰囲気は伝わる。そして、披露される曲もこれまで彼自身のライヴやゲストで『ソウル・サーチン』などで歌い、着実にレパートリーとして増やしている作品が中心。
ところで、観客はやはり航志くんファンと見受けられる方々が多く、年齢層もけっこう高い。しかも女性ファンが多い。7割から8割が女性という感じがした。また、お子様連れもいらっしゃる。やはりNHK効果なのだろうか。で、そういう観客層を見ると、その人たちにこの「ソウル・ショウ」が伝わったのかというのがちょっと心配になった。
とはいっても、彼の誰にでも愛されるキャラクターは存分にでて、その魅力はMC(トーク)でかなりの観客の心をつかむ。やっぱり明るいからいいよね、彼は。
セカンド6曲目で、フィリップと一緒に書いたという新曲を初披露。また、唯一オリジナル日本語曲となったアンコールの「世界の果て」は、吉本100本映画の「キシタコウシ」のエンディング・テーマとなった作品だ。一般のお客さんは、彼がひとりで弾き語りで歌ったため、これに印象付けられた様子だ。
さてここまで来ると、そろそろ英語の発音・ディクションもさらに一歩高めなくてはならない時期に来ている感じがする。しかし、一方で裏声、高い声の歌い方が以前よりも力強くうまくなっているように感じた。また、彼がブレンダと一緒に歌うと、いつのまにか自然と航志くんのヴォーカルもソウルフルになる。たぶんブレンダが持つソウルのDNAが瞬時に航志くんにも乗り移るのだろう。「ワイルド・ホーセス」などの掛け合いでそうしたことが顕著だ。
「ワイルド・ホーセス」を終えて航志くんがおもしろいことを言った。「ブレンダは、本気を出すとほんとにすごいんです。これはライヴに来た人にしかわかりません。ブレンダとはなんかキャッチボールをしているような感じなんです」(笑)
それにしても、オリジナルを除いて全曲、彼が生まれる前の作品をこうして歌ってしまうのだから、やはり強力な19歳だ。こんなセットリスト(曲目)で、しかも、バックはみなブラックで(フィリップはちがうが、魂・プレイはブラック=(笑))やれるシンガーはそうそういない。そうそう、後半のフィリップのハモンドのオルガン・ソロはもうのりのりで最高だった。航志くんもあらゆることにチャレンジして、どんどん前に進んでいってほしい。
なお、木下航志くんのブルース・アレーでのライヴ、次回は2008年9月11日(木)に決定、さらにその次も12月に行うことが決まっている。大体3ヶ月に一度にやっていくような感じだ。
■ 過去記事
2004/04/30 (Fri)
Kishita Koushi: 14-Year-Old Genius, I’d Call Him "Little Koushi"
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040430.html
最初の出会いなどについて。
August 30, 2007
Kishita Kohshi Live At Shinagawa Church: Can I Get A Witness?
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200708/2007_08_30.html
(木下航志・過去記事一覧はここに)
■メンバー
木下航志 『Do The Soul!! vol.1』@BAJ on 8th June ’08
(Vo/Pf/Rhodes)木下航志 (Ds)JAY STIXX (G)PAT PRYOR (B)KEITH WILLIAMSON (Key)PHILIP WOO (Cho)BRENDA VAUGHN ANOTHONY BAILEY
■セットリスト 木下航志 ブルース・アレー
Setlist : Kishita Koushi @ Blues Alley, June 8th, 2008
[ ] denotes original artist
First set
Show started 18:39
01. Valdes In The Country [Donny Hathaway]
02. Summer Breeze [Seales & Crofts, Isley Brothers]
03. Stevie Wonder Medley:
Intro (I Wish) --Isn’t She Lovely
04. Lately
05. You’re The Sunshine Of My Life
06. Wild Horses [Rolling Stones, Alicia Keys](with Brenda Vaughn)
07. Mess Around(Japanese Lyric Version) [Ray Charles]
Show ended 19:27
Second set
Show started 20.01
01. Everything Is Everything [Donny Hathaway]
02. Bridge Over Troubled Water [Simon & Garfunkel, Aretha Franklin]
03. Groovin’ [Rascals, Aretha Franklin]
04. What’cha Gonna Do For Me [Chaka Khan]
05. A Change Is Gonna Come [Sam Cooke]
06. We Got Rhythm [Kishita Koushi & Philip Woo] [new original song]
07. One Love [Bob Marley] -- People Get Ready [Curtis Mayfield]
08. Enc. You’ve Got A Friend [Carol King, James Taylor, Donny Hathaway] (with Brenda Vaughn)
Enc. What’s Going On [Marvin Gaye, Donny Hathaway, Chaka Khan]
Enc. Sekai No Hate [original]
Show ended 21:25
(2008年6月8日日曜、目黒ブルース・アレー=木下航志ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Kishita, Koushi
2008-98
新社会人。
高校を卒業し、新社会人1年生になった木下航志くんの目黒ブルース・アレーライヴ。(航志くんは1989年5月8日生まれ、平成元年生まれの19歳) 彼がこのブルース・アレーのステージに初めて立ったのは、2005年6月26日のこと。『ソウル・サーチン』イヴェントのレイ・チャールズの回にゲストで登場した。それ以来、航志くんは『ソウル・サーチン』の「レギュラー・ゲスト」になり、マーヴィン・ゲイ、ルーサー・ヴァンドロス、アレサ・フランクリンと4回連続の出演となっている。また、ほかにフィリップ・ウーのライヴ、ブレンダ・ヴォーンのライヴでもゲストで登場している。そんな航志くんが自分名義のフル・ショウでブルース・アレーに初登場となった。そして立ち見もでるほどの超満員。ある意味、これもまた感無量だ。
今回のライヴのテーマは、『ドゥ・ザ・ソウル』。ソウル・ミュージックをやる、ということで、アンコール1曲以外すべてソウル系の作品になった。バックを支えるのは、最近の航志くんのピアノの先生、フィリップ・ウーが集めたバンド。メンバーは、ジェイ・スティックス(ドラムス)、キース・ウィリアムソン(ベース)、パット・プライアー(ギター)、そしてコーラスにブレンダ・ヴォーンとアンソニー・ベイリー。みなブラザーとシスター、まさにソウル・ショウにふさわしい強力なメンバーが集まっている。バックがみんなアフリカン・アメリカンなら、否が応でもソウルな雰囲気は伝わる。そして、披露される曲もこれまで彼自身のライヴやゲストで『ソウル・サーチン』などで歌い、着実にレパートリーとして増やしている作品が中心。
ところで、観客はやはり航志くんファンと見受けられる方々が多く、年齢層もけっこう高い。しかも女性ファンが多い。7割から8割が女性という感じがした。また、お子様連れもいらっしゃる。やはりNHK効果なのだろうか。で、そういう観客層を見ると、その人たちにこの「ソウル・ショウ」が伝わったのかというのがちょっと心配になった。
とはいっても、彼の誰にでも愛されるキャラクターは存分にでて、その魅力はMC(トーク)でかなりの観客の心をつかむ。やっぱり明るいからいいよね、彼は。
セカンド6曲目で、フィリップと一緒に書いたという新曲を初披露。また、唯一オリジナル日本語曲となったアンコールの「世界の果て」は、吉本100本映画の「キシタコウシ」のエンディング・テーマとなった作品だ。一般のお客さんは、彼がひとりで弾き語りで歌ったため、これに印象付けられた様子だ。
さてここまで来ると、そろそろ英語の発音・ディクションもさらに一歩高めなくてはならない時期に来ている感じがする。しかし、一方で裏声、高い声の歌い方が以前よりも力強くうまくなっているように感じた。また、彼がブレンダと一緒に歌うと、いつのまにか自然と航志くんのヴォーカルもソウルフルになる。たぶんブレンダが持つソウルのDNAが瞬時に航志くんにも乗り移るのだろう。「ワイルド・ホーセス」などの掛け合いでそうしたことが顕著だ。
「ワイルド・ホーセス」を終えて航志くんがおもしろいことを言った。「ブレンダは、本気を出すとほんとにすごいんです。これはライヴに来た人にしかわかりません。ブレンダとはなんかキャッチボールをしているような感じなんです」(笑)
それにしても、オリジナルを除いて全曲、彼が生まれる前の作品をこうして歌ってしまうのだから、やはり強力な19歳だ。こんなセットリスト(曲目)で、しかも、バックはみなブラックで(フィリップはちがうが、魂・プレイはブラック=(笑))やれるシンガーはそうそういない。そうそう、後半のフィリップのハモンドのオルガン・ソロはもうのりのりで最高だった。航志くんもあらゆることにチャレンジして、どんどん前に進んでいってほしい。
なお、木下航志くんのブルース・アレーでのライヴ、次回は2008年9月11日(木)に決定、さらにその次も12月に行うことが決まっている。大体3ヶ月に一度にやっていくような感じだ。
■ 過去記事
2004/04/30 (Fri)
Kishita Koushi: 14-Year-Old Genius, I’d Call Him "Little Koushi"
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040430.html
最初の出会いなどについて。
August 30, 2007
Kishita Kohshi Live At Shinagawa Church: Can I Get A Witness?
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200708/2007_08_30.html
(木下航志・過去記事一覧はここに)
■メンバー
木下航志 『Do The Soul!! vol.1』@BAJ on 8th June ’08
(Vo/Pf/Rhodes)木下航志 (Ds)JAY STIXX (G)PAT PRYOR (B)KEITH WILLIAMSON (Key)PHILIP WOO (Cho)BRENDA VAUGHN ANOTHONY BAILEY
■セットリスト 木下航志 ブルース・アレー
Setlist : Kishita Koushi @ Blues Alley, June 8th, 2008
[ ] denotes original artist
First set
Show started 18:39
01. Valdes In The Country [Donny Hathaway]
02. Summer Breeze [Seales & Crofts, Isley Brothers]
03. Stevie Wonder Medley:
Intro (I Wish) --Isn’t She Lovely
04. Lately
05. You’re The Sunshine Of My Life
06. Wild Horses [Rolling Stones, Alicia Keys](with Brenda Vaughn)
07. Mess Around(Japanese Lyric Version) [Ray Charles]
Show ended 19:27
Second set
Show started 20.01
01. Everything Is Everything [Donny Hathaway]
02. Bridge Over Troubled Water [Simon & Garfunkel, Aretha Franklin]
03. Groovin’ [Rascals, Aretha Franklin]
04. What’cha Gonna Do For Me [Chaka Khan]
05. A Change Is Gonna Come [Sam Cooke]
06. We Got Rhythm [Kishita Koushi & Philip Woo] [new original song]
07. One Love [Bob Marley] -- People Get Ready [Curtis Mayfield]
08. Enc. You’ve Got A Friend [Carol King, James Taylor, Donny Hathaway] (with Brenda Vaughn)
Enc. What’s Going On [Marvin Gaye, Donny Hathaway, Chaka Khan]
Enc. Sekai No Hate [original]
Show ended 21:25
(2008年6月8日日曜、目黒ブルース・アレー=木下航志ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Kishita, Koushi
2008-98
【シャカ(チャカ)・カーンのステージにあがったユリさん】
ご縁。
シャカは日曜日大阪に移動。月曜から3日間、ビルボード大阪で大旋風を巻き起こすことだろう。さて、土曜日セカンドでシャカのステージに上ったユリさん。(アーティスト表記はYURI) どういう経緯でステージに上がったのかきいた。
ユリさんは木曜日にシャカのライヴを見に行き、このとき幸運にも久保田さんとともに楽屋に行け、シャカ本人に会うことができた。世間話をしている中で、彼女も歌を歌うということがわかり、シャカに「じゃあ、ちょっと歌ってみてよ」と言われ、その場で「テル・ミー・サムシング・グッド」「ユー・ガット・ラヴ」の数フレーズをアカペラで歌った。するとそれを聴いたシャカが気に入って「今度(ライヴに)来る機会があったら、一緒に歌いましょう」と言ってくれたのだ。
半分は社交辞令かとも思いつつ、がぜん乗り気になった彼女は、だめもとで東京最終日、土曜日のセカンドに出向く。シャカのセキュリティーが厳しく、ライヴ前には本人には会えなかったが、いちおうそのセキュリティーにユリが来ていることを伝えた。彼女が座った席は1階のミュージシャンが通っていくあたり。
シャカがステージに進むときには、シャカは彼女に気がつかなかったが、セキュリティーが途中で「ユリが来ている」という紙をシャカに渡したところ、「ユー・ガット・ザ・ラヴ」のところで、ステージに上げられた、というわけだ。本人曰く、「意外とあがらなかった」とのこと。かなりの強心臓だ。
ユリさんは、神戸生まれ。ボストンのバークリー音楽院出身。その後アメリカ東海岸を本拠に約10年ほど音楽活動を続け、その頃、多くのアメリカ人ソウル系アーティストたちと知己を得た。2006年に本格的に活動の拠点を日本に移した。最近だと久保田利伸、AIのバックコーラスなどを担当。またさまざまなセッションなどにも参加している。今年公開された映画『アメリカン・ギャングスター』(デンゼル・ワシントン、ラッセル・クロウ主演)でも、歌が使われている。
僕は2006年、久保田利伸のバックバンドであるフィリップ・ウー&ニューヨーク・オールスターズの一員として彼女を初めて見た。その後2007年3月の『ソウル・サーチン:ザ・セッション』、木下航志の品川教会ライヴなどで歌ってもらった。また、2007年8月には本人名義として初のライヴを渋谷JZブラットで行っている。
1980年代のシャカ・カーンのツアー用バンドのドラマーは、日本人の沼澤尚さんだった。それを考えると、ユリさんがシャカのバックコーラスの一員になることも、まったく可能性がないわけではない。彼女はシャカから連絡先を聞かれたので、しっかり渡しておいたそうだ。これもご縁だ。なんか夢が広がるような話だ。
■ お願い 来日履歴調査中
ところで、筆者は現在シャカ・カーンの来日履歴を調べております。なかなかコンプリートにならないのですが、どなたか情報お持ちの方いらっしゃいましたら ebs@st.rim.or.jp までおよせください。現在判明しているものは、次の通りです。
1976年 東京音楽祭エントリー(ルーファスで)(初来日)
(ルーファス来日はもう一回くらいあったような気も、ただし確証なし)
(以下はシャカ・カーン・ソロ)
1982年3月 ライヴ・イン82
1984年5月1日、2日 中野サンプラザ、そのほか
1989年5月 (人見記念)??
1991年 横浜アポロシアター
1992年5月18日〜 ブルーノート
1993年 ??
1997年5月26日 新潟フェイズ ほか
2003年8月23日、24日 東京ジャズ
2003年10月10日 武道館
2008年6月2日〜 ビルボード東京、ビルボード大阪
■本人のブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/divafresh/diary/200806090000/
■ユリ関連記事
May 23, 2007
Philip & Hank, Yuri Kamino : Mind To Mind Communication
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200705/2007_05_23.html
August 10, 2007
Yuri’s First Her Own Live:
http://blog.soulsearchin.com/archives/001947.html
(YURI名義の初ライヴ)
March 27, 2007
Soul Searchin: The Session〜A Tribute To Aretha Franklin (Part 1)
http://blog.soulsearchin.com/archives/001671.html
March 29, 2007
Soul Searchin: (Part 3): The Beauty Of Background Vocals
http://blog.soulsearchin.com/archives/001673.html
February 16, 2007
Philip Woo & Friends @ Cha Cha House
http://blog.soulsearchin.com/archives/001592.html
July 13, 2006
Philip Woo Band: So Tight, So Funky
http://blog.soulsearchin.com/archives/001141.html
(初めて彼女の歌を聴いたときの記事)
■ シャカ・カーン関連記事・今回ライヴ評など
June 08, 2008
Chaka Khan (Part 3) : More Chaka Khan At Billboard
http://blog.soulsearchin.com/archives/002557.html
June 07, 2008
Chaka Khan (Part 2) “Through The Fire” Is Chaka Khan’s Soul Searchin’ Song
http://blog.soulsearchin.com/archives/002556.html
(「スルー・ザ・ファイアー」物語、その24年の重み)
June 03, 2008
Chaka Khan (Part 1) Chaka Khan Live @ Hi Energy Performance
http://blog.soulsearchin.com/archives/002552.html
2008年6月2日(月)ビルボード・ライヴのライヴ評
2003/10/11 (Sat)
Chaka Khan Live @ Budoukan: One & Only Voice Still Shines
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/diary20031011.html
(2003年前回来日ライヴ評)
ENT>MUSIC>LIVE>Khan, Chaka
ENT>MUSIC>ARTIST>Khan, Chaka
ENT>MUSIC>ARTIST>Kamino, Yuri
ご縁。
シャカは日曜日大阪に移動。月曜から3日間、ビルボード大阪で大旋風を巻き起こすことだろう。さて、土曜日セカンドでシャカのステージに上ったユリさん。(アーティスト表記はYURI) どういう経緯でステージに上がったのかきいた。
ユリさんは木曜日にシャカのライヴを見に行き、このとき幸運にも久保田さんとともに楽屋に行け、シャカ本人に会うことができた。世間話をしている中で、彼女も歌を歌うということがわかり、シャカに「じゃあ、ちょっと歌ってみてよ」と言われ、その場で「テル・ミー・サムシング・グッド」「ユー・ガット・ラヴ」の数フレーズをアカペラで歌った。するとそれを聴いたシャカが気に入って「今度(ライヴに)来る機会があったら、一緒に歌いましょう」と言ってくれたのだ。
半分は社交辞令かとも思いつつ、がぜん乗り気になった彼女は、だめもとで東京最終日、土曜日のセカンドに出向く。シャカのセキュリティーが厳しく、ライヴ前には本人には会えなかったが、いちおうそのセキュリティーにユリが来ていることを伝えた。彼女が座った席は1階のミュージシャンが通っていくあたり。
シャカがステージに進むときには、シャカは彼女に気がつかなかったが、セキュリティーが途中で「ユリが来ている」という紙をシャカに渡したところ、「ユー・ガット・ザ・ラヴ」のところで、ステージに上げられた、というわけだ。本人曰く、「意外とあがらなかった」とのこと。かなりの強心臓だ。
ユリさんは、神戸生まれ。ボストンのバークリー音楽院出身。その後アメリカ東海岸を本拠に約10年ほど音楽活動を続け、その頃、多くのアメリカ人ソウル系アーティストたちと知己を得た。2006年に本格的に活動の拠点を日本に移した。最近だと久保田利伸、AIのバックコーラスなどを担当。またさまざまなセッションなどにも参加している。今年公開された映画『アメリカン・ギャングスター』(デンゼル・ワシントン、ラッセル・クロウ主演)でも、歌が使われている。
僕は2006年、久保田利伸のバックバンドであるフィリップ・ウー&ニューヨーク・オールスターズの一員として彼女を初めて見た。その後2007年3月の『ソウル・サーチン:ザ・セッション』、木下航志の品川教会ライヴなどで歌ってもらった。また、2007年8月には本人名義として初のライヴを渋谷JZブラットで行っている。
1980年代のシャカ・カーンのツアー用バンドのドラマーは、日本人の沼澤尚さんだった。それを考えると、ユリさんがシャカのバックコーラスの一員になることも、まったく可能性がないわけではない。彼女はシャカから連絡先を聞かれたので、しっかり渡しておいたそうだ。これもご縁だ。なんか夢が広がるような話だ。
■ お願い 来日履歴調査中
ところで、筆者は現在シャカ・カーンの来日履歴を調べております。なかなかコンプリートにならないのですが、どなたか情報お持ちの方いらっしゃいましたら ebs@st.rim.or.jp までおよせください。現在判明しているものは、次の通りです。
1976年 東京音楽祭エントリー(ルーファスで)(初来日)
(ルーファス来日はもう一回くらいあったような気も、ただし確証なし)
(以下はシャカ・カーン・ソロ)
1982年3月 ライヴ・イン82
1984年5月1日、2日 中野サンプラザ、そのほか
1989年5月 (人見記念)??
1991年 横浜アポロシアター
1992年5月18日〜 ブルーノート
1993年 ??
1997年5月26日 新潟フェイズ ほか
2003年8月23日、24日 東京ジャズ
2003年10月10日 武道館
2008年6月2日〜 ビルボード東京、ビルボード大阪
■本人のブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/divafresh/diary/200806090000/
■ユリ関連記事
May 23, 2007
Philip & Hank, Yuri Kamino : Mind To Mind Communication
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200705/2007_05_23.html
August 10, 2007
Yuri’s First Her Own Live:
http://blog.soulsearchin.com/archives/001947.html
(YURI名義の初ライヴ)
March 27, 2007
Soul Searchin: The Session〜A Tribute To Aretha Franklin (Part 1)
http://blog.soulsearchin.com/archives/001671.html
March 29, 2007
Soul Searchin: (Part 3): The Beauty Of Background Vocals
http://blog.soulsearchin.com/archives/001673.html
February 16, 2007
Philip Woo & Friends @ Cha Cha House
http://blog.soulsearchin.com/archives/001592.html
July 13, 2006
Philip Woo Band: So Tight, So Funky
http://blog.soulsearchin.com/archives/001141.html
(初めて彼女の歌を聴いたときの記事)
■ シャカ・カーン関連記事・今回ライヴ評など
June 08, 2008
Chaka Khan (Part 3) : More Chaka Khan At Billboard
http://blog.soulsearchin.com/archives/002557.html
June 07, 2008
Chaka Khan (Part 2) “Through The Fire” Is Chaka Khan’s Soul Searchin’ Song
http://blog.soulsearchin.com/archives/002556.html
(「スルー・ザ・ファイアー」物語、その24年の重み)
June 03, 2008
Chaka Khan (Part 1) Chaka Khan Live @ Hi Energy Performance
http://blog.soulsearchin.com/archives/002552.html
2008年6月2日(月)ビルボード・ライヴのライヴ評
2003/10/11 (Sat)
Chaka Khan Live @ Budoukan: One & Only Voice Still Shines
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/diary20031011.html
(2003年前回来日ライヴ評)
ENT>MUSIC>LIVE>Khan, Chaka
ENT>MUSIC>ARTIST>Khan, Chaka
ENT>MUSIC>ARTIST>Kamino, Yuri
【アンドレア・ホプキンス@イル・ブッテロ】
金曜夜。
広尾の瀟洒な一軒家レストラン「イル・ブッテロ」で、ソウルのライヴ演奏。ミュージック・チャージはなしで、以前、フィリップ・ウーのライヴでフィーチャード・シンガーとして歌ったアンドレア・ホプキンスのショウ。実はアンドレの夫であるシルヴァーノさんが持つのがこのレストラン。ふだんは、落ち着いた、しかしカジュアルなイタリアン・レストランだ。ここに簡易PAと照明を持ち込み、ステージを作った。
メンバーは、フィリップ・ウーを始め、ジェイ・スティックス、キース・ウィリアムソン、ハンコ屋さんの4人にコーラス2人(アンソニー・ベイリーとタイニース・ヒントン)という豪華版。シルヴァーノさんの趣味でたまにこうしたライヴを行っているという。
僕はセカンドから見たが、超満員。テーブルが大きいので、5−60人以上ははいっていたか。しかし、後ろのほうの席はステージは見えない。普通に食事をしている。ふだん、このお店に来ているお客さんが多かったようだ。さすがに音響は簡易だけにそれ相応だが、アップテンポの曲になると、お客さん、みな立ち上がって、リズムに体を揺らす。普通にそこにある音楽をエンジョイする。外人比率高し。みんなが知ってる曲をカヴァー・バンドがやって、金曜の夜を楽しむ、こういう気楽なパーティー・バンドもいいかもしれない。東京の夜を楽しむひとつの方法だ。
それにしても、選曲がベタで受ける。しかし、こんなところでセットリストをメモる僕って何? う〜ん、セットリスト・マニアの悲しい性だあ。(苦笑)また半年に1回くらいの割りでやるそうなので、そのときはお知らせします。
■ メンバー
Funk Night @ Il Buttero
Andrea Hopkins (vocal), Philip Woo (Keyboards), Keith Williamson (Bass), Jay Stixx (Drums), Nishiyama ‘Hank’ Fumio (Guitar), Anthony Bailey (Vocal), Tynice Hinton (Vocal)
■セットリスト アンドレア・ホプキンス
Setlist : Andrea Hopkins Live @ Il Buttero, June 6th, 2008
[ ] denotes original artist
Show started 21:10
01. Dock Of The Bay [Otis Redding]
02. I Will Survive [Gloria Gaynor]
03. I Wish [Stevie Wonder]
04. Long Train Running [Doobie Brothers]
05. Yes We Can Can [Pointer Sisters]
06. Believe [Cher]
07. Because Of You [Neyo](Anthony sings)
08. Ain’t Nobody [Rufus & Chaka Khan]
Enc. September [Earth Wind & Fire]
Show ended 22:04
1st set
01. Street Life [Crusaders]
02. Everything Must Change [George Benson, Randy Crawford]
03. Just Be Good To Me [SOS Band]
04. Midnight Train To Georgia [Gladys Knight & The Pips]
05. I’ll Be Good To You [Brothers Johnson, Quincy Jones]
06. Killing Me Softly With His Song [Roberta Flack]
(2008年6月6日金曜、広尾イル・ブッテロ=アンドレア・ホプキンス・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Hopkins, Andrea
金曜夜。
広尾の瀟洒な一軒家レストラン「イル・ブッテロ」で、ソウルのライヴ演奏。ミュージック・チャージはなしで、以前、フィリップ・ウーのライヴでフィーチャード・シンガーとして歌ったアンドレア・ホプキンスのショウ。実はアンドレの夫であるシルヴァーノさんが持つのがこのレストラン。ふだんは、落ち着いた、しかしカジュアルなイタリアン・レストランだ。ここに簡易PAと照明を持ち込み、ステージを作った。
メンバーは、フィリップ・ウーを始め、ジェイ・スティックス、キース・ウィリアムソン、ハンコ屋さんの4人にコーラス2人(アンソニー・ベイリーとタイニース・ヒントン)という豪華版。シルヴァーノさんの趣味でたまにこうしたライヴを行っているという。
僕はセカンドから見たが、超満員。テーブルが大きいので、5−60人以上ははいっていたか。しかし、後ろのほうの席はステージは見えない。普通に食事をしている。ふだん、このお店に来ているお客さんが多かったようだ。さすがに音響は簡易だけにそれ相応だが、アップテンポの曲になると、お客さん、みな立ち上がって、リズムに体を揺らす。普通にそこにある音楽をエンジョイする。外人比率高し。みんなが知ってる曲をカヴァー・バンドがやって、金曜の夜を楽しむ、こういう気楽なパーティー・バンドもいいかもしれない。東京の夜を楽しむひとつの方法だ。
それにしても、選曲がベタで受ける。しかし、こんなところでセットリストをメモる僕って何? う〜ん、セットリスト・マニアの悲しい性だあ。(苦笑)また半年に1回くらいの割りでやるそうなので、そのときはお知らせします。
■ メンバー
Funk Night @ Il Buttero
Andrea Hopkins (vocal), Philip Woo (Keyboards), Keith Williamson (Bass), Jay Stixx (Drums), Nishiyama ‘Hank’ Fumio (Guitar), Anthony Bailey (Vocal), Tynice Hinton (Vocal)
■セットリスト アンドレア・ホプキンス
Setlist : Andrea Hopkins Live @ Il Buttero, June 6th, 2008
[ ] denotes original artist
Show started 21:10
01. Dock Of The Bay [Otis Redding]
02. I Will Survive [Gloria Gaynor]
03. I Wish [Stevie Wonder]
04. Long Train Running [Doobie Brothers]
05. Yes We Can Can [Pointer Sisters]
06. Believe [Cher]
07. Because Of You [Neyo](Anthony sings)
08. Ain’t Nobody [Rufus & Chaka Khan]
Enc. September [Earth Wind & Fire]
Show ended 22:04
1st set
01. Street Life [Crusaders]
02. Everything Must Change [George Benson, Randy Crawford]
03. Just Be Good To Me [SOS Band]
04. Midnight Train To Georgia [Gladys Knight & The Pips]
05. I’ll Be Good To You [Brothers Johnson, Quincy Jones]
06. Killing Me Softly With His Song [Roberta Flack]
(2008年6月6日金曜、広尾イル・ブッテロ=アンドレア・ホプキンス・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Hopkins, Andrea
【シャカ(チャカ)・カーン来日履歴・調査中】
調査中。
2008年6月10日付けブログで一部紹介したシャカ・カーンの来日履歴。すでに何人かの読者の方からメール、情報提供をいただきました。ありがとうございます。それにしても、ぞくぞくと出てくる、というのが正直な感想。こんなに来日していたか、というところです。途中経過ですが、一度まとめてみます。引き続き情報などありましたら、おぼろげでもけっこうですのでebs@st.rim.or.jp までおよせください。来日日付が一日しかないものは、たぶん、その前後に日本全国のどこかでライヴをやっているものと思われます。
これをまとめるとソロで19回(ジャズ・フェスでのゲスト含める)、ルーファスで1回か2回、20回以上の来日となります。
■シャカ・カーン来日履歴(2008年6月12日現在まで判明分)
1976年6月20日 東京音楽祭エントリー・中野サンプラザ(ルーファスで)(初来日)
(ルーファス来日はもう一回くらいあったらしい。トニー・メイデンは2度来たような気がするとコメントしているようだ。それがルーファスとしてか、シャカのバックとしてかは不明)
(以下はシャカ・カーン・ソロ、ジャズ・フェスのゲストも含む)
1982年3月15日〜 渋谷ライヴ・イン82(3月15日、16日、20日〜22日)
1982年3月20日=大阪・バラード
1982年4月19日〜 オーレックス・ジャズ・フェスティヴァル (スタンリー・クラーク・グループの一員。この年は3月、4月と2ヶ月のうちに2度来日した)
1983年 ??2年連続で来日??(未確認=ないかも)
1984年5月1日、2日 中野サンプラザ、 5月3日=大阪厚生年金 5月4日=名古屋勤労会館 (グローバル・エンタープライズ招聘?)
1985年6月 場所不明
1989年5月 人見記念ほか (神原音楽事務所・招聘?)
1990年11月11日〜11月18日(12日を除く)横浜 本牧アポロシアター
1991年 民音招聘・チャカ・カーン(厚生年金??)
1992年5月18日〜23日 ブルーノート東京
1992年11月25日,26日 新宿厚生年金
1993年8月21日、22日、マウント・フジ・ジャズ・フェス (自己名義デノショウ)
1993年10月9日 渋谷オンエアー
1993年 ?? 大阪ブルーノート?? どこかこの前後で大阪ブルーノート(年号日時わからず=1993年より以前と思われる。あるいは93年か)
1994年7月末〜 8月1日 新宿厚生年金
1997年5月17日 新宿厚生年金
1997年5月26日 新潟フェイズ ほか (上記と同一来日)
(2000年3月21日〜)ブルーノート東京で予定だったが急病で中止。代打でデイヴィッド・サンボーン。シャカの振り替えはなかった模様。
2000年12月31日 東京ビッグサイトNEW MILLENNIUM COUNTDOWN(下記に詳細)(イヴェントにゲスト出演)
2003年8月23日、24日 東京ジャズ (ダイアン・クロールの代打で登場。ライヴ自体は単独)(下記にセットリスト・メンバー)
2003年10月10日 武道館(スカパラとの対バン。スカパラが前座。シャカが単独でトリを演じる。ライヴ的には単独ライヴ)(下記にセットリスト)
2008年6月2日〜 ビルボード東京、ビルボード大阪
++++++
2003年8月23日、24日 東京ジャズ (ダイアナ・クロールの代打で登場。ライヴ自体は単独)
セットリスト
1. And The Melody Still Lingers On (Night In Tunisia)
2. My Funny Valentine
3. The End of A Love Affair
4. Them There Eyes
5. I Wish You Love
6. I Loves You, Porgy
7. Take The “A “Train
8. What’s Going On
メンバー
Chaka Khan (Vo)
Herbie Hancock (Pf)
Jack DeJohnette (Ds)
Christian McBride (Ba)
Joshua Redman (8.のみ) (Sax)
渡辺 香津美 (8.のみ) (Gt)
Chaka Khan Setlist 10/11/2003 @ Budoukan
1. I Feel For You
2. Whatcha Gonna Do For Me
3. You’ve Got The Love
4. Until You Come Back To Me
5. Tell Me Something Good
6. Hollywood
7. Sweet Thing
8. My Funny Valentine
9. (Whip In The House?) I’m Every Woman
◇NEW MILLENNIUM COUNTDOWN
日時:2000年12月31日(日)-2001年1月1日(月)
時間:開場 20:00 開演 21:00 - 終演 06:00(予定)
会場:東京ビッグサイト 東展示棟「ホール1・3・4・5・6」
内容:あらゆるジャンルのアーティスト達による2001年のカウントダウンコンサート
出演予定アーティスト:
【HOUSE ZONE (東棟ホール1)】
LIVE: CHAKA KHAN(from LA)
DJ:TODD TERRY(from NYC),DANNY KRAVIT(Body&Soul/NYC)
EMMA(MALAWAI ROCKS/NITELIST MUSIC),
沖野 修也(kyoto jazz massive/cosmic village)他
+++++
ENT>MUSIC>LIVE>Khan, Chaka
ENT>MUSIC>ARTIST>Khan, Chaka
調査中。
2008年6月10日付けブログで一部紹介したシャカ・カーンの来日履歴。すでに何人かの読者の方からメール、情報提供をいただきました。ありがとうございます。それにしても、ぞくぞくと出てくる、というのが正直な感想。こんなに来日していたか、というところです。途中経過ですが、一度まとめてみます。引き続き情報などありましたら、おぼろげでもけっこうですのでebs@st.rim.or.jp までおよせください。来日日付が一日しかないものは、たぶん、その前後に日本全国のどこかでライヴをやっているものと思われます。
これをまとめるとソロで19回(ジャズ・フェスでのゲスト含める)、ルーファスで1回か2回、20回以上の来日となります。
■シャカ・カーン来日履歴(2008年6月12日現在まで判明分)
1976年6月20日 東京音楽祭エントリー・中野サンプラザ(ルーファスで)(初来日)
(ルーファス来日はもう一回くらいあったらしい。トニー・メイデンは2度来たような気がするとコメントしているようだ。それがルーファスとしてか、シャカのバックとしてかは不明)
(以下はシャカ・カーン・ソロ、ジャズ・フェスのゲストも含む)
1982年3月15日〜 渋谷ライヴ・イン82(3月15日、16日、20日〜22日)
1982年3月20日=大阪・バラード
1982年4月19日〜 オーレックス・ジャズ・フェスティヴァル (スタンリー・クラーク・グループの一員。この年は3月、4月と2ヶ月のうちに2度来日した)
1983年 ??2年連続で来日??(未確認=ないかも)
1984年5月1日、2日 中野サンプラザ、 5月3日=大阪厚生年金 5月4日=名古屋勤労会館 (グローバル・エンタープライズ招聘?)
1985年6月 場所不明
1989年5月 人見記念ほか (神原音楽事務所・招聘?)
1990年11月11日〜11月18日(12日を除く)横浜 本牧アポロシアター
1991年 民音招聘・チャカ・カーン(厚生年金??)
1992年5月18日〜23日 ブルーノート東京
1992年11月25日,26日 新宿厚生年金
1993年8月21日、22日、マウント・フジ・ジャズ・フェス (自己名義デノショウ)
1993年10月9日 渋谷オンエアー
1993年 ?? 大阪ブルーノート?? どこかこの前後で大阪ブルーノート(年号日時わからず=1993年より以前と思われる。あるいは93年か)
1994年7月末〜 8月1日 新宿厚生年金
1997年5月17日 新宿厚生年金
1997年5月26日 新潟フェイズ ほか (上記と同一来日)
(2000年3月21日〜)ブルーノート東京で予定だったが急病で中止。代打でデイヴィッド・サンボーン。シャカの振り替えはなかった模様。
2000年12月31日 東京ビッグサイトNEW MILLENNIUM COUNTDOWN(下記に詳細)(イヴェントにゲスト出演)
2003年8月23日、24日 東京ジャズ (ダイアン・クロールの代打で登場。ライヴ自体は単独)(下記にセットリスト・メンバー)
2003年10月10日 武道館(スカパラとの対バン。スカパラが前座。シャカが単独でトリを演じる。ライヴ的には単独ライヴ)(下記にセットリスト)
2008年6月2日〜 ビルボード東京、ビルボード大阪
++++++
2003年8月23日、24日 東京ジャズ (ダイアナ・クロールの代打で登場。ライヴ自体は単独)
セットリスト
1. And The Melody Still Lingers On (Night In Tunisia)
2. My Funny Valentine
3. The End of A Love Affair
4. Them There Eyes
5. I Wish You Love
6. I Loves You, Porgy
7. Take The “A “Train
8. What’s Going On
メンバー
Chaka Khan (Vo)
Herbie Hancock (Pf)
Jack DeJohnette (Ds)
Christian McBride (Ba)
Joshua Redman (8.のみ) (Sax)
渡辺 香津美 (8.のみ) (Gt)
Chaka Khan Setlist 10/11/2003 @ Budoukan
1. I Feel For You
2. Whatcha Gonna Do For Me
3. You’ve Got The Love
4. Until You Come Back To Me
5. Tell Me Something Good
6. Hollywood
7. Sweet Thing
8. My Funny Valentine
9. (Whip In The House?) I’m Every Woman
◇NEW MILLENNIUM COUNTDOWN
日時:2000年12月31日(日)-2001年1月1日(月)
時間:開場 20:00 開演 21:00 - 終演 06:00(予定)
会場:東京ビッグサイト 東展示棟「ホール1・3・4・5・6」
内容:あらゆるジャンルのアーティスト達による2001年のカウントダウンコンサート
出演予定アーティスト:
【HOUSE ZONE (東棟ホール1)】
LIVE: CHAKA KHAN(from LA)
DJ:TODD TERRY(from NYC),DANNY KRAVIT(Body&Soul/NYC)
EMMA(MALAWAI ROCKS/NITELIST MUSIC),
沖野 修也(kyoto jazz massive/cosmic village)他
+++++
ENT>MUSIC>LIVE>Khan, Chaka
ENT>MUSIC>ARTIST>Khan, Chaka
▼Soul Singer Bill Coday Dies At 66
2008年6月13日【ビル・コデイ死去】
死去。
いわゆるサザン・ソウル・シンガーとして知られるビル・コデイが去る2008年6月7日(土)、テネシー州メンフィスのメソディスト大学病院で死去した。66歳。
ビル・コデイは、ミシシッピ州テイト・カウンティーのコールド・ウォーターという街に1942年5月10日生まれた。その後1961年シカゴに移り住み、ここですでに地元で活躍していた女性ソウル・シンガー、デニース・ラサールと知り合い、彼女に認められデニースのバック・シンガーとして活動。その後、自身のレコードも出すようになった。ビルはデニースがオウナーであるケイジョン・レコードから「シックスティー・ミニット・ティーザー」(1970年)、「ユーアー・ゴナ・ウォント・ミー」、「ゲット・ユア・ライ・ストレート」(1971年ソウル・チャート入り)などのローカル・ヒットを放つ。この時代の作品は、メンフィスのハイ・サウンド(ロイヤル・レコーディング・スタジオ)で、後にアル・グリーンで大当たりをとるプロデューサー、ウィリー・ミッチェルのプロデュースで録音されており、日本のその筋でも人気が高い。
その後1973年メジャーのエピック・レコードと契約、1973年「アイム・バック・トゥ・コレクト」、1976年シングル「アイ・ドント・ウォナ・プレイ・ディス・ゲーム」と2枚をリリース。また後者は、後にリリースされるコンピレーション・アルバム『ロスト・ソウル』に収録され注目を集めた。1980年代からはメンフィスのエコー・レコードからレコードをリリース、1990年代にかけては、ツアーを多数行い、自身のレーベル、B&Jレコードをメンフィスに設立していた。デニースは妻。
彼のシンガーとしての魅力は、サザン・ソウル・シンガーとして深みのあるディープな唱法。メンフィスのスタジオで録音されたものは、日本ではヴィヴィッド・サウンドからリリースされた。また、2008年3月に日本発売されたソウル・コンピ『ザ・ロスト・ソウル・ジェム』に、エピック時代の2曲「アイ・ドント・ウォナ・プレイ・ディス・ゲーム」と「ア・マン・キャント・ビー・ア・マン」が収録されている。これは、1976年にシングル発売された両面。
基本的にはシングル主体のシンガーだったので、一般的知名度は獲得できなかったが、シングルを集めたアルバムなどもリリースされ、サザン・ソウル好きの人たちから熱い支持を集めた。
ご冥福をお祈りする。
■ 『スニーキン・バック』(1995年)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000003H5W/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>OBITUARY>Coday, Bill (May 10, 1942 -- June 7, 2008 (66)
死去。
いわゆるサザン・ソウル・シンガーとして知られるビル・コデイが去る2008年6月7日(土)、テネシー州メンフィスのメソディスト大学病院で死去した。66歳。
ビル・コデイは、ミシシッピ州テイト・カウンティーのコールド・ウォーターという街に1942年5月10日生まれた。その後1961年シカゴに移り住み、ここですでに地元で活躍していた女性ソウル・シンガー、デニース・ラサールと知り合い、彼女に認められデニースのバック・シンガーとして活動。その後、自身のレコードも出すようになった。ビルはデニースがオウナーであるケイジョン・レコードから「シックスティー・ミニット・ティーザー」(1970年)、「ユーアー・ゴナ・ウォント・ミー」、「ゲット・ユア・ライ・ストレート」(1971年ソウル・チャート入り)などのローカル・ヒットを放つ。この時代の作品は、メンフィスのハイ・サウンド(ロイヤル・レコーディング・スタジオ)で、後にアル・グリーンで大当たりをとるプロデューサー、ウィリー・ミッチェルのプロデュースで録音されており、日本のその筋でも人気が高い。
その後1973年メジャーのエピック・レコードと契約、1973年「アイム・バック・トゥ・コレクト」、1976年シングル「アイ・ドント・ウォナ・プレイ・ディス・ゲーム」と2枚をリリース。また後者は、後にリリースされるコンピレーション・アルバム『ロスト・ソウル』に収録され注目を集めた。1980年代からはメンフィスのエコー・レコードからレコードをリリース、1990年代にかけては、ツアーを多数行い、自身のレーベル、B&Jレコードをメンフィスに設立していた。デニースは妻。
彼のシンガーとしての魅力は、サザン・ソウル・シンガーとして深みのあるディープな唱法。メンフィスのスタジオで録音されたものは、日本ではヴィヴィッド・サウンドからリリースされた。また、2008年3月に日本発売されたソウル・コンピ『ザ・ロスト・ソウル・ジェム』に、エピック時代の2曲「アイ・ドント・ウォナ・プレイ・ディス・ゲーム」と「ア・マン・キャント・ビー・ア・マン」が収録されている。これは、1976年にシングル発売された両面。
基本的にはシングル主体のシンガーだったので、一般的知名度は獲得できなかったが、シングルを集めたアルバムなどもリリースされ、サザン・ソウル好きの人たちから熱い支持を集めた。
ご冥福をお祈りする。
■ 『スニーキン・バック』(1995年)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000003H5W/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>OBITUARY>Coday, Bill (May 10, 1942 -- June 7, 2008 (66)
△Usher Talks A Little
2008年6月14日【アッシャー少し語る】
質疑応答。
去る2008年6月12日(木)渋谷・松涛ギャラリーでプロモーションで来日したアッシャーのプレス向け質疑応答会が行われた。ライヴ・パフォーマンスはなく、司会者といくつかの質問のやりとり、ウェッブで募集した一般の方からの質問も受けて、その後、シャンパーン・トースト。出席者全員にシャンパーンが振舞われた。
2004/04/15 (Thu)
Usher Said He Is Philosopher Of R&B: Newest "Hardest Working Man In Show Business"
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/interview/diary20040415.html
前回来日時のインタヴューの様子。↑
今回の来日は4回目。しかも内3回がプロモーションってすごい。前回の来日が2004年4月で、4年2ヶ月ぶり。
質疑は、主として最新作5作目『ヒア・アイ・スタンド』について。ちょうど3週連続で全米アルバムチャート1位という大ヒットぶり。前作『コンフェッション』は日本でも30万枚以上のセールスを記録、レコード会社も、新作を同じくらい売るように本国から大プレッシャーをかけられているそうだ。本人も、マイケル・ジャクソンの『スリラー』のようなクラシック・アルバムになってほしいと思っている。
今回はフジテレビ系『ミュージック・フェア21』(6月21日放送)に出演する。
さて、これは質疑ではでていなかったが、前作と今作との間の4年間でのアッシャー周辺の違いは何か。一番の大きな変化は、彼が彼の元スタイリストと結婚したこと。子供が生まれたこと。また、ブッキングなどを担当するタレント・エージェントを変えたこと、さらにもっとも大きいと思われるのがそれまで彼の母親がマネージャーとして動いていたが、母親をはずし、ベニー・メディーナという業界のヴェテランをマネージャーに迎えたこと、新しい弁護士を雇い入れたことなどがある。また新作は、彼のデビュー以来初めて、彼の育ての親であるLAリードがまったくかかわらずに作品が制作された。これも一大事件だ。
結婚して落ち着いた感じもするが、前回来日時もそういえば落ち着いていたことを思い出した。
■ アッシャー最新作『ヒア・アイ・スタンド』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0016J839E/soulsearchiho-22/ref=nosim/
シャンパーン、グラスに半分くらいだが飲んだら、酔っ払った。
ENT>ARTIST>Usher
質疑応答。
去る2008年6月12日(木)渋谷・松涛ギャラリーでプロモーションで来日したアッシャーのプレス向け質疑応答会が行われた。ライヴ・パフォーマンスはなく、司会者といくつかの質問のやりとり、ウェッブで募集した一般の方からの質問も受けて、その後、シャンパーン・トースト。出席者全員にシャンパーンが振舞われた。
2004/04/15 (Thu)
Usher Said He Is Philosopher Of R&B: Newest "Hardest Working Man In Show Business"
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/interview/diary20040415.html
前回来日時のインタヴューの様子。↑
今回の来日は4回目。しかも内3回がプロモーションってすごい。前回の来日が2004年4月で、4年2ヶ月ぶり。
質疑は、主として最新作5作目『ヒア・アイ・スタンド』について。ちょうど3週連続で全米アルバムチャート1位という大ヒットぶり。前作『コンフェッション』は日本でも30万枚以上のセールスを記録、レコード会社も、新作を同じくらい売るように本国から大プレッシャーをかけられているそうだ。本人も、マイケル・ジャクソンの『スリラー』のようなクラシック・アルバムになってほしいと思っている。
今回はフジテレビ系『ミュージック・フェア21』(6月21日放送)に出演する。
さて、これは質疑ではでていなかったが、前作と今作との間の4年間でのアッシャー周辺の違いは何か。一番の大きな変化は、彼が彼の元スタイリストと結婚したこと。子供が生まれたこと。また、ブッキングなどを担当するタレント・エージェントを変えたこと、さらにもっとも大きいと思われるのがそれまで彼の母親がマネージャーとして動いていたが、母親をはずし、ベニー・メディーナという業界のヴェテランをマネージャーに迎えたこと、新しい弁護士を雇い入れたことなどがある。また新作は、彼のデビュー以来初めて、彼の育ての親であるLAリードがまったくかかわらずに作品が制作された。これも一大事件だ。
結婚して落ち着いた感じもするが、前回来日時もそういえば落ち着いていたことを思い出した。
■ アッシャー最新作『ヒア・アイ・スタンド』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0016J839E/soulsearchiho-22/ref=nosim/
シャンパーン、グラスに半分くらいだが飲んだら、酔っ払った。
ENT>ARTIST>Usher
【ブラザー・コーン銀座のラウンジを熱狂させる】
熱狂。
金曜夕方ソウル・メイト、ハセヤンから電話。「今夜、銀座の『砂漠の薔薇』でソウルのイヴェントがあって、コンちゃんが歌うらしいから行かない?」という誘い。12時半くらいに六ヒルに迎えに来てというので、迎えに行って、銀座に直行した。
「砂漠の薔薇」は、ディスコのようなクラブのような、ラウンジのようなちょっとおしゃれ系の店。昨年あたりオープンした。たしかオープニングに誘われたような気がするが、行くのは初めて。
「で、今日は何のイヴェントなの?」 「さあ、よくわかんないんだよ」 中に入るとものすごい人、人、人。「コンちゃんの楽屋はどこですか」と従業員風の女の子に聞くも、「あっちだと思います」とよくわかんない答え。人をかき分けていくうちに、なんとスキンヘッドのDJアライさんとばったし。「今日のこれはなんなんですか」 「あ、これ、僕のイヴェントなんですよ」 「へえ、すごいっすねえ」
煙いし、人は多くて中でなかなか進めないし、どうしたもんかと思っていると、DJアキラさんと遭遇。「今日のこのイヴェントは何なんですか」 「さあ、僕もよくわかんないんですよ、ただ呼ばれて〜」 ついに奥の奥の部屋に進むとそこが楽屋で、その中にコンちゃんがいた。「ああ、どうもどうも」「おおっ、ハセヤン」「で、今日のこれって何なの、このすごい人は?」「なんか、僕もよくわかんないんだよ」とブラザー・コーン。なんだか、みんなよくわからないままだ。(苦笑)
するとそこに近田春夫さんがいた。ハセヤンは学生時代「近田春夫とハルヲフォン」でドラムをやっており、なんと2人はおよそ30年ぶり以上の再会だった。「いやあ、ほんと久しぶりだね。いいねえ、こういう夜の場で、偶然再会するのって」と近田さんはハセヤンと旧交を温めた。ハセヤンが近田さんを紹介してくれ、名刺を渡すと「ああ、お名前は見たことあります。このような容貌でしたか」とちょっと驚かれた。(笑) 「確か、近田さん、慶応ですよね。高校からですか」 「いや、オレ、下から」 「すごいんだよ、彼(笑)」とハセヤン。それは知らなかった。びっくり。
まもなく、着替えを済ませたブラザー・コーンがほんの半畳ほどのお立ち台のようなところに上り、「ウォント・ビー・ロング」のイントロが流れ出した。すると、身動きのとれない超満員の観客たちは、腕、こぶしを天井に突き上げ、「オリオリオリオ〜〜」と叫ぶ。この熱狂はなんだ。「ヒット曲があるってことは、本当に強いねえ」と横にいたハセヤンに言うと「コンちゃん、かっこいいねえ」。たぶん、イグザイルなどのカヴァーもあって、この曲が圧倒的に浸透しているのだろう。去年の『ソウル・パワー・サミット』でもアンコールでマーチンさんに呼び出され、ブラザー・コーンが登場したときには随分と盛り上がった。こういうのを見ると、バブルガム・ブラザース復活の機運も徐々に高まっているなあ、と思う。
なんかよくわからないイヴェントだったが、コンちゃんの人気がすごいということがわかった金曜の夜であった。
ENT>MUSIC>LIVE>Brother Korn
熱狂。
金曜夕方ソウル・メイト、ハセヤンから電話。「今夜、銀座の『砂漠の薔薇』でソウルのイヴェントがあって、コンちゃんが歌うらしいから行かない?」という誘い。12時半くらいに六ヒルに迎えに来てというので、迎えに行って、銀座に直行した。
「砂漠の薔薇」は、ディスコのようなクラブのような、ラウンジのようなちょっとおしゃれ系の店。昨年あたりオープンした。たしかオープニングに誘われたような気がするが、行くのは初めて。
「で、今日は何のイヴェントなの?」 「さあ、よくわかんないんだよ」 中に入るとものすごい人、人、人。「コンちゃんの楽屋はどこですか」と従業員風の女の子に聞くも、「あっちだと思います」とよくわかんない答え。人をかき分けていくうちに、なんとスキンヘッドのDJアライさんとばったし。「今日のこれはなんなんですか」 「あ、これ、僕のイヴェントなんですよ」 「へえ、すごいっすねえ」
煙いし、人は多くて中でなかなか進めないし、どうしたもんかと思っていると、DJアキラさんと遭遇。「今日のこのイヴェントは何なんですか」 「さあ、僕もよくわかんないんですよ、ただ呼ばれて〜」 ついに奥の奥の部屋に進むとそこが楽屋で、その中にコンちゃんがいた。「ああ、どうもどうも」「おおっ、ハセヤン」「で、今日のこれって何なの、このすごい人は?」「なんか、僕もよくわかんないんだよ」とブラザー・コーン。なんだか、みんなよくわからないままだ。(苦笑)
するとそこに近田春夫さんがいた。ハセヤンは学生時代「近田春夫とハルヲフォン」でドラムをやっており、なんと2人はおよそ30年ぶり以上の再会だった。「いやあ、ほんと久しぶりだね。いいねえ、こういう夜の場で、偶然再会するのって」と近田さんはハセヤンと旧交を温めた。ハセヤンが近田さんを紹介してくれ、名刺を渡すと「ああ、お名前は見たことあります。このような容貌でしたか」とちょっと驚かれた。(笑) 「確か、近田さん、慶応ですよね。高校からですか」 「いや、オレ、下から」 「すごいんだよ、彼(笑)」とハセヤン。それは知らなかった。びっくり。
まもなく、着替えを済ませたブラザー・コーンがほんの半畳ほどのお立ち台のようなところに上り、「ウォント・ビー・ロング」のイントロが流れ出した。すると、身動きのとれない超満員の観客たちは、腕、こぶしを天井に突き上げ、「オリオリオリオ〜〜」と叫ぶ。この熱狂はなんだ。「ヒット曲があるってことは、本当に強いねえ」と横にいたハセヤンに言うと「コンちゃん、かっこいいねえ」。たぶん、イグザイルなどのカヴァーもあって、この曲が圧倒的に浸透しているのだろう。去年の『ソウル・パワー・サミット』でもアンコールでマーチンさんに呼び出され、ブラザー・コーンが登場したときには随分と盛り上がった。こういうのを見ると、バブルガム・ブラザース復活の機運も徐々に高まっているなあ、と思う。
なんかよくわからないイヴェントだったが、コンちゃんの人気がすごいということがわかった金曜の夜であった。
ENT>MUSIC>LIVE>Brother Korn
●Ali Ollie Woodson Live At Kentos
2008年6月16日(セットリストなどがあります。これからごらんになる方は、ご自身の判断でお読みください)
【アリ・オリ・ライヴ@ケントス銀座】
ごきげん。
やってきました、アリさま。昨年(2007年)11月以来、7ヶ月ぶり。今回はアリさまがシンガー4人を引き連れてのテンプテーションズ楽曲を歌うショーだ。正式なアーティスト表記は、「フィーチャリング・アリ・オリー・ウッドソン・フォーマー・リード・シンガー・オブ・ザ・テンプテーションズ・アンド・ヒズ・レヴュー」。な・が・い…。(苦笑)
銀座ケントスは、2007年12月に現在のところに引越したという。前のところは行ったことがあったが、ここは初めて。入って驚いた。2フロアをぶちぬき天井も高く、スペースが広い。200人近くはいるのではと思ったら、160坪、220席だという。これが超満員。スタイリスティックスのときは、通路にもかなりの立ち見がいたそうだ。
約65分のショー、全曲、テンプテーションズのおなじみのヒット曲ばかり。そして、どれも、みな振り付けがつけられ、歌って踊る。ただし振り付けは、テンプスのものを参考にはしているが、微妙に違う。少し4人のタイミングがずれたりするところも愛嬌か。(笑) 今回のこのグループ、ファルセット、ハイ・ヴォイス役がリオン・フランクリン(エディ・ケンドリックス役)、シースルがベース(?)担当(メルヴィン役)と聞いた。もちろん、アリ・オリは堂々デイヴィッド・ラッフィン役だ。各メンバーの紹介がなかったので、あとから聞いたのだがちょっとはっきりしない。
前回のグループがデニス・エドワーズのグループだったのに対して、このグループはアリのグループだけに、アリは、のびのび、自由に好きに歌っている、と言う感じ。コーラス、リード・ヴォーカルの妙を聴かせる5人組のヴォーカル・グループというより、むしろアリ・オリという強烈なシンガーのバックに4人のバック・コーラスがついた感じだ。だが、もちろんアリ・オリのソロ・ライヴとも違う雰囲気だ。ファルセットのリオンによれば、このメンバーのグループでここ4−5年、やっている、という。
アリの声は中音から高音、シャウトまでよくでている。次々ノンストップで繰り広げられるテンプス・ヒットは、ちょっとだけテンプスを見てる気にさせてくれた。アリは途中ファンの女性の名前を次々呼んだ。「シノ! マユミ! ユミ! ミチコ! ユミコ! サチコ!」 さすがレディーズ・マンだ。アリ・オリは、ごきげんだ。
バックバンドは、ケントスのハウスバンド。前回新宿で見たスタイリスティックスのバックをつけたバンド、ハイ・ジャックとは違うのかなあ。
■ メンバー
Ali Ollie Woodson, Larry Griffin, Leon Franklin, Dennie Ewell, Cecil Jones.
■ アリ・オリのライヴは、6月16日(月)が銀座、17日(火)が六本木、18日(水)、19日(木)が新宿。ほぼ売り切れていますが、立ち見は可能性があるようです。ライヴは1日2ショー、入れ替え制、ミュージック・チャージなど各店で異なるので、各店舗へお問い合わせください。
新宿ケントス 東京都新宿区新宿3-18-4 セノビル6階 TEL:03-3355-6477
銀座ケントス 東京都中央区銀座8-2-1 ニッタビル9階 TEL:03-3572-9161
六本木ケントス 東京都港区六本木5-3-1 第2レーヌビルB1 TEL:03-3401-5755
http://www.kentos-tokyo.jp/
■ アリ・オリ関連過去記事
November 26, 2007
It’s The Temptations’ Week With The Temptation Walk (Part 1)
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200711/2007_11_26.html
November 27, 2007
It’s The Temptations’ Week With The Temptation Walk (Part 2)
http://blog.soulsearchin.com/archives/2007_11_27.html
November 28, 2007
It’s The Temptations’ Week (Part 3) : Treat Them Like A Legend
http://blog.soulsearchin.com/archives/2007_11_28.html
November 29, 2007
It’s The Temptations Week (Part 4) : Ali Ollie At Ali Ollie & Miracle
http://blog.soulsearchin.com/archives/2007_11_29.html
■ セットリスト
Setlist : Featuring Ali Ollie Woodson, Former Lead Singer Of The Temptations @ Kentos, Ginza, June 8th, 2008
Show started 22:05
01. Intro --Superstar
02. Masterpiece
03. The Way You Do The Things You Do
04. Ain’t Too Proud To Beg
05. Ball Of Confusion
06. Just My Imagination
07. Get Ready
08. Intro Jam - Lady Soul
09. Treat Her Like A Lady
10. Beauty Is Only Skin Deep
11. I Wish It Would Rain
12. I Can’t Get Next To You
13. Intro Jam - Psychedelic Shack
14. Cloud Nine
15. Papa Was A Rolling Stone
Enc. My Girl
Show ended 23:11
(2008年6月8日日曜、銀座ケントス=フィーチャリング・アリ・オリー・ウッドソン・フォーマー・リード・シンガー・オブ・ザ・テンプテーションズ・アンド・ヒズ・レヴュー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Featuring Ali Ollie Woodson Former Lead Singer Of The Temptations And His Revue
2008-102
【アリ・オリ・ライヴ@ケントス銀座】
ごきげん。
やってきました、アリさま。昨年(2007年)11月以来、7ヶ月ぶり。今回はアリさまがシンガー4人を引き連れてのテンプテーションズ楽曲を歌うショーだ。正式なアーティスト表記は、「フィーチャリング・アリ・オリー・ウッドソン・フォーマー・リード・シンガー・オブ・ザ・テンプテーションズ・アンド・ヒズ・レヴュー」。な・が・い…。(苦笑)
銀座ケントスは、2007年12月に現在のところに引越したという。前のところは行ったことがあったが、ここは初めて。入って驚いた。2フロアをぶちぬき天井も高く、スペースが広い。200人近くはいるのではと思ったら、160坪、220席だという。これが超満員。スタイリスティックスのときは、通路にもかなりの立ち見がいたそうだ。
約65分のショー、全曲、テンプテーションズのおなじみのヒット曲ばかり。そして、どれも、みな振り付けがつけられ、歌って踊る。ただし振り付けは、テンプスのものを参考にはしているが、微妙に違う。少し4人のタイミングがずれたりするところも愛嬌か。(笑) 今回のこのグループ、ファルセット、ハイ・ヴォイス役がリオン・フランクリン(エディ・ケンドリックス役)、シースルがベース(?)担当(メルヴィン役)と聞いた。もちろん、アリ・オリは堂々デイヴィッド・ラッフィン役だ。各メンバーの紹介がなかったので、あとから聞いたのだがちょっとはっきりしない。
前回のグループがデニス・エドワーズのグループだったのに対して、このグループはアリのグループだけに、アリは、のびのび、自由に好きに歌っている、と言う感じ。コーラス、リード・ヴォーカルの妙を聴かせる5人組のヴォーカル・グループというより、むしろアリ・オリという強烈なシンガーのバックに4人のバック・コーラスがついた感じだ。だが、もちろんアリ・オリのソロ・ライヴとも違う雰囲気だ。ファルセットのリオンによれば、このメンバーのグループでここ4−5年、やっている、という。
アリの声は中音から高音、シャウトまでよくでている。次々ノンストップで繰り広げられるテンプス・ヒットは、ちょっとだけテンプスを見てる気にさせてくれた。アリは途中ファンの女性の名前を次々呼んだ。「シノ! マユミ! ユミ! ミチコ! ユミコ! サチコ!」 さすがレディーズ・マンだ。アリ・オリは、ごきげんだ。
バックバンドは、ケントスのハウスバンド。前回新宿で見たスタイリスティックスのバックをつけたバンド、ハイ・ジャックとは違うのかなあ。
■ メンバー
Ali Ollie Woodson, Larry Griffin, Leon Franklin, Dennie Ewell, Cecil Jones.
■ アリ・オリのライヴは、6月16日(月)が銀座、17日(火)が六本木、18日(水)、19日(木)が新宿。ほぼ売り切れていますが、立ち見は可能性があるようです。ライヴは1日2ショー、入れ替え制、ミュージック・チャージなど各店で異なるので、各店舗へお問い合わせください。
新宿ケントス 東京都新宿区新宿3-18-4 セノビル6階 TEL:03-3355-6477
銀座ケントス 東京都中央区銀座8-2-1 ニッタビル9階 TEL:03-3572-9161
六本木ケントス 東京都港区六本木5-3-1 第2レーヌビルB1 TEL:03-3401-5755
http://www.kentos-tokyo.jp/
■ アリ・オリ関連過去記事
November 26, 2007
It’s The Temptations’ Week With The Temptation Walk (Part 1)
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200711/2007_11_26.html
November 27, 2007
It’s The Temptations’ Week With The Temptation Walk (Part 2)
http://blog.soulsearchin.com/archives/2007_11_27.html
November 28, 2007
It’s The Temptations’ Week (Part 3) : Treat Them Like A Legend
http://blog.soulsearchin.com/archives/2007_11_28.html
November 29, 2007
It’s The Temptations Week (Part 4) : Ali Ollie At Ali Ollie & Miracle
http://blog.soulsearchin.com/archives/2007_11_29.html
■ セットリスト
Setlist : Featuring Ali Ollie Woodson, Former Lead Singer Of The Temptations @ Kentos, Ginza, June 8th, 2008
Show started 22:05
01. Intro --Superstar
02. Masterpiece
03. The Way You Do The Things You Do
04. Ain’t Too Proud To Beg
05. Ball Of Confusion
06. Just My Imagination
07. Get Ready
08. Intro Jam - Lady Soul
09. Treat Her Like A Lady
10. Beauty Is Only Skin Deep
11. I Wish It Would Rain
12. I Can’t Get Next To You
13. Intro Jam - Psychedelic Shack
14. Cloud Nine
15. Papa Was A Rolling Stone
Enc. My Girl
Show ended 23:11
(2008年6月8日日曜、銀座ケントス=フィーチャリング・アリ・オリー・ウッドソン・フォーマー・リード・シンガー・オブ・ザ・テンプテーションズ・アンド・ヒズ・レヴュー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Featuring Ali Ollie Woodson Former Lead Singer Of The Temptations And His Revue
2008-102
【スライ&ファミリー・ストーン初来日決定】
来日。
1960年代後期、サンフランシスコを中心に世界的人気を博したファンク・グループ、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの初来日公演が決まった。毎年8月末に行われている東京ジャズでの公演、また、ブルーノートでの1日公演が行われる。来日メンバーはまだ発表されていない。
東京ジャズの2008年8月31日(日)午後1時半からのロベン・フォード、サム・ムーアとの回に登場。出場順番は未定。また9月2日(火)、東京ブルーノートに登場。7時と9時半の回に登場が予定され、発表された。
ブルーノートのスライ&ザ・ファミリー・ストーンのライヴ音楽チャージは、¥15,750(税込)。ボックス席などは下記の通り。予約受付は2008年7月9日(水)から、ブルーノートの会員組織「ジャム・セッション」のメンバーは、7月2日(水)から先行予約。
http://www.bluenote.co.jp/jp/schedule/detail.php?id=200
通常チャージ自由席 ¥15,750(税込)。
センターボックス(4名席):1人¥18,900(税込)
アリーナボックス(2名席):1人¥17,850(税込)※2組相席
サイドボックス(2名席):1人¥17,850(税込)※2組相席
東京ジャズの公式ウェッブ。
http://www.tokyo-jazz.com/
東京ジャズは、今年で7回目。NHKが中心となって、ジャズ・アーティストのライヴ興行を行い、その模様を収録しテレビ放送する。今年は8月29日(金)から31日(日)まで3日間、東京国際フォーラムで金曜夜、土曜昼、土曜夜、日曜昼、日曜夜の計5ステージが行われる。入場料金は各回、全席指定、税込みでS席が8500円、A席が6500円。30日と31日分には、昼と夜が見られる一日通し券が16000円で発売されているが、30日の分は売り切れ。
+++++
実現。
スライ&ザ・ファミリー・ストーンは、スライ・ストーン(本名・シルヴェスター・スチュワート1943年3月15日テキサス州生まれ)が兄弟、友人などを集めて1966年ごろサンフランシスコで結成したバンド。このころ起こり始めた黒人たちのファンク・サウンドと、サンフランシスコを中心に動きを見せ始めていたヒッピーたちが作るロック音楽の要素を巧みに混ぜ合わせた独特のサウンドを生み出し、人気を集めるようになった。ベース担当のラリー・グラハムは、いわゆるチョッパー・ベースの創始者として注目され、後に独立、多くのベース奏者に影響を与えた。もちろん、スライ&ザ・ファミリー・ストーンも、1970年代以降の多くのブラック・アーティスト、ロック・アーティストたちに多大な影響を与えた。
しかし、1970年代中期から、ドラッグなどの影響で行動が予想不能となり、ライヴなどにも穴をあけるようになり、自然と音楽業界から離れてしまった。1986年、ファンク・ギタリスト、ジェシー・ジョンソンがスライをひっぱりだし、「クレイジー」という曲で共演、これは同年ブラック・チャートで2位を記録。これが現在までのところ、スライの最後のヒットになっている。その後、ファミリー・ストーンのメンバーはスライなしでグループを結成、ときおりライヴ活動を行っている。
2006年2月、グラミー賞の席で「スライへのトリビュート」が行われ、スライ・ストーン本人が2分少々だけ、そのステージに登場し喝采を浴びた。その後2007年夏、ヨーロッパでのツアーが企画され、ライヴが行われたが、場所によっては本人は20分程度の出演でステージを下り、残りをバンド・メンバーが演奏して場をつないだ、といったニュースも伝えられている。
スライの来日、本当に本人は来るのか。本当に演奏はできるのか。数々の奇行でも知られるスライだけに、仮に、来日がキャンセルになったとしても驚くにはあたらない。しかし、スライ来日が実現し、彼がステージにあがれば、大きなニュースだ。
■スライ・ストーン、スライ&ザ・ファミリー・ストーン過去関連記事
July 04, 2007
Sly & Family Stone Reunion: Hit The European Tour
http://blog.soulsearchin.com/archives/001880.html
2007年ヨーロッパツアー開始
May 07, 2007
Why "Family Stone"? : Are There Black Hippies?
http://blog.soulsearchin.com/archives/001759.html
May 05, 2007
Back In 1968: When LP Records Were New
http://blog.soulsearchin.com/archives/001753.html
May 04, 2007
Sly & Family Stone’s Paper Sleeve Jackets CD Released
http://blog.soulsearchin.com/archives/001752.html
スライ&ファミリー・ストーン紙ジャケット発売
ENT>MUSIC>ARTIST>Sly & Family Stone
ENT>MUSIC>LIVE>ANNOUNCEMENT>Sly & Family Stone
来日。
1960年代後期、サンフランシスコを中心に世界的人気を博したファンク・グループ、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの初来日公演が決まった。毎年8月末に行われている東京ジャズでの公演、また、ブルーノートでの1日公演が行われる。来日メンバーはまだ発表されていない。
東京ジャズの2008年8月31日(日)午後1時半からのロベン・フォード、サム・ムーアとの回に登場。出場順番は未定。また9月2日(火)、東京ブルーノートに登場。7時と9時半の回に登場が予定され、発表された。
ブルーノートのスライ&ザ・ファミリー・ストーンのライヴ音楽チャージは、¥15,750(税込)。ボックス席などは下記の通り。予約受付は2008年7月9日(水)から、ブルーノートの会員組織「ジャム・セッション」のメンバーは、7月2日(水)から先行予約。
http://www.bluenote.co.jp/jp/schedule/detail.php?id=200
通常チャージ自由席 ¥15,750(税込)。
センターボックス(4名席):1人¥18,900(税込)
アリーナボックス(2名席):1人¥17,850(税込)※2組相席
サイドボックス(2名席):1人¥17,850(税込)※2組相席
東京ジャズの公式ウェッブ。
http://www.tokyo-jazz.com/
東京ジャズは、今年で7回目。NHKが中心となって、ジャズ・アーティストのライヴ興行を行い、その模様を収録しテレビ放送する。今年は8月29日(金)から31日(日)まで3日間、東京国際フォーラムで金曜夜、土曜昼、土曜夜、日曜昼、日曜夜の計5ステージが行われる。入場料金は各回、全席指定、税込みでS席が8500円、A席が6500円。30日と31日分には、昼と夜が見られる一日通し券が16000円で発売されているが、30日の分は売り切れ。
+++++
実現。
スライ&ザ・ファミリー・ストーンは、スライ・ストーン(本名・シルヴェスター・スチュワート1943年3月15日テキサス州生まれ)が兄弟、友人などを集めて1966年ごろサンフランシスコで結成したバンド。このころ起こり始めた黒人たちのファンク・サウンドと、サンフランシスコを中心に動きを見せ始めていたヒッピーたちが作るロック音楽の要素を巧みに混ぜ合わせた独特のサウンドを生み出し、人気を集めるようになった。ベース担当のラリー・グラハムは、いわゆるチョッパー・ベースの創始者として注目され、後に独立、多くのベース奏者に影響を与えた。もちろん、スライ&ザ・ファミリー・ストーンも、1970年代以降の多くのブラック・アーティスト、ロック・アーティストたちに多大な影響を与えた。
しかし、1970年代中期から、ドラッグなどの影響で行動が予想不能となり、ライヴなどにも穴をあけるようになり、自然と音楽業界から離れてしまった。1986年、ファンク・ギタリスト、ジェシー・ジョンソンがスライをひっぱりだし、「クレイジー」という曲で共演、これは同年ブラック・チャートで2位を記録。これが現在までのところ、スライの最後のヒットになっている。その後、ファミリー・ストーンのメンバーはスライなしでグループを結成、ときおりライヴ活動を行っている。
2006年2月、グラミー賞の席で「スライへのトリビュート」が行われ、スライ・ストーン本人が2分少々だけ、そのステージに登場し喝采を浴びた。その後2007年夏、ヨーロッパでのツアーが企画され、ライヴが行われたが、場所によっては本人は20分程度の出演でステージを下り、残りをバンド・メンバーが演奏して場をつないだ、といったニュースも伝えられている。
スライの来日、本当に本人は来るのか。本当に演奏はできるのか。数々の奇行でも知られるスライだけに、仮に、来日がキャンセルになったとしても驚くにはあたらない。しかし、スライ来日が実現し、彼がステージにあがれば、大きなニュースだ。
■スライ・ストーン、スライ&ザ・ファミリー・ストーン過去関連記事
July 04, 2007
Sly & Family Stone Reunion: Hit The European Tour
http://blog.soulsearchin.com/archives/001880.html
2007年ヨーロッパツアー開始
May 07, 2007
Why "Family Stone"? : Are There Black Hippies?
http://blog.soulsearchin.com/archives/001759.html
May 05, 2007
Back In 1968: When LP Records Were New
http://blog.soulsearchin.com/archives/001753.html
May 04, 2007
Sly & Family Stone’s Paper Sleeve Jackets CD Released
http://blog.soulsearchin.com/archives/001752.html
スライ&ファミリー・ストーン紙ジャケット発売
ENT>MUSIC>ARTIST>Sly & Family Stone
ENT>MUSIC>LIVE>ANNOUNCEMENT>Sly & Family Stone
【スライがもしステージに上がったら】
シミュレーション。
昨日の衝撃的な大ニュース、スライの初来日決定から一夜明けて、あちこちでこの話題でもちきりだ。ここでは、今後の来日まで、どんな紆余曲折が起こりうるのか、来日した場合どのようなステージになるか、シミュレーションしてみよう。
1番のベスト。無事入国来日、ステージにバンドメンバーと上がり60−70分のステージを無事執り行う。(ライヴの出来はともかく、万々歳)
2番目。ステージに30分程度いて、演奏なり歌なりを見せる。残りはバックバンドの演奏と歌。(まあ、伝説を見られたからよしとするか)
3番目。ステージに登場し、15分程度ステージにいる。残りはバンドの演奏と歌。(う〜ん、もう少し何か見たいが、まあ、こんなものか)
4番目。ステージに5分程度、顔見世する。残りはバンドの演奏と歌。(う〜ん、ちょっとチケット代返して〜)
次が、来日が事前にキャンセル。この場合、チケットは通常のやりかたで払い戻しか。(別に文句はない)
スライだけの来日がなく、バンド(ファミリー・ストーン)だけ来日。この場合、チケットはどうなるか。微妙。希望者には払い戻しか。(いろんな点で迷うところ)
当日キャンセル。これは、現場で払い戻しか。(ま、これも払い戻してもらえれば文句は言わないが…)
さて、東京ジャズの出演と発表された8月31日、ロス郊外で行われる「ロング・ビーチ・ブルーズ・フェスティヴァル」の告知にスライ&ザ・ファミリー・ストーンの名前があるという。たしかにフリーペーパーの広告にはその名前がある。完璧に同じ日だ。だが、このロング・ビーチのオフィシャルなウェッブサイトに行くと、31日にはその名前がない。スライに代わりボビー・ウーマックの名前が出ている。スライが中止になり、ボビーに代わったのだろうか。フリーペーパーは情報締め切りが早いので、その時点ではスライだったが、その後なんらかの理由でこれが取りやめになり、ボビーに代わり、スライの東京ジャズへの出演が決まったのかもしれない。(このあたりは、鋭意確認中)
また時差の関係で、東京31日昼ライヴ後移動→LA31日夜ライヴ→2日東京夜は、理論的には不可能ではないが、現実的とは思えない。
スライ関連では、スライの娘が「ベイビー・ストーン」というグループを結成、活動をしている。また、スライ・ストーンなしで創生メンバーの何人かがいる「ザ・ファミリー・ストーン」も活動をしている。今回の来日メンバーがこの「ザ・ファミリー・ストーン」になるかどうかはわからない。別のメンバーを揃えているかもしれないし、昨年ヨーロッパでやったメンバーかもしれない。
ヨーロッパ各地で行ったスライ&ザ・ファミリー・ストーンのライヴでは、20分程度の登場だけだった回もあり、また、グラミーでの顔見世は2分程度だった。今回もライヴ・パフォーマンス自体はどうなるかまったく未知数だ。
だが、そうしたことを考えても、スライ・ストーンがあの髪の毛でステージに登場すれば、楽器などを弾こうが弾くまいが、歌を歌おうが歌うまいが、そんなことはまったく関係ないといった雰囲気で歓声が巻き起こることはまちがいない。つまり、彼の存在だけで、圧倒的なものを見せ付けるということだ。それはグラミーのときでも明らかだった。演奏が仮にどれだけよれよれでも、一目「動く伝説」が見られればいい、というニュアンスでライヴに足を運べばよいということになろう。ライヴの出来がどうであれ、仮に5分の伝説の登場に、ここまでのチケット代を払えるか、そこに価値観をどう持つかに尽きる。そして、しばらくスライ情報に翻弄される日が続きそうだ。(苦笑)
(最新情報がわかり次第、アップしていきます)
■ スライ関連ウェッブ(英語)
◎スライ・ストーンのブックを書いているライターのページ
http://www.slystonebook.com/index.php?option=com_content&task=view&id=144&Itemid=2
ここに2008年6月2日付けニュースで、8月31日、ロング・ビーチでヘッドラインで登場と記されている。しかし、この後キャンセルされている可能性もあるが、同ウェッブでは今日現在これが最新更新ニュースだ。
◎ロング・ビーチ・フェスティヴァルのオフィシャル・ウェッブ
http://www.jazzandblues.org/events/lbbf/2008/microsite/
ここには、すでにスライ&ザ・ファミリー・ストーンの名前はない。
◎オフィシャルと名乗るスライ関連のウェッブ
http://www.phattadatta.com/
ここにはライヴ情報なし。
■ スライ・ストーン、スライ&ザ・ファミリー・ストーン関連記事
June 17, 2008
Sly & TheFamily Stone Will Coming To Japan August
【スライ&ザ・ファミリー・ストーン初来日決定】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002579.html
July 04, 2007
Sly & Family Stone Reunion: Hit The European Tour
http://blog.soulsearchin.com/archives/001880.html
2007年ヨーロッパツアー開始
May 07, 2007
Why "Family Stone"? : Are There Black Hippies?
http://blog.soulsearchin.com/archives/001759.html
May 05, 2007
Back In 1968: When LP Records Were New
http://blog.soulsearchin.com/archives/001753.html
May 04, 2007
Sly & Family Stone’s Paper Sleeve Jackets CD Released
http://blog.soulsearchin.com/archives/001752.html
スライ&ファミリー・ストーン紙ジャケット発売
ENT>MUSIC>ARTIST>Sly & Family Stone
ENT>MUSIC>LIVE>ANNOUNCEMENT>Sly & Family Stone
シミュレーション。
昨日の衝撃的な大ニュース、スライの初来日決定から一夜明けて、あちこちでこの話題でもちきりだ。ここでは、今後の来日まで、どんな紆余曲折が起こりうるのか、来日した場合どのようなステージになるか、シミュレーションしてみよう。
1番のベスト。無事入国来日、ステージにバンドメンバーと上がり60−70分のステージを無事執り行う。(ライヴの出来はともかく、万々歳)
2番目。ステージに30分程度いて、演奏なり歌なりを見せる。残りはバックバンドの演奏と歌。(まあ、伝説を見られたからよしとするか)
3番目。ステージに登場し、15分程度ステージにいる。残りはバンドの演奏と歌。(う〜ん、もう少し何か見たいが、まあ、こんなものか)
4番目。ステージに5分程度、顔見世する。残りはバンドの演奏と歌。(う〜ん、ちょっとチケット代返して〜)
次が、来日が事前にキャンセル。この場合、チケットは通常のやりかたで払い戻しか。(別に文句はない)
スライだけの来日がなく、バンド(ファミリー・ストーン)だけ来日。この場合、チケットはどうなるか。微妙。希望者には払い戻しか。(いろんな点で迷うところ)
当日キャンセル。これは、現場で払い戻しか。(ま、これも払い戻してもらえれば文句は言わないが…)
さて、東京ジャズの出演と発表された8月31日、ロス郊外で行われる「ロング・ビーチ・ブルーズ・フェスティヴァル」の告知にスライ&ザ・ファミリー・ストーンの名前があるという。たしかにフリーペーパーの広告にはその名前がある。完璧に同じ日だ。だが、このロング・ビーチのオフィシャルなウェッブサイトに行くと、31日にはその名前がない。スライに代わりボビー・ウーマックの名前が出ている。スライが中止になり、ボビーに代わったのだろうか。フリーペーパーは情報締め切りが早いので、その時点ではスライだったが、その後なんらかの理由でこれが取りやめになり、ボビーに代わり、スライの東京ジャズへの出演が決まったのかもしれない。(このあたりは、鋭意確認中)
また時差の関係で、東京31日昼ライヴ後移動→LA31日夜ライヴ→2日東京夜は、理論的には不可能ではないが、現実的とは思えない。
スライ関連では、スライの娘が「ベイビー・ストーン」というグループを結成、活動をしている。また、スライ・ストーンなしで創生メンバーの何人かがいる「ザ・ファミリー・ストーン」も活動をしている。今回の来日メンバーがこの「ザ・ファミリー・ストーン」になるかどうかはわからない。別のメンバーを揃えているかもしれないし、昨年ヨーロッパでやったメンバーかもしれない。
ヨーロッパ各地で行ったスライ&ザ・ファミリー・ストーンのライヴでは、20分程度の登場だけだった回もあり、また、グラミーでの顔見世は2分程度だった。今回もライヴ・パフォーマンス自体はどうなるかまったく未知数だ。
だが、そうしたことを考えても、スライ・ストーンがあの髪の毛でステージに登場すれば、楽器などを弾こうが弾くまいが、歌を歌おうが歌うまいが、そんなことはまったく関係ないといった雰囲気で歓声が巻き起こることはまちがいない。つまり、彼の存在だけで、圧倒的なものを見せ付けるということだ。それはグラミーのときでも明らかだった。演奏が仮にどれだけよれよれでも、一目「動く伝説」が見られればいい、というニュアンスでライヴに足を運べばよいということになろう。ライヴの出来がどうであれ、仮に5分の伝説の登場に、ここまでのチケット代を払えるか、そこに価値観をどう持つかに尽きる。そして、しばらくスライ情報に翻弄される日が続きそうだ。(苦笑)
(最新情報がわかり次第、アップしていきます)
■ スライ関連ウェッブ(英語)
◎スライ・ストーンのブックを書いているライターのページ
http://www.slystonebook.com/index.php?option=com_content&task=view&id=144&Itemid=2
ここに2008年6月2日付けニュースで、8月31日、ロング・ビーチでヘッドラインで登場と記されている。しかし、この後キャンセルされている可能性もあるが、同ウェッブでは今日現在これが最新更新ニュースだ。
◎ロング・ビーチ・フェスティヴァルのオフィシャル・ウェッブ
http://www.jazzandblues.org/events/lbbf/2008/microsite/
ここには、すでにスライ&ザ・ファミリー・ストーンの名前はない。
◎オフィシャルと名乗るスライ関連のウェッブ
http://www.phattadatta.com/
ここにはライヴ情報なし。
■ スライ・ストーン、スライ&ザ・ファミリー・ストーン関連記事
June 17, 2008
Sly & TheFamily Stone Will Coming To Japan August
【スライ&ザ・ファミリー・ストーン初来日決定】
http://blog.soulsearchin.com/archives/002579.html
July 04, 2007
Sly & Family Stone Reunion: Hit The European Tour
http://blog.soulsearchin.com/archives/001880.html
2007年ヨーロッパツアー開始
May 07, 2007
Why "Family Stone"? : Are There Black Hippies?
http://blog.soulsearchin.com/archives/001759.html
May 05, 2007
Back In 1968: When LP Records Were New
http://blog.soulsearchin.com/archives/001753.html
May 04, 2007
Sly & Family Stone’s Paper Sleeve Jackets CD Released
http://blog.soulsearchin.com/archives/001752.html
スライ&ファミリー・ストーン紙ジャケット発売
ENT>MUSIC>ARTIST>Sly & Family Stone
ENT>MUSIC>LIVE>ANNOUNCEMENT>Sly & Family Stone
【スライ&ザ・ファミリー・ストーン初来日、ロング・ビーチはキャンセル〜2007年夏ライヴの様子】
レポート。
スライの初来日が決定してからというもの、音楽ファン周辺は、スライの話題で持ちきりのようだ。さて昨日報告した2008年8月31日にロス郊外での「ロング・ビーチ・ブルース・フェスティヴァル」の告知にスライ&ザ・ファミリー・ストーンの名前があった点だが、筆者が主催者に問い合わせた結果返事が来た。
それによると、「先週スライのマネージメントから、今回の出演ができなくなった、と連絡があった。それに代わるアーティストをブッキング中。フリーペーパーの締め切りは早く、このキャンセル連絡が来たときにはすでに印刷されて出回っていたので、直しができなかった」とのこと。これでダブル・ブッキングはなくなった。ウェッブでは、すでにスライの名前はなくなっている。推測だが、当初はこの「ロング・ビーチ」の仕事を受けたが、その後、ブルーノート、東京ジャズのオファーがあり、その方が魅力的だったので、こちらに乗り換えたというあたりだろう。
さて、スライ&ザ・ファミリー・ストーンは、昨年(2007年)夏、ヨーロッパ10都市でライヴ活動を再開。その模様がすでに伝わってきている。それらを簡単にまとめてみよう。ただし、このメンバーが今回の来日メンバーになるかは、まだ確定していない。ただ、これらのメンバーから来日メンバーが決まる可能性は高い。また、セットリストもヨーロッパでのものであり、東京でのライヴがどのようなセットリストになるかはまったく未知数だ。(ライヴ前にセットリストなどを見たくないという方はこれ以降ご注意ください)
昨年夏のメンバー。
Sly Stone (Lead Vocals, Synthesizer) (1943年生まれ)
Vet Stone (Lead Vocals, Percussion) (スライの妹)(リトル・シスター名義で「ユーアー・ザ・ワン」のヒットを放つ。リトル・シスターは、スライがプロデュースした妹分的グループ)(1950年生まれ)
Skyler Jett (Lead Vocals) (スライがいないときの、スライ部分のヴォーカル担当)
Lisa Stone (Lead Vocals) (スライの妹ローズ・ストーン=1945年生まれ=の娘、スライの姪)
Sylevette Phunne Robinson (Vocals) (ステージにいなかった可能性も。シンシア・ロビンソンとスライ・ストーンの間に生まれた娘)
Cynthia Robinson (Trumpet) (オリジナル・メンバー)(1946年生まれ)
Pat Rizzo (Sax) (1972年から1975年にメンバー)
Johnnie Bamont (Sax)
Mike Rinta (Trombone)
Anthoney Yates (Guitar)
Joseph Yates (Bass)
Stefon Dubose (Drums)
Tony Stead (Keyboards, Hammond B3)
ドラムス、ギター、ベース、キーボードに4管、ヴォーカル陣が4人とスライ本人、スライはキーボードも。12人か13人がオンステージだ。かなりの大所帯だ。
スライ&ザ・ファミリー・ストーンのオリジナル・メンバーであるシンシア・ロビンソンは、同じくオリジナルのジェリー・マティーニ(サックス)、ローズ・ストーン(キーボード、ヴォーカル)らと「ザ・ファミリー・ストーン」というグループを結成、スライのヒット曲を演奏してライヴハウスなどに出演している。このバンドは、最近「ザ・ファミリー・ストーン・エクスペリエンス」と名前を変えた。シンシアは、昨夏のこのヨーロッパツアーにも参加してる。
昨年夏のヨーロッパツアーの基本セットリストは次の通り。
Setlist : Sly & The Family Stone, 2007 Summer Europe
01. In Time (Instrumental)
02. Dance To The Music
03. Everyday People
04. Hot Fun In the Summertime
05. You’re The One (Vet Stone, Little Sister)
06. Somebody’s Watching You
07. Don’t Call Me Nigger, Whitey
--Sly arrives
08. Stand!
09. If You Want Me To Stay
10. Sing A Simple Song
11. I Want To Take Your Higher
--Sly leaves the stage
12. Thank You (halfway the song Sly returns on stage)
--Sly leaves the stage
13. Thank You (Falettinme Be Mice Elf Agin)
14. Glad You Came Here
スライたちは、2007年7月12日イタリアのウンブリアを皮切りに、計10回の公演を行った。だいたい、8曲目の「スタンド!」あたりでステージに登場し、11曲目「テイク・ユー・ハイヤー」あたりまでいるようだ。一度引っ込み、その後、次の「サンキュー」の途中ででて、また引っ込む。それ以後は戻らず、最後はいない。全体で60分程度か。ライヴは場所によっては、40分程度遅れてスタートした。
というわけで、今回の「スライの来日騒動」は、スライが来るまで、本当に来るのか、本当にステージに上がるのか、といった期待、不安、「ものめずらしさ」、あるいはどんな曲をやるのだろうか、など、そうしたあらゆる要素すべてを含めて「来るまでも楽しむ」イヴェントとなりそうだ。
■ スライ・ストーン関連一覧
June 18, 2008
What If Sly Stone Would Show Up The Stage
http://blog.soulsearchin.com/archives/002580.html
ここに関連記事一覧
(ウンブリア情報、原澤さん、ありがとうございます)
ENT>MUSIC>ARTIST>Sly & Family Stone
ENT>MUSIC>LIVE>ANNOUNCEMENT>Sly & Family Stone
レポート。
スライの初来日が決定してからというもの、音楽ファン周辺は、スライの話題で持ちきりのようだ。さて昨日報告した2008年8月31日にロス郊外での「ロング・ビーチ・ブルース・フェスティヴァル」の告知にスライ&ザ・ファミリー・ストーンの名前があった点だが、筆者が主催者に問い合わせた結果返事が来た。
それによると、「先週スライのマネージメントから、今回の出演ができなくなった、と連絡があった。それに代わるアーティストをブッキング中。フリーペーパーの締め切りは早く、このキャンセル連絡が来たときにはすでに印刷されて出回っていたので、直しができなかった」とのこと。これでダブル・ブッキングはなくなった。ウェッブでは、すでにスライの名前はなくなっている。推測だが、当初はこの「ロング・ビーチ」の仕事を受けたが、その後、ブルーノート、東京ジャズのオファーがあり、その方が魅力的だったので、こちらに乗り換えたというあたりだろう。
さて、スライ&ザ・ファミリー・ストーンは、昨年(2007年)夏、ヨーロッパ10都市でライヴ活動を再開。その模様がすでに伝わってきている。それらを簡単にまとめてみよう。ただし、このメンバーが今回の来日メンバーになるかは、まだ確定していない。ただ、これらのメンバーから来日メンバーが決まる可能性は高い。また、セットリストもヨーロッパでのものであり、東京でのライヴがどのようなセットリストになるかはまったく未知数だ。(ライヴ前にセットリストなどを見たくないという方はこれ以降ご注意ください)
昨年夏のメンバー。
Sly Stone (Lead Vocals, Synthesizer) (1943年生まれ)
Vet Stone (Lead Vocals, Percussion) (スライの妹)(リトル・シスター名義で「ユーアー・ザ・ワン」のヒットを放つ。リトル・シスターは、スライがプロデュースした妹分的グループ)(1950年生まれ)
Skyler Jett (Lead Vocals) (スライがいないときの、スライ部分のヴォーカル担当)
Lisa Stone (Lead Vocals) (スライの妹ローズ・ストーン=1945年生まれ=の娘、スライの姪)
Sylevette Phunne Robinson (Vocals) (ステージにいなかった可能性も。シンシア・ロビンソンとスライ・ストーンの間に生まれた娘)
Cynthia Robinson (Trumpet) (オリジナル・メンバー)(1946年生まれ)
Pat Rizzo (Sax) (1972年から1975年にメンバー)
Johnnie Bamont (Sax)
Mike Rinta (Trombone)
Anthoney Yates (Guitar)
Joseph Yates (Bass)
Stefon Dubose (Drums)
Tony Stead (Keyboards, Hammond B3)
ドラムス、ギター、ベース、キーボードに4管、ヴォーカル陣が4人とスライ本人、スライはキーボードも。12人か13人がオンステージだ。かなりの大所帯だ。
スライ&ザ・ファミリー・ストーンのオリジナル・メンバーであるシンシア・ロビンソンは、同じくオリジナルのジェリー・マティーニ(サックス)、ローズ・ストーン(キーボード、ヴォーカル)らと「ザ・ファミリー・ストーン」というグループを結成、スライのヒット曲を演奏してライヴハウスなどに出演している。このバンドは、最近「ザ・ファミリー・ストーン・エクスペリエンス」と名前を変えた。シンシアは、昨夏のこのヨーロッパツアーにも参加してる。
昨年夏のヨーロッパツアーの基本セットリストは次の通り。
Setlist : Sly & The Family Stone, 2007 Summer Europe
01. In Time (Instrumental)
02. Dance To The Music
03. Everyday People
04. Hot Fun In the Summertime
05. You’re The One (Vet Stone, Little Sister)
06. Somebody’s Watching You
07. Don’t Call Me Nigger, Whitey
--Sly arrives
08. Stand!
09. If You Want Me To Stay
10. Sing A Simple Song
11. I Want To Take Your Higher
--Sly leaves the stage
12. Thank You (halfway the song Sly returns on stage)
--Sly leaves the stage
13. Thank You (Falettinme Be Mice Elf Agin)
14. Glad You Came Here
スライたちは、2007年7月12日イタリアのウンブリアを皮切りに、計10回の公演を行った。だいたい、8曲目の「スタンド!」あたりでステージに登場し、11曲目「テイク・ユー・ハイヤー」あたりまでいるようだ。一度引っ込み、その後、次の「サンキュー」の途中ででて、また引っ込む。それ以後は戻らず、最後はいない。全体で60分程度か。ライヴは場所によっては、40分程度遅れてスタートした。
というわけで、今回の「スライの来日騒動」は、スライが来るまで、本当に来るのか、本当にステージに上がるのか、といった期待、不安、「ものめずらしさ」、あるいはどんな曲をやるのだろうか、など、そうしたあらゆる要素すべてを含めて「来るまでも楽しむ」イヴェントとなりそうだ。
■ スライ・ストーン関連一覧
June 18, 2008
What If Sly Stone Would Show Up The Stage
http://blog.soulsearchin.com/archives/002580.html
ここに関連記事一覧
(ウンブリア情報、原澤さん、ありがとうございます)
ENT>MUSIC>ARTIST>Sly & Family Stone
ENT>MUSIC>LIVE>ANNOUNCEMENT>Sly & Family Stone
◆Nicci, Shanice, Coko Live At Billboard
2008年6月20日オムニバス。
1994年に「イフ・ユー・ラヴ・ミー」という名曲をヒットさせた女性3人組、ブラウンストーンのリーダー的存在でリード・シンガーだったニッキー・ギルバート、1986年に13歳でレコード会社と契約、いくつかのヒットを放ち、1991年「アイ・ラヴ・ユア・スマイル」の大ヒットで一躍メジャーな存在になったシャニース、そして、やはり女性3人組SWVのリード・シンガーとして数々のヒットを放ったココの3人がその順番でステージにでて歌い、最後にアンコールでみんなで歌うという企画ライヴ。ライヴの世界にもオムニバスの時代が到来か。
ニッキーは、ショーケースでブラウンストーンとして1度来日、今回が2度目の来日。シャニースは、1987年11月のプロモーション来日、2000年2月都内ゼップなどでのライヴ、1995年4月のスーパー・プロデューサー・シリーズ「ナラダ・マイケル・ウォルデン」の回に続いて4回目の来日。ココは、90年代にSWVとして1度、ココのプロモーションで1度、2005年10月の大阪ブルーノートでSWV名義でのライヴ以来、4回目の来日。(来日履歴などに訂正があればebs@st.rim.or.jpまでお知らせください。)
ニッキーは歌も見た目もなかなか迫力あり、最後の「イフ・ユー・ラヴ・ミー」では歓声があがる。シャニースは、なんとMCで「このところ休んでいたけど、2人の子育てしていたの」と告白。それは知らなかった。ココが一番落ち着いていたかな。パティー・ラベルのヒット「イフ・オンリー・ユー・ニュー」を熱唱したが、観客がパティー・ラベルを知らなかったためか、あまり反応はなかった。かなりよかったが。この部分だけでなく、全体的にこの日は観客の反応がスローで、歌手たちもあまり乗り切れなかった感じがした。
各シンガーもちょうど喉が温まったあたりでステージを降りてしまうので、不完全燃焼かもしれない。ただし、金曜のセカンドは超満員になっているというので、この日はかなり盛り上がりそうだ。
バックバンドは、3人に共通で、ドラムス、ギター、ベース、キーボードにコーラス3人。コーラスのうち、女性シンガーが印象に残った。3人それぞれ20分ほどの持ち時間で自慢のヒット曲を歌った。バンドの中でドラムがいまふたつくらいだなあ、と思っていたら、なんとココのだんなさんとのこと。じゃあ、しょうがない。(笑)
ちなみに、シャニースとココが1973年生まれ、ニッキーが1970年生まれとのこと。シャニースなんか13歳で契約、14歳でデビューしているから、ちょっとしたヴェテランのように思えるが、まだまだ若い。
■メンバー
ココ/Coko(Vocals)
ニッキー・ギルバート/Nicci Gilbert(Vocals)
シャニース/Shanice(Vocals)
ラ バンス・コリー/La Vance Colley(BGV)
エリカ・スミス/Ericka smith(BGV)
ディージェイ/(PARKER JAVON DAMON) DJ(BGV)
アーサー・バディ・ストリング?/Arthur"Buddy"Strong ?(Keyboards)
ケンダル・ギルダー/Kendal Gilder(Guitar)
エリック・イングラム/Eric Ingram(Bass)
マイケル・クレモンズ/Michael Clemons(Drums)
■セットリスト
Setlist : Lady Of Soul Greatest Hits Tour; Nicci, Shanice, Coko, At Billboard LiveTokyo, June 19th, 2008
[ ] indicates original act or the act who made the song hit
=Nikki=
show started at 21:30
01. Grapevyne
02. 5 Miles To Empty
03. Stop Messing Around
04. Rock With You [Michael Jackson]
05. Think Again
06. If You Love Me
=Shanice=
07. Get Up
08. When I Close My Eyes
09. Yesterday
10. Medley(10-12): Fly Away
11. Lovin’ You [Minnie Riperton]
12. Silent Prayer
13. I Love Your Smile
=Coko=
14. Right Here / Human Nature [Michael Jackson]
15. Ain’t No Sunshine [Bill Withers] / Sunshine
16. Weak
17. If Only You Knew [Patti LaBelle]
18. Clap Your Hands
Enc. I’m Every Woman [Chaka Khan, Whitney Houston]
Show ended 22:44
(2008年6月19日木曜、ビルボード・ライヴ東京=レディー・オブ・ソウル・ライヴ=ニッキー、シャニース、ココ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Lady Of Soul
ENT>MUSIC>LIVE>Nicci, Shanice, Coko
2008-106
1994年に「イフ・ユー・ラヴ・ミー」という名曲をヒットさせた女性3人組、ブラウンストーンのリーダー的存在でリード・シンガーだったニッキー・ギルバート、1986年に13歳でレコード会社と契約、いくつかのヒットを放ち、1991年「アイ・ラヴ・ユア・スマイル」の大ヒットで一躍メジャーな存在になったシャニース、そして、やはり女性3人組SWVのリード・シンガーとして数々のヒットを放ったココの3人がその順番でステージにでて歌い、最後にアンコールでみんなで歌うという企画ライヴ。ライヴの世界にもオムニバスの時代が到来か。
ニッキーは、ショーケースでブラウンストーンとして1度来日、今回が2度目の来日。シャニースは、1987年11月のプロモーション来日、2000年2月都内ゼップなどでのライヴ、1995年4月のスーパー・プロデューサー・シリーズ「ナラダ・マイケル・ウォルデン」の回に続いて4回目の来日。ココは、90年代にSWVとして1度、ココのプロモーションで1度、2005年10月の大阪ブルーノートでSWV名義でのライヴ以来、4回目の来日。(来日履歴などに訂正があればebs@st.rim.or.jpまでお知らせください。)
ニッキーは歌も見た目もなかなか迫力あり、最後の「イフ・ユー・ラヴ・ミー」では歓声があがる。シャニースは、なんとMCで「このところ休んでいたけど、2人の子育てしていたの」と告白。それは知らなかった。ココが一番落ち着いていたかな。パティー・ラベルのヒット「イフ・オンリー・ユー・ニュー」を熱唱したが、観客がパティー・ラベルを知らなかったためか、あまり反応はなかった。かなりよかったが。この部分だけでなく、全体的にこの日は観客の反応がスローで、歌手たちもあまり乗り切れなかった感じがした。
各シンガーもちょうど喉が温まったあたりでステージを降りてしまうので、不完全燃焼かもしれない。ただし、金曜のセカンドは超満員になっているというので、この日はかなり盛り上がりそうだ。
バックバンドは、3人に共通で、ドラムス、ギター、ベース、キーボードにコーラス3人。コーラスのうち、女性シンガーが印象に残った。3人それぞれ20分ほどの持ち時間で自慢のヒット曲を歌った。バンドの中でドラムがいまふたつくらいだなあ、と思っていたら、なんとココのだんなさんとのこと。じゃあ、しょうがない。(笑)
ちなみに、シャニースとココが1973年生まれ、ニッキーが1970年生まれとのこと。シャニースなんか13歳で契約、14歳でデビューしているから、ちょっとしたヴェテランのように思えるが、まだまだ若い。
■メンバー
ココ/Coko(Vocals)
ニッキー・ギルバート/Nicci Gilbert(Vocals)
シャニース/Shanice(Vocals)
ラ バンス・コリー/La Vance Colley(BGV)
エリカ・スミス/Ericka smith(BGV)
ディージェイ/(PARKER JAVON DAMON) DJ(BGV)
アーサー・バディ・ストリング?/Arthur"Buddy"Strong ?(Keyboards)
ケンダル・ギルダー/Kendal Gilder(Guitar)
エリック・イングラム/Eric Ingram(Bass)
マイケル・クレモンズ/Michael Clemons(Drums)
■セットリスト
Setlist : Lady Of Soul Greatest Hits Tour; Nicci, Shanice, Coko, At Billboard LiveTokyo, June 19th, 2008
[ ] indicates original act or the act who made the song hit
=Nikki=
show started at 21:30
01. Grapevyne
02. 5 Miles To Empty
03. Stop Messing Around
04. Rock With You [Michael Jackson]
05. Think Again
06. If You Love Me
=Shanice=
07. Get Up
08. When I Close My Eyes
09. Yesterday
10. Medley(10-12): Fly Away
11. Lovin’ You [Minnie Riperton]
12. Silent Prayer
13. I Love Your Smile
=Coko=
14. Right Here / Human Nature [Michael Jackson]
15. Ain’t No Sunshine [Bill Withers] / Sunshine
16. Weak
17. If Only You Knew [Patti LaBelle]
18. Clap Your Hands
Enc. I’m Every Woman [Chaka Khan, Whitney Houston]
Show ended 22:44
(2008年6月19日木曜、ビルボード・ライヴ東京=レディー・オブ・ソウル・ライヴ=ニッキー、シャニース、ココ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Lady Of Soul
ENT>MUSIC>LIVE>Nicci, Shanice, Coko
2008-106
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