Robbie Dupree Live At Shibuya Duo
2004年3月13日カヴァー。
前半は、ゆったりしたゆるい雰囲気でショウは進んでいきました。4人のバンドは、なかなかにシュアなバンドです。最初ベースがいいなと思ったら、ヴェテランのリック・チーダコフ、ドラムスも途中からえらくよくなったなと思ったら、ピーター・バネッタということで、もう25年以上もトップクラスで活躍している人たちではありませんか。彼らはこの日の主人公と20年以上前に多くの作品で共演していたわけです。彼らなら間違いない! これにキーボード・ピアノ、デイヴィッド・サンチェスそして、ギターにラリー・ホッペンという4人バンドは、一言で言えば、いかにもバーやラウンジでトップ40ヒットなどを演奏していそうなバンドです。そして、主人公の名前は、ロビー・デュプリー。
1980年に「スティール・アウェイ」の大ヒットが生まれたいかにもウェストコースト風のアダルト・コンテンポラリー系のアーティストです。声質、曲調からして、マイケル・マクドナルド系のシンガーということになります。
さて、その「スティール・アウェイ」、「ホット・ロッド・ハーツ」に続いて、なんと聞き覚えのあるギターリフが。何かと思えば、スピナーズの大ヒット「アイル・ビー・アラウンド」が登場。ドラムスのピーターが俄然のりだして、生き生きしてきました。ギターもおなじみの繰り返しのリフが盛り上がります。この曲で一度ステージを終えた後、アンコールで演奏しだしたのが、アイズレーの「ワーク・トゥ・ドゥ」! さらにリズムがのりのりになりました。このあたりのサウンドを聴いて、彼らはバーなどのラウンジで客を踊らせるようなバンドとしてぴったりではないかと感じました。
この日は2階は使わず1階のみで6割ぐらいでしょうか。ライヴ終了後、メンバーがすぐに客席に下りてきました。ロビーが来たのでちょっと話をしました。彼はすでに10回近く来日している、といいます。前回はマウントフジ・ジャズ・フェスに来ていたそうです。「スピナーズとアイズレーのカヴァーは、なぜまた?」 ロビー。「もちろん、それが好きだからだけどね。こういうのりがいい曲だと観客のリアクションもいいだろう。(アメリカでは)カヴァーだけのライヴをやったりすることもあるんだ。スタイリスティックス、アヴェレージ・ホワイト・バンド、アイズレーなどのヒット曲ばっかりやったりしてね。ある時は、時間を区切って前半はオリジナル、後半はこうしたクラシックをやったりね」
彼のCDは現在、キーボード担当であるデイヴィッドとともに書いた楽曲が多く収録され、自らインディで発売している。約5000枚のセールスをあげるそうだが、こうして自分たちでやっていく分には充分な数字だとロビーは言った。
ところで、ロビーは1946年12月23日ニューヨーク生まれ。ということで57歳なのだが、彼のサウンドはしばしばウェストコーストサウンドと呼ばれます。そのことを訊いてみました。「あなたはニューヨーク生まれなのに、なぜあなたのサウンドは、ウェストコーストっぽいのですか」 すると彼は答えた。「うん、それは僕が長い間ウェストコーストに住んでいたからじゃないかな。79年くらいから、20年近くね。今? ニューヨーク郊外のウッドストックに住んでるよ」
ちょっとショーン・コネリーを若くしたような感じのロビーだけでなく、みな、いい感じの人たちだ。
Setlist
show started 19.36
01. Goodbye LA
02. Miracle Mile
03. Real World
04. Right Direction
05. Mister O
06. Desperation
07. Talk To You
08. This Is Life
09. It’s Too Late To Talking Over
10. Sunny Days
11. Dance With Me (Larry on Guitar)
12. Steal Away
13. Hot Rod Hearts
14. I’ll Be Around
Enc 1. Work To Do
Enc 2. Driftin & Driftin
F# Blues Jam
show ended 21.05
(2004年3月12日金曜=渋谷DUO、ロビー・デュプリー・ライヴ)
前半は、ゆったりしたゆるい雰囲気でショウは進んでいきました。4人のバンドは、なかなかにシュアなバンドです。最初ベースがいいなと思ったら、ヴェテランのリック・チーダコフ、ドラムスも途中からえらくよくなったなと思ったら、ピーター・バネッタということで、もう25年以上もトップクラスで活躍している人たちではありませんか。彼らはこの日の主人公と20年以上前に多くの作品で共演していたわけです。彼らなら間違いない! これにキーボード・ピアノ、デイヴィッド・サンチェスそして、ギターにラリー・ホッペンという4人バンドは、一言で言えば、いかにもバーやラウンジでトップ40ヒットなどを演奏していそうなバンドです。そして、主人公の名前は、ロビー・デュプリー。
1980年に「スティール・アウェイ」の大ヒットが生まれたいかにもウェストコースト風のアダルト・コンテンポラリー系のアーティストです。声質、曲調からして、マイケル・マクドナルド系のシンガーということになります。
さて、その「スティール・アウェイ」、「ホット・ロッド・ハーツ」に続いて、なんと聞き覚えのあるギターリフが。何かと思えば、スピナーズの大ヒット「アイル・ビー・アラウンド」が登場。ドラムスのピーターが俄然のりだして、生き生きしてきました。ギターもおなじみの繰り返しのリフが盛り上がります。この曲で一度ステージを終えた後、アンコールで演奏しだしたのが、アイズレーの「ワーク・トゥ・ドゥ」! さらにリズムがのりのりになりました。このあたりのサウンドを聴いて、彼らはバーなどのラウンジで客を踊らせるようなバンドとしてぴったりではないかと感じました。
この日は2階は使わず1階のみで6割ぐらいでしょうか。ライヴ終了後、メンバーがすぐに客席に下りてきました。ロビーが来たのでちょっと話をしました。彼はすでに10回近く来日している、といいます。前回はマウントフジ・ジャズ・フェスに来ていたそうです。「スピナーズとアイズレーのカヴァーは、なぜまた?」 ロビー。「もちろん、それが好きだからだけどね。こういうのりがいい曲だと観客のリアクションもいいだろう。(アメリカでは)カヴァーだけのライヴをやったりすることもあるんだ。スタイリスティックス、アヴェレージ・ホワイト・バンド、アイズレーなどのヒット曲ばっかりやったりしてね。ある時は、時間を区切って前半はオリジナル、後半はこうしたクラシックをやったりね」
彼のCDは現在、キーボード担当であるデイヴィッドとともに書いた楽曲が多く収録され、自らインディで発売している。約5000枚のセールスをあげるそうだが、こうして自分たちでやっていく分には充分な数字だとロビーは言った。
ところで、ロビーは1946年12月23日ニューヨーク生まれ。ということで57歳なのだが、彼のサウンドはしばしばウェストコーストサウンドと呼ばれます。そのことを訊いてみました。「あなたはニューヨーク生まれなのに、なぜあなたのサウンドは、ウェストコーストっぽいのですか」 すると彼は答えた。「うん、それは僕が長い間ウェストコーストに住んでいたからじゃないかな。79年くらいから、20年近くね。今? ニューヨーク郊外のウッドストックに住んでるよ」
ちょっとショーン・コネリーを若くしたような感じのロビーだけでなく、みな、いい感じの人たちだ。
Setlist
show started 19.36
01. Goodbye LA
02. Miracle Mile
03. Real World
04. Right Direction
05. Mister O
06. Desperation
07. Talk To You
08. This Is Life
09. It’s Too Late To Talking Over
10. Sunny Days
11. Dance With Me (Larry on Guitar)
12. Steal Away
13. Hot Rod Hearts
14. I’ll Be Around
Enc 1. Work To Do
Enc 2. Driftin & Driftin
F# Blues Jam
show ended 21.05
(2004年3月12日金曜=渋谷DUO、ロビー・デュプリー・ライヴ)
ジャムセッション。
ブルーノートでロイ・エアーズのライヴが終わると、ボビーとロイがワインセラーの前にでてきてCDを持っている人へサインを始めた。ボビーは、実に明るいキャラクターで誰とでもすぐに友達になれそうな雰囲気をもった人物。一緒に写真をとってもいいか、というとすぐに二つ返事「OK,OK」。
さてこの後、ライヴに飛び入りしたトク(TOKU)を始め、ロイを見に来ていたゴスペラーズの北山氏、日本在住のR&Bシンガー、エボニー・フェイ、ロイ・エアーズ・バンドのドラマー、デニス・デイヴィス、日本在住のドラマー、トミー・キャンベルなどが、代官山の某店に行くというので、移動した。
ちょうど、その日はソニーのジャズセクションが独立するというので、若干のお披露目パーティーのようなものが行われていた。その店は10坪少々という感じの店でアップライトピアノとドラムセットなどが置かれていて、サックス、アコースティックベースなどもある。店に入るときには、すでにジャムセッションが行われていた。ソニージャズ所属のグループ、アーブ(urb)や小沼ようすけさんなどが演奏していた。
それぞれのミュージシャンが、好き勝手にはいったりでたりして、思い思いにプレイする。本当に自分たちがやりたいからそこでジャムセッションをするという感じだ。適当にその場でやる曲を決めて、その曲なら僕が、私が歌える、というのりでやる。
いつのまにか、デニスがドラムスのところに座って軽妙なドラムを叩いている。聞き覚えのあるメロディーが…。おっと、ダニー・ハザウェイの「ゲットー」ではないか! 小沼さんのギターがけっこう黒くなってる。サックスは、ロイ・エアーズ・バンドのレイ・ガスキンスだ。いすに座りながら、吹いてる。いいね、いいね、こんなところで、こんな「ゲットー」が聞けるなんて! ファンキーなソウルがあるかと思えば、ソニー・ジャズのチーフ、渡辺こうぞうさんらのサックスによるストレートジャズも。しかし、うまいですねえ。玄人はだし、っていうか、ある意味玄人か…。(笑) ピアノもいれかわり立ち代りでしたが、そのうちの一人はクリヤ・マコトさんでした。生を見るのは初めてでしたが、お名前はよく見ていました。これからもよろしく。
夜中の2時を過ぎたら、なんと、ケイリブがエボニーから聞いたということで登場。びっくりした。さらに、その後、BNからボビー・ハンフリーまで登場。さすがに彼女は楽器を持っていなかったが。そこにいたシャンティさん、作詞作曲、それに歌などもやる人ですが彼女が「ミスティー」や、アレサでおなじみの「ユー・メイク・ミー・フィール・ナチュラル・ウーマン」を歌った。いいなあ、すぐにぱっとピアニストの人と、コードは何で、とか言って一曲歌えるなんて。
なんと、ケイリブとデニスはニューヨーク時代からの知り合いだった。お互いこんなところで、何年ぶりかで出会って両方ともびっくりしてる。ケイが言う。「彼とは、ニューヨークのめちゃくちゃアフターアワーズのクラブでよくあったんだよ。そこは夜中の2時から始まって、朝の10時くらいまでやってるんだ。あそこではサングラスはかっこをつけるためにつけるんじゃないんだ。外に出たとき、(まぶしいから)目を守るために、絶対に必要なんだよ(笑)」
ケイリブがいつのまにかピアノを弾き始めていたので、その後ろの椅子に座って聴いた。ケイはブライアンが弾けるので、話してみると、残念ながら北山さん得意の「6,8,12」は弾けないという。だがRケリーの「アイ・ビリーヴ・アイ・キャン・フライ」が弾けるというので、その伴奏で北山さんが歌うことに。後半は横に座っていたレイが歌で参加。う〜む、レイもいい声してるな。まあ、言ってみれば超ぜいたくなカラオケ、というか、バンド演奏に歌という感じか。そして、ケイに「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」をリクエストした。先のシャンティが歌えるので、シャンティの歌、ケイのピアノで始まり、途中からケイもトクも北山さんなどもはいってきた。けっこう、やはりこの曲は知っていて、みんなの合唱になった。ダニーハザウェイのライヴほどではないにしろ、プチあんな感じ。
しかし、こんなことが定期的に起こっていたら、日本の音楽シーンも絶対に変わりますね。小沼さんのギターも黒人のドラム、ピアノ、あるいは、サックスなどに囲まれると間違いなく黒くなる。これぞ、ミュージシャン同士に起こる化学反応、そしてミュージシャンシップだ。トクさんが帰り際に言った。「絶対こういう場所がないといけないんだよね。今、あまりないからなあ」
その昔、ロスの何人かのミュージシャンが毎週火曜の夜ライヴハウスに集まって、ビールを飲み、ジャムセッションをし、ときに曲を作ったりしていた。そこから発展してできたのが、シェリル・クロウのアルバム『チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ』だ。自然発生的にミュージシャンたちが集まり、ミュージシャンの輪が広まって何かが生まれたら、これはすばらしいことだ。
この日、代官山のジャズバーでの自由なミュージシャンたちのジャムセッションを見ていると、チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブのようなものが月一でも始まれば、いいなあと思った。「ダイカンヤマ・ミュージック・クラブ」か? (笑) しかし、日本一のファンキードラマー、トミー・キャンベルのあのでかいドラムスの音は、近所からクレイムはこないのだろうか。(笑)
(2004年3月10日水曜=ジャムセッション)
ブルーノートでロイ・エアーズのライヴが終わると、ボビーとロイがワインセラーの前にでてきてCDを持っている人へサインを始めた。ボビーは、実に明るいキャラクターで誰とでもすぐに友達になれそうな雰囲気をもった人物。一緒に写真をとってもいいか、というとすぐに二つ返事「OK,OK」。
さてこの後、ライヴに飛び入りしたトク(TOKU)を始め、ロイを見に来ていたゴスペラーズの北山氏、日本在住のR&Bシンガー、エボニー・フェイ、ロイ・エアーズ・バンドのドラマー、デニス・デイヴィス、日本在住のドラマー、トミー・キャンベルなどが、代官山の某店に行くというので、移動した。
ちょうど、その日はソニーのジャズセクションが独立するというので、若干のお披露目パーティーのようなものが行われていた。その店は10坪少々という感じの店でアップライトピアノとドラムセットなどが置かれていて、サックス、アコースティックベースなどもある。店に入るときには、すでにジャムセッションが行われていた。ソニージャズ所属のグループ、アーブ(urb)や小沼ようすけさんなどが演奏していた。
それぞれのミュージシャンが、好き勝手にはいったりでたりして、思い思いにプレイする。本当に自分たちがやりたいからそこでジャムセッションをするという感じだ。適当にその場でやる曲を決めて、その曲なら僕が、私が歌える、というのりでやる。
いつのまにか、デニスがドラムスのところに座って軽妙なドラムを叩いている。聞き覚えのあるメロディーが…。おっと、ダニー・ハザウェイの「ゲットー」ではないか! 小沼さんのギターがけっこう黒くなってる。サックスは、ロイ・エアーズ・バンドのレイ・ガスキンスだ。いすに座りながら、吹いてる。いいね、いいね、こんなところで、こんな「ゲットー」が聞けるなんて! ファンキーなソウルがあるかと思えば、ソニー・ジャズのチーフ、渡辺こうぞうさんらのサックスによるストレートジャズも。しかし、うまいですねえ。玄人はだし、っていうか、ある意味玄人か…。(笑) ピアノもいれかわり立ち代りでしたが、そのうちの一人はクリヤ・マコトさんでした。生を見るのは初めてでしたが、お名前はよく見ていました。これからもよろしく。
夜中の2時を過ぎたら、なんと、ケイリブがエボニーから聞いたということで登場。びっくりした。さらに、その後、BNからボビー・ハンフリーまで登場。さすがに彼女は楽器を持っていなかったが。そこにいたシャンティさん、作詞作曲、それに歌などもやる人ですが彼女が「ミスティー」や、アレサでおなじみの「ユー・メイク・ミー・フィール・ナチュラル・ウーマン」を歌った。いいなあ、すぐにぱっとピアニストの人と、コードは何で、とか言って一曲歌えるなんて。
なんと、ケイリブとデニスはニューヨーク時代からの知り合いだった。お互いこんなところで、何年ぶりかで出会って両方ともびっくりしてる。ケイが言う。「彼とは、ニューヨークのめちゃくちゃアフターアワーズのクラブでよくあったんだよ。そこは夜中の2時から始まって、朝の10時くらいまでやってるんだ。あそこではサングラスはかっこをつけるためにつけるんじゃないんだ。外に出たとき、(まぶしいから)目を守るために、絶対に必要なんだよ(笑)」
ケイリブがいつのまにかピアノを弾き始めていたので、その後ろの椅子に座って聴いた。ケイはブライアンが弾けるので、話してみると、残念ながら北山さん得意の「6,8,12」は弾けないという。だがRケリーの「アイ・ビリーヴ・アイ・キャン・フライ」が弾けるというので、その伴奏で北山さんが歌うことに。後半は横に座っていたレイが歌で参加。う〜む、レイもいい声してるな。まあ、言ってみれば超ぜいたくなカラオケ、というか、バンド演奏に歌という感じか。そして、ケイに「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」をリクエストした。先のシャンティが歌えるので、シャンティの歌、ケイのピアノで始まり、途中からケイもトクも北山さんなどもはいってきた。けっこう、やはりこの曲は知っていて、みんなの合唱になった。ダニーハザウェイのライヴほどではないにしろ、プチあんな感じ。
しかし、こんなことが定期的に起こっていたら、日本の音楽シーンも絶対に変わりますね。小沼さんのギターも黒人のドラム、ピアノ、あるいは、サックスなどに囲まれると間違いなく黒くなる。これぞ、ミュージシャン同士に起こる化学反応、そしてミュージシャンシップだ。トクさんが帰り際に言った。「絶対こういう場所がないといけないんだよね。今、あまりないからなあ」
その昔、ロスの何人かのミュージシャンが毎週火曜の夜ライヴハウスに集まって、ビールを飲み、ジャムセッションをし、ときに曲を作ったりしていた。そこから発展してできたのが、シェリル・クロウのアルバム『チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ』だ。自然発生的にミュージシャンたちが集まり、ミュージシャンの輪が広まって何かが生まれたら、これはすばらしいことだ。
この日、代官山のジャズバーでの自由なミュージシャンたちのジャムセッションを見ていると、チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブのようなものが月一でも始まれば、いいなあと思った。「ダイカンヤマ・ミュージック・クラブ」か? (笑) しかし、日本一のファンキードラマー、トミー・キャンベルのあのでかいドラムスの音は、近所からクレイムはこないのだろうか。(笑)
(2004年3月10日水曜=ジャムセッション)
黒さ。
セカンドステージ入場前に待っている間、人間観察をしていると、本当に音楽のジャンルによって集まってくる人種が違うという事実が改めておもしろく感じられる。この日の客層は、普通のブルーノートのそれと明らかに違う。普段はスーツ、ネクタイ系が多い一方、例えばアイズレーは、いかにも昔ディスコで遊んでました系が主流で、スーツ姿もほんの一握り。これにミスター・ビッグスでアイズレーを知った20代の男女で、客層が構成される感じ。このロイ・エアーズのライヴは、クラブによく行ってそうな若い層が圧倒的に多い。
ロイ・エヤーズは昨年横浜モーションブルーに来日している。(2003年8月22日付け日記)今回はゲストに初来日のフルート奏者ボビー・ハンフリーを従えてのライヴになる。ロイは、ヴィブラホーン奏者。日本語でわかりやすく言えば鉄琴奏者だ。彼が使用しているのは電子鉄琴。90年代にはいってからロンドンのクラブシーンなどで注目を集めるようになり、日本でも人気となった。鉄琴を叩く棒のことをマレットという。彼は常に4本のマレットを持ち、その華麗なマレット裁きは、いつも通りお見事。
さて今日は、いきなり「サーチン」でスタート。バンドは、ドラムス、ギター、ベース、サックス(キーボードも兼任)の4人。これにゲストでボビー・ハンフリー登場となる。
このサックスとキーボード担当のレイ・ガスキンスは、ニューヨーク・アポロ劇場で毎週水曜に行われている「アマチュア・ナイト」などのバンドリーダーをしている人物。実は歌もうまい。また、ドラムスのデニス・デイヴィスはかなり面白い男で、これまでにスティーヴィー・ワンダーに12年、ジョージ・ベンソンバンドにも数年、デイヴィッド・ボウイにもいた。5人の子供がいて、長男のTボーンは、ロンドン本拠のドラマーで、ラップ・グループ、パブリック・エナミーのバンドでも演奏しているという。
この日は4曲目「エヴリバディー・ラヴズ・サンシャイン」で、日本のシンガー/フルーゲルホーン奏者、トク(Toku)が飛び入りで出演。自由自在に吹きまくっていた。こうした自由な飛び入りというのがどんどん行われるともっともっとライヴシーンが盛り上がる。
5曲目でボビー・ハンフリーがでてきた。いきなり、何をやるのかと思えば、ライオネル・リッチーの大ヒット曲のカヴァー、「ハロー」。主旋律をフルートで吹く。なかなかいい感じがでていた。それより、ボビーがものすごく小さかった。150センチはないように思えた。実際に見るのは初めてなので、ちょっと驚いた。
ロイはステージでこう言った。「先日(昨年9月)、私は63歳の誕生日を祝ったんだが、41年間こうして音楽をやりつづけている。私にとって音楽とは愛だ。女性のようなものだ。恋人であり、愛人だ。これに熱中していると、濡れてきて、満足してくるからだ」
ロイにせよ、ボビーにせよ、どんなメロディーをいかなるリズムで演奏しても、どうやってもグルーヴが爆発し「黒く」なる。ボビーはフルートで3曲演奏するが、3曲目の「ハーレム・リヴァー・ドライヴ」ではアップテンポのグルーヴ感あふれる曲にのりのいいフルートをかぶせた。
ドラマーのデニスは、「この後、ロンドンではロニー・スコットのクラブで3週間、36回のライヴをやるんだ。日本と逆だったらいいのにね(ロンドン3日の日本3週間だったらいいのに、の意味)。(笑)」という。
終った後、なんとヴェテランDJアトムとばったり。いつもイヴェントの案内もらってます。ありがとうございます。「いやあ、僕はロイ・エヤーズ、全部持ってますよ! 今日は『フリーキー・ディッキー』(77年作品)聴きたかったのになあ。なんでやんないんだあ」と酔っ払いながら、文句を言っていた。(笑)
setlist (second stage)
show started 21.40
01. Searching
02. Running Away
03. Evolution
04. Everybody Loves Sunshine (with Toku)
With Bobbi Humphrey
05. Hello
06. Home Made Jams
07. Harlem River Drive
08. We Live In Brooklyn, Baby
09. Don’t Stop The Feeling
show ended 22.53
ブルーノートのウェッブ。
http://www.bluenote.co.jp/art/20040307.html
(2004年3月10日水=東京ブルーノート=ロイ・エアーズ・ライヴ、フィーチャリング・ボビー・ハンフリー)
セカンドステージ入場前に待っている間、人間観察をしていると、本当に音楽のジャンルによって集まってくる人種が違うという事実が改めておもしろく感じられる。この日の客層は、普通のブルーノートのそれと明らかに違う。普段はスーツ、ネクタイ系が多い一方、例えばアイズレーは、いかにも昔ディスコで遊んでました系が主流で、スーツ姿もほんの一握り。これにミスター・ビッグスでアイズレーを知った20代の男女で、客層が構成される感じ。このロイ・エアーズのライヴは、クラブによく行ってそうな若い層が圧倒的に多い。
ロイ・エヤーズは昨年横浜モーションブルーに来日している。(2003年8月22日付け日記)今回はゲストに初来日のフルート奏者ボビー・ハンフリーを従えてのライヴになる。ロイは、ヴィブラホーン奏者。日本語でわかりやすく言えば鉄琴奏者だ。彼が使用しているのは電子鉄琴。90年代にはいってからロンドンのクラブシーンなどで注目を集めるようになり、日本でも人気となった。鉄琴を叩く棒のことをマレットという。彼は常に4本のマレットを持ち、その華麗なマレット裁きは、いつも通りお見事。
さて今日は、いきなり「サーチン」でスタート。バンドは、ドラムス、ギター、ベース、サックス(キーボードも兼任)の4人。これにゲストでボビー・ハンフリー登場となる。
このサックスとキーボード担当のレイ・ガスキンスは、ニューヨーク・アポロ劇場で毎週水曜に行われている「アマチュア・ナイト」などのバンドリーダーをしている人物。実は歌もうまい。また、ドラムスのデニス・デイヴィスはかなり面白い男で、これまでにスティーヴィー・ワンダーに12年、ジョージ・ベンソンバンドにも数年、デイヴィッド・ボウイにもいた。5人の子供がいて、長男のTボーンは、ロンドン本拠のドラマーで、ラップ・グループ、パブリック・エナミーのバンドでも演奏しているという。
この日は4曲目「エヴリバディー・ラヴズ・サンシャイン」で、日本のシンガー/フルーゲルホーン奏者、トク(Toku)が飛び入りで出演。自由自在に吹きまくっていた。こうした自由な飛び入りというのがどんどん行われるともっともっとライヴシーンが盛り上がる。
5曲目でボビー・ハンフリーがでてきた。いきなり、何をやるのかと思えば、ライオネル・リッチーの大ヒット曲のカヴァー、「ハロー」。主旋律をフルートで吹く。なかなかいい感じがでていた。それより、ボビーがものすごく小さかった。150センチはないように思えた。実際に見るのは初めてなので、ちょっと驚いた。
ロイはステージでこう言った。「先日(昨年9月)、私は63歳の誕生日を祝ったんだが、41年間こうして音楽をやりつづけている。私にとって音楽とは愛だ。女性のようなものだ。恋人であり、愛人だ。これに熱中していると、濡れてきて、満足してくるからだ」
ロイにせよ、ボビーにせよ、どんなメロディーをいかなるリズムで演奏しても、どうやってもグルーヴが爆発し「黒く」なる。ボビーはフルートで3曲演奏するが、3曲目の「ハーレム・リヴァー・ドライヴ」ではアップテンポのグルーヴ感あふれる曲にのりのいいフルートをかぶせた。
ドラマーのデニスは、「この後、ロンドンではロニー・スコットのクラブで3週間、36回のライヴをやるんだ。日本と逆だったらいいのにね(ロンドン3日の日本3週間だったらいいのに、の意味)。(笑)」という。
終った後、なんとヴェテランDJアトムとばったり。いつもイヴェントの案内もらってます。ありがとうございます。「いやあ、僕はロイ・エヤーズ、全部持ってますよ! 今日は『フリーキー・ディッキー』(77年作品)聴きたかったのになあ。なんでやんないんだあ」と酔っ払いながら、文句を言っていた。(笑)
setlist (second stage)
show started 21.40
01. Searching
02. Running Away
03. Evolution
04. Everybody Loves Sunshine (with Toku)
With Bobbi Humphrey
05. Hello
06. Home Made Jams
07. Harlem River Drive
08. We Live In Brooklyn, Baby
09. Don’t Stop The Feeling
show ended 22.53
ブルーノートのウェッブ。
http://www.bluenote.co.jp/art/20040307.html
(2004年3月10日水=東京ブルーノート=ロイ・エアーズ・ライヴ、フィーチャリング・ボビー・ハンフリー)
演技者。
実は今日は渋谷DUOにキャロン・ウィーラーを見に行く予定だったのですが、前日ソウルメイトMさんから、デイヴィッド・ボウイ行きませんか、とのお誘いがあり、急遽変更してボウイに行くことにした。たしか、「レッツ・ダンス」が大ヒットした後の来日公演に行って以来。ボウイ自体の来日ライヴは約8年ぶり。待ち合わせはライヴ開始が7時なので、東京ドームの敷地内のコーヒーショップに6時半。
6時35分頃、車を止めてドームの敷地内に入るものの、やはりどのコーヒーショップかわからず、Mさんに電話。「どこ? 後楽園ホールの横あたり。お茶飲めるところ、たくさんある。ドーナッツあたり?」 「ドーナッツ? 駐車場の前の小汚いコーヒーショップだよ。武道館のまん前の!」 「えええっ? 武道館????」 やっちゃいました。(笑) なぜか前日からすっかり会場を東京ドームと勘違いしていたのでした。理由はわからず。人間思い込みは、いけませんねえ。(笑)
あわてて、武道館へ直行! さっき、横通ったのになあ。実はその時一瞬、「武道館じゃないよなあ」などと思いがよぎったのだが…。それは虫の知らせだったか。なぜ、確認しない。(←自問自答) 武道館まではほぼ10分。7時過ぎには武道館の駐車場へ。駐車場から会場入口へ向かうところで、Mさんから声をかけられた。車が入るのが見えたのだという。「いやあ、すいません、お待たせしちゃって! まったく勘違いしてました」
このチケットは、Mさんの友人の某社社長Sさんからのものということで、席はどの辺だかわからない、というのだが、なんと座席を見ると前から6列目、しかも、ほぼ真中のEブロック。おおおっ。こ、こ、これはすごい。中にはいると、ステージ中央にせり出しがあって、実質的には前から3番目のほぼ真中というあたりだった。Sさんにご挨拶、丁重にお礼をいいつつ、すでにこの時点で前座のグルーヴ・シンジケートの演奏が始まっていた。
ステージ横から、ものすごい勢いでスモークがでている。ステージに立っているのがどうやら3人らしいのだが、そのスモークでよく見えない。(笑) 目を横に転じると、壁に大きな「禁煙」のサイン。おいおい、煙、禁止じゃないのか。(笑) それはおいといて、この3人、一見ダークスーツにサングラスで、やっている音楽は打ち込み系のハウス、テクノ、ディスコ系。キーボード2台にギターという布陣。音楽的には、僕の趣味ではないが、なんとなく、初期YMOを思わせ、妙に「売れそうな」感じがした。根拠はないのだが、勘です。
座席にチラシがあった。それによると、このグルーヴ・シンジケートは、松居常松、布袋寅泰、岸利至、オオエタツヤの4人によるユニットだという。だが、布袋さんはいなかった。なぜだろう。
さて、セットチェンジをして、7時49分、暗転。前方マルチスクリーンにアニメのようなものが映し出され、ライヴがスタート。そのスクリーンが真っ白の光の壁になったところでミュージシャンがその前を通って登場。逆光になって、彼ら一人一人がシルエットになって実にクール。そして、デイヴィッド・ボウイ本人が黒のジーンズに黒グレイっぽいTシャツで登場。これが、また筋トレしっかりしていて、めちゃかっこいい。驚きました。目の前3メートルくらいのところにいるボウイは、大変なオーラと存在感を発揮してました。
最大の印象は、彼が歌う姿を見ていると、まるで映画の一シーンではないかと思うほど、美しいということ。いくつかの曲で、彼はアーティストであり、シンガーであったのですが、同時にアクター(俳優)でもありました。あまりミュージシャンの演奏するところ、あるいは、歌うところをみて、映画の一シーンなどと思うことはありませんが、スクリーンに映し出されるであろうことが、目の前で行われている、という感覚になりました。映画撮影の現場がそこにあるかのような錯覚です。
これは、やっぱり彼自身が映像作家でもあるからなんでしょうね。映画に何本もでたり、自らプロモーションビデオも凝ったものを作ったりしていて。彼にはアクターとしての資質もかなりあるのだと思いました。これはただのロックスターにはなかなかないものです。バックから照明を当て、ボウイの姿がシルエットになるというような演出ももちろん非常に効果的です。マルチスクリーンを使ってヴィジュアル面でもかなりおもしろいものを見せていますが、それ以上に、デイヴィッド・ボウイ自身がヴィジュアル・アーティストです。被写体というか。まあ、一言で言えば、真の意味でのパフォーマー、演技者。
一曲目から立ち上がった観客。その腕には、[Bring Me db](dbはデイヴィッド・ボウイの略)の文字が書かれたプラカード。ステージには、ギター2人、ドラムス、キーボード2人、そして、黒人女性ベース奏者。彼女の服装はピンク、黄緑、黒、グレイの4色がきっちり分けられたとてもカラフルなもの。特に、ピンクと黄緑のところが、蛍光になっていて、ブラックライトに当たって実に発色よく綺麗。ボウイは実によく声がでている。
24曲を完全燃焼で歌いきり、さらにアンコールを5曲! 計29曲。2時間25分たっぷりです。いやあ、久々にコンサート見て、こっちの肩がこった。(笑) 本編がこれだけ長いなら、前座いらないじゃない。(笑) ライヴ終了は10時をさらにまわり、10時14分。驚いた。いやあ、別に彼の音楽はそれほど僕のタイプではないんですが、それにしても普通に一音楽ファンとして感動しました。この感動の半分以上は、この前から3列目、ボウイの目前という座席の良さにあったことは疑う余地がありません。Sさん、ありがとうございます。
外にでてプログラムでも買おうと思ったら、めちゃくちゃ長い列でしかも白いテントのところで入場制限をしているので、あきらめました。車をだしたところ、武道館正面の路上に真っ白で非常に長いリムジンが止まっていた。あれは、デイヴィッド・ボウイが乗るのだろうか。でも、ボウイが乗るのなら、もっと楽屋口に近いところにあるはず。お客さんなのかな。
夕食がまだなので、何か食べに行こうと麻布十番のK庵に向かうが、なんと満席で入れず。そこで、Mさんの提案でよく行っていた白金のQへ。和系の創作料理だという。Mさんが言う。「昔、そこよく行っててさ、ミュージシャンとか意外と多いのよ。夜遅くまでやってるんで。布袋寅泰とか今井美樹とかもよく来てたよ」 地下の店に入ると意外と天井が高く、大きな丸テーブル2つ、4人テーブルが2つに長いカウンター。時々、ライヴもやるという。近いうちでは4月10日にブラック・ボトム・ブラス・バンドという7人組のニューオーリーンズ系セカンドラインのバンドのライヴをやるという。おなかがすいているので、刺身やいろいろ次々とオーダー。ドリンクが来たあたりで、Mさんがお店の人を紹介してくれ名刺交換。93年12月にオープンで、この前ちょうど10周年を迎えたという。
しばらく談笑中に、お店の人が、「すいません、ちょっとこちらのテーブルに今から7-8人くらいのグループがいらっしゃるんで、そちらの5人テーブルの方に移っていただけますか?」と言ってきた。「ああ、いいっすよ。問題ない。問題ない」 しばし、何品かでてきて、談笑が続くと、そのグループが到着。Mさん入口を見て、唖然。「うわさをすればなんとやら…」 な、な、なんとさっきMさんが言った人たちの一行だった。ということはうち3人はステージにいたわけですね。ひょっとしてあの白いリムジンは彼らだったのか。4人目のメンバーは夫婦でどこかで見ていたわけだ。こうして、白金の夜は更けていく…。
(2004年3月9日火曜・武道館=デイヴィッド・ボウイ・ライヴ)
>かりあさん
お帰りなさい。待ってましたよ。(笑)
実は今日は渋谷DUOにキャロン・ウィーラーを見に行く予定だったのですが、前日ソウルメイトMさんから、デイヴィッド・ボウイ行きませんか、とのお誘いがあり、急遽変更してボウイに行くことにした。たしか、「レッツ・ダンス」が大ヒットした後の来日公演に行って以来。ボウイ自体の来日ライヴは約8年ぶり。待ち合わせはライヴ開始が7時なので、東京ドームの敷地内のコーヒーショップに6時半。
6時35分頃、車を止めてドームの敷地内に入るものの、やはりどのコーヒーショップかわからず、Mさんに電話。「どこ? 後楽園ホールの横あたり。お茶飲めるところ、たくさんある。ドーナッツあたり?」 「ドーナッツ? 駐車場の前の小汚いコーヒーショップだよ。武道館のまん前の!」 「えええっ? 武道館????」 やっちゃいました。(笑) なぜか前日からすっかり会場を東京ドームと勘違いしていたのでした。理由はわからず。人間思い込みは、いけませんねえ。(笑)
あわてて、武道館へ直行! さっき、横通ったのになあ。実はその時一瞬、「武道館じゃないよなあ」などと思いがよぎったのだが…。それは虫の知らせだったか。なぜ、確認しない。(←自問自答) 武道館まではほぼ10分。7時過ぎには武道館の駐車場へ。駐車場から会場入口へ向かうところで、Mさんから声をかけられた。車が入るのが見えたのだという。「いやあ、すいません、お待たせしちゃって! まったく勘違いしてました」
このチケットは、Mさんの友人の某社社長Sさんからのものということで、席はどの辺だかわからない、というのだが、なんと座席を見ると前から6列目、しかも、ほぼ真中のEブロック。おおおっ。こ、こ、これはすごい。中にはいると、ステージ中央にせり出しがあって、実質的には前から3番目のほぼ真中というあたりだった。Sさんにご挨拶、丁重にお礼をいいつつ、すでにこの時点で前座のグルーヴ・シンジケートの演奏が始まっていた。
ステージ横から、ものすごい勢いでスモークがでている。ステージに立っているのがどうやら3人らしいのだが、そのスモークでよく見えない。(笑) 目を横に転じると、壁に大きな「禁煙」のサイン。おいおい、煙、禁止じゃないのか。(笑) それはおいといて、この3人、一見ダークスーツにサングラスで、やっている音楽は打ち込み系のハウス、テクノ、ディスコ系。キーボード2台にギターという布陣。音楽的には、僕の趣味ではないが、なんとなく、初期YMOを思わせ、妙に「売れそうな」感じがした。根拠はないのだが、勘です。
座席にチラシがあった。それによると、このグルーヴ・シンジケートは、松居常松、布袋寅泰、岸利至、オオエタツヤの4人によるユニットだという。だが、布袋さんはいなかった。なぜだろう。
さて、セットチェンジをして、7時49分、暗転。前方マルチスクリーンにアニメのようなものが映し出され、ライヴがスタート。そのスクリーンが真っ白の光の壁になったところでミュージシャンがその前を通って登場。逆光になって、彼ら一人一人がシルエットになって実にクール。そして、デイヴィッド・ボウイ本人が黒のジーンズに黒グレイっぽいTシャツで登場。これが、また筋トレしっかりしていて、めちゃかっこいい。驚きました。目の前3メートルくらいのところにいるボウイは、大変なオーラと存在感を発揮してました。
最大の印象は、彼が歌う姿を見ていると、まるで映画の一シーンではないかと思うほど、美しいということ。いくつかの曲で、彼はアーティストであり、シンガーであったのですが、同時にアクター(俳優)でもありました。あまりミュージシャンの演奏するところ、あるいは、歌うところをみて、映画の一シーンなどと思うことはありませんが、スクリーンに映し出されるであろうことが、目の前で行われている、という感覚になりました。映画撮影の現場がそこにあるかのような錯覚です。
これは、やっぱり彼自身が映像作家でもあるからなんでしょうね。映画に何本もでたり、自らプロモーションビデオも凝ったものを作ったりしていて。彼にはアクターとしての資質もかなりあるのだと思いました。これはただのロックスターにはなかなかないものです。バックから照明を当て、ボウイの姿がシルエットになるというような演出ももちろん非常に効果的です。マルチスクリーンを使ってヴィジュアル面でもかなりおもしろいものを見せていますが、それ以上に、デイヴィッド・ボウイ自身がヴィジュアル・アーティストです。被写体というか。まあ、一言で言えば、真の意味でのパフォーマー、演技者。
一曲目から立ち上がった観客。その腕には、[Bring Me db](dbはデイヴィッド・ボウイの略)の文字が書かれたプラカード。ステージには、ギター2人、ドラムス、キーボード2人、そして、黒人女性ベース奏者。彼女の服装はピンク、黄緑、黒、グレイの4色がきっちり分けられたとてもカラフルなもの。特に、ピンクと黄緑のところが、蛍光になっていて、ブラックライトに当たって実に発色よく綺麗。ボウイは実によく声がでている。
24曲を完全燃焼で歌いきり、さらにアンコールを5曲! 計29曲。2時間25分たっぷりです。いやあ、久々にコンサート見て、こっちの肩がこった。(笑) 本編がこれだけ長いなら、前座いらないじゃない。(笑) ライヴ終了は10時をさらにまわり、10時14分。驚いた。いやあ、別に彼の音楽はそれほど僕のタイプではないんですが、それにしても普通に一音楽ファンとして感動しました。この感動の半分以上は、この前から3列目、ボウイの目前という座席の良さにあったことは疑う余地がありません。Sさん、ありがとうございます。
外にでてプログラムでも買おうと思ったら、めちゃくちゃ長い列でしかも白いテントのところで入場制限をしているので、あきらめました。車をだしたところ、武道館正面の路上に真っ白で非常に長いリムジンが止まっていた。あれは、デイヴィッド・ボウイが乗るのだろうか。でも、ボウイが乗るのなら、もっと楽屋口に近いところにあるはず。お客さんなのかな。
夕食がまだなので、何か食べに行こうと麻布十番のK庵に向かうが、なんと満席で入れず。そこで、Mさんの提案でよく行っていた白金のQへ。和系の創作料理だという。Mさんが言う。「昔、そこよく行っててさ、ミュージシャンとか意外と多いのよ。夜遅くまでやってるんで。布袋寅泰とか今井美樹とかもよく来てたよ」 地下の店に入ると意外と天井が高く、大きな丸テーブル2つ、4人テーブルが2つに長いカウンター。時々、ライヴもやるという。近いうちでは4月10日にブラック・ボトム・ブラス・バンドという7人組のニューオーリーンズ系セカンドラインのバンドのライヴをやるという。おなかがすいているので、刺身やいろいろ次々とオーダー。ドリンクが来たあたりで、Mさんがお店の人を紹介してくれ名刺交換。93年12月にオープンで、この前ちょうど10周年を迎えたという。
しばらく談笑中に、お店の人が、「すいません、ちょっとこちらのテーブルに今から7-8人くらいのグループがいらっしゃるんで、そちらの5人テーブルの方に移っていただけますか?」と言ってきた。「ああ、いいっすよ。問題ない。問題ない」 しばし、何品かでてきて、談笑が続くと、そのグループが到着。Mさん入口を見て、唖然。「うわさをすればなんとやら…」 な、な、なんとさっきMさんが言った人たちの一行だった。ということはうち3人はステージにいたわけですね。ひょっとしてあの白いリムジンは彼らだったのか。4人目のメンバーは夫婦でどこかで見ていたわけだ。こうして、白金の夜は更けていく…。
(2004年3月9日火曜・武道館=デイヴィッド・ボウイ・ライヴ)
>かりあさん
お帰りなさい。待ってましたよ。(笑)
研究。
まずは、なによりも、たった一本のギターで弾き語りをして、それを80分も続けるというその行為自体に拍手です。究極のひとりパフォーマンス。プリンスがらみでちょっとだけ興味があったアーニー・ディフランコですが、最新作『エデュケイテッド・ゲス』なども聴いていたりしたんです。
そして、オンエア・イースト改めオー・イーストとなったライヴ会場でアーニーを見ました。立ち見で8割方は入ってるでしょうか。すし詰めという状況ではないですが、まあまあ、よく入ってます。けっこう外国人密度が高かった。
前座が終わり、8時4分。ギター一本持って登場。弾き語りが始まった。しかし、そのギターの弾き方がやたらかっこいい。びっくりした。で、けっこうファンキーなフレーズがある。アコースティックギターなんですが、意外とベース風の音も出て、グルーヴ感もあります。
一番気に入ったのは、9曲目に歌われた「イヴォールヴ」という曲。実にファンキーで、のりがよくて気に入りました。ちょっとスライ・ストーン風で、ベース風の音が気持ちよくはじけます。でも、家に帰ってCD聴いたら、ぜんぜんライヴのほうがよかった! 彼女はひょっとしたら、今時には珍しい「CDの人」より「ライヴの人」かもしれません。一曲終るごとにギター技術者が新しいギターを持ってきて、それを持ちかえます。
曲間で話すことはなんとなくわかるんですが、英語の歌詞は、よほど予習していかないとわからないです。ここにきてる人たちはみな、歌詞カード対訳読んで、全部意味を理解しているんでしょうか。だとしたら、すばらしい。このライヴは歌詞がわかって聴いたら、もっともっと理解できて、楽しめるだろうと思いました。音楽より歌詞の比重がかなり高いです。もちろん、歌詞の意味などわからなくても、のりやグルーヴでいいと感じるというのも音楽のよさのひとつですが。
一見、アラニス・モリセット、シェリル・クロウ風、それにジョニ・ミッチェルや、キャロル・キングなどをまぶすとこんな風になるのでしょうか。何かじっくり研究してみたい対象のひとりではあります。
Setlist
show started 20.04
01. Names & Dates
02. Educated
03. Anticipate
04. Swan Dive
05. Origami
06. Swim
07. Knuckle Down
08. Studying Stones
09. Evolve
10. Bliss Like
11. Bubble
12. You Each Time
13. Phase
14. Recoil
15. Shameless
Enc. Gravel
show ended 21.24
(2004年3月8日月曜=渋谷オーイースト=アーニー・ディフランコ・ライヴ)
まずは、なによりも、たった一本のギターで弾き語りをして、それを80分も続けるというその行為自体に拍手です。究極のひとりパフォーマンス。プリンスがらみでちょっとだけ興味があったアーニー・ディフランコですが、最新作『エデュケイテッド・ゲス』なども聴いていたりしたんです。
そして、オンエア・イースト改めオー・イーストとなったライヴ会場でアーニーを見ました。立ち見で8割方は入ってるでしょうか。すし詰めという状況ではないですが、まあまあ、よく入ってます。けっこう外国人密度が高かった。
前座が終わり、8時4分。ギター一本持って登場。弾き語りが始まった。しかし、そのギターの弾き方がやたらかっこいい。びっくりした。で、けっこうファンキーなフレーズがある。アコースティックギターなんですが、意外とベース風の音も出て、グルーヴ感もあります。
一番気に入ったのは、9曲目に歌われた「イヴォールヴ」という曲。実にファンキーで、のりがよくて気に入りました。ちょっとスライ・ストーン風で、ベース風の音が気持ちよくはじけます。でも、家に帰ってCD聴いたら、ぜんぜんライヴのほうがよかった! 彼女はひょっとしたら、今時には珍しい「CDの人」より「ライヴの人」かもしれません。一曲終るごとにギター技術者が新しいギターを持ってきて、それを持ちかえます。
曲間で話すことはなんとなくわかるんですが、英語の歌詞は、よほど予習していかないとわからないです。ここにきてる人たちはみな、歌詞カード対訳読んで、全部意味を理解しているんでしょうか。だとしたら、すばらしい。このライヴは歌詞がわかって聴いたら、もっともっと理解できて、楽しめるだろうと思いました。音楽より歌詞の比重がかなり高いです。もちろん、歌詞の意味などわからなくても、のりやグルーヴでいいと感じるというのも音楽のよさのひとつですが。
一見、アラニス・モリセット、シェリル・クロウ風、それにジョニ・ミッチェルや、キャロル・キングなどをまぶすとこんな風になるのでしょうか。何かじっくり研究してみたい対象のひとりではあります。
Setlist
show started 20.04
01. Names & Dates
02. Educated
03. Anticipate
04. Swan Dive
05. Origami
06. Swim
07. Knuckle Down
08. Studying Stones
09. Evolve
10. Bliss Like
11. Bubble
12. You Each Time
13. Phase
14. Recoil
15. Shameless
Enc. Gravel
show ended 21.24
(2004年3月8日月曜=渋谷オーイースト=アーニー・ディフランコ・ライヴ)
Gumbo’s Ear Vol.7 :
2004年3月8日ダメだし。
守島さんと島田さんのイヴェント「ガンボズ・イヤー、VOL.7」を覗きに行った。この第一回は僕もお世話になっていたこと、それからライヴをわれらがFMBが歌うということで、はるばる芝浦から自由が丘まで。7時からのイヴェントだったが、その前のミーティングが伸びて到着は8時過ぎ。30人弱が入って超満員。
入口でいきなり、島田さん、僕に向かって「ちょっと一緒にしゃべってよお」。あれ、僕通りすがりの人間なんですけど。今日、ジャンバラヤ食べに来たんだよ。「守島さんと二人でしゃべるんじゃないの」 どうやらプログラムは、守島さんが1時間DJ、30分ライヴ、島田さん1時間DJ、30分ライヴということらしい。そこで島田分の1時間は一人。「スティーヴィーの話のところで、なんとか、よろしく…」 あきれて口からあごがはずれそう。(笑)
結局、前に座らされ、マイクを持たされ、スティーヴィーの話などをしてしまいました。島田さんがまたまた「サマーソフト」をかけて、「これは元々ボツになるような曲だったのが、結局入ったということらしいんですけど、そうなるとボツの曲をたくさん聴きたいですね」 「それはスティーヴィーが死んだら未発表曲がたくさんでてくるってこと?(笑)」 「いやいやいや(笑)」
他にいくつかスティーヴィーのカヴァー曲などをかけつつ、ライヴの話などをしつつ、4月22日の「ソウル・サーチン・トーキング」の告知もした。(これ、正式発表は今週中にします。すいません。僕が案内文を書くのが遅れてます)
あるいは、「グラミーでルーサーがビデオメッセージながら登場したところで泣きそうになりました」などのルーサー・ネタをしばし。そのグラミー話の流れで、ピアノのすぐ横で歌っていたセリーヌ・ディオンがモニターイヤホーンをつけているのは、ダメだ、みたいな話にもなってしまいました。「セリーヌにダメだしをする男」は私です。
そうそう、夕方オッシーに、言われましたよ。「吉岡さんは、自分に甘く、他人に厳しいから…」 おいおいおい、そんなこたあ、ないよ。(笑) 僕は自分に厳しく、他人に甘いです。
しかし、好き勝手しゃべってて、ふと思った。やはりラジオでしゃべれないことってけっこうあるんだな、ということ。(笑) この時は何にも準備もなく、おもいついたことをその場で話したわけだが、なんのしがらみもなく自己規制もなくという感じだった。(笑) リアル・トーク、リアル・トーク!
さて、ライヴで歌ったFMBhttp://www2u.biglobe.ne.jp/~fmb/は、以前、中目黒の楽屋(昔の方)で見て以来かな。FMBはファンキー・モンキー・ベイビーの略。アレサ命の、ソウル作品を中心に歌うシンガー。今回はウーバッツという別ユニットでのライヴ参戦。FMBがロバータ・フラックの「ウィル・ユー・スティル・ラヴ・ミー・トゥモロー」、インディア・アリーの「ビデオ」などを。
そして、もうひとりのヴォーカル老沼祐貴さんは、なんと、最近ジョス・ストーンが超お気に入りということで、ジョスのアルバムから「フェル・イン・ラヴ・ウィズ・ユー・ボーイ」を歌った。「ホントに驚きましたよ、16歳って聴いて。16歳のニュアンスを完コピしました」と言って、ファンキーに一曲を歌いました。ひとつだけアドヴァイス。男性が歌うときは、この曲の場合、歌詞の「ボーイ」を「ガール」に変えないと。女性のジョスが歌うから「フェル・イン・ラヴ・ウィズ・ユー・ボーイ」ですが、男性が歌う時は「フェル・イン・ラヴ・ウィズ・ユー・ガール」になります。性の一致です。男が男に恋していたら、ゲイの歌になってしまう。(笑) ゲイならいいですが…。(笑)
FMBは、なんと4月22日からニューオーリーンズ・ジャズ・フェスティヴァルに行くそうです。しかも、しかも、そこでジョス・ストーンのライヴが
あるという! うわああ、行きたい! おや、ソウルサーチントーキングと日にちがバッティング…。うおおお、悲しい。まだ正式発表してないし、ソウルサーチンのほうをずらすか? (笑)
途中で、NHK-FM『ソウル・ミュージック』でおなじみの尾臺順子(おだいじゅんこ)さんがお店に到着。ライヴが終った後にしばし立ち話。「『ソウル・サーチン』の第二弾は?」と訊かれ、「1が売れないと…」と僕。「売れないんですか。番組関係ではものすごく話題ですけど…」「ええっ、うっそー、ほんとですかあ。なかなか売れないんですよ〜〜」
『ソウル・ミュージック』http://www.nhk.or.jp/soul/index.html は、毎週木曜午後11時20分からNHK−FMで1時間放送されているソウルの専門番組です。もう4月からは6年目になるそうです。いやあ、長寿番組になりつつありますね。これからもぜひ続けていってください。
っていうか、ふらりと遊びに来たのに、なんでマイク持ってしゃべってるんだ。僕って、人が良すぎる…。
(2004年3月7日日曜=自由が丘マルディグラ=ガンボズ・イアー第7回)
守島さんと島田さんのイヴェント「ガンボズ・イヤー、VOL.7」を覗きに行った。この第一回は僕もお世話になっていたこと、それからライヴをわれらがFMBが歌うということで、はるばる芝浦から自由が丘まで。7時からのイヴェントだったが、その前のミーティングが伸びて到着は8時過ぎ。30人弱が入って超満員。
入口でいきなり、島田さん、僕に向かって「ちょっと一緒にしゃべってよお」。あれ、僕通りすがりの人間なんですけど。今日、ジャンバラヤ食べに来たんだよ。「守島さんと二人でしゃべるんじゃないの」 どうやらプログラムは、守島さんが1時間DJ、30分ライヴ、島田さん1時間DJ、30分ライヴということらしい。そこで島田分の1時間は一人。「スティーヴィーの話のところで、なんとか、よろしく…」 あきれて口からあごがはずれそう。(笑)
結局、前に座らされ、マイクを持たされ、スティーヴィーの話などをしてしまいました。島田さんがまたまた「サマーソフト」をかけて、「これは元々ボツになるような曲だったのが、結局入ったということらしいんですけど、そうなるとボツの曲をたくさん聴きたいですね」 「それはスティーヴィーが死んだら未発表曲がたくさんでてくるってこと?(笑)」 「いやいやいや(笑)」
他にいくつかスティーヴィーのカヴァー曲などをかけつつ、ライヴの話などをしつつ、4月22日の「ソウル・サーチン・トーキング」の告知もした。(これ、正式発表は今週中にします。すいません。僕が案内文を書くのが遅れてます)
あるいは、「グラミーでルーサーがビデオメッセージながら登場したところで泣きそうになりました」などのルーサー・ネタをしばし。そのグラミー話の流れで、ピアノのすぐ横で歌っていたセリーヌ・ディオンがモニターイヤホーンをつけているのは、ダメだ、みたいな話にもなってしまいました。「セリーヌにダメだしをする男」は私です。
そうそう、夕方オッシーに、言われましたよ。「吉岡さんは、自分に甘く、他人に厳しいから…」 おいおいおい、そんなこたあ、ないよ。(笑) 僕は自分に厳しく、他人に甘いです。
しかし、好き勝手しゃべってて、ふと思った。やはりラジオでしゃべれないことってけっこうあるんだな、ということ。(笑) この時は何にも準備もなく、おもいついたことをその場で話したわけだが、なんのしがらみもなく自己規制もなくという感じだった。(笑) リアル・トーク、リアル・トーク!
さて、ライヴで歌ったFMBhttp://www2u.biglobe.ne.jp/~fmb/は、以前、中目黒の楽屋(昔の方)で見て以来かな。FMBはファンキー・モンキー・ベイビーの略。アレサ命の、ソウル作品を中心に歌うシンガー。今回はウーバッツという別ユニットでのライヴ参戦。FMBがロバータ・フラックの「ウィル・ユー・スティル・ラヴ・ミー・トゥモロー」、インディア・アリーの「ビデオ」などを。
そして、もうひとりのヴォーカル老沼祐貴さんは、なんと、最近ジョス・ストーンが超お気に入りということで、ジョスのアルバムから「フェル・イン・ラヴ・ウィズ・ユー・ボーイ」を歌った。「ホントに驚きましたよ、16歳って聴いて。16歳のニュアンスを完コピしました」と言って、ファンキーに一曲を歌いました。ひとつだけアドヴァイス。男性が歌うときは、この曲の場合、歌詞の「ボーイ」を「ガール」に変えないと。女性のジョスが歌うから「フェル・イン・ラヴ・ウィズ・ユー・ボーイ」ですが、男性が歌う時は「フェル・イン・ラヴ・ウィズ・ユー・ガール」になります。性の一致です。男が男に恋していたら、ゲイの歌になってしまう。(笑) ゲイならいいですが…。(笑)
FMBは、なんと4月22日からニューオーリーンズ・ジャズ・フェスティヴァルに行くそうです。しかも、しかも、そこでジョス・ストーンのライヴが
あるという! うわああ、行きたい! おや、ソウルサーチントーキングと日にちがバッティング…。うおおお、悲しい。まだ正式発表してないし、ソウルサーチンのほうをずらすか? (笑)
途中で、NHK-FM『ソウル・ミュージック』でおなじみの尾臺順子(おだいじゅんこ)さんがお店に到着。ライヴが終った後にしばし立ち話。「『ソウル・サーチン』の第二弾は?」と訊かれ、「1が売れないと…」と僕。「売れないんですか。番組関係ではものすごく話題ですけど…」「ええっ、うっそー、ほんとですかあ。なかなか売れないんですよ〜〜」
『ソウル・ミュージック』http://www.nhk.or.jp/soul/index.html は、毎週木曜午後11時20分からNHK−FMで1時間放送されているソウルの専門番組です。もう4月からは6年目になるそうです。いやあ、長寿番組になりつつありますね。これからもぜひ続けていってください。
っていうか、ふらりと遊びに来たのに、なんでマイク持ってしゃべってるんだ。僕って、人が良すぎる…。
(2004年3月7日日曜=自由が丘マルディグラ=ガンボズ・イアー第7回)
Anita Baker Goes To Blue Note
2004年3月7日復活。
「ソングストレス」「ソングスタイリスト」などさまざまなニックネームがあるジャズ系ソウル・シンガー、アニタ・ベイカーがブルーノート・レコードと契約した。アニタ・ベイカーは、デトロイト出身。同地のグループ、チャプター8のリードシンガーとして活躍。その後ソロに転じ、86年アルバム『ラプチャー』が世界的ベストセラーとなった。その後結婚、出産となり、94年のアルバム『リズム・オブ・ラヴ』を最後にCDを出していなかった。
アニタ・ベイカーは、ブルーノートで最低2枚のアルバムをリリースする。既にレコーディングを開始。年内中におよそ10年ぶりの新作アルバムがでることになる。
彼女が『ラプチャー』を大ヒットさせた時期はちょうど、アメリカのブラックラジオの世界で「クワイエット・ストーム」というフォーマットが急激に人気を集めていた時期で、ジャズテイストのあるアニタ・ベイカーの歌はそのフォーマットにぴったりだった。
ブルーノートは、ノラ・ジョーンズの大ヒットで多くの予算を持っているものと思われ、昨年のアル・グリーンに続いて、ヴェテランR&Bアーティストの復活劇を演出する。
90年代に一度来日している。
「ソングストレス」「ソングスタイリスト」などさまざまなニックネームがあるジャズ系ソウル・シンガー、アニタ・ベイカーがブルーノート・レコードと契約した。アニタ・ベイカーは、デトロイト出身。同地のグループ、チャプター8のリードシンガーとして活躍。その後ソロに転じ、86年アルバム『ラプチャー』が世界的ベストセラーとなった。その後結婚、出産となり、94年のアルバム『リズム・オブ・ラヴ』を最後にCDを出していなかった。
アニタ・ベイカーは、ブルーノートで最低2枚のアルバムをリリースする。既にレコーディングを開始。年内中におよそ10年ぶりの新作アルバムがでることになる。
彼女が『ラプチャー』を大ヒットさせた時期はちょうど、アメリカのブラックラジオの世界で「クワイエット・ストーム」というフォーマットが急激に人気を集めていた時期で、ジャズテイストのあるアニタ・ベイカーの歌はそのフォーマットにぴったりだった。
ブルーノートは、ノラ・ジョーンズの大ヒットで多くの予算を持っているものと思われ、昨年のアル・グリーンに続いて、ヴェテランR&Bアーティストの復活劇を演出する。
90年代に一度来日している。
メインテナンス。
「私の隣に住んでる男の子の話をさせて。毎朝、太陽が昇る前に彼は私のお気に入りのカップにコーヒーをついでくれるの。ハレルヤ! 彼のこと、愛してる…」 ソウルマン、レイ・チャールズのクラシック「ハレルヤ、アイ・ラヴ・ヒム(ハー)・ソー」で、ステージは始まった。最近は、誘われれば節操なく何でも見に行ってしまうThe Soul Searcherであるが、いきなり、ソウル・ヒットが飛び出してきた。一体どこの誰かといえば、女性シンガー、リタ・クーリッジのライヴだ。
もはやヴェテランの域のリタは、なんとグラミー賞2回受賞とアナウンスされてステージに現れた。その容姿からは、とても実年齢は想像できない。(実年齢は一番最後に) リタといえば、ボズ・スキャッグスでも有名になった「ウィ・アー・オール・アローン」だが、元々南部ロックのデラニー&ボニー、レオン・ラッセル、エリック・クラプトンなどのバック・コーラスを担当していたシンガー。よって、ソウル、R&B、ブルーズなどアメリカン・ミュージック全般がお気に入りであることがわかる。
彼女は仕事も一緒にしたレオン・ラッセル作の「スーパースター」(カーペンターズで大ヒット。最近ではルーベン・スタッダードのカヴァーが秀逸)へと続く。71年のアルバム『リタ・クーリッジ』から、81年の『ハートブレイク・レイディオ』まで13枚のアルバムをヒットさせた。
全体的な印象は、スタンダードを歌うアメリカンなシンガーというところ。例えばラスヴェガスあたりのホテルのラウンジで歌っていそうな雰囲気のショウだった。そして、音楽的にはポップ、カントリー、ジャズ、ソウル、ロック、ブルーズなどの要素がふんだんに取り入れられていた。多分アメリカの観光客がラスヴェガスにやってきて、ギャンブルに飽きたらたまには古き良きアメリカの音楽を聞こうと思ったときに、ドンピシャのシンガーということになるのだろう。
バックはキーボード、ベース、ギター、ドラムスの4人。8曲目では客に指を鳴らさせ、スタンダードの「フィーヴァー」を歌い、さらに続けてテンプテーションズの「ザ・ウェイ・ユー・ドゥ・ザ・シングス・ユー・ドゥ」、マーヴィン・ゲイの「ハウ・スゥイート・イット・イズ」へメドレーでつなげた。彼女の解釈でこうしたソウル曲を歌っても、面白いのは、決してグルーヴ感がないということ。リタは非常にきれいに、クリーンにポップソングに仕立てて歌うのだ。ちょうど、ジェームス・テイラーやライ・クーダーがソウルのカヴァーをするのと同じようなニュアンスである。
「私は、しばらくクリス・クリストファーソン(70年代に活躍した男性のシンガー/ソングライター)と結婚していました。彼との間に娘が生まれました。彼は依然すばらしい父親でもあります。その彼が書いた作品です」 こう言って歌われたのは、「フーズ・トゥ・ブレス」。
そして、「ウィ・アー・オール・アローン」が歌われ始めると、いつになく歓声があがった。そして、シングルヒットした「ハイヤー&ハイヤー」だ。このリタのヴァージョンを聴いて、オリジナルのジャッキー・ウィルソンを聴くようになったのはソウルメイトUだ。
途中で「私のフィアンセが客席にいます。彼は日本人で、明日、彼のお母さんと会うので、どきどきしてます」といったことを発言していた。すごいなあ、恋多き女性なのだろうか。そして、彼女の年齢だが、一応ジョエル・ウィットバーンのブックなどでは1944年5月1日ナッシュヴィル生まれと書かれている。これによれば、現在59歳、5月で60歳になる。ちょっと彼女の声につやがなくなっていて、もっと声のメインテナンスをしたほうがいいのでは、と感じた。
Setlist (second set)
show started 21.39
01. Hallelujah, I Love You So (Ray Charles)
(From her album "Out of the Blues" - 1996)
02. Superstar (Leon Russell, Carpenters)
03. Mean To Me (From her album "It’s Only Love" - 1975)
(Also from her album "Out of the Blues" - 1996)
04. Black Coffee (From her album "Out of the Blues" - 1996)
05. Late Again (Gettin’ Over You)
(From her album "It’s Only Love" - 1975)
06. The Way I Love You
07. Born Under A Bad Sign (From her album "Rita Coolidge" - 1971)
08. Fever (From her album "The Lady’s Not For A Sale")
09. The Way You Do The Things You Do (Temptations)
(From her album "Anytime...Anywhere"-1977)
10. How Sweet It Is To Be Loved By You (Marvin Gaye)
11. Who’s To Bless And Who’s To Blame (Kris Kristofferson)
(From her album "Anytime...Anywhere"-1977)
12. Stormy Monday (From her album "Out of the Blues" - 1996)
13. We Are All Alone (From her album "Anytime...Anywhere"-1977)
14. Higher & Higher (Jackie Wilson)
(From her album "We’re All Alone" - 1984)
Enc. I’d Rather Leave While I’m In Love (From her album "Satisfied" - 1979)
show ended 22.47
(2004年3月5日金曜=渋谷デュオDUO、リタ・クーリッジ・ライヴ)
「私の隣に住んでる男の子の話をさせて。毎朝、太陽が昇る前に彼は私のお気に入りのカップにコーヒーをついでくれるの。ハレルヤ! 彼のこと、愛してる…」 ソウルマン、レイ・チャールズのクラシック「ハレルヤ、アイ・ラヴ・ヒム(ハー)・ソー」で、ステージは始まった。最近は、誘われれば節操なく何でも見に行ってしまうThe Soul Searcherであるが、いきなり、ソウル・ヒットが飛び出してきた。一体どこの誰かといえば、女性シンガー、リタ・クーリッジのライヴだ。
もはやヴェテランの域のリタは、なんとグラミー賞2回受賞とアナウンスされてステージに現れた。その容姿からは、とても実年齢は想像できない。(実年齢は一番最後に) リタといえば、ボズ・スキャッグスでも有名になった「ウィ・アー・オール・アローン」だが、元々南部ロックのデラニー&ボニー、レオン・ラッセル、エリック・クラプトンなどのバック・コーラスを担当していたシンガー。よって、ソウル、R&B、ブルーズなどアメリカン・ミュージック全般がお気に入りであることがわかる。
彼女は仕事も一緒にしたレオン・ラッセル作の「スーパースター」(カーペンターズで大ヒット。最近ではルーベン・スタッダードのカヴァーが秀逸)へと続く。71年のアルバム『リタ・クーリッジ』から、81年の『ハートブレイク・レイディオ』まで13枚のアルバムをヒットさせた。
全体的な印象は、スタンダードを歌うアメリカンなシンガーというところ。例えばラスヴェガスあたりのホテルのラウンジで歌っていそうな雰囲気のショウだった。そして、音楽的にはポップ、カントリー、ジャズ、ソウル、ロック、ブルーズなどの要素がふんだんに取り入れられていた。多分アメリカの観光客がラスヴェガスにやってきて、ギャンブルに飽きたらたまには古き良きアメリカの音楽を聞こうと思ったときに、ドンピシャのシンガーということになるのだろう。
バックはキーボード、ベース、ギター、ドラムスの4人。8曲目では客に指を鳴らさせ、スタンダードの「フィーヴァー」を歌い、さらに続けてテンプテーションズの「ザ・ウェイ・ユー・ドゥ・ザ・シングス・ユー・ドゥ」、マーヴィン・ゲイの「ハウ・スゥイート・イット・イズ」へメドレーでつなげた。彼女の解釈でこうしたソウル曲を歌っても、面白いのは、決してグルーヴ感がないということ。リタは非常にきれいに、クリーンにポップソングに仕立てて歌うのだ。ちょうど、ジェームス・テイラーやライ・クーダーがソウルのカヴァーをするのと同じようなニュアンスである。
「私は、しばらくクリス・クリストファーソン(70年代に活躍した男性のシンガー/ソングライター)と結婚していました。彼との間に娘が生まれました。彼は依然すばらしい父親でもあります。その彼が書いた作品です」 こう言って歌われたのは、「フーズ・トゥ・ブレス」。
そして、「ウィ・アー・オール・アローン」が歌われ始めると、いつになく歓声があがった。そして、シングルヒットした「ハイヤー&ハイヤー」だ。このリタのヴァージョンを聴いて、オリジナルのジャッキー・ウィルソンを聴くようになったのはソウルメイトUだ。
途中で「私のフィアンセが客席にいます。彼は日本人で、明日、彼のお母さんと会うので、どきどきしてます」といったことを発言していた。すごいなあ、恋多き女性なのだろうか。そして、彼女の年齢だが、一応ジョエル・ウィットバーンのブックなどでは1944年5月1日ナッシュヴィル生まれと書かれている。これによれば、現在59歳、5月で60歳になる。ちょっと彼女の声につやがなくなっていて、もっと声のメインテナンスをしたほうがいいのでは、と感じた。
Setlist (second set)
show started 21.39
01. Hallelujah, I Love You So (Ray Charles)
(From her album "Out of the Blues" - 1996)
02. Superstar (Leon Russell, Carpenters)
03. Mean To Me (From her album "It’s Only Love" - 1975)
(Also from her album "Out of the Blues" - 1996)
04. Black Coffee (From her album "Out of the Blues" - 1996)
05. Late Again (Gettin’ Over You)
(From her album "It’s Only Love" - 1975)
06. The Way I Love You
07. Born Under A Bad Sign (From her album "Rita Coolidge" - 1971)
08. Fever (From her album "The Lady’s Not For A Sale")
09. The Way You Do The Things You Do (Temptations)
(From her album "Anytime...Anywhere"-1977)
10. How Sweet It Is To Be Loved By You (Marvin Gaye)
11. Who’s To Bless And Who’s To Blame (Kris Kristofferson)
(From her album "Anytime...Anywhere"-1977)
12. Stormy Monday (From her album "Out of the Blues" - 1996)
13. We Are All Alone (From her album "Anytime...Anywhere"-1977)
14. Higher & Higher (Jackie Wilson)
(From her album "We’re All Alone" - 1984)
Enc. I’d Rather Leave While I’m In Love (From her album "Satisfied" - 1979)
show ended 22.47
(2004年3月5日金曜=渋谷デュオDUO、リタ・クーリッジ・ライヴ)
きっかけ。
昨日の日記を読んだソウルメイトLから、「ジョディーは前に来たときも、シャラマーの曲はやってないよ。絶対、いつもやらないんじゃないの」と言われた。そういえば、かつて見たジョディーのライヴもそうだったかもしれない、と思った。初来日が15年も前で、その時のセットリストはさすがに今手元にない。仮にあっても、どこかの書類の山の中だろう。そういうのが、さっとでてきたら、すばらしいのにね。(笑)
そして、なんと91年12月にしっかりインタヴューしていた。しかし、このインタヴューは、ちょうど発売されたばかりの通算3枚目のアルバム『アフェアーズ・オブ・ザ・ハート』のプロモーションのためにやってきたために、その新作の話を中心に聞いていた。
別の機会に自分でインタヴューしたのか、どこかの記事を読んだのか、誰かミュージシャン仲間から聞いたのか、ちょっと出所が確かではないのだが、昨日書いたようにジョディーがシャラマー時代にあまりいい思い出を持っていないというのは確かなようだ。その頃、彼女は「自分は、プロデューサーや周りの人間に、こういう曲を歌えとか、こうやれなどとただ命令されるだけで、自分がクリエイティヴなことにまったく参加できなかった点に非常に不満をもっていた」というようなことを言っていたと記憶する。
周りのスタッフもまた、他のメンバーもそれぞれが個性が強く、それぞれが自分たちの意見を主張し、彼女の意見があまり聞き入れられなかったのだろう。グループというのは、微妙な力関係が常に存在する。リーダーが一人いて、そのリーダーが全体を引っ張っていくタイプもあれば、完全民主主義で、全員が平等な立場にいるタイプもある。どれがよく、どれがよくない、という問題ではない。特にミュージシャン、アーティストなどの場合、全員が個性が強いということなのだ。
例えば、3人組の場合、正三角形の力関係が保たれていればいいのだろう。だが、誰か一人が強くなったりすると正三角形が崩れる。その時に、きしみがでてくる。4人組なら、正方形か。5人組なら、正五角形か。シャラマーの場合、少なくとも正三角形ではなかったのだろう。特に、彼らの場合、女性1人、男性2人という珍しい形だからなおさらだったのかもしれない。
「離婚で終った結婚生活」という表現は、あまりいい印象ではない、というニュアンスだ。元夫とは、もう会いたくないのかもしれない。というわけで、ジョディーは84年に独立した瞬間、シャラマーの過去にきっぱりと封印をしたのだ。
インタヴューの中で、僕は「今までのキャリアの中で、もっとも間違った決断はなんでしたか?」と聞いた。彼女はしばし考えて、「わからないわね。ビジネス上の決断などをいろいろしてきたけど、それのどこが悪かったのかは、わからない…」などと答えた。続いて「ではもっともよかった決断は?」と聞くと、すぐさま「シャラマーを辞めたこと(笑)。これは(私のキャリアの中で)ベスト・ディシジョン(最高の決断)だったわ。(爆笑)」と答えたのだ。この対比はおもしろかった。そして、彼女は一言付け加えた。「私は、振り返らないの(I will never look back!)」
先のソウルメイトLは言った。「でもさ、みんなはシャラマーの曲を聴きたいんだよね。『ナイト・トゥ・リメンバー』とか」 まあ、そうなんですよね。ファンは、グループ間のごたごたなんて関係なく、単純に曲が好きなのだから。僕は個人的には、ジョディーがいつの日か、なにかのきっかけで「吹っ切れて」、シャラマーの曲を歌う時が来ることを期待したい。「きっかけ」は何でもいい。「フジテレビ」でも。
昨日の日記を読んだソウルメイトLから、「ジョディーは前に来たときも、シャラマーの曲はやってないよ。絶対、いつもやらないんじゃないの」と言われた。そういえば、かつて見たジョディーのライヴもそうだったかもしれない、と思った。初来日が15年も前で、その時のセットリストはさすがに今手元にない。仮にあっても、どこかの書類の山の中だろう。そういうのが、さっとでてきたら、すばらしいのにね。(笑)
そして、なんと91年12月にしっかりインタヴューしていた。しかし、このインタヴューは、ちょうど発売されたばかりの通算3枚目のアルバム『アフェアーズ・オブ・ザ・ハート』のプロモーションのためにやってきたために、その新作の話を中心に聞いていた。
別の機会に自分でインタヴューしたのか、どこかの記事を読んだのか、誰かミュージシャン仲間から聞いたのか、ちょっと出所が確かではないのだが、昨日書いたようにジョディーがシャラマー時代にあまりいい思い出を持っていないというのは確かなようだ。その頃、彼女は「自分は、プロデューサーや周りの人間に、こういう曲を歌えとか、こうやれなどとただ命令されるだけで、自分がクリエイティヴなことにまったく参加できなかった点に非常に不満をもっていた」というようなことを言っていたと記憶する。
周りのスタッフもまた、他のメンバーもそれぞれが個性が強く、それぞれが自分たちの意見を主張し、彼女の意見があまり聞き入れられなかったのだろう。グループというのは、微妙な力関係が常に存在する。リーダーが一人いて、そのリーダーが全体を引っ張っていくタイプもあれば、完全民主主義で、全員が平等な立場にいるタイプもある。どれがよく、どれがよくない、という問題ではない。特にミュージシャン、アーティストなどの場合、全員が個性が強いということなのだ。
例えば、3人組の場合、正三角形の力関係が保たれていればいいのだろう。だが、誰か一人が強くなったりすると正三角形が崩れる。その時に、きしみがでてくる。4人組なら、正方形か。5人組なら、正五角形か。シャラマーの場合、少なくとも正三角形ではなかったのだろう。特に、彼らの場合、女性1人、男性2人という珍しい形だからなおさらだったのかもしれない。
「離婚で終った結婚生活」という表現は、あまりいい印象ではない、というニュアンスだ。元夫とは、もう会いたくないのかもしれない。というわけで、ジョディーは84年に独立した瞬間、シャラマーの過去にきっぱりと封印をしたのだ。
インタヴューの中で、僕は「今までのキャリアの中で、もっとも間違った決断はなんでしたか?」と聞いた。彼女はしばし考えて、「わからないわね。ビジネス上の決断などをいろいろしてきたけど、それのどこが悪かったのかは、わからない…」などと答えた。続いて「ではもっともよかった決断は?」と聞くと、すぐさま「シャラマーを辞めたこと(笑)。これは(私のキャリアの中で)ベスト・ディシジョン(最高の決断)だったわ。(爆笑)」と答えたのだ。この対比はおもしろかった。そして、彼女は一言付け加えた。「私は、振り返らないの(I will never look back!)」
先のソウルメイトLは言った。「でもさ、みんなはシャラマーの曲を聴きたいんだよね。『ナイト・トゥ・リメンバー』とか」 まあ、そうなんですよね。ファンは、グループ間のごたごたなんて関係なく、単純に曲が好きなのだから。僕は個人的には、ジョディーがいつの日か、なにかのきっかけで「吹っ切れて」、シャラマーの曲を歌う時が来ることを期待したい。「きっかけ」は何でもいい。「フジテレビ」でも。
決意。
ドラムス、パーカッション、ギターにキーボードだけという4人編成のバンドで、ジョディーは登場した。元々人気テレビ番組『ソウル・トレイン』のダンサーとして注目された人。『ソウル・トレイン』は、ご存知のようにレコード(今ならCD)にあわせてスタジオにいる普通の人たちがダンスをする番組だ。ところが、70年代初期、その中にやたら踊りがうまくて、目立ったのがいた。それがジョディー・ワトリーとジェフリー・ダニエルスだった。もちろん、当時は彼らの名前など一般的には知られていなかった。ダンスが上手なあの娘、くらいだ。ところが、彼らがシャラマーの一員として歌手としてデビューすると、いきなり、彼女たちの人気は爆発した。
そして、ジョディーは84年シャラマーを脱退、ソロへ転じた。以来、次々とソロヒットを放ち一世を風靡する。デビューアルバムは当時つきあっていたボーイ・フレンドで、プリンスの学生時代からの友人アンドレ・シモーンがプロデュース。89年9月、有明MZAに初来日している。
さて、全13曲。やはり、踊りが抜群にいいセンスをしている。歌の合間に見せるちょっとした仕草や動きが優雅だ。ダンスを知り抜いていて、ほんのちょっとだけ体を動かすだけで、充分にダンスを見せるという、プロのダンサーの余裕みたいなものを感じさせた。さらにどんどんと彼女は客席に降りてきて、時に客席に座って歌ったり、サーヴィス精神爆発だ。ほとんどの曲がアップテンポでダンサブルなものだが、ヒット曲「エヴリシング」はピアノ一本でしっとりと歌ってみせた。
アンコール一曲目ではお立ち台ではないが、席の上にそのままのり、踊る。声もしっかりしているし、何よりもそのエンタテインメントぶりに感心した。ダンスや曲調は、ところどころ、マドンナを思わせるところがあった。
さて、ライヴが終ってふと気付いた。なんと、シャラマー時代の作品を彼女は一曲も歌っていない。「ナイト・トゥ・リメンバー」などジョディーの魅力がよくでた作品だと思うが、それに限らず一曲も歌わなかった。ジョディーはかつて、ソロ・デビューした時に、シャラマー時代を振り返って「離婚に終った結婚生活のようだった」と答えた。あまり良い思い出はないようだ。そうした時代を思い出したくないために、ひょっとしたら、彼女はシャラマー時代の作品を封印したのかもしれない。シャラマー時代の作品が一曲も、メドレーという形でさえもなかったことに、彼女の決意のようなものを少し感じた。
Setlist (second set)
show started 21.33
01. Lookin’ For A New Love (CD"Jody Watley"-1987)
02. Don’t You Want Me (CD"Jody Watley"-1987)
03. Saturday Night Experience (CD"Midnight Lounge"-2001)
04. Whenever (CD"Midnight Lounge"-2001)
05. I Love To Love (CD"Midnight Lounge"-2001)
06. Pure Joy (CD"Saturday Night Experience"-2003)
07. Everything (Piano) (CD"Larger Than Life-1989)
08. Your Love Keeps Working On Me (CD"Intimacy"-1993)
09. Still A Thrill (CD"Jody Watley"-1987)
10. Friends (CD"Larger Than Life-1989)
11. I’m The One You Need (CD"Affair Of The Heart"-1991)
encore
12. Photographs (CD"Midnight Lounge"-2001)
13. Real Love (CD"Larger Than Life-1989)
show ended 22.39
(2004年3月3日水曜=横浜モーション・ブルー=ジョディー・ワトリー・ライヴ)
ドラムス、パーカッション、ギターにキーボードだけという4人編成のバンドで、ジョディーは登場した。元々人気テレビ番組『ソウル・トレイン』のダンサーとして注目された人。『ソウル・トレイン』は、ご存知のようにレコード(今ならCD)にあわせてスタジオにいる普通の人たちがダンスをする番組だ。ところが、70年代初期、その中にやたら踊りがうまくて、目立ったのがいた。それがジョディー・ワトリーとジェフリー・ダニエルスだった。もちろん、当時は彼らの名前など一般的には知られていなかった。ダンスが上手なあの娘、くらいだ。ところが、彼らがシャラマーの一員として歌手としてデビューすると、いきなり、彼女たちの人気は爆発した。
そして、ジョディーは84年シャラマーを脱退、ソロへ転じた。以来、次々とソロヒットを放ち一世を風靡する。デビューアルバムは当時つきあっていたボーイ・フレンドで、プリンスの学生時代からの友人アンドレ・シモーンがプロデュース。89年9月、有明MZAに初来日している。
さて、全13曲。やはり、踊りが抜群にいいセンスをしている。歌の合間に見せるちょっとした仕草や動きが優雅だ。ダンスを知り抜いていて、ほんのちょっとだけ体を動かすだけで、充分にダンスを見せるという、プロのダンサーの余裕みたいなものを感じさせた。さらにどんどんと彼女は客席に降りてきて、時に客席に座って歌ったり、サーヴィス精神爆発だ。ほとんどの曲がアップテンポでダンサブルなものだが、ヒット曲「エヴリシング」はピアノ一本でしっとりと歌ってみせた。
アンコール一曲目ではお立ち台ではないが、席の上にそのままのり、踊る。声もしっかりしているし、何よりもそのエンタテインメントぶりに感心した。ダンスや曲調は、ところどころ、マドンナを思わせるところがあった。
さて、ライヴが終ってふと気付いた。なんと、シャラマー時代の作品を彼女は一曲も歌っていない。「ナイト・トゥ・リメンバー」などジョディーの魅力がよくでた作品だと思うが、それに限らず一曲も歌わなかった。ジョディーはかつて、ソロ・デビューした時に、シャラマー時代を振り返って「離婚に終った結婚生活のようだった」と答えた。あまり良い思い出はないようだ。そうした時代を思い出したくないために、ひょっとしたら、彼女はシャラマー時代の作品を封印したのかもしれない。シャラマー時代の作品が一曲も、メドレーという形でさえもなかったことに、彼女の決意のようなものを少し感じた。
Setlist (second set)
show started 21.33
01. Lookin’ For A New Love (CD"Jody Watley"-1987)
02. Don’t You Want Me (CD"Jody Watley"-1987)
03. Saturday Night Experience (CD"Midnight Lounge"-2001)
04. Whenever (CD"Midnight Lounge"-2001)
05. I Love To Love (CD"Midnight Lounge"-2001)
06. Pure Joy (CD"Saturday Night Experience"-2003)
07. Everything (Piano) (CD"Larger Than Life-1989)
08. Your Love Keeps Working On Me (CD"Intimacy"-1993)
09. Still A Thrill (CD"Jody Watley"-1987)
10. Friends (CD"Larger Than Life-1989)
11. I’m The One You Need (CD"Affair Of The Heart"-1991)
encore
12. Photographs (CD"Midnight Lounge"-2001)
13. Real Love (CD"Larger Than Life-1989)
show ended 22.39
(2004年3月3日水曜=横浜モーション・ブルー=ジョディー・ワトリー・ライヴ)
内緒。
一日、一度ではちょっと物足りないわけでして。本日リターンマッチ。つくづく感じるのは、たとえまったく同じショウを見たとしても、2000人収容のコンサート会場と300人収容のライヴハウスでは、その感動度合いは何倍も違うということだ。やはりこの距離で、生の10人以上のバンドを見られるというところが圧倒的にすばらしい。このブルーノートはアポロシアターよりも狭いんだから。アイズレー・ブラザースのライヴ。
曲目が1日目より2曲ほど減っていたが、「ファイト・ザ・パワー」では、ロナルドがなんと客席に降りてきた。11分に及ぶ「ファイト・ザ・パワー」は、かつてスパイク・リーの映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』のテーマになった曲でもある。この「ファイト・ザ・パワー」は、直訳すると「権力と戦え」と言った意味だが、70年代中期のアイズレーは、そうした社会的メッセージも叫んでいた。メッセージの爆発と、ファンクサウンドの炸裂とが見事に融合した傑作でもある。
そして、その180度逆側のメロウネスを聴かせるのが数多くのバラードだ。「サマー・ブリーズ」、「フォー・ザ・ラヴ・オブ・ユー」、「コンテジアス」…。ライヴ会場にいてその空気の中に浸っているとすっかりそのテンションに染まってしまうが、少しだけ冷静になってこうして感想文を書いていると、ふと、この前紹介した『バカラック』のアルバムからの曲が一曲もないことに気がついた。あそこからも歌うでしょう、などという予想は完全にはずれた形だ。(笑)
20年以上前から知っている友人O氏と久々に会ったら、彼はアイズレーを初めて見たそうで、「アイズレー・ブラザースがこんなにロックっぽいとは知らなかった」と言った。そこで思わず立ち話ながら説明してしまった。「あのギターのアーニー・アイズレーは、彼が子供の頃にまだ無名だったジミ・ヘンドリックスのギターの洗練を受けたんですよ。ジミがアイズレーのうちにしばらく居候(いそうろう)しててね。きっと、ジミの派手なギターを10歳くらいのアーニーはあこがれを持って見てたんでしょうね」
アーニーは、1952年3月7日生まれ。ジミがアイズレー家に居候していた60年代初期は10歳前後ということになる。ジミは1942年11月生まれなので、ほぼ10歳年上ということになる。アーニーが小学校4年くらいの時、ジミは大学生か大学卒業したあたりの、立派な大人だ。それがかっこいいギターを弾くのだ。あこがれないわけはない。言ってみれば、アーニーはジミ直系のフォロワーということになる。
口でピックをくわえ、弦をはじき、ギター自体を首の後ろに回して弦を見ずにプレイするアーニー・アイズレー。見せるギター、魅せるギター。ファンクなギター、ロックなギター。
そしてもうひとつ。これは以前に別の原稿にも書いた話を彼にした。アイズレーのメンバーが、ビートルズがアメリカ上陸する1964年以前に、イギリスでビートルズに会っているという事実。ビートルズはすでにアイズレーにただならぬ尊敬の念を持っていた。アイズレーのヒット「トゥイスト&シャウト」をビートルズはカヴァーするほどだ。そして、海を越えたイギリスで、自分たちがそこの若者に支持されているという事実に驚き、感激したのだ。それゆえに彼らはロック、ロックンロールに対してなんら抵抗感なく、以後たくさんの白人ロックの作品を積極的にカヴァーしていくことになる。
通訳であり音楽ライターでもある村松さんが誰か友人を待っているということでレジの前にいて、しばし立ち話。するとその待ち人は、日本で活躍するR&Bシンガー、ブレンダ・ヴォーンさんだった。フィリップ・ウーのライヴで名刺交換をしていたので、「あの女性シンガー二人、キムとキャンディーは、シンガーの見地から見て、どうですか?(笑)」と尋ねた。「そうね、シンガーの見地から見ると、いいわね。クールよ。声もよくでてるし、声域もある。ただ、ああいうタイプの曲(「アイスクリーム」)は私は、歌わない。(笑) ナスティー(いやらしい)すぎる!」
そのキムとキャンディーだが、彼女たちは「JS」というグループ名でCDを出している。http://www.js-johnsonsisters.com/about.html プロデュースはロナルド・アイズレー、R.ケリーら。彼女たちは、最初3人で活動していたそうで、前々回の来日は3人で来ていたという。もうひとりの名前はクリスタル。なぜグループ名が「JS」かというと、ジョンソン・シスターズの略から。
さてここだけの話、このクリスタルはフィリップ・ベイリーとつきあっているそうだ。そして、もうひとつ、ここだけの話。あのキャンディー・ジョンソン(ステージでは向かって右に位置。かわいい方←失礼=(笑))は、ロナルドの新しいガールフレンドだそうで。アンジェラと別れた後ということで、そうなったらしい。このあたりの丸秘情報は、私ソウルサーチャーのディープスロートからの情報です。(笑)
今の「ここだけの話」は、「Shh...」(内緒)。
Setlist
(second set)
show started 21.48
01. Between The Sheets
02. Footsteps In The Dark
03. That Lady
04. It’s Your Thing
05. Twist & Shout
06. Shake Your Body Down To The Ground (Jacksons)
07. Ice Cream (JS=Kandi & Kim)
08. You’re All I Need
09. Contagious
10. For The Love Of You
11. Shout (including riff of "Doin’ It To Death")
12. Atlantis
13. Summer Breeze
14. Fight The Power
show ended 22.58
(2004年3月2日火曜・東京ブルーノート=アイズレー・ブラザース・ライヴ)
一日、一度ではちょっと物足りないわけでして。本日リターンマッチ。つくづく感じるのは、たとえまったく同じショウを見たとしても、2000人収容のコンサート会場と300人収容のライヴハウスでは、その感動度合いは何倍も違うということだ。やはりこの距離で、生の10人以上のバンドを見られるというところが圧倒的にすばらしい。このブルーノートはアポロシアターよりも狭いんだから。アイズレー・ブラザースのライヴ。
曲目が1日目より2曲ほど減っていたが、「ファイト・ザ・パワー」では、ロナルドがなんと客席に降りてきた。11分に及ぶ「ファイト・ザ・パワー」は、かつてスパイク・リーの映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』のテーマになった曲でもある。この「ファイト・ザ・パワー」は、直訳すると「権力と戦え」と言った意味だが、70年代中期のアイズレーは、そうした社会的メッセージも叫んでいた。メッセージの爆発と、ファンクサウンドの炸裂とが見事に融合した傑作でもある。
そして、その180度逆側のメロウネスを聴かせるのが数多くのバラードだ。「サマー・ブリーズ」、「フォー・ザ・ラヴ・オブ・ユー」、「コンテジアス」…。ライヴ会場にいてその空気の中に浸っているとすっかりそのテンションに染まってしまうが、少しだけ冷静になってこうして感想文を書いていると、ふと、この前紹介した『バカラック』のアルバムからの曲が一曲もないことに気がついた。あそこからも歌うでしょう、などという予想は完全にはずれた形だ。(笑)
20年以上前から知っている友人O氏と久々に会ったら、彼はアイズレーを初めて見たそうで、「アイズレー・ブラザースがこんなにロックっぽいとは知らなかった」と言った。そこで思わず立ち話ながら説明してしまった。「あのギターのアーニー・アイズレーは、彼が子供の頃にまだ無名だったジミ・ヘンドリックスのギターの洗練を受けたんですよ。ジミがアイズレーのうちにしばらく居候(いそうろう)しててね。きっと、ジミの派手なギターを10歳くらいのアーニーはあこがれを持って見てたんでしょうね」
アーニーは、1952年3月7日生まれ。ジミがアイズレー家に居候していた60年代初期は10歳前後ということになる。ジミは1942年11月生まれなので、ほぼ10歳年上ということになる。アーニーが小学校4年くらいの時、ジミは大学生か大学卒業したあたりの、立派な大人だ。それがかっこいいギターを弾くのだ。あこがれないわけはない。言ってみれば、アーニーはジミ直系のフォロワーということになる。
口でピックをくわえ、弦をはじき、ギター自体を首の後ろに回して弦を見ずにプレイするアーニー・アイズレー。見せるギター、魅せるギター。ファンクなギター、ロックなギター。
そしてもうひとつ。これは以前に別の原稿にも書いた話を彼にした。アイズレーのメンバーが、ビートルズがアメリカ上陸する1964年以前に、イギリスでビートルズに会っているという事実。ビートルズはすでにアイズレーにただならぬ尊敬の念を持っていた。アイズレーのヒット「トゥイスト&シャウト」をビートルズはカヴァーするほどだ。そして、海を越えたイギリスで、自分たちがそこの若者に支持されているという事実に驚き、感激したのだ。それゆえに彼らはロック、ロックンロールに対してなんら抵抗感なく、以後たくさんの白人ロックの作品を積極的にカヴァーしていくことになる。
通訳であり音楽ライターでもある村松さんが誰か友人を待っているということでレジの前にいて、しばし立ち話。するとその待ち人は、日本で活躍するR&Bシンガー、ブレンダ・ヴォーンさんだった。フィリップ・ウーのライヴで名刺交換をしていたので、「あの女性シンガー二人、キムとキャンディーは、シンガーの見地から見て、どうですか?(笑)」と尋ねた。「そうね、シンガーの見地から見ると、いいわね。クールよ。声もよくでてるし、声域もある。ただ、ああいうタイプの曲(「アイスクリーム」)は私は、歌わない。(笑) ナスティー(いやらしい)すぎる!」
そのキムとキャンディーだが、彼女たちは「JS」というグループ名でCDを出している。http://www.js-johnsonsisters.com/about.html プロデュースはロナルド・アイズレー、R.ケリーら。彼女たちは、最初3人で活動していたそうで、前々回の来日は3人で来ていたという。もうひとりの名前はクリスタル。なぜグループ名が「JS」かというと、ジョンソン・シスターズの略から。
さてここだけの話、このクリスタルはフィリップ・ベイリーとつきあっているそうだ。そして、もうひとつ、ここだけの話。あのキャンディー・ジョンソン(ステージでは向かって右に位置。かわいい方←失礼=(笑))は、ロナルドの新しいガールフレンドだそうで。アンジェラと別れた後ということで、そうなったらしい。このあたりの丸秘情報は、私ソウルサーチャーのディープスロートからの情報です。(笑)
今の「ここだけの話」は、「Shh...」(内緒)。
Setlist
(second set)
show started 21.48
01. Between The Sheets
02. Footsteps In The Dark
03. That Lady
04. It’s Your Thing
05. Twist & Shout
06. Shake Your Body Down To The Ground (Jacksons)
07. Ice Cream (JS=Kandi & Kim)
08. You’re All I Need
09. Contagious
10. For The Love Of You
11. Shout (including riff of "Doin’ It To Death")
12. Atlantis
13. Summer Breeze
14. Fight The Power
show ended 22.58
(2004年3月2日火曜・東京ブルーノート=アイズレー・ブラザース・ライヴ)
(アイズレー・ブラザースのライヴ評です。これからごらんになるかたは、充分ご注意ください)
継続。
彼らはは1950年までに兄弟グループとして父親の指導で歌い始めていた。彼らの正式なスタートはなかなか確定できないが、54年あたりをこのグループのスタートとする説がある。その場合でも、結成50周年である。50年、半世紀だ。恐るべき継続の力。血を分けた兄弟たちの強さ。その両者をあわせ持った男たち、その名はアイズレー・ブラザース。
今は亡き赤坂ブリッツ、渋谷AXというライヴハウスから一転、小規模なブルーノートでのライヴ。かの伝説をこの距離で見られるとは。アポロ・シアターよりもここははるかに小さなライヴハウスだ。客席もいつものブルーノートとは違ったソウルブラザー、シスターたちが多い。この近さでこの迫力あるソウル! 誰がどこに文句をつけようか。タワー・オブ・パワーに続いて、生バンド・ソウル・ライヴの真髄をこれでもか、これでもかとまざまざと見せつける。
黒のパンツ、白の少し光沢のジャケット、そして、おなじみステッキ。いかついロナルド・アイズレーが舞台に上がるとそれだけで歓声が倍増する。いきなりミディアム調にした「ビトゥイーン・ザ・シーツ」から。さらに「フットステップス・イン・ザ・ダーク」とゆったりミディアム調が続いて、いよいよ「ザット・レディー」へ。「ゴー、アーニー、ゴー、アーニー」の掛け声にのって、アーニーのギターが炸裂。途中のギター・リフではアーニーが口にピックをはさみ、弦をはじいて音をだすという演出もある。いきなり、普段おとなしいブルーノートの観客が、早くも立ち始めた。それまで一バック・ギタリストに甘んじていた彼が、自らスポットライトを浴びるセンターステージのスターとして輝き始めた。ギターの先端には、薔薇の花がささっていた。
R&Bのパッケージショウの最大の魅力のひとつは、グループ内に様々なヴァリエーションを持ち、そうした若い才能をショウの中に組み込むことだ。キーボード担当でかなりひょうきんなロドニー・イーストにやらせたのは、なんとマイケル・ジャクソンの真似だ。ジャクソンズの大ヒット「シェイク・ユア・ボディー」を、マイケルよろしく歌って、踊って見せた。さらには、ロナルド・アイズレー・プロデュースのもとデビューした女性二人組、JSのヒット「アイス・クリーム」を、JSメンバー、キャンディーとキム姉妹が歌う。
ロナルドのこの声にやられる。特にバラード系になると、レコードで聴くあの声が目の前のその本人の口からでてくる。ヒット曲は70曲以上、その中から今日歌われるのは十数曲。すべてを歌うことは不可能だ。それでも、ビートルズでおなじみの「トゥイスト&シャウト」、あるいは、「シャウト」などのロック系の作品もうまく交えながらバランスのとれたショウを見せていく。ロナルドのようなねちっとした、セクシーで、センシュアルなヴォーカリストはなかなかいない。
ファーストではやらなかったという「サマー・ブリーズ」がプレイされた。途中のギターになると、アーニーが再び熱いギターソロを弾く。ジミ・ヘンドリックス直伝のギターだ。アンコールにおける「ファイト・ザ・パワー」は、13分にも及ぶロング・ヴァージョン、ロナルドがステージを降りてからも、しばしロック風の演奏が続いた。
おそらく現役グループとしては、グループ結成以来だんとつに歴史の長いグループだ。正に伝統と革新、苦難と栄光、低迷と復活、分裂と再結成、兄弟たちの死別など、すべてを経験し、その一つ一つが彼らの血肉となり、それがアイズレー・ブラザースというグループの輝かしい歴史となっている。
この迫力満点の爆発ライヴ、ソウルバンドショウとして最高だ。もう文句などない。ブルーノートがアポロ・シアターになった夜だった。
Setlist
(second set)
show started 21.37
01. Intro
02. Between The Sheets
03. Footsteps In The Dark
04. That Lady
05. It’s Your Thing
06. Twist & Shout
07. Shake Your Body Down To The Ground (Jacksons)
08. Ice Cream (JS=Kandi & Kim)
09. For The Love Of You
10. You’re All I Need
11. Shout (including riff of "Doin’ It To Death")
12. Groove With You
13. Atlantis
14. Summer Breeze
15. Work To Do
16. Contagious
Enc Fight The Power
show ended 22.59
(2004年3月1日月曜・東京ブルーノート=アイズレー・ブラザース・ライヴ)
ブルーノートのウェッブ
http://www.bluenote.co.jp/art/20040301.html
継続。
彼らはは1950年までに兄弟グループとして父親の指導で歌い始めていた。彼らの正式なスタートはなかなか確定できないが、54年あたりをこのグループのスタートとする説がある。その場合でも、結成50周年である。50年、半世紀だ。恐るべき継続の力。血を分けた兄弟たちの強さ。その両者をあわせ持った男たち、その名はアイズレー・ブラザース。
今は亡き赤坂ブリッツ、渋谷AXというライヴハウスから一転、小規模なブルーノートでのライヴ。かの伝説をこの距離で見られるとは。アポロ・シアターよりもここははるかに小さなライヴハウスだ。客席もいつものブルーノートとは違ったソウルブラザー、シスターたちが多い。この近さでこの迫力あるソウル! 誰がどこに文句をつけようか。タワー・オブ・パワーに続いて、生バンド・ソウル・ライヴの真髄をこれでもか、これでもかとまざまざと見せつける。
黒のパンツ、白の少し光沢のジャケット、そして、おなじみステッキ。いかついロナルド・アイズレーが舞台に上がるとそれだけで歓声が倍増する。いきなりミディアム調にした「ビトゥイーン・ザ・シーツ」から。さらに「フットステップス・イン・ザ・ダーク」とゆったりミディアム調が続いて、いよいよ「ザット・レディー」へ。「ゴー、アーニー、ゴー、アーニー」の掛け声にのって、アーニーのギターが炸裂。途中のギター・リフではアーニーが口にピックをはさみ、弦をはじいて音をだすという演出もある。いきなり、普段おとなしいブルーノートの観客が、早くも立ち始めた。それまで一バック・ギタリストに甘んじていた彼が、自らスポットライトを浴びるセンターステージのスターとして輝き始めた。ギターの先端には、薔薇の花がささっていた。
R&Bのパッケージショウの最大の魅力のひとつは、グループ内に様々なヴァリエーションを持ち、そうした若い才能をショウの中に組み込むことだ。キーボード担当でかなりひょうきんなロドニー・イーストにやらせたのは、なんとマイケル・ジャクソンの真似だ。ジャクソンズの大ヒット「シェイク・ユア・ボディー」を、マイケルよろしく歌って、踊って見せた。さらには、ロナルド・アイズレー・プロデュースのもとデビューした女性二人組、JSのヒット「アイス・クリーム」を、JSメンバー、キャンディーとキム姉妹が歌う。
ロナルドのこの声にやられる。特にバラード系になると、レコードで聴くあの声が目の前のその本人の口からでてくる。ヒット曲は70曲以上、その中から今日歌われるのは十数曲。すべてを歌うことは不可能だ。それでも、ビートルズでおなじみの「トゥイスト&シャウト」、あるいは、「シャウト」などのロック系の作品もうまく交えながらバランスのとれたショウを見せていく。ロナルドのようなねちっとした、セクシーで、センシュアルなヴォーカリストはなかなかいない。
ファーストではやらなかったという「サマー・ブリーズ」がプレイされた。途中のギターになると、アーニーが再び熱いギターソロを弾く。ジミ・ヘンドリックス直伝のギターだ。アンコールにおける「ファイト・ザ・パワー」は、13分にも及ぶロング・ヴァージョン、ロナルドがステージを降りてからも、しばしロック風の演奏が続いた。
おそらく現役グループとしては、グループ結成以来だんとつに歴史の長いグループだ。正に伝統と革新、苦難と栄光、低迷と復活、分裂と再結成、兄弟たちの死別など、すべてを経験し、その一つ一つが彼らの血肉となり、それがアイズレー・ブラザースというグループの輝かしい歴史となっている。
この迫力満点の爆発ライヴ、ソウルバンドショウとして最高だ。もう文句などない。ブルーノートがアポロ・シアターになった夜だった。
Setlist
(second set)
show started 21.37
01. Intro
02. Between The Sheets
03. Footsteps In The Dark
04. That Lady
05. It’s Your Thing
06. Twist & Shout
07. Shake Your Body Down To The Ground (Jacksons)
08. Ice Cream (JS=Kandi & Kim)
09. For The Love Of You
10. You’re All I Need
11. Shout (including riff of "Doin’ It To Death")
12. Groove With You
13. Atlantis
14. Summer Breeze
15. Work To Do
16. Contagious
Enc Fight The Power
show ended 22.59
(2004年3月1日月曜・東京ブルーノート=アイズレー・ブラザース・ライヴ)
ブルーノートのウェッブ
http://www.bluenote.co.jp/art/20040301.html
来日。
クイーン・オブ・ヒップ・ホップ・ソウルの称号を持つメアリー・J・ブライジの再来日が決定した。ブライジは昨年8月に『ラヴ・アンド・ライヴ』をリリースし、その後を受けてのツアーとなる。東京では、武道館2日の公演となる。日程は次の通り。
5月25日(火) 名古屋センチュリーホール【問いあわせ】サンデーフォークプロモーション:052-320-9100
5月27日(木) 大阪城ホール 【問いあわせ】キョードー大阪:06-6233-8888
5月29日(土) 福岡サンパレス 【問いあわせ】キョードー西日本:092-714-0159
5月31日(月)、6月1日(火) 日本武道館 【問いあわせ】SRCインフォメーション0180-99-3715
メアリー・Jは4月11日からフロリダ州マイアミから20都市以上を回る全米ツアーにでる。このツアーは5月9日のロスアンジェルスのユニヴァーサル・アンフィシアターまで続き、その後、来日となる。来日時点ではかなり本数をこなしたライヴショウになりそうだ。
クイーン・オブ・ヒップ・ホップ・ソウルの称号を持つメアリー・J・ブライジの再来日が決定した。ブライジは昨年8月に『ラヴ・アンド・ライヴ』をリリースし、その後を受けてのツアーとなる。東京では、武道館2日の公演となる。日程は次の通り。
5月25日(火) 名古屋センチュリーホール【問いあわせ】サンデーフォークプロモーション:052-320-9100
5月27日(木) 大阪城ホール 【問いあわせ】キョードー大阪:06-6233-8888
5月29日(土) 福岡サンパレス 【問いあわせ】キョードー西日本:092-714-0159
5月31日(月)、6月1日(火) 日本武道館 【問いあわせ】SRCインフォメーション0180-99-3715
メアリー・Jは4月11日からフロリダ州マイアミから20都市以上を回る全米ツアーにでる。このツアーは5月9日のロスアンジェルスのユニヴァーサル・アンフィシアターまで続き、その後、来日となる。来日時点ではかなり本数をこなしたライヴショウになりそうだ。
"Let’s Groove 2004" Will Be Held In May
2004年2月29日パーティー。
このところディスコの復活が叫ばれる中、ディスコ系アーティストを集めたライヴが行われる。タイトルは、『レッツ・グルーヴ2004』。アーティストは、クール&ギャングからJTテイラー、シックからナイル・ロジャース、シャラマーが出場する。シャラマーのメンバーは、ハワード・ヒューイット、ジェフリー・ダニエルス、キャロリン・グリフィン3人。会場は、有楽町の国際フォーラムAだが、ライヴ会場の他、階段の踊り場などもディスコ風にするという。イヴェント風パーティーになりそうだ。
公演日 5/19(水)20(木)19:00
会場 東京国際フォーラム ホールA
席種・料金 全席指定 \8,500
出演者 出演:CHIC(NILE RODGERS)/KOOL&THE GANG(JT TAYLOR)/SHALAMAR[HOWARD HEWITT/JEFFREY DANIELS/CAROLYN GRIFFY]
チケットは、Eプラスで先行発売している。
http://mars.eplus.co.jp/ss/kougyou/syosai.asp?kc=009422&ks=01
アクセスコード 944009
プレオーダー 2/23(月)12:00 〜 3/3(水)18:00
一般発売日 3/14(日)10:00
このところディスコの復活が叫ばれる中、ディスコ系アーティストを集めたライヴが行われる。タイトルは、『レッツ・グルーヴ2004』。アーティストは、クール&ギャングからJTテイラー、シックからナイル・ロジャース、シャラマーが出場する。シャラマーのメンバーは、ハワード・ヒューイット、ジェフリー・ダニエルス、キャロリン・グリフィン3人。会場は、有楽町の国際フォーラムAだが、ライヴ会場の他、階段の踊り場などもディスコ風にするという。イヴェント風パーティーになりそうだ。
公演日 5/19(水)20(木)19:00
会場 東京国際フォーラム ホールA
席種・料金 全席指定 \8,500
出演者 出演:CHIC(NILE RODGERS)/KOOL&THE GANG(JT TAYLOR)/SHALAMAR[HOWARD HEWITT/JEFFREY DANIELS/CAROLYN GRIFFY]
チケットは、Eプラスで先行発売している。
http://mars.eplus.co.jp/ss/kougyou/syosai.asp?kc=009422&ks=01
アクセスコード 944009
プレオーダー 2/23(月)12:00 〜 3/3(水)18:00
一般発売日 3/14(日)10:00
夢。
「メンフィスのロイヤルスタジオのドラムブースのところね、皮系は持ち込み禁止なのね。つまりドラムの上の皮の部分とか、そのあたりを外部の人間は変えちゃいけないんですよ。それで、あらゆるマイクが釘で打ち付けられてがっちり固定されてるんですよ。そうやって、マイクの位置が動かないようにして、いつでも同じ音を出せるようにしてるってことなのね」
いきなり、こんな濃い話。日本のライヴ・ステージの音響エンジニアをされている末永さんのメンフィス話だ。しかも、これが75年のことだというから、それもまたすごい。マーチンさんに末永さんを紹介され、やにわに「メンフィスのロイヤルスタジオで録音したことがあるんですよ」という話が始まったのだ。
末永さんは、72年頃アル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」を聴いて、メンフィスサウンドに打ちのめされ、それ以来メンフィスのしかも、ハイ・サウンドに一直線に走った人である。ハイ・サウンドとは、メンフィスの音楽界のドンとも言えるプロデューサー、ウィリー・ミッチェルの持つ「ハイ・レコード」から出た作品の数々のことを指す。ここに所属するアーティストはいずれも、同じようなサウンドで作られ、それが非常に個性的だったため、「ハイ・サウンド」などと呼ばれるようになった。アーティストで言えば、アル・グリーン、OVライト、アン・ピーブルス、オーティス・クレイ、クワイエット・エレガンス、ドン・ブライアントなどで、彼らの作品はいずれも強烈な個性をもつ「ハイ・サウンド」でできている。
末永さんは大阪出身で、70年代初期、加川良というシンガーのレコード制作にディレクターとして携わっていた。そして、自分がメンフィスがとても好きということもあって、どうしても一度メンフィスに行ってここでレコーディングしてみたい、と考えた。最初ロスに行き、交渉をしていたが、ものすごく高いことを言われ、らちがあかないので、直接メンフィスに単身乗り込んだ。アポなしで、ロイヤル・スタジオのドアをノックしたのだ。そして、ちょうど彼が求めるミュージシャンたちのスケジュールがあい、加川良のレコーディングがメンフィスで行われることになったのである。このアルバムは、76年の『南行きハイウェイ』という作品になる。
当時既に他のスタジオでは16チャンネルのマルチトラックが使われていたが、ウィリー・ミッチェルらはそれでも8チャンネルを使っていた、という。それは、ウィリーが16チャンネルの音に満足せず、8チャンネルの音のほうが気に入っていたからだ。チャンネル数が足りなくなると、いわゆる「ピンポン」という作業をして、チャンネル数をかせいでいた。(「ピンポン」とは、8チャンネルのうち例えば6チャンネルを使って録音したものを、バランスを整えて、残る2チャンネルにトラックダウンして、またその6チャンネルのところに新たに音を録音していくという方法。チャンネル数が限られていたときは、よく使われていた手法)
「それでね、8チャンネルしかないからか、フェーダー(音量を上げ下げするスイッチ)が、縦型の上下に上げるやつじゃなくて、丸く回転するヴォリームつまみなんですよ。その8チャンネルへのこだわりは、ウィリーならではのものでしたね」
末永さんがグラス片手に話す。「ハイ・レコードの作品、つまりウィリー・ミッチェルの作品って、あることに気がついたんですけど、どれも全部フェードアウトで終るんですよ。一曲もカットアウトで終る曲がない。ライヴでは別ですけどね。で、前から不思議に思ってて、メンフィスに行ったときに、ウィリー・ミッチェルに訊いたんです。そうしたら、彼は『よく気付いたな』って言いながらこう答えた。『その後(フェードアウトの後)は、聴く者が想像すればいいだろう。フェードアウトのほうが、その先に夢があるだろ』」
な〜〜るほど。うまいことを言うもんだ。フェードアウトの先には、夢がある・・・か。いい話だ。
「メンフィスのロイヤルスタジオのドラムブースのところね、皮系は持ち込み禁止なのね。つまりドラムの上の皮の部分とか、そのあたりを外部の人間は変えちゃいけないんですよ。それで、あらゆるマイクが釘で打ち付けられてがっちり固定されてるんですよ。そうやって、マイクの位置が動かないようにして、いつでも同じ音を出せるようにしてるってことなのね」
いきなり、こんな濃い話。日本のライヴ・ステージの音響エンジニアをされている末永さんのメンフィス話だ。しかも、これが75年のことだというから、それもまたすごい。マーチンさんに末永さんを紹介され、やにわに「メンフィスのロイヤルスタジオで録音したことがあるんですよ」という話が始まったのだ。
末永さんは、72年頃アル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」を聴いて、メンフィスサウンドに打ちのめされ、それ以来メンフィスのしかも、ハイ・サウンドに一直線に走った人である。ハイ・サウンドとは、メンフィスの音楽界のドンとも言えるプロデューサー、ウィリー・ミッチェルの持つ「ハイ・レコード」から出た作品の数々のことを指す。ここに所属するアーティストはいずれも、同じようなサウンドで作られ、それが非常に個性的だったため、「ハイ・サウンド」などと呼ばれるようになった。アーティストで言えば、アル・グリーン、OVライト、アン・ピーブルス、オーティス・クレイ、クワイエット・エレガンス、ドン・ブライアントなどで、彼らの作品はいずれも強烈な個性をもつ「ハイ・サウンド」でできている。
末永さんは大阪出身で、70年代初期、加川良というシンガーのレコード制作にディレクターとして携わっていた。そして、自分がメンフィスがとても好きということもあって、どうしても一度メンフィスに行ってここでレコーディングしてみたい、と考えた。最初ロスに行き、交渉をしていたが、ものすごく高いことを言われ、らちがあかないので、直接メンフィスに単身乗り込んだ。アポなしで、ロイヤル・スタジオのドアをノックしたのだ。そして、ちょうど彼が求めるミュージシャンたちのスケジュールがあい、加川良のレコーディングがメンフィスで行われることになったのである。このアルバムは、76年の『南行きハイウェイ』という作品になる。
当時既に他のスタジオでは16チャンネルのマルチトラックが使われていたが、ウィリー・ミッチェルらはそれでも8チャンネルを使っていた、という。それは、ウィリーが16チャンネルの音に満足せず、8チャンネルの音のほうが気に入っていたからだ。チャンネル数が足りなくなると、いわゆる「ピンポン」という作業をして、チャンネル数をかせいでいた。(「ピンポン」とは、8チャンネルのうち例えば6チャンネルを使って録音したものを、バランスを整えて、残る2チャンネルにトラックダウンして、またその6チャンネルのところに新たに音を録音していくという方法。チャンネル数が限られていたときは、よく使われていた手法)
「それでね、8チャンネルしかないからか、フェーダー(音量を上げ下げするスイッチ)が、縦型の上下に上げるやつじゃなくて、丸く回転するヴォリームつまみなんですよ。その8チャンネルへのこだわりは、ウィリーならではのものでしたね」
末永さんがグラス片手に話す。「ハイ・レコードの作品、つまりウィリー・ミッチェルの作品って、あることに気がついたんですけど、どれも全部フェードアウトで終るんですよ。一曲もカットアウトで終る曲がない。ライヴでは別ですけどね。で、前から不思議に思ってて、メンフィスに行ったときに、ウィリー・ミッチェルに訊いたんです。そうしたら、彼は『よく気付いたな』って言いながらこう答えた。『その後(フェードアウトの後)は、聴く者が想像すればいいだろう。フェードアウトのほうが、その先に夢があるだろ』」
な〜〜るほど。うまいことを言うもんだ。フェードアウトの先には、夢がある・・・か。いい話だ。
カール・アンダーソン死去。
70年代にミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』のユダ役で人気を博したシンガー、カール・アンダーソンが2月23日白血病のためにロスアンジェルスの病院で死去した。58歳だった。アンダーソンは、86年グロリア・ローリングとのデュエットで「フレンズ・アンド・ラヴァーズ」(全米2位)の大ヒットを放っている。90年代にはGRPレコードからジャズテイストのアルバムをリリースしていた。日本にも何度か来てライヴを行っている。
++++++++++++++++
カール・アンダーソンは、1945年2月27日ヴァージニア州生まれ。12人兄弟のひとり。なんとこの12人のうち8人(4組)が双子だという。カールも双子で生まれたが、その弟はカールが11ヶ月の時に他界した。両親は1934年に結婚。父ジェームスが1998年12月に他界するまで64年間の結婚生活が続いた。母アルバータは99年3月に90歳の誕生日を迎えた、という。
60年代になって、カールは家を出てエンターテインメントの世界にはいり、70年代になって、ミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』に出演、一挙に人気を集めた。このミュージカルは世界中で公演が行われ、カールも帯同。また、80年代にはいり、ラーキン・アーノルドに認められエピックと契約。85年にテレビドラマの主題歌となった「フレンズ・アンド・ラヴァーズ」をグロリア・ローリングとデュエットして大ヒットさせた。
90年代にはいってからは、ジャズテイストなアルバムをGRPからリリース。日本でもタバコのCM曲に彼の「心のかけら(ピーセス・オブ・マイ・ハート)」が使われヒットした。
++++++++++++++++
Carl Anderson: The Most Memorable Interview I’ve Ever Done
思い出。
昨日の朝、たまたま音楽評論家でAORのクールサウンドを運営している中田利樹さんのホームページを見ていたら、ロスに住む松居さんからのメールでカール・アンダーソン死去のニュースが報告されていて驚いた。早速、中田さんとロスのデイヴィッド・リッツに「本当なの?」とメールを送った。すぐにいろいろ調べると、カールのホームページがあり、そこに死去が報じられていた。まもなく両者からも間違いないというメールをもらい、愕然とした。
僕は91年6月と92年8月、彼が来日した時にインタヴューした。91年のインタヴューは僕がこれまでに行った300本以上のインタヴューの中でもベスト3にはいる印象度のあるインタヴューなのである。彼の誠実な人柄に好印象を持っただけでなく、その時の話の内容に大変感動したからだ。そこで語られた物語は、僕は後に『人生で一番高い買物』というタイトルで雑誌に寄稿した。その原稿は今では次のウェッブでも読むことができる。
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/story/anderson199501.html
この物語からは実に教えられることが多い。自分で書いたくせに、時々思い出したように、読み返してしまう。本当にいい話だ。僕の書いた作品の中でもお勧めベスト3かもしれない。僕も、人生の微調整をしたいと常々思っているが、現実にはなかなかそうは問屋が卸さない。
そして、なによりこのインタヴューが僕にとって忘れ難いものになったのは、彼がこの話をしていた時に、彼自身が泣いてしまったからである。それまでにも多くのインタヴューをしてきたが、インタヴューした相手が涙を見せたのは、後にも先にもこの時だけだ。まあ、これからはあるかもしれないが。だから、彼の目が赤くなってきた時、僕は「うそ、まさか」という思いと、「え、どうすればいいんだろう」という思いで、一瞬頭が真っ白になった。まさかインタヴュー相手が涙を流すなんてまったく予期していなかったので、対処法がわからなかった。結局、話がだんだん落ち着いて、また質問を別方向に持っていって、涙は一段落したが、なんとも言えぬ体験となった。
翌年、再び彼がやってきた時もインタヴューしたが、それだけでなく、その時は彼が滞在していた京王プラザで個人的に彼の奥さんも含めてランチをともにした。カールも僕とのインタヴューをよく覚えていてくれたらしい。というのは、その何年か後に、友人であるデイヴィッド・リッツがカールと親しく、僕とのインタヴューの話をデイヴィッドにしたらしいのだ。昨日来たメールでも、「カールは君とのインタヴューをよく覚えているよ」とあった。その頃カールのライヴアルバムをデイヴィッドが送ってくれた。
このライヴアルバムは、ライヴの模様をいきなりDATに2チャンネルで録音したものらしい。それだけに実に迫力あるライヴになっている。さっきからこのライヴを聴いている。
カールの歌う「イフ・アイ・クド」は、彼の話を聴いて以来一層大好きな作品になった。その後、バーブラ・ストライサンドやレイ・チャールズ、そして、レジーナ・ベルなどもカヴァーし、それらを聴く度にカールの話を思い出す。特にバーブラのヴァージョンはカールの物とは別の意味で心を打つ。カールのものは父から子供へというメッセージになっているが、バーブラの場合は母から子供へのメッセージになっているからだ。(バーブラの珠玉のヴァージョンは97年のアルバム『ハイアー・グラウンド』に収録。このアルバムは他にもすばらしい作品が収められていてバーブラの近年の作品の中でも白眉のでき)
バーブラはそのアルバムの中でこの曲についてこんなコメントを記している。「『イフ・アイ・クド』は親から子へのメッセージとして、また母の立場で大きな意味があります。それは母も父も辛いものですが、いずれは子離れしなければならないときが来るということです。永遠に子供を守りたいと思ったとしても、それは出来ないのです」
カール・アンダーソン、58歳。2月23日に死去。今日、2月27日は彼が59歳になるはずの誕生日だった。Rest in peace.
++++++++++++++++
カール・アンダーソン・オフィシャルウェッブ
http://www.cstone.net/~dgarlock/carl/index2.html
アルバムリストなど。
http://www.bluedesert.dk/carlanderson.html
70年代にミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』のユダ役で人気を博したシンガー、カール・アンダーソンが2月23日白血病のためにロスアンジェルスの病院で死去した。58歳だった。アンダーソンは、86年グロリア・ローリングとのデュエットで「フレンズ・アンド・ラヴァーズ」(全米2位)の大ヒットを放っている。90年代にはGRPレコードからジャズテイストのアルバムをリリースしていた。日本にも何度か来てライヴを行っている。
++++++++++++++++
カール・アンダーソンは、1945年2月27日ヴァージニア州生まれ。12人兄弟のひとり。なんとこの12人のうち8人(4組)が双子だという。カールも双子で生まれたが、その弟はカールが11ヶ月の時に他界した。両親は1934年に結婚。父ジェームスが1998年12月に他界するまで64年間の結婚生活が続いた。母アルバータは99年3月に90歳の誕生日を迎えた、という。
60年代になって、カールは家を出てエンターテインメントの世界にはいり、70年代になって、ミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』に出演、一挙に人気を集めた。このミュージカルは世界中で公演が行われ、カールも帯同。また、80年代にはいり、ラーキン・アーノルドに認められエピックと契約。85年にテレビドラマの主題歌となった「フレンズ・アンド・ラヴァーズ」をグロリア・ローリングとデュエットして大ヒットさせた。
90年代にはいってからは、ジャズテイストなアルバムをGRPからリリース。日本でもタバコのCM曲に彼の「心のかけら(ピーセス・オブ・マイ・ハート)」が使われヒットした。
++++++++++++++++
Carl Anderson: The Most Memorable Interview I’ve Ever Done
思い出。
昨日の朝、たまたま音楽評論家でAORのクールサウンドを運営している中田利樹さんのホームページを見ていたら、ロスに住む松居さんからのメールでカール・アンダーソン死去のニュースが報告されていて驚いた。早速、中田さんとロスのデイヴィッド・リッツに「本当なの?」とメールを送った。すぐにいろいろ調べると、カールのホームページがあり、そこに死去が報じられていた。まもなく両者からも間違いないというメールをもらい、愕然とした。
僕は91年6月と92年8月、彼が来日した時にインタヴューした。91年のインタヴューは僕がこれまでに行った300本以上のインタヴューの中でもベスト3にはいる印象度のあるインタヴューなのである。彼の誠実な人柄に好印象を持っただけでなく、その時の話の内容に大変感動したからだ。そこで語られた物語は、僕は後に『人生で一番高い買物』というタイトルで雑誌に寄稿した。その原稿は今では次のウェッブでも読むことができる。
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/story/anderson199501.html
この物語からは実に教えられることが多い。自分で書いたくせに、時々思い出したように、読み返してしまう。本当にいい話だ。僕の書いた作品の中でもお勧めベスト3かもしれない。僕も、人生の微調整をしたいと常々思っているが、現実にはなかなかそうは問屋が卸さない。
そして、なによりこのインタヴューが僕にとって忘れ難いものになったのは、彼がこの話をしていた時に、彼自身が泣いてしまったからである。それまでにも多くのインタヴューをしてきたが、インタヴューした相手が涙を見せたのは、後にも先にもこの時だけだ。まあ、これからはあるかもしれないが。だから、彼の目が赤くなってきた時、僕は「うそ、まさか」という思いと、「え、どうすればいいんだろう」という思いで、一瞬頭が真っ白になった。まさかインタヴュー相手が涙を流すなんてまったく予期していなかったので、対処法がわからなかった。結局、話がだんだん落ち着いて、また質問を別方向に持っていって、涙は一段落したが、なんとも言えぬ体験となった。
翌年、再び彼がやってきた時もインタヴューしたが、それだけでなく、その時は彼が滞在していた京王プラザで個人的に彼の奥さんも含めてランチをともにした。カールも僕とのインタヴューをよく覚えていてくれたらしい。というのは、その何年か後に、友人であるデイヴィッド・リッツがカールと親しく、僕とのインタヴューの話をデイヴィッドにしたらしいのだ。昨日来たメールでも、「カールは君とのインタヴューをよく覚えているよ」とあった。その頃カールのライヴアルバムをデイヴィッドが送ってくれた。
このライヴアルバムは、ライヴの模様をいきなりDATに2チャンネルで録音したものらしい。それだけに実に迫力あるライヴになっている。さっきからこのライヴを聴いている。
カールの歌う「イフ・アイ・クド」は、彼の話を聴いて以来一層大好きな作品になった。その後、バーブラ・ストライサンドやレイ・チャールズ、そして、レジーナ・ベルなどもカヴァーし、それらを聴く度にカールの話を思い出す。特にバーブラのヴァージョンはカールの物とは別の意味で心を打つ。カールのものは父から子供へというメッセージになっているが、バーブラの場合は母から子供へのメッセージになっているからだ。(バーブラの珠玉のヴァージョンは97年のアルバム『ハイアー・グラウンド』に収録。このアルバムは他にもすばらしい作品が収められていてバーブラの近年の作品の中でも白眉のでき)
バーブラはそのアルバムの中でこの曲についてこんなコメントを記している。「『イフ・アイ・クド』は親から子へのメッセージとして、また母の立場で大きな意味があります。それは母も父も辛いものですが、いずれは子離れしなければならないときが来るということです。永遠に子供を守りたいと思ったとしても、それは出来ないのです」
カール・アンダーソン、58歳。2月23日に死去。今日、2月27日は彼が59歳になるはずの誕生日だった。Rest in peace.
++++++++++++++++
カール・アンダーソン・オフィシャルウェッブ
http://www.cstone.net/~dgarlock/carl/index2.html
アルバムリストなど。
http://www.bluedesert.dk/carlanderson.html
前向き。
「オーディションに落ちたり、いやなことがあったりして凹んだ時、この曲をよく聴いたんです。この曲のメッセージって、『すべてうまく行く』っていう前向きなものでしょう。だから、落ち込んだ時はこの曲を聴いて元気を出すんです」
なるほど、そんな言葉が聞こえてくるのも理解できる。確かに、それほど英語の歌詞がわからなくとも、このサビの部分だけはよくわかる。”Everything’s Gonna Be Alright”。バッハの『G線上のアリア』のメロディーに乗せたこの曲は、98年秋からヒット。99年、日本のFM局のへヴィーローテーションを総なめにした。これを歌っていたのが、「スウィートボックス」と名乗るアーティストだ。
当初このグループは、ドイツのディスコ・プロデューサー、ゲオとアメリカ人ラッパー兼シンガーのティナ・ハリスのプロジェクトだった。この大ヒットの後、2000年5月から、リードシンガーがティナから現在のジェイド・ヴァレリー・ヴァイラロン(1980年8月12日カリフォルニア生まれ)に代わった。以後、彼らはコンスタントにアルバムをリリース、日本でも着実な人気を獲得している。「エヴリシングス…」のプロモーション用ビデオクリップで歌っていたのは黒人のティナ、そして、現在リードシンガーは、白人のジェイドというわけで、プロモビデオを思い浮かべるとちょっととまどうかもしれない。
そんな二代目スウィートボックスが渋谷DUOでライヴを見せた。ドラムス、ギター、ベース、キーボード二人、コーラス、それにリードシンガーのジェイドの7人。途中、一緒に来日していたママの誕生日を祝う「ハッピー・バースデイ」を含め、基本的にはのりのりのポップなロック。観客が座っているのを盛り上げようとするが、着席が基本という会場のせいかなかなか立ち上がらない。さて、1時間15分のステージで、やはり、アンコール一曲目の「エヴリシングス・ゴナ・ビー・オールライト」に尽きる。それまでの作品は、このメインディッシュまでのアンティパストの趣さえある。
セカンドショウのライヴが終った後、ジェイドが客席にでてサイン会を行った。その後、ジェイドと一言二言話すことができた。近くで見るジェイドは気取りがまったくなく、可愛かった。ライヴのステージでの英語がどこかヨーロッパ系のアクセントがあるように思えたが、「カリフォルニア出身よ。今はロスアンジェルスに住んでるわ。日本には何度も来てる」とのこと。ショウの途中でも、アンコールが終った後も、「ありがとう」という言葉を何度も何度も繰り返していた。85年から87年にかけて、父親が米軍所属だったため日本に滞在していた、という。「日本は大好きよ」と彼女は言った。
(2004年2月25日水曜・渋谷DUO=スウィートボックス・ライヴ)
「オーディションに落ちたり、いやなことがあったりして凹んだ時、この曲をよく聴いたんです。この曲のメッセージって、『すべてうまく行く』っていう前向きなものでしょう。だから、落ち込んだ時はこの曲を聴いて元気を出すんです」
なるほど、そんな言葉が聞こえてくるのも理解できる。確かに、それほど英語の歌詞がわからなくとも、このサビの部分だけはよくわかる。”Everything’s Gonna Be Alright”。バッハの『G線上のアリア』のメロディーに乗せたこの曲は、98年秋からヒット。99年、日本のFM局のへヴィーローテーションを総なめにした。これを歌っていたのが、「スウィートボックス」と名乗るアーティストだ。
当初このグループは、ドイツのディスコ・プロデューサー、ゲオとアメリカ人ラッパー兼シンガーのティナ・ハリスのプロジェクトだった。この大ヒットの後、2000年5月から、リードシンガーがティナから現在のジェイド・ヴァレリー・ヴァイラロン(1980年8月12日カリフォルニア生まれ)に代わった。以後、彼らはコンスタントにアルバムをリリース、日本でも着実な人気を獲得している。「エヴリシングス…」のプロモーション用ビデオクリップで歌っていたのは黒人のティナ、そして、現在リードシンガーは、白人のジェイドというわけで、プロモビデオを思い浮かべるとちょっととまどうかもしれない。
そんな二代目スウィートボックスが渋谷DUOでライヴを見せた。ドラムス、ギター、ベース、キーボード二人、コーラス、それにリードシンガーのジェイドの7人。途中、一緒に来日していたママの誕生日を祝う「ハッピー・バースデイ」を含め、基本的にはのりのりのポップなロック。観客が座っているのを盛り上げようとするが、着席が基本という会場のせいかなかなか立ち上がらない。さて、1時間15分のステージで、やはり、アンコール一曲目の「エヴリシングス・ゴナ・ビー・オールライト」に尽きる。それまでの作品は、このメインディッシュまでのアンティパストの趣さえある。
セカンドショウのライヴが終った後、ジェイドが客席にでてサイン会を行った。その後、ジェイドと一言二言話すことができた。近くで見るジェイドは気取りがまったくなく、可愛かった。ライヴのステージでの英語がどこかヨーロッパ系のアクセントがあるように思えたが、「カリフォルニア出身よ。今はロスアンジェルスに住んでるわ。日本には何度も来てる」とのこと。ショウの途中でも、アンコールが終った後も、「ありがとう」という言葉を何度も何度も繰り返していた。85年から87年にかけて、父親が米軍所属だったため日本に滞在していた、という。「日本は大好きよ」と彼女は言った。
(2004年2月25日水曜・渋谷DUO=スウィートボックス・ライヴ)
雫(しずく)。
一曲、トリオがウォームアップ用のインストゥルメンタルをプレイしてから彼女は登場した。いかにも、ジャズトリオとそのシンガーという雰囲気。僕が見た前々回(99年4月)が内省的で、前回(2002年10月)がなにか吹っ切れてという印象だったが、果たして、今回はどのようになっているか、という興味もあった。ダイアン・リーヴスの久々のライヴ。
それにしても、完璧な発声、完璧な発音(ディクション)、完璧な歌唱。三拍子というか、すべてが揃った歌手のお手本のようなシンガーだ。こういう歌だったら、何時間でも安心して聴いていられる。歌を勉強している人、歌を真剣に歌いたい人に見せてあげたいショウだ。
2曲目を終えて、ダイアンはマイクを取り話し始めた。「日本語のふたつの言葉を教わったの。ひとつは、『建前』、もうひとつは『本音』。私は、本音が好き。私はいつでも、自分自身の本当の気持ちを歌っているわ」 ベースのソロから始まる粋な曲は、実にむずかしい曲。それはメロディーの移動が非常に難しいという意味だが、それを彼女は簡単そうに歌う。プロだ。
彼女は、CDショップでは「ジャズ・ヴォーカル」のセクションに分類されているが、いよいよそうしたジャンルを飛び越えそうな時期に来ているかもしれない。確かに、ジャズだろう。しかし、そのレパートリーには、ブルージーな曲、フォーク調のスローバラード、R&B風ファンク曲などもある。6曲目の「アイ・アム・ア・ウーマン」(題名不確実)を聴いていると、テンプテーションズの「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」を思い浮かべてしまった。かと思えば、「私が4-5歳の頃、大叔母が私にずいぶんと下世話なブルーズを聴かせてくれた。私は、その危ない歌詞の意味なんかわからずに、その歌をみようみまねで歌っていた」と説明してから歌った曲はブルージーな一曲。しかし、ダイアンが歌うとあまり黒くない、というかダーティーにならない。ちょっと品よくなってしまうのだ。このあたりのアンバランスがおもしろい。
ジャズやブルーズを聴いていると、そこで歌われているものは、完璧に僕たち日本人とは違う『文化』であることを痛切に感じる。そして、だからこそ、おもしろいのだ。彼女は誇らしげに言った。「私(の中)には、力強い女性たちの伝統があります。そのスピリットは決して消すことができません。べシー・スミス、ビリー・ホリデイ、カーメン・マクレイ、サラ・ヴォーン…。(いずれも過去のジャズ界の偉人たち) 力強く彼女たちが歌うストーリーは、誰も決して否定できないのです」
彼女の歌はバックのトリオとまさに一体化している。ダイアンもある時は楽器になり、ある時はストーリーを語る語り部に変貌する。アルバム『イン・ザ・モーメント』(2000年)に収録のレナード・コーエン作の「スザンヌ」はそんなストーリーテラー、ダイアンの面目躍如の一曲だった。
彼女は、時に内省的でもあったが、時に解放的でもある。堂々とした自信があふれる。どんどんスケールが大きなシンガーになっているようだ。
いつものように最後の曲におけるメンバー紹介はメロディーに乗せて、アドリブで行う。これが何度聴いても実にかっこいい。単語が音楽になる。それは、名前という単語にメロディーが宿り、命を与えられた瞬間だ。
僕の位置から見ていると、ダイアンが口を大きく開けて歌うとき、口からでるつばが霧のようになってブルーの壁をバックに照明に照らされ光っていた。ある角度からしか見えないのだが、ダイアンの口元から出る霧が本当に薄くだが、何度も何度も垣間見られた。こんなもの見たことがなかった。もちろん、シンガーが歌う時つばが飛ぶのは何度も見たことがあったが、このように霧みたいに散っているのが不思議だった。それとも汗なのか。いや、彼女は汗はそれほどかいていなかった。わかった。あれはダイアンのソウルの雫(しずく)なのだ。
(2004年2月24日火曜・東京ブルーノート=ダイアン・リーヴス・ライヴ)
ブルーノートのウェッブ
http://www.bluenote.co.jp/art/20040223.html
一曲、トリオがウォームアップ用のインストゥルメンタルをプレイしてから彼女は登場した。いかにも、ジャズトリオとそのシンガーという雰囲気。僕が見た前々回(99年4月)が内省的で、前回(2002年10月)がなにか吹っ切れてという印象だったが、果たして、今回はどのようになっているか、という興味もあった。ダイアン・リーヴスの久々のライヴ。
それにしても、完璧な発声、完璧な発音(ディクション)、完璧な歌唱。三拍子というか、すべてが揃った歌手のお手本のようなシンガーだ。こういう歌だったら、何時間でも安心して聴いていられる。歌を勉強している人、歌を真剣に歌いたい人に見せてあげたいショウだ。
2曲目を終えて、ダイアンはマイクを取り話し始めた。「日本語のふたつの言葉を教わったの。ひとつは、『建前』、もうひとつは『本音』。私は、本音が好き。私はいつでも、自分自身の本当の気持ちを歌っているわ」 ベースのソロから始まる粋な曲は、実にむずかしい曲。それはメロディーの移動が非常に難しいという意味だが、それを彼女は簡単そうに歌う。プロだ。
彼女は、CDショップでは「ジャズ・ヴォーカル」のセクションに分類されているが、いよいよそうしたジャンルを飛び越えそうな時期に来ているかもしれない。確かに、ジャズだろう。しかし、そのレパートリーには、ブルージーな曲、フォーク調のスローバラード、R&B風ファンク曲などもある。6曲目の「アイ・アム・ア・ウーマン」(題名不確実)を聴いていると、テンプテーションズの「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」を思い浮かべてしまった。かと思えば、「私が4-5歳の頃、大叔母が私にずいぶんと下世話なブルーズを聴かせてくれた。私は、その危ない歌詞の意味なんかわからずに、その歌をみようみまねで歌っていた」と説明してから歌った曲はブルージーな一曲。しかし、ダイアンが歌うとあまり黒くない、というかダーティーにならない。ちょっと品よくなってしまうのだ。このあたりのアンバランスがおもしろい。
ジャズやブルーズを聴いていると、そこで歌われているものは、完璧に僕たち日本人とは違う『文化』であることを痛切に感じる。そして、だからこそ、おもしろいのだ。彼女は誇らしげに言った。「私(の中)には、力強い女性たちの伝統があります。そのスピリットは決して消すことができません。べシー・スミス、ビリー・ホリデイ、カーメン・マクレイ、サラ・ヴォーン…。(いずれも過去のジャズ界の偉人たち) 力強く彼女たちが歌うストーリーは、誰も決して否定できないのです」
彼女の歌はバックのトリオとまさに一体化している。ダイアンもある時は楽器になり、ある時はストーリーを語る語り部に変貌する。アルバム『イン・ザ・モーメント』(2000年)に収録のレナード・コーエン作の「スザンヌ」はそんなストーリーテラー、ダイアンの面目躍如の一曲だった。
彼女は、時に内省的でもあったが、時に解放的でもある。堂々とした自信があふれる。どんどんスケールが大きなシンガーになっているようだ。
いつものように最後の曲におけるメンバー紹介はメロディーに乗せて、アドリブで行う。これが何度聴いても実にかっこいい。単語が音楽になる。それは、名前という単語にメロディーが宿り、命を与えられた瞬間だ。
僕の位置から見ていると、ダイアンが口を大きく開けて歌うとき、口からでるつばが霧のようになってブルーの壁をバックに照明に照らされ光っていた。ある角度からしか見えないのだが、ダイアンの口元から出る霧が本当に薄くだが、何度も何度も垣間見られた。こんなもの見たことがなかった。もちろん、シンガーが歌う時つばが飛ぶのは何度も見たことがあったが、このように霧みたいに散っているのが不思議だった。それとも汗なのか。いや、彼女は汗はそれほどかいていなかった。わかった。あれはダイアンのソウルの雫(しずく)なのだ。
(2004年2月24日火曜・東京ブルーノート=ダイアン・リーヴス・ライヴ)
ブルーノートのウェッブ
http://www.bluenote.co.jp/art/20040223.html
ノミネート。
第18回「ソウル・トレイン・ミュージック・アワード」のノミネートが発表された。最大のノミネートは4部門のビヨンセ。それに続いて3部門のルーサー・ヴァンドロス。全10部門あり、発表は3月20日、ロスアンジェルスのインタ^ナショナル・カルチュアル・センター。約2時間のショウの司会は、アリシア・キーズとベイビーフェイスが担当し、ライヴパフォーマンスは、ジャネット・ジャクソン、ビヨンセ、アウトキャストなどが予定されている。
+++++
ノミネートリストと予想は次の通り。グラミーよりむずかしい予想です。本命対抗で5割を目標にしましょう。
The full list of nominees is as follows:
1) Best R&B/soul single, female:
"Rain on Me," Ashanti
"Danger," Erykah Badu
対抗 "Crazy in Love," Beyoncee featuring Jay-Z
本命 "You Don’t Know My Name," Alicia Keys
2) Best R&B/soul single, male:
"Comin’ From Where I’m From," Anthony Hamilton
"Put That Woman First," Jaheim
対抗 "Frontin’," Pharrell featuring Jay-Z
本命 "Dance With My Father," Luther Vandross
3) Best R&B/soul single, group/band/duo:
"Girlfriend," B2K
本命 "Say Yes," Floetry
対抗 "Busted," Isley Brothers featuring Ronald Isley & JS
"Walked Out of Heaven," Jagged Edge
4) Best R&B/soul album, female:
対抗 "World Wide Underground" (EP), Erykah Badu
本命 "Dangerously in Love," Beyonce
"Love & Life," Mary J. Blige
"So Damn Happy," Aretha Franklin
5) Best R&B/soul album, male:
"Subject," Dwele
"Comin’ From Where I’m From," Anthony Hamilton
対抗 "Chocolate Factory," R. Kelly
本命 "Dance With My Father," Luther Vandross
6) Best R&B/soul album, group/band/duo:
"Pandemonium," B2K
本命 "Body Kiss," Isley Brothers featuring Ronald Isley
"Surrender to Love," Kindred The Family Soul
対抗 "Neptunes Present... Clones," the Neptunes
7) Best R&B/soul or rap album of the year:
"Dangerously in Love," Beyonce
"Chocolate Factory," R. Kelly
対抗 "Speakerboxxx/The Love Below," OutKast
本命 "Dance With My Father," Luther Vandross
8) Best R&B/soul or rap new artist:
"Right Thurr," Chingy
"Stunt 101," G-Unit
本命 "Superstar," Ruben Studdard
対抗 "Through the Wire," Kanye West
9) Michael Jackson Award for best R&B/soul or rap music video:
本命 "Crazy in Love," Beyonce featuring Jay-Z
"Gossip Folks," Missy Elliott featuring Ludacris
"Get Low," Lil’ Jon & the Eastside Boyz featuring Ying Yang Twins
対抗 "Hey Ya!," OutKast
10) Best gospel album:
"The Prince of Praise (Live at New Birth Cathedral)," Byron Cage
"Donnie McClurkin... Again," Donnie McClurkin
対抗 "Diary of a Psalmist," Marvin Sapp
本命 "Bringing it All Together," Vickie Winans
+++++
第18回「ソウル・トレイン・ミュージック・アワード」のノミネートが発表された。最大のノミネートは4部門のビヨンセ。それに続いて3部門のルーサー・ヴァンドロス。全10部門あり、発表は3月20日、ロスアンジェルスのインタ^ナショナル・カルチュアル・センター。約2時間のショウの司会は、アリシア・キーズとベイビーフェイスが担当し、ライヴパフォーマンスは、ジャネット・ジャクソン、ビヨンセ、アウトキャストなどが予定されている。
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ノミネートリストと予想は次の通り。グラミーよりむずかしい予想です。本命対抗で5割を目標にしましょう。
The full list of nominees is as follows:
1) Best R&B/soul single, female:
"Rain on Me," Ashanti
"Danger," Erykah Badu
対抗 "Crazy in Love," Beyoncee featuring Jay-Z
本命 "You Don’t Know My Name," Alicia Keys
2) Best R&B/soul single, male:
"Comin’ From Where I’m From," Anthony Hamilton
"Put That Woman First," Jaheim
対抗 "Frontin’," Pharrell featuring Jay-Z
本命 "Dance With My Father," Luther Vandross
3) Best R&B/soul single, group/band/duo:
"Girlfriend," B2K
本命 "Say Yes," Floetry
対抗 "Busted," Isley Brothers featuring Ronald Isley & JS
"Walked Out of Heaven," Jagged Edge
4) Best R&B/soul album, female:
対抗 "World Wide Underground" (EP), Erykah Badu
本命 "Dangerously in Love," Beyonce
"Love & Life," Mary J. Blige
"So Damn Happy," Aretha Franklin
5) Best R&B/soul album, male:
"Subject," Dwele
"Comin’ From Where I’m From," Anthony Hamilton
対抗 "Chocolate Factory," R. Kelly
本命 "Dance With My Father," Luther Vandross
6) Best R&B/soul album, group/band/duo:
"Pandemonium," B2K
本命 "Body Kiss," Isley Brothers featuring Ronald Isley
"Surrender to Love," Kindred The Family Soul
対抗 "Neptunes Present... Clones," the Neptunes
7) Best R&B/soul or rap album of the year:
"Dangerously in Love," Beyonce
"Chocolate Factory," R. Kelly
対抗 "Speakerboxxx/The Love Below," OutKast
本命 "Dance With My Father," Luther Vandross
8) Best R&B/soul or rap new artist:
"Right Thurr," Chingy
"Stunt 101," G-Unit
本命 "Superstar," Ruben Studdard
対抗 "Through the Wire," Kanye West
9) Michael Jackson Award for best R&B/soul or rap music video:
本命 "Crazy in Love," Beyonce featuring Jay-Z
"Gossip Folks," Missy Elliott featuring Ludacris
"Get Low," Lil’ Jon & the Eastside Boyz featuring Ying Yang Twins
対抗 "Hey Ya!," OutKast
10) Best gospel album:
"The Prince of Praise (Live at New Birth Cathedral)," Byron Cage
"Donnie McClurkin... Again," Donnie McClurkin
対抗 "Diary of a Psalmist," Marvin Sapp
本命 "Bringing it All Together," Vickie Winans
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クラブ。
一階から地下一階に階段を降りていくと、いきなりそこに受け付けがあった。普段はここを通りすぎて、横に受付があるのだが。さて、今日はいつものブルーノートが一日だけクラブっぽくなって営業するイヴェントの日。これまでに何回かやってきたが、地下二階のフロアから通常のテーブル、椅子をはずして、ここをダンスフロアにして、クラブになる。バンドは、コスミック・ラウンジというダンス系のバンド。フィリーのDJ、キング・ブリットのプレゼンツ。ライヴの前後は彼のDJプレイで、皆踊る。
このブルーノートのクラブイヴェントは、かなりおしゃれで、僕は個人的にけっこうお気に入り。普段椅子テーブルのところがダンスフロアになって、立ってライヴを見たり、踊ったりしている雰囲気がいい。DJタイムには、昔のディスコみたいに、レーザー光線が飛んだりしている。なにより、ここは天井が高いから、そういうのが生きる。なにより、ここは音がいいから気持ちいい。
さて、バンドは僕は初めて見たが、こういうクラブでのバンドとしては、充分の出来。ディスコ風、ソウル風のリズムで躍らせる。女性リード・シンガーのイヴァナ・サンティーリは、カナダ出身の白人。歌のほかに、トランペットをちょろっと吹く。歌はバンド内の歌、トランペットは愛嬌という程度だが、声質がハスキーでなかなかいい。きちっとヴォイストレーニングでもして歌を勉強すれば、いいものがでるかもしれない。ファンキーバンドの紅一点ヴォーカルとしては、充分だ。いわゆるディスコバンド、クラブの箱バンドとしても、これでOKだろう。
このイヴェント、2ヶ月に一度くらいあるといいなあ。客層もいい雰囲気だし。しかし、外に出たら、いきなり大雨が降っていて、びっくりした。
(2004年2月22日日曜・東京ブルーノート=キング・ブリット・プレゼンツ・ザ・コズミック・ラウンジ、スペシャル・ライブ・イバナ・サンティーリ)
一階から地下一階に階段を降りていくと、いきなりそこに受け付けがあった。普段はここを通りすぎて、横に受付があるのだが。さて、今日はいつものブルーノートが一日だけクラブっぽくなって営業するイヴェントの日。これまでに何回かやってきたが、地下二階のフロアから通常のテーブル、椅子をはずして、ここをダンスフロアにして、クラブになる。バンドは、コスミック・ラウンジというダンス系のバンド。フィリーのDJ、キング・ブリットのプレゼンツ。ライヴの前後は彼のDJプレイで、皆踊る。
このブルーノートのクラブイヴェントは、かなりおしゃれで、僕は個人的にけっこうお気に入り。普段椅子テーブルのところがダンスフロアになって、立ってライヴを見たり、踊ったりしている雰囲気がいい。DJタイムには、昔のディスコみたいに、レーザー光線が飛んだりしている。なにより、ここは天井が高いから、そういうのが生きる。なにより、ここは音がいいから気持ちいい。
さて、バンドは僕は初めて見たが、こういうクラブでのバンドとしては、充分の出来。ディスコ風、ソウル風のリズムで躍らせる。女性リード・シンガーのイヴァナ・サンティーリは、カナダ出身の白人。歌のほかに、トランペットをちょろっと吹く。歌はバンド内の歌、トランペットは愛嬌という程度だが、声質がハスキーでなかなかいい。きちっとヴォイストレーニングでもして歌を勉強すれば、いいものがでるかもしれない。ファンキーバンドの紅一点ヴォーカルとしては、充分だ。いわゆるディスコバンド、クラブの箱バンドとしても、これでOKだろう。
このイヴェント、2ヶ月に一度くらいあるといいなあ。客層もいい雰囲気だし。しかし、外に出たら、いきなり大雨が降っていて、びっくりした。
(2004年2月22日日曜・東京ブルーノート=キング・ブリット・プレゼンツ・ザ・コズミック・ラウンジ、スペシャル・ライブ・イバナ・サンティーリ)