Donny Hathaway Live: Bits & Pieces
2004年7月4日ノイズ。
話題のダニー・ハザウェイのライヴアルバムですが、ちょっとコネタを。3曲目の「サムデイ・ウィル・オール・ビー・フリー」のヴォーカルのところあたりに、ビミョウなノイズがはいってますね。これは、最初気付かなかったんですが、先日の収録のときに、気付いたのです。確かに、何度も聴くとはいっている。
ちょうどソウルメイトSと電話で話しているときに、Sが車にそのCDをいれているので、聴いてもらったら、やはり今まで気付かなかったが、「ああ、確かにはいってる・・・」と。先日のSOULOZさんの書き込みでも、ノイズの件が触れられてました。「どうしたのかねえ、これ」 するとSがおもしろいことを電話の向こうで言ってくれた。「録音してる時、携帯でも使ってたんじゃないの?」 ははは。確かに携帯とかが作動すると、妙なノイズがはいることはある。・・・73年、携帯ないです。
もうひとつは、ソウルメイトUから。このアルバム『ディーズ・ソングス・フォー・ユー、ライヴ!』の最初の3曲はクレジットによれば73年6月30日のニューヨーク・カーネギーホールでの録音。ダニーの80年に発売された『イン・パフォーマンス』の中に「ヌーポー」というやはりカーネギーでの録音があります。こんどの3曲はこの時のセッションのアウトテイクではないか、と。そこまでは、そうなのでしょう。で、彼はこの3曲のメンバーは、ニューヨーク・ビターエンドとロスのトロバドールのメンバーと違うのではないか、というのです。彼によるとちょっとサウンドが軽すぎる、もう少しジャズ系の人ではないかと推測しているようです。僕は、もうわからないです。(笑)
こうなると、フレッド、コーネル、ウィリーたちを捕まえて、じっくりインタヴューして事実を確かめるしかないですねえ。
話題のダニー・ハザウェイのライヴアルバムですが、ちょっとコネタを。3曲目の「サムデイ・ウィル・オール・ビー・フリー」のヴォーカルのところあたりに、ビミョウなノイズがはいってますね。これは、最初気付かなかったんですが、先日の収録のときに、気付いたのです。確かに、何度も聴くとはいっている。
ちょうどソウルメイトSと電話で話しているときに、Sが車にそのCDをいれているので、聴いてもらったら、やはり今まで気付かなかったが、「ああ、確かにはいってる・・・」と。先日のSOULOZさんの書き込みでも、ノイズの件が触れられてました。「どうしたのかねえ、これ」 するとSがおもしろいことを電話の向こうで言ってくれた。「録音してる時、携帯でも使ってたんじゃないの?」 ははは。確かに携帯とかが作動すると、妙なノイズがはいることはある。・・・73年、携帯ないです。
もうひとつは、ソウルメイトUから。このアルバム『ディーズ・ソングス・フォー・ユー、ライヴ!』の最初の3曲はクレジットによれば73年6月30日のニューヨーク・カーネギーホールでの録音。ダニーの80年に発売された『イン・パフォーマンス』の中に「ヌーポー」というやはりカーネギーでの録音があります。こんどの3曲はこの時のセッションのアウトテイクではないか、と。そこまでは、そうなのでしょう。で、彼はこの3曲のメンバーは、ニューヨーク・ビターエンドとロスのトロバドールのメンバーと違うのではないか、というのです。彼によるとちょっとサウンドが軽すぎる、もう少しジャズ系の人ではないかと推測しているようです。僕は、もうわからないです。(笑)
こうなると、フレッド、コーネル、ウィリーたちを捕まえて、じっくりインタヴューして事実を確かめるしかないですねえ。
”Midnight Love” To Soysoul Live
2004年7月3日御買上。
昨日は月一の『ミッドナイト・ラヴ』の収録。このところ、プログラム自体の内容がかっちり決まりだし、いい感じ。マーチンさん、トーク全開です。(笑) トークネタの中では、メールも来ていた、かつてマーチンさんが主演したVシネマ『ザップ』にかんする話がおもしろい。このまま行ったら、『ザップ』ネタだけで、コーナーにできてしまうかもしれない。マーチンさんは、映画は二度と絶対にやらない、と断言しておりますが、その撮影時のエピソードならいくらでも語れるぞ、とも言っております。
さて、それが終わり渋谷AXへ。ポニー・キャニオンが売り出す新人サラ・コーナーのショーケース。AXに行こうとすると入口近辺で、「余り券あるよ〜〜、余り券、余り券・・・」というおにいさんがいたので、変だなあと思って、入口近くの看板をみるとまったく違うイヴェントだった。あわててチラシを確かめると渋谷BOXXとかいてある。また、まちがえました。つい先日東京60ワッツは実は先にBOXXに行き、あれと思ったら、AXだった。どうも、このBOXXとAX、いつも迷う。
さて、このサラのCDは、かなりポップで、例えば、アヴリル・ラヴィンとか、ブリットニー的な雰囲気だったが、ライヴはそこまで派手でキャピキャピはしてなかった。(笑) CDの中に、なんとナチュラリー7とのデュエット「ミュージック・イズ・ザ・キー」が収録されている。これはびっくり。入口で久しぶりにお会いした佐藤社長がライヴ終わりに、最近の音楽業界に熱いメッセージを話された。
さて、ショーケースが終わり、速攻で渋谷オーイースト。こちらは、ソイソウル、さらに、オーサカ=モノレールなどのライヴ。オーイースト主催のイヴェント「グルーヴ・ラボ」。ソイソウルは、相変わらずの大所帯で、最初音がものすごい爆音で聴きづらかったが、徐々にいい感じになっていった。8月にインディからでる新譜からの作品などを中心に披露。このあたりは、ベースはブラックながらもちょっとポップ。
オーサカ=モノレールを見るのは久しぶり。相変わらず、ブラスセクション、リズムセクションはぎれよし。リードヴォーカル、中田さんはますますジェームス・ブラウンぽっくなっていく。
ライヴが終わり、入口でCDが売られていた。ひとりの女性がソイソウルのCDを見ていた。「今、お買い上げになると、メンバーのサイン色紙付き!」とスタッフ。そこにズーコが、「名前もいれちゃうよ!」 「じゃあ、これください」と言ってソイソウルの昨年でた最新盤をお買い上げ。「今日の(アーティストの)なかで、初めて見たんですけど、ソイソウル、とっても楽しかったです」という彼女は一番目に出た森広隆とオーサカ=モノレール目当てにやってきたのだが、ソイソウルを初めて見て気に入ったという。
ズーコがその彼女の名前を書いて渡そうとしたので、思わず、「日付、日付」と言ってしまった。すると、ズーコ「今年、何年だっけ。で、今日何日?」 「2004年7月2日です」 御買上、ありがとうございます。
昨日は月一の『ミッドナイト・ラヴ』の収録。このところ、プログラム自体の内容がかっちり決まりだし、いい感じ。マーチンさん、トーク全開です。(笑) トークネタの中では、メールも来ていた、かつてマーチンさんが主演したVシネマ『ザップ』にかんする話がおもしろい。このまま行ったら、『ザップ』ネタだけで、コーナーにできてしまうかもしれない。マーチンさんは、映画は二度と絶対にやらない、と断言しておりますが、その撮影時のエピソードならいくらでも語れるぞ、とも言っております。
さて、それが終わり渋谷AXへ。ポニー・キャニオンが売り出す新人サラ・コーナーのショーケース。AXに行こうとすると入口近辺で、「余り券あるよ〜〜、余り券、余り券・・・」というおにいさんがいたので、変だなあと思って、入口近くの看板をみるとまったく違うイヴェントだった。あわててチラシを確かめると渋谷BOXXとかいてある。また、まちがえました。つい先日東京60ワッツは実は先にBOXXに行き、あれと思ったら、AXだった。どうも、このBOXXとAX、いつも迷う。
さて、このサラのCDは、かなりポップで、例えば、アヴリル・ラヴィンとか、ブリットニー的な雰囲気だったが、ライヴはそこまで派手でキャピキャピはしてなかった。(笑) CDの中に、なんとナチュラリー7とのデュエット「ミュージック・イズ・ザ・キー」が収録されている。これはびっくり。入口で久しぶりにお会いした佐藤社長がライヴ終わりに、最近の音楽業界に熱いメッセージを話された。
さて、ショーケースが終わり、速攻で渋谷オーイースト。こちらは、ソイソウル、さらに、オーサカ=モノレールなどのライヴ。オーイースト主催のイヴェント「グルーヴ・ラボ」。ソイソウルは、相変わらずの大所帯で、最初音がものすごい爆音で聴きづらかったが、徐々にいい感じになっていった。8月にインディからでる新譜からの作品などを中心に披露。このあたりは、ベースはブラックながらもちょっとポップ。
オーサカ=モノレールを見るのは久しぶり。相変わらず、ブラスセクション、リズムセクションはぎれよし。リードヴォーカル、中田さんはますますジェームス・ブラウンぽっくなっていく。
ライヴが終わり、入口でCDが売られていた。ひとりの女性がソイソウルのCDを見ていた。「今、お買い上げになると、メンバーのサイン色紙付き!」とスタッフ。そこにズーコが、「名前もいれちゃうよ!」 「じゃあ、これください」と言ってソイソウルの昨年でた最新盤をお買い上げ。「今日の(アーティストの)なかで、初めて見たんですけど、ソイソウル、とっても楽しかったです」という彼女は一番目に出た森広隆とオーサカ=モノレール目当てにやってきたのだが、ソイソウルを初めて見て気に入ったという。
ズーコがその彼女の名前を書いて渡そうとしたので、思わず、「日付、日付」と言ってしまった。すると、ズーコ「今年、何年だっけ。で、今日何日?」 「2004年7月2日です」 御買上、ありがとうございます。
Tokyo 60 Watts @ Shibuya AX
2004年7月2日昇天。
友人Tさんから、ひょんなことから「昇天」という曲は誰がやっているのか、と質問され、調べたところ「東京60WATTS(とうきょう・ろくじゅう・わっつ)」というグループだということがわかった。そのウェッブを見ていると、な、な、なんとその事務所、むか〜し一緒に仕事をしたことがある佐藤氏がやっていた。
1988年マイケル・ジャクソンが書いた自伝『ムーンウォーク』の翻訳本の編集を佐藤氏がてがけることになり、そのお手伝いをした。翻訳は、現長野県知事・田中康夫氏。そのころ、彼の事務所はまだ六本木のワンルームのマンションだった。その後、ブーム(BOOM)をてがけ大当たりしたということだった。ブームを彼がやっていたということさえ、知らなかった。以後、今では15近いアーティストを抱えるまでになって、かなり大きな事務所となり、音源も原盤制作までてがけるようになっている。東京60ワッツは、その所属アーティストのひとつだった。
ファイヴDのウェッブ。
http://www.five-d.co.jp/
東京60WATTSのウェッブ。
http://tokyo60watts.com/index2.htm
さっそくメールを送ったところ、30日に東京60ワッツのライヴが渋谷AXであるので、行くことにした。グループは5人組。基本はストレートなロックだが、少しばかりブラック色というか、ブルース色がある。送られてきたCDの中には、「ニューオーリンズ」とか、「サマータイム・ブルース」とか「俺は黒人だ」とか、タイトルだけでかなりそそられる(笑)ものがあった。サウンド的には、最近のベン・フォールズ・ファイヴとか、そういう感じに思えた。
ライヴの感想は、まず曲がみんな短くていい。意外といいメロディーが多い。ポップな曲作りがうまい。しかし、曲間のトークはどうなの、っていう感じ。(笑) トークはつっぱっているのだが、音楽がポップだから、なんとなくアンバランスな感じがした。音楽的には黒人音楽の影響は感じられた。詞の視点がけっこうおもしろい。
当日は次のライヴがあったので、途中ででなければならなかったのだが、帰り間際の9曲目に歌われた「ウイスキーバーブルース」という曲は、はっとさせられた。ゆっくりしたバラードだが、これを聴いてアル・グリーンの「ゴッド・ブレス・アワ・ラヴ」を思い出した。それを元にしたのかな。とても印象に残った。
これは彼らの最新盤『WATTS GOING ON』(2004年3月3日発売、東芝TOCT25326)に入っている。アルバムタイトルもね、そそられます。(笑)
(2004年6月30日水曜、渋谷AX=東京60ワッツ・ライヴ)
友人Tさんから、ひょんなことから「昇天」という曲は誰がやっているのか、と質問され、調べたところ「東京60WATTS(とうきょう・ろくじゅう・わっつ)」というグループだということがわかった。そのウェッブを見ていると、な、な、なんとその事務所、むか〜し一緒に仕事をしたことがある佐藤氏がやっていた。
1988年マイケル・ジャクソンが書いた自伝『ムーンウォーク』の翻訳本の編集を佐藤氏がてがけることになり、そのお手伝いをした。翻訳は、現長野県知事・田中康夫氏。そのころ、彼の事務所はまだ六本木のワンルームのマンションだった。その後、ブーム(BOOM)をてがけ大当たりしたということだった。ブームを彼がやっていたということさえ、知らなかった。以後、今では15近いアーティストを抱えるまでになって、かなり大きな事務所となり、音源も原盤制作までてがけるようになっている。東京60ワッツは、その所属アーティストのひとつだった。
ファイヴDのウェッブ。
http://www.five-d.co.jp/
東京60WATTSのウェッブ。
http://tokyo60watts.com/index2.htm
さっそくメールを送ったところ、30日に東京60ワッツのライヴが渋谷AXであるので、行くことにした。グループは5人組。基本はストレートなロックだが、少しばかりブラック色というか、ブルース色がある。送られてきたCDの中には、「ニューオーリンズ」とか、「サマータイム・ブルース」とか「俺は黒人だ」とか、タイトルだけでかなりそそられる(笑)ものがあった。サウンド的には、最近のベン・フォールズ・ファイヴとか、そういう感じに思えた。
ライヴの感想は、まず曲がみんな短くていい。意外といいメロディーが多い。ポップな曲作りがうまい。しかし、曲間のトークはどうなの、っていう感じ。(笑) トークはつっぱっているのだが、音楽がポップだから、なんとなくアンバランスな感じがした。音楽的には黒人音楽の影響は感じられた。詞の視点がけっこうおもしろい。
当日は次のライヴがあったので、途中ででなければならなかったのだが、帰り間際の9曲目に歌われた「ウイスキーバーブルース」という曲は、はっとさせられた。ゆっくりしたバラードだが、これを聴いてアル・グリーンの「ゴッド・ブレス・アワ・ラヴ」を思い出した。それを元にしたのかな。とても印象に残った。
これは彼らの最新盤『WATTS GOING ON』(2004年3月3日発売、東芝TOCT25326)に入っている。アルバムタイトルもね、そそられます。(笑)
(2004年6月30日水曜、渋谷AX=東京60ワッツ・ライヴ)
未確定。
ほとんど、昨日の続きである。今日は、まず『スピリット』のドラムは誰かというのを研究するミーティングをマイ・ブラザーHとやった。彼とは学生時代からの友人で、よくライヴに一緒に行ったのだが、アースの初来日時(79年3月)には、日本の全公演を追っかけた筋金入りのアースマニア。前日、電話で『スピリット』のドラムを誰が叩いているか、わかるか、と訊いたら、「そんなもん、わかるに決まってるだろう」と豪語したので、では、アースのCDを持って出向いた。
彼の会社は原宿にあり、ビジネスが大成功していて、社長室もかなりの広さ。そこにラジカセを用意し、まず『スピリット』の「ゲットアウェイ」を聴かせる。じ〜〜と聴き耳を立てて、「これは、フレッドだ」。「ほ〜〜、そうなの? その断言する根拠は?」 「口ではうまく言えないけど、ハイハットの音が独特なのよ」 では、続いて「サタデイ・ナイト」。
「これも、フレッドだよ。前(ゲットアウェイ)と同じだろ」 続いてCD2曲目の「オン・ユア・フェイス」。「う〜ん、これ違うかも。ああ、でもやっぱりフレッドかも」 さらに3曲目「イマジネーション」。「う〜〜ん、これフレッドじゃないかも。でも、フレッドかも・・・。で、クレジットはなんてでてるの」 徐々に確定的な答えがおぼろげになっていく。
クレジットには、フレッドとラルフ・ジョンソン、モーリス・ホワイトがドラム奏者として書かれている。我々はどうしても、ラルフのドラムというのが、わからない。つまり、音源が確定できないからだ。ラルフがドラムを叩いているところを見たことがある人があまりいないのも事実。ほとんどパーカッションだ。フレッドは初来日の時にしっかり叩いていた。モーリスも最初の2枚のアルバムではドラムを叩いている。だから、おそらくポイントはアースの『スピリット』のドラムは、フレッドかモーリスなのだろう。で、実際この時期すでにモーリスはドラムを叩いていなかったとすれば、ほとんどすべての曲はフレッドということになる。
そこで、ダニーのライヴ・アルバムを聴かせる。これはフレッドのドラム。そして、「ザッツ・ザ・ウェイ・オブ・ザ・ワールド」を聴く。H曰く「これ、モーリスじゃないかなあ」。 実は僕もこれはなんとなくフレッドじゃないような気がしている。とはいうものの、フレッドとモーリスのドラムの違いがはっきりわからないのだ。
何度もいろいろな曲を聴きなおしているうちに、こういうことになる。これがラルフという決定的な音がないから、まずラルフは除外しましょう。するとどれがフレッドでモーリスかということになる。時期的に言えば、『スピリット』はほぼ全面フレッドにおまかせではないかと推測する。しかし、フレッドとモーリスの違いは微妙。モーリスが兄なので、フレッドが兄の真似をしたり、影響を受けることは十分にある。また、モーリスがこういう風に叩いてくれとフレッドにいい、それを実践すればモーリスのスタイルでフレッドが叩くこともありえる。
さんざんやった後、「アメリカに聞けばいいじゃない」とH。「今、訊いてるのよ」 そして、「結論は・・・。わからんということだな・・・。すまん」とH。おいおい、なんだよ〜〜、昨日のあの豪語は。(笑) でも、「ゲットアウェイ」と「サタデイ・ナイト」は、フレッドということにしよう。
ところで、こんなネタを友人Cより。「ゲットアウェイ」の途中(0分57秒あたりから)、英語歌詞「I know we can, I know we can...」のところ。ここね、「アオモリケン(青森県)」に聴こえるよ〜〜って。確かに! お試しあれ。空耳ネタでした。
ほとんど、昨日の続きである。今日は、まず『スピリット』のドラムは誰かというのを研究するミーティングをマイ・ブラザーHとやった。彼とは学生時代からの友人で、よくライヴに一緒に行ったのだが、アースの初来日時(79年3月)には、日本の全公演を追っかけた筋金入りのアースマニア。前日、電話で『スピリット』のドラムを誰が叩いているか、わかるか、と訊いたら、「そんなもん、わかるに決まってるだろう」と豪語したので、では、アースのCDを持って出向いた。
彼の会社は原宿にあり、ビジネスが大成功していて、社長室もかなりの広さ。そこにラジカセを用意し、まず『スピリット』の「ゲットアウェイ」を聴かせる。じ〜〜と聴き耳を立てて、「これは、フレッドだ」。「ほ〜〜、そうなの? その断言する根拠は?」 「口ではうまく言えないけど、ハイハットの音が独特なのよ」 では、続いて「サタデイ・ナイト」。
「これも、フレッドだよ。前(ゲットアウェイ)と同じだろ」 続いてCD2曲目の「オン・ユア・フェイス」。「う〜ん、これ違うかも。ああ、でもやっぱりフレッドかも」 さらに3曲目「イマジネーション」。「う〜〜ん、これフレッドじゃないかも。でも、フレッドかも・・・。で、クレジットはなんてでてるの」 徐々に確定的な答えがおぼろげになっていく。
クレジットには、フレッドとラルフ・ジョンソン、モーリス・ホワイトがドラム奏者として書かれている。我々はどうしても、ラルフのドラムというのが、わからない。つまり、音源が確定できないからだ。ラルフがドラムを叩いているところを見たことがある人があまりいないのも事実。ほとんどパーカッションだ。フレッドは初来日の時にしっかり叩いていた。モーリスも最初の2枚のアルバムではドラムを叩いている。だから、おそらくポイントはアースの『スピリット』のドラムは、フレッドかモーリスなのだろう。で、実際この時期すでにモーリスはドラムを叩いていなかったとすれば、ほとんどすべての曲はフレッドということになる。
そこで、ダニーのライヴ・アルバムを聴かせる。これはフレッドのドラム。そして、「ザッツ・ザ・ウェイ・オブ・ザ・ワールド」を聴く。H曰く「これ、モーリスじゃないかなあ」。 実は僕もこれはなんとなくフレッドじゃないような気がしている。とはいうものの、フレッドとモーリスのドラムの違いがはっきりわからないのだ。
何度もいろいろな曲を聴きなおしているうちに、こういうことになる。これがラルフという決定的な音がないから、まずラルフは除外しましょう。するとどれがフレッドでモーリスかということになる。時期的に言えば、『スピリット』はほぼ全面フレッドにおまかせではないかと推測する。しかし、フレッドとモーリスの違いは微妙。モーリスが兄なので、フレッドが兄の真似をしたり、影響を受けることは十分にある。また、モーリスがこういう風に叩いてくれとフレッドにいい、それを実践すればモーリスのスタイルでフレッドが叩くこともありえる。
さんざんやった後、「アメリカに聞けばいいじゃない」とH。「今、訊いてるのよ」 そして、「結論は・・・。わからんということだな・・・。すまん」とH。おいおい、なんだよ〜〜、昨日のあの豪語は。(笑) でも、「ゲットアウェイ」と「サタデイ・ナイト」は、フレッドということにしよう。
ところで、こんなネタを友人Cより。「ゲットアウェイ」の途中(0分57秒あたりから)、英語歌詞「I know we can, I know we can...」のところ。ここね、「アオモリケン(青森県)」に聴こえるよ〜〜って。確かに! お試しあれ。空耳ネタでした。
謎。
今、アース・ウィンド&ファイアーの『スピリット(魂)』の原稿を書いているのですが、思い入れもひとしおのアルバムだけに、あれも書きたい、これも書きたいで、なかなか進みません。すいません。
このアルバムを入手したのは、76年10月。まず輸入盤だった。オレンジ色のジャケットに白いピラミッドがみっつ。その前でモーリス・ホワイトや他のメンバーが、独特のポーズを取って、立っています。
アルバムに先がけてシングル「ゲット・アウェイ」が76年7月からヒットし始めていました。最近車の宣伝に使われてました。トヨタのハリアだったか。
さて、アースのこの『スピリット』のアルバムで、今、僕が注目しているのが、誰がドラムを叩いているのか、という点です。アースのこの時期、実はモーリスの弟フレッド・ホワイトのほかに、ラルフ・ジョンソンもドラマーをしていました。また、モーリス自身もドラムを叩きます。元々ドラマーですから。アルバムのクレジットには、ラルフとフレッドの名前があるのですが、曲ごとに誰が叩いているのかは書かれていないのです。
なので、「ゲットアウェイ」や「サタデイ・ナイト」のドラマーが誰なのか、ひじょうに気になります。ラルフは、それほどドラムをやらないので、おそらく、少なくともこの2曲はフレッド・ホワイトが叩いていると推測しているのですが。たぶん、他の曲もほとんどフレッドではないかと思っています。ただ、モーリスとフレッド、そして、ラルフのドラムの音の違いがわからないんですよ。CDだけからでは。ラルフはパーカッションだったとすると、フレッドとモーリスの違いはいかに。
もちろん、参考資料としてダニー・ハザウェイの『ライヴ』も聞き比べます。これは、フレッド。でも、やはりわからない。ワーナーからでたアースの2枚のアルバムがあります。ここでのドラムは、おそらくというか、確実にモーリスです。『地球最後の日』も。しかし、『暗黒への挑戦』からドラムにフレッド・ホワイトがクレジットされました。ここから全編、フレッドになったのでしょうか。
79年3月の初来日の時は、フレッドが来ていました。88年の時は、ソニー・エモリーだったように記憶しています。(要確認)
てなことを考えているときりがないので、この手のことに詳しいハリー・ワインガーにメールで尋ねました。すると、まもなく、それならリオ・サックスにきいてみてはどうかと、リオを紹介されました。リオにメールをしました。すると、彼はハーブ・パウエルという人物を紹介してくれました。リオもハーブも、これまでにアメリカのアースのライナーを書いている人です。ハーブからは、モーリスとラルフ、そしてフレッドに確認するのでしばらく時間をくれという返事がきました。
さて、『スピリット』の全曲を叩いているのは、やはり、フレッド・ホワイトなのでしょうか。はっきりわかるといいですねえ。謎はとけるでしょうか。
今、アース・ウィンド&ファイアーの『スピリット(魂)』の原稿を書いているのですが、思い入れもひとしおのアルバムだけに、あれも書きたい、これも書きたいで、なかなか進みません。すいません。
このアルバムを入手したのは、76年10月。まず輸入盤だった。オレンジ色のジャケットに白いピラミッドがみっつ。その前でモーリス・ホワイトや他のメンバーが、独特のポーズを取って、立っています。
アルバムに先がけてシングル「ゲット・アウェイ」が76年7月からヒットし始めていました。最近車の宣伝に使われてました。トヨタのハリアだったか。
さて、アースのこの『スピリット』のアルバムで、今、僕が注目しているのが、誰がドラムを叩いているのか、という点です。アースのこの時期、実はモーリスの弟フレッド・ホワイトのほかに、ラルフ・ジョンソンもドラマーをしていました。また、モーリス自身もドラムを叩きます。元々ドラマーですから。アルバムのクレジットには、ラルフとフレッドの名前があるのですが、曲ごとに誰が叩いているのかは書かれていないのです。
なので、「ゲットアウェイ」や「サタデイ・ナイト」のドラマーが誰なのか、ひじょうに気になります。ラルフは、それほどドラムをやらないので、おそらく、少なくともこの2曲はフレッド・ホワイトが叩いていると推測しているのですが。たぶん、他の曲もほとんどフレッドではないかと思っています。ただ、モーリスとフレッド、そして、ラルフのドラムの音の違いがわからないんですよ。CDだけからでは。ラルフはパーカッションだったとすると、フレッドとモーリスの違いはいかに。
もちろん、参考資料としてダニー・ハザウェイの『ライヴ』も聞き比べます。これは、フレッド。でも、やはりわからない。ワーナーからでたアースの2枚のアルバムがあります。ここでのドラムは、おそらくというか、確実にモーリスです。『地球最後の日』も。しかし、『暗黒への挑戦』からドラムにフレッド・ホワイトがクレジットされました。ここから全編、フレッドになったのでしょうか。
79年3月の初来日の時は、フレッドが来ていました。88年の時は、ソニー・エモリーだったように記憶しています。(要確認)
てなことを考えているときりがないので、この手のことに詳しいハリー・ワインガーにメールで尋ねました。すると、まもなく、それならリオ・サックスにきいてみてはどうかと、リオを紹介されました。リオにメールをしました。すると、彼はハーブ・パウエルという人物を紹介してくれました。リオもハーブも、これまでにアメリカのアースのライナーを書いている人です。ハーブからは、モーリスとラルフ、そしてフレッドに確認するのでしばらく時間をくれという返事がきました。
さて、『スピリット』の全曲を叩いているのは、やはり、フレッド・ホワイトなのでしょうか。はっきりわかるといいですねえ。謎はとけるでしょうか。
公開録音。
いやいやいや、すでにBBSに書き込まれてしまったので、書いてしまいましょう。(笑) ほんとは、アースのアルバム『スプリット』について書こうと思ってたのですが。(アースについては明日あたり書きます。締め切り、待って!(笑)) 昨日(28日)は岐阜・日帰り往復してまいりました。岐阜は初めてでしたが、おもしろかったです。名古屋から在来線で岐阜まで移動したんですが、たまたま乗った車両が一番前で、運転席から前がよく見えて、僕はやりませんが、まるでテレビゲームの「電車でGO」みたいでした。(笑)
前日に岐阜でライヴをやったゴスペラーズが、岐阜にある「マーサ21」というショッピングモールの中にある岐阜FMのサテライトスタジオで『フィール・ン・ソウル』の公開録音を行ったわけです。
夕方6時からの収録で、メンバー黒沢さんと酒井さんが登場するや大歓声。観客席は約80人が座り、サイドの通路は何分かごとに入れ替え制で収録を観覧してもらうというもの。トータルで4-500人はいたということです。すごい。
しかし、酒井さんは、芸人ですねえ。曲がかかってる間も、いろいろコネタかましてくれます。それを受ける黒沢さんとのコンビも完璧だ。その度に観客席は大爆笑ですね。
録音は、普通に「マジックソング」のコーナーや、メールのコーナーなど。それと会場でとったアンケートに書いてもらったメッセージなどを読みながら、快調に爆笑のうちに進みました。
個人的におもしろかったのは、ちょうどたくさんのアンケートの中から9歳のケイゴ君だったかな、の質問を見つけて、それを酒井さんに読んでもらったときのこと。彼は酒井さんへの質問として「どうやって口で音楽を作るのか教えてください」と、たどたどしい字で書いてありました。
それに酒井さんが丁寧に答え、実際ギターの音を試しにやってみるのですが、その質問をした彼の顔を見るなり、黒沢さんが、「君はちょっと村上に似てるなあ」と言ったところからいきなり、会場ヒートアップ。言われてみると、確かに似てる! ブース内もみなバカ受けしました。今、サッカーをやっている彼に、二人が「サッカーがんばってな」と声をかけたわけですが、彼は絶対にこの日のことを忘れないでしょうね。(笑) 彼の写真が紹介できないのが、残念なほど。
今9歳の彼、サッカーが上手になって例えば10年後(19歳)あたりに、また彼らの前に戻ってきてくださいな。「岐阜の公開録音の時に、黒沢さんと酒井さんにサッカーがんばれって言われて、サッカーの選手になりました」とか言って。そうなるとまたいい話が生まれます。(笑)
この模様は今週土曜日7月3日午後10時から東京FM系で放送されます。
(2004年6月28日月曜、岐阜マーサ21=『フィール・ン・ソウル』公開録音)
いやいやいや、すでにBBSに書き込まれてしまったので、書いてしまいましょう。(笑) ほんとは、アースのアルバム『スプリット』について書こうと思ってたのですが。(アースについては明日あたり書きます。締め切り、待って!(笑)) 昨日(28日)は岐阜・日帰り往復してまいりました。岐阜は初めてでしたが、おもしろかったです。名古屋から在来線で岐阜まで移動したんですが、たまたま乗った車両が一番前で、運転席から前がよく見えて、僕はやりませんが、まるでテレビゲームの「電車でGO」みたいでした。(笑)
前日に岐阜でライヴをやったゴスペラーズが、岐阜にある「マーサ21」というショッピングモールの中にある岐阜FMのサテライトスタジオで『フィール・ン・ソウル』の公開録音を行ったわけです。
夕方6時からの収録で、メンバー黒沢さんと酒井さんが登場するや大歓声。観客席は約80人が座り、サイドの通路は何分かごとに入れ替え制で収録を観覧してもらうというもの。トータルで4-500人はいたということです。すごい。
しかし、酒井さんは、芸人ですねえ。曲がかかってる間も、いろいろコネタかましてくれます。それを受ける黒沢さんとのコンビも完璧だ。その度に観客席は大爆笑ですね。
録音は、普通に「マジックソング」のコーナーや、メールのコーナーなど。それと会場でとったアンケートに書いてもらったメッセージなどを読みながら、快調に爆笑のうちに進みました。
個人的におもしろかったのは、ちょうどたくさんのアンケートの中から9歳のケイゴ君だったかな、の質問を見つけて、それを酒井さんに読んでもらったときのこと。彼は酒井さんへの質問として「どうやって口で音楽を作るのか教えてください」と、たどたどしい字で書いてありました。
それに酒井さんが丁寧に答え、実際ギターの音を試しにやってみるのですが、その質問をした彼の顔を見るなり、黒沢さんが、「君はちょっと村上に似てるなあ」と言ったところからいきなり、会場ヒートアップ。言われてみると、確かに似てる! ブース内もみなバカ受けしました。今、サッカーをやっている彼に、二人が「サッカーがんばってな」と声をかけたわけですが、彼は絶対にこの日のことを忘れないでしょうね。(笑) 彼の写真が紹介できないのが、残念なほど。
今9歳の彼、サッカーが上手になって例えば10年後(19歳)あたりに、また彼らの前に戻ってきてくださいな。「岐阜の公開録音の時に、黒沢さんと酒井さんにサッカーがんばれって言われて、サッカーの選手になりました」とか言って。そうなるとまたいい話が生まれます。(笑)
この模様は今週土曜日7月3日午後10時から東京FM系で放送されます。
(2004年6月28日月曜、岐阜マーサ21=『フィール・ン・ソウル』公開録音)
(ライヴ評、若干ネタばれになります。これからごらんになる方はあなたのリスクにおいてお読みください)
チケット。
1986年6月27日、鈴木雅之はこの渋谷公会堂でソロとしての第一歩を踏み出した。そのことを忘れまいと、彼は自分で1枚だけその日のチケットを自分のために買ってずっと大事にしまっていた。
まさにそれから18年後の2004年6月27日。彼は再び渋谷公会堂のステージに立っていた。ラッツのメンバーとしてもこの場に立った。以後もソロとしても立った。歴史が18年かけて一回転した。
その彼が自分のために買ったチケットが、スクリーンに映し出された。今日、その席と同じ席に座っている人。席番号が呼び出され、そこに座っていた人が、歓喜の声をあげ、ステージにあげられた。そして、鈴木はその彼女にスペシャルなプレゼントを贈った。18年前、アーティストである自分が自分の記念のために買った同じ席に、18年後に座ったひとりの観客。同じ席の上で18年の歳月が点から線になって結びついた瞬間だった。
渋谷公会堂は、老朽化が進んでおり、来年あたり内装工事がはいるという話がある。そうなると、席番号は変わってしまう。おそらく、タイムマシンにじっくりと保存されていた未来へのメッセージを受け取る日は、2004年の今日、6月27日しかなかったのかもしれない。18年前、まさかそのチケットに書かれた席の人に会ってプレゼントを渡すことなど夢にも思わなかったであろう。彼の想いが込められた未来のファンへのプレゼントになった。
実は、18年前の同じ日に渋谷公会堂に立っていたということに気付いたのはほんの昨日のことだったらしい。スタッフがあわてて東急ハンズに「今日の主役」のタスキを買いに行ったという。なんという運命のめぐり合わせだろうか。
アンコールの一曲目は、ブリリアント・ヴォイス、ミスター・ケイ・グラントの司会にメンバーが導かれ、歌うは「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」だ。う〜〜〜む、やられた。(笑) もちろん、『永遠のモータウン』のエンディングを彷彿とさせるアレンジだ。
この日は、特別に飛び入りでコーラスグループ、アジの5人、さらに、「ランナウェイ」でクワマンさんが登場。ひとしきり感動的なやりとりがあって、最後にマーチンはクワマンに言った。「来年、お前と同じステージにいるかもしれないな」 クワマンは直立不動になって答えた。「酒の量を控えます!」 「同じステージ・・・」。それは予告か。
そして、「18年と言わず、これからもずっと歌い続けます」と宣言してアンコールの最後の最後に歌われたのが、「君の未来、僕の想い」だった。アルバムでも最後に収録されている妹尾武・作の名曲だ。そのメッセージは、今日渋谷公会堂に来ていた多くのファンの未来へむけての、彼のメッセージだったのかもしれない。
マーチンは、今日の渋谷公会堂のチケットは買っていただろうか。
(2004年6月27日日曜、渋谷公会堂=鈴木雅之ライヴ)
チケット。
1986年6月27日、鈴木雅之はこの渋谷公会堂でソロとしての第一歩を踏み出した。そのことを忘れまいと、彼は自分で1枚だけその日のチケットを自分のために買ってずっと大事にしまっていた。
まさにそれから18年後の2004年6月27日。彼は再び渋谷公会堂のステージに立っていた。ラッツのメンバーとしてもこの場に立った。以後もソロとしても立った。歴史が18年かけて一回転した。
その彼が自分のために買ったチケットが、スクリーンに映し出された。今日、その席と同じ席に座っている人。席番号が呼び出され、そこに座っていた人が、歓喜の声をあげ、ステージにあげられた。そして、鈴木はその彼女にスペシャルなプレゼントを贈った。18年前、アーティストである自分が自分の記念のために買った同じ席に、18年後に座ったひとりの観客。同じ席の上で18年の歳月が点から線になって結びついた瞬間だった。
渋谷公会堂は、老朽化が進んでおり、来年あたり内装工事がはいるという話がある。そうなると、席番号は変わってしまう。おそらく、タイムマシンにじっくりと保存されていた未来へのメッセージを受け取る日は、2004年の今日、6月27日しかなかったのかもしれない。18年前、まさかそのチケットに書かれた席の人に会ってプレゼントを渡すことなど夢にも思わなかったであろう。彼の想いが込められた未来のファンへのプレゼントになった。
実は、18年前の同じ日に渋谷公会堂に立っていたということに気付いたのはほんの昨日のことだったらしい。スタッフがあわてて東急ハンズに「今日の主役」のタスキを買いに行ったという。なんという運命のめぐり合わせだろうか。
アンコールの一曲目は、ブリリアント・ヴォイス、ミスター・ケイ・グラントの司会にメンバーが導かれ、歌うは「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」だ。う〜〜〜む、やられた。(笑) もちろん、『永遠のモータウン』のエンディングを彷彿とさせるアレンジだ。
この日は、特別に飛び入りでコーラスグループ、アジの5人、さらに、「ランナウェイ」でクワマンさんが登場。ひとしきり感動的なやりとりがあって、最後にマーチンはクワマンに言った。「来年、お前と同じステージにいるかもしれないな」 クワマンは直立不動になって答えた。「酒の量を控えます!」 「同じステージ・・・」。それは予告か。
そして、「18年と言わず、これからもずっと歌い続けます」と宣言してアンコールの最後の最後に歌われたのが、「君の未来、僕の想い」だった。アルバムでも最後に収録されている妹尾武・作の名曲だ。そのメッセージは、今日渋谷公会堂に来ていた多くのファンの未来へむけての、彼のメッセージだったのかもしれない。
マーチンは、今日の渋谷公会堂のチケットは買っていただろうか。
(2004年6月27日日曜、渋谷公会堂=鈴木雅之ライヴ)
Doesn’t Really Matter What The Genre Is
2004年6月27日大海阿故郷。
定例深町純コンサートはこのところ、毎月、誰かしらゲストがやってくる。今月は、70年代から活躍しているプリズムというグループのギター奏者、和田あきらさんと、もうひとり、中国人の歌手ユウエンさんがきた。和田さんは、すこし歪のかかったロック風ギターを深町さんと披露。既存曲とアドリブでもやった。二人でアドリブの場合、船頭はやはり深町さんだということだ。
それはさておき。
和田さんの後に登場したのが、ユウエンさんという中国の歌手の方。その彼女が歌ったのが、「大海阿故郷」というタイトルの曲。正確には阿の左横に「口」偏がつき、故郷の郷の字は右側の作りの部分がない文字になる。いくら変換を探してもでてこなかった。(笑) あと、手書き入力も試みて、口遍つきの「あ」という文字はでたが、うまく変換できなかった。中国語はむずかしい。
それはさておき。
この曲の意味は「うみよ、ふるさと」ということ。発音は、da hai a gu shang.正確には音の上下の印がついているが、やはり、ぼくのワープロ技術ではだせない。北京語。中国語はむずかしい。深町さんは今日この曲を初めて見て、その楽譜どおりに弾いて、彼女が歌うということだった。深町さんが彼女をピアノの前に呼んで紹介し、若干の曲の説明があった。
「この曲は、かつて私の母が歌ってくれた曲です。もしかしてご存知の方もいらっしゃるかもしれません。私のふるさとは海です、大人になっても、私はふるさとを忘れられない、という歌です」とマイクを持ってユウエンさんが解説した。「聴いてください」というと、深町さんがピアノを弾き始める。すると、彼女はその持っていたマイクを前の机の上に置いた。
イントロが奏でられると、まもなく、彼女が声楽のようなよく通る声で歌い始めた。ピアノと歌声がアートカフェに力強くこだました。ユウエンさんは、会場の右側のお客さんに向けて、そして、正面に向けて、体をゆっくりと回転させながら歌った。美しい声だった。かつて、『ディーヴァ』という映画があったが、あんな雰囲気だった。でも、それがクラシックではなく普通のポピュラーな楽曲として歌われた。
それはさておき。
これは、クラシック? それとも、ポピュラー? 彼女によると、これは北京語の歌だそうだ。「中国語講座なんかで、よく歌われたりしている曲です」とのこと。しかし、本当に、世の中にはいろいろな音楽があるものだ。深町さんの音楽自体がジャンルを超越しているだけあって、このサロンには様々なアーティストたちがやってくる。毎月最終土曜のこの空間にいると、それがクラシックだろうが、ポピュラーだろうが、ロックだろうが、ジャズだろうが、ソウルだろうが、そんなことがどうでもよくなってくる。
ユウエンさんのウェッブ。スケジュールなどもでています。
http://www.youyan.jp/
(2004年6月26日土曜、恵比寿アートカフェ、深町純ライヴ。ゲスト、ユウエン、和田あきら)
定例深町純コンサートはこのところ、毎月、誰かしらゲストがやってくる。今月は、70年代から活躍しているプリズムというグループのギター奏者、和田あきらさんと、もうひとり、中国人の歌手ユウエンさんがきた。和田さんは、すこし歪のかかったロック風ギターを深町さんと披露。既存曲とアドリブでもやった。二人でアドリブの場合、船頭はやはり深町さんだということだ。
それはさておき。
和田さんの後に登場したのが、ユウエンさんという中国の歌手の方。その彼女が歌ったのが、「大海阿故郷」というタイトルの曲。正確には阿の左横に「口」偏がつき、故郷の郷の字は右側の作りの部分がない文字になる。いくら変換を探してもでてこなかった。(笑) あと、手書き入力も試みて、口遍つきの「あ」という文字はでたが、うまく変換できなかった。中国語はむずかしい。
それはさておき。
この曲の意味は「うみよ、ふるさと」ということ。発音は、da hai a gu shang.正確には音の上下の印がついているが、やはり、ぼくのワープロ技術ではだせない。北京語。中国語はむずかしい。深町さんは今日この曲を初めて見て、その楽譜どおりに弾いて、彼女が歌うということだった。深町さんが彼女をピアノの前に呼んで紹介し、若干の曲の説明があった。
「この曲は、かつて私の母が歌ってくれた曲です。もしかしてご存知の方もいらっしゃるかもしれません。私のふるさとは海です、大人になっても、私はふるさとを忘れられない、という歌です」とマイクを持ってユウエンさんが解説した。「聴いてください」というと、深町さんがピアノを弾き始める。すると、彼女はその持っていたマイクを前の机の上に置いた。
イントロが奏でられると、まもなく、彼女が声楽のようなよく通る声で歌い始めた。ピアノと歌声がアートカフェに力強くこだました。ユウエンさんは、会場の右側のお客さんに向けて、そして、正面に向けて、体をゆっくりと回転させながら歌った。美しい声だった。かつて、『ディーヴァ』という映画があったが、あんな雰囲気だった。でも、それがクラシックではなく普通のポピュラーな楽曲として歌われた。
それはさておき。
これは、クラシック? それとも、ポピュラー? 彼女によると、これは北京語の歌だそうだ。「中国語講座なんかで、よく歌われたりしている曲です」とのこと。しかし、本当に、世の中にはいろいろな音楽があるものだ。深町さんの音楽自体がジャンルを超越しているだけあって、このサロンには様々なアーティストたちがやってくる。毎月最終土曜のこの空間にいると、それがクラシックだろうが、ポピュラーだろうが、ロックだろうが、ジャズだろうが、ソウルだろうが、そんなことがどうでもよくなってくる。
ユウエンさんのウェッブ。スケジュールなどもでています。
http://www.youyan.jp/
(2004年6月26日土曜、恵比寿アートカフェ、深町純ライヴ。ゲスト、ユウエン、和田あきら)
Look Out For Number One: Ai Live At Duo
2004年6月26日一番。
「やりましたよ! アルバム、オリコン初登場3位ですよ! ミーシャ、今井美樹のベストに続いて3位!」 事務所社長の興奮した声が電話から伝わってくる。「ええっ、それはすごい」 思わず、こちらもびっくり。すばらし。おめでとう。(6月28日付チャート)
「私は一番目指します!」 はっきりした声でアイ(アーティスト表記はAI)は宣言した。そのアイが通算3作目新作の『2004 A.I.』を6月16日にリリースして、名古屋、大阪、そして東京の3か所で招待ライヴを行った。
普段は席とテーブルが置かれている渋谷デュオは、この日は席、テーブルなどをとりはらい、スタンディングに。外は雨が降り、湿度も高くじとじとしているのにそこが超満員になっている。
今回のライヴは、ひじょうにシンプル。DJ、キーボード、コーラス2人にアイ本人。ダンサーなし、バンドなしで、一挙に歌をじっくりと聴かせる。曲間のトークもすっきりしていい感じ。(笑) 今回はなによりも、新作からの作品のお披露目が目的。観客が、みな約10日前に発売されたばかりの新作をよく知っている。これは、すごい。観客も7-8割は女性ファンか。まあ、とにかく歌がうまい。まいう〜〜、ピリオド! まちがいない。
それから途中のアフラのヒューマンビートボックス、かなりすごかった。ナチュラリー7の衝撃が一足先にあったが、彼もなかなかすばらしかった。それに乗ってメアリーJブライジの「ラヴ・アット・ファースト・サイト」のフレーズを歌ったあたりなんか、もう完璧。しかも、それをアイのものにしているからすごい。
何に驚いたかというと、このライヴの空気感が、完璧に「ブレイクしたアーティストの空気感」になっているということだ。いやあ、見事だ。
アイは、まちがいなく着実に階段を昇り続けている。次は9月の全国ツアー。がんばって。
ニューアルバムについての詳しい情報は下記に書きました。
http://www.universal-music.co.jp/defjam/microsite/ai/official_interview.html
Setlist
show started 19.31
1. Intro
2. E.O.
3. 100%
4. Alive
5. エンジェル
6. After The Rain
7. Listen 2 Da Music
8. Watch Out!
9. Dreaming Of You
Encore. My Friend
Encore. Thank U
show ended 20.33
(2004年6月25日金曜・渋谷デュオ(DUO)、アイ・ライヴ)
「やりましたよ! アルバム、オリコン初登場3位ですよ! ミーシャ、今井美樹のベストに続いて3位!」 事務所社長の興奮した声が電話から伝わってくる。「ええっ、それはすごい」 思わず、こちらもびっくり。すばらし。おめでとう。(6月28日付チャート)
「私は一番目指します!」 はっきりした声でアイ(アーティスト表記はAI)は宣言した。そのアイが通算3作目新作の『2004 A.I.』を6月16日にリリースして、名古屋、大阪、そして東京の3か所で招待ライヴを行った。
普段は席とテーブルが置かれている渋谷デュオは、この日は席、テーブルなどをとりはらい、スタンディングに。外は雨が降り、湿度も高くじとじとしているのにそこが超満員になっている。
今回のライヴは、ひじょうにシンプル。DJ、キーボード、コーラス2人にアイ本人。ダンサーなし、バンドなしで、一挙に歌をじっくりと聴かせる。曲間のトークもすっきりしていい感じ。(笑) 今回はなによりも、新作からの作品のお披露目が目的。観客が、みな約10日前に発売されたばかりの新作をよく知っている。これは、すごい。観客も7-8割は女性ファンか。まあ、とにかく歌がうまい。まいう〜〜、ピリオド! まちがいない。
それから途中のアフラのヒューマンビートボックス、かなりすごかった。ナチュラリー7の衝撃が一足先にあったが、彼もなかなかすばらしかった。それに乗ってメアリーJブライジの「ラヴ・アット・ファースト・サイト」のフレーズを歌ったあたりなんか、もう完璧。しかも、それをアイのものにしているからすごい。
何に驚いたかというと、このライヴの空気感が、完璧に「ブレイクしたアーティストの空気感」になっているということだ。いやあ、見事だ。
アイは、まちがいなく着実に階段を昇り続けている。次は9月の全国ツアー。がんばって。
ニューアルバムについての詳しい情報は下記に書きました。
http://www.universal-music.co.jp/defjam/microsite/ai/official_interview.html
Setlist
show started 19.31
1. Intro
2. E.O.
3. 100%
4. Alive
5. エンジェル
6. After The Rain
7. Listen 2 Da Music
8. Watch Out!
9. Dreaming Of You
Encore. My Friend
Encore. Thank U
show ended 20.33
(2004年6月25日金曜・渋谷デュオ(DUO)、アイ・ライヴ)
Melissa Manchester’s "A Mother’s Prayer"
2004年6月25日祈り。
なぜかここ一週間くらいメリサ・マンチェスターの新作『ホエン・アイ・ルック・ダウン・ザ・ロード』を聴きこんできました。実はライナーノーツを頼まれたからなんですが。メリサは白人ながら、ニューヨーク生まれということもあってか、自然のうちにどこかソウル的なものを持っています。この類だと、キャロル・キングとか、ローラ・ニーロとかと同じタイプのシンガー・ソングライターという感じかな。
新作情報などは、こちら。↓
http://www.melissa-manchester.com/
82年の大ヒット「ユー・シュド・ヒア・ハウ・シー・トークス・アバウト・ユー」のプロデュースはかのアリフ・マーディンだった。アリフは最近ではノラ・ジョーンズですが、その昔はチャカ・カーンの一連の作品からビージーズ、そして、アレサ・フランクリンまで、なんでもヒットさせてしまう魔術師のごとくヒットメイカー。あの曲は、ディスコでもかかるほど、ソウルフルでした。それに、彼女の78年のトップ10ソング「ドント・クライ・アウト・ラウド」を最初にヒットさせたのは、モーメンツだったし。あまりヒットしなかったですが。
このアルバム、けっこういい曲がはいってるんですが、最後にボーナストラックで収録されている「ア・マザース・プレイヤー(母の祈り)」という曲がかなりしみじみきます。これは、1999年4月20日、アメリカ・コロラド州コロンバイン高校で起こった銃撃事件に衝撃を受けて作った作品。二人の高校生が13人の生徒・教師を銃で殺し、自殺した前代未聞の事件です。
メリサは当日、ロスの空港でこのニュースを知ります。ちょうどその時、ソングライターのパートナーであるカレンの住むナッシュヴィルへ向かうところでした。そこで、彼女はナッシュヴィルに着くやいなや、この曲を書き上げました。
「私が夢路につこうとするとき、神様、あなたは聴いてくれているはず。お願いすることは、私ではなく、私の子供たちのソウルが生き長らえるようにということ。あなたが万人に愛を降り注ぐように、私たちに愛の施し方を教えてください。これが母の祈りです」と歌います。
これをライヴでやると、かなりの人々が涙を見せるそうです。確かに、コロンバイン事件や911や、そうした事件があるときにこの曲は普遍的な力を持っていますね。
なぜかここ一週間くらいメリサ・マンチェスターの新作『ホエン・アイ・ルック・ダウン・ザ・ロード』を聴きこんできました。実はライナーノーツを頼まれたからなんですが。メリサは白人ながら、ニューヨーク生まれということもあってか、自然のうちにどこかソウル的なものを持っています。この類だと、キャロル・キングとか、ローラ・ニーロとかと同じタイプのシンガー・ソングライターという感じかな。
新作情報などは、こちら。↓
http://www.melissa-manchester.com/
82年の大ヒット「ユー・シュド・ヒア・ハウ・シー・トークス・アバウト・ユー」のプロデュースはかのアリフ・マーディンだった。アリフは最近ではノラ・ジョーンズですが、その昔はチャカ・カーンの一連の作品からビージーズ、そして、アレサ・フランクリンまで、なんでもヒットさせてしまう魔術師のごとくヒットメイカー。あの曲は、ディスコでもかかるほど、ソウルフルでした。それに、彼女の78年のトップ10ソング「ドント・クライ・アウト・ラウド」を最初にヒットさせたのは、モーメンツだったし。あまりヒットしなかったですが。
このアルバム、けっこういい曲がはいってるんですが、最後にボーナストラックで収録されている「ア・マザース・プレイヤー(母の祈り)」という曲がかなりしみじみきます。これは、1999年4月20日、アメリカ・コロラド州コロンバイン高校で起こった銃撃事件に衝撃を受けて作った作品。二人の高校生が13人の生徒・教師を銃で殺し、自殺した前代未聞の事件です。
メリサは当日、ロスの空港でこのニュースを知ります。ちょうどその時、ソングライターのパートナーであるカレンの住むナッシュヴィルへ向かうところでした。そこで、彼女はナッシュヴィルに着くやいなや、この曲を書き上げました。
「私が夢路につこうとするとき、神様、あなたは聴いてくれているはず。お願いすることは、私ではなく、私の子供たちのソウルが生き長らえるようにということ。あなたが万人に愛を降り注ぐように、私たちに愛の施し方を教えてください。これが母の祈りです」と歌います。
これをライヴでやると、かなりの人々が涙を見せるそうです。確かに、コロンバイン事件や911や、そうした事件があるときにこの曲は普遍的な力を持っていますね。
公開決定。
『永遠のモータウン』に続く強力なソウル・ミュージックのドキュメンタリー映画『オンリー・ザ・ストロング・サヴァイヴ』の公開が、いよいよ11月に決まった。映画会社はこれから本格的に宣伝活動などを行い、盛り上げていく。一度本日記(2004年2月17日付け)でもご紹介したが、メンフィス、スタックス、シカゴなどで活躍したいわゆる「ロスト・ソウル」アーティストたちのドキュメンタリーとライヴ。特にライヴのシーンはソウルファン必見だ。
映画の感想文はこちら。↓
http://diarynote.jp/d/32970/20040217.html
これからも公開までに、個人的にも応援したいので、何度かご紹介することになると思う。
+++++
美音。
打ち合わせのために、ちょっとソウルバーに行きましょうということになり、六本木のソウルバー「シュガーヒル」に出向いた。この「シュガーヒル」は、ご存知のかたも多いかもしれないが、以前飯倉にあった店がこの4月、新たに六本木7丁目へ引っ越したもの。以前の店は物件に水まわりの問題がでてクローズしたという。新店は、六本木ジョージの前の細い道(ガソリンスタンド横)をちょっと入ってすぐ右側のビル。六本木の交差点から来ると、青山方向に向かい、旧防衛庁前ガソリンスタンドの先を左折、すぐ右側の2階。
初めて足を踏み入れると、アースのCDが流れていた。ソファーと椅子席で約20席のいかにもソウルバーという雰囲気にJBLの4343という大きなスピーカーがど〜んと置かれ、かなりすばらしい音でソウルが流れていた。ここまではぎれのいいサウンドを聴かせるソウルバーは初めてだ。ジャズバーには、相当な資金をオーディオにつぎ込んだ店があるが、ソウルバーではなかなかない。これはちょっと驚きだった。
店のオウナー、越川さんと話した。中音、高音が完璧だったが低音がそれほどこなかったので、ウーハー(低音をだすもの)は、置いてないのですかと尋ねると、「実はまだアンプがきてなくて、それにあわせてこれからウーハーも揃えるんです」とのこと。しかも、CDプレイヤーからは、ミキサーを通さずダイレクトにアンプにつないでいる、という。ちょうどその時は、ご自分で編集されたCDをプレイしていた。「ミキサーを通すと、やはり(音が)悪くなりますからね。音が落ちないミキサーですか? それは、こんな(と言って両手を広げる)大きなミキサーを買わないと。(笑) 100万じゃきかないですよ。逆に、そういうのを通すと通したほうが音がよくなったりします」
ただ週末などディスコ曲をアナログで大音量でミックスしてプレイするときは、ターンテーブル、CDプレイヤーを使いミキサーを通して音をだす。
レコードがあまり見当たらなかったので訊いた。「いやあ、実はレコード棚をここ(DJブースの上部あたり)らに作りつける予定だったんですが、オーディオのほうに資金をつぎ込んでしまって、まだそっちまで手が回らないんですよ。(笑) 店は4月に開けたんですが、まだ、スピーカーなんかもほんの一週間前くらいに揃ったばかりで」
オウナーの越川さんはちょっとユニーク。本職というか、昼間は授業数は多くないが東大で哲学を教えている先生。本も出されているという。ちなみに、この新店舗の物件は、赤坂ミラクルの川畑さんの紹介だそうで。
「シュガーヒル」の店名の由来は、ニューヨーク・ハーレムの西に位置する地名。この地は、1800年代後期には白人の中流クラスが住んでいたが、1920年代頃から、成功した黒人層が住み始めるようになった。シュガーヒルは、文字通り、「甘い丘」。ある意味で「成功の甘い丘」といったニュアンスで、この名が定着した。高級住宅地で言えば、例えば、ビヴァリーヒルズやエンシノなどと同じようなもの。もちろん、ソウル、R&Bラヴァーズにとっては、世界で初めてのラップレコード「ラッパーズ・デライト」を生み出したシュガーヒル・ギャングの名前もおなじみだろう。
この「シュガーヒル」の隣のビルには、「トウキョウ・ア・ゴーゴー」、さらに道をはさんで日本最古のソウルバー「ジョージ」がある。徒歩1分圏内に3軒のソウルバー。この一角は日本一のソウルバー密集地かもしれない。
ジェームス・イングラムの「ワンハンドレッド・ウェイズ」がかなりの音量で実に気持ちよく流れていた。美音で聴くイングラムは、やはりいい。さくっと一杯だけ飲んで、次に移動。行く先は・・・赤坂ミラクルしかない。
+++++
シュガーヒル
Sugar Hill
東京都港区六本木7-3-14
六本木東海ホワイトビル2階
03-3408-1218
営業 20時から3-4時くらいまで。
定休 日曜
チャージ 700円
ドリンク 700円〜
『永遠のモータウン』に続く強力なソウル・ミュージックのドキュメンタリー映画『オンリー・ザ・ストロング・サヴァイヴ』の公開が、いよいよ11月に決まった。映画会社はこれから本格的に宣伝活動などを行い、盛り上げていく。一度本日記(2004年2月17日付け)でもご紹介したが、メンフィス、スタックス、シカゴなどで活躍したいわゆる「ロスト・ソウル」アーティストたちのドキュメンタリーとライヴ。特にライヴのシーンはソウルファン必見だ。
映画の感想文はこちら。↓
http://diarynote.jp/d/32970/20040217.html
これからも公開までに、個人的にも応援したいので、何度かご紹介することになると思う。
+++++
美音。
打ち合わせのために、ちょっとソウルバーに行きましょうということになり、六本木のソウルバー「シュガーヒル」に出向いた。この「シュガーヒル」は、ご存知のかたも多いかもしれないが、以前飯倉にあった店がこの4月、新たに六本木7丁目へ引っ越したもの。以前の店は物件に水まわりの問題がでてクローズしたという。新店は、六本木ジョージの前の細い道(ガソリンスタンド横)をちょっと入ってすぐ右側のビル。六本木の交差点から来ると、青山方向に向かい、旧防衛庁前ガソリンスタンドの先を左折、すぐ右側の2階。
初めて足を踏み入れると、アースのCDが流れていた。ソファーと椅子席で約20席のいかにもソウルバーという雰囲気にJBLの4343という大きなスピーカーがど〜んと置かれ、かなりすばらしい音でソウルが流れていた。ここまではぎれのいいサウンドを聴かせるソウルバーは初めてだ。ジャズバーには、相当な資金をオーディオにつぎ込んだ店があるが、ソウルバーではなかなかない。これはちょっと驚きだった。
店のオウナー、越川さんと話した。中音、高音が完璧だったが低音がそれほどこなかったので、ウーハー(低音をだすもの)は、置いてないのですかと尋ねると、「実はまだアンプがきてなくて、それにあわせてこれからウーハーも揃えるんです」とのこと。しかも、CDプレイヤーからは、ミキサーを通さずダイレクトにアンプにつないでいる、という。ちょうどその時は、ご自分で編集されたCDをプレイしていた。「ミキサーを通すと、やはり(音が)悪くなりますからね。音が落ちないミキサーですか? それは、こんな(と言って両手を広げる)大きなミキサーを買わないと。(笑) 100万じゃきかないですよ。逆に、そういうのを通すと通したほうが音がよくなったりします」
ただ週末などディスコ曲をアナログで大音量でミックスしてプレイするときは、ターンテーブル、CDプレイヤーを使いミキサーを通して音をだす。
レコードがあまり見当たらなかったので訊いた。「いやあ、実はレコード棚をここ(DJブースの上部あたり)らに作りつける予定だったんですが、オーディオのほうに資金をつぎ込んでしまって、まだそっちまで手が回らないんですよ。(笑) 店は4月に開けたんですが、まだ、スピーカーなんかもほんの一週間前くらいに揃ったばかりで」
オウナーの越川さんはちょっとユニーク。本職というか、昼間は授業数は多くないが東大で哲学を教えている先生。本も出されているという。ちなみに、この新店舗の物件は、赤坂ミラクルの川畑さんの紹介だそうで。
「シュガーヒル」の店名の由来は、ニューヨーク・ハーレムの西に位置する地名。この地は、1800年代後期には白人の中流クラスが住んでいたが、1920年代頃から、成功した黒人層が住み始めるようになった。シュガーヒルは、文字通り、「甘い丘」。ある意味で「成功の甘い丘」といったニュアンスで、この名が定着した。高級住宅地で言えば、例えば、ビヴァリーヒルズやエンシノなどと同じようなもの。もちろん、ソウル、R&Bラヴァーズにとっては、世界で初めてのラップレコード「ラッパーズ・デライト」を生み出したシュガーヒル・ギャングの名前もおなじみだろう。
この「シュガーヒル」の隣のビルには、「トウキョウ・ア・ゴーゴー」、さらに道をはさんで日本最古のソウルバー「ジョージ」がある。徒歩1分圏内に3軒のソウルバー。この一角は日本一のソウルバー密集地かもしれない。
ジェームス・イングラムの「ワンハンドレッド・ウェイズ」がかなりの音量で実に気持ちよく流れていた。美音で聴くイングラムは、やはりいい。さくっと一杯だけ飲んで、次に移動。行く先は・・・赤坂ミラクルしかない。
+++++
シュガーヒル
Sugar Hill
東京都港区六本木7-3-14
六本木東海ホワイトビル2階
03-3408-1218
営業 20時から3-4時くらいまで。
定休 日曜
チャージ 700円
ドリンク 700円〜
"Tribute To Uncle Ray, Vol.2"?
2004年6月23日第二弾。
さて、スティーヴィーの問題の新作『ア・タイム・トゥ・ラヴ』はしばらく前まで7月末の発売に設定されていた。しかし、先週末、この設定がアメリカでは一度はずされることになった。新しいリリース日は未定である。一週間ほど遅れるのか、一月遅くなるのか。まったくわからない。
昨日、スティーヴィーのレイ・チャールズの葬儀の模様を書いているときに、ひょっとしたら、レイ・チャールズの死去に伴い、レイへのトリビュート作品でも作ってレコーディングするのではないだろうかと思い始めた。スティーヴィーだったら、やりそうなことである。アルバムのコンセプトにあわせるために、その曲を書くか、その曲を書いたら、アルバムのコンセプトにあわないから、それまでの曲はすべてペンディングにするか。極端な話、何が起こるかわからない。ひょっとして、アルバム全編を急遽、『トリビュート・トゥ・アンクル・レイ VOL.2』なんかにしてしまうかもしれない。かつて『ジャングル・フィーヴァー』のプロジェクトは、『カンヴァセーション・ピース』の発売の前に割り込んで、制作、リリースされた。あの時も、なんども『カンヴァセーション・ピース』の発売日が変更になっていた。
実質的なスティーヴィーのデビュー・アルバムとなった『トリビュート・トゥ・アンクル・レイ』は1963年7月に全米で発売された。これは、当時のモータウンがスティーヴィーをどうやっていくか、試行錯誤していた時期の作品だ。スティーヴィーが61年から62年にかけてレコーディングしたのは、『ザ・ジャズ・ソウル・オブ・リトル・スティーヴィー』というアルバム。ところが、これはジャズの作品を歌ったのだが、どうもしっくりこなかった。スティーヴィーの魅力を最大限に出すことができなかった。
そこで、生まれた企画が、先に盲目のシンガーとして人気を得ていたレイ・チャールズの作品をカヴァーするというものだ。スティーヴィーも盲目だったので、レイと同様黒いサングラスをかけさせ、第二のレイ・チャールズとして売り出そうという計画だ。しかし、これも当時の音楽の流れでフィットしなかった。スティーヴィーのあの爆発的な魅力は、そのレコードからは飛び出てこなかったのだ。
そして、同じ時期、スティーヴィーがライヴで大変人気を集めていたことに注目したベリー・ゴーディー・モータウン社長が、そのライヴを録音し発売することにしたのだ。ここから、「フィンガーティップス」の大ヒットが生まれる。そして、このシングルのヒットに乗じて、63年7月に先の未発表となっていた2枚のアルバムも含め、『12歳の天才』のアルバムを出す。以後、コンスタントにヒットを出すようになるのである。
スティーヴィーは、レイ・チャールズが盲目であることを知らなかった。しかし、レイ・チャールズの大ファンだったので、彼の作品をカヴァーすることに文句はなかった。そして、作られた作品が『トリビュート・トゥ・アンクル・レイ』だ。
41年前スティーヴィーがシンガーとしての第一歩を記した『トリビュー・トゥ・アンクル・レイ』の第二弾が、レイ・チャールズが死去し、彼に捧げる作品として録音されたとしても、まったく自然の話である。さて、どうなることやら。
さて、スティーヴィーの問題の新作『ア・タイム・トゥ・ラヴ』はしばらく前まで7月末の発売に設定されていた。しかし、先週末、この設定がアメリカでは一度はずされることになった。新しいリリース日は未定である。一週間ほど遅れるのか、一月遅くなるのか。まったくわからない。
昨日、スティーヴィーのレイ・チャールズの葬儀の模様を書いているときに、ひょっとしたら、レイ・チャールズの死去に伴い、レイへのトリビュート作品でも作ってレコーディングするのではないだろうかと思い始めた。スティーヴィーだったら、やりそうなことである。アルバムのコンセプトにあわせるために、その曲を書くか、その曲を書いたら、アルバムのコンセプトにあわないから、それまでの曲はすべてペンディングにするか。極端な話、何が起こるかわからない。ひょっとして、アルバム全編を急遽、『トリビュート・トゥ・アンクル・レイ VOL.2』なんかにしてしまうかもしれない。かつて『ジャングル・フィーヴァー』のプロジェクトは、『カンヴァセーション・ピース』の発売の前に割り込んで、制作、リリースされた。あの時も、なんども『カンヴァセーション・ピース』の発売日が変更になっていた。
実質的なスティーヴィーのデビュー・アルバムとなった『トリビュート・トゥ・アンクル・レイ』は1963年7月に全米で発売された。これは、当時のモータウンがスティーヴィーをどうやっていくか、試行錯誤していた時期の作品だ。スティーヴィーが61年から62年にかけてレコーディングしたのは、『ザ・ジャズ・ソウル・オブ・リトル・スティーヴィー』というアルバム。ところが、これはジャズの作品を歌ったのだが、どうもしっくりこなかった。スティーヴィーの魅力を最大限に出すことができなかった。
そこで、生まれた企画が、先に盲目のシンガーとして人気を得ていたレイ・チャールズの作品をカヴァーするというものだ。スティーヴィーも盲目だったので、レイと同様黒いサングラスをかけさせ、第二のレイ・チャールズとして売り出そうという計画だ。しかし、これも当時の音楽の流れでフィットしなかった。スティーヴィーのあの爆発的な魅力は、そのレコードからは飛び出てこなかったのだ。
そして、同じ時期、スティーヴィーがライヴで大変人気を集めていたことに注目したベリー・ゴーディー・モータウン社長が、そのライヴを録音し発売することにしたのだ。ここから、「フィンガーティップス」の大ヒットが生まれる。そして、このシングルのヒットに乗じて、63年7月に先の未発表となっていた2枚のアルバムも含め、『12歳の天才』のアルバムを出す。以後、コンスタントにヒットを出すようになるのである。
スティーヴィーは、レイ・チャールズが盲目であることを知らなかった。しかし、レイ・チャールズの大ファンだったので、彼の作品をカヴァーすることに文句はなかった。そして、作られた作品が『トリビュート・トゥ・アンクル・レイ』だ。
41年前スティーヴィーがシンガーとしての第一歩を記した『トリビュー・トゥ・アンクル・レイ』の第二弾が、レイ・チャールズが死去し、彼に捧げる作品として録音されたとしても、まったく自然の話である。さて、どうなることやら。
スピーチ。
18日にロスアンジェルスで行われたレイ・チャールズの葬儀の模様は大きな感動を巻き起こした。この模様の一部は、次のウェッブで映像とともに見ることができる。
http://cf.nbc4.tv/la/sh/videoplayer/video.cfm?id=3435441&owner=la
ここでは、スティーヴィーのスピーチ、そして、彼が歌ったゴスペル曲「アイ・ウォント・コンプレイン(私は文句を言わない)」、ウィリー・ネルソンのスピーチと「ジョージア・オン・マイ・マインド」、BBキングの何度も目をぬぐいながらのスピーチと「プリーズ・アクセプト・マイ・ラヴ」の様子が映し出される。
ぼくはまだ2時間にわたる全編を見たのではないが、この3つのシーンを見るだけで胸が熱くなる。それも英語がすべて理解できるわけでもないのに。そのスピーチのテキストを探したが、見つからなかった。そこでスティーヴィーの部分だけヒアリングでとって試しに訳してみる。完璧ではないが、だいたいこういった感じだろう。もしまちがいなどがありましたら、お知らせください。
レイチャールズの息子さんがかつては「リトル・スティーヴィー」だったが、今は「ミスター・スティーヴィー・ワンダー」となった彼を紹介する。そして、スティーヴィーが登場。バックにおごそかなオルガンの音が流れる。彼はゆっくりと言葉を選びながら話し始めた。
「この言葉を神に捧げたいと思います。神はレイチャールズという天才を私たちのもとに送り届けてくれました。私は、まさか、自分の人生においてレイ・チャールズに会うことができるなんて夢にも思いませんでした。しかし、神はそれ以上のことを与えてくれました。私は、まさか、自分がレイ・チャールズが歌うことになる曲を作るなどとは夢にも思いませんでした。しかし、神はそれ以上のことをしてくれました。私は、まさか、こんな胸一杯の気持ちで私たちがこうして参列するこの場に立つことなど想像できませんでした。神はいつでも私たちに想像以上のものを与えるものです。
私は、この場を借りて、私自身のレイ・チャールズとの想い出を振り返ってみたいと思います。私たち(レイとスティーヴィー)に多くの共通点があることを知るはるか以前から、私は彼という人物は私の心に感動を与えてくれる声の持ち主だと思っていました。彼の声を聴いていると、自分ももっともっと世界に愛の手を差し伸べなければならないと思わせられるのです。また、彼の声を聴いていると、自分は決して行くことができないような所にさえ行けるような気になってきます。
子供の頃から、私は私の声を通して、いつの日にか(レイのように)世界の痛みを和らげ、(人々を)苦しみから救うことができるようになれればと思っていました。私は彼が盲目であることを知りませんでした。『君は、レイ・チャールズの(曲を集めた)アルバムを作るべきだ』と言われ、僕は『なぜ』と聞きました。すると『彼が盲目だから』と言われました。私が知っていたのは、ただ彼が『すばらしい(人物、歌手)』ということだけでした。(拍手)
天才、ソウルの王様、レイが肉体的に亡くなったことと同じくらいに私の心が痛むのは、レイをしても彼は憎しみを(この世界から)なくし、正義を行うことはできなかったということです。また、選挙権がない人々がいまだいる時代の終焉を彼が見届けることができなかったことも心残りです。
私はレイ・チャールズのこの魂(スピリット)が、レイから直接常に愛された人々だけでなく、この国や世界の人々に対して、そうしたことを変革するようにと願ってやみません。
愛しています、レイ! 私が死ぬまで」
そして、「アイ・ウォント・コンプレイン」へ、突入した。
スティーヴィーが熱唱した「アイ・ウォント・コンプレイン」という曲は初めて聴いた。伝統的なゴスペル曲だという。その内容をご紹介しよう。歌詞は若干、スティーヴィーのヴァージョンと違う。スティーヴィーは前半部分を歌った。
+++++
「アイ・ウォント・コンプレイン」
いい時もあった。
苦しい時もあった。
涙にくれた時もあった。
眠れぬ夜もあった。
だが終ってみて振り返れば、
良かった時の思い出が、
苦しかった時の思い出を凌駕する。
だから、私は不平不満など言わない。
時には雲が低くたちこめ、
進むべき道がわからないこともある。
そこで神に尋ねる。
「なぜ、こんなに苦しまねばならないのですか?」
だが神はそれが私にとっての最高の試練だという
ことを知っている。
涙にあふれた目からはわからないが、
私は神にありがとうと言う。
私は、不平不満は言わない。
+++++
スピーチと歌は約8分半続いた。
+++++
18日にロスアンジェルスで行われたレイ・チャールズの葬儀の模様は大きな感動を巻き起こした。この模様の一部は、次のウェッブで映像とともに見ることができる。
http://cf.nbc4.tv/la/sh/videoplayer/video.cfm?id=3435441&owner=la
ここでは、スティーヴィーのスピーチ、そして、彼が歌ったゴスペル曲「アイ・ウォント・コンプレイン(私は文句を言わない)」、ウィリー・ネルソンのスピーチと「ジョージア・オン・マイ・マインド」、BBキングの何度も目をぬぐいながらのスピーチと「プリーズ・アクセプト・マイ・ラヴ」の様子が映し出される。
ぼくはまだ2時間にわたる全編を見たのではないが、この3つのシーンを見るだけで胸が熱くなる。それも英語がすべて理解できるわけでもないのに。そのスピーチのテキストを探したが、見つからなかった。そこでスティーヴィーの部分だけヒアリングでとって試しに訳してみる。完璧ではないが、だいたいこういった感じだろう。もしまちがいなどがありましたら、お知らせください。
レイチャールズの息子さんがかつては「リトル・スティーヴィー」だったが、今は「ミスター・スティーヴィー・ワンダー」となった彼を紹介する。そして、スティーヴィーが登場。バックにおごそかなオルガンの音が流れる。彼はゆっくりと言葉を選びながら話し始めた。
「この言葉を神に捧げたいと思います。神はレイチャールズという天才を私たちのもとに送り届けてくれました。私は、まさか、自分の人生においてレイ・チャールズに会うことができるなんて夢にも思いませんでした。しかし、神はそれ以上のことを与えてくれました。私は、まさか、自分がレイ・チャールズが歌うことになる曲を作るなどとは夢にも思いませんでした。しかし、神はそれ以上のことをしてくれました。私は、まさか、こんな胸一杯の気持ちで私たちがこうして参列するこの場に立つことなど想像できませんでした。神はいつでも私たちに想像以上のものを与えるものです。
私は、この場を借りて、私自身のレイ・チャールズとの想い出を振り返ってみたいと思います。私たち(レイとスティーヴィー)に多くの共通点があることを知るはるか以前から、私は彼という人物は私の心に感動を与えてくれる声の持ち主だと思っていました。彼の声を聴いていると、自分ももっともっと世界に愛の手を差し伸べなければならないと思わせられるのです。また、彼の声を聴いていると、自分は決して行くことができないような所にさえ行けるような気になってきます。
子供の頃から、私は私の声を通して、いつの日にか(レイのように)世界の痛みを和らげ、(人々を)苦しみから救うことができるようになれればと思っていました。私は彼が盲目であることを知りませんでした。『君は、レイ・チャールズの(曲を集めた)アルバムを作るべきだ』と言われ、僕は『なぜ』と聞きました。すると『彼が盲目だから』と言われました。私が知っていたのは、ただ彼が『すばらしい(人物、歌手)』ということだけでした。(拍手)
天才、ソウルの王様、レイが肉体的に亡くなったことと同じくらいに私の心が痛むのは、レイをしても彼は憎しみを(この世界から)なくし、正義を行うことはできなかったということです。また、選挙権がない人々がいまだいる時代の終焉を彼が見届けることができなかったことも心残りです。
私はレイ・チャールズのこの魂(スピリット)が、レイから直接常に愛された人々だけでなく、この国や世界の人々に対して、そうしたことを変革するようにと願ってやみません。
愛しています、レイ! 私が死ぬまで」
そして、「アイ・ウォント・コンプレイン」へ、突入した。
スティーヴィーが熱唱した「アイ・ウォント・コンプレイン」という曲は初めて聴いた。伝統的なゴスペル曲だという。その内容をご紹介しよう。歌詞は若干、スティーヴィーのヴァージョンと違う。スティーヴィーは前半部分を歌った。
+++++
「アイ・ウォント・コンプレイン」
いい時もあった。
苦しい時もあった。
涙にくれた時もあった。
眠れぬ夜もあった。
だが終ってみて振り返れば、
良かった時の思い出が、
苦しかった時の思い出を凌駕する。
だから、私は不平不満など言わない。
時には雲が低くたちこめ、
進むべき道がわからないこともある。
そこで神に尋ねる。
「なぜ、こんなに苦しまねばならないのですか?」
だが神はそれが私にとっての最高の試練だという
ことを知っている。
涙にあふれた目からはわからないが、
私は神にありがとうと言う。
私は、不平不満は言わない。
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スピーチと歌は約8分半続いた。
+++++
早熟。
今日の『ソウルブレンズ』は、クリスタル・ケイちゃんがゲストに登場。クリちゃんは、この番組のなかでも以前「聴いてミルク」というコーナーを毎週持っていて、その頃はほとんど毎週のようにやってきていたが、最近は彼女の新譜のタイミングの時くらいしかやってこない。今回は、これまでのヒット曲を集めたベストセレクション作品『CK5』を出すというので、久々にやってきた。ハイスクールも卒業し、いよいよ10月からは大学(ソフィア=上智)に入る。まだ18歳だ。
それはさておき。
『CK5』の「5」は、デビュー5周年の5だそうで。もう5年ですか。なんかあっという間ですね。彼女が選んだモータウン・ヒットはジャクソン・ファイヴの「アイル・ビー・ゼア」。
曲がかかっている間に、「マイケルはこのとき、いくつなの」と聞かれたので、70年だから11歳か12歳と答えた。正確に言えば70年9月のヒットだから、マイケルが12歳の時のヒットということになる。もっとも、レコーディングしたのは誕生日の8月より前だから、11歳の時。すると、彼女は、「私、コントラクト(契約)したの12歳だったわ」という。それを聞いて、ぼくがびっくり。12で契約し、13歳でデビュー! マイケルのデビューは11歳、スティーヴィー12歳、たしかテヴィン・キャンベルも11歳でデビューしている。ということは、クリスタル・ケイは、マイケル、スティーヴィー、テヴィンなどと並ぶ早熟スターではないか!? (笑)
マイケル、スティーヴィー、クリスタルって並びはどーよ。(笑) そして、このリストに木下航志君がはいる。こんな並べ方するの、おそらく日本でSoul Searchin Diaryだけでしょう。(笑)
それはさておき。
選曲。
『山野ミュージックジャム』では、ソウルバーのコンピレーション・アルバムを4枚紹介した。以前2003年6月に『ブリオ・ソウルバー〜アーバンR&Bセッション』と『同・スタンダード・ソウル・セッション』がでたときにもちらっと紹介した。2004年3月に、その続編『ミッドナイト・パッション』と『デイライト・メロー』がでたので、これらから選曲した。したのだが・・・。聴くためにきちっとかける曲は2曲、その他にBGMで4曲程度を選ぶのだが、ここらへんのコンピに入ってる曲だとみんないいんですよねえ。(笑) 選曲は、ちなみにソウルバー、赤坂ミラクルの川畑さん。
で、選んだのはレオン・ウェアの76年のアルバム『ミュージカル・マッサージ』からそのタイトル曲と、83年のファイナス・ヘンダーソンの歌う「クラッシュ・オン・ユー」。「クラッシュ・・・」は、すっかり忘れていた一曲。スティーヴィーが彼にプレゼントした曲で、スティーヴィー自身は録音していない。ひさびさにスティーヴィー節を感じた。ちなみに、これファイナスと紹介しましたが、CDでの表記はフィニスになってます。これは、この表記が誤り。次以降にでるときには直してもらいましょう。まあ、チ・ライツ→チャイ・ライツ、メアリーJブリッジ→メアリーJブライジ、という例もあるし。なんか、山野のコーナーまで「スロージャミン」みたいになってしまった。(笑) しかし、このレオン・ウェアの後、CMはさんで最後にマーヴィン・ゲイの「アイ・ウォナ・ビー・ホエア・ユー・アー」なんかがかかる「流れ」なんぞは、すばらしい。(マーヴィンを選曲したのはオッシーですが、あわせて自画自賛・気味)
それはさておき。
今日でた結論はこうだ。50曲以上の中から、たった2曲プラス4曲、選ぶのって、やっぱり「男の地獄」。でも、その地獄も楽しいんだけどね。ははは。
今日の『ソウルブレンズ』は、クリスタル・ケイちゃんがゲストに登場。クリちゃんは、この番組のなかでも以前「聴いてミルク」というコーナーを毎週持っていて、その頃はほとんど毎週のようにやってきていたが、最近は彼女の新譜のタイミングの時くらいしかやってこない。今回は、これまでのヒット曲を集めたベストセレクション作品『CK5』を出すというので、久々にやってきた。ハイスクールも卒業し、いよいよ10月からは大学(ソフィア=上智)に入る。まだ18歳だ。
それはさておき。
『CK5』の「5」は、デビュー5周年の5だそうで。もう5年ですか。なんかあっという間ですね。彼女が選んだモータウン・ヒットはジャクソン・ファイヴの「アイル・ビー・ゼア」。
曲がかかっている間に、「マイケルはこのとき、いくつなの」と聞かれたので、70年だから11歳か12歳と答えた。正確に言えば70年9月のヒットだから、マイケルが12歳の時のヒットということになる。もっとも、レコーディングしたのは誕生日の8月より前だから、11歳の時。すると、彼女は、「私、コントラクト(契約)したの12歳だったわ」という。それを聞いて、ぼくがびっくり。12で契約し、13歳でデビュー! マイケルのデビューは11歳、スティーヴィー12歳、たしかテヴィン・キャンベルも11歳でデビューしている。ということは、クリスタル・ケイは、マイケル、スティーヴィー、テヴィンなどと並ぶ早熟スターではないか!? (笑)
マイケル、スティーヴィー、クリスタルって並びはどーよ。(笑) そして、このリストに木下航志君がはいる。こんな並べ方するの、おそらく日本でSoul Searchin Diaryだけでしょう。(笑)
それはさておき。
選曲。
『山野ミュージックジャム』では、ソウルバーのコンピレーション・アルバムを4枚紹介した。以前2003年6月に『ブリオ・ソウルバー〜アーバンR&Bセッション』と『同・スタンダード・ソウル・セッション』がでたときにもちらっと紹介した。2004年3月に、その続編『ミッドナイト・パッション』と『デイライト・メロー』がでたので、これらから選曲した。したのだが・・・。聴くためにきちっとかける曲は2曲、その他にBGMで4曲程度を選ぶのだが、ここらへんのコンピに入ってる曲だとみんないいんですよねえ。(笑) 選曲は、ちなみにソウルバー、赤坂ミラクルの川畑さん。
で、選んだのはレオン・ウェアの76年のアルバム『ミュージカル・マッサージ』からそのタイトル曲と、83年のファイナス・ヘンダーソンの歌う「クラッシュ・オン・ユー」。「クラッシュ・・・」は、すっかり忘れていた一曲。スティーヴィーが彼にプレゼントした曲で、スティーヴィー自身は録音していない。ひさびさにスティーヴィー節を感じた。ちなみに、これファイナスと紹介しましたが、CDでの表記はフィニスになってます。これは、この表記が誤り。次以降にでるときには直してもらいましょう。まあ、チ・ライツ→チャイ・ライツ、メアリーJブリッジ→メアリーJブライジ、という例もあるし。なんか、山野のコーナーまで「スロージャミン」みたいになってしまった。(笑) しかし、このレオン・ウェアの後、CMはさんで最後にマーヴィン・ゲイの「アイ・ウォナ・ビー・ホエア・ユー・アー」なんかがかかる「流れ」なんぞは、すばらしい。(マーヴィンを選曲したのはオッシーですが、あわせて自画自賛・気味)
それはさておき。
今日でた結論はこうだ。50曲以上の中から、たった2曲プラス4曲、選ぶのって、やっぱり「男の地獄」。でも、その地獄も楽しいんだけどね。ははは。
Everybody Can’t Stop Loving Ray
2004年6月20日葬儀。
11日・金曜日(日本時間12日土曜日)、ソウルマンを送る儀式がおごそかにロスアンジェルスのファーストAME教会で行われた。スティーヴィー・ワンダー、B.B.キング、ウィリー・ネルソンら多くの友人たちがスピーチをし、歌い、ウィントン・マルサリスがトランペットを吹いた。
レイ・チャールズの息子のひとりロバート・ロビンソン・サー司教はこう語った。「父の人生は日曜朝のお祈りと土曜夜のパーティーに匹敵します。今は、泣く時(「クライング・タイム」=チャールズのヒット曲のひとつ)かもしれません。しかし、手を叩いて、足を踏み鳴らして神を賞賛してください。私たちにレイ・チャールズを与えてくれた神に対して」と語った。
このスピーチに教会内の人々だけでなく沿道でこれを聞いていた多くの一般の人も熱狂的に反応した。
ローリング・ストーンズ、ヴァン・モリソン、アイス・キューブ、オークリッジ・ボーイズ、ビル・クリントンなどからの献花、メッセージがあふれた。
チャールズの友人であり女優でもあるシスリー・タイソンはこうスピーチした。「チャールズの力強かったところのひとつは、視力なしに人生の価値を見ていたところです。レイに代わる人物は決していません。彼の暗闇を通して、彼は私たちの人生に光を与えてくれました」
B.B.キングはチャールズの家族への献身についてのスピーチを語りきるのに大いに苦労した。彼の目の前にはその家族たちが座っていたからだ。チャールズの長年の友人であるキングは途中で何度も感極まり、そのことへの許しを乞った。すると、客席からは「あなたの味方よ、BB」「ゆっくり時間をとって」といった声がかかった。キングは、彼がチャールズとポーカーをやったことを話した。しかし、キングはなんどやっても勝てなかった。ついにキングはその謎を知った。そのカードには盲人用の点字がついていたのだ。そして、キングは強い声でギター片手に「プリーズ・アクセプト・マイ・ラヴ」を歌った。
多くのスピーチが、チャールズのユーモアのセンス、人となりを称えた。ウィリー・ネルソンは、こんな逸話を披露した。「私はチャールズとよくチェスをやったものだ。でも、いつも彼は私を負かしてしまう。そこで、ぼくは彼にお願いしたものだ。次の試合は、明かりを点けてやろうぜ」
金曜のセレモニーではチャールズ自身の「アメリカ・ザ・ビューティフル」も教会に響いた。
スティーヴィー・ワンダーは、クリント・イーストウッド、ウィリー・ネルソンらの後に登場。ゆっくりとスピーチを始めた。「私はずっと彼の声に惹かれていました。深い感動を呼び起こされるその声に。彼の声のように世界中の人々に感動を与えるような歌を歌いたいと思いました。そして、彼の音楽を知ってずいぶんたってから私たちは共通点があるということを知るのです。それは、『君はレイ・チャールズへのトリビュート・アルバムを作るべきだ』といわれたときのことです。『なぜ?』と聞きました。『彼は(君と同じく)盲目だからだよ』 私はそれまで彼が盲目であることを知りませんでした。私は、彼の音楽がすばらしい、その点だけでアルバムを作ることにしました」 スティーヴィーは、スピーチの後、「アイ・ウォント・コンプレイン」を歌った。マイクを一本だけ持ち、ストライプのスーツを着たスティーヴィーは同曲の途中からマイクを叩き、ミディアム調のリズムを刻み、教会の参列者の足を鳴らさせた。
イングルウッド墓地へ続く長い車列が出発する前に、マルサリスがトランペット・ソロでチャールズとチャールズの一家を送り出した。そして、それに続いてレイ・チャールズ本人の最新レコーディングでもあるジョニー・マティスとのデュエット曲「オーヴァー・ザ・レインボウ」が流れた。ステージからその曲にナレーションが重なった。「(虹のかなたに)そこが今、彼がいるところです・・・」
11日・金曜日(日本時間12日土曜日)、ソウルマンを送る儀式がおごそかにロスアンジェルスのファーストAME教会で行われた。スティーヴィー・ワンダー、B.B.キング、ウィリー・ネルソンら多くの友人たちがスピーチをし、歌い、ウィントン・マルサリスがトランペットを吹いた。
レイ・チャールズの息子のひとりロバート・ロビンソン・サー司教はこう語った。「父の人生は日曜朝のお祈りと土曜夜のパーティーに匹敵します。今は、泣く時(「クライング・タイム」=チャールズのヒット曲のひとつ)かもしれません。しかし、手を叩いて、足を踏み鳴らして神を賞賛してください。私たちにレイ・チャールズを与えてくれた神に対して」と語った。
このスピーチに教会内の人々だけでなく沿道でこれを聞いていた多くの一般の人も熱狂的に反応した。
ローリング・ストーンズ、ヴァン・モリソン、アイス・キューブ、オークリッジ・ボーイズ、ビル・クリントンなどからの献花、メッセージがあふれた。
チャールズの友人であり女優でもあるシスリー・タイソンはこうスピーチした。「チャールズの力強かったところのひとつは、視力なしに人生の価値を見ていたところです。レイに代わる人物は決していません。彼の暗闇を通して、彼は私たちの人生に光を与えてくれました」
B.B.キングはチャールズの家族への献身についてのスピーチを語りきるのに大いに苦労した。彼の目の前にはその家族たちが座っていたからだ。チャールズの長年の友人であるキングは途中で何度も感極まり、そのことへの許しを乞った。すると、客席からは「あなたの味方よ、BB」「ゆっくり時間をとって」といった声がかかった。キングは、彼がチャールズとポーカーをやったことを話した。しかし、キングはなんどやっても勝てなかった。ついにキングはその謎を知った。そのカードには盲人用の点字がついていたのだ。そして、キングは強い声でギター片手に「プリーズ・アクセプト・マイ・ラヴ」を歌った。
多くのスピーチが、チャールズのユーモアのセンス、人となりを称えた。ウィリー・ネルソンは、こんな逸話を披露した。「私はチャールズとよくチェスをやったものだ。でも、いつも彼は私を負かしてしまう。そこで、ぼくは彼にお願いしたものだ。次の試合は、明かりを点けてやろうぜ」
金曜のセレモニーではチャールズ自身の「アメリカ・ザ・ビューティフル」も教会に響いた。
スティーヴィー・ワンダーは、クリント・イーストウッド、ウィリー・ネルソンらの後に登場。ゆっくりとスピーチを始めた。「私はずっと彼の声に惹かれていました。深い感動を呼び起こされるその声に。彼の声のように世界中の人々に感動を与えるような歌を歌いたいと思いました。そして、彼の音楽を知ってずいぶんたってから私たちは共通点があるということを知るのです。それは、『君はレイ・チャールズへのトリビュート・アルバムを作るべきだ』といわれたときのことです。『なぜ?』と聞きました。『彼は(君と同じく)盲目だからだよ』 私はそれまで彼が盲目であることを知りませんでした。私は、彼の音楽がすばらしい、その点だけでアルバムを作ることにしました」 スティーヴィーは、スピーチの後、「アイ・ウォント・コンプレイン」を歌った。マイクを一本だけ持ち、ストライプのスーツを着たスティーヴィーは同曲の途中からマイクを叩き、ミディアム調のリズムを刻み、教会の参列者の足を鳴らさせた。
イングルウッド墓地へ続く長い車列が出発する前に、マルサリスがトランペット・ソロでチャールズとチャールズの一家を送り出した。そして、それに続いてレイ・チャールズ本人の最新レコーディングでもあるジョニー・マティスとのデュエット曲「オーヴァー・ザ・レインボウ」が流れた。ステージからその曲にナレーションが重なった。「(虹のかなたに)そこが今、彼がいるところです・・・」
Hell For Men Turns Heaven For Him
2004年6月19日地獄。
金曜夜7時、西麻布のシカダ(Cicada)。友人夫婦らと会食。ここは、しいていえば地中海沿岸の料理ということで、かなりヨーロッパ色が強い。スペイン風タパスから、ギリシャ風料理などいろいろでてくるが、金曜の夜のせいか広い店内も超満員になっている。最近はなかなか予約が取れないらしい。昔は洋服屋さんがやっていたイタリアンだったところだ。インドのナンのようなパンがちょっと塩気が効いていておいしい。
で、その夫婦はつい先ごろ結婚式をあげたばかりなのだが、そのなれそめやら、どこで気持ちが傾いたかなどという、まあ、新婚さんにありきたりな話がどんどん飛び出すわけである。彼はひじょうにやさしい、知的で物静かな男性だ。彼はイギリス人で彼女は日本人。彼女はどちらかというと彼を尻に敷きそうなタイプ。(笑)
そんな数ある話の中で、知り合ってお互いメールのやりとりをするようになって、ひとつえらく彼女が受けたメールがあったという話がおもしろい。彼はイギリス人ながら日本語でメールが書ける。漢字もだ。日本に初めて来たのは20年近く前になる。
二人が知り合って、まもなく彼がイタリアへ出張となった。そこで、おみやげに何がいいか、という話になった。ところが、彼女はまだ知り合って一月も経っていなかったので、遠慮して欲しいものをはっきり言わなかった。そこで、彼は彼なりにいろいろ考えてみたのだが、知り合ってまもないから彼女の趣味など皆目わからない。何日かショッピングを試みたがギヴアップしてメールを送った。そのタイトルは---。
「男の地獄」! 英語では、Hell For Men。男が女性へのプレゼントを選ぶのは、地獄だあ、ということだ。彼女は最初、こんなタイトルが来て、一体なんのことかと思ったのだが、結局、その男の地獄をかわいそうだと思い、トッズ(Tod’s)の靴が欲しいな、とメールを送った。ところが、日本の靴のサイズとイタリアのサイズでは表示も違うし、同じだとしてもさらにブランドによって違うこともある。そこで、彼女は渋谷の西武に行って、わざわざ、そこでは買わないのに(笑)サイズだけ計りにトッズで試着したのだ。彼女がそのとき試したのは、ローファーだった。そして、そこで計ったサイズをメールで送った。
何日か後、彼がイタリアから戻りおみやげを手渡した。大きな包みを開けると、そこにはトッズのローファーではなく、ブーツが入っていたのだ。彼女はそれがローファーではなくブーツだったことで、またびっくり。果たして足が入るか試したが、無事入り、めでたしめでたし、となった。確かに男性にとって、女性へのプレゼントを買うのは地獄かもしれない。(笑)
とはいうものの、Hell For Menは、確かに「男の地獄」ではあるが、ニュアンスを付け加えれば、「男にとっての地獄」って感じだろうか。しかし、メールのタイトルが漢字で「男の地獄」だったら、そりゃあ、インパクト強い。
エアコンはついているがドアは開け放され、ときおり、地中海通りから風がはいってくる満員の店内はその話し声でかなりうるさい。隣のテーブルは12人の外国人のグループだ。他にも外国人のお客さんが多い。シェフが外国人だからか。
そして、彼らは付き合い始めるのだが、その後こんな泥酔事件が起こる。友人たちと飲んでいたときのこと。たまたまそこには日本酒と焼酎しかなかった。彼女が珍しく焼酎を飲んだら、かなりよっぱらってしまい、記憶がなくなるほどになった。彼のところに帰る途中、気持ち悪くなって戻してしまったが、戻ってもまだすっきりしなかった。そして、頭もがんがんする中、寝てしまう。朝、ふと気が付くと、自分はパジャマを着ていて、鏡を見ると化粧も落ちていた。
彼女は尋ねた。「昨日の夜、一体どうしたの、私?」 すると彼は答えた。「寝ちゃってたから、パジャマに着替えさせて、それから、顔の化粧をタオルで拭いて取ったんですよ」 おおおおっ。着替えさせて寝かせつけるあたりまでは思いつくが、化粧を取るところまで気が回る男性はいるだろうか。う〜〜〜ん、なかなかやるな!(笑)
そして、この事件を機に、彼女の気持ちは彼の方へ徐々に傾いていて行ったという。まさにターニングポイントだった。
この話から得る教訓は、こうだ。彼女が酔って寝てしまったら、化粧を落とせ。(ちがうか)(笑) 男の地獄を経験したからこそ、今の天国のような幸せがあるということである。(笑) 「男の地獄、転じて天国となる」ってところだろうか。ご結婚、おめでとうございます。まちがっても「天国転じて地獄に」ならないようにね。ははは。(笑)
あ、そうそう、「尻にしく」って英語でなんていうのだろうか。彼にきいた。「あ、それはちょっと違うけど、英語ではこう言います。She wears the trouser. 彼女は(彼の)ズボンを穿く、っていうこと」 この表現は「ボス的存在になる」ことを意味する。な〜〜〜るほどね。ワンポイント・イングリッシュ・レッスンでした。
金曜夜7時、西麻布のシカダ(Cicada)。友人夫婦らと会食。ここは、しいていえば地中海沿岸の料理ということで、かなりヨーロッパ色が強い。スペイン風タパスから、ギリシャ風料理などいろいろでてくるが、金曜の夜のせいか広い店内も超満員になっている。最近はなかなか予約が取れないらしい。昔は洋服屋さんがやっていたイタリアンだったところだ。インドのナンのようなパンがちょっと塩気が効いていておいしい。
で、その夫婦はつい先ごろ結婚式をあげたばかりなのだが、そのなれそめやら、どこで気持ちが傾いたかなどという、まあ、新婚さんにありきたりな話がどんどん飛び出すわけである。彼はひじょうにやさしい、知的で物静かな男性だ。彼はイギリス人で彼女は日本人。彼女はどちらかというと彼を尻に敷きそうなタイプ。(笑)
そんな数ある話の中で、知り合ってお互いメールのやりとりをするようになって、ひとつえらく彼女が受けたメールがあったという話がおもしろい。彼はイギリス人ながら日本語でメールが書ける。漢字もだ。日本に初めて来たのは20年近く前になる。
二人が知り合って、まもなく彼がイタリアへ出張となった。そこで、おみやげに何がいいか、という話になった。ところが、彼女はまだ知り合って一月も経っていなかったので、遠慮して欲しいものをはっきり言わなかった。そこで、彼は彼なりにいろいろ考えてみたのだが、知り合ってまもないから彼女の趣味など皆目わからない。何日かショッピングを試みたがギヴアップしてメールを送った。そのタイトルは---。
「男の地獄」! 英語では、Hell For Men。男が女性へのプレゼントを選ぶのは、地獄だあ、ということだ。彼女は最初、こんなタイトルが来て、一体なんのことかと思ったのだが、結局、その男の地獄をかわいそうだと思い、トッズ(Tod’s)の靴が欲しいな、とメールを送った。ところが、日本の靴のサイズとイタリアのサイズでは表示も違うし、同じだとしてもさらにブランドによって違うこともある。そこで、彼女は渋谷の西武に行って、わざわざ、そこでは買わないのに(笑)サイズだけ計りにトッズで試着したのだ。彼女がそのとき試したのは、ローファーだった。そして、そこで計ったサイズをメールで送った。
何日か後、彼がイタリアから戻りおみやげを手渡した。大きな包みを開けると、そこにはトッズのローファーではなく、ブーツが入っていたのだ。彼女はそれがローファーではなくブーツだったことで、またびっくり。果たして足が入るか試したが、無事入り、めでたしめでたし、となった。確かに男性にとって、女性へのプレゼントを買うのは地獄かもしれない。(笑)
とはいうものの、Hell For Menは、確かに「男の地獄」ではあるが、ニュアンスを付け加えれば、「男にとっての地獄」って感じだろうか。しかし、メールのタイトルが漢字で「男の地獄」だったら、そりゃあ、インパクト強い。
エアコンはついているがドアは開け放され、ときおり、地中海通りから風がはいってくる満員の店内はその話し声でかなりうるさい。隣のテーブルは12人の外国人のグループだ。他にも外国人のお客さんが多い。シェフが外国人だからか。
そして、彼らは付き合い始めるのだが、その後こんな泥酔事件が起こる。友人たちと飲んでいたときのこと。たまたまそこには日本酒と焼酎しかなかった。彼女が珍しく焼酎を飲んだら、かなりよっぱらってしまい、記憶がなくなるほどになった。彼のところに帰る途中、気持ち悪くなって戻してしまったが、戻ってもまだすっきりしなかった。そして、頭もがんがんする中、寝てしまう。朝、ふと気が付くと、自分はパジャマを着ていて、鏡を見ると化粧も落ちていた。
彼女は尋ねた。「昨日の夜、一体どうしたの、私?」 すると彼は答えた。「寝ちゃってたから、パジャマに着替えさせて、それから、顔の化粧をタオルで拭いて取ったんですよ」 おおおおっ。着替えさせて寝かせつけるあたりまでは思いつくが、化粧を取るところまで気が回る男性はいるだろうか。う〜〜〜ん、なかなかやるな!(笑)
そして、この事件を機に、彼女の気持ちは彼の方へ徐々に傾いていて行ったという。まさにターニングポイントだった。
この話から得る教訓は、こうだ。彼女が酔って寝てしまったら、化粧を落とせ。(ちがうか)(笑) 男の地獄を経験したからこそ、今の天国のような幸せがあるということである。(笑) 「男の地獄、転じて天国となる」ってところだろうか。ご結婚、おめでとうございます。まちがっても「天国転じて地獄に」ならないようにね。ははは。(笑)
あ、そうそう、「尻にしく」って英語でなんていうのだろうか。彼にきいた。「あ、それはちょっと違うけど、英語ではこう言います。She wears the trouser. 彼女は(彼の)ズボンを穿く、っていうこと」 この表現は「ボス的存在になる」ことを意味する。な〜〜〜るほどね。ワンポイント・イングリッシュ・レッスンでした。
足跡。
ダンサーが激しく踊るとき、その足元はどうなっているのか。動きはどうなのか。その動きをキャンバスの上に塗料で固定したい。そう思ったのが、ペインター・アーティストの岡伸昭さんだ。ソウル・ミュージックが大好きで、ステップの踊りも覚えていた彼が、そのステップの神様ニック岡井氏が踊る姿を作品にしたいと熱望した。
そして、できあがったのが前代未聞の、キャンバスに青い塗料で塗られた作品群である。これは、ニックが靴に塗料を付け、それぞれの曲にあわせて決まったダンスステップをキャンバスの上で踊ったもの。ニックの足跡が青い塗料の跡となって豪快に残されている。大きな作品(1940x3909mm)から小さな作品(1580x1180mm)まで二十数点、今日から新宿ビームス他で展示・即売されている。タイトルは、「アフター・ザ・ダンス/ノブアキ・オカ・エクスヒビション・フィーチャリング「ザ・マスター」ニック・オカイ」。6月17日(木)から8月17日(火)まで新宿ビームス6階のBギャラリー、渋谷区神南のタイムカフェ、福岡市中央区のルセント・カフェの3か所で同時開催される。
ぱっと見ると、青い塗料が確かに足跡となって、キャンバスを走っている。大きい作品はかなりのインパクトだ。岡さんは言う。「前々からダンスが好きで、そのダンサーの足元というのに興味があったんです。いろいろなところでみんながかっこよく踊ってるのを見ると、リアルタイムで知らなかった僕は、そういうのをリアルタイムで知っている(自分よりも年上の)人たちがとってもうらやましく思えたんです。まあ、確かに足フェチかもしれませんね。(笑) で、踊る人の動きを何か作品にしたいと思った。そして、どうせ踊る人を頼むのだったら、一番好きなニックさんにお願いしたいな、と」
ニックが言う。「最初(話を)きいた時は、なんだろな、と思って。別に僕じゃなくてもいいんじゃないかと思ったけど(笑)、岡君が『これは絶対ニックさんじゃないとだめなんです』って言われて、やる気になったんだ。ペンキ付けるとさ、(足が)すべらないんだよ。(笑) けっこう大変だったけどね」
当日はスタジオで約4時間半にわたってレコードをかけ、踊った。例えば、一番大きな作品「ポップコーン」は、ジェームス・ブラウンの「マザー・ポップコーン」のライヴ・ヴァージョンを使って踊った。約5−6分で3枚のキャンバスに「足跡」を残した。それらの踊っている模様は、ヴィデオに収録され、大型の作品を購入される方にはついてくる。値段は最大のものが90万円、最小のもので6万円など。
その足跡は、色鮮やかのブルー。岡さんが言う。「ブルーが大好きなんです」 作品の天地がわかるように、岡さんとニックがそれぞれサインと、タイトルを書き入れた。「NO04」と書かれた文字。「ナンバー・フォー」かと思ったら、違った。伸昭・岡の頭文字、「NO」と2004年の「04」だそうだ。
「昔から、この新宿3丁目(ビームスのビルがあるところ)は、ダンスのメッカというか始まったところだという雰囲気があるんですよ。ニックさんがやってた(ディスコ)ゲットは、すぐこの近くでしたしね。で、ここからダンスの歴史みたいなものが始まったとすると、それをこの作品の中で表現したいなと思いました」と岡さんが言う。
大きく飾られたキャンバスに残された青い足跡をじ〜〜と見ていると、ニックが踊りつづけた50年の足跡に見えてくる・・・。かな?(笑) ニックが言う。「踊った後には、それを見るだけじゃ、どの踊りで踊ったのかもうわからなくなっちゃうんだよ(笑)。だから、すぐダンスの名前を書いとかないとね。(笑)」 ニックと一緒にキング・オブ・ソウルで活躍のマイケル曰く「オレがやっても、ニックがやっても、違いはわかんないと思うよ(笑) ははは」。
芸術的に動いているものの瞬間を捉えて、一枚の作品に固定すれば、それ自体が芸術品になる。ダンスマスター、ニックの足元が芸術的に動く瞬間、その足跡は芸術になる。芸術は爆発する。キャンバスのブルーの飛沫(しぶき)は、ニックの足の爆発の記録だ。
関連ページ
http://www.beams.co.jp/beams/b_gallery/b_gallery_sheet/oka.html
ダンサーが激しく踊るとき、その足元はどうなっているのか。動きはどうなのか。その動きをキャンバスの上に塗料で固定したい。そう思ったのが、ペインター・アーティストの岡伸昭さんだ。ソウル・ミュージックが大好きで、ステップの踊りも覚えていた彼が、そのステップの神様ニック岡井氏が踊る姿を作品にしたいと熱望した。
そして、できあがったのが前代未聞の、キャンバスに青い塗料で塗られた作品群である。これは、ニックが靴に塗料を付け、それぞれの曲にあわせて決まったダンスステップをキャンバスの上で踊ったもの。ニックの足跡が青い塗料の跡となって豪快に残されている。大きな作品(1940x3909mm)から小さな作品(1580x1180mm)まで二十数点、今日から新宿ビームス他で展示・即売されている。タイトルは、「アフター・ザ・ダンス/ノブアキ・オカ・エクスヒビション・フィーチャリング「ザ・マスター」ニック・オカイ」。6月17日(木)から8月17日(火)まで新宿ビームス6階のBギャラリー、渋谷区神南のタイムカフェ、福岡市中央区のルセント・カフェの3か所で同時開催される。
ぱっと見ると、青い塗料が確かに足跡となって、キャンバスを走っている。大きい作品はかなりのインパクトだ。岡さんは言う。「前々からダンスが好きで、そのダンサーの足元というのに興味があったんです。いろいろなところでみんながかっこよく踊ってるのを見ると、リアルタイムで知らなかった僕は、そういうのをリアルタイムで知っている(自分よりも年上の)人たちがとってもうらやましく思えたんです。まあ、確かに足フェチかもしれませんね。(笑) で、踊る人の動きを何か作品にしたいと思った。そして、どうせ踊る人を頼むのだったら、一番好きなニックさんにお願いしたいな、と」
ニックが言う。「最初(話を)きいた時は、なんだろな、と思って。別に僕じゃなくてもいいんじゃないかと思ったけど(笑)、岡君が『これは絶対ニックさんじゃないとだめなんです』って言われて、やる気になったんだ。ペンキ付けるとさ、(足が)すべらないんだよ。(笑) けっこう大変だったけどね」
当日はスタジオで約4時間半にわたってレコードをかけ、踊った。例えば、一番大きな作品「ポップコーン」は、ジェームス・ブラウンの「マザー・ポップコーン」のライヴ・ヴァージョンを使って踊った。約5−6分で3枚のキャンバスに「足跡」を残した。それらの踊っている模様は、ヴィデオに収録され、大型の作品を購入される方にはついてくる。値段は最大のものが90万円、最小のもので6万円など。
その足跡は、色鮮やかのブルー。岡さんが言う。「ブルーが大好きなんです」 作品の天地がわかるように、岡さんとニックがそれぞれサインと、タイトルを書き入れた。「NO04」と書かれた文字。「ナンバー・フォー」かと思ったら、違った。伸昭・岡の頭文字、「NO」と2004年の「04」だそうだ。
「昔から、この新宿3丁目(ビームスのビルがあるところ)は、ダンスのメッカというか始まったところだという雰囲気があるんですよ。ニックさんがやってた(ディスコ)ゲットは、すぐこの近くでしたしね。で、ここからダンスの歴史みたいなものが始まったとすると、それをこの作品の中で表現したいなと思いました」と岡さんが言う。
大きく飾られたキャンバスに残された青い足跡をじ〜〜と見ていると、ニックが踊りつづけた50年の足跡に見えてくる・・・。かな?(笑) ニックが言う。「踊った後には、それを見るだけじゃ、どの踊りで踊ったのかもうわからなくなっちゃうんだよ(笑)。だから、すぐダンスの名前を書いとかないとね。(笑)」 ニックと一緒にキング・オブ・ソウルで活躍のマイケル曰く「オレがやっても、ニックがやっても、違いはわかんないと思うよ(笑) ははは」。
芸術的に動いているものの瞬間を捉えて、一枚の作品に固定すれば、それ自体が芸術品になる。ダンスマスター、ニックの足元が芸術的に動く瞬間、その足跡は芸術になる。芸術は爆発する。キャンバスのブルーの飛沫(しぶき)は、ニックの足の爆発の記録だ。
関連ページ
http://www.beams.co.jp/beams/b_gallery/b_gallery_sheet/oka.html
Stars Would Sing For Ray Charles
2004年6月17日葬儀。
6月10日(木)に死去したアメリカのソウル・シンガー、レイ・チャールズの葬儀が17日、18日にロスアンジェルスで行われる。17日は、ロスアンジェルス・コンヴェンション・センター内サウスホールで、棺は一般の人の弔問と記帳を受け付ける。
翌日18日午前10時からは、ハーヴァード・ストリートにあるファーストAME教会で近親者のみで葬儀が行われる。この葬儀は招待状を持っている人しかはいれない。ここにはスティーヴィー・ワンダー、ウィリー・ネルソン、BBキング、クリント・イーストウッド、グレン・キャンベル、シシリー・タイソン、ビリー・プレストンなどアメリカ・エンタテインメント界の錚々たるメンバーが参列する予定。
約2時間の葬儀の後、棺がチャールズのスタジオ(2107ワシントン・ブルヴァード)の横を通り、イングルウッド墓地へ行き埋葬される。このスタジオは去る4月にロスアンジェルスの記念建造物に指定され、その儀式にチャールズも出席。これが公にでた彼の最後の姿となった。チャールズは、その時、「私はこの場所が大好きだ。ここは長いキャリアの多くの時間を過ごした、私が唯一ホーム(我が家)と思える場所だ。私はここを決して去ることはない」とスピーチしていた。
18日(日本時間19日)に行われる葬儀で、スティーヴィー・ワンダー、ウイリー・ネルソン、BBキングは、トリオでチャールズに捧げる歌を歌う、という。チャールズの家族によれば、「このトリオによる演奏は、『感動的なお別れ』になるだろう」とのことだ。この他にも、クインシー・ジョーンズ、クリントン元大統領、ビル・コスビーなどが事前に録音されたもので、挨拶などをする予定。
++++++++++++
弔問。
今週のロスアンジェルスはレイ・チャールズのメモリアル・ウィークのようだ。木曜日には棺が一般の人にも公開され、記帳することができる。金曜は招待客のみの葬儀。参列者の名前を見るだけで、ためいきがでるほど。さすがに生中継などはないのだろうか。スティーヴィー、BB、ウィリーのトリオによる演奏は、ぜひ見てみたい。名前を聞くだけで、泣けてきそうだ。
話はまったく変わるが、スティーヴィーの新作『タイム・トゥ・ラヴ』がいよいよ7月21日に発売と発表されている。その発売に向けて、スティーヴィーは先日(6月8日)、全米の人気テレビ番組『オプラ・ウィンフリー・ショウ』に出演した。その模様については明日以降に紹介する。
ところが、この発売がまたまた遅れそうなうわさがでてきた。現在、スティーヴィーの新作発売に関連したブックレットの制作をしているのだが、さっき留守電に担当者から「発売日に変更がありまして・・・」と入っていた。「変更」か。前倒しは考えにくい。直接話をしていないのでわからないのだが、また遅れるのかなあ。2001年9月頃発売という話からおよそ3年。何度も言うように、スティーヴィーのアルバムは、「出たときが発売日」だ。(笑) このあたりについては、また詳細を報告します。
6月10日(木)に死去したアメリカのソウル・シンガー、レイ・チャールズの葬儀が17日、18日にロスアンジェルスで行われる。17日は、ロスアンジェルス・コンヴェンション・センター内サウスホールで、棺は一般の人の弔問と記帳を受け付ける。
翌日18日午前10時からは、ハーヴァード・ストリートにあるファーストAME教会で近親者のみで葬儀が行われる。この葬儀は招待状を持っている人しかはいれない。ここにはスティーヴィー・ワンダー、ウィリー・ネルソン、BBキング、クリント・イーストウッド、グレン・キャンベル、シシリー・タイソン、ビリー・プレストンなどアメリカ・エンタテインメント界の錚々たるメンバーが参列する予定。
約2時間の葬儀の後、棺がチャールズのスタジオ(2107ワシントン・ブルヴァード)の横を通り、イングルウッド墓地へ行き埋葬される。このスタジオは去る4月にロスアンジェルスの記念建造物に指定され、その儀式にチャールズも出席。これが公にでた彼の最後の姿となった。チャールズは、その時、「私はこの場所が大好きだ。ここは長いキャリアの多くの時間を過ごした、私が唯一ホーム(我が家)と思える場所だ。私はここを決して去ることはない」とスピーチしていた。
18日(日本時間19日)に行われる葬儀で、スティーヴィー・ワンダー、ウイリー・ネルソン、BBキングは、トリオでチャールズに捧げる歌を歌う、という。チャールズの家族によれば、「このトリオによる演奏は、『感動的なお別れ』になるだろう」とのことだ。この他にも、クインシー・ジョーンズ、クリントン元大統領、ビル・コスビーなどが事前に録音されたもので、挨拶などをする予定。
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弔問。
今週のロスアンジェルスはレイ・チャールズのメモリアル・ウィークのようだ。木曜日には棺が一般の人にも公開され、記帳することができる。金曜は招待客のみの葬儀。参列者の名前を見るだけで、ためいきがでるほど。さすがに生中継などはないのだろうか。スティーヴィー、BB、ウィリーのトリオによる演奏は、ぜひ見てみたい。名前を聞くだけで、泣けてきそうだ。
話はまったく変わるが、スティーヴィーの新作『タイム・トゥ・ラヴ』がいよいよ7月21日に発売と発表されている。その発売に向けて、スティーヴィーは先日(6月8日)、全米の人気テレビ番組『オプラ・ウィンフリー・ショウ』に出演した。その模様については明日以降に紹介する。
ところが、この発売がまたまた遅れそうなうわさがでてきた。現在、スティーヴィーの新作発売に関連したブックレットの制作をしているのだが、さっき留守電に担当者から「発売日に変更がありまして・・・」と入っていた。「変更」か。前倒しは考えにくい。直接話をしていないのでわからないのだが、また遅れるのかなあ。2001年9月頃発売という話からおよそ3年。何度も言うように、スティーヴィーのアルバムは、「出たときが発売日」だ。(笑) このあたりについては、また詳細を報告します。
How To Raise Your Latin Ratio
2004年6月16日ラテン系。
「ラテン度数」への反応がけっこうあるので、もうちょっと行きますか。(笑) この概念は、経済学者の森永卓郎さんが彼の著書『年収300万円時代を生き抜く経済学』の中で提言しているものです。とはいうものの、僕はその本、持ってないんですけど。テレビで聞いた話から、ネットで調べた。お気楽で〜す。(←ラテン的)
曰く、こんな感じ。「日本では年間3万人以上の人が自殺しているが、凄惨な経済危機にさらされているアルゼンチンでは、自殺する人がほとんどいない。こうした前向きな楽天性は、日本人が学ぶべき美徳のひとつだと思う」
さらに。「失業が多いのに自殺が少ない県、すなわち『ラテン度指数』が高いのは沖縄県や大阪府(註:1位沖縄県、2位奈良県、3位徳島県、4位大阪府、5位神奈川県)。イタリア人やアルゼンチン人になるのは難しいとしても、沖縄人や大阪人になら、なれる気がしないだろうか」
一番「ラテン度数」が低いのが、秋田県だそうです。沖縄、大阪の上位って、すっごく納得するんですけど。(笑) 神奈川5位ですか。よ〜〜、わからん。ま、いいか。(←ラテン的)
要はいかに人生を楽しくすごすか、がこれからはポイントになるってな話なんですが。ひとつには趣味を持つなんていうのは、いいですね。それもお金のかからない趣味ね。スポーツ観戦とか音楽なんていいかもですね。
で、ここからは本から離れて、これを個人レベルでラテン度が高い、低いってことは言えないでしょうかという提案です。僕もどちらかというと今日明日くらいのことしか考えないタイプで、明日はなんとかなるだろう的発想があるんですよねえ。じゃなきゃ、こんな仕事してないでしょうね。ははは。(←ラテン的)
年収3億でもハッピーでなく、眉間に皺(しわ)寄せて生きている人もいれば、年収300万でもいっつもにこにこしていて楽しそうな人もいる。後者のほうが一見ラテン度は高いですよねえ。では、どうしたらラテン度を上げることができるんでしょう。ラテン音楽聴いて、踊ってれば、いいんでしょうかね。(笑) それもひとつかもしれませんが。
まあ、ひとつには前向きに生きるってことでしょうか。そして、細かいことにくよくよしない、些細(ささい)なことに怒らない、逆にちょっとしたことで笑うってことでしょうか。笑う角には福来るっていうし。(←あ〜〜、ラテン的)
あなたもハーフフルなラテン系(C=つきあかりさん)に。さあ。お勧めラテン的生き方。でも、CD聴くのはソウル系。
「ラテン度数」への反応がけっこうあるので、もうちょっと行きますか。(笑) この概念は、経済学者の森永卓郎さんが彼の著書『年収300万円時代を生き抜く経済学』の中で提言しているものです。とはいうものの、僕はその本、持ってないんですけど。テレビで聞いた話から、ネットで調べた。お気楽で〜す。(←ラテン的)
曰く、こんな感じ。「日本では年間3万人以上の人が自殺しているが、凄惨な経済危機にさらされているアルゼンチンでは、自殺する人がほとんどいない。こうした前向きな楽天性は、日本人が学ぶべき美徳のひとつだと思う」
さらに。「失業が多いのに自殺が少ない県、すなわち『ラテン度指数』が高いのは沖縄県や大阪府(註:1位沖縄県、2位奈良県、3位徳島県、4位大阪府、5位神奈川県)。イタリア人やアルゼンチン人になるのは難しいとしても、沖縄人や大阪人になら、なれる気がしないだろうか」
一番「ラテン度数」が低いのが、秋田県だそうです。沖縄、大阪の上位って、すっごく納得するんですけど。(笑) 神奈川5位ですか。よ〜〜、わからん。ま、いいか。(←ラテン的)
要はいかに人生を楽しくすごすか、がこれからはポイントになるってな話なんですが。ひとつには趣味を持つなんていうのは、いいですね。それもお金のかからない趣味ね。スポーツ観戦とか音楽なんていいかもですね。
で、ここからは本から離れて、これを個人レベルでラテン度が高い、低いってことは言えないでしょうかという提案です。僕もどちらかというと今日明日くらいのことしか考えないタイプで、明日はなんとかなるだろう的発想があるんですよねえ。じゃなきゃ、こんな仕事してないでしょうね。ははは。(←ラテン的)
年収3億でもハッピーでなく、眉間に皺(しわ)寄せて生きている人もいれば、年収300万でもいっつもにこにこしていて楽しそうな人もいる。後者のほうが一見ラテン度は高いですよねえ。では、どうしたらラテン度を上げることができるんでしょう。ラテン音楽聴いて、踊ってれば、いいんでしょうかね。(笑) それもひとつかもしれませんが。
まあ、ひとつには前向きに生きるってことでしょうか。そして、細かいことにくよくよしない、些細(ささい)なことに怒らない、逆にちょっとしたことで笑うってことでしょうか。笑う角には福来るっていうし。(←あ〜〜、ラテン的)
あなたもハーフフルなラテン系(C=つきあかりさん)に。さあ。お勧めラテン的生き方。でも、CD聴くのはソウル系。
イヴェント。
プリンス・ファンが集うパーティー・イヴェントです。掲示板で一度紹介しましたが、一応こちらでも。
Tsunaさんらが主催するプリンス誕生パーティーがあります。詳細はこちら。
http://thedigitalgarden.gooside.com/contents.htm
http://thedigitalgarden.gooside.com/news.htm
The Digital Garden Vol.7 : birthday celebration 2004
Saturday June 26 2004 from 22:00 till DAWN at CURRENT Nishi-Shinjuku
2,500yen [1 drink] / 2,000yen [1 drink with flier or coupon printed out]
djs : terry ueda / tuna / kebi / ryouhei
夜10時からドーン(夜明け)まで・西新宿の「カレント」にて。フライアーをプリントアウトして持っていくと500円引きになります。
毎回、プリンスとその関連アーティストの作品ばかりがかけられるおよそ8時間。モニターには、主催者たち秘蔵のヴィデオ映像なども。
ツナさんにかつてこう言ってました。「プリンスのファンって、それをあんまり人に言わないんで、友達がそれほどいないんですよ。(笑) だから、こういうところがあると、みんな友達になれて嬉しいんです」
僕も昨年9月に参加しました。その時の模様が下に。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200309/diary20030907.html
そしてそのツナさんは、今日からミネアポリスへ。複数回プリンスのライヴを見てくるというので、帰国次第レポートを待ちましょう。(笑)
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
Latin Ratio: Smilin’ Faces Sometimes
「ラテン度数」。
ちょっと締切りが溜まっていて今日は一日中、デスクで作業をしているのですが、さっき珍しく夜テレビをつけていたら、『ヘイ!ヘイ!ヘイ!』(フジテレビ系)にでていたグループ(オレンジ・レンジ=沖縄出身)のメンバーが、「東京のサラリーマンはみんな笑ってないんですよ。沖縄では、もう少し笑ってる」というようなことを言っていた。もうひとりが「スクランブル交差点で人とぶつかっちゃうんですよ」とも。いい観察です。
昨日だったか、これもうろ覚えなんですが、テレビによくでてくる森永卓郎教授が沖縄の「ラテン度数」の話をしていた。「ラテン度数」とは失業率と自殺率の関係なのだが、スペインやアルゼンチンなど失業率がものすごく経済は破綻しているのに、ほとんど自殺する人などいない、という。ところが日本はそこまで行ってないのに、年間3万人もの自殺者がいる。
そこで、失業率が高くても自殺率が低い場合、これを「ラテン度数」が高い、とする。そして、この「ラテン度数」が日本でも県によってけっこう差があるそうだ。で、沖縄はこの「ラテン度数」が1番高いんですよ、という話だった。その話を妙に納得しながら聞いていたんだが、そこにこのオレンジ・レンジの「東京のサラリーマンは、みな同じ顔をしていて、笑っていない」というコメントがでて、さらに納得したのです。
それだけの話なんですが・・・。以前友人たちとキューバの話になったとき、絶対にキューバの人たちって自殺なんかしないよねえ、てな話もでていたような。キューバって、社会的にも、経済的にも厳しいものがあるはずなのに、国民はとっても日々の生活に満足してるんですよね。学校も、病院もお金かからないしね。
東京に住む人、もっと笑わないと・・・。(笑)
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プリンス・ファンが集うパーティー・イヴェントです。掲示板で一度紹介しましたが、一応こちらでも。
Tsunaさんらが主催するプリンス誕生パーティーがあります。詳細はこちら。
http://thedigitalgarden.gooside.com/contents.htm
http://thedigitalgarden.gooside.com/news.htm
The Digital Garden Vol.7 : birthday celebration 2004
Saturday June 26 2004 from 22:00 till DAWN at CURRENT Nishi-Shinjuku
2,500yen [1 drink] / 2,000yen [1 drink with flier or coupon printed out]
djs : terry ueda / tuna / kebi / ryouhei
夜10時からドーン(夜明け)まで・西新宿の「カレント」にて。フライアーをプリントアウトして持っていくと500円引きになります。
毎回、プリンスとその関連アーティストの作品ばかりがかけられるおよそ8時間。モニターには、主催者たち秘蔵のヴィデオ映像なども。
ツナさんにかつてこう言ってました。「プリンスのファンって、それをあんまり人に言わないんで、友達がそれほどいないんですよ。(笑) だから、こういうところがあると、みんな友達になれて嬉しいんです」
僕も昨年9月に参加しました。その時の模様が下に。
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200309/diary20030907.html
そしてそのツナさんは、今日からミネアポリスへ。複数回プリンスのライヴを見てくるというので、帰国次第レポートを待ちましょう。(笑)
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Latin Ratio: Smilin’ Faces Sometimes
「ラテン度数」。
ちょっと締切りが溜まっていて今日は一日中、デスクで作業をしているのですが、さっき珍しく夜テレビをつけていたら、『ヘイ!ヘイ!ヘイ!』(フジテレビ系)にでていたグループ(オレンジ・レンジ=沖縄出身)のメンバーが、「東京のサラリーマンはみんな笑ってないんですよ。沖縄では、もう少し笑ってる」というようなことを言っていた。もうひとりが「スクランブル交差点で人とぶつかっちゃうんですよ」とも。いい観察です。
昨日だったか、これもうろ覚えなんですが、テレビによくでてくる森永卓郎教授が沖縄の「ラテン度数」の話をしていた。「ラテン度数」とは失業率と自殺率の関係なのだが、スペインやアルゼンチンなど失業率がものすごく経済は破綻しているのに、ほとんど自殺する人などいない、という。ところが日本はそこまで行ってないのに、年間3万人もの自殺者がいる。
そこで、失業率が高くても自殺率が低い場合、これを「ラテン度数」が高い、とする。そして、この「ラテン度数」が日本でも県によってけっこう差があるそうだ。で、沖縄はこの「ラテン度数」が1番高いんですよ、という話だった。その話を妙に納得しながら聞いていたんだが、そこにこのオレンジ・レンジの「東京のサラリーマンは、みな同じ顔をしていて、笑っていない」というコメントがでて、さらに納得したのです。
それだけの話なんですが・・・。以前友人たちとキューバの話になったとき、絶対にキューバの人たちって自殺なんかしないよねえ、てな話もでていたような。キューバって、社会的にも、経済的にも厳しいものがあるはずなのに、国民はとっても日々の生活に満足してるんですよね。学校も、病院もお金かからないしね。
東京に住む人、もっと笑わないと・・・。(笑)
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