誕生日。

4月1日は、マーヴィン・ゲイの命日です。そして今日4月2日はマーヴィン・ゲイの誕生日。誕生日は、1939年4月2日、命日は1984年4月1日です。今年、もし彼が生きていれば65歳です。死後20周年でもあります。

マーヴィンのライヴで印象的なもののひとつは、映像で言えば、83年3月に行われた『モータウン25』におけるピアノの弾き語りで始まる「ホワッツ・ゴーイング・オン」です。彼はその後、83年7月から小規模の全米ツアーをして、『ミッドナイト・ラヴ』(「セクシュアル・ヒーリング」が収録された奇跡的カンバックアルバム)に続く作品のレコーディングを始めます。

しかし、そんな新作のレコーディング中の84年4月1日に、父親の銃弾に倒れるわけです。83年7月からのライヴは、様々な音源がでていて、何種類ものライヴCDがでています。どれかがずばぬけてすばらしいということはありませんが、マーヴィンのライヴの熱さというものは充分伝わってきます。

その中で83年8月、僕はロスのグリーク・シアターで彼のライヴを見ました。このライヴは、僕の長いライヴ通い人生の中でもまちがいなくベスト5にはいる思い出のライヴです。79年9月の来日ライヴも、東京の武道館は二日通いました。もちろん初めてですから、ものすごい衝撃でした。しかし、それから約4年後にみたライヴステージは、それ以上の衝撃でした。

やはり、そこはいくらライヴ嫌い、人前にでることに対して異常に恐怖心を持っているマーヴィンでさえも、ホームにおけるライヴは、リラックスしていたのでしょう。あるいは、ホームだけに周りが気心の知れた連中ばかりだったから落ち着いていたのかもしれません。ホームだから自由に自分が欲しいドラッグなども入手できてご機嫌だったのかもしれません。

いずれにせよ、そのライヴパフォーマンスは、堂々と、完璧に自信をもってやりとげていました。そして、やはりロスの観客の熱狂振りがはんぱではありません。「セクシュアル・ヒーリング」が82年10月からヒットし、さらに、83年3月収録の『モータウン25』が83年5月に全米に放送されていましたから、彼にも圧倒的な追い風が吹いていました。

しかし、僕が一番異様に思ったのが、図体の大きいボディーガードがステージ左に立って、観客を威嚇していたことでした。なぜボディーガードが観客席を監視しているのか。その時は、まったくわかりませんでした。後に、マーヴィンは、おそらくドラッグか何かで一種の被害妄想になったりして、自分が常に誰かに襲われるという恐怖を持っていたというような話を聞きました。真意はわかりませんが、でも、遠からずといったところでしょう。後にも先にも、ボディーガードが観客を威嚇しているライヴを見たのは、これだけでした。

非常に繊細な心の持ち主であったマーヴィン。人間的には、非常に弱かったということなのでしょう。その弱さゆえに、逆に男らしさ、マッチョ的強さを必要以上にだしたこともあったのかもしれません。

では、「ホワッツ・ゴーイン・オン」でも聴きましょうか。

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以下、マーヴィン・ゲイについて触れたソウル・サーチン・ダイアリーです。

The Worst April Fool’s Day Ever
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200304/diary20030401.html

"There’s a message in the music"
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200303/diary20030321.html

"First Class Ticket To Burbank"
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200303/diary20030324.html

"Sexsual Healing" on "I-Spy"
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200303/diary20030325.html

Marvin’s Influence
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200304/diary20030408.html

Finally "Jan" was heard
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200304/diary20030418.html

Marvin Gaye’s Live Album: Why did he hate to perform?
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030607.html

Ain’t Nothing But Marvin Gaye
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030611.html

Ed Townsend Died At 74
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200308/diary20030817.html

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正統派。

大体からして、CDを聞く前からファンになっていたわけです。ルーベン・スタッダード。様々な情報から、ダニー・ハザウェイとルーサー・ヴァンドロスが好きで、『アメリカン・アイドル』で優勝し、それまでに勝ち上がってきた曲のリストをみるだけで、「これはまちがいない」と思わせられるのに充分でした。そして、その顔、体つきを写真で見て、それは確信に。プロモヴィデオを見ての最初の印象は、その昔デビューしたデイヴィッド・ピーストンみたいだな、というもの。ピーストンはどうしたんでしょう。グラディス・ナイトがずいぶん押してましたが。ルーベンに「ヴェルヴェット・テディーベアー」のニックネームをつけたのはやはり、グラディス・ナイトということです。まちがいなく、グラディス好みの本格派シンガーです。

そのルーベンがプロモーションで来日し、31日、渋谷デュオでショウケース・ライヴを行いました。デュオは、いい席をとるためには、柱がじゃまなので、はやく行かねばと思い、勇んで行ったら、なんと一階は座席をとっぱらって、スタンディングになってました。おお、これはすごい。そうか、こうすればたくさんの人が見られる。そして、2階にあがったら、2階席の中ではなんと一番最初でした。「どこでもお好きなところへどうぞ」といわれたので、当然真中をとりました。(笑) 

それはさておき、ライヴは、ギターとピアノを弾くジョン・ジャクソンとルーベン・スタッダードの二人による完璧なアコースティック・セッション。僕は元々彼の歌声と歌唱が大変気に入っていたので、このセッションは大賛成。最初、ルーベンのヴィデオが約7分上映され、おもむろに大柄の人物が登場、ギターのところに座った。これは、ジョン。一瞬、ルーベンかと思った人もいたようだが、少し遅れてルーベンが登場。ルーベンはジョンよりさらに大きい。

ルーベンは高い椅子に座っているのですが、大きいために立っているように見えます。パーカッションを前に置き、軽く叩きながら、一曲目「キャン・アイ・ゲット・ユア・アテンション」を歌い始めました。CDではけっこうファンキーな曲だったので、最初わかりませんでした。全8曲、この日はすべてギターと歌、あるいはピアノと歌という構成。ジョンがバックコーラスまでつけます。

やはり、耳なじんだ「ハウ・キャン・ユー・メンド・ア・ブロークン・ハート」(ビージーズ、アル・グリーン)、「スーパースター」(カーペンターズ、ルーサー・ヴァンドロス)、「フォー・オール・ウィ・ノウ」(ダニー・ハザウェイ他)、「フライング・ウィズアウト・ウィングス」(ウェストライフ)などは、歌声に圧倒されます。まあ当たり前ですが、実に歌がうまい。踊るわけでもなく、ただ単にいい声で歌を聴かせ、それで聴く者を圧倒する。今時珍しい非常に正統派の男性シンガーです。本当に最近こういう由緒正しい男性R&Bシンガーがでてこなかっただけに、ルーベンには期待していました。ルーサー以来の大型シンガーではないか、などと思っているのですが、ぜひ長く歌っていってほしい。

「スーパースター」などはピアノ一本で、実に表現豊かに歌い上げます。もちろん、あちこちにルーサーの色がまぶされていますが、もうすでにルーベン節を持っています。たいしたものです。大物です。体も。(笑) 「アンプラグド」の「ソーリー2004」も新鮮。これだけ「アンプラグド」で聴くと、今度は彼の11名のフルバンドでのライヴを早く見たくなりました。

この日、バックをつけたジョン・ジャクソンは26歳。ミシシッピ出身、ルーベンとは彼がバンド活動をしていた頃からの知り合い。『アメリカン・アイドル』以前から一緒にやってきました。ルーベンのバンドのバンドマスターがいて、その彼から声をかけられ、ルーベン・バンドの一員になっています。今回は、アコースティックセッションということで彼だけが来日しました。アラバマ大学で音楽を学びました。

演奏前に上映されたヴィデオの中で、ルーベンが審査員3人の前で99番の番号をつけてオーディションを受けるシーンがありました。そこで、ルーベンはスティーヴィー・ワンダーの「リボン・イン・ザ・スカイ」をアカペラで歌い、審査員を圧倒します。審査員の「合格だ。ハリウッドに行ってもらおう」という言葉にルーベンは「おお、神様」と喜びを表現します。これは、実際のオーディション風景だったのか、再現フィルムなのか、どっちなのでしょう。でも、ルーベンがオーディションで「リボン・イン・ザ・スカイ」を歌ったのは事実です。しかも、アカペラで。第一次のオーディションはすべてアカペラで歌うのです。

ルーベンとピアノとギターだけの、シンプルな一夜。彼の成功をきっかけに、もっと正統派のシンガーがたくさんでてくればいいと思います。

ところで、ルーベンには30日にインタヴューしました。なかなかおもしろい話が聞けましたので、近いうちにご紹介したいと思います。また『フィールン・ソウル』にもゲストで登場しますのでお楽しみに。

Setlist
Showcase: Soulful
2004/3/31 @ Duo Music Exchange, Shibuya

show started 19.43

0. Video
1. Can I Get Your Attention
2. Play Our Song
3. How Can You Mend A Broken Heart
4. Superstar
5. Sorry 2004
6. For All We Know
7. What If
8. Flying Without Wings

show ended 20.25

(関連記事)

テレビ番組『アメリカンアイドル』、ケリー・クラークソンについて
http://diarynote.jp/d/32970/20030718.html

ルーベン・スタッダードについて、勝ち上がり曲のリストも。
http://diarynote.jp/d/32970/20030910.html

(2004年3月31日=渋谷DUO、ルーベン・スタッダード・ショウケースライヴ)
アクシデント。

CD2枚、『ドゥーイン・イット』(2001年)と『シェーキン』(2003年)がでているニューオーリーンズ出身の5人組ファンクバンド、パパ・グロウズ・ファンクが初来日。渋谷クラブクアトロでライヴを見せた。

5人が登場して最初の音を出した瞬間、すでにそこは渋谷ではなくなっていた。ニューオーリーンズだ。メンバー、それぞれが出す一音一音がいちいちファンクしている。ギターの山岸が弾く音、リーダーでキーボードのジョン・グロスが鍵盤を叩きつけて出す音、弾けるマーク・ペロのベース、炸裂するラッセル・パディステのドラムス、そして吹いて吹いてニューオーリーンズの風を吹かせるジェイソン・ミングロドフのサックス。全員が意識しようがしまいが、体に「ニューオーリーンズ・ファンク」という名のDNAを持っていることが痛いほどわかる。そして、そのニューオーリーンズのファンクは、実に楽しく、気持ちがいい。

彼ら5人の演奏を見ていると、彼らが純粋に音楽に集中し、没頭できる環境で音楽をやっているんだなあと思う。いい意味でみんな音楽馬鹿になっているのだ。ニューオーリーンズ・ファンク独特のセカンドラインのリズム、切れ味するどいサックス、ロングヘアを振り乱し、汗を飛ばし口をあけ、歌いながら鳴り響かせるギター。それぞれが音楽を純粋に愛し、音楽に人生をささげ、ただひたすら自身の楽器とともにこれまで歩んできた音楽人たちのピュアでリアルな音楽がそこに存在している。これも間違いなくリアル・ミュージック・バイ・リアル・ミュージシャンだ。

途中でドラマーがスティックを投げていた。ショウの間中何度も投げていた。なんと、それらのスティックは、あまりの激しさに折れたものだった。パティステは、ドラムを叩き、スティックが折れたらそのまま観客席に投げ、さっと新しいスティックを取り、演奏を続けていたのだ。一度のライヴであんな本数スティックを折るのか。(観客のMさんは、その折れたスティックを2本ゲット! おめでとうございます)

しかも、ショウの最中、彼は右手親指を突き指というか、右腕がつってしまった。そして、隣のベース奏者ペロに指を折り曲げてひっぱってもらった。その瞬間、ものすごく痛そうな顔をした。その間、右手で叩かなければならないリフを彼は左手で叩いた。それでも、直らず、彼は途中でドラムスを離れ、しばし楽屋に行き、サロンパスのようなものを貼って戻ってきた。思わぬアクシデントだ。

ドラマーのスティックは、何本も折れ、腕までつって突き指までする。なんというバンドだろうか。しかしきっと、奴らは腕が折れても、満身創痍(まんしんそうい)でショウを続けるだろう。まさに、ショウ・マスト・ゴー・オン(ショウは続けなければならない)。それも含めて、彼らのライヴパフォーマンス。

時々、タワー・オブ・パワーや、ゴーゴーサウンド風のファンクリズムも聴こえるが、やはり、ドクタージョン、ワイルド・マグノリアス、ネヴィル・ブラザースなどのニューオーリーンズ軍団の血筋をいやがおうでも感じさせる。実に強力無比なバンドとしかいいようがない。

といったようなことを考えていても、ひとたび彼らに「イエ〜」と声を出させられたら、「そんなことはど〜〜でもいいっ、楽しい時間をすごそうぜ」という気持ちにさせられる。

ショウが終って楽屋で山岸に会った。「ねえ、今日のセットリスト、ない?」 「そんなもん、あるかっ」 一笑に付される。「曲なんか決まってないのよ。誰かが適当に音出して、そこからその曲になるから。最初の音出すのも決まってない。俺が出す時もあるし、ジョン(リーダー)が何かを弾いて曲が決まることもあるさ。あ、でも曲はあるからね。最初の音を出せば、その曲にはなるよ。大体の場合はね。時々違う曲、やってたりすることもあるけどさ。ははは」 失礼しました。

ソウルメートAが言う。「みんなが少年のよう。年を重ねるのではなく、時を越えてしまっている。周りが変化しただけで、彼らの中心軸、スピリットはまったく変わらず今日まで来ている。例えば、子供の頃音楽が好きになる時って、ただ単純に好きになりますよね。それが一歩一歩進むにつれだんだんゆがんできたりする。でも彼らはまさに純粋な道をずっと歩いてきているから、今でも本物のままだ。そしてそれだけのパワーがある。突き指しようが、そこで何が起ころうと、アクシデントも含めて、スティックが折れてその破片が客席に飛んだとしてもすべてがパフォーマンスになっている。何があっても、そこで時が流れていて、観客にすべてを受け取れと言ってるみたいな。演奏が始まった時は、観客のエネルギーレベルは低いところにあったが、ひとたび観客に『イエー』と言わせることによって、一挙に観客の温度をあげてしまう。そして、観客とバンドが一体化する。観客は参加してナンボの世界になる。ミュージシャンたちは息を止めずに、グルーヴをやり続けてる。ミュージシャンたちは、技を持った赤ん坊のようで、そのパワーは計り知れない」

パパ・グロウズ・ファンク。直訳するとパパがファンクになった。成長した。といったところだろうか。Clear And Present Funk は、「明らかに、今そこにあるファンク」の意味。

オフィシャルウェッブ
http://www.papagrowsfunk.com/

(2004年3月30日火曜=渋谷クアトロ、パパ・グロウズ・ファンク・ライヴ)
振幅。

墨田区錦糸町にあるトリフォニー・ホールに初めて行った。うちからは遠いということと、演目がクラシック中心ゆえに行くチャンスがなかったが、今回はミシェル・カミロがたった一日だけここでやるというので出向いた。いやあ、それにしても基本的にクラシックのホールだが、すごい。正面に大きなパイプオルガン。ホールの天井高もゆうに10メートルはあるだろう。1階から3階まであり、2階3階の横にも座席がある。全体的に濃い木目で統一されていて実に荘厳だ。キャパは約2000。まずはこのホールの立派さに驚かされた。

正面ステージにぽつんとグランドピアノ。定刻から少し遅れてミシェル・カミロが舞台左手よりおもむろに登場。この日は一部がミシェルのソロ、二部がミシェルと新日本フィルハーモニー交響楽団との共演である。一音だした瞬間、「おっ、アンプ通さないのか」。

生のピアノの音が直接響く。しかし、さすがにここはコンサートホール。僕が座ったのは前から22列目ということで、キャパ300人のところで見るのとはわけが違う。音量が爆音でこない。少しだけ音が響いて、こちらに到達する。きっと、20世紀より前の音楽会はアンプなしでこんな風に開かれていたのだろう、と思った。今日のこのライヴは、「ライヴ」あるいは「コンサート」という言葉よりも、「音楽会」という言葉が似合っていた。

前回見たライヴは、トマティートとの共演だった。
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/michelle20001019.html
今回もやはり、鍵盤の上は嵐だった。しかも、かなり激しい嵐だった。

彼のパフォーマンスを見ていていろいろなことが思い浮かんだ。彼は、なぜこれほどまでに感情を爆発させることができるのか。どのようにして、感情の扉をここまで開くことができるのか。彼に激情のピアノを弾かせているその最大の原動力はなんなのか。そして、彼の音楽はクラシックなのか、ジャズなのか、ラテンなのか。もちろん、ジャンル分けなどというものは、もはや彼のような音楽には必要ないのだろう。音楽はその人を反映する。ということは、ミシェルは激情型の男なのか。ふと疑問に思った。

第一部のソロは、もちろん、トマティートとの共演同様、嵐の鍵盤にすごみも感じたが、会場の大きさゆえか、ミシェルまでに距離があったためか、感動まで至らなかった。ひょっとして目の前で見ていたらちがったかもしれない。

第一部が終って、二階のショップでコーヒーを飲んでいる間、ピアノが再び調律されている音がポロンポロンと聴こえてきた。嵐で荒れた鍵盤を整えているのだ。ステージにはフルオーケストラの椅子が用意されていた。クラシック好きの人がかつて、壮大なフルオーケストラの音色を聴くだけで泣きそうになるということを聞いたことがある。その意味がわかる時がある。この時の2部もそうだった。

壮大な30名以上のオーケストラが奏でるメロディーとミシェルのピアノのハーモニーは、第一部と同様にアンプはなくとも今度は圧倒的な音量で聴く側に迫ってきた。新日本フィルの指揮者は、十束尚宏(とつか・なおひろ)氏。彼が指揮をしているのだが、この空間を支配しているのは、ミシェルだった。10本の指とふたつの目で、彼は88の鍵盤と、何十人というオーケストラを自らの手足の如く操った。

たったひとりのソロと、壮大なオーケストラをバックにした演奏は、まさに対極に位置する。彼とオーケストラの演奏を聴いていると、ミシェルを通じて音楽の神様がここに降りてきているのではないかとさえ思えてきた。

オーケストラとともに演奏したのは既にCD化されている『ピアノとオーケストラのための協奏曲』の第1楽章から第3楽章まで。約30分。これが終ると万雷の拍手が巻き起こり、客席の多くの人たちが立ち上がった。長く続いた拍手を聴きながら、普段僕が行くライヴで聴く拍手と異質のものを感じた。それはクラシックの拍手なのか、コンサートホールにおけるジャズの拍手なのか。だが、演奏者に最大級の賛辞を送る拍手であることに変わりはない。そして、その拍手自体に、なにか熱いものを感じた。

それに答えてアンコールに登場したミシェルは、おもむろに「アランフェス協奏曲」を弾き、さらに、チック・コーリアの「スペイン」へとなだれ込んだ。激しくピアノを叩いたミシェルは、体全体でピアノと格闘していた。それはミシェルとピアノの激しく熱い戦いだった。アンコール3曲目の「トゥ・マッチ」という曲は実に美しい曲だった。今度は彼はピアノをやさしく愛撫した。愛撫と鞭、心の静寂と激情。静と動を自由に、激しく明るい晴天と嵐も自在に操るミシェル・カミロ。ひょっとしてその振幅の激しい熱い戦いに僕は胸を打たれたのかもしれない。

Setlist 2004.3.29 at Sumida Triphony Hall

First set

Performance started 19:06

1. From Within
2. Twilight Glow
3. Cocowalk
4. The Magic In You
5. At Night
6. Why Not
7. Caribe

Performance ended 20:06

Second set

Performance started 20.40

Concerto For Piano And Orchestra
1. Religiosamente -- Allegretto -- Allegro
2. Andante
3. Allegro

Encore

1. Concierto De Aranjuez アランフェス協奏曲 (J.Rodrigo)
2. Spain (Chick Corea)
3. Too Much

Performance ended 21:24

All songs written by Michel Camilo otherwise indicated.

(2004年3月29日月曜=墨田トリフォニー・ホール、ミシェル・カミロ・コンサート)
特集。

今日の『ソウル・ブレンズ』では、4時間にわたって「モータウン」特集をしました。それにしても、4時間ほとんどモータウン関係の曲だけでやるというのは、かなり気持ちいいですねえ。前半などほんと、曲だけかけているだけで番組が成立する、という感じです。やはり、ラジオの原点というのは、いい音楽をかけるというところにあるんだな、と思いました。DJオッシーも、「いやあ、音楽の力っていうのは、すごいね。こういう曲かけてるだけで、成り立つんだからね」と言ってましたが、まさにそのとおりです。

そして、3時台のゲストはマーチンこと鈴木雅之さん。『ソウル・ブレンズ』的にはまいどおなじみのマーチンさんですが、モータウン特集ということで、マーチンさんもモータウンには多くの思い入れがあり、話が止まりません。しかも、3時から4時までの一時間だけでなく、4時半の『山野ミュージックジャム』のところも出演してくださいました。

4時間やっても、モータウンの話題、曲は尽きませんね。今後、ワンクールに一回くらいやっていこうか、などとも話しております。まあ、次回は映画『永遠のモータウン』が日本公開されたあたりでやるような感じです。皆さんも、ぜひ見ていただいて、その感想を大募集したいところですね。

番組などで映画を紹介するのは、本当にむずかしいです。ある程度紹介しなければ、紹介していることにならないし、一方であまりに内容を話しすぎてしまうと、ネタバレで見る人の楽しみを奪ってしまうかもしれない。見るつもりがない人は、全部話してくれと思っているかもしれない。どこで、どう落としどころをみつけるかはとてもむずかしいですねえ。

それにしても、マーチンさんがこの映画を見て「まあ、『白い巨塔』についで号泣した。(映画の主人公、モータウンのベース奏者)ジェームス・ジェマーソンは、さしずめ財前五郎だね」のコメントには大爆笑でした。

ちなみに、『永遠のモータウン』ですが、原書は1989年に発売され、それ以来原作者は映画化を考えるようになっていました。しかし、なかなか製作してくれる映画スタジオが見つからず、結局10年近くかかって出資者と出会うのですね。その出資者というのはポール・エリオットとデイヴィッド・スコットの二人です。彼らは製作総指揮のクレジットで名前がでています。二人ともアマチュアのミュージシャンですが、コンピューター関係の仕事で財をなし、この映画に投資することにしたのです。2000年冬、本がでて11年の月日が流れ、いよいよ映画の撮影が始まりました。6週間で撮影された作品は2002年秋、全米で公開され、話題を集め、グラミー賞なども獲得しました。

映画『永遠のモータウン』のホームページができています。ここに、プロダクションノート、出演者などが詳しくでています。ごらんください。http://www.eiennomotown.com/index2.html
僕も、モータウンについて簡単な原稿を寄稿しています。また、この映画のスターたち、ファンク・ブラザースは現在ツアーを行っていますが、彼らの来日も検討されています。ぜひ生で見たいですね。
ファンク・ブラザースの音源をCD化

発掘。

2002年秋に発表された映画『永遠のモータウン(原題、Standing In The Shadows Of Motown)』によって脚光を浴びたファンク・ブラザースの過去の音源が発掘され、CD化される。ファンク・ブラザースは、元々60年代から70年代初期にかけてデトロイトのモータウンレコードで、同レコード所属アーティストのバックをつけていたスタジオミュージシャンたちのこと。モータウンの大ヒットのすべてを彼らが演奏していた。約20人のスタジオミュージシャンたちがモータウンのスタジオに出入りし、ヒット曲に貢献した。

今回CD化されるのは、ファンク・ブラザースのキーボード奏者のひとり、アール・ヴァン・ダイク名義でかつてリリースされたことがある作品2枚から、編纂された。これに未発表作品、シングルのみでリリースされていた作品なども発掘した。全体的な編集作業は、ユニヴァーサルのハリー・ワインガー氏が担当。『ザ・ベスト・オブ・ファンク・ブラザース』のタイトルで全米で2月に発売された。これは、アメリカ・ユニヴァーサルがリリースする『20センチュリー・マスターズ/ミレニウム・コレクション』の一環での発売。http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&;;;uid=UIDMISS70311061515161479&sql=Aofd6vwxqa9lk

テンプテーションズの大ヒット「ザ・ウェイ・ユー・ドゥ・ザ・シングス・ユー・ドゥ」、「パパ・ワズ・ア・ローリング・ストーン」、スプリームスの「カム・シー・アバウト・ミー」などのインストゥルメンタル・ヴァージョンが収録される。特に注目されるのは、マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」のインストゥルメンタル・ヴァージョン。また、テンプスの「パパ…」は元々シングルのB面に収録されリリースされた。このインスト・ヴァージョンは、グラミー賞ベストR&Bインストゥルメンタルを受賞している。ただし受賞者はこの時はテンプテーションズ自身だった。

ファンク・ブラザースは、ジョー・ハンター、ジョニー・グリフィス(故人)、アール・ヴァン・ダイク(故人)(キーボード)、ジョー・メッシーナ、エディー・ウィルス、ロバート・ホワイト(故人)(ギター)、ボブ・バビット、ジェームス・ジェマーソン(故人)(ベース)、ジャック・アシュフォード、エディー・ボンゴ・ブラウン(故人)(パーカッション)、リチャード・ピストル・アレン、ユリエール・ジョーンズ、ベニー・ベンジャミン(故人)(ドラムス)など。

映画は、グラミー賞などを獲得。日本でもいよいよ5月に公開される。(正確な日程は未定。前にかかっている映画の公開の延長で変更がある)

>SAKURAさん

リンクありがとうございます。これからもよろしく。
ミッシー・エリオット来日決定

女性ラッパーとして今、もっとも旬の人気を獲得しているカリスマ女性ラッパー、ミッシー・エリオットの初来日が5月に決まった。現在、2003年11月に発売された5作目のアルバム『ディス・イズ・ノット・ア・テスト』がロングヒット中。今回は20人以上のダンサーがステージに上る派手なものになるという。

ミッシー・エリオットは、本名メリッサ・エリオット。1971年7月1日ヴァージニア州ポーツマス生まれ。10代の頃にラップグループ、シスタを結成。これがジョデシーのメンバー、デヴァンテに認められチャンスを与えられた。また同じく十代の頃から、当時はまだ無名だったティンバランドなどとも交流があった。当初はデヴァンテのところからCDデビューの話が進んだが、これが消え、次にティンバランドと手を組み、当初はソングライターとしてアリーヤなどに作品を提供。徐々に実績を積んだ。アリーヤの96年の作品『ワン・イン・ア・ミリオン』などに作品を提供している。

97年エレクトラからミッシー・エリオットとしてアルバム『スーパー・デューパー・フライ』でデビュー。以後、コンスタントにヒットを出し、ラッパー、プロデューサー、ソングライターとして大きな人気を獲得している。昨年マドンナとギャップのCMに登場した。


日程は次のとおり。

5月19日(水)、20日(木) ゼップ・東京の計2公演。

料金はスタンディングが\9,000、2階指定席が\10,000。
問い合わせ ポジティブ・プロダクション(http://www.bmopositive.com/japanese.htm)(045-505-0010)で、3月22日(月)より発売されている。
一般プレイガイドでは、4月3日(土)よりスタンディングのみ発売開始。

詳細は次のウェッブ。
http://www.bmopositive.com/missy_2004j.htm
ジョニー・ブリストル65歳で死去

モータウンでソングライター、プロデューサーとして活躍したジョニー・ブリストルが(2004年3月)21日(日曜)朝、デトロイト近郊の自宅で死去した。65歳だった。

ジョニー・ブリストルは1939年2月3日ノース・キャロライナ州モーガントンの生まれ。デトロイトに本拠を移し、1960年頃から「ジョニー&ジャッキー」というデュオとして活動を始めた。ジャッキーはジャッキー・ビーヴァーズのことで、彼らは軍隊時代に知り合った。ジョニーは一度目の結婚・離婚の後にモータウン創始者ベリー・ゴーディーの姪アイリス・ゴーディーと結婚。名実ともに「モータウン・ファミリー」の一員になった。

ジョニー&ジャッキーは、1961年「サムデイ・ウィル・ビー・トゥゲザー」を録音、ハーヴィー・フークワが持っていたトライ・ファイからリリースされたが、ヒットはしなかった。しかし、この曲は69年、ダイアナ・ロス&スプリームスが最後のシングルとしてリリースし、大ヒットとなる。

ジョニーとハーヴィー・フークワとは、パートナーとして、ジュニア・ウォーカー&オールスターズの「ホワット・ダズ・イット・テイク」などを書いたり、プロデュースした。他にてがけたアーティストは、ダイアナ・ロス&スプリームス、グラディス・ナイト&ピップスなど多数。

ジョニー・ブリストル自身は主としてモータウンのソングライターとして活躍していたが、74年、モータウンを離れMGMに移籍、ここで「ハング・イン・ゼア・ベイビー」を大ヒットさせ注目のシンガーとなった。この曲は80年にアルトン・マクレーンとデュエットでリメイクされ再びヒットした。

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勝ち組。

「ハング・オン・イン・ゼア・ベイビー」がヒットし始めた時、いかにもロスアンジェルスのソウルという感じだった。第一印象は、バリー・ホワイト風のサウンドというものだった。74年のことだ。このアルバムが出たときだったか、彼がかつてモータウンで様々なヒットにかかわっていたことを知った。そんな中でダイアナ・ロス&スプリームスの最後のヒット「サムデイ・ウィル・ビー・トゥゲザー」が彼のプロデュース曲だということがわかる。この曲がものすごく好きだったので、モータウンのレコードをいろいろひっくり返した。

1974年頃というのは、元モータウン・アーティストにとっては大きな転機となった年である。それは、72年にモータウン自体がデトロイトから本拠をロスアンジェルスに一挙に移すからである。ある者はデトロイトを離れず、ある者はモータウンについてロスに引っ越した。その引越しのことを会社は、ミュージシャンやスタッフたちに直前までほとんど知らせていなかった、という。そのあたりのちょっとした悲劇は、5月に公開されるドキュメンタリー映画『永遠のモータウン(Standing In The Shadows Of Motown)』http://diary.note.ne.jp/d/32970/20031025.htmlにも登場する。

ジョニー・ブリストルはこの映画には登場してこないが、彼はロスに移って、ある意味モータウン時代以上に成功した珍しい「勝ち組」になった。しかし、今回の死去に際し、デトロイト近郊の自宅にいたということがわかった。すでに引退し、ロスから再びデトロイトに戻っていたのだろう。モータウン自体の華やかさから比べれば、ジョニーが残したヒットによって、彼自身が果たして「勝ち組」になったのか、今となってはわからない。ジョニーの死去は、いまだビルボード誌(音楽業界誌)が報じていない。あまり注目されているとは言えない。人生において「勝ち組」とは一体なんなのだろう。ひょっとすると、ジョニーも「モータウンの影にいた男」の一人なのかもしれない。

しかし、彼が勝ち組ではないとしても、もちろん負け組でないことも確かだ。あれだけいい曲を出したのだから。それだけで充分価値ある人生だったと言える。そう、言ってみれば、価値組ということだ。価値組の人生は、悪くない。

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Nodesha Live At O East

2004年3月25日
握手会。

あいにくの雨だが、会場は、ほぼ8割方入っていた。立錐の余地がないほどではなく、適度に歩けるスペースがある。ドラムス、ギター、ベース、キーボード二人、コーラス二人、ダンサー二人、そして、今夜のスター、ノディーシャ。ジャム&ルイスがけっこう力をいれてプロデュースしたということで話題になったR&Bシンガー、ノディーシャの一般向けのものとしては初ライヴは最大10人がオンステージに登場。前回のプロモーション来日の時には、トラック(カラオケ)でショウを見せていたが、今回はフルバンドでのライヴ。意外なほどしっかりしたバンドと歌と踊りだった。

一言で言えば充分、しっかり自分の仕事をしている。歌もうまいし、踊りも決まってる。ダンサー二人のうち、なぜか白人の方がちょっとだけダンスがうまかった。会場の渋谷オー・イーストは、スタンディングなので、ステージに近いほうは、かなり体が揺れていた。

ノディーシャは、ミディアムからアップテンポでは踊りや体の動かし方が、かっこよく、さすがダンサー出身。一方でスローの「オールモスト・ゼア」あたりでは、ちょっとばかりジャネット・ジャクソンを思わせる。途中、観客の男性をステージに上げ、椅子に座らせ、その男性に絡む演出もジャネットと同じだ。

ギタリストと二人で並んで歌った「ソー・グッド」がけっこうよかった。そして、彼女はライヴ終了後15分程度で、いわゆる握手会のために、外にでてきた。サーヴィス精神たっぷり。握手会っていうのは、なかなかのものです。(笑) こういうのってアメリカにもあるのだろうか。サイン会ならあるが。握手会って、英語で何ていうのだろう。Handshake Party? 意味通じるかなあ。(笑) 

PS、珍しくニュースがたまってしまいました。ジョニー・ブリストル死去ニュースも、速報を出した後だいたい書いたのですが、その他にもミスター・チークス・ライヴ、他にもミッシー・エリオット来日決定、プリンス、ソニーと契約などのビッグニュースもあり、順にご紹介していきます。


Setlist

01. Intro
02. Curious
03. Shake ’Em
04. Cupid In Me
05. Will He Ever Love Me Back
06. Sugar Buddy
07. That’s Crazy
08. The Kind Of Guy I Like
09. Band Intro
10. Almost There
11. So Good
12. Rock Your Body
13. Got Into My Head
14. Get It While It’s Hot

(Encore)

15. Get It While It’s Hot (Remix)

(2004年3月24日水曜・渋谷オー・イースト=ノディーシャ・ライヴ)
共演。

あの早業ピアニスト、ミッシェル・カミロが新日本フィルハーモニック・オーケストラと共演する。ミッシェル・カミロと言うと、最近話題のピアニスト、上原ひろみが登場した時に、新しい時代のミッシェルではないかと感じたが、元祖早業氏が、オーケストラをバックにピアノを弾く。これは、来る3月29日、墨田区のトリフォニー・ホールで行われる一夜だけの企画。

ドミニカ共和国出身のカミロが80年代後期に日本に登場した時のレコード会社のキャッチコピー「鍵盤の上は嵐です」は、いまだに忘れられない。かと思えば、2000年ブルーノートでのライヴでは、フラメンコギターのトマティートとの抜群のコラボレーションを見せた。

ミュージシャンというのは、共演する相手によって、自らのスタイル、あるいは、雰囲気と言えばいいだろうか、そうした空気が変わる。もちろん、ベイシックな部分はしっかりとありつつ、表層的な部分で様々に変化できるものだ。このカミロはまさにそんな変幻自在のピアニストだろう。

今回の企画は、一部はカミロのソロ、そして、第二部で新日本フィルハーモニック・オーケストラとの共演となる。特にその第二部が一体どんなものになるのか興味深い。思わぬマジックが、予期せぬ火花が散ればいいと思う。

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■ ミシェル・カミロ ピアノ・コンサート

2004/3/29(月)19:00開演

料金:S:\7,000 A:\6,000 B:\5,000
問合せ:トリフォニーホールチケットセンター 03-5608-1212

曲目:Part1:ミシェル・カミロ ピアノ・ソロ
    Part2:ミシェル・カミロ&シンフォニー・オーケストラ
    ミシェル・カミロ/ピアノとオーケストラのための協奏曲[日本初演]

出演: ミシェル・カミロ[ピアノ]
十束尚宏[指揮]
新日本フィルハーモニー交響楽団[管弦楽]

詳細は、次のウェッブに。
http://www.triphony.com/topics/2004_03/040329.html

>いまいゆきこさん

リンクありがとうございます。Never Can Say Goodbyeの響きがいいですね! 
勝者。

第18回「ソウル・トレイン・ミュージック・アワード」の授賞式が3月21日(日曜)ロスアンジェルスで行われ、アウトキャストが「R&Bソウル、アルバム・オブ・ジ・イヤー」、「ベスト・ミュージック・ヴィデオ」の2部門を獲得。このほか、アリシア・キーズ、ルーサーなどが受賞。この賞は、ラジオ局関係者、アーティストのマネージメント、アーティストたちによる投票で決まる。

授賞式にはジャネット・ジャクソンも登場、スピーチを行った。

10部門すべての勝者は次の通り。本命で4部門、対抗で3部門、はずれが3部門、計7割という結果になった。本命対抗で5割の目標はクリアした。
(ノミネート予想は2月24日付け日記)

1) Best R&B/soul single, female:

"Rain on Me," Ashanti
"Danger," Erykah Badu
対抗 "Crazy in Love," Beyoncee featuring Jay-Z
勝者・本命 "You Don’t Know My Name," Alicia Keys

2) Best R&B/soul single, male:

"Comin’ From Where I’m From," Anthony Hamilton
"Put That Woman First," Jaheim
対抗 "Frontin’," Pharrell featuring Jay-Z
勝者・本命 "Dance With My Father," Luther Vandross

3) Best R&B/soul single, group/band/duo:

"Girlfriend," B2K
勝者・本命 "Say Yes," Floetry
対抗 "Busted," Isley Brothers featuring Ronald Isley & JS
"Walked Out of Heaven," Jagged Edge

4) Best R&B/soul album, female:

対抗 "World Wide Underground" (EP), Erykah Badu
勝者・本命 "Dangerously in Love," Beyonce
"Love & Life," Mary J. Blige
"So Damn Happy," Aretha Franklin

5) Best R&B/soul album, male:

"Subject," Dwele
"Comin’ From Where I’m From," Anthony Hamilton
勝者・対抗 "Chocolate Factory," R. Kelly
本命 "Dance With My Father," Luther Vandross

6) Best R&B/soul album, group/band/duo:

勝者 "Pandemonium," B2K
本命 "Body Kiss," Isley Brothers featuring Ronald Isley
"Surrender to Love," Kindred The Family Soul
対抗 "Neptunes Present... Clones," the Neptunes

7) Best R&B/soul or rap album of the year:

"Dangerously in Love," Beyonce
"Chocolate Factory," R. Kelly
勝者・対抗 "Speakerboxxx/The Love Below," OutKast
本命 "Dance With My Father," Luther Vandross

8) Best R&B/soul or rap new artist:

勝者 "Right Thurr," Chingy
"Stunt 101," G-Unit
本命 "Superstar," Ruben Studdard
対抗 "Through the Wire," Kanye West

9) Michael Jackson Award for best R&B/soul or rap music video:

本命 "Crazy in Love," Beyonce featuring Jay-Z
"Gossip Folks," Missy Elliott featuring Ludacris
"Get Low," Lil’ Jon & the Eastside Boyz featuring Ying Yang Twins
勝者 対抗 "Hey Ya!," OutKast

10) Best gospel album:

勝者 "The Prince of Praise (Live at New Birth Cathedral)," Byron Cage
"Donnie McClurkin... Again," Donnie McClurkin
対抗 "Diary of a Psalmist," Marvin Sapp
本命 "Bringing it All Together," Vickie Winans

FACT BOX
WINNERS:

R&B/Soul Single, Female: "You Don’t Know My Name," Alicia Keys
R&B/Soul Single, Male: "Dance With My Father," Luther Vandross
R&B/Soul Single, Group, Band or Duo: "Say Yes," Floetry
R&B/Soul Album, Female: "Dangerously In Love," Beyonce
R&B/Soul Album, Male: "Chocolate Factory," R. Kelly
R&B/Soul Album Group, Band or Duo: "Pandemonium," B2K
R&B/Soul or Rap Album of the Year: "Speakerboxx/The Love Below," OutKast
R&B/Soul or Rap New Artist: "Right Thurr," Chingy
R&B/Soul or Rap Music Video: "Hey Ya," OutKast
Gospel Album: "The Prince of Praise (Live at New Birth Cathedral)," Byron Cage
ニューヨーカー。

ビリー・ジョエルの歌はニューヨークそのものです。ニューヨークへの熱き思いを託した傑作曲「ニューヨーク・ステイト・オブ・マインド(邦題ニューヨークの想い)」は、まさに生粋のニューヨーカーならではの作品ですね。

ニューヨークからどこかに旅立つ時に、飛行機ではなくグレイハウンドのバスで行きたい、というその一行だけで、このソングライターのファンになってしまいます。バスで、ハドソン・リヴァーを渡っていく。バスなら徐々にあの摩天楼が離れていきます。

そして、あちこちに旅をして、あらゆるところに住んでみて、だがやはりニューヨークがいいと思う。次のラインも、ソウル・サーチャーの心をわしづかみですね。(笑) "It was so easy living day by day / Out of touch with the rhythym and blues /But now I need a little give and take "。つまり、「大都会ではないところで、その日暮らしをしているのは、簡単だ。(←直訳) でも、そんな生活にはリズム&ブルーズはない。そろそろ、そんな喧騒が必要だ」といった感じでしょうか。リズム&ブルースは都会の日々の出来事を歌っているというニュアンスで捉えてもいいでしょう。あるいは、ニューヨークにはR&Bがあふれている、と思ってもいい。ギヴ&テイクが必要だ、はギヴ&テイクじゃないとやっていけないぎすぎすした日常のことですね。田舎は、きっと、のんびりしていてギヴ&ギヴで、みんなが誰かに対してなんでもテイクを期待せずにしてくれる。でも、都会はギヴ&テイクじゃないとだめだ、という雰囲気です。

この曲の最初のところでの「グレイハウンドでハドソン川を渡る時」は、マンハッタンからどこかへ行く時を描いているように思えます。一方、最後の部分は同じ「グレイハウンドでハドソン川を渡る」という時、今度は外からマンハッタンへ戻ってくる状況なのではないでしょうか。歌詞だけからはどちらともとれるんですが。非常によくできてますね。

僕も、田舎も好きですが、猥雑な大都会も好き。よってこういう雰囲気はかなりきますね。(笑) これがもし東京だったら、どうなるんでしょう。「多摩川を長距離バスで渡りたい…」とかになるのかな。(笑) 深夜バスかなんかにのって新宿の高層ビル群がどんどん離れていく、って感じでしょうか。

この「ニューヨーク・ステイト・オブ・マイ・マインド」は、ビリーのほか、同じくピアノ・ウーマン、オリータ・アダムスのヴァージョンが染みます。バーブラ・ストレイサンド、カーメン・マクレイ、ダイアン・シュアーなどもレコーディングしています。

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「ニューヨーク・ステイト・オブ・マインド」
ビリー・ジョエル 
(アルバム『ターンスタイル(邦題ニューヨーク物語)』1976年)

休暇を取るとき、都会から逃れたいと思う者もいる
飛行機でマイアミやハリウッドに行く者たち…
だが、僕はグレイハウンドのバスで、ゆっくりハドソン川を渡って
マンハッタンを離れたい
僕の心はいつもニューヨークにあるから

高級車やリムジンに乗っている映画スターも見た
緑の美しいロッキー山脈にも登った
そして自分に何が必要かがわかったんだ
もうこれ以上無駄な時間は過ごせないと悟った
僕の心はやっぱりニューヨークにあるんだ、と。

旅先でその日暮らしに流される
だがそんな生活にリズム&ブルースは流れてこない
そう、そろそろ僕には都会の喧騒が必要になってきたみたい
ニューヨークタイムズや、デイリーニューズがまた読みたい

それは、ぎすぎすした現実感にあふれた生活だろう
でもそれでいいんだ、しばらく成り行きまかせの日々をすごしてきたからね
チャイナタウンでもリヴァーサイドでも、住むのはどこでもいい
どこだっていいんだ。一度はすべてを捨ててしまったんだから
でも今、僕の心は再びニューヨークに引き戻されている…

グレイハウンド・バスでハドソン川を渡ってマンハッタンに戻る
今、僕の身も心も、ニューヨークに戻ってきたんだ

(訳詞The Soul Searcher)

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死去。

「ブギー・フィーヴァー」など数多くのダンスクラシックのヒットを放ったシルヴァーズのリード・シンガー、エドモンド・シルヴァーズが去る3月11日、肺がんのためヴァージニア州リッチモンドの病院で死去した。47歳だった。シルヴァーズはおよそ10ヶ月におよぶ闘病生活の末の他界だった。

エドモンド・セオドーア・シルヴァーズは、1957年1月25日ヴァージニア州生まれ。メンフィスに本拠を移し、兄弟たちが一足先にR&Bヴォーカルグループ、シルヴァーズを結成しており、72年、彼が15歳の時にグループに参加。72年、MGM傘下プライド・レコードから『シルヴァーズ 1』でデビュー。シングルヒットとなった「フールズ・パラダイス」他でリードをとっている。当初は7人組だったか、兄弟が徐々に増え、一時期は9人組にまでなった。代表的なヒットは「ブギー・フィーヴァー」(75年)、「ホットライン」(76年)、「ハイスクール・ダンス」(77年)など。

エドモンドは、1980年、ソロアルバム「ハヴ・ユー・ハード」をリリース。これはカサブランカからリリースされた。その後、アリスタでもう一枚アルバムがレコーディングされたが、発売されずに終った。彼の弟クリストファー・ジョセフは85年、17歳で死去している。

また、兄のレオン・シルヴァーズは、70年代後期からプロデューサーとして活躍し、ウィスパーズ、シャラマーなど多数のヒットを放っている。

ご冥福をお祈りしたい。

Shanti Live At MoBius

2004年3月20日
オーラ。

3セットやって、ファーストはカヴァー曲、セカンドがオリジナル、そして、3セット目は再びカヴァーという構成のライヴ。先日代官山で出会ったシャンティのライヴを見た。四谷のこのライヴハウスは、まだできて2年弱。東京電力を辞められた方が始めた。約30坪で約30席(補助席を加えるともう少し増える)。柱がなく、椅子の配置もゆったりとしているためにストレスなく、ライヴを見られる。

シャンティは、実は、元ゴダイゴのトミー・スナイダーさんの娘さん。15-6歳の頃からCMソングなどをたくさん歌って来た、22歳にして業界のヴェテランだ。最近は作詞、作曲もやってオリジナルが増えてきたという。今日はその中から何曲か披露した。

全体的な雰囲気は、ヴィジュアル的にはどこかノラ・ジョーンズを思わせる感じ。音楽的には、ポップス、スタンダード、Jポップ、さらにギターを弾いたり、ピアノの弾き語りをしたりといったところ。バックは、パーカッション、ギター、ベース、ピアノの4人。英語はもちろん、ネイティヴ。

まあ、ステージとか、トークとか、ぎこちないところとかはありますが、すべてシャンティは可愛いから許される、みたいな部分が多々ある。(笑) 一方で、なによりも選曲が渋い。カヴァーで歌う曲はすべて、彼女が生まれる前の作品のはずだ。ボニー・レイットの「アイ・キャント・メイク・ユー・ラヴ・ミー」や、スタイリスティックスの「ユー・メイク・ミー・フィール・ブランド・ニュー」などいい雰囲気。他にもナタリー・コールの曲や、ロシア人シンガー、エリー・ケイという人の作品など、カヴァーと言っても、ほとんどの人が知らないから、オリジナルをやっているかの錯覚にも陥る。

オリジナルはいくつか日本語の歌もある。ソウルメイトMは、シャンティが終った後彼女に「オリジナルいいよねえ、日本語の歌は意外と、言葉をひとつひとつ大事にしてる感じがしたよ」と言った。「あ、それはありがとうございます」とシャンティ。

一番最後の曲は、彼女が母親へ向けて書いた英語曲。全体的にはいい雰囲気だが、もう少しメロディーを整理整頓するとメッセージはかなりいいだけにもっと感動できる曲になると思う。

しかし、それにしても、歌で抜群に引きつけるというのではなく、ヴィジュアルなどの全体的な雰囲気から微妙なオーラを感じる。不思議な魅力を持った人だ。まだ自身のCDはないのだが、将来非常に有望な感じがする。もっともっとたくさんライヴの本数やればいい。

Setlist

First Set

1. Girl From Ipanema (Jobin)
2. I Wish You Love (Standard)
3. I Can’t Make You Love Me (Bonnie Raitt)
4. The Closer I Get To You (Roberta Flack & Donny Hathaway, Luther Vandross & Beyonce)
5. You Make Me Feel Like Brand New (Stylistics)
6. (I Love You) More Than You Ever Know (Natalie Cole)
7. I Know Him By Heart (Vonda Shepard)

Second Set (Original)

1. Forbidden Kiss
2. Simmering Eyes
3. Share My Air
4. 夢に残る夢
5. 泣いていいよ〜cry,cry,cry
6. Favorite Smile
7. Peace In Your Heart

Third Set

1. I’m Not In Love (10cc)
2. We Can Make It Right (Yazawa Eikichi)
3. Velvet (Elly K)
4. Where Is The Love (Roberta & Donny)
5. I Just Wanna Say I Love You (Original)

(2004年3月19日・金=四谷メビウス、シャンティ・ライヴ)
ロングデイ。

昨日の夜、突然、携帯の液晶が真っ白になった。こっちの頭も真っ白。読めない、書けない、かけられない。この三重苦、どうしよう。夜中なので、どうしようもない。超あせっていると一本の電話が。音はなり、発信人も裏側の小さな窓に表示され、相手の声も聞こえる。だが、表の液晶が死んでるので、電話がかけられない。メールなんか読めない、打てない。もちろん、数字を正しく押してスタートボタンを押せばかかるのだろうが…。とにかく朝一番で直しに行くしかない。

ということで、早起きしてドコモショップへ。一応、アドレス帳、ブックマーク、メールの送受信まではSDカードに保存していたが、どこまで(いつまで)保存していたかはよくわからない。2月の頭だったような記憶がおぼろげにある。データの移植に時間がかかるということで、一旦戻る。

約1時間後、ショップから連絡。アドレス帳、ブックマークなどは復活したが、写真がだめだという。「ひえええええっ、うっそ〜〜〜」 となると、あのミスター・ジェームス・ブラウンと一緒の写真や、ジョー・サンプルととった写真、マリーナショウもいたな、クレイグ・デイヴィッドも・・・。そして、多くのソウルメイトたちの写真が、み〜〜〜んなぶっとんだのだ。超ショックゥ・・・。それに、たくさんいれてた着メロもだめです。が〜〜〜〜ん。「ホワッツ・ゴーイング・オン」、またダウンロードし直しだ。

ショップの人いわく、「ちょっとした衝撃や、なんらかの磁気で、すべて飛んでしまったりすることもあるんです」 というわけで、できるだけSDカードへの保存はお勧めだ。それと、バックアップ用のバッテリーが、通常のバッテリーとは別に内臓されているが、これは交換不能だそうだ。また、それがどれくらいまでなくなっているかはまったくわからない、という。通常3年から5年くらいもつだろう、ということだ。バックアップ用のバッテリーは、普段電源を切っても、時刻とか、さまざまなメモリーを動かすためのもの。それがなくなると、大事件になる。例えば、5年以上たつと、ある時電源を切ったりすると、すべてがなくなっている朝が来るということもあるわけだ。お〜〜こわ。バックアップ、バックアップ。

そして、泣く泣く新しくなった携帯(まったくの同機種。ただし微妙にマイナーチェンジしてる)を手にして戻り、その後、前から親と約束していたのでお墓参り2ヶ所に出向く。一ヶ所は自宅近くだが、もう一ヶ所がオール・ザ・ウェイ、谷中。ソウルサーチャー、ソウルの元へってなわけです。雨のせいか、お墓もすいてます。谷中のお墓には、野良猫がたくさんいる。帰り際、麻布十番の更科で蕎麦を食して店を出ようとすると、なんと見覚えのある顔が。某レコード会社のディレクター、O氏。よく一緒に仕事をさせていただいた。なんと、某氏がカナダ・トロントに赴任のための送別会とのこと。

そして、ソウルメイトM1とブルーノートへマイク・スターン。ドラム、ギター、ベース、サックスの4人。マイク・スターンは、元ブラス・ロック・グループとして一世を風靡したブラッド・スウェット&ティアーズ、さらに、マイルス・デイヴィスのグループなどに在籍し、独立した白人のギタリスト。ドラムスはデイヴ・ウェックル、サックスはボブ・フランセスチーニ、そして、ベースと若干の歌にリチャード・ボナ。

ちょっと僕には、ロックすぎた。というか白すぎた。もちろん、マイク・スターンのギターは、うまい、はやい、そして、気持ちいい。そしてさらに癒し系のアルファー波がでてくる。ドラムスもかっこいいし、サックスもいい、ベースもきまる。たぶん、デイヴのドラムスは、まわりのミュージシャンが全員ブラックだったら、そうとうねちっこいドラムになるのではないかと思う。系統で言えば、デニス・チェンバース系だ。いずれにせよ、個々のミュージシャンの力量はみなすばらしいが、ユニットとして全体的にロックベースのフュージョンという感じだった。僕は個人的にはもっと黒い音が好きなので、少々刺激がすくなかった。

それでも、最後の曲の前に見せたリチャード・ボナとマイク・スターンのかけあいは、スリリングだった。一緒に見たソウルメイトM1は、このドラムがお目当てということもあり、大興奮。「いやあ、このドラムはね、CDで前から気になってて、一度生を見たいと思ってたのよ。かなり、最高だね。ドラマーっていうのは、見た目がかっこいいと、大体でてくる音もかっこいいんだよねえ。このデイヴも、かなりかっこいいでしょう」

マイクは終ってすぐにサインをするためにでてきた。彼はものすごくいい奴っていう感じ。明るくて、好感度、めちゃくちゃアップです。

さて、その後、西麻布に新しくオープンしたバー、ヌイ(Nuit)のレセプションをのぞく。比較的小さな店だが、ビルの3階と4階を使っている「フュージョン・タパス&バー」というキャッチフレーズ。なかなかこじゃれた雰囲気で、微妙におもしろいかも。だが、ものすごい人で「人酔い」とタバコの煙で早々に退散。ちょうどその時、別のソウルメイトM2から泥酔状態で電話。聞けば高級男性靴店のオープニングのレセプションから出てきて、「今、西麻布に向かってんだけど、ちょっとどっか行こうよ」。むむ、かなりの至近距離。

西麻布の交差点でM2を拾い、行く先は…。おっと〜、恵比寿のブラウンシュガー。エレヴェーターの扉があいて中にはいるなり、「今、Yさんのうわさをしていたところですよ〜〜」とDJケイコに笑われた。ふと横を見ると、先週水曜ブルーノートのロイ・エアーズで会ったソウルブラザー、Aとソウルシスター、N。強烈だ…。濃い…。左利きソウルシスター、Nと握手すると、握力47キロでぐわっとしめつけられます。するとM2「外人みたいな握手するね」。M1は、「おおおっ、指が折れる〜〜」と悲鳴をあげた。僕の握力は30キロにも満たない。しかし、なんでこんなに握力強いの? (謎)

メイズ、エスコーツ、マンハッタンズが流れる中、泥酔コンビM2とAが「酒にのまれちゃいけない、なんていう言い方は、酒に失礼だよな…」、「そうですよねえ」とえらく意気投合。A曰く「Y君のところのBBSに、携帯から書き込もうとしたら、はねつけられちゃってさ」 「ええっ? いや、携帯からも行けると思うけど。パソコンからやったら?」 「あ、今パソコン死んでんの」 するとM2が「おおっ、じゃあ、オレにメールで送ってくれ、オレがかわりに書き込んでやるから…」 なんだなんだ。BBS代筆するか、普通。(笑) 

というわけで、雨のロングデイでした。

(2004年3月18日木曜・東京ブルーノート=マイク・スターン・ライヴ)
セッション。

『フィール・ン・ソウル』の収録があった。ゲストにトク(TOKU)さんということで、なんと、黒沢氏、酒井氏、トクさんの歌3人にピアノの松本氏という超豪華の4人によるセッションとなった。トクさんは、フルーゲルホーンと歌。

はたして、歌われる曲は…。これがスティーヴィー・ワンダーの「ゴールデン・レイディー」だったのだ。昨年12月から今年1月にかけてのスティーヴィーのジャパンツアーの実質的なオープニングソングだ。

もともと、「月一でひとり歌い」ということで始めたコーナーだったが、徐々に二人歌いになることもあったが、歌3人、ピアノにフルーゲルホーンというセッションは、ちょっとしたレコーディングセッション並の布陣だ。かけあいもなかなかスリリングでこれは、かなりの聞き物だ。

ところで、なぜ「ゴールデン・レイディー」になったかというと、彼の昨年のアルバム『TOKU』(ソニーSICP-321、2003年1月22日発売)で、歌っていたから。キーは、トクさんの声がかなり低く、黒沢さんが歌うには少し高いが、そこはちょっと調整してすぐにできてしまう。途中のピアノ・ソロ、フルーゲル・ソロ、コーラスへと展開。

番組内のトーク部分も、トク節全開で、いつもとちがって夜10時、大人の雰囲気になっていた。(笑) 

「ゴールデン・レイディー」は、73年のアルバム『インナーヴィジョンズ』の4曲目に収録されている作品。自分が大好きな女性のことを「ゴールデン・レイディー」と呼び、その元に行きたいということを切々と歌う。2番のここが好き。「雨の雫(しずく)と太陽の微笑が、花を育て、やがて大きく花開く愛らしい笑顔に移りゆく。いまや、夢が叶うのだ。この恋を失うことなどありえない…」 ナイスなセッションでした。

『ゴールデン・レイディー』

君の天使のような瞳を見つめながら、
僕は自分の目を閉じてみる。何かを期待しながら…
君の瞳に佇(たたず)む天国は、もうすぐそこに…
君という名の天国に行くことさえ、僕はいとわない
これまでに知りえることがなかった輝かしい愛のためなら、
僕はすべての身を委(ゆだ)ねる

輝かしきレイディー、美しきレイディー
君の元に行きたい
神々しいレイディー、華やかなレイディー
君の元に駆け寄りたい
今すぐに

君の手を見た瞬間、もう僕の手は感じている
いつ君の手を握ろうかと。
雨の雫(しずく)と太陽の微笑が、花を育て、
やがて大きく花開く愛らしい笑顔に移りゆく
いまや、夢が叶うのだ
この恋を失うことなどありえない…

訳詞・The Soul Searcher

(このセッションによる「ゴールデン・レイディー」は、3月20日(土曜)午後10時からの『ゴスペラーズ〜フィール・ン・ソウル』(東京FM系)でオンエアーされます。)
殿堂。

プリンス、デルズ、ジョージ・ハリソン、トラフィックなどが、19回目を迎えるロックンロール・ホール・オブ・フェイム(殿堂)入りを果たし、15日、ニューヨークのウォルドルフ・アストリア・ホテルでその授賞式が行われた。

プリンスは、3時間におよぶショウのトップバッターとして登場、「レッツ・ゴー・クレイジー」、「サイン・オー・タイムス」、「キス」の3曲を演奏。大好評を博した。彼はまた、ショウの最後、ジョージ・ハリソンへのトリビュート「ホワイル・マイ・ギター・ジェントル・ウィープ」のところでも、参加した。このほかに殿堂入りしたアーティストは、ボブ・シーガー、ZZトップ、ジャクソン・ブラウンなど。

プリンスはステージで、「デビュー当初は、かなり(クリエイティヴな)自由を獲得することに執着していた。僕は自分が思った以上に、すばらしい音楽の旅をすることができた。若いアーティストに一言アドヴァイスをするのであれば、精神的な導き(支柱)がなければ、時として、あまりに多くの自由は精神性(ソウル)を失わせることにもなる。若いミュージシャンのみなさんも、このすばらしき音楽の旅が最高のものになるように。旅は終わらないから」と語った。そして、こう付け加えた。「本当の友人や、メントゥアー(恩師、尊敬できる人、師匠)は、自分が給料を払っている人物の中にはいないものだ」

プリンスは、この授賞式の後、NPGファンクラブのメンバーのために、ニューヨークのクラブ・ブラックでライヴ・パフォーマンスを見せた。

「オー、ホワット・ア・ナイト」や「ステイ・イン・マイ・コーナー」などの大ヒットを多数持つヴェテランR&Bグループ、デルズはハイスクール時代の友人同士が現在も同じメンバーの長寿グループ。50年以上の歴史を数える。デルズのメンバー、チャック・バークスデールは、「この賞がオージェイズやマンハッタンズ、ウィスパーズ、チャイライツなどにも与えられればいいと思う」と述べた。さらに、彼らは「私たちはたくさんのヒットをだした。だが、そのほとんどで、私たちは金をもらっていない。だから、今そこにいる皆さん方は我々に印税の借りがあるということだ。我々はみなさんのところに集金にうかがうつもりだ」 この後、彼らは「オー、ホワット・ア・ナイト」を歌った。

『殿堂入り』する条件は、初のレコードリリースから25年以上たっているということ。この条件にあてはまるアーティストが候補としてあげられ、そこからさらにノミネートが絞り込まれ、受賞となる。またビートルズのメンバーのうち、これで、ジョン、ポールにつづいてジョージも獲得。残るはリンゴだけとなった。

http://www.rockhall.com

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先輩。

プリンスが若いミュージシャンに向けて、ということでスピーチをした。そうかあ。デビューして、もう25年たつんだ。はやいなあ。デビューしたときは彼が若いミュージシャンだったのに、って、当たり前だ。しかし、「本当の友達は、自分が給料を払っている連中の中にはいない」というのは強烈だ。よほど、今まで痛い目にあったのだろう。

それにしても、このスピーチからは、プリンスも丸くなったなあ、というか、変化したなあ、ということを感じた。あれだけ、クリエイティヴ・フリードムを必死になって獲得しようとして、そして、実際獲得したものの、それでもまだ、ぶつかって、飛び出して、試行錯誤を繰り返してきた。

僕は前回の来日(2002年11月)の時、ずいぶんミュージシャンであることをエンジョイしているなあ、と感じたものだが、こういう心境の変化があったわけだ。妙に、なるほどと思ってしまった。

デルズは1952年頃に結成されたが、1960年以来メンバーは代わっていないという。それも奇跡である。

On the Net:

http://www.rockhall.com

New York Times:
http://www.nytimes.com/2004/03/16/nyregion/16rock.html

Billboard:
http://www.billboard.com/bb/daily/article_display.jsp?vnu_content_id=1000463165


Prince Inducted Into Rock and Roll Hall
(AP, 03/16/2004 7:41 AM)
もしもし。

日曜日、『ソウル・ブレンズ』のゲストは、トク(TOKU)でした。このところ、ブルーノートをはじめあちこちでよく顔をあわせます。アイズレー、ロイ・エアーズ、その後の代官山、都内のライヴハウス…。土曜日も、都内でジャムセッションしていたそうです。しかも、先週火曜日(3月9日)のロイ・エアーズでは、「サーチン」をはじめ、3曲も飛び入りで吹いたそうです。僕が行った水曜は一曲でした。なにしろ、彼は以前自身のアルバムで、ロイ・エアーズをゲストに迎えているわけですから、二人は旧知の仲というわけです。

それにしても、彼の声は太くて、いい声をしています。DJマーヴィンや僕の声よりもはるかに太くて、声量が圧倒的にある。ヘッドフォン越しに聴いていて驚きました。彼と比べると僕やマーヴィンなんか声が細いんですね。しゃべってても、彼の声のほうが面積というか、体積がかなりある、という感じなんです。これは発見でした。だから、シンガー向きです。

最初は比較的クールなトクも、徐々に地がでてきた、というか、リラックスしてきたというか、よくおしゃべりしてくれ、あっという間に予定の30分がすぎてしまいました。そこで、急遽、時間を延長することにしました。前代未聞というか、まあ、ゆるい番組ですので。(笑)

トクのニューアルバムは、『30(サーティー)』。彼がレコーディングしていた時、30歳だったので、このタイトルにしたそうです。現在は31ですが。この中から「ロバータ」という曲をかけました。「仕事でもプライヴェートでもいろいろありましたから」と彼は言いました。「ロバータ」はなんとトク本人が作詞作曲した曲。なかなかいい曲です。内容は、お互い好きで愛してるのですが、それがうまくいかないという物語。オフマイクでちらっと訊きました。「これって、実在の話?」 「あんまりつっこまないでください(笑)」 後半の彼のホーンが実にいい味わいをだしています。なんだか、すでにスタンダードの風格を備えてますね、この曲。

『30』は、トッド・ラングレンの名曲「ハロー・イッツ・ミー」で幕を開けます。マーヴィンが言います。「もしもし、オレだよ」 「そうそう、もしもし、オレオレ」ってところでしょうか。いや、雰囲気としては、深い低い声で、「もしもし、ぼくだよ」って感じでしょうね。スティーヴィーの「ザット・ガール」、スタンダードの「スターダスト」もはいってます。

このアルバムの中で、先日代官山で「ユー・メイク・ミー・フィール・ライク・ア・ナチュラル・ウーマン」を歌っていたシャンティさん(2004年3月12日付け・日記)が4曲も作詞で一緒にやってるんですね。発見でした。彼女今週の金曜に四谷でライヴやるんですね。3セットあって、カヴァー、オリジナル、カヴァーかあ。見に行こうかな。http://www.mebius-yotsuya.jp/sche.html 

アルバム『30』は、トクにとってもひとつのターニングポイントにあたる充実のアルバムになっているようです。

関連ウェッブ
TOKUのオフィシャルページ
http://www.toku-jazz.com/index_j.html

TOKUのライヴスケジュールなど。
http://www.toku-jazz.com/schedule_j.html

ただし、ライヴハウスはほとんど売り切れで、次回ゆったり見られるのは、4月26日、27日のスイートベイジルです。

シャンティーのオフィシャルページ(英語のみ)
http://www.snydersmarket.com/shanti.html
イヴェント『ソウル・サーチン・トーキングVOL.2〜A Tribute To Stevie Wonder: A Moment Of You, Me, & Piano』開催のおしらせ

2004年3月15日

ソウルミュージックの魅力、ソウルミュージックのすばらしさ、ソウルミュージック の力をトークと音楽でご紹介するイヴェント『ソウル・サーチン・トーキング』。そ の第二弾を来る4月22日(木)開催いたします。今回のタイトルは「A Tribute To Stevie Wonder: A Moment Of You, Me, & Piano」。スティーヴィー好きな3人のトー クと、前回CDでスティーヴィーの作品をご紹介した部分を、日本在住・隠れステ ィーヴィー・マニアであり、R&Bセッションシンガーとして多方面で活躍中のケイ リブ・ジェイムスによる生のアコースティック・ピアノと歌でお送りします。多くの 方がごらんになられたスティーヴィーのライヴの感動をもう一度、トークとライヴで 再現し、スティーヴィーの魅力に迫ります。ちょうど、新譜発売のタイミングにもあ うかもしれません。

今回の最大のハイライトは、スティーヴィーのライヴの部分でももっとも自由度が高 く、何が歌われるかわからない前半のアコースティック・ピアノを中心に歌われる約 15分のセクションを、ケイリブに再現してもらう点です。ピアノ一本で歌われるステ ィーヴィーの名曲の数々。あのスリリングな興奮をもう一度。「あなたと私と、ピア ノのひと時を…」 あなたもワンダーフルなひと時をシェアしてみませんか。


                 記


イヴェント名 『ソウル・サーチン・トーキング』

タイトル『ソウル・サーチン・トーキングVOL.2〜A Tribute To Stevie Wonder: A Moment Of You, Me, & Piano』

日時 2004年04月22日木曜  開場 18時
トークセッション&ミュージック 第一部 19時半〜20時半
  第二部 21時〜22時
(入れ替えではありません。また、一部と二部の内容は異なります。予約をされた方 で19時までにお入りいただければ、座席は確保いたします。以後は当日ご来場の方を ご案内する場合がありますのでご了承ください。座席数は約50です)
場所 中目黒・楽屋 http://www.rakuya.net/
住所 〒153-0051 東京都目黒区上目黒2-15-6
電話  03-3714-2607
行き方 東横線・中目黒駅下車・徒歩5分。中目黒駅を降り、山手通りを五反田方向 へ。中目黒銀座へ右折。まっすぐ進み約3分。右側にあります。
地図 http://www.rakuya.net/new/n_map.html
チャージ 2500円+ドリンク  
小冊子付き。(予定)
主催・制作 ソウル・サーチン・トーキング実行委員会 
連絡先  soul_searchin_talking@hotmail.com

司会 島田奈央子http://www.flavor.fm/flavor/naoko_net/index1.html
ゲスト 吉岡正晴(音楽評論家)http://www.soulsearchin.com/
    内田英一(コメンテーター) (飛び入りゲストもありかも)
スペシャル・ゲスト ケイリブ・ジェームス(ピアノと歌)http://www.kalebjames.com/

内容 島田奈央子(「サマーソフト」は彼女の永遠の子守唄)、内田英一(ブエノス アイレス午前8時の男= http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200303/diary20030314.html)、 吉岡正晴(日々ソウルを捜し求め続ける男)の3人が、12月に行われたスティーヴィー のライヴなどについて縦横無尽に語り、ケイリブがスティーヴィーのアコースティッ ク・セクションを自由自在に再現します。

優先予約 次のメールアドレスに次の事項を明記の上、予約メールをお送りくださ い。1)お名前と人数、2)メールアドレス(できればいらっしゃる方全員のものが あれば幸いです)、3)緊急の際の連絡先(グループの場合、代表の方だけでけっこう です)、4)このイヴェントを何でお知りになったか。折り返し確認メールをお送り します。

問い合わせ先・予約受け付けメール soul_searchin_talking@hotmail.com

当初は、この告知だけですが、2週間程度たちましたら、広く一般にも告知しますの で、ご予約はお早めに。楽屋の席数は50席ほどで、これに若干の立ち見が可能です。

おたより募集  みなさんから、「スティーヴィーと私〜ライヴ、これがよかった。 ここに感動した。ここで泣いた」、「私のスティーヴィー、とっておき秘話」といっ たテーマでのお便りを募集します。スティーヴィー関係のネタでしたらなんでもかま いません。いくつかを、当日発表したいと思っていますので、ふるってご応募くださ い。メールのあて先は予約、問い合わせ先と同じです。当日、採用させていただいた 方には、粗品をさしあげます。長さは指定しませんが、400字程度までを目安にお願い いたします。

それでは、4月22日に楽屋でお会いしましょう。
ようこそ。

昨日ロビー・デュプリーのライヴのことを日記に書いていたら、ソウルメイトUからメールが来た。「今、武蔵小山のいつもの店に来てるんですが、ソウルサーチャーさんのホームページを見てきたという人がきてますよ」 ふ〜む。それはすごい。ということで、日記を放ってうちから10分のその店に行くことにした。

ソウルメイトUは、かなり酔っ払っているが、その方々を紹介される。すると、なんとわざわざ京都からいらした、という。「ここすぐわかりましたか?」 「え〜、大体のあたりは、つけてきました。住所がわかったので。でも、ちょっと自信がなかったです。ちょっと通り越してしまったみたいです。『Aサイン』がよく見えなくて。でも、ちょうど、中からかすかにチャイ・ライツが聴こえてきたんで」

そういえば、このソウルバーに僕がソウルメイトUと初めて来たとき、やはり、最初はよくわからず、前を通り過ぎた。なんどか行ったりきたりして、どうもここらしいという戸のところで、ガラス戸に耳をそばだてて聴くと、かすかにテディー・ペンダグラスが聴こえてきたので、「絶対にここだろう」と思った。それでも、なかなか扉を開ける勇気がなく、しばし、「どうしようか」と悶々としたことを思い出す。(笑)

するとマスターの渡辺さんが、「先日は沖縄から3人組の人たちが、わざわざ探してやってこられましたよ。それもソウルサーチャーさんのホームページ見て、しかも沖縄の泡盛をおみやげにいただきました」と教えてくれた。ほ〜〜。インターネット、恐るべしですね。「その人たち、すぐに見つかったのかなあ」 「いや、20回くらいこの前、行ったり来たりしたみたいですよ(笑)」 

ところが、当の渡辺さんはインターネットがつなげていない。「いやあ、ビデオの留守録もできないアナログな人間なんで…。(笑) 一度(ホームページを)見てみたいんですけどねえ。パソコンはあって、つなごうと思うんですが、なんか、だめなんですよ」 

マスター、「いやあ、沖縄からわざわざ来ていただいたり、京都からわざわざ来ていただいたりって、バー冥利につきますね」と言って、「嬉しいから飲んじゃおうかな」と、ぐいっといってました。ソウルメイトUは、よっぱらった勢いで次々リクエスト。かかった曲は、エボニーズ「イッツ・フォーエヴァー」、インプレッションズ「スーナー・オア・レイター」、そして、極めつけはハーヴィー・メイソンの「ホワッツ・ゴーイング・オン」。これは77年のメイソンのアルバム『ファンク・イン・ア・メイソン・ジャー』に収録されている一曲。U曰く「このジョージ・ベンソンのギターがいいんだよねえ」 そこにいつの間にか乱入していた別のソウルメイトMが割り込む。「そうそう、このベンソンは怒ってるよね。『ブリージン』(76年のベンソンのアルバム)でのうっぷんを、なんかここではらしてるって感じだよなあ」

このほかドラマティックスの「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」などでは、静かなバーでUは歌い出す始末。そして、Mの声もでかい。このバーでは、静かにお願いします、ってか。

京都からいらした方たちは大学時代の友人同士で、Sさんは東京在住、もう一人のKさんは京都在住で時々出張や遊びで東京にでてくる、という。そして、今回はこのお店に来ることにした、とのことだった。Kさんがソウルにのめりこんだきっかけとなったのは、アレサ・フランクリンの「ソウル・セレナーデ」が入っている『アイ・ネヴァー・ラヴド・ア・マン・ザ・ウェイ・アイ・ラヴ・ユー』(67年)から。でもほんの2-3年前の話だという。「えええっ、たった2-3年でこんなにマニアックになるんですか?(笑)」と僕がびっくり。ちなみにマスター、渡辺さんのソウル初めてのレコード(略して「はじレコ」)は、なんとオージェイズの「裏切り者のテーマ」(72年)のシングル盤だそうだ。

しかし、沖縄から、京都からはるばる、ようこそ。ある意味でインターネットの力を感じた夜でした。いいかげんなことは書けないな、とも思った夜でした。(笑) 

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