魂。

そのスタジオに彼は原付でやってきた。すると入口のところで人に見つかり、サイン攻めにあっていた。普通免許の試験には合格しており、あとは交付を待つだけで、この日が原付に乗る最後の日だった。そうして、階上にあがってきた人物は、格闘家ニコラス・ペタスさん。大きく、筋肉がもりもりで、がっちりしている。

スタジオにやってくるなり、「オ〜〜スッ」。気合がはいります。『フィールン・ソウル』のゲスト。1973年1月23日デンマーク生まれ、18歳(91年)で極真空手の大山倍達(おおやま・ますたつ)師匠の内弟子となった。大山師匠は1994年4月26日に71歳で逝去してしまったため、彼は最後の内弟子と呼ばれる。

意外なほどに格闘技好きだった黒沢さんの目が輝き、聴きたいことがいっぱい。なんで空手を始めたのか、そのきっかけとなった出来事、日本にどのようにして来たのか、「千日修行」とは、最近開いている「ザ・スピリット・ジム」のことなど、話は尽きず、普段の「シークレット」のコーナーまでつぶして、ペタスさんの話に聞き入った。

中でもペタスさんの足の骨が折れた時の話は、あまりにリアルで衝撃的だった。また、映画『カラテキッド』の話もおもしろい。それにしても、ペタスさんは、日本語ペラペラ。空手のスピリット、ソウルを完全に理解している。「青い目のサムライ」とはうまいことを言ったものだ。

最後は、スタジオ(ラジオなのに)で、立ち上がって気合の入れ方を指導してくれた。いやあ、汗かきました。「気合をいれる」を英語で言うと、しいて訳せばspiritedということで、spirited lifeは気合の入った人生。ペタスさんは、言いました。「人生は気合だ!」 おお〜〜いえ〜〜っ。スタジオ内の気温、一気に急上昇! ペタスさんのソウルがスタジオ内に充満した。

(この模様は8月14日の『フィールン・ソウル』(東京FM系)で放送されます)
期待。

次回「ソウル・サーチン・トーキング」の打ち合わせを軽くケイリブらとしてきた。彼もダニー・ハザウェイのことはそこそこは知っているが、真剣に聞き込んで、自分のレパートリーにした作品はそれほど多くないという。こちらで出しているリストには約30曲ある。その中からこれは絶対歌って欲しいという曲に丸印やら二重丸をつけてだした。

今までにも、ケイリブの歌で「サムデイ・ウィル・オール・ビー・フリー」や、「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」は聴いたことがある。「ホワッツ・ゴーイング・オン」もマーヴィンの変形ヴァージョンは聴いた。そのあたりがいかにケイリブ風になるか、あるいはダニー風になるか。

「ただのコピーや真似は僕はしないんだ。いかに自分のものを入れられるか、いかにクリエイティヴなものを付け加えられるか。ダニーの曲は、かなりタフで、僕にとってはチャレンジになるよ。まちがいなくスティーヴィーより大変なものになるだろうね」とケイリブは言った。

前回のスティーヴィーのときに発揮されたケイリブのオリジナリティーに今回も任せる。「君から何がでてくるか、楽しみにしてるよ」と僕が言ったら、彼も「自分でも何ができるか、楽しみだよ」と言った。ケイリブにとっては、大変な夏休みの宿題になりそうだ。(笑)

ダニーのネタは、スティーヴィーのものと比べると圧倒的に少ない。それは彼の人生が短かったということが最大の要因だ。自殺の前後も依然完全にクリアになっているわけではない。僕のほうもダニーのリサーチで、大変な夏休みの宿題を抱えることになる。っていうか、そもそも「夏休み」はあるのか、という話だが。(笑) 

ひとつあるとすれば、レイラ・ハザウェイの新譜が9月にリリースされる予定だという。まだ詳細はわからないが、イヴェントの頃までには何か音なり、情報なりは入ってきているだろう。

スティーヴィーとダニーを比較すると日本でも圧倒的に知名度に差がある。それだけにダニーの基本的な情報もお伝えしなければならない。果たしてどうなるか。いろいろ知恵を絞ってみたい。絞って絞って絞って絞らないとね。(笑) でも、ケイリブから何がどんな風にでるかは、本当に楽しみだ。
宿題。

単身メンフィスへ乗り込み、アル・グリーン育ての親であるウィリー・ミッチェルにプロデュースを依頼し、それを実現させた男、オリト。その彼のデビュー作『ソウル・ジョイント』が出たのは95年6月のことだった。それからすでに9年の歳月が流れている。その後彼は2枚のアルバムを出したが、デビュー作を超えるヒットにはなっていない。そんな彼が事務所などを変わり、久々にライヴをすると聞いたのでいってみた。

以前彼のライヴをどこかで一度くらい見たような記憶がうっすらとあるのだが、どこで見たかは覚えていない。見たとしても、デビュー時だから95年頃のことなのだろう。それはさておき、会場は目黒のブルースアレー。

セットリストを見ると、なかなかいい選曲だ。1,3,4,5,6,セカンドの2,3などがカヴァー。マーヴィンの「レッツ・ゲット・イット・オン」など意図することはよくわかるし、パフォーマンスの仕方も理解できるのだが、どうしても今ひとつエッチ度が足りない。英語だと意味が聴衆に伝わらない、だからといって日本語でやっても、うまくいかない。ここはむずかしい問題だ。やはり日本語では無理なのか。センシュアルな表現というのは、まだ日本人にはできないのか。これは大きな課題だ。

オリジナル曲はまだまだもっと作りこまないと。歌詞は相当改善の余地ありだ。歌詞というのは、例えば雑巾に水を浸して、絞って絞って、水がでてきて、それもでなくなって、それでも絞ってやっと一滴でてくるような言葉、単語、表現、そういうものをひとつひとつ紡いでいかないといいものはできない。もちろん、今の邦楽にそういうものはかなり少ないが、歌詞とメロディーがはまる瞬間というのは、そういう絞って絞ってでてきたような言葉が来た瞬間なのだろうと思う。もちろん、ぱっとひらめいたときにそういう言葉がでることもあるだろう。だが、多くの場合は苦しんで苦しんででてくることが多い。少なくともこれらの楽曲は僕には発展途上に思えた。ただ発展途上曲をライヴで積極的にやることは別に問題ない。あのスティーヴィーだって、未発表曲をやって観客の反応を見るのだから。

「リサ・・・」という曲のテーマはおもしろい。もっといいメロディーといい歌詞を作れれば、いい曲になるかもしれない。ストーリーをもっとふくらませて、起承転結をしっかりつければ印象に残るようになるだろう。ハロルド・メルヴィンたちの「二人の絆」を思わせる「感謝の歌」はテーマやメロディーはいいので、歌詞を絞って絞って編み出せばおもしろいものになるかもしれない。

カヴァー曲以外で印象に残ったのは、アンコールで歌われた「アイム・ユアーズ」という曲だった。これは、デビュー作の1曲目に入っていたのですね。これはいい曲だ。

全体的にソウル・ミュージックが大好きで、そういうのをやりたいということは痛いほどわかる。ただし、どうしても消化不良の感が否めない。また、スイート系とディープ系、どちらが彼の声にあうのか。そのあたりも試行錯誤が必要なのだろう。「ウー・ベイビー」はよかったが、エリカ・バドゥーはあまりはまっていなかったように思った。「アイム・ユアーズ」は向いている。もっとライヴをひたすらやるしかないのではないか。夏休みの宿題は、そこに残っている。ただし、ソウル好きという点で、ソウルブラザーとしては応援したい。

オリト・オフィシャル・ウェッブ
http://www.jvcmusic.co.jp/orito/index.html

Setlist

First set
show started 19:45

1. Superfly (Curtis Mayfield)
2. After Hours/Just The Two Of Us (Grover Washington Jr.)
3. Ooh Baby Baby (Miracles)
4. Let’s Get It On (Marvin Gaye)
5. Show Me (Glen Jones)
6. Let’s Stay Together (Al Green)
7. リサ: 横田基地物語
show ended 20:35

second set
show started 21:09

1. So Shy
2. Tell Me Something Good (Rufus)
3. On & On (Eryka Badu)
4. メイフィールド
5. DJ. Feelgood
6. Finga Play
7. 感謝の歌
8. Ex-Life

Enc. I’m Yours

show ended 22:15

(2004年8月9日月曜、目黒ブルースアレー=オリト・ライヴ)
イヴェント『ソウル・サーチン・トーキングVOL.3〜A Tribute To Donny Hathaway: The Legend Returns』開催のおしらせ

2004年8月9日

ソウルミュージックの魅力、ソウルミュージックのすばらしさ、ソウルミュージック の力をトークと音楽でご紹介するイヴェント『ソウル・サーチン・トーキング』。その第3弾を来る9月22日(水=祝前日)に開催いたします。今回のタイトルは「A Tribute To Donny Hathaway: The Legend Returns」。ダニー・ハザウェイ好きな3人 のトークと、前回スティーヴィー作品の熱唱で大絶賛を受けたR&Bシンガーとして多方面で活躍中のケイリブ・ジェイムスによるアコースティック・ピアノと歌でお送りします。誰も見たことがないダニーのライヴ。それはいまや伝説となっています。 時あたかも、未発表音源を含む『ライヴ』アルバムが大きな話題を集めている今、誰も見たことがない伝説のライヴを、ケイリブによって再現してもらいましょう。

誰も聴いたことがないダニーズ・ソングスだけの2時間余。伝説が、21世紀の今、ここによみがえります。あなたもレジェンドなひと時をシェアしてみませんか。

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イヴェント名 『ソウル・サーチン・トーキング』
タイトル『ソウル・サーチン・トーキングVOL.3〜A Tribute To Donny Hathaway: The Legend Returns』

日時  2004年09月22日水曜(祝前日)  開場 18時
トークセッション&ミュージック 第一部 19時半〜20時半
第二部 21時〜22時
(入れ替えではありません。また、一部と二部の内容は異なります。予約をされた方 で19時までにお入りいただければ、座席は確保いたします。以後は当日ご来場の方を ご案内する場合がありますのでご了承ください。座席数は約50です)

場所  中目黒・楽屋 http://www.rakuya.net/
住所  〒153-0051 東京都目黒区上目黒2-15-6
電話  03-3714-2607
行き方  東横線・中目黒駅下車・徒歩5分。中目黒駅を降り、山手通りを五反田方向 へ。中目黒銀座へ右折。まっすぐ進み約3分。右側にあります。
地図  http://www.rakuya.net/new/n_map.html

チャージ  3000円+ドリンク  
主催・制作  ソウル・サーチン・トーキング実行委員会
連絡先   soul_searchin_talking@hotmail.com

司会  島田奈央子http://www.flavor.fm/flavor/naoko_net/
ゲスト 吉岡正晴(音楽評論家)http://www.soulsearchin.com/
    内田英一(コメンテーター) (飛び入りゲストもありかも)
スペシャル・ゲスト ケイリブ・ジェームス(ピアノと歌) http://www.kalebjames.com/

内容  島田奈央子(DJ)、 内田英一(コメンテーター)、 吉岡正晴(音楽評論 家)の3人が、ダニー・ハザウェイについて縦横無尽に語り、ケイリブがダニーが歌った作品群を自由自在に再現します。

予約のお勧め: お席は予約された方を優先してご案内しますので、ご予約をお勧め いたします。
予約のしかた: 次のメールアドレスに次の事項を明記の上、予約メールをお送りください。1)お名前と人数、2)メールアドレス(できればいらっしゃる方全員のものが あれば幸いです)、3)緊急の際の連絡先(グループの場合、代表の方だけでけっこうです)、4)このイヴェントを何でお知りになったか。折り返し確認メールを お送り します。
問い合わせ先・予約受け付けメール  soul_searchin_talking@hotmail.com
当初は、この告知だけですが、2週間程度たちましたら、広く一般にも告知しますの で、ご予約はお早めに。楽屋の席数は50席ほどで、これに若干の立ち見が可能です。

それでは、9月22日に楽屋でお会いしましょう。

Rick James Died At 56

2004年8月8日
リック・ジェームス死去

数々のファンクヒットを放ってきたファンクマスター、リック・ジェームスが8月6日朝ロスアンジェルスの自宅で死去した。午前9時45分頃(日本時間7日午前1時45分頃)、アシスタントが死んでいるのを発見した。その直前に死亡したものと思われる。自然死と見られる。56歳。ジェームスは長い間糖尿病と心臓を患い、ペースメイカーをつけていた。

かつて、93年、暴力行為で訴えられ、96年8月まで刑務所に入っていたこともある。98年、復帰ステージで心臓発作を起こし、そのまま入院。その後リハビリに力をいれていた。

リック・ジェームスは1948年2月1日ニューヨーク・バッファロー生まれ。8人兄弟の3番目。本名ジェームス・アンブローズ・ジョンソン・ジュニア。母親が無類のジャズ好きだったことから、幼少の頃からジャズのライヴハウスに連れて行かれたり、自宅ではジャズのレコードに触れた。まもなくミュージシャンになることを夢見るようになり、音楽活動を開始。60年代後期には、ヴェトナム戦争に行くことを避けるためにカナダに放浪の旅に出て、現地で当時はまだ無名だったニール・ヤングらとともにマイナーバーズというグループでバンド活動をしていたこともある。

70年代に入り、ロスアンジェルスに来て、ソングライターとしてモータウン傘下の音楽出版社ジョベッタ・ミュージック入り。ここで作品などを書いていたが、78年、自らがレコーディングしたファンキーな作品で当時の妻のことを歌った「ユー&アイ」でアーティストとしてデビュー。これがいきなり大ヒットとなり、以後はファンク・アーティストとして快進撃をとげる。モータウンには彼のほかにファンク・アーティストはおらず、モータウン唯一のファンク・アーティストとして人気を博した。

パンク精神の持ち主で、ステージでマリファナを吸い、観客にも勧めたりしていた。ジェームスのライヴ・コンサートは、会場中マリファナの煙が立ち込めていることでも話題になった。

アーティストとしてだけでなく、ティーナ・マリー、メリー・ジェーン・ガールズなどのプロデュースもてがけてヒットさせた。外部プロジェクトとしても、エディー・マーフィーの「パーティー・オール・ザ・タイム」(85年9月)をヒットさせている。ジェームスは、スモーキー・ロビンソンとのデュエット「エボニー・アイズ」(83年)、あるいはテンプテーションズとのデュエット「スタンディング・オン・ザ・トップ」(82年4月)などのヒットもある。

彼の81年4月発売のアルバム『ストリート・ソングス』は、モータウン史上もっとも売れたファンクアルバムとなり、ジェームスの最高傑作と呼ばれる。ここからは、「ギヴ・イット・トゥ・ミー・ベイビー」、「スーパーフリーク」などが大ヒット。「スーパーフリーク」は90年、ラッパーのMCハマーが「ユー・キャント・タッチ・ディス」でサンプリングして使用し、再び注目された。

彼は娘タイ、息子たちリック・ジュニア、タズマンと、孫娘ジャスミンとカリスマらによって送られる。

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Between The Two Characters

パンク。

リック・ジェームスを一言で言えば、「パンク・ファンク」だ。そのスピリットからして、強烈なパンクである。セックス、ドラッグ&ファンクン・ロール。おまけにヴァイオレンスもつけよう。女とドラッグと音楽。それが人生のすべてだった男だ。ドラッグのやりすぎで、寿命を縮めたのかもしれない。ドアーズのジム・モリソンとも親交があり、ジミ・ヘンドリックス、スライ・ストーン、カーティス・メイフィールド、ジェームス・ブラウンなどの音楽に影響を受けた。48年生まれなので、ウッドストックなどの「サマー・オブ・69(1969年の夏)」は、21歳である。パンクも、ヒッピーもなんでもありの時代だ。

リック・ジェームスは本当に一度ライヴを見たかった。90年代初期に、ジェームスの来日話があり、スケジュールも発表された。しかし、ごたぶんにもれずドタキャン。幻となった。一度80年代初期に、友人がアメリカでそのライヴを見て、その時のことを話してくれた。80年代初期といえば、『ストリート・ソング』の後で、どこかのコロシアムで見たような話だった。会場全体が、マリファナの煙でものすごかったという。その話だけで興奮した。

そして、ジョージ・クリントンのPファンクのライヴ同様、一曲が延々と続く。あれは、きっとハイになっていると、演奏を止めるというマインドがなくなるのだろう。そして、同じことの繰り返しでもさらにハイになっていくのだと思う。それは、きっとスライの音楽なんかでもそういう麻薬感覚があふれているのに違いない。ラリって録音した曲をしらふで聞いてそのよさを感じるというのもすごい話である。1週間にコカインのために、1万ドルから1万5千ドル(当時のレートで200万円から300万円)近く浪費していたという。ところが、本人はそんなことはまったく意識していなかった。

80年代後期にはモータウンとの契約が切れ、ワーナーへ移籍しているが、それほどの大ヒットにはならなかった。しかし、MCハマーが「スーパーフリーク」を使ったことで、再び脚光を浴びる。

最初、ラジオで「ユー・キャント・タッチ・ディス」を聴いたときには、ジェームスは怒り心頭で弁護士に電話をして、怒鳴り散らしという。しかし、弁護士が印税使用料として入ってくる金額を言った瞬間、怒りは収まった、という。いかにも現金なジェームスらしい逸話だ。80年代のファンクは、リック・ジェームスがリードしていたと言っても過言ではない。それほど見事な活躍ぶりだった。

彼はかつて「オレはリック・ジェームスを演じている。ワルで、ドラッグ中毒で、パンクでっていう」と言った。確かに人々は、リック・ジェームスをそのイメージで知っている。だがドラッグ中毒から抜け出るために必死になってリハビリに励んでいた男はきっとただのジェームス・ジョンソン・ジュニアだったのだろう。そして、刑務所で落ちぶれていたいた男もジェームス・ジョンソンだった。彼はリック・ジェームスとジェームス・ジョンソンという二人のキャラクターの間に死んでいったのかもしれない。

やすらかに、ジェームス・ジョンソン・・・。

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リック・ジェームス死亡記事

http://www.msnbc.msn.com/id/5625044/

http://story.news.yahoo.com/news?tmpl=story&;u=/ap/obit_james
(速報)ファンクマスター、リック・ジェームス死去

「スーパーフリーク」「メリー・ジェーン」「ユー&アイ」などのファンクヒットで知られるリック・ジェームスが8月6日(金)午前9時45分(太平洋時間帯=日本時間7日午前1時45分)、ロスアンジェルスで死去しているのが発見された。56歳だった。

詳細は後ほど。

http://www.billboard.com/bb/daily/article_display.jsp?vnu_content_id=1000602031
世界遺産。

100円玉をスロットにいれる。カランカランと音を立てて硬貨が中に吸い込まれていく。聴きたい曲を決め、選曲すべきボタンを押す。Lの6・・・。マシンがかなりよれた7インチシングルを探し、所定の位置にセットし、シングルが回り始める。針が盤に触れる。1-2秒音楽が刻まれる前の、無音の音溝をなめる音がする。音が出るまでのこの瞬間のわくわく感はなんと言ったらいいのだろう。さすがにこれはCDでは味わえない至福の瞬間だ。そして、ベースラインの音が始まる。

「な、な、なんだ、この音〜〜〜」 あまりの音の擦り減り方に呆然とした。こんなにレコード盤が磨り減っている音を聴いたことがない。"sittin in the morning sun..."  あれえ、音が薄くなっている。しかし、まぎれもなく、それは「ドック・オブ・ザ・ベイ」。いかにも年代物のジュークボックスから流れてくる音はジュークボックス特有の野太い音。うまく表現できないが、新品のレコードの音量・音質を10としたら、もうこのシングル6か5くらいしか、音がでていないのではないか、そんな風に思った。

林さんが、ジュークをあけてシングル盤を出して見せてくれた。その姿は、なんと壮絶なことか。擦り傷なんてものではない。ぼろぼろになったつやもない盤面が姿を現した。これだけ磨り減っても音がでるヴァイナルのレコード盤の力強さよ。こうして出てくる音は、どんなに最新の機材で加工しようにも再現できない。それこそ四半世紀、こすり続けて音を鳴らしてできた「使い古し音盤」という名の世界遺産だ。

「これね、つのだひろのサインだよ」と言って見せてくれたのが、チークの定番「メリー・ジェーン」のシングル盤。本人が来た時に、これが入っているのを喜んでサインをしていった。

林さんはここに入っているシングル盤80枚のほかにまだ4-500枚は持っているという。オリジナルにこだわる。これらは、最初は米軍の兵士たちが、自分たちが聴きたいシングル盤を置いていったりしたという。ボトルキープならぬレコードキープだ。だから、そうした連中は自分が置いていったシングルがもし、ジュークの中にないと怒る。そこで店もなかなかシングルの中身を変更することができない。

となりのポールスターは今はイヴェントなどでしかあけないが、かつては毎日営業していた。ポールスターとこのスターダストはどのようにすみ分けがなされていたのか。林さんが教えてくれた。「簡単ですよ。あっち(ポールスター)は、上官が来ていて、こっち(スターダスト)は、比較的ヒラみたいな普通の兵隊が来てたんだよ。ほら、船長と普通のは、一緒に飯食ったり、飲んだりしないでしょう。いつのまにか、同じような身分同士で飲むようになるんだね」 なるほど。

カウンターの向かい、酒瓶が並ぶ壁に今も残る「1ドル 〇〇円」の看板。「昔、(正式には)両替ができなくてね。そこで、近くの三井銀行に、オヤジが代表になってね、ここら辺のバーがまとまって交渉しに行ったんだ。なかなかOKはでなかったんだけど、やっとの思いで両替商の認可が下りたんだ。今でも、ここはドルも使えるよ。お釣り? お釣りは円で渡すんだ」 さすがに今は、ドルで飲む客はいなくなった。

50周年の記念パーティーのチケットはすでに売り切れている。だが、この店にはいつ来ても、時の流れの凍結がある。窓から見える景色もずいぶんと変わった。昔は、フューチャリスティックな港みらいの超高層ビル群はなかった。今やビル群のライトが横浜の夜を照らす。ジュークには「ハーバーライト」という曲も入っている。

かつては長い貨物列車が頻繁に行き来していた近くの貨物線には、ほんのたまに、しかも短い列車しか走らなくなった。スターダストの周囲はすべて変わった。だが、このスターダストの中は何も変わらない。そして、想い出の曲が流れてカウンターで泣き崩れた女性が歌うシングル盤も、このジュークボックスにはいまだに入っている。四半世紀を超えて、その曲は時にスターダストの夜を彩る。あたかも人々をあの頃に引き戻すように。
想い出。

首都高を横浜へ向けて横浜線を走らせていると、羽田を過ぎたあたりから、いかにも「京浜工業地帯」といった趣の景色が広がる。今日は、そこがどんよりした曇り空の下で、スモッグではないが、例えば、ロンドン郊外の工業都市や、アメリカで言えば、ピッツバーグのような煙突がたくさん立ち並び煙がもくもくとでているような地域を思わせた。降り口は東神奈川。

渋滞もなく、東神奈川まで順調に進み、降りてすぐに突き当りを左折。広い道の対向車線にはひっきりなしに大型トラックが走る。なかには、「Yナンバー」の車も行き来する。そして、大きな橋が現れると「これより先は許可なき車両の進入を禁止する」の仰々しい立て看板に、行く手を阻まれる。橋とこちら側を隔てる黄色の線は、国境線。足を一歩進めれば、そこはアメリカだ。車をユーターンさせてその橋の前に止める。目的地はこの左手のふるびれたバー、国境際にあるバー、スターダスト。

『ミッドナイト・ラヴ』の次回のソウルバー探訪がこの歴史あふれるバーだ。マスター、林さんが迎えてくれる。僕も80年代、何度か来たことがある。本当に「昭和30年代」を思わせるような、時間が止まっている空間だ。数々のテレビのロケや映画の撮影にも使われた。ミュージシャンや有名人なども多数訪れた。このスターダストは、1954年(昭和29年)にオープン。今年50年を迎える。林さんのお父さんがこのバーを開いた。アメリカの兵隊向けのバーだった。現在は二代目、弟さんと一緒にやっている。最初はとなりのポールスターとこのスターダスト、もう一店パラダイスと3軒の店をやっていた。現在は、スターダストが毎日営業、ポールスターは何かのイヴェントなどの時だけあける。パラダイスはもうなくなった。正確にはソウルバーというジャンルではないが、オールディーズの音楽がかかるバーといえばいいか。

50年前の壁紙、タバコの煙で薄汚れたイタリア製のランプ、ビニールシート風の椅子。歩くときしむフローリングの床。天井からぶるさがる何本もの浮き輪。そして、その浮き輪にマジックで書かれた無名兵士たちのサインの数々。傷も、タバコの焦げ目も残るカウンター。カウンターの小さなランプに頭を乗せて半目を開けながら寝ているみなと君。みなと君は今年14歳になるこのスターダストの猫だ。スターダストの扉を開けた瞬間、誰もが30年はタイムスリップする。

ここの名物は、80枚のシングル盤が入っているジュークボックスだ。50年代から70年代にかけてのアメリカン・ポップスのシングル盤が入っている。A1には、パット・ブーンの「砂に書いたラヴレター」が入っている。マスターのお勧めは、C6に入っているテンプテーションズの「マイ・ガール」とE6に入っているルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界(ホワット・ア・ワンダフル・ワールド)」だ。L6にはオーティスの「ドック・オブ・ザ・ベイ」が、N7にはタイムスの「ソー・マッチ・イン・ラヴ」なども入っている。ジュークボックスの曲リストを見ているだけで、次々とボタンを押したくなる。ここのジュークは今は100円で4曲だ。「昔は100円で6曲だったんですけどね、ぜんぜん自分がいれた曲がかからないので、4曲にしたんです」

ジュークボックスは、もちろん、今では製造されていない。ここに置かれているのは3台目でロック・オーラ444という機種。30年ほど前に80万円以上したという。当時としては車が一台買えるような大金だった。そして、メインテナンスをしてくれるところは、もうない。「で、メインテナンスはどうされてるんですか?」 林さんが答える。「いやあ、もうどこも直してくれないんでね。簡単なのは自分で直すんですよ。針は、何本かストックがあるんですけどね。本当に壊れたら、どうしますかねえ」

ジュークボックスに入っている曲には、おそらくそれぞれの曲に様々な想い出や物語がある。そんなひとつを披露してくれた。「あるカップルがいてね。よくここに来ていたんだ。その彼が、とても好きな曲があって、そのシングル盤が他の(店の)どこにも入っていないって言って、ここに来るといつもその曲をかけていた。あるとき、その彼女が一人だけで来ていた。で、その曲を誰かがかけたんだね。そうしたら、その曲がかかった瞬間、カウンターに座っていた彼女が泣き崩れてねえ。誰もわけなんか聞かずに、その時はスタッフみんなが一旦店をでて、彼女を一人にしたんだよ。しばらくしたら、彼女が『もう大丈夫です』ってでてきてね。あとで知ったんだけど、彼とはその時もう別れていたんだ。そんなことはこっちは知らなかったからね。まあ、そんな話だったらいくらでもあるよ」

来る客も変わった。人種も変わった。だがそのジュークボックスから流れてくる音楽は、変わらない。そこから生まれる想い出は星屑の彼方に。そして、今日の訪問が明日の想い出へ。

(続く)

スターダスト・オフィシャル・ウェッブ
http://www.bar-stardust.com/

Noise & Telephone 

2004年8月5日
雑音。

今日突然、電話の話中にガガガッという雑音がはいるようになった。けっこうその雑音がうるさく、話をするにも支障があったので、これはなんとかしなければと思い、104にかけてみた。

「すいません、電話機に雑音が入るようになったんですけど、それは何番にかければいいんでしょうか」 「あ、それは113ですね」 「ありがとう」 続いて113にかける。これこれしかじかなんですが・・・。「わかりました、じゃあ、今から係りのものを送ります。2時間以内には到着するかと思います・・・」

そして、2時間もかからずに、NTTからひとりの男性がやってきた。「雑音がするんですよ。今日から。盗聴器がつけられたなんてこと、ないですかねえ。(笑)」 「いやあ、それはあまり考えられませんねえ。一番考えられるのは、線がですね、こうして踏まれたりして断線しましてね、そうすると、こう雑音がはいったりすることがあるんですよ。とりあえず、ちょっと調べてみますね」 

ところが、彼がやってきた頃には、なぜかさっきものすごかった雑音がほとんどしないのだ。まあ、故障というのは、修理する人が来る時には症状があらわれないものである。「故障している機械は修理人が来ると知った時点で自己治癒する→修理人が来る時には、故障は直っている」 これ、マーフィーの法則・・・。てなことはないか。だから、電話機に向かって、修理人を呼ぶぞ、と言えば、それで充分だったのかもしれない。

小30分、NTTの人、電話線の入ってくるところ、電話機まわりなどをいろいろ調べてくれたが、結局異常は見つからず。「そうですねえ、じゃあ、しばらく様子見ていただけますか? もしまた症状でたら、すぐに直しに来ますから」 そして、彼が最後に局にかけて、局のほうからこの番号に電話をしてもらい、回線チェックを行うことになった。

局にかけるために、その瞬間NTTの人の胸ポケットからおもむろに取り出されたるは、な、な、なんとAUのかっこいい、デザイン最高のインフォバー! 受けた。思わず、「AUなんだ、携帯」と僕。「いやあ、この会社(NTT)はいる前からこれ持ってたもんで。ほんとは、ドコモにしなきゃいけないんですけどね。上司には内緒なんです」 まあ、なんですかね、トヨタのセールスマンが、ニッサンに乗って修理にやってきた、って感じ? 違うか。今日は、大都会、東京に潜む他愛のないミニストーリーでした。ミニストーリーにもならない、コネタですね。
スタンダード。

ソウル・シンガー、レジーナ・ベルが8月21日に新譜を出す。タイトルは『レイジー・アフターヌーン』(ビクター、VICP-62807)。なんとこれがスタンダードのカヴァー曲集。おととい話題になった「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」もやっている。そして、「コルコヴァード」。アイズレーの「フォー・ザ・ラヴ・オブ・ユー」。これは、クレジットはされていないが、曲のイントロにハロルド・メルヴィン&ブルーノーツの「ザ・ラヴ・アイ・ロスト」をいれて歌っている。これはものすごくいい雰囲気。

彼女がナンバーワンR&Bヒット「ベイビー・カム・トゥ・ミー」を生み出したのが89年だから、すでに15年前のこと。初ヒットはさらに2年前にさかのぼるから、かなりのヴェテランになっている。

フィリー・ソウルのカヴァーばかりを集めたアルバム『リーチン・バック』があったが、今回はもっとスタンダードを中心に、ちょっとジャズシンガーかと思わせるようなところもある。ちょうど10年ぶりの新作を出すアニタ・ベイカー的なニュアンスがものすごく漂う。そして、ナタリー・コール的な雰囲気も。女性シンガーの間では、ジャズっぽい、と言っても100%のド・ジャズではないものを歌うのが流行りなのだろうか。少しジャズテイストがある、という程度がちょうどいいのかもしれない。

中でも驚いたのは、オーティス・レディングの大ヒットでも知られる「トライ・ア・リトル・テンダーネス」をかなりソウルフルにやっていること。スタンダードの「マン・アオ・ラヴ(私の彼氏)」をピアノの弾き語り風で歌った後に、この「トライ・ア・リトル・・・」が来るので、なかなか変幻自在だ。

このアルバムから2曲選ぶとすれば、「フォー・ザ・ラヴ・オブ・ユー」と「トライ・ア・リトル・・・」かな。女性ヴォーカル好きの人にはお勧めのアルバムだ。

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レジーナ・ベル/レイジー・アフタヌーン
品番 ビクターVICP 62807
発売日 2004年8月21日
税込価格 2,520円

演奏者/レジーナ・ベル(VO) オスカー・ブラッシャー(TP) エイヴァレット・ハープ(SAX) レイ・フラー,ディーン・パークス(G) クリスチャン・マクブライド,アレックス・アル(B) ゴードン・チャンベル(DS) レニー・カストロ(PERC)
曲目
(1)レイジー・アフタヌーン
(2)フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン
(3)ホワット・アー・ユー・アフレイド・オブ
(4)イフ・アイ・ルールド・ザ・ワールド
(5)コルコヴァード
(6)ゼア・イズ・ア・ラブ
(7)ホワイ・ドゥ・ピープル・フォール・イン・ラヴ
(8)フォー・ザ・ラヴ・オブ・ユー
(9)イフ・アイ・シュッド・ルーズ・ユー
(10)モーニン
(11)ザ・マン・アイ・ラヴ
(12)トライ・ア・リトル・テンダネス
(13)レイジー・アフタヌーン(REMIX)
夢。

階段を降りると分厚いカーテンがかかっていて、それをくぐりぬけるのにけっこうな力が必要だった。なんとか、かいくぐって店の中に入ると、かなり暗い。初めて足を踏み入れた神田のTUC(タック)というジャズの店。席数50くらいか。つめれば70くらい行くらしい。ステージ中央にハモンド・オルガンを弾く女性。右手に黒人のドラマー。左手に日本人ギタリストの計3人。

ニューヨークから来た敦賀明子さんというハモンド・オルガン奏者のライヴがあると友人Oから連絡をもらったのは、ほんの25分ほどまえ。ちょうど別の仕事をしていたが、スクランブル発進して現地におもむいた。

その黒人ドラマーが、店内が暗くて顔などわからないのだが、軸がぶれずに、ひじょうにシュアなドラムを叩く。おそらくかなりのヴェテランなのだろう。それも、いとも簡単にさらりとやってのけるのだ。しばし、その彼に目が釘付けになった。軸がぶれずにドラムを叩くドラマーが僕はとても大好き。ゴルフも、他のスポーツも、なんでも、軸がしっかりしていることはとても大事なこと。余談だが、軸がぶれないドラマーの最高のひとりは、デニス・チェンバースだ。あれだけ激しく叩いても、頭があんまり動かない。

そこで、興味を持って、その誘ってくれた友人Oさんに尋ねた。「あのドラマーも、ニューヨークから来た人? 名前はなんていうの?」 「えーとね、なんだっけ、グラディー・テイトとかいってた・・・。歌も歌ってた、さっき」 「えええっ、グラディー・テイト??? レコード持ってるよ。へえ〜〜」 てなわけで、今年72歳の超ヴェテラン・ドラマー、グラディーさんでした。

僕が見たのはセカンドセットだけだったが、その中で一曲彼がマイクを持って、歌声を聴かせた。これがなかなかのもの。確か、レコードでも彼はよく歌っていたと記憶する。それに明子さんのハモンドが軽快にからむ。オルガンの音というのは、たださえファンキーな雰囲気が醸し出される。

ライヴが終ってでてきたテイトさんとちょっとだけ話した。「日本は何度目かなんて覚えてます?」「いやあ、覚えてない。たくさん、たくさん、来てるよ」「じゃあ、初めて来たのはいつ?」「さあなあ、60年代のどこかだろうな。67とか68年くらいじゃないか。覚えてない」 「じゃあ、誰と来たかは覚えてませんか?」 「オ〜〜ノ〜〜、覚えてないよ(笑) でも、日本は観客がみんな一生懸命音楽を聴いてくれるから大好きだよ」

「最近も依然、けっこうプレイするんですか?」「いやあ、今はあんまりしないな。気にいったアーティストだけだよ。疲れるしね。(笑) アキコは、とても成長している。彼女のことは好きだから一緒にプレイするんだ。彼女はいいよ!」 「歌とドラムはどちらが多いのですか?」「自分の時はほとんど歌だな。でも、今日は彼女が主役だろう。(と言って彼女の方を指差す) だから僕はあんまり歌わないんだ(笑)」 

女性のファンキーなオルガン奏者というのは、他に知らないので、敦賀さんにはぜひがんばっていただきたい。彼女のMC。「え〜、ニューヨークに渡って、向こうでずっとやってきて、それでやっとCDを出して(M&Iレーベルから発売された)、こうやって日本にライヴのために戻ってこれたっていうのは、私的には十分『アメリカン・ドリーム』なんですけど。(観客席から笑い) このCD、ぜひお買い求めの上、ご家族みなさんで、お聴きください」 う〜む、さすが大阪出身。言うことがおもろい。でも、もっとおもろいこと、たくさん、言うてな。

あ、そうそう。グラディーさん来週いっぱい日本にいる。来週はなんと青山ボディー&ソウルの30周年ウィークだそうで、店にいろんな人が来るらしい。彼も、毎日行ってるそうだ。「ボディー&ソウルで、また会おう」と言われた。

敦賀明子オフィシャル・ウェッブサイト
http://www.akikotsuruga.com/index-japanese.html
http://www.akikotsuruga.com/index-english

神田タック・サイト
http://www.tokyouniform.com/tokyotuc/

(2004年8月2日月曜、神田タック(TUC)=敦賀明子ライヴ)
満月。

実に綺麗ですね。しかし、この前、満月だと思ったら、もう再び満月になっている・・・。ということは、はやくも一月近くがたっているということです。

月を題材にした曲はたくさんあります。これは月のことを歌った歌ではありませんが、「ムーンリヴァー」。実は固有名詞なんですが、でも、月のイメージはあります。その種類のスタンダードだと、「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」があります。これは、月まで飛ばしてっていうところでしょうか。「ハイ・ハイ・ザ・ムーン」というスタンダードもあります。ナタリー・コールが歌うスタンダードの「ペーパームーン」。ロックグループ、CCRのヒットに「バッド・ムーン・ライジング」なんてありましたね。

ムーンライトを題材にした曲もありますね。「ムーンライト・セレナーデ」、グレン・ミラーの超代表曲。ブランディーは、そのものずばり「フルムーン」という曲をだしています。アル・ジャロウは、「ムーンライティング」という曲を歌っていますが、これはテレビドラマのテーマ曲になってヒットしました。邦題は「こちら、ブルームーン探偵社」だった。ブルース・ウィルスの出世作。ポップグループ、キング・ハーヴェストの「ダンシング・イン・ザ・ムーンライト」なんて曲もありました。

さて、ソウル・サーチン的にお勧めは、パティー・オースティンが録音している「シュート・ザ・ムーン」なんていかが。グレン・バラード、クリフ・マグネスが書いたミディアム調の曲。なかなかポップな感じで、あまりヒットはしなかったのですが、僕はなぜかよく覚えています。ただし、同名タイトルで、違う曲もいくつもあります。なんとノラ・ジョーンズもこの「シュート・ザ・ムーン」というタイトルの曲を歌っていますね。あの「ドント・ノウ・ホワイ」を書いたジェシー・ハリスの作品です。
虹。

昨日のロニー・ヤングブラッドのライヴ・セットリストについて、少々解説しましょうか。彼がいかに広範なブラック・ミュージックの歴史から選曲しているか。1曲目、「A列車で行こう」はジャズの巨匠デューク・エリントンのもっとも有名な作品。このA列車は、ニューヨークはマンハッタンを立てに走る地下鉄の路線のひとつ。行き先は、もちろんハーレムです。『ハーレム・ナイト』というイヴェントのテーマとしては、もってこいですね。

2曲目の「ウェイ・バック・ホーム」は、ちょっとおもしろいですね。インストなんですが、「もう帰って」しまうんですから。(笑) これは、モータウン所属のサックス奏者、故ジュニア・ウォーカーの有名な作品。後に、クルセイダーズもカヴァーします。ロニーがウォーカーのサックスが好きだということで、この曲が選ばれているようです。

ミッツィーが登場して1曲目。邦題は「恋は異なもの」。女性ジャズ・ヴォーカリスト、ダイナ・ワシントンの1959年の大ヒット。後に、エスター・フィリップスもカヴァーします。「サマータイム」も、スタンダード。1935年にミュージカル『ポギー&ベス』のために偉大な作曲家ジョージ・ガーシュウィンが書いた作品。『ポギー&ベス』は、9月に来日しますね。

「ストーミー・マンデイ(・ブルース)」は、Tボーン・ウォーカー作のブルースのクラシックで、ボビー・ブランドの歌などで有名。「アメイジング・グレイス」は日本でもCMなどで使われるゴスペルの超有名曲ですね。「オー・ハッピー・デイ」もゴスペルクラシックです。これを有名にしたのは、エドウィン・ホウキンス・シンガーズ。彼らの作品は69年にミリオンセラーになっています。

タップダンサー、オマーのバックで使われた曲の中で、「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」は、ご存知モータウンのテンプテーションズの71年の大ヒット。

第二部。「キャラヴァン」も、デューク・エリントンの1937年の有名作品。ミュージカル『ソフィスティケイテッド・レディーズ』にも使用されました。続く2曲はゴスペルとしてよく知られている曲のようです。僕は詳しくは知りませんでした。

ロニーになってからは、ソウル、R&Bのヒット曲オンパレード。まず、「アイ・キャント・ターン・ユー・ルーズ」は、オーティス・レディングの大ヒット。「パーソナリティー」は、50年代から60年代に活躍したR&Bシンガー、ロイド・プライスの59年のヒット。ロニーに、プライスは最近どうしてるか尋ねたら、まだやっている、とのこと。プライスとロニーは友人だそうです。もう一曲「スタガー・リー」も彼の58年の大ヒットです。ロニーが17歳くらいのヒットなので、その頃、本当に大好きだったのでしょう。

「ジョージア」「愛さずにはいられない」は、ともにレイ・チャールズのヒット。超クラシックですね。このあたりは、日本のファンにもかなり受けていました。「愛さずに・・・」からメドレーで歌われた「ブルーベリー・ヒル」は、やはりR&Bの巨匠ファッツ・ドミノの56年の代表曲。このあたりの選曲は、年季を感じさせます。そして、観客をステージに上げて、ラインダンスをさせるという演出の「ニューヨーク・ニューヨーク」。フランク・シナトラのヴァージョンがもっとも有名でしょう。これは元々1945年に書かれた作品で、ミュージカル『オン・ザ・タウン』に収録されました。映画版で、フランク・シナトラ、ジーン・ケリーなどが登場しています。「マイ・ウェイ」は、ポール・アンカの作品で、シナトラのものでも有名。日本人がカラオケで歌う英語曲の人気ナンバーワンでしょうか。そして、「ホワッド・アイ・セイ」もレイ・チャールズです。

このように、言ってみれば、『ハーレム・ナイト』で歌われた曲とは、ブルース、ジャズ、ソウル、R&B、ゴスペルといったブラック・ミュージック全般から選曲されているわけです。70年代以降、80年代、90年代はさすがにはいっていませんが。そのあたりまで網羅したら、『ハーレム・ナイト』転じて、『ヒストリー・オブ・ブラック・ミュージック・ナイト』になってしまいますね。それでも、この『ハーレム・ナイト』の中には、様々な彩りを見せるブラック・ミュージックの七色の虹がかかっているのです。

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ランドマークで今日まで。立ち見なら可能かもしれません。直接問い合わせてみてください。


伝統。

ハーレムというより、どこか南部の小さなクラブあたりで行われる黒人バンドが、昔懐かしのソウルヒットをこれでもかこれでもかとやって、観客を圧倒的に楽しませるエンタテインメント。そんな印象を持ったライヴ・イヴェントだ。日本での知名度はそれほどないにもかかわらず、横浜ランドマークのホール(収容人数約350)で行われるライヴ6回はほぼ売り切れだというから、びっくりだ。しかも、観客層がふだんいわゆるソウル系のライヴに来る人たちとちょっと違っている。年齢層も幅広く、親子での参加も多く見受けられる。告知は、若干の新聞とホームページなどとクラブなどへのフライヤーの配布程度で、おそらくリピーターの人たちが多いのだろう、という。

10年前の1994年に第1回が、そして、昨年第2回が開かれ、今年で3回目になる『ハーレム・ナイト』。自ら「ハーレムのプリンス(貴公子)」と言うロニー・ヤングブラッド(サックスとヴォーカル)を中心に、女性ヴォーカルにミッツィー・ベリー、そして、タップダンサー、オマー・ア・エドワーズらが繰り広げるエンタテインメントショウだ。

セットリストをご覧いただければわかるように、ソウル、R&B、ゴスペル、ブルーズといわゆるブラック・ミュージックの歴史がコンパクトに凝縮されているライヴだ。1部が71分、2部が80分とヴォリュームもたっぷり。

おもしろかったのは、第1部で前日レディー・キムも歌っていた「ホワット・ア・ディファレンス・ア・デイ・メイクス」と「サマータイム」が歌われていたあたり。2日続けて、これらを違うヴァージョンで聴くとは思わなかった。

タップダンサーを見て、セヴィアン・グローヴァーのほうがもっとかっこいいなあ、などと思っていたら、なんとその弟子で、ヒットミュージカル『ノイズ&ファンク』にも出演していた、という。雰囲気が似ていたのだ。もちろん、彼のタップダンスもなかなかのものだ。

休憩をはさんでの第2部は、歌われる作品にレイ・チャールズのものが3曲、さらに、「ニューヨーク・ニューヨーク」、そして、ま、ま、「マイ・ウェイ」まではいり、かなり日本向けの選曲で、単純に楽しめた。

サザン(南部)の香りが漂うそのショウは、とてもフレンドリーで温かみと楽しさにあふれるもの。こういうショウをやってくれるなら、別に有名なアーティストでなくても、まったくかまわない、という気にさせられる。

最後は「ホワッド・アイ・セイ」を、ロニーとミンツィーの歌にオマーのタップダンスを含め、さらに途中には「シャウト」のフレーズなどもいれ、大盛り上がりだ。

ライヴが終るやいなや、メンバーたちはCD即売とサイン会のために、入口にでてきた。それを見て、かつて本牧にあったアポロ劇場でのアーティストたちのサイン会を思い出した。こういう小さな会場でのライヴは、フレンドリーな環境なので、こうやってファンとどんどん交流するのはいいことだと思う。そうした小さな積み重ねが次回の公演へつながる。

そして、タオルで汗を拭きながら立っていたミンツィーさんとちらっと話すことができた。「あなたは、何歳頃から歌っているのですか」 「5歳からよ。それ以来ずっと歌いつづけてるわ」 「最初は教会で」 「そう、もちろん」 「たくさんゴスペルを歌ったんでしょうね。ゴスペルのレパートリーは何百曲とあるのでしょうね」 「オオ・イエー〜〜。なんでも歌えるわ。影響を受けたシンガー? たくさんいる。サラ、エラ、アリーサ、(何人かゴスペルシンガーの名前を列挙したが、忘れてしまった)・・・」 彼女は今、フロリダ州のマイアミから約2時間のところの街に住んでいるという。そして、小さな彼女(身長150センチ弱)が胸を張って言った。「わたしは、何でも歌えるわ」

楽屋に行って、ロニーと話す機会があった。開口一番彼は言った。「オレがやっているのは、伝統的なソウル、伝統的なR&B、伝統的なジャズ、伝統的なゴスペル、伝統的なブルーズ・・・。そうしたものをみんなミックスして、みんなに見せるということだ。今、若い連中はヒップホップ、ラップを聴くだろう。だが、それはこういう音楽をルーツに持っているんだ。だからそういう新しい音楽を聴いている連中に、元々はこういう音楽がそこにあったんだよ、ということを教えるのがオレの使命なんだな。わかるか」 充分、わかります。

「サックスと歌は、どちらを先に始めた?」と聞いた。すると「サックスだ」との答え。「なぜ?」 「母親がルイ・ジョーダンのレコードを好きで集めててね、その母親を喜ばせるために、サックスを吹くことにしたんだよ(笑)」

そして、彼もありとあらゆる音楽を聴く。ジョン・コルトレーン、ジュニア・ウォーカー、エルヴィスもビートルズも。ジェームス・ブラウン、ジャッキー・ウィルソンなどさまざまなブラックミュージックのアーティストたちのバックも勤めた。ハーレムの名物店「シルヴィアズ」で22年間演奏していた。明日(8月1日)が、彼の63歳の誕生日になる、という。1941年生まれだ。そして笑いながらこう言った。「日曜日には来るかい? 来るなら、ケーキを持ってきてくれ!」

関連ウェッブ。
http://www.landmark.ne.jp/index_event_hall.html
まだ31日と1日にショウがあります。

Setlist
show started 19:01

01. Take The A Train
02. Way Back Home
03. What A Difference A Day Makes
04. Summertime
05. Teach Me Tonight
06. Stormy Monday
07. Amazing Grace
08. Oh Happy Day
--Omar Edwards--
09. Precious Love (ACappella)
10. Papa Was A Rolling Stone
11. A Cappella
12. Thugs Mansion
13. Babaloo
14. He’s The Wiz
show ended 20:22

Second Set

20:36 started

01. See Live Woman
02. Caravan
03. Just A Nobody
04. Joy To Have A Your Love

05. I Can’t Turn You Loose
06. The Best
07. Personality
08. Georgia On My Mind
09. Stagger Lee
10. Night Time Is Right Time
11. (Adlib)
12. I Can’t Stop Loving You
13. Blueberry Hill
14. New York, New York
15. My Way
16. What’d I Say

show ended 21:56

(2004年7月30日金、横浜ランドマークホール=ハーレム・ナイト、ロニー・ヤングブラッド、ミッツィー・ベリー、オマー・A・エドワーズ・ライヴ)
握手。

この日、成田から到着したばかりの老練な職人ミュージシャン3人が位置についている。いろいろとセッティングに時間がかかる。新宿の老舗ジャズバー、ダグ(DUG)。35席で超満員となるこの店はすでに牛詰状態だ。この夜の主人公は新人レディー・キム。しかし、僕はロイド・メイヤーズ74歳(ピアノ)、ポール・ブラウン70歳(ベース)、クラレンス・ビーン72歳(ドラムス)というこのトリオに、まずは目を奪われた。

彼らがウォームアップの一曲を演奏する。彼らにとって「音楽を演奏するとは」どういう意味を持つのだろうか。本当に朝飯前のように、それぞれがプレイしている。このトリオで演奏するようになったのは、ここ3年程度だという。ただし、それぞれはいろいろなセッションで30年以上の知り合いだ。ドラムのビーンがそう話してくれた。この70ズのトリオは、強力だ。3人の間のミュージシャンシップという絆の強さははかりしれない。

そして「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」でレディー・K登場。意外と声は細い。かなり緊張しているのだろうか。でたばかりの新作『レフト・アローン』からの作品を中心に1部、2部に分けて歌った。笑顔がなかなか素敵だで、確かに絵になるシンガーだ。今度は、シャウト系のソウルを聴いてみたい。

終った後、店頭で売られていたアナログ30センチアルバムやCDにサインをしていた。帰り際、ちらっと話をした。「ジャズ以外も歌いますか?」 「え〜、今は以前ほどジャズ以外は歌いませんが、ソウル、R&Bも歌っていました。一時期、チャールズ・ネヴィルのバンドにいたこともあるのよ」 「ええ? じゃあ、ニューオーリンズに住んでた?」 「いや、彼らは奥さんと子供たちとボストンにいるの」

別れ際に「ナイス・トゥ・ミート・ユー」と言って握手をしたときの、手の握り方が強かった。

Setlist (incomplete)
2004.7.29 Lady Kim Live At Shinjuku DUG

First set

show started 20:13

1. (Instrumental)
2. How High The Moon
3. Since I Fell For You
4. Exactly Like You
5. Left Alone
6. (Instrumental)
7. Softly As In A Morning Sunrise
8. If I Were A Bell
9. Misty
10. Summertime

show ended 21:04

Second Set

show started 21:30

1. (Instrumental)
2. Bird Alone
3. Afro Blue
4. What A Difference A Day Makes
5. Just In Time
6. Nearness Of You
7. Take The A Train (Instrumental)
8. Girl From Ipanema
9. Fine & Mellow
10. I’m Glad There Is You
ENC. Strange Fruit

show ended 22:32

(2004年7月28日木曜、新宿・ダグ=レディー・キム・ライヴ)
戦争。

最近あちこちで勃発している戦争。その名は、室温設定温度戦争だ! まあ、大企業の大部屋ともなれば、ビル全体のエアコンの室温設定が決まっているので、どうしようもないだろうが、ちょっと小さな部屋でエアコンがあった場合、その温度を何度にするかで、大変な戦いが繰り広げられるのである。

そこにいる複数の人々の体感温度、何度を暑く感じるかは、千差万別だ。だから、あるX度を暑いと思う人は、冷房の設定温度をX−3度くらいにするかもしれない。一方、X度でも寒いと思う人は、設定温度をX+3度くらいにするだろう。これははっきり言って、それぞれの死活問題である。

そんな戦争は、きっと、このうだる暑さが日本列島を覆う中、あちこちで繰り広げられていると思う。実は、そんな戦争が身近なところで起こっている。毎週日曜のスタジオの中だ。(笑) 約2名がかなり涼しいのを希望、設定温度は21度くらい、一方約2名が暖かめを希望で設定温度28度くらい。これはね、妥協ができないんですねえ。(笑)

僕は21度派でして・・・。なんかいつの間にか「むすなあ、暑いなあ」とかって思って温度を見ると、いつのまにか設定温度が28度くらいになっている。もちろん、その場で22度くらいに下げる。すると、どこかの時点で相手派閥が「寒いなあ」って思うのだろう。そして、ふと見ると設定が22度になっているので、さくっと28度に戻す。すると、しばらくしてこっちが「むすなあ、暑いなあ」と思い・・・。と延々、この繰り返しだ。エアコンのスイッチも忙しい忙しいで、きっと大汗かいていることだろう。

で、ふと思うわけですよ。じゃあ、間とって25度にでもしておけば、って。なんで、そうしないんだろう。まあ、人間なんて、そんなに賢くないんだよね。ちなみに、香港なんてあほみたいに寒くて、設定はなんと18度という途方もない温度だそうだ。あれは僕でも寒いと思う。

この戦争に終わりはない。なぜなら人間は賢くないから。過去から学ばないゆえに戦争をするのだ。そして、ここには暑さと寒さの連鎖があるから、戦いは終わらない。宗教問題と同じくらい根は深く、決定的な解決策は見当たらない。
ギター。

ストラトキャスターというギターが誕生して今年で50年だそうだ。そこで、ストラトを使う世界のギターの名手が集まって、ストラトキャスターへのトリビュート・アルバムを作った。その名も『トリブュート・トゥ・ストラトキャスター』(ビクターVICJ61229、2004年8月4日発売)。いろいろな人や、なにか災害などの被災者へのチャリティーなど様々な企画はあるが、ギターに対してのトリビュートはおそらく初めてだろう。

登場ギタリストは、ハイラム・ブロック、ジェフ・バクスター、スティーヴ・ルカサー、バジー・フェイトン、デイヴィッド・T・ウォーカーなど。全15曲。僕が個人的に気に入ったのは、曲でいうと「アイ・キャント・ターン・ユー・ルーズ」と「ア・トリビュート・トゥ・キング」と「リスペクト」。いずれもスタックスのヒット。最初がオーティス・レディング自身のヒット、次がオーティスが亡くなって彼へのトリビュート作。ヒットさせたのはウィリアム・ベル。そして、アレサ・フランクリンの大ヒットでも知られる曲。書いたのはオーティスといった具合だ。

「アイ・キャント・・・」と「ア・トリビュート・・・」は、スティーヴのメインのギターのほかに、デイヴィッドTがサイドをプレイする。「リスペクト」は、ディーン・パークスとデイヴィッドTが参加。そして、ハモンド3をブッカーTジョーンズが弾いている。

このストラトキャスター企画、元々は邦楽アーティストで企画が進んでいたところ、洋楽アーティストでも編集しようということで制作が進んだ。まあ、欲を言えば、これにエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ナイル・ロジャースなどをいれてもらえれば、さらに最高になっただろう。(笑)
解凍。

アニタ・ベイカーがブルーノートに移籍http://diarynote.jp/d/32970/20040307.htmlしての第一弾アルバムがいよいよ発売される。前作『リズム・オブ・ラヴ』(94年9月発売)以来ちょうど10年ぶりの新作タイトルは、『マイ・エヴリシング』。全米で9月7日発売、日本で9月29日発売。全編のプロデュースはバリー・イーストモンド(ビリー・オーシャン、フレディー・ジャクソンなど)、一曲ベイビーフェイスがてがけた。

全9曲、いずれもかつてのアニタ・ベイカーとまったく変わらないサウンド、歌声を聞かせる。ほとんどすべてのバック演奏は、リアル・ミュージシャンたちとともに同時にヴォーカルをレコーディング。生の音楽を作り出している。そして、生まれたサウンドは10年の年月を瞬時に忘れさせてくれる。それは聴く者を1986年頃に引き戻してくれる。

最初のシングル「ユーアー・マイ・エヴリシング」からいきなりアニタ節全開だ。また、将来的にシングルカットが期待されるベイビーフェイスとのデュエット「ライク・ユー・ユースト・トゥ・ドゥー」も、ベイビーフェイスとのからみが抜群だ。

86年から94年までにエレクトラ・レーベルからリリースされた4枚のアルバムは、いずれも最低プラチナム・ディスク(100万枚以上)のセールスを記録、『ラプチャー』は全米だけで500万枚以上を売った。今度の新作も最低ゴールド(50万枚)、うまくいけばプラチナムになるだろう。アルバムチャートでもベスト3内に初登場しそうだ。

次々とヒットを放った彼女が、94年で音楽活動を休止したのは、1993年に第一子(男)が生まれたため。さらに、約1年後、第二子(男)が生まれ、彼女は子育てに専念。その子供たちが、いまや11歳と10歳になり、彼女は再びキャリアに挑戦し始めた。新譜発売とともに、全米にプロモーションで出向く。さらにヨーロッパへのプロモーションも計画されている。

先週、アニタ・ベイカーに電話で話を聞いた。「今まで、これほどまでのワールドワイドな(同時)リリースはなかった。だから、とても興奮している。と同時に、ちょっと怖くもある。なにしろ、これほど大規模にいっせいにプロモーション活動がされたことはないので」 

過去10年彼女は、「家のことで手一杯だった」という。両親が病気になり他界し、子育てがあった。そこから解放された今、新たな第一歩を踏み出す。10年間、音楽の冷凍庫に冷凍保存されていたアーティストが今、解凍されてフレッシュに世にでていく。
空手形。

金曜夜、マイ・ソウルブラザーHから飯を誘われる。六本木の牛タン屋が麻布十番の焼き鳥になり、そこでニューヨークみやげのプリンスのコンサート・パンフレットをもらう。かなりの写真がはいった立派なもの。Hは、マジソン・スクエア・ガーデンを2日見たのだが、えらく感激していた様子。前座はなかったという。かなりの良席を確保したようで、「オレの後ろにニコール・キッドマンがいた」と自慢していた。そこでは、キャンディー・ダルファーとメイシオ・パーカーが登場していた、という。

彼は学生時代ドラムをやっていたのだが、最近、なぜか無性にドラムが叩きたくなり、音のでない電子ドラムセットを買い込んだ。次に行った店が西麻布のライヴハウスのような店。ここはちょっとユニークで、ハコバンド(その店専属のバンド)があって、希望の楽器をそのハコバンドの演奏をバックに演奏できる。そこで近々ドラムを叩いてみたいとのことだ。そのハコバンドは6人でヴォーカルもいる。自分がドラムを叩きたいときは、ドラム以外がそこのプロのミュージシャンたちが演奏し、自分で好きにドラムを叩ける。カラオケの楽器ヴァージョンみたいなものだ。

リクエストできる曲がメニューになっていて、そのリクエスト曲と希望楽器をリクエストカードに書いて出すと順番が回ってきて、演奏、あるいは歌えるというシステムだ。ちょうど、その日は女性ヴォーカルや、ドラム希望者がそれぞれの曲を歌ったり、演奏していた。女性ヴォーカルは、ロバータ・フラックの「キリング・ミー・ソフトリー」を歌う。バンドは楽譜を見ながら、簡単にプレイする。そして、次がおそらく40代後半か50代前半のサラリーマン風の男性がドラムで、ドゥービー・ブラザースの「チャイナ・グルーヴ」を叩いた。いやあ、やりますねえ。(笑) そしてまた、次が同じようなタイプの男性で、クリームの「ホワイト・ルーム」のドラムをやった。けっこう、やりなれてますね。(笑) サラリーマンの余興としては、充分すぎるくらい立派です。40代も50代も、充分音楽に親しんでいるなあ、と痛感した。

そして、ソウルブラザーHは、近いうちにここでドラムデビューをするつもりだという。だが、人に見られたくないので、店を身内だけで固めたいとこぼす。そこで、まだ存在しない「前売り券」を買う約束をさせられた。「OK,アリーナなら、4枚くらい買ってやるよ(笑)」 「よし、わかった」と彼。「良席じゃないとダメよ」と僕。席数20くらいの店で、どこが一番良席なのだか・・・。ま、どっちも「空手形」ってことか・・・。(笑)
集結終結。

ゴスペル、ジャズ、ソウル、クラシック、ブルーズ・・・。あらゆる音楽がここに集結する。それにしても、ここで歌うシンガーたちみなが、レイのような雰囲気で歌うというのは、やはり影響だろう。

いよいよレイ・チャールズの遺作『ジーニアス・ラヴ〜永遠の愛(原題、Genius Loves Company)』が8月18日に日本発売される。結果的にこの作品は遺作となってしまった。アイデアとしてはまったく新しいものではないが、レイがやるという点でなかなかの企画ものだと思う。これだけのデュエット相手を集めたのは、さすがにレイ・チャールズならではだ。

ノラ・ジョーンズは言う。「私はレイ・チャールズのすべてが大好き。彼はなんだって歌えるし、何を歌っても彼の歌になってしまうところが不思議。私の歌を聴いてもらえればわかると思うけど、彼から受けた影響はとても大きい。そんな彼と歌えたなんて、信じられないほど光栄なこと」

ナタリー・コールが言う。「私はレイの音楽を聴いて育ったの。彼は本物のソウルマンだと思う。私の父、ナット・キング・コールが生粋のジャズマンだったように」

ノラが「here we go again〜」と歌い、そこにレイの声がかぶさる「ヒア・ウィ・ゴー・アゲイン」からアルバムは始まる。以後、ジェームス・テイラー、ダイアナ・クラール、ナタリー・コール、BBキング、グラディス・ナイト、ジョニー・マティスなどケイ12アーティストとの共演。さらに、隠しトラックにテイク6と歌う「アンチェイン・マイ・ハート」が収録される。アメリカの音楽業界のまさにフーズフーにふさわしい歌手たちがせいぞろいした。おそらくこういうプロジェクトだったら、アメリカのシンガーなら、いや世界中のシンガー、誰もがここに参画したいと思っただろう。それはこのアルバムがヒットするしないにかかわらず、そうしたアーティストが「あの」レイ・チャールズと一緒に歌を歌ったという経験だけで、充分後世に自慢できることだからだ。

レイの葬儀で流された「虹の彼方に(オーヴァー・ザ・レインボウ)」はジョニー・マティスとのデュエット。その意味でも今改めて聴くと、葬儀の模様が、その場に行っていないにもかかわらず、思い浮かぶ。ライナーに書かれたジョニー・マティスの言葉がすべてのアーティストの声を代弁している。

「多くの人が(このアルバムを)大切なものとして、そばにおいておきたくなるだろう。私が得た大切なものは、レイと同じスタジオでレコーディングしたという経験だ。それは私の人生のハイライトになった」

多くのシンガーたちにハイライトを与えたレイ・チャールズの人生は、このアルバムを最後に終結した。

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